黒部源流の山々と雲ノ平 三俣山荘テント泊縦走3泊4日の旅
- GPS
- 36:51
- 距離
- 67.3km
- 登り
- 5,189m
- 下り
- 5,519m
コースタイム
- 山行
- 8:45
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 9:15
- 山行
- 10:49
- 休憩
- 1:59
- 合計
- 12:48
- 山行
- 7:16
- 休憩
- 0:45
- 合計
- 8:01
- 山行
- 7:48
- 休憩
- 0:57
- 合計
- 8:45
過去天気図(気象庁) | 2020年08月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
今回はトレラン仲間のしゅうさんと初のテント泊縦走となりました。昨年、計画するも台風の襲来により、しゅうさんとのテント泊は2度とも流れ、今回、やっと実現することが出来ました。
目的地として、ここに決めたのは2年前に放送された情熱大陸 黒部源流の秘境の地に立つ山荘として紹介された三俣山荘に行き、二代目のオーナー伊藤圭さん、敦子さん弘也やくん、華也ちゃんファミリーに会って見たかったから、そして、NHKで放送していた北アルプスドローン大縦走 黒部源流の山々を見てこの地に行ってみたかったからです。
昨年、新穂高温泉から双六山荘にテント泊するも天候悪化のため、その先に行けず、やむなく下山しました。今回は薬師岳から縦走して三俣山荘まで歩きたかったので、登山口は折立からとしました。
(交通機関)
新宿 都庁 バス駐車場から12日深夜11時出発の毎日アルペン号です。
直通で折立登山口に行けるということで選択、昨年の台風の教訓から、往路のみの片道切符として帰りは新穂高温泉から、場当たり的にバスに乗ることにしていました。
今回、新型コロナウイルス感染の恐れから、最小限の乗車定員にしてくれるとたかをくくって乗り込んでみたら、補助席への乗車はないものの、ほぼ満席の乗車でした。それも座席は最後尾。五人席すべて乗車で肩が触れあうほど、窮屈でした。
それよりもなによりも、新型コロナウイルスの感染リスクを抑えるため、マスク着用の義務化と窓開け換気を行う(風が入ってこないし、どこが窓が開いている?といった感じ)というだけで、全く配慮がなされていない感じでまるで荷物扱いと見まがうものでした。なんか腹が立ちすぎて、寝るつもりが一睡も出来ませんでした。
出発時の受付で、体表面温度計で計測はしているものの、一人でも感染者がいれば集団感染クラスター発生のリスクは充分に考えられました。
受付の女性スタッフが出発時にバスに乗り込んで人数確認をしている際に、となりの男性が、前方に開いている席はないのか?質問しようと目の前で挙手したにも関わらず、意図的に無視されていました。
聞こえていたのは確実で、非常に残念な対応だなあと感じました。
非常事態宣言中に運行できなかったため、売上減少に苦しんでいるとは思いますが、あまりにもひどいと言わざるを得ないと感じました。毎日アルペン号の運行に関して、今後、withコロナとしての対策を取り入れた形にしてほしいと願うばかりです。
提携のバス運行会社の運転手さん、乗務員の男性は、質問にたいしても、とても親切な対応をとって下さいました。
途中、休憩はサービスエリアで2ヵ所、最後に折立行きのバスに乗り換えるために立ち寄ったコンビニ(セブンイレブン)です。予定では、6時40分頃の到着予定でしたが、キャンプ場手前の入場ゲートが解放されていなかったことと、自家用車の渋滞により到着時間は30分ほど遅れました。
遅れた原因がもうひとつありました。
入場ゲート手前でキャンプ場管理の方か?わかりませんが、1台づつ、順番に車の窓越しから、何かを訴えかけていました。我々のバスにも乗り込まれ、次のような注意換気がありました。
キャンプ場に熊の出没が相次いでおり、注意するようにと、キャンパーが残していった食料を餌に寄り付いたのでしょうけど、今日の早朝も見かけたので注意するようにと言われました。
バスが停車したトイレ前にテントエリアが区画され電気柵で囲われており、熊が近寄れないように整備されていましたが、人気がない時間帯の行動は注意が必要です。
(山行レポート初日)
折立登山口に到着すると、雨が降ったりやんだりの天気でしたので、レインウエアを着用し、ザックカバーを装着してスタートしました。
まず、登山口すぐのところに、十三重之塔 慰霊碑がある。ここで手を合わせて、我々の安全を祈願した。この慰霊碑は昭和38年、サンパチ豪雪と言われた年に、愛知大学の山岳部の学生13人が大量遭難した事故がおこったことを事前に調べて知っていたので、ここに来たら、慰霊の気持ちで登ろうと考えていて、慰霊碑で手を合わせた。
初日の目標は可能な限り早い時間帯に幕営地に到着し、テントを張り、薬師岳にピストン登頂することでした。ただ、山行中は、予報通り、低気圧の影響で湿った空気が入り込み、強い雨脚ではないものの、雨と蒸し暑さで着ていた服はびしょ濡れでした。
行程計画タイムでは折立7時出発→薬師峠到着10時40分(コースタイム×0.8)でしたが、実タイムはスタート7時40分→到着11時48分ということで予定到着時刻よりは1時間8分の遅れ、計画コースタイムは28分の遅れでした。
折立登山口の標高が1357mで薬師峠キャンプ場が2295mなので、約940mの上昇となります。初日としてはまずまずのコースタイムで行けたと思いますが、そこからテントを張り、一休みしてから薬師岳に登頂するつもりでしたが、披露困ぱいで行くか行くまいか、迷いつつ、ダラダラとしてしまいいざ、行くとなったときには、14時をまわるところでした。
薬師峠から薬師岳山頂までの標準コースタイムは登り2時間50分、下り2時間の合計4時間50分です。出発時刻14時ですから、一抹の不安はありましたが、そこは我々も普段、トレランも愛好していることもあって、コースタイム短縮はある程度見込めると考えていました。
この薬師峠にいる方々のほとんどは余裕を持った計画で、早朝に薬師岳を登ろうとされている方々ばかりなんだと思いますが、我々としては、ここで薬師岳登頂を明日に持ち越せば、予定がすべて狂ってしまうため、行くことにしましたが、ヘッドライトは勿論、携行し、時間的に難しいと判断した場合や、風雨が激しくなった場合は取り止めるなど、安全を考慮して出発することにしました。
薬師岳からピストンで戻る方はいましたが、
これから薬師岳山荘宿泊で向かう人たちは、数人いましたが、これからピストンする方はどなたもいませんでした。
薬師峠キャンプ場からの道のりは、岩場の直登でしたが、大きいザックから開放された私達にとっては水を得た魚のようにハイペースで登って行きました。あっという間に、薬師岳山荘をクリアして山頂らしき姿が見えてきました。
ピークらしき山頂にたどり着くと、壊れかけた小さな小屋がありました。もう着いたの?と思いきや、これは避難小屋でした。
この避難小屋がいつの、時代から存在するのかわからないが、かなり古く感じた。
遭難者13名が東南尾根に迷い込んだのは、ここの避難小屋からです。あとから地図を見て感慨深くなり遭難した学生たちが、どんな思いで助けを求め
待ったのか?を考えると心が張り裂けそうになりました。
山頂はここから北東に数百メートル歩いたところでした。とにかく時間がないので、急ぎ足で向かい山頂の小屋を視界に捉え、百名山1座目の薬師岳山頂に立つことが出来ました。
携帯型の三脚を使って、2人揃っての記念撮影をとりました。小屋の中には薬師如来の像らしき仏像が有りました。手をあわせてこの旅の安全を祈願して
帰りは一目散に下山しました。
薬師峠帰着16時53分で往復コースタイム4時間50分のところ、約3時間で行って帰って来ることが出来ました。
初日の晩飯は、アルファ米でしたが、鶏肉と玉ねぎを炒め、溶き卵をかけた親子丼を調理しました。胡椒がドバッと出てかけ過ぎてしまったが、本当に美味しかった。
本日は夜9時に就寝しました。昨晩寝れなかったお陰でぐっすりと眠れました。
(2日目)
2日目は、この旅で最もきついロングコース
薬師峠キャンプ場から、太郎平小屋を経由して
薬師沢小屋へ、そしてこのコースで最も過酷と言われる雲ノ平までの登りを経由して、薬師岳と鷲羽岳の山頂を踏んで三俣山荘をゴールとした約20kmで累積標高1500mを超えるハードコース
朝5時に出発のため、早朝3時に起床
朝食に手間暇をかけないために、選んだパウチ包装のレトルトカレー、輸入食材などを取り扱うお店の店員さんのおすすめで購入したコンビーフ入りのカレーをいただきましたが、不味くはないが期待はずれでした。
2日目はすっきりと晴れ渡る青空の中をてくてくと歩くハイキング日和。
薬師峠キャンプ場から、少し丘を登り木段を歩くと富山湾が一望できるほどの澄み渡る青空でした。
太郎平小屋から、昨日は全く眺望がなかったのが嘘のように今日は視界良好です。
太郎平小屋付近から、道は四方に伸びており一方は黒部五郎岳に、一方は折立、一方は薬師峠
そして、我々が向かう雲ノ平方面へと道は続きます。太郎平小屋で水を補給し、雲ノ平方面へと進みます。
太郎平小屋は標高2370mでそこから1913m地点まで高度を下げるのですが、下りはじめのあたりからはこれから向かう雲ノ平や黒部五郎岳、水晶岳が望めます。
ここから薬師沢小屋までのフラットな区間は、木道が整備されていて、緩やかなアップダウンが続きます。また、いくつかの沢を横断しなければならないため、臨時的にかけられたいくつかの橋も渡ります。ここはとても気持ちよく歩くことが出来ますが、注意して歩かないと、この木道は滑りやすく、転びやすいです。私は縦走用の登山靴を履いていますが、ビブラムのソールでも、ここで2〜3回転倒しました。雲ノ平山荘のwebサイトにも、この木道で転倒する怪我が増えていることを注意喚起していました。歩き方も後ろ重心だと転倒しやすいかもです。つま先重心で歩くほうがよいのかもしれません。あと、木道にはコンクリート状の滑り止めプレートがついているところもあるので、そこを目印として踏んで歩くと滑りづらいかもしれません。
とにかく今日は、陽射しが強く熱中症対策で右側の斜面から、湧き水が何ヶ所か流れ出ているところで、そのたびに頭と顔を濡らし、帽子を水に浸してかぶり、暑さをしのぎながら歩きました。
しばらくすると大きな川のせせらぎの音が聞こえて来ました。建物の屋根が見えてきて、薬師沢小屋に到着、ここが黒部川だと気が付きました。
ここが登り返しの最下点で、標高は1913mになります。
ここは北アルプスドローン大縦走の黒部源流のシリーズで視聴した場面で、ここからカメラマンの西田省三さんチームが赤木沢出合までの道のりを、雪解け水の多い黒部川を渡り遡上し、撮影を行ったところだあと考えながら思いを巡らせました。
計画した行程時間との比較ですが、出発を5時にしていたところ、5時41分となってしまい40分遅れでのスタートとなりました。
薬師沢小屋到着予定時刻7時2分のところ、到着が7時53分でしたから、計画からは約50分の遅れでした。ほぼコースタイム通りに来ていたので、出発時刻通りに出発していれば予定通りでした。山での時間厳守は普段の生活よりも重要だと反省しました。
そして、ここからが、きつくて大変なコースです。
前後して歩いていた女性の話からも、雲ノ平への登りはかなりキツイと話していましたので、この薬師沢小屋でしっかりと水を補給し、行動食を口にして英気を養ってからスタートしました。
薬師沢小屋の休憩コーナーの先に吊橋がかかっており、そこを恐る恐る渡ると、すぐ下へ降りる梯子がかかっていました。予想していなかったのでストックをしまわずに来たので、短くして手に持って降りました。そこから、急登が始まります。
ここの急登がきつい理由は、樹林帯に囲まれており、登山道は大きな岩がゴロゴロと積み重なり、その表面はコケで滑りやすく、歩き登りづらい、
周囲の景色が見えず、閉塞感を感じながら登らなければならない、下りやフラットな地形がまったくなく、とにかく登りいっぺんとうで、心が乱されました。20kg近い荷物を背負い、約500m以上、直登しければならない。
本当にキツかった。何度も泣き言を履いてしまうほどでした。木道が見えたときは、少し安堵しました。
ちなみにこの薬師沢小屋から雲ノ平山荘までの、急登は雲ノ平山荘のwebコラムにもありましたが、お互いに2〜3人づつ人を出し合って登山道を2〜3年前から整備しており、梯子を作ったり、大きな岩を動かしたりと可能な限り、整備してくれているそうです。
薬師沢小屋〜アラスカ庭園まで、所要時間は2時間35分ですが、実タイムは薬師沢小屋出発が8時17分で、アラスカ庭園到着が10時22分
実タイムは2時間5分ということで、コースタイムより若干早かったものの、遅れて出発した時間分を取り戻すことは出来なかった。
アラスカ庭園で休憩と記念撮影を撮りました。
ここらの展望は、正面に水晶岳、左手は薬師岳が眺められる絶好の休憩スポットになっています。
アラスカ庭園をあとにした次の目標は雲ノ平山荘です。このあたり一体は雲ノ平と呼ばれており、祖父岳(じいだけ)の噴火により溶岩で形成された台地になっています。日本最後の秘境と言われるこのエリアにギリシャ庭園やスイス庭園、アルプス庭園、日本庭園と名付けられた庭園が点在しています。
本当にきれいに整備された庭園を散歩しているような気持ちになります。雲上の庭園と言われるのが理解できます。
歩いて間もなくすると雲ノ平山荘に到着しました。
この山荘のオーナーは伊藤二朗さん三俣山荘の伊藤圭さんの弟さんってことを事前に調べて知っていたのでこの山荘には立ち寄って、伊藤さんご兄弟の息吹を感じとってみたいなあと思っていました。
水の補給もしなければならなかったので立ち寄りました。山道沿いから右手にあがったところに建家があって、時計回りに正面に回ると多くの人が休憩をしていました。
暑くてかき氷気分でしたが、でもなかったので、コーラに切り替えて建屋内に入ったら、不二家ネクターor三ツ矢サイダーで、空き缶は持ち帰ってくださいと言われました。伺うとヘリコプター輸送が今年は回数が減らされているためで、持ち帰ってほしいとのことでした。三ツ矢サイダーを買って喉の渇きを癒やして缶をペシャンコに潰しザックにしまいました。
この物資輸送の、問題は山小屋のコラムにも書き込みがあり、その情報では、ヘリコプターでの物資輸送について、かなり、山小屋経営で深刻な問題を抱えているようでした。
いくつかの航空会社が山小屋の物資輸送から撤退を宣言しており、事実上1社のみに頼らなければならない状況になっているとか。
山小屋経営、本当に大変だと思う。多くの登山客が訪れ、金銭的な貯蓄が出来ても、また、小屋の修繕費用又は建替え時期が、せまってくれば、建築資材費やヘリコプター輸送費だけで数千万円の費用がかかってしまい、根本の改善にはならないということを、今後の山小屋経営を安定的に運営していけるようにならないと我々ハイカーが安心して山に入ることは出来ない。山小屋経営は本当に大変だと思います。前後の左右の小屋間の山道の整備、維持管理登山者の救難救助、登山者のし尿の処理問題など、山小屋だけに頼らなければならない昔から変わらないシステムを変えていかなければならない。
地方自治体のサポート支援、仕組みづくりが重要だし、国立公園というからには、国としてもっと関与すべきと思います。山小屋の次の雇手がいなくなることは、トイレ、ゴミの問題など、監視する人間もいなくなり、自然環境を維持することも出来なくなり、我々ハイカーにとっても死活問題に直結します。
また、雲ノ平山荘の水の補給については、恐らくここは溶岩台地で近くに山がないので湧き水には頼れず苦労していると思っていました。案の定、ここは雨水だよりだそうだ。500mlあたり50円だったかな1.5リットル分購入しました。
さあ出発しなきゃ、ここから祖父岳を経由して水晶岳と鷲羽岳の付け根にあるワリモ北分岐に向かいます。祖父岳の山頂からの雲ノ平はなかなかの眺めでした。
帰宅してから、今まで放送された「15分で日本百名山」という番組で出てきた写真家で登山ガイドをされている檢見誠さんがこの雲ノ平山荘に立ち寄られていて、こう話していました。
早めにこの山荘に到着して、ゆっくりとこの雲ノ平を散策するのが最高の時間を過ごせると、コバイケイソウや雷鳥、夕焼けと美しいところをテレビで紹介していました。今度来るときはゆっくりと過ごしたいです。
岩苔乗腰に到着した時点で、計画ではここに11時26分到着していたかったのですが、ここに到着した時間は13時29分でした。
約二時間遅れ、ここで男1女2グループに出会いました。このグループは三俣山荘を起点に今日は、鷲羽岳、水晶岳を散策したんだとか、我々が水晶岳を目指し、三俣山荘にと話したら、時間的にやめた方がいいと忠告されました。
とにかく、ワリモ北分岐まで行って考えようということで、また、重たいザックを担いで20分で登りました。ここで、朝、雲ノ平の急登で追い越して行ったトレランの青年が水晶岳から戻ってきたところで出くわして挨拶をしました。
話によると、歩いて1時間40分ほどで戻って来れましたと、この言葉で行くか行くまいか、躊躇していた私達は、行こうということになり、ザックをデポして出発しました。重たいザックをデポしたので、水を得た魚のようにハイピッチで登りました。
あっという間に、水晶小屋を通り過ぎました。
ここから黒部ダムが見えましたが、先を急いでいたのでとにかく山頂まで急ぎました。
山頂直下まで来たところで、岩場が連続していたので三点支持で登ろうと、ストックを手前でデポし、その先の梯子をこわごわと登って、岩場をよじ登り百名山2座目の水晶岳山頂に到着しました。あまり、ゆっくりと滞在している時間もないので、さっさと記念撮影を済ますと、すぐにピストンで引き返しました。帰りに水晶小屋に立ち寄りました。
小屋の中に入ると、三俣山荘の長男 こうやくんの声が聞こえて、忙しくスタッフと一緒に働いていました。こうやくんいるんですか?と聞くといますよ。情熱大陸で見ましたよって話すと、こうやくんは今では有名人ですからね。とスタッフが話していました。
忙しくしているところを邪魔しちゃいけないなあと思いつつ、小屋の奥の方では声が聞こえるので、頑張って働いている姿をのぞきこんでしまいました。
ここでも、少しでも買い物をして協力しなきゃと思い、ポカリスエットを購入しました。空いたペットボトルは返却出来ると言うことで
返却させてもらい、お水を少しだけ有料購入してザックをデボしたワリモ北分岐に戻りました。
ここからは、鷲羽岳の山頂を踏んでも、下の巻道で三俣山荘に行っても、さほど時間差は無いと言うことで鷲羽岳山頂ルートを選択し、最後の力を振り絞って登りました。
山名の由来は三俣蓮華岳からのその姿が鷲が羽ばたいているように見えることから
鷲羽岳と付いたらしいが、ちょうどその翼部分のピークを超えて、17時28分 百名山3座目鷲羽岳山頂に到着しました。。
残念ながら、鷲羽池越しの槍ヶ岳はガスに覆われてその姿を見ることは出来ませんでした。ここも北アルプスドローン大縦走 黒部源流の山々の舞台になったところ、黒部ダムからはじまった番組は最後は鷲羽岳の夕日を撮って終わりたいと話されていましたが、最後の日、鷲羽岳山頂がガスで覆われ、西田省三さんたち撮影チームは、この山頂でガスが晴れるのを辛抱強く待っていました。
一瞬、鷲羽岳の山頂だけ、ガスがなくなったところで、ドローンを飛ばして、鷲羽池と槍ヶ岳の映像と山の東側斜面だけ、ガスがまとわりつくことなく、黄金色に光る姿を映し出しクライマックスになりました。その時よりは、展望は、バッチリでしたし、西側の雲ノ平方面に夕陽が沈んで行くのも確認出来ました。
ここから、三俣山荘までの下山を残すところとなり、コースタイムは1時間ですが、30分くらいでなんとかなるだろうと思っていたら、大間違いでした。この下り、花崗岩がひしめくガレ場で、おまけに急な下り坂でした。
三俣山荘が肉眼で見えるのに、遠いなあと感じるほど距離を縮めることが出来ない。
18時30分で日の入りと時計でアラームが表示されたので、しゅうさんを私の遅いペースに付き合わせてしまったら、受付も遅くなるので先に行ってもらうことにしました。本当に足を引っ張ってばかりで申し訳ないと思い、しゅうさんには先に行ってもらいました。
やはり、スピードの差は歴然で、かなりのスピードで下って行きました。
ちょうどそのときに、雷鳥がひょこっと出ていたことに気づかずに、しゅうさんが勢いよく道を下っていったので、雷鳥は驚き、飛び跳ねて、ハイマツの中に一目散に飛び跳ねるように逃げていったのを目撃しました。雷鳥との出会いが、今日の終盤に訪れるとは思いもよりませんでした。
三俣山荘に到着。しゅうさんが受付を済ませてくれていて、そこからテント場に行きました。近いエリアにはベストポジションはなく、テントとテントの間に並べる隙間もなく、それぞれ離れて設営しました。私はもうクタクタな状態で、張り編みも固定する力も残されておらず、仮に張ったテント内で横たわってしまいました。
その日はちょっと休んで、簡単おつまみをこさえてビールを飲んで休みました。
(3日目)
3日目は今回、百名山4座目 黒部五郎岳へのピストンです。朝もゆっくりで8時出発にしていましたので、朝、ゆっくり過ごすことが出来ました。
逆に早めに目が冷めて片付けなどをしていたので早めに支度をしてから、他の人が撤収していったテント場で最適なポジションを見つけて場所を取り直しました。
予定通り8時に黒部五郎岳に向けて出発しました。
山岳カメラマンの西田省三さんが、ここのカールはきれいなお椀型で日本一美しいと、好んで足を運び、この山を気に入っていると話していたので、登るのが楽しみでした。
荷物を置いて、行動できるので、ウエストポーチに行動食とレインウェア、ヘッドライトを詰め込んでいました。荷物も軽く、コースタイム×0.8で計画していました。
まずは、三俣山荘からは登りで、三俣蓮華岳の肩まであがるとそこから双六小屋に向かう方面と三俣蓮華岳山頂を踏んでから、双六小屋方面と黒部五郎小屋に分かれます。山頂は、ガスがかかっており、視界はゼロでした。三俣蓮華岳からは稜線沿いを歩きます。黒部五郎岳が視界に見えてくると、そこからは黒部五郎小屋方面に一気に下って行きます。下りの後半あたりから、巨岩の山道となり小屋の屋根が見え、間もなくすると小屋に到着しました。
正面玄関側にまわると、何人かの登山客がいました。正面側にある蛇口からは水が絶え間なく流れていましたが、テント場の人と通行する人はここからは水は汲めないルールになっているようです。宿泊者だけのようです。裏手のトイレの前にある蛇口からになります。水を1Lボトルに詰めて、黒部五郎岳に向かいました。朝イチに向かった人たちが、何人か下山して来てすれ違いましたが、ガスに覆われて、視界が良くなかったようです。登りながら、五郎岳を見上げるとガスに覆われて
いて、自慢のカールの山容が見られません。
小屋から五郎岳までの道のりは、前半は、樹林帯を進みながら、何ヶ所かの沢を渡るのですが、沢を渡るたびに顔を洗い、首の後ろに水をかけて熱中症防止に注意をはらいながら登りました。道の整備もちゃんとしており、歩きやすいように
平たい石をステップに合わせて配置してあるように感じました。
あと、出くわした何人かと、話をしましたが、山小屋からピストンで登る方は少なく
五郎岳は、縦走途中に立ち寄る方が多いようです。
今回、黒部五郎岳のカールの目の前に立ったら、やりたいことがありました。
パノラマ写真を撮ることと、動画でぐるっとカールを撮ることでした。
ちょうど、撮影に最適な高台があって、そこで撮ることが出来ました。
カールの中にいると、巨岩がたくさんあって
すごく迫力満点な眺めです。ちょうどカールの右手から登り、稜線に出てから、ぐるっと反時計回りにまわり、山頂の肩につき、10分ほどで今回4座目の百名山の山頂に到着しました。
ここは山頂(標高)を示す、標柱は立っておらず、黒部五郎岳2840mと書かれた札が置いてあるだけです。我々、一人づつ撮影してから登ってきた人にお願いして、二人揃って記念撮影をしてもらいました。
そこから、来た道を戻り、山小屋に向かいました。
帰りは下りなので、テンポよく下っていきましたが、帰り道の山道から少し外れたところで、嫌なものを見てしまいました。それは人の排泄物があり、拭いた紙が散乱し、土も石も被されてないままで嫌な気分になりました。
我慢しきれず、やむを得ずいたしたのだと思いますが、もっと奥まった茂みでやって欲しかった。
帰りは、三俣蓮華岳を経由しない、巻道を通りました。この巻道は左手に雲ノ平の溶岩大地を作った祖父岳(じいだけ)が間近に見え、その真下が、鷲羽岳との谷で黒部源流域となります。歩くときに気にするといいでしょう。三俣山荘キャンプ場近くにも雪渓が残っていてそこを遠巻きに避けて、予定より1時間40分程遅い4時頃に三俣山荘に戻りました。
三俣山荘で2泊目の受付を済ませて、楽しみだったジビエ料理をいただける晩がやってきました。奥さんの敦子さんが、手塩にかけ調理したジビエ丼のパウチです。料金は2000円です。どういうスタイルで食すことが出来るのか?
ですが、パウチパックや味噌汁をただ渡されてテントで食べてくださいってことになるんだったら味気ないなあと思っていましたが、違いました。
ちゃんと18時に展望食堂のテーブルで席が用意されていました。小屋泊とテント泊の人を分け隔てなくおもてなし、してくれたことを嬉しく感じました。
クッカー、バーナー、箸などを持ち込みます。山荘側で調理法をスタッフが説明してくれます。ジビエ丼のパウチとアルファ米、インスタント味噌汁とスティックのお茶、そしてポテトサラダがお皿に盛られてテーブルの上に用意されていました。
山荘で用意した鍋でお湯を沸かして、パウチを温め、味噌汁を作るという形で調理して、自分のクッカーにアルファ米を盛り、ジビエの具材をかけていただきました。
若干、獣臭さは残るものの、食欲をそそる味付けになっており、またじっくり煮込んでくれていて柔らかく、美味しくいただくことが出来ました。
三俣山荘に来た喜びと、奥様のおもてなしの真心を食して感じることが出来て本当に幸せでした。
そして、会いたかったご主人の伊藤圭さんがせわしく、調理室でお仕事をされている中で声をかけて、こんな会話をすることが出来ました。
「2年前の情熱大陸で三俣山荘を見てから、絶対この地に来て、伊藤圭さんご家族に会いたいと、昨年、双六小屋まで来たんですが、台風で下山しなければならなくなり、来ることが出来なかったんです。今年ここまで来れて本当に良かったです。」
ご主人からは「今年はコロナの影響があるので、特に特別な年になりましたね。」と
昨日、水晶小屋に立ち寄ったら、こうやくんが、頑張って働いていましたよ。将来が楽しみですね。」
ご主人は
「そうですか、あいつもね。そうなんですよ。頑張ってんですよ。ありがとうございます。」
私が見た感じ、おとうさんが、息子を熱い眼差しで見守り、その姿を見て頼もしく、成長している姿を喜んでいるような印象を受けました。
奥様には
「ジビエ丼本当ご馳走様でした。本当に美味しかったです。有難うございました。こうやくん 水晶小屋で頑張って働いている姿を見ましたよ。頼もしいですね。将来が楽しみですね。」と話しかけたら
奥様は、最近はいつも家にいると喧嘩ばかりしているので、本人が水晶小屋に行くというので、本人の意志に任せ、行かせることにしたんです。」と話されていました。
家族でも、微妙な距離感を保ちながらも、ご家族の強い絆を感じました。
19時の部から、黒部源流の開拓時代のスライドを上映されるということで、夜の部も参加することにしました。
この山荘の名物 サイフォンコーヒーを飲みたかったのですが、それはなく
ホットコーヒーをオーダーして、スライドを見て初代オーナー 伊藤正一さんが、黒部の山賊とともに過ごした開拓時代のこと、三俣山荘や水晶小屋の建築風景、伊藤新道のことなど、当時のモノクロ写真をスライド形式で編集したものを視聴し、勉強させてもらいました。
最後に伊藤圭さんのインタビュー形式でのお話で圭さんの考えている内容が聞けて良かったです。なんか、スライドを見ながら、ここまで苦労して足を運んできて本当に良かったなあと、また三俣山荘の歴史と伊藤圭さんファミリーの生き様を見て、本当に感動して感極まって、目頭が熱くなりました。
今日は、このままテントに戻り、この心地良いままに寝袋に入ってぐっすり眠りました。
(最終日)
予定では6時出発を5時に変更したのですが、またまたグズグズしてしまい、6時出発となってしまった。最終日は双六岳山頂を踏んで、双六岳の平らな台地から槍ヶ岳眺めながら歩きたかったので、三俣蓮華岳を踏んで、双六岳に向かうというルートです。
双六小屋と三俣蓮華岳に向かうルートの分岐で三俣蓮華岳方面に向かうと言ったときに、勘違いしたのか、しゅうさんにえっ?となんでまた登るの?
近道は双六小屋までの、巻道では?と
思われたようでしたが、元々、事前に決めていた計画通りのルートを辿るつもりでしたし、三俣蓮華岳を通過しなげれば双六岳に行けないし、双六岳から槍ヶ岳の姿を見るのも、マストのコースなのでブレずにこちらのコースを選択しました。
三俣蓮華岳を目指していたときから、周囲はガスで覆われていましたので、双六岳からの槍ヶ岳は厳しいかなあと思っていましたが、三俣蓮華岳から、双六岳に向かうにつれて、霧が晴れてきて、もしかするともしかするぞと思いながら
双六岳手前の中道稜線分岐のあたりから、空が青くなってきて、お日様が山の斜面をあたためるにつれて、ガスが、晴れてきて視界がひらけ、槍ヶ岳の姿が見られるようになってきました。思わず、何度も足を止めて、シャッターを切ってしまった。なんとか、双六岳山頂にたどり着くまでこのガスが、晴れわたっていればいいなあと願いつつ、必死に双六岳山頂目指して登りました。
やっと登りきって、槍ヶ岳方面を見ると、穂高連峰にガスがまとわりつく感じで、槍ヶ岳が交互に隠れたり見えたりという感じでした。
山頂には10〜15人くらい、槍ヶ岳を写真におさめようと待機していました。
槍ヶ岳の勇姿が見えると、皆、一斉にスマホを向けて撮影していました。近くにいた人が、槍ヶ岳とは反対側であっブロッケン現象だあって教えてくれて、すぐさまミラーレス一眼レフカメラを出して、動画を撮影することが出来ました。貴重な現象を映像に残すことが出来、良い記念になりました。
こんな機会は滅多にないので本当にここに来てラッキーでした。
双六岳山頂から、すこし下りたところは、くまの背中みたいに広く平らな台地になっていて、その真ん中に山道があるのですが、そこを歩きながら槍ヶ岳の動画を撮影したりもしました。
ここも北アルプスドローン大縦走で、ドローンがこの台地を槍ヶ岳に向かって進みながら撮影していましたが、ドローンならではのアングルだから上手く撮れましたが、自分で歩いて撮ってみたものの、あまり上手く撮れませんでした。
この台地から、左手を眺めると、鷲羽岳が美しい姿を見せます。こうしている間に、時間も経過しますので双六小屋を早く通過して、新穂高温泉に向けて歩を進めていきます。
計画では双六岳7時49分で、実際に到着した時間は7時30分で、約20分の貯金がありました。その先の双六小屋までのタイムでは、計画では8時24分小屋到着のところが8時29分到着となり、少しづつ遅れを生じていきます。
昨年、テン泊しているので、勝手がよくわかっており、水場もわかります。
水を汲んだら、すぐに通過していきます。本日の双六小屋テント場は、昨年、所狭しと張られていたのが、今日は朝の時間帯で、連休最終日の日曜ということで、数張りの状況でした。用が済んだら双六小屋を通過していきます。
双六小屋から弓折分岐までの道のりは、丘のようなピークがあり、アップダウンが続きます。太陽も照り付けて来て、容赦なく直射日光が半袖の腕や手首、首を襲ってきます。暑くて暑くて昨年、新穂高温泉から登った際に食べた鏡平山荘のかき氷が思い出されました。
計画では鏡平山荘に9時41分のところ、10時5分到着となり20分の遅れでしたが、もう、かき氷を食べなきゃいられないくらいに口がかき氷になっていました。私はイチゴ、しゅうさんはレモン頭がキーンとなるほど、体を冷やすことが出来ました。
ゆっくりし過ぎて、計画では9時41分でしたが鏡平山荘出発が10時30分となり、約50分の遅れとなってしまった。
このあとからが、大変だった。今までは上り下りとバランスよく、足への負担となっていたが、本日は下り一辺倒のため、登山靴の中で、つま先に体重がかかりっぱなしとなり、両足の親指と他指数本が爪が死ぬなど、痛みが増幅され、痛みをこらえての下りとなり、行程時間から遅れ気味になっていった。小池新道はちゃんと整備されており、道が悪いわけではなく、私の足が固い巨石が敷き詰められている道の連続に足が耐えられなかったようです。
体も暑くなり、水を頭や顔にかけたくても、昨年はあれだけ、あちこちからサワの水が落ちてきていたのが、今年は何ヶ所か、沢の水が枯れているように感じました。秩父沢出合が10時40分のところ、12時2分で1時間20分の遅れです。
バスの時間もあるため、頑張って歩きましたが本格的な登山道が終わり、佐俣林道となってからは起伏もなければ、変化もない道なので、精神的にやられました。
わさび平小屋に到着。
しゅうさんからの提案もあり、ここの名物、冷やしトマトを食べていこうということで、200円をおばちゃんに払って、美味しいの選んで食べてってと言われ、一番大きく色艶のいいものを選んでかぶりついてペロッといただきました。一時的ですが、生き返りました。
トマトを食べたら、新穂高温泉に向かって再び歩き出しました。
次は、途中にある温泉に入れるか?です。
昨年、しゅうさんが500円で入浴した穂高ホテルの日帰り温泉に立ち寄ったんですが、支配人らしき人が出てきて、温泉の調子が悪く、今は営業していないとのことだった。深山荘で入浴できると聞いて新穂高温泉まで歩きゴールしました。
いやー三俣山荘からの帰りは長かったです。計画では12時32分に到着を予定していたが結果、14時13分に到着しました。1時間40分程の遅れでした。
深山荘で入浴することが出来ました。
入浴後、バスの時刻を確認するため、ロープウェイの係員の女性スタッフに相談したところ、松本駅直行便はないため、乗り継いで松本駅まで行くしかないと言われました。
まずは平湯温泉まで行き、そこで1時間30分以上待ってから、上高地行きに乗り、上高地から松本駅に向かうというものだった。
新穂高温泉からバスに乗り込み平湯温泉に到着する前に、サプライズ情報を運転手さんがもたらしてくれました。これは新穂高温泉のロープウェイの女性スタッフが気をまわしてくれたと思われますが
平湯温泉で降りたら、すぐに目の前にあるバスに乗り込み、中の湯で降りたら、上高地から来る新島々駅行きのバスに乗ると、新島々駅から松本駅行きの電車に乗り、18時30分に松本駅に到着出来るというものだった。
この通りに乗って予定通り、松本駅18時40分発のあずさに乗るべく、10分前に松本駅に到着してすぐさまあずさの特急券を買い、駅弁とビールを買って、飛び乗るようにあずさに乗ることが出来ました。自宅にも21時すぎに到着することが出来ました。しゅうさんとのはじめてのテン泊で秘境の地に足を踏み入れ、伊藤圭さんファミリーに触れ合えて、百名山4座にも登頂して絶景の数々を眺めることが出来て、本当に幸せな時間を過ごすことが出来ました。有難うございました。
長文でお読み頂きまして有難うございました。
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