今回も、最大の参考文献は池田正夫氏の著書『全踏査 日光修験 三峯五禅頂の道』(随想舎)となっている。
その他、何人もの尊敬すべきヤマレコユーザー様、そのいくつものヤマレコ記録などの情報を大いに参考にさせていただいた。
私の歩みは、これら先駆者の試みに依っており、末席を汚す程度のものでしかないことを、冒頭に強調しておく。
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今回も、最大の参考文献は池田正夫氏の著書『全踏査 日光修験 三峯五禅頂の道』(随想舎)となっている。
その他、何人もの尊敬すべきヤマレコユーザー様、そのいくつものヤマレコ記録などの情報を大いに参考にさせていただいた。
私の歩みは、これら先駆者の試みに依っており、末席を汚す程度のものでしかないことを、冒頭に強調しておく。
日光の修験道、春の修行ルート〈華供峯〉
四季の4ルート「三峯五禅頂」のうちのひとつ。私にとって〈夏峯〉〈冬峯〉に続くシリーズ第3弾だ。
まずは古峰神社のバス停で降車だ。
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5/3 8:38
日光の修験道、春の修行ルート〈華供峯〉
四季の4ルート「三峯五禅頂」のうちのひとつ。私にとって〈夏峯〉〈冬峯〉に続くシリーズ第3弾だ。
まずは古峰神社のバス停で降車だ。
上下ともに背面布地がはぶかれたようなウェアを着てるが、それを買うお金がない「びんぼっちゃま」では断じてない。ザックを下ろさずにサコッシュだけで、着脱・収納ができるのだ。
天気がいいから、暑くなっていきそうだ。
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5/3 8:34
上下ともに背面布地がはぶかれたようなウェアを着てるが、それを買うお金がない「びんぼっちゃま」では断じてない。ザックを下ろさずにサコッシュだけで、着脱・収納ができるのだ。
天気がいいから、暑くなっていきそうだ。
ほんらいの〈華供峯〉の全体像は、日光駅近く(二社一寺の辺り)からスタートして、ここ古峰から入山するものであることをお断りしておく。
だが、近世の行者たちは人馬やシェルパ役を世話してもらってこの区間を移動している。また、その区間は前回〈冬峯〉で歩き通し、古道探索もふくめて一定の成果を得た。感想欄にその際のヤマレコのリンクを置く。詳細はそちらを参照されたい。
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5/3 8:47
ほんらいの〈華供峯〉の全体像は、日光駅近く(二社一寺の辺り)からスタートして、ここ古峰から入山するものであることをお断りしておく。
だが、近世の行者たちは人馬やシェルパ役を世話してもらってこの区間を移動している。また、その区間は前回〈冬峯〉で歩き通し、古道探索もふくめて一定の成果を得た。感想欄にその際のヤマレコのリンクを置く。詳細はそちらを参照されたい。
古峰神社の標高は670mほど。すでに花が咲き誇っていた。
〈華供峯〉の山岳滞在修行は旧暦の3月中頃にスタートする。太陽暦に置き換えれば、ちょうどこのGW期を含む長期のものだ。まさに花が咲く季節である。
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5/3 8:50
古峰神社の標高は670mほど。すでに花が咲き誇っていた。
〈華供峯〉の山岳滞在修行は旧暦の3月中頃にスタートする。太陽暦に置き換えれば、ちょうどこのGW期を含む長期のものだ。まさに花が咲く季節である。
古峰神社から古峰ヶ原湿原へ向かう。まずはS字カーブのある車道を登るが、可能な限りツヅラオリを串刺しするように直進ショートカットしてみよう。
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5/3 9:08
古峰神社から古峰ヶ原湿原へ向かう。まずはS字カーブのある車道を登るが、可能な限りツヅラオリを串刺しするように直進ショートカットしてみよう。
今回は雪が無くて歩きやすい。人のフミアトもうかがえるので、それをほどほどに辿ってみる。行者たちもこんな様子で先を急いだとは思うが、ここが古道そのものかどうかは怪しいかもしれない。現代ハイカーやらのショートカット道に過ぎないかもしれない。
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5/3 9:10
今回は雪が無くて歩きやすい。人のフミアトもうかがえるので、それをほどほどに辿ってみる。行者たちもこんな様子で先を急いだとは思うが、ここが古道そのものかどうかは怪しいかもしれない。現代ハイカーやらのショートカット道に過ぎないかもしれない。
小尾根に導かれて進む。
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5/3 9:18
小尾根に導かれて進む。
管理のために人が入ることもあるだろう。
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5/3 9:19
管理のために人が入ることもあるだろう。
沢を左手に見下ろしながら、まっすぐに導かれ
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5/3 9:22
沢を左手に見下ろしながら、まっすぐに導かれ
登山口に到着した。
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5/3 9:27
登山口に到着した。
ハイキング道をひと登りすると、へつり地蔵。〈冬峯〉の時いらい、4か月ぶりの再訪。その時は雪が降るなか、この解説版の内容にしみじみと感じ入ったものだ。
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5/3 9:32
ハイキング道をひと登りすると、へつり地蔵。〈冬峯〉の時いらい、4か月ぶりの再訪。その時は雪が降るなか、この解説版の内容にしみじみと感じ入ったものだ。
岩の上部にへつり地蔵が祀られている。
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5/3 9:33
岩の上部にへつり地蔵が祀られている。
さて、整備された登山道を私は忠実に登る。道を逸れたいずこかに石仏や碑が存在しているらしいが、三日間だけのスルーハイクの中でそれらを小一時間を探し回ることはかなわない。
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5/3 9:53
さて、整備された登山道を私は忠実に登る。道を逸れたいずこかに石仏や碑が存在しているらしいが、三日間だけのスルーハイクの中でそれらを小一時間を探し回ることはかなわない。
古峰ヶ原湿原に乗り上げた。風が吹く。ここは5月末から6月頭の頃には花々で彩られる。
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5/3 10:01
古峰ヶ原湿原に乗り上げた。風が吹く。ここは5月末から6月頭の頃には花々で彩られる。
さて。〈華供峯〉一行は、この高原にある道場「深山巴ノ宿」にて第一回目の長期滞在修行をおこなうのだが、そこを起点にして南方向の三枚岩を礼拝しにピストンで行っている。私は先に、そこを訪ねる。
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5/3 10:03
さて。〈華供峯〉一行は、この高原にある道場「深山巴ノ宿」にて第一回目の長期滞在修行をおこなうのだが、そこを起点にして南方向の三枚岩を礼拝しにピストンで行っている。私は先に、そこを訪ねる。
GWということもあって、古峰ヶ原湿原までマイカーで来て、こっち方面のハイクを楽しむ方々が何組かいた。トレイルをひと歩きすると。
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5/3 10:08
GWということもあって、古峰ヶ原湿原までマイカーで来て、こっち方面のハイクを楽しむ方々が何組かいた。トレイルをひと歩きすると。
三枚岩に着く。
〈華供峯〉とは、日光山開山の祖・勝道上人の始まりの地である横根山周辺の遥拝と、そこから日光への道程とを意識した修行ルートであることが、コンセプトの一つだ。この特徴的な岩をスルーすることは出来なかったのであろう。
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5/3 10:36
三枚岩に着く。
〈華供峯〉とは、日光山開山の祖・勝道上人の始まりの地である横根山周辺の遥拝と、そこから日光への道程とを意識した修行ルートであることが、コンセプトの一つだ。この特徴的な岩をスルーすることは出来なかったのであろう。
〈華供峯〉一行は、さまざまな後方支援や物資配達の者たちを除けば、その行者たちは6〜7人パーティぐらいだったかと想像する。祖である勝道上人パーティはもっと多い十数人だっただろうか。
ここ三枚岩は洞窟状になっている。ぎゅうぎゅうに雑魚寝すればギリギリその人数が寝泊まりできるかどうか。
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5/3 10:36
〈華供峯〉一行は、さまざまな後方支援や物資配達の者たちを除けば、その行者たちは6〜7人パーティぐらいだったかと想像する。祖である勝道上人パーティはもっと多い十数人だっただろうか。
ここ三枚岩は洞窟状になっている。ぎゅうぎゅうに雑魚寝すればギリギリその人数が寝泊まりできるかどうか。
穴の入口は施錠されている。古峰神社の手前に建つ立派な山寺である金剛山瑞峯寺が管理されているようだ。不鮮明な画像ではあるが、ちょっと内部を撮らせていただく。確かに、かつて孤高の僧・勝道がここに山篭りをしていた絵は浮かんできそうである。
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5/3 10:37
穴の入口は施錠されている。古峰神社の手前に建つ立派な山寺である金剛山瑞峯寺が管理されているようだ。不鮮明な画像ではあるが、ちょっと内部を撮らせていただく。確かに、かつて孤高の僧・勝道がここに山篭りをしていた絵は浮かんできそうである。
三枚岩の全体像。
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5/3 10:37
三枚岩の全体像。
解説文。
平城京など各地で天然痘などが流行り、戦乱が相次ぐ世にあって、勝道は世の救いのためにここで祈ったか。はたまた、自身の変容を含む救済のために世捨て人のように町から退いたのか。
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5/3 10:37
解説文。
平城京など各地で天然痘などが流行り、戦乱が相次ぐ世にあって、勝道は世の救いのためにここで祈ったか。はたまた、自身の変容を含む救済のために世捨て人のように町から退いたのか。
さあ、湿原に引き返して「深山巴ノ宿」に歩を進めよう。
途中で、天狗の庭なる平坦地を通過した。
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5/3 10:43
さあ、湿原に引き返して「深山巴ノ宿」に歩を進めよう。
途中で、天狗の庭なる平坦地を通過した。
前日光の春を告げる花。
ここで〈華供峯〉読み方考。
これまで多くの論考が「けくぶ」のルビをふっている。ときどき「はなくのみね」と読む文書やwebサイトもある。ただし2021年出版の『日光山秘話』では「はなくぶ」のルビがあったように思う。研究の第一人者、中川光熹氏による最新の研究所であるから、この音読にも何らかの妥当性があることだろう。
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5/3 10:46
前日光の春を告げる花。
ここで〈華供峯〉読み方考。
これまで多くの論考が「けくぶ」のルビをふっている。ときどき「はなくのみね」と読む文書やwebサイトもある。ただし2021年出版の『日光山秘話』では「はなくぶ」のルビがあったように思う。研究の第一人者、中川光熹氏による最新の研究所であるから、この音読にも何らかの妥当性があることだろう。
よく整備された道を迷いなく戻る。
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5/3 10:48
よく整備された道を迷いなく戻る。
湿原に復帰して、小腹が空いたのでポテチの封を解く。メッシュにポテチをちらつかせるとアメリカのロングトレイルハイカーみたいに見えるよ、と知ったので。でも気圧でぱんぱんで邪魔じゃないのか。なお、ガレージブランドのザックは持ってないから、モンベルのにEXPEDのメッシュパックを付けている。
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5/3 11:06
湿原に復帰して、小腹が空いたのでポテチの封を解く。メッシュにポテチをちらつかせるとアメリカのロングトレイルハイカーみたいに見えるよ、と知ったので。でも気圧でぱんぱんで邪魔じゃないのか。なお、ガレージブランドのザックは持ってないから、モンベルのにEXPEDのメッシュパックを付けている。
靴は今回、Altraのスペリオールをひっぱりだしてみた。キャンプ場滞在にも馴染むし、なによりアスファルト舗装されたいろは坂なんかも長く歩く。グリップが甘めで薄いソールのため、バリルートでの急下降に不安は残ったが、旅路を終えてみれば、問題がなくナイスチョイスだったと思う。
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5/3 11:07
靴は今回、Altraのスペリオールをひっぱりだしてみた。キャンプ場滞在にも馴染むし、なによりアスファルト舗装されたいろは坂なんかも長く歩く。グリップが甘めで薄いソールのため、バリルートでの急下降に不安は残ったが、旅路を終えてみれば、問題がなくナイスチョイスだったと思う。
湿原を左手に見て、砂利道を足尾方面へ。
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5/3 11:11
湿原を左手に見て、砂利道を足尾方面へ。
日光修験道の重要拠点のひとつ「深山巴ノ宿」に到着。広く平坦な地形。水が豊かに流れる。〈冬峯〉滞在では逃亡者を出すような厳冬の地であるが、〈華供峯〉ではずいぶん穏やかになっていたことだろう。
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5/3 11:20
日光修験道の重要拠点のひとつ「深山巴ノ宿」に到着。広く平坦な地形。水が豊かに流れる。〈冬峯〉滞在では逃亡者を出すような厳冬の地であるが、〈華供峯〉ではずいぶん穏やかになっていたことだろう。
江戸〜昭和にかけて祀られた石祠(金剛堂)が供えられている。
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5/3 11:21
江戸〜昭和にかけて祀られた石祠(金剛堂)が供えられている。
長期滞在での道場とされた宿には、水場が必須だ。私もここで少々補給させてもらった。
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5/3 11:22
長期滞在での道場とされた宿には、水場が必須だ。私もここで少々補給させてもらった。
勝道上人に倣い、行者たちはここで修行に励む日々を送り、儀式を繰り返し、その後ルートを先に進める。私のような現代ハイカーとはまったく異質な営みがそこにある。
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5/3 11:27
勝道上人に倣い、行者たちはここで修行に励む日々を送り、儀式を繰り返し、その後ルートを先に進める。私のような現代ハイカーとはまったく異質な営みがそこにある。
さて、〈冬峯〉同様に「住家」の石祠跡に向かって、一般登山道を一時的に離れていく。
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5/3 11:31
さて、〈冬峯〉同様に「住家」の石祠跡に向かって、一般登山道を一時的に離れていく。
金剛堂はあいかわらず半壊したままだ。林道を横断し、ガードラールを乗り越えて山へ上がる。
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5/3 11:31
金剛堂はあいかわらず半壊したままだ。林道を横断し、ガードラールを乗り越えて山へ上がる。
近年の日光修験を記念した碑伝の板が、ミズナラの樹に取り付けられている。一般的にはまったく知られていない道路の影でも、修験道の文脈では重要な地として覚えられ、巡礼され続けているのだ。
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5/3 11:31
近年の日光修験を記念した碑伝の板が、ミズナラの樹に取り付けられている。一般的にはまったく知られていない道路の影でも、修験道の文脈では重要な地として覚えられ、巡礼され続けているのだ。
林道を横断し、ガードレールを乗り越えて山へ上がる。落葉が多く、フミアトは不明瞭かもしれないが、鬱蒼とはしていない疎林だ。写真の赤いやつをメルクマールに辿ればよいだけの区間だ。
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5/3 11:43
林道を横断し、ガードレールを乗り越えて山へ上がる。落葉が多く、フミアトは不明瞭かもしれないが、鬱蒼とはしていない疎林だ。写真の赤いやつをメルクマールに辿ればよいだけの区間だ。
一般登山道ではないが、このように管理の道しるべも設置されている。ときどきは人も入っているのだろう。
この辺りに首欠け地蔵菩薩坐像があるらしいのだが、残念ながら私には見つけられず、またしても見逃してしまった。
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5/3 11:44
一般登山道ではないが、このように管理の道しるべも設置されている。ときどきは人も入っているのだろう。
この辺りに首欠け地蔵菩薩坐像があるらしいのだが、残念ながら私には見つけられず、またしても見逃してしまった。
一般登山道に合流。大天狗之大神と呼ばれるポイントだ。
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5/3 11:47
一般登山道に合流。大天狗之大神と呼ばれるポイントだ。
なにやら異形な造形の天狗フィギュア?が三体あるようだが、深く考えず北上したい。
3
5/3 11:47
なにやら異形な造形の天狗フィギュア?が三体あるようだが、深く考えず北上したい。
ここからは「禅頂行者みち」を北へと辿る。迷うことのない登山道が続くが、薬師岳までの距離はなかなかのものとなる。
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5/3 11:58
ここからは「禅頂行者みち」を北へと辿る。迷うことのない登山道が続くが、薬師岳までの距離はなかなかのものとなる。
行者平である。ひたすら尾根道を行く。
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5/3 12:11
行者平である。ひたすら尾根道を行く。
大小いくつものピールを縦走していくことになるため、時には息を切らすアップダウンに苦しむ。
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5/3 12:18
大小いくつものピールを縦走していくことになるため、時には息を切らすアップダウンに苦しむ。
行者岳1328.8m
正午を過ぎて暑い。すでに日焼けを気にせず半袖になっている。
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5/3 12:20
行者岳1328.8m
正午を過ぎて暑い。すでに日焼けを気にせず半袖になっている。
男体山を垣間見つつ、北東寄りに歩を進める。途中に行者八竜の金剛童子が祀られており、山と高原地図にも記載されている。
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5/3 12:27
男体山を垣間見つつ、北東寄りに歩を進める。途中に行者八竜の金剛童子が祀られており、山と高原地図にも記載されている。
大岩山1310m
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5/3 12:53
大岩山1310m
実は。膝が炎症だ。
行動開始から3時間も経たないうちに、両膝ともが痛いのだった。資格試験の勉強のため、4ヵ月間まったく運動をしなかった。筋力衰弱による、典型的なランナーズニーの炎症だ。笑えない自らの劣化。ちょっとした登りにすでに負けている。しかしこの一日目さえ粘れば、乗り越えられる苦難のはずだ。気持ちだけは負けずに歩く。
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5/3 12:59
実は。膝が炎症だ。
行動開始から3時間も経たないうちに、両膝ともが痛いのだった。資格試験の勉強のため、4ヵ月間まったく運動をしなかった。筋力衰弱による、典型的なランナーズニーの炎症だ。笑えない自らの劣化。ちょっとした登りにすでに負けている。しかしこの一日目さえ粘れば、乗り越えられる苦難のはずだ。気持ちだけは負けずに歩く。
唐梨子山1351m
ここまでほとんど標高の変わらないピーク群だ。
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5/3 13:19
唐梨子山1351m
ここまでほとんど標高の変わらないピーク群だ。
なだらかな地形が特徴的なピークだ。
この山頂の周囲には湧き水が豊富そうだった。
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5/3 13:19
なだらかな地形が特徴的なピークだ。
この山頂の周囲には湧き水が豊富そうだった。
唐梨子山〜ハガタテ平の途中にある大岩が、竜之宿八竜と呼ばれるポイントだ。
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5/3 13:29
唐梨子山〜ハガタテ平の途中にある大岩が、竜之宿八竜と呼ばれるポイントだ。
視線を落とすと、石仏が祀られている。
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5/3 13:29
視線を落とすと、石仏が祀られている。
大日如来像と巡礼の碑伝が数枚。
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5/3 13:30
大日如来像と巡礼の碑伝が数枚。
ハガタテ平。
ここから南下すれば、スタート地の古峰神社にエスケープできる。膝痛が明確だが、今回は計画段階からこういう悪い事態も折り込み済みだったので、トレッキングポールの助けを得て前進あるのみだ。
1
5/3 13:44
ハガタテ平。
ここから南下すれば、スタート地の古峰神社にエスケープできる。膝痛が明確だが、今回は計画段階からこういう悪い事態も折り込み済みだったので、トレッキングポールの助けを得て前進あるのみだ。
次なる地蔵岳の標高は一段高くなる。急坂であり、禅頂行者みちを北上するルートにおける試練と言える。〈冬峯〉のときのアイゼン歩行と重装備では、なおさら苦しんだ登りだ。
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5/3 13:54
次なる地蔵岳の標高は一段高くなる。急坂であり、禅頂行者みちを北上するルートにおける試練と言える。〈冬峯〉のときのアイゼン歩行と重装備では、なおさら苦しんだ登りだ。
地蔵岳1483mの山頂手前にある金剛堂。
足にきてる。ほんとうに弱体化してしまったのだな、とちょっと悲しくなっていた。
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5/3 14:12
地蔵岳1483mの山頂手前にある金剛堂。
足にきてる。ほんとうに弱体化してしまったのだな、とちょっと悲しくなっていた。
金剛堂に地蔵あり。
それにしても、鹿沼市の山王院による修験の碑伝が多いこと。熱心なこと。
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5/3 14:12
金剛堂に地蔵あり。
それにしても、鹿沼市の山王院による修験の碑伝が多いこと。熱心なこと。
地蔵に乗り上げてしまえば、このあとの薬師岳まではエグいアップダウンはなかったはず。膝痛がなければだが。
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5/3 14:13
地蔵に乗り上げてしまえば、このあとの薬師岳まではエグいアップダウンはなかったはず。膝痛がなければだが。
気持ちの良い稜線歩きのスタート。
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5/3 14:20
気持ちの良い稜線歩きのスタート。
三ツ目の三叉路。夕日岳をピストンでピークハントするための分岐点だ。〈華供峯〉と〈冬峯〉のルートは薬師岳まではほとんど同じなのだが、どちらとも夕日岳山頂を礼拝するような古文書記録はない。私もそこは忠実に倣って、夕日をスルーする。
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5/3 14:27
三ツ目の三叉路。夕日岳をピストンでピークハントするための分岐点だ。〈華供峯〉と〈冬峯〉のルートは薬師岳まではほとんど同じなのだが、どちらとも夕日岳山頂を礼拝するような古文書記録はない。私もそこは忠実に倣って、夕日をスルーする。
アップダウンは多いのだけれど、ゆるやか。それなのに両膝、死亡中。
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5/3 14:27
アップダウンは多いのだけれど、ゆるやか。それなのに両膝、死亡中。
男体山から女峰山まで、日光連山を見渡せるビューポイントに出た。アカヤシオの花も咲き、これぞまさに〈華供峯〉といった季節感だ。
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5/3 14:42
男体山から女峰山まで、日光連山を見渡せるビューポイントに出た。アカヤシオの花も咲き、これぞまさに〈華供峯〉といった季節感だ。
ランナーズニー炎症(腸脛靭帯炎)は、登り坂に足腰が負けて発症するが、なぜか下り坂においてのみ膝外側に痛みを感じる症状だ。身体のメカニズムは不思議だ。なので、登りでは体力的には疲れるが精神的には嬉しく、下りでは体力的には楽で精神的には苦痛となっている。
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5/3 14:52
ランナーズニー炎症(腸脛靭帯炎)は、登り坂に足腰が負けて発症するが、なぜか下り坂においてのみ膝外側に痛みを感じる症状だ。身体のメカニズムは不思議だ。なので、登りでは体力的には疲れるが精神的には嬉しく、下りでは体力的には楽で精神的には苦痛となっている。
尾根道に花が増え、ちょうど一年前に〈夏峯〉前半部分でここを歩いた記憶と重なる。本日最後のピーク薬師岳はそう遠くないはずだ。
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5/3 14:56
尾根道に花が増え、ちょうど一年前に〈夏峯〉前半部分でここを歩いた記憶と重なる。本日最後のピーク薬師岳はそう遠くないはずだ。
承応2年(1653年)の記銘が読み取れると言われる金剛堂を通過した。
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5/3 15:03
承応2年(1653年)の記銘が読み取れると言われる金剛堂を通過した。
そして日光修験道における「掛合宿」に到着した。宝暦14年(1764年)の金剛堂。それに加えて不動明王像もある。
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5/3 15:29
そして日光修験道における「掛合宿」に到着した。宝暦14年(1764年)の金剛堂。それに加えて不動明王像もある。
金剛堂から右下を見下ろすと、宿となったと比定される棚部地形が認められる。そこに降りてみる。
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5/3 15:29
金剛堂から右下を見下ろすと、宿となったと比定される棚部地形が認められる。そこに降りてみる。
ほぼ稜線上だから防風性はさほどではないかもしれないが、なかなか平坦なスペースだ。ハンモック泊できそうな樹間の木も現存する。もし大苦戦したら、かつての行者たちに倣ってここをビバーク地点に借りる選択肢も持っていたが、大苦戦ではなく苦戦ぐらいなので峠まで下ろう。
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5/3 15:29
ほぼ稜線上だから防風性はさほどではないかもしれないが、なかなか平坦なスペースだ。ハンモック泊できそうな樹間の木も現存する。もし大苦戦したら、かつての行者たちに倣ってここをビバーク地点に借りる選択肢も持っていたが、大苦戦ではなく苦戦ぐらいなので峠まで下ろう。
白錫尾根へと至る足尾の山並みを左手に見ながら、山頂アタック。
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5/3 15:40
白錫尾根へと至る足尾の山並みを左手に見ながら、山頂アタック。
アカヤシオの花の密度が増えてきたと思ったら。
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5/3 15:40
アカヤシオの花の密度が増えてきたと思ったら。
薬師岳(薬師嶽八竜)1420.3mに登頂。
この季節ならではのお花見めあてのハイカーさんたちが、この時間でも数名いた。
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5/3 15:42
薬師岳(薬師嶽八竜)1420.3mに登頂。
この季節ならではのお花見めあてのハイカーさんたちが、この時間でも数名いた。
左側の金剛堂。寛永9年(1632年)のものらしい。
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5/3 15:42
左側の金剛堂。寛永9年(1632年)のものらしい。
アップすると種子の文字が刻まれている。
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5/3 15:42
アップすると種子の文字が刻まれている。
薬師岳山頂からの花風景。春である。
そういえば〈華供峯〉の儀式のなかには、燃える護摩に花を落とす「投花」というものがあったようだ。美しい絵だ。
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5/3 15:43
薬師岳山頂からの花風景。春である。
そういえば〈華供峯〉の儀式のなかには、燃える護摩に花を落とす「投花」というものがあったようだ。美しい絵だ。
この薬師岳山頂から〈華供峯〉と〈冬峯〉とは道を分かつ。春修行は西の細尾峠を経由して中禅寺湖へ下り立つ。冬修行では三ノ宿山などを経由し鳴虫山から日光市街地へ下る。
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5/3 15:56
この薬師岳山頂から〈華供峯〉と〈冬峯〉とは道を分かつ。春修行は西の細尾峠を経由して中禅寺湖へ下り立つ。冬修行では三ノ宿山などを経由し鳴虫山から日光市街地へ下る。
膝をさすりながら本日の行程終了。細尾峠1193mの車道であるが、ここは元々は日光修験における「古谷宿」の跡地だ。
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5/3 16:31
膝をさすりながら本日の行程終了。細尾峠1193mの車道であるが、ここは元々は日光修験における「古谷宿」の跡地だ。
その証左であるかのように、日光修験の碑伝が数枚取り付けられた樹がある。
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5/3 16:31
その証左であるかのように、日光修験の碑伝が数枚取り付けられた樹がある。
林道や登山道から距離をとった死角にハンモックポイントを探し出して、一日目の野営地とさせてもらうが、その前に簡単な調理用の水を補給したい。林道を少々南下すると右手に沢を見下ろした。宿の近くに必ず水場ありだった。すくなくとも室町〜近世の環境においては。
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5/3 17:10
林道や登山道から距離をとった死角にハンモックポイントを探し出して、一日目の野営地とさせてもらうが、その前に簡単な調理用の水を補給したい。林道を少々南下すると右手に沢を見下ろした。宿の近くに必ず水場ありだった。すくなくとも室町〜近世の環境においては。
焚火シートで火に気を付けながら、ガスストーブで手早く簡単にエスニック麺。ほどよく辛かった。
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5/3 17:58
焚火シートで火に気を付けながら、ガスストーブで手早く簡単にエスニック麺。ほどよく辛かった。
ダウンハンモックに空気を蓄えながら、陽が沈んでいくのを見守る。日中の行動中は暑かった。深夜から早朝はどれぐらい気温が下がるだろうか。
まる一年前は、このあたりで雪に降られたものだ。
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5/3 18:46
ダウンハンモックに空気を蓄えながら、陽が沈んでいくのを見守る。日中の行動中は暑かった。深夜から早朝はどれぐらい気温が下がるだろうか。
まる一年前は、このあたりで雪に降られたものだ。
翌朝。
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5/4 4:43
翌朝。
早朝の気温は3℃ほどだったようだ。持参した防寒装備にまだまだ余裕を残した状態でも、問題なく眠れた。膝はあいかわらずダメなまま。けれど二日目と三日目の登山道パートは短めだから、じゅうぶんに保つと判断できた。完歩の成功イメージが見えてきた朝だった。
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5/4 4:56
早朝の気温は3℃ほどだったようだ。持参した防寒装備にまだまだ余裕を残した状態でも、問題なく眠れた。膝はあいかわらずダメなまま。けれど二日目と三日目の登山道パートは短めだから、じゅうぶんに保つと判断できた。完歩の成功イメージが見えてきた朝だった。
昨夕と同じ沢で飲料水を補充。水の汲み方(汲む場所)によっては小さな水生昆虫が入ってしまう、生き生きとした水場だ。浄水器を携帯すれば心配はないが。
3
5/4 5:49
昨夕と同じ沢で飲料水を補充。水の汲み方(汲む場所)によっては小さな水生昆虫が入ってしまう、生き生きとした水場だ。浄水器を携帯すれば心配はないが。
さて、細尾峠の登山道に復帰して、茶ノ木平の高原台地をめざす。
1
5/4 6:00
さて、細尾峠の登山道に復帰して、茶ノ木平の高原台地をめざす。
二日目も好天予報だ。さわやかな笹原の草原あるき。
1
5/4 6:12
二日目も好天予報だ。さわやかな笹原の草原あるき。
さわやかではあるのだが、峠から平まではなかなかの標高差がある。その間、ほとんど登らされっぱなし。朝イチからの心拍数上昇は地味に堪える。
2
5/4 6:47
さわやかではあるのだが、峠から平まではなかなかの標高差がある。その間、ほとんど登らされっぱなし。朝イチからの心拍数上昇は地味に堪える。
篭石の手前に水場が見下ろされた。
1
5/4 6:56
篭石の手前に水場が見下ろされた。
巨岩と石仏による篭石に到着。
3
5/4 7:03
巨岩と石仏による篭石に到着。
修験道においては特徴的な大岩などは、神仏の宿る遥拝所として巡礼され、祈祷や儀式を行う対象となった。
1
5/4 7:04
修験道においては特徴的な大岩などは、神仏の宿る遥拝所として巡礼され、祈祷や儀式を行う対象となった。
茶ノ木平・明知平分岐。
標高は1600mを越えている。
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5/4 7:21
茶ノ木平・明知平分岐。
標高は1600mを越えている。
広大な台地。このあたりに日光修験の「千泉宿」があったと比定されている。
2
5/4 7:25
広大な台地。このあたりに日光修験の「千泉宿」があったと比定されている。
開放的な笹原。
1
5/4 7:33
開放的な笹原。
三叉路だ。各方向が示されているが、〈華供峯〉の古道に従い、何もない西方向へと踏み入る。
1
5/4 7:38
三叉路だ。各方向が示されているが、〈華供峯〉の古道に従い、何もない西方向へと踏み入る。
中禅寺湖へと西進してアップダウン。
この短いバリルート区間は、一年前の〈夏峯〉でも辿った経験がある。
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5/4 7:39
中禅寺湖へと西進してアップダウン。
この短いバリルート区間は、一年前の〈夏峯〉でも辿った経験がある。
好き者が歩いているのか、今年になってもフミアト、道型は明瞭に残されていた。迷わず尾根伝いに辿る。
1
5/4 7:41
好き者が歩いているのか、今年になってもフミアト、道型は明瞭に残されていた。迷わず尾根伝いに辿る。
下降。膝があいかわらず痛む。
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5/4 7:45
下降。膝があいかわらず痛む。
ここを越えると
1
5/4 7:51
ここを越えると
半月山展望台に至る観光林道が見えた。ここは尾根上から慎重に急下降するしかない。落葉が堆積ぎみで、土はやや湿気っているが、バランスを安定させられそうな道筋を考えて、ゆっくりと下り立つ。
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5/4 7:58
半月山展望台に至る観光林道が見えた。ここは尾根上から慎重に急下降するしかない。落葉が堆積ぎみで、土はやや湿気っているが、バランスを安定させられそうな道筋を考えて、ゆっくりと下り立つ。
無事、着地。ご丁寧にフェンスに隙間があるので脱出。
1
5/4 8:03
無事、着地。ご丁寧にフェンスに隙間があるので脱出。
さて、ここで一年前〈夏峯〉の際に誤って見逃してしまった山頂を探索する。「駒擁護」というピークで、春・夏ともにここを遥拝することになっていたのだ。
速度表示の向こうに見える小尾根に乗る。
2
5/4 8:06
さて、ここで一年前〈夏峯〉の際に誤って見逃してしまった山頂を探索する。「駒擁護」というピークで、春・夏ともにここを遥拝することになっていたのだ。
速度表示の向こうに見える小尾根に乗る。
難なく歩けるゆるやかな登山道。フミアトも薄っすらとあるか。
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5/4 8:08
難なく歩けるゆるやかな登山道。フミアトも薄っすらとあるか。
山頂まではすぐそこだった。
1
5/4 8:10
山頂まではすぐそこだった。
「駒擁護」に登頂。
別名、四等三角点「砥沢」1466.58m
詳細不明の石祠(金剛堂)あり。中禅寺湖東岸の小ピークだが、行者たちはなぜかこのピークに目を付けた。
3
5/4 8:12
「駒擁護」に登頂。
別名、四等三角点「砥沢」1466.58m
詳細不明の石祠(金剛堂)あり。中禅寺湖東岸の小ピークだが、行者たちはなぜかこのピークに目を付けた。
倒木で荒れた印象があったが、一年越しでの宿題を回収して嬉しいきもちだ。
2
5/4 8:12
倒木で荒れた印象があったが、一年越しでの宿題を回収して嬉しいきもちだ。
日光修験に好奇心のある者か、測量目的でなければ、踏まれることのない山頂だろう。では、ピストンで取り付き地点の舗装路に戻る。
2
5/4 8:12
日光修験に好奇心のある者か、測量目的でなければ、踏まれることのない山頂だろう。では、ピストンで取り付き地点の舗装路に戻る。
ガードレールを乗り越えて、涸れ沢沿いのルートを下りる。
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5/4 8:23
ガードレールを乗り越えて、涸れ沢沿いのルートを下りる。
足場はガラガラしたりズルズルしたりしがちで、凹部を歩いても、左岸の凸部を歩いても大差はなさそう。
1
5/4 8:24
足場はガラガラしたりズルズルしたりしがちで、凹部を歩いても、左岸の凸部を歩いても大差はなさそう。
いくつかの堰堤をかわす。高低差のある危険箇所はないので、特に問題はない。
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5/4 8:34
いくつかの堰堤をかわす。高低差のある危険箇所はないので、特に問題はない。
観光地だ。歌ヶ浜に到着した。
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5/4 8:38
観光地だ。歌ヶ浜に到着した。
中禅寺湖東岸の景勝地。歌ヶ浜。
日光修験において「歌ノ浜宿」と呼ばれた拠点だ。
本日、二日目の山路はこれでもう早々と終了となる。膝は保った。
1
5/4 8:41
中禅寺湖東岸の景勝地。歌ヶ浜。
日光修験において「歌ノ浜宿」と呼ばれた拠点だ。
本日、二日目の山路はこれでもう早々と終了となる。膝は保った。
数日前の日曜日に降雪した男体山だが、昨日から今日の陽気で樹木の雪は解け落ちたようだ。白根山は当然のように今年のGWも白い。
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5/4 8:55
数日前の日曜日に降雪した男体山だが、昨日から今日の陽気で樹木の雪は解け落ちたようだ。白根山は当然のように今年のGWも白い。
立木観音。拝観料を払って、日光修験に縁のある採燈護摩壇を見ることをお勧めしたい寺院だ。。今回は事情があって、できるだけ早く某所に到着しなければならないため、私は割愛したのだが。
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5/4 8:57
立木観音。拝観料を払って、日光修験に縁のある採燈護摩壇を見ることをお勧めしたい寺院だ。。今回は事情があって、できるだけ早く某所に到着しなければならないため、私は割愛したのだが。
〈華供峯〉の正式なルートは、この歌ヶ浜で舟を世話してもらって、男体山麓の二荒山神社中宮寺のある場所まで湖上で行った。
そのなんちゃって追体験は午後にあらためてする。遊覧船がまだ運行していないのだ。とりあえず徒歩で湖岸を反時計回りする。
1
5/4 9:03
〈華供峯〉の正式なルートは、この歌ヶ浜で舟を世話してもらって、男体山麓の二荒山神社中宮寺のある場所まで湖上で行った。
そのなんちゃって追体験は午後にあらためてする。遊覧船がまだ運行していないのだ。とりあえず徒歩で湖岸を反時計回りする。
一年前、残雪に苦しんだ宿堂坊山〜錫ヶ岳〜白根山の縦走路。すなわち白錫尾根。今年はもっと積雪がありそうだ。
3
5/4 9:06
一年前、残雪に苦しんだ宿堂坊山〜錫ヶ岳〜白根山の縦走路。すなわち白錫尾根。今年はもっと積雪がありそうだ。
心地よい気候を愉しみながら、中禅寺温泉街へと入っていった。
1
5/4 9:11
心地よい気候を愉しみながら、中禅寺温泉街へと入っていった。
船の駅中禅寺。遊覧船の起点。どうやら現時点では風があるため、運航を見合わせている判断にあるらしい。午後には乗船したいのだが。
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5/4 9:20
船の駅中禅寺。遊覧船の起点。どうやら現時点では風があるため、運航を見合わせている判断にあるらしい。午後には乗船したいのだが。
そして、二荒山神社に到着。
〈華供峯〉では男体山の禅頂(登拝)はしないが、ここに、おそらくシャクナゲの花を供える儀式をした。そのことから〈華供峯〉と呼称されたのだろう。
なお、今年のGWはまだ日光駅ぐらいの標高まで下げないとシャクナゲの花は見ない。6月からであろう。
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5/4 9:32
そして、二荒山神社に到着。
〈華供峯〉では男体山の禅頂(登拝)はしないが、ここに、おそらくシャクナゲの花を供える儀式をした。そのことから〈華供峯〉と呼称されたのだろう。
なお、今年のGWはまだ日光駅ぐらいの標高まで下げないとシャクナゲの花は見ない。6月からであろう。
さてさて。GWならではの遅延にヤキモキしながら東武バスに乗りこむ。菖蒲が浜で下車。今夜はキャンプ場に宿泊する計画なのだった。
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5/4 10:49
さてさて。GWならではの遅延にヤキモキしながら東武バスに乗りこむ。菖蒲が浜で下車。今夜はキャンプ場に宿泊する計画なのだった。
菖蒲が浜キャンプ場。中禅寺湖北岸の景勝地にある、人気の高い映えスポットだ。GWともなれば満場必至、早い者勝ちとなってしまう。早朝の登山から、とりあえず先を急いだのはそのアーリーチェックインを勝ち取るためだ。
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5/4 11:37
菖蒲が浜キャンプ場。中禅寺湖北岸の景勝地にある、人気の高い映えスポットだ。GWともなれば満場必至、早い者勝ちとなってしまう。早朝の登山から、とりあえず先を急いだのはそのアーリーチェックインを勝ち取るためだ。
行列を1時間も待機して、場所を確保する。安堵した。全国にキャンプ場あれど、ハンモック泊に知識と理解があってそれを承認する施設数は、あまり明確には知られていない。ここに寛容な菖蒲が浜キャンプ場が立地するのは、幸運な采配だった。
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5/4 12:48
行列を1時間も待機して、場所を確保する。安堵した。全国にキャンプ場あれど、ハンモック泊に知識と理解があってそれを承認する施設数は、あまり明確には知られていない。ここに寛容な菖蒲が浜キャンプ場が立地するのは、幸運な采配だった。
ビーチの手前にもハンモックを吊れる樹間のポイントがあったが、風がダイレクトなので内側に寄る。ハンモックシステムをひと通り展開し終えて、とりあえず昼間からビールを飲む!
もう今日は登山終了、午後はまるごとゆるキャンなのだ!
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5/4 12:49
ビーチの手前にもハンモックを吊れる樹間のポイントがあったが、風がダイレクトなので内側に寄る。ハンモックシステムをひと通り展開し終えて、とりあえず昼間からビールを飲む!
もう今日は登山終了、午後はまるごとゆるキャンなのだ!
次なる一杯はすでに中禅寺湖の老舗酒屋・小島屋で買い、ガイラインに待機している!
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5/4 12:52
次なる一杯はすでに中禅寺湖の老舗酒屋・小島屋で買い、ガイラインに待機している!
実は。
人生初の、キャンプ場という施設だった。
どんどん賑わっていき、手慣れた印象で楽しむキャンパーたち。全員が上級者に見えるのだが、私は私なりに無理なく、そして初めての試みに新鮮さをあじわって過ごしてみよう。
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5/4 12:55
実は。
人生初の、キャンプ場という施設だった。
どんどん賑わっていき、手慣れた印象で楽しむキャンパーたち。全員が上級者に見えるのだが、私は私なりに無理なく、そして初めての試みに新鮮さをあじわって過ごしてみよう。
ミッケラー・サンディエゴ・ハンモック・バウンド
これぞハンモッカーのための、酸味のきいたランチビール。
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5/4 12:57
ミッケラー・サンディエゴ・ハンモック・バウンド
これぞハンモッカーのための、酸味のきいたランチビール。
ビーチで飲んだり、ハンモックをチェアにして飲んだりしているうちに、遊覧船が午後に再開するとの報せをスマホで得た。
ならばバス停に急ごう。
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5/4 13:07
ビーチで飲んだり、ハンモックをチェアにして飲んだりしているうちに、遊覧船が午後に再開するとの報せをスマホで得た。
ならばバス停に急ごう。
船の駅中禅寺で、一周チケットを購入。遊覧船「男体」に乗船。時計回りに周遊してくれる。
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5/4 14:25
船の駅中禅寺で、一周チケットを購入。遊覧船「男体」に乗船。時計回りに周遊してくれる。
出航。男体山を離れる。湖上からならではのアングル。
1
5/4 14:33
出航。男体山を離れる。湖上からならではのアングル。
西へと進路をとる。ほんらい遊覧船は、菖蒲が浜の発着所にも停まる航路なのだが、現在は湖の水位が下がり着岸できずにスルーなのだという。水位は、降水量の影響と、人工的に放水量を調節している華厳の滝との関係で決まるわけだが。何が一時的に水位を下げてしまったのだろうか。
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5/4 14:36
西へと進路をとる。ほんらい遊覧船は、菖蒲が浜の発着所にも停まる航路なのだが、現在は湖の水位が下がり着岸できずにスルーなのだという。水位は、降水量の影響と、人工的に放水量を調節している華厳の滝との関係で決まるわけだが。何が一時的に水位を下げてしまったのだろうか。
しばらく西進した後、遊覧船は南下する。
ところで、日光修験の伝統行事には春夏秋冬の「三峯五禅頂」の他にも「船禅頂」がある。その名の通り、船に乗って中禅寺湖の各遥拝所や遥かなる山々を礼拝して周る儀式だ。現在でも民間信者の申込者も乗船するかたちで、行者による「船禅頂」は年に一回、遊覧船によって継続されている。
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5/4 14:39
しばらく西進した後、遊覧船は南下する。
ところで、日光修験の伝統行事には春夏秋冬の「三峯五禅頂」の他にも「船禅頂」がある。その名の通り、船に乗って中禅寺湖の各遥拝所や遥かなる山々を礼拝して周る儀式だ。現在でも民間信者の申込者も乗船するかたちで、行者による「船禅頂」は年に一回、遊覧船によって継続されている。
大日の先端。俯いているフライフィッシャーの上に、大日如来の石像があるのだが、不鮮明な写真でわかりにくいだろうか。
3
5/4 14:56
大日の先端。俯いているフライフィッシャーの上に、大日如来の石像があるのだが、不鮮明な写真でわかりにくいだろうか。
南岸を東に進路をとる。中禅寺湖で唯一の浮島である上野島が見えてきた。
日光の歴史における高僧の遺骨が、この島に埋葬されているという伝承があるようだ。
3
5/4 14:58
南岸を東に進路をとる。中禅寺湖で唯一の浮島である上野島が見えてきた。
日光の歴史における高僧の遺骨が、この島に埋葬されているという伝承があるようだ。
船上からならではのアングルだ。おもしろい。
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5/4 15:00
船上からならではのアングルだ。おもしろい。
蛇のような地形の八丁出島の先端を半周するように、遊覧船は行く。
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5/4 15:07
蛇のような地形の八丁出島の先端を半周するように、遊覧船は行く。
やがて東岸に沿って北上をはじめる。イタリア大使館別荘が見えた。
1
5/4 15:12
やがて東岸に沿って北上をはじめる。イタリア大使館別荘が見えた。
つづいてイギリス大使館。観光客がテラス席でアフタヌーンティーを楽しんでいる。
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5/4 15:13
つづいてイギリス大使館。観光客がテラス席でアフタヌーンティーを楽しんでいる。
そして中継地である歌ヶ浜の乗船所に着岸した。ここで何人かの乗り降りをする。
ここから二荒山神社までの航路が、〈華供峯〉の巡礼ルートに重なることになる。目的を回収、回収。
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5/4 15:17
そして中継地である歌ヶ浜の乗船所に着岸した。ここで何人かの乗り降りをする。
ここから二荒山神社までの航路が、〈華供峯〉の巡礼ルートに重なることになる。目的を回収、回収。
再び離岸。フランス大使館とベルギー大使館が見えている。
奥日光のこのエリアは、明治時代より宣教師などの外国人が過ごす避暑地別荘が開発された。日光の歴史の1ページである。現在ではリッツカールトンや星野リゾートが新しく建設された。
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5/4 15:22
再び離岸。フランス大使館とベルギー大使館が見えている。
奥日光のこのエリアは、明治時代より宣教師などの外国人が過ごす避暑地別荘が開発された。日光の歴史の1ページである。現在ではリッツカールトンや星野リゾートが新しく建設された。
船での湖上巡礼が終わった。ちょっと中禅寺温泉街に買い出しに寄る。地元のミニスーパー「みむらや」だ。
肉・魚・野菜・果物の生鮮食品、パンや麺、菓子類に飲物、生活用品までひと通り扱っているから、キャンパー御用達だ。
また、田中陽希氏が利用してもいる、山旅の味方になりうる店だ。
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5/4 15:43
船での湖上巡礼が終わった。ちょっと中禅寺温泉街に買い出しに寄る。地元のミニスーパー「みむらや」だ。
肉・魚・野菜・果物の生鮮食品、パンや麺、菓子類に飲物、生活用品までひと通り扱っているから、キャンパー御用達だ。
また、田中陽希氏が利用してもいる、山旅の味方になりうる店だ。
早い者勝ちっぽいけど、弁当もある。これは明日食べよう。
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5/4 15:48
早い者勝ちっぽいけど、弁当もある。これは明日食べよう。
というわけで、キャンプ場の我が家に帰宅した。
併設のお風呂でさっぱりして、いい感じのハイカーへと人権を回復した。
アヒージョやビーフを温めるだけなどの気楽な吞みをする。ハンモックでだらだら。だんだん暗くなってきた。
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5/4 19:15
というわけで、キャンプ場の我が家に帰宅した。
併設のお風呂でさっぱりして、いい感じのハイカーへと人権を回復した。
アヒージョやビーフを温めるだけなどの気楽な吞みをする。ハンモックでだらだら。だんだん暗くなってきた。
初めてのキャンプ場生活。かなりコンパクト。
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5/4 19:20
初めてのキャンプ場生活。かなりコンパクト。
ランプ類や焚火が灯ると、これぞキャンプ場の神髄というムードに入るのだろうか。まわりの大型テントでは談笑が盛り上がる。風もおさまり、良い夜だ。なるほどなあ、手慣れているなあと感心しながら、全身をハンモックで覆った。
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5/4 19:21
ランプ類や焚火が灯ると、これぞキャンプ場の神髄というムードに入るのだろうか。まわりの大型テントでは談笑が盛り上がる。風もおさまり、良い夜だ。なるほどなあ、手慣れているなあと感心しながら、全身をハンモックで覆った。
おはようございます。早朝の気温は5〜6℃
もっとハンモックの中で快適にゴロゴロしていたいが、身を起こしてみる。膝の調子はほぼほぼ落ち着いていた。
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5/5 6:08
おはようございます。早朝の気温は5〜6℃
もっとハンモックの中で快適にゴロゴロしていたいが、身を起こしてみる。膝の調子はほぼほぼ落ち着いていた。
三日目、最終日だけれど、全日好天に恵まれそうだ。
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5/5 6:14
三日目、最終日だけれど、全日好天に恵まれそうだ。
ぜんぜんテキパキとはしない撤収作業。それでもハンモックは比較的短時間で済むメリットがある。
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5/5 6:52
ぜんぜんテキパキとはしない撤収作業。それでもハンモックは比較的短時間で済むメリットがある。
穏やかな中禅寺湖を見納めて、チェックアウト。
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5/5 7:38
穏やかな中禅寺湖を見納めて、チェックアウト。
中禅寺温泉バスターミナルで下車。〈華供峯〉の続きを歩く。
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5/5 8:03
中禅寺温泉バスターミナルで下車。〈華供峯〉の続きを歩く。
今日の行程は、第一いろは坂を歩いて下り、日光駅の方まで。
かつて、その麓までの山道は「中禅寺道」と呼ばれた。その古道は、勝道上人の時代から江戸期の〈華供峯〉まで、日光山と男体山を結ぶ険しいものだったはずだ。
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5/5 8:07
今日の行程は、第一いろは坂を歩いて下り、日光駅の方まで。
かつて、その麓までの山道は「中禅寺道」と呼ばれた。その古道は、勝道上人の時代から江戸期の〈華供峯〉まで、日光山と男体山を結ぶ険しいものだったはずだ。
温泉街を少し歩くと、すぐに建物は消える。これまで何度も運転で下った坂を、はじめて徒歩で行く。不思議な感覚だ。
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5/5 8:14
温泉街を少し歩くと、すぐに建物は消える。これまで何度も運転で下った坂を、はじめて徒歩で行く。不思議な感覚だ。
右手に石柱を見た。笹原に入る。
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5/5 8:17
右手に石柱を見た。笹原に入る。
「華厳滝壺道」入口の石碑。
かつて、ここから華厳の滝の下のほうに至る登山道が整備されていた。茶屋もあったらしい。いまでは廃道となり、急斜面のバリエーションルートとなっているらしい。いつか、行けるところまでは行ってみたいと思っている。(立入禁止区域があり配慮は必要)
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5/5 8:17
「華厳滝壺道」入口の石碑。
かつて、ここから華厳の滝の下のほうに至る登山道が整備されていた。茶屋もあったらしい。いまでは廃道となり、急斜面のバリエーションルートとなっているらしい。いつか、行けるところまでは行ってみたいと思っている。(立入禁止区域があり配慮は必要)
「華厳滝壺道」は、明治時代に星野五郎平という人物が、自主的に拓いたルートだ。その名が石碑に刻まれ、記念されている。
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5/5 8:18
「華厳滝壺道」は、明治時代に星野五郎平という人物が、自主的に拓いたルートだ。その名が石碑に刻まれ、記念されている。
識者ではないので、私には薄れた文字がよく読めない。
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5/5 8:18
識者ではないので、私には薄れた文字がよく読めない。
トレイルの取付き地点も、ぱっと見ではよくわからなかった。この坂を乗り越えるか、まわりこんだ先にあるのだろうか。今後の課題とする。
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5/5 8:18
トレイルの取付き地点も、ぱっと見ではよくわからなかった。この坂を乗り越えるか、まわりこんだ先にあるのだろうか。今後の課題とする。
石碑は、もはや知る人ぞ知るだけの知名度しかなさそうだが、石で囲われてはいた。
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5/5 8:19
石碑は、もはや知る人ぞ知るだけの知名度しかなさそうだが、石で囲われてはいた。
さて、ロードを歩く。左手の石垣に祠が彫られている。
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5/5 8:33
さて、ロードを歩く。左手の石垣に祠が彫られている。
こんな感じ。徒歩でないとお参りしにくそうな場所にある。
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5/5 8:33
こんな感じ。徒歩でないとお参りしにくそうな場所にある。
祠の向かいには、ここは不動坂という名だと宣言する標識。第一いろは坂の上半分ぐらいをこのように呼んだ時代があった。これについては後にあらためて語ろう。
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5/5 8:33
祠の向かいには、ここは不動坂という名だと宣言する標識。第一いろは坂の上半分ぐらいをこのように呼んだ時代があった。これについては後にあらためて語ろう。
S字カーブの連続で有名ないろは坂。ツヅラオリで斜度を軽減して車両を通す。
しかし、旧中禅寺道はそんなルート採りをしたわけがない。日光まで15kmか。
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5/5 8:39
S字カーブの連続で有名ないろは坂。ツヅラオリで斜度を軽減して車両を通す。
しかし、旧中禅寺道はそんなルート採りをしたわけがない。日光まで15kmか。
スミレ科の花などを見ながら、主にアスファルトを歩く行程だ。
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5/5 8:41
スミレ科の花などを見ながら、主にアスファルトを歩く行程だ。
ここらでガードレールの向こう側を山歩きしてみよう。いろは坂の建設時や現在に至る維持もふくめて、こういったエリアにも人に踏まれた雰囲気やその必要性があるはずなのだ。
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5/5 8:45
ここらでガードレールの向こう側を山歩きしてみよう。いろは坂の建設時や現在に至る維持もふくめて、こういったエリアにも人に踏まれた雰囲気やその必要性があるはずなのだ。
なんとなく、こっちへ進めという誘いが写真からも感じられるだろうか。
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5/5 8:48
なんとなく、こっちへ進めという誘いが写真からも感じられるだろうか。
これは道型と言って差し支えないだろう。
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5/5 8:50
これは道型と言って差し支えないだろう。
落葉が深い。ゲイターを付けてから入林すればよかったが、勢いで進入していく。
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5/5 8:52
落葉が深い。ゲイターを付けてから入林すればよかったが、勢いで進入していく。
車道は近い。チラリと見えている。付かず離れずといった距離感で、古道跡(?)は続く。
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5/5 8:52
車道は近い。チラリと見えている。付かず離れずといった距離感で、古道跡(?)は続く。
噂によれば、こういったエリアに古い木製電柱も現存しているのだそうだ。
私の推論では、きっとここは中世以来の古道でもあり、近代においてはそのフミアトを活かして建設、林業、電力の関係者が多く踏み入ったものではないかと思う。
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5/5 8:54
噂によれば、こういったエリアに古い木製電柱も現存しているのだそうだ。
私の推論では、きっとここは中世以来の古道でもあり、近代においてはそのフミアトを活かして建設、林業、電力の関係者が多く踏み入ったものではないかと思う。
道路脇には投げ捨てられたゴミやら大きめな不法投棄などが多くあるものだが、ここは車から投げて届く距離ではない。現代の人が歩いたことによるものだ。
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5/5 8:54
道路脇には投げ捨てられたゴミやら大きめな不法投棄などが多くあるものだが、ここは車から投げて届く距離ではない。現代の人が歩いたことによるものだ。
どこまで古道にロマンを見出してよいものかは、私には判別がつかない。そもそも古道の多くは舗装に塗りつぶされたか、道型も埋まって消失しているはずであろう。
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5/5 8:55
どこまで古道にロマンを見出してよいものかは、私には判別がつかない。そもそも古道の多くは舗装に塗りつぶされたか、道型も埋まって消失しているはずであろう。
しかし、これはどうだ。なかなかの古道っぽさではないか。
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5/5 8:55
しかし、これはどうだ。なかなかの古道っぽさではないか。
しばらく凹みは直進し、そして明確に左折が見える。
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5/5 8:56
しばらく凹みは直進し、そして明確に左折が見える。
カーブ地点をアップで。
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5/5 8:57
カーブ地点をアップで。
カーブを過ぎると、昭和の人工物に突き当たった。写真中央には黒くて細い電柱が立つ。
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5/5 8:59
カーブを過ぎると、昭和の人工物に突き当たった。写真中央には黒くて細い電柱が立つ。
道路建設、維持のための排水溝であろう。
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5/5 8:59
道路建設、維持のための排水溝であろう。
この排水溝を横断するようにして、フミアトは続いているようだった。
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5/5 9:00
この排水溝を横断するようにして、フミアトは続いているようだった。
道なりに進むと、このステップから舗装路に脱出させられた。この区間は、時代を越えて歩かれ続けてきたものだと見た。
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5/5 9:02
道なりに進むと、このステップから舗装路に脱出させられた。この区間は、時代を越えて歩かれ続けてきたものだと見た。
またすぐに林のフミアトに入るが、即座に車道に合流。そして、そこには赤い人工物が。
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5/5 9:03
またすぐに林のフミアトに入るが、即座に車道に合流。そして、そこには赤い人工物が。
中の茶屋の跡地だ。
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5/5 9:04
中の茶屋の跡地だ。
ちなみに前述のとおり、この地点より上を「不動坂」とかつて呼んだ。そしてここより下は「地蔵坂」の名が付いている。
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5/5 9:05
ちなみに前述のとおり、この地点より上を「不動坂」とかつて呼んだ。そしてここより下は「地蔵坂」の名が付いている。
石塔がこの地を象徴している。
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石塔がこの地を象徴している。
石塔が乗っている岩の名は、磁石石という。
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5/5 9:06
石塔が乗っている岩の名は、磁石石という。
手前の水盤は時代を語る。
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5/5 9:06
手前の水盤は時代を語る。
明治天皇もここにあった茶屋を利用していた。
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5/5 9:06
明治天皇もここにあった茶屋を利用していた。
茶屋跡の全景。たしかに平坦であり、中禅寺道の道中の休憩所として相応しいポイントにある。
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茶屋跡の全景。たしかに平坦であり、中禅寺道の道中の休憩所として相応しいポイントにある。
まだもうすこし、探索は可能だろうか。歩けそうなところを下ってみる。
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5/5 9:24
まだもうすこし、探索は可能だろうか。歩けそうなところを下ってみる。
けれど、特に何もみつからず、まもなく舗装路に再会してしまった。
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5/5 9:25
けれど、特に何もみつからず、まもなく舗装路に再会してしまった。
道路脇に素朴な造りの排水溝か。
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道路脇に素朴な造りの排水溝か。
カーブ地点にある。
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5/5 9:26
カーブ地点にある。
こういう細部は運転している限り気が付くことがない。
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5/5 9:27
こういう細部は運転している限り気が付くことがない。
さらに進んでみたのだが、いささか高低差が気になるポイントに導かれてしまった。まあ、これも登山だし、慎重に行くか。
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さらに進んでみたのだが、いささか高低差が気になるポイントに導かれてしまった。まあ、これも登山だし、慎重に行くか。
木に掴まるなどして、ここをクライムダウンして着地した。
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5/5 9:32
木に掴まるなどして、ここをクライムダウンして着地した。
「み」のカーブ地点だった。
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「み」のカーブ地点だった。
さっきみたいな高低差を繰り返す気がしたから、残りは無理せずに道路歩きに主眼を置こう。
すると、ビューポイントに来た。剣が峰だ。
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5/5 9:41
さっきみたいな高低差を繰り返す気がしたから、残りは無理せずに道路歩きに主眼を置こう。
すると、ビューポイントに来た。剣が峰だ。
栃木県の実業家、元知事の小平重吉のレリーフ。
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5/5 9:42
栃木県の実業家、元知事の小平重吉のレリーフ。
そのレリーフの上部が、剣が峰の山頂に至る取り付き地点のようだった。ここにも茶屋があったらしい。
現在は関係者以外立入禁止であるようだ。それっぽい看板が欠けていて、よくはわからないが。
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5/5 9:42
そのレリーフの上部が、剣が峰の山頂に至る取り付き地点のようだった。ここにも茶屋があったらしい。
現在は関係者以外立入禁止であるようだ。それっぽい看板が欠けていて、よくはわからないが。
ここは二本の滝が見える展望台になっている。
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5/5 9:42
ここは二本の滝が見える展望台になっている。
方等滝。
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5/5 9:43
方等滝。
般若滝。
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5/5 9:43
般若滝。
男体山を遥拝できるポイントになっていた。
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5/5 9:43
男体山を遥拝できるポイントになっていた。
運転中いつも目に留まっていた、交通安全テング。
ちなみに、GWにいろは坂を歩いていれば、当然ながら車が通り過ぎる。だが、カーブ多数で速度を落とすので意外と気にならないものだった。遅い車両に詰まるように、来るときは列をなして来る。来ないときはしばらく来ない。
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5/5 9:47
運転中いつも目に留まっていた、交通安全テング。
ちなみに、GWにいろは坂を歩いていれば、当然ながら車が通り過ぎる。だが、カーブ多数で速度を落とすので意外と気にならないものだった。遅い車両に詰まるように、来るときは列をなして来る。来ないときはしばらく来ない。
標高1000m前後には剣が峰と、もうひとつ見どころがある。
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5/5 9:50
標高1000m前後には剣が峰と、もうひとつ見どころがある。
女人堂である。
明治初期まで、男体山は女人禁制の山だった。女性たちはこのポイントから山頂を遥拝して、登拝することの代わりとしたのだった。
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5/5 9:53
女人堂である。
明治初期まで、男体山は女人禁制の山だった。女性たちはこのポイントから山頂を遥拝して、登拝することの代わりとしたのだった。
シカ柵に囲まれているので、建物に入ることはできない。
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5/5 9:54
シカ柵に囲まれているので、建物に入ることはできない。
格子の内部には、かつては地蔵があったとのこと。いろは坂の下の方を地蔵坂と呼んだ由来でもあったとのこと。
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5/5 9:54
格子の内部には、かつては地蔵があったとのこと。いろは坂の下の方を地蔵坂と呼んだ由来でもあったとのこと。
いろは坂、終了。
ここから上が、二荒山神社境内地とされる。
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5/5 10:11
いろは坂、終了。
ここから上が、二荒山神社境内地とされる。
馬返。ここからのロードがまだ長い。
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5/5 10:27
馬返。ここからのロードがまだ長い。
馬返の公衆トイレには、いろは坂にまつわる伝承が木彫りで紹介されている。
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5/5 10:31
馬返の公衆トイレには、いろは坂にまつわる伝承が木彫りで紹介されている。
馬返を徒歩のスピードで行くと、木立の中に神社の気配をみとめた。
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5/5 10:36
馬返を徒歩のスピードで行くと、木立の中に神社の気配をみとめた。
境内地への入口すらわからない、深い落葉に埋もれ、社の名は傾いている。日光といえば二社一寺ばかりが有名であるが、その他にも中小の寺社がほんとうに沢山あると知る。
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5/5 10:37
境内地への入口すらわからない、深い落葉に埋もれ、社の名は傾いている。日光といえば二社一寺ばかりが有名であるが、その他にも中小の寺社がほんとうに沢山あると知る。
私が日光修験の山旅をするにあたって、最も参考にして尊敬しているヤマレコユーザーさんはthoughtmay様なのであるが、氏が貴重な出会いをされたという事業所をちょっと覗き込んでみる。GWの祝日であるし、どなたも居ないだろうと諦めていたのだが・・・
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5/5 10:42
私が日光修験の山旅をするにあたって、最も参考にして尊敬しているヤマレコユーザーさんはthoughtmay様なのであるが、氏が貴重な出会いをされたという事業所をちょっと覗き込んでみる。GWの祝日であるし、どなたも居ないだろうと諦めていたのだが・・・
なんと今日もお仕事をされていて、声をかけてくださった。経緯を話すと、中へどうぞと招かれてしまった。
この地は、昭和期まで交通の中継地点だったのだ。往時のエピソードを聞きにお邪魔した。
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5/5 10:52
なんと今日もお仕事をされていて、声をかけてくださった。経緯を話すと、中へどうぞと招かれてしまった。
この地は、昭和期まで交通の中継地点だったのだ。往時のエピソードを聞きにお邪魔した。
とにかく、まず目を引くのが、男体山からのものだと仰る溶岩石をほどこされた蔵だ。
ハイカーとしては、とても既視感のある赤と黒の岩石だ。
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5/5 10:52
とにかく、まず目を引くのが、男体山からのものだと仰る溶岩石をほどこされた蔵だ。
ハイカーとしては、とても既視感のある赤と黒の岩石だ。
内部より。倉庫として使用されている、現役の仕事場の一部とのことだ。
大谷石で造られた建造物なんかは、日光周辺でときどき出会うけれど、こんな素材と意匠のものははじめて目にした。
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5/5 10:53
内部より。倉庫として使用されている、現役の仕事場の一部とのことだ。
大谷石で造られた建造物なんかは、日光周辺でときどき出会うけれど、こんな素材と意匠のものははじめて目にした。
「日光ケーブルカー 昭和48年(1973)」とある、貴重な写真が事務所に二枚ある。60年代後半に閉業したが、その後の解体工事直前に撮影されたものだという。確かに、ガッチリした軌道が遥か上まで伸びている。ドイツから輸入された特別建材で構築されたものであり、日光の寒さでも収縮しない金属が用いられたのだそうだ。
終点の明智平駅は日本最高所のケーブルカー駅だったようだ。
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5/5 10:57
「日光ケーブルカー 昭和48年(1973)」とある、貴重な写真が事務所に二枚ある。60年代後半に閉業したが、その後の解体工事直前に撮影されたものだという。確かに、ガッチリした軌道が遥か上まで伸びている。ドイツから輸入された特別建材で構築されたものであり、日光の寒さでも収縮しない金属が用いられたのだそうだ。
終点の明智平駅は日本最高所のケーブルカー駅だったようだ。
他にも興味深いお話をお聞きしたが、これは、いわゆる廃線跡探索の魅惑的な沼だと悟る。それに、私ごときでは聞き手としてthoughtmay様の二番煎じにもならない。私がすべきことは、限られた日数でルートをスルーハイクすることだけだ。
最後に、ケーブルカー駅跡地だという広場を見る許可をいただき足を運んでみた。
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5/5 11:00
他にも興味深いお話をお聞きしたが、これは、いわゆる廃線跡探索の魅惑的な沼だと悟る。それに、私ごときでは聞き手としてthoughtmay様の二番煎じにもならない。私がすべきことは、限られた日数でルートをスルーハイクすることだけだ。
最後に、ケーブルカー駅跡地だという広場を見る許可をいただき足を運んでみた。
今ではすべてが解体され、痕跡はない。駅があったという傾斜の地形のみが、戦前〜昭和の日光の記憶を物語っている。
第二いろは坂の開通によって慢性的渋滞は緩和し、マイカーとバスによる奥日光アクセスが主流になると、ケーブルカー存続の理由はなくなったのだ。軍需産業における輸送路の意味も持っていた路面電車の線路と共に、役目を終えた。
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5/5 11:02
今ではすべてが解体され、痕跡はない。駅があったという傾斜の地形のみが、戦前〜昭和の日光の記憶を物語っている。
第二いろは坂の開通によって慢性的渋滞は緩和し、マイカーとバスによる奥日光アクセスが主流になると、ケーブルカー存続の理由はなくなったのだ。軍需産業における輸送路の意味も持っていた路面電車の線路と共に、役目を終えた。
ここから、あの見上げる先端部まで一気にケーブルカーで登ったんだもんなあ。そして今はさっぱり消えて、緑に覆われているのか。
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5/5 11:05
ここから、あの見上げる先端部まで一気にケーブルカーで登ったんだもんなあ。そして今はさっぱり消えて、緑に覆われているのか。
ところでこの地には、前述の「華厳滝壺道」開拓で知られる黒部五郎平の一族の墓地もあった。一瞥だけさせてもらって、先へ進む。
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5/5 11:09
ところでこの地には、前述の「華厳滝壺道」開拓で知られる黒部五郎平の一族の墓地もあった。一瞥だけさせてもらって、先へ進む。
感謝して、様々なエピソードの眠る馬返の地をあとにした。
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5/5 11:11
感謝して、様々なエピソードの眠る馬返の地をあとにした。
あとは素直に日光までロード歩きに集中することにした。古河電工の広大な工場のある、細尾エリアに入る。女峰山がクリアに見える青空だ。
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5/5 11:52
あとは素直に日光までロード歩きに集中することにした。古河電工の広大な工場のある、細尾エリアに入る。女峰山がクリアに見える青空だ。
鄙びた雰囲気のある細尾の集落を行く。
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5/5 11:53
鄙びた雰囲気のある細尾の集落を行く。
聖徳太子?
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5/5 11:55
聖徳太子?
細尾を抜けると清滝の集落に入る。坂東十八番札所 清滝寺。
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5/5 12:00
細尾を抜けると清滝の集落に入る。坂東十八番札所 清滝寺。
星野面山?の句碑。
この地には星野の姓が多いのであろうか。
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5/5 12:01
星野面山?の句碑。
この地には星野の姓が多いのであろうか。
立派な塔が建っているのみならず、細部にいろいろと発見がありそうな寺だった。
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5/5 12:02
立派な塔が建っているのみならず、細部にいろいろと発見がありそうな寺だった。
清瀧寺跡。蜜門灌頂の道場であった、と解説看板にある。
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5/5 12:13
清瀧寺跡。蜜門灌頂の道場であった、と解説看板にある。
こちらは清滝神社。
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5/5 12:15
こちらは清滝神社。
サワラのご神木。その背後に小さな滝。
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5/5 12:16
サワラのご神木。その背後に小さな滝。
更に、しばらく道路歩きをすると民間信仰的な地蔵尊。荒澤地蔵尊というらしい。
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5/5 12:34
更に、しばらく道路歩きをすると民間信仰的な地蔵尊。荒澤地蔵尊というらしい。
しかし暑い。日焼けしまくりだ。
廃ガソリンスタンドがあったので、少し休む。栃木だけど、なんとなくアメリカのロングトレイルハイカーっぽい写真を撮ってみた。栃木だけど。
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5/5 12:45
しかし暑い。日焼けしまくりだ。
廃ガソリンスタンドがあったので、少し休む。栃木だけど、なんとなくアメリカのロングトレイルハイカーっぽい写真を撮ってみた。栃木だけど。
ロングトレイルの現実は、けっこうな距離のアスファルト歩き。であるはず。さて、もうひと頑張りだ。
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5/5 12:50
ロングトレイルの現実は、けっこうな距離のアスファルト歩き。であるはず。さて、もうひと頑張りだ。
花石神社。倒れたご神木の再生事業をしていた。みごとな復活の兆し。
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5/5 13:10
花石神社。倒れたご神木の再生事業をしていた。みごとな復活の兆し。
勝道上人にかかわる伝承のある八幡神社。
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5/5 13:15
勝道上人にかかわる伝承のある八幡神社。
ついに日光市街地に入る。日光植物園、田母沢御用邸を通過する。そして金谷ホテル歴史館へ。ここは見学しておこう。
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5/5 13:28
ついに日光市街地に入る。日光植物園、田母沢御用邸を通過する。そして金谷ホテル歴史館へ。ここは見学しておこう。
日光を代表する、憧れのクラシックホテル。その前身は、この「金谷侍屋敷」だった。ここに外国人の賓客を宿泊させる民宿事業「金谷カテッジイン」を明治6年に始めたわけだ。現在では登録有形文化財とされている。
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5/5 13:32
日光を代表する、憧れのクラシックホテル。その前身は、この「金谷侍屋敷」だった。ここに外国人の賓客を宿泊させる民宿事業「金谷カテッジイン」を明治6年に始めたわけだ。現在では登録有形文化財とされている。
様々な調度品などが目を引く。あまり西洋的な要素は交えず、あえてジャポニズム、オリエンタリズムの空間にしたことが、西洋人の好奇心をくすぐったことだろう。
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5/5 13:33
様々な調度品などが目を引く。あまり西洋的な要素は交えず、あえてジャポニズム、オリエンタリズムの空間にしたことが、西洋人の好奇心をくすぐったことだろう。
基本は書院造であるが、二階建ての武家屋敷というのは珍しいものだったようだ。
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5/5 13:34
基本は書院造であるが、二階建ての武家屋敷というのは珍しいものだったようだ。
『日本奥地紀行』を著した旅行家、イザベラ・バード女史が宿泊した部屋。この本は、登山好きの人たちのなかにも愛読している人が少なくないのでは。
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5/5 13:35
『日本奥地紀行』を著した旅行家、イザベラ・バード女史が宿泊した部屋。この本は、登山好きの人たちのなかにも愛読している人が少なくないのでは。
めずらしい材質のガラスと庭園。
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5/5 13:37
めずらしい材質のガラスと庭園。
この事業を起点に明治26年、金谷善一郎は日本初の西洋式リゾートホテルを創設する。キリスト信仰を得て洗礼を受け、ジョン金谷と呼ばれる。洗礼名がヨハネ、ゆえにジョン。
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5/5 13:40
この事業を起点に明治26年、金谷善一郎は日本初の西洋式リゾートホテルを創設する。キリスト信仰を得て洗礼を受け、ジョン金谷と呼ばれる。洗礼名がヨハネ、ゆえにジョン。
入場は有料であるが、田母沢御用邸とならんで見どころのある歴史的建造物だと思う。
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5/5 13:46
入場は有料であるが、田母沢御用邸とならんで見どころのある歴史的建造物だと思う。
ほんのひと歩きで日光真光教会を見上げた。大谷石で建造された教会で、聖公会(アングリカン)、つまりジョン金谷も出身の立教大学などの教派的流れを汲む。コロナ後、しばらくは自由に入堂できない状態が続いていたのだが、久しぶりに中へ。
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5/5 13:48
ほんのひと歩きで日光真光教会を見上げた。大谷石で建造された教会で、聖公会(アングリカン)、つまりジョン金谷も出身の立教大学などの教派的流れを汲む。コロナ後、しばらくは自由に入堂できない状態が続いていたのだが、久しぶりに中へ。
日光のあまり知られざる美しい場所だ。
ここを出れば、すぐ目の前が日光二社一寺の参道である。いよいよ旅のラストスパートだ。
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5/5 13:51
日光のあまり知られざる美しい場所だ。
ここを出れば、すぐ目の前が日光二社一寺の参道である。いよいよ旅のラストスパートだ。
坂道を登り、二荒山神社・東照宮・輪王寺を有する旧・日光山内をめぐる。
〈華供峯〉を主宰した「大宿」「副大宿」もこの山内にある坊のなかから選ばれた。
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5/5 14:08
坂道を登り、二荒山神社・東照宮・輪王寺を有する旧・日光山内をめぐる。
〈華供峯〉を主宰した「大宿」「副大宿」もこの山内にある坊のなかから選ばれた。
最後は日光最古の寺院、勝道上人が建立した四本龍寺へ。
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5/5 14:21
最後は日光最古の寺院、勝道上人が建立した四本龍寺へ。
護摩壇を有する境内地。奈良時代よりつづく日光修験の流れを見て取る。
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5/5 14:22
護摩壇を有する境内地。奈良時代よりつづく日光修験の流れを見て取る。
ゴール。
今回は古峰神社からの短縮版ではあったが、往時と同じ季節に〈華供峯〉ならではの旅路を完歩した。
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5/5 14:25
ゴール。
今回は古峰神社からの短縮版ではあったが、往時と同じ季節に〈華供峯〉ならではの旅路を完歩した。
神橋バス停ちかくのお気に入りのビールスタンドmurmurで、白みのある一杯を大サイズで飲み干した。
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5/5 14:31
神橋バス停ちかくのお気に入りのビールスタンドmurmurで、白みのある一杯を大サイズで飲み干した。
日光駅に到着。滑り込みセーフで日光ステーションホテルクラシックの日帰り温泉にありつけた。
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5/5 14:52
日光駅に到着。滑り込みセーフで日光ステーションホテルクラシックの日帰り温泉にありつけた。
着替えもしてさっぱり。
日焼けで首がヒリヒリ。三日間、寒暖差がえげつなかった。
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5/5 15:33
着替えもしてさっぱり。
日焼けで首がヒリヒリ。三日間、寒暖差がえげつなかった。
前かり気になっていた駅近くのジェラート屋で、双耳峯のダブルカップを。
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5/5 15:39
前かり気になっていた駅近くのジェラート屋で、双耳峯のダブルカップを。
まだまだ飽き足らず、追い打ちの星マーク。鈍行列車で東京に帰るが、乗りこむ前に駅ホームで飲み干す。気づけば、ホーム内にはシャクナゲの花が咲いていた。
これにて修行らしくない、私なりの〈華供峯〉終幕。
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5/5 15:51
まだまだ飽き足らず、追い打ちの星マーク。鈍行列車で東京に帰るが、乗りこむ前に駅ホームで飲み干す。気づけば、ホーム内にはシャクナゲの花が咲いていた。
これにて修行らしくない、私なりの〈華供峯〉終幕。
自分ではできない山歩き…すごいと思います。
お疲れ様でしたm(_ _)m
返信遅くなりました。コメントありがとうございます。
今回は春麗のゆるい計画ではありましたが、山道探検からキャンプ、そして舗装路歩きまで、いろいろなアウトドアアクティビティを複合できたのが楽しかったです!
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