大峰奥駈道☆持経の宿にて撤退
- GPS
- 28:56
- 距離
- 79.7km
- 登り
- 5,084m
- 下り
- 5,151m
コースタイム
- 山行
- 10:29
- 休憩
- 0:39
- 合計
- 11:08
- 山行
- 11:53
- 休憩
- 0:56
- 合計
- 12:49
天候 | 一日目;雨時々曇り 二日目;晴れ 三日目;曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
七色バス停〜熊野市駅は 平日は9:47, 土日祝は10:17、午後は14;47 (しかし祝日でもバスは平日ダイヤで運行される可能性あり) |
写真
感想
この週末は若丹国境尾根のテン泊縦走を考えていたので、北に向かう特急列車の時間に合わせて朝は遅い出発のつもりであった。しかし、用意をするうちに気が変わり、奈良の大峰方面に向かうことにする。京都から橿原神宮へと向かう近鉄の車内で山行計画を考える。当初は一泊二日で小笹の宿にテン泊して、八経ヶ岳から天川川合に下山することを考えるが、初日に行者還の小屋まで足を伸ばすが出来れば、翌日は行仙の宿まで進み、二泊三日で熊野まで縦走するという計画を立てる。通常は三泊四日を要する行程であるが、連休明けの火曜日は仕事を休むことが出来ないので、何が何でも月曜日のうちには京都に戻る必要がある。
近鉄の橿原神宮の構内のコンビニで吉野行きの特急への僅かな待ち時間の間に急遽、食料を買い足す。吉野行きの特急の指定席をネットで抑えた時の座席の埋まり具合からすると、特急には乗客はほとんど乗っていないようだ。終点の吉野駅に到着したのは8時58分。特急からホームに降り立つ乗客の姿は他には見当たらなかった。
吉野の駅から歩き出すと、すぐにケーブルカーの千本口の駅があるが、始発は9時20分らしい。係の人が「歩いて10分です」と教えてくれる。ケーブルカーの吉野山口の駅までは確かに10分ほどであった。
黒門をくぐって金峯山寺に向かうと、道の両側には古い建物が立ち並ぶ。その多くは旅館や葛の土産物や料理店である。美味しそうな料理の写真を載せた看板が目を惹くが、勿論、この時間に空いている店はない。
建物が途切れると道の両側には桜の樹が目立つようになる。これらの桜が一斉に咲く季節は確かに壮観だろう。九十九折りに斜面を登っていくが、その間をショートカットするように階段が設けられている。ひとしきり坂を登って、上千本と呼ばれるあたり再び車道と合流すると、左手に奈良盆地の眺望が広がった。西の方角には金剛山と葛城山が見える。
先に進むと正面には水分神社が現れる。水分は「みずわけ」と読みたくなるが「みくまり」と読むらしい。知らなければ読めない難読地名である。深閑とした神社の境内はスピリチュアルな雰囲気であり、明らかに独特のパワースポットであった。
すぐに左手に高城山への道が現れる。高城山は展望台が作られているだけあって奈良盆地を見晴らす眺望絶佳の山頂だ。しかし、いつしか小雨が降り始めていた。先ほどまで奈良盆地の母谷明瞭に見えていた金剛山のシルエットも霞んでいるようだ。
金峯神社を過ぎると奥千本と呼ばれるあたりだ。古道の趣のある堀割の山道に入るが、青根ヶ峰のピークを巻くと、再び車道に出る。四寸岩山の手前から再び山道となり、濃い霧の立ち込める幻想的な樹林の中を進んでゆく。四寸岩山のピークはブナの樹林が広がっているが、登山道はその西側の切り払いされた広地を通過してゆく。丁度、男女のカップルが休憩しておられるところだった。
大天井ヶ岳にかけての登りに入る。どうも身体が重いような気がする。いや気のせいではなく、この1年間の運動不足で体重も増えたのだろう。大天井ヶ岳の山頂は樹林に囲まれた地味なところだった。
山頂を後に五番関にかけての下っていくと突如として左足が攣る。しばらく休憩するうちに何とか痛みも治ったので再び歩き始めた途端、今度は右の足が攣る。歩きはじめてまだ4時間と少ししか経っていないにも関わらず、この有様では先が思いやられる。ゆっくりと歩き、何とか五番関まで下降する。
五番関で女人結界門を過ぎると、背丈の低い笹が繁茂する尾根には疎にブナの大樹が生えており、何とも幻想的な光景が広がる。14時を過ぎるとようやく雨が止んでくれたようだ。洞辻茶屋で洞川温泉からの道と合流すると、山上ヶ岳への登りとなる。両山頂への登りに差し掛かったところで再び足が攣る。五番関から2時間ほどを要している。山上ヶ岳の山頂部には他に数組の登山者がおられたが、多くはテン泊装備に思われる。宿坊はいずれも閉まっているので、ほとんどは小笹の宿で泊まる予定なのだろう。
山上ヶ岳から小笹の宿へはなだらかな尾根が続く。小笹の宿は続々と到着する登山者達がテントを張り始めていた。夜はかなり賑やかなことになりそうだ。脚は順調に動いてくれているので、水を補給すると先に進むことにする。しかし、そう思えたのは山上ヶ岳からここまで大した登りがなかったからに過ぎないことに後で思い至ることになる。
小笹の宿から尾根を先に進むと雨具を脱ごうとしている一人の男性がおられる。驚いたことに男性は弥山まで行くことを考えておられるらしい。雨具を脱いだりすると雨が再び降り出すということはよくあることだが、やはり再び小雨が降り出し始める。
大普賢岳は山頂をバイバスして西側斜面をトラバース・ルートがあるのだが、ピークを踏むルートに入る。これはおよそ賢明な選択ではなかった。やはり登りに差し掛かるとかなり速度が遅くなる。この天気で大普賢岳の山頂を踏んでも眺望は全くない。
大普賢岳から急下降を下ると、先ほどまでの稜線と一転、痩せ尾根が続くことになる。国見岳のピークを巻くと突如として稚児泊と呼ばれる尾根上の平坦地に至る。先ほどの男性がテントを張ろうとしておられる。男性は私が後から来たので怪訝な顔をされるが、大普賢岳のピークに立ち寄ったのでと説明すると納得されたようだ。男性は「心が折れたので今夜はここでテン泊することにしました」とのこと。ここは確かに快適なテント場に思われたが、雨の中でテントを張ることを躊躇したのと、翌日に望みを繋ぎたかったのだ。
しかし、ここからが試練であった。水曜岳とアップダウンが続く。登山道は国見岳のピークは巻くことになるが、峻険な水曜岳はそのピークを越えなければならない。水曜岳のピークに達したところでヘッデンを取り出す。
雨脚は強くなっていくようだ。行者還岳の山頂への分岐を見送り、東側の斜面に降りる道を降ろうとすると、泥濘んだ斜面にシューズのグリップが全く効かず、ズルズルと滑っては転倒する。途端にこの日に三度目、足を攣る。斜面を降ったところには行者の水と呼ばれる水場がある筈なのだが、水場は見当たらなかった。
行者還岳の避難小屋に到着したのは丁度20時だった。小屋の前には数張りのテントが張られている。小屋の中に入ると前室に一人の若者が毛布にくるまって腰掛けている。若者曰く「小屋の中がほぼ満室なのでここに座って寝ることにしました。でも二階はわずかに空いているかもしれません。」広い小屋は確かにほぼ満室であったが、若者の云うように二階にわずかなスペースを見つけることが出来た。
前室でハンバーグを温めパンと共に食べる。若者は埼玉から夜行バスで奈良に到着し、朝の8時半に吉野を出発。この行者還には18時に到着したとのこと。彼は20歳とのことだった。食事を終えると早々に眠りに着く。
【二日目】
翌朝は朝の3時に四方から目覚ましの音が聞こえる。泊まりの登山者達はほとんどがこの時間に起きるようだ。寝袋を畳み身支度を整えると、小屋を出発する。前室の若者も既に起きていたが、朝はゆっくりと出発するつもりとのこと。小屋の外に出ると煌々と月が輝き、空には雲が全くない。
行者還からはしばらくはアップダウンの少ない緩やかな尾根が続く。丈の低い笹原の繁茂する尾根には疎にブナの樹が聳え、暗いうちに通過してしまうのが勿体無いような快適だろう。尾根の先や斜面の下からは暗闇の中からいくつもの双眸がこちらを見つめている。いずれも鹿であった。
東の空の一端が茜色に染まったかと思うと急速に空は明るくなっていき、山上ヶ岳から大普賢岳に至る稜線が北の空に浮かび上がる。周囲には広く雲海が広がっているようだ。もうすぐご来光の時間であるが、一の垰を過ぎると東の方角に展望が開ける場所がない。
弁天の森を過ぎたところで気がつくと目の前の弥山の山肌が朝陽に照らされてオレンジ色に染まっている。背後を振り返ると、樹林の間から昇る朝日が目に入る。弥山は遠くから眺めると八経ヶ岳のシルエットと重なって一つの山として認識する機会が少ないが、こうして東尾根から見上げると山がなんとも大きく感じられる。足は順調には動いてくれるが、昨日の疲れが溜まっているのだろう、登りに差し掛かるとやはり普段の山行よりかなり速度が遅いように感じる。
弥山の小屋mに到着すると、小屋の扉は閉じられている。営業は明日かららしい。小屋の前ではテントを撤収している方もおられたが、まだ数張りのテントが残っていた。狼平の方から登ってこられたカップルのうち女性の方が近くの林の中を見つめている。「ほら、あそこに」と女性の視線の先には可愛らしい仔鹿がこちらをじっと見つめていた。
立ち枯れの白骨樹が目立つ八経ヶ岳に向かう。山頂からは360度の大展望を楽しむことが出来る。これから向かう釈迦ヶ岳へと続く稜線を視線で辿ってみる。南東の方角に視線を向けると雲海の彼方では茫洋とした太平洋が目に入る。
明星ヶ岳のピークを巻きくと、いよいよ釈迦ヶ岳を目指す。しばらくは緩やかな斜面の下降が続く。五鈷峰のアップダウンを過ぎると尾根は大きく広がり、前方にブナの疎林の広がるなだらかなピークが見えてくる。楊枝の森と呼ばれるところだ。ピークを越えるのも良さそうだが、登山道に従って東側斜面をトラバースする。しかし、日差しを遮るもののない笹原を歩くと、昨日とは、急に気温が暑く感じられる。
大きな仏生ヶ岳への登りに入ると再び鬱蒼とした樹林の中に入る。林床に広がる苔が美しいが、雨の多いこの地方ならではの景色と言えるだろう。孔雀岳の手前、登山道脇に鳥の水と呼ばれる水場がある。渇水期には枯れるという水場は細い水が出ていた。奥駈道の水場は稜線から離れたところにあるところが多いので、登山道脇で水が汲めるの有難い。水が溜まるまで時間を要するが、冷たい清水で喉を潤す。
孔雀岳を過ぎると尾根は西向きに方向を変えて、いよいよ釈迦ヶ岳が目の前に大きく迫ってくる。釈迦ヶ岳への急登に入ると再びペースダウンだ。先ほどからコースタイムをほとんど短縮出来ていないように思われる。
釈迦ヶ岳山頂に到着すると丁度、昼前のタイミングのせいだろうか、大勢の登山者が休憩し、ランチを楽しんでおられる方が多い。山頂で休憩していると、前夜の行者還小屋で一緒になった若者が到着する。彼は5時40分に小屋を出発したとのことだったので、私がほぼ8時間を要したところ6時間ほどで来たことになる。一足先に深仙の宿に降りる。
ここもすぐ近くに水場があるのが有難い。水場では岩の間から細い水が湧き出していた。水場の周辺ではミツバツツジと思われる鮮やかな紅紫色のツツジが花盛りだ。大日岳のピークを巻くと、見晴らしの良い笹原の尾根が続き、小さなピークのアップダウンを繰り返す。
奥守岳の山頂にたどり着いたところで再び先ほどの若者が現れる。若者に先に行ってもらうが、若者が視界から消えると人の気配の感じられない静寂の稜線となる。涅槃岳の登りに差し掛かると、いよいよ足が疲労で動かなくなってきた。この瞬間、行仙の宿までたどり着くことは諦め、この日は次の持経の宿までにすることが決まる。
涅槃岳を過ぎると持経の宿との間には証誠無漏岳、阿須迦利岳という二つのピークがあるがいずれも高さはそれほどないので、なんとかピークを越えて持経の宿に到着する。小屋には小屋番の男性が一人おられ、整備協力費という名目の宿泊費を\2000払うことになる。有難いことにコカ・コーラとビールがそれぞれ\300と¥500で売られている。缶コーヒーはなんと\100であった。早速、いずれも一本づつ頂く。泊まる人以外は滅多にビールを求める人はいないようだが、ここを通過する登山者のほとんどがコーラを買い求めるという。
小屋には奥駈道を数日かけて縦走するというご年配の男性二人組の先客がいるのみであった。宿のご主人は新宮の魚屋で購入してきたという刺身をよかったら一緒に食べないかといってご馳走してくださる。小屋から林道を400m歩いたところにあるらしいが、水場の水を大きなポリタンクに汲んで宿の前に用意してある。
食事を終えた頃になって弥山からの単独行の男性が到着する。夕方の遅い時間なので、このさ¥男性が最後かと思いきや、前日は玉置神社の駐車場でテン泊されたという男女二人が到着され、早速にも小屋の前で濡れたテントを干される。女性の一人はかなり若いようだ。ご主人は小屋の外で人数分のコーヒーを淹れて、振る舞って下さる。
問題はこの持経の宿からのエスケープ・ルートである。東の池郷林道を下ると、池原の集落にバス停があるが、ここから大和上市に至るゆうゆうバスはR169の崩落により運行していないとのこと。池原から12kmほどの七色のバス停まで歩けば、そこからは一日数本のバスが紀勢線の熊野市駅まで運行されているという。バスは平日は9時47分、土・日・祝日は10時17分とのこと。京都までは鉄道でもかなりの長時間になるであろうから、このバスに間に合うように下るのが良さそうだ。
【三日目】
夜中にふと目が覚め、トイレに起き出すと、暗闇の中から三連音の鳥の鳴き声が聞こえる。昨夜、就寝前に宿のご主人がプッポウソウ(仏法僧)の鳴き声が聞こえると思う・・・と話をしていたことを思い出す。鳥の鳴き声を聞きながら再び眠りにつく。
朝は他の登山者の目覚ましで4時半頃に目が覚める。急いで身支度を整え、4時50分頃に出発する。すでに十分に明るく、ヘッデンの明かりは必要ない。徐々に周囲が明るくになるにつれ、林道の周囲の新緑がなんとも色鮮やかであることに気が付く。
左手の広々とした谷の対岸には大きな岩壁が聳え、壮麗な雰囲気だ。石塔と呼ばれるらしい。およそ1時間ほどで林道のゲートに到着する。脇に人が通れるスペースくらいはあるものかと思っていたが、そのようなスペースはなく、ゲートを乗り越えることを余儀なくされる。
ここからは林道は舗装路となる。林道の入り口近くになって右手から合流する谷の奥に大きな滝が微かに見える。微かな踏み跡を辿って谷奥に入ってみると、落差の大きな一条の滝が現れる。上流の明神の池から流れ出す滝のようだ。再び林道に戻ると、林道の入り口近くにも池郷川にかかる大きな滝があった。
池原の集落に出るとここからは七色のバス停を目指して一般道を歩くことになる。七色のバス停に到着したのは9時46分であった。この日は休日なのでバスが来るのは10時17分の筈なのだが、バス停に到着するや否や、トトロの猫バスのようにバスが到着して、扉が開く。運転手に本来は10時17分ではと訊くが、「道路工事の都合でしばらく前からこのダイヤで運行してるんですわ」との返事。どうやら運転手が今日が休日であることを認識していないのではないだろうか。何はともあれ、このバスに乗れて良かったが、バスに乗れなかった場合には次のバスは5時間後だ。
バスが出発すると、少し先で若い男子が乗り込んできた。ということはこの男の子はバスが平日ダイヤで運転されることを認識していたということだろうか。バスは次第に人家の全く見当たらない山の中に入ってゆく。途中に工事箇所があったが当然ながら工事が行われている気配はなかった。
熊野市駅に到着すると次の各駅列車まで1時間以上ある。駅前は閑散としており、空いているのは観光案内所と小さな土産物屋くらいだ。店の中に入って土産物を物色していると、店の人が「出来立てのめはり寿司が来ました〜」とアナウンスされる。めはり寿司はこの熊野の名物らしい。早速にも2個入りのパックを求め、店の前のベンチでビールと共に頂いた。
紀勢線に乗り込むと早速にも本降りの雨が降り出した。松阪まで各駅で移動すると、近鉄特急に乗りかえる。京都まではおよそ4時間の長い列車の旅となる。
翌日の朝、両脚に久しく経験したことのないほどの筋肉痛が生じているのだった。最もハードな山行でもこのような筋肉痛にはならなかったと思うのだが、この一年間、大した山行をしてこなかったせいだろうか、あるいは単に私の加齢に伴う体力の衰退なのか。いずれにせよ、この大峰奥駈道にコースタイムを詰めた山行をするつもりらば、日頃からそれなりの山行を重ねておく必要があるということだろう。
大峯奥駆道、行かれたんですね(笑)。
自分もかつて行きましたが、これほどきついところはなかったです。
個人的には、大MM駈道と呼んです。M中のMしか行けないと思いますので。
とにかくお疲れ様でした。ゆっくりとお休みくださいm(__)m。
ここに挑戦するには体力を十分に整えてから望む必要があることを痛感いたしました。
最近、ロング・コースを全く歩いていなかったのですが、いつまでも昔の体力があると過信してはいけませんね💦
GW前半は奥駈道を歩かれていたんですね。
実は私は、連休後半(5/3-5/5)に南奥駈道を歩きました。(釈迦ヶ岳→熊野本宮)
なので山猫さんのレコを食い入るように拝見してしまいました(笑)
持経ノ宿の小屋番さんには私も本当にお世話になりました。
ちなみに、その二つ先の行仙ノ宿では、ヨーコさん(ヤマレコではハイジさん)とオニヤンマ君が連休中(4/27〜5/4)に小屋番をされていました。
奥駈道は、本当に奥深くて静かで良いところですね。
今度機会があれば、山猫さんが歩かれた吉野からの道を歩きたいです(女性は五番関から下山らしいですが(^-^;)
連休5/3-4は以前、ゆっきーさんにヨーコさん、オニヤンマ君とご一緒させていただいた三十三間山を訪れており、能登野湿原のあのランチの場所で朝食をとりながら皆さんのことを家内と話していたところでした。行仙までたどり着くことが出来れば良かったのですが、今回は無念の撤退でした。
吉野からの道は女人結界門までは半日コースですね。
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