会津朝日岳〜会津駒ケ岳
- GPS
- 80:00
- 距離
- 37.7km
- 登り
- 3,127m
- 下り
- 2,737m
コースタイム
5/01(日) 大幽朝日岳手前コブ14:00〜14:40大幽朝日岳〜16:50丸山岳肩(1600m)△ …行動時間 2:50
5/02(月) 悪天のため停滞
5/03(火) 丸山岳肩4:40〜5:30丸山岳5:40〜7:10梵天岳7:30〜9:10高幽山9:20〜12:30坪入山13:30〜14:50窓明山〜15:50三岩岳避難小屋△ …行動時間 11:10
5/04(水) 三岩岳避難小屋5:10〜5:40三岩岳6:00〜8:40会津駒ケ岳〜9:00駒の小屋9:30〜11:00桧枝岐[下山] …行動時間 5:50
天候 | 4/30(土) 晴れのち雨 5/01(日) 雨のち曇り 5/02(月) 濃霧・強風 5/03(火) 晴れのち曇り、夜雪 5/04(水) 晴れ時々曇り |
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過去天気図(気象庁) | 2011年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
4/30 民宿からいわなの里までタクシー(約10分 2300円) 5/4 桧枝岐から会津高原尾瀬口駅までバス(約90分 1740円) |
コース状況/ 危険箇所等 |
<全般> 残雪期限定のコース。 高い登攀技術が必要な箇所も少しあるが、全般的には2本の足だけで歩ける漫歩ルート。しかし高度な危機管理と判断力が要求される点で難易度は高いと思う。予備日は+2日を考えておかないと万全とはいえない。 <危険箇所> ,い錣覆領ぁ組根取り付き(赤倉沢) 夏道のルートは雪崩危険箇所は避けているようであり、ほぼ危険はないと思われる。夏道は基本的に左岸に付けられている。尾根は顕著でないため、取り付き箇所の確認は念入りに行う必要あり。赤布などの目印の類は全くなし。 なお、逆コースの場合、叶の高手から赤倉沢への下降点の見極めが難しいと思われる。尾根が顕著ではない。ここはGPSなどを活用したい。 会津朝日岳直下 斜度が急で残雪量がすごい。雪が硬い場合はスリップしないよう十分注意。山頂稜線には深いシュルントもあるので要注意。落ちたら致命的! 2馗田日岳〜大幽朝日岳(鋸歯) 全行程でここを安全にクリアできるかどうかが最大の課題。寡雪の年であれば夏道(廃道)を使えるが、今年のように豪雪の年は部分的に解けかけでズタズタになっており、夏道と残雪との行き来の見極めに非常に神経を使う。ミスした場合、致命的な滑落に至る箇所もいくつかある。場合によってはここで撤退も覚悟しておいたほうがよい。従って豪雪の年は逆(北上)ルートは採用すべきではないと思う。(単独で入っておいてなんだが)単独で通過すべき箇所ではないと思う。 ぢ舁朝日岳前後のヤブ 今年は豪雪のため、ヤブの下の残雪をトラヴァースできるところが半分以上。そのためあまり苦労しなかった。しかし、寡雪の場合はヤブ通過にかなりの時間を要すると思われるので、計画時にはそれを見込むべき。ヤブはシラビソの類、ミヤマハンノキ、シャクナゲがほとんどで、かなり手ごわい。 ゴ飮崖抻劃塞 山頂は非常に広大で地形がかなり複雑。下る方向を間違える可能性もあるので悪天の場合は動かないほうがよい。 丸山岳を越えると会津駒までほぼ問題になるところは無い。しかし各ピークではくれぐれも下る尾根を間違えないように注意する(特に梵天岳北東の1723、高幽山の南端、坪入山は要注意)。 |
写真
感想
■第0日目 4/29(金) 雨時々晴れ
上越新幹線で浦佐に到着。GW初日のため自由席は激混みでずっと立っていた。浦佐で在来線に乗り換え小出まで、さらに只見線に乗り換えて只見駅に到着した(14:36)。予約していた民宿まがりやに電話して送迎してもらった。宿の老夫婦に単独で山に入るというとかなり心配された。まがりやのお客様で浅草岳に登り滑落して亡くなった方が以前おられたそうだ。
まがりやは駅から8キロほどで朝日岳の登山口まで車で約10分の好位置にある。おいしい食事と雰囲気の良い古民家でリラックスし英気を養った。
■第1日目 4/30(土) 晴れのち雨 (6:30-16:50)
6時にタクシーを予約した。いわなの里はオープン前日だったが車で入れた。登山口から積雪があるのでアイゼンをつける。少し行くと左岸に渡るが靴を履いたまま渡渉できた。赤倉沢の雪崩の状態を心配していたが、全く問題は無かった。夏道のルートは危険箇所をうまく外れているようだ。ちなみにトレースは全く無い。
尾根の取り付きははっきりしなかったのでGPSで何度も確かめた。登っているうちに尾根が顕著になってくるかと思ったが、結局叶の高手寸前まではっきりしなかった。天気が良いからよかったが、そうでなければかなり難しいと思う。
熊の平避難小屋に近づくと天気が怪しくなり、小屋で食事をしていると雨も降ってきた。ひどくならなそうなので進むこととする。それにしても会津朝日岳の北西壁の豪壮さには驚かされる。まるで悪魔の山だ。
朝日岳直下の雪は斜度も急なので難儀したが、幸い気温が高かったため安全に登ることができた。山頂部の稜線は険悪なので十分注意。アイゼンをヤブに引っ掛けないよう十分配慮する必要があった。山頂からこれから進む鋸歯の方を眺めて唖然とした。解けかけの雪がまだあちこちに残っておりズタズタ状態である。これは進めないのではないかと不安になる。雨も時折強まってくるので不安は倍増である。
残雪と夏道をうまく行き来し、ヤブ下のトラヴァースも併用、2箇所ほど滑落したらアウトという場所があったが冷静に通過できた。それ以外でも危険な目にもあわずなんとか納得範囲で通過したと思う。
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話はそれるが、後から思い返してみると今年のような豪雪の場合、朝日岳の鋸歯の部分を単独行で万全の安全体制で通過することはほぼ不可能だと思う。2名以上で互いにビレイをしながら行くのがベター。今回の山行で私は二つ大きなミスを犯したと思っているが、そのうちのひとつはここで撤退をしなかったこと。
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間が悪いもので、安全地帯に入ると雨が上がってきた。あとはなるべく大幽朝日岳に近づいておきたくトボトボ歩くがなかなか近づかない。もう体力の限界、手前の1470mポコで打ち止めとした。
■第2日目 5/01(日) 雨のち曇り (14:00-16:50)
この日は曇りのち雨の予報だったので、午前中に丸山岳を越えるべく考えていたが、朝4時の時点ですでに雨だった。停滞を決め込み眠ることとする。昨日のハードワークにより体中が悲鳴を上げており、正直ほっとしていた。
雨は10時ころには止み、時折日がさすようになってきた。今日のうちに大幽朝日のヤブを超えておけば明日以降楽である。明日は曇り時々晴れの予報なのでかなり進めるはずである。。。しかし体調も良くなく、なんとなくウダウダして出発できたのは午後2時だった。
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これが第二のミス。ここであと2時間早く動いておけばもっと良い幕営地を探すことができ、心理的プレッシャーも抑えられ、後に起きるアクシデントも防ぐことができたかもしれない。とにかく、3日目があんなに悪天候になることは全く予想外だった。
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大幽朝日岳直後のヤブはかなり強烈だったが、残雪が多く、セッピと西面のトラヴァースを併用して思ったより簡単にクリアできた。しかしそのあとの丸山岳までが長い。丸山岳はムチャクチャ大きな山である。山頂部の大地まで出れば良い幕営地があるだろうと思ったが、時間的・体力的にとてもそこまではいけなくなってきた。標高1600mで若干傾斜しているが安全な雪原があった。木がほとんど無いので風は心配だが、どうせ1泊だけだと思いテントを張る。しかしこの場所に36時間も釘付けになろうとは。。。景色はよく朝日岳の黒々とした岩壁と丸山岳の穏やかな北面が眺められた。
夜10時ころ起きて外を眺めると風が強くなってきたが、星空になっている。これはいいぞと思い眠りについた。
■第3日目 5/02(月) 濃霧・強風 (停滞)
夜中3時ころから風が尋常ではなくなってきた。テントの体勢も悪いため強風が吹いてきたら体重をかけて安定させる必要がある。そうでないとポールが折れてしまうのではと思うほどの烈風だった。外を見ると一寸先も見えないほどのホワイトアウト。これでは今日は行動できない。それどころかテント撤収も自殺行為、火も使えず食事さえもできない有様だった。
それでも火を使わなくてもよい行動食を食い、昨日の反省からいつでも出発できる体制は整えた。しかし、午後になっても天気は全く回復しなかった。暇なので一日中ラジオでFM福島を聞いていた。原発事故の放射能測定のアナウンスが定期的に行われていたが、会津地方はほとんど影響ないようだった。同じ県内なのになんか別世界の出来事のようだとまがりやの主人は言っていた。地震の揺れもあまり大きくなかったそうだ。
この日は結局夜までホワイトアウトの烈風が続いたのだった。一度トイレに外に出たがこれも一苦労だった。元々天気予報はこんなに悪くなかったはずだ。関東ではこの日は晴れていたそうだ。なぜ会津はこんなに悪天候になったのか? これがわかっていれば昨日は頑張ってもっと先に進んだのに… 後悔しても遅かった。これが山の気候なのだ。当たり前の結論だが、山を甘く見てはいけない。
丸山岳は日本マイナー12名山に入っている。一言で言えばアプローチが長い山だが、そもそもマイナー名山に選定される山には登山道自体ない。当然エスケープできるルートも無し。進むも戻るも最大の労力を必要とする縦走の中間点で途方にくれるしかなかった。予備日1日分の食料はあるのでまだ大丈夫だが、もしこの悪天が明日も続いたら… そう考えると不安に押しつぶされそうだった。遭難の2文字が頭をよぎった。
■第4日目 5/03(火) 晴れのち曇り、夜雪 (4:40-15:50)
天は我に味方した。3時に起きると無風快晴。ガチガチに冷え込んでマイナス5度だがこれだけ寒いと硬雪で歩行スピードも上げられる。朝飯はリゾットにお餅を入れてパワーも付けた。幸い2日間ほとんんど寝ていたため体調は絶好調。気合を入れて出発準備にかかった。
しかし災難というものは思わぬときに起きるものである。テントを撤収して畳んでいるとき、そばに置いておいたテントポールがわずかな雪面の傾斜に沿って動き出した。足で止めようとしたがうまくいかず、徐々に加速しやがて恐ろしいスピードで谷のほうに流れていって2本ともあっという間に見えなくなった。走って追いかけたが、まだ薄暗い中危険なのですぐ戻った。出発準備を整えてからもう一度ポールを探しに行ったが、当然ながら見つかるはずも無く、あきらめるしかなかった。
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このときテントを張ったところは、若干傾斜はしているが谷は遠く風の影響を除けば安全な場所にある。しかし問題は谷に向かってだんだんと雪面の傾斜がきつくなっていて、かつ木も何も無い場所ということで、この日のようなガチガチの雪面ではテントポールのようなツルツルしたものは簡単に流れてしまう。ポールの扱い方に不注意があったが、そもそもこのようなところに幕営すべきではなかったのだろう。
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さて困った。今日の寝場所が無くなったわけだ。今日の予定は窓明山までと考えていた(この翌日に窓明山から小豆温泉にエスケープも視野に入れていた)。しかし窓明山から1時間半で三岩岳の避難小屋がある。ここまでたどり着ければテントが無くても大丈夫だ。しかしこの時期は三岩岳の避難小屋は雪に埋もれていて使えない事が多いという情報も得ていた。さらに窓明山までも10時間はかかる。体力が持つかが最も心配であった。とりあえず三岩岳避難小屋を目標に出発した。
丸山岳山頂は1時間で到着。丸山岳はすばらしい山だ。この山行で間違いなくベストの山。まず山頂の地形が一風変わっていてとても興味をそそられる。なんと表現してよいのかわからないが、小さな丘がいくつか連なっているような広々とした感覚がある。山頂からの景色は雄大。挙げてゆくときりが無いが、浅草岳や守門岳など只見の山、越後駒・荒沢岳など魚沼の山、未丈が岳から毛猛山への稜線、燧ケ岳・至仏山・平が岳などの尾瀬の山などなど。そしてこれから向かう会津駒ケ岳のスカイラインもここで初めて見える。まず思ったのは、朝日岳のような豪壮で細い危険な稜線が全く無く、緩やかな尾根のカーブが描かれていて正直ほっとした。そして思ったよりも距離感も近い。これなら今日は三岩までいけるかも知れないと初めて思った。
丸山岳から梵天岳までの稜線を歩くのはまさに至福のとき。ここの区間をこのような快晴で歩けるのはなんと貴重なことか。時間をかけて歩きたいのだが、スタートして2時間ちょっとで梵天岳まで到着。その後の高幽山も緩やかでここまで本当に順調きた。余談だがこの地域の山は何故か「幽」の字が多い。高幽山は山肌の湾曲した真っ白な雪面がとても美しい。幽玄という言葉が当てはまるかも。
高幽から坪入山までがこの日最もハードで時間がかかる区間。鞍部は標高1490mまで下がるので登り返しがきつい(この鞍部は雰囲気は良く幕営にも良いが)。坪入山手前で正午を回った。順調すぎるほどのペースなので、坪入山頂でお湯をたくさん沸かしてカップ蕎麦を食べて大休止した。この山頂には巨大なセッピがある。まるでタイタニックが激突した氷山ではないかと思えるほど(大嘘)。
窓明山に向かうころには天候は曇りとなって寒くなってきた。午前中は無風だったが風もだいぶ出てきた。坪入山から先は古いトレースがあった。久々に人間の痕跡をみて狂喜。今までは鹿トレース、熊トレースしか無かったから。。。
ここで丸山岳にピストンでいくという夫婦と遭遇。この縦走で初めて人に会った。久しぶりに人に会ったことがうれしくて、長話をしてしまった。かなり苦戦していたみたいだが無事丸山岳まで行けただろうか…
窓明山には3時前に到着。ここまで来れば避難小屋まで十分行ける。うれしいことにはっきりしたトレースもある。鞍部まで下るとかなり風が強く、なんと雪も舞ってきた。今朝の晴天はなんだったんだ。これはまずいと頑張って登り、予定より1時間も早く避難小屋に着いてしまった。我ながらこの日は良く歩いたと思う。改心の出来であった。
しかし喜んでばかりはおれない。小屋は使えるのか? 幸いテン泊の準備をしていた4人パーティさんがいたので聞いてみると予想通りまだ開いてないという。確かに確認してみると小屋は軒先まで雪に埋もれている状態だった。しかし小屋の壁と雪壁の間に若干スペースがあり、ここで寝れば安全にビバークできそうなのでまずは一安心だった。更にスペースを掘り進めてみると1箇所だけ窓があり、窓の雪囲いをはずして小屋内に進入することが出来た。なんとラッキー!! 進入して驚いたのだが、小屋の玄関ドアの雪囲いと目張りが不十分で小屋の中に雪が入り、こんもりと山が出来ていた。1階はほとんど使えない状態で、部屋隅のベンチの上に陣取った(2階は無傷)。あの感じでは夏になっても復旧と清掃に時間がかかるかもしれない。。。なお、このパーティさんにはスコップを貸していただき大感謝。困っている私に親身に協力していただきました(ほんとうにありがとうございましたm(_ _)m)。
一転して快適な一夜となったこの夜、穴倉の中で寝ているようなものなので、外の強風も小屋の中は全く聞こえず、泥のように眠ることが出来た。
■第5日目 5/04(水) 晴れ時々曇り (5:10-11:00)
予備日に突入したので、この日は天気が悪ければ小豆温泉にエスケープを考えていた。しかし最終日の朝は黄砂でモヤっていて強風が吹き荒れてはいるが、すっきりとした晴れである。これは最終目的地の会津駒まで行くしかない!
昨晩の雪は粉砂糖のようにうっすらと積もる程度で全然問題なかった。三岩岳ピークまで登るとこの縦走で初めて2000mを超える。会津駒までの稜線も見渡せるが信じられないほどなだらかだ。距離も近く快適な稜線漫歩だ。おまけにバックカントリーのコースでもあるのでトレースもあった。何も不安を感じず足を踏み入れた。
3時間半で会津駒まで到着。かなり雲が多くなってしまったが、丸山岳まで見えている今までのルートを感慨深く振り返ってから下山にかかった。会津駒はこの時期極端に大人気で、そこらじゅう人だらけトレースだらけ。なんと山スカート仕様の山ガールも登って来る。一昨日までは誰一人として会わなかったのに、突然下界の喧騒に放り込まれたようで正直困惑。ちょっと人気が偏りすぎのような… 三岩岳もいい山なのに。
駒の小屋でポカリスエットを注文し、500ccを一気にごっくん。うまー。駒の小屋からはいつものごとく足スキーと尻すべり併用でなんと1時間半で桧枝岐の国道まで下ってしまった。朝日岳の登りはあんなにつらかったのに、あまりにあっけない。。。
まずは何よりも先に温泉!と燧の湯(ここ最高)に入り、そのあと近くの食堂で裁ち蕎麦とてんぷらを食って生き返った。涙が出そうなほどうまかった。バスが3時だったので桧枝岐の歌舞伎の舞台など見学する時間もあった(こんな山の中なのにすごく文化的なのね、、失礼)。会津高原駅に出て、全部鈍行で小田原まで帰ったら夜の11時を過ぎてしまった…
(おしまい)
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ff97181さん、はじめまして、bikihanakoと申します。
とても貴重で素晴らしい記録を拝見でき、感激しております。このエリアにこの季節、悪天候のもと、単独で挑まれたそのお姿に、本当に感服しております。
一時期、会津の山々が大好きになり、通った時期がありました。でも、このエリアだけは、殆ど記録も見当たらず、一体どういう方が入山されるのだろうと思っていました。もっと沢山のお写真を拝見させて頂きたい気持ちです。
本当にお疲れ様でした。
bikihanako
bikihanako様
過分なご感想をありがとうございます。天候が悪かったのが本当に残念で、個人的に反省点も多い山行でした。生きて帰ってこれてホッとしてます。でも4日目の朝は本当に楽しめました。
会津の山々は首都圏から近いのに自然がたっぷり残っていて本当にすばらしいです。民宿の奥さんが浅草岳も良いですからぜひ登ってくださいとおっしゃっていました。今度行きたいと思います。
どうもありがとうございました。
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