白峰南嶺北部・別当代尾根縦走《日本百名山》
- GPS
- 01:28
- 距離
- 38.3km
- 登り
- 4,113m
- 下り
- 3,300m
コースタイム
- 山行
- 5:57
- 休憩
- 1:00
- 合計
- 6:57
- 山行
- 9:37
- 休憩
- 1:19
- 合計
- 10:56
- 山行
- 5:42
- 休憩
- 0:09
- 合計
- 5:51
天候 | 1日目:曇り時々晴れ、2日目:曇時々晴後雨、3日目:雨のち曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2009年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
下山口:広河原からタクシー乗り合いで芦安温泉経由JR甲府駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
別当代尾根は登山道無し |
写真
感想
1日目(8/20): 勝坂〜伝付峠水場 曇り時々晴れ
身延に朝早く入るには大阪から“特急サンライズ号”に乗るに限る。寝台列車だが“のびのび座席”というごろ寝のできる車両が2両連結されている。これなら寝台料金は必要ない。しかし残念ながら京都は通過する。富士に着くとすぐに身延線に乗り換えられ、身延駅には6:30に着いた。登山シーズンに運転の6:25発臨時広河原行の山交バスが待っていた。予定より1時間早いバスに乗れ幸先よし。
奈良田の手前、早川町湯島の勝坂BSで降り、不動橋の袂から西側の山に入った。標高は705mで別当代山までは標高差1,500mもある。登山地図や2.5万図にはまったく登山道は記されていない。Webを検索しても記録は1件あっただけで詳しい様子は分らない。かつては林業の盛んだった山域なので何らかの痕跡ぐらいはあるだろう。
早川の流れは谷を深く切れ込ませ両岸は壁のよう立ちはだかっている。別当代山から北東に派生する尾根は林業の道なのか微かな踏跡が見え隠れしている。下草はなく藪漕ぎすることなく登ることができそうだ。等高線の詰まり方は激しく急斜面を木に掴まり這い上がった。岩壁は巻いて進んだ。この尾根に平成17年8月に設置された4等三角点「滑河内」(2.5万図には未記載)があるので、国土地理院もこの尾根を登ってきたのだろう。歩き始めて1時間25分、木が切倒されて視界が開けると、果たしてその三角点はあった。コンクリート柱に埋め込まれた金属の丸い台座に「+」の刻まれた新しいタイプの三角点だ。標高は1,318mあり、北の方に鳳凰三山を望むことができた。
栄養補給をして、また歩き始め樹林帯を進むと比較的明瞭に付いていた踏跡はあるかなしかの心細いものになり、まったく道はないものと覚悟を新たにした。林業の遺跡とも言うべき索道の跡や放置されたワイヤーが各所に散らばった尾根は急登続きで200mほど高度を稼ぎ一旦なだらかになった。しかしまた急登となり200m登った標高1,930m位の稜線でまた視界が開けた。明日歩く白峰南嶺の稜線が望め滑河内の谷を挟んだ北側に延びる尾根が大きく南アルプスの領域に入ってきたことを実感した。
進行方向が真南となり初めてピーク性のある地形に乗りあがった。最近人の手が入ったらしき痕跡に赤テープが東の方に続いている。登山道があるのかと2.5万図を見るが、急過ぎて道があるとは思えない地形だった。なだらかに進み最高所は2,077mの標高点で、展望はなく取り立てて何もない。初めての下りとなり別当代山との鞍部に下ると広い草原状の広場で、webでヒットした唯一のページに「風花(六万平)」と紹介されていたのはここらしい。森林の切り出しが盛んなころ一大基地であったのだろう。今は痕跡を留めていない。
広すぎて別当代山への取り付きが分らない。東の方にあるテープを頼りに進むと踏み跡があったが、どうも山を目指していない。左へ巻いたまま行ってしまいそうで、シダの覆い茂った斜面に無理やり取り付いた。進行方向は真南、コンパスの示す方向と地形を見ながら進み尾根が緩やかになって右へ右へと回りだすと山頂は近い。そして遂に別当代山(べっとうしろやま2,215m)に辿り着いた。5時間26分を要した。展望のない山頂には2等三角点「別当城」があるだけで山頂標識もなくひっそりとしていた。山頂標識ぐらいはあって欲しいといつもは思うが、今日はこのひっそり感がなんとも言えず嬉しい。別当代の山頂域は長い。西の端にある西別当代山まで1.2劼發覆世蕕に続いている。この先も道はなく白峰南嶺の縦走路から寄り道をする人もいないようだ。西別当代山(2,226m)にも何の表示もなくまたしても“ひっそり”。別当代より標高が高いのはどうも戴けない。
西別当代山を後にして、西に下ると山梨・静岡県境に達した。もちろん線は引かれていないが県境に沿ってさらに下り白峰南嶺縦走路に下り立った。この縦走路は林道の跡で、大井川左岸林道不通時の代替とすべく作られた林道で保利沢山から奈良田越まで続いている。しかし現状は放棄されて久しく崩れるに任され歩くのすら危険な部分もある。林道の真ん中には木が生えすでに4m近くに育っていた。
未踏区間を繋ぐため一旦伝付峠まで南下し今日の宿としたい。200mも歩くと“ドウダン展望台”と壊れた標識が転がる展望地がある。荒川岳、小河内岳、前小河内岳、烏帽子岳、蝙蝠尾根には徳衛門岳と南アルプスの主稜が一望でき素晴らしい。懐かしの伝付峠(標高1,985m)、平成15年ここでテントを張り笊ヶ岳へと縦走した。昨年は二軒小屋からこの峠を越え田代に下りている。今日は山梨側に少し下ったところにある水場の前でテントを張ることにした。
早い夕食を済ませテントの中で寛いでいると鈴の音。今日初めての人との出会いだ。広河内岳から来たと言う。明日歩く道だ。暫し話した後、この男性は行ける所まで行くと田代へ向けて下って行った。
2日目(8/21): 伝付峠水場〜農鳥小屋 曇時々晴後雨
3:30起床、星が出ている。今日の予定は農鳥小屋でテントだが、20キロの難路と延2,000mを超える登高で辿り着けなければ水場は無い。念のため4リットルの水を持ち出発した。伝付峠の田代側で富士山の真正面に視界が開けた。朝焼けの富士が美しい。
伝付峠からは昨日歩いた林道跡を北上する。夜明け前に出ていた星はどこに行ったのだろう。ドウダン展望台では悪沢岳や徳衛門岳が頭を雲に覆われていた。昨日石を重ねておいた別当代取り付きを右手に見て昨日の奮闘を振り返った。ここからは第二の目的である白峰南嶺を歩く。只管北上だ。林道跡は主に県境西の静岡側に付いている。P2159の西を巻くように複雑にヘアピンカーブ、その先端にはカーブミラー、林業盛んな頃は往来するトラックを映していたのだろう。今や林道には木が茂り、落石に覆われ、木を掻き分けて進む箇所もあり自然に帰りつつある。鞍部の先のピークはH18.10に別当代尾根を登ったweb記録にオシャリ沢山(標高約2,110m)とあったピークのようだ。藪に分け入り倒木を越えて立ち寄った。勿論何の表示もない。Webの主はここから北東に続く尾根を勝坂へと下ったようだ。
北に進み林道跡がジグザグに高度を下げると初めて東側の展望が利くガレの上に出た。櫛形山(2,052m)など富士川と早川の中間の山脈が望める。西側も展望良く荒川岳の姿も雲が上がり、下からだんだん現れてきた。P2073の西を巻き北側に出ると今日2つ目の山、長崖山(なががけやま2,091m)が前方に遮るものなく見通せるようになった。林道跡は東側を通り山頂は通っていない。県境に沿って稜線に突入し山頂を目指した。山頂直下に大規模なガレがあり大井川東俣の谷まで落ち込んでいる。その縁からは蝙蝠尾根の徳衛門岳が真正面に見えた。長崖山のピークは樹林帯の中で、山頂標識もなくひっそりしていた。
稜線伝いに下り林道跡に復帰し北上すると奈良田越と思われる地点に達した。林道跡はまだ先に続くが、石が並べられ侵入を防いでいるようだ。尾根の先端を回りこむように分岐した道が東に進み赤テープが付いている。コンパスの方向とは正反対だが行ってみると、その終端に東海フォレストが設置した真新しく立派な「奈良田越」の標識が立っていた。周囲には林業の拠点だったようでワイヤーの束や巻き上げ機の残骸が散乱していた。
赤テープに導かれ登山道に入り、いよいよ白峰南嶺の核心部へと踏み込んだ。切り出した木を吊っていたのであろう錆付いたワイヤーが木に巻きつき登山道に横たわっている。少し登ると小屋跡があり、休憩舎として使われていたようだ。250mほど登り白剥山(しろはぎやま・2,237m)に達する。西面に一部展望があり、ここにも真新しい東海フォレストの山頂標識が立っていた。3等三角点「笹山」があるが点名に何故、一つ北の山名が付いたのだろう?
白剥山の鞍部を過ぎ登り返してすぐ南の展望の利くガレの縁に出た。歩いてきた長崖山や別当城山、遥か南に頭だけ隠した笊ヶ岳の姿も見えた。長崖山の西斜面には奈良田越まで山頂部を通っていた林道跡がジグザグに大井川へと下りて行くのが山肌の崩れでよく分った。ガレを越えて笹山へと標高差500mを登る。樹林帯のなか踏み跡が続くが、メジャーな縦走路とは格段に遠い指導標も忘れたころに「伝付峠⇔農鳥岳」の相当大雑把なものがあるだけだ。「大門沢」とアルファベットで添え書きされまったく関係のない場所なので、もしかしたら大門沢小屋が設置したとの署名代りではないかと想像した。
標高2,600m付近で樹林が切れ岩場の展望台に出た。周りの山も雲が取れ見通しは良くなり日も差してきた。南の笊ヶ岳も完全に露出、蝙蝠岳もバッチリ。その北の塩見岳はまだ雲が煩い。樹林に石楠花が混ざりだし、枝が登山道に張り出し歩き辛くなってきた。藪の薄い処を選び進んでピークに達すると笹山南峰(2,719m)に登頂した。小広い山頂に山梨百名山の標識があるが3等三角点「広河内」は見つからなかった。樹林越しに笹山北峰のピークが見えた。
北西の笹山北峰は2,733mの標高で東海フォレストの立派な山頂標識が設置されていた。別名黒河内岳とも言い。個人的には後者のほうが南アルプスらしくていいと思う。こちらは文句なしの山頂展望を十分楽しませてくれた。森林限界には達していないが、這松、石楠花が主要な植物になり、これがまた難物ですぐに途切れる踏み跡と道を塞ぐ潅木、自然保護のためできるだけルート外の植物は踏みたくない。右に左にかわしながら進んで白河内岳(2,813m)に達した。完全に森林限界を越え360°の展望、もう南アルプスの核心部だ。ここにも東海フォレストの真新しい山頂標識が立っていた。
小石とハイマツの山頂稜線を歩き大籠岳(おおごもりだけ2,767m)に達した。ここにも東海フォレストは山頂標識を立てようとして、標識本体と資材が青いビニールシートに包まれたまま置かれていた。P2772まで来ると広河内岳はすぐそこだ。鞍部まで行くと広河内の向こう側の大門沢下降点が見えた。望遠レンズで覗くとあの特徴的な黄色いタワー状の指導標、人の姿も見えた。
広河内岳(2,895m)の登りは這松が邪魔でルート取りが難しい。ガスが出だし風は強まった。山頂で一息ついていると農鳥岳が出たり隠れたり。出発しようと思ってザックを担いだ途端、強風に雨が混じり出した。またザックを下ろし雨具を着て大門沢下降点へ再出発した。
下降点にはもう人の姿は無く黄色いタワーだけが立っていた。雨は降ったり止んだり、ガスも出たり晴れたり。農鳥岳の姿は何度か現れた。農鳥岳の登りに掛かると高山植物ミヤマバイケイソウ、オンタデ、ヨツバシオガマ、ミヤマダイコンソウ等の花が一杯、写真撮影に忙しい。農鳥岳は3,026m疲れた体にきつい登りだ。下山してくる人が3組、大門沢小屋まで下るという。今日初めて会った人達だった。山頂に近づくにつれまた雨になった。雨量は大したことは無いが風が強く頬に痛い。3,000m級の山だけあって地形は厳しい。辿り着いた山頂は濃いガスに取り巻かれ最早何も見えない。8年前に登った時の感動は再び味わうことはできなかった。
西農鳥岳は3,050mとこちらの方が高い。一寸寄っただけで通過し農鳥小屋へと急ぐ。ガスの領域の下に抜けると雨は止み先の方に小屋の赤い屋根群が見えてきた。この風の中テントも3張り見える。小屋に着くと午前の気象通報でアルバイト学生が作った天気図が窓に張り出してあり、それによると日本海に寒冷前線。これは天気が益々崩れると言うことか。強風下でテントを張る気力が無くなり小屋に潜り込んだ。(素泊まり4,500円)
この小屋は悪評高く、本当は泊まりたくなかった。小屋汚い、小屋番偏屈、小屋食不味いの三拍子だが、最後の一つだけは自炊で防げた。振り返ってみると今日一日良く歩き通し目論見通り農鳥小屋に辿り着いた。20.8辧△發50歳を超えたので無理はしないようにと思っているがついつい歩いてしまう。そして二つ目の目標白峰南嶺縦走も達成することができた。
3日目(8/22): 農鳥小屋〜広河原 雨のち曇り
夜半天候は大荒れだった。雨風強く小屋に逃げ込んでよかった。明け方になって雨は小降りになったが風は相変わらず強く、ガスも濃い。5時に出発と思っていたが小屋の生活に合わせるしかなく、起床したのは5時少し前だった。小屋から少し行くと三国平への分岐があり間ノ岳、三峰岳の南面を巻いて仙塩尾根に繋がる道だ。8年前、間ノ岳から三峰岳を経由しこの巻き道を通ったので、この分岐から間ノ岳山頂までの間が未踏になっている。この間の踏破が今回の第三の目的だ。
間ノ岳への道は二重稜線で複雑で、視界が50mもないので岩に印されたペンキを頼りに進んだ。雨量は大したことは無いが頬に当たると痛い。突風にしばしば立ち止まり耐風姿勢を取り時間を掛けて間ノ岳(3,189m)山頂に到った。東海フォレストの標識が山頂直下に立っていたが、流石に山名は書いていなかった。山頂には立てる余地が無かったからだろう。東海パルプの所有地もここまで、この先は完全に山梨県のエリアとなり旧芦安村、現在は南アルプス市域となった。
留まることもできず先に進み岩場を下った。北岳山荘に泊まった人達が登るのと出くわし、天候の悪さを嘆き合いお互いの無事を祈りあった。その後も北岳山荘泊まりの人達が続々やって来たが空荷の人が多い。登り返したところは中白根山(3,055m)で、ここも通過し北岳山荘へと進んだ。予定では北岳から小太郎山へと縦走する予定だったが、この悪天候では意味が無く。今後、池山吊尾根を登る構想も持っているのでこの先は次回に譲り巻き道を通って八本歯のコルに出て、大樺沢左俣を下ることにした。流石にこの天候で小屋にはまだ停滞している人が多いようだ。
トラバース道は稜線東側に付いており風が防げるのがいい。雨も殆ど止んだが依然濃いガスの中を行くが、最高のお花畑が目を楽しませてくれた。トラバース道といっても最初は稜線に平行しての登りが暫くあり稜線道への分岐から急斜面の巻きに入った。岩場で丸太橋・梯子が連続し決して楽な道ではない。やがて池山吊尾根に達し急な下り道となった。300mほど行くと八本歯のコルで、直前で左に分岐して大樺沢へと下り始めた。
今日の山行を諦め北岳山荘から直接下山する人も多いようだ。標高が下がり2,600mぐらいで雲の下辺を抜け下界の見通しが利くようになった。大樺沢の雪渓の向こうに鳳凰三山が雲も無く見えている。雪渓に添う登山道には蟻のように続く登山者の行列。今日は土曜日、沢山の人が登ってくる。明日は天気が良くなるという。それにしてもこんな登山者の群れを見たのは久しぶりだ。だからメジャーな山域を避けている今日この頃だが・・・
遂にその先頭に遭遇、道が二途ありすれ違いできる所はいいが狭いところで譲りだしたら切がない。適当に突っ込み下っていく。二俣で右俣コースと合流するとまた人が増えた。北岳山荘からほとんど休憩なく来たが、もう必要のなくなった雨具が暑くなってきたので枝沢の渡渉点で休憩し身じまい。栄養補給をしてバスの時刻を確認すると今からでは12:20のバスまでない。時間調整も兼ねてプラプラと下った。
登山道は白根御池小屋からのルートと合流し広河原山荘の横に下りてきた。これから登るのだろうか10人くらいが憩うていた。吊橋を渡り南アルプス林道のゲートを越えると広河原バス停、思ったとおりタクシーが客を探していた。最低7人集まれば芦安まで1,200円で行くと言う。温泉に入りたいというと南アルプス市営のヘルシーハウス山渓園まで行ってやるとのことで、しかも、そこのまん前にバス停があり甲府への帰りは芦安発のバスにも乗れるので好都合、交渉成立!
20分の間に10人の客が集まり、定員オーバーだが芦安へ向けて出発した。8人は芦安の駐車場で降り、山渓園へは熊本から来た男性と二人が行った。温泉に二人以外の客はなく1時間ほどの滞在中、結局誰も来なかった。芦安温泉街から離れ過ぎているのがネックなのだろうか。一緒に行った男性はこの後、富士吉田5合目で泊まり明日富士山に登るという。
芦安発のバスに登山者はなく空いていた。甲府まで1時間弱、14:20に到着、駅の時刻表で調べると鈍行乗り継ぎで今日中に帰京できそうだ。難行登山の後は、8時間35分の鈍行列車の苦行の旅。2,300円の青春18切符でコストダウンを図った。今回は4つの目的のうち最後の小太郎山はパスしてしまったが、メインの3つが果たせ満足のゆく山行だった。
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