凍てつくジャンダルム・氷壁の滝谷。涸沢岳西尾根
- GPS
- 59:32
- 距離
- 19.3km
- 登り
- 2,480m
- 下り
- 2,472m
コースタイム
- 山行
- 8:05
- 休憩
- 0:16
- 合計
- 8:21
- 山行
- 6:55
- 休憩
- 0:21
- 合計
- 7:16
天候 | 稜線上は時折穏やか時折 ブリザード。気まぐれ女神 |
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過去天気図(気象庁) | 2015年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
尾根取り付きから2600mまでは鬼急登。 そっから上はポカが許されない世界。靴底の凶器をゲイターに引っ掛けてもアカンよ〜 |
写真
装備
個人装備 |
替えのインナー手袋沢山<br />足指先の上に貼るカイロ使うたった。イケタ
|
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感想
「トレース無し!上等じゃねーか・・・・」
涸沢岳西尾根・取り付き点でリーダーの声。
何事かと言うと、コレはひたすらラッセルする事を意味する。
(トレースあったらあったで楽。が、あっても残念、テメエの山が薄くなる。けどあるに越した事はない。いや、やはりない方が・・)そんな気持ちが入り混じった心境か。
厳冬期の北アルプス・バリエーションルートにGPS持たずに入る。少々イカれてる。そもそもこういったことにチャレンジしていい力量の持ち主ではないワタクシではあるが
「年末行くか?、涸沢岳西尾根だ」
「カラサハホラヒシホネ?あー、何か聞いた事あるような気がします。どっかのアルプスでしたよね〜。エエ、連れてって下さい」
みたいな流れで決定した。
メンバーはリーダー・ジャックナイフ氏、サブリーダー・ヤマキヌ先生、ワタクシの3名。コト解っていない山2年生のワタクシの入山をヒシホネが許すのか。そこにどんなカタルシスが待ち受けているのか。ソイツを確かめるべく行ってみた。
準備会を二回実施し万全を期する。
「無線は?コールサインは?」「天気図は俺が用意しよう」数値化した食糧カロリー計算だとか共同装備の確認だとかとけっこう綿密った。さっそくヤマレコ履歴見たが10月〜4月で奥穂高岳のレコはたったの一件。もう一年遡ったがこれまた一件と情報が少な過ぎる。仕方ないので他所の山岳会のブログ等で勉強した。
〜3日前〜
「冬型の気圧配置が強まり山間部を中心に大荒れ〜だか何だかとなってますが?」
「フン。黒部周辺じゃあるまいし。槍穂は北アルプスでも南寄りだからさほど心配はない」
出た、いつものだ。ジャックナイフ節。
西高東低キツくなれば石鎚山でもイヤなのですが、ワタクシは( ; ; )
で、時系列
・心を込めて作った赤旗が3秒で却下される。ぶっと過ぎじゃい!との事だった
・なおも食い下がるが「持って行きたければ持って行ったら?^ ^」とのサブリーダーの冷たい反応。断腸の思いで置いて行く
・しんかざーま、メット忘れる
・近所にメット借りに行く
・1円単位のワリカンの如く三交代制で運転し、新穂高に着く
・冒頭の取り付きへ(標高約1500m)標高2400mのテン場を目指す
・ひたすら急登ラッセル(標高約1700m)帰りたくなる
・さらに急登標高約1900m)もうエエぞ
・で、急登(約2100m)てかラッセルしてんのリーダーとサブリーダーだけ
・2400mテン場着。しんかざーま、グローブ外してテント設営手伝ってたら指先逝く。ラッセルせんわ設営役に立たんわコイツはいったいナニしにきたのだろう
・寝る、起きる。風でテント潰れるか思った。ハーネス他ビーコンらを装備し出発
・森林限界超え稜線に出る。ミス出来ない領域に突入(標高約2500m)
・蒲田富士ステップを慎重に登り肩に乗る
・ナイフリッジを三交代で膝〜腰ラッセル。右に堕ちたら200m落下、左に堕ちたら450m落下出来るステキな区間
・蒲田富士ピーク踏む
・引き続きナイフリッジ進む。ラチあかないぞラッセル、リッジの右斜面に蜘蛛の如く張り付きキックステップで進む。行くのイイがコレ、帰れるのか
・F沢のコルにダブルアックスで降下。コレ、今は天気良いが明日戻れるのか
・F沢コルから涸沢岳を見上げる。エレェ氷壁だ。涸沢岳の肩に乗るべくザイル出しスタカットで攀じ登る。うん、戻れないような気がする
・涸沢岳の肩に乗った。堕ちたらサンタマリアがお迎えなトラバースを繰り返し涸沢岳ピーク踏む。握手!
・ややっ、奥穂高山荘が下に見える。降りてまえ
・奥穂高山荘着。も、建物いっぱいで冬季避難小屋がどれだか分かんない、全部雪に埋まっている。ここ掘れワンワン。違う・・。ここか?と、場所変えてワンワンして入り口ゲット。小1時間要す
・寝る、起きる。小屋ブッ壊れるかと思ったほどの暴風が吹いてた。ここは厳冬期エリア3000m・・
・早朝奥穂高岳アタック。ゴッツイ烈風だ。常時風速15m〜30m。いきなし急峻急登で危険極まりない、ハハハ
・リーダー「かじゃーま、フリーで登れるか?」
・かじゃーま「・・・」←放心している
・リーダー「登れるのかと聞いている」
・かじゃーま「・・・・・」←熟考している
・リーダー「チッ!!ロープ出す」
・リーダー「よ・!コ・!登っ・・セル・取・!」
ここで断念。風で指示が聞こえないし指も動かないし登れる気がしなかったし戻れる気はもっとしなかった。バンドの上でセルフビレイ取ろうと思ったがカラビナのスクリューが凍って動かなかった。開けてたはずなのに。ゲート同士が干渉しあい、いつの間にか閉まっていたのか。仕方ないのでオーバーグローブ外したのだがこれが運の尽き、指先が前日に続き逝ってしまった。
この暴威の中ザイルを扱っていける自信なかったし、このもっと上のデスゾーンでギブアップしたらパーティが危機に陥る。登って登れない事も無かったかも知れないがベルグラでも叩いて落下すんのもイヤだった。というか小屋から不機嫌に佇む奥穂高岳を見た時から少々呑まれていたようだった。場数を踏んでいないから肝心なところでビビってしまう。
・サブリーダー「よし一緒に降りよう、かじゃーま」
・安全なトコまでクライムダウンさせてもらい、サブリーダーの下降を待つ
・てかサブリーダー降りてこない、よくよく見たら安全パンティーにメインロープ繋いでる?そのまま登攀するのか
・悪魔の山頂・奥穂高岳山頂は目の前、岳人の夢は壊せない。かじゃーま、1人トボトボ小屋に帰る
・小屋で日本茶沸かしお2人の帰還を待つ。紅茶の方が気分出たか
・お2人無事帰還、イッキに登山口までのダウンヒル試みる
・涸沢岳付近、ありえないブリザード。耐風姿勢取らざるをえなかった。風がチョットでも弱まったら進む。突風来たらまた耐風姿勢。『だるまさんが転んだ』を繰り返す。マイナス10度〜20度?風速15m〜20mくらい?
・サブリーダー「アカン、低体温症になる・・」
・かと言ってサクサク進める場所ではない
・氷のオブジェにならぬよう牛歩する3人
・てかコレでほっぺた凍傷になった、ワロタ
・レベルが上がったのか恐怖が麻痺したのか下山は案外すんなりいった
・なんたら温泉で温まった
・コンビニでイロイロ買ってささやかな打ち上げ車内宴会
・翌日島国に帰った
こうも力量に合わない山行は初めてだったが無事下山出来てリーダー・サブリーダーに感謝。厳冬期3000mの荒れ狂う稜線も楽しめた。断念はしたが初めて登る奥穂高岳が12月では洒落すぎている、夢はまた持ち越しだ。皮膚科行こう、皮膚科
2014/12月は天候荒れて奥穂高が八ヶ岳になった
2015/11月、今年は無いものと思っていた。トレーニングは常日頃からやっているので大丈夫かな?、装備は去年揃えたのでOKなのだが・・4〜5人のメンバーが揃わなかったのかと思っていたら11/30にお誘いのメール、メンバーを聞くと去年と異なる3人。sin君は雪山テント泊はあまり経験無いし装備が心配、色々と考えて行くことにした。
無いものと思っていたので農作業のスケジュール調整と説得が大変だった。
準備会を2回実施し装備の不足を補えそうなので大丈夫かな。行った事のないルートなので装備については後悔したくないものである。
1週間前から天気図をチェック。予想天気では雪は少なそうだがちょっと荒れそうだ、心配。
12/26夜 松山〜新穂高温泉
トラブル無く松山を出発し石鎚SAでK氏と合流、ここで問題発生、ヘルメットを忘れたとの事でM氏に借りることに、ありがたい。なんとかなりそう。トラブルはなんとかしていくものである。
色々あったが交代で運転し片道718キロを走り岐阜県奥飛騨温泉郷に早朝到着、途中凍結路面で車が回転したが・・・。無事到着に感謝し仮眠をとる。
12/27 新穂高温泉郷〜H2400mテント場
奥穂高登山指導センターを0725時と遅い出発、他のパーティーは槍方面だそうだ。学生が13〜15人ほどいた。今日は2400mまで登るだけだが荷が重くラッセルだと厳しいかな。白出沢を超えて稜線ルートへ入ると踏み跡無し、積雪量は少なくて助かった。
ただ急な稜線を登るだけ と聞いていたが岩場や危険箇所もあった、雪が少ないせいなのかとも思ったがリーダーの記憶違いだったようだ。石鎚山で言ったら東陵の様な場所もあった。
長い急登をやっとの思いでH2400mまで登りテント設営、急いで食事を取りシュラフに潜り込んだ。会で冬のテント泊山行をもっとすべきだったと反省。スノーフライは暖かく快適だった。
12/28 H2400〜奥穂高山荘冬季避難小屋
07時過ぎのちょっと遅めの出発。始めてのルートなので不安である、もう少し早めに出たいと思った。樹林帯の稜線を少しあるくとすぐに森林限界。0730頃分岐に着いて小休止、ここからが厳しくなる。気づかないうちに蒲田富士を超えて1020頃からナイフリッジが出てきた。リーダーがリッジ上を行こうとしたが腰まで雪で埋まり進まない。リッジ下を横這いで行くことに。急な坂を下りF沢のコルで小休止。
ここから危険な急登となるのでアンザイレンする。フィックスロープを借りて登ると雪の少なめの歩きやすい雪面、ジグザグ気味に歩く。所々岩が出ていてアイゼンを引っ掛けそうになる。転倒は即滑落に繋がる、慎重に歩く。雪の状態はよく雪崩は無さそうである。
急な雪面を登りきると風が強くなってきた。岩と雪まじりの稜線、歩きづらい。
後で写真を見ると快晴の天気だが実際は風が強く地吹雪のように感じながら歩いた。寒さのための錯覚だったのだろうか。写真を見ると解らない。
涸沢岳まで風が強い上にペースが遅かったので寒くてたまらなかった。手にホッカイロを貼るとかもう少し防寒対策をすべきだと反省。涸沢岳までが非常に長く感じられた。
涸沢岳で写真を撮ると早速に奥穂高山荘に向かって下る。とにかく寒い。
雪で埋まった避難小屋を探す。始めてなので場所がハッキリ解らないまま入口と思われる場所を掘り返したが3mずれていた。1時間ほど掛けて避難小屋に逃げ込む。とにかく寒かった。快適な小屋に入ったらもう終わり、外に出たくない、奥穂高山頂は明日になった。夕刻から私は少し体調不良、風邪なのか軽い高山病なのか解らない。明日朝、体調よくならないようなら奥穂はやめて小屋で停滞する事にした。薬を飲んで早めに寝た。
12/28 奥穂高岳〜新穂高温泉
早朝目が覚めた、頭痛はしない。念のための体温を測ると平熱、急に元気になり行くことにした。
0700避難小屋を出て奥穂を目指す。天候が悪い ガスと小雪 しん君は元気がない。寒さと天候のせいだろう。私もあまり元気は無い。行く気満々はリーダー。いくしかない。少し登ってロープを出す事になったがしん君が固まってしまった。手袋を外してロープワークしていて手が痺れだしたのだろう。行く自信を失ってしまった。私もしん君と降りようと思ったが何故か行くことになった。まあ行きたかったのは行きたかったのだが。私は5月に奥穂高山荘から奥穂高は登っていたので行けたのだろう。準備山行は重要だと感じた瞬間だった。
しかし風は強く寒く、指が痺れだした。薄いインナー手袋に毛糸の5本指、ヘリテイジのアウター5本指だったがあまりに寒いのでミトンを途中から被せた。
景色無く強風、ちょっと厳しかった。ただ天候はこれでもいい方なのだ。
実際時間より長く感じながら山頂で写真を取りさっさと暖かい避難小屋目指して下る。知らないうちに間違い尾根に入りそうになった。ここは必ず間違い尾根にいってしまうと思っていたほうがよさそうですね。標識があったので早めに間違いと気づいた。右に右にルートをとらないと間違えますね、雪庇には気をつけなければなりませんが。雪の状態もよく比較的風も弱かったので行けました。さらなる強風なら萎えてました。
小屋に帰るとしん君がお茶を入れてくれました。ありがとさん。次回頑張ろう。
下山準備をし唐沢岳を目指すが耐風姿勢を取るような強風、その上ゴーグルの手入れを怠ったために内側が凍結して見えなくなった。仕方なくゴーグルをずらして隙間から周りの状況を確認しながら歩いた。目が凍りそうだった。
F沢のルンゼは新雪が積もっていた。ちょっと気色悪いがリーダーはスイスイ下る。
雪崩が怖い。無事下りF沢コルで一休み。帰りは何パーティーか登っていて(若い女性もいました)トレースがあるので楽だった。またF沢コルからは天候もしだいに良くなり風も弱まり景色もあり最高の下山だった。
H2400mテン場に13時頃到着しデポしていたワカン、ストックを回収した。
テン場はリーダーの言っていた通り満杯状態だった。スケジュール正解ですね。
長い下りをくだり、中崎山荘(日帰入浴800円)でゆっくりお湯につかり体を温め酒屋で買出しをし「道の駅ななもり清美」で宴となった。
山岳会で座学や教育山行を実施しているがまだまだ足りなかったと反省。具体的な目標となる厳しい山を決めて座学や準備山行をみっちりしていなかったツケが回ってきたと感じた山行でもあった。カラビナに油を差し忘れたのも敗因かな。
厳しい山にに行かねば技術も経験値も上がりませんね。
山行を企画されたリーダーに感謝
同行してくれたしん君に感謝
そして何よりも 今日も無事下山 合掌
by JJ5KLK
1日目
新穂高温泉。雪が降っている。他に3Pほどいたが、槍方面に行くらしい。7時30分に出発、途中穂高平小屋で休憩を取り、林道を白出沢に向かう。雪は少なくトレースも有り、夏山同様で歩けた。
白出沢を渡ってすぐ、西尾根に入った。トレースは無いがラッセル云々というほどの積雪量ではない。しかし予備を入れて5日分の荷物は重く、予想以上にペースは上がらない。途中単独の若者とすれ違う。蒲田富士で撤退とのこと。そこからはありがたく彼のトレースを使わせてもらう。とはいえラッセルこそないが雪面にステップを刻み、雪壁や木登りをするのは中々辛い。遅れがちになるメンバーを待ちながら16時前にようやく2400mのテン場についた。整地してテントを張り、夕食を取って19時に寝る。
2日目
テン場を7時過ぎに出発。2600mの分岐まで樹林帯の急登をひたすら登る。トレースは消えているがラッセルは深いところでも太もも程度。8時30分に分岐について小休止。稜線を少し行くとジャンクションピークの岩場が出てきた。FIXを掘り出しながら登る。登りきってから穏やかな稜線をしばらく行くと蒲田富士。立ち止まらずに右折して、F沢のコルに向かう。次第に尾根が痩せてきてナイフリッジになる。リッジ上を行きたいが雪がまだ柔らかく腰まで埋まるので。リッジの2mくらい下を行く。少しの間ラッセルを繰り返し、涸沢北西尾根の分岐からクライムダウンしてF沢のコルに着く。
昨日の雪の状態がわからないので一応アンザイレンし、コンテでルンゼを登る。雪面は多少柔らかいが積雪自体は少なめだ。息を切らしながら稜線に着くといきなりの強風地帯だった。
尾根自体は急な登りはないし、少し難しいかなというところは2.3箇所くらいだが、何分風が強く寒い。体力的に落ちるSINは少し歩くと立ち止まるようになり、それを待つのが辛い。中々近づかない涸沢岳を見ながらお互い修行の山が続く。ようやくのことで涸沢岳に到着。すぐに穂高岳の小屋を目指して降りる。白出のコルに着くと風がおさまりホッとした。時間は14時30分で奥穂に行くなら今だ、雪もなく絶好のコンデションだがそれより先に冬季小屋を探すことを選択した。とにかく寒かったのだ。色々と探し回り、違うところをほったりした挙句一時間以上かけて小屋の入口を掘り出した。直ぐにザックを入れ、中に入った。非常に快適だった。
3日目
7時に小屋を出る。天気はあまり良くなく、小雪がちらついていた。驚いたことにその時間に登ってきたソロクライマーがいた。昨日は涸沢岳の稜線上でビバークしてきたとのことだ。あの吹きっさらしの中でひと晩過ごすとは・・・さて奥穂の登り、最初の1ピッチでSHINの力では無理だということでやつには小屋で待機してもらうことにして後の二人だけで奥穂に向かう、技術的にむつかしいと思うようなところはなかったが、強風に煽られ、視界の悪い中登るのは中々辛いものがあった。1時間30分ほどかけてようやく頂上に着いた。天気も悪く、写真だけ撮って直ぐに引き返した。視界が悪く、間違い尾根の方に行きそうになる。 ガスの切れ間にルートを確認しながら慎重に白出のコルに向かった。最後の鎖場でロープを出してコルに着いた。小屋に向かうと今朝2500m位から登ってきた2人組とすれ違った。ルートのことなど2.3話してから、彼らは頂上に、我々は小屋に入った。中には入り、お茶を飲み、出発の準備をした。
10時20分に小屋を出発。涸沢岳までの登りがしんどい。頂上からルートは右に右にと進みゆっくりと確実に降りることに専念した。視界が効くのが有難い。
F沢のルンゼは昨日より雪が多く、今日登ってきたトレースも消えていて、それが少し嫌だったが覚悟を決めてまっ直ぐにクライムダウンした。F沢のコルについてようやくひと安心した。風も穏やかだ。ザックをおろして休憩した。
そこからは行きとは違い、気楽な気持ちで降りることができた。途中4パーティほどとすれ違った。
2400mのテン場には13時に着いた。途中のも入れてテントが7〜8帳あっただろうか。予想以上に早く降れるので泊まりの予定を変更して一気に下山することにした。
来た時とは違い、ルートはよく踏み固められ、ステップに足を置けばいいので悪いと思うようなところもなくどんどん降りることができた。1900m位で笹がアイゼンに引っかかるので外すことにした。10人以上の登山者とすれ違った。
白出沢で休憩してそこから林道を2時間ばかりで新穂高温泉についた。年末シーズン最初ということでまだ人の足跡が付けられてないルートを行けたことが嬉しかった。その分苦労はしたがそれが面白さだと思う。
コメント
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男のロマン?
オラそんなとこ行ったらテメエの頭が薄くならあ!
なにはともあれ無事帰れてなによりよ。
諦める勇気は絶対に必要!!
決して無理はせず、自分のものさしにあった行動をとるべし!
頭が薄くなりますか^ ^
熟考したけどやめました。行ったらヤバイと思ったのでやめた。
後悔もしてますが。ま、やめて良かったかな、と
すごい世界があるものですね。
ここまでくると真似しようとか思わないから自分には逆に安全。
写真を撮る余裕なんてないところが核心なんでしょうが、そこはもう行った人しか分からない世界。うらやましい限りです。
写真撮ってたのは全部リーダーとサブリーダー。オデは全く撮れなかった^ ^
今度はビビらず登りたいよ
お疲れ様でした。いいな〜。おでも行きたい......。
石鎚東稜を確保なしフリーソロでキメるトシさんなら登ってたでしょう。おでにはチョイと無理でした( ; ; )
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