MY TJAR ー Run your own race!
- GPS
- 121:17
- 距離
- 387km
- 登り
- 19,174m
- 下り
- 18,428m
コースタイム
- 山行
- 15:08
- 休憩
- 5:20
- 合計
- 20:28
- 山行
- 23:11
- 休憩
- 0:40
- 合計
- 23:51
- 山行
- 22:08
- 休憩
- 0:15
- 合計
- 22:23
- 山行
- 20:01
- 休憩
- 1:03
- 合計
- 21:04
- 山行
- 12:18
- 休憩
- 0:27
- 合計
- 12:45
- 山行
- 10:09
- 休憩
- 1:21
- 合計
- 11:30
- 山行
- 14:29
- 休憩
- 1:50
- 合計
- 16:19
天候 | Day1 晴れのち曇り、雷 Day2 雨 Day3 雨のち晴れ Day4 風雨 Day5 雨のちくもり Day6 くもりときどき雨 Day7 雨のち曇りときどき晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
距離約405km 累積標高約24000m GarminのGPX元データは120MBあったため4MBまで間引いたところ、表示数値が減りました。 TJARと同じコースで太平洋を目指しました。台風10号の影響による線状降水帯の発生で静岡の林道が全面通行止めとなったため、やむを得ず高山裏避難小屋で引き返して三伏峠から下山しています。 その後、鳥倉登山口から86km先の諏訪湖をゴールに再設定しました。 なお、TJARに準じて山小屋不使用(水のみ購入可)、可能な範囲の必携品所持(Ibuki無)というレギュレーションにしました。基本的にサポートは無く、市野瀬郵便局留めでデポを自己回収しました。 |
予約できる山小屋 |
|
写真
感想
TJAR2024にエントリーして抽選落ちとなった時のことは以下の日記に書きました。
https://www.yamareco.com/modules/diary/204682-detail-331120
実は、エントリーの前から「大会で走れなかったら自分だけで走ろう」と思っていました。TJARはそもそも選手一人一人が主催者というコンセプトの大会。挑戦したい人が集まってたまたま奇跡のような大会になっているだけなのだから、TJARの精神に則れば一人でも走るもの、なんてかっこつけて思っていました。
それに、TJARとは少し違っていても一人で挑戦してきた先人たちもいます。ヤマレコではmako-sanが何年も前から日本海~太平洋をやっていて、とても刺激をもらえました。自分も同じように一人ででも行ってみたいとずっと思っていました。
そんなことを考えながら準備していると、TJAR2024の公式Tシャツが販売開始。プリントされている「Run your own race」という文字をみた時、まるで自分が励まされているように感じました。
同時に連想したのは、TJAR2012の岩崎選手。同年、岩崎さんは三伏峠CPの関門に何とか間に合ったものの荒川前岳に向かう途中にロストなどのトラブルもあって井川CPには間に合いませんでした。そして8日間の大会は終わりましたが、翌日になっても岩崎さんは一人で大浜海岸を目指す歩みを止めませんでした。「大会としては終わっていても、自分の中のレースとしては終わっていない」。そう言って完走した岩崎さんは、TJAR精神を体現していたと思います。自分もあんな風になりたいとずっと思っていました。
しかし、実際の道のりは簡単ではありませんでした。スタート前から発生していた台風10号は迷走し、ずっとその動向に左右される日々が続きました。悪天候、眠気、痛み、計画の変更。途中で弱い気持ちに流れたことが何度もありました。
その度に、もらった応援の言葉、TJAR戦士の残した言葉、待っている妻の存在などなどが力になってくれました。それと、きつくても天気が悪くても、山は山で好きなままでいられました。苦しいばかりではなく、楽しい縦走でもあったなと思います。ただ、もう少し晴れて欲しかったのが正直なところです。
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◾️Day1
仮眠をして新幹線に乗って到着した西魚津駅。ミラージュランドへ歩く途中の空は星も見えていて悪くない。ただ暑い。早く稜線に出てしまいたい。台風10号がどうなるか気になる。場合によってはどこかで停滞してやり過ごさなければならないかもしれない。
既に眠いので10分横になってから日本海タッチ。あっという間に0時を回っていて、あまり緊張感もなくスタート。馬場島まで過去に走ったことがあるので道も分かっていて不安はない。あんまりペースは上げずのんびりと進む。慣れない豚小屋の臭いを我慢しつつ最後の自販機でジュースを買う。傾斜の増し始めたロードに「こんなに長くてしんどかったっけ」と思っていると馬場島に着いた。
早月尾根では地元のランナーであるTさんとたまたま出会い、初対面ながらTJARやトレイルランの話をしながら剱岳に登った。楽しい話や励ましをもらい感謝して別山尾根に進んだ。ちょうど立山登山マラニックというイベントがあって、雄山付近はすごい人だった。それも、一の越を過ぎると人はまばらになる。
17時過ぎにスゴ乗越に着くペースで、このままなら薬師峠までいけると判断して集中力を上げるためにカフェインを飲んだところ、雷の音がし始める。薬師岳付近は雷が出ると危険なのでスゴ乗越で先に寝ることにしたが、カフェインの影響もあってか眠れず苦労した。意識が落ちた気がせず3時間で行動を再開した。
◾️Day2
動きだしは意外に身体が軽かった。薬師岳は日付変更前に越えることができ、黒部五郎を目指す。途中で小雨が降り始める。また、前日に豪雨があったらしく登山道が水溜りだ。下草の濡れもあって、すぐに靴は浸水した。先が思いやられる。おまけに眠気がやってきてフラフラになる。登山道で10分くらい寝ながら進む。眠いせいで視覚の反応が鈍いのを感じる。
この日は小梨平の食堂営業時間に間に合うことが補給上でのポイントになる。それは問題なさそうだが、眠くてペースがあがらず、予定より遅れることが気になってくる。西鎌尾根で計画の2時間ほど遅れが出ており、上手くいかないことにフラストレーションが溜まる。途中で雨が強まり、槍の肩では土砂降りとなった。風がないので低体温になるような気象ではない。すぐに止むかなと思って下り始めたが、一向に止まずむしろ横尾では豪雨となった。歩きながら足を乾かしたかったがどうにもならない。もう10時間以上靴が濡れたままで、このまま歩くと足裏のマメができてしまう可能性が高い。靴を脱いで濡れたままの足にクリームを塗って再び歩く。
15:30に小梨平に着きそうだな、と思っていたら、明神で通行止め。左岸が工事で通れないため右岸を行けという。2kmほど余計に歩くことになった。雨といい工事といい上手くいかない。しかも電波を拾うと、台風10号が直撃になりそうで、ヤマテンの予報で「大荒れ情報」が発令されていた。TJAR本大会なら中止基準に該当する。この時の予報では、中央を早く抜ければぎりぎり影響は薄いが、南へ登る前には停滞が必要と思われた。
色々なマイナス要素が重なり、気持ちが萎えてくるのを感じた。「抽選は落ちるし、自分一人で行く時はこうなるのか」と、自分がとても不運なように思えた。絶望的な気持ちで濡れた服のまま小梨平のカレーを食べた。少し冷えたせいか喉が痛いし熱がある気もする。このまま終わりにしてしまおうか。もうよくやった気がする。いやでも。
台風がどうなるかはわからない。とにかく今は身体が休息を求めている。先のことは考えず、小梨平で入浴して休むことを優先することにした。寝て休めば何か変わっているかもしれない。
◾️Day3
3時間ほどうとうとして、もう眠れないと思って身体を起こした。足の裏を見ると、かなり乾いていてダメージは少ない。身体もそれほど痛くはないし、熱っぽさもない。
走り出すと、普通に動けるのを感じて気持ちが前向きになる。どのみち必ず寝るのだから、どこで寝るかは重要じゃない気がしてきた。計画は大切だが、その通りにいかないことに不満を感じても仕方がない。今の自分の身体が求めていることをしっかりケアして、今の身体でできることにフォーカスしよう。まさに走るマインドフルネス、禅みたいな感じだ。
今日はロードが中心。Day2みたいに何かに間に合わせる必要もないのだから、マイペースに行けるところまで行こう。
下り基調のロードはかなり普通に走れる。奈川渡ダムまでのトンネルも深夜だったので車が少なくてスムーズに行けた。順調だ。暗闇の奈川をすぎ、境峠までくると明るくなってきた。下りは同じ動きをする機械になったつもりで淡々と省エネで進む。途中、薮原の前でまた雨が降り始める。無理に進んで濡れてもあとでケアが必要になるだけなので、仮眠がてらバス停で雨宿りする。
国道に出て最初のコンビニに着く。ものすごく嬉しい。ソース焼きそばとおにぎり、柑橘系のジュースをチョイス。身体が欲していた味だ。うますぎる。次のコンビニでも補給をしていると、通りかかった人に声をかけられて雑談。太平洋まで行くつもりだというと、驚かれ、激励される。こういう出会いも嬉しい。
暑くならないうちに木曽駒冷水公園には着いた。悪くない。ここではキャッシュレスのセルフレジで食べ物や飲み物が買える。オレンジジュースを飲んだらとても冷たくて美味しく、気づいたら発泡酒を買ってしまっていた。台風は少し遅れ始めていて、中央にいる間は影響はなさそうだ。中央の途中では寝にくいからここで寝てから出よう。
陽気の中をうとうとするが、やはり眠れない。普段は簡単に昼寝ができるのに。それでも、横になっているだけで筋肉の張りは取れてくるのを感じる。3時間ほどで諦めて行動を開始。まあまあのペースで木曽駒まで登った。
◾️Day4
中央アルプスを縦走する途中で日付が変わった。檜尾岳を過ぎるくらいまでは天気も良かったが、徐々に雨が降り始める。風も強いところでは15mほど吹いた。相応の準備をしているので大した気象だとは思わないが、問題は眠気だ。木曽殿山荘に着く頃には眠気が耐え難くなり、いっこうにペースが上がらない。こんなに空木岳は遠かったっけと思ったが、それだけ歩みが遅かったのだろう。
空木岳を過ぎても風雨が止まないのでさっさと森林限界までくだった。池山尾根は危ない箇所もあるので注意していた。休み休み目を閉じながら進むが、危険地帯を過ぎるとほっとしたのか余計に眠気が悪化する。なんでもないところで躓く。濡れた身体が不快だ。くたくたになって菅野台まで下山した。早く身体を乾かしたいが、街中も雨が降っている。駒ヶ根のすき家に入ってゆっくり食事をとりながら日記を書いたり情報収集したりする。
台風10号の進行は余計に遅くなっているようだ。大荒れ情報も解除された。山の天気としては、このままいけばなんとか影響の少ないうちに南アルプスを終えられそうだ。
今日は市野瀬郵便局で局留めにしているデポを受け取るという大きな仕事がある。中沢峠までの長い登りがあるこのロード25kmは元気なら3時間で行けるが、とてもそんな状態ではない。再発送も考えると16時には着きたいのだが。眠いのを我慢して市野瀬へ向けて出発する。
中沢峠への登りは歩きながら寝た。幻覚(錯覚)は2日目からあったが、この日は特に川の音が人の声や音楽に聴こえていた。くだりに転じてようやく目が覚めてきて、再び道路を転がる機械になって一定のペースですすむ。期待よりは遅かったが、16時には何とか郵便局に着く。軒先を借りて再パッキング。食料を7500kcalほど入れて、アルファベストとアルファソックスを追加した。食事とテーピングもやり直す。1時間ほどかかって、ぎりぎり17時の発送に間に合った。
TJARの本大会では市野瀬の旧旅館入野谷の軒下駐車場で眠るスペースが設けられる。そこで眠ってしまいたい気持ちだったが、不審者になるのでさすがにやめておいた。台風の情報をもう一度見て、しばらく山が大荒れにはならないことを確認。妻に連絡をとって地蔵尾根へ登り始めた。ここから先が後半だ。
◾️Day5
地蔵尾根の途中ではぐっすり眠ることができた。縦走中、いちばん頭がすっきりしている。錯覚も感じない。天気は曇り。仙丈ヶ岳にはそれほど苦労せずに到達する。ここから長い仙塩尾根に入ってしまえば電波も悪いしエスケープも少し大変になる。さあいこう。
南アルプスは森林限界が高くて仙塩尾根は樹林帯の方が多い。淡々と進む中で、なんでこんなことをしているのかと、何度も考えたことを考える。挑戦へのワクワクする気持ち、憧れといったポジティブな感情ももちろんある。でも同時に、ネガティブな気持ちもある。抽選に落ちた悔しさや妬みが確かにある。自分が頑張ったことや出来ることを証明したいという気持ちもある。
そういった気持ちを何もしないで放っておくと、いつかそれが大きくなって、こじれていき、真っ直ぐでいられなくなるような気がしていた。
大好きなBUMP OF CHICHKENの『GO』を熊除けにスピーカーで流したり、歌ったりする。もともと好きな唄だが、いまの自分には全ての歌詞が刺さる。「ゴールに僕の椅子はない それでも急いで走った 思いをひとりにしないように」。歌っていると涙が溢れて感情が燃えるのを感じる。
身体を動かすのはカロリーと意識だ。ペースが遅いから胃腸には優しく、補給は十分にできている。意識を覚醒に近づけることができれば早く動ける。これまで練習してきた身体と筋肉はまだまだ動けると言っている。
途中、熊の平小屋で小屋番さんと話す。静岡で線状降水帯があり、県道が雨量規制で閉鎖されたそうだ。電波のつながるところで状況を確認することを勧められた。
山の天気はそれほど荒れていなかったが、静岡の天気は悪かったようだ。これから台風が近づくなかで規制が解除されるだろうか? 不安がよぎる。でも考えていても通行できるようになるわけではない。解除されるにしても、進んでいなければどうにもならない。畑薙に降りられるかどうかはあとで考えよう。
足のケアをして食事をとり、塩見岳・三伏峠に向かう。人とは誰もすれ違わないが、鹿は多い。塩見の肩でも鹿が駆け降りていくのを見かけた。少しペースは落ちたが、意識ははっきりしたまま三伏峠に22時前に着いた。本当はコースの状況を聞きたいが、この時間ではそれも叶わない。明日、高山裏避難小屋や荒川小屋で聞くことにして横になった。
◾️Day6
4時に行動を開始する。今日も雨だ。靴が乾かない。ノロノロとしたペースで進む。遅いが畑薙ダムには次の朝が来る前に下山できそうだ。
電波の入るところで台風情報を確認する。明日からは台風の影響が出てくる。稜線上では回避できそうだが、むしろ豪雨によるウソッコ沢の状態や林道の方が気がかりだ。そう思って林道情報を調べ直すと、静岡市のホームページがヒット。「台風通過まで全ての林道を通行止め」とある。対象は歩行者も含まれる。なんてこった。沼平ゲートを通れない。
しばし呆然とする。ここまで来たのに、通行止めか。何で昨日はこれを見つけられなかったのか。本当に通れない? 沼平に登山者が降りてきたらさすがに押し返されることはない気もする。だが、通行止めは通行止めだ。
こういう可能性も考え始めていたが、気持ちの整理がまだできない。自分ではどうするか決められず、惰性でそのまま高山裏避難小屋に進む。そこで通行止めと言われたら、諦められるかもしれない。
寂しくなって高山裏避難小屋を訪ねたが、小屋番さんは不在だった。なんだかあっけない。どうするかは自分で決めるしかなかった。このまま行って途中の小屋で台風通過まで停滞する事態は、ちょっと受け入れられない。鳥倉林道は、通行できるようだ。戻ることにした。
気持ちの中は嵐が吹き荒れていたが、このまま鳥倉に降りてバスに乗って帰ることは嫌だと思った。まだ、どこにも辿り着いていない気がした。TJARで選手がよく言うのは、最後の畑薙のロードがいちばん辛いということ。せめてそれを味わいたい。
そうだ。ゴールを変えよう。もともと自分自身の挑戦なのだから自分で納得できるコースを自分で決めればいい。それに、こんな状況でも諦めないことこそが、自分が憧れた強さのような気がする。どうせならそっちに行きたい。
そう考えると、頭の中が回り始めて意識が目覚めてくる。できれば太平洋がいいが、天竜川から降りるのも静岡の状況的に難しい可能性がある。あの辺はよく知らないし。もっと早く気づいていれば奈良田の方に降りて山梨から南下できたかもしれないのに。日本海に戻るのはさすがに遠すぎて、台風が来てしまう。
何かないか、と思って頭を巡らせると、諏訪湖の存在が閃く。大きい湖なら海っぽいし、距離も調べると80km超で畑薙から大浜公園と同じくらいだ。ゆっくり調べる満足な電波も時間もないこの状況では、これは悪くないゴールだと思えた。
三伏峠まで戻り、振込むつもりだったテント場代を払いつつ話を聞く。静岡では27日に豪雨があり、元々は台風もすぐくる予報だったから早々に林道を閉鎖してしまったそうだ。それに合わせて高山裏と小河内岳の小屋番さん達も下山したという。まさか自分が南アルプスに入る前からそうなっていたとは。気持ちが緩み、セルフレギュレーションを解除してここでうどんを頂いてしまった。労いと温かいお茶がありがたかった。
雨の中三伏峠から下山し、鳥倉林道を進む。山が終わって安心したのかここで再び眠気に襲われる。眠い中の歩みは本当に信じられないほど遅い。途中の公園トイレの床に横になって30分仮眠する。行き倒れみたいだ。
起きて電波の繋がる場所につき、妻に連絡を取った。計画の変更を伝えると、諏訪湖まで迎えに来てくれるという。このときの感情は言い表せない。また心が燃えて意識が目覚めるのを感じて走り出す。鳥倉林道は1000mの急な下りでけっこう長い。足の裏に痛みを感じてくるが、道の駅大鹿には営業時間内に到着できた。ここは食品も充実しているので補給したかったのだ。ずぶ濡れでの来店を侘びながら買い物をさせてもらう。あとはロード70kmだけだ。
◾️Day7
ゴールを再設定したものの、当初の予定と変わったことで少し緊張感がなくなっていた。昨日はだらだらと過ごしてしまい、結局道の駅には6時間も滞在したことになる。日付も変わるので、さすがにそろそろ出発しなくては。
雨の中、国道153に向けて暗いロードを進む。雨と川の音が絶えず音楽に聞こえている。3日目には同じ距離を12時間くらいで進めたのだが、とてもそんな勢いでは進めない。昨日の鳥倉林道の下りの負担が残っていたのか、左脚の太腿の筋肉が痙攣して思わず飛び跳ねてしまう。走るのもままならない。
伊那谷に入り国道153に合流したころ、ようやく雨が落ち着いてくる。ここからはコンビニもあって補給に苦労することもない。このままいけば諏訪湖には確実に辿り着けるだろう。それにしても、朝が来るまでは眠い。途中、道の駅田切の里で軒下のベンチを見つけると、すぐ寝る準備をして横になってしまった。軒下が旅人にとってこんなにありがたいとは知らなかった。自分の浮浪者レベルが上がっているのを感じる。乾くことがなかった服からは悪臭がひどい。早く綺麗になりたい、というか、街中でこの臭いは許されない気がする。
道の駅で朝を迎えたあと、飯田線に並行する国道153を北上する。飯島町、駒ヶ根市、宮田村、伊那市とゆっくり進む。電車が並行しているので、それに乗って岡谷まで行ってしまいたい気持ちが湧き上がるが、必ず後悔するので振り払って歩く。
しっかり4本立つ電波のもと、妻と朝の連絡を取る。路線は台風の影響を受けており、明日は運休になる可能性もあるようだ(ちなみに静岡は今日の時点で新幹線が止まっており、進んでいたら困ったことになっていたかもしれなかった)。妻はあずさに乗って、今日の昼過ぎには岡谷に着いてしまうそうだ。え、それは早すぎる。このペースじゃこっちは夕方になるんだけど。ゆっくりでいいと言われたが、あまり待たせたくないので頑張ることにする。どういうわけか、少し走れるようになる。
この頃になると、もう足の裏は肉刺(マメ)が20個近くできていて、大きいものは1cm以上の水疱になっていた。歩くたびに痛い。痛いのだが、まだ耐えられないレベルではない。それに足裏のマメは走るメカニズムとあまり関係がないので、走る妨げにはそれほどならない。むしろふくらはぎや太ももの筋肉の状態の方はダイレクトに走りに関係する。脚が曲がらないので、走っているつもりでもキロ8分くらいしか進まない。そんなペースでも、じりじりとゴールは近づく。
岡谷市に入るともう終わりは近い。岡谷ジャンクションの下をくぐり、天竜川の始まる水門が見えた。あれが諏訪湖だ。400kmの道のりももうすぐ終わる。自然とペースが上がる。というかまだ余力があったのか。岡谷湖畔公園に入り、キョロキョロとあたりを見回す。少し進むと、座っている妻を見つけた。こっちに気づいていない。そのまま駆け寄って声をかけ、妻をびっくりさせてやった。君のいるところが僕のゴールだ。
諏訪湖は思ったより小さい。対岸が割と近くにあって、藻は茂っている。とても海っぽくはなかった。でも今日はここが自分の海。身を屈めて、波のない水面に触れる。これでこの旅はおしまいだ。何かが変わったわけでも、何かがわかったわけでもない。最初目指していた場所とは違うゴールでも、心はすっきりとしている。それが全てだ。
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その後、妻と一緒に日帰り温泉に行き、持ってきてもらった服に着替えてその日のうちに帰宅しました。足はかつてないほどに浮腫み、3日ほど酷い状態でした。それが治ると、今度は何かのウイルスが元気になったのか発熱してしまい寝込むことになりました(コロナ陰性)。終わったあとは元気だと思っていましたがけっこうボロボロですね。
おかげで記録を書くのが遅くなりました。記録を書いて残しておくことは自分にとって重要です。今回は特にいろいろ考えたことも多いので苦労しましたがひとまず整理できました。
さて、TJAR2024は抽選落ちしてしまいましたが、次のTJARや別のワクワクすることにも挑戦していくつもりです。だって面白いもの🤣
応援してくれた方、読んでくれた方、ありがとうございました。またどこかの山で!
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
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最初から最後まで詳細レコ読ませて頂き、ただただ感動🥺本当に自分のレースお疲れさまでした。「奥さんがいるところが僕のゴール」😭久しぶりにヤマレコで涙流れました。
これからもワクワクすることに挑戦してくださいね。これからも奥さまを大事に😊
ありがとうございます😭
トレーニングと称して出かけてばかりの夫に呆れるわけでもなく、ゴールまで迎えに来てくれて妻には本当に感謝です。大事にします🙇🏻♂️
後から載せてくれるのかと楽しみにしていました。
またコメントも細かく書かれて山行の様子が分かりました。
完走後の足、酷かったですね。
また体調も崩してしまいましたが凄過ぎることを成し遂げたので身体へのダメージは大きかったですね。
しかし更にパワーアップしてますよ。
TJAR2026は当選する事を祈っております。
頑張ってください応援しています!
こんな長い記録を読んでくださりありがとうございます😭
ダメージもあったのですがいい経験でした。まだまだ出来そうなことも見えてきたので精進します。2026に向けて運も貯めてます😂
記録のアップお待ちしておりました
TJARについては10年ほど前からテレビでその存在を知ってました
特に最年長の竹内さんのドラマに胸を打たれていました
いつものようにヤマレコの日記を検索してると
すでに終了しているTJARのルートをたった一人でトライしている人の日記を見つけました
それがきょんしーさんの日記でした
今では走らなくなってしまいましたが
20年ほど前はフルマラソンでサブスリーを目指していた身です
3時間18分台(青島太平洋マラソン)を最後に諦めていしまいました
TJARもきっとマラソンに似た部分はあると思ってました
マラソンって一人で走ってるものではなく
周りのランナーの船に乗って運んでもらいスタミナを温存しながら
最後にスパートをかける競技だと思ってます
周りのランナーはライバルであるけれども、同時に心強い仲間でもありますよね
TJARも同じと思ってます
きっと、周りの選手は励ましあう仲間
それを一人でトライすることはもっと体力と精神力が必要と思いました
きょんしーさんの日記を拝見すると
エントリー出来なかった理由は抽選落ち
これ悔しくないわけないです
自分が同じ立場だったら
「だったらいい!俺一人でやってやる!」と思いました
なので、きょんしーさんの日記に共感しました
きょんしーさんのこの日記に気が付いたのは
中央アルプス付近を通過している時
その時は例の台風が近づいてきていたので
正直、危ない状態だなと思いました
きょんしーさんの日記が更新されていくのを見て
風雨の中、歯を食いしばって山を登るきょんしーさんの姿を想像しました
同時に無事であることにホッとしてました
仙丈岳に着くころには台風はますます近づいていたので
内心、もう諦めてリタイアして欲しいと思っていました
しかし、同時にきょんしーさんの気持ちを考えると
「がんばって」とか「リタイアして」などの言葉は浮かびませんでした
とにかく「無事に下山して欲しい」という気持ちだけでした
その後、静岡県の道路の封鎖などもあって駿河湾が厳しいことが分かってから
きょんしーさんが鳥倉林道で松川まで下り、諏訪湖をゴールとすることに
変更されたことにホッとしました
鳥倉林道を下れば、もう命の危険はないですからね
諏訪湖にゴールしたきょんしーさんにとって
諏訪湖の水はきっと塩っぱかったと思います
そして奥さんの顔が天使のように見えたのではないでしょうか?
2年後のトライ、応援してます
でも、きょんしーさんと選手名がリンクするかな?
あと、TJARの選手は畑薙からのロードが一番ツラいもんなんですね
アスファルトの硬さが理由なのかな?
ありがとうございます!
中央アルプスこそ風が吹いたものの、実は山の天気はそれほど荒れたと感じておらず、雨が不快な程度でした。厳しい気象は冬含め体験しているので、この気象と予報であれば行けるという感覚を持っていました。ですが、通行止めはどうしようもなかったです。
畑薙からのロードが辛いのは、貯まった疲労とダメージ(筋肉と足裏)、酷暑などが理由です。今年のTJAR2024では土井選手ですら苦しみ、リタイアを考えたという程でしたね。
もし出場する場合にはゼッケンNoを言うのでわかるかと思います。応援していただける結果になることを祈ります🙏
初日にスライドして写真を撮らせて頂いた3人パーティです。
無事にゴールされたようで良かったです。
まだボクらの記録は編集中ですが、こちらの記録と写真を紹介させて頂いても宜しいでしょうか。
宜しくお願いします。
ありがとうございます!
もちろん大丈夫ですよ。見つけて読んでもらえて嬉しいです🙇🏻♂️
初日の時は太平洋まで行く気満々でしたね〜。最終的なゴールは変わってしまいましたが、励ましてもらったおかげで諦めず頑張れました😂
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