厳冬期白峰三山縦走 北岳→間ノ岳→農鳥岳 そして凍傷の記録



- GPS
- 242:24
- 距離
- 43.9km
- 登り
- 4,018m
- 下り
- 4,004m
コースタイム
- 山行
- 6:44
- 休憩
- 1:04
- 合計
- 7:48
- 山行
- 7:37
- 休憩
- 1:01
- 合計
- 8:38
- 山行
- 0:19
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:19
天候 | 27日 晴 28日 晴→吹雪 29日 霧→晴→吹雪 30日 小雪→吹雪 31日 晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2014年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
アルキ沢橋から森林限界くらいまではノーアイゼンでした 八本歯のコル付近、ハシゴは雪に埋まってなく、使えます 北岳から北岳山荘へのトラバース、間ノ岳からの下り、スリップ注意 西農鳥岳から下山まで、地図は手書きです。標高グラフと4日目以降のコースタイムが間違っていますが修正方法がわかりません・・・。 |
その他周辺情報 | 町営奈良田の里温泉、年末年始は休業でした |
写真
装備
備考 | アウターに、ゴアテックス・アクティブシェルパンツを履きましたが、これは想像以上に弱くて、1回履いただけでボロボロになります。シリセードなどしようものならもう一発です。 今回、木炭を火種とするカイロを持って行きました。休憩時に手を温めることができて重宝しました。ただ、火種が安定するまで5分くらいかかります(寒冷時)。あと、火種が消えやすいです。 グローブのインシュレーションが凍りついたときのために、予備のウール手袋を、ジャケットのポケットなどすぐ出せるところに入れておくべきでした。これを怠ったために今回大変なことに。 |
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感想
27日 晴
奈良田ゲートの通過が最初の核心と思ってましたが、ここのゲートはトンネル側からなら人用の扉が開けられます。したがって、誰か一人が空身でゲートを乗り越えればOK。われわれのときは、先行パーティーが開けてくれたので、ゲートのよじ登りもなし。
アルキ沢橋までの3時間強の林道歩きはひたすら忍耐。アップダウンがあっても距離が短い夜叉神峠登山口から鷲ノ住山経由で行くのと、どっちが楽だろう・・・
アルキ沢橋登山口からいきなり急登。15分で標高100m登るペース。1時半過ぎに池山御池小屋到着。まだ早いので、3時を到着目標と決めて先を行く。標高2350mあたりに広々とした平地があり幕営。他に2パーティーあり。
28日 晴→吹雪
歩き始めてしばらくすると太陽が顔を出す。ボーコン沢の頭を過ぎると、下山パーティーとすれ違うようになる。
北岳山荘へのトラバースルートは避け、その先の分岐で荷物をデポして北岳往復。北岳山荘へのルートはスリップ注意。
北岳山荘冬季小屋到着は2時。3時頃からヤマテンの予報通り吹雪になった。小屋内でテントを張るといくぶん暖かい。この日の利用者はわれわれパーティーのみ。
29日 霧→晴→吹雪
前々日までの予報で29日は北岳山荘停滞の予定でしたが、前日に予報が昼から晴に変わったので、少しでも歩を進めようと出発。間ノ岳を越えて、農鳥小屋で幕営。
30日 小雪→吹雪
この日の天候が、今回の山行で最悪。晴れるという予報が全く晴れず。晴れれば下山も視野に入れてたのですが・・・。予報を信じて出発したけど農鳥岳まで。西農鳥岳の手前でインナーグローブを外したときに、インシュレーションがくっついてきてしまい、これが凍ってしまって再び装着できず。予備のウールの手袋を出すべきでしたが、なにしろ吹雪で先を急ぎたかったので、アウターとインナーのみで行動。これが原因で凍傷になってしまいました。
31日 晴
大門沢下降点から森林限界まで緊張しましたが、あとは問題なく下山。
【凍傷について】
※読んで楽しい記録ではありません。ショッキングな記述と感じる方もいらっしゃるかもしれないのでご注意ください。
12月30日
テン場に着いて手袋を外すと指が真っ白。メンバーに凍傷の経験がある人がいて、すぐにお湯を作り、コッヘルに溜めて手を突っ込みました。30分くらい、湯を足しながらそうしていました。
12月31日
水疱ができて、指が赤黒くなっていました。とにかく下山しなければ始まりません。下山して知り合いの医師に電話で聞くと、当番医を探してなるべく早く受診すべきとのアドバイス。この日、温泉には普通に入りました。
1月1日
当番医(外科)を受診。痛み止め(ロキソニン)、抗生物質、胃薬処方。
1月2日
病院に行くと、皮膚科か形成外科の受診を勧められ、紹介状を書いてもらい千葉大学医学部附属病院の形成外科を受診。プロスタンディン軟膏(指)、ゲンタマイシン硫酸塩軟膏(顔)処方。先生に「1本くらいは覚悟しておいたほうが・・・」といわれました。
血行を促進する軟膏らしく、指が結構痛いです。ロキソニンを飲んでも寝るときは痛い。水疱は潰れてなく、指先の色は相変わらず赤黒い。
1月4日
右手親指以外は軟膏を塗ったガーゼでぐるぐる巻き。キーボードはなんとか打てます。親指が残っているのでタブレットも使えます。
1月5日
横浜の杉田クリニックを受診。血行を促進させる点滴を受ける。すぐに入院したほうがいいといわれました。指というより手がぐるぐる巻き。ボク、ドラえもん状態です。
1月6日
東京警察病院に入院。えらくゆっくり落ちる点滴。手は依然としてドラえもんです。しかし、杉田先生は、ここ東京警察病院で絶対的な信頼があるのだな。だってここに来る前から手はドラえもん状態のままで、警察病院の先生は患部を見てないから。
1月7日
朝晩200mlの点滴投与。会社のメールに返信するなどして過ごす。
1月8日
木曜午前中、杉田先生は東京警察病院で診察を受け持っており、病室で受診。切除することになったとしても、切除箇所は短いほうがいいですからねなどといわれる。まぁ、そりゃそうだ。
1月9日
治療は相変わらず朝晩のソルデム6輸液の点滴のみ。これが1回2時間かかる。点滴の管は左腕に挿されたままで、これは通院では厳しいかな。
1月10日
ソルデム輸液の点滴のとき、ナースに必ず「痛みはないですか」と聞かれる。血行をよくする薬で人によっては痛みが出るらしい。一昨日まではまったく痛くなかったけれど、昨日あたりから点滴のときに指先が痛くなってきた。
入院して初めて入浴。そのときに包帯を外したら、両手の中指と薬指がもう絶望的に真っ黒・・・こりゃダメかもなぁ。。。
1月11日
点滴1日400mlで水分が足りてるのか、全然喉が渇かない。水は一滴も飲んでおらず、毎食出てくるお茶と1日2回院内のローソンで買ってくるコーヒーのみ。動いてないし、こんなものか。
1月12日
夜、杉田先生の診察あり。やっぱり何本かはダメらしい・・・
1月13日
点滴の針の差し替え。結構痛い。
1月14日
13日からロキソニンは痛いときだけ渡すといわれて、毎食後にはくれなくなりました。段階的に減らすんじゃなくて一気になくなるんだぁ。まぁ、指先はそれほどでもないんだけど、点滴のとき血管痛がするので、針のところを冷やしてもらっています。
1月15日
午前中に診察。いろいろ質問してみました。
手術後・・・
どのくらいでヤマにいってよい?
⇒今シーズン雪山はダメ。雪がなければ1ヶ月くらいしたら。ただし、事故厳禁
スキーは?
⇒ストックが握れるなら・・・山スキーだと思ってないだろうな・・・
クライミングは?
⇒チョークのような化学物は3ヶ月はダメ
1月16日
先生に「ピアノはどうでしょう?」と訊くと、指が短くなっても弾いてる人いますよとのこと。まぁ、趣味のレベルなので、ダメでなければよしとしましょう。
1月17日
明日退院予定です。やった!
生命保険会社と、労山新特別基金に出す書類の作成料が1通5,000円。結構するのね。
「食事は食べられましたか?」とナースに訊かれるけど、体調が悪いわけではないので毎回完食。自分は小食だからいいけど、フツーの男には量が足りないのではないかなぁ。味は可もなく不可もなく。ただ全般的に味が薄くてふりかけが欠かせません。そのことをナースにいったら「病院ですからね」。まぁ、そりゃそうだ。
1月18日
退院。包帯を取って、100円ショップで買った手袋をします。手の保護のためですけど、この黒い指を見たら、大抵の人は引くだろうから。
1月19日
入院中の健康的食生活のおかげで、体重が危険水域まで落ち込みました。体重が少ないと疲れやすくなります。不摂生して、体重を少し増やさねば!
1月20日
昨日から出社。手袋した手でキーボードを打つと、打ち間違いが多いけど、ドラえもん状態で右親指1本打ちよりはるかにマシ。
1月21日
月曜日から杉田クリニックに通っていますが、昨日訊いたところだと、両手の中指と薬指に加え、どうやら左の人差し指もダメらしい。
1月22日
で、通院してどんな治療をうけているかというと、カサブタのように浮き上がってきた固い皮膚の除去。ハサミでざくざくと切られるのは死んだ皮膚だから、痛くないはずなのに結構痛い。
1月23日
仕事が忙しくて通院を2日間さぼってしまった。クリニックはJRの駅からは遠くて、雨だったので億劫だったということもあるけど、週末なので今日は行かねば。
1月24日
そもそも体型があまり冬山にむいてない、というような事情はあったと思うけれど、今回のメンバーで凍傷になったのは自分のみ。もちろん直接的にはグローブを外したときにインシュレーションがかちかちに凍ってしまい再び装着することができなかったというのが原因なんだけれど、どしたら避けることができたかについて考えてみたい。少なくとも3回、その機会があったように感じています。
入山した27日は快晴。このときのヤマテン予報は、28日午前中晴れ、夕方以降雪。29日午前中中心に雪。27日の行動は、標高2350m付近幕営。28日の予定は北岳山荘冬季小屋泊。この予報により、29日は北岳山荘停滞の予定でした。
28日のテン場を出たときも快晴。途中、張りっぱなしになっているテントも多く、北岳ピストンで戻ってくるパーティーが多かったのでしょう。なかには白峰三山縦走の計画を立てていたパーティーもあったかもしれませんが、ヤマテンでない普通の予報も29日は雪。それで縦走をやめたのかも。
28日、北岳に向かって歩いていると、続々とパーティーが戻ってきます。その数、少なくとも5組以上。このとき、実はちらっと「北岳単純往復にならないかな」とは思いました。でも、自分も冬季に南アルプスを縦走したことはありません。年末休暇の長い2014年はチャンス。
もうひとつの理由は、こちらは実にくだらないのだけど、臆病者になるのはイヤだな、と。古い映画だけど「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で、マイケル・J・フォックス演じるマーティー・マクフライは「Chicken!(臆病者!)」と呼ばれることをなによりも嫌います。それと似ているかもしれない。臆病者だろうがなんだろうが、指を失うよりはまし。そう思います。まぁ、山行は一種の冒険なのだから、多少の危険は想定の範囲内と思ったのも事実ですが。
北岳山荘に着いてしばらくすると、ヤマテンの予報通り雪に。しかも風雪になってきました。山荘にいたのはわれわれパーティーのみ。他はみな北岳ピストンにしたのでしょう。
このときのヤマテン予報は、29日雪だが昼前に天気回復。30日は晴れるが午後強風。
29日は予報通り雪で午前中停滞。このとき、ちらっと「池山尾根を戻れないかな」とは思いました。でも、ここには書きませんでしたが、前日に北岳から北岳山荘に向かうときに10mくらい滑落しています。そこを通らなければならないので躊躇はしました。北岳山荘からは登りになるので、往きよりは帰りのほうが楽だったかも。後から考えてみれば、そう思います。
29日昼ごろ、ヤマテンの予報を信じて雪のなかを出発。ここを出発したら、もう戻ることはできません。間ノ岳あたりから予報通り晴れてきました。ところが、ここから農鳥小屋までのルートがわかりにくく、GPSを何度も確認しながら進み、小屋に着いたのは日も暮れた5時過ぎ。すぐに幕営。
29日のヤマテン予報は、30日晴れ、午後から強風。31日晴れ、午後から急速に悪化。
30日は、ヤマテン予報に反して朝から雪。ヤマテン予報と実際の天候が違ったのは、実はこの日だけ。テントを畳んでも出発できず、ツエルトを被ってしばらく停滞。もう一度テントを張ったほうがいいんじゃないのかという声もありましたが、9時頃出発することに。正直、「この天気で出発?」とは思いました。西農鳥岳の手前で何か理由があってグローブを外し、それが命取りに。
西農鳥岳から農鳥岳までは風雪に晒され、おそらくは低体温症気味だったのかもしれません。このときに考えていたのは、数年前ゴールデンウイークの、白馬岳での低体温症による大量遭難。それと5年前7月トムラウシ山の、やはり大量遭難。
そのとき、白馬岳のパーティーは十分な装備を持っていたそうです。トムラウシ山のほうは、ガイドが数人ついていました。それでなぜ遭難したのか。おそらく、感覚が鈍っていたのだと思います。
自分もこのとき、ひどい吹雪だなとは思いましたが寒いとも、指先が痛いとも感じなかった。低体温症は、そういう危機を感知する感覚を鈍らせるのかもしれません。
日本の山とはいえ、条件が悪ければ凍傷になるという知識も、持っていること持っていました。だから当然、インシュレーションなしで歩いてはダメで、ザックを下ろして予備のウールのグローブを装着すべきでした。低体温症は、そういう判断力も奪っていくのでしょう。
農鳥岳でテントを張り、凍傷になったことに気づきました。このとき救助を要請すべきだったか。翌日も自分で歩けたわけだから、それは選択肢になかった。あの天候ではどのみちヘリは下りられなかったでしょう。それに、凍傷にはもうなってしまっているわけだから、仮に救助されたとしても、結果は大差なかったのではないか。そのように感じています。
1月26日
杉田クリニックに行ったら、右手の小指は残りそうとのこと。ひさしぶりのよいニュース。右手の親指、人差指、小指が残ればラケットが握れるのでテニスができるな。やらないけど。
[ここから先さらにショッキングな記述になるかもしれませんが、凍傷になる人が減ることを期待し、また万が一凍傷になってしまった場合の参考になるかと思い記載します]
1月31日
受傷して1ヶ月経過しました。現在の指の状況を記します。
中指:
両手とも中指がいちばんひどい。第一関節手前から黒化。栄養がいかないので細ってしまって、いまや小指よりも細い。かちかち。
薬指:
つぎにひどいのが薬指。両手とも第一関節から黒化。中指ほど細くないけど、やっぱりかちかち。
小指:
右手は今週大丈夫かもといわれた指。でも先端8mmくらいはまだ黒い。爪が伸びてきました。
左手は最長1.5cmくらい黒化。黒くなった皮膚(厚さ1mmくらい)をはがすと肌色の皮膚がでてくるが・・・爪も伸びてきている。
人差指:
右手は黒化した指でいちばん回復が早い。爪の中と先端1mmだけまだ黒い。指の腹はまだ柔らかく敏感。指紋もうっすらとしか見えない。
左手は第一関節の先から黒い。痩せてはいないけれど、爪は伸びてこない。左手は、人差指と中指の無事な部分がパンパンに腫れています。
親指:
右手親指だけは最初から無傷
左手は、親指の腹が真っ黒。爪の下はそれほど黒くなく、爪は少しだけ伸びている。
2月7日
杉田先生に、どんな手術かを訊きました。まず勘違いしていたのは、黒くなったところからばっさり切り落とすのだと思っていたこと。そうではなくて、どちらかというと切るよりは「剥く」というイメージで、取り除くのは壊死した部分だけ。壊死が骨まで達していたら骨を削ることになるけど、それもなるべく長く残したいということです。
2月8日
勘違いしていたことがもうひとつ。指の動きが悪く、右手はまあ握れるけど左手が握れないのは指が腫れているからかと思っていたけど必ずしもそれだけが理由なのではなく、動かしていないから動きが悪くなるのだとか。このまま動かさないでいると固まってしまって本当に動かなくなると嚇かされ、暇さえあればにぎにぎするよう努めています。
ところで、手術は受傷から6週間後以降にならないとできないそうです。壊死している部分と生きている部分がはっきりわかれるのがそのくらいからだとか。もっとも、あまり遅くなるのも、今度は健康な部分に炎症がでてくるのでよくない。実際、いまちょっと炎症気味で、指がちょっと赤くなっています。
2月9日
手術についての補足。これはずいぶん前からいわれていたのですが、残っている皮膚で傷を覆い被せて縫うというような処理はせず、先生の表現を借りれば「いいかげんな」状態にしておく、縫合もあまり行わないのだそうです。そうすることによって、1mmでも長く残せる。それであまりにもバランスとか見た目が悪ければ、後から切ることはいつでもできるから、なのだそうです。
2月10日
いまの生活状況を書いてみます。通勤を再開して3週間、1日も休んでいません。事務職、内勤なのでよかった。たまに来客があるけど、手袋をしていても「手を怪我してて・・・」というと別に突っ込まれません。
家では箸を使うけど、中指が使えないので動きはいまいち。昼食は、家からお弁当を持って行って、フォークで食べています。会社の人に「大丈夫ですか?」と聞かれます。決して大丈夫って状況じゃないけど、心配させてもと思い「大丈夫だよ」と。
ビールを飲んだりすると、指先がじんじんします。手術後はしばらくダメと先生にいわれました。
2月11日
左手の手術をしました。結果は、中指と薬指は第一関節で切断。親指と人差指は指先の骨を少し切除。小指は壊死部分のみの切除で骨までは達していない。
手術の時間は2時間弱くらい。指の根元にする麻酔がいちばん痛いという話も聞きましたが、ある程度覚悟していたのでそれほどでもありませんでした。
手術中は、もちろんまったく痛くはありません。手術は、なにやらニッパーのようなものやヤスリのようなものを使っていたようで、まるで大工道具のよう。
麻酔が切れると、さすがにじんじんと痛みます。痛み止めを飲んで、どのくらい効いてくれるか期待。
⇒
痛み止めがいまいち効かない、あるいは効いてもこんなもの?山野井泰史さんのブログに書いてあった「頭を動かしても痛い」というほどではないけれども、熱まで出てきました(37.3度)。
2月12日
想像していたよりも痛かったので、前日のうちに会社に休むことにていました。痛くて眠れないかと思っていたら、夜半くらいに痛みが引き、わりとふつうに寝られました。
2月13日
書き忘れましたが、11日から左手はドラえもん状態です。パソコンのキーボードは、右手人差指のみの一本指打法。スペースキーや変換キー等のみ右手親指を使えますが。
なにしろ左手が使えないので、いろいろ工夫が必要です。shiftキーを押しながら「移動」させたいときは、shiftキーをマーカーで押し、それを左手で抑えたまま右手でマウスを使うといった感じです。あと、人差指一本で打っているので、指先が痛くなってきます。
2月14日
右手の手術をしました。右手は親指と人差指が生きているので中指と薬指のみ第一関節で切断。小指は壊死部分をちょっと剥ぐだけ・・・かと思ったら、爪が浮いていて剥がれ(し)たそうです。それにしても、バレンタインデーに手術とは・・・トホホ。でもそれは、手術をしてくれた先生もナースも同じこと。こんな日に手術していただき、感謝しています。
⇒熱は出ませんでしたが、やはり手術当日はちょっと痛い。着替えが一人では困難で、生活のクオリティがかなり低い状態。
2月15日
ここ数日、杉田先生に、山で凍傷になってしまったときにどうすべきかを訊いています。
1.もっと長時間ぬるま湯で温めるべきだったか
・・・懐疑的
マイナス20度で凍傷になったとして、40度のぬるま湯に浸けるとその温度差は60度。組織が壊れてしまわないかどうかということで、ぬるま湯には懐疑的だそうです。浸けるなら、水くらい低い温度のほうがいいんじゃないかといわれてました。
同じ理由で、凍傷になったら、下山後に温泉に入るのも避けるべきじゃないかとのこと。
2.救助を呼ぶべきだったか
・・・微妙
救助を呼んだからにはそこを動くことはできない。タクシーみたいに途中で拾ってもらうわけには・・・(歩けるなら歩いて下山すべき)。それですぐに救助がきてくれればいいけど、場合によっては翌日以降になってしまうかもしれない。だったら今回のように自分の力で下りたほうが早いかも。
3.下山したら直ちに救急車を呼ぶべきだったか
・・・微妙
平日ならともかく、今回のように年末だと、当番医が適切な凍傷治療ができるかどうかはわからない。
2月18日
左手の手術から1周間経ちました。多少は軽減されてきてはいますが、やはり1週間では痛みは治まらないですね。もちろんず〜っと痛いわけではなく、服に袖を通すときとか、ちょっとマウスに当たってしまったときとか・・・。手がモノや人に当たらないように最大限注意を払っているので、外出先で悲鳴を上げるようなことにはなっていません。雨の日には傘も差せます。右手の親指と人差指しか使えないので、マウスの左クリックは親指で、右クリックは人差指で。人差指の使いすぎで痛くなってきたので、キーボードは親指(しかも爪)を使うようにしています。ドラえもん状態なので、食べるときはフォーク使用に戻りました。
2月19日
キーボードを打つとき、2つのキーを同時に押すCtrl+Vなんかはまだしも、Ctrl+Alt+Deleteみたいに3つとなるとキビしい。そうボヤいたら部下がダンボールを加工してCtrl+Altを押せるデバイスを作ってくれました。なぜかひつじの絵が描いてあります。Ctrl+Altひつじ・・・優しい部下に感謝です。
2月20日
手術以来、休診日を除き毎日通院しています。傷口を生理食塩水で洗浄(若干痛い)しながら先生が視診。指をセロファンのようなもので巻きながら保護して、傷口に軟膏のようなものを乗せ、その上をガーゼで覆い、更に包帯。このセロファンを剥がすときが痛いのだけど、それでも手術直後よりは若干ましになりました。
2月21日
杉田先生は、午前中の診察が終わったら東京警察病院へ行って、凍傷の手術だそうです。先月入院してたとき、両足に包帯を巻いて車椅子に載った人がいたんだよなぁ。やっぱりヤマ屋だったか。どうも同じニオいがしてた。両足凍傷だと松葉杖をついて歩くこともできず、入院が長引くそうです。
通院の電車の中で、席を譲られてしまいました。手だから大丈夫ですといったのですが・・・ありがたく座らせていただきました、
2月23日
左手の手術から13日、右手は10日。今日から生理食塩水ではなく流水(お湯)で手を洗うことに。洗うのは先生ですけど・・・痛いという人が多いと威かされてましたが、実際はそれほど痛くありません。生理食塩水を勢いよくかけられるほうが痛いかも。手を洗うのは2週間ぶり。結構気持ちがよいです。
2月24日
右手の小指から包帯が外されました。皮膚は8mm四方くらいなく、爪もありませんが右手は3本の指が出てきました。とはいえ、まだまだCtrl+Altひつじは手放せませんが。
2月25日
小指の、皮膚がないところを覆っているのは上皮化という組織だそうです。これは皮膚ではなく、また皮膚にもなりません。そのうち(1ヶ月位したら)鍛えられてくるということなのだけれど、いまは敏感で、なにやら違和感があります。
2月26日
他の指の上皮化はというと、目安としては1ヶ月後。それから違和感が消えるまでが更に1ヶ月後と考えると4月下旬か・・・GWは微妙なところ。1月15日に、手術後1ヶ月で山歩きを再会できそうと書いたけど、とてもじゃないけどそれは無理。なにか聞き違えをしたのかも。
2月28日
事故から2ヶ月。指の包帯は「ドラえもん」から1本ずつになりました。だから「指が短くなってしまったなぁ」というのが見えるのだけれど慣れるしかないですね。一昨日から昼は痛み止めを飲むのをやめました。で、今日は朝もやめてみたのだけど、さすがに夕方になるとちょっと痛い。休日だからまだよいようなものだけど、平日は飲んだほうがよさそう。
今週から湯船に浸かってみてます。血行がよくなって痛くなる前に上がっていますが。
3月2日
最近、文章に誤字が多いのは、ブラインドタッチができず一本指打法で、画面ではなくキーボードのほうを見て入力しているから。先生によると、多少痛くても指を使ったほうがよいとのことなので、ブラインドタッチを試してみています。指が短くなったし、包帯を巻いているから打ちにくいけど、なんとかできなくもありません。凍傷で指を切断しても職場復帰したプログラマーの人もいるそうなので、希望が持てます。ただ、夕方になると指が痛くなってくるので一本指打法に戻ってしまいます。いまは一本指のほうが早く打てるし。
3月3日
指を失うような凍傷になってしまうリスクを数字で表すとどのくらいなのだろう。ピッケルと12本爪アイゼンを持って、テント泊で雪山に入る人が年間1万人いるとして、そのうちの一人くらい?でも、先生は毎年数人は患者を診てるっていうし、凍傷をみる医師も杉田先生だけではないだろうから年間5人くらいか。でもそれだと2,000人に一人となって、これでは多すぎる気がする。だとすると母数が少なすぎるのか。冬山登山者が年間5万人として、重症の凍傷患者が5人とすると、1万人に一人。感覚的にはそのくらいか。診療中、先生とこんな雑談をしています。
3月5日
2002年、ヒマラヤ ギャチュン・カン登頂後に山野井泰史さんは凍傷になりましたが、その手術をしたのは杉田先生が師事した凍傷のエキスパート・金田医師。山と渓谷から出ている「感謝されない医者」の著者です。杉田先生は、山野井さんの手術にも立ち合ったとか。その後、山野井さんが奥多摩で熊に襲われたことも知っていました。
3月6日
そうそう、指が1本1本動くようになってキーボードもゆっくりなら打てるので、Ctrl+Altひつじは使わなくてもすむようになってデスクに飾っています。パソコンを使っていて不便なのが「右クリック」。人差指の長さは変わらないのに中指が短くなった(だいたい小指くらいの長さ)から仕方がないですね。そのうち慣れるでしょう。
3月7日
横浜まで来られない人のために、どこか他に凍傷患者を紹介できる病院はないか訊いたのですが「ありません」とのこと。紹介には責任が伴うから、ある意味しかたないかな。杉田クリニックには、大阪から週イチで通院してた患者さんがいたそうです。金田先生は引退されてはいないと思うけど、どこにおられるかはわからないとか。そんなものなんですね。
手術後、3週間ぶりにビールを飲んでみました。美味い!傷も特に痛くなりません。ひとつずつ、できることが増えていくのはうれしいですね。
3月9日
「右クリック」は人差指を右に動かせばできますね。必要は発明の母。まぁ発明ってほどじゃないけど。
今週の通院は、どうやら土曜日を含めて4回で済みそうです。
3月11日
今日は東日本大震災から4年目ですが、手術から1ヶ月目でもあります。包帯は右手の小指以外取れませんが、だいぶ小さくなりました。一人ではまだ無理ですが、お風呂にも入っています。お酒も飲めるようになりました。一歩ずつ前進ですね。お酒を飲んでるとだんだん指先が痛くなってくるので、そういうときは痛み止めを飲んでますと先生にいったら、それは本末転倒なのでやめるべきといわれてしまいました。まぁ、そりゃそうだ。
3月12日
今日、左手親指と人差指の包帯が外れました。親指は右手より約1cm、人差指は第一関節から先がないから明らかに短いです。まぁ、慣れるしかないですね。
3月13日
会社に行ったけど、気付かれないのか気を遣われてるのか、誰も指のことを言いません。1月に異動した元部下と話したとき指の状況を聞かれたので、先端がなくなった指を見せたら一瞬ハッとした顔をしたけど、意外と回復が早いですねといわれたのみでした。あんまり関心をもたれないほうが、むしろありがたいかな。
3月14日
山野井泰史さんの「垂直の記憶」を読みました。ギャチュン・カンからの生還は、本当に壮絶で、奇跡的。あの状況では凍傷になるのも仕方ないかな。山野井泰史さんが入院してたのは向島の白鬚橋病院。杉田先生が金田医師と一緒に働いていた病院です。
3月15日
12日木曜日を最後に痛み止めは飲んでいません。飲まなければ飲まないでも平気。お酒(といってもビールをちょっと)を飲んでも痛くはありません。飲み薬からも開放されました。
3月16日
右手薬指の包帯が外れました。隣の小指よりも、ほんの少しだけ長いです。手術した8本のうち、残りは4本。中指がいちばん最後まで残りそう。
3月17日
部下(Ctrl+Altひつじの制作者)たちに気を遣わせているなら気の毒だなと思いカミングアウトしてみました。「こんな指になっちゃったんだよ」と見せたら全然気付きませんでしたといわれてしまった。気を遣われてるわけじゃなかったみたい。「ていうか、そんなに短くみえないですね」ですって。「ていうか」ってなんだよ!でも、まぁあんまり短く見えないのはいいことかな。
3月18日
手術から5週間。左手小指の包帯が外れました。切断はしていませんが、先端が少し削れた感じ。だから、右小指と比べるとちょっと細い。でも、左右で指が揃ってるのは小指だけです。
3月20日
右手中指の包帯が外れ、右手は包帯がなくなりました。早速お風呂に入ってみたけど、自分で頭を洗えるのはいいですね〜。2月10日以来。左手はまだ包帯を巻いた手があるので、体の右側は洗えませんが。
3月22日
昨日は高校の同窓会でした。「ぞの指どうしたの?」と訊いてきたのは一人だけ。気づいていても言わないだけかもしれないですけれど。今日はお彼岸なのでお墓参り。その前に、右手の包帯がとれたので、3ヶ月ぶりの靴磨き。これまで、休日というと通院以外は家でDVDを観るくらいしかしていませんでしたが、行動が広がってきました。
3月23日
右手が使えるようになったので、カミソリでヒゲを剃ってみました。これまでは、親が現役時代に使ってた電気シェーバー。これが全然剃れない。最近の数万円するようなシェーバーなら剃れるのだろうけど。あと、靴紐を結んでみました。これまで、通勤はローファーばかりだったけど、紐靴も選べそうです。でも、できないことももちろんあって、その筆頭がボタン掛け。だからシャツはいまだに一人では着られません。
3月24日
あと、できるようになった、というか使えるようになったのが男性用小便器。手に包帯を巻いているときは、飛沫がかかっても手を洗えないので小用でも個室で用をたしていました。そういえば、冬の間1回も手を洗わなかったけど、ノロにもインフルエンザにも罹らなかった。ウィルスがいなかっただけかもしれませんが。
3月27日
沢木耕太郎の「凍」を読みました。ギャチュン・カンのことを書いているのは山野井さんの「垂直の記憶」と一緒。いうまでもないけど、プロのノンフィクションライターが書いた「凍」のほうが読みやすいです。
だけど、手術前にこの本を読まなくてよかった。麻酔も手術後の処置もすっごく痛そう。個人差があるとは思うけど、ここに書いてあるほどには痛くなかった。
と、ここまで書いて、山野井さんはさん付けなのに沢木耕太郎はさんなし。プロだからいいのか。山野井さんも本を書いてるけどプロの著述家ではないから。村上春樹を、「村上春樹さん」とは、ふつういいませんよね。
3月28日
家族で日帰りバス旅行にいってきました。お手軽バス旅とはいえ「旅行」にいけるくらい回復したのだなと感慨。
3月29日
だいぶ指が使えるようになりましたが、指先にどんぐりの帽子が被さっているような違和感は消えてません。先のなくなった指をテーブルなどに置いて力をかけると、鈍い剣山の上で指を押さえつけているような感覚もあります。うまい表現が見つかりませんが。
3月31日
事故から3ヶ月。先週から包帯を自宅で変えられるようになりました。手順はこうです。
1.傷口にプロスタンディン軟膏(処方薬)を載せる
2.ガーゼを載せる
3.包帯をまく
4.エラストポア(粘着性テープ)を貼る
エラストポアはAmazonで買いました。なんでも売ってるAmazon。通院は週2回でよくなりました。
4月2日
左手中指の包帯が外れ、あとは左手薬指のみ。風呂場でその中指で頬をさわってみると、びっくりするくらい冷たい。まだ凍傷の影響が残っているのでしょう。ところで、右手中指がいちばん短くなってしまったなぁと思っていたけど、よく見ると左手中指より2ミリ短いだけ。2ミリの違いですごく短く見える。杉田先生が、1ミリでも長く残したいといっていたけど、このことだったかと納得。
4月3日
タンスの抽斗が開けられるようになりました。抽斗は意外と重いうえに摩擦があるので、健常な右手を使ってゴトゴトと、左右少しずつ引っ張っていたのだけど、左手も使ってうまく開けることができました。これまで、右手でひっぱりやすいように自分の引き出しはちょっとだけ開けていたのだけど、その必要がなくなりました。
4月6日
ピアノを触ってみました。怪我前だって上手く弾けたわけではなく、文字通り触る程度。短くなった指で果たして弾けるのか・・・。鍵盤に指を這わせることはできなくはありません。黒鍵と黒鍵の間にうまく指が入らないので白鍵のほうが難しい。それに、電子ピアノとはいえ鍵盤はある程度重さがあるのですぐに指が痛くなります。本物のピアノは鍵盤がもっと重いから、もう少し回復しないとキビしそう。
4月8日
薬指の包帯が取れないので風呂に一人で入れないと先生に言ったら「包帯外して入ったら?」とのこと。というわけで、2ヶ月ぶりに一人で風呂に入れるようになりました。いうまでもなく快適。
4月10日
とうとうすべての包帯が取れました。通院も週1回でいいそうです。ただ、最後に包帯がとれた左手薬指は、なんと骨が見えてるんだよなぁ。
杉田先生の手術コンセプトは、「切るのは後からいくらでもできるので、残せる部分は極力残す」です。残った骨を肉芽がすっぽり覆ってくれればいいのだけど、肉と骨の間が近すぎて、この先骨を削る手術をしなければならない場合も。この左手薬指はもっともその可能性が高い。また、あの不便な生活に戻るのはイヤだなぁ。
4月12日
ダブルブーツを片づけ、冬物の登山用ウェアをタンスにしまいました。衣類を畳むというのは意外と複雑な手の動きになります。再び着たり履いたりすることがあるのかと思いながら片づけるのは辛いものがあります。けれど本当に使わないつもりなら人にあげてしまうと思う。それどころか、先日アウトレットで冬用のグローブを買ってしまいました。いつかまた冬山に登れる日が来るのを期待しつつ。
4月16日
事故以来初めてクルマを運転してみました。20分くらいですが。あと、日常生活復帰アクションとしては、洗濯物干し、風呂掃除、料理・・・。料理といってもカットされてる肉や長ネギを使った豚キムチチャーハン。包丁を使わないで作れるのでらくらくです。指に包帯が巻かれてないと、本当にいろいろなことができるようになります。
4月19日
自転車を運転しました。ママチャリですが。自転車のブレーキをかけるときは指先を使うんだということを改めて認識。なんとか運転できますが、クルマの運転よりも気を遣う。あまりしないほうがよいかも。
4月21日
コーヒーカップを洗ってみました。力の入れ具合がいまひとつわからずカップを取り落としたりして、案外手間がかかります。料理をすることよりも、食器洗いのほうがハードルが高いかもしれません。
4月23日
通院は2週間に一度でよくなりました。GWなので、次回は5月11日の週でよいとか。だいぶ負担が減ります。
4月27日
朝、目が覚めたら横を向いて寝ていました。
なんでそんなことをレポートするかというと・・・手術後は手を少し上げて寝ないと痛いので、クッションに腕を載せて寝ていました。寝返りは打てず、ずっと仰向け。そのうち、クッションは取れましたが、寝るのはいつも仰向けでした。それが、自然に寝返りが打てるようになったみたいで、朝目が覚めたら横向きにねていたというわけです。仰向けでしか寝られないときは眠りが浅く、夜中に何度も目が覚めましたが、寝返りが打てると眠りが深くなるらしい。ぐっすりと寝られた気がします。
4月29日
事故以来、初めてハイキングに行きました。奥多摩の御前山。山野井泰史さんの復帰山行と同じ場所ですがたまたまです。近々ヤマレコにアップします。
アップしました。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-624792.html
5月1日
指を失って不便になったことはたくさんあるけど、その中でも些細な事を2つほど・・・。
ヾ蕕鮴うとき、水を掬いにくい
▲灰鵐織トレンズをつけるとき、小指であかんべえする
いずれも、中指がないのがその理由です。
5月2日
天気に誘われてロードバイクで20キロくらいのサイクリング。運転できなくはないけど、ハンドルの振動が指先に伝わると痛い。快適ではありません。
5月6日
GWは例年北アルプスに行ってましたが、今年はもちろん行けず。でも宿に泊まってハイキング×2を楽しんできました。
子檀嶺岳
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-630809.html
独鈷山
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-630972.html
独鈷山の山頂からは、雪をかぶった北アルプスを挑めました。ケガがなければいまごろはあの峰に・・・と思わないでもなかったけれど、新緑の里山ハイクも楽しいです。いや、負け惜しみでなく。ケガがなければこの時期にハイキングをすることはありませんから、これはこれで貴重な体験かも。
5月19日
週末、那須で念願のテント泊山行に復帰しました。食材を切るのは同行者にお願いしましたが、食担もしました。荷物を背負って歩くのは問題なくできます。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-641719.html
8月24日
久しぶりの書き込み。左でで右そでのボタンを外し、留めることができました。時間はかかるけど。これができるようになったのは大きな進歩。
9月18日
クライミング再開。錦糸町T WALLトップロープで5.9がせいぜいだったけど、ついにここまで来られた。これからは極力行くつもり。
冬の北岳!あこがれです。
年末はトレースがあって歩きやすかったです
晴れれば天国、吹雪けば地獄・・・
どうぞお気をつけて!
記録を読まさせていただいて、色々と考えています。
仲間との学習に使わせていただこうと思います。
何よりも早い回復、復帰お祈りしています。
低体温症も凍傷も、雪山では隣り合わせにいるということがよくわかりました。お気をつけて山行を続けてください。
2月末に八ヶ岳で凍傷を負って約3週間が経ちました。左右の中指と薬指が特に酷く、第一関節から先ですでに壊死が始まっており、損傷は避けられない状況です。
こちらの記述が大変参考になりました。感謝します。
また経過は報告させてもらいます。
https://www.sugita-clinic.or.jp/
返信ありがとうございます。
今の病院で来週早々に最終判断がされる予定なので、私の住まいは名古屋ですが、一度連絡させて頂きます。
ありがとうございます。
この本は治療がすべて終わったら読もうと思っています。
本当に親身になって話しをしていただき只々感謝です。
今後のことは少し考えてから決めたいと思います。
ご報告まで。
まだまだ先は長いですがこれでやっと気持ちを前に向けられます。
ところで立ち入ったことを聞いてしまいますがご家族の反応はどうでしたか。いつ頃のタイミングでどうやって見せましたか。
差し支えない範囲で教えてください。
私は妻に、(短くなった指を)見る自信がない。と言われていて、私自身も気が重くなっています。
恐れ入ります。
結局、4本とも小指と同じくらいの長さになってしまいました。
このあともリハビリとかまだまだ痛いことが残ってますよと先生に脅されていて戦々恐々です。
ご報告まで。
ご存知の通り切除した指は4本とも第2関節が曲がらなくなってしまいました。普段のリハビリはどんなことをされましたか。やはりひたすら動かし続ける感じですかね。
そうですか、半年ですか。
まだまだ先は長いですね。
いつもいつもありがとうございます。
あっそうですか。
かなり気が楽になりました。
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