大峰奥駈道5日間《日本百名山》


- GPS
- 36:33
- 距離
- 100km
- 登り
- 7,952m
- 下り
- 8,016m
コースタイム
- 山行
- 6:58
- 休憩
- 1:02
- 合計
- 8:00
- 山行
- 10:25
- 休憩
- 0:25
- 合計
- 10:50
- 山行
- 9:59
- 休憩
- 1:46
- 合計
- 11:45
- 山行
- 10:05
- 休憩
- 1:14
- 合計
- 11:19
- 山行
- 6:20
- 休憩
- 1:31
- 合計
- 7:51
天候 | 1日目:晴れ一時曇り、2日目:雨一時曇り、3日目:晴れ後雨、4日目:曇り後雨、5日目:曇り後晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2004年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
復路:熊野本宮前バス停からJR紀勢線新宮駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
世界遺産の道は整備されている |
写真
感想
1日目(9/23): 晴れ一時曇り
大峰山奥駈道、吉野から熊野本宮大社に至る100劼鯆兇┐觸じ各珊埃圓瞭察世界遺産に登録された熊野古道の一つだが他の5道と決定的に違うのは、ルートのすべてが山頂稜線を辿っていることで75箇所の「靡(なびき)」と言われる行場が点在する。熊野から吉野に向かうのを順峰(じゅんぶ)、吉野から熊野が逆峰(ぎゃくぶ)と呼ばれているが、近世では逆峰が一般的になっているようだ。
近鉄吉野線の六田駅を8:10に歩行開始し、奥駈道の起点となる吉野川柳の渡しだが今は渡し舟も無く近くの美吉野橋で渡った。この辺りには指導標の類は全く無く地図だけが頼りで登り口を探すと民家の間の奥、墓地の横の車道をどんどん登って行った。だんだん道幅が狭ばまり、草深くなって来た。殆ど人は歩いていないようだ。次々に出てくるクモの巣が凄まじい。ストックで払いながら進むが油断をして顔にまともに引っかかってしまう。不快な思いの末、奈良県青少年の家のある丈六山(270m’)に達した。少し下ると吉野神社の境内で後醍醐天皇が祀られている。奥駈けの無事を祈願した。ここからは吉野山の山頂域の車道歩きとなり吉野ロープウェイの山上駅を右手に見て旅館や土産物店が並ぶ門前町を抜け吉野の中心地、金峯山寺蔵王堂に到った。此処は修験者の聖地で、この日は修験者の護摩供があるらしく護摩壇が用意され女性修験者が祈りを捧げていた。
吉野山は言わずと知れた桜の名所、中千本、上千本を桜の季節を思い浮かべながら車道を進むと勾配も急になった。第72靡の水分神社(みくまりじんじゃ)に参拝し、更に進むと車道から分岐し高城山(702m)に登頂。南北朝のころ後醍醐天皇の皇子大塔宮護良(もりなが)親王が陣を構えた所で“つつじが城”とも呼ばれる山頂には展望台があり、金剛山、葛城山、竜門岳などが展望できた。昼食の後、獅子尾根の林道を登り西南に西行庵方向への道を分け、暫く進むと青根ヶ峰(858m)に分岐して登るが展望は無かった。此の山が総体山名の吉野山の主峰とされている。
カクレ平に達すると漸く林道と別れ登山道となった。この助四郎尾の尾根下で杉の伐採行われており切り出した木をヘリコプターで吊り上げ尾根南側の林道に下ろすため上空を何度も往復していた。頭上に通るときは吊荷が外れないか冷や冷やしながら通り抜けた。柏原山方面を分岐する新茶屋分岐から少し登ると薊岳(約1,200m)へと高度を稼ぐ、展望は全く無くすぐ先の四寸岩山(1,236m)では少し展望が利いた。
北の方から雲が出てきて空が怪しくなってきた。元々天気は悪いはずだったので仕方がないか。折角登ったのに200mも下降し二蔵宿小屋に達した。ここで小父さん二人を追い越し、いよいよ本日の最高峰、大天井岳に挑む。標高差400mの長い登りだ、20圓硫拱はやはり重い肩に食い込み痛くなってきた。1時間掛かって3等三角点「大天井」のある大天井岳(1,439m)に登頂した。北側の展望が良く四寸岩山が見える。南東へと縦走路を下り切ると五番関に到った。ここから先は大峰山の核心部、女人結界門があり女性は入れない。日本に残る最後の女人禁制の山、山上ヶ岳だ。ここで天泊の予定だったがまだ15時もう一足伸ばし洞辻(どろつじ)茶屋まで足を延ばそう。ここまでも度々出てきたが「古道」と「在来道」。古道は名の如く昔からの道で山頂を忠実に辿っているが、在来道はここまで経てきた山のすべてを巻いておりこの先の小天井岳も登らない。こんな詰まらない道だが残念ながら今ではこちらがメインになっているようだ。追い越した小父さん二人も巻き道ばかり歩いてきた登山者ならぬ無登山者だった。
小天井岳(1,340m’)の山頂は標識も無く、展望も無い。天気は持ち直し再び晴れてきた。山上ヶ岳の登りの導入部分で鎖場もありアップダウンしながら登り続け、大天井岳の標高を越えた1,480mで漸く洞辻茶屋に到着した。下山途中の人達が休憩しており中の一人はこの山域の熟達者で色々な情報が得られた。茶屋は昨日で店仕舞いしており登山道を跨ぐように建った小屋の屋根の下には床几が並びその上にテントを張った。17:00過ぎにさっき二蔵宿で追い越した小父さん達が追いつき同じようにテントを張る。歩き出しは上千本からだったそうだ。
2日目(9/24): 雨一時曇り
夜中に降り出した雨は小降りになった。屋根の下で幕営したのでテントが濡れることもなかった。5:25雨具を付けて茶屋を出発し小ピークを越え68番靡の浄心門を通過すると登りが続き、いよいよ大峰山信仰の中心部に達する。大峰山の主峰は最高峰の八経ヶ岳(1,915m)なので登山者の感覚とは若干ずれる。断崖絶壁の岩場から身を逆さに乗り出し修行をする西の覗、日本岩の行場、その先に山上ヶ岳(1,719m)の1等三角点「大峰山上」の山頂がある。雨は止んだが濃いガスの中だ。頂上直下には大峰山寺の本堂があるが、宿坊を含めすべて冬支度で閉ざされている。この程度の標高で一寸早過ぎるのではないかと思うが、あくまでも宗教上の季節なのだ。そしてこれからは登山者だけの静かな季節に入る。良く考えてみると、行者さんが動く時期は宿坊、避難小屋なども利用されるので、我々登山者は遠慮すべき時期なのだろう。
奥駈道は東に転じる。地蔵岳(1,685m)もルートは巻いているので右に登路らしきものを見つけ登頂した。50mほど下ると小笹宿で小さな避難小屋とすぐ近くに水場があり、水を3.5ℓ補充した。竜ヶ岳(1,720m)、阿弥陀ヶ森(1,680m)とルートを外れて登り、直下の阿弥陀ヶ森分岐では柏木への下山路を分ける。ここにも女人結界門があり、女人禁制域は終わる。再びルートは南に転じ山頂のはっきりしない明王岳(1,569m)を通り小普賢岳(1,730m’)の岩場に向かった。このころ遠くの空でゴロゴロ鳴り出し再び雨も降り出した。まだ8:30なのに先が思いやられる。小普賢岳に達する頃には雷鳴もはっきりしだし、今年多発した落雷事故のことが頭をよぎる。しかし樹林帯の稜線で逃げ場は無くそのまま歩き続ける。8:59大普賢岳(1,780m)に達するが雷が怖く3等三角点「普賢森」にタッチしただけで通過した。次の弥勒岳(1,690m)に着く頃には雷も止み小雨となり一安心。国見岳(1,655m)は険しく鎖のかかる岩場でかなりの難所だ。七曜岳(1,584m)を越えると南側で和佐又への道を分けた。大普賢岳からここまでのコースタイムは1:15だが休憩なしで歩いたにも拘らず1:30を要した。昭文社の地図の大半は緩々の時刻が書かれているがこの山域だけは別のようだ。他の地図の1.5倍の時間は見ておいたほうが無難だろう。
アップダウンが続く稜線を南下すると左に巻き道があるが迷わず稜線道を選び行者還岳(1,546m)に登頂した。再び雷が鳴り出し雨も強くなった。ここで大チョンボをしてしまう、行者還小屋方向へ降りたはずだったのにルートは何時しか登ってきた道に合流してしまい、雨の中、カッパのフードで視野も狭く眼鏡を外しているので足元しか見ていない。何時しか巻き道との分岐も通り過ぎて、気付くまでに時間がかかり過ぎてしまった。漸くおかしいと思いコンパスを出すと方向は北を示している。反対方向だ。そう言えば通ったような気のする道だった。引き返して行者還小屋に着いたのは12:38、実に1時間のロスをしてしまった。彷徨っている間に雨も小降りとなり小屋を覗いてみると何と立派な小屋だろう。真新しく3つの区画に分けられしかも明るい。停滞している男性が一人所在無げに座っていた。泊まりたくなるが、パンを食べただけで出発し一ノ峠(いちのたわ)を目指した。アップダウンが続き1時間を要した。避難小屋があるが荒廃激しく、辛うじて屋根があるだけで扉、窓は無くなり倒木が覆いかぶさっていた。
雨は止んだがガスは濃い、奥駈道は西に転じ弥山への登りとなる。ピークが幾つもあるが名前のあるのは弁天の森(1,600m)のみ、3等三角点「聖宝」がある。第55番靡の聖宝の宿を過ぎると勾配もきつくなり、肩の荷がずしっずしっと食い込んできた。喘ぎ喘ぎ登り詰めると、奥駈道唯一の営業小屋である弥山小屋に到着した、濡れた地面にテントを張る気力は失せ小屋に宿泊をお願いした。到着が遅く夕食は出来ないとの事で、素泊まり5,000円。荷物を置いて弥山(1,895m)をピストン天候が回復し晴れ間が顔を覗かせ、八経ヶ岳が望めた。山頂には天河奥宮の祠があり第54番靡となっている。この日の同宿者は、女性二人組みと、単独行の男性のみ。水は要煮沸の水をポンプで揚げているようだ。
3日目(9/25): 晴れ後雨
前日夕方から回復した天気は続き青空が広がっている。少し明るくなった5:20に小屋を出発し大峰山の主峰、八経ヶ岳(1,915m)を目指した。漸く明るくなった頃登頂。北側の展望が素晴らしく弥山、弁天の森、行者還岳が良く見えた。前日は全く展望が利かなかったので山の姿に記憶は無い。15分ほど行くと明星ヶ岳(1,895m)だが、在来道はやはり巻いている。登路はなく微かな踏み跡? を辿り山頂に達するが標識も無く展望も無い。その後も禅師ノ森(1,767m)、五胡峰(1,694m)もルートを外れ藪漕ぎで登った。展望は良く得した気分になる。舟ノ峠(ふねのたわ)に一気に下り、100m登り返してまたもや道の無い楊枝の森(1,693m)に這い登るが山頂だけガスがかかり展望は得られなかった。
少し下ると再び晴天となり楊枝ヶ宿の鞍部に下りるがあるはずの避難小屋は見つけることが出来ず通過してしまった(実は縦走路から東側に外れた所にあったのだが・・・)。200m登ると仏生ヶ岳(1,805m)だがピークへはやはり道がなく薮を漕ぐ、3等三角点「佛生岳」だけがひっそりと待っていた。存在感のある山なのに標識も展望も無いのが残念。更に40分ほど南下すると鳥の水と言われるか細い水量の水場がある。ここから東のピークを詰めると孔雀岳(1,729m)だ。やはり道は無く薮漕ぎだ。10:06登頂、山頂は木の間越しに僅かな展望があるだけで標識は無い。
登山道に戻り10分余り行くと小さなピークに達しここに何と「孔雀岳」の標識があるではないか!しかしこれは明らかな間違いで孔雀覗の行場を称しているようだ。このあたりから雲が出だし青空が覆われてしまうが高曇りで展望に問題はない。橡の鼻(くぬぎのはな1,700m’)の難所の岩場は見晴らしが良いので昼食タイムにし30分休み、体力を養った。
釈迦ヶ岳(1,800m)へ登ると山頂は360°の展望があり第40番靡の行場でもあり釈迦牟尼仏の銅像が鎮座していた。急斜面を下り始めると今日始めての人とすれ違った。前鬼(ぜんき)から登ってきた小父さんで大日岳と釈迦ヶ岳をピストンするそうだ。300mほど下ると深山宿で行場が集中している。小屋があるが扉がなくなりかなり荒廃していた。登山道から分岐し大日岳(1,540m)に登るが恐ろしく険しく、鎖が架かり最後は45°以上の岩の斜面を鎖に体を預け登った。山頂には大日如来の仏像が安置されており、第35番靡となっていた。鞍部は太古の辻でさっきの小父さんが登って来た前鬼からの登山道が分岐した。
奥駈道もここから先は「南奥駈道」となり益々ひと気はなくなる。蘇莫岳(1,521m)にも道は無いが登ってみると展望は最高で儲け物だった。次の石楠花岳(1,472m)も道なく、山頂域はその名の如くシャクナゲの群落で花の季節は素晴らしいだろう。尾根をダラダラ行くと天狗岳(1,537m)に達した。展望は良好だが雲の厚みが増し次のピーク奥守岳(1,480m’)に達する頃には終に小雨が降り出した。レインハットを被り嫁越峠に降りた時点で完全雨モードに変更する。天狗岳以降、巻き道はなくなり、奥駈道が忠実に山頂を通るようになった。地蔵岳(1,464m)、般若岳(1,328m)、と徐々に高度を下げ剣光門に達する頃には本降りとなった。雨の中、先を急ぎ200m登り返し涅槃岳(1,376m)、証誠無漏岳(1,301m)、阿須迦利岳(1,251m)を越えると薄暗くなりだし漸く今日の宿泊地持経ノ宿に到着した。
小屋近くまで林道が上がっておりその林道を400m下った所に水量の豊富な水場があり小屋備え付けのポリタン(10ℓ)を持ってまずは水汲み、一人で広々と荷物を広げ濡れた衣服を干すが残念ながら乾かない!
4日目(9/26): 曇り後雨
昨日午後から降り出した雨も夜半にはあがった。まだ薄暗い5:20に小屋を出発し名無しのピーク(1,186m)を越えた。下りると小じんまりした平治の宿があり扉が開いていたので中を覗いてみると何と人がいた。北へ縦走するという男性が一人食事中だった。そしてこの人と会ったのを最後に熊野本宮まで登山者とは全く出会うことはなかった。この小屋も水場が近く宿泊にはよさそうだ。
登り返すこと150mでこの日の最初の山、転法輪岳(1,281m)で2等三角点「池峰」が設置された堂々とした山だ。山頂だけ濃いガスが掛り展望なし。次の倶利伽羅岳(1,252m)は急峻な山で鎖がかかるが、木立ちで展望は無かった。ここから行仙岳までの間は理由不明ながら「横駈」と呼ばれている。アップダウンが小刻みに続き忍田宿跡まで下りで、登り返すと行仙岳(1,227m)に達した。3等三角点「大峰山」があり何だか大峰山脈の代表のような三角点名だ。山頂展望は良好でNHKとNTTの電波塔があり目印になる。下ると佐田辻で浦向からの登山道が合流した。此処には立派な行仙小屋があり真新しい。10分下った所に水場があり宿泊適地だ。
佐田辻からは笠捨越で一旦1,040mまで下ったあと310mの登り返しで本日の最高峰、笠捨山(1,352m)となるが手前に1,246mの大きなピークがあり辛い。9:38漸く山頂に到着、同名の2等三角点が設置され展望も良い。小雨がパラつくが展望は利いている。方向を北西方向に転じ、下りだすと雨は止み葛川辻に達した。5分下ると水場があり、この後の玉置神社に水場があるだけなので、まだ10時だがここで昼食にして水補給を行った。
再び歩き始めると斜面の下に林業作業者の姿が小さく見え人の気配にほっとし。険しい登路で槍ヶ岳(1,226m)に達すると此処は第17番靡の行場でなるほどと肯ける。また小雨となり滑る斜面を鎖に助けられ攀じ登るとトンガリ帽子の地蔵岳(1,250m)に到った。下りも険しく20分ほどでと東屋岳(1,230m)に達すると木立の山頂は広くかつては四阿宿であったそうだ。
ルートは南西に転じ30分行くと3等三角点「三本杉」のある香精山(1,121m)で、パラパラしていた雨もあがった。ここからは只管下り坂で、落ち葉の下に潜んだ木の根で足元悪く滑りやすい。慎重に進むが2度ほどスリップしてしまい手は泥だらけになった。貝吹金剛で上葛川への道を南に分け更に下り続けやがて如意宝珠岳(736m)に達した。国道425号線がトンネルで下を通る鞍部650m位まで降りてしまう。再び登りに転じ岩ノ口で葛川隧道登山口に降りる道を右に分けた。稚児森(703m)のピークを越え、ダラダラ登ると右手に林道が寄り添うように現れては離れる。
また雨が降り出し雨具を身に着けた。やがて林道に飛び出すとてっきり先程の林道と思い込み進んできた方向に行くとこれが大きな間違いで、本道から分岐した枝線で南東尾根を行ってしまった。何時までも登山道の入口が現れないので不信感を持つがガスで遠望は無く、そのまま進んでしまった。仕舞っていたコンパスと登山地図を出すと漸く間違いに気付き引き返すことに! 分岐まで戻り10mも逆に行くと「花折塚」の指導標発見。また1時間近いロスをしてしまった。分りやすそうな奥駈道で2度も道間違い、雨で確認を怠ることの怖さを改めて実感した、情けない! 辛目のコースタイムで遅れがちの行程に更に追い討ちがかかり玉置山を目指す。花折塚(952m)は結構厳しい登路で雨具の中は汗まみれだ。
林道との最後の分岐から登山道に入るとカツエ坂の登りとなる。「飢坂」書くようだ。そう言えば疲れてお腹も減ってきた。今日は雨の中のテント泊で気が重い。兎に角玉置山(1,076m)は越さなければならない。喘ぎ喘ぎながら登り16:30漸く山頂に達した。1等三角点「玉置山」があり晴れていれば展望は良さそうだ。欲望は満たされず三角点にタッチしただけで先に進んだ。
すぐ下に玉置神社があり境内のどこかにテントを張ろう。無人の神社なら問題はないが人がいたら煩いかな。神社に下る途中から大雨になり気分は萎える。灯のともった社務所が見え丁度頃合に参詣道を跨ぐ形で屋根がある。この下に張ろうと社務所に許可を求めに行くと宿直の神職が一人食事中で「一人か? 良かったら泊まっていきなさいと」中に招じ入れてくれた。これぞ神徳、深く神様に感謝した。ずぶ濡れになった服を着替え食堂に食料を持っていくと「御飯を食べろ、おかずはあり合せだが」とおまけに奉納された高価そうな大吟醸酒まで出てきて「酒はいくらでもあるから、どんどん飲んで」と、さらにお風呂まで勧められ夢のような心地だった。国常立尊(くにとこたちのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、 伊弉冉尊(いざなみのみこと)、天照大神(あまてらす・おおみかみ)、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと・神武天皇)の日本の根源4神を祭神として祀るこの神社は、紀元前崇神天皇の創建とも伝わる古い神社だ。第10番靡でもある
5日目(9/27): 曇り後晴れ
前夜の雨はあがり、お世話になった神職はまだご就寝中で挨拶もできず、本殿の神様に心からのお礼を申し上げ賽銭もはずみ5:14に出発した。樹林帯で参道は真っ暗、ライトを点けて進んだ。ラジオの天気予報は曇りのち雨、午前中60%、午後40%、所により雷雨と告げる。今日も雨か! 最終日だ、降らないうちに行程を稼ごう。今日の行程は下りから始まる。林道の交差する玉置辻(本宮辻)の750mまで下降した後徐々に高度を上げ旧
篠尾辻に出た。此処は大平多山から篠尾へのルートを分ける。そして大平多までは20分の距離、今回の縦走は奥駈道から外れる山は無視して忠実にルートを辿ったが往復40分の道草なら行って来るかと意を決し荷物をデポし速攻する。杉の植林帯の中で展望は利かない山だが標高が999mと云う一寸足りない感が良い。急いだので僅か18分で往復でき、奥駈道に復帰した。奥深い奈良県から稜線の南側は和歌山県と言う県境尾根に出て西へルートを取り本日の最高峰、大森山(1,078m)に取り付いた。最後は急登で6:55山頂に達した。展望は無く拍子抜けだった。更に進むと大水ノ森(1,045m)、同名の3等三角点があった。「大森山三角点」とも言われているがただ私製の山頂標識の中に「大森山1,045m」としたものがありこれは明らかな間違いなので裏返しにしておいた。
此処からはどんどん下り篠尾辻で切畑に下りる道を西に分けた。切畑は終着点の属する和歌山県本宮町だ。更に下り若干登り返すと五大尊岳(南峰825m)に到った。今日はこれまで樹林帯で展望は殆ど無かったがこの山頂からは一部展望が得られた。天気予報に反して曇ってはいるが結構遠望も利く。小さな石像があり第7番靡となっている。靡番号も漸く一桁になりゴールの近さを実感してくる。下り続けて金剛多和(440m)位まで降りてしまい上切原に下りる道を西に分ける。登りに転じ大黒天神岳(579m)への登りとなる。もうこの程度の低山帯になっているのだ。しかし登りはキツイ。登頂すると意外に展望が良かった。
南尾根を下ると杉の伐採地に飛び出し西側の展望がパっと開けた。蛇行した熊野川の対岸大井の集落が半島のように見える。山在峠で265mまで下降し、再びアップダウンを繰り返しササユリ広場に達した。車道も上がってきており広場の端の階段を登り切ると最後の七越峰(262m)だ。公園のような山頂に到着、天気は雨が降るどころか晴れてきて暑くなってきて太陽が眩しい。周辺の県では大雨の降っている所もあるみたいだが玉置神社の神徳だろうか。行程も捗りゆっくり昼食タイムを取り、誰もいないのを幸い最後の渡渉に備え短パンにはき替えいよいよ下山、単純に下りっぱなしだと思っていたのにアップダウンの続く尾根を行くことになり結構疲れた。七越とはそういうことかと勝手に納得し12:09十津川河原の備崎に達した。
河原で登山靴を脱ぎ、汚れた手を洗い、足を洗い、20僂曚匹凌綽爾侶野川を奥駈への感謝を込めて渡渉した。国道168号線を西に折れると終点の熊野本宮大社だ。参道を登り切ると熊野造りの社殿は第一殿から第四殿まであり中央の第三殿に主神の家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)が祀られている。無事に奥駈道を走破できたお礼を申し上げ5日間の縦走を終えた。なお国道に出て本宮大社に達する途中の熊野川中洲にこんもりとした林があり北側に巨大な鳥居が建っていた。大斎原(おおゆのはら)と云われる熊野本宮の旧社地で、明治22年の水害で流されてしまい、現在の高台の地に遷座されるまでの本宮のあった場所とのことだ。熊野交通のバスに乗り新宮に抜け“スーパーくろしお”に乗り21時帰宅した。
奥駈道全体を通して言えることは、岩あるいは小石の上に根を張った木が、年毎の台風などにより根こそぎ倒れ登山道を塞ぎ歩き辛いこと。そういう土壌に成長する木は地面に根が出るため雨が降ると滑って歩き辛いこと。粘土質の土が抉られ歩き辛いことetc. 和歌山のグループによる刈払山行が定期的に行われているらしく「第44回刈峰行」というような札が散見され頭が下がる。
2週間ほど前に京都の修験道の本山聖護院の山伏の一行が今年は、京都から歩き通して熊野本宮まで行った。行場ごとに「聖護院平成16年」の碑伝が行の証として置かれていた。2日目から濡れた靴を履き通したので足はふやけ靴擦れができ足は大変な状態になった。いろんなことがあったが、俗世間から離れ自分を見つめ直し、神仏に近づくことが出来たのではないだろうか。いつもの山行とは一味もふた味も違った山行だった。熊野本宮大社に参拝した時は心から神への感謝の気持ちが溢れた。
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