前日14日。
山王林道・金精峠・西ノ湖入口BSに食料・水・ザックをデポしときました。
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6/14 16:46
前日14日。
山王林道・金精峠・西ノ湖入口BSに食料・水・ザックをデポしときました。
迎えた15日、出発の朝。
赤沼駐車場からスタート。
平日なので早朝の低公害バスが無く、歩きです。
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6/15 4:31
迎えた15日、出発の朝。
赤沼駐車場からスタート。
平日なので早朝の低公害バスが無く、歩きです。
前夜、寝てる間にかなり雨が降ったようでした。
アスファルトの上で途方に暮れていたエゾハルゼミ。
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6/15 4:56
前夜、寝てる間にかなり雨が降ったようでした。
アスファルトの上で途方に暮れていたエゾハルゼミ。
小田代ヶ原越しに 白根隠・外山方面を望む。
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6/15 5:05
小田代ヶ原越しに 白根隠・外山方面を望む。
シカさん、ういっす。
実は昨夕、生まれて初めてクマを見ました。
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6/15 5:40
シカさん、ういっす。
実は昨夕、生まれて初めてクマを見ました。
昨夕低公害バスを使って西ノ湖入口BS付近にザックをデポしに来たとき、付近で小熊に出合ったわけです。人を恐れず採食に感ける姿に恐怖心を覚えました。あれじゃトラブル起きるよなあ。
この辺によく現れる個体らしいです。
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6/15 5:45
昨夕低公害バスを使って西ノ湖入口BS付近にザックをデポしに来たとき、付近で小熊に出合ったわけです。人を恐れず採食に感ける姿に恐怖心を覚えました。あれじゃトラブル起きるよなあ。
この辺によく現れる個体らしいです。
昨夕は、バスに乗ってから数百メートル離れた場所で大人の熊も目撃。
ザックと今後の山行が心配。
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6/15 5:48
昨夕は、バスに乗ってから数百メートル離れた場所で大人の熊も目撃。
ザックと今後の山行が心配。
昨夜の雨が守ってくれたのかな?
無事サック回収。
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6/15 5:49
昨夜の雨が守ってくれたのかな?
無事サック回収。
出発でござる。
総重量18kgほど。
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6/15 6:13
出発でござる。
総重量18kgほど。
赤岩滝分岐を赤岩滝方向へ。
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6/15 6:17
赤岩滝分岐を赤岩滝方向へ。
水量が微妙に多い柳沢川。
柳沢第1号堰堤とNo.1コンクリート床固との間を徒渉。
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6/15 7:06
水量が微妙に多い柳沢川。
柳沢第1号堰堤とNo.1コンクリート床固との間を徒渉。
登山道から1542Pへ取付きます。
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6/15 7:32
登山道から1542Pへ取付きます。
1542Pの取付付近から望む大岳。
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6/15 7:29
1542Pの取付付近から望む大岳。
1542Pを脇に見ながら通過。
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6/15 7:36
1542Pを脇に見ながら通過。
前回下った時には道が分かりにくかったのですが、今回尾根筋筋を意識して登ってみると、わりに分かりやすい道でした。
ときおり残るマーキングの意図もこの日はよく伝わってきます。
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6/15 7:54
前回下った時には道が分かりにくかったのですが、今回尾根筋筋を意識して登ってみると、わりに分かりやすい道でした。
ときおり残るマーキングの意図もこの日はよく伝わってきます。
今回は尾根先から取付きます。
下るときはどこに向かっているか分かりかねて混乱させられた巻き道にも、この日は迷いません。
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6/15 7:56
今回は尾根先から取付きます。
下るときはどこに向かっているか分かりかねて混乱させられた巻き道にも、この日は迷いません。
藪が濃い箇所の踏跡は巻いてることが多いです。
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6/15 7:59
藪が濃い箇所の踏跡は巻いてることが多いです。
とはいっても藪に飲まれることも。
画像では伝わりにくいのですが、林道終点直下(1874P下)の激藪もその区間はほんの短いことが分かったので、この日は真っ直ぐ突っ込んでみました。
尾根筋東側に藪に飲まれた踏跡がありました。
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6/15 8:32
とはいっても藪に飲まれることも。
画像では伝わりにくいのですが、林道終点直下(1874P下)の激藪もその区間はほんの短いことが分かったので、この日は真っ直ぐ突っ込んでみました。
尾根筋東側に藪に飲まれた踏跡がありました。
柳沢林道に乗りました。
林道終点から 白根隠方面を望む。
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6/15 8:46
柳沢林道に乗りました。
林道終点から 白根隠方面を望む。
林道終点から1874Pへの取付に入ります。
画面中央に延びる踏跡がそれ。
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6/15 8:46
林道終点から1874Pへの取付に入ります。
画面中央に延びる踏跡がそれ。
この取付の両側の沢から小さな湧水があります。
この日はぎりぎり汲める感じの水量でした。
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6/15 8:47
この取付の両側の沢から小さな湧水があります。
この日はぎりぎり汲める感じの水量でした。
左奥が1874P。
前回訪れたときは倒木の巣だったのでこの日は立ち寄りません。
踏跡もここを巻いて右に上がっていました。
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6/15 8:50
左奥が1874P。
前回訪れたときは倒木の巣だったのでこの日は立ち寄りません。
踏跡もここを巻いて右に上がっていました。
2077Pへ、斜度が増すと踏跡は不明瞭になります。
目を凝らすとマークがあるので、それを追います。
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6/15 9:03
2077Pへ、斜度が増すと踏跡は不明瞭になります。
目を凝らすとマークがあるので、それを追います。
この画像の上になるのですが、標高1930〜1980の範囲はマークの少ない笹の急斜面だったような気がします。
踏跡ほぼなし。
前回自分で残していったテープに救われました。
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6/15 9:11
この画像の上になるのですが、標高1930〜1980の範囲はマークの少ない笹の急斜面だったような気がします。
踏跡ほぼなし。
前回自分で残していったテープに救われました。
標高1980の肩に乗れば踏跡は明瞭。
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6/15 9:20
標高1980の肩に乗れば踏跡は明瞭。
中禅寺湖が見えてきました。
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6/15 9:26
中禅寺湖が見えてきました。
宿堂坊方面を望んだら、眼下に魅力的な丘が見えました。
1832Pあたりかな。
なんだか楽しそう…。
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6/15 9:30
宿堂坊方面を望んだら、眼下に魅力的な丘が見えました。
1832Pあたりかな。
なんだか楽しそう…。
途中からマークと踏跡は2077Pを外れて柳沢のコルへ直接向かっています。
そのままマークを追いました。
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6/15 9:39
途中からマークと踏跡は2077Pを外れて柳沢のコルへ直接向かっています。
そのままマークを追いました。
到着。
18日ぶりの錫ノ宿推定地(柳沢のコル)はすっかり雪が解けていました。
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6/15 9:44
到着。
18日ぶりの錫ノ宿推定地(柳沢のコル)はすっかり雪が解けていました。
錫ノ宿から錫ヶ岳を望む。
前回追い切れなかった柳沢水場をもう一度探しに行きました。
前回あたりをつけてきた柳沢川源頭部へ向かう薄い踏跡が見えるので、これを追ってみました。
(『私記』にある錫ノ宿の閼伽は、あくまでも群馬側です)
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6/15 9:48
錫ノ宿から錫ヶ岳を望む。
前回追い切れなかった柳沢水場をもう一度探しに行きました。
前回あたりをつけてきた柳沢川源頭部へ向かう薄い踏跡が見えるので、これを追ってみました。
(『私記』にある錫ノ宿の閼伽は、あくまでも群馬側です)
踏跡は源頭部まで続いていました。
下りてみますが…
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6/15 9:53
踏跡は源頭部まで続いていました。
下りてみますが…
湧水はありません。
前回は雪渓だった場所です。
このまま沢筋を下ってみます。
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6/15 9:55
湧水はありません。
前回は雪渓だった場所です。
このまま沢筋を下ってみます。
前回雪解け水が音を立てて流れていた場所にも水はありません。
画面右手前の水たまりは昨夜の雨によるもの。
画面中央右の大きな倒木がある場所が、前回あたりを付けた枝沢との出合です。
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6/15 9:57
前回雪解け水が音を立てて流れていた場所にも水はありません。
画面右手前の水たまりは昨夜の雨によるもの。
画面中央右の大きな倒木がある場所が、前回あたりを付けた枝沢との出合です。
前回あたりを付けた枝枝との出合。
この日は河床を小さく濡らす程度にしか水が湧いていません。
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6/15 10:11
前回あたりを付けた枝枝との出合。
この日は河床を小さく濡らす程度にしか水が湧いていません。
さらに下れば…
おお、湧水を発見。
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6/15 10:11
さらに下れば…
おお、湧水を発見。
湧水地点付近から下流を望みます。
左右の斜面から、小さいながらも湧水が認められました。
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6/15 10:08
湧水地点付近から下流を望みます。
左右の斜面から、小さいながらも湧水が認められました。
湧水を追って下ると、「ここで汲んでください」とばかりの甌穴がありました。
(見にくい写真でごめんなさい)
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6/15 10:02
湧水を追って下ると、「ここで汲んでください」とばかりの甌穴がありました。
(見にくい写真でごめんなさい)
このすぐ下で、水は伏流してしまいます。
どこまで下ればまたオーバーフローするのか、ちょっと分からないのですが…
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6/15 10:05
このすぐ下で、水は伏流してしまいます。
どこまで下ればまたオーバーフローするのか、ちょっと分からないのですが…
汲んで、飲んでみました。
時節による水量の変動は分らないのですが、ここが柳沢水場なんじゃないでしょうか?
錫ノ宿推定地に戻って旅を続けます。
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6/15 10:03
汲んで、飲んでみました。
時節による水量の変動は分らないのですが、ここが柳沢水場なんじゃないでしょうか?
錫ノ宿推定地に戻って旅を続けます。
鞍部から錫ヶ岳方向へ少し上った稜線上。
池田氏がp.230で述べていた座標(北緯36度45分28.5秒、東経139度21分27.7秒 : 日本測地系)はこのあたりの南斜面。
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6/15 10:23
鞍部から錫ヶ岳方向へ少し上った稜線上。
池田氏がp.230で述べていた座標(北緯36度45分28.5秒、東経139度21分27.7秒 : 日本測地系)はこのあたりの南斜面。
錫ヶ岳へ向かいます。
マークと踏跡が乖離した場所もあります。
踏跡のない笹原は歩きにくいので、踏跡を追った方が吉かと思います。
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6/15 10:36
錫ヶ岳へ向かいます。
マークと踏跡が乖離した場所もあります。
踏跡のない笹原は歩きにくいので、踏跡を追った方が吉かと思います。
『錫ヶ嶽へは一つの長い肩と一つのピークを越える。肩の始点に御料局境界標石柱「界甲三〇一」がある(p.231)』
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6/15 10:42
『錫ヶ嶽へは一つの長い肩と一つのピークを越える。肩の始点に御料局境界標石柱「界甲三〇一」がある(p.231)』
『長い肩の終点に「水場」の標識があるが、右側である(同頁)』
標識は見つかりませんでしたが、このあたりかと思われます。
幕営適地あり。
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6/15 11:03
『長い肩の終点に「水場」の標識があるが、右側である(同頁)』
標識は見つかりませんでしたが、このあたりかと思われます。
幕営適地あり。
同じ地点にて、水場と思われる方向を望む。
『全踏査』のp.229およびp.235の地図によれば、この地点と白檜岳山頂付近に水場があります。
今回この2ヶ所の探索は諦めました。
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6/15 11:09
同じ地点にて、水場と思われる方向を望む。
『全踏査』のp.229およびp.235の地図によれば、この地点と白檜岳山頂付近に水場があります。
今回この2ヶ所の探索は諦めました。
いよいよ錫ヶ岳への本格的な登り。
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6/15 11:23
いよいよ錫ヶ岳への本格的な登り。
ここでも踏跡とマークは乖離しがち。
笹原は尾根の西寄り、樹林帯の中の方が薄めです。
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6/15 11:32
ここでも踏跡とマークは乖離しがち。
笹原は尾根の西寄り、樹林帯の中の方が薄めです。
2241Pをかすめるようにして通過。
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6/15 11:41
2241Pをかすめるようにして通過。
錫ヶ岳の真のピークが見えてきました。
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6/15 11:43
錫ヶ岳の真のピークが見えてきました。
山頂の西側に見える露岩帯。
帰宅後分かったのですが『全踏査』p.232に掲載された石躰は、この部分だと思われます。
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6/15 11:44
山頂の西側に見える露岩帯。
帰宅後分かったのですが『全踏査』p.232に掲載された石躰は、この部分だと思われます。
登るほどに奥白根も見えてきました。
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6/15 11:46
登るほどに奥白根も見えてきました。
山頂手前の斜面を行く。
笹を踏んで、何度か転びました。
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6/15 11:50
山頂手前の斜面を行く。
笹を踏んで、何度か転びました。
もはや頭一つ、日光山地の上に立っていました。
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6/15 12:12
もはや頭一つ、日光山地の上に立っていました。
皇海と赤城山。
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6/15 12:15
皇海と赤城山。
「あのあたりから登ってきたんだなあ」
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6/15 12:18
「あのあたりから登ってきたんだなあ」
登ってきた尾根を同定。
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6/15 12:20
登ってきた尾根を同定。
石躰群が見えてきました。
立ち寄ります。
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6/15 12:10
石躰群が見えてきました。
立ち寄ります。
山頂南西側の石躰群の上から群馬側を望みます。
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6/15 12:34
山頂南西側の石躰群の上から群馬側を望みます。
その風景を同定。
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6/15 12:34
その風景を同定。
山頂南西側の石躰群から、北西側の石躰群を望む。
『三頂点の手前に棚部がある。この棚部には窪地がいくつかあり、二か所に水溜りがある。このコケの繁茂した窪地を西に越えると様相は一変する。上野国側に尊像にも似た奇岩の石躰群が林立する崖が出現する。「石躰拝所多之」とは、この林立する様を表現している(p.231-232)』
積雪のため、水溜りは確認できず。
山行当日は『全踏査』p.232掲載の写真撮影位置を特定出来なかったのですが、帰宅後写真49の石躰がp.232と同一のものであることに気づきました。
この写真を撮った地点より手前、もっと南側です。
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6/15 12:36
山頂南西側の石躰群から、北西側の石躰群を望む。
『三頂点の手前に棚部がある。この棚部には窪地がいくつかあり、二か所に水溜りがある。このコケの繁茂した窪地を西に越えると様相は一変する。上野国側に尊像にも似た奇岩の石躰群が林立する崖が出現する。「石躰拝所多之」とは、この林立する様を表現している(p.231-232)』
積雪のため、水溜りは確認できず。
山行当日は『全踏査』p.232掲載の写真撮影位置を特定出来なかったのですが、帰宅後写真49の石躰がp.232と同一のものであることに気づきました。
この写真を撮った地点より手前、もっと南側です。
そんなこんなで錫ヶ岳到着。
中央で出迎えてくれるのは御料局三角点。
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6/15 12:50
そんなこんなで錫ヶ岳到着。
中央で出迎えてくれるのは御料局三角点。
傍らに建つ三等三角点「錫ヶ岳」2388.20m、正常。
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6/15 12:52
傍らに建つ三等三角点「錫ヶ岳」2388.20m、正常。
国土地理院三角点と御料局三角点の位置関係。
若干高くなっている手前に建っているのが地理院のもの。
1
6/15 12:53
国土地理院三角点と御料局三角点の位置関係。
若干高くなっている手前に建っているのが地理院のもの。
錫ヶ岳にて。
山名板、高ーい!
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6/15 12:56
錫ヶ岳にて。
山名板、高ーい!
こちらも山頂はお祭り騒ぎw
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6/15 12:53
こちらも山頂はお祭り騒ぎw
日光側はよく見通せます。
山頂からの眺め。
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6/15 12:59
日光側はよく見通せます。
山頂からの眺め。
地理院三角点のそばにあった、もう一枚の山名板。
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6/15 13:05
地理院三角点のそばにあった、もう一枚の山名板。
山頂北西側の石躰群にも立ち寄ってきました。
奥白根がよく見えます。
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6/15 13:12
山頂北西側の石躰群にも立ち寄ってきました。
奥白根がよく見えます。
錫ヶ岳北西の小ピークへ。
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6/15 13:12
錫ヶ岳北西の小ピークへ。
北西石躰群から南西石躰群を望む。
では先に進みましょう。
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6/15 13:16
北西石躰群から南西石躰群を望む。
では先に進みましょう。
小池ノ宿目指して、憧れの白錫尾根を行く。
錫ヶ岳山頂から北側の道の方が、南斜面より格段に歩きやすかったです。
手前の鞍部に池が見えますね…。
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6/15 13:49
小池ノ宿目指して、憧れの白錫尾根を行く。
錫ヶ岳山頂から北側の道の方が、南斜面より格段に歩きやすかったです。
手前の鞍部に池が見えますね…。
鞍部の池。
サンショウウオの卵が見当たらないことに驚きました。
(こういうところには、あるもんだと思ってました)
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6/15 13:52
鞍部の池。
サンショウウオの卵が見当たらないことに驚きました。
(こういうところには、あるもんだと思ってました)
燧ヶ岳が四郎岳と燕巣山の間に見えだした頃…。
(p.232参照)
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6/15 14:01
燧ヶ岳が四郎岳と燕巣山の間に見えだした頃…。
(p.232参照)
小池ノ宿推定地(錫の水場)に到着。
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6/15 14:09
小池ノ宿推定地(錫の水場)に到着。
水場の標識が方々にあります。
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6/15 14:07
水場の標識が方々にあります。
幕営適地から水場まで、すぐです。
この踏跡が入口。
ただ『私記』では、小池ノ宿の閼伽についての記述はありません。
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6/15 14:07
幕営適地から水場まで、すぐです。
この踏跡が入口。
ただ『私記』では、小池ノ宿の閼伽についての記述はありません。
幕営地から水場への道。
きれいな道ですが、大きな倒木が1本あります。
水場まで5分というのは嘘じゃないっす。
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6/15 14:28
幕営地から水場への道。
きれいな道ですが、大きな倒木が1本あります。
水場まで5分というのは嘘じゃないっす。
塩ビ管などを挿入して設えた取水管が方々にありますが…
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6/15 14:14
塩ビ管などを挿入して設えた取水管が方々にありますが…
水量が今ひとつ。
少し下ると…
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6/15 14:14
水量が今ひとつ。
少し下ると…
いい感じの取水ポイントを見つけました。
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6/15 14:16
いい感じの取水ポイントを見つけました。
さらに下を見ると、仁下又沢(の枝沢)方面へ下る明瞭な道が。
沢沿いに錫ヶ岳に登るルートがあるようです。
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6/15 14:17
さらに下を見ると、仁下又沢(の枝沢)方面へ下る明瞭な道が。
沢沿いに錫ヶ岳に登るルートがあるようです。
今夜から明日にかけて必要な水を給水。
プラティパスに直、というより半分以上はシェラカップで掬い入れる感じ。
この日はここへは泊まらず、明日の行程を縮めるため足を延ばしました。
幕営適地を求めて治田ノ宿方面へ出発。
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6/15 14:25
今夜から明日にかけて必要な水を給水。
プラティパスに直、というより半分以上はシェラカップで掬い入れる感じ。
この日はここへは泊まらず、明日の行程を縮めるため足を延ばしました。
幕営適地を求めて治田ノ宿方面へ出発。
白檜岳への稜線歩き。
笹原の中、踏跡を探しながら進みます。
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6/15 14:55
白檜岳への稜線歩き。
笹原の中、踏跡を探しながら進みます。
2296Pを通過。
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6/15 15:18
2296Pを通過。
白檜岳山頂が望めるようになってきました。
…が、僕の体力がもう無い感じ。
ヲロ山界隈のノリで「鞍部に出ればあるだろ」と踏んでいた幕営適地が見当たらず、ここまで歩いてしまった。
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6/15 15:29
白檜岳山頂が望めるようになってきました。
…が、僕の体力がもう無い感じ。
ヲロ山界隈のノリで「鞍部に出ればあるだろ」と踏んでいた幕営適地が見当たらず、ここまで歩いてしまった。
白檜岳から南西に延びる肩に乗ったころ、池塘のような池が目に入り始めます。
幕営地として期待していた治田ノ宿推定地に着きました。
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6/15 15:51
白檜岳から南西に延びる肩に乗ったころ、池塘のような池が目に入り始めます。
幕営地として期待していた治田ノ宿推定地に着きました。
治田ノ宿(ぬたのしゅく)推定地(『全踏査』p.236掲載の写真と同じ場所です)。
一面の笹原で、幕営が難しそうでした。
『私記』によれば、抖愧罎僕遒噌腓Δ呂困世辰唇戝弔道に迷ったため、急遽ここに柴宿(ビバーク)を張って彼らを待つことになったとか。
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6/15 15:56
治田ノ宿(ぬたのしゅく)推定地(『全踏査』p.236掲載の写真と同じ場所です)。
一面の笹原で、幕営が難しそうでした。
『私記』によれば、抖愧罎僕遒噌腓Δ呂困世辰唇戝弔道に迷ったため、急遽ここに柴宿(ビバーク)を張って彼らを待つことになったとか。
治田ノ宿の池の水。
この水飲めるかな…? ちょっとキツいです。
こちらにもサンショウウオの卵はない模様。
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6/15 15:57
治田ノ宿の池の水。
この水飲めるかな…? ちょっとキツいです。
こちらにもサンショウウオの卵はない模様。
16時に差し掛かり、白檜岳に登る気力もなくなっていました。
一面の笹原の中、傾斜地中の砂地に無理やり幕営してこの日は終了。
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6/15 16:03
16時に差し掛かり、白檜岳に登る気力もなくなっていました。
一面の笹原の中、傾斜地中の砂地に無理やり幕営してこの日は終了。
6月16日、縦走2日目の朝。
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6/16 4:35
6月16日、縦走2日目の朝。
夕方の雨はそれほど長くは続かず、明け方は星が見えました。
0
6/16 4:19
夕方の雨はそれほど長くは続かず、明け方は星が見えました。
西ノ湖と中禅寺湖が朝霧で繋がっています。
低公害バスの中の観光アナウンスで
「むかし、西ノ湖と中禅寺湖は繋がっていました」というのがあったんですが、そんな風景が見えてきます。
2
6/16 5:16
西ノ湖と中禅寺湖が朝霧で繋がっています。
低公害バスの中の観光アナウンスで
「むかし、西ノ湖と中禅寺湖は繋がっていました」というのがあったんですが、そんな風景が見えてきます。
昨日詰められなかった白檜岳めざして出発。
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6/16 5:21
昨日詰められなかった白檜岳めざして出発。
白檜を登りながら、錫ヶ岳と皇海山を顧みる。
方角的には皇海の真上に富士山が見えるはずです。
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6/16 5:33
白檜を登りながら、錫ヶ岳と皇海山を顧みる。
方角的には皇海の真上に富士山が見えるはずです。
白檜岳山頂に幕営適地がありました。
何かを探し求めて進んでいるとそれは見つからない、諦めたそのすぐ先に目指すものが実は存在していた、という…。
登山あるある、というより「人生あるある」か。
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6/16 5:37
白檜岳山頂に幕営適地がありました。
何かを探し求めて進んでいるとそれは見つからない、諦めたそのすぐ先に目指すものが実は存在していた、という…。
登山あるある、というより「人生あるある」か。
県境界線は前白根への稜線を離れ、白檜岳から奥白根へ直接延びています。
県境の尾根を望む。
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6/16 5:44
県境界線は前白根への稜線を離れ、白檜岳から奥白根へ直接延びています。
県境の尾根を望む。
『全踏査』掲載の地図には白檜岳にも水場のマークがありますが、この水場探索は諦めました。
いよいよ 白根隠〜前白根への稜線歩きが始まります。
1
6/16 5:46
『全踏査』掲載の地図には白檜岳にも水場のマークがありますが、この水場探索は諦めました。
いよいよ 白根隠〜前白根への稜線歩きが始まります。
中禅寺湖と西ノ湖を見ながら歩きます。
0
6/16 5:47
中禅寺湖と西ノ湖を見ながら歩きます。
火口を通して、奥白根山を望む。
奥から順に五色山・2385P・ 白根隠(の山裾)。
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6/16 5:55
火口を通して、奥白根山を望む。
奥から順に五色山・2385P・ 白根隠(の山裾)。
同じく火口。
左奥に見えているのは平ヶ岳と至仏山。
奥白根山は1649年(慶安2年)に噴火しています。夏峯が盛んだったのはこれより前の時代です。これから探す日光修験遺構の特定についても「噴火口はどこだったのか」というのは大切な話になってくるのですが、気象庁のサイトなどにある『新火口(直径約200m、深さ約10m)生成。頂上の神社全壊。』という話は古文書(おそらく天保4年[1832]に成った『日光山史』によるのだと思います)から引いてきた情報らしく、実際に1649年の噴火がどこで起きたのかは正確には分らないとのことでした(栃木県立博物館に伺いました)。
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6/16 5:57
同じく火口。
左奥に見えているのは平ヶ岳と至仏山。
奥白根山は1649年(慶安2年)に噴火しています。夏峯が盛んだったのはこれより前の時代です。これから探す日光修験遺構の特定についても「噴火口はどこだったのか」というのは大切な話になってくるのですが、気象庁のサイトなどにある『新火口(直径約200m、深さ約10m)生成。頂上の神社全壊。』という話は古文書(おそらく天保4年[1832]に成った『日光山史』によるのだと思います)から引いてきた情報らしく、実際に1649年の噴火がどこで起きたのかは正確には分らないとのことでした(栃木県立博物館に伺いました)。
白檜と錫を顧みてみる。
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6/16 6:02
白檜と錫を顧みてみる。
いよいよ白根隠に参ります。
0
6/16 6:05
いよいよ白根隠に参ります。
白根隠を通過。
3
6/16 6:10
白根隠を通過。
白根隠から見た奥白根。
立派です。
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6/16 6:11
白根隠から見た奥白根。
立派です。
ここからしばらくは、極上の稜線歩き。
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6/16 6:13
ここからしばらくは、極上の稜線歩き。
ナゾ物件、観測所跡に到着。
初日の宿泊予定地は、内心ここでした。
1
6/16 6:30
ナゾ物件、観測所跡に到着。
初日の宿泊予定地は、内心ここでした。
扉を開けるとショッキングな風景が待っていますが…
(一応、根太は抜けていません)
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6/16 6:28
扉を開けるとショッキングな風景が待っていますが…
(一応、根太は抜けていません)
充分使える雰囲気。
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6/16 6:28
充分使える雰囲気。
このプレートがあるということは…
ここは正規の縦走ルートってことじゃないか!!
0
6/16 6:29
このプレートがあるということは…
ここは正規の縦走ルートってことじゃないか!!
(参考までに)
1
6/16 6:29
(参考までに)
前白根を目指します。
ショウジョウバカマがやっと咲き始めていました。
コマクサは見つからなかったなあ。
2
6/16 6:37
前白根を目指します。
ショウジョウバカマがやっと咲き始めていました。
コマクサは見つからなかったなあ。
五色沼も見えてきました。
3
6/16 6:45
五色沼も見えてきました。
前白根山名板のあるピークへ。
0
6/16 6:47
前白根山名板のあるピークへ。
前白根山山名板。
地形図にある2373Pはここではなく、画面中央奥に見えるケルンのある場所です。
0
6/16 6:50
前白根山山名板。
地形図にある2373Pはここではなく、画面中央奥に見えるケルンのある場所です。
この山名板の後ろに祠があります。
碑伝あり。
『これは日光修験夏峯にかかわるものではない(p.238)』
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6/16 6:51
この山名板の後ろに祠があります。
碑伝あり。
『これは日光修験夏峯にかかわるものではない(p.238)』
祠の銅扉。昭和5年、錺職人による奉納です。
年代的には人間国宝第1期あたりの年代の方の仕事だと思われます。
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6/16 6:54
祠の銅扉。昭和5年、錺職人による奉納です。
年代的には人間国宝第1期あたりの年代の方の仕事だと思われます。
祠内部。
誰かの収めた真新しいほとけさま。
2
6/16 6:54
祠内部。
誰かの収めた真新しいほとけさま。
生真面目な鏨の跡がたまりません。
きれいな仕事です。
2
6/16 6:54
生真面目な鏨の跡がたまりません。
きれいな仕事です。
近くで『全踏査』p.238にある「十五童子の石躰」の撮影位置を特定できました。
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6/16 7:01
近くで『全踏査』p.238にある「十五童子の石躰」の撮影位置を特定できました。
『「十五童子の石躰を拝申也」とある。前白根山山頂部には第三紀の流紋岩の露岩が点在する(同頁)』
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6/16 7:00
『「十五童子の石躰を拝申也」とある。前白根山山頂部には第三紀の流紋岩の露岩が点在する(同頁)』
十五童子石躰推定地の御料局境界標石。
「字前白根山」とありました。
2
6/16 7:02
十五童子石躰推定地の御料局境界標石。
「字前白根山」とありました。
前白根に乗って、湯ノ湖側の風景がやっと見えてきました。
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6/16 7:09
前白根に乗って、湯ノ湖側の風景がやっと見えてきました。
さて、五色沼に下りるルートは現在のものと異なります。
「夫ヨリ右ニ付テ山ニ切アリ」とある、五色山との間の鞍部から北斜面を下りていきます。
(p.239〜240)
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6/16 7:12
さて、五色沼に下りるルートは現在のものと異なります。
「夫ヨリ右ニ付テ山ニ切アリ」とある、五色山との間の鞍部から北斜面を下りていきます。
(p.239〜240)
鞍部東側の窪地にザックをデポ。
水場を経由して五色沼まで下ります。
(ここで銀山平を目指す二人組のベテランハイカーさんに出合いました。カッコよかったです)
1
6/16 7:27
鞍部東側の窪地にザックをデポ。
水場を経由して五色沼まで下ります。
(ここで銀山平を目指す二人組のベテランハイカーさんに出合いました。カッコよかったです)
巻き道としてけっこう利用されているのか、踏跡がいくつもありました。
それに引っ張られて蛇行しながらの下降となりました。
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6/16 7:36
巻き道としてけっこう利用されているのか、踏跡がいくつもありました。
それに引っ張られて蛇行しながらの下降となりました。
沢地形。
これを下れば…
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6/16 7:47
沢地形。
これを下れば…
山と高原地図にも載っている、五色沼南側の水場に到着です。
1
6/16 7:51
山と高原地図にも載っている、五色沼南側の水場に到着です。
水場を仰ぎ見る。
2本の沢地形の出合にあります。
水場があるのは見上げて右の沢。
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6/16 7:54
水場を仰ぎ見る。
2本の沢地形の出合にあります。
水場があるのは見上げて右の沢。
水場からは素直に登山道を下りました。
五色沼に到着。
『全踏査』では五色沼畔で取った柴宿についての記述に混乱があります。
p.241では「柴宿は乾燥した草原の西岸に設営」とありますが、p.245以降では東岸としています。
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6/16 7:56
水場からは素直に登山道を下りました。
五色沼に到着。
『全踏査』では五色沼畔で取った柴宿についての記述に混乱があります。
p.241では「柴宿は乾燥した草原の西岸に設営」とありますが、p.245以降では東岸としています。
ここでは東岸とさせていただきます。
この柴宿、場所の特定はされていないのですが
「俺ならこの辺に泊まるかなあ」というあたりを撮ってきました。
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6/16 8:00
ここでは東岸とさせていただきます。
この柴宿、場所の特定はされていないのですが
「俺ならこの辺に泊まるかなあ」というあたりを撮ってきました。
いよいよ奥白根に登ります。
五色沼東岸から避難小屋めがけてまっすぐ歩いてみましたが、p.241に載っている門神の写真と同じ場所は登山道を沼側にやや戻ったところにありました。
門ノ神石躰の推定地、撮影位置を特定。
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6/16 8:11
いよいよ奥白根に登ります。
五色沼東岸から避難小屋めがけてまっすぐ歩いてみましたが、p.241に載っている門神の写真と同じ場所は登山道を沼側にやや戻ったところにありました。
門ノ神石躰の推定地、撮影位置を特定。
そのまま避難小屋に向かって歩きます。
0
6/16 8:20
そのまま避難小屋に向かって歩きます。
参考までに避難小屋内部。
「ネズミが出ます」などと物騒な書き込みがあります。
0
6/16 8:22
参考までに避難小屋内部。
「ネズミが出ます」などと物騒な書き込みがあります。
そのまま奥白根の取付目指して歩くと、標識の左側に「門神」っぽい大岩が。
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6/16 8:26
そのまま奥白根の取付目指して歩くと、標識の左側に「門神」っぽい大岩が。
先に述べたように1649年の水蒸気噴火の位置や規模はよく分からないので、『全踏査』にある奥白根周辺の記事は落ち着かない気分で読みました。
これまで歩き見た「石躰」のスケールから考えると、なんだかこの岩のほうが「門神」にしっくりきました。
修験者も奥白根南斜面を登ったと思われますが、正確なルートは分かりません。素直に現登山道を歩きます。
2
6/16 8:27
先に述べたように1649年の水蒸気噴火の位置や規模はよく分からないので、『全踏査』にある奥白根周辺の記事は落ち着かない気分で読みました。
これまで歩き見た「石躰」のスケールから考えると、なんだかこの岩のほうが「門神」にしっくりきました。
修験者も奥白根南斜面を登ったと思われますが、正確なルートは分かりません。素直に現登山道を歩きます。
途中、百名山を歩かれてる老夫婦としばらく話し込み。
山頂近くの標識に到着。
この標識、県境に建ってると思います。
0
6/16 8:52
途中、百名山を歩かれてる老夫婦としばらく話し込み。
山頂近くの標識に到着。
この標識、県境に建ってると思います。
標識のあたりから2353P・白檜岳へと続く県境を望む。
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6/16 8:54
標識のあたりから2353P・白檜岳へと続く県境を望む。
…ふと見れば、先ほど話しこんだ(銀山平を目指す)お二人が 白根隠山頂に!!
声出して手を振ったんだけどなあ。
聞こえたかなあ。
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6/16 8:56
…ふと見れば、先ほど話しこんだ(銀山平を目指す)お二人が 白根隠山頂に!!
声出して手を振ったんだけどなあ。
聞こえたかなあ。
いよいよ奥白根山頂の探索に入ります。
1
6/16 9:11
いよいよ奥白根山頂の探索に入ります。
まず目に飛び込んできたのが、2基の不動明王が祀られた「岩屋」
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6/16 9:19
まず目に飛び込んできたのが、2基の不動明王が祀られた「岩屋」
『巨岩に寄り添ってもう一個の溶岩が岩屋の形を形成している(p.242)』
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6/16 9:21
『巨岩に寄り添ってもう一個の溶岩が岩屋の形を形成している(p.242)』
「岩屋」を反対側から見たところ。
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6/16 9:22
「岩屋」を反対側から見たところ。
『石英安山岩の巨大溶岩塊「岩屋」の南面には、二体の不動明王像が鎮座している(p.243)』
(2体目は陰に隠れてます。)
2
6/16 9:20
『石英安山岩の巨大溶岩塊「岩屋」の南面には、二体の不動明王像が鎮座している(p.243)』
(2体目は陰に隠れてます。)
手前のおおきな坐像の台座。
右から「安永七戌天」
1778年、慶安噴火の129年後の奉納。
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6/16 9:23
手前のおおきな坐像の台座。
右から「安永七戌天」
1778年、慶安噴火の129年後の奉納。
右から「六月吉祥日」、ともに確認。
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6/16 9:25
右から「六月吉祥日」、ともに確認。
左奥にある小ぶりな立像。
こちらの方がずっと古く、「承応二癸巳」などの印刻があるとのこと(p.243)ですが見当たりませんでした。像を動かして文字を探す気にはさすがになれません。
承応2年は1653年に当たります。慶安噴火の4年後です。
2
6/16 9:27
左奥にある小ぶりな立像。
こちらの方がずっと古く、「承応二癸巳」などの印刻があるとのこと(p.243)ですが見当たりませんでした。像を動かして文字を探す気にはさすがになれません。
承応2年は1653年に当たります。慶安噴火の4年後です。
さてさんざん探し回ったのですが、p.241に記載のある「隆三世ノ石躰」を確定する決め手に欠きました。p.241に載っている写真と同じ稜線がどうしても見つけられません。
現地を歩いたうえで推定した隆三世ノ石躰が、画像右に円弧状に並ぶ、あかい矢印の指す3体。
画像左のあおい矢印の挿すのが、先ほど見た不動明王を宿す岩屋。
1
6/16 9:37
さてさんざん探し回ったのですが、p.241に記載のある「隆三世ノ石躰」を確定する決め手に欠きました。p.241に載っている写真と同じ稜線がどうしても見つけられません。
現地を歩いたうえで推定した隆三世ノ石躰が、画像右に円弧状に並ぶ、あかい矢印の指す3体。
画像左のあおい矢印の挿すのが、先ほど見た不動明王を宿す岩屋。
2つの石躰の間を歩くと、火口状の窪地のちょうど真ん中を歩く形で奥社跡に参ることができます。
画像を拡大すれば右手の奥社が見えるはず。
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6/16 9:40
2つの石躰の間を歩くと、火口状の窪地のちょうど真ん中を歩く形で奥社跡に参ることができます。
画像を拡大すれば右手の奥社が見えるはず。
奥社跡とお社。
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6/16 9:46
奥社跡とお社。
『全踏査』を読む限りでは、このお社が何なのか分かりません。
右の大岩に隠れた、ケルン状の石積みの中に石鳥居の石材が残ります。
1
6/16 9:48
『全踏査』を読む限りでは、このお社が何なのか分かりません。
右の大岩に隠れた、ケルン状の石積みの中に石鳥居の石材が残ります。
『現在奥社跡に残る石鳥居等の奉納物は江戸期のものである(p.242)』
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6/16 9:49
『現在奥社跡に残る石鳥居等の奉納物は江戸期のものである(p.242)』
ケルンの中に打ち捨てられていたのであろう石材に、明和8年銘が遺ります。
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6/16 9:52
ケルンの中に打ち捨てられていたのであろう石材に、明和8年銘が遺ります。
鳥居の石材から離れて、下に残っていた礎石跡。
画面右上部に見えるのが…
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6/16 9:50
鳥居の石材から離れて、下に残っていた礎石跡。
画面右上部に見えるのが…
また別の礎石。
これらの並びを見ていると、現状とは異なる参道があった模様。
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6/16 9:51
また別の礎石。
これらの並びを見ていると、現状とは異なる参道があった模様。
『現在の「社」は奥社跡の南の台地に位置して東向きに立つ(同頁)』とあったので、奥社跡南側に見えるピークというピークを歩き回りました(笑)が、何も見つからず。
現在奥社跡に建つお社は上記の社屋を移したのかも、と思いました。
ご存知の方いらしたら教えてください。
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6/16 9:54
『現在の「社」は奥社跡の南の台地に位置して東向きに立つ(同頁)』とあったので、奥社跡南側に見えるピークというピークを歩き回りました(笑)が、何も見つからず。
現在奥社跡に建つお社は上記の社屋を移したのかも、と思いました。
ご存知の方いらしたら教えてください。
諦めて、山頂を目指しました。
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6/16 10:04
諦めて、山頂を目指しました。
山頂到着。
あらためて、いい天気だ!
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6/16 10:09
山頂到着。
あらためて、いい天気だ!
狭い山頂、隙を見て撮影。
2等三角点「白根山」2577.14m、正常。
点の記を見たら、ここは日本製紙株式会社の所有らしい。
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6/16 10:07
狭い山頂、隙を見て撮影。
2等三角点「白根山」2577.14m、正常。
点の記を見たら、ここは日本製紙株式会社の所有らしい。
山頂の眺望を楽しみます。
同定してみました。
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6/16 10:10
山頂の眺望を楽しみます。
同定してみました。
修験者はここから弥陀ヶ池へ下りました。
座禅山を囲んで弥陀ヶ池・菅沼が弧形に並んでいるように見えますが、錯覚です(笑)
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6/16 10:18
修験者はここから弥陀ヶ池へ下りました。
座禅山を囲んで弥陀ヶ池・菅沼が弧形に並んでいるように見えますが、錯覚です(笑)
下りながら。
マーキングのラッカーの上に生えた苔だったら面白いのにな、と思って撮影。
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6/16 10:21
下りながら。
マーキングのラッカーの上に生えた苔だったら面白いのにな、と思って撮影。
『「又御門在リ」とある。『御門』があった位置は特定できないが、弥陀ヶ池までは下らず、座禅山との鞍部付近と推察される(p.244)』
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6/16 10:34
『「又御門在リ」とある。『御門』があった位置は特定できないが、弥陀ヶ池までは下らず、座禅山との鞍部付近と推察される(p.244)』
鞍部から弥陀ヶ池へ。
0
6/16 10:34
鞍部から弥陀ヶ池へ。
弥陀ヶ池にて。
『石躰は草地に点在する露岩ではなく、山腹東斜面にある。(中略)この突出露岩群を六ノ石躰と見立てたものと推察される(p.245)』
p.244掲載の撮影位置を特定。
正直『全踏査』全巻を通じて、石躰確定の根拠は僕にはよく分かりません。
2
6/16 10:43
弥陀ヶ池にて。
『石躰は草地に点在する露岩ではなく、山腹東斜面にある。(中略)この突出露岩群を六ノ石躰と見立てたものと推察される(p.245)』
p.244掲載の撮影位置を特定。
正直『全踏査』全巻を通じて、石躰確定の根拠は僕にはよく分かりません。
弥陀ヶ池。
五色沼周辺で探索すべき物件はあと2つとなりました。
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6/16 10:47
弥陀ヶ池。
五色沼周辺で探索すべき物件はあと2つとなりました。
五色沼へ向かって峠を越えます。
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6/16 10:51
五色沼へ向かって峠を越えます。
『峠下の棚部の草地の小平地を指し、(中略)室町期の夏峯全盛時代、ここに正観音を祀った内院があったことがうかがえる(p.245)』
掲載された写真の撮影位置は特定できず。
このあたりだろうと思うのだけれど…。
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6/16 10:57
『峠下の棚部の草地の小平地を指し、(中略)室町期の夏峯全盛時代、ここに正観音を祀った内院があったことがうかがえる(p.245)』
掲載された写真の撮影位置は特定できず。
このあたりだろうと思うのだけれど…。
五色沼まで下りてきました。
『「彼走石躰」と名指しした石躰は南岸の水辺に点在する巨岩を指していると推察される(p.246)』
これにて奥白根&五色沼周辺の探索はおしまい。
ここから水場まで素直に上がり、そこから前白根-五色山の稜線へ登り返します。
1
6/16 11:12
五色沼まで下りてきました。
『「彼走石躰」と名指しした石躰は南岸の水辺に点在する巨岩を指していると推察される(p.246)』
これにて奥白根&五色沼周辺の探索はおしまい。
ここから水場まで素直に上がり、そこから前白根-五色山の稜線へ登り返します。
復路、水場からデポ地点までまっすぐ歩こうとしますが…
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6/16 11:43
復路、水場からデポ地点までまっすぐ歩こうとしますが…
盛大に方角を見失い、1本外れた鞍部に出てしまいました。
ショックでした。
後から思えば、このあたりからいろいろおかしかった。
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6/16 11:52
盛大に方角を見失い、1本外れた鞍部に出てしまいました。
ショックでした。
後から思えば、このあたりからいろいろおかしかった。
わりと新しい熊の糞、身が引き締まります。
1
6/16 11:53
わりと新しい熊の糞、身が引き締まります。
ザックを拾って五色山方面へ足を進めました。
途中「大日ノ岩屋・金銀ノ岩屋」を探しますが、当日は結局見つからず。
帰宅後写真を整理していたらp.247の写真と同じ場所が撮れていたことに気づきます。
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6/16 12:36
ザックを拾って五色山方面へ足を進めました。
途中「大日ノ岩屋・金銀ノ岩屋」を探しますが、当日は結局見つからず。
帰宅後写真を整理していたらp.247の写真と同じ場所が撮れていたことに気づきます。
上の写真をトリミング。
撮影位置を特定です。
「大日ノ岩屋・金銀ノ岩屋」推定地は足元の岩を左に下りたあたりかと思われます。
散々歩き回ったんだけど、当日気づけませんでした。
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6/16 12:36
上の写真をトリミング。
撮影位置を特定です。
「大日ノ岩屋・金銀ノ岩屋」推定地は足元の岩を左に下りたあたりかと思われます。
散々歩き回ったんだけど、当日気づけませんでした。
五色山へ。
湯ノ湖とこれから歩くべき尾根が見渡せました。
でも、ちょっと疲れちゃったなあ…
予定していた念仏平避難小屋への到着が危ぶまれる時間帯です。
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6/16 12:40
五色山へ。
湯ノ湖とこれから歩くべき尾根が見渡せました。
でも、ちょっと疲れちゃったなあ…
予定していた念仏平避難小屋への到着が危ぶまれる時間帯です。
五色山に到着。
金精峠に向かって下りだしたら、思いがけず山友のUltreiaさんと出合いました。
金精峠から会いに登って来てくれたらしい。
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6/16 12:52
五色山に到着。
金精峠に向かって下りだしたら、思いがけず山友のUltreiaさんと出合いました。
金精峠から会いに登って来てくれたらしい。
彼は「五色山から折り返してくる」というので、ひとまず僕が先行する形で金精峠を目指します。
いやあ、元気貰いました、マジで。
1
6/16 13:13
彼は「五色山から折り返してくる」というので、ひとまず僕が先行する形で金精峠を目指します。
いやあ、元気貰いました、マジで。
界甲四六九標の建つ国境平を通過。
1
6/16 13:15
界甲四六九標の建つ国境平を通過。
金精山到着。
ここでウルさんに追いつかれる。
早いっすよ〜。
笈吊岩という地名はありますが、素直に登山道を進みました。
1
6/16 13:34
金精山到着。
ここでウルさんに追いつかれる。
早いっすよ〜。
笈吊岩という地名はありますが、素直に登山道を進みました。
金精峠に到着。
「撮るからそこ立ってよう!」
「やだよぅ、だって載せるでしょう?」
「うん…載せるけどさ…、でも立ってよぅ!」みたいな遣り取りの後で撮影。
塩トマト・おにぎり・揚げ団子の差し入れ、本当にありがとう!
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6/16 14:11
金精峠に到着。
「撮るからそこ立ってよう!」
「やだよぅ、だって載せるでしょう?」
「うん…載せるけどさ…、でも立ってよぅ!」みたいな遣り取りの後で撮影。
塩トマト・おにぎり・揚げ団子の差し入れ、本当にありがとう!
デポしていた食料は無事回収。
水はデポしていなかったので、ウルさんと相談して湯ノ湖駐車場で水を汲んでここまで戻って来ることにしました。予定を変えて、この夜は金精峠に泊まります。
ウルさんの車に乗せてもらって、ここまで往復して水を運びました。
トンネル駐車場で別れた彼はそのまま帰宅。ほんとにお世話様でした。
大永7年の夏峯一行も旧暦6月22日(7/30グレゴリオ)、ここで柴宿を取っています。閼伽は菅沼登山口まで、往復90分を歩いたようです。
僕は日暮まで、昨夜濡れたテントを乾かして過ごしました。
1
6/16 15:46
デポしていた食料は無事回収。
水はデポしていなかったので、ウルさんと相談して湯ノ湖駐車場で水を汲んでここまで戻って来ることにしました。予定を変えて、この夜は金精峠に泊まります。
ウルさんの車に乗せてもらって、ここまで往復して水を運びました。
トンネル駐車場で別れた彼はそのまま帰宅。ほんとにお世話様でした。
大永7年の夏峯一行も旧暦6月22日(7/30グレゴリオ)、ここで柴宿を取っています。閼伽は菅沼登山口まで、往復90分を歩いたようです。
僕は日暮まで、昨夜濡れたテントを乾かして過ごしました。
縦走3日目、6月17日の朝です。
1
6/17 4:31
縦走3日目、6月17日の朝です。
すっかり我が仮の宿となった、ステラリッジ。
4
6/17 4:35
すっかり我が仮の宿となった、ステラリッジ。
金精神社を詣でます。
碑伝あり。
リンガ2基あり。
0
6/17 5:25
金精神社を詣でます。
碑伝あり。
リンガ2基あり。
1
6/17 5:25
縄文以来の、古い偶像になるのだと思います。
道端に建つお地蔵さん(や道祖神)は陽根の変型だとする説を最近読んで、頓に納得しています。
1
6/17 5:26
縄文以来の、古い偶像になるのだと思います。
道端に建つお地蔵さん(や道祖神)は陽根の変型だとする説を最近読んで、頓に納得しています。
モタモタしているうちに日が高くなってきました。
1
6/17 5:27
モタモタしているうちに日が高くなってきました。
この風景を見ながら朝ごはん。
モタモタと出発です。
2
6/17 5:27
この風景を見ながら朝ごはん。
モタモタと出発です。
温泉ヶ岳を登りながら見た風景を同定。
帰宅後、白馬岳・北アルプスが見えていたことに驚きました。
詳しく見てみます。
0
6/17 6:20
温泉ヶ岳を登りながら見た風景を同定。
帰宅後、白馬岳・北アルプスが見えていたことに驚きました。
詳しく見てみます。
見やすいように画像処理をしたうえで同定。
穂高・槍・大天井・燕・水晶・針ノ木・立山・白馬が見えました。
錚々たる憧れの山々。
条件のいい日に奥白根で見てみたいですね。
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6/17 6:22
見やすいように画像処理をしたうえで同定。
穂高・槍・大天井・燕・水晶・針ノ木・立山・白馬が見えました。
錚々たる憧れの山々。
条件のいい日に奥白根で見てみたいですね。
温泉ヶ岳山頂への分岐から温泉ヶ岳へ向かいます。
夏峯では山頂を越えて直進しているので、ここへのピストンはありません。
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6/17 6:35
温泉ヶ岳山頂への分岐から温泉ヶ岳へ向かいます。
夏峯では山頂を越えて直進しているので、ここへのピストンはありません。
温泉ヶ岳に到着。
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6/17 6:45
温泉ヶ岳に到着。
山頂にある池。
こちらではサンショウウオ繁殖中。
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6/17 6:46
山頂にある池。
こちらではサンショウウオ繁殖中。
温泉ヶ岳山頂。
手前が御料局、奥が地理院の三角点。
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6/17 6:46
温泉ヶ岳山頂。
手前が御料局、奥が地理院の三角点。
三等三角点「温泉岳」2333.11m、正常。
碑伝あり。
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6/17 6:48
三等三角点「温泉岳」2333.11m、正常。
碑伝あり。
温泉ヶ岳から切込湖方向を望む。
まさに修験者たちがこれから歩く尾根々々。
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6/17 6:48
温泉ヶ岳から切込湖方向を望む。
まさに修験者たちがこれから歩く尾根々々。
温泉ヶ岳から、燧・会津駒ヶ岳方面の眺めを…
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6/17 6:49
温泉ヶ岳から、燧・会津駒ヶ岳方面の眺めを…
…同定してみました。
根名草から南。
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6/17 6:51
…同定してみました。
根名草から南。
根名草から北。
飯豊連峰がよく見えました。
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6/17 6:52
根名草から北。
飯豊連峰がよく見えました。
飯豊連峰。
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6/17 6:53
飯豊連峰。
アイコマ。
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6/17 6:54
アイコマ。
燧。
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6/17 6:59
燧。
四郎・燕巣の間に見える至仏山。
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6/17 6:56
四郎・燕巣の間に見える至仏山。
平ヶ岳。
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6/17 6:55
平ヶ岳。
そして白馬と…
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6/17 6:54
そして白馬と…
念仏平避難小屋。
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6/17 6:56
念仏平避難小屋。
温泉ヶ岳の噴気孔をかすめるように抖悗領鵑録覆鵑任い泙靴拭
頂上から北東に下っていく鹿道を辿って噴気孔を探します。
『全踏査』p.249〜250に「南東」との記述がありますが、誤記です。北東に下ります。
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6/17 6:58
温泉ヶ岳の噴気孔をかすめるように抖悗領鵑録覆鵑任い泙靴拭
頂上から北東に下っていく鹿道を辿って噴気孔を探します。
『全踏査』p.249〜250に「南東」との記述がありますが、誤記です。北東に下ります。
山頂の北東側に小段があります。
小段から下を見下ろすと、県境をなぞるように踏跡が続いているのが分かります。
愛すべきクソッタレどもの夢の跡、でしょうか。
2
6/17 7:07
山頂の北東側に小段があります。
小段から下を見下ろすと、県境をなぞるように踏跡が続いているのが分かります。
愛すべきクソッタレどもの夢の跡、でしょうか。
積雪のため踏跡がよく分からなかったのですが、画像中央にある緑色の矢印のあたりに噴気孔がありました。
シラビソの根方です。
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6/17 7:15
積雪のため踏跡がよく分からなかったのですが、画像中央にある緑色の矢印のあたりに噴気孔がありました。
シラビソの根方です。
シラビソの根方にある、温泉ヶ岳の「噴気孔」
2
6/17 7:17
シラビソの根方にある、温泉ヶ岳の「噴気孔」
実物を見ると、人工物と言われても納得できるような造形。
『私記』には『溫泉ノ嶽ヘ参リ後夜ノ勤アリ。夫ヨリ駆レバ頂上ニ穴アリ、ササノ中也。用心スベシ』とあります。
当時から「温泉ノ岳」と呼ばれていたようですね。
『私記』によれば一行は大永7年6月23日にここを訪れていますが、グレゴリオ暦で換算すれば1527年7月31日に当たります(ユリウス暦で7/21)。
その当時からあったであろう穴です。
1
6/17 7:18
実物を見ると、人工物と言われても納得できるような造形。
『私記』には『溫泉ノ嶽ヘ参リ後夜ノ勤アリ。夫ヨリ駆レバ頂上ニ穴アリ、ササノ中也。用心スベシ』とあります。
当時から「温泉ノ岳」と呼ばれていたようですね。
『私記』によれば一行は大永7年6月23日にここを訪れていますが、グレゴリオ暦で換算すれば1527年7月31日に当たります(ユリウス暦で7/21)。
その当時からあったであろう穴です。
ストックの全長が実測116cm。
ほぼ方形の穴でした。
1辺2mほど、深さ6mあるそうです。
1
6/17 7:21
ストックの全長が実測116cm。
ほぼ方形の穴でした。
1辺2mほど、深さ6mあるそうです。
噴気孔から温泉ヶ岳山頂を望む。
用心スベシというからには、ここを通っていたのでしょう。
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6/17 7:23
噴気孔から温泉ヶ岳山頂を望む。
用心スベシというからには、ここを通っていたのでしょう。
さて、最初ここから県境を下ろうと考えたのですが…
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6/17 7:33
さて、最初ここから県境を下ろうと考えたのですが…
(見にくい写真ですが)踏跡はありますが雨を含んで軟弱な土質、眼下に見える踏跡の両脇は短く植生の薄い笹原の急斜面でした。
この日の装備と歩荷で下りられる気がしません。
引き返して…
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6/17 7:36
(見にくい写真ですが)踏跡はありますが雨を含んで軟弱な土質、眼下に見える踏跡の両脇は短く植生の薄い笹原の急斜面でした。
この日の装備と歩荷で下りられる気がしません。
引き返して…
藪を横切って地形図上の勾配が緩そうな場所を目指しました。
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6/17 7:43
藪を横切って地形図上の勾配が緩そうな場所を目指しました。
無事登山道に合流。
そのすぐ先が…
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6/17 7:53
無事登山道に合流。
そのすぐ先が…
両部ノ石躰推定地。
ここに大きな岩があったと記憶していますが、p.250の写真を見る限りその岩を指しているのだと思います。
北斜面の雪の中に、まだ完全に埋もれていました。
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6/17 7:55
両部ノ石躰推定地。
ここに大きな岩があったと記憶していますが、p.250の写真を見る限りその岩を指しているのだと思います。
北斜面の雪の中に、まだ完全に埋もれていました。
両部ノ石躰推定地から温泉ヶ岳を望む。
県境伝いに踏跡がありますねえ(*'ω'*)
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6/17 7:56
両部ノ石躰推定地から温泉ヶ岳を望む。
県境伝いに踏跡がありますねえ(*'ω'*)
両部ノ石躰に載って(?)日光連山を眺める。
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6/17 7:57
両部ノ石躰に載って(?)日光連山を眺める。
さて、歩を進めて2274Pへ向かう取付に到着しました。
画面中央にある、枯木の上部の赤いプレートが目印。
ここには何も書かれていませんが…
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6/17 8:42
さて、歩を進めて2274Pへ向かう取付に到着しました。
画面中央にある、枯木の上部の赤いプレートが目印。
ここには何も書かれていませんが…
枯木の裏側へ回ると文字の書かれた赤プレートがあります。
shige-ponさんの2年前のレコより確実に薄れていますが、
「山王尾根 金田(?)」と「金精(?)」と読めます。
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6/17 8:42
枯木の裏側へ回ると文字の書かれた赤プレートがあります。
shige-ponさんの2年前のレコより確実に薄れていますが、
「山王尾根 金田(?)」と「金精(?)」と読めます。
「上野國・下野國」と刻まれた御料局境界標石がこの取付にあると思い込んでいたので、ここでしばらく探し回ってしまいました。
まずは2274Pを目指して、道のはっきりしない(かといって踏跡のないわけではない)尾根に突入です。
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6/17 8:44
「上野國・下野國」と刻まれた御料局境界標石がこの取付にあると思い込んでいたので、ここでしばらく探し回ってしまいました。
まずは2274Pを目指して、道のはっきりしない(かといって踏跡のないわけではない)尾根に突入です。
取付から50m強歩いてこれが見えたときにはホッとしました。
県境に残る御料局境界標石「界甲五二八」を発見。
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6/17 8:46
取付から50m強歩いてこれが見えたときにはホッとしました。
県境に残る御料局境界標石「界甲五二八」を発見。
「上野國」
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6/17 8:47
「上野國」
「下野國」
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6/17 8:48
「下野國」
「界甲五二八」
最近は境界標石の番号を掘り出して確認するようになってしまいました…。
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6/17 8:51
「界甲五二八」
最近は境界標石の番号を掘り出して確認するようになってしまいました…。
2274Pに到着。
地形図を見て分かる通り山王尾根(っていうのかな、ここは)は尾根筋が広く緩やかで、また藪に覆われがちで見通しも効かないので、特に下る際は道が分かりにくいです。
「ピーク付近は藪りがち」ピークの大小を問わず、このパターンを繰り返します。
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6/17 8:53
2274Pに到着。
地形図を見て分かる通り山王尾根(っていうのかな、ここは)は尾根筋が広く緩やかで、また藪に覆われがちで見通しも効かないので、特に下る際は道が分かりにくいです。
「ピーク付近は藪りがち」ピークの大小を問わず、このパターンを繰り返します。
2274P東稜から。
これから向かう2207P、2193pと高薙山を見渡せる。
このあと、尾根筋の藪を嫌って左へ巻きながら進んでしまいました。
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6/17 9:15
2274P東稜から。
これから向かう2207P、2193pと高薙山を見渡せる。
このあと、尾根筋の藪を嫌って左へ巻きながら進んでしまいました。
尾根筋に戻る過程で、広々とした小段があった。
今後、p.252〜253に掲載されているような開けた湿地が見当たらなかったので、ここが竜池ノ宿推定地だと思われます。
shige-ponさんが推定されていた場所と同じです。
雪が解けてから確認してきます。
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6/17 9:29
尾根筋に戻る過程で、広々とした小段があった。
今後、p.252〜253に掲載されているような開けた湿地が見当たらなかったので、ここが竜池ノ宿推定地だと思われます。
shige-ponさんが推定されていた場所と同じです。
雪が解けてから確認してきます。
竜池ノ宿に関して、池田氏がp.253に書かれていた「北緯36度49分31.4秒、東経139度25分8秒」というデータも世界測地系に変換して持ち歩いていたのですが、それらしい場所は見当たりませんでした。
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6/17 9:35
竜池ノ宿に関して、池田氏がp.253に書かれていた「北緯36度49分31.4秒、東経139度25分8秒」というデータも世界測地系に変換して持ち歩いていたのですが、それらしい場所は見当たりませんでした。
2207Pへの登り。
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6/17 9:50
2207Pへの登り。
2207P途中にあったヌタ場。
この先で2193Pに向けて左折するので、ここから2207Pを巻いてしまいました。
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6/17 9:51
2207P途中にあったヌタ場。
この先で2193Pに向けて左折するので、ここから2207Pを巻いてしまいました。
トラバース中。
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6/17 9:53
トラバース中。
途中で沢地形を見つけ、水場を求めてしばらく拘泥してしまった。
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6/17 10:10
途中で沢地形を見つけ、水場を求めてしばらく拘泥してしまった。
2207P北稜から2193Pを望む。
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6/17 10:22
2207P北稜から2193Pを望む。
山王尾根、ブユみたいな虫がずっと付きまとってきます。
低いところばかりを飛んでいて、頭の高さまで来ない感じでした。
君たち普段、何食べとんねん。
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6/17 10:38
山王尾根、ブユみたいな虫がずっと付きまとってきます。
低いところばかりを飛んでいて、頭の高さまで来ない感じでした。
君たち普段、何食べとんねん。
2193Pへの登り。
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6/17 10:59
2193Pへの登り。
2193P標高点のすぐ脇に見晴らし岩がありました。
shige-ponさんのレコにある通りでした。
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6/17 11:01
2193P標高点のすぐ脇に見晴らし岩がありました。
shige-ponさんのレコにある通りでした。
2193P見晴らし岩からの眺めを同定。
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6/17 11:03
2193P見晴らし岩からの眺めを同定。
2193P北側の広場。
ここは高薙山への分岐でもあります。
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6/17 11:14
2193P北側の広場。
ここは高薙山への分岐でもあります。
北の広場にて。
たぶんここが高薙山への道。
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6/17 11:20
北の広場にて。
たぶんここが高薙山への道。
読みにくい地形ですが、僕は南東に下りなければなりません。
このヌタ場のあたりから南東稜に下りました。
今回の山行、ここから先のルーファイがグズグズになりました。
1
6/17 11:23
読みにくい地形ですが、僕は南東に下りなければなりません。
このヌタ場のあたりから南東稜に下りました。
今回の山行、ここから先のルーファイがグズグズになりました。
おお!
この尾根に入って初めて、マーキング発見!
標高2110m付近。
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6/17 11:38
おお!
この尾根に入って初めて、マーキング発見!
標高2110m付近。
標高2000m付近の尾根先が藪になっていたので、踏跡のある右に下りたのですが…
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6/17 12:05
標高2000m付近の尾根先が藪になっていたので、踏跡のある右に下りたのですが…
これが大失敗でした。
修験者も使わないと思う、ここは。
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6/17 12:09
これが大失敗でした。
修験者も使わないと思う、ここは。
標高差50mほど崖を急降下します。
北東に延びる尾根を使えばよかったのかなあ。
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6/17 12:12
標高差50mほど崖を急降下します。
北東に延びる尾根を使えばよかったのかなあ。
下りきって撮影。
カモシカ2頭と遭遇しました。
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6/17 12:22
下りきって撮影。
カモシカ2頭と遭遇しました。
コバエよコバエ、わしゃもう疲れたよ。
この辺で心が折れ始めました。
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6/17 12:31
コバエよコバエ、わしゃもう疲れたよ。
この辺で心が折れ始めました。
1971P手前の鞍部。
コッペパンを食べながら、この辺で撤退を覚悟。
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6/17 12:33
1971P手前の鞍部。
コッペパンを食べながら、この辺で撤退を覚悟。
1971P。
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6/17 12:56
1971P。
1971Pを下り始めたところにあったマーク。
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6/17 13:07
1971Pを下り始めたところにあったマーク。
界甲五二八を見つけた(画面中央)。
眼下に鞍部が見える。
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6/17 14:09
界甲五二八を見つけた(画面中央)。
眼下に鞍部が見える。
斜面が平坦に変わるころ、御料局境界標「界甲五八〇」を発見。
『「界甲五八〇」の境界標石柱辺りまで来ると、金剛堂が目に飛び込んでくる(p.256)』
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6/17 14:18
斜面が平坦に変わるころ、御料局境界標「界甲五八〇」を発見。
『「界甲五八〇」の境界標石柱辺りまで来ると、金剛堂が目に飛び込んでくる(p.256)』
ああ、祠だ…。
深山之宿に到着です。
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6/17 13:16
ああ、祠だ…。
深山之宿に到着です。
金剛堂は古そうな石段の上に載っていました。
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6/17 14:21
金剛堂は古そうな石段の上に載っていました。
傾いで建つ、深山之宿の金剛堂。
屋根裏に垂木の文様がありました。
この金剛堂に残されていた銅扉にあった陰刻から、ここは日光修験最古の金剛堂と言われていますが、金剛堂自体はかなり時代が降ると思います。新しいです。
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6/17 13:19
傾いで建つ、深山之宿の金剛堂。
屋根裏に垂木の文様がありました。
この金剛堂に残されていた銅扉にあった陰刻から、ここは日光修験最古の金剛堂と言われていますが、金剛堂自体はかなり時代が降ると思います。新しいです。
金剛堂母屋に残された、銅扉を収めていたホゾ穴。
扉は現在日光市指定有形文化財に指定されているためどこかで保存されている模様。
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6/17 13:20
金剛堂母屋に残された、銅扉を収めていたホゾ穴。
扉は現在日光市指定有形文化財に指定されているためどこかで保存されている模様。
扉には「永正戊寅九月七日」などの陰刻があったようで、それが日光最古とされる所以です。永正戊寅は永正15年=1518年に当たります。
男嶽之宿にあった弘治2年より38年古いです。
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6/17 13:20
扉には「永正戊寅九月七日」などの陰刻があったようで、それが日光最古とされる所以です。永正戊寅は永正15年=1518年に当たります。
男嶽之宿にあった弘治2年より38年古いです。
石段に沿って据えられた金剛堂は、きれいに南向き。
北側に何かを拝するという感じではありません。
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6/17 13:21
石段に沿って据えられた金剛堂は、きれいに南向き。
北側に何かを拝するという感じではありません。
深山之宿から南斜面を望む。
正面左手前にあるのは三岳の山塊。
右奥に見えるはずの外山 - 奥白根は雲の中です。
正面遠くには黒檜も見えるはず…
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6/17 13:18
深山之宿から南斜面を望む。
正面左手前にあるのは三岳の山塊。
右奥に見えるはずの外山 - 奥白根は雲の中です。
正面遠くには黒檜も見えるはず…
…こんな感じに。
2017年06月29日 12:06撮影
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6/29 12:06
…こんな感じに。
祠の西側に棚部があります。
金剛堂の前と棚部はきれいに刈り払いされていました。
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6/17 13:27
祠の西側に棚部があります。
金剛堂の前と棚部はきれいに刈り払いされていました。
棚部。
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6/17 14:20
棚部。
『水場は刈込湖側に距離にして約五十メートルほど下った擂り鉢状の谷間にある(p.256)』とあるので探してみました。
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6/17 13:28
『水場は刈込湖側に距離にして約五十メートルほど下った擂り鉢状の谷間にある(p.256)』とあるので探してみました。
歩き回ってもこれが見つからない。
p.257に閼伽推定地の写真がありますが、探せませんでした。
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6/17 13:41
歩き回ってもこれが見つからない。
p.257に閼伽推定地の写真がありますが、探せませんでした。
諦めます。
もう次なる宿跡・今水ノ宿を探す時間も体力も残っていなかったので、このまま刈込湖に向かって下山することにしました。
金剛堂に別れを告げて。
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6/17 14:20
諦めます。
もう次なる宿跡・今水ノ宿を探す時間も体力も残っていなかったので、このまま刈込湖に向かって下山することにしました。
金剛堂に別れを告げて。
稜線に垂れたマーキング。
ここから尾根の南斜面を見下ろすと…
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6/17 14:27
稜線に垂れたマーキング。
ここから尾根の南斜面を見下ろすと…
南斜面を下っていく踏跡があります。
マーキングあり。
32butaさんのレコにあった道かと思われます。
これを辿って下りることにしました。
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6/17 14:27
南斜面を下っていく踏跡があります。
マーキングあり。
32butaさんのレコにあった道かと思われます。
これを辿って下りることにしました。
取り付けば、整備された登山道のようなつづら折れの道が現れます。
古そうな石でケルンも積んであるし、これはいいぞ〜と下り始めてすぐに…
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6/17 14:32
取り付けば、整備された登山道のようなつづら折れの道が現れます。
古そうな石でケルンも積んであるし、これはいいぞ〜と下り始めてすぐに…
あれ、詰んだ?
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6/17 14:34
あれ、詰んだ?
道先を予測してなんとか続きを辿れました。
以降、このパターンで道を探しながら下ります。
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6/17 14:38
道先を予測してなんとか続きを辿れました。
以降、このパターンで道を探しながら下ります。
進むほどに道は細くなりますが、丹念に辿れば明確な踏跡がありました。
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6/17 14:39
進むほどに道は細くなりますが、丹念に辿れば明確な踏跡がありました。
道の傍らに広場2か所ほどありました。
作業道の面影でしょうか。
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6/17 14:51
道の傍らに広場2か所ほどありました。
作業道の面影でしょうか。
下る程に道は荒れ気味。
やがて…
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6/17 14:55
下る程に道は荒れ気味。
やがて…
石積み護岸のある広場に出ました。
標高1700m。
すぐ脇に広めの広場もあります。
どこに繋がっているのか知らない道、このまま小峠に抜けれれたらいいなあとか考えていたのですが、ここから先の道が分かりません。
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6/17 14:57
石積み護岸のある広場に出ました。
標高1700m。
すぐ脇に広めの広場もあります。
どこに繋がっているのか知らない道、このまま小峠に抜けれれたらいいなあとか考えていたのですが、ここから先の道が分かりません。
南へ下る、あまりにも道臭い沢地形もあったのですが…
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6/17 14:59
南へ下る、あまりにも道臭い沢地形もあったのですが…
尾根を下って切込湖に下りることにしました。
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6/17 15:04
尾根を下って切込湖に下りることにしました。
最後に下った道は明らかに獣道。
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6/17 15:09
最後に下った道は明らかに獣道。
切込湖に注ぐ沢に出ました。
(さっきの沢地形と繋がってるかも)
ここから下流は伏流して水が流れていませんが…
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6/17 15:12
切込湖に注ぐ沢に出ました。
(さっきの沢地形と繋がってるかも)
ここから下流は伏流して水が流れていませんが…
上流は滔々と水が流れていました。
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6/17 15:12
上流は滔々と水が流れていました。
初めて訪れた切込湖に、北岸からこんにちは(笑)。
正面左は三岳の山塊。右は2207Pへ続く尾根。
晴れていれば左に太郎山も見えたのかな?
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6/17 15:17
初めて訪れた切込湖に、北岸からこんにちは(笑)。
正面左は三岳の山塊。右は2207Pへ続く尾根。
晴れていれば左に太郎山も見えたのかな?
西岸には2本の沢が流れ込んでいました。
中央に見える三角錐の山容は1949P。
於呂俱羅山はガスで隠れた、その右側です。
ん〜、寒沢宿までは行きたかったので敗北感でいっぱいです。
悔しいから、赤沼まで歩き通すことにしました。
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6/17 15:25
西岸には2本の沢が流れ込んでいました。
中央に見える三角錐の山容は1949P。
於呂俱羅山はガスで隠れた、その右側です。
ん〜、寒沢宿までは行きたかったので敗北感でいっぱいです。
悔しいから、赤沼まで歩き通すことにしました。
小峠を通過。
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6/17 15:51
小峠を通過。
金精道路傍らの切込湖入口駐車場(金精道路出合)を通過。
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6/17 16:05
金精道路傍らの切込湖入口駐車場(金精道路出合)を通過。
湯元温泉源泉だ。
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6/17 16:10
湯元温泉源泉だ。
ブラタモリでタモリが「やっぱ自噴だよね」と最高の褒め言葉を残してくれた場所。
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6/17 16:12
ブラタモリでタモリが「やっぱ自噴だよね」と最高の褒め言葉を残してくれた場所。
湯ノ湖とトラウト師たち。
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6/17 16:34
湯ノ湖とトラウト師たち。
戦場ヶ原を抜けて…
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6/17 17:16
戦場ヶ原を抜けて…
赤沼に到着。
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6/17 17:31
赤沼に到着。
そのまま車を走らせて、山王林道にてデポした食料と水を回収。
苦〜い下山となりました。
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6/17 18:00
そのまま車を走らせて、山王林道にてデポした食料と水を回収。
苦〜い下山となりました。
記録ゆっくり編集してください(^○^)
長い山旅の疲れをとって、冒険の話を後日お聞きできればと思います。
お疲れさまでした
ありがとう〜、
悲しくて連絡できませんでした
でも…
深い山はいいね。
充実してました。
またどっか、深〜いとこ歩きましょう!!
thoughtmayさん こんばんは〜。
本当にお疲れ様でした〜〜〜!
レコの完成を超楽しみに待っています。金田峠〜温泉ヶ岳間は歩いたことが無いのでかなり興味ありです。完成したら参考にさせて頂きます。
18日、thoughtmayさんのレコに触発されて出かけてきた宿堂坊山は最高でした。
ネギト沢の祠にも久しぶりにご挨拶することができました。念願かなった気分です。
そういえば自分も錫ヶ岳の先の下り斜面で黒い塊みて本気で引き返そうか悩みましたよ。その後は獣撃退用に持ち歩いている大音響防犯アラームを鳴らしっぱなしでしばらく歩いていましたけど、ネギト沢の祠みてやっと気持ちが落ち着いた感じでした。
あの辺は熊密度たかいのかな?
ではまた〜〜。どうかゆっくりとお休みください。
okushiraneさん、返信遅くなってごめんなさい!
レコを書き上げるまで返事できない心境でした。
何度も足を運ばせてしまって済まなかったです。
ネギト沢のレコ、もちろん楽しみに拝見しました。
やっぱりokushiraneさんの歩き方は風通しがいい!!!
素敵且つグッとくるレコ、ありがとうございました。
初めてクマ見ました。
西ノ湖入口BSでバスを待ってたら道の向こう側の山裾で、
子熊が一心不乱に枯木をほじくっていました。
虫を食べていたらしいです。
こちらで警戒の声を上げたのですが、ガン無視で枯木を砕いています。
こう言ってはなんですが熊のバカさ加減がショックだったし、
身震いするほど怖かったです。
人を怖がらないっていうのは、とても怖いことだと思います。
お互いに身の処し方が分かりません。
もう母離れした時期だと後から聞いた時はホッとしました。
ほどなく到着したバスの運転手さんに子熊の件を伝えたら、
運転手さんが気を利かせて半分ほど乗り合う乗客たちに案内していました。
「かわい〜」の一点張りだったおばちゃんがヤバかったです。
この子熊は時おりこの場所に現れるようで、
運転手さんたちの間では有名な個体とのことでした。
やがて走り出したバス。
数百メートル走ったところで大人の熊が車道を横切っていきました。
デカかったです、忘れられません。
筋トレしてどうにかなるようなウェイト差・パワー差じゃないです。
あれは出会いたくないですね。
防犯アラームですか〜。
先日登場していた雷警報器といい、
okushiraneさんの話にたまに登場するメカニックに
味わいを感じます。
ある方の話を参考に、今回初めて爆竹を持参したのですが、
あまり自分ぽく無いなあ、と幕営時も使用をためらいました。
熊と分かり合いたいなあ(笑)…
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