大峰奥駈道縦走(逆峯)
- GPS
- 56:31
- 距離
- 105km
- 登り
- 8,062m
- 下り
- 8,143m
コースタイム
- 山行
- 1:40
- 休憩
- 0:01
- 合計
- 1:41
- 山行
- 13:24
- 休憩
- 1:53
- 合計
- 15:17
- 山行
- 9:15
- 休憩
- 1:14
- 合計
- 10:29
- 山行
- 9:33
- 休憩
- 0:58
- 合計
- 10:31
- 山行
- 9:59
- 休憩
- 1:07
- 合計
- 11:06
- 山行
- 6:10
- 休憩
- 0:57
- 合計
- 7:07
天候 | 27日:曇り、28日:晴れ、29日:曇りのち雨、30日:雨のち曇り、1日:雨、2日:晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
登山道としての整備は行き届いてると思います。道標やピンクテープもたくさんあります。特に南奥駈道は新宮山彦ぐるーぷの皆様が整備してくださっています。とはいっても、もともと険しい道なので気軽には考えないほうがよいと思います。今回は、雨の中で釈迦ヶ岳や地蔵岳を通過する必要があり、かなり神経を使いました。 |
その他周辺情報 | 吉野の旅館で素泊まりをしたのですが、吉野の夜に食事のできる場所はほとんどありません。熊野本宮大社の近くのわたらせ温泉大露天風呂には、コインランドリーも設置されています。熊野本宮大社からはバスもありますが、本数が少ないのでタクシーを利用しました。 |
写真
感想
なんとか無事に終わりました。感想というより記録として書き綴りました。
<準備>
2年前に奥駈縦走を目標にいろいろと調査、計画を進めた。1年前のGWに挑戦する予定だった。荷物が重くなるので、1週間前に21世紀の森から持経ノ宿まで縦走装備で1泊のピストンで試走した。しかし、全くダメで笠捨山で引き返した。そして、その年の縦走は断念した。結果として、極力軽量化に心がける必要性を実感した。
今回、テントはツェルト、レインウェアも超軽量のもの、ストックもカーボンの軽量のものにした。食料に関しては、日頃の日帰り登山では昼食と少しの行動食だが、今回はカロリーウエイトレシオの高い行動食を選んだ。ブラックサンダー、カロリーメイト、柿の種を選んだ。朝食と夕食はモンベルのリゾッタ、サタケのマジックパスタ、カレーヌードルにした。ザックも45Lのものにした。シュラフや衣類は、防水スタッフバッグにギュウギュウに圧縮した。日頃の登山でも時々膝が痛くなるときもあったので、膝テーピングも準備した。
日頃は自動車通勤、デスクワークで一切運動をしていないので、トレーニングを兼ねて3月末から毎週末、日帰り登山を続けた。1週間前の週末は、太尾登山口から平治ノ宿までツェルト泊のピストンで試走した。天気予報で2日目は雨とわかっていたので、リハーサルとして好都合だった。日頃は天気予報で雨とわかれば絶対に山には行かないのだが、奥駈縦走で雨がふらないことは想定できない。本番装備で雨の中でも歩けそうなことが確認でき、実行することとした。また、かくし水と持経ノ宿の水場には十分に水があることも確認できた。
<1日目>
大阪北部在住なので、始発で吉野に向かうと8:30スタートになる。これだと小笹まで到着できるか微妙だった。なので、吉野で前泊して、早朝スタートとした。ただ、吉野の旅館で一人で泊まれるところは多くないし、前もって予約して天候不順でキャンセルするのも申し訳ないので、直前に予約することにした。予約できなかった場合は金峯神社脇の休憩所で宿泊しようと考えていた。しかし、幸運にも「美吉野 桜庵」さんで予約ができた。素泊まりだったので、夕食と朝食を手配する必要があったが、吉野のレストランは基本昼食向けで夕食はほとんどやっていない。Googleマップで探すと近鉄吉野神宮駅のそばに来来飯店があった。登山前のスタミナを付けるのにもってこいの中華料理屋だった。朝食は吉野で柿の葉寿司を購入する予定だったか、夕刻になると売り切れる場合もあるそうで、安全のために事前に購入することとした。しかし、頭の中で柿の葉寿司でイメージができていてどうしようかと悩んだが、吉野に向かう途中で利用する近鉄丹波橋駅の構内に柿の葉寿司の売店があることを思い出し、そこで購入することとした。午前中、自宅で装備の点検をし、お昼ごろに家を出て、丹波橋で予定通り柿の葉寿司を購入した。隣のパン屋のパンも美味しそうだったので翌日の行動食としてクルミアンパンも1つ購入した。ザックには入らないので、手でもった。翌日からが登山本番で1日目はゆっくりできるので、六田駅で降りて柳の渡しから吉野までお散歩気分で歩いた。ただ気温が高く、汗だくになった。吉野神宮まで一部山道を歩くのだが、倒木が行く手を遮っており、道を間違えたかと思ったが正解だった。あまり使われていない山道かもしれない。吉野神宮で道に迷っている外国人のおばさんに吉野神宮駅までのルートを教えてあげた。旅館のチェックインが16時でそれまで少し時間があったので、吉野山無料休憩所で時間を潰した。「美吉野 桜庵」さんはきれいで快適な旅館だった。チェックインして、ちょっとだけゆっくりして来来飯店まで電車で行った。17時オープンを待っていたのに気づいてくださり、少し早めに入れてもらえた。メニューはどれも美味しそうで選択が難しかったが、翌日からのことを考え、スタミナラーメンにした。とても美味しかった。帰りは電車のタイミングが悪く、旅館まで1駅歩いた。旅館に戻って、すぐお風呂に入った。お風呂も快適だった。サービスで草餅をいただき、19時ごろに就寝した。
<2日目>
この日の目標は行者還岳避難小屋。最低でも小笹。吉野から洞辻茶屋までは昨年10月に8時間で歩いていた。洞辻茶屋から小笹までコースタイムが1:44、行者還岳避難小屋まで6:17。順調に歩けば、小笹までなら6時スタートでも問題なし。しかし、行者還17時着を目標にすると、3時スタートの必要があった。心地よい布団で早く就寝したので2時前にバッチリ目が覚め、朝食をとって2:30にスタートできた。水分はアクエリアス500mlを2本。登山届はメールで奈良県警に提出済みだが、吉野の駐在所でも紙の登山届を提出しておいた。金峯神社まで暗い舗装路を歩き、少し休憩した。ここから山道と舗装路を行き来し四寸岩山の登山口まで来た。ここから四寸岩山まで300m登って200m下って、大天井ヶ岳まで400m登る。四寸岩山への上りの途中で夜が明けた。晴れの良い天気になりそうだった。途中、二蔵宿で休憩中に一人の方に追い抜かれた。その方はとても速かった。洞辻茶屋着が10:30と前回と同じ時間で歩くことができ、行者還まで行く覚悟をした。しかし、洞辻茶屋手前からペースが落ちていた。暑いのと水分補給をセーブしていたからだと思う。これまで洞辻茶屋で売店が開いていたことはなかったが、開いていてコーラを買って飲むことを妄想していた。実際は開いていなかったが少し休憩した。その先の松谷清造本舗の大峯山茶屋が開いていて、これでコーラが飲めると思ったが、飲み物は売っていなかった。しかし、お店のおじさんが個人品の缶コーヒーを譲ってくれた。とてもありがたかった。山上ヶ岳山頂でも少し休憩して、小笹に向かった。小笹では水をがぶ飲みした後、1Lを給水した。多くの虫に取り巻かれ、2箇所噛まれた。5/3時点でもまだ腫れている。給水したおかげで、小笹以降はペースが戻った。大普賢岳への200mの登りも普通に歩けた。大普賢岳と七曜岳の間も何度も歩いたことがあるところで、鎖場もあるのだが、険しいというより楽しいという印象を持っていた。ただ、今回は険しいと感じた。稚児泊でテン泊の準備をされている女性の方がいた。その方が出会った方から聞いた話だと、行者還の水場は枯れている可能性がある。ただ、上流に行くと出ているかもしれないと。その時点で水は800ml程度残っていた。弥山で水を購入できるのは知っていたので、セーブすればなんとかなるとは思った。実際には、行者還の水場は上流に行けば十分に水があった。十分に給水し、避難小屋に行った。小屋には4名の先客がいた。大小2部屋あり3,1名で入っていたので、1名の方に入った。その方はこの日の4時吉野発で3泊で縦走する計画だった。翌日も私より遅く出たが、途中で爆速で抜かれた。もしかすると、私を二蔵宿で追い抜いた方かもしれない。夕食はマジックパスタ。夜は寒くなく、シュラフを毛布のようにして寝た。
<3日目>
3時頃に起床し、カレーヌードルを食べた。準備を済ませ、4時前に出発。天候が崩れることがわかっていたので、その前に行けるところまで行きたいと考えた。この日の目標は、できれば持経ノ宿、悪くても深仙ノ宿。問題は、深仙から持経まで5時間かかること。しかも水場もない。深仙に午前中に到着しないと持経には行けない。これはかなり飛ばさないと難しいのはわかっていた。
行者還から弥山までの山道は、何度も歩いているが、非常に気持ちが良い。道迷いの心配もない。それでも暗いうちは慎重に歩いた。聖宝ノ宿跡から弥山山頂まではいつも1時間はかかるのだが、今回は50分で歩けた。最速記録だ。気温が低かったのと、昨晩十分な休息が取れたからだと思う。それでも行者還小屋で一緒だった方には一瞬で抜き去られた。弥山小屋ではコーラと水1Lを購入させていただいた。楊子ノ宿の水場が確認できていないので念の為。残念なのは、弥山神社に立ち寄るのを忘れたこと。空身だと往復3〜4分で行けるのに、先ばかり考えていた。八経ヶ岳にも余裕で登れた。山上ヶ岳にも多くの登山客がいたが、弥山と八経ヶ岳への登山者もそれ以上に多かった。八経ヶ岳から楊子ノ宿までは緩やかに300m下る。ただトラバース道が崩落しているところが何箇所かあったり、激下りがあったりで、ペースがひどく落ちた。また、天川川合登山口に向かう分岐にて、不注意で(下ばかり見ていたので)そちらに行ってしまった。道のイメージはできていたので、すぐに気づき引き返した。また、楊子ノ森の下り基調のトラバースは初めて通るところ(過去に七面山に向かうため山頂経由の道は通ったことがあった)なのだが、安全な楽勝の山道をイメージしていた。しかし実際は急斜面に細い道を刻んで付けたもので、通過には気を遣った。楊子ノ宿小屋で少し休憩したが、このあたりから小雨がぱらつきだした。ここから釈迦ヶ岳まで200mの登り返しである。仏生ヶ岳と孔雀岳を越えるまでは緩やかな山道で歩きやすい。この日は朝から雨装備をしていたがレインパンツだけ履いていなかった。孔雀岳付近から釈迦ヶ岳まで背丈の低い笹が山道にかぶさっており、以前、晴れていても朝露で靴の中がぐっしょりと濡れたことがあった。なので、それほど雨はひどくなかったが早めにレインパンツも履いた。ところがこの後、雨風が強くなり、釈迦ヶ岳への最後の登りの一番厄介なところを風雨の中通過しなければならなかった。すでに、この雨の中を持経まで歩くのは困難と判断し、深仙をゴールと決めていたので、慌てずにゆっくり慎重に歩いた。釈迦を超えた後、かくし水まで下り、そこで大量に水を補給し、深仙までトラバース道を進んだ。深仙小屋には御夫婦の登山者がすでにいらっしゃった。小屋の中をきれいに掃除してくださっており、とても助かった。濡れた衣類などを干して(といっても乾かないが)、寝床を整えた。後から数名の方がやってきて、最終的には6名が小屋泊をしたと思う。途中で入るのを諦めてテントを張る方もいた。しかし、雨風がひどく大変だったと思う。夕食にマジックパスタを食べた。夜中は雨風の音が強く、翌日の天候を心配しながら寝た。
<4日目>
4時頃から起き出して準備を進めたが、濡れたものが多く、さっさと動けない。朝食はリゾッタを食べた。御夫婦の方は準備の手際が良く、さっと出発された。天気は曇り。この日、古屋の辻まで進んで登山口まで降りると水と東屋があり、翌日中にゴールするのも可能だが、7割方諦めており、行仙宿を目指すことにした。この日もレインパンツ以外は雨装備で出発したが、笹薮の存在を思い出し、出発して100m程度のところでレインパンツも履いた。深仙で一緒だった方には一人を除いてすぐに追い越された。平治ノ宿までは1週間前に往復歩いているので、イメージはバッチリできている。深仙から持経までは450mも下るので、楽なように思える。しかし、長くてしんどいイメージだ。ボスとなる大きなピークはないし、危険なところもほとんどないが、小さなピークを何度も何度も超えなければならない。偽ピークにも何度も騙される。天狗の稽古場のような、晴れていると気分が上向く場所も多くあるのも事実だが、すぐに雨が降り出し面白くない。なので写真もほとんどない。一つ良かったことは、1週間前の雨の際に、靴下までぐしょぐしょに濡れる経験をしていた。2年前の白山縦走では初日に靴の中が濡れ、以降、靴下を変えてもずっと足が濡れたままで、気持ちが悪いだけではなく、マメができて歩くのも辛かった。今回は対策として防水ソックスというものを知って、アマゾンで購入し持ってきた。これの効果があった。持経までの最後のピークである阿須迦利岳を通過すると、後は200m下るだけ。持経には簡単にたどり着ける水場もあるので、ここまで来ると気分は楽になる。持経には誰もいなかったが、大量のコーラの空きペットボトルとコーヒーの空き缶があった。有料販売をしていたようだ。どこに保管しているのか、小屋の内外を軽く探したがなかった。多分売り切れだったと思う。非常に虚しい気持ちになった。水場で給水し、気を取り直して進んだ。平治に到着する頃には雨も上がっていたと思う。平治には深仙で一緒だった方が休憩から出発の準備をしていた。私も少し休憩して行仙に向かった。このころから時々晴れ間が見えるようになり、気分は上向いた。しかし、平治から行仙までは3時間強の行程で370m登って370m降りる結構タフな道だ。このあたりから大きな独り言を言いながら歩いていたと思う。この日の最後に登るボス山である行仙岳の山頂には電波塔があるのを知っている。それが見えると絶対に偽ピークではない。それを探しながら歩き、最後に見つけたときは嬉しかった一方、結構遠いのと標高差も100m近くあるので疲れも出た。ブラックサンダーに力をもらって、なんとか登りきった。行仙宿は多くの人で賑わっていた。深仙小屋の中はお通夜の雰囲気だったが、ここは違った。オアシスだった。小屋番のおじさんとおばさんがいて、至れり尽くせりのおもてなしがあった。今回縦走を達成できた要因の一つは間違いなくこのおもてなしの存在だった。持経でゲットできなかったコーラは3本も頂いた。夕食にはパンケーキや豚汁のサービス(おかわり付き)もあった。ラーメン(麺職人柚子しお)も頂いた。お湯も準備くださった。濡れた衣類や靴はストーブで乾かしていただいた。小屋番のおじさん、おばさん、縦走されている皆さんと楽しいお話もできた。勇気をたくさんもらった。よく眠ることもできた。(私はいびきがうるさいので、他の方には迷惑をかけたかもしれないが、、、)
<5日目>
朝4時に電気が灯り、皆起きた。小屋番の方がお湯を準備くださったので、助かった。リゾッタを食べて、出発の準備をした。靴やレインウェアも乾いており、助かった。自分としては手際が良い方と思っていたのだが、思い違いだった。他の方々のほうが先にどんどんと出発した。重いカメラを担いでいたお兄さんだけのんびりしていた。昨日はきれいな夕日を見れたので、晴れたら良いと思っていたが、そんなことはなかった。出発時点では曇りだったが、すぐに雨になった。この日は夜まで止まなかった。昨晩、玉置神社駐車場売店のうどんが話題となった。昨日は15時には売り切れだったという情報が入っていた。皆、急いでうどんを食べようということで盛り上がった。ということで、本日のゴールは、玉置神社ではなく、玉置神社駐車場売店のうどんとなった。以後、うどんが頭から離れなかった。
笠捨山まで標高差300mは急登だったが順調に登ることができた。その後は古屋の辻までは通ったことのある道で700mの下り。しかし、地蔵岳という高くはないが長い鎖場などがある険しい山が控えていた。雨だったので慎重に通過した。その後の古屋の辻までの下りと、玉置山までの400mの登り返しは良いペースで歩けた。雨で体温が上がらずよいコンディションを維持できていたからだと思う。新しく買ったレインウェアは高価な分、性能も良い。雨は通さないし汗は逃がしてくれる。ただ、歩くのを止めると一気に体温が下がって歩けなくなりそうだったので、休憩は取らなかった。玉置山展望台の東屋で初めて休憩をとった。レインウェアの下に1枚着込んだ。山道の横に舗装された林道が走っており、安心感があった。玉置山神社に到着すると、雨にも関わらずそこそこの参拝者がいた。険しい階段の参道を傘をさして歩いているのが大変そうだった。丁寧にお参りを済ませ、神社の方にお礼を言って水をたくさん頂いた。その後、意気揚々と駐車場に向かった。ところがなんと定休日でうどんはなかった。かなり落ち込んだ。仕方ないので自動販売機でコーラを買おうと思ったら小銭が少なく、1000円札もない。なんとか緑茶を買うことができ、味わった。雨も降っていて、ツェルトは自立したいので舗装された駐車場には不適である。電波も入って夜には雨も止むようなので、雨が止むまで進もうと思った。体の調子はよいので、最後のボス山である大森山を越えておきたかった。そうすれば、明日は楽勝だと考えていた。標高差250mの大森山を登っていると、対向の登山者から大森山の山頂はテント張れるとの情報を得たので、そうしようと思った。時間的にも良い感じだった。ところが、山頂につくと、強い風が吹く抜けていた。ツェルトが風に弱いのは実は1週間前に経験していた。夜中につぶれては悲惨なことになる。そこで、少し下って風が弱そうなところでツェルトを張ることにした。まだ雨は降っていたが、なんとか設営できた。気温が下がっていたので、暖かく着込んでシュラフに包まって速攻で寝た。夕食は食べなかった。夜に通過する登山者が何人かいた。意外なところにツェルトがあって驚いた方もいたと思う。一人の方には声をかけていただいた。「明日、降りるだけですので」と返した。しかし、暗い中、あんな山道を歩ける人はすごいと思う。気温はかなり下がっていたと思うが、暖かく眠ることができた。
<6日目>
3時過ぎに起床した。最終日、体調も悪くなく、筋肉痛も膝痛もない。膝サポーターの効果は比較実験ができないのでわからないが、痛みが出なかったのは事実である。毎日使ってよかった。朝食はカレーヌードルを食べた。お湯を入れる前にシュラフマットの上で容器を倒し、シュラフマットがカレー粉まみれになった。最終日で良かった。大森山から熊野本宮大社まで、12km、500m登って、1500m降りる。コースタイム6時間。すぐというわけではないが、午前中のゴールを目指し、4:30に出発した。電波が入ったので、ゴール地点付近の情報を調べていたら、わたらせ温泉大露天風呂にはコインランドリーが併設されていることがわかった。家族は私の遭難を心配していたが、同じくらい帰路のバスや電車での臭いを気にしていた。温泉とコインランドリーは最強の組み合わせだ。しかも、うどんもめはり寿司もある。気分的なゴールは、わたらせ温泉になった。小さなピークをいくつも越えながら、右手に時々熊野川を見ながらもくもくと歩いた。大鳥居が見えたときには、すごく嬉しかった。河原に降り立った。川を歩いて渡りたい。でも浅そうなところが見つからない。上流にありそうだったので、川岸の苔むした岩場を越えていった。今回の山行で一番難しいところだった。バランスを崩しお尻でトレッキングポールを踏みつけた。見事に折れた。「ここまで来て」とも思ったが「ここで良かった」とも思った。結局、上流にも渡れそうなところを見つけることはできず、もとに戻ってちょっと下流で渡ることにした。他の人は浅い深いをどのように判断したのだろう。私には目視ではわからなかった。どこもそれなりに深そうだった。唯一、波立っているところは浅そうに思えた。もちろん流れが速いのはわかっている。靴はすでに濡れているので、そのまま入っていった。深くはなかったが、流れの強さは想像以上だった。転倒は許されないので、1本のトレッキングポールでバランスを取りながら、少しずつ進み、なんとか渡り切ることができた。晴れていたので、靴や靴下を脱ぎ乾かしつつ、日向ぼっこをしながら、歩ききった達成感を一人で味わっていた。向こう岸に行仙で一緒だった強者のお姉さんがやってきた。自分がわたったところはお薦めしないと伝えたら、下流に探しに行った。やっぱり速い。すぐに見えなくなった。なので、一人で本宮大社にお参りに行った。観光客でいっぱいだった。縦走を貫徹できたこと、丁寧にお礼した。家族のお守りも買った。国道沿いのお店の自動販売機でジュースを買って、おばちゃんにタクシー乗り場を教えてもらった。近かったが、わざわざ連れて行ってくれた。タクシーの運転手さんも優しかった。帰りのバス乗り場も教えてもらった。温泉ではまず洗濯をした。トイレで、レインパンツと最後まで残っていた未使用のTシャツだけになり、レインウェア以外衣類とタオルをすべて洗濯した。コーヒーも飲んだ。その後、温泉に入った。JAF会員証を見せてくれると割引があるよと温泉のおばさんが教えてくれた。スマホ会員証の表示の仕方はおばさんのほうがよくわかっていた。久しぶりのお風呂は本当に気持ちが良かった。その後、うどんと、さんま寿司(めはり寿司は売り切れ)と、ソフトクリームを食べた。15時過ぎの紀伊田辺駅行きのバスにのった。バス停に向かう途中で、行仙で一緒だった先程のお姉さんと二人のお兄さんとまた出会った。最後の挨拶をしてバスにのった。バスは外国人観光客でいっぱいだった。多くの外国人は湯の峰温泉で下車した。皆さんマニアックだと思う。予定だとバスが紀伊田辺駅に到着した15分後に大阪行き特急がある。しかし、バスが15分ほど遅延していたので、1時間遅い電車をバスの中から予約した。で、その1時間で夕食を食べることにした。GoogleMapで「五右衛門」というお店が見つかった。刺盛り、ウツボの天ぷら、太刀魚の塩焼きを食べた。すべて美味しかった。大満足。最後に電車に乗り込もうとしたら、深仙と行仙でご一緒だった御夫婦と再開した。天王寺でご挨拶をして別れた。いつも一人で登山していて、今回もそうだったのだが、行仙での小屋番さんや登山者の方々との出会いは素敵な思い出になった。これからはテン泊ではなく、小屋泊もしてみようかと思った。
<感想>
挑戦することは好きだが、いつもは念入りに調べたりして、ある程度目処が立たないと実行しない。しかし、今度だけは最後の最後まで自信を持てなかった。いつ体が痛むかわからない、いつ事故にあうかわからない、いろいろな想定ができるが事前にすべてに備えることはできない。そんな中、なんとか達成できたのは幸運だった。雨が続いて天候は悪かったが、3泊は小屋に泊まることができた。行仙小屋のおもてなしは想定外で最高だった。出会った人、皆さんとの会話で心が安らいだ。このレベルのフィジカルな挑戦は今後の人生ではないと思うが、また体を休めて、いろいろな山に登ってみたい。
<おまけ>
レインパンツのお尻はボロボロだった。おそらく釈迦ヶ岳や地蔵岳などの岩場の上り下りでお尻をついて動く時があって、それが原因だと思う。しかし、この経験はプライスレスなので、気にならない。
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