明神岳ー前穂ー重太郎新道(危険)−岳沢ー上高地


- GPS
- 44:48
- 距離
- 20.7km
- 登り
- 3,689m
- 下り
- 3,676m
コースタイム
- 山行
- 11:41
- 休憩
- 0:59
- 合計
- 12:40
- 山行
- 4:17
- 休憩
- 2:28
- 合計
- 6:45
天候 | 9月10日:晴れ、夕方ガスで視界なし。9月11日:曇り、視界は明瞭 |
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過去天気図(気象庁) | 2016年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
9月11日16:15上高地発さわやか信州号新宿行きで新宿着21:30ごろ。 帰路のバスは渋滞遅延が普通なので新宿からが遠方の方はご注意ください。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
明神岳はバリエーションルートです。また、いったん稜線へ出ると前穂まで登りきり、さらに岳沢小屋へ下山するまで水場、トイレ、エスケープルートもありません。 速い人は日帰りで回りきるのですが、普通は1泊コースだと思います。 今回は明神→前穂でしたが、踏み跡のたどりやすさ、難しい壁が登りになる点などを考えると前穂→明神のほうが楽なようにも思えます。なお前穂→明神で想定される難所は2峰の登り(しかし下るよりは楽)、5峰から樹林帯に入るところのルートファインディングと、樹林帯に入ってからの急な下りの脚への負担ですが、これはやってみないとわからないところです。 踏み跡があるので、それを丁寧にたどりますが、登山道として整備されているわけではなく、登はん箇所は必然的に踏み跡がなくなりますから、ルートファインディングの能力が求められます。 技術にもよりますがザイルを使っての懸垂下降が必要な場面が出てきます。 著しく浮石が多いので、簡単なホールドであっても手足を置く前には動かないことを確認する必要があります。押しても動かないが、引くとごそっと動く場合があるのであなどれません。しかも場合によってはやむなくこういう押しても動かないが、引くと動くという浮き石を使わざるを得ない場合もあります。 前穂からは重太郎新道を使って岳沢へ下山します。一般ルートですが、この下りこそ用心したいと思いました(後述)。 岳沢から入って5峰→1峰と下からたどる場合、取り付きは、岳沢登山道の7番標識です。この標識は風穴の手前。登山道を穂高側に見て左側、つまり岳沢側についています。明神岳を登るので明神岳側を探してしまい、見落とすことがありますのでご注意ください。取り付きにはロープが張ってあってハイカーが不用意に入ることを防いでいますが、それをまたいでください。後は踏み跡を丁寧にたどります。暫くすると斜度がかなり上がります。木の根などをホールドにして慎重に進みます。 暫くするとだんだん岩が出てきて、固定ロープもついてます。ところどころナイフリッジを越えるような箇所もあるので、序盤の土の斜面よりさらに注意を強いられます。 根気よく樹林帯を歩くと、植生がハイマツに変わっていき、稜線が現れます。5峰の頂上が視界に捉えられます。ハイマツ帯やガレ地の中に踏み跡が残っています。丁寧にたどれば、大きな困難にぶつかることもなく、山頂にたどり着けます。 5峰からの下りは筆者は踏み跡を見失ってしまい、ハイマツ帯のトラバース+クライムダウンで無理やり踏み跡に合流しました。過去の記録でここが難しいという記述はなかったので、踏み跡が消えた場合は(その踏み跡がトイレ用だったかもしれないので)いったん引き返して山頂からたどりなおしたほうが結果的には速いかもしれません。 3峰の取り付きまでは踏み跡を快適にたどる尾根歩きです。 筆者は正面から登りましたが3峰は岳沢側に巻く道も着いており、そちらが一般的なのかもしれません。 3峰山頂からやさしいクライムダウンを経て踏み跡を2峰へたどります。2峰山頂から2-1のコルまでが懸垂下降になります。筆者はかなり下までクライムダウンして最後の最後に5mほど懸垂下降したのですが、通常25m(つまりザイルは50m必要)で2ピッチのようです。実際山頂付近と中途に支点があります。岩に巻いた支点用の残置ロープが多数(多重に)ありますが思ったより古いものが多かったので、新たに巻いたほうが良いでしょう。150cmのスリングがあるといいかもしれません。 1峰の登り返しは難しくありません。1峰の尾根を暫く歩くと、奥明神沢のコルに続くやや長いクライムダウンがあります。懸垂下降25mという記録もありましたが、無雪期で荷物が少なければ懸垂下降まではしなくても大丈夫かも知れませんが注意が必要です。 奥明神沢のコルから前穂までも、名前のついていない小岩峰が続きます。これを順に昇り降りしていると著しく体力を消耗しました。スピードを重視する場合は踏み跡に沿ってどんどん巻いていくことをお勧めします。 結構な距離を歩くと、天気がよければはるか前方に山頂から紀美子平へ導く標識(字は読めません)が見えます。ようやく前穂山頂です。 帰路は、まず前穂から紀美子平までがかなり急な岩場です。はっきりした道がついておらず、ペンキマークをたどるようにして、クライムダウン気味に降りていきます。 最初の危険箇所は紀美子平からの最初の下りです。一見簡単なスラブの下りですが、岩が登山靴で磨かれていて極めてよく滑ります。幸い鎖がついているのと、ステップが切ってある場所もあるので、しっかり掴まりながら一歩ずつ降りていきます。 岳沢パノラマ付近までは岩場の下降が続きます。どこでも降りられますがペンキマークを外れると浮石が増えます。落石を誘発する危険もあります。 岳沢パノラマを過ぎると樹林帯に入りますが、完全に登山道化するわけでもなくまだ安心はできません。 そして最大の危険箇所は3箇所のはしごです。何ではしごで事故が多発するのか自分で歩いてみてよくわかりました。途中に1、2箇所、木の根や岩が出張っていて、靴がはしご段に掛かるのを邪魔するのです。そこではつま先しか段に掛からないのですが通常のはしご下りのように土踏まずを使おうとすると踏み外します。はしご自体は岩場のクライムダウンに比べれば楽勝なのと、重い荷物を背負って長い距離を下山した終盤であることがあいまって、踏み外したときに手も滑らせて墜落ということも十分に考えられます。なお重太郎新道を登る場合は、先に危険個所が目に入るので事故の危険はかなり緩和されます。 岳沢小屋のテント場へたどり着けば一安心です。あとは上高地までの道での捻挫、最終盤の木道でのスリップに気をつけます。 本登山とは関係ありませんが、今年は9月上旬で奥穂南稜取り付きの雪渓は消えてました。 |
その他周辺情報 | バスターミナルに登山届け提出場所がありますが、現地で書くとポスト周辺が混んでいるので事前に作成してポストに入れるか、事前にネットから提出しておきましょう。特にネットからの提出は何かの時には検索で見つけ出してもらいやすいでしょう。 登山後の入浴場所として、岳沢に降りたときには少し遠いのですが、筆者は小梨平キャンプ場のお風呂が広くて清潔で気に入ってます。温泉ではありません。向かいの売店で買い物と、昼食時には食事もできます。 |
写真
正面のルンゼは南稜のルートではなく、右岸を行くようにしてひとつ左隣のルンゼを詰めていく。写真ではわかりづらい。左上に出ているピークがトリコニーの1峰
装備
備考 | ロープ50m(25m懸垂下降の可能性を考えると50mが無難) スリング数本 安全環付カラビナ数個、ワイヤゲートタイプカラビナ数個 エイト環 ハーネス ナイフ ヘルメット ヘッドランプ ダウンジャケット、ダウンパンツ、目だし帽、ウールミトン、オーバーグローブ、シュラフカバー、 ツエルト、地図、磁石、スマホGPS、水2L、行動食兼非常食約3日分(レモン飴、黒砂糖、アミノサプリ)サングラス、日焼け止め、ロキソニン(痛み止め)、テーピングテープ、ばんそうこう 筆者は藪や虫のこともあるので夏でも長袖+手袋(ゴム引き軍手、商品名タフレッド)は欠かしません。 岩にロープをかけて懸垂下降の支点にすることがあるので、2mくらいのテープスリングか、長めの(自作)ロープスリングが便利でしょう。 軽量化と計画ビバークのため、あえてテントやシュラフは持たず、モンベルのポルカテックスシュラフカバー(ポルカテックススリーピングバッグカバー 1121020)とツエルト(マウンテンダックスエアーツェルト TN-006)を使用しました。どちらも小型でかつ防水が良く効いていて、多少の雨では濡れません。 ツエルトで眠る場合、最小サイズだと足を伸ばせないので、一回り大きい三角テント型のツエルトを持つほうが休めると思いました。なお実際にテント型には立てず、体をくるむだけでした。 5峰周辺を中心にアブが多数。汗をなめるだけかと思って甘く見ていると刺される(かまれる?)こともあり侮れません。虫除けは効果が短いのですが、日焼け止め(比較的安価なもの)が非常に効果的であることがわかりました。終盤岳沢小屋でもアブが多かったので使ってみましたが、やはりアブよけ効果は大でした。 |
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感想
▼あこがれ
筆者にとって明神岳と六百山は上高地の象徴であり、憧れの山である。どちらも、上高地バスターミナルでバスを降りると目の前に壁のように迫り、登はん意欲をくすぐられずにはいられない。そして、どちらもハイカーを寄せ付けない山であることも共通している。
筆者が北アルプス界隈で始めて宿泊したのは明神館だったので、明神岳への憧れはことさら強かった。しかも、徳澤方面へ歩くと必ず美しい山容が誘ってくるのだ。
その一方で危険な山という印象も強い。乗っていた岩ごと墜落したとか、浮石がずれて頭を挟まれたといった事故が頭から離れない。
それでも、好奇心が恐怖心を上回ってしまう瞬間がある。突然どうしても明神岳に行きたくなった。ほとんど出来心のように決定した山行きなので、まず上高地行きバスを予約するところから苦戦した。決行日前日に空席が発生したのは明神の神様が呼んでくれたのだろうか。
出発日におなかの具合が若干悪く、夕食をしっかり食べられなかった上に、バスで十分に睡眠できなかったため、調整不足な状態での上高地入りとなった。できれば最後のトイレであるバスターミナルのチップトイレで用を足したかったが、暫く待っても便意は無く、やや遅めの5:40分に出発した。
体調は9割でも、天候は良好であった。河童橋から吊尾根と、本日の第一の目的地である明神岳第5峰のシルエットがくっきりと見える。明日は雨の予報であるが、今日一日は持ってほしいところだ。振り返ると焼岳が赤く染まっていた。手袋がほしいところではあったが、霜が降りるほどではなく、寒さの心配も無い模様。
岳沢を女性単独者にあおられるようにして登りながら、明神岳南西尾根への取り付き点へたどり着いた。先行2名のパーティが、取り付き点の7番標識の前で準備をなさっていた。道迷い防止のロープを超えると「5峰ですか?」の問いかけに「はい」と答え、暫く言葉を交わした。昨年の秋は私が明神に入る登山者に声掛けしたことを思い出しつつ、お互いの無事を祈って、いよいよ憧れの明神岳主稜線を目指した。
▼土つきから稜線へ
南西尾根は。立ち上がりはハイキングコース並みであるが、暫くたたないうちに一気に急な登りとなり、木の根草の根をホールドにしながら半分三点支持のような格好で高度を稼いだ。ここで一番心配していたことは道迷いだったが、その心配はなかった。まず踏みあとがかなり明瞭であった。歩いていて少しでも違和感を感じたときは、それは踏みあとを追い損ねたときなのだ。そう言い聞かせて歩く限り、道はずれの恐れはなかった。さらに、バリエーションルートといわれながらも、要所要所に古い赤ペンキマークの岩が残り、木の枝にはテープが巻かれていたのだ。
この草付きの自分にとっての最大の難所は倒木くぐりだった。乗り越えるには少々高いし、くぐるにもザックをつけたままではくぐれない。巻くと薮こぎが少しいやらしいのと踏みあとをたどりそびれるのが怖い。結局体を横にして、右体側が地面をこするような格好で何とか潜り抜けることに成功した。
南西尾根の中間目的地は固定ロープの出現地点である。固定ロープがたれている場所から、徐々に岩肌が目に付き、軽い3点支持の登りがあったり、結構神経を使うナイフリッジの通過などがあった。一方、ここまで来ると徐々に視界が開け、自分が登ってきた上高地が眼下に、左後方に天狗岳、間の岳といった奥穂−西穂の岩稜地帯、そして右後ろには上高地からすぐ見えるかっこいい山の一つである霞沢岳、六百山が樹林の切れ目から目に付くようになってきた。
露岩が現れてさらに高度を稼ぐと右前方にコルが見えたが、稜線ではない。P2263m方面へ続く尾根ではないかと思われるが、よくは調べなかった。さらにひと歩きして、ようやく樹林帯から抜け出し、ハイマツ帯に突入した。目の前に見えてくる稜線が第一目標である5峰への尾根道である。急峻な尾根を下った先に2263峰が見えているが、今回は寄り道をする体力的精神的余裕は無く、基本の5峰-1峰の道をたどっていくのだ。ハイマツとがれ地の混在した歩きにくそうな山肌ではあるものの、踏みあとは明瞭であった。5峰が視界に捉えられてからもなかなか頂上にはたどり着けず、苦戦するうちになんとなく目の前が開け、もしやまもなくピッケルが見えるのかという期待にたがわず、ピッケルが現れた、
5峰の山頂に到着したのだ。
霞が岳方面、徳本峠方面、焼岳乗鞍御岳方面、そして奥穂西穂の稜線が一望された。だが、本日最も心を引いたのは、神主稜の山々と、明神岳5峰から見る明神方面である。初めての上高地観光で言った明神池、穂高神社奥院などが眼下に点になっている。今まで何度となく明神岳を見上げてきた明神館を、今度はその山の頂から見下ろしているのだ。明神館に宿泊したときには「どうやって登るんでしょうねえ」「あの岩壁の横から行くのでしょうかねえ」、などと宿泊者同士で歓談したこと、明神館のご主人がコメントしてくださったがその内容が記憶に残らないほどちんぷんかんぷんだったこと、「山と高原地図」では道のみの字もなく、中途のひょうたん池(東稜登はんのベースでもある)でさえ「熟達者向き」という恐ろしげなコメントが付いていたことが思い出された。
▼ハイマツの薮こぎ
暫く景色に見とれてから、ピッケルに別れを告げて4峰を目指した。事前の調査では、稜線では基本的に踏み跡をたどりさえすればいい。実際5峰の登りは踏み跡をたどる限りがれ地にもハイマツにも悩まされず、ただ辛抱強く歩くだけでよかった。
5峰の4峰側岩壁のクライムダウンは無理そうだったので、岳沢側にふみ跡を発見し、それをたどることにした。途中には古い赤テープもあって間違えないと思っていたのだが、踏み跡がハイマツ帯の中へ消えてしまった。ハイマツ帯を抜けさえすれば、コルからまた快適な踏み跡が見える。意を決して、急斜面のハイマツ帯を抜けることにした。
ハイマツでは昨年の奥穂南稜でルートを誤り、薮こぎの前に撤退した上に怪我までしたことを思い出し、いやな予感がよぎる。それを打ち消しつつ、慎重に慎重にクライムダウンした。幸い、ハイマツ帯自体はあまり頑強ではなく、しかも下降はハイマツ帯の「肌理」に沿うのでハイマツの抵抗にあうことも少なかった。むしろ手を滑らせた際に、藪に引っかからず、滑落が止まらないであろうことが怖かった。
5峰北側(4峰側)岩壁がかなり小さく見えるほどクライムダウンすると、東側に踏み跡が見えた。今度はハイマツ帯のトラバースである。滑落に注意して根気よくトラバースし、何とか踏み跡に出たときには、まるで岩場のひとつでも越えたかのような安堵感を覚えた。
踏み跡から4峰まではなだらかな登りである。5峰に比べても快適な尾根歩きであった。振り返って5峰北側を見ると、踏み跡は北側岩壁方面から、やや東側、つまり南西尾根からのルートの反対側についているように見えたが、フェースを登るのはかなり難しそうだったから、東側にやさしいルートがあるのかも知れない。4峰側から5峰を登るのが難しいという記録は見ていないので、踏み跡を丁寧にたどれば、4峰からは容易に5峰に上がれるのではないかと想像した。(追記、5峰北壁を巻く踏み跡を東へ直進すると、崖にぶち当たる前にこの踏み跡に合流する)。
4峰頂上は割りとブロードで、テントサイト跡もあった。その頂上から、険しい表情の3峰、そして2峰と1峰(明神岳)のピラミッドのような錐峰が目に入った。天気はいい。風もない。絶好の山歩き日和だった。
▼気楽な縦走から登はんへ
4峰を降りるといよいよバリエーションルートらしい表情が増してくる。3峰は稜線から拳骨を突き出したような岩峰である。踏み跡はその拳骨を避けるように岳沢側を巻いているが、自分は正面から頂上を目指そうと思った。
その意図は瞬く間に急峻なフェースの前にくじけそうになった。やはり自分の技術ではまだこの手の登はんは無理だと思ったが、ふと、東側にルートを探してみることに思い立った。すると、確かに斜度は高いが、土付きのルンゼ状の斜面が続いている。これならば自分でも頂上へ立つことができそうだ。恐ろしく切れ落ちた東稜の斜面を時々見下ろしながら、ルンゼを登りきった。
頂上は割と平坦であり、さらに小さい拳骨があって、それが山頂の様である。てっぺんまで上がってみると、いよいよ核心部分の2峰が、そしてその右奥に主峰である明神岳1峰が招いていた。
3峰北側はややきついクライムダウンになっていた。そしてそこを降りると、自分が立っていた小さな拳骨はオーバーハング気味になっていることがわかった。やれやれ恐ろしい岩の上に立っていたものだ。
3峰を降りきったあたりで単独の方とすれ違った。手ぶらでびっくりしたがザックはデポされたとのことであった。東稜を上がってこれから5峰経由で岳沢へ降りていらっしゃるとのことだった。筆者は単独氏に、5峰からは踏み跡を丁寧にたどれば、樹林帯に入れるであろう事を、単独氏は核心部分の2峰の北壁(氏はフリーで登られた)の残置支点の情報を提供してくださった。初日の明神縦走でであった登山者は7番の2人パーティーとこの単独氏の合計3名であった。
2-3のコルから2峰への登りは尾根道である。見る角度の関係で、最初は頂上部分にオーバーハングを抱えたいかつい感じの山容が、なだらかなピラミッド状に変身してしまったのには驚いた。こうした景色の変化を楽しむうちに、たいした難所もなく2峰頂上にたどり着いた。
頂上にはちょっとした岩が飛び出していて、そこが最も高い部分のようだ。そこに立つと、針のような岩塔のてっぺんに立ったような気分になるだろうと試みたが、最も高い部分の岩は石包丁のようになっていた。その幅は5cmにも満たないであろう。平均台の幅の半分である。そして下はすっぱりと東方へ切れ落ちている両足で石包丁の上に立つことはあきらめ、片足だけで勘弁してもらうことにした。
そしていよいよ核心部分の2峰の下降である。通常は25mツーピッチの懸垂下降と紹介されている。しかしフリーで降りたという記録もあったし、先ほどの単独氏もフリーで2峰の北側斜面を登はんできたという。それならばクライムダウンもできるかもしれないということで、ルートファインディングしながら高度を下げていった。ルートは東側の凹角らしいが果たしてそこには手がかり足がかりが比較的豊富であった。
二つ目の懸垂下降支点を過ぎ、これならばフリーで1-2のコルに降り立てるのではないかと思ったが最後の5mくらいが手を出せなかった。少しハング気味になっているところか、ホールドの少ない凹角のいずれかを降りなければコルにはたどり着けない。仕方が無いので残置ハーケンを元に支点を取ってハング気味の岩壁を5mほど懸垂下降した。余り良い支点でなかったので気持ちの悪い懸垂下降だった。
そして、今下った岩壁を背負うようにして比較的簡単な登はんを乗り切って、憧れの明神岳主峰の頂にたどり着いた。
2峰北壁を見てみると、改めて険しさを感じた。自分が足を置いてきた岩の突起も、実際は椅子程度の高さなのだあが、主峰から望むと、懸崖の上ということで高度感は高い。あそこに立っているところを写真に撮ってもらえたら、良い記念写真になるのだが、単独行ではそういうことができないところが難点だ。
明神岳主峰を目指す東稜ルートが、ガスの中にもまだ明瞭に見ることができる。東稜にも1パーティーいらっしゃるようだ。追いつかれるかもしれない。ともあれ、前穂山頂を目指そう。
1峰からは、まずは断崖横を縫っていくなだらかな踏み跡をたどる。9時間以上歩いているからばててきた。なだらかな踏み跡を見ると後は簡単な登りに見えるのだが、そんなことはない。実はこの踏み跡の向こうには懸垂下降25mと言われる岩壁が待っていたのだ。幸い、無雪期で荷物が少なければ2峰北壁のクライムダウンに比べると難度は低い。ザイルは使わずに慎重に降りた。
ガスがかかってきた。登はんの楽しみの一つである高度感の中に自分を置くこと、要するに見晴らしのいい中を攀じていくという大きな楽しみはそろそろおしまいのようだ。それと同時にペースがガクッと落ちてしまった。
実は主峰を過ぎてから前穂までにいくつものピークがある。あらかたは巻いていけるのであるが、ここまできたらあと少しだからと思って、丁寧にそれらのピークを踏んで行ったのが利いてきた。そしてガスでルートファインディングがより難しくなったことも利いている。
そして些細であったが体力を奪ったのがごみ拾い。この手の岩稜縦走では、遭難よけのおまじない、山の神様のご機嫌取りを目的として、ごみを可能な限り拾うことにしている。今回は空き缶2個、ちぎれた残置ロープ片などを回収したが、これらをハーネスのギアラックに束ねていたのが途中岩に引っかかったのだ。今回小ぶりのザックを背負ってきたため、中にしまいこまなかったのだが、あまりに邪魔になるので、少し時間をかけて荷造りし、ザックに入れた。
これで多少ペースが回復したけれども、疲労と「飽き」だけはどうしようもない。ガスの中の登はんは危険だけれども楽しいことはあまりない。眺望は利かないけれども、右側(東稜側)は断崖だ。たまにガスが薄くなると、遠方に奥又白池が見えてきて前穂エリアに入ってきたことはわかるのだが、それもつかの間。基本的には霧に巻かれながらの登りが続いた。もう何個ピークを越えたのかも数え切れなくなってきたし、ホールドの安全を確認するのがお留守になりかけたが「これって死ぬパターンだよな。注意力がなくなって、浮石をつかんで滑落」といういやな気分になる。スピードよりとにかく安全ということで、気を取り直してホールドの安定性を確かめつつ手足を動かした。もう岩稜はこりごりだ。これで岩稜歩きはおしまいにしようなどと弱音を吐きながら前穂を目指した。天候が下り坂であることを象徴するかのように、ライチョウの群れが現れて哀れな登山者を笑っていた。
遠くに鳥居が見えた。あそこが頂上直下なのかと近づくと。ケルンだった。そして踏み跡はさらにゆるいピークを越えていくように続いている。ガスではっきりしないが。まだピークは3つほどあるようだ。
やれやれと思いながら歩くことどれだけだっただろうか。はるか遠方に標識が見えた。標識があるということは、少なくともあそこは前穂の登山道か、もしかしたら山頂かもしれない。もう斜度は余り高くない。安全圏まであとわずかだ。少しだけエネルギーが回復したような気がした。
標識ははるかかなたに見えたが。ほぼ平坦な踏み跡をたどるのにかかる時間は思いのほか短く、15分ほど歩くと、字の読めない標識にたどり着いた。そしてペンキマーク。ここからは一般登山道である。眼前のピークは今度こそ前穂高岳3090mであろう。ペンキマークの誘導には助けられるし、勇気付けられる。かくて最後の力を振り絞り、午後6時3分前に山頂に到着した。
▼計画ビバーク
山頂は眺望なし。前穂高岳は2回目だが、前回の前穂山頂でもガスで眺望なしだった。午後6時から重太郎新道で岳沢小屋テント場へ下りると、雨が降らなくても10時を回るだろう。もともと岩稜でビバークすることは今回の山旅の目的、楽しみのひとつでもあった。翌日の天気予報は雨だった。しかもこのガスの出方だと、ビバーク中に降り出すことも予想されるが、風雨の中のビバークはすでに何度も経験済みだ。かなり疲れているからこの辺でビバークしよう。
というわけで山頂直下にビバークすることにした。山頂は広く、テントサイトもあったが、風の吹きつけが強そうだったので。多少なりとも風除けになりそうな場所を求めて下った。幸いにも、山頂を少し降りたところ、登山道を少し外れたところに人一人練られるくらいの幅の、砂地の平坦地があったので、そこを今夜のビバーク地とした。下山後調べたら、標高3040 mだった。
筆者の宿泊場所での支度はきわめて簡素である。夕食の支度はない。今回は軽量化のためコンロさえ準備しなかった。水を飲み、簡単な行動食(あめ、アミノサプリなど)をいただくだけだ。
ビバークだからテントも張らない。ダウンジャケット、ダウンパンツ、雨具上下を着込み、目だし帽をかぶり、靴を履いたまま体をシュラフカバーに突っ込み、全身をツエルトでくるむだけだ。ザックか、ザイルをしまったスタッフバッグが枕になる。遠目には遺体に見えるかもしれないといつも思っている。疲れているからすぐに眠りについてしまった。いつものことだ。
ガストン・レビュファの「星と嵐」など読んでいると、本当は過酷なはずのクライミング中の岩壁でのビバークさえ、何やら楽しい夜更かしに錯覚されてくる。
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ビヴァークするものは、彼の肉体を山の肉体と結合させるのだ。石床の上で大岩壁に背を寄せ、見慣れた虚空と向かい合って、左手の地平線に陽が沈み、そのうち、反対側の空では、星の肩掛が拡がるのを眺める。まず眠らないで時間を過ごすが、やがて、できることなら眠ろうとする。次に目をさまし、空模様をうかがい、また眠りこむ。最後に彼は見張る。やがて右のほうから朝日が昇ってくるだろうから。散り乱れたダイヤモンドの下の大旅行。
晴天の時だけに、山小屋から出発して、決してビヴァークしないで山登りをしている人たちでも、山の壮麗な美しさは体験しているが、夜、空の深みに眠る時の、神秘に包まれた山の姿は知らない。・・・・。
アルピニストの中には、すべての山行をビヴァークなしでやったことを自慢している人もいる。そういう人たちは、なんと多くのことを犠牲にしているのだろう。
(ガストン・レビュファ著、近藤等訳「星と嵐−6つの北壁登攀行」
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「左手の地平線に陽が沈み」は北壁でのビバークだからか。
要するに寒さに震えながらほとんどまどろむだけで朝を迎えるということが、レビュファの手にかかると官能的とも思える一夜にも読み替えられてしまう。
こうした山の肉体と自分の肉体との一体感、あるいは山に抱擁される感覚を抱き、自分のこれまでの山行き、あるいは無数の先人あるいは同好の士の山行きに思いをはせながら一夜を過ごすということに強くあこがれるのであるが、実際にビバークに入るとなかなかそううまくはいかない。
まず、日中かなり長い時間を行動するため、ビバークに入るとすぐさま眠ってしまうことが多いからだ。次に寒さだ。一応筆者の服装はツエルトが凍り付いても一夜を乗り切れる程度だが、ぽかぽかと暖かいというわけではない。寒気まで受け入れて自らを山と一体化しようとするよりも、修行が足りない自分はどうしても夜明けまであと何時間と考えてしまうのだ。そして気がつくと寝坊しているというのがいいパターン。夜明けを待ちきれずに出発してしまうのがよくないビバークの切り上げ方である。
さて、今回のビバークはどうだったか。
夜中に目が覚めた。年のせいで視力が落ち、夜目では夜光塗料の時計の針を読むことができない。バックライトでどうやら深夜だということがわかった。床に就いたときにはツエルトの端をたたいていた風が止んでいた。体は濡れているか。夕刻のガスの具合では夜間に雨が降ることも覚悟していたのであるが、自分の吐息でツエルトが濡れていることを別にすれば、濡れている様子もない。
恐る恐るツエルトから顔を出す、天頂へ向かう前穂高山頂への岩壁が見えた。その向こうには銀河が流れていた。銀河の中には明るい星が4つ、5つと輝いている(下山後に。カシオペヤとわかった)。雨を覚悟しつつのビバークだったが、今のところ天気はそれほど悪くなっていないようだ。残念なことに雲の薄いベールが空の低い部分を覆い、満天の星空ではなく、遠くの山稜のシルエットも隠されていた。
少し寝返りを打つと、上高地の明かりがぽつぽつと見えた。去年の奥穂南稜でのビバークは、初冬で天候も荒れ気味だったしまだ慣れていないこともあって、人里の明かりがひどく恋しく思えたものだが、今回はずいぶんと余裕を持って明かりを眺めることができた。寝転がったまま、銀河と上高地の灯を堪能するのは随分な贅沢だった。
ここで本来ならば思索に耽ることがレビュファ流のビヴァークなのだろうが、筆者は夜空を見ることよりも、ツエルトをあけて体温を外に放出することを気にしてツエルトを閉じてしまう。そして、自他の登山に思いを馳せる間もなく、眠ってしまった。
▼枕元に奥穂から槍ヶ岳
気がつくと、目の前に黄色い布地が見えた。明るくなったのだ。時計は5時30分を指していた。寝坊してしまったようだ。毎度のことではあるが、もったいないことをしてしまった。
両手の指の付け根が筋肉痛だ。一日中3点支持で移動していたようなものだから無理もない。逆に就寝時には疲労で頭痛さえ感じられたものだが、そちらのほうは回復したようだ。
ツエルトの布地を確かめる。呼気で多少は濡れているが、結露なし。そしてツエルトをたたく風の音もない。夜露にもあたらず、強風に震えることもない、最高の条件でビヴァークできたようだ。
目の前には深夜と同じく前穂高山頂が見えるが、天の川が見えた空は曇っていた。雨は免れたがさすがに晴れとは行かなかったようだ。寝返りをうつと、焼岳、乗鞍、御岳と見えてはいるが、天気は曇りである。
シュラフカバーから半身を起こし、枕もとの方向を見て驚いた。目の前に奥穂高岳が見えるではないか。ガスと曇天で眺望に関してはまったくあきらめていたところの不意打ちであった。しかも、奥穂から涸沢岳、北穂、もしかしてあの隅に見えている三角屋根は槍か?あわてて寝床から抜け出し、荷物はスタッフバッグに仮詰めしてデポし、デジカメだけ持って前穂山頂を登り返した。
日の出は過ぎていたが、曇天のおかげでご来光もどきを拝むことができた。豪華な雲海カフェだ。ただしお茶は出ないが。北側に回り、奥穂のモルゲンローとに釘付けになった。ご来光もどきなので真っ赤ではないが、黄金色から徐々に白く輝いていく奥穂高の神々しい姿を眺め続けた。
目を北から東のほうへ向ければ、荒々しい南稜と東稜を擁する北穂高岳のモルゲンも見えた。涸沢岳が奥穂や北穂に負けない勇壮な姿を見せていた。大キレットは北穂の陰だが南岳、中岳、大喰岳、そして槍ヶ岳と、槍穂高縦走の山々が見える。これなら槍ヶ岳のモルゲンロートも拝められると期待したのであるが曇天の合間からの朝日のせいだろう、残念ながら槍ヶ岳方面には夜明けの光線が差すことはなかった。
涸沢、穂高方面へ向けて、蝶が岳、常念岳の稜線越しに力強い朝日の直線が幾本も引かれていた。そしてその光線の源には雲海が広がる。この雲海を見ているだけでも天空に来たと実感する。
山頂北の端からは、北尾根2峰越しに、涸沢ヒュッテ、涸沢小屋、そしてシルバーウィーク直前のためまだ少なめなテント村を見下ろせる。普段はかなり残っている残雪も、今年はほぼゼロである。北尾根2峰もここからはちょっとそこまで行ける様な気になる。実際行ってみようかという気にもなったのであるが、安全第一ということと、そしてつまみ食いは我慢しようという気持ちから、今回は景色を楽しむことに専念した。
北穂方面の景色もたまらない。南稜には一般コースのジグザグがはっきり見える。そして去年ガスの中登攀した東稜も見える。さらにその向こうには、この春取り付きさえ拒まれた、長大な横尾尾根の姿が飛び込んできた。横尾の山小屋もかすかに見える。横尾からは前穂高の美しい姿を何度も見たものだが、今回は前穂から横尾を見ているのだ。
まだ暫く人の登ってくる様子はない。前穂山頂を我が家のようにして、登山靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、インナーソールを靴から出して乾かした。昨日朝5時から、ビバーク時を含めてほとんど靴を履きっぱなしだったのだ。足にもこの朝のきれいな空気を吸わせてあげなければ申し訳ない。はだしで冷たい岩の感触を味わいながら、今度は明神方面の岩稜を眺めて過ごした。視界が利くと、前穂山頂から明神岳はすぐにでもたどり着くように感じてしまうのに、昨日はもう山をやめたくなるくらいにしんどい思いをしてここまで歩いてきたのかと思うと不思議なものだ。眼下の小さい岩峰一つ一つが手ごわかったことを思い出しながら、昨日縦走した稜線を見つめ続けた。
足が冷たいと言い出したので靴下、靴を履いてさらにぼんやりしていたころ、自分以外の登山者が今朝初めて来られた。穂高山荘を4時に出発していらしたとのこと。昨日は西穂ー奥穂の縦走路を絶好の天候条件で縦走されたそうだ。ガスが出る前に6時間で奥穂まで歩ききられたとのことだから、健脚でいらっしゃる。
吊尾根方面からぼちぼち人の声も聞こえてきた。自分はもう1時間以上も前穂山頂を独り占めしていたわけだし、そろそろ下山しよう。
奥穂山頂から昨晩の寝床までまず移動し、仮詰めしていたツエルト、シュラフカバーなどを小さくパッキングしてザックに押し込んだ。下山時には出番のない登はん具もザックに詰め込んだ。昨日拾ってきたゴミとあわせて、パンパンになったマジックマウンテンK2プラス(36L)を担いでいざ下山だ。出発前にビバーク地を振り返った。いいビバーク地だった。枕元には奥穂高岳、そして西穂までの稜線が見ていてくれる。
▼危険だらけの重太郎新道
まず、かなり登はん要素の強い一般道を、紀美子平を目指して降りた。前穂−紀美子平間は、前穂登頂の中でも胸突き八丁なのだけれども、それでも初日の明神岳ー前穂間のガレ地に比べれば、同じガレ地でもペンキマークがあるだけでどれだけありがたいことか。不覚にも一回ペンキマークを外れて難場を下りかけてしまったが、それさえペンキマークがないということで、極端に行き詰ってしまうことなく修正させることができたのだ。
7時を回るとそろそろ前穂山頂を目指す登山者も増えてきた。手ぶら登山者が大部分なのは、紀美子平にザックをデポして山頂をピストンすることが定番だからだ。そのカラフルなザックの花が咲いている紀美子平に20分ほどかけて到着した。吊尾根から着いて一休みか、あるいは前穂を登り終えて一休みか。幾人かの登山者がいらした。
前回の紀美子平通過は2年前の11月だった。ここでビバークしようとして、強風でテントが晴れず、泣く泣く幕営適地を求めて、日没後、雨と風とガスの重太郎新道を、6時間ほどもかけて岳沢小屋テント場に下りたことを思い出す。今回の山行はそのときを思い出すことも目的のひとつである。
重太郎新道は、難しくはないが危険度はきわめて高い。そのことを紀美子平通貨後にいきなり思い知らされた。着地した足が、濡れてもいないのにいきなりずるっと滑ったのである。一枚岩の傾斜地は、多くの登山者によってつるつるに磨き上げられていたのだ。斜度はそれほどでもないので、なまじっか岩稜縦走で自信をつけてしまうと、鎖なども頼りにせずにがんがん下りよう考えてしまうが、浅はかであった。幸い、ここには太い鎖がある。ホールドも十分にある。また少し下るとステップを切ってもあるので、危険であるという心構えさえあれば大丈夫。
最初のわなを過ぎて程なくして、有名な短いはしごののぼりを通過した。ここは2年ほど前までは、現代アートかと思いそうなぐにゃぐにゃのはしごがかかっていたのだ。登ったらひしゃげてしまいそうな風合いだったが、実際にはひと一人くらいではびくともしなかった。そのアートなはしごが、今では新品に架け換えられていた。あのはしごはどこかに保管されていたような記憶があるが、今はどうなっているのだろうか。
はしごを過ぎても暫くは岩場の下りが続く。夜で、ガスだと、ヘッドランプを灯しても、目の前しか見えなかった。手探りのようにして歩き、簡単な下りさえも3点支持で下りたことを思い出しつつ、高度を下げた。今回は曇り空ながらも天気は安定しており、快適な下山だ。
息を切らせてくる登りの登山者の方々は、どうしても足元の安全を優先にするから、下山者に気づかない。下山者は足元を見ている限り前方も見える。「こんにちは」と声掛けして気づいてもらう。基本下りが譲るけれども、実際には譲るか譲られるかはケースバイケース。登る側もすれ違いを口実に一瞬止まりたいこともある。それは自分も良く知っている。
左前方に、明神岳主稜線の鋸歯が見える。昨日、もう山をやめたくなるくらいきつかったことなどけろりと忘れて何回も見とれてしまう。美しいが、岳沢パノラマまで下ってくると、徐々にその鋸歯の荒々しさがならされてくる。登山が後半戦に入っていることを悟る。
重太郎新道は岳沢パノラマを前後として、上部が主に岩稜帯、下部が樹林帯となるけれども、実際にはどちらも露岩が多く、ところどころ短いながらも急斜面が多く3点支持で下りた。2年前は強い雨のせいで重太郎新道の岩壁が滝のようになっていて、ずぶ濡れになりながら下山したことを思い出した。夜間の下山時、道が切れているのかと思うところにはしごがあったことを思い出した。
重太郎新道は岳沢パノラマより下の樹林帯に3個のはしごがある。このはしごでは転落の事故が多い。紀美子平直下の危険地帯についで、このはしごでも気持ちを引き締める事態を経験した。岩稜の3点支持に比べれば、ホールドが安定しているはしごは楽勝だと思ってすたすた下りていこうとすると、足がはしご段にかからず、踏み外しそうになったのである。両手がはしご段をつかんでいたのと、片足の踏み外しかけだから3点支持の状態である。あせっただけで済んだが、
その瞬間は信じられないことがおきたような気がしたが、踏み外した段まで下降して事態がよくわかった。上部からは見えないのであるが、はしご段のすぐ裏まで太い木の根が張り出してきており、普通はしご段を下りるときのように土踏まずで段に載ろうとすると、木の根につま先を跳ね返されて滑るのだ。
重太郎新道は復路に使われることも多い。実際自分も今回含めて3回の通過はすべて帰り道だった。奥穂西穂縦走や、吊尾根などで歩きにくい岩稜に慣れてしまうと、はしごなど楽勝だと思って一気に下ろうとした揚句に、ここで足をすくわれることもあるだろう。まして重いザックを背負っての帰り道であったり、朝露や雨で段がつかみにくければ、こうしたちょっとしたアクシデントが事故につながることは十分にあるに違いない。調べてみると、3箇所のはしごすべてに、こうした木の根や、あるいは岩の突起のわながあり、油断は禁物だということが良くわかった。むろん、危険といってもしっかり設置されたはしごであるから、気をつけてさえいれば恐れるほどではない。また登りで使う場合には先にこれらの突起が目に入るので、アクシデントに見舞われる可能性は低いだろう。
最後の飛び切り長いはしごを降りると、ナナカマドの赤い実が迎えてくれた。紅葉はまだ気配もなかった。そして「前ホ右へ」の書かれた大きな岩を過ぎれば、岳沢小屋テント場の最上部にたどり着く。小屋まではまだひと歩きなのだけれども、半ば小屋までたどり着いたようなものだ。2年前はテント場の最上部で幕営し、翌朝雨が雪に変わって、埋もれて凍りついたテントの掘り出しに苦労したものだ。
のどかなテント場を過ぎ、最後に岳沢の枯れ沢を渡った。昨年秋に途中で引き返した南稜方面を見上げた。雪渓なし。できれば今偵察したい気分であるが、今回は明神の喜びをかみ締めることにしよう。岳沢小屋のテラスに到着した。10時だった。お手洗いを借り、缶のビールでも頂こうとしたが売り切れの様子。生ビールの張り紙もあるので、空腹で酔いが回るかなと心配しつつも思い切って注文した。実にうまそうな生中だった。テラスに戻り、明神岳に向かって無事ここまで着いたことを感謝して乾杯した。空腹にアルコールは酔いが速く回ってよくないといわれている。しかし、体質によるのかもしれないが、ほとんど一気飲みした生中のアルコールの効果はまったく出なかった。昨日一日行動食だけで済ませていた体は、アルコールさえもエネルギーに変えようとしたのか。
▼無事下山
1時間ほどテラスで過ごし、かなりなまってきた明神岳の主稜線を眺めてから、岳沢小屋に別れを告げた。下山までもうひと歩きである。昨年の南稜撤退時には、岳沢でひざの痛みが出て歩けなくなり、ロキソニンを飲んでかろうじて下山することができたのであるが、今回はひざの痛みはない、快調に歩けるだろう。そう思っていたのだけれども、なかなか無傷ではおろしてもらえない。岳沢からの下りの途中、風穴を通過しないうちに足がつってしまった。自分では体調万全だと思っていても、12時間も行動した翌日はどこかに疲労が残っているものなのだろう。ただ、縦走中に足がつることは何度か経験しており、適当に休んだり、ストレッチしながら痛みを取りつつ、風穴を通過した。毎度のことであるが、苔むした風穴を見ると、岩稜縦走の後の目が癒される。
そしてスタート地点の7番標識を通過した。ここまで来れば大丈夫という気持ちになるが、実際にはまだ急な下りもあり、本当の安全圏まではもう一息である。更に歩くこと20分。遠方に上高地の遊歩道が見え隠れしてくると、ようやく今回も無事に帰れそうだということを実感してくる。登山道の入口を過ぎて、観光客の多い湿地帯の木道に乗ったとき、やっと登山は成功したという気持ちになれたのだった。
木道を過ぎ、12時15分。河童橋横の梓川河畔で吊尾根と明神岳5峰に手を合わせ、まず今回も大きな事故なく上高地まで帰ってこられたこと、次に憧れの明神岳主稜線を歩ききって、前穂高の独り占めの朝まで楽しませてもらったことを感謝した。そして今後の精進を誓って長い間手を合わせた。
午後は、小梨平キャンプ場のお風呂で汗を流し、食堂のカレーと売店のビールで人心地ついた。キャンプ場のお風呂は温泉ではないが広くて比較的清潔だし、案外空いている。タイミングが合えば食堂で食事もできるというところがありがたい。
小梨平を出てからは、梓川河畔をぶらぶらした後に、さわやか信州号で新宿への帰途についた。最後のハイペースが効いたのか、足の筋肉痛に悩まされた。走り込みはしていて足には自信があったのだが、登山はまた別であること実感した。
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