馬蹄形から奥穂へトラバース。1泊2日テン泊涸沢岳西尾根‼?


- GPS
- 17:06
- 距離
- 22.0km
- 登り
- 2,492m
- 下り
- 2,506m
コースタイム
- 山行
- 5:22
- 休憩
- 0:13
- 合計
- 5:35
- 山行
- 10:53
- 休憩
- 0:34
- 合計
- 11:27
天候 | 月曜日は朝方は暴風も、徐々にサイコーの登山日和に。アタックした火曜日は、サイコーの天気も徐々に暴風に |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
2時間の林道歩きの後、びっくりするくらいの急登の涸沢岳西尾を行く。2350mに幕営、翌朝4時にアタックスタート。引き続きド急登で、ブラックのまま稜線に出る。危なげなトラバースで、蒲田富士直下の登りへ突入。フィックストロープが垂らされているが、触らず、アイゼンとクォークでしっかり登る。ここから、両側雪庇ゾーンに突入、右に左に雪庇を避け、雪庇のサイドが切り替わる所は、ナイフのピンピンを歩く。幸いトレースはガッチリで恐怖感は大分和らいだ。F沢のコルへのそれなりの下りをクライムダウン。そこから涸沢岳稜線に向けて、なが〜いルンゼを直登。アイゼンがあまり深く刺さらない固い雪面だった。稜線から涸沢岳へは普通の危険な稜線歩き。白出沢のコルへ下り、梯子を何個か登り、奥穂高岳直下の核心へ。雪が薄く、アイゼンがかかりにくいが、慎重に山頂へ! |
その他周辺情報 | 平湯の森 |
写真
感想
1.馬蹄形から奥穂へトラバース
長い冬休みの平日、「ただ谷川岳を見つめたくて」白毛門を目指した。あわよくば朝日岳まで行く気で鼻息が荒かったが、上信越の雪深さに撃沈した。
松ノ木沢ノ頭を越えてから、怒ラッセルが始まる。無意味なマジックマウンテンのラッセルEVOを履き、悶絶ラッセルの末、登山口から5時間もかかって白毛門に登頂した。山頂で、まだまだ先に続く稜線を見ながら、笠ヶ岳まで行ってみるかな?と欲が一瞬頭をよぎる。しかし、「お楽しみは厳冬期馬蹄形縦走に取っておくか...」と山頂を後にした。谷川岳を見つめるという目的を達成した満足感と、雪深い山域の恐怖感を感じながらの下山だった。
記憶がフレッシュなうちにレコを書き上げ、YAMAPにアップした。すると、てつさんから、厳冬期馬蹄形やるならスノーシューが必須なこと、また日程があえばラッセルを手伝いますよという嬉しいコメントをいただいた。早速、鉄板のMSRのライトニングアッセント22をGsMALLで購入した。少し前まで45,000円だったものが55,000円に値上がりしていたらしいが、その中間の50,000円で購入できた。得した気分になるのは登山者特有の病気だ。これを試すために、スノーシューの定番「乗鞍岳」を目指した。剣ヶ峰に登頂できれば国内3000m峰21座をコンプリートできるはずだった。スノーシューは順調にシェイクダウンできたものの、テン場の選定が愚か過ぎた。風の通り道で暴風になることで有名な「肩の小屋」に幕営してしまった。荒れ狂う北アルプスの高所の恐ろしさを思い知り、剣ヶ峰を諦め朝いちブラック撤退した。テント撤退って何や⁉?
てつさんから一緒に山行に行ってくれるという「ふんわりとした」オファーを頂いたと理解していた。なので、馬蹄形縦走に焦点を合わせ、オファーをコンファームすべしと、「ギリギリにお誘いしていいですか?」と聞いてみた。すると「ギリギリにお願いします」と返事を頂き、虎視眈々と晴れの2日を狙っていた。しかし、やはり上信越の山は天気が悪い。南アルプス、八ヶ岳、はたまた北アルプスまでもが晴天でも、谷川岳は雪マークだった。ましてや、2日続けてのピーカンはなかなか出現しなかった。厳冬期終了へのカウントダウンが始まり焦り始めていた2月の下旬、ずーっと雪の週末開けの月・火曜日(27、28日)がWINDYでピーカンなことに気が付いた。「ここしかない」と、てつさんに連絡を入れると、「馬蹄形やりますか?」。こうして、遂にレジェンドてつさんとのコラボ馬蹄形縦走が実行に移されることになった...と思っていた。土日にかけて降り続く雪を警戒し、ベースプラザからの山行スタートを少し早めの5時半とした。てつさんも「気合いでラッセルしますよ」と頼もしかった。
しかし、日曜日の朝、てつさんからの提案により、僕らは馬蹄形縦走を中止にすることにした。決定的な理由は、僕らが避難小屋泊する予定だった「清水峠」で土曜日に遭難発生!というニュースだった。降りしきる雪の中、金曜日に入山した40台の男女が大雪で行動不能になり、土曜日に救助を要請したという。ニュースをよく読むと、「清水峠の山小屋で1泊し、下山中に大雪で行動不能に。雪洞を掘ってビバークしている」とあったので、遭難した場所は清水峠ではなさそうだが、あまりにもタイムリーだった。また、この大雪では雪の状態が悪いことが予想され、特に朝日岳から谷川岳までの区間は、ラッセルしても時間が読めない。妥当な判断だった。
月・火曜日のピーカン予報は変わりようがない。ぽっかり空いた最高の2日を埋めるのは簡単だった。「涸沢岳西尾根からの厳冬期奥穂高岳」だ。少し前から今期中にやる予定で、調査を粗方終えていた。ヤマテンのピン固定もずっと穂高岳だったので、天気も土日から安定していることは分かっている。また、レコを検索すると、2月23日(祝)にソロの猛者が日帰りラッセルでトレースを付け、その後も土曜日にもう1人日帰りピストンしていた。その後降雪がないことを考慮すると、トレースが残っている可能性が大だった(実際には日曜日の未明にMt.taka22さんの死闘があったと知り、土曜日までのトレースは消えていたと下山後に知った)。
こうして、遭難ニュースで躓いたものの、馬蹄形からの奥穂高岳にトラバースすることになった。しかし、ルートの難易度、火曜日の暴風予想、そもそもの急なルート変更と不安は尽きない中でのスタートだった。こうした僕の不安は、いつものごとくアタック前夜のテントの中でクライマックスを迎えることになる。
2.涸沢岳西尾根
最近の山行はあり得ないブラックゴールが続いていた。特に1泊2日テン泊で挑んだ、池山吊尾根からの北岳はひどかった。夜叉神峠にゴールした時には午後8時半になってしまい、ほとほと疲れ果ててしまった。体力だけではなく、ブラックゴールになると精神的にやられてしまうのは僕だけだろうか?
今回は余裕を持った行程にしようと、6時に新穂高登山指導センター前駐車場に入り、6時半に山行開始を計画した。自宅近くの高速インターを午前2時半にくぐり、安定の20キロオーバーで6時到着を目指す。中央自動車道の制限速度が80キロなのは本当に妥当なんだろうか?前回、西穂高岳西尾根をやった時は、松本インターを降りてから程なくして、道路がブラックアイスバーンのようになった。案の定、道路を塞ぐ事故が発生し、道の駅「風穴の里」で1時間弱足止めを食らった。「厳冬期の北アルプス、道中も侮れんな...」と恐怖したが、やはりもう完全なる厳冬期ではないのか、今回は駐車場までほぼほぼ乾いた路面状態だった。
午前6時過ぎに指導センター前駐車場に着くと、まず驚いた。「えらい車入ってるな...。今日平日やで」。空きは十分にあったものの、8割は埋まっている印象だった。ちょうどその時、はす向かいの所に駐車している車の前で、男性2人パーティーが出発の準備をしていた。彼らは僕より少し先にスタートして行った。この後、この2人をずっと追いかけることになる。
ちんたら準備をし、6時45分頃、山行をスタートさせた。先ずは指導センターに入りトイレに向かう。センター内はしっかりと暖房が効いていて、トイレも極めてキレイだった。誰もいない(?)にも関わらず、ここまで至れり尽くせりの環境を用意してくれていることに、新穂高の懐の深さを感じる。建物から出て、右俣方面の矢印に従い進んでいく。ここから穂高平小屋までは西穂高岳西尾根と同じルートなので、さすがにのっけでも迷わなかった。
今回も穂高平小屋へのショートカット道の入口に全く気付かず、林道に沿って「くにゅっ」と大回りして歩く。林道は融雪が激しく進み、地面が見えている所も一部あり、沢筋からの激しい雪崩のデブリも2ヶ所ほど見受けられた。午前8時頃、約1時間で穂高平小屋に到着した。前回は土日だったせいか、ここで涸沢岳西尾根に行く男性2人組と会ったが、今回は先行者にも追い付かず、僕の後ろからも誰もやって来なかった。少し懐かしさを感じながら、「西穂西尾根新道」の黄色い道標の前まで歩く。牧場には薄いトレースが付いていた。前回、物凄くグロテスクな山容だと知った南岳、端正な中岳、正に富士山を思わせる蒲田富士(がまたふじ)を見ながら少し休憩する。
ここから、来た道をそのまま進み、白出沢出合、そしてその先の涸沢岳西尾根取り付きに向かう。静かな気持ちのいい林道歩きだったが、この林道にも激しい雪崩のデブリが完全に道を塞いでいる箇所があった。白出沢を渡る直前に地図では白出小屋のマークがあるが、そこには小さい雨量観測所しか見当たらなかった。また林道の左手には「トウヒ」の看板が掛けられた大木がある。西尾根の取り付きの目印は、これと同じ「トウヒ」の看板だ。明らかにここではないものの「トウヒある!」となぜか嬉しくなる。ここから白出沢の川原へはすぐだ。まだツボ足なので、ちょっとした雪の下りにも少し注意しながら降りていく。この川原も気持ちのいいスペースだった。上流側を見ると何やら厳つい岩峰が見え、下流側には真っ白な笠ヶ岳が見える。
白出沢を渡り、つづらに二登りして再び林道に乗る。するとそこからすぐに本物の「トウヒ」が現れた。取り付きには、トウヒだけではなく、ピンクテープがかなり目立つように何個も付けられていて、見落としようがない。この西尾根はそれ以降も、かなり丁寧にピンクテープが施されていた。なので、驚くほどの急登ではあるものの、バリエーションルートというよりも、冬の一般道という趣きだった。
23日にソロで登った若者の詳細レコに、「取り付きからアイゼン」が推奨されていた。途中にフィックストロープが出ている所があり、そこはピッケルも必須だという。とりあえずアイゼンは履くかと、ザックを林道から一段高くなった木の根っこに下ろした。ザックからアイゼンを取り出し装着していると、上から男性2人のパーティーが下りてきた。後ろの男性はガッツリとしたロープを肩から掛けている。思わず話し掛けた。「やっぱり、ロープ必要でしたか?」「蒲田富士山頂直下、奥穂高岳山頂直下の2ヶ所、合計30mを3回出しました」「あー...」「でも、うまければ要りませんよ。こっちは2人ですし、命あってのものだねなので😃」と後の男性がなんだか面白い。「まあ僕は独りなので頑張るしかないんですが...」と言うと、「まあ、そのクォークをぶっ刺してやれば😃」と、まだザックに付けっぱなしのクォークに彼はちゃんと気付いていた。「涸沢岳からF沢のコルへの下りが怖いんですよね?」と聞くと、「あ、でもそこはトレースガチガチなので、カニ歩きで、ちょんちょんちょんと行けば大丈夫ですよ」と少し安心させてくれる。土曜日に日帰りで行ったソロ男性のレコが日曜日にもう上がっていたので、その話をすると、「あー!あの速い人ね」とやはり誰だか分かったようだ。「日帰りで行くなんてすごいですよね?」と言うと、「いや、一泊だって大変ですよ、僕らは2泊なので」と、彼らは昨日(日曜日)にアタックして、今日は下りだけだという。西尾根はあまりにも急登で下りも大変なので、雪の状態がいい朝に下りられるように2泊の行程にしたと言う。「僕は帰りはヘッデンかなと覚悟してますが、そうすると雪の状態が悪いかもなんですね...」と言うも、面白い方の男性が、冗談で切り返してくれなかったので、ますます不安になる。結構長い間お話をさせていただき、「情報ありがとうございます。助かりました」とお礼を言い、彼らと別れた。
ここから先は、孤独に登っていく。確かにかなりの急登だった。2000m辺りで、例のフィックストロープが出てきた。ここまでより更に急登だった。ロープを掴めば何てことはないのだが、ロープはあまりしっかりしていない雰囲気だった。僕はまだストックだったので、結構ロープに頼りながら、長い登りを登り切った。「ふぅーっ、なかなかやな...」。ここで、この先も厳しいかもと思い、ストックをクォークと交換した。まだリーシュは付けずに行く。
その後も急登は続き、2200m近辺に来た。ここは少し平らになって、視界も開けている。右手には西穂高岳がはっきり見え、登山道を潰さずにテントを設営するのは少し厳しいが、眺望は上のテント場よりも良かった。この頃から少し左足に違和感を感じ始める。前回北岳で発生した「足に力が入らない症状」の前兆かもしれない、と不安に思いながら登っていく。
こういうテント泊のスタイルの山行では、からびなさんのレコをよく参考にさせてもらう。彼はいつも絶妙な場所にテントを張り、しかも余裕を持ってテント泊を楽しむ。いつもギリギリの僕とは大違いだった。その彼が去年にこのコースに来た時は、みんながテントを張る2350mではなく、もう少し上の2500m近辺に幕営していた。僕もそれに倣って2500mにテントを張ることを計画していた。そんな中、意外にあっさりと2350mの幕営地に到着した。テントが既に2張りあり、幕営跡が2、3箇所残されていた。僕より少し先に出発した男性2人のパーティーは、ここではなく更に上に向かったようだ。結局、最後まで彼らには全く追い付くことができなかった。足に違和感を感じ始めていたこと、また、幕営跡に張れるので殆ど整地が必要ないことを見て、しばし長考する。ここの眺望はそれほどではなかったので、2500mの眺望を確認したい気持ちはあった。しかし、2500mには既に2人が向かっており、かつ僕は、上に何張りいけるのか知らなかった。時刻はまだ12時になったばかりで、体力にはかなりの余裕を残していたものの、「明日の体調を万全にするには、今日はここで終わりにする方が得策ちゃうか?」と、ここでの幕営に気持ちが傾き始めた。決定的だったのは、ここは携帯の電波がバッチリ入ることだった。「これで明日の最新の天気予報をチェックできる」。ここに幕営をする決断をした瞬間だった。
幕営跡を少し拡張し、ステラリッジ2型のサイズ感に合わせた。雪質はまずまずで、ローカスギアのイーストン・ゴールド24とMSRのブリザードステイクが気持ちよく雪面に食い込んだ。レインフライの4か所のガイロープは、2か所を竹ペグ、2か所をクォークで留め、ビシビシにテンションを掛けた。テントの中に入り、ネオエアーXサーモにFLEXTAILGEAR TINY PUMPで空気を入れ、シュラフを広げた。エバニューの Alu Table/Fireの上にビールを乗せ、リラックスモードに入っても、まだ午後の2時だった。やはり理想的には、これくらいの時間にくつろぎ始めるのがベストだが、冬期は中々達成できない高い目標だった。久々に計画通りに行程を消化でき満足感が高かった。
午後2時半頃、ビールを飲みピーナッツを摘まみながらダラダラしていると、上から登山者が下りてくる音がした。開口部を谷側にしていたので、その登山者がテント場を横切り、更に下って行こうとする所で、やっと視界に入った。ソロの男性で、装備から日帰りだと分かった。「日帰りですか?タフですね!」と声を掛けると、満足そうに笑いながら「今日しか休みが取れなかったんです。さすがにくたびれました」と、いったん足を止めてくれる。「まあ、でも今日が一番の好天気ですから…」。雪の状況を質問すると、アックスとアイゼンはしっかり効くようで、奥穂山頂直下もアイスバーンにはなっていないらしい。今日は3組4人がアタックしていることも教えてくれた。しかし、午前中は風が強かったからか、トレースはすぐに消えてしまうところもあるようだ。彼にお礼をいい、お気を付けてと送り出した。
引き続きダラダラしていると、今度は午後3時過ぎにくらいに「あー!疲れた!!」と言いながら男女2人のペアが上から下りてきた。ちなみに、このテン場の上は怖いぐらいの急登で、テントを張りながら「これ...、雪崩大丈夫か?」と非常に心配だった。その2人はバリバリの山屋といった感じで、女性の方はYAMAP名が「コトリ」と言っていた気がするので、かなりの強者のはずだ。少し話をすると、「朝の3時」にテント場をスタートしたらしい。今が午後の3時過ぎだから、12時間もかかっていることになる…。「え!そんなに時間かかるんですか⁉?」と、驚いて尋ねた。そんなに時間がかかってしまっては、僕の1泊2日の行程は完全に崩壊してしまう。すると、「(月曜日の)朝はものすごい強風だったんですよ。蒲田富士の辺りもすごいことになっていて…。そこで怖くて前に行けないと撤退した人もいました。あと、僕らは写真撮りまくりで、奥穂の山頂に1時間もいましたし。僕らは遅いです」と若い男性の方が答えてくれた。あんたらみたいな山屋で12時間って…、普通のおっさんの俺はどんなけかかるんや…。「明日も強風なんですよね….」とびびりながら言うと、「まあ、とりあえず、稜線に出て判断するしかないですね...」。しかも、今日とは反対で、明日はどんどん風が強まる予報だった。この2人もしかりだが、このルートにいる登山者たちは当たり前のようにハーネスを着けていた。さらに、ほとんどのパーティーはロープも携えていた。「また俺、場違いな場所に来てもうてる...」。どんどん悲観的になり、劔岳に11月にチャレンジした時と同じ疎外感を感じていた。「これ、1泊2日はどう考えても俺には無理ちゃうか?何しに来たんや...。どうせ奥穂にたどり着かんねやったら、もう朝イチ逃げようかな」と、厳冬期に塩見岳にチャレンジし、半泣きで三伏峠避難小屋にヘッデンで駆け込み、翌朝一番、小屋から逃げ帰った記憶も甦る。スーパーブルーになりながら、「まあ、できることは全部やろう。帰りの時間をセーブするためにスタート前に撤収終わらすべきやな」。朝方はまだ暴風ではない予報(瞬間最大風速26mくらい)だったので、「スタートも蒲田富士の両側雪庇怖いけど、4時にするか...」。おじいさんのように午後6時にシュラフに潜り込んだ。
3.やれるのか?奥穂高岳!
何時に目覚ましを掛けるのか悩んだが、午前1時半にした。朝食をとり、テントの撤収を完璧に終わらせ、4時にスタートするのにギリギリの時間だった。一晩中、やたらとテント場の上の斜面から氷のようなものが落ちてくる音、それとなぜかテントの屋根に雪の塊が当たる音がしてあまり寝れなかった。また、極度の不安も影響していたのだろう。朝食を食べ2時半には撤収を始めた。幸い、今回は北岳で起こったようなふくらはぎの鈍い痛みは出なかった。やはり、涸沢岳西尾根はのっけからびっくりするような急登だったものの、このテン場まで距離が短く、体力を温存できたからかもしれない。またビールも350ml1缶で我慢し、ウィンナーを諦めフライパンも置いてきたので、荷物もいつもより少し軽かった。
4時前には完全にパッキングを済ませた。撤収をしながらアタックザック(バランスライト20)にも必要な装備を準備し終えていた。最後にBDのクーロワール(ダイアパー型ハーネス)を履き、クォークのリーシュをビレイループにガースヒッチで取り付ける。使い方もよく分からないのに、ギアループに120センチスリング2本とカラビナ数個も適当に引っ掛ける。最後の作業にもたつき、4時を少し過ぎてのスタートになった。「とりあえず行ける所まで行ってみよう。アカンと思ったらすぐ撤退や...」
テント場からすぐの急登を登って行く。恐ろしい斜度で、ここをテントを担いで2500mまで行き、幕営するのはかなり大変そうだ。急登は延々と続き、その2500mの幕営地に到着した。そこには例の先行者のテントが2張りあった。2350m地点と違って、非常に狭いスペースで2張りがやっとの様に見えた。しかも、それほど平らでもなく、眺望も2350mの方がマシだと思った。携帯の電波が入るかどうかは確認しなかったが、2350mで幕営したのは英断だったようだ。もし先行者が2350mに幕営していたらと思うとぞっとした。
2500mを超えると再び急登に戻り、樹林帯を抜け真っ暗な稜線に上がった。時刻は5時を少し回った頃だったが、ありがたいことに予報に反してほとんど風がなかった。危なげなトラバースを越え、最初の難所、蒲田富士の山頂直下の登りにやって来た。この登りには上からフィックストロープが垂らされていたが、アイゼンとクォークはがっちり効いたので、ほとんどそれに触ることなく登ることができた。ただ登りが思ったよりも長く、集中力を切らさないようにだけ気を付けた。
蒲田富士の頂上を越えると、雪庇ゾーンだ。F沢のコルへ向けて、雪庇を右に左に避けながら進んで行く。雪庇の左右がチェンジする変わり目では、ナイフリッジのピンピンを歩かないといなかった。正に、両足分のスペースしかなく、まだ暗闇の中を慎重に進んで行く。しっかりと付いたトレースがありがたかった。少し前から前方にヘッデンの明かりが2つ見えていた。恐らく昨日の先行者だろう。彼らは僕よりもいつも1時間ほど先に行っている感じだった。F沢のコルにかけての「問題のない?」急な下りを下りていく。僕はカニ歩きが苦手で、不安になるとすぐにクライムダウンに切り替えてしまう。クライムダウンすると安心感はぐっと増すのだが、体力は一気に奪われる。やはり、少しずつカニ歩きも練習して得意になった方がいいだろう。
にゃーおさんの記録ではF沢のコルにテントを張っている写真があった。風が恐ろしいが眺望は最高なので、テントを担いでくるガッツがあれば最高の幕営地だろう。コルから涸沢岳に繋がる稜線への登りは中々に長く厳しい。ルンゼ状の雪原を登って行くのだが、かなり雪が固く、アイゼンを蹴り込んでも浅くしか爪が入らない。僕は帰りの自分のために、先行者がアイゼンで付けたくぼみを大きくするように、更にそこを蹴り込みながら登って行った。ちなみに、西尾根の取り付きで会った面白い登山者が言っていたような、「カニ歩きできるような」トレースは残されていなかった。なので下山時はこの長いルンゼ下りを全部クライムダウンしてしまった。
ルンゼの途中くらいから明るくなり始めた。足場をがっちり固め、体をひねって後ろに見える真っ白な笠ヶ岳を見つめる。笠ヶ岳の左手には壮大な白山もしっかり見える。澄んだ空にはビーナスベルトが現れていた。天気は最高なものの、恐れていた通り、風は暴風へと変わってきていた。これを警戒してバラクラバを付けてスタートしていたので、それほど苦しくはなかったが、ゴーグルを付けるタイミングを見計らっていた。長いルンゼの登りを終え、再び稜線に乗った。登り切った所に眺望ポイントがあり、赤らみ始めた空を背景に、とてつもない岩峰が目に入る。北穂高岳だった。なんちゅう厳つさや…。また視線を左に移すと、槍ヶ岳までの稜線の曲線に目を奪われる。強風に煽られながらも、しばらく見入ってしまう。と、そんな時、すぐ後ろに新たなソロ登山者がものすごい勢いで迫ってきているのに気が付いた。かなり軽装の女性だ。更に驚いたことに、ストックであのルンゼを登って来たようだ。「クレイジーやな…」。いや待てよ、こんなクレイジーな女性のソロ登山者って日本に1人しかおらへんよな。そう、彼女はインドさんのレコで常に登場すると言っても過言ではないボッチさんだった。やはり、こういう危険な絶景ルートに来ると、必然的に登場人物は限られてくる。実は彼女に会うのは2回目だった。去年の4月中旬、遠見尾根から1泊2日で五龍岳に登頂した。ヘロヘロになりながらリフト降り場に辿り着いた時、そこにいた女性に写真を撮るように頼まれた。彼女はかなり軽装だったので、遠見尾根のハイキングかな?と思いながら、スマホで写真を撮ってあげようとすると、その瞬間、彼女はくるっと後ろを向き、よく分からない万歳・片足上げポーズをした。「変わってんな…」。その人が「日帰り」五龍岳ピストンをしたボッチさんだと気付いたのは何か月も経ってからだった。
ますます風が強くなるなか、先ずは涸沢岳を目指す。僕が写真を撮っている間に、当然だが彼女にパスされる。しかし、彼女はよく分からないが、しょっちゅう小さいザックを下ろし、ガサゴソやっている。仕方がないので、無意味だがまた抜き返した。少し進むと、彼女も歩き始めたので、後ろを振り返り、「先、行かれますか?」と声を掛けた。少し崖側に寄り道を開ける。僕の横を彼女が通りすぎる時、「ボッチさんですよね?よく、レコを見てます🎵」とまるで「よく(テレビで)見てます」と芸能人に言うように声を掛けた。「はい、どうして分かるんですか?」と聞かれ、「いや、こんな所までストックだけで来る人、他にいないでしょう😅」。彼女はあっという間に小さくなって行った。ザックにはピッケルが一本くくり付けられていたが、奥穂高岳山頂直下ですれ違った時もストックだった。「クォーク、ホンマに必要やったんかな...」
涸沢岳までは特に「問題ない」危ない道を行く。実際歩きにくい所はあまりなかった。「本物の」山頂標識まで登山道から上に上がり、360度を眺める。眼下にはほぼ雪に覆われた穂高岳山荘が見える。スーパーブルーだった昨日の夜、各チェックポイントでヤマレコの計画書にある時刻を少しでも遅れたら、即撤退しよう決めていた。しかし、少し早めに出たこと、また道が思った以上に歩きやすかったことで、ここまで1時間の貯金ができていた。最悪涸沢岳までと思っていたが、奥穂高岳への挑戦権を得たようだ。
夏でも歩きにくい白出沢のコルまで慎重に下りていく。コルでまたボッチさんがゴソゴソしているのが目に入った。ピッケルをさすがに出すのかな?と思ったが、彼女はストックのまま階段を登り始めた。「いったい、いつピッケル使うん?」。僕もコルにやって来た。冬期避難小屋と書かれた木の柱にはスコップが取り付けられていた。猛烈に埋もれている建物と、半分ほど埋もれている建物があり、いまいちどちらが避難小屋なのか分からなかった。
少し前からゴーグルを付けていたが、付け方が悪いのか所々曇ってしまい、少し視界が遮られるがそのままコルからアタックを開始した。夏でも少し嫌らしい梯子を何個か登って高度を上げる。その梯子の上からが山頂直下の核心だ。雪質は悪くなかったので、阿弥陀岳の中盤くらいの難易度に感じた。登りよりも下りが痺れるパターンだ。雪が薄い所も多かったので、慎重さは要求される。
そこからは暫く普通に歩ける道になり、安心していると、その先にシュカブラが入り乱れるクリーミーな急登が目の前に見え始めた。そこを、ちょうど例の先行男性パーティーが、慎重に下りて来ていた。「マジ...、あれ登るん?😨」。近くに行くまで足場の感じはよく分からなかったが、少なくとも下からはかなり危なげに見えた。先行パーティーはあっという間に下りてきて、その登りの大分前でやっと彼らとすれ違うことができた。「お気をつけて!」と声を掛けてくれる。僕も軽いザックで行動していたのに、こんなに追い付けないなんて、かなりの強者だなと思っていたら、彼らはYAMAPでも有名なじゅん1さんとコウチンさんだと、後から知ることになる。どうりで全く追い付けないわけや...。
少し行くと、ボッチさんも「ストック」でその危ないクリーミー斜面を下りているいるのが見えてきた。彼女もあっという間に下りてきて、すれ違う。そこに向かう途中から少し道が難しくなる。トレースは強風ではっきりせず、自分でルートを考えながら登っていく。幸い、クリーミー斜面は登りはそれほど難しくなかったが、下りは少し痺れる。先行者達は前向きで下りていたが、僕は勿論クライムダウンした。
そこを、越えるともう奥穂高岳山頂はすぐだった。久々に見る山頂の祠が遂に目の前に現れた。物凄く心配だった割には、みんなの助け(トレース)のおかげで、かなり余裕を残しての登頂だった。それでも、暴風の誰もいなくなった山頂で、独り「俺にもできた!」と嬉しさがこみ上げる。勿論、祠の上に立ち、渾身の力で何度も吠えた。前方には、ジャンダルムが静かに佇む。どこを見ても、堪らない光景に溢れていた。どんどん風が強まる予報だったので、早く退散するべきとは分かっていながらも、なかなか山頂を後にできなかった。
涸沢岳西尾根、もしトレースがなかったら2泊でもやれたかどうか...。特に雪庇が左右チェンジする蒲田富士の先はかなりの恐怖感だろう。雪の状態がよく、アイゼンとクォークはがっちり効いたので、他の難所はなんとかなりそうに感じだが、この雪庇ナイフリッジだけは初見では非常に難しいような気がした。「まだまだ何にも分かってないわ...」。でも、だからこそ、また来たくなるような、そんなルートだった。
いやぁ、、クレイジーなぼっち🦍です😁
普通だと思っていたのですが、違ってたんですかね??
必要な時はピッケルを出すのですが、、、あれ?!
見習ってはいけないハイカーですね😭
56.57枚目あたり、すごく綺麗でしたよね!私は電池はないし凍結しそうで写真が撮れなかったから、レコアップを楽しみにしていました😊
期待通り素晴らしい写真をありがとうございました😊
インドさんのこともご存知なのですね。これからもよろしくお願いします😊
こんばんは!いえいえ、普通の人にとってはという意味です🎵ダブルアックスが飾りに感じてしまいました😃 みんなが必死で蹴りこんでいたトラバースをチョンチョンと進んで行ったボッチさんのすぐ後を歩くと、僕もチョンチョンと歩けてしまいました。よろしくお願いいたします!
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