残雪期の南アルプス・仙塩尾根縦走(塩見岳登頂断念)
- GPS
- 200:48
- 距離
- 80.2km
- 登り
- 5,170m
- 下り
- 5,794m
コースタイム
- 山行
- 9:24
- 休憩
- 1:24
- 合計
- 10:48
- 山行
- 7:46
- 休憩
- 1:54
- 合計
- 9:40
- 山行
- 5:58
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:58
過去天気図(気象庁) | 2015年05月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス 自家用車
|
予約できる山小屋 |
北沢峠 こもれび山荘
|
写真
感想
(長文、ご注意下さい)
南アルプスは、かなり前から憧れの山域だった。道路地図を見てみると、北の広河原と南の畑薙第1ダムの間に、一般車では行けない広大な山域が広がっている。いったいどんな景色の場所なんだろうと興味が湧き、広河原にはバイクで、畑薙第1ダムには車で行って安倍峠を越えてみたりしたが、単に車が何台も停まっているだけで、その実体を垣間見ることはできなかった。そのため、いつか行ってみたい憧れの存在になっていった。
今年の5月の連休は、2日休めば9連休になることに気がついたとき、真っ先に浮かんだのは南アルプスだった。今となっては雪を甘く見ていたとしか言いようがないのだが、残雪期とはいっても夏期のコースタイムの1.5倍位の時間で歩けるのではないかと考え、赤石山脈を仙丈ヶ岳から池口岳までをコースタイム8時間毎に区切り、その1.5倍の朝6時から夕方6時までの12時間で毎日踏破する、というちょっと無理のある計画を立ててみた。
一方、今回の山行で思い出したのだが、自分は高度障害が出やすい体質らしい。過去2度の富士山登山(1回目は25歳位のときに富士宮口五合目から登り、2回目は30歳位のときに富士スバルライン五合目から登った)では、何れも8合5勺でダウンし、1回目は道端で寝て、2回目は山小屋で寝た。30歳位のときに日帰りで甲武信岳に登ったときも、およそ一ヶ月、軽い頭痛が続いて病院で検査してもらったりした。古い話なので忘れてしまっていたのだが、今回の仙塩尾根は一旦登ってしまうと最低標高が約2300mと高く、ザックを下ろして落とした服を探しにいったときでさえ、登りになると呼吸が苦しく足が重くなってしまったので、高度障害と考えざるを得ない。結局、休み休みで登る超スローペースの山行となってしまった。
(前夜:5/1)
夜行バスで戸台口へ行くので、南アルプス行きの荷物を会社へ背負っていった。自宅で量った荷物の重量は水無しで28.6kg。職場で2.9L給水したので合計31.5kg。ザックが長期山行用に買っておいた初めて背負うザックだったこともあるが、とにかく重くて辛い。地下鉄での竹橋への移動で、重さに慣れようと立っていたが、僅か十数分でお尻の筋肉に張りを感じた。
竹橋で戸台口行きのバスに乗車したが、北アルプス方面への受付窓口は長蛇の列なのに、戸台口行きの受付窓口は並んでいる人がおらず、乗車したバスの乗客も僅か7人だった。夜行バスに乗るときは、保温用の服と飲料を車内に持ち込んでおいた方が良いようだ。服をトランクから出してもらおうとしてちょっと文句を言われた。
(5/2)
この日は快晴。戸台口到着は5:00頃。ここで歌宿行きのバスを待った。バスを待っている間に登山届を提出し、登山届の受け付けをしている人に、仙丈ヶ岳への登りで使う積もりだった丹渓新道の状況を聞いたら、冬は雪崩の危険があるので使わないとのことだった。それを聞いて早速計画を変更し、北沢峠からの一般ルートで仙丈ヶ岳へ登ることにした。 戸台口には多くの車が駐車していて、歌宿行きのバスは満員だった。バスに乗りながら、一般車では通れない初めての南アルプス林道を興味を持って眺めた。 歌宿でバスを下車し、北沢峠へ向けて歩き始めたが、意外に登り勾配がきつく、バスに同乗した他の登山者に次々と追い越された。
北沢峠で大休止をした後、仙丈ヶ岳への登山道に取り付く。次第に急登となり、またもや何人もの登山者に追い越された。自分が背負っている大荷物を見て、計10人位にどこまで?と聞かれた。最初の人には「行けるところまで」と答えたが、2人目の人に「仙塩尾根へ行くの?」と聞かれ、そう言えば仙丈ヶ岳と塩見岳の間の尾根は仙塩尾根と呼ばれていることを思い出し、以後は聞かれると「仙塩尾根へ」と答えた。前出の2人目の人には、「トレースないぞ」と笑いながら脅された後、「根性ある」と誉められ、別の人は「大丈夫?」と心配されたが、このときは「根性ある」の意味も「大丈夫?」の意味もまだ分かっていなかった。
この日はつぼ足+ストックで通したが、登るにつれて雪が増えていき、雪の急斜面も現れた。仙丈ヶ岳への登山道は、全体として夏道が7〜8割、トレース有りの雪道が2〜3割だった。仙丈ヶ岳は初心者向きと認識していたが、意外に体力的に厳しかった。
小仙丈ヶ岳の山頂に着いたところで、仙丈ヶ岳の山頂がようやく見えた。小仙丈ヶ岳で改めて見渡すと、仙丈ヶ岳、塩見岳、間ノ岳、北岳、そして富士山と、3000m峰が5つも見え、更に鳳凰三山、早川尾根、甲斐駒ヶ岳、鋸岳は間近に見える絶景だ。しばし時を忘れて眺望を楽しんだ。特に甲斐駒ヶ岳は男らしい堂々とした山容で気に入った。
そのうち日が傾いてきたので、心に焦りが出始めた。小仙丈ヶ岳から見える仙丈ヶ岳はまだまだ遠く、今日中の登頂は諦めるしかない。小仙丈ヶ岳の山頂から見えた平らそうな雪上まで進み、そこでキャンプ(正確にはビバーク、以下同様)をした。テントを設営した後は、小仙丈ヶ岳と同様の絶景を暗くなるまで眺めていた。過去最高標高(2873m)でのキャンプで、森林限界より上でのキャンプも初めてだった。
この日は一日中快晴だったが、日が沈むと強い風が吹いてきた。風上側に張り綱を張った。気温は約1℃。
(5/3)
朝起きると無風・晴天だが頭痛がしている。高度障害の症状が出たようだ。もしかしたら治らないかと寝直してみたところ、多少は改善したが完全には治らなかった。諦めて朝食を摂り、パッキングして出発した。やはり体が重い。前日同様の素晴らしい眺望を楽しみながら、休み休み山頂を目指した。また、前日同様何人もの登山者に追い越された。
最後に雪の急斜面を登りきり、ようやく仙丈ヶ岳の山頂に着いた。富士山に次ぐ2峰目の3000m峰登頂だ。山頂で休んでいる間に雲が出始めて、近くの北岳までも見えたり隠れたりした。自分よりも少し後に仙丈ヶ岳を登頂した人と少し話しをした。その人は、せっかく登ったのに眺望が良くなくなってしまったことを残念がっていた。仙丈ヶ岳は大勢の登山者がいたので、このときは全く思いもしなかったが、山頂で言葉を交わした人を最後として、以後8日間、他の人を見掛けなかった。
さて、と腰を上げて仙塩尾根への縦走を始め、まずは近くに見えている大仙丈ヶ岳へ向かう。仙塩尾根は、全体として、稜線の西側斜面は雪が少なく標高の高いところではハイマツ帯、東側斜面は雪が多く、夏道が3〜4割、雪が6〜7割位だろうか。積雪箇所には、かなり以前のものと思われる、ワカンによる風化した踏み跡が1本あり、歩いていると、この踏み跡が現れたり見失ったりしたが、所によってはどこを歩けばよいかについてかなり参考になった。だが、何せ踏み跡は1本なので、雪は当然踏み固められてはおらず、雪を踏んだ足が反対側の足を出そうとしたときに更に沈み込んだり、雪の下が空洞となっている場所で雪を踏み抜いてバランスを崩したり、といった事が出てきた。また、密集したハイマツ帯の中の夏道は、目の前にあっても気が付きにくかった。
ただ、仙塩尾根のうち三峰岳より北の区間は、三峰岳より南の区間よりも目印のテープの数が明らかに多く、風化した踏み跡と目印のテープに助けられて、なるべく夏道に沿うように進めた。仙塩尾根のうち三峰岳より北の区間は長野県と山梨県の県境、三峰岳より南の区間は長野県と静岡県の県境なので、山梨県の人は長野県や静岡県の人よりも登山道の整備に熱心なのだろうか?そう云えば、山梨県の主な山の山頂には「山梨百名山」の道標も立っているし。
また、途中で人生初の滑落を起こしてしまった。状況は雪の斜面の下りで、つぼ足+ストックで歩いていたが、片足が滑ってバランスを崩し、7〜8m位雪の斜面を滑った後、2m位ハイマツ帯で揉まれてようやく停まった。幸い怪我はなかったが痛みはあり、しばらくじっとしていた。疲れて足の踏ん張りが利かなくなると滑落し易いこと、滑落してしまうとストックは役に立たないことなどを思い知った。
高度障害で出発が遅かったため、大仙丈ヶ岳からあまり進んでいない辺りで日没を迎えることになってしまった。また稜線の雪上でのキャンプとなったが、昨晩と違ってこの日は無風で静かなキャンプとなった。この日の午後はずっと曇りであまり眺望はなかったが、夜、トイレでテントの外に出てみたら、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、北岳、間ノ岳などが月明かりで見えた。
(5/4)
仙丈ヶ岳からの仙塩尾根は、幾つもの小ピークを越えながら、野呂川越まで徐々に標高を下げていく。山と高原地図には、この区間の登山道は稜線の東側の山腹を巻いている、と書いてあるのだが、目印のテープが案内している夏道はそれ程単純ではなく、稜線の東側を通っているときもあれば、西側を通っているときもあった。やがて樹林帯に入り、夏道が判り難くなった。目印のテープや踏み跡を確認できているときはそれに従うのだが、目印のテープや踏み跡が見当たらないときは、第2のルール、すなわち「ルートを大きく外さないようになるべく尾根筋に沿って進む」を発動せざるを得ない。これにより、夏道に沿って歩くよりも余計なアップダウンや踏み抜けが増え、ペースは落ちた。
樹林帯を歩いていて、踏み抜けをなるべく避けようと編み出したマイルールは以下の通り
1.雪上に上から下へ茶色の筋があるときは、水が流れた跡なので(多分)、少なくとも表面は締まっており、これに沿って歩くとよい。
→ 但し、水は雪の下が空洞でも関係無く流れるので、踏み抜けに遭わない保証はない。また、気温によっては雨が降る残雪期でないと、茶色の筋は無い可能性が高い。
2.木の間隔がなるべく広いところを歩く。二本の木の間を歩くときは、より太い方の木に近いところを歩く。
→ 但し、雪の下に隠れた切り株等の周りに空洞が出来ている可能性はあり。
3.雪から頭だけ出ている若木、倒木、雪の重みで曲がっていて先が雪の中に突っ込んでいる木の近くはなるべく避ける。
こんなところだが、それでも踏み抜けは避けられない。途中からは、先人の踏み跡に倣ってワカンを履いてみたが、沈み込みは少なくなるものの、一旦踏み抜いてしまうと抜けにくく、一長一短だった。また、「独標」の山頂付近は岩場になっていたが、そこはワカンでは歩き難かった。独標の山頂は雲で眺望無し。そして、独標からの岩がらみの急な下りはワカンでは下りられず、ワカンを脱いで下った。
岩がらみの急な下りの次は、雪の急斜面のトラバース。ストックをピッケルに代え、ピッケル+ワカンで通過した。自分は、ワカンでの下りやトラバースのテクニックがまだ不足しているようで、このときも慎重に行動していたものの、ちょっと足が滑ってヒヤっとした。
この日は、朝から雨粒が時折ポツリポツリと降ったり止んだりしていたが、昼過ぎにははっきりと雨が降り出し、夕方にかけて本降りになった。雨で体の末端が濡れてきていたので、この日は樹林帯の中の雪上に早めにテントを設営した。テント本体がなるべく濡れないように設営の順序を変えてみたが、結果はあまり芳しくなく、結局テント本体はそれなりに濡れてしまった。
(5/5)
朝起きると天気は快晴!!実は、雨の中の撤収では様々な物が濡れてしまうので憂鬱だったのだが、急に元気が出てきた。まず、前日に濡れてしまったものを近くの木の枝に掛けた後、朝食を摂り、出発直前まで濡れ物を干した。
キャンプ地を出発して樹林帯の坂を登っていくと、早速に雪の壁が現れた。アイゼン、ピッケルを準備して壁に取り付いた。樹林帯の中なので手掛かりは豊富だが、雪の踏み抜けも多い。段々と勾配もきつくなり、ピッケルはダガーポジション、アイゼンは左右共キックステップで、なるべく雪が締まっていそうなところを選んで登った。足を滑らせたりすることは、このときは無かったと思う。雪の壁を登り終えて壁の上で休憩し、その後先へ進んだら、程なくして横川岳の山頂に着いた。
横川岳の山頂は眺望無し。横川岳の山頂からは南に近い斜面なので、雪は少ないだろうとアイゼンを脱いだが、山頂から僅かに先の左手に、先程と同じような雪の壁(下り)があった。ここを下るのか、と山頂まで戻ってアイゼンを履き直したが、雪の壁を下ろうとして改めて見てみると、雪の壁とは別に夏道があり、雪の壁は下らずに済んだ。結局、野呂川越への下りの途中で、またアイゼンを脱ぐ羽目になった。しかし、この日は快晴がずっと続き、眺望の良い場所はなかったものの、終始気持ちよく歩けた。
野呂川越は仙丈ヶ岳から歩いてきて初めての分岐点なので、何となく賑やかな雰囲気を予想していたが、道標が2つあるだけの質素な分岐点だった。地図によれば、ここから標高差700mの三峰岳山頂までは所要時間3時間となっている。このときは昼前後だったので、地図通りなら今日中に三峰岳を越えられることになる。休憩を終えて三峰岳を目指して歩き始めた。歩き始めた当初は、夏道が約8割で順調に進む。しかし、標高が上がってくるにつれて雪の割合が増えてきて、夏道を見失ったり、夏道を進むために雪の急斜面をトラバースする場面が多くなった。
だいぶ日が傾き、また夏道を見失っている状況で、雪の壁(登り)が現れた。夏道を見失ってはいるものの、周囲の地形からして夏道もこの雪の壁を登っているだろうと思われたので、アイゼン、ピッケルを出して雪の壁に取り付いた。雪の壁は樹林帯の中で、雪が締まっていないため、アイゼン、ピッケルが利かず、また度々雪の踏み抜けに遭ってかなり苦労した。立木を手掛かりとして最大限利用し、何とか突破した。
雪の壁を登りきったところで日没となり、山と高原地図上に2699mと標高のみ記載されている無名峰の山頂付近でキャンプした。この日はかなり疲れており、テントに入った後は何もする気が起こらずに長い時間ボーっとしていた。
(5/6)
朝、テントを畳もうとしたら、ペグを埋めた雪が硬く凍っていてペグを掘り出せない。昨晩はかなり冷え込んだようだ。やむなくピッケルのアッズを使ってペグを掘り出した。
夏道を発見して夏道沿いに進んだり、夏道を見失って稜線上またはその近くを進むことを繰り返しながら、徐々に高度を上げていく。この日も晴れで、雪の稜線に出たところでふと振り返ると、南アルプスの北部の各山はもとより、中央アルプス、御嶽山、北アルプスの山々まではっきり見えた。初日に匹敵する素晴らしい眺望だ。しばらく鑑賞と撮影を繰り返したが、こういう場面はコンパクトデジカメでは物足りず、一眼デジカメが欲しくなる。この場所では、肉親からメールが入っているのに気が付いて返信もしたりして、予定外の時間が掛かった。
稜線上を先に進むと、また雪の壁が現れたが、この壁は手強かった。まず、これまでのように斜面に木が生えていないので、木を手掛かりに使えない。また、壁の下の斜面も木が生えておらず、もし滑落したら、どういうルートで下へ滑っていくかが手に取るように判る。数百mもの長さの滑落ルートを見て、ここを滑落したらまず無事では済まないことは一目で判った。この壁を登る決心がつくまで数分掛かり、ようやく壁に取り付いた。文字通りピッケルとアイゼンに命を預ける感じで、ピッケルはダガーポジション、アイゼンはキックステップで慎重に進んだ。呼吸が荒くなったら途中で止まって息を整えた。何とか滑落せずに壁を登りきり、ようやく緊張が解けた。
この雪の壁の後は夏道が続き、鎖場や幾つかの小ピークを順調に越えた。ここで問題発生。ザックに挟んでいた雨具兼用のハードシェルが無くなっている。どこかで落としたらしい。雨が降ったら困ることは目に見えている。ザックを下ろして身軽になり、服を探しに戻った。もし雪の壁までに見つからなかったら諦める積もりだったが、幸運なことに雪の壁よりも手前で道端に落ちていた服を発見した。良かった。これでまた時間をロスしてしまい、三峰岳山頂に着いたのは3時頃になってしまった。
三峰岳は、山梨、静岡、長野の県境の山で標高2999m。残念ながら3峰目の3000m峰登頂には計上できない。眼下には、農取岳、間ノ岳、三峰岳と連なる稜線と、仙塩尾根に囲まれた谷が南へ続いている。静岡県の最北端付近のこの谷を含むこの辺り一帯は特種東海製紙という会社の私有地で、創業者が明治時代に購入したらしい。しかし、目の前の谷に生えているのはハイマツとダケカンバばかりで、林業の対象となる木は目に見える範囲では見当たらない。そうすると、目の前の風景は、ひょっとして太古の昔から変わらない原始の風景で、石器時代の人も縄文時代の人も同じ風景を見ていたかも知れない。自分はこういう風景が見たかったのではないだろうか?そんな事を考えながら、眼下の風景を長いこと眺めていた。
この場所に泊まって目の前の風景をずっと眺めていたかったが、周りに雪が無いので水を作れないし、塩見岳に登るなら先を急がなければならない。熊ノ平小屋を目指して三峰岳から塩見岳方面への下山を開始した。最初は岩の多い夏道だったが、そのうち雪が増え始め、雪の急斜面を長い距離トラバースする場所が何箇所か現れた。
三国平から先へ進むと、更に雪が増え、雪の急斜面の下りが何度も現れた。シリセードに最適な斜面があったので、初めてシリセードをしてみた。なかなか気持ち良く滑れた。また、自覚はしていたのだが、毎日、夕方になると足に力が入らなくなる。雪の斜面の下りで滑落を起こしてしまった。斜面を滑りながら、ピッケルのピックを雪に突き刺して滑落停止を試みてみた。ぶっつけ本番だったけど停まった!!これには感動した。僅かずつではあるが、雪上技術も上達しているらしい。
熊ノ平小屋についたのは7時近くとかなり遅くなってしまった。冬季開放をしていなかったらどうしようと心配したが、2階の扉に鍵は掛かっていなかった。誰もいないが、この山行唯一の小屋泊まりだ。荷物を整理しないと寝るスペースが無いテント泊の反動で、この日は床に荷物を散乱させてスペースを贅沢に使った。また水場があり、水作りからも解放された。但し、小屋の位置は最寄りの伊那などの街から見て山の裏にあたるので、携帯は圏外だった。
(5/7)
先にも書いたように、仙塩尾根のうち三峰岳より南の区間は目印のテープが殆ど見当たらず、また踏み跡も更に判り難くなり、夏道を見付けて歩く頻度が減ったことで、この日はペースが更に落ちた。稜線上から、少し遠くなった三峰岳を見てみたら、まるで間ノ岳のおまけのように、間ノ岳の山頂から続く稜線に山頂がちょっとだけ飛び出ているように見えた。これでは、もし標高が3000mあったとしても、名山とは呼ばれないだろうな、と少し気の毒になった。
途中で右足が雪を踏み抜いてしまったが、右足に力を入れてみても微動だにしない。これには参った。まずは落ち着こうと写真を撮り、今回は軽量化のためスコップを持ってきていないので、手掘りで右足の回りの雪を掘った。かなり掘り進め、アイゼンの紐も見えてきたのにまだ右足は動かない。ひたすら掘ってようやく右足が抜けた。
夕方には、樹林帯でまた滑落を起こしてしまった。このときはピッケルが利かず、木に助けられて停まったが、こう度々滑落を起こしていては、山と高原地図に危険箇所有りと記載されている塩見岳に登るのは危険なのではないか、という気持ちが芽生えてきた。
この日はキャンプ地の選定に手間取ってしまった。尾根が痩せていてちょっと危険を感じたので、東斜面の雪の樹林帯をずっとトラバースしていて日没を迎えたのだが、見渡す限り平坦地が無い。斜面の下の方にちょっと平坦に見える場所が2箇所程あったので、そこまで下りてみたが、ふと真上の稜線を見ると、雪庇が張り出していて雪崩の危険があることに気が付いた。日没はもうすぐだし、さてどうしよう。考えた末、もう少し先へ進むことにして稜線まで登り返してみた。すると、痩せていた尾根がいつの間にか太くなっていて、平坦な場所もあった。早速テントを設営した。
(5/8)
昨日はあまり進めなかったが、この日を入れて残り3日なので、今日中に、塩見岳に登るか、最低でも直ぐに登れる位置までは進んでおく必要がある。気合いを入れて出発した。夏道が見付からずに自分でルートを選んで進むことを何度も繰り返していたことで、道が付いていない樹林帯を突破することにだいぶ慣れてきたような気がする。このときも、夏道は殆ど見付からず、主に尾根筋に沿って歩いた。
やがて、前方に小高い山が立ちはだかっているのが見えてきた。山肌はハイマツ帯と雪のまだら模様で、道の無いハイマツ帯の突破は骨なので、どう進もうかしばらく躊躇した。やがて、山頂付近のハイマツ帯に1本の筋のようなものが通っているのを見付け、あの筋を目標に、ハイマツ帯を避けながら東側の雪の斜面を登ろうと目星を付けた。筋に見えた場所の近くに行ってみると、筋はやはり夏道で、ようやく見付けた夏道に沿ってハイマツ帯を抜けると、そこが北荒川岳山頂だった。
北荒川岳山頂は、南側に大崩壊の崖が続き、同じ山とは思えない程、今登ってきた北斜面の風景とは違っていた。また、塩見岳がだいぶ近くに見えた。北荒川岳と塩見岳の標高差は約350m。大崩壊の崖を左に巻いて先へ進む。崖が終わったところで稜線へ復帰し、幾つかの小ピークを越えながら塩見岳に迫る。雪は殆ど無く、また段々と傾斜が急になった。この辺り一帯の岩の特徴なのか、ちょっと触っただけで崩れてしまう脆い岩が多くなり、普通の岩場のように岩をあてにできないので苦労して登った。
急登を越えて北俣分岐に到達。ここからは、塩見岳との間の鞍部までちょっと下りになったが、脆い岩に手を焼いた。また、自分が数秒前に通過した岩場の岩が突然崩れ、何かに押されたような気がしてふと振り返ると、崩れた岩が自分の体を掠めて落下していき、長い時間をかけて深い谷に吸い込まれていった。ようやく鞍部について、ここから塩見岳の山頂までの稜線を観察してみると、かなり雪が付いていて、長い雪の壁が幾つもある。無事登れるだろうかと不安になる。さて、と鞍部から先に進もうとしたが、目の前の雪が軟らかく、アイゼンもピッケルも利かない。
ここで、自分が強い緊張感に囚われていることを自覚し、強い緊張感の正体が「もしかしたら、ここで死ぬかも知れない」と考えていることに気がついて我に返った。死ぬかも知れないと思っているのに、なぜ前に進む必要があるのか?冷静に考えてみても、目の前に幾つも見える雪の壁のどこかに、アイゼンもピッケルも利かない軟らかい部分がもしあったら、壁を登っている途中で気が付いても自分で対処できないのではないだろうか?岩は脆くてあてにならないし。それに、もう日が傾き始めているので足の筋力も落ちているし、地図に記入されている危険箇所は山頂の向こう側でここからは見えないので、リスクも判断できないし。そう考えたら、安全第1、無理は禁物、生きて帰ろう、という思考に傾いてきて、塩見岳山頂まで標高差で残り約100mではあるが、塩見岳登頂を断念することにした。
まずは北俣分岐まで戻り、そこで地形図も広げて下山ルートを考えた。山行は残り2日。唯一の登山道は北俣分岐から南へ向かうルートだが、そのルートでは残り2日間で帰宅できない。じっと地形図を眺めていて、今日通った北荒川岳からおよそ北西に延びている尾根に沿って下山するのはどうだろう、と思いついた。登山道はないが、道の無い山林を突破するのにもだいぶ慣れてきたので、何とかなるかも知れない。下山ルートの当たりを付けたところで、ルートの詳細は後で検討することにして、日没までに行けるところまで下山することを優先しようと、北荒川岳へ向けて下山を開始した。
途中でかなりバテてしまい、また足に力が入らなくなってしまったが、日没直前に北荒川岳山頂に辿り着き、山頂からちょっと先の僅かな平坦地にテントを設営した。この日は周りに雪が無いので水を作れず、残りの食料の中から水も火も使わない食料を選んで腹に詰め込んだ。
(5/9)
大崩壊の崖は北荒川岳の山頂から北側へも続いており、まずはキャンプ地から崖の縁を通って北へ向かう。歩いてみると、路面には誰かが歩いたような痕跡がある。登山道ではないが、誰かが歩いたのだろうか。とりあえず痕跡に沿って歩いてみる。岩場の下りもあったが痕跡を頼りに無事通過。しかし、痕跡に頼り過ぎたのかも知れない。痕跡が続いているのだから、と安易に下り始めた岩の壁の途中でピンチに陥った。気が付くと前日と同様の脆い岩に周りを囲まれていて、手掛かりや足掛かりとして当てにならない。一つ一つの岩を崩れてしまうかどうか確かめ、岩の崩れ易さに方向性があることに気づいたことから、自分が力を入れる方向に対して崩れにくそうな岩だけを使って、何とか壁を下りた。
しかしピンチは続く。壁を下りて先を見てみると、崖の縁に、僅かな幅の足掛かりが続いているが、その足掛かりは崖の方へ傾斜していて、手掛かりになりそうなのはあの脆い岩のみ。これでは先には進めない。考えたが、結局は今下った壁を登り返し、ハイマツ帯を突破するしか無さそうだ。でも壁を今下りたルートは、脆い岩を崩してしまっていたし使えない。さあどうしよう。壁には、岩が露出している部分とは別に、小石が積み重なったような地層が露出している部分もあった。ここを登るには…、としばし考え、雪の壁を登るときにたまに使ったように、ピッケルで足掛かりを掘ってはどうだろう、思い付いた。早速、細心の注意を払ってやってみたところ、これは使えた。この方式でじりじりと壁を登り返し、何とかハイマツの生えているところまで戻れた。「これは発明だ」と自画自賛したが、たぶん多くの人がやっていることなのだろう。
ハイマツ帯を突破し、何とか北西へ延びる尾根に乗った。ここからは、地形図でなるべく等高線の間隔が広い場所を下山するようにルートを選定し、そのルートに沿って歩くための進行方向をコンパスにセットし、コンパスでの進行方向の確認とGPSでの現在位置の確認を繰り返しながら、じりじりと進んだ。歩いてみると、たぶん獣道であろう踏み跡があり、この踏み跡に沿って歩くとペースを多少は上げられることも判った。とは云え、踏み跡と自分の下山したいコースが一致しているとは限らないので、コンパスとGPSによる確認は欠かさなかった。
急斜面の途中で立ち往生してしまうなど、必ずしも順調ではなかったが、目的地に設定していた南荒川の河原に日没直前に何とか辿り着き、急いでテントを設営した。また、周囲に雪はなかったが、この日歩いていた南荒川の水源地は人の気配が全くなかったので、南荒川の水を煮沸もせずにたらふく飲んだ。
(5/10)
この日は快晴。この日は、キャンプ地からおよそ1km下流にある南荒川の堰堤まで、南荒川と平行に山の中を歩き、堰堤からは荒廃した(と地図に書いてあった)遊歩道をおよそ5km歩き、そして林道をおよそ20km歩いて人里に出る予定だ。堰堤までの約1kmがなかなか遠い。途中で、何だか気持ちの良い場所があった。特段の景色がある訳ではないのだが、新緑と青空、川の音、木漏れ日が調和していて、心が安らいだ。
堰堤からの遊歩道は、それまで歩いていた登山道の無い山林と比べれば格段に歩き易く、やっと文明社会に戻ってきた気がした。遊歩道から林道へ上がったところで、8日降りに人を見掛けた。バイクで釣りに来た人だ。思わず話しかけ、林道の状況などを教えてもらった。
林道は長く単調で、気温も上がってきたのでかなり疲れた。途中で、通りかかった車に声を掛けたら快く乗せてくれた。何でもシカなどの調査で山梨から来た人で、動物の話や山の話など様々な話をし、また高性能の望遠鏡で道端から仙丈ヶ岳の山頂の風景を見せてもらった。この人は結局茅野駅まで乗せてくれ、お金も受け取らず、お礼に何か送ろうと名前と住所を尋ねたが、それも察してお礼不要と教えてくれなかった。この場を借りて改めてお礼を申し上げたい。有り難うございました。
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