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Yamareco

記録ID: 32571
全員に公開
積雪期ピークハント/縦走
甲斐駒・北岳

北岳〜間ノ岳〜農鳥岳

2008年12月29日(月) ~ 2009年01月03日(土)
 - 拍手
GPS
128:00
距離
38.7km
登り
3,409m
下り
3,409m

コースタイム

29日3:00石和健康ランド クア&ホテル出発
  7:00奈良田駐車場〜12:30あるき沢登山道〜15:20池山小屋手前1.5Km位
30日8:40小池小屋手前1.5Km位〜15:00ボーコン沢の頭
31日8:00ボーコン沢の頭〜12:30北岳〜15:00北岳山荘
1日7:50北岳山荘〜15:00農鳥小屋
2日8:00農鳥小屋〜12:45大門沢下降点〜17:00大門沢小屋
3日9:30大門沢小屋〜13:30奈良田駐車場
天候 29日晴れ  日中2℃位
30日晴れ  日中-10℃位
31日晴れ、夜半から朝にかけて強風  日中-15℃位
1日晴れ強風、稜線上はガスが流れている 日中−20℃
2日晴れ強風、稜線上はガスが流れている 日中-15℃〜−20℃
3日晴れ 日中-2℃位
過去天気図(気象庁) 2008年12月の天気図
アクセス
コース状況/
危険箇所等
正月休みと言う事も有り20人以上の登山者と会いました。
単独から5人くらいのパーティーまでさまざまです。
踏み跡もきれいに残っていました。
晴れて無風なら快適そのものだったでしょう。ところが、、、

奈良田にも温泉が有りますが、今回は前日の泊りも含め、
帰りもかなりの疲労が出ると思い、
天然の温泉では有りませんがとても設備の整っている
石和健康ランド クア&ホテルを利用しました。
奈良田の駐車場から登山口までが、とにかく長いアスファルト歩きになります
2008年12月29日 10:43撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/29 10:43
奈良田の駐車場から登山口までが、とにかく長いアスファルト歩きになります
あるき沢登山道入り口
2008年12月29日 12:48撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/29 12:48
あるき沢登山道入り口
稜線上に殆んどビバーク状態
2008年12月30日 07:55撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/30 7:55
稜線上に殆んどビバーク状態
遠くに見覚えのあるコルが、農鳥小屋の辺りだろう
2008年12月30日 12:21撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/30 12:21
遠くに見覚えのあるコルが、農鳥小屋の辺りだろう
少しずつ目指す山々が近づいてくる
2008年12月30日 14:05撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/30 14:05
少しずつ目指す山々が近づいてくる
2008年12月30日 14:46撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/30 14:46
ボーコン沢の頭の手前少し下がった所
2008年12月30日 16:45撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/30 16:45
ボーコン沢の頭の手前少し下がった所
夜に強風のため小さい通気口から雪が入り込んでくる
2008年12月31日 06:16撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/31 6:16
夜に強風のため小さい通気口から雪が入り込んでくる
富士山の横に日の出が
2008年12月31日 07:24撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/31 7:24
富士山の横に日の出が
目指す方角にも強風とガスが流れている、これ行くの?、、
2008年12月31日 07:24撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/31 7:24
目指す方角にも強風とガスが流れている、これ行くの?、、
しばらくすると風も止み、美しい山肌が
2008年12月31日 09:01撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/31 9:01
しばらくすると風も止み、美しい山肌が
2008年12月31日 09:01撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/31 9:01
池山吊尾根
2008年12月31日 10:33撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/31 10:33
池山吊尾根
八本歯のコル
2008年12月31日 10:33撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/31 10:33
八本歯のコル
北岳山頂
2008年12月31日 12:38撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/31 12:38
北岳山頂
前回の忘れ物一つ目
2008年12月31日 12:43撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/31 12:43
前回の忘れ物一つ目
北岳山荘へのトラバース道、山荘から振り返り
この途中が道的にはかなり危険で疲れた
2008年12月31日 14:45撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
12/31 14:45
北岳山荘へのトラバース道、山荘から振り返り
この途中が道的にはかなり危険で疲れた
北岳山荘に初日の出が近づいてくる
2009年01月01日 06:28撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
1/1 6:28
北岳山荘に初日の出が近づいてくる
2009年01月01日 06:24撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
1/1 6:24
中央アルプス
2009年01月01日 06:39撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
1/1 6:39
中央アルプス
真ん中に二人組みの先行パーティーが出発している。「いまだ下山せず」のような写真を撮ろうと思い、彼らがアイゼンを着け出発して、良いポイントに入るまで30分近く待ってしまった。しかもピンボケ、、、
2009年01月01日 06:41撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
1/1 6:41
真ん中に二人組みの先行パーティーが出発している。「いまだ下山せず」のような写真を撮ろうと思い、彼らがアイゼンを着け出発して、良いポイントに入るまで30分近く待ってしまった。しかもピンボケ、、、
北岳山荘は避難小屋として快適に使えます
2009年01月01日 06:44撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
1/1 6:44
北岳山荘は避難小屋として快適に使えます
前回の忘れ物二つ目、間の岳山頂。後ろ曇ってますね
2009年01月01日 12:42撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
1/1 12:42
前回の忘れ物二つ目、間の岳山頂。後ろ曇ってますね
農鳥小屋で強風のため雪壁を作るが
2009年01月02日 07:05撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
1/2 7:05
農鳥小屋で強風のため雪壁を作るが
結局諦め雪洞に
2009年01月02日 07:06撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
1/2 7:06
結局諦め雪洞に
入り口を塞ぐのにえらい苦労した
2009年01月02日 05:35撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
1
1/2 5:35
入り口を塞ぐのにえらい苦労した
髪の毛が凍っとる
2009年01月02日 12:59撮影 by  FinePix4500, FUJIFILM
1/2 12:59
髪の毛が凍っとる
やはりトラバースの斜面がしびれる
2009年01月01日 09:07撮影 by  SO903i, DoCoMo
1/1 9:07
やはりトラバースの斜面がしびれる
右奥が農鳥小屋の有るコルで、左に登っていくのに強風で出れず、1時間躊躇する。
2009年01月01日 10:51撮影 by  SO903i, DoCoMo
1/1 10:51
右奥が農鳥小屋の有るコルで、左に登っていくのに強風で出れず、1時間躊躇する。
後は農鳥を越えるだけ
2009年01月01日 10:51撮影 by  SO903i, DoCoMo
1/1 10:51
後は農鳥を越えるだけ
大門沢小屋で男女2人組みのパーティーと親しくしていただきました。
2009年01月03日 07:14撮影 by  SO903i, DoCoMo
1/3 7:14
大門沢小屋で男女2人組みのパーティーと親しくしていただきました。
後はのんびり大門沢小屋から下るだけ
2009年01月03日 10:03撮影 by  SO903i, DoCoMo
1/3 10:03
後はのんびり大門沢小屋から下るだけ
チョー美味そうな雪解けの沢水、南アルプスは大腸菌が問題に為っている様なので皆さん上流で粗相の無いようしましょう、、
2009年01月03日 10:17撮影 by  SO903i, DoCoMo
1/3 10:17
チョー美味そうな雪解けの沢水、南アルプスは大腸菌が問題に為っている様なので皆さん上流で粗相の無いようしましょう、、
前回道を間違えたポイント、今回来て見ると派手にペンキで道しるべが書いてあった。
2009年01月03日 12:01撮影 by  SO903i, DoCoMo
1/3 12:01
前回道を間違えたポイント、今回来て見ると派手にペンキで道しるべが書いてあった。
半年前建設中だったダムが完成している
2009年01月03日 12:52撮影 by  SO903i, DoCoMo
1/3 12:52
半年前建設中だったダムが完成している
お疲れ様でした。南アルプス
2009年01月03日 12:55撮影 by  SO903i, DoCoMo
1/3 12:55
お疲れ様でした。南アルプス
駐車場からの近道では有るが、前回危険と思い使わなかったが、今回はるかに思いザックを背負っているのに危なく見えない。しかも普通に降りれてしまった。やはりこの半年でそれなりに進歩しているのだろう。
2009年01月03日 13:51撮影 by  SO903i, DoCoMo
1/3 13:51
駐車場からの近道では有るが、前回危険と思い使わなかったが、今回はるかに思いザックを背負っているのに危なく見えない。しかも普通に降りれてしまった。やはりこの半年でそれなりに進歩しているのだろう。
奈良田駐車場、かなりの台数が駐めれます。
2009年01月03日 13:53撮影 by  SO903i, DoCoMo
1/3 13:53
奈良田駐車場、かなりの台数が駐めれます。
駐車場に有るお寺で出発と無事の帰還を感謝し、石和健康ランドへ6日間の垢を落としに向かいました。
2009年01月03日 13:54撮影 by  SO903i, DoCoMo
1/3 13:54
駐車場に有るお寺で出発と無事の帰還を感謝し、石和健康ランドへ6日間の垢を落としに向かいました。
撮影機器:

感想

正月の連休中に何処へ出かけるか考えた末、10月からの3ヶ月間トレーニングも不十分で、又北アルプスの無雪期の下見も出来なかったことも有り、私のかつての約束の地、南アルプスへ訪れることにした。
アイゼンを半年振りに引っ張り出すと、前回の農鳥山行で酷使しすぎたらしく、爪がもう殆んど丸い。
ウータンこと長谷川 恒男氏が見たら「きみぃ、これならスケートが出来るよぉ」と言われそうな位丸い。まずはヤスリがけからのスタートとなった。
食料は豊富に準備し、文太郎方式でとにかく食って体温を上げるのを基本と考えた。
この豊富な食料を3スラの森田 勝氏が見たら「きみぃ、これだけ有れば僕なら20日間はいけるよぉ」と言われそうな位しこたま有る。
兎に角、長期戦を予想しエネルギー温存、筋肉に乳酸を溜めないようスローペースを基本とした。
3:00に石和健康ランドを出発し5:30には歩き始めるつもりが、朝食をとったり食料を買い足したりしているうちに6:00前になってしまった。
奈良田の駐車場にあるお寺の賽銭箱に小銭を全部入れ、今回の山行の無事を願いいざ出発である。

しかし、しばらくするとすぐにサングラスを忘れたことを思い出し、ザックをその場に置いて車へ取りに戻り、又ザックまで戻り、もうこの時点でストックを使おうかと思う。
某有名メーカーのストックを伸ばそうとするが硬い、力任せにねじり引っ張ると先のゴムだけ取れてしまった。よく見るとボンドで付いているだけなのか。車に戻れば工具や瞬間接着剤も有るので、ストックを持って又車に戻る。しかし、いくらやっても伸ばすことができない。諦めてもう一本の使える方だけ持ち出発することにした。この時点で既に7:00。
このことは、これからの山行に、どのような事を暗示しているのだろう。ちょっと不安だ。

奈良田の駐車場から長〜いアスファルトの道をひたすら歩き続ける、やはりザックは重く23〜24キロといったところか。
歩き沢登山道の手前まで来ると、前方から4人組のパーティーが軽快に歩いて来たので挨拶を交わす。
年末の土日を挟んだ北岳への2泊3日だろうか。これで踏み跡が有るのは間違いなさそうだ。
ここで昼食のバナナとパンを食べ、少し長めに休憩をとる。9月の終わりに赤岳へ日帰りして以来の山行でこの荷物、やはりこたえる。
尾根を登り始めると初めて山登りらしくなってきた。が、けっこう急だ。GPSで自分のペースを確認するとかなり遅い、15:00までに池山小屋まで行けるのだろうか。
まいったな、と思いながら急な尾根を一歩一歩進んでいると15:00過ぎた頃に1ヶ所、尾根上にテントの張れそうな所を発見する。
初日から夜行にでもなると一気に体力を消耗するだろうから、即決でビバークを決定する。早くも予定の4泊5日のクリアが難しくなる。

2日目の朝、目覚ましをかけ忘れ自然に目を覚ますと外が妙に明るい。
時計に目をやるとなんと6:58?前々日の準備している段階での緊張や、前日の寝不足、久しぶりの登山などが重なり、まさか10時間も全く起きずに寝るとは、、
今の体力とこの荷物の重さからいくと、今日歩みを進めることができるのはボーコン沢の頭か、がんばって八本歯のコル手前位か。
しかし、ここでテント場が見つからないと、どうにもならないのでとりあえずボーコン沢の頭を目指す。
やはり14:30で樹林帯を越えた所までしか行けず、15:00の時点でボーコン沢の頭手前までしか行けなかった。
樹林帯の最後にテントが1張りあり、もう少し登った所に雪の吹き溜まりが有り、テントが張れそうだった。よほどそこへ張ろうかと思ったが時間も有るしもう少し行こうと進むが、これが大きな失敗につながってしまう。
まだそれ程雪も無く、この時点で風も大して無い、雪の無い所へテントを張り一応スリングで3隅を大きな石に固定し、テントの回りも石で固め眠りに就く。

テントを揺さぶられる揺れと、風の音で目を覚ます。時計を見ると1:30だ。
ものすごい勢いでテントが押されている。「撤収して樹林帯まで下がるか?」
しかし、転がされるほどでは無いので、そのまま耐え続け朝を迎えることにする。
夜中に風向きも変わったらしく、まともに横風を受けているようだ。
少し横になっていると、直径5mmも空けていないような通気口から雪が入り込み、あっという間にテントの中が真っ白になってしまった。
登るにしても、下山するにしても、テントは撤収しなければいけないので、5:30位から食えるものは口に突っ込み、6:00位から撤収を始めるが、強風の中飛ばされないように抑えながらなので、2時間も掛かってしまいポールも1ヶ所折れている。
幸い飛ばされたのはテントの収納袋だけのようだ。
この間にこれからの行動を悶々と考える。樹林帯まで下がり風が止むのを待ち、北岳のトップアタックだけにするのか、一日待つなり、北岳山荘まではとりあえずがんばるか.

そうしている内に一人単独の登山者が登ってきた。
挨拶の後、開口一番「ここにテントを張っていたんですか?夕べ風は大丈夫でした?」
「最悪です。これから登るんですか?」
「この風ですし、とりあえず行ける所まで行こうと思ってます。」
トップアタックの体制らしくザックはかなり小さい。
この後にも数人続いて行き、荷物的に縦走と思える方に行き先を尋ねると、私と同じく大門沢を降るそうだ。
「とりあえず行ける所まで行って見るか、北岳だけピストンしても良いし、と考え直し登ることにする。」
もし私一人なら間違い無く、とりあえず下山していたであろう。
テントを撤収している間、頭の中を「命あってのものだね」という言葉が何度もぐるぐる回っていた。

8:00過ぎに出発しボーコン沢の頭を越えると風は既に無く、踏み跡もバッチシで快適に北岳山荘との分岐点まで来ることが出来た。
頂上から降りてくる方達にならって、荷物をデポしピッケルだけ持ち北岳へ向かうことにする。
北岳山荘までのトラバース道が危険であることが頭に有る為、精神的にそれほど余裕は無いが、風も殆んど無く360度ゆっくりと見渡し、このうえなく美しくは有るが、尚且つ切れるように研ぎ澄まされ、静寂に満ちたその視界と空間を心に留めながら感慨にふける。
北岳を降り、山荘へ向かうがやはりこのトラバース道が一番危なそうだった。
所々、木で梯子を作って有るが、その間にある斜面や梯子への取り付きなどが、なかなかすんなりいかない。
北岳山荘まで到着すると、1人の男性が建物の外付きになっている階段の上に、一人立って富士山の方に向かって写真を撮っている最中だ、が私の姿に気付く。
その男性は50才前後くらいに見え、背はそれ程高くないが、がっしりした体格をしてベテランの空気を出している。そして、その紳士的で落ち着いた喋り口調の中にも、その力強い自信を感じることができる。
「ここは避難小屋として使用できる部屋が2つあるよ」と聞いて、2階にある部屋へお邪魔させていただくことにする。
既に2人組の男性パーティーが到着しているようだ。
部屋へ入るとすぐにテントを出し組み立ててみる。
強風で折れたポールは付属の修理部品をテープで巻けば十分活用できるようだ。
又、今回の核心のひとつと踏んでいた八本歯のコルが、以外とすんなり問題無かったので気持ちに余裕が出来、北岳山荘で今まで濡れた衣類など乾かし、重い燃料を減らそうと考えた。
しかし、これが2つ目の大きな失敗につながってしまう。

4日目、またしても夜中に目が覚める、時計を見るとまたしても1:30。
今度は風が建物の間を縫っていく音も有るが、なにせ寒い。温度計を見ると−17℃位。
30分位しても寝付けないので、ストーブに火を点け湯を沸かしスープを作る。
これで体温も上がりほっとして又シュラフに潜り込む。
すると2人組のパーティーも「寒いですねぇ」などと話し始めてしまった。
隣の部屋なのに音が異常なほどよく通る。
カチ、カチ、カチ、とストーブを点ける音が聞こえる。
ひょっとして私が起こしてしまったのだろうか。極力音を出さないように動いたのだが。
前日に「4時」と言うのが聞こえてきたが、4時起き?4時出発?まさか、
しかし、そのまま出発準備を始め、4:30に扉を開け出発していった。
おそらく大門沢小屋まで一気に行くつもりなのだろう。
私は本日、農鳥小屋までの予定なので、ぬくぬくと体力を回復させながら、朦朧と浅い眠りに入っていると、
カン、カン、カン、と階段を登ってくる音がする。「え?」と時計を見ると5:30。
戻ってきた?トラブル?風?
テントの入り口をそぉっと開け覗いてみると、完全防備の服装で背負っているザックを下ろしている。
先ほどの50才前後の方だ。私はこの先の状況も知りたく、テントから顔を出し
「お、おはようございま〜す♪」と声をかけると、おそらく「おはようございます」と言おうとしたのであろうが、私には「あ、うぅぅ〜」としか聞こえなかった。
これは、とても話を聞ける感じではないぞ、、、
2人の話を耳がダンボになって聞いていると、「下りはいいんだが、登りがな〜」などと言っている。

外がうす明るくなってきている。建物に当たる風はそれ程音を出していない。
トイレにも行きたくなったし、私も一度靴を履き外へ出てみよう。
弱冠風は有るがそれ程強くは無い。
ただ間ノ岳へ向かう稜線やコルの状態はどうなのだろう?
にしても、とりあえず2009年の元旦をじっくりここで味あわせていただこう。
2人組みパーティーも2階の窓の霜を手でこすり、この日の出を見ているようだ。

前日の北岳山荘へのトラバースポイントで、私がトップアタックへ向かおうとしていると、既に頂上から下りてきてデポしたザックを背負い、北岳山荘に向かう男女2人組みのパーティーがいた。
この方達が北岳山荘に居ないということは、農鳥小屋まで昨日のうちに行ったということだろう。
そして男性2人のパーティー。少なくともこの2パーティー合計4人は先行しているのはまず間違えない。

2人組のパーティーは6:30に出発して行った。私は1時間以上遅れての出発だ。
間ノ岳へ向かう稜線上へ出てみると、確かに風はかなり強いが歩けないほどではない。
間ノ岳は高さこそ標高3,189mだが全体的になだらかな弧を描いているので大丈夫だろう。
農鳥小屋まで行けば、あとはかつて知ったる道。
何度も対風姿勢をとらされたが間ノ岳までこぎつけた。
間ノ岳の山頂標識を見つけると、日頃coolで通っているのだが「ヨッシャー」と声が出てしまう。
かつての約束の地、ここまでたどり着けることが出来ず「雪の有る時にまた来るぞ」と交わした約束を、こんなに早く果たせるとは思っていなかった。

しばらく登頂した充実感や感慨にふけるが、先の事を考えるとやはり余裕は無い。
早く農鳥小屋でビバークスペースを確保しなければ。
この日、日中温度計は−20℃をさし続けている。この強風を考えると体感は何度位なのだろう。
風に向かって歩き辛くなるのが10m/s位で、15m/s位で転ぶ人が出る。
風速25m/sで立っていられなくなる。
とすると、今10m/s〜25m/s以上の風が吹いていることになり、1m/s=−1℃ と考えると体感温度は今−30℃〜−45℃以下ということに為る。
これは帰ってから調べ直したのだが、もう外で行動するのが危険な温度ではないか。
ただ今回の服装は通常の登山スタイルのアウター、中間着、インナーの3枚プラスインナーダウンの上着を着込んでいる。
そのせいからか行動中に寒いと感じることは1度も無かった。
さすがに汗をかくこともなかったが、あ、冷や汗はあるか、、、
今冬は身体自体も通常Tシャツに上1枚の合計2枚で過ごし、殆んど裸足に雪駄で過ごすことにして、サウナの水風呂も5分位は楽に入っていられる位、身体も鍛え寒さに適応させていた。

稜線上を歩き続け、痛切に感じたのだが、稜線上のコルは風の通り道になる可能性がかなり高く、通常だと雪のあるだろう所に雪が無いのは、強風ですべて飛ばされているということだ。
間ノ岳を過ぎるとますます風が強くなっている。耐風姿勢をいつでも取れるよう身体を低くしながら歩き、風が強まってくると耐風姿勢でひたすら耐えるのみ。
しかしそれでも持ち堪えられないときは、両膝と両肘をついて風上に背を向けたまま、ひたすら耐え続けなければならない。
じっとしながら頭の中では今までに読んだ山岳関係の本の内容やシーンが次々と浮かんでくる。
新田次郎の「銀嶺の人」で若林美佐子が後輩を連れて谷川岳へ登り地吹雪を絶えていた場面や「ドキュメント気象遭難」にある伊那前岳で突風に飛ばされ滑落した男性のシーンなど。
石和健康ランドで直前までインターネットで天気予報をチェックしていたが、高気圧はシベリアの方へ張り出しているが、/29日、/30日、位に太平洋上に前線ができ、ここへ向かって風が流れていく可能性が高くなるのは確かにあった。
体重64kでザックも20k以上の私が3点耐風姿勢で立っていられないのだから、このときは風速25m/s以上あったのだろう。
しかし、いつかは弱まるはずだ、というか弱まってください、、、
「耳元に入り込んでくる風音が、今少し弱まったような気がする」おもむろに立ち上がると、また歩きはじめる。
「歩ける」「風が弱まっている」しかし、少し歩くとまた3点耐風姿勢になり、歩き、両膝両肘姿勢、この繰り返しで進んでいる。
農鳥小屋までは大した距離も無く道的にも特に困難な場所は無いはずだ。

ようやく農鳥小屋まで到着できた。時計を見ると15:00ジャスト。小屋は半分くらい雪に埋まった状態のようだ。先行している2人組のパーティーはいない。やはり大門沢小屋まで行ったか。
この風による抵抗でかなり時間がかかったが、初めから無理の無いスケジュールを考えていたので、ゆっくりビバークスペースを確保できそうだ。
ひと回り小屋周辺を歩き見て回るが、小屋の扉は全てテープで隙間を塞がれ、半分くらいから屋根まで埋まっている。
ここは避難小屋として使えないのか?
ひと通り見回し終えると、1ヶ所1番建物に多く囲まれた所に、50cm位掘り下げテントを張っていたと思われるスペースがある。
前日に北岳山荘へ泊らずに、ここまで来た男女2人組みパーティーの跡なのか。
「ここへテントを張るか」と、とりあえずその真ん中へ座ってみると、結構風が吹き込んでくるぞ。
時間も有るし雪壁でも造るか、と周りに壁を造り始めることにする。
50cm〜80cm位の高さまで壁を造り、また真ん中へ座ってみるが、以外に風が入り込んでくる。
今度は底を50cm位掘り下げてみる。もう、十分テントのてっぺんを越えた所まできている。
また真ん中へ座ってみると、あまり変わってない?
しかし、ここまで2時間以上かかって既に17:00を過ぎている。とりあえずテントを張ってみようと思い、アンダーシートを出して荷物で押えながら敷こうとするが、風に巻き上げられて敷くことができない。
しばしの間座り込んで考える。どうやってテントを張るか?
時間は静かに流れていく、、、次の瞬間戦慄が走る。

「やばい、死ぬかもしれない」

今‐20℃で強風が吹き荒れている。夜半ひょっとすると、もっと強くなる可能性もある。
風雪になるかもしれない。夜中にテントを押えきれなくなったら、どうにもならなくなるぞ。
おたおたしている場合ではない、どうする?テントがダメなら雪洞?
既に17:30を過ぎ、周りは薄暗くなってきている。これから3時間かかるのか?
今掘り下げた片側一面に、雪洞を掘るのにちょうど良さそうな雪の吹き溜まりが有る。
もうゆっくり考えている余裕は無い。ここへ向かい猛烈に堀進めて行く

「これって遭難?」

身体が横になった状態で腰の隠れる位まで掘り進んだとき、1度穴の中で1息つくと、なんと、これは別世界。
外の風音も殆んど聞こえず、しかも温かく感じる。雪の保温性は高いと聞いていたが、これほどとは。
寂静たる時間がこの中に留まっているようだ。今まで感じていた恐怖や緊張が一気に消し去られていく。
雪洞を堀続けている時に、またしても今までに読んだドキュメントや物語が頭の中へ次から次へと流れていく。
加藤文太郎が石川県から北アルプスへ縦走したときに、ビバークのために縦穴を掘り、ザックに座り、ふたをして、その隙間から吹き込んでくる雪を見て、新しいエンジンの設計図のアイデアを得たことや。
「ミニヤコンカ奇跡の生還」で松田宏也氏と菅原氏が遭難し、テントを失い、雪洞を堀ったりしながら下山した場面。
早期に雪洞を掘っていたら、おそらくは全員助かっていたのではと思える1993年の某大学山岳部パーティーによる剣岳の遭難。
1990年正月に新穂高から槍ヶ岳を目指し、下山中に天気の急変で8日間雪洞に閉じ込められ生還した男性単独登山者など。まさに次から次へと出てくる。

身体が完全に入り、中で座ることができ、ストーブを点けてコッヘルで食事が出来るくらいのスペースを、とりあえず造り終え時計を見ると19:45。およそこれまでに要した時間は2時間弱、意外と早かった。
中の居住空間をもう少し快適に作り直し、必要と思える荷物をザックから雪洞の中に放り込んでいく。さすがにザックを入れるスペースまでは造らなかった。
今回少しでも荷物を減らすためにツェルトは下ろしていた。テントとスノーフライが有れば代用できると思っていたからだ。雪洞の入り口を塞ぐのにこのスノーフライを使ったのだが、形がはまらず意外と苦労する。
10分近くおたおたしていると今まで猛烈に動いていたために体温が高かったのだが、ここで一気に下がり身体が震え始めた。
リラックスしながら自分に「寒くない寒くない」と暗示をかけるが、それも限界。完全に入り口を塞がないまま穴へ飛び込みストーブを点け、体温を上げようとスープをつくり飲みまくる。
育ちが悪いせいか熱いものを食べるのは昔から強く、グラタンなど口の中の上の皮がべろべろに剥げても食べれる方で。500ccのそうめん茶ずけを、沸騰して直ぐのような状態で平らげる。これで1リットルは90℃以上のものを飲んだ。
少し落ち着いてからきれいに入り口を塞ぐ。

ここで2度目の大きな失敗がひびいて来る。北岳山荘で3本持ってきたEPIGASの内、1缶をほぼ使い切ってしまい残り1缶しか無い。
予定通り、明日大門沢小屋まで行くことが出来るのなら問題ないが、最悪ここに閉じ込められた場合あまりにも少なすぎる。
長期天気予報は、ほぼ晴れだが確証が有る訳では無い。
後々冷静に考えてみると、最悪長期戦になったら農鳥小屋の扉をこじ開けて入るという手もあった。
ただ燃料は少なく防水マッチと、ライターは有るが、凍傷は免れないかも。
雪洞の中は雪洞自体が小さいせいか、ストーブをほんの僅か点けているだけで中はかなり温かく、シュラフを使わなくても寝れそうだ。
先ほど荷物を雪洞に放り込む際に、シュラフはザックに置いてきてしまった。
この狭い雪洞でじたばたしてシュラフを濡らすと致命的に為るのではと思え、また雪洞が崩れはしないのかという可能性も考え、とてもシュラフで熟睡する気にはなれなかったからだ。
シュラフ自体も、この数日で睡眠時の発汗により徐々に湿ってきている。昨日少し乾かしたが、もう‐30℃対応の性能はだいぶ落ちているだろう。
朝までストーブを点けたり消したりしながら過ごすしかない。消しても30分位は温かいが、そこからが冷え込んでくる。

靴も履いたまま朝を迎えようと思い、座り込んでいると、今までに感じたことの無い圧迫感と傷みを足に感じ出した。
「まずい、このままほおっておくと凍傷になってしまう」
靴を脱ごうとするが、なかなか脱げない。一番外側に履いている厚手のブレスサーモソックスのつま先の下のほうが氷って靴底にくっついてしまっている。
足を引っ張り出し、ダウンの足カバーに履き替え、足のマッサージを始めた。
この時に頭に浮かんできたのは、やはり過去の登山家達のストーリで、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」の中ハインリヒ・ハラーとアウフシュナイターが粗末な装備で脱走し、有に−30℃を下回る中チベットへ向かう道中、アウフシュナイターの足の凍傷が酷く、夜中に2時間マッサージした場面だ。
長谷川 恒夫も「北壁に舞う」の中で言っていた。「どんなに良い靴を履いていたとしても、つま先まで常に気を送り込んでいないと凍傷になる」彼のことを「女性的とも感じる」と書かれているものを見たことがあるが、私には純然たる侍に見えた。
またチベット仏教の修行のひとつである トゥンモ(内的火)の修行が思い浮かんだ。
これはヒマラヤの極寒の地で、布を川で濡らし裸の身体に掛け、自分の体温で乾かすといったもので、一日に3枚くらい乾かしてしまうそうだ。
通常意識ではコントロールできない自律神経などをコントロールする能力が身に付いているのだろうか。
ライトも点けたり消したりしながら、じっと4:30になるまで極力エネルギーを使わず、脳波もアルファー波からどんどん波長を下げて、疲労を回復させなければ。

漆黒の闇、目に映るものは何も存在しない。

遠くで僅かに風の音が聞こえる。

少しずつ理性の火を弱めていく、何も考えず、

心を身体から解き放ち、

執着を解き放ち、

無念、夢想、

空性の存在を魂で感じる。

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是 
舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 
無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 
乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 
菩提薩捶 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無礙罣故 無有恐怖 
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪日 
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経 


すべてのものは繋がっている、

あらゆるものは関係性によって成り立っている。

漆黒の空間に有り、時間さえも相対的なもの、

その実体は無い。

私自身さえも、その実体は無く、

関係によって存在している。

4:30にストーブを点けスープを飲み食事を始める。30分位は寝たのだろうか、ほぼ一睡もしていない。
雪洞の中に聞こえてくる風音は、夜半弱まったような気がする。しかし、明るくなるまでは行動をするのはよそう。

明るくなり外へ出てみると農鳥小屋の辺りは昨日とほぼ同じような状況か。荷物を片付け追える。時刻は6:30。
西農鳥の方へ向かって歩き出してみる。小屋場を出て直ぐの稜線上に出ると猛烈な強風が当たってきた。
とても歩ける状態ではない。いきなり3点耐風姿勢だ。すぐに小屋場の比較的風の当たらない所に逃げ込むことに。
農鳥小屋から大門沢下降点までで、この一番初めの斜面が一番急で難所になるだろう。
西農鳥の切れ込んだ三角形がガスの中へ消えている。
たまにガスが風で洗われ、それ程大きくは無いが畏怖堂々とし、天へ向かって鋭く昇っていくその三角形の全容を現している。
しばらく風が弱まるのを待ってみる。30分位してガスが薄らいできたのを見計らい稜線上へ出てみるが、先ほどと変わらずとても歩ける感じではない。また小屋場までもどる。1時間様子を見るが、見た目は変わらない。
昼まで待つか。もしここでもう一日ビバークした場合、翌日は好転するのか。
最悪中の最悪は吹雪の可能性も有るのでは。登山道ではないが東の斜面を下っていく選択肢も有るのか。ザイルは20mしかないが、確かに風は無くなりGPSも有りバッテリーも十分有るので道間違えは考えられない。降れば確実にアスファルトの道へぶつかる。しかし、これは私の技術力では、今まで読んできた典型的な遭難のパターンになってしまうのでは。前回の農鳥山行で道無き道は嫌というほど味わった。「やめやめ」

ちょっとお馬鹿な話で、私はまだ行動中に結構、水を飲むほうなので、北岳山荘で1リットルの水筒に800ccの水を入れ保温ケースに入れて腰に掛けていた。
3時間ぐらいして飲もうとすると、飲めない。飲み口がコチコチに氷っている。
「そりゃそーだよな、−20℃だもん、、、うりゃー」とほっぽり投げたい所をぐっとこらえ、その重いだけの代物をその日一日ずっと持って歩くことに、、

8時になり、意を決してまた出発する。姿勢を極力低くし、歩き出すと今ちょうど風が弱まっているのか、歩ける。コルを越えて上りの斜面まで行けば、風の質も変わるはずだ。
何度か3点耐風姿勢で立ち止まるが、斜面までたどりつけた。やはり斜面の方が風が弱い。しかし、ここで飛ばされると本当に終わってしまう。
こんな所でおたおたしている訳にはいかない、こんな私にも帰りを待ち、必要としている者達がいるのだ。
風下の切れ落ちた斜面には極力近づかず、一歩一歩登って行き何とか越えることができた。
風が極端に強いのは、やはりコル状になっている部分だけだ。そこをやりすごし農鳥岳を越えていく。

農鳥岳を越えたところで、男女6人くらいのパーティーが前方から現れた。
「あっ、人だ」とちょっと感動。隊列の後ろの方ほど、やはり、まいっているように見える。何所に向かっているのだろう。もう暫くすると今度は男女2人組のパ−ティーともすれ違う。
もうヘロヘロだが、かっこ悪いので気合を入れて「おはよう御座いまーす」と挨拶を。
ようやく大門沢下降点まで来ると、ここは見事に一面雪が飛ばされている。計画の一つにこの下降点でビバークというのも有ったが、とんでもない。一つ間違えたら風地獄間違い無し。

ここで一度突風が当たり、よろけて左足を、転がる石の上へ乗せてしまい、足の裏を挫いてしまう。
この箇所は、山行の数日前にトレーニングのため近所の林がちょっとした尾根や、丘、階段になっている所で、ジョギングしている際に、小さな穴へ嵌り痛めていた所だ。とりあえず治っていたのだが、また同じ箇所をやってしまい、ぶり返してしまった。
「何だよ、いってえな〜」とピッケルで横の大きな石をガーンとやりたい気持ちをグッとこらえ、コンとやってしまう。
立ってまた歩き始めると、すぐに「うわっ」と今度は今までの中で一番強い突風に当たり、おもいっきりゴツゴツした岩や石の中へ倒され、肘や背中まで着いてしまう。

「は〜、八百万の神っているのね〜」

聖域である山で思い出したのは、小林 尚礼氏の「梅里雪山 十七人の友を探して」で、知人や友人達17人を雪崩で失い、その亡骸を捜しチベットの聖山カワカブへ向かう。そこで現地に生き続けている人々と15年をかけ接するうちに、ただ頂上に登った人間がいないというだけで入っていく先進国の人達の違和感と、現地の人々の深い怒りを知ることになる。カワカブは聖なる巡礼地で、生死をかけてその巡礼路をめぐり続けられている。そして先進国の人間達は何度かその聖地を侵そうとして、ことごとく失敗し多くの犠牲者を出し、未だにその頂上に立ったものはいない。

風は北西からなのでここを降り始めれば、もう風に当たることは無いだろう。案の定、下はほぼ無風だ。初めて気持ちが安らいだ。しかし体力はもう既にかなり消耗している。
かなりゆっくり急な斜面を降りていると、気付かない内に比較的若い30才台位の単独登山者の男性が後ろに着いていた。
すぐに横に避けて先に進んでもらう。ザックは縦走のようだが小さく見える。私はそろそろ他人と話したくなっているのもあり、コースを聞いてみると、甲斐駒ケ岳や仙丈ケ岳を巡って来ているようだ。小さく見える荷物を聞いてみると、なんと20k無いそう「食料は少ないですけどね」とのこと。彼も大門沢小屋へ泊まる予定にしているので、「自分は強風の中、北岳の方から来てヘロヘロなので、先に行ってて下さい、小屋でまた会いましょう」と別れる。
彼の足は速く、踏み固められた夏道は使わず真っ直ぐに降りていった。あのペースなら15:00には小屋へ着いているだろう。
私の方はというと、気が弛んでしまったのか間抜けにも手袋を滑らせてしまい拾いに行ったり。おかげで夏道を少し行き過ぎてしまったので、トラバースして戻ろうとすると、久しぶりに思い出した。大門沢の大軟雪。今居るこの地点はまばらに木が生えている為、稜線から舞ってきた雪が、密度が比較的薄く堆積し、風もほとんど当たらないので現時点でも−9℃は有るのにクラストしないらしい。
たかだか20m位の斜面のトラバースだが腿まで埋まってしまい、踏み固めながら進まされ、ただでさえ残り少ない体力をここでおもいっきり使わされてしまった。

ようやく踏み固められた夏道まで戻ることが出来た。それにしても疲れた。
ザックを背負ったまま座っていると男女2人組のパーティーが降りてきた。この方達は大門沢小屋へ荷物をデポし農鳥岳へピストンしたようだ。少し立ち話をし、私は後からゆっくり行きますと言って別れる。
元気ならばあっという間の大門沢小屋が遠い。初め遅くとも16:00には着くだろうと思っていたが、夕べは一睡もしていない。風も無くなった安心感からか座って休んでいると、寝込んだらしく気付いて時計を見ると16:00に為っている。
少しすっきりしたので、またぼちぼちと降って行く。小屋へ着く頃はもうかなり暗く、ライトを点ける直前の17:00過ぎに到着した。

アイゼンを外し一息ついてから引き戸を空け「おじゃましま〜す」と入っていくと、先ほどの女性の方が「おつかれさま〜」と声をかけてくれた。
暗い小屋の中、もう皆ヘッドにライトを点けているので、顔を照らすわけにはいかないから顔は解らない。単独の男性らしき方がもう2人居る。
すると一人の男性がすっと立ち上がり、ゆっくりと戸口から表へ出て行った。
あっ、先ほど会話をかわした方?しかし、その座っていた場所に荷物が無い。テント場でテントを張ったのだろうか。
もう外は暗く疲れ切っている事もあり、先ほどの2人組パーティーの方達と会話を交わしながら食事を取り就寝の態勢を整える。
やはりこの強風で大門沢から登り北岳方面へ向かう予定だったパーティーは、皆引き返していたそうだ。
いつも靴を脱いで暫らくは足が痺れているが、シュラフに入り寝ているうちに感覚が戻ってくるのが常だが、この日は夜中に身体中が痛く目が覚めてしまう。身体が思ったほど回復していない上に、足も痺れたままだ。
身体を起こしてストレッチとマッサージを繰り返し、少し落ち着いたのでまたシュラフにもぐり込む。
「温かい、ここまで来たんだ、一時はどうなる事と思ったが、後は南アルプスとの別れを惜しみつつ、明日一日、残りの時間を充実したものにしよう」

最終日になる6日目。チャックを開ける音で目を覚まし時計を見ると7:00?
朝、他のパーティーが起きる音で起こされるだろうと思い、目覚まし時計をかけていなかったのだ。
早めに出発して石和健康ランドへ行こうと思っていたが、ゆっくりになってしまった。
もう皆帰るだけなので、のんびりペースのようだ。片付ながら、さっくりと朝食を取る。
おそらくテント場へ向かったであろう男性はもう居ないだろう。
ここで是非一言お礼を言わせて頂きたい。この単独男性と2人組のパーティーは私の到着が余りにも遅いのでかなり心配したようだ。
この単独男性は私が小屋まで到着するのを確認するまで待っていてくれたのだろう。

「御心配をおかけして申し訳ない、本当にありがとうございました。」

大門沢小屋に備え付けて有るノートを見ると、北岳山荘で一緒になった2人組のパーティーは、予想通り北岳山荘から1日で大門沢小屋まで来ていた。私が6日かけたラインを4日で歩いた強者達で、新潟へ帰って行った。ただ、やはり風には相当痛めつけられたようである。
農鳥小屋を後にする。一晩ゆっくり休めたおかげで身体は結構もどっている。
2人組のパーティーより少し早く出て「どうせすぐに追いつきますよと」出発する。
セルフタイマーを使って何度も写真を撮ったり、のんびりペースで降りていったが追いつかれることは無かった。

登山道が終わり、ダムを越えてアスファルトの道を降り、小さな橋を渡っていると、ふと川の流れる音にひかれる。
美しい音だと一度通り過ぎる。川の音は今までにも、何度も聴いているが、今までとちょっと何か違う。
どうも気になるので、その川まで戻り、耳を澄ませその音をもう一度聴いてみる。
あらためて聴いてみると、その音には多くの音がからみ合っている事に気付く。
上流から数限りない石にぶつかり、その水どうしもぶつかり、はやく流れているところ、ゆっくり流れているところ、淀んでいるところ、そして、その音たちを囲むように薄いざわめきのような音が後ろに聴こえる。川の数だけいろいろな地形が有り、川の数だけ違った音があるのだ。まさに自然のオーケストラを聴いているようだ。しかも、そのハーモニーが極上に美しい。しばらくの間、聴き惚れてしまう。
この音を良い音で録音して家で流したら、さぞ気分が良いだろうな、などと思いながら、その場を惜しみつつ先へ進んでいく。

駐車場へ到着し車の荷物を片付けていると、登山道の入り口に車を駐めていた、先ほどの2人組みパーティーの方達が降りて来た。
どうやら2人は、温泉には入らず、このまま正月の帰省ラッシュの中を、8時間かけて帰るようだ。後日メールを頂いたところによると、帰り道にあったスーパーで昼食のお惣菜などを買い、獣のように食べたそうだ。
私はというと奈良田の駐車場で6日ぶりに靴下を全部脱ぐと、なんと足の指が10本とも全部凍傷にやられていた。やはり、ただではすまなかったか。しかし、よく見ると軽度のようで、おおむね1度、部分的に2度といったところか。電話ですこし専門医を捜すが、正月ということもあり見つからないし、軽度のようなので、そのまま駐車場にあるお寺で無事下山できたことへの心からの感謝をし、石和温泉へ向った。

6日間の山行を終え

今回も自宅に帰って多くのことを考えさせられた。危険を冒して登山をすることの意味は何なのだろう。
大変高いGDPを持つ日本、しかしその中ですら不平等と思える所からくる格差が深刻にできている。世界を見れば、地球の人口の約半数、30億もの人々が、1日わずか2ドル以下のお金で暮らしている。「WFP 国連世界食糧計画」によれば世界中の人間が生きていくのに必要な食糧は地球上に有るにもかかわらず、8億5000万人の人が慢性的な飢えに苦しみ、そのうち3億5000万人が子供達。毎日、栄養不足が原因で2万5000人もの人が命を落としている。登山をすること自体、金持のエゴイズムなのだろうか。

前回の農鳥山行に続き今回もハードな山行になってしまった。今、終えてから、何を得て、何を考えなければいけないのだろうか。
私に関していえば、まず何より人間としての五感が、より研ぎ澄まされているのは間違いないと思う。私の場合、特に音がより詳細に聴こえ、心の中へ深く入り込んでくるようになっている。そして自然への感動と恐れを感じ、生への喜びと死への畏怖を感じる。
天気ひとつで優雅なハイキングが死と隣り合わせの別世界へと変貌していく。また肉体的にも精神的にもちょっとしたネガティブなことには全く動じない心や身体が造られている。怒りをコントロールする能力は非常に重要だ、他人の為にも自分の為にも。
これらのことは、食物や空気と同じように生きていくためのエネルギー源で、心の栄養とでも言えるのではないだろうか。

大門沢の登り口に、昨年の5月に工事中だったダムが完成していた。しかし河は完全に遮断されたように見える。生態系の調査などは充分されているのだろうか。妻の実家の有る高知の山奥では、川にダムを造ったことで、川が変わってしまったと祖父が言っていた。権益やエゴ、狭い狭い世界に埋もれ目がくらんだ過ちでは無いのだろうか。
この100年の間に発展した科学や物理学は恐ろしいくらいめざましいもので、ほんの150年前には日本では丁髷をして腰に刀をさげていたのだ。
しかし、それと同時に人間の心は同じように発展したとはいいがたく、むしろ過去の賢者達が達していた発達した心とその導きを忘れてしまっているのではないか。現代の人間が今一番発達を望まれているのは心ではないのか。

しかし、ネガティブと考えられる部分では、あまりに小乗仏教的な考えで自分の修行だけ考え続け、自分だけ解脱を得ることができたらよく、他人のことは二の次三の次になってしまう。
私にとって登山は仕事ではなく、やり過ぎるとマイナス部分が顔を持ち上げてくるのでは。他の誰をも幸福に導くものでは無くなってしまうのでは。

山野井泰史氏が「技のデパート」「平成の牛若丸」の異名を持つ元大相撲力士、舞の海のインタビューに答えて

――単独登攀(とうはん)にこだわるのはなぜですか。
 チームワークがダメかもしれない。複数で登ると会話が入りますよね。右、左、今がチャンスと。会話すると下界に引き戻されるようで。山を見て、雲を見て、感触がいいなと思ったときに動き出したいんですね。それに、誰も助けてくれない負の要素があるからこそ、成功した時の感動が大きいことを知っちゃってますから。

 ――命をすり減らしてまで、どうして登るんですか。
 美しい山、未知の世界に触れてみたい、自分の肉体を試してみたいというのもあるけど、それだけじゃないですね。「ゾーン」というじゃないですか。集中して自分が普段持てないような力を出すとき。気持ちいいですよね。周り何キロにもわたって誰もいない。薄い酸素を吸って、強い紫外線を浴びて。空は水色じゃなくて紺色なんですよね。そうするとね、制御しなくてもゾーンに入りやすいんです。もしかしたら、今年もそれを味わいたくて、というのは少しはありますよね。普段じゃない自分を体験したい。

 ――危険に見合う報酬もない。
 家賃や電気代が払えないとなれば、お金が欲しいですけど、物欲がまったくないんです。たまに都会の雑踏を歩いていると、オレの方が楽しんでいそうだな、幸せだろうな、と思う時はありますよ。スポンサーをつけないのも、条件が悪ければ、引き返せる状態に常に身を置いていたいからです。登山そのものも、費用をかけなければかけないほど、質の高い登攀ができるんです。

◇世俗を超越した崇高さにめまい〈後記〉ファンの声援と約束された報酬がモチベーションとなるプロスポーツと違って、山野井さんの世界は孤独です。世俗を超越して、純粋に好きだから行為を営む、その姿勢に崇高さを感じ、めまいすら覚えました。(舞の海)

山野井氏は昨年の10月に熊に襲われ大怪我をされたようだ。かなり重症のようで、これからの人生でクライミングができなくなるかもしれないところまで気持ちが追い込まれたようだ。
しかし山野井氏は存在するし、彼の心や精神は山野井のままだ。もしクライマーとしての技術が半分以下になったとしても精神は山野井だ。
ひょっとして完全なまま、より過酷なクライミングをしていたら亡くなっていたかもしれないと考えることも十分できる。トップクライマーの多くは確かに死にすぎている。
表現の方法は少し変わるかもしれないが、山野井精神を今度はもうちょっとだけでも、より外の人々に向かって表現しても良いように思います。ひょっとして自然もそれを望んだのかも。

佐瀬 稔氏のインタビューに答え超人ラインホルト・メスナーは言う。

「生と死について私は3つのことを考えています。まず第一に死の危険の無いところには私は行かない。第二に、行ったら必ず死んでしまう、生き残れるのは偶然しかない、そういう場所にも行かない。たしかに死の危険はあるけれども、生き残れる可能性のある場所にだけ行く。そこで、あり得るかもしれない死に直面したとき耐える、対抗して生きていく、ということです。多分、私は誰よりも生きるのが好きな人間だろうと思います。死に直面したとき、生が非常に凝縮された形で味わえるのです。死は生の一部だと思います。死が生全体を支配している。死があるからこそ生きていられる。一度しか生きられないのだから、自分の好きなことを貫きたい。アルピニズムは、スポーツの埒外にあります。自分を表現するという意味で、むしろ芸術に近い・・・・・」

永遠たる自然のほんのすみっこの方で、少しだけ有意義なコミュニケーションをとらせてもらう。ほんの一部だが、その一部が永遠の自然と繋がっている。それをどの位感じることができるかは、どれだけ鍛えられた、囚われの無い心を持っているかが、重要なポイントになるのではと考えたりしています。
この6日間とても意義があり充実したものとなりました。この経験をしたからこそ、この力や可能性を得ることができたのではないだろうかと思っています。しんどい思いも随分しましたが、これに懲りず又しばらくして凍傷も癒え、4キロ近く落ちた体重も戻ったら、次の山行でもゆっくり考えたいと思います。ここまで長々とお付き合いしてくれた方、ありがとうございます。そして最後に、このスペースを提供してくれている管理人の matoyan さん大変感謝しています。

追伸  この草稿を書いている間にバラク・オバマ氏の大統領就任演説が行われている。1860年以前は奴隷としてアフリカで捕まり、動物のようにアメリカへ連れて来られ、人権どころか人間としてすら扱われなかったアフリカ系アメリカ人達、1862年9月にエイブラハム・リンカーン大統領によって行われた奴隷解放宣言によりアメリカ合衆国での奴隷制が廃止されることになる。しかし現実には、まだまだ社会での差別撤廃は遠く、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の出現により公民権運動へと加速していく。そして奴隷解放宣言からおよそ150年たった今、アメリカ合衆国の頂点に一人のアフリカ系アメリカ人が立とうとしている。確実に変化は進んでいるのだ。


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コメント

お疲れ様
雪が少ないですね。春に出かけた時は、雪沢山ありました。バーコンの頭もしっかりあり、バットレスもきれいでした。
年末はたくさん入るんですね。春は、2人だけでした。
2009/1/24 17:26
ありがとうございます。
riekoさん、お久しぶりです。

稔さんも元気でしょうか、

やはり正月という事でしょうか、多くの人が、といってもトータル20人くらい?の方達がいました。
その甲斐あって自分も予定のコースを辿れたのですが。
ただ北岳から農鳥岳までの稜線上は私を含め5人ではと思います。

いつもriekoさんの記録を参考に、、と思ったけど、どうも私にはちょっと速すぎ、、
荒川細沢から間の岳から農鳥岳 (沢登り)と相変わらず超人ご夫妻ぶりを発揮されていますね(またまた失礼)
近くに住んでたら修行に行きたいところです、、

今年もよろしく願いします。
2009/1/26 14:20
一気に読ませていただきました。
20代の頃を思い出しました。
ありがとう ございました。
気象通報を聞いて
天気図をせっせと書いて
冬山に登っていました。
何百枚も書くと
通報を聞いているうち
頭の中で天気図が書ける
ようになりました。
10年ほど前の五竜岳遭難事故
を思い出しました。
http://www.geocities.co.jp/Outdoors-Mountain/3557/

厳冬期縦走にはラジオが必須と思いましたが。
48時間以上のビバーグでは
ラジオが必須と思います。

気を紛らわすのではなく
気象状態の把握です。

第1級の寒波の中を
貴重な体験をされたと思います。
2009/3/4 19:49
長々と書いた長文にお付き合いいただき有難うございます。
1999年3月五龍岳遭難事故を、すこし調べさせていただきました。
大変勉強になりました。この時ここにいらしたのですか?
この時の風に比べれば、まだかなり軽い方だったと思います。
やはり1番の大敵は、まず天気だと痛感するところです。
自宅からのアプローチが遠いのも有り、北アルプス自体私は経験が無く、
冬は遭難もとても多いようなので、少しずつ近づいていこうと考えています。
これからも宜しくお願いします。
2009/3/6 16:06
五龍岳遭難事故
1973年頃
5月の連休に八方尾根・唐松岳
から五竜・鹿島槍・爺ヶ岳縦走した
時に春の嵐に遭遇しました。

また唐松岳診療所に顔を出していましたので
夏でも 五竜から鹿島槍で疲労凍死された人や 
転落死された方をみていますので
五竜岳の情報には敏感になっています。

記録を読んでいて 厳冬期 塩見岳 アタックで
膝ラッセルでフラフラになった経験を思い出しました。
私は早々アタックから脱落し塩見小屋に引き返しました。
帰途暴風雪になりアタック2名がかえってきたのは
かなり暗くなってからでした。

1973年には槍平で京大山岳部の
大量遭難があり知人(比良の沢登り名人)を失いました。
昨年の槍平の遭難も記憶に新しいところです。
http://yamayakenta.blog51.fc2.com/blog-entry-404.html
2009/3/6 17:46
山は不思議なところです
2008年1月1日槍平小屋の遭難は、当時の自分には
別世界のことでしたが、そろそろ調べたいと思っていました。

北アルプスなどの高山はもとより、山全般はその月々によっても過酷な条件のポイントが変わってくるので、より慎重な対応が求められますね。

しかし山は不思議な所です。このような過酷な目に遭っても、
懲りるといったことは無く、より過酷な条件を捜してしまうのですから。
何か大きなやむにやまれぬものが有るのでしょうね。
2009/3/8 9:41
プロフィール画像
ニッ にっこり シュン エッ!? ん? フフッ げらげら むぅ べー はー しくしく カーッ ふんふん ウィンク これだっ! 車 カメラ 鉛筆 消しゴム ビール 若葉マーク 音符 ハートマーク 電球/アイデア 星 パソコン メール 電話 晴れ 曇り時々晴れ 曇り 雨 雪 温泉 木 花 山 おにぎり 汗 電車 お酒 急ぐ 富士山 ピース/チョキ パンチ happy01 angry despair sad wobbly think confident coldsweats01 coldsweats02 pout gawk lovely bleah wink happy02 bearing catface crying weep delicious smile shock up down shine flair annoy sleepy sign01 sweat01 sweat02 dash note notes spa kissmark heart01 heart02 heart03 heart04 bomb punch good rock scissors paper ear eye sun cloud rain snow thunder typhoon sprinkle wave night dog cat chick penguin fish horse pig aries taurus gemini cancer leo virgo libra scorpius sagittarius capricornus aquarius pisces heart spade diamond club pc mobilephone mail phoneto mailto faxto telephone loveletter memo xmas clover tulip apple bud maple cherryblossom id key sharp one two three four five six seven eight nine zero copyright tm r-mark dollar yen free search new ok secret danger upwardright downwardleft downwardright upwardleft signaler toilet restaurant wheelchair house building postoffice hospital bank atm hotel school fuji 24hours gasstation parking empty full smoking nosmoking run baseball golf tennis soccer ski basketball motorsports cafe bar beer fastfood boutique hairsalon karaoke movie music art drama ticket camera bag book ribbon present birthday cake wine bread riceball japanesetea bottle noodle tv cd foot shoe t-shirt rouge ring crown bell slate clock newmoon moon1 moon2 moon3 train subway bullettrain car rvcar bus ship airplane bicycle yacht

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