横尾尾根惨敗、蝶ヶ岳に転進、帰宅しそこなう


- GPS
- 56:00
- 距離
- 32.5km
- 登り
- 1,688m
- 下り
- 1,684m
コースタイム
05:20 上高地バスターミナル着
06:00 上高地発
06:40 明神館
07:20 徳沢
08:20 横尾
09:50 本谷橋
10:50 アプローチ開始
12:30 撤退決定 休憩
13:10 撤退開始
14:10 本谷橋
15:30 横尾
16:30 就寝
2日目
05:00 起床
06:00 横尾発
07:00 槍見台
11:30 稜線
12:20 蝶ヶ岳山頂
12:30 妖精の池
16:30 徳沢
3日目
05:00 起床
08:50 徳沢出発
09:30 明神館
09:40 明神橋
10:20 岳沢登山口前
10:40 上高地バスターミナル
天候 | 4月23日 快晴、夕方から夜半にかけて雨 4月24日 晴れ 4月25日 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2016年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
参考: 釜トンネル閉鎖が夜7時(7,8月は8時)です。その30分前までなら タクシーをよこすことができるとのことです。バスに乗り損ねた場合の 最終手段にどうぞ。 連絡先:上高地共同配車センター 0263−95−2350 |
コース状況/ 危険箇所等 |
上高地ー徳沢 雪はありません 徳沢ー横尾 夏道に一部残雪あり。川沿いの道(車のわだちに沿います)がお勧めです。 横尾ー本谷橋 途中より雪が出ます。アイゼンなしでも歩けますが道をなだれがまたいでいるところがあり、そうした雪渓のトラバースは注意が必要です。 4月23日現在では本谷橋は架けられておらず、スノーブリッジを渡ります。一人ずつ慎重に渡って崩落を避けなければなりません。なお、4月27日の開山後は架橋されている可能性も高いと思います。 本谷橋ー涸沢 おそらく夏道を歩くものと思われます。急斜面のトラバース、上り下りが予想されるのでアイゼンの使用が必要でしょう(歩いていないので見た目からの判断です)。 涸沢ー奥穂高 日中は結構雪が腐っていて、足がもぐって難儀すると、奥穂を下山した方から聞きました。 横尾尾根 P4(P2323)の先までは無雪状態のように見えました。残念ながら自分自身が途中敗退のため、上のコース状況は不明です。有名な2のガリー、3のガリーも怠けて試しませんでした。本谷橋付近のルンゼを詰める場合は途中で右側の支尾根に入って樹林帯を登るほうがいいのかもしれませんが、稜線に出てから厳しい部分があるようにも見えました。 横尾ー蝶ヶ岳方面稜線 登ってすぐに雪が現れます、ぐずぐずに腐っていたり、アイスバーンだったり、無雪だったりと、登山者のリズムを狂わせます。単独の場合、脚の付け根まで刺さってしまうと踏み抜いた足を抜けなくなることがあるので、ピッケルを持っていると便利です。ルートは樹木にかかれたペンキマークを主に頼りますので、夜間、霧など視界が利かないいとき登山はかなり難しいと思います。 天気がよければ森林を抜けた雪田で後ろを振り向くと、槍穂高の稜線がくっきり見えます。 稜線ー蝶ヶ岳山頂 雪はありません。快適な尾根歩きです 蝶ヶ岳山頂ー徳沢 雪が深くもぐりました。横尾からの登り同様急斜面をこつこつ歩きます。頂上付近は存外残雪があるうえに、状態が悪いために歩くのが面倒です。さらに残雪箇所の終盤は踏み抜きがひどく、何歩か歩くごとに足の付け根まで踏み抜いて、動けなくなることがありました。残雪箇所は登り以上にペンキ、テープマークへの依存度が高くなります。 |
その他周辺情報 | 開山が4月27日なので、山小屋は営業開始しているかと思います。 なお、筆者の入山時期も上高地バスターミナル周辺のおみやげ物屋、ホテルは営業を開始しておりました。 |
予約できる山小屋 |
蝶ヶ岳ヒュッテ
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写真
張り紙2枚。上は一般的な岳沢小屋情報。下側は今シーズンの速報で以下のとおり。ただし開山後情勢が変わるかもしれない
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岳沢小屋キャンプ上利用の方へ
今シーズンは雪不足のために、例年のGWのようなテント場の造成ができませんでした。各自で小屋周辺、沢の周辺で整地の上幕営いただくかたちとなりますのでご承知おきください。
なお、小屋の敷地以外では落石落雪などの危険もあるため、テント場利用料はいただいておりません。トイレ、水の利用料のみいただいています。
装備
備考 | テント泊道具一式、ヘルメット、ハーネス、エイト環、カラビナ少々、スリング少々、ザイル30m、アイゼン(12本爪)、わかん(使わず)、スコップ、スノーソー(いずれも使わず)、ピッケル、ゴーグル(使わず)、サングラスと日焼け止め(必需品でした)、目だし帽(朝晩は活躍しました) 今回初日はビバーク訓練ということで、あえてテントは張らず、モンベルのポルカテックスシュラフカバー(ポルカテックススリーピングバッグカバー 1121020)とツエルト(マウンテンダックスエアーツェルト TN-006)を使用しました。雨具とダウンジャケットを着て、目だし帽をかぶり、靴を履いたままシュラフカバーにくるまったうえでツエルトをかぶり、ザックを枕に一晩過ごしました。日没から数時間ざあざあぶりの雨でしたが、著しく冷えることもなく翌朝を迎えることができました。ツエルトのベンチレーションがふさがって窒息してしまわないことに気を使いました。 |
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感想
横尾谷から涸沢ヒュッテへ登る道を振り返ると、あるいは涸沢から本谷橋への下山の視線の先に、長大な稜線が目に飛び込んでくる。あの稜線に立ちたい。筆者にとって横尾尾根はそんな存在だ。それは自分だけではないようで、調べてみると槍ヶ岳への積雪期縦走コースとして認知されているようであり、日本登山体系にもルートが紹介されている。ラッセルを強いられる体力的にきついコースで、槍ヶ岳へ抜けるには数日を要する。現在それだけの日数を縦走に割くわけには行かない。せめて雪稜線の上に立って、長大な尾根の一部分になった満足感を得られれば、できることならば雪洞の一つも掘って一夜を明かせればと取り付いては見たものの、能力的にも気力的にもまだ早いということのようだ。
山開き前の最後の週末、がらがらの「さわやか信州号」に乗り、半年振りの上高地に着いたのは日も昇り始めた5時20分だった。霜もなく、4月下旬とは思えないような暖かさだ。吊尾根の雪も残雪期とは思えないが、それでもところどころに雪渓を残した穂高連峰は美しい。
今回は長距離移動ではないので、ゆっくりと出発した。荷物は残雪期としては自分にとってのフル装備である。ザックの重さは20kgくらいはあるだろう。担げるぎりぎりの重さだ。前回より20 m短いロープを選んで重さは減らしてあるが、スコップ、スノーソーなど担いでいるからザックの重量は似たようなものだろう。前回はこれで終盤膝痛に泣いた。果たしてこれを担ぎきれるかどうかということもひとつの大きな課題だった。幸い、実際の重さよりも重量感は無かったし、いきなり岳沢を登った前回に対して、前半で準備運動代わりに延々と平坦地を歩き続ける今回のコースは体に優しいコースだろう。
天気がいいと左手に見える山の表情がすばらしい、格好いい明神岳、すばらしい前穂高岳、どきどきする屏風岩と上高地奥地に入ったなと感じる遠くの赤岩山などを順繰りに眺めながら横尾へ歩くのだ。
そして今回の第一目標の横尾尾根が赤岩山の前に見えてきた。心配したとおり、積雪期ならば比較的取り付きやすい末端部分は完全に夏山状態で、薮こぎによる取り付きは無理に感じられた。しかもP3(P2216)からP4(2323)への登りがかなりきつそうだ。一方P5を過ぎると真っ白で優雅な稜線が目に入ってくる。本谷橋くらいまで登山道を歩いてから取り付くのかな、などと考えつつ、横尾に入って休憩した。まだ山小屋は準備期間中だったが、水場(無料)とトイレ(チップ制)が使えたのは大いに助かった。
横尾山荘から本谷橋にかけての登山道の最大のお楽しみは屏風岩鑑賞である。この堂々とした岩壁を見ると、絶対行けるわけないのに行ってみたいとおもうのだ。
しかし左ばかりも見ていられない。すでに右側は横尾尾根が始まっているのだ。取り付けそうな場所がないかをちらちら眺めるのであるが、完全な夏山状態で深い薮にさえぎられており、あまり突っ込みたくないところばかりであった。よしんば突っ込んだとしても尾根筋に出てもやぶこぎを強いられるであろう。やはり当初の目論見どおり本谷橋まで行くことにしよう、ということで2のガリー、3のガリーをスルーした。
本谷橋で2,3人の涸沢への登山者がいた。本谷橋が架橋されていないためである。スノーブリッジで川を渡るのであるが、結構やせているのが見えるので恐ろしいのだ。雪が例年並みにあれば、ここは川の上を歩いていることさえ気がつかずに横尾本谷の出合まで進めてしまうものなのだが。結局皆さんスノーブリッジを恐る恐る通過していたようだ。
しかし、自分の今回の課題は涸沢でも奥穂でも北穂でもなく、横尾尾根に立つことだ。地形図どおり、本谷橋の箇所は谷になっていている。古いながらなだれた跡も残っている。本谷橋の資材の一部もデブリの中だ。そのデブリ(といっても時間がたってならされている)にそって高度を稼いだ。下から見ると谷はまず二手に分かれていた。左は取り付きがたい岩壁につながっているようなので、より狭い右手へコースを選んだ。
右手の谷はさらに奥で二手に分かれていた。右側は、雪がだんだん薄くなって尾根っぽいところにつながって見えるが、尾根に出たところでいきなり垂直っぽい登りがあった。尾根までは出られるかもしれないが、そこで行き詰るのではないか。一方左手の谷は、奥が雪解け水で滝ができており、その先が狭い凹角気味で、ホールドが取れそうに感じられた。あと地形的にも面白そうだったので左に選んだ。
ところが雪渓から岩に移るところができそうでできない。雪解けで雪渓と岩場の間に隙間ができており、しかも隙間近くの雪渓はかなり薄く、踏み抜いて落ちる恐れがあるためだ。雪の厚さ(薄さ)を想像しつつ、厚いところを選んで岩に取り付くわけであるが、取り付いてからが意外とホールドが少なかったり、ピッケルを打ち込むこともできないような浅い草付だったりと、先へ進ませてくれないのだ。ここで弱気になり撤退を決意した。
いったん雪渓分岐点の一本木のところまで戻り、ザックをおろして一息入れた。軽い睡魔に襲われ、そのまま半時間ほど昼寝してしまった。目覚めると正面には涸沢への夏道が見える。かなりの雪の急斜面を登ったあと樹林帯を抜けていくのが見える。例年なら谷をずっと詰められるのにと考えながら、点のように見える登山者を眺めた。そしてずっと右のほうには涸沢の大雪渓が、左手には憧れの屏風岩が見える。この角度から見ると屏風岩正面壁西側に深く切れ込んだ谷があり、そこに巨大な氷瀑が発達しているのが見て取れた、またその滝を迂回するようにしてルンゼを詰めていけば、正面壁ほどの困難に遭遇せずに上まで上がれるのではないかという妄想にとらわれた。おっといけない、撤退しよう。
下りは一本木に対して登りと反対側のがれ地を下りながら雪渓に合流したのだが、落石を起こしそうでひやひやした。本来、来た道を戻るのが原則だったのだが、どうもうまくクライムダウンできなかったのだ。
それでも何とか雪渓に乗ってしまえば、あとは下る下る。斜度が高いので、斜面によつばいになるようにして高度を落としていった。歩いて降りることに比べれば大変だけれども、それでも登りに比べれば早い。ピッケルが根元まで雪渓に刺さってしまう腐れ気味の雪は案外と面倒くさかった。途中クレバスを発見、ここからずるっと崩落していかないことを祈りつつそっと、でも急いで本谷橋まで下山した。
本谷橋から横尾までの撤退の道中、3のガリー、2のガリーを通過するも、なだれのあとがなんとなくいやらしく、しかもなによりも最初の撤退まで体力と、気力もまた失っていたようだ。しつこくこれらのガリーを挑戦するだけで週末を終わらせても無意味ではなかったのだが、いい景色を見たいという誘惑に負けてしまった。
右を見れば屏風岩正面の頭に太陽が乗っかっていた。結局今日は屏風岩見物で終わったようなものだ。一般道をのんびりと歩きながら横尾に引き返し、今夜はここでビバーク練習ということにした。
今夜の泊まりの課題は、テントは張らず、マットを敷き、シュラフカバーとツエルトをかぶるだけで一晩過ごすことだ。ダウンジャケットを着込み、上下雨具を身につけ、バラクラバで顔を覆った。靴を履いたままで体をシュラフカバーのなかにすっぽりいれてから、全身を覆うようにツエルトをかぶったが、窒息だけはしないようにベンチレーションはふさがれないように留意した。
暫くするとツエルトを叩く雨の音が聞こえた。隣のテントの方が雨ですよと体をゆすってくれた。有難い。礼を言いつつ、これも覚悟の上ですからと同じ姿勢で眠り続けることにした。かくしてツエルト泊の降雨率は目下100%である。しかし、ビバークツエルトだけで縮こまった体育座りを余儀なくされたの過去二回のビバークに比べれば体を伸ばして眠っている、全身はシュラフカバーでくるまれ、さらにツエルトで覆われている。おまけにザックを枕にまでしている。快適さは格段に増していた。もっとも黄色の布にくるまれた人は、知らない人が見れば遭難者の安置に見えないこともなかったかもしれないが。
最も心配していたのは地面が濡れることによって背中側から全身がずぶぬれになることだったが、それもマットと防水透湿性のシュラフカバーのおかげで最小限に抑えられていたようだ。背中が冷たくなるのはいつかいつかと心配していたけれども、結局一晩を通じて体がずぶぬれになるということはなかったのだ。シュラフカバーとツエルトの力恐るべしである。夕方4時過ぎに寝てしまったということもあり、夜中は何度も目が覚めてしまったものの、寝入りの3時間と、明け方の3時間は熟睡することができた。
2日目は5時起床。昨晩降った雨は止んでいた。ザックはカバーをかけておいたものの、地面からの水で濡れたのではないかと心配したところだったが、幸いにも乾いていた。横尾のテントサイトの水はけは相当いいらしい。
2日目は蝶ヶ岳だ。横尾からの登りは残雪が曲者だし登りも急だ。早く歩き出そうというわけで、さっさと濡れたものを丸めてザックに押し込んだが出発は6時と、山登りとしてはやや遅いスタートとなってしまった。
横尾から蝶は筆者の北アルプスピークハントデビューのルートだ。デビューした季節も大型連休直後の週末だから、今回と同様の残雪期である。今年の雪の少なさから想像するに、デビューのときよりは少ない積雪量だろう。自分のレベルは当時から確実に上がっているから、簡単にこなせるだろうと思っていたのが甘かった。
三つ理由があったと思う。まず第一は、残雪量が想像以上だったこと。今年は雪が少ないということは良く言われていることであるが、少なくともこのルートに関しては大差なかったかもしれない。むしろ雪がグズグズで、簡単に足がもぐってしまい、ペースダウンの大きな原因となった。
二つ目は倒木の多さだ。高度を稼ごうという気持ちをくじくかのように癖の悪い倒木がルートをふさいでいた。雪道だから巻けるので夏道ほどの厳しさはないのだけれど藪は思いのほか雪に埋もれておらず、完全な雪山のように簡単に巻くことはできなかった。
そして三つ目は、荷物の多さと初日の疲労である。初挑戦のときは軽アイゼンにストックという無謀に近い装備だったが荷物はテント泊の道具だけだったから軽かった。当時もテント泊した翌日の蝶ヶ岳登山だったが、初日の土曜日は、雪がかなりしまっていた冬道を、涸沢往復しただけだったので、体力の消耗も著しくはなかった。今回はスコップ、スノーソー、登はん具と、自分の歩荷能力ぎりぎりの荷物を背負い、敗退したとはいえバリエーションルートに悪戦苦闘し、ビバーク練習までしたあとだったので、かなり体力が消耗していたのだ。
樹林帯の積雪地帯を、くされ雪に足を取られながら高度を稼ぎ、やがて遠くに稜線と思しき明かりが目に入りだすのであるが、実はこれが曲者だった。実際の稜線はまだまだ先なのだ。もうすぐなはずなのに着かないという状態が続くと、精神面で疲労が深まる。
のどが渇いた。枯葉や土で汚れた表面の残雪をピッケルでかきとって、現れたきれいな雪を口に含む。うまい。うまいが、雪を口にするときはたいてい体力が消耗しているときであるからいやだなと思う。その反面、レモン飴をなめたあとの氷はレモン風味かき氷を食べているような後味が気持ちいい。練乳やゆで小豆を持参して天然のかき氷を作って食べるのんびりした雪山ハイキングだったらいいのにと思うが、今日はひたすら歩くのみだ。
このときはまだ、自分がコースタイムに大きく遅れをとっているという認識がなかった。しかし、自分より1時間以上あとに出発していると思われるカップルのハイカーが自分をあっさりと抜き去っていくに及んで、どうやら自分の足が止まってきているのではないかと気がついた。確かに時計ではもう11時ではないか。本来なら蝶ヶ岳山頂に着いているころだ。
しかしあと少しの辛抱だ、自分の記憶が正しければ、まもなく森林限界を抜け、稜線近くの雪田に出れば槍穂高の展望を拝むことができる。朝は曇っていたけれども、雲はどんどんきれい照ることが樹林帯越しにもわかるではないか。こんな具合に自分を鼓舞して足を前に出した。
やっとの思いで雪田に到達し、振り返ると、槍穂高が一望できた。北鎌独標、槍、大キレット、涸沢、穂高、焼岳、、、御岳まで一望できる。しかし主要な関心事は下山である。できるならば2時に、遅くとも2時30分には徳沢に到達しないといけない。一通り写真を撮ったあとは、ただただ歩いた。4時間以内で到達できたはずの蝶ヶ岳に、6時間半もかかってしまった。
後半は下山は登山より早いというスピードアップに期待した。登りの具合から考えるとアイゼンはいらないだろう。徳沢まで降りれば、過去1時間ほどで上高地から徳沢まで来たこともあるのだから何とかなる。最悪バスを乗り遅れても、タクシーを拾えれば松本から特急で東京まで戻れる。そんなこと思い、ひたすら急いだ。急ぐといっても道はもともとない。木の幹に塗られたペンキマーク、木の枝のピンクリボン、そしてときに惑わせる踏みあとを頼りに歩かねばならないのだ。
そしてさらに悪いことに雪がかなり腐れて、しばしば踏み抜くというおまけがあった。ペースを上げたいのであるがうかつに歩くと足の付け根まで踏み抜いてしまう。その状態で無理に足を抜こうとすると膝をひねるなど、本当に大怪我してしまう。無事はタイムに優先するし、急がば回れとも言う。気持ちは全力疾走で、しかし実際には腐れ雪の踏み抜きに身構えながら、怪我と道迷いだけは避けるようにして下山を続けた。
下山しながら、今が開山前であるということを考えると、タクシーが遅い時刻まで拾えることは期待しないほうがいいだろう。だとすると、冬季のテント場がはっきりしない上高地まで戻ってしまってもしょうがないのではないか。スマホの電池が切れないうちに上司に翌日欠勤の連絡を入れて、徳沢でもう一泊ということが避けられないのではないか。いや、上高地でタクシーさえ拾えれば交通費の高さは別にして、日曜日のうちに土浦くらいまで戻れるのではないか。土浦まで戻れれば月曜日の出勤はぎりぎり可能なのではないか。そんなことを考えつつ下山した。
しかし、結局踏み抜きまくりの腐れ雪はひどくなる一方でタイムリミットの3時は残雪の中であっさりと過ぎてしまった。バスは言うまでもなく、タクシーも開山前だから早く来なくなるだろうから、拾えるかどうかわからない。というわけで今日のうちに上高地を出発することはあきらめた。また、あきらめたなら無理に上高地まで歩くのもやめて、徳沢に泊まることを決断した。山小屋がまだ開いていないから、水が手に入るかどうかわからないが、少なくとも徳澤園近くの川から汲んだ水を沸かして飲めば乾きを癒すことはできるであろう。
気がつけば、残雪は前回挑戦したときよりもさらに低い標高の、ちょっとした広場に簡易ベンチが着いたところまで残っていた。残雪終盤の踏み抜きはひどく、ピッケルを使って踏みう似た足の周りの雪を掘ったりしなければ脱出できないほどになっていた。
無雪地帯まで降りても、徳澤園はなかなか視界に入らなかった。これは前回のときと一緒だった。ただ根気よく高度を落としつつ、何とか徳澤に下山した。4時半だった。まずメールで上司に連絡し、月曜日は有給を頂戴したい由連絡した。徳澤園は営業前だったが、水は分けてもらえるとのこと、川の水を沸かして飲む必要もなく助かった。
ツエルトもマットも濡れているから、今夜は素直にテント泊しようということでテントを設営した。テントを張っての泊まりは1年半ぶりだった。その1年半前のテント泊も初冬の悪天候下のテント泊だったから、まともなテント泊となったのは本当に久しぶりのことだ。
久しぶりのまともなテント泊のありがたさは、体で感じられた。テントにもぐりこんだだけで、建物の中にでも入ったように暖かく感じられるのだ。このままシュラフも出さずに眠ってしまいたいほど快適な気分だったが、夜中に冷え込むのはわかっていることなのでザックの中身を必要に応じてテント内で取り出し、着替えの入ったドライバッグとザイルを枕にして就寝した。就寝前には、持ってきていたことを忘れていたマヨネーズを発見し、それを吸ってカロリーとたんぱく質を補給した。アミノサプリ、あめ、粉末ジュースに頼っていたので、塩気のある食べ物(マヨネーズは食べ物か?)は精神的にもリフレッシュできるものであった。
家で寝たような気分になって、落ち着いて就寝したのはまだ夕方5時台だった。
3日目(月曜日)。鳥の声で目覚めた。なんて贅沢なんだろう。これで仕事を休んだ罪悪感がなければ最高の朝なのに。外は横尾で迎えた日曜の朝に比べれば冷え込んだ。フライシートにはバリバリと霜が降りていた。ツエルト泊した日曜日の朝がこのような冷え込みだったらどうなっていただろう。寒さで明け方に目覚めてしまったかな?焼岳には有明の付が残っていた。
二日続けて突然の有給を申し出るわけにはいかないので、今日は欲をかいて遠くへ足を伸ばすのはやめることにしよう。まずは出発の準備を整えてから、炊事場近くの飲食スペースでお湯を沸かし、黒砂糖をたっぷり溶かしたお湯を飲んだ。山歩きをしていると、下界ではあまりほしいと思わないようなどろりと甘い飲み物がひどく有難く感じられるのだ。温まったところで、さあ帰ろう。
最終日は自分にブレーキをかけるように、上高地までの散策路をのんびりと歩いて帰った。明神館から、明神橋を渡り、湿地沿いの自然探索路を木道沿いに歩いた。いつも上高地を登山の出発点としか考えていなかった自分には、こうしたハイキングは初めて上高地に来た時以来だ。ガスに見え隠れしながら、壁のように迫る穂高の圧倒的な姿に狂喜乱舞したときのことなども思い出させてくれた。
新緑の季節にはまだ早かったが、ダケカンバの森はうっすらと黄色がかって、新芽が準備完了であることを伺わせてくれた。
木道沿いの湿地帯では朝からかえるの合唱が騒々しく、ぬかるみの中をカメラを手に目を凝らしていると、ヒキガエルが2匹ばかり、ポーズをとりに出てきてくれた。
斯くして、開山祭前の静かな上高地を満喫しながら無事に河童橋近く吊尾根見物スポットに着くと、例のごとく無事を感謝し、今後の更なる精進を誓って両手を合わせたのだった。
開山祭前の平日、しかも月曜日だったが、観光客がかなりいたのには驚いた。大部分は外国からの観光客だったのは予想通り。
まずは帰りの高速バスの予約をしたあとは、ビバークで濡らしたツエルトその他の道具、そしてテント関連を乾かしながら、吊尾根を鑑賞した。残雪の具合のおかげで、地形が良くわかった。奥穂南稜のトリコニーがくっきりと見えた。昨年初冬、自分がそのトリコニーにたどり着けずにビバークした地点はあのあたりだなあなどと考えながら、湯を沸かし、インスタントコーヒーを入れた。南稜の滝沢、扇沢、こぶ沢、天狗沢、西穂沢も見て取ることができた。
出るべき会議があったことを除けば、最高の一日だったのだが、、、。
(反省)
ざあざあぶりの雨の中、シュラフカバーとツエルトで著しく冷え込むこともなく眠れたことは収穫で、ここまではサバイバルできるという限界点を広げたと思う。もう夏山ならテントとシュラフは要らないかもしれない。ということは、無雪期の縦走登山ならば、軽量化により今までより多くの場所を歩いて回れるということではないか。
その一方で反省点もある。目標として定めていた横尾尾根へのとりつきをもう少ししつこく追求してみても良かったのではないかということだ。たしかに槍穂高の稜線を見に蝶ヶ岳へ登ったことは、無意味ではなかったと思うけれども、蝶ヶ岳の稜線には行ったことがないわけでもない。稜線に立つことだけが目標だったのだから、時間はあったのだ。日曜日の正午くらいまでは使えたのであるから、3のガリー、2のガリー、そして土曜日には選ばなかった雪渓の右側をトラバースして支尾根から横尾尾根を狙うということを執念深く追求してみても良かったのではないか。
前回の北アでは下山中に膝痛みがおき、人生初のロキソニンにお世話になった。今回は前回同様の20kgのザックを背負っての山行きとなったが、膝痛にはあわなかった。これは冬場からのとレーニンのおかけだ。一方両足にひどい靴連れをおこしてしまった。靴紐の締め方、靴擦れよけの足のケアなどが今後の新たな課題である。
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