大蛇現る 槍ヶ岳 北鎌尾根 ゴジラの背(北穂東稜)
- GPS
- 80:00
- 距離
- 46.3km
- 登り
- 3,712m
- 下り
- 3,704m
コースタイム
5:30上高地5:45〜07:59横尾〜10:33大曲〜11:33水俣乗越〜13:18北鎌沢出合〜15:43北鎌コル
8/28(火)
北鎌コル05:01〜06:59独標〜9:08北鎌平〜10:10槍ケ岳10:40〜13:40南岳小屋
8/29(水)
南岳小屋5:40〜6:40長谷川ピーク〜8:05北穂高岳小屋〜9:19南稜下部〜10:03北穂東稜尾根〜11:06北穂高東稜(ゴジラの背)〜12:16北穂高岳小屋12:41〜13:39涸沢ヒュッテ
8/30(木)
涸沢ヒュッテ6:01〜本谷橋6:46〜横尾7:24〜9:33上高BT〜11:50上高地アルペンH〜上高地BT14:00〜19:30新宿駅西口
天候 | 27日:晴 28日:晴 29日:晴/曇/雨 30日:曇 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
・復路 上高地14:00〜新宿19:30 さわやか信州号 |
コース状況/ 危険箇所等 |
北鎌尾根も北穂東稜(通称ゴジラの背)も一般登山道ではなくバリエーションルートです。従って標識等はありません。 北鎌尾根は思っていたよりも踏跡が明確でした。天気が良ければ道に迷う心配は少ないと思いますが、ルーファインディング、岩登り技術、そしてスタミナが要求されると思います。北穂高東稜も同様ですが、鋭いナイフエッジから結構な高度感がありますので、高さを楽しめる方にお勧めです。より安全に通過するためにはクライミング道具を用いた方が賢明だと思います。 ■危険箇所 北鎌沢の大蛇、東稜尾根下側の白ザレ場(あり地獄のようでした) ■その他 北鎌尾根のコース取りは、基本的には稜線歩きが良いと思います。景色を楽しめかつ自分の位置が判るし、道迷いの心配も少ないと思います。巻く場合は殆ど千丈沢側でした。北穂東稜も基本的に尾根を攻めた方が安全だと思います。核心部から無理そうだと思えば、横尾本谷側のトラバースルートを使えばパスできます。(自分で歩いてはいませんが、ゴジラの背から確認しました) |
写真
感想
☀1日目
✽上高地〜横尾
新宿23時発さわやか信州号にて上高地BTに5時30頃到着。今年三度目の上高地入りとなる。
バスの冷房が効きすぎていた為か眠りが浅かったようで体調はやや不良。
今まさに夏山シーズン。大勢の登山客がベンチで和やかに朝食をとっていた。
僕は給水所で2ℓ程水を詰め込み、朝食を摂ることも無くそのまま槍ヶ岳方面へ進んだ。河童橋まで歩くといつもの穂高連邦の雄姿は雲で覆われていた。そして歩くこと30分、明神にてベンチへ腰を下ろす。
前日に小倉旦過市場の丸和(日本初の24時間営業スーパー)で朝食用に買っておいたヤマザキのランチパック(ツナマヨネーズ味)1袋を食べた。しかし、何だか食欲が無いし胃がむかつく。睡眠不足のせいだろうか。そのうち良くなるだろうと気軽に考え、さっさと登山道を歩きだした。
登山道脇にはシシウド、ノコンギク、ヤマセリ等の花が咲いていた。去年はまったく気にすることも無くただ通過していた道だが、やたら花の美しさで足止めされる事が多くなった。
徳沢に到着。涸沢フェスのイベント準備が始まっていた。朝からアウトドアメーカーの人達がテントブース内で何やら準備をしている。当然フェスティバルに参加するような時間等無いので休憩する事もなく通過した。
✽横尾〜大曲
7時58分、横尾にてザックを下ろす。胃のむかつきも薄れてきたので朝食用の残りの菓子パン1袋を食べた。空を見上げると薄曇りから青空に変わっていた。雨の心配は消えたが、数日前に槍ヶ岳で落雷事故があったばかり。午後からの雷が心配だ。
横尾から先は、道幅が狭くなり登山道っぽくなる。左の清流は狭く急な流れとなる。大槍ロッジにてトイレ休憩。100円を払って用を足す。ロッジの前に設置してある単眼望遠鏡を覗くと槍ヶ岳山頂が見える筈だが、残念な事に山頂のガスで何も見えなかった。期待してレンズを覗いた白人登山客も両手を広げていた。
槍沢付近から雪渓を歩く。汗ばむ夏山の登山道での雪渓歩きは涼しげで気分が良い。
背中に子供(1歳前後)を背負った登山者夫婦がいた。微笑ましいと思ったが、小さな子供は高山病の危険は無いのかと少々心配にもなった。そう言えば、自分も子供を背負って何度かスキーをした。あの頃は可愛かった。現在なまいき盛り高3受験生。
✽大曲〜水俣乗越
10時32分、大曲にて休憩。水俣乗越方面から数名の登山者が下って来たが、逆に登る登山者は少ない。恐らく北鎌尾根を目指す僕以外は登ってこないだろう。
この登りは高低差が約400mとの事。登り口は枯沢を歩いたが左側に道が見えたのでそこから登山道を登り始めた。風も無く地面からの熱気で汗ばむ。ちょうど1時間で水俣乗越にt越〜北鎌沢出合
11時33分、標識の前で写真撮影していると、70歳代と思われる女性登山者が西岳方面からやって来た。「槍ヶ岳はこっちで良いですよね」と標識の方向を呼び指した。「そうですね、東鎌尾根ですから、この方向で頂上まで約2時間ぐらいですかね」。「僕はこっちへ行きますので、それでは」と、標識に何も記されていない北側の雑林を降りて行った。
しかし、とんでもなくひどいザレ具合。木の枝を持ちつつ降りていくが、3度も尻もちをついてしまった。急勾配なので、自然と木の枝や葉っぱが顔や半袖の腕に当たる(これが後でとんでもない事に)、こんな経験は子供時代に蜑住(北九州市若松区の田舎)のにっしゃん家の裏山で秘密基地を作って遊んでいた頃以来だ。・・・・40年以上も昔の話。
う。雪渓を歩いたり左のザレ道を歩いたり、途中からは大石の枯沢となった。左前方から水の流れる音が聞える。多分、間の沢からの水流だと思う。
時計を見ると12時15分、木陰を探して昼食にした。メニューは尾西の赤飯(さかいやスポーツで購入)とウイダーエネルギー(近所のマツキヨで購入)とチップスター。赤飯のゴマシオが実に美味しく感じた。ウイダーは一気吸い。チップスターは数枚口に入れた程度。簡素な昼食だったが、お腹が満たされ再び沢を下り始めた。
間の沢出合と思われる場所で、驚く程透明な清流に目を奪われる。野生児の如く川の水を四つんばいで飲んだ。こんな美味しい天然水を飲んだのは初めて。ここなら素っ裸で泳いでも迷惑かからないし気持ちいいだろう。
川横の大石と大石との間を猿のように飛び越え進んでいると、焚火跡、左手に小さなケルンが見えた。ここが北鎌沢出合。13時18分に到着。ここを今夜の幕営地とするには時刻が早すぎる。沢を上がって北鎌のコルを幕営地とすることに決めた。この北鎌沢の登りの注意点は2点。1つは沢が枯れようが右俣を攻めること。そして、最後の右又には×印の石があるのでそこだけは左俣を攻めること。この2点を注意して北鎌沢を登った。
約10分後、左俣から水が流れているのに右俣は枯れている分岐点があった。予定通り右俣を登った。その先からまた水流が発生していた。大岩を数箇所登り、手を掛けた岩の上に大蛇が構えていた。一瞬心臓が止まった。カナヘビ程度なら何とも無いが、ニュロニョロ蛇は子供の頃から大の苦手で腰が引けてしまう。今回の山行で最も恐怖を感じた場面だった。
15時を過ぎた頃から段々と日差しが薄れ、妙にもの寂しさを感じた。誰でもいいから話し相手がいないものかと。ここは平日の北鎌尾根。どこを見渡しても僕以外に誰もいなかった。
それにしても今日の目的地が見えてこない。1時間は過ぎたのにまだ半分程度の位置なのか。
稜線に近づくと岩は無くなり草付きのザレ場となった。そこを抜けると本日の幕営地北鎌のコルにようやく到着(15時43分)した。東の方向に表銀座の稜線と赤岩岳、西岳が同じ高さに見えた。
暗くならないうちにfinetrack×Hiker's Depot ツェルト2ロングステルスVerを設営した。
ここは虫が多いので、虫除けスプレーや防虫ネットがあれば重宝すると思う。僕は顔に100円ショップで購入していた衣類ネットを防虫ネットの代わりに顔を被った。設営後ちょっと休憩するつもりで横になると1時間以上眠ってしまった。近くから登山者の熊鈴の音が聞えてきた。外へ顔を出すと1人の登山者が立っていた。挨拶すると彼はここにテントを設営するつもりだったらしく、先客者の僕に場所を確保されていた事にがっかりした様子だった。しかし、この少し先にも設営場所があることを知っているらしく、彼はそっちの方向へ行こうとした。僕はこんな場所で北鎌尾根を登る同志に会えたという気持ちからか、「明日は何時から行動ですか」と声をかけた。「明るくなってからですかね」と返事が帰ってきた。はっきりした時間ではないが、だいたい同じような時間帯に行動するのだなと判断した。熊鈴の音は上の方へ遠ざかっていった。
夕食は、尾西の山菜おこわ半分、カロリーメイト、行動食、チップスター。簡単に済ませた。無性にラーメンが恋しくなった。しかしお湯が無い。やっぱり小型ストーブを持って来るべきだった。
寝る前に外の様子を伺うと東の方向に入道雲、上空は薄暗い雲に覆われていた。もしや。夜中に雨や雷の可能性を考え、外に干していた靴や衣類を内部に入れた。特にすることも無く寝袋(寝袋代用SOLヒートシートエマージェンシーヴィヴィ12133)に収まり、アラームを4時にセットし眠った。
12時頃目が覚めた。頭上のファスナーを開け、仰向けのまま外の様子を伺うと真上にうっすらと星が輝いていた。風はほとんど無かった。雨や雷の心配はなさそうだ。寝袋内部が結露していた。本来緊急用のシートなので、寝袋の代替品としてそのまま使うには難点があることが分かった。(結露しないように針穴でも作るか)
再び眠りについた。3時頃目が覚める。再びテント内部から星空を眺めるとすっきりと晴れ渡った空から天の川が綺麗に見えた。流星も2度見た。こんな綺麗な星空を寝たままの姿勢で見られる事がテント泊の魅力の一つだと思う。東京の自宅でこもっている我が子達にも見せてやりたいものだ。
☀2日目
4時起床。ウイダーエネルギー、山菜おこわを食べ、ツェルトの撤収。
ツェルト床側に若干の結露があったが、拭き取ると直ぐに水分は消えた。
午前5時。陽ままだ昇っていないが、ライト無しで歩けるぐらい明るくなっていた。
行動開始。いよいよ北鎌尾根から槍ケ岳をアタックする時が来た。無事に頂上まで何時に登頂できるだろうか。
✽北鎌コル〜槍ヶ岳
雑林に登山者の明瞭な踏跡があった。道迷いはしなかった。途中ロープがあったが、木の根やハイマツを掴んで登った。小ピークを3つほど超えるとP8に着いた。ここで昨晩北鎌のコルでお会いした登山者と一緒になった。前回雨で中止となり、今回初の北鎌尾根だそうだ。今、北鎌尾根に僕以外の人間がいることに凄く安堵した。
独標へ進む途中で前方に登山者を目撃。意外や他にも先客がいた。独標のコル近くまで来ると、その人達の姿は見えなかった。さっさと先へ進んだのか?
独標のコルに到着すると、右下へ向かう明瞭な踏跡があった。そのままついて行くとひどいザレ場となった。事前の情報ではこんなコースを通過する事はなかった事に気づき独標のコルまで戻った。コルの先をよく確認すると、正面に小さなケルンを発見。その右脇から通れることを確認し、独標直下まで歩いた。下のザレ場から遠回りをしてしまった先行者2名がやってきた。先程のザレ場を下ってしまい随分と遠回りをしたそうだ。何処から来たのかお尋ねすると、香川県から最後の北鎌尾根と称してやって来たとの事だった。何となく一緒に行動する事となり、僕が独標トラバースルートを先に行き2名を待った。3名揃った地点で独標方向を見上げると登れそうな斜面だったので僕が先に直登した。途中ザレ場に合いハイマツを掴んで中間地点まで登る。大きな岩の下を潜り独標頂上の岩場まで上り詰めた。最後の岩の間を超えた地点が独標の頂上だった。
独標の頂上からの眺めは槍ヶ岳北側全貌、特に牙のように尖った小槍の姿が印象的だった。西側には赤茶けた硫黄尾根、三俣蓮華岳、鷲羽岳、水晶岳などがとても近くに見えた。槍ヶ岳頂上までの稜線はこの晴天のおかげで踏跡がくっきりと見え、まず道に迷うことはないと確信した。下から香川のBさん(お名前を聞いていませんでした)が登ってきた。独標まで登ってくる予定はなかったそうだが、記念にお互いの写真を撮りあった。
僕が先行し、P11を通過、C稜の頭付近の左の岩峰に登り右側のコルへ降りた(ネットで調べておいた情報の通り難なく通過した)、P12にて放置されたザック2個を発見した。かなり大きめのザック(80ℓ強)で、ここに放置されているのか理由が分らなかった(後日、ネットで調べたらケガをした学生が残したものだと分かった)。
P13付近から後ろを振り返るとC稜付近でどちらに進むべきか悩んでいるような素振りの香川のBさん達が見えた。僕は間のコルへ降りるようにと体全体を使って合図した。それに反応した香川のBさん達はその方向へ進み通過した。白くザレた岩場の正面に来た。もろい岩で危なそうに見えたが、クラック部分の左から稜線に出た。僕はそのままP14まで直登した。
P15は直登すると行き詰まるとの情報だったのでここだけは巻いて行った。巻き道も踏跡が明確だった。その先の北鎌平へは直登した。そこは稜線にしてはかなり広々とした岩場だった。この付近で遭難碑のプレートを数枚目撃した。刻まれた年数を見ると1960年代前後のものが多かった。その頃も登山ブームでこの北鎌尾根に憧れ、亡くなった登山者が数多くいたのだろうと思う。その頃の冬の北鎌尾根は命がけだったと思う。僕は、登山家松澤明、加藤文太郎がこの北鎌尾根の冬山で遭難した場所であることを小説「風雪のビバーク」、「孤高の人」で知った。多くの登山者もそのドラマを知ってか憧れや想いを持って北鎌尾根にやって来るではないだろうか。
大槍の直下に来た。付近に「BergHeil」のレリーフがあるとの事だったが、残念ながら見つけられなかった。
いよいよ本番。大槍へのアタック開始。余計な事は一切考えずにただ頂上を目指した。下のチムニーを見つけた。ここはオーバーハング気味となり、登りづらかったのですぐ右側の岩場から登った。登ってもまだ頂上が現われない。またもやチムニーが現る。今度は簡単に登れた。頂上は見えないが人の話し声が聞こえた。
岩をつかんで這い上がると、槍ヶ岳の祠の後ろに立っていた。「ついたぁー」。祠の前で記念撮影をしていた登山者が驚いてこっちを向いた。「えっー。こんな所から登ってきたのですか!」。僕はその登山者のカメラの被写体となった。今度は自分のカメラを取り出し「やったー」のポーズで記念写真を数枚撮影して頂いた。頂上で休んでいた他の登山者からも「どこから登ってきたの」と質問攻めにあい、気分良く指を差しながら「あの東鎌尾根の水俣乗越から沢を降りて、北鎌沢を登って、あの独票に上って北鎌尾根からここまで来ました」。ヒーローインタビュー気分だった。
北鎌尾根を見下ろすと、香川の二人組みはまだ遠い位置に見えた。
30分程頂上で余韻を味わった後、直下の槍ヶ岳山荘まで下った。
✽槍ヶ岳〜南岳小屋
時計を見ると、11時を過ぎた程度だった。明日予定していた北穂高岳東稜へ向かおう。今日のうちに北穂高小屋に泊まればベスト。或いはその手前の南岳小屋まで行ければ何とかなる距離。水分補給程度で、槍ヶ岳山荘前から穂高方面の稜線に向かった。
ところが30分ほど歩くとペースダウンしてしまった。足が進まない。さっきまでは何とも無かったのにとても苦しい。休憩と水分補給を繰り返し何とか南岳まで来た。何と此処へ到着するまで3時間も掛かってしまった。こんなヘロヘロ状態ではもうこれ以上は進めない。大キレットの通過なんて危なくて持っての他だと思った。お腹も空いたし北穂高小屋は諦めて今日は南岳小屋に泊まる事を決めた。
小屋の中へ入ると頑丈そうな体格のご主人が女性登山客の宿泊手続きをしていた。中々話が終わらない様子だった。間に入って即「ラーメン下さい」と言いたかったが、ザックを下ろし、靴を小屋のスリッパに履き替え順番を待った。
何日ぶりだろうか、最近ご無沙汰だったラーメンを口にするのは。先月の山行での上高地食堂以来かもしれない。山に入るとやっぱりこいつが最高に美味しい。日清カップヌードル。特に醤油味のスープが山の上ではたまらなく美味しく感じる。じっくりと味わいながら頂いた。
落着きを取戻し、相部屋に入った。疲れを取るため布団の上でゴロンとなった。1時間位は眠っていたかも知れない。宿泊客の単独者は少なそうで高知県から来たとか、山口から来たとか年配の団体客が多かった。小屋の中も外も仲間同士で賑わっていた。夕食(17時15分)までかなりの時間があるので、昨夜寝袋替わりに使って内部が結露してしまったシートを取出し、外に出て乾かした。心地よい風が稜線から流れていた。西側にそびえる笠ケ岳が夏雲の隙間から覗いていた。
ここでの夕食は畳の上だった。食事はどこにでもある普通の山小屋メニューといった感じだった。ごはんと味噌汁を2杯おかわりした。食事中に気づいた事だが、両腕と首のあたりに赤い発疹が多数出来ていた。特にかゆさは感じなかったが、見た目気持ち悪かった。恐らく二俣乗越から下る林の中で、ハゼノキの葉に当たってしまったからだと思う(1週間程で自然回復)。
笠ケ岳の夕日を見に下の土間へ降りた。千葉からの登山者とベンチで会話をしながら夕焼け待ったが、雲に覆われて目にすることは出来なかった。翌日の大キレット超え・北穂高東稜へのリベンジを考え早目に就寝(午後7時半位)した。
☀/☁/☂3日目
✽南岳小屋〜北穂高岳小屋
4時起床。布団の中でCWX、スボン、上着を着用。朝食の前に朝焼けを伺いに外へ出た。東の空が丁度赤く染まりだした。まばらだった南岳常念平に朝焼けを見る登山者が集まりだした。気温は10度前後だと思う。手がかじかんでいたが久しぶりの朝焼けを夢中で撮影した。
朝食を早目に済ませ、団体の登山者が出る前に僕は出発(午前5時40分)した。大キレットの通過が登山者渋滞で進めなくなるのは目に見えていた。昨年と今年7月末に同コースを通過したが、早朝のこの時間に大キレットを通過するのは初めてだ。空気が爽やかでとても気持ちが良い。キレット中央にはガスが覆いかぶさるように流れている。気温の低い時間帯だからだろうと思う。長谷川ピークから西の方向を向くと、すぐ近くから大雲海が広がっていた。こんな絶景を見たのは久方ぶりだ、岩場にカメラを配置しセルフタイマーにて何枚か自分撮りした。
飛騨泣きの最上部で、カメラマンらしき男性が今風のファッションをしたヤマガールと男性の写真を撮影していた。雑誌か何かの取材なのかもしれない。あまりジロジロ見るのも格好悪いと思い北穂高岳へ向かった。飛騨泣きを通過後も西からのガスの流れは止んでいなかった。北穂高岳を登る途中、槍ケ岳方面を振り向くと、同じように霧の白いガスが流れていた。今までこんな神秘的で美しい槍ケ岳の景色を目撃したのは初めてだ。「かっこいい」口走りながら何枚もシャッターを切った。すぐ近くで夏色の雷鳥も目撃し、3100メートルに位置する北穂高小屋到着まで疲れを感じる事もなかった。
✽北穂高岳小屋〜北穂南稜中間(下り)
8時5分、北穂高小屋のテラスに到着。オレンジジュースを手にした登山者を見て、同じものが欲しくなった。小屋の売店へ近寄った。氷で冷やされたポカリスエットを見ると心変わりし、400円で購入した。テラスに腰掛け、じっくりとゴジラの背(北穂東稜)を見下ろした。今年5月積雪期に敗退したことを思い出す。あの時は中間地点の雪庇から先へ進めなかった。今回の無雪状態でどこまで通過出来るだろうか。
隣のベンチから昨日、槍ヶ岳頂上で写真を写して下さった方と偶然再会した。どうやら同じ方向へ進んでいたらしい。お名前をお聞きすると、榎さんと言うお名前だった。写して下さった写真をヤマレコにアップする件、そして、今から一旦南陵を下り、東稜から再び登って来ることを説明し、別れた。
南陵の中間地点付近から東稜へのルートを目で探った。大きな岩の上に1匹の猿が座っていた。上高地周辺では良く見かける猿だが、こんな標高の高い場所に住み着いているとは意外だった。
東稜へのルートはここから見えなかったが、その大岩の右を上がって行くと東稜の尾根まで行けそうに思えた。途中まで枯沢を登り、雑林の中へ突入した。僅かばかり人が入った形跡があったが、最近のものでは無いように思えた。しかし、以前に誰かが通過したのは間違いなかった。尾根付近では、草を両手で掴みながらの登頂となった。
やっと尾根に出た。向こう側は、白くザレていた。人の歩いた跡があったので、その跡を歩くととんでもなかった。蟻地獄のように下へ何度もずり落ちそうになった。必至で木の枝にしがみ付き何とか抜け出す事が出来た。ここは草場の尾根を歩くべきだった。
白ザレの蟻地獄を抜け、尾根筋を歩く。今朝から装着していたCWXの位置が下へずれる事が気になり確認すると、表裏逆さまに穿いていることに気が付いた。東稜に全く人がいないことを確認し、稜線の中央で着替える事にした。北アルプスの山道、下半身パンツ1枚姿、カッコ悪いが気持ち良かった。
ゴジラの背の正面に来た。通過中何となく見覚えのある場所に出くわした。ここが5月に敗退した場所に違いないと思った。雪が無ければ全然怖くない地形だった。そこを通過すると鋭いナイフエッジとなった。いよいよ核心部に来た。この北アルプスの絶景と高度感とで頭の中は益々興奮の絶頂となった。「BergHeil」(登山万歳!)
怖さよりも嬉しさ楽しさの方が何倍も値を占めていた。今思えばもっとあの地点でもっと時間を過ごしておけば良かったのにと思う。
ゴジラの背最後の大岩に数本のロープが結ばれていた。このロープを掴んで約5メートル程下降し、核心部の通過を終えた。遂にリベンジを果たした。
北穂高小屋まではまだ大岩が連なっていた。ほぼ直登の勢いで小屋下まで辿りついた。小屋の前のテラスに上がった瞬間、みんながこっちを向いた。上がってきたのは、南陵方向でも大キレット方向でもない。東稜を知っている登山者が東稜から登ってきたんだ、「ゴクロウサン」と声をかけてくれた。「ありがとうございます」と頭を下げた。
北鎌尾根のように驚く人はいなかったが、みんなの視線を感じた。
空腹を感じ、時計を見ると12時を過ぎていた。売店でカップヌードルを注文した。今度は
シーフード。こいつもスープの塩味加減が最高。(カップヌードル万歳!)
丁度食べ終る頃、上空からポツポツと小粒の雨粒が落ちてきた。明日の最終日、雨に打たれての奥穂高岳〜上高地はなるべく避けたい。温泉にも入浴したい。目的は達成出来たので、上高地に近い涸沢ヒュッテを目指す事にした。
次第に雨粒が大きくなってきた。今日2度目の南稜下り。ルートは数時間前に通ったので、軽やかに下った。途中、白い草履を履いた登山者夫婦とすれ違った。いくら何でもこの岩場を草履で登るなんて大変だと思い声を掛けた。「この草履で大丈夫なんですか」「大丈夫ですよ。今の磨り減り具合が雨に丁度いいんですよ」「へぇー。どこに売っているんですか」。「自分で作ったんですよ」。「自作ですかぁ。お見事ですねぇ。どこから来られたのですか」「名古屋からですよ」「写真とっても良いですか」。「どうぞ」ヤマレコ掲載の了解を頂き、そのご夫婦は北穂高岳へ、僕は涸沢へ下って行った。(青合羽の雨姿がとても印象的だった)
時計を見ると涸沢ヒュッテまで1時間を切れそうなタイムだった。雨で濡れた岩場を慎重にかつ素早く下りきった。
涸沢ヒュッテの中へ飛び込み時計を確認した。北穂高岳からのタイムは58分だった。
✽涸沢ヒュッテ
涸沢ヒュッテには今回で2度目の宿泊となる。今年5月に着た時は積雪で辺りは白銀の世界だった。早朝のモルゲンロートがとても美しかった事を覚えている。そして相部屋での見知らぬ方々との山談義のひと時も思い出深い。
今回の相部屋は本館の「丸山」だった。濡れた衣類を乾燥室へ干し、「丸山」へ入った。まだ登山客はいなかった。積まれていた布団を奥に敷いて寝床を確保した。時間はたっぷりあった。後から僕よりも年配の登山客が入ってきた。「宜しくお願いします」お互いに挨拶を交わした。疲れている風にも見えた。布団を敷き仮眠された様子だった。
続々と登山客が入り相部屋は満室となった。荷物整理を終えても夕食の時間までたっぷりあった。誰とも話す相手がいなかった為、賑やかな談話室へ入った。仲間同士ジョッキーグラスで乾杯しているグループがいた。ビールは上高地まで下ってから飲もうと思っていたが、明日は険しい登山道でもなく下るだけだと、甘い理由を付け、ジョッキー1杯を注文することにした。
2人組みのお兄さん達の横のテーブルが空いていた。「ここ大丈夫ですかね」と、隣の席に座る事を断ってジョッキーを片手に取り、グビッグビッと逃し込んだ。やっぱり下山後の一杯は格別に旨かった。一人黙って飲むほど苦痛な事はない。即座に隣席の30歳前半に見える2人組みに話しかけた。「今日は何処まで登られたんですか」「いえ、今日はここまで来ただけです」「明日、奥穂高岳へ登るんです」。今回は下見程度のことで、明日頂上までピストンされるとの事だった。登山の経験はそれほどでも無いと謙遜されていたが、関東の低山には詳しい様子だった。僕など北アルプスの一部しか知らないし、ただの岩稜好きのおっさんかも知れない。職業をお尋ねすると横井さんがL.L.Beanにお勤めとの事だった。
L.L.Beanと言えば、アメリカのアウトドア用品のメーカー。10年以上も前、値段の高かった頃に平行輸入でシャツを購入した記憶がある。お店は吉祥寺の井の頭公園近くにあったと記憶している。
横井さんは、今回L.L.Beanのロゴ入りの道具を持って来たとの事で、上着、ザック、ストックを見せて頂き、写真もばっちり写させて頂いた。
宮崎さんは医薬品の営業部門にお勤めとの事だった。で、僕はと言うと・・・「毎週仕事で競馬」
短い時間ではあったが、山の仲間との楽しいひと時だった。初の奥穂高岳はどんな光景に映っただろうか。そして僕が薦めたジャンダルム手前の「馬の背」。これを読んでいたら感想を頂きたいものだ。
相部屋に戻ると隣の布団の上で先程挨拶した方(岩立さん)がカメラのファインダーを覗いていた。そのカメラを良く見ると、これぞ一眼山カメラと称されているOLYMPUS OM-Dだった。このカメラ、OMシリーズの最新デジタル一眼。触らして頂いたが、手に取ってみるとコンパクト性、軽量性が他の一眼と比較して著しく違うことが分かる。最近のミラーレスとも一線を画したカメラだと思う。オーナーの岩立さんより、良い点・もう少しの点(外付ストロボ、三脚ネジ位置、中国製)等詳しく教えて頂いた。形も全体的にゴツゴツした男気の雰囲気。70年代マニアの僕にはデザインでも魅させられた。
待ちに待った夕食の時間になった。新館の食堂へ移動し、見知らぬ方々との夕べのひと時となった。気になるメニューは、南岳よりややボリュームがあり、生野菜(トマト、キャベツ)もあったので美味しく頂いた。
部屋に戻ると隣の岩立さんとカメラと山の話になった。近々、剱岳で撮影したいと思っているが、剣岳がどの程度厳しい山なのかが判らないとの事だった。丁度先月末僕は剱岳に登ったばかりだったので、蟹のタテバイ・ヨコバイ状況を説明し、今回、大キレットを経験されているのであれば大丈夫とのアドバイスを差し上げた。また、黒部の下の廊下にもご興味をお持ちとの事であった。僕も是非行ってみたいと思っていた場所だけに、随分と話が盛り上がった。帰りは僕と同じ14時発新宿行のバスに乗車するとのことだった。・・・・20時頃就寝。
☁4日目
✽涸沢ヒュッテ〜上高地
5時前起床。今日僕の予定は、雨が降る前に上高地まで到着すること。予報では午後から雨マークだった。ここを8時に出発しても優に12時迄には到着する距離。5時半から朝食となった。そんなに急ぐ事も無いので、ゆっくり目に食事をしたかったが、夏山の涸沢ヒュッテは、宿泊客が多く、空いたテーブルから登山客が入れ替わって入ってくる。急かされるように食事を摂った。
部屋へ戻り身支度を整え、L.L.Beanの横井さん、宮崎さん。岩立さんに別れを告げ、涸沢ヒュッテの外へ出た。
曇天の空模様、名残惜しい涸沢カールを写真に納め、午前6時下山開始。
6時46分本谷橋着。〜横尾7時25分着。横尾からの途中から河童橋まで、9時25分河童橋着。約3時間半で上高地BTに到着。この時間帯人はまばらだった。12時から外来入浴ができる上高地アルペンホテルの時間までかなりの時間があった。いつも観光客が美味しそうに食べている上高地アイスクリームを買った。ヨーグルトジェラートがミックスされ普通のソフトアイスとは食感が違っていた。運動後、口にするものは格別な味に思えた。
汗だくのシャツや靴下を日干しにして時間を潰した。
12時、上高地アルペンホテルにて入浴。4日振りだった。風呂から上がると岩立さんと再会した。お昼をご一緒にでもと思ったが、お酒は頂かず、上高地帝国ホテルにていつも楽しみにされている食事をされるとの事だった。僕は僕でいつもの上高地食堂2番席で生ビール、から揚げ+お楽しみのメニューと決め込んでいたので、風呂場でご挨拶して一時別れた。
上高地食堂2番席(たまに3番席)は僕のお気に入りの席。目の前に穂高連邦の全体が窓越しに見え、食事中も目を癒してくれる。いつもの生ビール、鳥の空揚げと今回は岩魚の塩焼を注文した。何十年かぶりの岩魚の塩焼き。真ん中の骨と顔の部分を残して綺麗に食べつくした。鳥の空揚げは値段の割に量が多い。ミニトマトやレタスが付いてこのボリューム。生ビールの御つまみにジャストな組み合わせだと思う。
時刻は14時前。バスターミナルの集合場所へ行き、自分の座席を確認し、ザックを係の方へ預けた。乗車予定者の岩立さんがまだ来ていないと係員が運転手と話をしていた。僕は「その方は上高地帝国ホテルで食事をされてもうすぐ来ると思いますよ」と、話した丁度その時、御本人が現れた。
✽上高地〜新宿
14時、乗車予定者全員が揃いバスは出発した。途中、新島々のバス停で数名が乗車してきた。暫く一般道を走った後高速道路へ入った。お腹も満たされた午後の眠い時間帯、いつの間にか眠っていた。
目が覚めたのは高速道路の休憩所へ入る直前だった。トイレ休憩後、SAの施設に入ろうとした時、岩立さんからお礼だと言われ、手にすると重みのある品だった。上高地帝国ホテルで購入した信州産リンゴジュースだと言われた。お礼だとしても、こんな高級なものを頂けるような事は何もしていないので驚いた。悩まれていた剣岳登山の決め手の情報が何よりも嬉しかったとのご様子だった。
高速道路では、事故渋滞等で休憩時間は短かったが、19時半、新宿駅西口へ到着した。下車して岩立さんと一緒に駅まで行くつもりだったが、帽子を社内の網棚に置き忘れた事に気が付き慌ててバスへ戻った。岩立さんへきちんと挨拶をしたかったが、中途半端に分かれてしまった。
岩立さんへ、「頂いたリンゴジュースは家族全員で頂きました。一般のリンゴジュースの味とは違って、自然で上品な甘さが特に娘には好評でした」。この場をお貸してお礼申し上げます。ありがとうございました。
■装備品について
登山道具は日頃から軽量化を意識していますが、今回は食事面で火気不要の食料にて軽量化(アルファ米とパン等)を図りました。また、テントは当然ツェルト(僕のはfinetrack×Hiker's Depot ツェルト2ロング ステルスVerを愛用)を利用し、寝袋はSOLヒートシートエマージェンシーヴィヴィ12133で代用しましたが、内部が結露したので代用品としてはNGでした。
・一覧
ツェルト:finetrack×Hiker's Depot ツェルト2ロング ステルスVer
マット:Nemo ZORショート
寝袋:SOLヒートシートエマージェンシーヴィヴィ12133(代用品)
ザック:オスプレータロン33ℓ 920g
かメラ:CANON PowerShotS100
GPS:オレゴンCT450(英語版)
衣類:長袖The North Face夏服・ダウンジャケット、半袖Rab2枚 パンツ:コロンビア モンベルジオライン
靴:VASQUEローカットブーツ
ポール:LEKI AGサーモライトアンチ
他:CWXスタビライクス、LEKI手袋、PETZL ELIOSヘルメット、サングラス、単三電池4本(松下EVOLTA)、スマホ(DOCOMOネットワーク)、携帯電話(AUネットワーク)、SUNTO-COMET
食料(アルファ米2袋、ウイダーゼリー2個、カロリーメイト2箱、菓子パン3個、チップスター)行動食、乾燥マンゴー
水:プラティパス2ℓボトル、ポカリスエット0.5ℓボトル
・持ってくれば良かったと思うもの
小型AMラジオ、小型ストーブ、燃料、コッフェル、カップヌードル
■次回の山行は9月下旬を予定しています。
お久しぶりです。槍ヶ岳頂上で、槍ヒーローの写真を撮影した榎です。祠の後ろから登場したときの驚きといったら・・・。北穂高小屋で思わず、「雑誌に出ている方ですか?」なんて聞いてしまいましたよ。
ヤマレコにアップするとおっしゃていたので、毎日チェックしてました。それにしても、綺麗な写真ばかりですね?確か、一眼レフではなかったかと思いますが。
ちなみに、コメントを書きたくてヤマレコのユーザーになりました。
お互いに気を付けて、楽しい山旅を続けましょう!
そう、私のカメラには槍ヒーローと一緒に写っている写真がありますよ。宝物にしますね。
先日の山行お疲れしました。
槍ケ岳山頂では、写真有難うございました。
翌日、北穂高でも偶然でしたね。
因みにカメラはCANON POWERSHOT S100コンパクトデジカメです。榎さんも写真をヤマレコにアップしては如何でしょうか。
また、どこかのお山で仰いで来たら嬉しいですね。
ありがとうございました。
はじめまして。
今回の北鎌も北穂東稜もすばらしいのですが、一番驚いたのはGWに東稜に行っておられることでした。
撤退されたようですが、夏でも結構大変なのに、GWに行くだけでもすごいと思いました。
私なら行こうと思いませんので・・・
今後も山行記録を楽しみにさせていただきます。
はじめまして。
BIMOTAさんこそ凄いですね。
北鎌も東稜も経験済みなんですね。槍・穂高方面の常連さんなのですね。積雪時期の穂高いいですよね。雪の東稜は失敗でしたが、何とか今回リベンジできて心がすっとしました。
私もBOMOTAさんの山行楽しみにさせて頂きます。
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