記録ID: 2820082
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無雪期ピークハント/縦走
日高山脈
永遠の日高!カムイエクウチカウシ山から幌尻岳への7日間縦走!!
1991年08月10日(土) ~
1991年08月16日(金)
alchemy
その他3人
- GPS
- 42:41
- 距離
- 50.8km
- 登り
- 4,131m
- 下り
- 4,147m
コースタイム
1日目
- 山行
- 1:50
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 1:50
3日目
- 山行
- 6:00
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 6:55
4日目
- 山行
- 9:15
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 9:45
5:05
110分
1917峰直下
14:50
エサオマントッタベツ岳カール
5日目
- 山行
- 7:10
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 7:40
6日目
- 山行
- 10:20
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 10:20
7日目
- 山行
- 6:55
- 休憩
- 2:55
- 合計
- 9:50
当時は札内川ダムはなく、アプローチは川沿いにの林道でした。
また、現在は札内川ヒュッテとなっていますが、当時は札内ヒュッテの呼称でした。
また、現在は札内川ヒュッテとなっていますが、当時は札内ヒュッテの呼称でした。
天候 | 1日目:曇り一時雨。夕方には晴れ間が見えました。 2日目:晴れ時々曇り。ただしガスっぽかったです。 3日目:朝のうちは曇りで稜線はガスの中。その後雨になり、終日止まず。 気温が上がらず、寒くて震えが来る一日でした。 4日目:晴れ。ただしガスっぽい一日でした。 5日目:晴れ。気温はそこそこ。沢歩きには朝のうち少し寒かったです。 6日目:快晴。気温が高く、沢歩きで体温を奪われずに済みました。 7日目:快晴。気温が高く稜線では厳しかったものの、沢歩きでは幸いしました。 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー
復路:林道ゲートからはタクシー(要予約)にて振内へ。 振内で一泊後、翌日朝一番の苫小牧行の道南バスに乗車。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
◎ルート状況は当時のものです。現在は変わっている可能性があります。 ◆札内ヒュッテ〜七の沢出合〜八の沢出合 当時は札内ダムはまだなく、七の沢出合まで林道が通じていましたが、ちょうど工事中で札内ヒュッテから先はタクシーも通行不可になっていたため、ここから歩きました。ただ、少しの区間ですが、たまたま工事車両の運転手さんに親切な方がいて、パーティーまとめてダンプの荷台に乗せて運んで頂きました。 七の沢出合からは札内川に沿って、ワラジと地下足袋で遡行。基本的にはトレイルがありましたが、時折徒渉あり。一度コケてほぼ全身水没しました(苦笑) ◆八の沢出合〜八の沢カール 八の沢出合からは、八の沢に沿って遡行します。滑りやすいガケや、落ちたらアウトな滝なども通過するので、慎重な行動が必要でした。八の沢カールに近づき、登山靴に装備転換。 カールに入るとクマの出現リスクも跳ね上がるので、かなりビビりながら行動しました。カール進入時は、武器(ナタ)を握りしめて、ホイッスルを鳴らしながら、入っていきました。カールには幕営に適したテントサイトが数張分ありました。また、福岡大事件の慰霊碑が設置されていました。このあたりから、ブユや蚊に刺されても気にならなくなります(だんだん痒さも鬱陶しさも感覚が麻痺してきます)。 ※福岡大事件 1970年に縦走中の福岡大ワンダーフォーゲル部の部員5名が八の沢カールで雌のヒグマに襲撃され、内3名が食害された事件。熊の生態について教訓の多い事件なので、日高に入る場合には、必ず調べて学習してから入山をお奨めします。 ◆八の沢カール〜カムイエクウチカウシ山〜春別岳〜エサオマントッタベツ岳カール カールから稜線まで一気に上がると、後は稜線沿いです。忠実に稜線を辿るので、アップダウンが激しいです。また、稜線が極端に細いところ(いわゆる靴幅リッジ)もあります。 激しいハイマツ漕ぎがあるので、松ヤニに汚れても良い格好で行く方が良いと思います(雨や夜露などで濡れているので、雨具で行った方がベターですが、雨具はダメにする前提です。実際潰しました)。ハイマツの跳ね返りがすごいので、スネや腕などは青あざができます。また、足許が見えない区間が結構あります。トレイル自体は細々続いています。 なお、稜線上に水はないので、エサオマントッタベツ岳カールでの宿泊までに消費する分はすべて担ぎ上げる必要があります(でないと、途中でクマがいるかもしれない、カールへ水くみに下りることになり、往復2〜3時間を要することになります)。3日目の行程では低温と雨にやられたこともあり、1917峰直下あたりの稜線上に幕営適地があったので、早めに行動終了することにして幕営しました。なお、こことは別に春別岳直下の稜線上にも幕営適地がありました。 その先はハイマツが酷く、稜線が細いところもあって、幕営適地はありませんでした。 エサオマントッタベツ岳カールへの下り口はトレイルがハッキリしていますが、傾斜がキツく、落石もあります(先行パーティが頭部軽傷ながら負傷者を出していました)。カール底は平坦で幕営適地ですが、水はさらに沢まで下らないと得られません。 ◆エサオマントッタベツ岳カール〜エサオマン入の沢分岐〜新冠川分岐 カールを下っていくとそのまま入の沢に向かって下りていき、そのまま沢歩きになります。特に危険なところはありませんが、標高1000mあたりに1カ所滝があり、高巻きしつつ下りていく必要があります。 エサオマン入の沢分岐で沢が合流し、水量が増えますが、沢の幅はさして広がならないので、悪天時は増水に警戒が必要です(逃げ場がないです)。新冠川分岐まで来ると、広々とした河原になり、幕営適地があります。 ◆新冠川分岐〜七ツ沼カール入口〜七ツ沼カール 新冠川にスイッチして遡行していきます。広々とした沢ですが、巨岩の積み重なりや、ゴルジュ、釜など様相を変えながら細くなっていきます。合流する沢が多いので、辿るルートを間違えないようにする必要があります。 基本的には沢を遡行しますが、一部高巻きも必要な場所があります。また、基本的には増水すると逃げ場がないので、天候や水量には晴天でも警戒が必要です。遡行するに従って水量が減り、歩きやすくなりますが、枝沢も多く、位置確認は頻繁にやる必要があります。ごくたまに、赤いリボンがありましたが、要所に思い出したようにあるだけなので、アテにはしない方が良いと思います(現在であれば、GPSで確実な位置確認をした方が良いと思います)。 七ツ沼カール入口からは本流を離れ、涸れ沢(おそらく雨天時は水が流れます)を上がっていきます。沢を詰めきれば七ツ沼カールに出ますが、チシマザサの笹漕ぎなどもあって、現在位置は常に確認しながら上がる必要があります。 カールは平坦で幕営適地がありますが、クマなどのテリトリーでもあるので、注意が必要です。水の補給は不確実(たまり水なら可能性がありますが、エキノコックス症もあるので、煮沸か浄水器使用以外では止めた方が良いと思います。因みに、行った時はそれも干上がっていました)なので、下から背負って上がるのが確実です。 ◆七ツ沼カール〜幌尻岳〜幌尻山荘 カールから稜線にはトレイルを直登で上がります。そこからは稜線沿いに幌尻岳に向かいますが、稜線のトレイルは当時でもかなり太くハッキリしていました。 幌尻岳からは北カールを回り込む形で、幌尻山荘へ下りていきます。かなり急激に高度を落としていきます。当時は幌尻山荘には平取山岳会の方が夏の間常駐しており、お願いすると無線でタクシーを呼んで頂くことができました(現在はオーバーユースで完全予約制になったそうなので、こうした取扱いをしてもらえるかは分かりません)。 ◆幌尻山荘〜取水施設〜第2ゲート 額平川を沢歩きで下っていきます。徒渉も多く、増水時は通行不可です。 取水施設からは林道歩きになり、一般車両が通行できるゲートから呼んで頂いたタクシーに乗ります。ここから最寄りの振内まではまだ30劼曚匹△襪里如∧發のはかなり厳しいと思います。 |
写真
感想
ヤマレコ入会前の山行のうち、主要なものや赤線つなぎのものをアップしています。
学生時代の友人達と行った長期山行記録です。とても楽しく、辛くて苦しく、思い出深いものでした。
1週間分の食料やテント、燃料などを背負って、さらに1人あたり10リッターの水を稜線に担ぎ上げ、絶え間ない蚊やブヨなどの攻撃に晒されつつ、当時GPSもない中で2万5千図だけを頼りに、滑りやすい沢を這い上り、落ちたらドボンな釜をヘツり、強烈なハイマツ漕ぎの稜線を押し通り、凶悪なチチマザサの中を彷徨うなど、今でこそ良い思い出ですが、当時は逃げ出したくなるようなキツさでした。
今と違って、ほとんど参考になる情報がなく、わずかな記録や文献を漁り、営林署や地元山岳会にも情報を頂きながら計画しましたが、福岡大事件の現場も通過するので、終始ヒグマに怯えながらでした。それだけに、やり遂げたときの充実感は何物にも代えがたいもので、生涯の宝物です。機会があれば、また是非行きたい山の一つです。
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