わたらせ渓谷鐵道に乗って、足尾に向かう。第一目的は庚申山のコウシンソウ。日帰りは困難なので登山口(銀山平)に前泊する。今日はせっかくだから足尾銅山跡を歩いて回る。
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6/6 9:00
わたらせ渓谷鐵道に乗って、足尾に向かう。第一目的は庚申山のコウシンソウ。日帰りは困難なので登山口(銀山平)に前泊する。今日はせっかくだから足尾銅山跡を歩いて回る。
通洞駅で下車する。
3
6/6 10:22
通洞駅で下車する。
ちょうど関東ふれあいの道の栃木県コース1「赤銅のみち」になっているのだ。忠実にこれを辿ろう。(別の地点の写真なので、現在地は右下の通洞駅となる。足尾ダムと備前楯山を回るコース)
2
6/6 13:09
ちょうど関東ふれあいの道の栃木県コース1「赤銅のみち」になっているのだ。忠実にこれを辿ろう。(別の地点の写真なので、現在地は右下の通洞駅となる。足尾ダムと備前楯山を回るコース)
通洞駅は現在の足尾観光の中心のはずなのに、店もなく人もいない。コンビニもなければ食事する場所もない。(あとで家並みがあるだけましと思うのだが)
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6/6 10:34
通洞駅は現在の足尾観光の中心のはずなのに、店もなく人もいない。コンビニもなければ食事する場所もない。(あとで家並みがあるだけましと思うのだが)
「往時の賑わい」を示す説明版が至る所に設置されている。通洞駅にある松原集落は商業の中心だったようだ。
2
6/6 10:32
「往時の賑わい」を示す説明版が至る所に設置されている。通洞駅にある松原集落は商業の中心だったようだ。
旧足尾警察署(1912-1982)とある。「まちなか写真館」として昔の写真が至る所に設置されている。
2
6/6 10:37
旧足尾警察署(1912-1982)とある。「まちなか写真館」として昔の写真が至る所に設置されている。
足尾キリスト教会。これは現役のようだ。寺社でなくて教会。つまり明治以降の新しい街だったということだ。
2
6/6 10:38
足尾キリスト教会。これは現役のようだ。寺社でなくて教会。つまり明治以降の新しい街だったということだ。
足尾駅前は、もっと寂しい。
1
6/6 10:45
足尾駅前は、もっと寂しい。
1両編成の鉄道だけが動いている。県道だけは立派。
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6/6 10:59
1両編成の鉄道だけが動いている。県道だけは立派。
「まちなか写真館」は1962年のメーデー。鉱山労働者の街というわけだ。
2
6/6 10:50
「まちなか写真館」は1962年のメーデー。鉱山労働者の街というわけだ。
社宅への案内板。
2
6/6 11:10
社宅への案内板。
これが社宅だろうか。
2
6/6 11:10
これが社宅だろうか。
わたらせ鉄道の終点、間藤駅の先も線路があったわけだ。
2
6/6 11:13
わたらせ鉄道の終点、間藤駅の先も線路があったわけだ。
下間藤という集落の説明。
2
6/6 11:09
下間藤という集落の説明。
次に上間藤という集落の説明。最盛期には足尾町全体で4万人近くを擁していたとある。
2
6/6 11:19
次に上間藤という集落の説明。最盛期には足尾町全体で4万人近くを擁していたとある。
1916年の上間藤。
2
6/6 11:19
1916年の上間藤。
現在の上間藤。平成11年で116戸と先の説明にあった。空き家が多そうだ。
2
6/6 11:18
現在の上間藤。平成11年で116戸と先の説明にあった。空き家が多そうだ。
次に赤倉の集落。1907年には店が140棟あったという。この説明にある同年の労働者の大暴動は、足尾鉱毒事件にかかわるものだが、その言及はない。(渡良瀬遊水地の谷中村の残留民家屋16戸強制破壊も同じ年)
2
6/6 11:26
次に赤倉の集落。1907年には店が140棟あったという。この説明にある同年の労働者の大暴動は、足尾鉱毒事件にかかわるものだが、その言及はない。(渡良瀬遊水地の谷中村の残留民家屋16戸強制破壊も同じ年)
現在の赤倉。一人佇む人。この日唯一見かけた住民の方。
2
6/6 11:27
現在の赤倉。一人佇む人。この日唯一見かけた住民の方。
渡良瀬川の対岸には本山精練所跡。1973年の閉山以後も海外からの銅鉱石の製錬作業が行われていたが、1988年に操業を停止したという。国史跡に指定され残されているようだ。
3
6/6 11:30
渡良瀬川の対岸には本山精練所跡。1973年の閉山以後も海外からの銅鉱石の製錬作業が行われていたが、1988年に操業を停止したという。国史跡に指定され残されているようだ。
この煙突から、亜硫酸ガスが排出され鉱害問題が発生したわけだ。(1956年に脱硫技術を実用化し亜硫酸ガスの完全回収に成功したと国史跡説明文にあることは公平のため記しておこう)
2
6/6 11:35
この煙突から、亜硫酸ガスが排出され鉱害問題が発生したわけだ。(1956年に脱硫技術を実用化し亜硫酸ガスの完全回収に成功したと国史跡説明文にあることは公平のため記しておこう)
車もほとんど通らない道には、ニホンザルが闊歩している。
2
6/6 11:46
車もほとんど通らない道には、ニホンザルが闊歩している。
足尾ダム(1955年)が見えてきた。
2
6/6 11:49
足尾ダム(1955年)が見えてきた。
足尾ダムの下には足尾銅親水公園があり、小学生の団体が大型バスで乗り付けていた。
2
6/6 11:57
足尾ダムの下には足尾銅親水公園があり、小学生の団体が大型バスで乗り付けていた。
公園内の足尾環境学習センターの無料区画にあった展示。足尾に緑を育てる会の植樹活動の報告だ。1996年に始まったという。いつ写した写真かは判らないが、1996年以降でもこの周辺がハゲ山だったことが判る。
2
6/6 12:13
公園内の足尾環境学習センターの無料区画にあった展示。足尾に緑を育てる会の植樹活動の報告だ。1996年に始まったという。いつ写した写真かは判らないが、1996年以降でもこの周辺がハゲ山だったことが判る。
こちらは翌々日に行った館林の足尾鉱毒事件田中正造記念館にあった写真。
2
6/8 12:23
こちらは翌々日に行った館林の足尾鉱毒事件田中正造記念館にあった写真。
現在の様子。足尾ダムの上。このダムは砂防ダムなので土砂が溜まっている。谷に沿った奥が元・松木村で農林業の村。煙害と精錬に必要な木材の伐採と山火事により一帯の山が丸裸になり、1902年に廃村した。足尾鉱毒のもうひとつの被害者だ。
2
6/6 12:32
現在の様子。足尾ダムの上。このダムは砂防ダムなので土砂が溜まっている。谷に沿った奥が元・松木村で農林業の村。煙害と精錬に必要な木材の伐採と山火事により一帯の山が丸裸になり、1902年に廃村した。足尾鉱毒のもうひとつの被害者だ。
周辺の山を見ると、まだら模様で明らかにさまざまな樹々により植樹されたことが判る。
2
6/6 12:35
周辺の山を見ると、まだら模様で明らかにさまざまな樹々により植樹されたことが判る。
戻ろう。渡良瀬川に沿ってずっと同じ樹が生えていたので確認してみた。普通だったらヤナギだろうが、、、。
2
6/6 12:52
戻ろう。渡良瀬川に沿ってずっと同じ樹が生えていたので確認してみた。普通だったらヤナギだろうが、、、。
これはハリエンジュ(ニセアカシア)だ。米国産。はげ山の砂防などによく植栽される樹だ。痩せ地でもよく育ち成長が早いから明治時代からよく活用された。しかし野生化して増えすぎ侵略的外来種ワースト100に選定されている。
2
6/6 12:51
これはハリエンジュ(ニセアカシア)だ。米国産。はげ山の砂防などによく植栽される樹だ。痩せ地でもよく育ち成長が早いから明治時代からよく活用された。しかし野生化して増えすぎ侵略的外来種ワースト100に選定されている。
赤倉まで戻り、銀山平に向かう。これは古河橋。産業遺産だ。奥に見えるのは本山精練所の遺構。
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6/6 12:55
赤倉まで戻り、銀山平に向かう。これは古河橋。産業遺産だ。奥に見えるのは本山精練所の遺構。
国重要文化財だという。技術的にはそうなんだろうが、、、
2
6/6 12:55
国重要文化財だという。技術的にはそうなんだろうが、、、
ここから先は林道となり、集落や人家は全く見かけなかった。目立つのはこういち立入禁止の表示。今でも古河財閥が管理しているようだ。
2
6/6 13:00
ここから先は林道となり、集落や人家は全く見かけなかった。目立つのはこういち立入禁止の表示。今でも古河財閥が管理しているようだ。
本山という集落の説明。今までの集落と違うのは、銅山と共に生まれ、銅山と共に無くなった集落というわけだ。
2
6/6 13:09
本山という集落の説明。今までの集落と違うのは、銅山と共に生まれ、銅山と共に無くなった集落というわけだ。
「まちなか写真館」として掲示されていたかつての本山。山もハゲ山だ。
2
6/6 13:09
「まちなか写真館」として掲示されていたかつての本山。山もハゲ山だ。
今は何にもない。緑だけはある。この林道は車も全然通らず、恐くなってくる。
2
6/6 13:08
今は何にもない。緑だけはある。この林道は車も全然通らず、恐くなってくる。
しかし、この緑は一様だ。同樹種ではないだろうか。
2
6/6 13:14
しかし、この緑は一様だ。同樹種ではないだろうか。
試しに手近な樹を見てみる。オオバヤシャブシである。ヤシャブシはよく自然林でも見かけるが、これは海辺に自生する樹で、はげ山の砂防林でよく植栽される。
2
6/6 13:20
試しに手近な樹を見てみる。オオバヤシャブシである。ヤシャブシはよく自然林でも見かけるが、これは海辺に自生する樹で、はげ山の砂防林でよく植栽される。
とはいえ、緑は徐々に深くなっていき、、、
2
6/6 13:29
とはいえ、緑は徐々に深くなっていき、、、
サルナシの花。
2
6/6 13:25
サルナシの花。
コアジサイの花。
2
6/6 13:46
コアジサイの花。
ジシバリ。
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6/6 13:51
ジシバリ。
オオバアサガラの花、と「普通」の植物が出てくる。
3
6/6 14:00
オオバアサガラの花、と「普通」の植物が出てくる。
備前楯山の登山口にやっと着いた。
2
6/6 14:04
備前楯山の登山口にやっと着いた。
この山になぜ来たかというと、足尾銅山の中央に聳えているからだ。銅山は三つの抗口がある。地図の上の本山抗と左下の小滝抗と右下の通洞抗だ。それらが備前楯山の真下で坑道として繋がっていたのだ。
2
6/6 14:04
この山になぜ来たかというと、足尾銅山の中央に聳えているからだ。銅山は三つの抗口がある。地図の上の本山抗と左下の小滝抗と右下の通洞抗だ。それらが備前楯山の真下で坑道として繋がっていたのだ。
この山も植栽林かと思っていたが、驚いたことに美しい自然林だった。
2
6/6 14:25
この山も植栽林かと思っていたが、驚いたことに美しい自然林だった。
ミズナラですね。
2
6/6 14:25
ミズナラですね。
ミズナラの大木。
2
6/6 14:25
ミズナラの大木。
ミズナラ林に覆われていたのでした。
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6/6 14:34
ミズナラ林に覆われていたのでした。
山頂に近くなるにつれて岩が出てくる。
2
6/6 14:53
山頂に近くなるにつれて岩が出てくる。
あれが山頂だろう。岩場みたいだ。
2
6/6 14:56
あれが山頂だろう。岩場みたいだ。
地質図によると、この山一帯は、中新世の大規模火砕流によるデイサイト・流紋岩とある。古い海底火山噴火によるものだ。銅鉱床がよく見られる地質らしい。(この岩は流紋岩のような気がするがよく判らない)
2
6/6 14:58
地質図によると、この山一帯は、中新世の大規模火砕流によるデイサイト・流紋岩とある。古い海底火山噴火によるものだ。銅鉱床がよく見られる地質らしい。(この岩は流紋岩のような気がするがよく判らない)
備前楯山です。靄っていたが展望は抜群である。
4
6/6 14:57
備前楯山です。靄っていたが展望は抜群である。
奥の左から二番目が明日登る庚申山。皇海山は雲の中のようだ。
4
6/6 15:06
奥の左から二番目が明日登る庚申山。皇海山は雲の中のようだ。
日光男体山方面。男体山も雲の中か。
3
6/6 15:06
日光男体山方面。男体山も雲の中か。
真下には、今日歩いてきた県道。谷の左側が足尾ダムのようだ。上から見ると、下からは緑に見えた山はまだまだ植林は途上のようだ。
3
6/6 14:57
真下には、今日歩いてきた県道。谷の左側が足尾ダムのようだ。上から見ると、下からは緑に見えた山はまだまだ植林は途上のようだ。
旧松木村方面は、まだはげ山が残っている。
3
6/6 14:58
旧松木村方面は、まだはげ山が残っている。
こちらはまだ丸裸だ。緑の回復は、そう簡単ではないなあ。
3
6/6 15:04
こちらはまだ丸裸だ。緑の回復は、そう簡単ではないなあ。
下山して、林道を行く。
2
6/6 16:07
下山して、林道を行く。
おやおや、こんなところにハリエンジュの花。野生化したものだろう。見事だけどね。
4
6/6 16:11
おやおや、こんなところにハリエンジュの花。野生化したものだろう。見事だけどね。
銀山平に到着です。ここが庚申山の登山口。
3
6/6 16:30
銀山平に到着です。ここが庚申山の登山口。
銀山平で1軒だけ頑張っているかじか荘にお世話になります。かつての国民宿舎。「かじか」とは「河鹿鉱床」から採ったという。
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6/6 16:31
銀山平で1軒だけ頑張っているかじか荘にお世話になります。かつての国民宿舎。「かじか」とは「河鹿鉱床」から採ったという。
今では、高級宿の部類です。温泉もあるし。
2024年06月11日 10:40撮影
5
6/11 10:40
今では、高級宿の部類です。温泉もあるし。
2日目。起きたら曇。部屋からの風景。昼過ぎから雨の予報だ。ピストンだから行けるところまで行ってみよう。私には難易度が高いのです。
3
6/7 6:24
2日目。起きたら曇。部屋からの風景。昼過ぎから雨の予報だ。ピストンだから行けるところまで行ってみよう。私には難易度が高いのです。
庚申講の本山とは知らなかった。庚申信仰の側からの説明で聞いたことがない。そもそも庚申信仰は複雑で諸説あるしなあ。
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6/6 16:29
庚申講の本山とは知らなかった。庚申信仰の側からの説明で聞いたことがない。そもそも庚申信仰は複雑で諸説あるしなあ。
長い林道歩きが続く。まあ昨日もそうだったけど。
2
6/7 7:42
長い林道歩きが続く。まあ昨日もそうだったけど。
ヒメウツギかな。葉に毛がない。
2
6/7 8:06
ヒメウツギかな。葉に毛がない。
落石が多い林道だ。結構怖い。
2
6/7 8:12
落石が多い林道だ。結構怖い。
落石の集積所みたいになっている。
2
6/7 8:23
落石の集積所みたいになっている。
フタリシズカの群生。
2
6/7 8:29
フタリシズカの群生。
一の鳥居の小ささに驚く。
3
6/7 8:35
一の鳥居の小ささに驚く。
ここから登山道となるが、つい先日に崩落があったと、宿の方に教わった。
2
6/7 8:36
ここから登山道となるが、つい先日に崩落があったと、宿の方に教わった。
「お山巡りコース」は通り抜け出来なくなっている。山頂を目指すか、「お山巡りコース」で折り返すかの二択だ。山頂を目指します。(「お山巡りコース」は難易度が高いらしいし)
3
6/7 8:36
「お山巡りコース」は通り抜け出来なくなっている。山頂を目指すか、「お山巡りコース」で折り返すかの二択だ。山頂を目指します。(「お山巡りコース」は難易度が高いらしいし)
沢沿いの道は、参道だったらしく、石畳みの跡があった。
2
6/7 8:47
沢沿いの道は、参道だったらしく、石畳みの跡があった。
楽ちん楽ちんと思っていたが、、、
2
6/7 8:48
楽ちん楽ちんと思っていたが、、、
徐々に踏み跡が薄くなっていき、赤リボンと赤黄菱形マークに頼ることになる。
2
6/7 8:51
徐々に踏み跡が薄くなっていき、赤リボンと赤黄菱形マークに頼ることになる。
ここはルートをかなり外しています。踏み跡があったんだけどな。赤リボン探しを繰り返す体たらくでした。森は美しいんだけどね。
2
6/7 9:10
ここはルートをかなり外しています。踏み跡があったんだけどな。赤リボン探しを繰り返す体たらくでした。森は美しいんだけどね。
鏡岩。岩場はまだ先だが、こういう巨岩がたくさん出てくる。
2
6/7 9:20
鏡岩。岩場はまだ先だが、こういう巨岩がたくさん出てくる。
この説明にある「秩父系の古い地層」とは、秩父だけではなく九州にまで帯状に広がっていてかつて秩父古生層と呼ばれたものだろう(古生代)。しかしプレート理論により、現在はジュラ紀(中生代)の付加体と書き換えられた[斎藤靖二『日本列島の生い立ちを読む』1992岩波書店p88]。被覆層は更新世の溶岩・火砕岩からなる安山岩と地質図にある。備前楯山よりずっと新しい。地形が複雑なのは事実だ。
2
6/7 9:21
この説明にある「秩父系の古い地層」とは、秩父だけではなく九州にまで帯状に広がっていてかつて秩父古生層と呼ばれたものだろう(古生代)。しかしプレート理論により、現在はジュラ紀(中生代)の付加体と書き換えられた[斎藤靖二『日本列島の生い立ちを読む』1992岩波書店p88]。被覆層は更新世の溶岩・火砕岩からなる安山岩と地質図にある。備前楯山よりずっと新しい。地形が複雑なのは事実だ。
ヒメウツギは綺麗だね。
3
6/7 9:31
ヒメウツギは綺麗だね。
あれあれ、ここにまでオオバヤシャブシか、と思ったが、対生なのでチドリノキだろう。
2
6/7 9:31
あれあれ、ここにまでオオバヤシャブシか、と思ったが、対生なのでチドリノキだろう。
クワガタソウも登場した。
3
6/7 9:33
クワガタソウも登場した。
夫婦蛙岩、
2
6/7 9:41
夫婦蛙岩、
仁王門、、とそれぞれ名前が付いていた。
2
6/7 9:51
仁王門、、とそれぞれ名前が付いていた。
このあたりから樹相が変わる。林床にササが多くなり、これはヒノキだな。自生なのだろうか。
2
6/7 10:00
このあたりから樹相が変わる。林床にササが多くなり、これはヒノキだな。自生なのだろうか。
猿田彦神社跡に近づいてきた。
2
6/7 10:07
猿田彦神社跡に近づいてきた。
猿田彦神社は、一般に庚申講の神社である。
2
6/7 10:08
猿田彦神社は、一般に庚申講の神社である。
猿田彦神社は全国に沢山あるが、この猿田彦神社へはどの地域から信仰されたのだろうか。
2
6/7 10:08
猿田彦神社は全国に沢山あるが、この猿田彦神社へはどの地域から信仰されたのだろうか。
お山巡りのみちは、途中で通行止めなので今日は行かない。つい最近のことなのに、手書きはいつ書かれたのだろうか。
2
6/7 10:09
お山巡りのみちは、途中で通行止めなので今日は行かない。つい最近のことなのに、手書きはいつ書かれたのだろうか。
クワガタソウの群生。
2
6/7 10:11
クワガタソウの群生。
クワガタソウのアップ。
3
6/7 10:14
クワガタソウのアップ。
庚申山荘に着いた。現在、閉鎖中とのこと。再開はいつになるだろうか。
2
6/7 10:16
庚申山荘に着いた。現在、閉鎖中とのこと。再開はいつになるだろうか。
クリンソウ。
3
6/7 10:18
クリンソウ。
クリンソウのアップ。
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6/7 10:19
クリンソウのアップ。
ミヤマカラマツ。
3
6/7 10:41
ミヤマカラマツ。
ここから岩場の連続となる。
2
6/7 10:39
ここから岩場の連続となる。
岩に張り付いて、たくさん咲いているぞ。コウシンソウだろうか。
2
6/7 10:40
岩に張り付いて、たくさん咲いているぞ。コウシンソウだろうか。
これはコウシンコザクラと呼ばれている花のようだ。
8
6/7 10:43
これはコウシンコザクラと呼ばれている花のようだ。
ハクサンコザクラとかミチノクコザクラとか、いろいろあるが、これはユキワリソウのようだ。葉の裏が白い。
2
6/7 10:44
ハクサンコザクラとかミチノクコザクラとか、いろいろあるが、これはユキワリソウのようだ。葉の裏が白い。
地元の言い方に敬意を表しコウシンコザクラと呼ぼう。
3
6/7 10:45
地元の言い方に敬意を表しコウシンコザクラと呼ぼう。
これは、、、ミツバツチグリ?
3
6/7 10:49
これは、、、ミツバツチグリ?
いや、エチゴキジムシロだ。5葉で下のが小さい。米山でたくさん咲いていたが、北関東にも分布すると言われる。
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6/7 10:50
いや、エチゴキジムシロだ。5葉で下のが小さい。米山でたくさん咲いていたが、北関東にも分布すると言われる。
岩場が続き恐々登っていたが、そんなところに説明看板が。少し休めということだろうか。
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6/7 10:57
岩場が続き恐々登っていたが、そんなところに説明看板が。少し休めということだろうか。
ここからハシゴ、、、
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6/7 10:58
ここからハシゴ、、、
ハシゴの連続。
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6/7 10:59
ハシゴの連続。
岩にはコウシンコザクラがたくさん。
3
6/7 11:06
岩にはコウシンコザクラがたくさん。
コウシンソウを探しながら、かつ慎重に登る。
3
6/7 11:07
コウシンソウを探しながら、かつ慎重に登る。
こういうクサリはいいんだけど。。。
2
6/7 11:10
こういうクサリはいいんだけど。。。
こういうのは怖いです。
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6/7 11:12
こういうのは怖いです。
大胎内(分岐)に着いてホッとする。岩場の登りは相当に時間を費やした。
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6/7 11:17
大胎内(分岐)に着いてホッとする。岩場の登りは相当に時間を費やした。
大胎内(分岐)で、お山巡りのみちと合流する。
2
6/7 11:18
大胎内(分岐)で、お山巡りのみちと合流する。
お山巡りのみちへは、立入禁止との表示。こっちは、もっともっと怖そうだな。それが好きな方もいるんだろうけど。
3
6/7 11:18
お山巡りのみちへは、立入禁止との表示。こっちは、もっともっと怖そうだな。それが好きな方もいるんだろうけど。
しかし、この先、山頂へに向けても、怖さの連続です。(クサリはある。右上)。コウシンソウを探すどころではない。
2
6/7 11:27
しかし、この先、山頂へに向けても、怖さの連続です。(クサリはある。右上)。コウシンソウを探すどころではない。
おまけに、ここは、ルートを完全に外しています。道らしいところがたくさん分岐しているんだな。懸垂しなければ登れない岩を無理に登っておかしいと思ったら、赤リボンと赤黄菱形マークがなくなっていたので慌てた。
2
6/7 11:37
おまけに、ここは、ルートを完全に外しています。道らしいところがたくさん分岐しているんだな。懸垂しなければ登れない岩を無理に登っておかしいと思ったら、赤リボンと赤黄菱形マークがなくなっていたので慌てた。
でもせっかく来たからコウシンソウを探す。しかし、岩に張り付いているのはコウシンコザクラばかり。
2
6/7 11:41
でもせっかく来たからコウシンソウを探す。しかし、岩に張り付いているのはコウシンコザクラばかり。
キバナウツギ。
3
6/7 11:35
キバナウツギ。
なんと、タチツボスミレ。この花の生育区域は広いなあ。
3
6/7 11:37
なんと、タチツボスミレ。この花の生育区域は広いなあ。
戻って、富士見台はすぐでした。
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6/7 11:51
戻って、富士見台はすぐでした。
富士山が見えるのかな。
2
6/7 11:52
富士山が見えるのかな。
近くにはシロヤシオ。終期です。
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6/7 11:48
近くにはシロヤシオ。終期です。
ここからはなだらかな道となり、ホッとする。
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6/7 11:52
ここからはなだらかな道となり、ホッとする。
亜高山針葉樹林帯だ。
2
6/7 12:08
亜高山針葉樹林帯だ。
庚申山登頂です。あまり山頂っぽくないな。展望台がすぐ先にあるようだが、この天気だと展望は期待できない。雨も心配だ。ここで昼食です。
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6/7 12:10
庚申山登頂です。あまり山頂っぽくないな。展望台がすぐ先にあるようだが、この天気だと展望は期待できない。雨も心配だ。ここで昼食です。
見上げると、オガラバナのようだ。花も咲いている。亜高山針葉樹林帯のカエデはミネカエデとこれだけ。
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6/7 12:37
見上げると、オガラバナのようだ。花も咲いている。亜高山針葉樹林帯のカエデはミネカエデとこれだけ。
オオシラビソかな。シラビソとの区別がなかなかできない。
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6/7 12:41
オオシラビソかな。シラビソとの区別がなかなかできない。
オオシラビソやコメツガの森。
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6/7 12:42
オオシラビソやコメツガの森。
ここから岩場を降りることとなる。これが一番上の岩場というわけだ。
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6/7 12:51
ここから岩場を降りることとなる。これが一番上の岩場というわけだ。
恐る恐る降りていくと、後ろからペアの一組がぐいぐいと追い付いてくる。(すれ違いは5,6組ほどだった)
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6/7 13:22
恐る恐る降りていくと、後ろからペアの一組がぐいぐいと追い付いてくる。(すれ違いは5,6組ほどだった)
大胎内(分岐)で大休止して先に行ってもらう。しかし、どこから来られたのだろう。追い越されたりすれ違った記憶はないのだ(皇海山からか)。ズダヤクシュ。
2
6/7 13:24
大胎内(分岐)で大休止して先に行ってもらう。しかし、どこから来られたのだろう。追い越されたりすれ違った記憶はないのだ(皇海山からか)。ズダヤクシュ。
ここから分岐するお山巡りのみちの通行止めの表示を見て、残念がっていた。相当の熟練者のようだ。すいすいと下って行った。クルマバツクバネソウ。
3
6/7 13:36
ここから分岐するお山巡りのみちの通行止めの表示を見て、残念がっていた。相当の熟練者のようだ。すいすいと下って行った。クルマバツクバネソウ。
それに引き換え私には、この山は手強過ぎとつくづく感じたのだった。クルマバツクバネソウの花。
3
6/7 13:36
それに引き換え私には、この山は手強過ぎとつくづく感じたのだった。クルマバツクバネソウの花。
岩場の下りは、登りより数倍怖いのだ。カメラを背中のバックに格納し、意を決して降りていく。(しばらく写真無)
3
6/7 13:40
岩場の下りは、登りより数倍怖いのだ。カメラを背中のバックに格納し、意を決して降りていく。(しばらく写真無)
カメラを取り出したのは、庚申山荘付近。これを写すの忘れていた。アオモリトドマツとあるからオオシラビソだな。
2
6/7 14:17
カメラを取り出したのは、庚申山荘付近。これを写すの忘れていた。アオモリトドマツとあるからオオシラビソだな。
下りでも2回、ルートを外したが、思ったよりは怖くなかった。雨が降らなかったことも幸いした。登りでルートを外した原因の個所だけ掲げておこう。倒木が登山道を塞いでいて、迂回したままあらぬ方向へ行ってしまったのだ。
2
6/7 14:59
下りでも2回、ルートを外したが、思ったよりは怖くなかった。雨が降らなかったことも幸いした。登りでルートを外した原因の個所だけ掲げておこう。倒木が登山道を塞いでいて、迂回したままあらぬ方向へ行ってしまったのだ。
予定時間を大幅に短縮していたので、庚申七滝に寄った。
2
6/7 15:12
予定時間を大幅に短縮していたので、庚申七滝に寄った。
滝の一つ。紅葉期には素晴らしそう。自然一杯の庚申山でした。
4
6/7 15:13
滝の一つ。紅葉期には素晴らしそう。自然一杯の庚申山でした。
長い林道歩きの末、銀山平に到着です。車で来られていたソロの方に話しかけられる。駅まで歩くと言ったら吃驚していたが、お山巡りコース崩落を残念がっていた彼女は車中泊で明朝登るという。そちらの方が私には驚異だ。世の中には猛者がいるものだ。
3
6/7 16:04
長い林道歩きの末、銀山平に到着です。車で来られていたソロの方に話しかけられる。駅まで歩くと言ったら吃驚していたが、お山巡りコース崩落を残念がっていた彼女は車中泊で明朝登るという。そちらの方が私には驚異だ。世の中には猛者がいるものだ。
ここからは駅まで車道歩き。約1時間半なので私には大したことない。しかし、足尾鉱山という歴史に直面せざるを得ない道なのであった。まずは強制労働の中国人殉難の話。
2
6/7 16:09
ここからは駅まで車道歩き。約1時間半なので私には大したことない。しかし、足尾鉱山という歴史に直面せざるを得ない道なのであった。まずは強制労働の中国人殉難の話。
銀山平とは、社宅があった場所だったんだ。銀も発見されたからその名があるようだ。
2
6/7 16:12
銀山平とは、社宅があった場所だったんだ。銀も発見されたからその名があるようだ。
しばらく行くと小滝抗跡。
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6/7 16:23
しばらく行くと小滝抗跡。
三つあった坑道口の一つ。それぞれの坑道口に鉱山施設と街が生まれたわけだ。
2
6/7 16:24
三つあった坑道口の一つ。それぞれの坑道口に鉱山施設と街が生まれたわけだ。
三つの坑道口は備前楯山の真下で坑道が繋がっていた。
2
6/7 16:25
三つの坑道口は備前楯山の真下で坑道が繋がっていた。
旧小滝橋も遺構の一つ。
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6/7 16:26
旧小滝橋も遺構の一つ。
これは浴場跡。
4
6/7 16:27
これは浴場跡。
坑夫のための風呂。
2
6/7 16:27
坑夫のための風呂。
小滝という大拠点はここだけで1万人を擁していたが、1954年に一気に撤収されたという。
2
6/7 16:30
小滝という大拠点はここだけで1万人を擁していたが、1954年に一気に撤収されたという。
当時の社宅。
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6/7 16:32
当時の社宅。
当時の選鉱所。
2
6/7 16:33
当時の選鉱所。
今は、何もない。
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6/7 16:34
今は、何もない。
「小滝の里」という碑だけがある。
2
6/7 16:32
「小滝の里」という碑だけがある。
精錬所・選鉱所の遺構。
2
6/7 16:33
精錬所・選鉱所の遺構。
回りには、いろいろ遺構が残っているようだ。たまたま昨日のわたらせ渓谷鐵道でお会いした方は、こうした遺構を記録に残すため何十回も来ているという。渡良瀬遊水地の谷中村に注目する人はいても、こちらに注目する人は少ないから、と。
3
6/7 16:48
回りには、いろいろ遺構が残っているようだ。たまたま昨日のわたらせ渓谷鐵道でお会いした方は、こうした遺構を記録に残すため何十回も来ているという。渡良瀬遊水地の谷中村に注目する人はいても、こちらに注目する人は少ないから、と。
足尾鉱山を世界遺産にという動きもあるようだが、残して何を伝えるかがポイントだな、と考えながら駅に急いだ。
3
6/7 16:53
足尾鉱山を世界遺産にという動きもあるようだが、残して何を伝えるかがポイントだな、と考えながら駅に急いだ。
この色は、ダム湖に近づいてきたな。
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6/7 17:03
この色は、ダム湖に近づいてきたな。
庚申ダム。1985年にできた専ら水力発電用のようだ。昨日見た足尾ダムは土砂災害防止の砂防ダムだし、治水ダムは渡良瀬遊水地ができたからもういらないということなのか。
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6/7 17:08
庚申ダム。1985年にできた専ら水力発電用のようだ。昨日見た足尾ダムは土砂災害防止の砂防ダムだし、治水ダムは渡良瀬遊水地ができたからもういらないということなのか。
でかい庚申塔があった。
3
6/7 17:23
でかい庚申塔があった。
なるほど江戸の庚申講から来ていたことは確かなんだな。銅山のお陰で参拝道も変わったわけだ。明治になっても庚申信仰は続いていたわけだな。意外に最近までなのかもしれない。
3
6/7 17:23
なるほど江戸の庚申講から来ていたことは確かなんだな。銅山のお陰で参拝道も変わったわけだ。明治になっても庚申信仰は続いていたわけだな。意外に最近までなのかもしれない。
国道に出た。昨日以来久しぶりに人家があって、なぜかホッとする。ずっと廃村・廃墟ばかりが続いていたのにはゾッとしない。怖いほどだ。
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6/7 17:27
国道に出た。昨日以来久しぶりに人家があって、なぜかホッとする。ずっと廃村・廃墟ばかりが続いていたのにはゾッとしない。怖いほどだ。
見えるは原集落。恐らく足尾銅山前からあったから、閉山後は寂れたにしても、今でも続いているのだろう。一方、銅山のためにできた集落が閉山後なくなるのは当然かもしれない。
2
6/7 17:34
見えるは原集落。恐らく足尾銅山前からあったから、閉山後は寂れたにしても、今でも続いているのだろう。一方、銅山のためにできた集落が閉山後なくなるのは当然かもしれない。
原向駅に到着です。終電の19:56に間に合うかも心配だったが、1本前に乗れる。
2
6/7 17:39
原向駅に到着です。終電の19:56に間に合うかも心配だったが、1本前に乗れる。
原向駅のホームには登山ポスト。靴を洗える場所もあった。登山用の駅という感じだ。
2
6/7 17:39
原向駅のホームには登山ポスト。靴を洗える場所もあった。登山用の駅という感じだ。
わたらせ渓谷鐵道がやってきた。
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6/7 18:35
わたらせ渓谷鐵道がやってきた。
乗客は誰もいなかった。途中で一人の地元の方らしき方が乗ってきた。あとは桐生近くで高校生。生活路線なんだな。
3
6/7 18:36
乗客は誰もいなかった。途中で一人の地元の方らしき方が乗ってきた。あとは桐生近くで高校生。生活路線なんだな。
わたらせ渓谷鐵道の終電だと家に帰れないので、桐生に後泊した。ここまで来て渡良瀬遊水地を見ない訳にはいかない。3日目となる。(以下、電車・バスの移動が多いのでGPSログ登録は省略しました。付録として別記録として登録しました)
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6/8 7:45
わたらせ渓谷鐵道の終電だと家に帰れないので、桐生に後泊した。ここまで来て渡良瀬遊水地を見ない訳にはいかない。3日目となる。(以下、電車・バスの移動が多いのでGPSログ登録は省略しました。付録として別記録として登録しました)
まずはJRと東武伊勢崎線を乗り継いで茂林寺前駅へ。
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6/8 8:56
まずはJRと東武伊勢崎線を乗り継いで茂林寺前駅へ。
茂林寺は分福茶釜の民話の基となったお寺だ。
3
6/8 9:06
茂林寺は分福茶釜の民話の基となったお寺だ。
勿論、茂林寺が目的ではなく茂林寺沼の低地湿原があるからだ。
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6/8 9:10
勿論、茂林寺が目的ではなく茂林寺沼の低地湿原があるからだ。
最近、日本遺産にも登録された。渡良瀬川と利根川に挟まれた館林の低地には多くの沼と湿地が存在した。人は沼と共生してきたので里山ならぬ里沼と呼ぶ。ほとんどの沼は消滅したが、ここが残ったのは茂林寺があったからだ。だから「祈りの沼」。社叢林のようなものか。
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6/8 9:10
最近、日本遺産にも登録された。渡良瀬川と利根川に挟まれた館林の低地には多くの沼と湿地が存在した。人は沼と共生してきたので里山ならぬ里沼と呼ぶ。ほとんどの沼は消滅したが、ここが残ったのは茂林寺があったからだ。だから「祈りの沼」。社叢林のようなものか。
住宅地の真ん中にこんな広い湿地が残されたとは驚きだ。木道が整備され散策できる。
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6/8 9:20
住宅地の真ん中にこんな広い湿地が残されたとは驚きだ。木道が整備され散策できる。
一面生い茂っているのはヨシだと思う(水生植物には無知なんです)。植生的には汚水などによりヨシが少なくなるなど悪化しているというが、ぜひ守っていきたいものだ。
2
6/8 9:16
一面生い茂っているのはヨシだと思う(水生植物には無知なんです)。植生的には汚水などによりヨシが少なくなるなど悪化しているというが、ぜひ守っていきたいものだ。
続いて東武佐野線で佐野駅へ。
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6/8 10:22
続いて東武佐野線で佐野駅へ。
佐野市は田中正造の生地であり、佐野市郷土博物館には遺品が多く展示されている。
2
6/8 11:00
佐野市は田中正造の生地であり、佐野市郷土博物館には遺品が多く展示されている。
田中正造の特別室があり、撮影禁止だったが、亡くなった時の遺品や絶筆の文章などが展示されていた。多くの人が熱心に観覧していた、
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6/8 10:43
田中正造の特別室があり、撮影禁止だったが、亡くなった時の遺品や絶筆の文章などが展示されていた。多くの人が熱心に観覧していた、
平成26年に天皇皇后が、「足尾鉱毒で被害を受けた自然が回復しつつある様子を見たい」という私的な旅行の様子が報告されていた。渡良瀬遊水地だけでなく松木渓谷(鉱害で廃村となった松木村だ!)にも行っているとは。
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6/8 10:43
平成26年に天皇皇后が、「足尾鉱毒で被害を受けた自然が回復しつつある様子を見たい」という私的な旅行の様子が報告されていた。渡良瀬遊水地だけでなく松木渓谷(鉱害で廃村となった松木村だ!)にも行っているとは。
博物館の庭にあった石碑。
2
6/8 11:00
博物館の庭にあった石碑。
田中正造の和歌だった。明治31年とはまだ、衆議院議員時代。天皇直訴や谷中村移住はこの後のことだ。
2
6/8 11:00
田中正造の和歌だった。明治31年とはまだ、衆議院議員時代。天皇直訴や谷中村移住はこの後のことだ。
博物館からしばらく歩くと佐野厄除け大師こと、惣宗寺がある。ここで田中正造の葬式が行われた。
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6/8 11:15
博物館からしばらく歩くと佐野厄除け大師こと、惣宗寺がある。ここで田中正造の葬式が行われた。
ここに田中正造のお墓の一つがあるのだ。お墓は渡良瀬川流域に六つある。分骨されたのである(仏陀みたい)。どこか一つだけでもお参りしたかった。
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6/8 11:13
ここに田中正造のお墓の一つがあるのだ。お墓は渡良瀬川流域に六つある。分骨されたのである(仏陀みたい)。どこか一つだけでもお参りしたかった。
佐野市駅で東武佐野線に再び乗って、、、
3
6/8 11:30
佐野市駅で東武佐野線に再び乗って、、、
館林駅へ。
2
6/8 11:54
館林駅へ。
ここに、「足尾鉱毒事件 田中正造記念館」がある。館林市は渡良瀬川下流の鉱毒被害地の一つであり、市内の雲龍寺が鉱業停止を求める拠点だった。2006年に足尾鉱毒事件を風化させないため開設され、NPOにより運営されている。
2
6/8 12:11
ここに、「足尾鉱毒事件 田中正造記念館」がある。館林市は渡良瀬川下流の鉱毒被害地の一つであり、市内の雲龍寺が鉱業停止を求める拠点だった。2006年に足尾鉱毒事件を風化させないため開設され、NPOにより運営されている。
ここがとても良かった。足尾銅山での煙害による松木村廃村、渡良瀬川流域の鉱毒被害、洪水による治水問題への転化、谷中村の強制破壊に至るまで総合的に解説されていた。常に田中正造がいた。
2
6/8 12:27
ここがとても良かった。足尾銅山での煙害による松木村廃村、渡良瀬川流域の鉱毒被害、洪水による治水問題への転化、谷中村の強制破壊に至るまで総合的に解説されていた。常に田中正造がいた。
谷中村の強制破壊後の仮小屋の写真。田中正造はその死まで村民と一緒に谷中村に「身を捨てた」(先の和歌)。
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6/8 12:27
谷中村の強制破壊後の仮小屋の写真。田中正造はその死まで村民と一緒に谷中村に「身を捨てた」(先の和歌)。
谷中村の水没の写真。
2
6/8 12:29
谷中村の水没の写真。
渡良瀬遊水地の史跡保全ゾーンは、村民の抵抗により残された。
2
6/8 12:33
渡良瀬遊水地の史跡保全ゾーンは、村民の抵抗により残された。
展示は、現在への示唆に富んでいた。田中正造が最後に取り組んだのが治水問題。気候変動が現在の課題だ。NPOの方は丁寧的確に私の質問に答えてくれた。(詳細は感想に)
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6/8 12:30
展示は、現在への示唆に富んでいた。田中正造が最後に取り組んだのが治水問題。気候変動が現在の課題だ。NPOの方は丁寧的確に私の質問に答えてくれた。(詳細は感想に)
続いて館林城址。館林藩だ。
2
6/8 12:58
続いて館林城址。館林藩だ。
城沼。日本遺産では「守りの沼」。館林城があったから残された。
2
6/8 13:38
城沼。日本遺産では「守りの沼」。館林城があったから残された。
城沼には湿地はないけど、館林藩以来の躑躅ヶ岡があり、ツツジの古木がある。ここも残された自然。半自然かな。
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6/8 13:44
城沼には湿地はないけど、館林藩以来の躑躅ヶ岡があり、ツツジの古木がある。ここも残された自然。半自然かな。
ここからはバスで、、、
2
6/8 13:53
ここからはバスで、、、
板倉東洋大駅です。
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6/8 14:34
板倉東洋大駅です。
渡良瀬遊水地から一番近い駅。正面に、板倉町のわたらせ自然館 がある。
2
6/8 14:40
渡良瀬遊水地から一番近い駅。正面に、板倉町のわたらせ自然館 がある。
ここは専ら渡良瀬遊水地の自然紹介。かつて花探しに渡良瀬遊水地を散策しようと計画したことがあった(茂林寺沼湿原もその時知った)。しかし、足尾銅山や田中正造のことを知ると奇妙に感じるようになった。ここは自然なのか。何のための遊水地なのか。
2
6/8 14:43
ここは専ら渡良瀬遊水地の自然紹介。かつて花探しに渡良瀬遊水地を散策しようと計画したことがあった(茂林寺沼湿原もその時知った)。しかし、足尾銅山や田中正造のことを知ると奇妙に感じるようになった。ここは自然なのか。何のための遊水地なのか。
渡良瀬遊水地は賑やかだった。
2
6/8 14:57
渡良瀬遊水地は賑やかだった。
青い水面、青い海、この写真の場所は違うがヨシがたくさん。美しいと素直になれない自分がいる。
2
6/8 14:58
青い水面、青い海、この写真の場所は違うがヨシがたくさん。美しいと素直になれない自分がいる。
ここに来たのは、植物観察でもバードウォッチングでもなく、谷中村の現在の姿を見ておきたかった。谷中村史跡保存ゾーンへ。
2
6/8 15:31
ここに来たのは、植物観察でもバードウォッチングでもなく、谷中村の現在の姿を見ておきたかった。谷中村史跡保存ゾーンへ。
谷中村史跡保存ゾーンの入り口に掲示されていた説明。嘘は書いていないが、1906年以降のことが省略されている。掲示の主も不明だ。
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6/8 15:31
谷中村史跡保存ゾーンの入り口に掲示されていた説明。嘘は書いていないが、1906年以降のことが省略されている。掲示の主も不明だ。
左側のヨシの向こうが谷中村史跡保存ゾーンだ。
2
6/8 15:37
左側のヨシの向こうが谷中村史跡保存ゾーンだ。
ここでは植物観察しないと言いながらつい写してしまう。クサフジ。(今の季節は草地の野草の花は時季外れ。早春は花盛りらしい)
2
6/8 15:40
ここでは植物観察しないと言いながらつい写してしまう。クサフジ。(今の季節は草地の野草の花は時季外れ。早春は花盛りらしい)
ここから谷中村史跡保存ゾーンだ。
2
6/8 15:42
ここから谷中村史跡保存ゾーンだ。
湿地帯はヨシで覆われている。
2
6/8 15:42
湿地帯はヨシで覆われている。
いきなり墓地が出現する。
2
6/8 15:44
いきなり墓地が出現する。
延命院跡とある。左の赤いのは、谷中村への連絡ポストだ。
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6/8 15:44
延命院跡とある。左の赤いのは、谷中村への連絡ポストだ。
雷雷神社跡。
2
6/8 15:47
雷雷神社跡。
この場所は今は栃木市だ。栃木市の説明板。ゾーン入口の説明板と比べると、谷中村への敬意が伺われる。
2
6/8 15:46
この場所は今は栃木市だ。栃木市の説明板。ゾーン入口の説明板と比べると、谷中村への敬意が伺われる。
こういう屋敷跡の石碑がたくさんあった。
2
6/8 15:52
こういう屋敷跡の石碑がたくさんあった。
谷中村の現在。
2
6/8 15:53
谷中村の現在。
果てしなく続くヨシ。
2
6/8 16:05
果てしなく続くヨシ。
谷中村役場跡。
2
6/8 16:07
谷中村役場跡。
こういった墓や寺跡や神社跡や役場跡を残すために、谷中池はハート形になった。ハートランドとはこういうことだったのか。
2
6/8 16:06
こういった墓や寺跡や神社跡や役場跡を残すために、谷中池はハート形になった。ハートランドとはこういうことだったのか。
谷中村の歴史が丁寧に書かれていた。
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6/8 16:06
谷中村の歴史が丁寧に書かれていた。
谷中村・渡良瀬遊水地タワーから見た谷中村。
2
6/8 16:21
谷中村・渡良瀬遊水地タワーから見た谷中村。
タワーには平成27年の台風による水位が示してあった。令和元年(2019)の台風ではもっと水位が上がったと、「足尾鉱毒事件 田中正造記念館」の方が教えてくれた。
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6/8 16:18
タワーには平成27年の台風による水位が示してあった。令和元年(2019)の台風ではもっと水位が上がったと、「足尾鉱毒事件 田中正造記念館」の方が教えてくれた。
田中正造が追求した課題はまだまだ解決されていないのだ、と恐怖に怯えて、とぼとぼと藤岡駅(谷中村の消滅後は藤岡町となった。今は栃木市)まで歩いた。
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6/8 17:30
田中正造が追求した課題はまだまだ解決されていないのだ、と恐怖に怯えて、とぼとぼと藤岡駅(谷中村の消滅後は藤岡町となった。今は栃木市)まで歩いた。
★さて、コウシンソウです。絶滅危惧種なので、慣例により撮影場所は伏せておきますが、相当数がコウシンコザクラとともに群生していました。(感想に場所のヒントがあります)
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★さて、コウシンソウです。絶滅危惧種なので、慣例により撮影場所は伏せておきますが、相当数がコウシンコザクラとともに群生していました。(感想に場所のヒントがあります)
日本固有種。明治23年に庚申山で発見された。日光山塊の数か所のみに分布。近縁種はシベリアやサハリンに分布するので、氷河期の生き残り種といわれる。日本列島の氷河期が終わり亜高山に隔離されて、悪環境を生き延びるため独立種を形成するまで独自の進化を遂げた。
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日本固有種。明治23年に庚申山で発見された。日光山塊の数か所のみに分布。近縁種はシベリアやサハリンに分布するので、氷河期の生き残り種といわれる。日本列島の氷河期が終わり亜高山に隔離されて、悪環境を生き延びるため独立種を形成するまで独自の進化を遂げた。
垂直な岩にどうやって張り付いているんだろう。触るわけにもいかないからな。根は発達せず、水分も葉から吸収しているんだとか。
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垂直な岩にどうやって張り付いているんだろう。触るわけにもいかないからな。根は発達せず、水分も葉から吸収しているんだとか。
食虫植物である。多くの虫を捕獲していた。葉がべとべとしているんだろうか、触りたい気持ちを抑えるのに必死だった。
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食虫植物である。多くの虫を捕獲していた。葉がべとべとしているんだろうか、触りたい気持ちを抑えるのに必死だった。
こう見るとスミレに似ている。同じタヌキモ科ムリトリスミレ属の食虫植物ムシトリスミレは、花枝が分岐しない。それが決定的な違いだという。
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こう見るとスミレに似ている。同じタヌキモ科ムリトリスミレ属の食虫植物ムシトリスミレは、花枝が分岐しない。それが決定的な違いだという。
毎年この花を見に来られる方が多いというのもわかるなあ。けなげに咲いているのでした。
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毎年この花を見に来られる方が多いというのもわかるなあ。けなげに咲いているのでした。
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