荒川三山、赤石岳、聖岳
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- GPS
- 72:55
- 距離
- 49.3km
- 登り
- 5,572m
- 下り
- 5,761m
コースタイム
- 山行
- 7:42
- 休憩
- 0:13
- 合計
- 7:55
- 山行
- 8:20
- 休憩
- 0:21
- 合計
- 8:41
- 山行
- 8:15
- 休憩
- 0:27
- 合計
- 8:42
天候 | 1日目:くもり一時雨 2日目:晴れのち曇り一時雨 3日目:晴れのち曇り一時雨 4日目:晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2017年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
復路) 畑薙大橋から臨時駐車場まで徒歩にて |
コース状況/ 危険箇所等 |
やや危険を感じたのは、以下の2か所です。 南岳⇔上河内岳の崩壊地 畑薙大橋⇔ヤレヤレ峠の崩壊箇所 とくに後者は歩く人も多く、再整備が必要と思われます。 |
写真
この日はテント泊ではなく、小屋泊。
というのもここの名物「とんかつ」をいただかなくては...。
また、東海フォレストの施設利用券もこれより南では使うことができないので...。
しかし、登ってきたガスには勝てず、展望ゼロ。
2年前に登った時は赤石山頂だけが見えなかっただけでしたが....。
奥聖も同じようなので、今回はパス。
感想
当初は赤石岳から、北岳をテント泊縦走しようと計画していたが、1日の走破量があまりにも必要と思われたので、今回は椹島から未踏の百名山「赤石岳」「悪沢岳」を回ることにした。
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「1日目」
携帯などの数を減らし、お酒も持たないことで、ザックの重量は18堋度になっているはず。6:00の臨時バスが出れば、時間的に余裕が生まれるはずであったが、この日は臨時便はなく、歩きだしが8:40すぎとなった。とにかく、初日の重いザックを2,000mの標高差に打ち勝って上げるためには、脚をためて臨むこととした。もし、へたれたり、時間がかかれば赤石小屋で1泊すればよい。
実際はゆっくりと登ったつもりだったが、12:30過ぎに赤石小屋に着いたので、荒川小屋まで行くことにした。富士見平までは順調であったが、赤石の主稜線手前でひどくバテて、脚が上がらなくなった。筋肉痛はなかったが、ひどく呼吸が乱れて、休んでも回復しない。いわゆる「しゃりばて」かも。
稜線からはほとんど小屋まで下り。なんとか、目標の17:00までには到着できた。
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「2日目」
1日で荒川小屋まで来たので、初日の疲れが酷ければ、悪沢岳へのピストンだけという選択もできた。アタックザックで、コースタイム6時間のピストンであったが、4時間で帰ってこられた。百間洞山の家の最終受付時間(トンカツにありつくための)16:00に間に合うには、12:00に荒川小屋出発がタイムリミットと踏んでいたが、9:00前には出発できた。3時間の余裕。
荒川小屋からは、テントを背負ったので、脚が重かった。小赤石岳の肩への登りでは、強い雨に遭遇したので雨具を使用。全然登れない。シャリバテ?
ほうほうの体で方に到着。椹島降下点を過ぎて赤石岳山頂で登るときに、すれ違った人に声をかけられた。
「前日、赤石から荒川まで登った方ですよね。」
小屋の前でこれから荒川小屋まで行くという話をした方らしい。
「すごいですね。」
と褒められたので、悪い気はしない。むしろ、赤石まで登るのによい後押しとなった。
今日登った未踏の百名山「悪沢岳」「赤石岳」ともに、山頂からの展望はなかった。今年の南アルプスは悪天候続きで、各小屋でもヘリによる荷揚げが10日以上できていないとのこと。まあ、致し方ない。
百間洞山の家まではずっと下りだけだと思っていたが、登り返しもあった。この日はテントを担ぐ前と後では、相当負担が違い、小屋の手前で相当バテていた。
小屋では愛知から来たソロの人と話をさせてもらい、いろいろ勉強になった。やはり、小屋泊はいろんな人と話ができて、楽しい。トンカツもボリュームたっぷりで、半分はソース&和ガラシで、半分はおろしポン酢でいただいた。
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「3日目」
朝食を自炊として、早く小屋を出発した。朝から絶好の天気で、テンションmax。台風がいなくなったからだと、勝手に勘違いしていた。
テント泊の先行者を合計4人追い抜いた。
一人目を追い抜いた際に情報交換。
「前に女の子が二人いるが、相当な猛者だよ。」
今日も朝からテントをしょっているので、そんな猛者なら追い越せないな。と思っていたら、小兎岳のあたりで追いつき、追い越した。
兎岳山頂でこの日初めての休憩を取っていたら、恰好なスピードで登ってきた。
「昨日14:00頃、百間洞山の家に着いた人ですよね。」
たしかに前日小屋前で休んでいた時に、着いた二人だ。
「はい。」
「どこから来たの?」
「甲斐駒から」
との答え。おおっ、まさしく南アルプス完全踏破でなありませんか?よく聞くと、黒戸尾根から来たらしい。
そういえば前日荒川小屋でも見かけたことを思い出した。9:00ぐらいだった。ずいぶん遅い出発だなと思ったが、そのあと10分で僕も同じ方向へ出発したので、すぐに追いつくと思っていた。ところが縛の方が重いザックで動けなくて、後ろ姿すら見えなかった。よくよく訊けば、赤石岳山頂で雨が酷かったので、1時間ほど休んでいたとのこと。そこで、追い越していたようだった。
前々日は高山裏避難小屋に泊まり、今日は聖平小屋まで行き、さらに翌日は光小屋まで行って、下山するそうだ。お金はともかく、相当な体力と時間が必要でうらやましかった。
聖岳へは先行した。かなりコルまで降りていくが、最低地点付近でアクシデント発生。濡れた斜面で滑った際に思わず出した右手首を負傷。安全な地点まで1-2分かけて下ったあとに手首を確認したら、皮と肉が3僂らい避けていて、流血。傷口をマキロンで消毒し、タオルで巻いて10分間止血を図る。幸い出血はすぐに止まったが、絆創膏では傷口がすぐに開いてしまうような傷だった。仕方なく、タオルで強く縛るだけにした。不思議なことに痛みはなく、岩もつかめたし、ポールも握れた。
最低点からは急な登り。ポールより手足で登った方が良い場所もあり、ポールを出したり、しまったり。ここが今回の最難所であった。
聖岳の山頂に着く直前から、ガスがどんどんあがってきた。結局、3つ目の百名山山頂でも展望に恵まれなかった。奥聖まで行っても天候回復は望めそうになく、奥聖はすでに登頂済みなので、今回はパス。そのまま、聖平小屋まで下った。途中、トレランの人と、軽装の登山客2人に抜かれはしたが、予定の11:00より30分ほど早く聖平小屋に着いた。もっとも、すでに行動時間は6時間を過ぎている。
聖平小屋のテン場は広いが、立っているのは1張りだけ。予定は聖平泊だが、まだ時間があるので茶臼小屋まで行くことにした。コースタイム4時間だが、今回の状況から3時間ちょっとで行けそうと判断した。ただし、シャリバテの予防で、朝作った五目御飯を完食し、カロリーメイトを食べて、11:00に出発した。
南岳まで登れば後はそうつらくいない。地図と前回ここを逆方向から歩いた経験からも、踏ん張りどころは南岳への登りだった。行動時間は6時間を超えており、つらい登りであったが、ゆっくりと歩を進めていく作戦で登っていった。聖平小屋の前ですれ違ったパーティーは僕より20分ちょっと先行して茶臼小屋を目指していたが、僕が登り出して30分くらいで追いついた。聖平小屋に泊まり、朝から聖岳をピストンしたという。それから、茶臼を目指して歩いている途中ということであったが、一部の人は消耗が著しかった。案の定、茶臼小屋には僕は2時前に着いたが、このパーティーの到着はそれから4時間ほど後だった。
南岳の手前は傾斜もきつく、つらい持久戦となった。西側に崩壊斜面があり、露出した稜線とハイマツの間をしばらく歩くことを強いられたが、ここは滑落の恐怖を感じた。南岳を過ぎると東側にはお花畑が広がっていたが、傾斜がきつくて、写真撮影どころではなかった。さらに、稜線の一部では西側の崩落斜面との幅が狭くて、緊張を強いられた。
上河内岳の肩では2人の登山家客とすれ違った。2人とも上河内岳は登らなかったという。前回僕は、肩に荷物をデポして登ったが、今回は早く茶臼小屋に着きたかったので、彼らと同じく上らなかった。登ってもガスが濃くて、展望はなかっただろうし、茶臼小屋のテン場が埋まってしまう危険性を考えると、早く降りたかったからだ。
14:00ちょっと前に、茶臼小屋に到着。テン場は空いていた。休憩中に話をした人は猛者ばかりだった。一人は30代前半の人で10日の休みを取って南アルプス踏破を目指す人。彼は26圓離競奪を背負って、一昨日上がってきたという。もう一人はアメリカのオレゴンから来た20代後半くらいの外人。なんと4日前に夜叉神峠から登ったという。今日は2人とも光岳往復。日本人は往復8時間、外人さんは7時間でピストンしたという。
あわよくば光岳ピストンも考えていたが、この話を訊いて、光岳は断念した。そのあと、下山すると行動時間は11時間を超えるし、下りの標高差は1,500mあるので、脚も痛めかねない。
手首は開いた皮の間から肉が見えていたが、不思議と出血はなく、痛みもほとんどなかった。再度消毒し、今度は絆創膏を3枚貼って、タオルで固定した。タオルには血のりがついたままであった。だいたい右利きなので、手首を縛るにはタオルの一端を前歯で咬まないとできず、やりにくかった。
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「4日目」
この日もご来光を拝むことができた。3日間の間で、最高のロケーションだった。前回の茶臼小屋でも同様だったので、相性が良いに違いない。
前日の下りで、両足の親指には相当な力がかかっており、かなり痛い。靴ひもを強く縛って固定を強くしても、すぐに靴にあたり痛みが出るので、横向きになることを心掛けた。横窪沢までは急傾斜の連続。膝はショックを吸収するために、常に曲げた状態で、太ももはすぐにパンパンに。高度計を見ながら、自分で自分を励ましつつ、何とか3時間かけて、畑薙の大吊橋に。橋を渡り切って、ようやく下界に到着と思ったが、ここも地獄。駐車場まで、痛い足を引きずりながら、疲労困憊で降りた。車に戻ってからは、チキンライスを完食し、水分を補給し、4日間の山旅を終えた。
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「今回わかったこと」
・荷物は厳選し、お酒を携行するのは諦めること。
・長い下りを除けば、意外と肩に負担が来なかった。
・ハムストリングを使って登れば、登りがあまり負担にならないこと。
・ゆっくり上ったつもりでも、コースタイムを下回れること。
・僕の場合、行動時間4-5時間でエネルギーが枯渇すると思われること。
日数があれば、1日の行動時間を少なくして、かなりながい縦走ができそうである。さらに携行品を絞れば、負担が軽くなるのは間違いない。
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