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Yamareco

記録ID: 6909864
全員に公開
ハイキング
日光・那須・筑波

コウシンソウ(庚申山)+足尾銅山+渡良瀬遊水地=田中正造を偲ぶ恐怖の旅

2024年06月06日(木) ~ 2024年06月07日(金)
 - 拍手
体力度
7
1~2泊以上が適当
GPS
16:00
距離
40.3km
登り
2,420m
下り
2,480m
歩くペース
速い
0.70.8
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

1日目
山行
4:42
休憩
1:10
合計
5:52
距離 17.9km 登り 853m 下り 661m
10:31
14
10:45
19
11:04
11:05
23
11:28
11:29
23
11:52
12:22
1
12:23
12:33
1
12:34
21
12:55
68
14:03
14:16
45
15:01
15:09
43
15:52
15:59
24
16:23
2日目
山行
7:47
休憩
2:13
合計
10:00
距離 22.4km 登り 1,567m 下り 1,820m
7:39
40
8:19
16
8:35
8:46
3
8:49
75
10:04
10:05
11
10:16
10:25
45
11:10
11:35
36
12:11
12:41
38
13:19
13:55
27
14:22
14:23
5
14:28
43
15:11
15:14
1
15:15
15:21
12
15:33
33
16:06
16:07
25
16:32
16:42
56
17:38
1
17:39
ゴール地点
天候 1日目 曇り時々晴れ
2日目 曇り
3日目 晴れ
過去天気図(気象庁) 2024年06月の天気図
アクセス
利用交通機関:
電車
〇1日目(6/6) 足尾鉱山→備前楯山
GPS06:00距離17.9km登り853m下り661m 体力度3 歩くペース0.8〜0.9
S 通洞駅(わたらせ渓谷鐵道)
銀山平泊(四季の彩りに風薫る足尾の宿 かじか)
〇2日目(6/7) 庚申山→足尾銅山
GPS10:00距離22.4km登り1,567m下り1,820m 体力度5 歩くペース0.7〜0.8
G 原向駅(わたらせ渓谷鐵道)
-------以下、ログ・コースタイムは省略(付録として別掲)---------
桐生駅前のビジネスホテル泊
〇3日目(6/8) 田中正造を偲んで[タイムは電車・バスのもの]
桐生駅7:58-8:14足利駅-足利市駅8:33-8:48館林駅8:52-8:55茂林寺前駅
 ・茂林寺沼と低地湿原
茂林寺前駅9:50-9:53館林駅10:02-10:18佐野駅
 ・佐野市郷土博物館
 ・佐野厄除け大師(惣宗寺) 田中正造翁墓所
佐野市駅11:35-11:47館林駅
 ・足尾鉱毒事件田中正造記念館
 ・館林城
 ・城沼
 ・つつじが岡公園
つつじが丘公園14:06-14:32板倉東洋大前駅西口(館林市バス館林・板倉線)
 ・渡良瀬遊水地
 ・谷中村史跡保存ゾーン
藤岡駅にゴール
コース状況/
危険箇所等
〇備前楯山
 よく整備された登山道です。一本道。急登なし。岩場なし。指導標完備。美しいミズナラ林。
〇庚申山
 ・一の鳥居〜庚申山荘
 ミズナラ林の道で急登なし、岩場なし。道標、赤テープはたくさんある。踏み跡は一部不明瞭で、多くの薄い踏み跡が分岐していて迷いやすい。必ず赤テープがあるはずなので、なくなったら注意すると良い。
 ・庚申山荘〜山頂
 岩場が続き、ハシゴ・クサリ多数。片側が切り立ったクサリ場もあり。赤テープがたくさんあるが、多くの分岐(っぼい箇所)があり迷いやすい。山頂近くはなだらかなオオシラビソ林となる。クサリ場は危険と言えば危険だが、踏み場はしっかりしている。
わたらせ渓谷鐵道に乗って、足尾に向かう。第一目的は庚申山のコウシンソウ。日帰りは困難なので登山口(銀山平)に前泊する。今日はせっかくだから足尾銅山跡を歩いて回る。
2024年06月06日 09:00撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
4
6/6 9:00
わたらせ渓谷鐵道に乗って、足尾に向かう。第一目的は庚申山のコウシンソウ。日帰りは困難なので登山口(銀山平)に前泊する。今日はせっかくだから足尾銅山跡を歩いて回る。
通洞駅で下車する。
2024年06月06日 10:22撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
3
6/6 10:22
通洞駅で下車する。
ちょうど関東ふれあいの道の栃木県コース1「赤銅のみち」になっているのだ。忠実にこれを辿ろう。(別の地点の写真なので、現在地は右下の通洞駅となる。足尾ダムと備前楯山を回るコース)
2024年06月06日 13:09撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 13:09
ちょうど関東ふれあいの道の栃木県コース1「赤銅のみち」になっているのだ。忠実にこれを辿ろう。(別の地点の写真なので、現在地は右下の通洞駅となる。足尾ダムと備前楯山を回るコース)
通洞駅は現在の足尾観光の中心のはずなのに、店もなく人もいない。コンビニもなければ食事する場所もない。(あとで家並みがあるだけましと思うのだが)
2024年06月06日 10:34撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 10:34
通洞駅は現在の足尾観光の中心のはずなのに、店もなく人もいない。コンビニもなければ食事する場所もない。(あとで家並みがあるだけましと思うのだが)
「往時の賑わい」を示す説明版が至る所に設置されている。通洞駅にある松原集落は商業の中心だったようだ。
2024年06月06日 10:32撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 10:32
「往時の賑わい」を示す説明版が至る所に設置されている。通洞駅にある松原集落は商業の中心だったようだ。
旧足尾警察署(1912-1982)とある。「まちなか写真館」として昔の写真が至る所に設置されている。
2024年06月06日 10:37撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 10:37
旧足尾警察署(1912-1982)とある。「まちなか写真館」として昔の写真が至る所に設置されている。
足尾キリスト教会。これは現役のようだ。寺社でなくて教会。つまり明治以降の新しい街だったということだ。
2024年06月06日 10:38撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 10:38
足尾キリスト教会。これは現役のようだ。寺社でなくて教会。つまり明治以降の新しい街だったということだ。
足尾駅前は、もっと寂しい。
2024年06月06日 10:45撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
1
6/6 10:45
足尾駅前は、もっと寂しい。
1両編成の鉄道だけが動いている。県道だけは立派。
2024年06月06日 10:59撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
3
6/6 10:59
1両編成の鉄道だけが動いている。県道だけは立派。
「まちなか写真館」は1962年のメーデー。鉱山労働者の街というわけだ。
2024年06月06日 10:50撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 10:50
「まちなか写真館」は1962年のメーデー。鉱山労働者の街というわけだ。
社宅への案内板。
2024年06月06日 11:10撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 11:10
社宅への案内板。
これが社宅だろうか。
2024年06月06日 11:10撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 11:10
これが社宅だろうか。
わたらせ鉄道の終点、間藤駅の先も線路があったわけだ。
2024年06月06日 11:13撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 11:13
わたらせ鉄道の終点、間藤駅の先も線路があったわけだ。
下間藤という集落の説明。
2024年06月06日 11:09撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 11:09
下間藤という集落の説明。
次に上間藤という集落の説明。最盛期には足尾町全体で4万人近くを擁していたとある。
2024年06月06日 11:19撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 11:19
次に上間藤という集落の説明。最盛期には足尾町全体で4万人近くを擁していたとある。
1916年の上間藤。
2024年06月06日 11:19撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 11:19
1916年の上間藤。
現在の上間藤。平成11年で116戸と先の説明にあった。空き家が多そうだ。
2024年06月06日 11:18撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 11:18
現在の上間藤。平成11年で116戸と先の説明にあった。空き家が多そうだ。
次に赤倉の集落。1907年には店が140棟あったという。この説明にある同年の労働者の大暴動は、足尾鉱毒事件にかかわるものだが、その言及はない。(渡良瀬遊水地の谷中村の残留民家屋16戸強制破壊も同じ年)
2024年06月06日 11:26撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 11:26
次に赤倉の集落。1907年には店が140棟あったという。この説明にある同年の労働者の大暴動は、足尾鉱毒事件にかかわるものだが、その言及はない。(渡良瀬遊水地の谷中村の残留民家屋16戸強制破壊も同じ年)
現在の赤倉。一人佇む人。この日唯一見かけた住民の方。
2024年06月06日 11:27撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 11:27
現在の赤倉。一人佇む人。この日唯一見かけた住民の方。
渡良瀬川の対岸には本山精練所跡。1973年の閉山以後も海外からの銅鉱石の製錬作業が行われていたが、1988年に操業を停止したという。国史跡に指定され残されているようだ。
2024年06月06日 11:30撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 11:30
渡良瀬川の対岸には本山精練所跡。1973年の閉山以後も海外からの銅鉱石の製錬作業が行われていたが、1988年に操業を停止したという。国史跡に指定され残されているようだ。
この煙突から、亜硫酸ガスが排出され鉱害問題が発生したわけだ。(1956年に脱硫技術を実用化し亜硫酸ガスの完全回収に成功したと国史跡説明文にあることは公平のため記しておこう)
2024年06月06日 11:35撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 11:35
この煙突から、亜硫酸ガスが排出され鉱害問題が発生したわけだ。(1956年に脱硫技術を実用化し亜硫酸ガスの完全回収に成功したと国史跡説明文にあることは公平のため記しておこう)
車もほとんど通らない道には、ニホンザルが闊歩している。
2024年06月06日 11:46撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 11:46
車もほとんど通らない道には、ニホンザルが闊歩している。
足尾ダム(1955年)が見えてきた。
2024年06月06日 11:49撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 11:49
足尾ダム(1955年)が見えてきた。
足尾ダムの下には足尾銅親水公園があり、小学生の団体が大型バスで乗り付けていた。
2024年06月06日 11:57撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 11:57
足尾ダムの下には足尾銅親水公園があり、小学生の団体が大型バスで乗り付けていた。
公園内の足尾環境学習センターの無料区画にあった展示。足尾に緑を育てる会の植樹活動の報告だ。1996年に始まったという。いつ写した写真かは判らないが、1996年以降でもこの周辺がハゲ山だったことが判る。
2024年06月06日 12:13撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 12:13
公園内の足尾環境学習センターの無料区画にあった展示。足尾に緑を育てる会の植樹活動の報告だ。1996年に始まったという。いつ写した写真かは判らないが、1996年以降でもこの周辺がハゲ山だったことが判る。
こちらは翌々日に行った館林の足尾鉱毒事件田中正造記念館にあった写真。
2024年06月08日 12:23撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/8 12:23
こちらは翌々日に行った館林の足尾鉱毒事件田中正造記念館にあった写真。
現在の様子。足尾ダムの上。このダムは砂防ダムなので土砂が溜まっている。谷に沿った奥が元・松木村で農林業の村。煙害と精錬に必要な木材の伐採と山火事により一帯の山が丸裸になり、1902年に廃村した。足尾鉱毒のもうひとつの被害者だ。
2024年06月06日 12:32撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 12:32
現在の様子。足尾ダムの上。このダムは砂防ダムなので土砂が溜まっている。谷に沿った奥が元・松木村で農林業の村。煙害と精錬に必要な木材の伐採と山火事により一帯の山が丸裸になり、1902年に廃村した。足尾鉱毒のもうひとつの被害者だ。
周辺の山を見ると、まだら模様で明らかにさまざまな樹々により植樹されたことが判る。
2024年06月06日 12:35撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 12:35
周辺の山を見ると、まだら模様で明らかにさまざまな樹々により植樹されたことが判る。
戻ろう。渡良瀬川に沿ってずっと同じ樹が生えていたので確認してみた。普通だったらヤナギだろうが、、、。
2024年06月06日 12:52撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 12:52
戻ろう。渡良瀬川に沿ってずっと同じ樹が生えていたので確認してみた。普通だったらヤナギだろうが、、、。
これはハリエンジュ(ニセアカシア)だ。米国産。はげ山の砂防などによく植栽される樹だ。痩せ地でもよく育ち成長が早いから明治時代からよく活用された。しかし野生化して増えすぎ侵略的外来種ワースト100に選定されている。
2024年06月06日 12:51撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 12:51
これはハリエンジュ(ニセアカシア)だ。米国産。はげ山の砂防などによく植栽される樹だ。痩せ地でもよく育ち成長が早いから明治時代からよく活用された。しかし野生化して増えすぎ侵略的外来種ワースト100に選定されている。
赤倉まで戻り、銀山平に向かう。これは古河橋。産業遺産だ。奥に見えるのは本山精練所の遺構。
2024年06月06日 12:55撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
4
6/6 12:55
赤倉まで戻り、銀山平に向かう。これは古河橋。産業遺産だ。奥に見えるのは本山精練所の遺構。
国重要文化財だという。技術的にはそうなんだろうが、、、
2024年06月06日 12:55撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 12:55
国重要文化財だという。技術的にはそうなんだろうが、、、
ここから先は林道となり、集落や人家は全く見かけなかった。目立つのはこういち立入禁止の表示。今でも古河財閥が管理しているようだ。
2024年06月06日 13:00撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 13:00
ここから先は林道となり、集落や人家は全く見かけなかった。目立つのはこういち立入禁止の表示。今でも古河財閥が管理しているようだ。
本山という集落の説明。今までの集落と違うのは、銅山と共に生まれ、銅山と共に無くなった集落というわけだ。
2024年06月06日 13:09撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 13:09
本山という集落の説明。今までの集落と違うのは、銅山と共に生まれ、銅山と共に無くなった集落というわけだ。
「まちなか写真館」として掲示されていたかつての本山。山もハゲ山だ。
2024年06月06日 13:09撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 13:09
「まちなか写真館」として掲示されていたかつての本山。山もハゲ山だ。
今は何にもない。緑だけはある。この林道は車も全然通らず、恐くなってくる。
2024年06月06日 13:08撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 13:08
今は何にもない。緑だけはある。この林道は車も全然通らず、恐くなってくる。
しかし、この緑は一様だ。同樹種ではないだろうか。
2024年06月06日 13:14撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 13:14
しかし、この緑は一様だ。同樹種ではないだろうか。
試しに手近な樹を見てみる。オオバヤシャブシである。ヤシャブシはよく自然林でも見かけるが、これは海辺に自生する樹で、はげ山の砂防林でよく植栽される。
2024年06月06日 13:20撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 13:20
試しに手近な樹を見てみる。オオバヤシャブシである。ヤシャブシはよく自然林でも見かけるが、これは海辺に自生する樹で、はげ山の砂防林でよく植栽される。
とはいえ、緑は徐々に深くなっていき、、、
2024年06月06日 13:29撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 13:29
とはいえ、緑は徐々に深くなっていき、、、
サルナシの花。
2024年06月06日 13:25撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 13:25
サルナシの花。
コアジサイの花。
2024年06月06日 13:46撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 13:46
コアジサイの花。
ジシバリ。
2024年06月06日 13:51撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 13:51
ジシバリ。
オオバアサガラの花、と「普通」の植物が出てくる。
2024年06月06日 14:00撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
3
6/6 14:00
オオバアサガラの花、と「普通」の植物が出てくる。
備前楯山の登山口にやっと着いた。
2024年06月06日 14:04撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 14:04
備前楯山の登山口にやっと着いた。
この山になぜ来たかというと、足尾銅山の中央に聳えているからだ。銅山は三つの抗口がある。地図の上の本山抗と左下の小滝抗と右下の通洞抗だ。それらが備前楯山の真下で坑道として繋がっていたのだ。
2024年06月06日 14:04撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 14:04
この山になぜ来たかというと、足尾銅山の中央に聳えているからだ。銅山は三つの抗口がある。地図の上の本山抗と左下の小滝抗と右下の通洞抗だ。それらが備前楯山の真下で坑道として繋がっていたのだ。
この山も植栽林かと思っていたが、驚いたことに美しい自然林だった。
2024年06月06日 14:25撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 14:25
この山も植栽林かと思っていたが、驚いたことに美しい自然林だった。
ミズナラですね。
2024年06月06日 14:25撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 14:25
ミズナラですね。
ミズナラの大木。
2024年06月06日 14:25撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 14:25
ミズナラの大木。
ミズナラ林に覆われていたのでした。
2024年06月06日 14:34撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
3
6/6 14:34
ミズナラ林に覆われていたのでした。
山頂に近くなるにつれて岩が出てくる。
2024年06月06日 14:53撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 14:53
山頂に近くなるにつれて岩が出てくる。
あれが山頂だろう。岩場みたいだ。
2024年06月06日 14:56撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 14:56
あれが山頂だろう。岩場みたいだ。
地質図によると、この山一帯は、中新世の大規模火砕流によるデイサイト・流紋岩とある。古い海底火山噴火によるものだ。銅鉱床がよく見られる地質らしい。(この岩は流紋岩のような気がするがよく判らない)
2024年06月06日 14:58撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 14:58
地質図によると、この山一帯は、中新世の大規模火砕流によるデイサイト・流紋岩とある。古い海底火山噴火によるものだ。銅鉱床がよく見られる地質らしい。(この岩は流紋岩のような気がするがよく判らない)
備前楯山です。靄っていたが展望は抜群である。
2024年06月06日 14:57撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
4
6/6 14:57
備前楯山です。靄っていたが展望は抜群である。
奥の左から二番目が明日登る庚申山。皇海山は雲の中のようだ。
2024年06月06日 15:06撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
4
6/6 15:06
奥の左から二番目が明日登る庚申山。皇海山は雲の中のようだ。
日光男体山方面。男体山も雲の中か。
2024年06月06日 15:06撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
3
6/6 15:06
日光男体山方面。男体山も雲の中か。
真下には、今日歩いてきた県道。谷の左側が足尾ダムのようだ。上から見ると、下からは緑に見えた山はまだまだ植林は途上のようだ。
2024年06月06日 14:57撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
3
6/6 14:57
真下には、今日歩いてきた県道。谷の左側が足尾ダムのようだ。上から見ると、下からは緑に見えた山はまだまだ植林は途上のようだ。
旧松木村方面は、まだはげ山が残っている。
2024年06月06日 14:58撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
3
6/6 14:58
旧松木村方面は、まだはげ山が残っている。
こちらはまだ丸裸だ。緑の回復は、そう簡単ではないなあ。
2024年06月06日 15:04撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
3
6/6 15:04
こちらはまだ丸裸だ。緑の回復は、そう簡単ではないなあ。
下山して、林道を行く。
2024年06月06日 16:07撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/6 16:07
下山して、林道を行く。
おやおや、こんなところにハリエンジュの花。野生化したものだろう。見事だけどね。
2024年06月06日 16:11撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
4
6/6 16:11
おやおや、こんなところにハリエンジュの花。野生化したものだろう。見事だけどね。
銀山平に到着です。ここが庚申山の登山口。
2024年06月06日 16:30撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 16:30
銀山平に到着です。ここが庚申山の登山口。
銀山平で1軒だけ頑張っているかじか荘にお世話になります。かつての国民宿舎。「かじか」とは「河鹿鉱床」から採ったという。
2024年06月06日 16:31撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/6 16:31
銀山平で1軒だけ頑張っているかじか荘にお世話になります。かつての国民宿舎。「かじか」とは「河鹿鉱床」から採ったという。
今では、高級宿の部類です。温泉もあるし。
2024年06月11日 10:40撮影
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6/11 10:40
今では、高級宿の部類です。温泉もあるし。
2日目。起きたら曇。部屋からの風景。昼過ぎから雨の予報だ。ピストンだから行けるところまで行ってみよう。私には難易度が高いのです。
2024年06月07日 06:24撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
3
6/7 6:24
2日目。起きたら曇。部屋からの風景。昼過ぎから雨の予報だ。ピストンだから行けるところまで行ってみよう。私には難易度が高いのです。
庚申講の本山とは知らなかった。庚申信仰の側からの説明で聞いたことがない。そもそも庚申信仰は複雑で諸説あるしなあ。
2024年06月06日 16:29撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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庚申講の本山とは知らなかった。庚申信仰の側からの説明で聞いたことがない。そもそも庚申信仰は複雑で諸説あるしなあ。
長い林道歩きが続く。まあ昨日もそうだったけど。
2024年06月07日 07:42撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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長い林道歩きが続く。まあ昨日もそうだったけど。
ヒメウツギかな。葉に毛がない。
2024年06月07日 08:06撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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ヒメウツギかな。葉に毛がない。
落石が多い林道だ。結構怖い。
2024年06月07日 08:12撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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落石が多い林道だ。結構怖い。
落石の集積所みたいになっている。
2024年06月07日 08:23撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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落石の集積所みたいになっている。
フタリシズカの群生。
2024年06月07日 08:29撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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フタリシズカの群生。
一の鳥居の小ささに驚く。
2024年06月07日 08:35撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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一の鳥居の小ささに驚く。
ここから登山道となるが、つい先日に崩落があったと、宿の方に教わった。
2024年06月07日 08:36撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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ここから登山道となるが、つい先日に崩落があったと、宿の方に教わった。
「お山巡りコース」は通り抜け出来なくなっている。山頂を目指すか、「お山巡りコース」で折り返すかの二択だ。山頂を目指します。(「お山巡りコース」は難易度が高いらしいし)
2024年06月07日 08:36撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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「お山巡りコース」は通り抜け出来なくなっている。山頂を目指すか、「お山巡りコース」で折り返すかの二択だ。山頂を目指します。(「お山巡りコース」は難易度が高いらしいし)
沢沿いの道は、参道だったらしく、石畳みの跡があった。
2024年06月07日 08:47撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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沢沿いの道は、参道だったらしく、石畳みの跡があった。
楽ちん楽ちんと思っていたが、、、
2024年06月07日 08:48撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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楽ちん楽ちんと思っていたが、、、
徐々に踏み跡が薄くなっていき、赤リボンと赤黄菱形マークに頼ることになる。
2024年06月07日 08:51撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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徐々に踏み跡が薄くなっていき、赤リボンと赤黄菱形マークに頼ることになる。
ここはルートをかなり外しています。踏み跡があったんだけどな。赤リボン探しを繰り返す体たらくでした。森は美しいんだけどね。
2024年06月07日 09:10撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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ここはルートをかなり外しています。踏み跡があったんだけどな。赤リボン探しを繰り返す体たらくでした。森は美しいんだけどね。
鏡岩。岩場はまだ先だが、こういう巨岩がたくさん出てくる。
2024年06月07日 09:20撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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鏡岩。岩場はまだ先だが、こういう巨岩がたくさん出てくる。
この説明にある「秩父系の古い地層」とは、秩父だけではなく九州にまで帯状に広がっていてかつて秩父古生層と呼ばれたものだろう(古生代)。しかしプレート理論により、現在はジュラ紀(中生代)の付加体と書き換えられた[斎藤靖二『日本列島の生い立ちを読む』1992岩波書店p88]。被覆層は更新世の溶岩・火砕岩からなる安山岩と地質図にある。備前楯山よりずっと新しい。地形が複雑なのは事実だ。
2024年06月07日 09:21撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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この説明にある「秩父系の古い地層」とは、秩父だけではなく九州にまで帯状に広がっていてかつて秩父古生層と呼ばれたものだろう(古生代)。しかしプレート理論により、現在はジュラ紀(中生代)の付加体と書き換えられた[斎藤靖二『日本列島の生い立ちを読む』1992岩波書店p88]。被覆層は更新世の溶岩・火砕岩からなる安山岩と地質図にある。備前楯山よりずっと新しい。地形が複雑なのは事実だ。
ヒメウツギは綺麗だね。
2024年06月07日 09:31撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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ヒメウツギは綺麗だね。
あれあれ、ここにまでオオバヤシャブシか、と思ったが、対生なのでチドリノキだろう。
2024年06月07日 09:31撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 9:31
あれあれ、ここにまでオオバヤシャブシか、と思ったが、対生なのでチドリノキだろう。
クワガタソウも登場した。
2024年06月07日 09:33撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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クワガタソウも登場した。
夫婦蛙岩、
2024年06月07日 09:41撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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夫婦蛙岩、
仁王門、、とそれぞれ名前が付いていた。
2024年06月07日 09:51撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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仁王門、、とそれぞれ名前が付いていた。
このあたりから樹相が変わる。林床にササが多くなり、これはヒノキだな。自生なのだろうか。
2024年06月07日 10:00撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 10:00
このあたりから樹相が変わる。林床にササが多くなり、これはヒノキだな。自生なのだろうか。
猿田彦神社跡に近づいてきた。
2024年06月07日 10:07撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 10:07
猿田彦神社跡に近づいてきた。
猿田彦神社は、一般に庚申講の神社である。
2024年06月07日 10:08撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 10:08
猿田彦神社は、一般に庚申講の神社である。
猿田彦神社は全国に沢山あるが、この猿田彦神社へはどの地域から信仰されたのだろうか。
2024年06月07日 10:08撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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猿田彦神社は全国に沢山あるが、この猿田彦神社へはどの地域から信仰されたのだろうか。
お山巡りのみちは、途中で通行止めなので今日は行かない。つい最近のことなのに、手書きはいつ書かれたのだろうか。
2024年06月07日 10:09撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 10:09
お山巡りのみちは、途中で通行止めなので今日は行かない。つい最近のことなのに、手書きはいつ書かれたのだろうか。
クワガタソウの群生。
2024年06月07日 10:11撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 10:11
クワガタソウの群生。
クワガタソウのアップ。
2024年06月07日 10:14撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 10:14
クワガタソウのアップ。
庚申山荘に着いた。現在、閉鎖中とのこと。再開はいつになるだろうか。
2024年06月07日 10:16撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 10:16
庚申山荘に着いた。現在、閉鎖中とのこと。再開はいつになるだろうか。
クリンソウ。
2024年06月07日 10:18撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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クリンソウ。
クリンソウのアップ。
2024年06月07日 10:19撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 10:19
クリンソウのアップ。
ミヤマカラマツ。
2024年06月07日 10:41撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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ミヤマカラマツ。
ここから岩場の連続となる。
2024年06月07日 10:39撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 10:39
ここから岩場の連続となる。
岩に張り付いて、たくさん咲いているぞ。コウシンソウだろうか。
2024年06月07日 10:40撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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岩に張り付いて、たくさん咲いているぞ。コウシンソウだろうか。
これはコウシンコザクラと呼ばれている花のようだ。
2024年06月07日 10:43撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 10:43
これはコウシンコザクラと呼ばれている花のようだ。
ハクサンコザクラとかミチノクコザクラとか、いろいろあるが、これはユキワリソウのようだ。葉の裏が白い。
2024年06月07日 10:44撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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ハクサンコザクラとかミチノクコザクラとか、いろいろあるが、これはユキワリソウのようだ。葉の裏が白い。
地元の言い方に敬意を表しコウシンコザクラと呼ぼう。
2024年06月07日 10:45撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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地元の言い方に敬意を表しコウシンコザクラと呼ぼう。
これは、、、ミツバツチグリ?
2024年06月07日 10:49撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 10:49
これは、、、ミツバツチグリ?
いや、エチゴキジムシロだ。5葉で下のが小さい。米山でたくさん咲いていたが、北関東にも分布すると言われる。
2024年06月07日 10:50撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 10:50
いや、エチゴキジムシロだ。5葉で下のが小さい。米山でたくさん咲いていたが、北関東にも分布すると言われる。
岩場が続き恐々登っていたが、そんなところに説明看板が。少し休めということだろうか。
2024年06月07日 10:57撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 10:57
岩場が続き恐々登っていたが、そんなところに説明看板が。少し休めということだろうか。
ここからハシゴ、、、
2024年06月07日 10:58撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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ここからハシゴ、、、
ハシゴの連続。
2024年06月07日 10:59撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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ハシゴの連続。
岩にはコウシンコザクラがたくさん。
2024年06月07日 11:06撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 11:06
岩にはコウシンコザクラがたくさん。
コウシンソウを探しながら、かつ慎重に登る。
2024年06月07日 11:07撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 11:07
コウシンソウを探しながら、かつ慎重に登る。
こういうクサリはいいんだけど。。。
2024年06月07日 11:10撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 11:10
こういうクサリはいいんだけど。。。
こういうのは怖いです。
2024年06月07日 11:12撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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こういうのは怖いです。
大胎内(分岐)に着いてホッとする。岩場の登りは相当に時間を費やした。
2024年06月07日 11:17撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 11:17
大胎内(分岐)に着いてホッとする。岩場の登りは相当に時間を費やした。
大胎内(分岐)で、お山巡りのみちと合流する。
2024年06月07日 11:18撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 11:18
大胎内(分岐)で、お山巡りのみちと合流する。
お山巡りのみちへは、立入禁止との表示。こっちは、もっともっと怖そうだな。それが好きな方もいるんだろうけど。
2024年06月07日 11:18撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 11:18
お山巡りのみちへは、立入禁止との表示。こっちは、もっともっと怖そうだな。それが好きな方もいるんだろうけど。
しかし、この先、山頂へに向けても、怖さの連続です。(クサリはある。右上)。コウシンソウを探すどころではない。
2024年06月07日 11:27撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 11:27
しかし、この先、山頂へに向けても、怖さの連続です。(クサリはある。右上)。コウシンソウを探すどころではない。
おまけに、ここは、ルートを完全に外しています。道らしいところがたくさん分岐しているんだな。懸垂しなければ登れない岩を無理に登っておかしいと思ったら、赤リボンと赤黄菱形マークがなくなっていたので慌てた。
2024年06月07日 11:37撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 11:37
おまけに、ここは、ルートを完全に外しています。道らしいところがたくさん分岐しているんだな。懸垂しなければ登れない岩を無理に登っておかしいと思ったら、赤リボンと赤黄菱形マークがなくなっていたので慌てた。
でもせっかく来たからコウシンソウを探す。しかし、岩に張り付いているのはコウシンコザクラばかり。
2024年06月07日 11:41撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 11:41
でもせっかく来たからコウシンソウを探す。しかし、岩に張り付いているのはコウシンコザクラばかり。
キバナウツギ。
2024年06月07日 11:35撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 11:35
キバナウツギ。
なんと、タチツボスミレ。この花の生育区域は広いなあ。
2024年06月07日 11:37撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 11:37
なんと、タチツボスミレ。この花の生育区域は広いなあ。
戻って、富士見台はすぐでした。
2024年06月07日 11:51撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 11:51
戻って、富士見台はすぐでした。
富士山が見えるのかな。
2024年06月07日 11:52撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 11:52
富士山が見えるのかな。
近くにはシロヤシオ。終期です。
2024年06月07日 11:48撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 11:48
近くにはシロヤシオ。終期です。
ここからはなだらかな道となり、ホッとする。
2024年06月07日 11:52撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 11:52
ここからはなだらかな道となり、ホッとする。
亜高山針葉樹林帯だ。
2024年06月07日 12:08撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 12:08
亜高山針葉樹林帯だ。
庚申山登頂です。あまり山頂っぽくないな。展望台がすぐ先にあるようだが、この天気だと展望は期待できない。雨も心配だ。ここで昼食です。
2024年06月07日 12:10撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 12:10
庚申山登頂です。あまり山頂っぽくないな。展望台がすぐ先にあるようだが、この天気だと展望は期待できない。雨も心配だ。ここで昼食です。
見上げると、オガラバナのようだ。花も咲いている。亜高山針葉樹林帯のカエデはミネカエデとこれだけ。
2024年06月07日 12:37撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 12:37
見上げると、オガラバナのようだ。花も咲いている。亜高山針葉樹林帯のカエデはミネカエデとこれだけ。
オオシラビソかな。シラビソとの区別がなかなかできない。
2024年06月07日 12:41撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/7 12:41
オオシラビソかな。シラビソとの区別がなかなかできない。
オオシラビソやコメツガの森。
2024年06月07日 12:42撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/7 12:42
オオシラビソやコメツガの森。
ここから岩場を降りることとなる。これが一番上の岩場というわけだ。
2024年06月07日 12:51撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 12:51
ここから岩場を降りることとなる。これが一番上の岩場というわけだ。
恐る恐る降りていくと、後ろからペアの一組がぐいぐいと追い付いてくる。(すれ違いは5,6組ほどだった)
2024年06月07日 13:22撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 13:22
恐る恐る降りていくと、後ろからペアの一組がぐいぐいと追い付いてくる。(すれ違いは5,6組ほどだった)
大胎内(分岐)で大休止して先に行ってもらう。しかし、どこから来られたのだろう。追い越されたりすれ違った記憶はないのだ(皇海山からか)。ズダヤクシュ。
2024年06月07日 13:24撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 13:24
大胎内(分岐)で大休止して先に行ってもらう。しかし、どこから来られたのだろう。追い越されたりすれ違った記憶はないのだ(皇海山からか)。ズダヤクシュ。
ここから分岐するお山巡りのみちの通行止めの表示を見て、残念がっていた。相当の熟練者のようだ。すいすいと下って行った。クルマバツクバネソウ。
2024年06月07日 13:36撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 13:36
ここから分岐するお山巡りのみちの通行止めの表示を見て、残念がっていた。相当の熟練者のようだ。すいすいと下って行った。クルマバツクバネソウ。
それに引き換え私には、この山は手強過ぎとつくづく感じたのだった。クルマバツクバネソウの花。
2024年06月07日 13:36撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 13:36
それに引き換え私には、この山は手強過ぎとつくづく感じたのだった。クルマバツクバネソウの花。
岩場の下りは、登りより数倍怖いのだ。カメラを背中のバックに格納し、意を決して降りていく。(しばらく写真無)
2024年06月07日 13:40撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 13:40
岩場の下りは、登りより数倍怖いのだ。カメラを背中のバックに格納し、意を決して降りていく。(しばらく写真無)
カメラを取り出したのは、庚申山荘付近。これを写すの忘れていた。アオモリトドマツとあるからオオシラビソだな。
2024年06月07日 14:17撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 14:17
カメラを取り出したのは、庚申山荘付近。これを写すの忘れていた。アオモリトドマツとあるからオオシラビソだな。
下りでも2回、ルートを外したが、思ったよりは怖くなかった。雨が降らなかったことも幸いした。登りでルートを外した原因の個所だけ掲げておこう。倒木が登山道を塞いでいて、迂回したままあらぬ方向へ行ってしまったのだ。
2024年06月07日 14:59撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 14:59
下りでも2回、ルートを外したが、思ったよりは怖くなかった。雨が降らなかったことも幸いした。登りでルートを外した原因の個所だけ掲げておこう。倒木が登山道を塞いでいて、迂回したままあらぬ方向へ行ってしまったのだ。
予定時間を大幅に短縮していたので、庚申七滝に寄った。
2024年06月07日 15:12撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 15:12
予定時間を大幅に短縮していたので、庚申七滝に寄った。
滝の一つ。紅葉期には素晴らしそう。自然一杯の庚申山でした。
2024年06月07日 15:13撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 15:13
滝の一つ。紅葉期には素晴らしそう。自然一杯の庚申山でした。
長い林道歩きの末、銀山平に到着です。車で来られていたソロの方に話しかけられる。駅まで歩くと言ったら吃驚していたが、お山巡りコース崩落を残念がっていた彼女は車中泊で明朝登るという。そちらの方が私には驚異だ。世の中には猛者がいるものだ。
2024年06月07日 16:04撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 16:04
長い林道歩きの末、銀山平に到着です。車で来られていたソロの方に話しかけられる。駅まで歩くと言ったら吃驚していたが、お山巡りコース崩落を残念がっていた彼女は車中泊で明朝登るという。そちらの方が私には驚異だ。世の中には猛者がいるものだ。
ここからは駅まで車道歩き。約1時間半なので私には大したことない。しかし、足尾鉱山という歴史に直面せざるを得ない道なのであった。まずは強制労働の中国人殉難の話。
2024年06月07日 16:09撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 16:09
ここからは駅まで車道歩き。約1時間半なので私には大したことない。しかし、足尾鉱山という歴史に直面せざるを得ない道なのであった。まずは強制労働の中国人殉難の話。
銀山平とは、社宅があった場所だったんだ。銀も発見されたからその名があるようだ。
2024年06月07日 16:12撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/7 16:12
銀山平とは、社宅があった場所だったんだ。銀も発見されたからその名があるようだ。
しばらく行くと小滝抗跡。
2024年06月07日 16:23撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 16:23
しばらく行くと小滝抗跡。
三つあった坑道口の一つ。それぞれの坑道口に鉱山施設と街が生まれたわけだ。
2024年06月07日 16:24撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 16:24
三つあった坑道口の一つ。それぞれの坑道口に鉱山施設と街が生まれたわけだ。
三つの坑道口は備前楯山の真下で坑道が繋がっていた。
2024年06月07日 16:25撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 16:25
三つの坑道口は備前楯山の真下で坑道が繋がっていた。
旧小滝橋も遺構の一つ。
2024年06月07日 16:26撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 16:26
旧小滝橋も遺構の一つ。
これは浴場跡。
2024年06月07日 16:27撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 16:27
これは浴場跡。
坑夫のための風呂。
2024年06月07日 16:27撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 16:27
坑夫のための風呂。
小滝という大拠点はここだけで1万人を擁していたが、1954年に一気に撤収されたという。
2024年06月07日 16:30撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 16:30
小滝という大拠点はここだけで1万人を擁していたが、1954年に一気に撤収されたという。
当時の社宅。
2024年06月07日 16:32撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/7 16:32
当時の社宅。
当時の選鉱所。
2024年06月07日 16:33撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
2
6/7 16:33
当時の選鉱所。
今は、何もない。
2024年06月07日 16:34撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 16:34
今は、何もない。
「小滝の里」という碑だけがある。
2024年06月07日 16:32撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 16:32
「小滝の里」という碑だけがある。
精錬所・選鉱所の遺構。
2024年06月07日 16:33撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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精錬所・選鉱所の遺構。
回りには、いろいろ遺構が残っているようだ。たまたま昨日のわたらせ渓谷鐵道でお会いした方は、こうした遺構を記録に残すため何十回も来ているという。渡良瀬遊水地の谷中村に注目する人はいても、こちらに注目する人は少ないから、と。
2024年06月07日 16:48撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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回りには、いろいろ遺構が残っているようだ。たまたま昨日のわたらせ渓谷鐵道でお会いした方は、こうした遺構を記録に残すため何十回も来ているという。渡良瀬遊水地の谷中村に注目する人はいても、こちらに注目する人は少ないから、と。
足尾鉱山を世界遺産にという動きもあるようだが、残して何を伝えるかがポイントだな、と考えながら駅に急いだ。
2024年06月07日 16:53撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 16:53
足尾鉱山を世界遺産にという動きもあるようだが、残して何を伝えるかがポイントだな、と考えながら駅に急いだ。
この色は、ダム湖に近づいてきたな。
2024年06月07日 17:03撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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この色は、ダム湖に近づいてきたな。
庚申ダム。1985年にできた専ら水力発電用のようだ。昨日見た足尾ダムは土砂災害防止の砂防ダムだし、治水ダムは渡良瀬遊水地ができたからもういらないということなのか。
2024年06月07日 17:08撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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庚申ダム。1985年にできた専ら水力発電用のようだ。昨日見た足尾ダムは土砂災害防止の砂防ダムだし、治水ダムは渡良瀬遊水地ができたからもういらないということなのか。
でかい庚申塔があった。
2024年06月07日 17:23撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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でかい庚申塔があった。
なるほど江戸の庚申講から来ていたことは確かなんだな。銅山のお陰で参拝道も変わったわけだ。明治になっても庚申信仰は続いていたわけだな。意外に最近までなのかもしれない。
2024年06月07日 17:23撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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なるほど江戸の庚申講から来ていたことは確かなんだな。銅山のお陰で参拝道も変わったわけだ。明治になっても庚申信仰は続いていたわけだな。意外に最近までなのかもしれない。
国道に出た。昨日以来久しぶりに人家があって、なぜかホッとする。ずっと廃村・廃墟ばかりが続いていたのにはゾッとしない。怖いほどだ。
2024年06月07日 17:27撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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国道に出た。昨日以来久しぶりに人家があって、なぜかホッとする。ずっと廃村・廃墟ばかりが続いていたのにはゾッとしない。怖いほどだ。
見えるは原集落。恐らく足尾銅山前からあったから、閉山後は寂れたにしても、今でも続いているのだろう。一方、銅山のためにできた集落が閉山後なくなるのは当然かもしれない。
2024年06月07日 17:34撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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見えるは原集落。恐らく足尾銅山前からあったから、閉山後は寂れたにしても、今でも続いているのだろう。一方、銅山のためにできた集落が閉山後なくなるのは当然かもしれない。
原向駅に到着です。終電の19:56に間に合うかも心配だったが、1本前に乗れる。
2024年06月07日 17:39撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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原向駅に到着です。終電の19:56に間に合うかも心配だったが、1本前に乗れる。
原向駅のホームには登山ポスト。靴を洗える場所もあった。登山用の駅という感じだ。
2024年06月07日 17:39撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/7 17:39
原向駅のホームには登山ポスト。靴を洗える場所もあった。登山用の駅という感じだ。
わたらせ渓谷鐵道がやってきた。
2024年06月07日 18:35撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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わたらせ渓谷鐵道がやってきた。
乗客は誰もいなかった。途中で一人の地元の方らしき方が乗ってきた。あとは桐生近くで高校生。生活路線なんだな。
2024年06月07日 18:36撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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乗客は誰もいなかった。途中で一人の地元の方らしき方が乗ってきた。あとは桐生近くで高校生。生活路線なんだな。
わたらせ渓谷鐵道の終電だと家に帰れないので、桐生に後泊した。ここまで来て渡良瀬遊水地を見ない訳にはいかない。3日目となる。(以下、電車・バスの移動が多いのでGPSログ登録は省略しました。付録として別記録として登録しました)
2024年06月08日 07:45撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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わたらせ渓谷鐵道の終電だと家に帰れないので、桐生に後泊した。ここまで来て渡良瀬遊水地を見ない訳にはいかない。3日目となる。(以下、電車・バスの移動が多いのでGPSログ登録は省略しました。付録として別記録として登録しました)
まずはJRと東武伊勢崎線を乗り継いで茂林寺前駅へ。
2024年06月08日 08:56撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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まずはJRと東武伊勢崎線を乗り継いで茂林寺前駅へ。
茂林寺は分福茶釜の民話の基となったお寺だ。
2024年06月08日 09:06撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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茂林寺は分福茶釜の民話の基となったお寺だ。
勿論、茂林寺が目的ではなく茂林寺沼の低地湿原があるからだ。
2024年06月08日 09:10撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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勿論、茂林寺が目的ではなく茂林寺沼の低地湿原があるからだ。
最近、日本遺産にも登録された。渡良瀬川と利根川に挟まれた館林の低地には多くの沼と湿地が存在した。人は沼と共生してきたので里山ならぬ里沼と呼ぶ。ほとんどの沼は消滅したが、ここが残ったのは茂林寺があったからだ。だから「祈りの沼」。社叢林のようなものか。
2024年06月08日 09:10撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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最近、日本遺産にも登録された。渡良瀬川と利根川に挟まれた館林の低地には多くの沼と湿地が存在した。人は沼と共生してきたので里山ならぬ里沼と呼ぶ。ほとんどの沼は消滅したが、ここが残ったのは茂林寺があったからだ。だから「祈りの沼」。社叢林のようなものか。
住宅地の真ん中にこんな広い湿地が残されたとは驚きだ。木道が整備され散策できる。
2024年06月08日 09:20撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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住宅地の真ん中にこんな広い湿地が残されたとは驚きだ。木道が整備され散策できる。
一面生い茂っているのはヨシだと思う(水生植物には無知なんです)。植生的には汚水などによりヨシが少なくなるなど悪化しているというが、ぜひ守っていきたいものだ。
2024年06月08日 09:16撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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一面生い茂っているのはヨシだと思う(水生植物には無知なんです)。植生的には汚水などによりヨシが少なくなるなど悪化しているというが、ぜひ守っていきたいものだ。
続いて東武佐野線で佐野駅へ。
2024年06月08日 10:22撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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続いて東武佐野線で佐野駅へ。
佐野市は田中正造の生地であり、佐野市郷土博物館には遺品が多く展示されている。
2024年06月08日 11:00撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/8 11:00
佐野市は田中正造の生地であり、佐野市郷土博物館には遺品が多く展示されている。
田中正造の特別室があり、撮影禁止だったが、亡くなった時の遺品や絶筆の文章などが展示されていた。多くの人が熱心に観覧していた、
2024年06月08日 10:43撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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田中正造の特別室があり、撮影禁止だったが、亡くなった時の遺品や絶筆の文章などが展示されていた。多くの人が熱心に観覧していた、
平成26年に天皇皇后が、「足尾鉱毒で被害を受けた自然が回復しつつある様子を見たい」という私的な旅行の様子が報告されていた。渡良瀬遊水地だけでなく松木渓谷(鉱害で廃村となった松木村だ!)にも行っているとは。
2024年06月08日 10:43撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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平成26年に天皇皇后が、「足尾鉱毒で被害を受けた自然が回復しつつある様子を見たい」という私的な旅行の様子が報告されていた。渡良瀬遊水地だけでなく松木渓谷(鉱害で廃村となった松木村だ!)にも行っているとは。
博物館の庭にあった石碑。
2024年06月08日 11:00撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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博物館の庭にあった石碑。
田中正造の和歌だった。明治31年とはまだ、衆議院議員時代。天皇直訴や谷中村移住はこの後のことだ。
2024年06月08日 11:00撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/8 11:00
田中正造の和歌だった。明治31年とはまだ、衆議院議員時代。天皇直訴や谷中村移住はこの後のことだ。
博物館からしばらく歩くと佐野厄除け大師こと、惣宗寺がある。ここで田中正造の葬式が行われた。
2024年06月08日 11:15撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/8 11:15
博物館からしばらく歩くと佐野厄除け大師こと、惣宗寺がある。ここで田中正造の葬式が行われた。
ここに田中正造のお墓の一つがあるのだ。お墓は渡良瀬川流域に六つある。分骨されたのである(仏陀みたい)。どこか一つだけでもお参りしたかった。
2024年06月08日 11:13撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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ここに田中正造のお墓の一つがあるのだ。お墓は渡良瀬川流域に六つある。分骨されたのである(仏陀みたい)。どこか一つだけでもお参りしたかった。
佐野市駅で東武佐野線に再び乗って、、、
2024年06月08日 11:30撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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佐野市駅で東武佐野線に再び乗って、、、
館林駅へ。
2024年06月08日 11:54撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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館林駅へ。
ここに、「足尾鉱毒事件 田中正造記念館」がある。館林市は渡良瀬川下流の鉱毒被害地の一つであり、市内の雲龍寺が鉱業停止を求める拠点だった。2006年に足尾鉱毒事件を風化させないため開設され、NPOにより運営されている。
2024年06月08日 12:11撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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ここに、「足尾鉱毒事件 田中正造記念館」がある。館林市は渡良瀬川下流の鉱毒被害地の一つであり、市内の雲龍寺が鉱業停止を求める拠点だった。2006年に足尾鉱毒事件を風化させないため開設され、NPOにより運営されている。
ここがとても良かった。足尾銅山での煙害による松木村廃村、渡良瀬川流域の鉱毒被害、洪水による治水問題への転化、谷中村の強制破壊に至るまで総合的に解説されていた。常に田中正造がいた。
2024年06月08日 12:27撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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ここがとても良かった。足尾銅山での煙害による松木村廃村、渡良瀬川流域の鉱毒被害、洪水による治水問題への転化、谷中村の強制破壊に至るまで総合的に解説されていた。常に田中正造がいた。
谷中村の強制破壊後の仮小屋の写真。田中正造はその死まで村民と一緒に谷中村に「身を捨てた」(先の和歌)。
2024年06月08日 12:27撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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谷中村の強制破壊後の仮小屋の写真。田中正造はその死まで村民と一緒に谷中村に「身を捨てた」(先の和歌)。
谷中村の水没の写真。
2024年06月08日 12:29撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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谷中村の水没の写真。
渡良瀬遊水地の史跡保全ゾーンは、村民の抵抗により残された。
2024年06月08日 12:33撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/8 12:33
渡良瀬遊水地の史跡保全ゾーンは、村民の抵抗により残された。
展示は、現在への示唆に富んでいた。田中正造が最後に取り組んだのが治水問題。気候変動が現在の課題だ。NPOの方は丁寧的確に私の質問に答えてくれた。(詳細は感想に)
2024年06月08日 12:30撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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展示は、現在への示唆に富んでいた。田中正造が最後に取り組んだのが治水問題。気候変動が現在の課題だ。NPOの方は丁寧的確に私の質問に答えてくれた。(詳細は感想に)
続いて館林城址。館林藩だ。
2024年06月08日 12:58撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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続いて館林城址。館林藩だ。
城沼。日本遺産では「守りの沼」。館林城があったから残された。
2024年06月08日 13:38撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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城沼。日本遺産では「守りの沼」。館林城があったから残された。
城沼には湿地はないけど、館林藩以来の躑躅ヶ岡があり、ツツジの古木がある。ここも残された自然。半自然かな。
2024年06月08日 13:44撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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城沼には湿地はないけど、館林藩以来の躑躅ヶ岡があり、ツツジの古木がある。ここも残された自然。半自然かな。
ここからはバスで、、、
2024年06月08日 13:53撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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ここからはバスで、、、
板倉東洋大駅です。
2024年06月08日 14:34撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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板倉東洋大駅です。
渡良瀬遊水地から一番近い駅。正面に、板倉町のわたらせ自然館 がある。
2024年06月08日 14:40撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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渡良瀬遊水地から一番近い駅。正面に、板倉町のわたらせ自然館 がある。
ここは専ら渡良瀬遊水地の自然紹介。かつて花探しに渡良瀬遊水地を散策しようと計画したことがあった(茂林寺沼湿原もその時知った)。しかし、足尾銅山や田中正造のことを知ると奇妙に感じるようになった。ここは自然なのか。何のための遊水地なのか。
2024年06月08日 14:43撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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ここは専ら渡良瀬遊水地の自然紹介。かつて花探しに渡良瀬遊水地を散策しようと計画したことがあった(茂林寺沼湿原もその時知った)。しかし、足尾銅山や田中正造のことを知ると奇妙に感じるようになった。ここは自然なのか。何のための遊水地なのか。
渡良瀬遊水地は賑やかだった。
2024年06月08日 14:57撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/8 14:57
渡良瀬遊水地は賑やかだった。
青い水面、青い海、この写真の場所は違うがヨシがたくさん。美しいと素直になれない自分がいる。
2024年06月08日 14:58撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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青い水面、青い海、この写真の場所は違うがヨシがたくさん。美しいと素直になれない自分がいる。
ここに来たのは、植物観察でもバードウォッチングでもなく、谷中村の現在の姿を見ておきたかった。谷中村史跡保存ゾーンへ。
2024年06月08日 15:31撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/8 15:31
ここに来たのは、植物観察でもバードウォッチングでもなく、谷中村の現在の姿を見ておきたかった。谷中村史跡保存ゾーンへ。
谷中村史跡保存ゾーンの入り口に掲示されていた説明。嘘は書いていないが、1906年以降のことが省略されている。掲示の主も不明だ。
2024年06月08日 15:31撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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谷中村史跡保存ゾーンの入り口に掲示されていた説明。嘘は書いていないが、1906年以降のことが省略されている。掲示の主も不明だ。
左側のヨシの向こうが谷中村史跡保存ゾーンだ。
2024年06月08日 15:37撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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左側のヨシの向こうが谷中村史跡保存ゾーンだ。
ここでは植物観察しないと言いながらつい写してしまう。クサフジ。(今の季節は草地の野草の花は時季外れ。早春は花盛りらしい)
2024年06月08日 15:40撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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ここでは植物観察しないと言いながらつい写してしまう。クサフジ。(今の季節は草地の野草の花は時季外れ。早春は花盛りらしい)
ここから谷中村史跡保存ゾーンだ。
2024年06月08日 15:42撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/8 15:42
ここから谷中村史跡保存ゾーンだ。
湿地帯はヨシで覆われている。
2024年06月08日 15:42撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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湿地帯はヨシで覆われている。
いきなり墓地が出現する。
2024年06月08日 15:44撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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いきなり墓地が出現する。
延命院跡とある。左の赤いのは、谷中村への連絡ポストだ。
2024年06月08日 15:44撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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延命院跡とある。左の赤いのは、谷中村への連絡ポストだ。
雷雷神社跡。
2024年06月08日 15:47撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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雷雷神社跡。
この場所は今は栃木市だ。栃木市の説明板。ゾーン入口の説明板と比べると、谷中村への敬意が伺われる。
2024年06月08日 15:46撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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この場所は今は栃木市だ。栃木市の説明板。ゾーン入口の説明板と比べると、谷中村への敬意が伺われる。
こういう屋敷跡の石碑がたくさんあった。
2024年06月08日 15:52撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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こういう屋敷跡の石碑がたくさんあった。
谷中村の現在。
2024年06月08日 15:53撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/8 15:53
谷中村の現在。
果てしなく続くヨシ。
2024年06月08日 16:05撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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果てしなく続くヨシ。
谷中村役場跡。
2024年06月08日 16:07撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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谷中村役場跡。
こういった墓や寺跡や神社跡や役場跡を残すために、谷中池はハート形になった。ハートランドとはこういうことだったのか。
2024年06月08日 16:06撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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こういった墓や寺跡や神社跡や役場跡を残すために、谷中池はハート形になった。ハートランドとはこういうことだったのか。
谷中村の歴史が丁寧に書かれていた。
2024年06月08日 16:06撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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6/8 16:06
谷中村の歴史が丁寧に書かれていた。
谷中村・渡良瀬遊水地タワーから見た谷中村。
2024年06月08日 16:21撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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谷中村・渡良瀬遊水地タワーから見た谷中村。
タワーには平成27年の台風による水位が示してあった。令和元年(2019)の台風ではもっと水位が上がったと、「足尾鉱毒事件 田中正造記念館」の方が教えてくれた。
2024年06月08日 16:18撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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タワーには平成27年の台風による水位が示してあった。令和元年(2019)の台風ではもっと水位が上がったと、「足尾鉱毒事件 田中正造記念館」の方が教えてくれた。
田中正造が追求した課題はまだまだ解決されていないのだ、と恐怖に怯えて、とぼとぼと藤岡駅(谷中村の消滅後は藤岡町となった。今は栃木市)まで歩いた。
2024年06月08日 17:30撮影 by  Canon EOS 6D, Canon
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田中正造が追求した課題はまだまだ解決されていないのだ、と恐怖に怯えて、とぼとぼと藤岡駅(谷中村の消滅後は藤岡町となった。今は栃木市)まで歩いた。
★さて、コウシンソウです。絶滅危惧種なので、慣例により撮影場所は伏せておきますが、相当数がコウシンコザクラとともに群生していました。(感想に場所のヒントがあります)
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★さて、コウシンソウです。絶滅危惧種なので、慣例により撮影場所は伏せておきますが、相当数がコウシンコザクラとともに群生していました。(感想に場所のヒントがあります)
日本固有種。明治23年に庚申山で発見された。日光山塊の数か所のみに分布。近縁種はシベリアやサハリンに分布するので、氷河期の生き残り種といわれる。日本列島の氷河期が終わり亜高山に隔離されて、悪環境を生き延びるため独立種を形成するまで独自の進化を遂げた。
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日本固有種。明治23年に庚申山で発見された。日光山塊の数か所のみに分布。近縁種はシベリアやサハリンに分布するので、氷河期の生き残り種といわれる。日本列島の氷河期が終わり亜高山に隔離されて、悪環境を生き延びるため独立種を形成するまで独自の進化を遂げた。
垂直な岩にどうやって張り付いているんだろう。触るわけにもいかないからな。根は発達せず、水分も葉から吸収しているんだとか。
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垂直な岩にどうやって張り付いているんだろう。触るわけにもいかないからな。根は発達せず、水分も葉から吸収しているんだとか。
食虫植物である。多くの虫を捕獲していた。葉がべとべとしているんだろうか、触りたい気持ちを抑えるのに必死だった。
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食虫植物である。多くの虫を捕獲していた。葉がべとべとしているんだろうか、触りたい気持ちを抑えるのに必死だった。
こう見るとスミレに似ている。同じタヌキモ科ムリトリスミレ属の食虫植物ムシトリスミレは、花枝が分岐しない。それが決定的な違いだという。
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こう見るとスミレに似ている。同じタヌキモ科ムリトリスミレ属の食虫植物ムシトリスミレは、花枝が分岐しない。それが決定的な違いだという。
毎年この花を見に来られる方が多いというのもわかるなあ。けなげに咲いているのでした。
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毎年この花を見に来られる方が多いというのもわかるなあ。けなげに咲いているのでした。
撮影機器:

感想

怖かった。庚申山の連続するハシゴやクサリは転落しそうだし、何度もルートを外して戻れなくなるかと思った。

足尾銅山は、さらに怖かった。廃墟の続く誰もいない道は心細く、かつての「栄華」を偲ぶところではない。例えば、山村の廃村はまだ歩いていて気持ちがよい。豊かな自然に完全に戻っているからだ。しかし、ハゲ山となった廃墟は緑が少し復活していても、それは自然とは感じられなかった。

でも足尾銅山の廃村はまだよい。渡良瀬遊水地による谷中村の廃村は、強制破壊だったのでさらに悲惨だ。

今回、足尾銅山と渡良瀬遊水地を歩いてみて、そして「足尾鉱毒事件 田中正造記念館」の方とお話しして、さらに怖くなった。田中正造が最期に取り組んだ治水問題は、まだ解決されていないことに思い当たった。その怖さとは何だったか。

(計画経緯)
6月に咲く花はないかと調べて知ったのが、コウシンソウだった。日光男体山や庚申山などの日光山塊付近だけに咲く絶滅危惧種。個体数は少ないようだったので、自分に見つけられるとは思わなかった。しかし、初めて聞く庚申山という名が気になった。調べてみると庚申講にやはり関係があるようだ。

霊山は好きなのでルートの検討を始めた。車を使わないと、銀山平で前泊するしかない。前泊の日に何するかがいつも悩みの種だが、足尾銅山があるではないか。

しかし、らくルートで庚申山のピストンで原向駅まで行く計算をするとわたらせ鉄道の終電に間に合わないのである。車道歩きで稼げば何とかなるかなと考えたが、その終電に間に合ったとしても家には帰り付けない。桐生で後泊をするしかない。この三日目をどうするか。

足尾銅山と来れば、渡良瀬遊水地だ。ここは前々から行きたかった。貴重種も咲く植物観察の場としてチェックしていたのだ(6月は時季外れだが)。

こうして計画が出来上がった。数か月前のことである。その間、よく知らないでいた田中正造を、学生時代以来久しぶりに読み始めた。

(庚申山より田中正造に夢中)
田中正造と足尾鉱毒事件は思いのほか根が深かった。水没・廃村した谷中村の遺跡が存在することを知り、鉱毒問題が治水問題に転化したことを知った。田中正造も最期に治水問題に取り組んでいたようだった。

しかし、渡良瀬遊水地は谷中村を犠牲にすることで、鉱毒問題の矛先を洪水問題へ変える明治政府の策略だと行く前は思っていた。

計画時には、田中正造のゆかりの地をどのように回るかを考えるだけで大変だった。墓だけでも分骨されたので6つもあるのだ。田中正造を展示する博物館も、実際回ったもの以外にも、栃木市や古河市などたくさんあった。

電車とバスをできる限り効率的に使って1日で精一杯回れる行程を組んだ(三日目)。洩れたスポットはまだ多く、もう1泊しようかと考えたほどだった。

その中に、館林市の「足尾鉱毒事件 田中正造記念館」を入れたのは博物館では最も各方面に目を配っていそうだったからだ。「里沼」を入れたのは、残された湿地と、造られた湿地(渡良瀬遊水地)を比較してみたかったからだ。

(備前楯山・庚申山と足尾銅山〜美しき自然と捨てた村)
実際に行ってみてまず感じたこと。足尾銅山は広かった。1日では歩いて1周できない。その円周ほぼ同距離に3つの坑道口があり、その3つを中心に鉱山施設と街が建設された。だから広いのである。

それは賑わっただろうが、山は周辺を含めてハゲ山となった。とてつもない巨大な自然破壊の場だ。

今、わずかに残る「産業遺跡群」は廃墟そのものであり、本山と小滝の坑道口の街は跡形もない。かつ自然も感じられないそこを歩くのは、決して楽しいものではなかった。

村の「往時の賑わい」を示す写真があちこちに掲げられていたが、本山や小滝の集落は古河財閥が作って捨てた村だ。鉱山労働者に同情はしなければなるまいが、伝えられるものが何かあるのだろうか。産業遺産なのか。明治の殖産興業を支えた栄光なのか。

ハゲ山化した森は、懸命な植栽活動がボランティアも含めて続けられているようだが、そう簡単なことではなさそうだ。銅山がこの地に残した負の遺産は、相当の年月をかけないと回復しない。

しかし、森が被害を受けたとされる備前楯山は、意外にも美しいミズナラ林を歩くルートだった。状態の良い自然林を選んで登山道が設置されたのかもしれない。それとも備前楯山は自然の力を越えるまでの被害ではなかったのか。

少し離れた庚申山は、足尾銅山とは別世界だった。ミズナラ林からオオシラビソ林へと遷移する森林は美しかった。

亜高山帯の岩場に入ったとたんに、多くの美しい花々が咲き誇るようになった。コウシンコザクラ(ユキワリソウ)はそれこそ乱舞していた。そしてコウシンソウが儚く、しかししっかりと群をなしていた。何かを訴えるように。

(渡良瀬遊水地と谷中村〜作った自然と捨てさせられた村)
渡良瀬遊水地のために廃村となった谷中村の光景は、足尾銅山の捨てられた村と一見同様の緑に覆われていた。この二つの村跡は重なって見えた。しかし、こちらは「捨てた」のではなく強制的に「捨てさせられた」。

谷中村は現在はヨシに覆われていた。それは茂林寺沼の低地湿原のヨシと同じ光景だった。この二つのヨシは重なって見えた。しかし、茂林寺沼という「里沼」は人の生活の中で共生して守られた自然なのに対し、谷中村の現在は一方的に作った自然だ。

谷中村では、茂林寺沼と同様に自然と共生していたはずだ。その自然が壊されて、新たに作り直された。そこには生活はない。それを共生とは言わないだろう。

この違いは大きい。

(もやもやしていたもの)
足尾銅山の廃された村が伝えられるものは何だろうかと書いた。一方、谷中村は伝えなければならない。少なくとも、栃木市の説明板の言う通り、「渡良瀬遊水地は、谷中村廃村や周辺地域の人々の大きな犠牲のもとにあることを忘れてはなりません」というのは確かだ。

しかし、過去の歴史を記憶し伝えることだけなのだろうか。

田中正造は、議員辞職後、強制破壊された谷中村に、村民と一緒にその死まで住み着いて活動を続けた。そのころには世論からも孤立していたという。争点は鉱毒問題から治水問題へと移っていた。

私は、明治政府が論点をずらしたんだと思っていた。足尾銅山の鉱業停止を治水問題にすり替えた。その渡良瀬遊水地という解決策が正しかったのかが疑問だった。治水というならもっと良い方法があったはずだ。例えば、洪水対策ならばもっと上流で貯めればよい、と。しかし、、、。

(田中正造の遺したもの)
館林市の「足尾鉱毒事件 田中正造記念館」は、足尾鉱毒事件の一連の問題を丁寧に総合的に解説していて、手作り感あふれる展示に好感を持ち、この疑問をぶつけてみた。客は他におらず、二人の係の方から何でも質問してください、と言われていた。

丁寧に答えてくれた。きまりきったストレートな回答ではなく対話となった。渡良瀬遊水地は、正しくもあり誤りでもあるということだった。次のようなことが判った。

2019年の台風の時、渡良瀬遊水地は溢れんばかりだった。遊水地がなかったら大洪水になっていただろう。遊水地のお陰で洪水を防ぐことが出来た。しかし、堰き止めたり貯めたりするのには限界がある。

田中正造は最後に治水問題に取り組んで、こう言っている。「そもそも河川治水の本義は天然の地勢を順用するにあり、水勢の赴くところに任せてこれに干渉せざりを本義とせり」(「治水論考」1911年 注1)。

田中正造の行動は、渡良瀬川のため、足尾銅山の鉱害が下流に被害を及ぼしたのが発端だったが、その間、何度も渡良瀬川下流は大洪水に見舞われた。そこで、遊水地の建設(=谷中村廃村)になったわけだが、もとをただせば、東京湾に流れていた利根川を曲げて渡良瀬川につなげた(江戸時代初期に銚子に流した)結果、渡良瀬川が逆流していたのが主因だった。これを、田中正造は自ら各地を歩いて調査をした。そのうえで、そのように言っているわけだ。

「足尾鉱毒事件 田中正造記念館」では、異常気象に伴う近年の多くの洪水発生についても展示されていた。

NPOの方との対話を通じて、その意味がやっとわかった。

つまり、田中正造の取り組んだ課題はいまだ解決されていないわけだ。異常気象もあり、ますます洪水の脅威は高まっている。今回の3日間の最後に抱いた恐怖というのはこういうことだ。

(こうしてコウシンソウの話になる)
田中正造はこうも言っている。

「山や河川の寿命は、万億の長き生命なり、ゆえに今渡良瀬川を50年60年の以前に戻すことは、山河の寿命よりすれば誠に一朝の回復のみ。人の寿命は5,60年である。人の生命は短い。その短き生命より割り出す人の事業は、その生命もまた甚だみじかいものである」(「議会提出嘆願書の趣旨」1910年 注2)

山は水をためて少しずつ流す、川は流水をさえぎらずそのまま流すこと。短い命の人は、自然と共生して、山や川、天地と共に生きていくこと。

よくよく考えれば、あたりまえの話ではある。しかし、いつしかこのあたりまえのことを忘れてしまう。

しかし、田中正造は終生、貫き通した。そして最晩年には、「日本死しても天地ハ死せず、天地と共ニ生きたる言動を以てせよ。天地と共ニ久しきに答へよ」(「川島要次郎・島田宗三宛書簡」1913年 注3)との境地に達した。

こうして、全く別物と思っていた庚申山のコウシンソウの健気な姿を思い出すのだった。

コウシンソウは、氷河期の生き残り種といわれる(注4)。氷河期は、もっとも最近のものでも数万年前である。その後、氷河期が終わって孤立し、あの標高2000m近い厳しい環境の狭い岩壁で細々と生き残って、種が分化するまで独自の進化を遂げてきたのがコウシンソウだ。

「足尾鉱毒事件 田中正造記念館」でNPOの方と対話を続けた後、納得して、雑談に入った。無料の施設だったが、少しでも長く続けてもらいたいとカンパをした。

「ところでどこの山に行ってきたの?」。(登山姿だから当然だろう)
--足尾銅山から庚申山です。(知らないだろうな)
「ちょうど、コウシンソウの季節ね。あの岩を少し入った所に、大群落があるのよね」
--そうそう、最後の岩場のところ
「簡単に行けるのよね」
--それまでが大変だけど。(知る人ぞ知る、とはこういうことか。登山ガイドブックには難関の「お山めぐりコース」に咲いているとあるが、通常ルートから簡単に行けるのである)

ここは庚申山のビジターセンターでも何でもない。はるか渡良瀬川下流の田中正造記念館だ。でも庚申山のことを、コウシンソウのことを、わが山のようによく知っていたのだ。渡良瀬川の源流の山として。

お互いにニッコリ微笑んだ。つながったと思った。そこには田中正造への共感という共通基盤もあった。コウシンソウも治水問題も、その意味するところは同じなのだ。


★3日目は、電車・バスの移動が多いので、ログ・コースタイム登録は省略しました。付録として別記録としてログ・コースタイムのみ登録しました。→
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-6912253.html

(注)
1 『田中正造文集(二)谷中の思想』(岩波文庫 2005),p249。
2 三浦顕一郎『田中正造と足尾鉱毒事件 土から生まれたリベラルデモクラシー』(有志社 2017),p288。
3 『田中正造文集(二)谷中の思想』,p352。なお、田中正造に関する書籍は多数あるが、『鹿野政直思想史論集 第6巻 個性のふるまい』(岩波書店 2008)に収められた田中正造論3編が現代への示唆に富み面白かった。
4 小宮定志・柴田千晶「日本産ムシトリスミレ属」(『日本歯科大学紀要』28,1999)

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