【北ア中部縦走】唐沢岳〜野口五郎岳 (赤木沢は敗退)


- GPS
- 176:00
- 距離
- 111km
- 登り
- 11,331m
- 下り
- 11,245m
コースタイム
- 山行
- 11:05
- 休憩
- 0:35
- 合計
- 11:40
- 山行
- 6:30
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 7:20
- 山行
- 8:35
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 9:30
- 山行
- 6:55
- 休憩
- 1:50
- 合計
- 8:45
- 山行
- 10:10
- 休憩
- 1:25
- 合計
- 11:35
- 山行
- 9:05
- 休憩
- 1:55
- 合計
- 11:00
天候 | 7/31〜8/6: おおむね晴れかガス。風弱し。 8/7: 暴風雨 |
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過去天気図(気象庁) | 2020年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 タクシー 自家用車
下山: 七倉山荘から信濃大町駅まで乗り合いタクシー1900円(七倉山荘宿泊者限定)、信濃常盤駅から歩いて餓鬼岳登山口まで戻った(徒歩1時間10分) |
コース状況/ 危険箇所等 |
登山道は特に問題ないが、上げるとすると以下。 ・序盤の白沢登山口〜餓鬼岳と餓鬼岳〜燕岳は笹薮が酷い。朝露でびしょぬれになるのでカッパ行動が良いだろう。 ・温泉沢の頭からの尾根下降は意外にも何も問題はなかったが、沢に降りてから露天風呂まで渡渉が10回くらいあり、そのうち2回くらいは靴を濡らさずには渡れない。私は沢靴を持っていたので問題なかったが、そうでなければ靴を濡らす覚悟が必要。 ・高天原峠〜黒部川本流の大東新道は相当な悪路。途中でE沢、D沢、C沢、B沢を横切るが、特にD、C沢の出入りが崩れており、滑落には細心の注意が必要。ロープや鎖もあるが、足場が頼りないので安全に通過するのはかなり気を遣う。また体力も相当必要。今回最も危険を感じたのはこの区間だった。高天原にアクセスするには雲の平からが最善だと思う。 <赤木沢について> 赤木沢までの黒部川本流の遡行では、赤木沢出合のすぐ手前のゴルジュ突破が出来ず敗退となった。大きく巻きすぎて下降に懸垂が必要なり、ロープを持っていないのでやむなく退却した。戻るときにお会いしたベテランの方(赤木沢5回目)によると、小さく巻くとギアは不要だそうだが私はその巻ルートを見つけられなかった。残念だが私の見極めの力量不足に他ならない。 ベテランの方にいろいろお聞きして、赤木沢はクライミングギアが無くとも単独でも行けるということは分かった。今回は失敗だったものの、いろいろと勉強にはなった。次回のチャンスを狙いたい。 |
その他周辺情報 | 下山口の七倉山荘は空室があれば素泊まりで宿泊可能。私も夕方5時に飛び込みで泊めていただき大変助かった。また宿泊すれば信濃大町までの乗り合いタクシーが利用できる(1900円)。 |
予約できる山小屋 |
七倉山荘
|
写真
感想
コロナ禍のため海外登山に行けない。国内も一番行きたい南アルプスは8割以上閉鎖の状況だ。山に長くいようとするとどうしても北アルプスしか選択肢が無くなってくるが、そうであればむしろ北アにどっぷりつかるような縦走をしようと計画を立てた。最大の力点は赤木沢の遡行なのだが、それ以外にもいろいろと詰め込み過ぎて欲張りの計画になってしまった。ただし、独力でも無理なく歩き、体調不良や路迷いなどで遭難騒ぎを起こさないよう、自分なりにかなり難易度を落としたつもりではある。
直前まで天候が悪く、どこかで1〜2日は停滞になるだろうと思っていた。予定通り完走できるとは全く思っていなかったが、結果的に赤木沢は門前払い、湯俣温泉への下山は丸木橋が掛からず不可能ではあったものの、9割は予定通りいき、おまけに天候もだいたい良く、至福の縦走になった。北アルプスで1週間連続して晴れたのは生涯初めて。
予備日を入れて8泊9日分の食料(1泊のみ薬師沢小屋を予約)を持ち、アラフィフのおっさんが若いころのように長期間縦走できるのか?という不安が最後まであったが、幸いにもなんとかなった。最初の3日間は荷が重いうえに累積標高差も大きく、かなり地獄であった。その後は連泊を多くして、空身移動の日を数日設けたのが奏功した。南アのように1週間以上直線的な縦走にしてしまったら、おそらく最後の方は体力的に持たなかったかもしれない。
これほど長い縦走に沢登りを加えたたのは少々計画が重すぎたが、黒部川でお会いしたベテランの方といろいろお話でき、赤木沢は天気と水量が許せば単独でも十分遡行できるとわかった。大いに勉強になり刺激を受けた。いつかチャンスを狙ってまた行きたいと思う。
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■7/31(金) 1日目 曇りのち晴れ 白沢登山口〜餓鬼岳小屋〜唐沢岳〜餓鬼岳小屋△
朝5時くらいまで雨が降っていたので、少し待ってから出発する。7時くらいになると青空も見えてきた。餓鬼岳は20年前に一度登っているが、白沢沿いの道がこんなに危険だったか記憶にない。初日の荷が重い時なので、滑って川に落ちないように細心の注意を払う。最終水場で白沢を離れるので、水筒4.5Lを満タンにする。ザックの重量は25キロになっているはずだ。これを担いで更に1000mの標高差を登らねばならない。不安だけしかない。
尾根道になるとヤブが道を覆うようになり、前日雨だったせいもあってズボンがかなり濡れてしまった。急登は地獄であったが、餓鬼岳のような視界の無い単調なバカ登りは他のことは考えずただ登りに集中すればよいのである意味楽ではある。百曲がり入り口では驚いたことに沢から水が湧き出していた。こんなところに水場の情報は無いのだが、長雨のせいだろう。最終水場で水をくむ必要は無かったのでため息である。とはいえ、ここまでかなり水を消費していたので、再び水筒を満タンにした。単独行の女性の方と少しお話した。テン泊2泊で唐沢岳を往復するそうだ。
餓鬼岳小屋に着いてテントを張ったら2時を過ぎてしまった。時間的にきついが、なかなか行けない唐沢岳を往復したい。4時になったら引き返すと決めて出発したが、唐沢岳への道は非常に厳しかった。アップダウンが半端ない。山頂に近づくと花崗岩の岩塔のトラバースになり危険でもあった。
山頂に着いたのは4時10分。素晴らしい眺めで唐沢岳は名山であることを認識した。タイムリミットを少しオーバーしたので急いで戻らねばならないが、疲労の極致でペースは落ちる一方だ。戻る途中で山頂に向かう男女2名とすれ違った。日没まで間に合わないので戻ったほうがいいですよと伝えたが、その後山頂まで行ってしまったそう。私も6時半を過ぎてようやくテントに戻った。これから長丁場なのに初日から頑張ってしまい、疲労困憊であった。食事をしたらすぐにシュラフにもぐってしまった。
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■8/1(土) 2日目 晴れのちガス、夕方から晴れ 餓鬼岳小屋〜東沢乗越〜燕岳〜燕山荘〜大天荘△
テン場から素晴らしいご来光。この日、梅雨明けの発表があった。出発してすぐに剣ズリの難所が続く。登山道の整備は問題ないが、ハシゴや桟道の連続で危険だし、かなり体力の必要なコースだ。ちょうど森林限界付近のアップダウンが続くため視界もあまりよくないが、変化があって面白いと私は思った。餓鬼〜燕間は、荷が軽ければ結構楽しめる縦走だろう。花崗岩の奇岩も燕岳よりも色々な形があって面白い。東沢乗越は標高2200m台なので、ものすごい下降で、かつ笹が登山道を覆っているので準ヤブ漕ぎである。東沢乗越でちょうど中房温泉から登ってきた登山者とお会いした。相当な難路だそうで、お疲れ気味に見えた。
東沢乗越から燕岳へはほんの少し中房側に降りてから右折して笹薮をトラバースする。少しわかりにくいが、昨日餓鬼岳でお会いした方から情報を聞いていたので問題なく登山道に乗れた。木の枝にピンクテープの目印もある。わかりにくいのは最初だけで、登山道に乗ってしまえばあとは問題無い。ただ、ここから燕岳までは標高差500mあり、昨日に続きまたもや体力が必要なバカ登りになり、地獄の苦しみを味わうことになった。
北燕岳の稜線に出ることにはかなりガスが濃くなってしまったが、おかげで雷鳥も見ることができた。燕岳に着くと別世界のように人が多くなる。日帰りのハイカーだらけだ。天気も良くないのでさっさと山頂を辞して燕山荘に到着、今日はここのテン場を予約していた。予定より少し遅れているがまだ1時前である。山荘の方に「今日予約しているんですが、時間も早いので大天井まで行きたいんですが…」と相談したら、どうぞどうぞ、と快諾いただいた。大天荘と燕山荘は経営者が同じなので、どのみち収入は変わらないのだろうと推測。
燕山荘から大天荘までは一度歩いている道だし、アップダウンはそれほどでもない。3時間あれば着くだろうと思っていたが、まだ2日目とあって荷が重い。牛歩の歩みになり4時間近くかかってようやく登り付いた。大天荘について唖然、、テン場はテントで埋め尽くされていた。今日は土曜なので当然と言えば当然だが、これほどの人が大天井まで登ってくるとは… テン場からはみ出す形でなんとか晴れるスペースを見つけ、褥としたのであった。
幸い、夕方になって天候が良くなり、槍ヶ岳が雲海を航行している軍艦のように姿を現した。大天井岳の山頂まで行き、日没の空中ショーを堪能したのだった。
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■8/2(日) 3日目 晴れのち曇り、夕立あり 大天荘〜ヒュッテ西岳〜水俣乗越〜ヒュッテ大槍〜槍ヶ岳山荘△
今日も素晴らしいご来光。安曇野平野は雲海が出やすいようで、雲の上から日が昇ってくるのは感動的である。大多数のテン泊の人は下山するか蝶ヶ岳方面に行くようで、喜作新道を槍まで行こうという方はわずかであった。それにしてもビックリ平から西岳にかけて、槍穂高の稜線の眺めは圧巻である。ここの区間は歩くのは初めてで、今回のハイライトの一つと考えていたが、完璧な晴天の中ここを歩けたのは本当にラッキーであった。特にヒュッテ西岳は最高の立地で、ここに泊まっても良かったな〜と思った。テン場もあるので、いつの日かまたテン泊山行を企画したい。
水俣乗越まではとんでもない急降下。降りきってからも上り下りがあり、体力が消耗する。1時間もかからないが、かなりの難路である。喜作新道って本当に喜作さんが一人で開通させたのだろうか。凄すぎるとしか言いようがない。この日もまだ序盤の荷が重い時にキツいルートだったが、何人かと抜きつ抜かれつお話しして楽しかった。ヒュッテ大槍に泊まるという女性の方と、同じく槍ヶ岳山荘を目指す男性の方がいた。男性の方は水俣乗越で槍沢から登て来た知り合いの女性の方と合流していた。時間を見計らって合流するとはなかなか凄い。
水俣乗越は実はこの時(https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-358289.html)に訪れている。ここから槍ヶ岳はこの時に歩いているのだが、天候が悪くて何が何だかわからなかった。天上沢を俯瞰して、ははあこういうところを登ってきたのかと、初めて様子が分かった。湯俣温泉から加藤文太郎が遭難した千天出合を通るこのルートもれっきとした古い登山道なのだが、天上沢の水量が多いので秋口しか通行できないだろう。いいルートなのにもったいないことである。
東鎌尾根の様子も晴天の今日は手に取るようにわかり、槍ヶ岳の鉛筆の先が徐々に近づいてくるのは至福の時であった。ただ荷が重く、最後の方は息も絶え絶えだった。更に、槍ヶ岳山荘のテン場の開きも気になる。最後は力を振り絞って急ぎ、山荘に飛び込んで「テン場ってまだ大丈夫ですか?」とせき込んだのであった。結果、テン場はガラガラで、夕方になっても埋まらなかった。信じられないことである。不謹慎であるが、コロナ禍のおかげということだろう。
この日は短い区間で、7時間程度しか歩いていないにも関わらず疲労困憊であった。夕立もあったのでテントでおとなしく過ごしていたが、日曜ということもあってか、遭難救助が立て続けに発生した。槍ヶ岳山荘は遭難の連絡でピリピリした雰囲気が漂っていた。殺生ヒュッテでヘリ救出があり、日没前には槍の下山路で2名が滑落して肩と足を怪我し、救助隊が出動した。担がれてきたお年寄りは岩登りを常時やっているようには見えなかった。救助には要救者用のクライミングギアや手当の道具など通常よりもたくさんの道具と人手が必要である。淡々と活動をされている大勢の救助隊の方を見て、軽率な行動はすべきではないな、と改めて考えさせられた。この日は結局槍ヶ岳には登らなかった。
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■8/3(月) 4日目 ガス時々晴れ 槍ヶ岳山荘〜南岳〜北穂高岳〜南岳〜槍ヶ岳山荘〜槍ヶ岳〜槍ヶ岳山荘△
大キレットを往復という、あまりやらないことをやってみようと思っていた。地震が心配なので、穂高に泊まらないこのような計画としたのである。空身なので昨日までよりは楽だろうとは思っていたが、その通りで、天気があまりよくなかったのが残念であったが、十分楽しめた。行きも帰りも何故か長谷川ピークで雲が晴れ、キレットの様子を見渡すことができた。大キレットは20年前に歩いているが、記憶が確かなら整備がかなり充実したようで、随分危険個所は減ったように感じた。それでも北穂側は危険個所が多いし、この日は風も強かったので十分注意した。
残念ながら北穂高岳は濃いガスで、眺めは全く見られなかった。小屋前で高校生風の女の子が休憩していたので、ああ親子で登山なのだな、いいなあ、と思っていたら一人で奥穂の方に歩いていく。聞けば私と同じく表銀座を一人で縦走してきたそうで驚いた。大学生だったのだろうか。穂高岳山荘まで行くそうだ。
帰りは少し雨も降ったが、ひどく悪化することなく槍ヶ岳まで戻ってきた。途中、長谷川ピークで「お〜い」と声が聞こえたので下を見ると手を振っている二人組がいる。こちらも手を振り返したが、随分と遠くから見えるものである。その後この方たちとすれ違ったので「先ほど手を振っていた方ですか?」とお話をした。
夕方、雲が晴れそうな予感がしたので、槍ヶ岳に登ってきた。こういう根拠のない予感とはなぜか当たるもので、私が登っている間だけ、完璧に雲が晴れた。おまけに山頂には私だけ。山頂からの大展望を十分に堪能した。この日は日没も見ることができ、日中のガスは残念だったものの結果的に良い一日になった。
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■8/4(火) 5日目 晴れ一時ガス 槍ヶ岳山荘〜千丈乗越〜樅沢岳〜双六小屋〜双六岳〜三俣蓮華岳〜三俣山荘△
槍穂高の稜線を離れる。魅力的な稜線ではあるが、やはり厳しい環境ではあり内心どこかでプレッシャーを意識せざるを得ない。これから牧歌的な山行になると思うと少しほっとしていた。千丈乗越に到着。ここにも千天出合から登ってくる宮田新道という古いルートがあり、踏み跡も確認できた。難易度は天上沢よりも高いらしいが、いつかここからもアクセスしたいものだ。
西鎌尾根も20年前に歩いているが、記憶が全くない。急斜面のトラバースが結構ある。こんなに危険なルートだったかしら。ガスもかかってしまい、風も強いのでもくもくと難所をこなしてゆく。樅沢岳でようやくガスを抜け、晴れてきた。ここには写真を撮っているおじさんがおり、少し話をした。樅沢岳は穴場的な眺めの良いピークで、撮影には最適だそうだ。
双六小屋では大休憩してラーメンを作ったが、ちょうどヘリの荷揚げの時間と重なって、何回か席を立たねばならなかった。双六小屋は良い小屋なのだが、いかんせん人が多い。この日もコロナ禍にもかかわらず結構な人出だった。また、前も思ったが水が豊富な箇所にも関わらず、一度タンクに溜めた水を提供しているのでぬるくてあまり美味しくない。
双六岳は三度目であるが、前回二回はガスと強風で眺めは無かった。初めて晴れて周囲を全部見渡せたが、とてもいいところである。牧歌的という言葉がとてもピッタリである。槍の厳しい稜線と好対照だ。三俣蓮華岳も好きなピークである。黒部五郎、水晶、薬師、笠と私の好きな山々が全て見渡せる。
今日はのんびり歩いたが、短い行程だったので早い時間に三俣山荘に到着した。ここは川があるのでこれはチャンスとばかりに大洗濯である。着るものもだいぶ汚れたので助かった。ただすぐ上が雪渓なので水は非常に冷たい。平日も半ばになってきたので、人も少なくとても快適であった。
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■8/5(水) 6日目 晴れ 三俣山荘〜鷲羽岳〜水晶小屋〜水晶岳〜温泉沢の頭〜高天原露天風呂〜高天原峠〜薬師沢小屋△
三俣山荘にはテントを3泊張りっぱなしにして薬師沢小屋へ向かう。この日は朝から晴天で良い写真がたくさん撮れた。特に鷲羽岳からの朝焼けの槍ヶ岳は幻想的で、何か鬼気迫るものもあった。鷲羽池がまたいい具合にアクセントになっていた。水晶岳も最高であった。15年位前の秋に登っているが、その時よりも印象に残った。
水晶岳で温泉沢へ下降するという単独の方とお会いした。破線ルートなので行けるかどうか心配だったが、同じ方面に向かうので少し安心した。更に温泉沢の頭で、高天原山荘から登ってきたという単独行者ともお会いした。これから奥黒部ヒュッテに下山するという。すさまじい標高差のルートだが、小屋泊まりだとそれほどつらくないのかもしれない。奥黒部ヒュッテもとても良いところだ。このような日に赤牛の稜線を歩けるとは、とてもうらやましかった。
温泉沢への下降は非常に急だがルートはハッキリしており問題なかった。ただ、温泉沢に降りてからは渡渉が思ったより多く、かつ水量が多かったので沢靴に履き替えた。登山靴でも行けなくはないが、靴を濡らさずに渡渉するのは難しいと思う。結構長く沢の中を歩き、ようやく高天原の露天風呂に到着した。去年の台風で温泉の囲いが吹っ飛んだそうだが、修繕されており男女とも問題なかった。時間があまりないので、30分だけ入浴したが、お湯はとても良かった。肌がすべすべになった。
高天原山荘で入浴料を支払い、黒部川を目指すが、ここからの難路は予想を超えていた。大東新道は沢を4つ横切るが、その沢への出入りの箇所がことごとく崩れている。これは大キレットなど問題にならぬほどの危険度だ。おまけに今日ラストの行程でもあるので、体力が限界に近い。えっちらおっちら牛歩の歩みで沢を越え、惨憺たるヨレヨレ状況で黒部川に降り立った。しかもその先、薬師沢小屋までの1時間も巻き道との行き来に体力を吸い取られ、それこそ最後は這うようにしてようやく小屋にたどり着いたのだった。
薬師沢小屋は5年前の雲ノ平縦走で立ち寄って一目ぼれした小屋。いつか泊まろうと思ってこの日ようやく実現した。この小屋の特徴は釣り客が多くて、登山者と半々くらいである。食事も最高においしく、特にコメそのものが美味しくて3回おかわりした。女性の登山者とお話ししていて、餓鬼岳から入山したというと、「それ、うちの裏山ですよ」という。松川の方であった。おまけに、今日は黒部五郎͡͡小舎から雲ノ平を通ってきたそうで、三俣山荘のテン場で撮った写真に私のテントが写っていて、大笑いだった。そのほかにも83歳のおじいさん登山者がいたり、なかなか楽しい小屋の生活を堪能した。
※余談だが、薬師沢小屋のコロナ対策は、私から見てこれ以上は無いだろうというレベルだった。雑魚寝部屋は2人ずつビニールカーテンで仕切られており、1パーティしか入れないようになっていた。食事も人数が少なくなるように配置され、向かい合わせの席はビニールカーテンで仕切られていた。ここまでやれば小屋泊も大丈夫だろうという実感はあった。
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■8/6(木) 7日目 晴れ 薬師沢小屋〜赤木沢出合手前〜薬師沢小屋〜雲ノ平〜祖父岳〜黒部源流標識〜三俣山荘△
赤木沢…この縦走の最大のハイライトである。天候は晴れで夕立の可能性もない。黒部川の水量はかなり多く見えるが、これで平水だという。条件は最高に整えられていた。小屋の方にきいても、赤木沢なら一人でも行けるでしょう、という。実は、昨日が思ったよりハードだったので、体力的にかなりきつく、やめようかどうしようか…と悩んでいたのだが、行けるというなら行ってみようかと、最終的には赤木沢へ向けて出発した。
途中、3度ほど渡渉をして水の冷たさと水量に驚く。腰までつかると震えるほどの寒さだ。高巻きも無事こなし、1時間ほど遡った。これは赤木沢までいけそうだと思い始めたころ、ゴルジュに差し掛かった。ここを越えれば赤木沢の出合だろう。左岸にはっきりとした高巻きの踏み跡が見えるのでこれに取り付くが、降り口をどこにしようか迷っているうちにかなり登ってしまった。踏み跡はハッキリしているので降りてゆくが、途中残置スリングのある個所を過ぎると、それ以上下るのは厳しくなった。行けなくはないかもしれないが、その先にアクシデントがあった場合は戻ってこれないかもしれない。懸垂用のロープがあれば何も問題はないが、今回は持っていない。私の中の判断基準ではこれは無理だった。
ゴルジュの手前までもどり、うーんと考え直す。高巻きじゃないとすればへつりか?と淵にも入ってみる。へつりのルートには残置スリングがあったが、その先はオーバーハングになっており、進めない。流れも速く、泳ぎで失敗すれば大事故だ。そしてそもそも寒くて泳ぐ気には全くなれなかった。
残念ながら今の私の中では、ここから安全に進める解を探すことはできなかった。「撤退しよう」そういう結論になった。薬師沢小屋に戻る途中、2パーティとお会いした。1パーティは赤木沢5回目というベテランの方で、「ああ、あそこの高巻きは小さく巻けばいいんですよ」と教えてくれた。「赤木沢は懸垂などやる箇所は無いですよ。ギアは基本要らないんです。条件が良ければ一人でも十分行けますよ。でも無理だと判断して引き返したのは良かったと思いますよ」ともおっしゃった。この2〜3時間ほどは自分なりの格闘で、結果敗北になったがいろいろと勉強になった。また次回のチャンスを狙って赤木沢に行きたい(今度は縦走などという欲深な計画ではなく、赤木沢自体を目標にしよう)。
薬師沢小屋まで戻り、暖かいものを作って食べ、英気を養ってから雲ノ平への登山道に取り付いた。ここから三俣山荘までのルートは5年前の7月にも歩いている。その時も絶好の天気だったが、今回も負けず劣らずだった。そしてこのルートは私は北アでは一番好きなルートかもしれない。何度でも来たいし、この自然をこのままの状態で永遠に継続したいと強く思わされた。
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■8/7(金) 8日目 暴風雨 三俣山荘〜黒部源流〜水晶小屋〜竹村新道分岐〜野口五郎岳〜烏帽子小屋〜高瀬ダム〜七倉山荘[下山]
明日が下山日。この日は湯俣温泉までで、余裕ある行程のはずだった。しかし、起きてみると濃いガスで視界がほとんどない。野口五郎近辺は風の強い箇所で、どうなるかわからないので早く出発することにした。黒部源流の貴重な一滴を水筒に汲む。稜線に出て水晶小屋まで来ると雨が降り出した。晴嵐荘の前の丸木橋が掛かるかどうか、電話して連絡を取りたい。丸木橋が掛からないと渡渉が必要だが、3日前の電話では水量が多く渡渉は危険ということだった。しかし、電話するにはまだ朝早すぎるのでとりあえず先に進むことにする。
しかしここから天候はますます悪化し、風雨が強くなってきた。竹村新道分岐ではとても電話できる状況ではない。どうしようかと悩むが選択肢はひとつしかなかった。今日中に頑張ってブナ立て尾根を下るのだ。そうとなれば、先へ進むのみだ。野口五郎岳頂上では立っているのも不可能なほどの暴風雨だった。このピークは三度目だが、二度は暴風雨である。風の強いところなので仕方ないが、それにしても相性の悪い山ではある。
三ツ岳を越え、烏帽子小屋に着いたのは正午前。裸の稜線を離れて風もだいぶ弱まり気温も上がってきた。この時間なら高瀬ダムまで十分下れる。安心してラーメンを作って腹ごしらえした。ここからは東斜面に入るので風の影響も受けず安全だ。小屋番のお兄さんと話をするが、三俣から来たというとアミノサプリをくれた。
急なブナ立て尾根をヨレヨレになりながら下り、無人の高瀬ダムに降り立った。濁沢の土砂排出がかなり多いみたいで、前回来た時と様子がだいぶ変わっていて驚いた。客待ちのタクシーもいないため、そのまま七倉山荘まで歩く。山荘に到着するともう5時である。ダメもとで突然ですが今日宿泊できますか?と聞いてみると、夕食はもう無理だけど朝食付きならオーケーですよと温かいお言葉。12時間超えの行動で口もまともに聞けないほど疲れていたので、ご主人が神様に見えた。素敵なテラスを自炊用に貸していただき、かけ流しの温泉で疲れをいやした。
おしまい。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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頑張りましたね。目いっぱい。さすがです。
赤木沢は残念でしたが、これだけの大縦走の中ではちょっと難しかったのでは?と思います。そこだけ目指すのでも良いと思います。
最終日は薬師岳に私もいましたが、暴風で北上できずかえってきてしまいました。
その判断がこのレコで補強された気がしてうれしかったです。
また。
もともと1〜2日は停滞になると思っていたので、赤木沢の前まで完璧に予定通りだったのがある意味想定外でした。赤木沢は技術的にもそうですが、それまでの重労働を考えると体力的にも厳しかったと思っています。今度は赤木沢単体で訪れたいと思っています。
薬師はお疲れ様でした。私も20年前の北ア縦走で薬師峠に宿泊していた時に前線が通過し、翌日薬師岳手前で強烈な東風に体を吹き飛ばされて、斜面を転がったことを思い出しました。野口五郎もそうですが、薬師も風の怖いところですので、撤退は賢明だったのではないでしょうか。特に北薬師近辺は崖の縁を歩きますので、安全面で厳しかったのではと推測します。
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