北ア縦走 上高地〜日本海(親不知)7日間
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- 距離
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- 登り
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コースタイム
day2 北穂高小屋キャンプ場−南岳小屋−槍ヶ岳山荘−双六小屋−三俣山荘キャンプ場
day3 三俣山荘キャンプ場−鷲羽岳−水晶小屋−烏帽子小屋−船窪岳−船窪小屋
day4 船窪小屋−蓮華岳−針ノ木小屋−新越山荘−爺ヶ岳−冷池小屋キャンプ場
day5 冷池山荘キャンプ場−鹿島槍ヶ岳−キレット小屋−五竜岳−唐松山荘キャンプ場
day6 唐松山荘キャンプ場−天狗山荘−白馬鑓ヶ岳−白馬岳−雪倉岳−朝日小屋キャンプ場
day7 朝日小屋キャンプ場−黒岩山−栂海山荘−白鳥小屋−親不知
天候 | 7日間とも快晴、酷暑、朝8時くらいで30℃をこえる。日の出が4時半頃、日没19時。 |
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過去天気図(気象庁) | 2012年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
竹橋22:30発、平湯のりかえ上高地着が5:30(¥6000) 復路 親不知観光ホテルの入浴+親不知駅までの送迎(¥1500) |
コース状況/ 危険箇所等 |
昭文社の地図のコースタイムの合計は101時間です。 *この日程でとくにつらくかんじたのが 3日目の烏帽子小屋〜船窪小屋まで(ザレ場の急下降をくりかえすつらいルート、山小屋間の距離も一番長く、水場もないので要注意。途中ビバークできそうなところも不動岳頂上くらいしかありません。) 7日目の朝日小屋〜親不知まで(通常、栂海山荘か白鳥小屋で一泊して2日に分けるのが無難、とくに栂海山荘から白鳥小屋までは猛暑のなか強烈でした。) *残雪 ところどころ残っていました。アイゼンの必要は感じませんでしたが、とくに緊張させられたのが ’鯒呂ら雪倉岳までの間の雪渓のトラバースx2 栂海新道の黒岩山までの残雪の通過x3(とくに早朝通過だったため雪がガチガチで通過できず高巻をした。 |
ファイル |
(更新時刻:2012/08/06 01:29)
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写真
感想
*発案
北アルプスを縦走して日本海までくだる。北アルプスの地図をひらくととても自然に真北に向かって伸びるこのルート、山をやるひとならだれの目もきれいな一本のラインとしてうつるのではないだろうか?
ぼくも数年前からこのルートに憧れいつかは実行したいと考えていた。しかし実際プランをたててみるとコースタイムの合計が100時間をこえるこのルート、通常のフル装備の縦走でいくと2週間ちかくかかる算段だ。
比較的、休暇をとりやすい会社につとめるぼくだがいくらなんでも続けて2週間の休暇はとりづらい、土日から次の土日までの9連休が限界。
そこで考えてみた。超軽量装備で通常の二倍の距離を一日で進めば9日以内にこのルートを走破できるのではないか?
そこでそれだけの体力をつけるためにとなんとなくトレランをはじめてみた、それが二年前。
だけれどなかなか身がはいらず思ったように自信をもてるだけの走力がつかず、二年連続でこのプランを見送った。
そして去年秋、2012年こそはこの北アプランにチャレンジしようと、意を決してもう一度、一から始めるつもりでトレランをはじめる、モチベーションの維持になればとあわせてヤマレコをつけ始めてみた。さらに逃げ場のないよう、酔ったいきおいで3大会ほどトレランの大会に先にエントリーした。
こうして毎週末、奥多摩、高尾、奥武蔵のエリアを走り回ってみると自分でも驚くほど体力がついてくるのがわかる、こうなるとおもしろくやめられない。
レースにも出場し、完走もできた。結果は下から数える方がはるかに早いくらいのレベルだけれど、自分の人生において35歳の今がもっとも体力、持久力にあふれていることは確信をもっていえる。
多分、気力、プライベートなどを考慮すると今年が最高のチャンスだろうと、挑戦を決意した。
**ルートについて
ルート選定について実はスタート地点にとても迷った。すべての山をつなぐという意味では最南の焼岳からのスタートがいいのだろう。
ただなんとなく自分への意義づけとして上高地スタートという響きに魅かれた。そしてなにより、ジャンダルム部分は走ることもできず渋滞にまきこまれ時間のロスが多そうだ、だからといって最短の梓川沿いから槍ヶ岳へ登るルートにもひかれない。
考えた末上高地から重太郎新道を登り奥穂へ出るスタートに決定した。北へむかってまっすぐ伸びる自分でも納得のいくラインとなる。
計算すると登山コースタイムの合計101時間5分だった。
***計画
すべてテント泊でつなぐこと。
途中での補給はなし。(ただしもちろんビールは別)
9日間の休日のうち2日間は悪天等の事態に対応するため予備日とし、7日間での完走をめざす。
達成するためには徹底的なultra light装備で一日平均15時間分のコースタイムを10時間(つまりは3分の2に短縮するペースで)で進む必要がある。
****装備
いわゆるUL装備を参考とする。
・寝具、幕関係−どんなに気温がさがってもテント内8℃くらいと想定し、ファイ ントラックのツェルト、イスカのシェラフair130を選んだ。
・調理関係−いろいろなul関係の記事などを参考にエスビットストーブ+450m lのマグカップの組み合わせを選ぶ。
・食糧−主食はアルファ米朝夕200gずつ(つまりは一日一袋)にカロリーを補う ため食べるラー油をかけ、+カップヌードルのリフィルもしくはソーセージの味 噌漬けをお湯でといたものを摂る。
・行動食−細かくいろいろもっていくとどうしても個装分のゴミが増えるのでナッ ツやレーズンなどをごちゃまぜにするトレイルミックスをお手製でつくってみ た。約一キログラム。これは失敗。後記
結果−食糧、水などを含まないベースウェイト5.3kgs食糧と水1.5リットルを含むトータルウェイト10.3kgsとなった。
これらをトレランにつかえる大容量パック、NATHANの32リットルに全ておさめることができた。
これで装備も事前のトレーニングもやれることは全部やったという自信をもって縦走に臨んだ。
DAY1
上高地〜岳沢ヒュッテ〜奥穂高岳〜北穂高小屋(コースタイム合計10:45) 行動時間7:19
まいたびの上高地行の深夜バスにのり現地入り。22時の集合に間に合うかどうか微妙だったので今年もまた嫁に集合場所までバックパックをもってきてもらった。ありがたい、おそらく一週間も山に出かけることに言いたいこともあるだろうに。
なんと奇跡的に一週間の天気予報はすべて晴れ。もういくしかないでしょ。
最初の核心、夜行バスでの睡眠だがなんとかうつらうつらと3時間は眠れたはず、上出来だ。
上高地で装備を整え、長いルートの一歩を踏み出すが岳沢方面の登山口に少々迷う、絶対ルートミスによるタイムロスは避けたいので必要以上に慎重になる。
登山口を発見し、岳沢をもくもくとつめる、穂高連峰がみえてくる。一年ぶりに北アにもどってきた実感がわく。
つい急ぎがちになりそうなところを抑える。先は長い、足に疲労をためてはいけない。
岳沢ヒュッテをこえて重太郎新道にとりかかる。聞くところ最新のヤマケイの日本の急登という特集にとりあげられたらしい。
そう聞くと熱くなってしまいそうになるが抑える。体調は最高だ、足がよく回ってる。
前穂頂上はパス。そのうち北尾根から踏むからとっておかないといけない。
予想通り奥穂以降は登山者の渋滞がおこる。あわよくば今日飛騨泣きを超えてしまおうという算段があったため、少々心が泡立つ。
何度もでてくる鎖と梯子をこなし、北穂小屋に到着。今日はCT10時間ちょっとで一番短い日ではあるが疲労がはげしい、これから飛騨泣きを下る気にもなれず予定通り行動打ち切り。寝不足のせいにしておこう。
北穂にてツェルトを張る。実はこれが最初の難所だった。予想どおりグラウンドはかたくペグははいらなかったが置石できれいに張れた。
なによりも心配だったのが風。今回最高所の3000M超えのテン泊しかも頂上直下の吹きさらしの稜線。以前北岳直下でフロアレスシェルターでひどい目にあったことを思い出す。はたして予想通り19時から1時間の雨(雨漏りした。)、さらに10時頃からすさまじい強風。
ツェルトの側壁が何度もひしゃげて胆を冷やすが3時間の強風に耐えきった。ナイス、ファイントラックと自分の幕営技術。
もちろんほとんど眠れず(2〜3時間?)
DAY2
北穂小屋〜南岳〜槍ヶ岳〜双六小屋〜三俣山荘(コースタイム合計12:50) 行動時間9:40
6時に出発、寝過ごした。なんとか飛騨泣きは一番のりではいれた。渋滞しらずでぐんぐん進む。ここは二度目なのでとくに緊張もなくすすむ。8時頃からガスが出てくる。槍ヶ岳までは問題なく進む。穂先はスルーして西鎌尾根をくだる。
ここは初めて通るがきれいな稜線がずっと続き気持ちがいい。右手に北鎌尾根のギザギザや硫黄尾根の赤茶がよく見えた。
双六岳山頂もスルーし、一番谷側の巻道をゆく。巻き道というと味気ないがこのルート、花々は咲き乱れているし、雪解けのきれいな流れもあってとてもきれい。せめてお花畑ルートとかなんとかつけてあげればいいのに。
三俣小屋まで最後は急いで向かう。日々のノルマを3分の2の時間に短縮するハードさを実感。これをあと5日できるのだろうか?
三俣小屋では流れの横の灌木帯の横に張る。風防としての効果をねらってだが夕方ブヨがわき辟易する。
この日も日没後少々雨がふるが風はなし。気温は18時ツェルト内で22℃、3時ツェルト内で12℃6〜7時間は眠れたか。
DAY3
三俣山荘〜鷲羽岳〜野口五郎岳〜烏帽子小屋〜不動岳〜船窪岳〜船窪小屋(コースタイム合計16:10)行動時間11:41
やっとまともな睡眠がとれた。二度寝をしたので3:30起床で5:00発。
まずは鷲羽を登る、黒部五郎、雲の平など2年前に周遊したエリアがよくみえる。頂上からの下りの途中、トレランスタイルの人に抜かれる。遠ざかっていくそのスピードはぼくのようなまがい物でない本物のランナーのそれ。聞くと本日はなんと双六小屋から針ノ木小屋までいくそうだ、信じられません。今回の旅で後ろから抜かれたのはこの一回のみだ。
その超人ぶりに逆に冷静になり淡々と自分のペースで進んでいく。北ア最小の小屋?の水晶小屋からは赤い少々ザレた斜面をゆく。
しばらくすると裏銀座コースのうつくしいトレイルがかなたまで伸びていくのが遠望でき、気持ちがいい。水晶、赤牛を左手に見ながら進む。野口五郎頂上では昨日100名山を達成された大先輩の話を聞く。
本当に古くから山をやっている方の話は聞いていてとにかく楽しい。自分もあの年になってもあれくらいのパフォーマンスを維持していたいもんだ。
今日はCT16時間超えの長い一日なのですこし急ぎぎみのジョグで進んでいくが烏帽子小屋についた時点で11時をすぎてしまう。
残りの船窪までの7:40の道のりがあるので小屋で念のため1リットルの水を購入し、先をいそぐ。
思えばこの時点でかなりの蒸し暑さのためかなりのペースで水を飲んでいた気がする。
烏帽子から船窪の間はこのルート中もっとも小屋間の間がながく水場も途中にないルートだがそこまで深刻には考えていなかった。
だが出発してしばらくするとまず登山道の様子がこれまでと一変する。深い展望の利かない樹林帯となり、地面は歩きづらい白ザレとなる。さらに大きな登り下りをトラロープ、鎖で何度も繰り返すといったようす。午後にはいり気温はさらにあがる。
やっとのことで不動岳についた時点であきらかな体力の欠乏を感じた。別にここまで走ってきたわけではないので足が終わってるだとか、いわゆるスタミナが切れたというわけではない。ただ妙にのどがかわくし、力がはいらないのだ。何度も立ち止まってついには座り込んで休んでしまう。
どうやら危険な兆候のようだ、ここまできたら先の船窪小屋に行く方が早いので水を補給しながら前進するが力がはいらない。
そこでふと思いついた、今日は脱水症状を恐れるあまりいつもより余計に水を飲んでいるのではないか?
発汗量が尋常ではないのに塩分を補給せずひたすら水だけを飲むと血中の塩分濃度が下がって云々という熱中症の症状を以前衛生の勉強で習ったことを思い出す。
(**熱けいれん)いそいでパックからポカリスエットの粉末を取り出し、水で溶いて接種する。口にした瞬間これが解決策であることを実感した、体内に染み渡る感じだ。かなり回復はしが、ここまでで手持ちの水をかなり消費してしまっている。残りの水分量がかなり不安ではあるが前に進む。発汗をおさえるようゆっくりと。ただここから先もいやになるぐらい崩壊ぎみのザレの大きな下り、登り返しが
続く。やっと船窪岳かと思い、ペンキのかすれた標識をよくみるとなんと船窪第二ピークだって。そこからさらにとても深くえぐる登り下りを二回も続いた。南アのような荒涼とした様相がいっそうメンタルにくる。もうあと水も二口分といったところでやっと船窪小屋のテン場につく、なんとここから小屋までは+20分の登りがあった。受付をしてテン場まで下ることを思うともううんざり。
小屋前につくと先行の方々が設置されている鐘をならしてむかえてくれる。見た目もキュートな船窪小屋をみてほっとひと安心、受付で宿泊ですか?と聞かれるともう条件反射で「夕食付一泊お願いします。」と即答。
オールテント泊のルール三日目にして破れる。(泣)
まあそうときまれば食うだけとジュース飲んでビール飲んで、うまい夕食(船窪小屋のごはんは有名みたい。)をたらふく食った。
同宿のガイドの方などと話しているうちにあっという間に体調ももどった。
今日は水分摂取の恐ろしさをしった。むかしの部活のしごきなどで「水を飲むな、飲んだらバテる。」ということがいわれていたとよく聞くけれどあれはこのような症状のことなんだろう、妙に納得してしまった。
そしてこの敗因のひとつは今回用意した行動食のトレイルミックスだ。ナッツ類は基本大好きなのだが今回の日中のあまりの暑さになかなかのどを通らず、接種が少々おろそかになっていた。そこへただの水を大量に流し込んだのがいけなかったのだろう。この辺の対策を考えつつ明日以降の行動に不安を感じながら暑いくらいの室温のなか眠りについた。
DAY4
船窪小屋〜蓮華岳〜針ノ木岳〜新越山荘〜爺ヶ岳〜冷池山荘(コースタイム合計15:30)行動時間10:41
たっぷり7時間は寝て、居間で自炊して4時に出発。
今日から行う熱けいれん、ハンガーノック対策をうちたててみた。
30分に一回二口のみの規則的な給水。¬襪里Δ舛暴佝し午後の行動時間を短くする。山荘でランチを食べる。(これで無補給のルールも破れる。)づ个蠅呂罎辰りと心拍数をなるべくあげないようにする。セ沈磴鮗蠅未阿い琶颪鵑納鵑亡く。
これが見事にはまる。たっぷり睡眠をとり、さらに暗いうちの出発なので気持ちいい気温のなか蓮華岳の稜線をすすむ。
展望はあるし、コマクサが群生していてとても気持ちのいいところだ船窪小屋からは一度針ノ木岳に降りて登りかえすルートの方が数十分短縮できるのだが蓮華をとおるルートを選んでよかった。
針ノ木岳にのぼってからは立山、剣方面の山塊がみえるようになり、新たなエリアにはいったことを実感する。ここからはきもちいいアップダウンの稜線を規則的な給水をくりかえしながら進む。気温はかなり高いがかなり調子はよかった。
この区間は残雪も多いので雪マフラーも絶やさず進めた。さらにもう山小屋泊もしてしまったことだし、本日からは途中の山荘で昼食をとることにする。今日は新越山荘でカレーとコーラ。力がみなぎるのがよくわかる。もう暑い中ナッツを無理にポリポリやらなくていいんだ。
宿泊を予定していた種池からさらに2時間ちょっとの残業をして冷池山荘までのばした。
爺ヶ岳から眺める冷池のテン場は吹きさらしの稜線上にあるように見え、不安を覚えたがうまい具合にハイマツの風防つきのサイトを押さえられてひと安心。ビールを飲んで早めに床につく。
…ところが全然眠れない。風や雨があるわけではないのに。せっかくテン泊モードになった体を昨日の小屋どまりがリセットしてしまったのだろうか?
DAY5
冷池山荘〜鹿島槍ヶ岳〜五竜岳〜唐松頂上小屋 (コースタイム合計12:05) 行動時間9:24
結局ほぼ一睡もできず。4時に出発、朝方ねてしまい、また午後から夕方にたっぷり歩くよりは不眠でいくことを選んだ。
しかし次から次へとトラブルがくるね、やはり気がはっているせいで眠れないのか?
鹿島槍からキレット小屋までまた先行者なしの渋滞しらずで快調にすすむ。しかし今日のルートは寝不足のせいか気が乗らない。なんとなく歩くのが億劫なかんじ、水の補給だけ気をつけて歩いた。
五竜岳のふところにはいってからはガレガレの急登が続く。午前9時くらいですさまじい酷暑。今日は残雪も手にはいらない。
ここらで眠気を感じたので仮眠したかったがよい日陰がみつからず、そのままゆっくりペースで五竜小屋までおりる。
ここで今日のランチ、チャーハンそしてコーラ。もうこの贅沢を覚えるとトレイルミックスなんてまったく手をつけない。
小屋前で大ベテランの登山家夫婦とお話しをする。北アの山々にも本当にお詳しくこころから登山が好きなのが伝わってきていい方たちでした。お二人からはこの先にクロユリがさいていると教えてもらったのだがぼくの節穴の目ではみつけられなかった。(泣)
本当は気合いれて本日中に不帰の嶮をぬけようと考えていたが睡眠がとれなかった時点であきらめた、唐松山荘で打ち切り。
ここのテン場は急斜面にあるが石垣近くの風防つきさらに近くに残雪の洗面台までついたナイスなサイトを見つける。
モンスター山荘の喧騒をさけ早めに床につく。明日は長いので早く寝なければというプレッシャーでなかなか眠りにつけなかったがなんとか5時間くらいは眠れたようだ。
DAY6
唐松山頂小屋〜天狗山荘〜白馬岳〜雪倉岳〜朝日小屋 (コースタイム合計15:25) 行動時間11:44
本日は最早の3:17出発。目の前の不帰の渋滞を嫌ってだ。もちろん3時ではまだ日は登っていない。
でも満月の明かりとヘッドランプで十分すぎるほど明るく、とくに緊張もなく不帰の嶮をぬけられた。
白馬までは人気の山域をのんびりと楽しむ。たしかにきれいなところだ。
頂上小屋ではツェルトを干しつつ本日のランチ。牛丼とコーラ。これが最後の小屋飯なので味わって食べる。
明日の超長時間行動にそなえて蒟蒻畑のゼリーを購入した。(これがとても助かった。)
白馬から雪倉方面へのトレイルは本当にすばらしかった、延々と続く繚乱のお花畑のなかゆっくりとしたジョグで進む。
途中ちょっと緊張する雪渓のトラバースがあったがトレッキングポールをうまく使って突破した。
朝日岳方面の途中には尾瀬のような木道の道がでてきて、まさに尾瀬そのままに水芭蕉の群生を見ることができた。
この先の分岐から朝日小屋に直接向かう水平道は残雪のため通行止め。ここまでで一番の猛暑のなか一度朝日岳の頂上経由で小屋に向かう。暑い、本当に暑い。水の接種だけは気をつけてすすむ。
15時前に朝日小屋につくとすごい混雑。ビール買うのもたいへんだった。ちなみに朝日小屋はビールの缶いがいの購入品のゴミ(ペットボトルやジュースのパックなど)は全て持ち帰りでした。
ここのテントサイトには焼岳から縦走してきているかたが何人もいてそのうちのひとりの方と少々話をする。この旅いちばんの長話を楽しんだ。
明日は今回最大の核心、日本海までの一気降り。またまたナーバスになりなかなか眠りがおとずれずあせるがいつの間にか寝ていた。
DAY7
朝日小屋〜黒岩山〜栂海山荘〜白鳥小屋〜親不知 (コースタイム合計18:20) 行動時間12:37
最大の核心、栂海新道の一気降り。キーになるのはいかに夜間のうちに進めるかだと思っていた。
深夜一時に起床し、2時半にスタートできた。(結果もっと早いスタートでもよかった。)
昭文社地図には黒岩山まで地形が複雑とあって夜間行動に不安はあったが前夜から続く十分な月明かりの助けもあり、注意ぶかくペンキマークを追って行ったらとくに迷いそうになることはなかった。
この日は深夜2時の時点ですでにかなり生暖かく日が完全に登る八時前にいかにすすめるかが勝負だとおもっていた。
空が白んでからはおもいきり飛ばすが途中、登山道をうめつくす残雪になんどか阻まれる。もちろん早朝の残雪は固くしまりトレランシューズではけりこめないので高巻きを必要とした。そんなロスもありながらもなんとか5時間後の8時前には栂海山荘に到着。
なかを見物ついでに少々休ませていただく。小屋の裏手の登山道をみつけるのに少々手間どる。しかし8時のこの時点で30℃をとっくにこえている。もちろん標高もぐんぐん下がっていくのでさわやかな高原な風なんて微塵もふかない。
強烈な暑さのなかの栂海山荘から白鳥小屋のCT4時間分の行動は本当に地獄だった。なんとか半分の2時間、10時までに白鳥小屋までいき小屋で食事と大レストを取ろうと考えていたのだが、この行程の消耗は半端ではなかった。ポカリスエットをちゃんと定期的に補給していたので三日目のように動けなくなることはなかったがやはり精神的な消耗がはげしい。
また下駒岳直下の激登が強烈でつづく最後の白鳥山の登り返しが本当にきつかった。これで最後と振り絞った登りがニセピークで思わず大声で悪態をついてしまう。
その先に今日はじめて出会う先行の方がいておどろかせてしまったかもしれない。
その先の登りが小屋への最後の登りでなんとか小屋到着。いそいで汗を押さえるため息をととのえ、最後の食事の用意をする。
アルファ米とカップヌードルのリフィル(カレー味)、失われた塩分が染み渡る。もちろん途中で行動食のナッツも無理やり詰め込んではいたが全然効かなかった、なんか感覚で体がもとめていないことがわかる。今回は行動食は大失敗だ。
飯を食っていると先ほどの先行者の方、続いて昨日テン場で会話した焼岳から縦走している方と立て続けに小屋に到着した。
白鳥小屋はとてもきれいな小屋でここでの一泊も楽しかろうとは思ったが、ここまで完璧に計画通り進んできたからには今日中に下山した。残りはCT5:10分、一時間たっぷり休んで出発。
水は十分だが、よけいな発汗はしないようにゆっくっり進む。しかしさらに上がる気温に容赦なく発汗させられ体力を奪われる。
また坂田峠まではロープをつかった急下降となり休ませてもらえない。もうなにも考えない。ひたすら足をだして、渇いた分だけポカリを補給するだけ。
時間の感覚がマヒしたころに坂田峠のアスファルト舗装路をまたぐ。この完璧なルートに残念ながら二回ある舗装路の横断の一回目だ、ここで最後の隠し玉、白馬で購入した蒟蒻畑ゼリーを注入、胃に落ちてそのまま毛細血管に吸収されるのを感じられるほど効いた。
ここからは起伏がなだらかとなる。もうなにも考えずゾンビのように歩く。DEAD MAN WALKING。
二回目のアスファルトをまたいだところで地図を確認、あと少しだ。そしてこのルートで最後の名前つきの山頂、入道山をふんでからラストスパート、ふたたび走り出す。でもまたここからが長い、潮騒の音、塩の香りは感じるのに一向にみえない海原にイライラしながらひたすら下る。感情爆発寸前のところでついに国道が見えた。12時間以上行動し、ついに一日で朝日岳から日本海まで降り切ること
ができた。
最後に栂海新道登山口の標識の前で記念写真をとろうと思ったら携帯のメモリーオーバー、海の写真も親不知駅の写真もとれず(泣)
親不知観光ホテルの送迎付き入浴(1500円)をお願いして帰路につく、接続がよく東京方面まであっという間にもどってしまった。
帰りの車中、ビールのおつまみは余りに余った大量のトレイルミックスでした。
今回、何年も憧れていた日本一の縦走路を全日の好天にめぐまれながら完璧に計画通りトレースできた。
もちろん、行動食の失敗、暑さ対策の不足、など何度も困難はあった、その都度自分なりにうまく対応ができたと思う。
必至に安くはないギアを買い集め、週末ごとに体力づくりのため山に走りにいき、知恵を絞って計画をたて実行する。
一銭にもならないまったくの徒労のためになんでこんなにがんばっているのか、なにか後ろめたい気持ちにもなる。だけれどここまで情熱を傾けられるものが自分にあることを幸せにおもい、ひとり今回の成功の喜びをかみしめようと思う。
次のBIG PLANはどうしよう?
物理的であれ、なんであれ、いつも自分のやることに制限をしてしまうと、
それはあなたの仕事や人生にも広がってしまう。
限界などない。停滞期があるだけだ。そこに留まってはいけない。それを超えて行くのだ。
かの恩師リー先生もおっしゃっております。
わくわくしながら読ませていただきました。
35歳に限界はおとずれないよ。まだまだいける。
Next Big Thingを熱い魂でつかまえてください。
自分で決めた限界ってずっとつきまといますよね。やっぱり李老師はいいこと言うなー。
でも少々ヘビーな縦走に疲れたので紅葉の時期にでもまたkj山行いきましょうよ。ちょっといいプランを思いついたんです。
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