十勝岳・美瑛岳



- GPS
- 09:41
- 距離
- 25.0km
- 登り
- 1,757m
- 下り
- 1,749m
コースタイム
- 山行
- 6:00
- 休憩
- 0:38
- 合計
- 6:38
天候 | 1日目(6/15):曇り後晴れ後霧 2日目(6/16):霧雨のち曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
1日目(7/28): 曇り後晴れ後霧
北海道の火山の中でも常時噴煙を上げる活発な火山で、最近では昭和63年12月から翌年にかけて溶岩が流れる噴火があった。それ以前は昭和37年、大正15年に大噴火が発生している。当初三段山経由で計画したが平成21年8月の崩落で通行止めになったままであることが判明し望岳台コースを取ることにした。平成19年に大雪十勝を縦走したとき十勝岳は霧の中を通過したので今回は何としても晴れの山頂に立ちたい。一日待った甲斐があり山頂が見えており期待を持って望岳台歩道を歩き出した。最初は立派な車道だったが道幅が狭まり登山道然としてきたが以前はしっかりした道であったようだ。電柱や照明の跡がある。右手に現在の道道が近づき車の音が聞こえてきた。こんな時間に走っているのは十勝岳を目指す山屋に違いない。50分の歩行で望岳台に到着した。日帰り登山者は殆ど此処望岳台を登山口として登り出すので駐車場には既に沢山の車が置かれていた。
登山届に書き込んで登山道を歩き出した。望岳台の標高は935m、過去に火砕流が通った斜面に木はなく十勝岳山頂までずっと展望が利く。登山届によると10パーティー以上が先を行っている。先を行く人達に徐々に近づき一人二人と追い抜いた。吹上温泉への道を右に分けると傾斜が増してきた。150m程標高が上がり左に雲ノ平・美瑛岳登山道を分岐した。健脚の登山者なら十勝岳から美瑛岳を縦走し望岳台に戻るコースを取ることも可能だろう。しかも雲ノ平のお花畑は素晴らしいという。少し進むと十勝岳避難小屋に達した。日差しが強くなってきたので日焼け止めを塗った。小屋は土間と板の間があり快適そうだ。昭和63年の噴火の際はこのすぐ上まで溶岩が来たと云う。
暫く登るとルートが90°曲り、谷を横断した。直進すると嘗ての前十勝ルートだが昭和63年の小噴火以来閉鎖され最早踏み跡も定かではなくなっている。傾斜の増した斜面を黙々と登り、乗り上がった処はスリバチ火口の縁で火口底には雪田が広がっていた。南側はグラウンド火口で北側が開けた大きな火口が広がっている。その火口越しに十勝岳が見え、最も十勝岳の特徴が現れるアングルではないだろうか。しっかり写真に収めた。暫くはなだらかにスリバチ・グラウンドの両火口縁を歩き十勝岳直下に到った。下から見上げても登路の全く判別できない岩場を攀じて稜線を目指し最後の段階に入った。此の岩場で早くも下山者とすれ違った、望岳台を5時以前に出発したそうだ。稜線に乗り上がるとなだらかになり、上ホロカメットク避難小屋で泊ったと云う二人組に出会った。同宿だった9人パーティーが今日美瑛富士避難小屋に泊ると云う。え〜と云う感じ。岩場が険しくなると最後の登りで360°展望の十勝岳(2,077m)山頂に到着した。
風が強くて寒い。先客数名、途中で追い越した小学校3年生の男の子を連れた夫婦が登頂し皆拍手で迎え和やかな雰囲気を醸し出した。南の方に目をやると上ホロカメットク山と避難小屋、富良野岳の姿が懐かしい。北の方はこれから行く平ヶ岳、鋸山、美瑛岳を望むが美瑛岳に薄い雲が掛り始めた。20分ほど休憩し腹拵えをした。やがて大きなザックを背負った何処かの山岳会パーティーが到着、旭岳から縦走して来たと云う。9年前の5日間の縦走を思い出した。
山頂を後にする頃、ガスが掛り始めた。平ヶ岳(2,008m)は何処が山頂か判別し難い広さを持った山で、山頂を示す表示はない。鋸岳(1,980m)は縦走路を外れ砂地の登山道を真っ直ぐ行くと山頂に到った。西側がスパッと切れ端に近寄ると崖が崩れそうで危険を覚えた。此処にも山頂を示すものはなく山頂に着く頃はガスが辺り一面を覆い視界が完全に奪われてしまった。
鋸岳東斜面は砂地で富士の大砂走りのようだ。以前の縦走時にこの斜面を一歩登っては半歩下がり、前に進まず苦労したことを思い出した。美瑛岳までは特に目標物もなくガスの中を単調に進むが、お花畑で写真を撮るのに忙しい。チシマギキョウ、イワヒゲ、エゾツガザクラ、ミヤマリンドウ、チングルマ、ゴゼンタチバナ、エゾウサギギク、エゾコザクラ、キバナシャクナゲ、ウラジロナナカマド、イワブクロなど高山植物を満喫できた。チングルマは場所によっては髭爺さんになっているかと思えば満開の処もあり雪解けの進行で開花時期が違ったせいなのだろう。
美瑛岳はポンピ沢を回り込み縦走路から西にはみ出している。分岐点にザックが9つデポされており、十勝岳を下って来る人が言っていたグループのようだ。分岐を越え美瑛岳に向かう途中で戻ってきた一行と出合った。女性中心で、後で分ったことだが東京のグループで男性2人は地元のガイドだった。美瑛岳(2,052m)山頂は2等三角点「帯経しけ」がある。山頂に立つと風が強く吹き飛ばされそうだ。休む気にもなれず三角点にタッチして直ぐに引き返した。この先を真っ直ぐ行くと雲ノ平で望岳台からの周回路だ。
美瑛岳北稜線の下りで9人グループを追い越し美瑛富士との鞍部(1,716m)に到った。遠くから見るとテントのようだったが、近くまで来るとテントではなくザックがデポされているだけだった。美瑛富士は此処からピストンで登るしか道がなく、明日のお楽しみに今日は登らずに通過した。「富士」の名を冠するだけあり優雅な円錐形をしている。南東部に大きな雪田があり50m近くの雪上歩行となった。アイゼンを付けるまでもなくステップを切って慎重に通過、渡った処にはウコンウツギが咲いていた。
縦走路から分れ300mで美瑛富士避難小屋に到着、時刻は11時22分一番乗りだ。年季は入っているがまあまあだ。但しトイレはない。下りようと思えば十分今日中に下りられる時間だが美瑛富士を残しているので今日は泊ろう。小屋には今から下山すると云う女性が一人、小屋の写真を撮ろうと出発するのを待つが話をし出して中々動いてくれない。この後二人組の男性が休憩に立ち寄った。13人のパーティーでオプタテシケ山を目指したが一人が足を痛め引き返して来たとの事だった。暫く休憩していたが他のメンバーへの伝言メモを私に頼み13時頃二人で先に下山して行った。残りの一行は14時頃だっただろうか立ち寄り伝言メモを見てそのまま下山して行った。この日の小屋は14名で満員、9名ものグループで避難小屋を使うのはどうなんだろう、常識外れではないだろうか。することがないので昼食の後は持参のウィスキーを飲んで夕食の時間を待ったが、こうなるとお腹も減らずチキンラーメンだけで夕食を終えてしまった。隣には名古屋から来たスキンヘッドの小父さん、小柄で丸顔、赤い涎掛をすればお地蔵さんそのもので仄々とする人だった。吹上温泉から登って来たそうで明日は下山するだけらしい。18時に就寝。
2日目(7/29): 霧雨のち曇り
例の9人グループが5時半頃オプタテシケ山を目指して出発した。小屋に戻って来るのでいらない荷物は置いて行った。嵐が去ったように静かになった。今日は霧が深く予定していた美瑛富士はパスして直接下山することにした。10分程歩くと水無川の雪渓に到った。この時期小屋近くの水場は干上がり此の雪を取るか、更に下るかだが、昨日のガイドはもう少し下の沢まで行ったと思う。標高1,210m地点に「天然庭園」の標識が現れた。ハイマツ林が庭園のようだと名付けられたのだろうがさして感動する景色ではなかった。ただ雲の領域を脱し下界が見えるようになったのは嬉しい。細かい雨は続き、折からの日差しで前方に虹が架かった。美瑛の丘陵に架かる虹、美しさに暫し見とれた。
登山地図に美瑛富士登山口と記された個所は林道跡が始まる処だが、踏み跡は人ひとり分だけになっている。やがて車道に飛び出すと此処が美瑛富士登山口で登山届のBOXもあった。この先3.9劼麓崙司發で白金温泉に戻る。殆ど走る車はなく静かな道だ。硫黄橋から見上げると美瑛岳! 雲が薄くなり晴れて来る勢いだ。橋を渡ると白金温泉到着、9時17分登山を終えた。この辺りのホテルは日帰り入浴を受け入れているが何処も11時からで温泉に入ることができず、上富良野町街中のフラヌイ温泉で汗を流した。
富良野線のトロッコ列車が丁度走ってきた。千望峠展望台では未だに雲が纏わりつく十勝連峰を眺め上川地方に別れを告げ空知地方へと向かった。道路標識を見て芦別川にある三段の滝に立ち寄った。地殻変動でずれた岩盤を流れ落ちる滝が3段重なったもので少し先の展望台から望むことができた。芦別五滝の一つに数えられているそうだ。三笠市に入り幾春別川を堰き止めた新桂沢ダムによってできた桂沢湖を見た。嘗ては公園として整備されていたのだろうが訪れる人もなくレストハウスは閉鎖され、テラノサウルスのモニュメントが悲しく佇んでいた。
三夕トンネルで夕張市に入ると大夕張鉄道の遺跡巡だ。終点だった大夕張炭山は良く分からず大夕張駅のあった辺りは何もなくなっているが広い敷地で其れと知れた。千歳町駅と明石町駅の間にあった旭沢橋梁は昭和62年7月の廃止後26年が経過し錆びた橋梁部分が旧道に並行して架かっていた。国道のシューパロトンネル手前からシューパロ湖を望みその奥に下夕張森林鉄道の三弦橋が見えた。此れは大夕張ダム建設に伴い新設された橋梁だが完成から6年後の昭和38年路線自体が廃止されてしまった。鉄道では此処にしかない下路式三弦トラス橋として有名であったが今建設中の夕張シューパロダム(平成26年度完成予定)は大夕張ダムを呑みこみ此の三弦橋も水没してしまう運命にある。南大夕張駅跡には車両が保存されラッセル車キ1、客車スハニ6、オハ1、ナハフ1、石炭貨車セキ1、セキ2を見ることができた。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する