舐めたらアカン、源次郎尾根で剱岳❗
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- GPS
- 20:48
- 距離
- 23.3km
- 登り
- 2,989m
- 下り
- 3,012m
コースタイム
- 山行
- 4:19
- 休憩
- 1:17
- 合計
- 5:36
- 山行
- 11:08
- 休憩
- 1:42
- 合計
- 12:50
- 山行
- 4:58
- 休憩
- 0:41
- 合計
- 5:39
天候 | 3日とも快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
|
コース状況/ 危険箇所等 |
源次郎尾根は、序盤の雪渓の急登が正に無慈悲。ひたすらスリーオクロックとナインオクロックを繰り返し登る。尾根に取り付く所の岩場がクライミングで、ダブルアックスを持ったままではかなり難しい。最初は舐めていて、クォークをしまわずにいったら、1段上がったところから落ちてしまった。「あかん!」と思いながらに必死に滑落停止の動作に入ろうとするも、ラッキーなことに足元が雪かつ平らだったので、肘を擦りむいたくらいで、ほぼノーダメージ。2回目はクォークを肩にしまい、慎重にトライするも、なかなか難しい。リーチを活かし、右手の一段高い場所に右足を伸ばし(ここは落ちたらアウト)、そこから左の取っ掛かりを掴み何とかクリア。落ちてしまったことにかなり気が動転し、息づかいが荒くなる。そこから先はそれほど難しい岩場はないが、一峰手前の雪渓の急登がものすごく辛かった。一峰でTbさんが来るのをしばらく待ちながら、まだ完全には冷静になれていない自分を落ち着かせた。この先は特に問題ない。一峰からのクライムダウンは長くて急だが、慎重に行けば問題ない。2峰からの懸垂下降は、旧支点しか見つからず少し焦る。しかし、旧支点もしっかりで、ピカピカのカラビナが残置されていたので、それを使って問題なく懸垂。30mのザイルを連結して使ったが、かなり余っていた。50mダブルロープ1本を折り返しで使っても長さは足りたもよう。しかし、今後もっと融雪が進むとその分着地点は低くなるので、やはり30m下りられる用意で臨むのが正解か。その後も急登が苦しいもののの難所はなく、劔岳に無事に登頂。一峰取り付きの岩場が核心と言って間違いない。 |
その他周辺情報 | 当初、2日目に雷鳥沢キャンプ場に幕営し、雷鳥沢ヒュッテで温泉に入ろうと思っていたが、剣沢キャンプ場でテントを撤収し、剣御前小舎に登り返した段階で雷鳥沢まで下る元気が残っていなかった。剣御前小舎でビールを飲みながらたっぷり休憩し、剣御前の方へ少し上がった先でビバークした。(富山県警山岳警備隊に呼び止められたが、ビバークということで、剣沢側におしっこしないことを条件に了承を得た)。翌日は、雷鳥沢には下りず、新室堂乗越でザックをデポし、直接奥大日岳に向かった。奥大日岳の登りは急な雪渓を3つ乗り越える。そして、山頂と思っていた尖ったピークをスルーし、しばらく行った平たい場所が山頂。その後雷鳥沢に下り、2回登り返して室堂に到着。何はともあれビールということで、立山ホテルのレストランで昼食。午後3時のトロリーバスに乗り込んでから、ストックをレストランに忘れて来たことに気付き、発車直前に飛び降りた。レストランに戻ってストックを回収し、3時15分のトロリーバスに乗った。帰りのアルペンルートも行きと同様激混みだった。帰りは薬師の湯に寄り、さっぱり。中央道は普段めったに混まない所から早くも渋滞し始めた。休憩がてら境川PAで美味しいホッケの焼き魚定食を楽しみ、10時半頃自宅に帰還。 |
予約できる山小屋 |
剱澤小屋
|
写真
感想
1.さえない雪山シーズンにsilver lining
今年の山は1月2日にクライミングで落ちて始まった。
スタートから苦労して1段上がると、1ピン目が腰より低い位置になってしまった。ヌンチャクがどうにも掛けづらい。そんなに安定した場所でもなく、あまり長くは粘れない。その掛けづらい1ピン目を無視して上にも行けそうだったが、ファーストクリップは絶対に掛けねばという意識が強かった。「これは一旦クライムダウンして仕切り直そう...」。しかし、足を下に伸ばしたが、地面には届かなかった。この時、まだまだ握力には余力があったのに、「ジャンプして下りれるかな」と不用意に手を離してしまった。取り付きの地面が斜めで、ものすごく不安定だったことを完全に忘れていた。そのままさらに一段下にゴロンと転がり落ちてしまった。湯河原シャワーコロン(10a)の取り付きの立ち枯れ木をなぎ倒していた。周りの空気が凍りついているのを感じながら、起き上がった。「大丈夫ですか⁉」。不思議と最初は痛みを感じなかった。「はい」と言ってみたものの、落ちた直後は興奮状態で痛みを感じないことがよくあるらしく、しばらく岩に座って安静にしているように先輩に促された。
しばらくして下のエリアから上がって来たMzさんが難なくリードで上がり、トップロープを掛けてくれた。安静にしていても左手首以外は特に痛みを感じなかったので、無謀にもトップロープで登ってみた。「あれ、左脇腹も痛いな...」。Mzさんに勧められ、この後気分が悪くなる可能性もあるので、元気があるうちに先に自宅に帰ることにした。Mzさんが安定したところまで荷物を運んでくれた。帰りに車を運転しながらも、動かなければ特にどこにも痛みはなかった。なので、4日に念のために整形外科に行き、「あー、これは肋骨折れてますね、5本。後は左手首もヒビが入ってます」といわれた時は、とても驚いた。「簡単に骨折できるんやな...」。あーあ、やっちまった...。
全治2ヶ月ほどと診断されたが、我慢できずに1ヶ月が過ぎた頃から雪山に登り始めた。しかし、当たり前だがゆるい所が中心で、昨シーズン買ったクォークの出番は全くなかった。GWが迫って来ていたが、どこに行くかのアイデアも全く浮かんで来ない。そんな中、4月中旬の会山行でヤゲン沢読図講習に行った時、会の風雲児Tbさんに「源次郎尾根どう思います?」と声をかけられた。「残雪の源次郎尾根...」。いきなり降ってきた劔岳が、どんどん頭の中で膨らんで行った。自宅に帰ってからも頭から離れず、Tbさんに「GWいっしょに源次郎やりませんか?」とLINEするまであまり時間はかからなかった。
源次郎尾根はアルパイン入門ルートで、難易度はあまり高くはない。しかし、僕にとっては実戦で始めてロープを使うルートだった。ロープを使うのは2峰からの懸垂下降のみだが、なおにゃんが去年の7月に行った時には、「登っているのに懸垂下降するってどういう意味かな?」と思ってしまうほど、僕は素人だった。幸い、GWの前半に三つ峠でマルチピッチの練習を2日に渡ってみっちりやったので、懸垂下降の作法はしっかり頭に入っていた。しかし、核心は決してそこではなかった。
最初のドタバタは、登山届だった。この時期(12月1日から翌年5月15日までの間)の源次郎尾根は、危険地区に指定されていて、20日前までに登山届を富山県に提出しなければならない(富山県登山届出条例)。僕らが源次郎をやろうと決めたのは4月20日で、もう残り15日しかなかった。レコを調べているなかでこの条例の存在を知り、ダメ元でTbさんに富山県に問い合わせてもらった。すると、幸運なことに「今日中に出してもらえるならいいですよ」との回答をもらった。Tbさんにコンパスで苦労して登山届を作成してもらった。提出に際し所属山岳会の会長の承認印も必要だったので、急いで会長に連絡し承認をもらい、何とかその日のうちに登山届をコンパスで提出できた。後日、郵送で富山県知事の判子が押された登山届済書が無事に送られてきた。
2.黒部アルペンルート
GWに立山に行くという無謀(?)なプランなため、前夜発を選択した。午後9時にTbさんに自宅まで迎えに来てもらった。最寄りのインターから高速に乗ると、八王子JCの手前から渋滞が始まった。渋滞がはけてからも車が多く、ストレスなくスピードが出せるようになったのは諏訪インターの辺りになってからだった。1時45分頃、扇沢無料駐車場に到着すると、案の定満車だった。有料の上部駐車場に止めようかとも思ったが、Uターンして無料駐車場の少し下にある市営第2駐車場に止めた。ここはこの時間だとかなり余裕があった。車に轢かれないような木に囲まれた場所に2人でそれぞれクロスオーバードーム2Gを張る。6時半の始発のアルペンルートを予約していたので、5時に目覚ましをかけた。しかし、その後もひっきりなしにやってくる車のドアの開け締めの音がうるさく、全く寝れなかった。
仕方なく少し早めに起き上がり、テントを撤収した。Tbさんは気を遣って車の鍵を開けてくれていたので、トランクに荷物を入れ、助手席で朝食を食べる。少し遅れてTbさんも起きて車にやってきた。やはり彼もあまり寝れなかったようで、「1時間半くらい何とか寝れました」と言っていたが、僕もせいぜいその程度だった。ウェブきっぷを予約する時に、もっと遅い時間も空いていた。しかし、とにかく早出が好きな僕は始発を迷わず予約してしまった。あわただしくなって申し訳なかった。
すぐに準備が整ったので、少し早いが扇沢駅に向かうことにした。当日券売場には長い列ができていたが、ウェブきっぷの自動受取機にはせいぜい数人が並んでいるだけだった。「なんでみんなウェブきっぷ買わへんねやろう?」ここで、スマホに送られていたQRコードを機械にかざし、紙のチケットを取り出す。まだ6時半まで20分以上あったが、係員に早く並ぶように促された。今回はハーネスなどのガチャと30mロープを持っていたので、エクスペディションパック80の総重量は25キロになっていた。扇沢駅でもザックがデカ過ぎて、僕は明らかに浮いていた。Tbさんは徹底的に軽量化を図っていて、60Lのザックで重量も20キロ以内に抑えていた。
場違いな巨大ザックを抱えながら、まずは関電トンネル電気バスに乗り込んだ。膝の上にザックを抱えながらも座ることができた。黒部ダム駅に到着し、ダムを見下ろす遊歩道を歩く。黒部ダムの石碑から見える山は赤牛岳だ。次は、正に昭和感丸出しの黒部ケーブルカー。ここでもちゃんと座れた。次のロープウェイではぎゅうぎゅうに詰め込まれた。最後に立山トンネルトロリーバス(もうすぐ電気バスになる)に乗り、罰当たりなトンネル(雄山の山頂直下を通る)を通り、立山室堂にやっと到着した。予定通り時刻は8時だった。
3.剣御前に立ち寄り、剣沢キャンプ場へ
行動を始めるとすぐにトイレ(大)に行けるTbさんをテラスで待つ。ここからも奥大日岳や龍王岳(浄土山かも?)を臨むことができ、テラスから少し玉殿の湧水方へ歩くと、立山もしっかり視界に入る。予報通りの快晴で、自然とテンションが上がる。今日は剣沢キャンプ場までの行程で、時間にはかなり余裕があった。2年前の10月に立山三山と劔岳を縦走した時、別山北峰も含めて取りこぼしのないように歩いたが、天気が悪くなり剣御前はスキップしてしまっていた。別山に寄りたいことは事前にTbさんに伝えていた。「剣御前も行きたいなぁ」と思い始めていたが、彼には内緒にしていた。というのも、彼は目的(源次郎尾根)を達成するために、いかに効率的に行動するかを常に心掛けているからだ。なので、源次郎をやる前に別山や剣御前に行くのは、明らかに彼のポリシーに反していた。別山に行きたいと言った時にそれを強く感じたので、直前に思い付いた剣御前の案を言い出せなかった。ちなみに僕は可能なピークは全部取りたい欲張り派だ。
雷鳥沢に下りながら、恐る恐る切り出した。「剣御前にも行ってみませんか?」。思った通りの反応だったが、「別山は行ったことがあるのでスキップしてもいいです」と言うと、渋々同意してくれた。剣御前は謎に手前のピーク(剣御前山)よりも標高が低く、剣御前小舎からすぐに思えた。しかし、Tbさんによると登り返しが多く、ネットの標高差が大きい別山北峰への登りと大差ないという。「そうかなぁ」と思いながらも、Tbさんは登山経験が長く、その辺の見極めがうまい。後日しっかり確認すると、その通りだった。
雷鳥沢から登り始めてすぐにアイゼンを着けた。夏道の一本西側の尾根を登る。なかなかの急登ですぐに牛歩戦略に切り替えた。小舎が近づいてくると、斜面に雪切りがされていてありがたい。小舎の手前は雪がなくなっていて、そこでアイゼンを外した。雪切りしていることからも分かるが、小舎は営業していた。外のトイレは小のみで、100円以上チップを払えば大は小舎の中でできる。外トイレの前のベンチでエクスペディションパック80を下ろし、ザックの奥底にあるブリッツ28(アタックザック)を探す。上部の荷物を全部ひっくり返した。やはりアタックザックはザックの上部に入れるのがセオリーなのか?ちょうどそのベンチに座っていた年配の男性登山者は、あまりにデカい僕のザックを見て、呆れながら話し掛けてきた。「置いてくばいいのに...」。「そうしたかったんですが、これから剣沢に行くんです」。彼は雷鳥沢キャンプ場に昨日から泊まっていて、ここへは軽荷で上がってきていた。昨日は冷え込んだらしく、テント内に置いていたソフトボトルの水がミゾレになったらしい。「確かに、昨日は扇沢の駐車場もかなり寒かったです!」
ザックを小屋の外壁近くの日陰に移動させ、アタックザックで剣御前を目指す。まず最初に40mほど登る。すると目の前にすぐピークが見え、登山者が一人山頂に座っているのが見えた。山頂標識のような板があるのが見え、「やっぱり剣御前近いじゃないですか!」とTbさんに声を掛ける。「あれが本当に剣御前なら嬉しいですが...」。しかし、そこは紛らわしいが、剣御前「山」でこの辺りの最高地点だが、剣御前ではなかった。剣御前はそこから目視できたが、細かなアップダウンが続いたかなり先にあった。「やっぱり結構距離ありますね」とTbさんに言われ、「そうですね...」。ここからは坪足で問題ないが、少し危ない道だった。剣御前にはそれほど疲れず到着した。剣御前なので、当然劔岳が目の前に聳える。しかし、別にここまで来なくても、剣御前山で十分な気がした。ただ、ここに来たことで思わぬ収穫があった。剣御前から小屋に帰る途中、雪渓部分に幕営しようと整地している登山者に出くわしたことだ。「ここ、張れるんや...」。確かにここに張って、軽荷で剣沢に降りれば大分楽だろう。僕らは荷物を持って来ていないので後の祭だが、後々この知識が役に立つことになる。
小舎に戻り、外テーブルに腰かけた。何はともあれビールを買いに行く。350mlは700円、500mlは900円だった。2Lペットボトルの水も1000円で購入できる。350ml缶を買い、時間に余裕があるので2人でゆっくり休憩した。かなり長い時間話していると、サングラスに帽子を被った男性が、「ビール飲むなんて、余裕だね」と話し掛けて来た。「誰や...」と怪訝な顔で彼を見つめると、「あれ、誰か分からない?」と帽子とサングラスを取った。「おー!Ftさん!」。会の先輩のFtさんだった。来ているのは聞いていたが、まさか会えるとは思っていなかった。素直にそう言うと、「いや、普通会うでしょ...」。確かに、室堂は登山者や観光客でごった返していたが、剣御前、ましてや剣沢まで行く登山者はかなり限られていた。Ftさんは相方のペースが遅く、1人で剣御前小舎に先に到着し、相方待ちをしていたらしい。しばらく談笑し「では後程」と挨拶し、僕らは一足先に剣沢キャンプ場へ向かった。剣御前からの下りには旗竿が一定間隔で立てられていて、ブロック雪崩の危険があるので、その旗竿に沿って歩くように注意書がされていた。
斜度が落ち着いたところで、ザックを下ろした。やはりGWなので、それなりにテントが張られていたが、雷鳥沢のようなカオスでは全くなかった。しかし、ここは全く電波ないようで、Tbさんは辺りをかなり歩き回って電波を探していたが、どこもダメなようだった。適当な所に場所を定め、整地を始める。しかし、この時期の雪面はカチカチで、SNOWスコップを足で踏み込んでもびくともしない。6月の頭に冷池山荘の前に幕営した時、ものすごく整地に苦労したことを思い出した。Tbさんは、「やはりこういう時はスノーソーが有効ですよ」と教えてくれた。今回は仕方ないので、雪面の固さがましな場所に少し移動し、なんとか斜めの地面を平らにすることに成功した。自宅に戻って速攻スノーソーを購入したことは言うまでもない。周りを見渡すと、エスパースのテントがたくさんあり、ロープやスノーバーを持ったグループが異常に多いことに気が付いた。「みんな源次郎なんかな...」と、早くも恐ろしい渋滞待ちを心配してしまう。結論から言うと、意外に渋滞は全くなかった。前日はほとんど寝れていなかったので、まずは1時半ほど昼寝をした。5時半頃目を覚まし、軽くご飯を食べた。その後、Tbさんと相談し、悩んだ挙げ句、明日は午前4時スタートに決めた。もしかしたら遅すぎかも知れないが、少しは明るくなってから出る方がいいだろうという判断だった。ちなみに、剣沢キャンプ場のトイレはきっちり除雪されていて、小だけでなく大もできるようになっていた。
4.源次郎尾根で劔岳
a. 無慈悲なルンゼ
2時45分に目覚ましで起きた。シュラフはモンベルのシームレスダウンハガー#3で、特に寒さを感じなかった。上越国境線縦走を4月の初旬にやった時、テント内の結露でシュラフが濡れて困ったので、今回はシュラフカバーを持ってきていた。しかし、シュラフとシュラフカバーの間に結露が発生し、結局首もとは濡れてしまっていた。やはり、ドライシームレスダウンハガーでないとダメなようだ。
最近のテント泊の朝ご飯は毎回棒ラーメンだ。水を400mlほどDUGのPOT-M入れ、その中に棒ラーメンを入れる。本当は水を沸騰させてから入れるべきだが、すぐに吹きのぼれてしまうので、僕は水のうちに入れてしまう。プリムスのウルトラバーナーにライターで火をつけ、POT-Mを五徳に乗せた。吹きこぼれないように、火力をうまく調節しながらかき混ぜる。ウルトラバーナーはマイクロレギュレーターが付いているので、微妙な火力調整ができていい。いつも全開のジェットボイルフラッシュと対照的だ。
Tbさんも起き出したようだ。ブリッツ28に必要なものを用意し、外に出た。もう殆ど全てのテントに明かりが付いていた。まだ寝ている時、もう少し早い時間にスタートしようとしているパーティーの声も聞こえていたが、やはりそれは少数派だったようだ。GWの前半に4時半に剣沢をスタートしたパーティーは源次郎尾根で殿だったというレコを見たが、後半はそうでもなさそうだった。慣れないペラペラのBDのクーロワール(ハーネス)を苦労して装着する。白いビレイループにペツルのデュアルコネクトアジャスト(自己確保用ランヤード)とVリンクをガースヒッチで取り付けた。Vリンクのカラビナを久々に使うクォークのヘッドの穴に引っ掛けた。アイゼンを装着し、少し僕がもたついたが、4時10分頃スタートする準備が整った。
トイレの前辺りを通り剣沢を下る。しかし、こちらから行くと、すぐにかなり急傾斜の下りになった。前向きに下りるのがちょっと怖いくらいの角度だ。みんなは剣沢小屋(斜面に向かって左側)から回って来ているようだった。そちらから行くと傾斜が大分落ち着いている。僕らも帰りはそちらから回り込んだ。慎重に直下りし、平蔵谷(へいぞうたん)出合いにある目印の大岩の辺りに来た時にはしっかり明るくなっていた。複数のパーティーが周りにいて、彼らもこの辺りで装備を整えていた。ルンゼルートにどこから取り付くかそれほど明らかではなかったが、先行パーティーの内の一組が、やたらと急なルンゼを登り始めた。「あ...、あれか」。暑くなっていたので、フリースをザックにしまい、僕らも彼らに続いて登り始めた。
ものすごい急登とは言うものの、雪質はよくアイゼンがしっかり効いた。スリーオクロックとナインオクロックを交互に繰り返しながら登る。どうやら僕のペースは速かったようで、先行パーティをドンドン抜いて行った。序盤は1人で飛ばしてもいいかなと、Tbさんとも距離が離れてしまっていた。このルンゼは、時折平らな場所があり、そこで休憩することができる。ルンゼを半分強登った辺りにあるそういう場所で、休憩しているソロの男性に追い付いた。「ここは来たことありますか?」と質問すると、「夏含めて初めてです。なかなかチャンスがなくて」。「僕もです」と言いながら暫く軽く会話を交わした。彼はその後すぐ再スタートし、暫く一定の距離を保ちながら追いかけていたが、僕に起きたアクシデントで見えなくなってしまった。
b. 大失敗
暫くしてやっと無慈悲なルンゼが終わった。そこで1峰手前の尾根に取り付く。最初はちょっとした岩場で問題ないが、先行の3人パーティはかなり苦労していて、後ろにベタ付きになってしまう。暫くするとまた雪が出てきて、そこが少し広くなっていたので、「お先にどうぞ」と先を譲ってくれた。この辺りの雪渓は少し状態が悪く見え、どこを歩こうか少し悩む。「雪のない尾根を行くか....それともトラバースで尾根を巻くか」。結局短かったので、トラバースで先の尾根に乗った。ここで、前に岩棚が出てきた。確か廣川健太郎氏のアルパインクライミングルートガイドに「ルンゼ上部の岩棚は微妙なバランスを要求され、決してやさしいアプローチではない」と説明されている所だろう。僕は難しいという意識はなかったので、不用意にクォークを肩にしまうことなく片手で持ちながら、もう一方の手でホールドを持ち、一段上に上がった。「うん⁉ あまりガバちゃうぞ...しかもバランスが悪いな」。今までピッケル・アイゼンで岩場を登ったことは何度もあったが、ちょっとレベルが違う岩場だった。予想外の展開に、クォークを落としてしまう。Vリンクをつけているので、体の下にクォークがぶら下がった。あまりガバではないホールドを持ちながら、必死にクォークを引き上げる。一旦引き上げ、片手でまとめて持とうとするが、思いの外うまく行かず苦戦する。足場もそれほど広くなく、重いサルケンでバランスが取りにくい。とその時、手が滑ってしまった。「アカン!」。そのまま後ろ向きに倒れ、スローモーションのように体が宙に浮いた。「滑落停止せな!」。必死にクォークを準備する。無我夢中だった。しかし、幸いなことに、落ちた場所がよく、全く滑落することなく、そのままその場所に止まってくれた。「大丈夫ですかー!!?」と、さっき先を譲ってくれた3人パーティのリーダーが叫ぶ。体もどこも打っておらず、肘を擦りむいた程度のようだ。「大丈夫です!!」。あまりの恐怖に呼吸が乱れた。「何やってんねん、ちゃんとピッケルしまわな...」。乱れた呼吸を整えようと、その場に立ち止まる。起きてしまったことの恐怖を払拭するのに必死だった。まだ動揺が完全には収まっていなかったが、「仕切り直すか...」と、ショルダーハーネスからクォークを奥に差し込み、忍者のように肩にクォークを収納した。再チャレンジだ。最初のあまりガバではないホールドを掴み、先程と同じように一段体を上げる。やはり、ここからはそんなにイージーな足場や手の取っ掛かりがない。少し上に手が掛けられそうなホールドがあるのだが、今いる足場からだとしっかりとは届かない。「これ、難しいぞ...」。ピッケルを仕舞わずに行くなんて、なんて俺はアホやったんや...。緊張しながらよく観察すると、右に右足を思い切り伸ばせば、一段上に上がれる足場があることに気が付いた。しかし、その下は切れ落ちているので、そこで落ちると本当に死んでしまう。慎重に右足を伸ばし、そこに立ち上がった。すると案の定、上のホールドにしっかり手が掛かった。ただ、まだそれほどバランスがよくない。あまりの緊張に息が乱れまくる。左側のハイマツを掴みながら、何とかその上の雪渓に乗り上げた。これで安全地帯だ。「簡単じゃないぞ、源次郎...」
c. お楽しみの懸垂下降
その後はそれほど核心的な岩場は出て来なかった。雪渓が垂壁になっているところは、クォークをぶっ刺し体を引き上げた。1峰直下は猛烈な斜度の雪渓になっていた。体力というよりも、落ちてしまった精神的なダメージが大きい。疲れ果てていて、頻繁に立ち止まりながら牛歩で登るしかなかった。地獄の登りを終え、やっと1峰にたどり着いた。時刻は6時50分頃で、剣沢キャンプ場から2時間半ほどかかっていた。まさかこんなことになるなんて全く想像だにしていなかったが、「何はともあれ怪我せずここまで来た!」。本当に運がよかったとしか言いようがない。1峰からはダイナミックな八ツ峰の稜線が美しい。恐ろしさが中々消えないが、ここでTbさんを待ちながらたっぷり休憩できる。
無風の暖かい日差しの中、正面に見える後立山連峰を岩に腰かけながら眺める。右奥には燕岳や大天井岳もくっきり見えていた。美しい山並みを見ながら、徐々に落ち着きを取り戻していった。すると、思ったより早くTbさんが姿を現した。同じく数パーティーをちゃんと抜いて来ていた。彼を見るなり、「いや〜、落ちました!」というと、「知ってます!」との返事に驚いた。僕に先を譲ってくれた3人パーティから聞いたという。彼らはリーダーが先に登り、ロープを出してフォローを確保していたらしいが、フォローは全く登れず何度も落ちていたという。あまりに時間がかかっているので、「先に行かしてもらえませんか?相方が大分先に言っているので」とTbさんが言うと、「相方、落ちてましたよ!」と言われたらしい。まあ、(僕の)姿が見えないということは、無事なんだろうと思いながら登ってきたそうだ。Tbさんは、僕がいる1峰に来るなり、「まあ、油断ですよ、それは」としっかり注意してくれた。「アルパインは絶対に落ちちゃいけないんです」。もっとも過ぎて、耳が痛かった。確かに最初ピッケルを仕舞わずに適当に行ってしまったことが油断を物語っていた。「まあ、小さい失敗をたくさんすることはいいことですよ」と言ってもらい、少し気が楽になった。しかし、よくよく自分を戒めねばならない...。
Tbさんにもたっぷり休憩してもらい、再スタートした。1峰からは、先ず長いクライムダウンが待っている。特に難しくはないが、長いのと斜度が急なので、それなりに緊張する。その後は特に問題なく登り返し、8時頃メインイベントの2峰の懸垂下降支点に到着した。幸い渋滞はなく、前にも後ろにも他のパーティーの姿はなかった。「案外、渋滞なくてよかったですね!」とTbさんに言うと、「やっぱりルンゼで全員抜いたのが大きいですね、あそこで遅いパーティーに先に行かれたら、やっぱり渋滞でしたよ」。2峰には懸垂支点が2つある。レコを見ると、1つは錆びた古いもので、もう1つはピカピカのペツルだった。当然ピカピカの方を使い懸垂するつもりだった。しかし、古い支点はすぐ目に飛び込んで来るのに、ピカピカ支点が見つからない。どういう訳か、僕はピカピカ支点は古い支点より下にあると思い込んでいた。だから崖を覗き込んで、下ばかり探していた。しかし、実は新しい支点は古い支点より少し上にあったそうだ。先入観とは恐ろしい。結局僕らには見つけられず、古い支点で懸垂下降することにした。古い方も頑丈な支点で、ピカピカのカラビナが残置されていて問題ないと判断した。今回は、それぞれ30mのダイナミックロープを持ってきていた。色違いのベアールのRandoだ。僕は源次郎の為にわざわざ直前にカモシカスポーツで購入していた。「50mロープを折り返しても十分届く」との意見が多かったが、融雪が予想外に進んで着地点が低くなっているリスクを考慮した。また、それぞれ30mを持つ方が荷物の分担をいちいち考えなくていい。実際、Randoは36g/mで2本合わせても、軽量タイプの50mロープ1本と重さが60gしか変わらなかった。赤Randoをカラビナを通し、黄色Randoとオーバーハンドノット2回で連結した。「黄色引き」と声に出して確認する。すっぽ抜け防止のため、末端も2本まとめてオーバーハンドノット2回で連結した。崖の上から下を見る。いまいちこれでロープが下まで届くのかはっきりとは分からなかった。「ロープを2束に分け、1,2のリズムで支点側から投げる」というセオリーをやろうとしたが、Tbさんとリズムが合わずに途中のテラスにぐちゃぐちゃと絡まってしまった。「まあ、途中でほぐしながら行こう…」。ちなみにこんな短い壁だが、途中のテラスにもう一つ支点がある。僕から先に下りることにした。ペツルのデュアルコネクトアジャストと確保器をロープにセットし、エーデルリットのアラミドコードスリングでバックアップを取った。確保器とバックアップの効きを確認した後、セルフを解除し、下降を開始した。途中のテラスで一旦下降を中断し、引っ掛かっているロープを束ね直し、下に投げ直した。ロープは十分に長さに余裕があり安心した。問題なく下まで下り、黄色ロープを引き戻しし、Tbさんに「どうぞ!」と合図した。下降点に支点はないのでセルフは取れなかったが、安定していて問題なかった。Tbさんが下降を始める少し前に後続パーティーが追い付いて来ていた。彼らは新しい支点を「上」に見つけ、僕らが下りている間に、新しい支点でセットを開始していた。Tbさんも問題なく下り、確保器をロープから外す。末端をほどき、「黄色引き」とまた声に出しながらロープを引き、無事にロープを回収できた。かるくロープをまとめ、後続パーティーの為に下降点から少し移動した。
d. 遂に劔岳へ!
少し休憩し、本峰を目座す。ここからはひたすら登るだけで、特に難所はない。源次郎尾根の魅力の「ダイレクトに劔本峰に突き上げる雄々しさ」を楽しみながら歩いた。2峰から約1時間半ほどで、何とかかんとか劔岳に登頂した。序盤の失敗を考えれば、無傷でここまで来られたのは奇跡に近かった。山頂には1パーティーがくつろいでいた。彼らに2人の写真を撮ってもらい、会に登頂を報告した。初めてのアルパインルートは入門レベルとは言え、僕にはとても厳しいものだったが、その分学びも大きかった。
ここからは一般道とはいえ、アイゼンを付けて行くカニのよこばいは中々の高度感だ。平蔵のコルからの平蔵谷の下りは、序盤は急傾斜で少し緊張したが、総じて言えば楽な下りだった。問題は平蔵谷の出合から剣沢キャンプ場まで、そしてテントを撤収してからの剣御前小舎までの重荷での登り返しだった。午後2時半頃小舎に着いた時には、僕はもう一歩も歩けないくらい疲れ果てていた。そもそも源次郎尾根を行った帰りに、テントを撤収して剣御前まで登り返す物好きはいないのだろうが…。ここで2人で長い時間お酒を飲みながら疲れを癒した。計画ではこのまま雷鳥沢に下りて、キャンプ場に幕営するつもりだったが、剣御前小屋に登っている最中にTbさんがプランBを思い付いていた。そのおかげで、僕らは午後5時頃までゆっくりとビールを楽しむことができた。プランBの詳細は割愛するが、初日に剣御前まで行ったお陰で思い付いたとだけ言っておこう。最高のプランBを思い付いたTbさん、源次郎尾根以外に色々連れまわした僕を少しは許してくれただろうか...。
雪の剱岳登頂、おめでとうございます🎉
素晴らしいチャレンジですね♪
私は指咥えて眺めてるだけでしたが、5/3に登頂されたAJさんといい、TtmDerivさんといい、凄いわ!もう私は後を追うのをやめました😞
それにしても、岩場では擦り傷で済んで良かったですね😨大変お疲れ様でした!
ありがとうございます!いえいえ、Kgcm さんのチャレンジの方がすごかったですよ😅 源次郎尾根は短いですが思ったよりクライミングでびっくりしました😂
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