黒部の一週間 折立〜雲ノ平〜水晶岳〜鷲羽岳〜三俣蓮華岳〜黒部五郎岳(周回)
- GPS
- 152:00
- 距離
- 48.7km
- 登り
- 3,798m
- 下り
- 3,784m
コースタイム
- 山行
- 6:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 6:30
- 山行
- 9:00
- 休憩
- 1:00
- 合計
- 10:00
- 山行
- 6:10
- 休憩
- 2:50
- 合計
- 9:00
- 山行
- 9:00
- 休憩
- 2:20
- 合計
- 11:20
- 山行
- 10:10
- 休憩
- 0:40
- 合計
- 10:50
- 山行
- 3:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:30
天候 | 7日(日)晴れ 8日(月)晴れ後曇り 夜半は雨 9日(火)曇り後晴れ 夕方は雨 10日(水)快晴 11日(木)晴れ 12日(金)晴れ後曇り 13日(土)晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
亀谷連絡所〜有峰ハウス区間は何カ所か片側通行の規制がある。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
山行は標準タイムの1.5倍ほどの時間を要する50歳代後半の夫婦が感じた状況です。 登山届は太郎平小屋で提出する。 折立〜太郎平:登山口からいきなり急登。三角点までは樹林帯の中のわりときつい登り。三角点〜太郎平までは視界が開け、幾分緩やかな登りになる。 太郎平〜薬師沢小屋:太郎平小屋の裏で、黒部五郎岳方面と薬師沢方面の道が分岐している。下りが主だが登りも。下りは案外急。いくつか沢を橋で渡る。天気がよければ水晶岳やその周辺の山々を眺めながら歩くことができる。 薬師沢小屋〜雲ノ平:小屋前の吊り橋を渡り、梯子を使って沢の対岸へ降りる。50mほど沢沿いを歩き、いきなりの急登。川が増水しているときは 通ることができない。岩登りに近い状態の直登。「歩く」というより「よじ登る」感じで滑る。ストックを使わず、両手両足で岩や木の根を確保しながら登る方がよいかもしれない。下りの場合はかなり滑るので要注意。木道末端からは傾斜が緩み、さらに進むとハイマツ帯になり遠くの上の方に雲ノ平山荘が見えてくる。そこまで緩やかな登りが続く。テン場は山荘から20分ほど登った祖父岳下の谷間にある。トイレはかなり汚れている。ペーパーは無いので用意しておく必要がある。水に溶けるトイレットペーパー以外は使用できない。水場はテン場の上部(最奥部)に湧水をパイプで引いてあり豊富。 雲ノ平〜祖父岳〜水晶岳〜鷲羽岳〜三俣山荘 雲ノ平テン場からスイス庭園との分岐まで進み、祖父岳方面へ。祖父岳山頂は広く360度のパノラマ。鷲羽岳や笠ヶ岳、槍穂なども見えてくる。祖父岳から下り、再びワリモ北分岐まで登る。そこから水晶岳方面へ。尾根下の穏やかな道を暫く進み、「水晶小屋まで10分」の標識から登り。水晶小屋の裏から水晶岳へ向かう。暫く穏やかな尾根道だが、水晶岳が近くなると、深い谷の上の細い道を歩いたり、岩場を登る。落石の危険もあるのでヘルメット着用がよい。ワリモ北分岐まで戻り、ワリモ岳へ登ったあと、いったん下り、鷲羽岳への登り。山頂から三俣山荘が見えるが、下りが急でかなりきつい。三俣山荘のテン場は山荘から離れている。トイレは山荘の中、水は山荘前まで。 三俣山荘〜三俣蓮華岳〜黒部五郎小屋 三俣山荘からすぐ上に三俣蓮華岳が見える。蓮華岳から五郎小屋までは割合長い下り。ゴロゴロ石や岩場の急な道を下る。 黒部五郎小屋〜黒部五郎岳〜太郎平小屋 カールまではそれほど急ではない道。カールから五郎岳の尾根へは切り立った岩場を登る。ここも先行者などの落石の可能性などもあるのでヘルメットがあるとよい。北ノ俣岳方面との分岐から五郎岳山頂はそれほどきつくない登り。分岐へ戻り、北ノ俣をへて太郎平へ。分岐から暫くザレ場やガレ場の急な下り。北ノ俣岳までは何度もアップダウンを繰り返す。赤木岳周辺は大きな岩場で山道が分かりづらい。ガスっているときなどは道を外れ下に降り過ぎてしまわないように注意が必要。かなり長いルートなので疲労がたまる。 雲の平から先はかなり虫が多い。特に小アブがまとわりつき、服の上からでも刺す。刺されると後からかゆみがひどくなるので、防虫剤(あまり効かないが)、防虫ネットなどの虫対策が必要。また、蛍光色や黄色系の衣類やテント、ザックなどには集まりやすいようだ。 |
その他周辺情報 | 亀谷温泉はやっていないようだったので県道6号線を立山IC方面へ進み右折して暫く入ったところにある「グリーンパーク吉峰」の中の「吉峰温泉(立山吉峰温泉ゆ〜ランド)」へ入った。食堂もあり、温泉も綺麗。大人610円 子ども(三歳〜小学生)310円 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
ゲイター
日よけ帽子
着替え
靴
サンダル
ザック
ザックカバー
サブザック
昼ご飯
行動食
飲料
食器
ヘッドランプ
常備薬
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ストック
ポール
シェラフ
防虫ネット
|
---|---|
共同装備 |
非常食
調理用食材
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
ライター
地図(地形図)
コンパス
計画書
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
日焼け止め
ナイフ
カメラ
テント
テントマット
防虫スプレー
防虫線香
|
感想
昨夏の表銀座4泊5日が終わった後、すぐに計画を立て始めた黒部源流域周回。地図や案内書、雑誌、ネット、その他色々なところから情報を集め、標準タイムよりもはるかに遅くしか歩けない僕たちなりの計画を何度も練り直してきました。
1年をかけて最終的に薬師岳をあきらめたのは予定日1週間前、双六岳を加えて6泊7日の計画。1泊は車中泊、2泊は山小屋泊、3泊はテン泊ということにしました。時期は混み合うお盆休みをずらしてその前1週間。
7日はキャンプ場でテン泊も考えましたが、早朝に撤収して登り始めるのが面倒なので折立で車中泊をし、8日早朝から登り始めました。でも車中泊は体が痛くなるし寒くなるしで熟睡できませんでした。
登山口に入ると樹林帯のいきなりきつい登り。荷物も重いのでゆっくりと登ります。三角点のあたりからは視界が開け、有峰湖や薬師岳が目に飛び込んできました。天気も上々で心が弾みます。自然と足の運びが早くなりますが「ゆっくり、ゆっくり」と言い聞かせながら歩きます。
太郎平小屋に着くと登山計画書を出し、少し早い昼食。できるだけ荷物を減らすために食材を切り詰め、小屋で食事ができる場合はそこに頼ることにしていました。ただ、時間帯によっては食事ができない場合もあるのでそれも考えての食材準備です。
太郎平周辺は残念ながらガスがかかってしまい、まわりの山々や景色は望めません。
昼食後、薬師沢小屋へ向かいます。わりと高低差のあるアップダウンを繰り返し、3回ほど沢を渡って薬師沢小屋へ。
途中、先を歩くカップルが薬師小屋手前にある「カペッケが原」の河童の話をしていました。今年6月に亡くなられた三俣・雲ノ平・水晶の山荘オーナーでもあった伊藤正一さんの「黒部の山賊」の中にも出てきた伝説です。僕も黒部源流域の山行を計画してから、復刻版を求めて読んでいたので、ここで「オーイ オーイ」と声がしても「オーイ」と答えず「ヤッホー」と答えないと引きずり込まれてしまうという話は知っていました。まあ、そのような声を聞くことはありませんでしたが。
薬師沢小屋で受付をして荷物を置いてから、薬師沢と黒部川の出合まで降りてみました。水の透明度が高くとても美しい川です。水浴びをしている人がいましたが、冷たいだろうなあと思い水中に手を入れるとやはり冷たいのです。僕にはとても入れません。「もしかしてあれは例の河童?」なんて馬鹿なことを考えてしまいました。食事の時に「2回も水の中に入るなんていう人はいないよ。」という声がどこかのテーブルから聞こえてきたので、どうやらここで宿泊する登山者が汗を流していたようです。
薬師沢小屋へ来る途中、最初の沢で会った単独行の女性は僕たちと同じ県の在住ということで、これまでの山行やこれからの予定など色々な話をしました。僕の家の近くの山々のこともよくご存じでした。また、太郎平小屋の手前でお会いした4人家族のお母さんは、北アルプスは初めてとのことで、かなり疲れ気味でしたが、僕たちと同じ薬師沢小屋をベースに2泊して雲ノ平を往復する予定という話でした。僕たちが雲ノ平に登るときにはお父さんと息子さん2人が登ってきたので、「お母さんは?」と尋ねると、どうやら疲れてしまい雲ノ平はパスし、小屋にとどまって家族の帰りをまっているということでした。これからの山行が嫌にならなければいいなあと思わずにいられません。また、夕食で同じテーブルに着いた、スゴ乗越からきたというご夫婦とも話が弾みました。お二人はこのあと雲ノ平へ登り、さらに新穂高へぬけるそうです。車でなく交通機関を使えば色々な縦走コースが組めるなあと思いました。
薬師沢の夜はかなり風が吹きつけました。朝には止んでいましたが、雨もかなり降ったようです。薬師沢ではテン泊ができないので、この日は小屋泊まりにしたのですが、幸運でした。(後で雲ノ平で会ったお嬢さんと話をしてさらに感じました。)
小屋から雲ノ平へ向かうには小屋前の吊り橋を渡り、梯子で河原へ降りて少し歩かなければならないので、川が増水すると通行できずに足止めになってしまいます。夜の雨はそこまでではなかったのですんなり河原を歩き、いよいよ雲ノ平への急登に入ります。今回の山行でも難所と考えていた場所のひとつです。900mほどの距離ですが、「山と高原地図」の標準タイムでは2時間10分となっています。「どれだけきつい登りなの?」と思い、計画段階で1mあたりの勾配を出してこれまでに登ってきつかった登山道と比較したり、コースタイムを比較してみたりしてきました。勾配だけを考えるなら、僕が登った登山道では唯一、槍ヶ岳山荘から山頂への登りだけが勝っています。でもそれは、荷物をデポして身軽な状態で登ったので比較はできません。今回はテントを持っての大荷物を背負い上げなくてはならないのです。最終的に、ここではコースタイムの2倍近い時間を設定し、3日目のこの日は時間を取って雲ノ平を散策したり、休養したりすることとし、薬師沢小屋から雲ノ平キャンプ場までの4.3劼箸いγ擦ぅ魁璽浩瀋蠅砲靴泙靴拭「かめの遠足」のような歩みしかできない僕たちにとってこの考え方は後にとっても役に立つことになります。(「かめの遠足」という歌を知っていますか?歌詞がとってもよくて好きなのですが、今回かみさんは歩きながらこの歌をよく歌っていました。)
この登りは大きな石がゴロゴロ、木の根が張りだし、土が削れていて大きな段差が多い登りです。ストックは収納し、手で岩をつかんだり、根を押さえたりしながら体を持ち上げて登ります。おまけに、昨晩降った雨のせいだけでは無いでしょうが、かなり滑りやすいのです。登りよりもむしろ下りが大変だろうと思っていると、雲ノ平から下山してくる人たちは足を滑らせないように難渋しているようです。
2時間40分ほどかかってようやく木道末端に着きました。標準タイムからわずか30分のオーバー、設定タイムより1時間半弱も早い到着です。通常1.5倍以上の時間をかけてコース設定をする僕たちには快挙です。しかも、きつくないといえば嘘になりますが、手を使って岩登りの容量で登ったので、荷物の重さが前屈みになる背中全体にかかり直立歩行よりも負担は少なかったような気がします。心配していたほどでは無く登れたのはとってもありがたいことでした。でも、ここからアラスカ庭園、雲ノ平山荘を経てキャンプ場まではゆるいアップダウンながらもまだ距離があります。アラスカ庭園をすぎるとガスの切れ間に遠くの高台の山荘がうっすらと小さく見えてきました。気を引き締めて、それでも花々を愛でながら歩きます。チングルマは花が終わりたくさんの果穂が風に吹かれたままの形にしなり、つゆをいっぱいにまとっていてとっても美しかったです。この花は白い花よりも、風に耐え、雨露にぬれながらも生きているという生命観を感じることができる果穂が僕は大好きです。
雲ノ平山荘に到着し、テン泊の受付を済ませた後、食堂で早めの昼食として焼きそばとコーヒーをとりました。食堂では夏だというのにストーブが焚かれています。そしてつい、そこに手をかざしてしまいます。それくらいの気温だということです。山荘は6年ほど前に建て替えられてとても綺麗な小屋です。
ここにも、薬師沢小屋まで一緒の行程だったご夫婦が先に着いていました。先に進む予定だったけれど、この山荘で2泊して下山することにしたといいながら、奥様が「優柔不断だから」とおっしゃるので、僕は「『臨機応変』というのですよ。」と返しました。「誰にきめられたわけでもない、きまったことじゃないからね。」とご主人はおっしゃり笑っていました。翌日、鷲羽岳山頂でも一緒になった方から、同じような言葉を聞き、あらためてそうだよなあ、予定なんていくらでも変えられるし、頑なに計画を推し進めることが重要なのでは無く、自分たちがいかに楽しむかが大切なんだよなと感じさせられました。そういえば日本で山登りをしていた外国の方が、「日本人は計画どおりに行動しようとしすぎる。時間に追われていて楽しむことを忘れてしまっているような気がする。楽しむことがメインなのだからその場その場で変更しながら。」と言っていたのを思い出しました。きっと、日本人の勤勉さや実直さがそうさせているのでしょうが、「楽しむために臨機応変に」はどうやら僕たちも苦手なようです。
山荘からキャンプ場へむかい、テント設営。少し遅れて僕たちのテントの近くに設営した単独行のお嬢さんは、昨晩双六小屋でテン泊だったそうですが、雨に加え風がものすごく、とばされるのではないかと心配で眠れなかったということでした。「受付は・・・」と尋ねられ、「山荘まで下るようだよ」と気の毒に感じながら説明しました。そしてトイレの場所や水場について話したついでに、「トイレは綺麗ではないけど」と付け足すと「それは大丈夫です」という返事が返ってきて、ああ、愚かなことを心配してしまったと後悔しました。「そうだよね。山をやる人だからそれは大丈夫だよね。」と言うとにっこり。あまりに可愛らしいお嬢さんだったので、山屋であることをすっかり忘れてしまっていました。風が強かった話で、僕たちが白馬岳でテン泊したときに一晩強風にあおられ、テントのポールが曲げられてしまったことを話すとビックリしていました。あとで「受付行ってきましたあ」と疲れた感じで戻ってきたので「遠かったでしょう」というと「はい・・・」と力なく頷いていました。僕たちは登ってくる途中、山荘を通過するので受付をしてテン場に来られましたが、確かに鷲羽岳方面から来てテン泊する人にとっては受付へ行くのは大変なことだと思います。疲れている、前の晩あまり眠れていないとなるとすぐにでも横になりたいでしょうに・・・
その後、スイス庭園まで散策。ガスが晴れてきて水晶岳や赤牛岳、遠くに剱岳、眼下に高天原山荘が見えます。崖の上にベンチがあったのでそこに座りおやつを食べながら、しばし風と雲と一体となって風景を見つめてのんびりと至福の時をすごしました。
やがて雨がぽつぽつと落ちてきたのでテン場までもどり、雨が上がった日没前に再び祖父岳と山荘方面の分岐まで上がりました。雲と空と山々と夕陽が織りなす風景が幻想的でいつまでも見つめていました。薬師岳をあきらめる前の計画では、雲ノ平でもゆっくりしたいとは思うものの、日程的にこの日は水晶小屋泊を考えていましたが、薬師岳をあきらめた代わりに素晴らしい時をすごすことができました。これは、2日後の黒部五郎小舎でも感じたことです。「思い切って何かを捨てたために得られるものもある。」これは、山行だけではなく人生すべてで言えることではないのだろうかと刻々とうつろいゆく景色を眺めながら哲学的な思いに浸っていました。
4日目は水晶岳・鷲羽岳・三俣山荘までの10劼曚匹遼佑燭舛砲箸辰討呂笋篦垢ぅ襦璽箸覆里4:30出発。前日の雨で濡れたテントを乾かす間もなく詰め込んだのでザックは重くなっています。それでも昨日リフレッシュした心と体でスタート。まずはテン場の上の祖父岳を目指します。テン場から直接登るルートは場荒れがひどく閉鎖されているので迂回路を登ります。
山頂に出ると360度の展望。笠ヶ岳、槍穂、鷲羽・水晶・剱・薬師・三俣蓮華・黒部五郎などの山々が見渡せます。山頂はとても広く、風が吹き渡っています。初めてこの山域に来たという単独行の男性と、見える山々の名前を確認し合ったり、今後の予定を教え合ったりしました。その方は、結構自由に、思うままに歩き回り、宿泊も臨機応変にしているようです。ここで分かれてから、2日後に再び黒部五郎の肩で「あらま!」という感じでお会いしました。
ここでパノラマを堪能しながら朝食のパンを食べて水晶岳に向かいます。岩苔乗越まで下り、その後ワリモ北分岐まで登り返します。予定では水晶小屋まで荷物を背負い、そこにデポして山頂を目指すつもりでしたが、長い時間になるけれど天気もよく雨の心配も無いのでこの分岐にザックをデポして水晶岳を目指すことにしました。 ザックを下ろした体の軽いこと軽いこと!!自然と歩行速度が上がります。稜線からは槍穂、表銀座の嶺々が一望でき、あれが燕岳、大天井岳、北鎌尾根から槍ヶ岳、その間に頭を出している常念岳、穂高岳と、これまでに登った山々やその周辺の山々を確認しながら歩を進めます。黒部湖の青く美しい輝きがくっきり見える水晶小屋を後にし、小屋裏からさらに登ります。山頂を目指して歩く稜線も気持ちのよい登山道です。山頂に近づくと岩場登りや切り立った崖に取り付けられた細い道を慎重に歩かなければなりません。自分が落石をおこさないように細心の注意を払い、上からの落石の恐れにもおののきながら「どうしようか迷ったけれどヘルメットを持ってくればよかった」と後悔しつつ登ります。これは黒部五郎岳にカールから登るときにも思ったことでした。
水晶岳山頂に達したときの爽快感、達成感。計画を立てながらも「本当に可能なの?夢物語で終わってしまうのではないか?」と思っていただけに感慨もひとしおです。狭い山頂で写真撮影し、展望に見入りました。槍穂もそうですが今まで東側からは何十回となく眺めていた後立山連峰の鹿島槍、五竜、唐松、白馬なども見渡せます。青い空、心地よい穏やかな風、天気に恵まれたなあとつくづく感じます。
でも、まだまだ先は長いので、いつまでも見入ってはいられません。下山して水晶小屋を経由してデポ地の分岐へ。荷物を背負ってワリモ岳に登り、また、下ってから鷲羽岳への登りに進みます。ここを登って下ればテン泊地の三俣山荘。この登りも疲れてきた体にはこたえます。登りに入るところで雲ノ平山荘に2泊すると予定変更したご夫婦に出会いました。「あら・・・」とお互いに声をかけ、「これから雲ノ平に戻るんですか?気をつけて!」と言って分かれました。
山頂からぜひ見たかったのは鷲羽池。雲が少し出ているものの、鷲羽池を含めた展望に思わずため息。何で見たのか、あるいは鷲羽池ではない池のことだったのか、突然「鷲羽の瞳」などという言葉が頭の中に浮かんできました。山頂で出会った男性に「僕たちの山行は他人の1.5倍以上の時間がかかる。」という話をしたら、「競争ではないし、それでいいんですよね。」と慰められとても納得しました。
「さあ、あとはテン泊地まで下るだけ。」と思ったら己の甘さを痛感させられました。その下りが急で、ザレ場、ガレ場の長いこと長いこと!!山荘は下に見えるのになかなか近づいてくれません。足の裏は痛くなるし、以前から少し変だなと思っていた左足中指も、力のいれ具合で激痛が走り痺れます。計画段階で急坂であることは分かっていましたが「下りだから」と安易に考えていました。思い起こしてみると1週間前の鳳凰山の下りでもひどい目に遭ったばかりだというのに!!!登りはかなり神経を使って計画を立てるのに、下りだとどうしても甘くなってしまうのです。これからの教訓です。
這々の体で三俣山荘に到着し、受付を済ませます。まずは缶ビールを1本購入し、かみさんと半分こをしてのどに流し込みました。本当は僕は数年前からドクターストップがかけられているのですが、「まっ、少量ならいっか」と一気にあおりました。そのうまいことうまいこと。年に数回、少量だけ飲むようになってから「ビールってうまいよねえ」と、ことに感じるようになりました。「いつもそれが当たり前になってしまうと、それがありがたいことだと気づかなくなってしまう。」とここでも哲学的な思考が天から降りてきました。
この時点でかみさんと相談し、明日の双六岳はパスすることにしました。今日の疲労と、翌々日の黒部五郎小舎から太郎平までの今回の山行では最も長い12劼曚匹離蹈鵐哀襦璽箸了を考えて、三俣蓮華岳登頂だけにして五郎小舎に下山し、のんびり時間をすごすことにしました。計画時からそういう変更もありだなと考えてはいましたが、思い切ってそうできたのは今回の山行で出会えた人たちからの教えがあったからこそです。
双六岳を捨てたために、急ぐことなく準備をして出発することができました。日程にゆとりができ、この時点で気持ちもかなり楽になっています。実際に三俣蓮華岳山頂に立ったときは、「分岐にザックをデポして双六岳を往復しても十分に時間はある」と思いましたが、あえてそうせず、双六はいつか新穂高からのコースで来る時のために残して、小舎のある五郎乗越へ下りました。この下りもやはり急で、左足中指が痛み出します。それでも木々の間に途中から見えてきた小舎の赤い屋根を目指しました。
五郎小屋は黒部五郎岳と三俣蓮華岳の鞍部の閑静な場所にあります。テン場も小屋からそれほど遠くなく、近すぎもせず、ちょうどよい距離です。到着が正午ごろだったので、「生ビールあります」という表示に目が釘付けになり、テント設営後、値ははるけれど、ここまで運んでくれた事に感謝して小舎の外のテーブルでおいしくいただきながら昼食もとりました。そこでまた、何人かの方々と知り合い、山の経験やそれ以外のことなどを語り合いました。単独で横浜から来ていた男性は、山を始める前は海でスキューバをやっていたとのことで、かみさんの故郷の沖縄についてもよくご存じでした。また、大学の山岳部の息子さんにテントをかついでもらって登ってきたという女性は、僕たちが1週間かけて雲ノ平のまわりを周回しているというと、「いいなあぁぁ。やってみたいのよ。」とさかんにうらやましがっていらっしゃいました。また、冬山をやるという方からも色々な話を聞かせてもらいました。
ここは雲ノ平のようにテン場が山荘から遠くなく、また、散策に出かける場所もないので、山荘前のテーブルで本当にのんびりすごし、名前も分からないけれど山好きの多くの人と交流ができてとっても楽しい時間をすごせました。山をやる人と話すと山の名前はもちろん、山小屋や山域、登山道の名前を出すだけで何処のどの山のことかすぐに分かってもらえるという安心感があります。下山して社会人に戻るとこうはいきません。富士山や槍ヶ岳の超有名どころはかろうじて名前ぐらいは知っていても、百名山に数えられるような山でも「どこ、それ?」といわれて、話が通じません。
時間とともに光や雲の加減で姿を変える小舎のある黒部乗越は、北に薬師岳、南に笠ヶ岳を望むことができ、どれだけ見ていても飽きるということがありませんでした。夜は満点の星空。カメラを構えているとかなりの星が流れます。「なんで?」と思っているとはたと気づきました。毎年夏のお盆の頃は流星群の極大日にあたるということを。翌日の晩、太郎平でラジオを聞いていると12日〜13日にかけてがペルセウス座流星群の極大日だそうで、黒部乗越で星空を見上げた時はその前夜だったのです。
でも星空を撮影していると、突然カメラのモニターに「ディスクが壊れている可能性がありアクセスできません」というメッセージが表示されてしまいました。「なんで?突然」と思い、何回かトライしてみましたが結果は変わらずです。交換用のSDカードは持ってきていたので取り替えて撮影を続けましたが、壊れたらしいディスクには三俣山荘からここまでの撮影データが記録されています。復活できなければ、数百枚のデータは無。かなり落ち込んでしまいました。
翌日、黒部五郎岳へむかいながらも落ち込んでいる僕に、「考えていても仕方ないでしょ。家へ帰ったら復活させることができるかもしれないんだから。」とかみさんからの厳しいお言葉。その通りなのですが・・・やはり納得できません。
五郎岳のカールには未だ雪が残っていて、雪解け水がカール内に沢をつくっています。当然ながら水は冷たかったです。カールから五郎の肩へは岩場登り。水晶岳のように落石を心配しながら登りました。
途中まで登ると槍の頭が見えてきました。不思議なもので、槍や富士山はその姿が少しでも見えると心が沸き立ちます。他の山ではそれほどでもないのに。「百名山」の中で深田久弥も述べていますが、この二山は日本の山の双極をなす山なのでしょう。富士山に至っては日本人のDNAがどこにいてもそれを探し、見えたときに心振るわせるのではないでしょうか。
今日もよい天気です。肩まで登ると槍ヶ岳や穂高岳が美しくむかえてくれました。昨日、五郎小舎で語らった横浜からの男性にはカールへ向かう途中で追い越され、僕たちが山頂を目指し肩へむかっていると稜線を下山してきてすれ違いました。「山頂の近くに雷鳥がいましたよ。」と親切に教えてくださいましたが、たぶん僕たちが登る頃には、たくさんの登山者が通過しているので隠れてしまっているだろなと思いながらも少し期待しながら山頂へむかいました。雷鳥には出会えませんでしたが、山頂からは数日間でたどってきた山々や稜線をなぞることができ、「ずいぶん歩いてきたなあ」と感慨に浸ることができました。また、2日前に祖父岳で会った単独行の男性とも肩で再開し、これからの予定を伝え合い、分かれました。
さあ、後は五郎岳を下山し北ノ俣岳を経由して太郎平小屋です。五郎岳の肩からははるか遠くに太郎平小屋が見えます。肩からの下りは最初はかなり急坂です。そのあとの進むべき稜線を眺めると穏やかですが、見るのと歩くのと大違い。何度も上り下りを繰り返し、何度も偽ピークにだまされながら北ノ俣岳に到着しました。五郎小舎でも話をしていましたが、この日から宿泊者が満杯になるとのこと。僕たちとすれ違って五郎岳へ向かう人はかなりの数です。
雲ノ平のキャンプ場では山域のゴミを拾って歩いたり、管理をしたりする学生さんらしい男性二人のクリーンパトロールに出会いましたが、ここではお嬢さん二人と出会いました。話を聞くと立山から入り山小屋に泊まりながら黒部源流域を1か月かけてまわるそうです。僕たちが山を歩きながらその絶景に心をふるわせることができるのも、このような方たちがいるからだとあらためて感謝しました。
北ノ俣岳から太郎平までも結構長く、もうつくか、もうつくかと期待しながらだらだらしたアップダウンを歩きました。途中でガスが出てきて視界がふさがれましたが、また、スーッと流れて展望が開けます。尾根を越える風が火照った体を冷やしてくれました。
途中のハイマツ帯で何かを観察しながらノートのようなものに一生懸命記入している女性がいたので眼をこらすと、その近くに雷鳥がたたずんでいました。雷鳥にはこれまでにも別の山域で何度も出会っていますが、やはりうれしくなります。望遠で写真を撮って下山を続けます。
「疲れてきたし、もうそろそろ・・・」と思っていると目の前のガスがすうっと晴れて太郎平小屋の赤い姿が見えてきました。太郎平小屋は昨日あたりから登山者が多くなっているようでした。夜、ペルセデス流星群の極大日であることを知り、0時頃撮影に出ましたが、最初に流星をひとつ見ただけで、3・4枚撮影したらすっかりガスに覆われて何も見えなくなってしまいました。
最終日、太郎平小屋から1週間前に登ってきた道を下ります。時間はたっぷりあるのであわてずにのんびりと下りますが、やはり左足中指が痺れています。
3時間半ほどかけて折立に下山すると、なんと駐車場はびっしりうまっています。僕たちのように下山後車で帰宅した人の所は空いていますが、そこも後から入ってくる車ですぐに埋まってしまいました。
車で亀谷へ降りていく途中でも、「こんな所まで」とびっくりするような距離の所まで路上駐車されていました。日程をずらし、ピークをはずしたのはよかったとしみじみ思います。
帰りは「立山グリーンパーク吉峰」の吉峰温泉に入り、食堂で昼食をとりました。温泉はとても綺麗でよい湯でした。一週間分の垢と埃をすっかり落としてくれました。
今回の山行ではいくつもの出会いがあり、それぞれがとても楽しいものでした。また、いくつもの教訓も得ました。哲学的な思考はもとより、長期縦走や周回を計画するときは、距離や疲労の度合いによって緩急を考えて日程を設定することが必要だということ、登り以上に下りの疲労度や時間配分に気を遣わなければならないことなどです。
また、昨夏からこの周回のために計画的に色々な山への山行を設定し、雪山にもチャレンジして体力を強化してきましたが、最も重要だったと思えるのは計画的なものでは無く、1週間前に突然出かけた鳳凰三山に登った時の足の痙攣と下りの苦痛だったのではないかということです。鳳凰山では登りで何度も足が痙攣し、下りで疲労困憊し、翌日から数日間は筋肉痛であったり、心が萎えてしまったりして、黒部原流行を半ばあきらめかけていました。が、実は1週間前に肉体と精神を追い込んで、そこから試合日にあわせて徐々に体調を整えていくという、競技スポーツに取り組んでいた学生時代と似た条件で無意識のうちに調整できていたのです。今回の場合は、鳳凰山登山がたまたまそれとおなじスパンでの追い込みになったために、ピクリとも痙攣の兆候を感じなかったし、つらい登りや下りも鳳凰山の時よりは未だいいよなと感じる心のゆとりもありました。
「たかが山登り、されど山登り」疲れて下山し温泉に入っているうちに、心の中ではすでに次の山行に思いを馳せている僕がいました。
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