前穂北尾根(56のコルから)−明神岳主稜線
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- GPS
- 31:00
- 距離
- 29.3km
- 登り
- 2,735m
- 下り
- 2,734m
コースタイム
06:00 河童橋
06:40 明神館
07:20 徳澤
07:30 新村橋
07:45 林道分岐点(パノラマコースは左へ)
08:10 慰霊碑
08:35 中畠新道分岐点(写真からの推測)
08:45 奥又白谷渡渉点。流れが速く断念
奥又白谷右岸を遡行し、奥部の偵察
09:30 渡渉点より撤退開始
10:05 慰霊碑
10:35 新村橋
11:10 横尾
12:00 本谷橋
12:30 Sガレ
13:20 涸沢ヒュッテ
14:15 5,6のコル直下
16:30 5,6のコル、ビバーク
9月30日
05:00 起床、モルゲンロート鑑賞
06:10 出発
06:15 5峰大岩を涸沢側へ
06:40 5峰頂上稜線
06:55 5峰山頂テント場
07:40 4峰取り付き
08:15 4峰大岩を奥又白側へ
09:20 奥又白側の難所を通過。ルート再確認
09:30 4峰山頂のお立ち台
09:50 3峰取り付き
10:00 3峰大岩を奥又白側へ
10:30 チムニー入り口
10:40 チムニー上部通過。涸沢側へ出る
11:30 3峰山頂
11:45 2峰山頂
11:50 2峰懸垂下降支点
12:15 懸垂下降終了、ロープ収納
12:30 前穂高岳山頂
13:20 A沢のコル
14:20 奥明神沢のコル(1峰までの道のりは長い)
14:50 1峰北側頂上稜線
15:05 明神岳1峰(主峰)山頂
15:30 明神岳1,2のコル(2峰へ向けて試行錯誤を約30分)
16:05 2峰北壁「最初の」5mを通過
16:15 2峰山頂通過
16:30 明神岳2,3のコル(以後3峰を巻こうとして失敗)
16:45 明神岳3峰山頂稜線に出てしまう
17:05 3峰巻き道がうまく見つからず断念し、稜線へ登り返す。
17:45 明神岳、3,4のコル
17:55 明神岳4峰山頂、ビバーク
10月1日
05:00 起床、ガスで視界なし、停滞、方角確認
05:45 ビバーク地点(4峰山頂)出発
06:25 5峰取り付き
06:40 山頂北壁下巻き道
06:55 5峰山頂
07:35 5峰南斜面テント場
ここから樹林帯へ入る道が見つけられず
薮こぎと登り返しを繰り返す。
09:40 ハイマツ帯の正しい踏み跡を発見
10:05 樹林帯入り口
10:30 柱状節理横(左側沢越し)
10:40 ナイフリッジ
10:50 残置竹ざお
11:05 固定ロープ帯通過
(土付きの急斜面が続く)
12:30 難しい倒木
(笹がちになりややルート探しが面倒)
13:15 7番標識
13:40 岳沢登山口
14:00 河童橋
天候 | 29日 朝から日没まで雨時々曇り、深夜快晴; 30日 快晴、日没から終夜雨; 1日 朝から昼前まで雨、昼ごろから晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2016年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
帰り:さわやか信州号 上高地発新宿行 |
コース状況/ 危険箇所等 |
(注意!) 本ルートはバリエーションルートです。一般登山道とは異なり、ペンキマークや固定ロープ、鎖、はしごなどの整備はほとんどありません。岩稜帯の縦走(たとえば、奥穂ー西穂、北穂東稜、槍ヶ岳北鎌尾根など)ができる程度の技術と経験が必要です。特に前穂北尾根は一応懸垂下降の必要な箇所があるため、ザイルの取り扱いの初歩的経験も必要です。 岩が滑るので、雨天の登はんは特に危険です。 前穂北尾根は浮石が多く、落とすほうも落とされるほうも含めて落石に最大限注意しなければなりません。日によっては多くの登山者が取り付き渋滞しますが、そういう場合は特に落石の危険が高まります。 北尾根に上がると、明神岳主稜線を岳沢登山口へ下山しきるまで水場、山小屋はなく、距離も長いので、通常1泊分のテント泊の装備、食料、水(重要)は必要でしょう。 ーーーーーーーーーーー パノラマコースを使って、屏風のコルから北尾根末端に取り付こうとした場合、奥又白谷が雨天時は川となっている可能性を考慮する必要があります。上高地で岳沢に水の流れが見えたり、明神岳に滝が見える場合には、奥又白谷も激流になっている可能性が高いと思います。今回は末端からの取り付きを断念しました。 涸沢ヒュッテから56のコルは、通常は遅くまで雪渓が残っているため、雪上に明瞭に踏み跡が残ります。アイゼン、ピッケルの携行が必要です。9月下旬から初雪前は雪渓が消えてガレ地をたどることになります。ヒュッテ裏に回り、ヘリポート横を尾通過しつつ、ガレ地の中をの踏み跡をたどります。踏み跡はきわめて不明瞭なのですが、ケルン、立てた木の枝、ペンキ印(数はわずか)などの標識がありました。斜度が上がって56のコルが見え始めると、踏み跡も多少見分けやすくなってきます。 56のコルから前穂山頂までの登はんは、未熟な筆者の記録はあてにならないので参考までにお読みください。 5峰は、コルから尾根沿いに登り、壁が出てきたら涸沢側に巻きました。山頂からは45のコルへは踏み跡をたどり、涸沢側を下りました。 4峰は正面から取り付き、壁が出てから奥又白側へ巻きました。この後高度を稼ぐのに悪戦苦闘したのですが、少し早めに奥又白側へ、それも大きく巻いてルンゼ気味の斜面を登ったほうが楽だったようです。自分で登り直してそう思いました。 3峰も正面から取り付き、大岩出てから奥又白側へ巻き、大岩の上に登りました。その後、左側のチムニーを通過、通過後にもうひとつチョックストーン下を涸沢側に通過してから、涸沢側を山頂へ登りました。 3峰山頂から2峰は尾根沿いに登り、新しい残置支点が豊富に残っている懸垂下降点を懸垂下降しました。ここはクライムダウンを試みても良かったかなとも。 懸垂下降後、前穂高岳山頂まではあまり難しくなく、適当に直登しました。 前穂山頂から明神主峰までは意外と距離があり、小さい岩峰が多数あります。スピード重視の場合は、小岩峰をすべて岳沢側に巻けます。今回筆者は巻きました。 主峰につながる奥明神沢のコルからは稜線沿いに登りました。北尾根の登はんに比べると容易です。コルの登はん後、稜線をかなり歩いてやっと主峰北側の斜面に取り付けます。ここも容易に登れます。稜線の奥又白側がすぐに断崖なので、ガスが出ているときなどは墜落に注意しなければなりません。 主峰から1、2のコルに踏み跡をたどって降りてからの、最初の5mほどの登りが主稜線の縦走では一番難しく感じました。前回の登はんには見られなかった残置ロープがありましたが、技術と運によっては投げ縄や残置ロープなしでここを安全に登るのは難しいかも知れません。 最初の5mを通過すれば、奥又白側にホールドの豊富な凹角をたどって容易に2峰山頂に到達できます。 3峰は巻くつもりでしたが巻き道がうまく見つからず、途中で稜線に出てから南側斜面をクライムダウンしました。結果的にはこれが楽で早いかもしれません。 4峰から5峰北壁の岩壁直下までは踏み跡が明瞭かつ歩きやすい尾根道です。5峰北壁直下からは岳沢側に岩壁に沿って巻きます。5峰から歩いた前回は、岸壁に沿った巻き道が途中で奥又白側の断崖に消えるように錯覚しましたが、がけの手前で下れるように踏み跡が残っていました。 5峰のピッケルから明神南西尾根を下ります。序盤はガレ地の少し歩きにくい下りです。ガレ地を下りきると、テント場が何張り分かあり、その先は切れ落ちているように見えますが、ハイマツ帯の中にはっきりとした踏み跡が尾根沿いに続いています。強調しますが、現時点で踏み跡は明瞭です。もしも藪こぎがでてきたらそれは道間違えです。無理に薄い踏み跡を岳沢側へ下ろうとすると断崖が待ってます。 踏み跡を正しくたどれば樹林帯へ入ることは容易です。樹林帯ないはナイフリッジあり、固定ロープのある岩場のクライムダウンあり、草付きの急斜面ありと、かなり長い、神経を使う急な下りがあります。地味でかつあまり安全でない分かなりつらく感じられます。 終盤笹やぶ気味になりますが、踏み跡は明瞭です。またところどころ露岩のペンキマークやテープもあります。藪こぎが始まったら道を外れた可能性が高いので、マークがある場所まで引き返したほうが無難だと思います。 ゴールは岳沢登山道の7番標識です。 |
その他周辺情報 | バスターミナルに登山届け提出場所がありますが、現地で書くとポスト周辺が混んでいるので事前に作成してポストに入れるか、事前にネットから提出しておきましょう。特にネットからの提出は何かの時には検索で見つけ出してもらいやすいでしょう。 登山後の入浴場所として、岳沢に降りたときには少し遠いのですが、筆者は小梨平キャンプ場のお風呂が広くて清潔で気に入ってます。温泉ではありません。向かいの売店で買い物と、昼食時には食事もできます。 |
写真
装備
備考 | ▼登はん関係 ロープ30 m(ルート通りに歩くと、無雪期ならば懸垂下降は前穂北尾根2峰の下り1箇所なので、30mで十分です)、スリング90 cmを3本、自己確保用にダイニーマスリング60 cmを1本、カラビナ3個、安全環付カラビナ2個、エイト環、ハーネス、ナイフ、ヘルメット、 ▼ビバーク関係 ダウンジャケット、ダウンパンツ、目だし帽、ウールミトン、オーバーグローブ、シュラフカバー、ツエルト、 ▼その他 雨具上下、サングラス、日焼け止め、ロキソニン(痛み止め)、テーピングテープ、ばんそうこう、着替え(下着上下、長袖シャツ、ショートパンツ、靴下2足) ヘッドランプ2 個(片方は予備)、地図、磁石、スマホGPS、デジタルカメラ、ヘッドランプおよびデジカメ電池予備、スマホ用モバイルバッテリー、水4 L、行動食兼非常食約3日分(レモン飴、黒砂糖、アミノサプリ、マヨネーズ) ーーーーーーー 涸沢の雪渓は夏まで残ることもあります。その場合ピッケルアイゼンも必要になりますので、事前の情報収集が必要です。 ザックカバーは背中からの雨水の回り込みがあるため要注意です。筆者はザックカバーは持たず、各荷物をドライバッグや、小さいものは台所の消耗品であるフリーザーバッグでパッキングしました。 筆者は藪や虫のこともあるので夏でも長袖+手袋(ゴム引き軍手、商品名タフレッド)は欠かしません。長袖にはファイントラックのミドルレイヤーを着ました。確かに乾きは早く、滴るほどの汗を着ながら乾かせました。 岩にロープをかけて懸垂下降の支点にするので、2mくらいのテープスリングか、長めの(自作)ロープスリングがひとつあると便利でしょう。 軽量、コンパクト化と計画ビバークのため、あえてテントやシュラフ、マットも持たず、モンベルのポルカテックスシュラフカバー(ポルカテックススリーピングバッグカバー 1121020)とツエルト(マウンテンダックスエアーツェルト TN-006)を使用しました。どちらも小型でかつ防水が良く効いていて、多少の雨では濡れません。 ツエルトで眠る場合、最小サイズだと足を伸ばせないので、一回り大きい三角テント型のツエルトを持つほうが休めます。なお実際にテント型には立てず、体をくるむだけでした。ベンチレーションとツエルトの顔への貼り付けを改善するためのちょっとした空間作りが目下の課題です。 ヘルメットをかぶったままビバークすると、枕なしでも地面に直寝することができます。 アブよけに日焼け止め(比較的安価なもの)が非常に効果的であることがわかりました。水で落ちにくいので効き目が虫除けスプレーより持続するところがありがたいでした。 当初パノラマコースからの取り付きを計画していたので徳澤から水場がなくなる可能性を考えて飲料水を4L担ぎました。軽量化のため湯沸しの道具は持ちませんでしたが、エスビット一個くらいは持っても良かったかも知れません。 |
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感想
▼雨
上高地行きのバスが釜トンネルを通過するとバスの屋根を雨が激しく叩いた。登山の意欲はいやおうなしにしぼんでいった。今日の行程は藪こぎがある。この天候の中で薮山の中に入り、雨に打たれ、枝に行く手をさえぎられながら雨水と汗と泥でふやけていく自分を考えると、このまま来たバスで町に戻りたい気分にさえなる。奥の紅葉がいい季節であるというおまけの誘惑がなければ本当に中止したかもしれない。
雨が若干小ぶりになったのを見計らって出発した。梓川の宝石のような水の流れも今日は濁り気味である。そんな中で山登りに対する意欲を沸き立たせてくれたのは、憧れの明神岳、そして4年前の始めての上高地で驚愕した岳沢を流れる白い滝であった。
観光地とは別世界のように険しい表情を見せている明神岳の南の懸崖、実はそこは、S字ルンゼ(「穂高よさらば」という歌にも出てくるらしい)、南壁といった岩屋の世界であることを最近知ったのであるが、それらの懸崖にいくつも白い滝の筋が描かれていた。
岳沢中央のがれ地に見える白い扇状のものは融け残りの雪渓ではない。吊尾根を駆け下りた雨水がそこでぶつかり合って再びがれ地の岩の隙間に吸い込まれていく様子なのだ。ところが、実はこの岳沢の激流は、後に自分の登山計画をいったん中止させようかとさえ思わせるのだが。
懸崖にかかる幾筋もの滝に目を楽しませ、萎えかけていた登高への意欲を高めながら、明神、徳澤と過ぎた。明神館前では、ガスのために期待していた第5峰の雄姿を望むことはできなかった。徳澤前では登山道が崩落しており、治山工事中であった。雨だというのに徳澤にはいくつものテントの花が咲いていた。紅葉にはまだ早かったものの、草原の緑とテントのオレンジ、黄緑、青など、そして徳澤園のこげ茶のコントラストが美しかった。
徳澤を過ぎ、新村橋を渡ると、徐々に登山気分が高まった。最初は治山道路を歩き、分岐点を山側に大きく回ると斜度が高まり、道ががれて登山道らしくなってきた。ここは涸沢へ続く豪快な登山路であるパノラマコースの入り口でもある。そして前穂高岳東壁というアルパインクライミングコースの取り付きでもあるのだ。実際道沿いにはいくつかの遭難碑が寄り添い、まだ新しい花が生けてあった。先人の御霊の安らかな眠りと、道中の加護を祈りつつ手を合わせ、先を急いだ。
▼撤退
今回の予定はパノラマコースを歩いて、屏風のコルから北尾根末端に取り付き、8峰から前穂山頂まで、北尾根を完全にたどることを目的としていたのであるが、遭難碑の通過地点のあたりですでにそれは叶わないであろうということを予感していた。なぜなら白又谷の砂防ダムに、折からの雨水が瀑布を作っていたからだ。パノラマコースの白又谷渡渉点には激しい水の流れがあり、下手をすれば流されてしまうと予想した。上高地で目を楽しませていた水の流れが今度は自分の前に立ちはだかった。
とはいえ、時には激しい流れの中にも容易に岩を伝って渡れる弱点があるものだ、一応行けるだけのところまでは行こうと高度を稼いだ。徐々にがれ地がかってきた。目の前には太古の氷河と、毎年の氷雪によって彫られた穂高東壁の岩塔、懸崖の数々が屏風のように突き出し、くぼみ、霧交じりの天気の中でハイカーを退ける厳しい表情を見せていた。また近寄ればたちどころに押し流すとばかりに、懸崖からは幾筋もの白い流れが白又谷へ向かって流れ落ちていた。
松高ルンゼからの登山道にあふれてきた流れは楽に渡れたものの、白又谷本体は手に負えなかった。流れが強すぎ、最低でも膝までつからなければ渡れず、場合によっては押し流されてしまう(つまり死亡する)恐れがあった。パノラマコースを通るという計画はあきらめた。
そして、岳沢の白い筋を思い出し、北尾根を通過すると岳沢の渡渉が不可能であると判断した。実はこの判断は間違えである。明神主稜線を使って明神南西尾根で下山する計画なのだから、岳沢を横切らないのである。むろんこの天候が続いた場合そもそも登はんが危険すぎるので北尾根に取り付くべきではなかったのだが。すなわち、雨のせいでかなり意欲がしぼんでいたのである。
この時点で今回の計画は中止し、とはいっても紅葉の季節に奥又白谷で撤退では平日に2日も休暇をとった意味がないということで、涸沢まで行って来ることにした。
その前にもう少しだけ奥又白谷沿いに高度を稼ぐことにした。高度を稼げばそれだけ谷の細部が見えてくるからである。回り込むと渡渉点からは見えなかった新た峡谷とそこを白く流れる滝が現れ、紅葉とともに目を楽しませてくれた。
後にわかったことであるが、このとき、筆者は翌日縦走する前穂北尾根から落ち込む谷を見ていたのだ。そして奥又白池は筆者の左手上をたどる中畠新道へ向けて歩けばたどり着くことができたのだ。
谷には今押し流されてきたばかりと思しき、やっとの思いでバランスをとっているような巨岩がごろごろしており、あまり長居していることが危険に感じられたので、ひとしきり谷の様子を目に焼き付けた後に引き返した。引き返す途中別の踏み跡に入り込みかけたが、踏み跡の薄さに気がついて引き返し、一つ目の浅い渡渉点を通過して林道へともどった。
川沿いへの治山道路分岐の近くで2人組のパーティーと遭った、お二人は奥又白池でのテント泊を目指しているという。筆者はパノラマコースだったから撤退だがお二人は奥又白池なら渡渉もないが、無事にたどり着くことはできたのだろうか。
▼転進
新村橋まで戻ると、日差しが戻り始めた。撤退を決めると天候が回復するということはよくある話。ともあれ涸沢の紅葉を見て帰ってくればそれなりに満足だと考えながら横尾を通過した。横尾では無料の水場があり、ありがたい。ザックをおろすこともなく、手で流し放しの水を受けて飲んだ。
横尾大橋を渡るとき、出水と崩落に注意するよう警告板が下がっていた。一瞬涸沢へもいけないのかと思ったけれども通行止めではないようで安心した。
横尾大橋を渡り暫くすると、道はハイキングロードからがれ気味の登山道へと変化する。北アルプス初心者のときは、ここは残雪期に通過していた。がれてくるあたりでアイゼンをつけ、腐った雪の中をバランスを崩しながら歩いたことを思い出す。また最近では取り付くこともできずに撤退した横尾尾根を目指した今年4月のことが思い出される。
屏風岩はいつ見てもすばらしい、ことに今回はおりしもの雨で岩壁に行く筋も滝ができていた。そして岩壁の裾野には紅葉が広がり、荒々しさと美しさ、宙に舞う滝の水の軽やかさが、一つ一つは単調なのだけれども、三つ同時に目に入ることで飽きさせない。他のハイカーも同じことを考えていて、このスポットでは写真撮影者が何人もいた。
本谷橋は激流の上にいた。紅葉シーズンで渋滞するからであろう。メインの吊橋に加えて吊橋の上流側に簡単な木橋がかけられていた。木橋は激流のすぐ上で今にも洗われてしまいそうだ。雨の強かった朝方には実際に流れの中にあったのではないか。
本谷橋を渡ると登山道は横尾谷から涸沢に分岐し、一気に高度を稼ぎ始めた。ここから眺める景色はすばらしい。振り返れば横尾尾根の長大な姿が横尾本谷を裾に控えながら続いている。あの先は深く南岳までで続いているのだ。
そして今は紅葉の季節。ダケカンバの金色に飾られて、その中を真っ白な渓流が流れ落ちていた。横尾尾根のほうを振り返れば、春に撤退した横尾尾根の取り付きの斜面が、ちょうど筆者が歩いたコースに沿って滝になっていた。
何かがあると予想させる涸沢左岸(右手)の北穂東稜岩壁も黄葉。あの黄葉の岩壁の上に、秘境北穂池があるらしい。いつか行ってみたいものだ。
やがて登山路が右へ緩やかに曲がり始めると、まもなく涸沢ヒュッテがカールの中の高台のような場所に姿を見せるが、無雪期には草木に隠れてそれほどはっきり見えはしない。天気がよければ圏谷の全容が徐々に視界に入り、血が騒ぐのを止められないが、今日はガスで視界があまり利かない。登山道両脇の斜面に進む黄葉を眺めながら、気がつくと涸沢ヒュッテー涸沢小屋分岐点を通過した。
▼コルへ
パノラマコースを諦めた時には、涸沢ヒュッテでビバークし、奥穂高のモルゲンロートでも見てから上高地に戻ろうと考えていた。ところが歩いているうちに元気が湧いてしまった。予想天気図から察するに、明日1日は恐らく晴れるだろうから、明日1日で主な岩稜帯を登り切ってしまえば、明後日以降再び天気が崩れても下山できるだろうと予測したのだ。
結局涸沢ヒュッテで堪能する予定であったビールにおでん、そしてほかの登山者との雑談といったお楽しみはすべて封印して、涸沢ヒュッテの裏からがれた道を56のコルを目指すことにした。
例年ならば涸沢には夏でも雪渓が残る。従ってガレ地を道を歩くといっても実際には半分程度は雪の上を歩くのだ。しかもバリエーションルートとはいえ人気があるルートなので踏み跡明瞭なのであるが、9月も下旬となれば雪渓はあらかた消える。まして今年は例年になく暖かいため、56のコルへ向かうルートにまったく雪がなかった。雪がないと、足元のがれた岩に足をとられないように歩を進めなければならない。しかもがれ地に多くの標識はないであろう。方角はわかっているものの、正しくルートを見つけられるか始めのうちは不安だった。
特に序盤、涸沢ヒュッテ裏の汚らしい池をよけて通り、立ち入り禁止と書いてあるヘリポートを通り抜けて、がれ地に突入したときには、濡れた岩で滑る足元に注意しながら、とりあえずまっすぐ歩くことを心がけた。ヒュッテを通過して暫くはテント場を振り返ることができたが、やがてそれもガスに巻かれて見えなくなった。先行者も見えず、コルにたどり着くまでは単独行だ。
ルートファインディングの問題はすぐに解決した。ただのがれ地に見えていた岩場に、実はかなり多くの標識があったのだ。ケルン、垂直に立てた棒、そしてごくわずかではあるが、ペンキにより矢印なども示してある。6峰の裾を巻くうちはこれらの標識を丁寧に探し、次の標識、次の標識と追いかけながら先へ進むことによってルートを追うことに成功した。
斜度が高くなるとがれ地の石も細かくなり、それに従って踏み跡も見えるようになってきた。それは時には黄葉のブッシュやハイマツを抜けたり、がれ地に整備された石畳のように残っていたり、心細いときにはちょっとした岩の色の違いなのだが、見逃さないように気をつけながら高さを稼いだ。左手には北尾根6峰の黄葉の裾野が広がり、右手には北尾根、奥穂から落ちてきた大小の岩がまるでほうきでなでたかのようにびっしりと並べられていた。涸沢の紅葉の美しさはこれらのがれ地も一役買っている。自分ひとりでこうしたすごい自然の中に溶け込んでしまっていることがうれしい。
コルが見えてきた。よく見るとテントのような影も目に入る。人気のルートだ。明日の天候回復を待ってコルで停滞するのは日常的なのだろう。見上げていると、明日登るであろう5峰の稜線が目に入る。暫く登ってから垂直に近い斜度となる様子が目に入る。初心者向けとはいえ、岩場のバリエーションルートであることには変わりはない。あのような急斜面が登れるのだろうかと不安になる。「取り付いてみればホールドがたくさんあるだろう」と言い聞かせつつ、更にコルを目指した。朝の6時から大休止は取らずに歩き詰めなので、午後の急登はきつい。ペースががっくり落ちているのもわかる。登山はゴール(山頂)が見えてからが長いといういつものことだ。
▼風と星のビバーク
涸沢ヒュッテを通過してなんと3時間もかけ、4時過ぎにようやく56のコルに到着した。テントだと思っていた影は岩であった。56のコルを独り占めしてのビバークとなった。ありがたいことにコルには風除けのブロックよろしく、ひとの背丈程度の岩の壁があり、この陰に潜むようにして眠れば、まともに風に吹かれることもなかろう。雨具の下にダウンジャケット、パンツを着込み、目だし帽をかぶり、シュラフカバーとツエルトに包まって、そのままマットも敷かずに砂地のビバーク地に横になった。
今回、何かの寒さよけになるだろうということでヘルメットもかぶったままビバークしたのであるが、これは正解であった。ヘルメットそのものがいい枕になり、岩場でごろ寝しても、頭が痛くないだけではなく、ヘルメット内部の空間のおかげで、良い高さの枕になってくれるのである。いいことを学んだ。これからは何を枕にして寝るかという心配からは解放された。
ツエルト泊はこれで5泊目だった。今回は初めての雨(と汗)で濡れた状態でのビバークだった(と思っていたのだが、昨年9月の涸沢のビバークも濡れた状態でのビバークだった)。手持ちの道具があれば、ツエルトが凍るくらいの気温であっても乗り切れる自信はあったけれども、濡れている分だけ冷えるだろうな。低体温症ぎりぎりのところの戦いになるかもしれないなどと考えながら眠りについた。
ツエルトがばたばたと鳴って、寒くて体ががくがく震えることで目を覚ました。特にツエルトがあおられることで目を覚ますことが多かったのだ。。風が強くなってきたようだ。生地はあまり濡れていないようだ。恐る恐るツエルトから顔を出す。頭上に銀河が広がっていた、先回の前穂山頂直下3040mのビバークで確認したカシオペヤが今回もはっきり見えた。きっと見えているはずのアンドロメダは筆者の視力で捕らえることはかなわなかったが。寒いことを除けば銀河の天蓋の下で眠るということはいかにも贅沢だ。
特にこの夜のビバークでうれしかったことは、目が慣れたからであろう、時刻を追うごとに星の数が増えてきたことだ。子供の頃に経験した、空が低く感じるほどの星空でこそなかったものの、夜が深まるにつれて、今まで漆黒の星空に見えていた場所に無数の砂粒のような星が現れて、このままでどこが銀河かわからなくなるのではないか、それはそれで少しつまらないな、などと贅沢な心配ができるほどであった。
幸い銀河は他の星の中に埋もれることなく空を流れた。それだけでなく、ビバーク中に目覚めてツエルトから顔を出すたびにその向きを回転させ、やはりあれは雲ではなくて銀河だったのだと確認できた。
ビバーク地が56のコルであるから、南を6峰、北を5峰が占めており、また東方は風除けに用いている岩がふさいでいるから、通常の星座観察のように全天が開けているわけではない。筆者にとってなじみの星座であるオリオンが確認できたのは、夜明け近くなってからだった。
夢か心配か、ホールドがすっぽ抜けて虚空に放り出されるところを何度も頭に思い描いた。もうここでやめて帰りたい気分にもなった。自分で降参したくはないから、朝天気が悪ければそのせいにして撤退できるのになどと臆病なことを考えもした。
▼夜明け
何度となく時計を見て、8時、10時、、1時、、、5時。起きなければということで、体を起こした。まだ暗いが、そろそろ銀河は見えなくなっていた。オリオンも薄明の中に姿を消そうとしている。風除けの岩から頭を出すと東の空が赤く染まり始めている。遠く、雲海の向こうに八ヶ岳、富士山、南アルプスが顔を出している。富士山がこれだけはっきり大きく見えたのは、筆者が穂高通いに興じて以来初めてのことだろう。
奥穂方面を眺めると、穂高山荘周辺ではヘッドランプが見える。早立ちの登山者のヘッドランプに違いない。更に驚いたのは、奥穂の岩壁にヘッドランプが一つ見えたことである。ザイテングラードではなく、涸沢側から山頂に直接突き上げる岩壁である。昨日の悪天候の中、岩壁に取り付いてビバークし、今朝山頂にアタックをかけているのか、それとも昨夜のうちに天候の回復を確認し、深夜のうちから登はんを開始しているのか。いずれにしても相当の実力のある登山者に違いない。
ビバークでは、眠ったのか眠っていないのかわからないうちに時間が過ぎることが多い。まとまった時間熟睡できれば成功の部類だろう。このビバークは大成功ではなかったが、失敗というほど寝不足にもならなかった。良くあるビバークの一夜だろう。
衣服が乾いていた、着乾かすというのはこのことか。ゴアテックスの透湿能力と夜通し吹いていた「乾いた」風のおかげに違いない。ツエルト、シュラフカバーにも結露なし。風のせいで寒かったが、気温自体はこの季節としては暖かい。そういう点ではこの晩のビバークは幸運だった(二番目は惨めだった)。
モルゲンロートを撮影した。刻一刻と色合いが変わっていくのが神秘的だった。真っ赤なモルゲンローとを期待していた自分としては、若干不満足な赤さだったが、下山後写真としてみるとかなり赤かった。
2人のパーティーがいらっしゃった。コルでハーネス類を装備したかと思うとあっという間に視界から消えた。追いつくかと思ったが、とうとう登はん中に視界にも入らなかった。
雨のため登はん中止という言い訳は効かない。登ろう。歩き出したとたんに風除けの岩の上に新しい熊の糞を見つけて驚いた。熊に見守られながらのビバークだったのか...?
▼登はん
5峰は若干高度感があるもののコルを目指していたときに感じたほどの威圧感はなかった。登はんを開始して程なく、56のコルからは見えない槍ヶ岳が見えた。つい登はんの足(手)を止めて見とれてしまう。
途中難しいフェースにぶつかったところを涸沢側に巻いた。全体的に5峰は手がかり足がかりは豊富であり、油断さえしなければ難しくはなかった。やがて頂上稜線に飛び出した。稜線は傾斜も少なく、テント場さえあった。テント場には霜が降りており、昨晩の気温の低さを物語っていた。一方56のコルにビバークした筆者のツエルトは凍りつくこともなく、比較的快適なビバークだった。56のコルは山頂に比べれば風当たりは少なく、ビバークには適しているいということなのだろう。
5峰山頂から4峰の威圧感がすごい。ここは事故が多いと聞いているだけにいっそう恐ろしい。岩稜を見ると登はん意欲がふつふつとわくものなのだが、今回の北尾根に関しては常に恐怖心との戦いだった。前の晩のビバーク中に墜落する自分を何度も頭に描いていたせいであろう。
その4峰には取り付くことさえも容易ではない、5峰山頂から45のコルへのアプローチが思いのほか長く、またいやらしいトラバースがあったり、ざれた下りがこれでもかと続いたり。難路が続くのであった。ひと頑張りしてコルに着くと、落し物か、わかんが片方残されていた。履物が片方だけ残されているというのも、余り良い感じがしない。わかんなら、ザックから落ちることもあるから、靴の落し物よりは不気味さは小さいが。
4峰は大岩を目指してそこを奥又白側に巻いた。そこから上にどうしてもいかれない。思い出せないほど試行錯誤を繰り返し、最終的には横に走るクラックを踏み台にして何とか通過した。このクラックを使うときも、上を使うホールドが取れず、下向きのホールドを手のひらを上にしてつかむなどして、ようやく難しい部分を突破した。ちょっと休めるスペースで、下を見るともっと下のほうで更に深く巻くと容易に登れたようだ。空身になってそこを降り、登り返して確認した。休憩地点から4峰山頂へは再び涸沢側を登はんし、なんとか山頂の稜線に立った。
4峰はピラミッドピークの上に小さな石舞台があってそこが頂上だ。石舞台の上に立ち、北尾根全体を俯瞰した。北尾根の6-8峰、屏風の頭、そして涸沢周辺の紅葉を見下ろすことができた。下山後冷静に考えると、紅葉の涸沢、槍穂高の岩稜、ジャンダルムや天狗岳をはじめとする奥穂西穂の岩稜、常念山脈、果ては八ヶ岳に南アルプス、富士山と、青空の本一望に納めたことは大変な贅沢だったのだが、とにかく前穂まで無事に着かねばと夢中になっていた登はん途中には、まだ自分が置かれている贅沢な環境に気がつかなかった。
正面には、4峰にもまして壁のようにそそり立つ3峰が筆者を待っていた。4峰で散々辛い思いをした上に、この上さらに試練が待っていると思うと、しり込みしてしまう。しかしここまで来て撤退はより困難だ。まずは4峰山頂からルートについて確認した。巨岩を巻いたら、あの二つのチムニーのように見えるところの左側の割れ目を通過しよう。そうしたら涸沢側に出るから、後はまっすぐ頂上を目指すことにしよう。ルートを決めてからは、4峰への取り付きに比べると幾分歩きやすい下山路を34のコルへ向けて下った。取り付きたどり着くと、スタートは4峰にもましていかめしかった。
3峰も4峰と同じようにルートを取った。4峰からの見立ての通り、稜線越しに取り付いて、行く手をさえぎる巨岩を奥又白側に巻まいた。そこから4峰のときと同様にまたもや難儀した。どのように登りきったかを忘れるほど試行錯誤し、ここまで来たことを力不足だったのではないかと少し後悔しながらも、何とか登り終えた。稜線をふさぐ巨岩の上に立つと、、これは涸沢側を巻いたほうが楽だったのではないかとも思えたが、実際に登っていないので真相については不明だ。
巨岩の上に上がってからは有名なチムニーを通過した。チムニー内部は思ったよりも楽であった。一つ目のチムニーの後に涸沢側へ曲がってもうひとつチムニーをくぐった。弁慶の七戻りも真っ青の巨岩の下をくぐった。そこでどうしても上に進むホールドをつかめない。ほかのルートを探したがあまり良いものがなく、あそこに届けば良いのにと思っているとき、ダイアゴナルという言葉を思い出した。岩に対して左を向いて、右手を伸ばすと届くではないか。フリークライミングの教科書的な基礎技術が実践で初めて役に立った瞬間だった。
ここを過ぎてからは根気よく3点支持で上を目指した。道は遠く3峰はなかなか頂上らしきところにたどり着けない。また風が強かったので、途中で登はん意欲をすこぶるくすぐった細い尖塔には立てなかった。心残りである。
3峰を登りきったと思ってまだひとつ峰があるのかと思ったらそれは2峰であった。しかし3峰の一部かと思うような2峰は、途中に下り返しもなく、3峰上部の登はんと同様に、根気よく3点支持を続けるだけだ。ここに至り、前穂山頂が左手に見えた。山頂でくつろぐ登山者たちが見える。前穂からは筆者の姿は見えているだろうか?写真のひとつも撮られているだろうか、前穂山頂では祝福されるだろうか、などと雑念を抱きながらも、ほどなく2峰の頂上に立った。思わず、Yeeeeesと叫び声をあげた。
2峰からの懸垂下降は新しい残置始点が豊富で自前の捨て縄は不要だった。またここはクライムダウンできたかも知れないが、道具を持ってきていないと思われるのがいやで懸垂下降した。もっともその様子を眺めていた人自体いなかった。それに最後の最後で事故にあっては安全第一で登ってきた意味がなくなるので、半分見栄だったとはいえ懸垂下降で降りたのは正解だったと思う。
さあ、後は前穂山頂を目指すのみだ。
2峰を下って、緊張感からかなり解放されているけれども、前穂まではこれまた根気よく登らねばならなかった。これが案外疲れた。前回前穂山頂から2峰を見たときには、ちょっと行ってくるという感じで往復できると思っていたのに。しかし登頂は時間の問題。無人の山頂に到着。祝福なし。
暫く前穂の山頂を独り占めしたいところだけれども、天気が崩れ、あるいは日没前に登はん要素のある明神岳3峰を通過しなければならない。特に2峰の登りをどのように成功させるかはめどは立っていないのだ。一回り景色を眺め、奥穂西穂間の黄葉を暫く堪能してから、後半戦の明神岳主稜線へと出発した。
▼明神岳へ
紀美子平を示す木の標識を過ぎれば、再びバリエーションルートに突入である。前回岳沢から明神主稜線をたどったときに、ガスの中の登攀中、一瞬の晴れ間にこの標識を見つけてひどくうれしかったことを思い出した。
その前回の縦走では、明神岳主峰から前穂まではほとんどガスの中で眺望も聞かない中、又半分は岩稜好きの意地が出て、小岩峰を次々に越えていったが、今回はスピード第一で、巻けるピークはどんどん巻くこととした(もっともこの姿勢が最後3峰であだとなるのだが)。
まず、前穂山頂直下、奥又白側にせり出す3本槍も横目で見ながらスルーした。前回はこれらの岩峰は存在さえわからず、ただただ大きな壁のように感じただけだった。最後は降参して踏み跡をたどり、ライチョウにからかわれたり、ケルンが祠に見えたりしたものだった。それから比較すると今回の縦走は、北尾根を成し遂げた達成感もあり、一度歩いた道であることの安心感もあり、快適だった。
3本槍を過ぎて、A沢のコルを通過。ここから奥明神沢にかけて、更にいくつかの小岩峰があるが、登はん意欲を封印して、岳沢側の緩斜面を奥明神沢のコルまで巻いた。
奥明神沢からの登り返しはそのまま登はんした。前穂から歩いてくると、これが主峰の登はんかのように見えるのだが、主峰はまだまだ先である。登はんが済んでからまだ暫く尾根筋を歩いた。ちなみに奥又白側は絶壁だ。ガスで視界が悪いときには危険地帯だろう。その先にやっと主峰が待っていた。
主峰に着くとあのとんがり岩を山頂に擁した2峰が待っていた。岳沢から来た前回は最後の5mがどうしてもクライムダウンできず、恥ずかしい支点を作って懸垂下降したのだった。あの支点は恥ずかしいし、残置ハーケンがあまり利いていないから回収しようと決めた。
前回の明神登山では存在しなかった残置ロープが主峰から確認できた。先行者がいるのかと思って目を凝らしてみたものの、登山者は誰もいない。残置というよりは固定ロープとして残したのであろうか。北尾根の登はん同様、主峰から2峰北壁の序盤の岩をどのように乗り切るかをあれこれ考えながら、2峰の取り付きにたどり着いた。
今回はフリーで登り返せるかの挑戦、まず背丈ほど登り、テラス気味のところからが難所だった。ハング気味の箇所はやはり取り付けず、その左、奥又白側の凹角も無理。凹角の左に回れれば良いが、岩が出張っていてのけぞり気味になり、しかもしっかりホールドを取れない。バランスを崩せば奥又白側の断崖へダイブだ。
いったん取り付きまでクライムダウンし、別の取り付き場所を検討したが、危険度はより高そうだ。もう一度岩棚気味に登り、のけぞり気味になる岩の下にある、フットホールドに使う岩に腹ばいになるようにして、出張りを通過できないか試みるが、足をかけられない。これは投げ縄か残置ロープかと思ったが、先ほどの腹ばいから(正確には腕立て伏せに近いかも)重心を奥又白側に移動し、奥又白側のやや低めの出張りに足を掛けることを試み、何とか成功した。ここも北尾根同様、思わず歓喜の叫び声を上げた。北尾根は楽なところを探しながら登っていった感があるが、明神2峰のこの部分の数手は、知恵を絞って難場を通過した感じであった。
ここから残置ロープ沿いにいったん少し登り、岳沢側へ少しクライムダウンして恥ずかしい残置スリングを回収した。その後は2峰の弱点である奥又白側に隠れているホールド豊富な凹角を山頂へ向けてよじた。前回片足を置いた(角が立ちすぎて両足で立つとよろけて墜落してしまう)とんがり岩には横目で眺めるだけにとどめて先を急いだ。
一番難しいところはこれで通過したと思った。だがピンチはまだまだ続いたのだった。
▼巻き道の失敗
3峰は巻く予定だった。岳沢側から登はんしたとき、巻き道を無視して正面突破を試み、挫折して少し奥又白側の草付を登はんしたからだ。
2峰から見ると、刻々と山容を変える3峰頂上岩稜、山頂直下に大きなハングのある岩山もふもとをを巻いた。巻いて巻いて、少し危なげなトラバースを通過した。前回は南側の岩壁に岳沢側の巻き道が付いていたから、このトラバースで3峰は通過したと勘違いした。稜線に続いている薄い踏み跡の先、斜め右前方に見えるなだらかなピークは4峰だと思ったのだ。ところが、稜線に出てみると、南側には遠くに4峰と5峰が見えた。そう、まだ3峰の稜線に登り返しただけだったのだ。
3峰は両側に登はん要素のある斜面があるが、その間は長いなだらかな稜線が続くのだった。南側のクライムダウンが少しいやらし、ルート探索にも興味があり、降り返して岳沢側巻き道を再度たどった。ところが踏み跡は不鮮明になり、傾斜も急になってきた。日没も近づいてきたので、やむなく引き返すことにした。もっといやらしい岩壁が出るかもしれないルートを進むよりは、クライムダウンがいやらしくても、わけのわかっているルートをたどるほうが安全だろう。
体力を奪うハイマツ帯を登り返して3峰稜線に出た後、4峰側の斜面をクライムダウンした。前回の岳沢からの縦走では、南側の岩壁の直登を最初試みたためにかなり厳しかったが、少し奥又白よりの草付を使って降りていけば、危険度は緩和される。
もうかなり暗くなっている。松本方面?町の明かりが見えた。夕闇の中に隠れる直前の上高地と大正池が見えた。雲が増えてきた。ときおり、ぽつぽつ雨が落ちてきたようにも感じる。早く4峰まで歩いてしまおう。
3峰南斜面をクライムダウンし終えたのちも結構歩いた。ようやく6時近くなって4峰山頂到着し、山頂直下に風を防げそうな砂地を見つけ、ビバーク地とした。携行した酢飯と梅干の利いた手作りおむすびの最後の1個を食べて夕食とし、シュラフカバーとツエルトにくるまって眠りに付くかつかないかのうちに、雨が降り出した。
▼雨のビバーク
目が覚めると、顔にツエルトが張り付いて冷たい。さらに昨晩同様にツエルトがばたついた。この晩はずっと雨に打たれ続けた。雨のツエルト泊はすでに3回経験しており、そのこと自体では動揺しないのだが、今回のように一晩中雨に降られ続けたのは初めてであったし、ざあざあぶりのツエルト泊は何度経験しても惨めである。
時々息苦しくなり、マラソンのように大息をついた。最初は寒さのせいではないかと思ったが、どうやら、ベンチレーションがうまくいってないせいだ。ツエルトを直して通気を取った。今度は体に震えが来た。ツエルトがめくれ過ぎて風が入っているためだろう。今度は暖気を逃がさないため、ツエルトにくるまりなおした。ビバーク用にミトンの上にはめているオーバーグローブでは滑るため、ツエルトをとうまくつかめない。素手になってツエルトのすそを巻きなおす。うまく包まると今度は息苦しくなる。換気をよくするため顔の周りに隙間を作り少しだけ外気が入るようにした。今夜は銀河など望むべくもない。雨はずっと強くツエルトを打った。早く朝が来てほしいビバークの典型だった。
▼ガス
5時になった。もう起きても良いだろう。深夜、足先に当たるはずのない岩が当たっていた理由がこのときになってわかった。寝返りを打ちながら向きが変わっていてテント場の外に出そうになっていたのだ。
ガスで視界がほとんど利かなかった。あまりの濃さにどちらが5峰かわからず、1本道なのにそのどちらへ向かうかさへわからなかった。出発準備をしながらガスが薄くなるのを待った。水を含んだツエルト類は小さくたたむことをあきらめ、ビニール袋に詰めてそのままザックのそこに押し込んだ。ザックがずぶぬれになることは最初から想定内だ。濡れて困るものはジップロックかドライバッグに収納してある。
水を飲み、アミノサプリを流し込みながらガスが切れるのを待つのだが、あまり変化がない。最終的にコンパスで方角を確認して出発した。幸い、4峰からの踏み跡は明瞭である。足許さえ見えていればルートを誤ることはない。出発して暫く経った時、ガスがわずかに切れ、小ピークの向こうに巨大な5峰が現れた。安心した。
次の課題は5峰への登りである。前回の岳沢からの明神岳主稜線縦走では、5峰北壁の裾でルートを見失い、ハイマツ帯を薮こぎしながらクライムダウンとトラバースを続けた末にようやく踏み跡に合流したのであった。その際4峰側から振り返り、ルートをよく観察したところ、踏み跡は5峰北壁の裾で消えていた。その消えた踏み跡のその先のルートを見つけるのが今回の課題なのだ。この悪天候の中、ハイマツの薮こぎの、しかも藪の肌理に逆らう登りはやりたくない。手を滑らせれば滑落だってありえる。
踏み跡をたどり、問題の北側岩壁の根元にたどり着いたとき、課題の解答にたどり着いた。踏み跡は奥又白側には続いていなかった。そちらは絶壁だ。絶壁根元からは5峰北壁を根元に沿って歩くだけだったのだ。ただ、岩壁直下へ続く踏み跡は山頂から歩くと見えづらく、先が崖になっているような錯覚に陥るため、踏み跡なしと誤解したようだ。岩壁下を岳沢側へ巻けば、容易な登りを経て、、ピッケルのある5峰山頂に到達した。ピッケルとともに記念撮影はしたが、眺望はほとんどない。わずかに南西尾根方面が見える程度である。早々に下山を急いだ。あとは南西尾根を下るだけだ。
▼道迷い
残りの課題は二つ。樹林帯への入り口を見つけることと、樹林帯で正しいルートを7番標識へ降りることだ。どちらも、踏み跡を丁寧にたどれば済むはずだった。
5峰山頂からは暫くがれ地が続いた。ここのがれ地が歩きにくいというネット上の記録とは裏腹に、ここを登った前回の登山では、快晴にも助けられ、長い距離ではあるものの丁寧に踏み跡をたどるだけで山頂に着いてしまったのだが、今回はがれた足許に難儀しつつの下山となった。濡れた岩場に付いた踏み跡はたどり辛く、正確にたどれていたかどうかわからない。起床時ほどではないものの、ガスは相変わらずひどく見通しは良くない。見通しが悪いと、ガスの先には奈落ではないかと考える。逆に見通しが利いてしまうと、そちらが正しいルートであってほしいと願う。この不安と願望が判断を曇らせた。
がれた尾根筋をひとしきり下ったところで、先がどうやら崖だと思いこんでしまった。アルパインの人が積雪期に使うのであろうか、いくつかのテント場があり、その先にはガスの中に落ち込んでいて、道はなさげである。引き返してみると、右側、岳沢側に見覚えのある樹林帯の入口が見える。あそこを目指すのだ。これでひと安心だということで、小休止、水を飲み、サプリを流し込んでからいざ下山と踏み跡を追った。
ところが、薄い踏み跡はやがて姿を消し、ハイマツ帯に入ってしまった。そのハイマツ帯は思いのほか深く、クライムダウンの最中に太い枝と枝との間を抜けてすとんと落ちてしまう。所々身長を越える深さがあり、うっかりするとハイマツ帯の下にある空間へ転げ落ちて滑落しそうだ。これは明らかに踏み跡ではない。下山路は確かに明瞭な踏み跡があった。
登り返して様子を見た。まず、電池の切れていたスマホにモバイルバッテリーで電気を送る間暫く休憩し、スマホに入れた山旅ロガーの記録から、前回岳沢から明神岳主稜線を登ったときの軌跡を読み出した。すると、今は当時のルートよりもはるかに西側、岳沢寄りにいる。ただし南西尾根の肩の部分のGPSの軌跡は記録が飛び飛びで、一直線に、つまり途中の位置情報なしに樹林帯の中まで飛び込んでいた。だから軌跡をたどっての下山は当てにできなかった。
とりあえず大まかな方角は判る。もっと南へルートを取れということだ。ということは、あちら側のルンゼがちの樹林帯を目指すのであろうと、南よりのルートに踏み跡らしきものをたどってみたが、まだ踏み跡がない。再度GPSのルートと現在位置とを比較してみると、南へルートを取っていると思った割にはまだ西側に外れていた。
何故樹林帯の入り口に向かうと軌跡から外れるのだろう。このままガスが晴れるまで停滞したほうが良いのか?まずは安全かつ確実な場所まで戻って考えることにした。ハイマツ帯を辛抱強く登り返した。がれ地の踏み跡まで戻ること3度目。そこで思案した結果気がついた。崖だと思っている方向は崖ではないのではないか。正解だった。
テント場の先にある踏み跡をたどってみたところ、崖だと思った先も尾根道で、踏み跡も明瞭であった。ガスの中ではP2263のようにも見えた小ピークにさえ明瞭な踏み跡があり、さらにその先まで続いていた(なお、本物のP2263は南西尾根からは完全に外れ、踏み跡は不明瞭なので迷い込む心配はない)。
一見するとハイマツの枝が覆いかぶさっていても、その下に明確に踏み跡が残されていた。さらには小さいテープマークまであった。踏み跡とはこういうものを指すのだと実感しながら、一本道で、樹林帯に突入した。
▼急な下降が果てしなく続く
樹林帯に入っても踏み跡は明瞭であった。徐々に紅葉を楽しむ余裕も出てきた。ダケカンバ、ナナカマド、カエデ。時々ガスが晴れると、右手、明神岳西側斜面の黄葉(黄色が多い)が一気に広がった。
自分が降りようと悪戦苦闘していたハイマツ帯の先は絶壁となっていた。足許が見えないハイマツ帯をこいでいたら、何がおきたかもわからずに滑落していたかもしれない。背筋がぞっとする黄葉の岩壁であったが、有難いことに、今はぞっとするだけの余裕がある。
この時期、何種類か食べれる木の実にお目にかかれた。ウメモドキ?のような赤い実、食べられた。ついこの間緑の葉をつけていたブルーベリーは落葉して、実だけを残していた。稜線で道迷いしていた最中にはコケモモの赤い実を何度か口にした。噛むとやがてりんごのような風味が口の中に広がり、上高地に着いたらリンゴを買いたいと思った。
暫く黄葉を楽しみながら下山すると、左側に柱状節理の岩壁が現れた、そして踏み跡はガスの中に続くナイフリッジへとつながった。ナイフリッジの向こう、かすかに霞沢岳の気配が感じられたが、残念ながら眺望はない。
ナイフリッジを通過すると、露岩のおおい急斜面、やせ尾根が暫く続いた。雪山のルート表示用か、固定ロープが流してある。草しかホールドのない急な斜面があったり、雨で滑りやすい岩壁があったりと、クライムダウンには注意が必要で、時間を取られた。けれども、これが正しいルートであることは間違えない。それだけでもずいぶんと安心させられた。
固定ロープの区間は案外長い。岩壁を二つ三つクライムダンして、さあ樹林帯かと思うと、またナイフリッジだ。雪山用の竹ざおが束ねてあるナイフリッジを巻きつつ、また急な下り。そして樹林帯に入ったかと思うと、木の根をホールドの3点保持が必要な斜面に依然として固定ロープが流してあった。。
固定ロープ帯をようやく通過した。樹林帯に入って風も弱くなり、かなり蒸し暑く感じるようになってきたので、ひとまず休憩をかねて動きやすい格好になろう。目だし帽を脱ぎ、ビバーク中に着込んでいたダウン上下を脱ぎ、雨具上下も脱いでザックにしまいこんだ。多少涼しい服装になって、また暫くはクライムダウンだ。
踏み跡は明確であったが、まだ斜面は急だ。雨で濡れた土は滑りやすい。踏み跡は急降下しているだけでなく、土付きの両脇もまだまだ切れ落ちていて、油断は禁物だ。少し難しく感じたところは3点支持で降りた。手を使えば木の根や岩をしっかりつかむことができ、安定している。また転倒の危険なしに大きく足を踏み出すことができるので、おっかなびっくり足を出すよりも安定したペースを保てることさえある。
ただただ根気よく下山していくと、徐々に日差しが出てきたようだ。高度を下げ、ガスを抜けつつあることが判った。安心させられるが、まだ明神南西尾根の真っ只中にいるようだ。岳沢の白いガレ地が木の枝越しに見えるがそれははるか眼下である。
ひたすら踏み跡を黙々とたどって下山すると、踏み跡が徐々に笹に覆われ始めた。南西尾根の後半に入ったのだ。ここで最後の課題。この笹が出た斜面で、踏み跡を間違えずに7番標識に帰還するということに挑む。
見覚えのある、越えにくい倒木が見えてきた。前回は下の隙間を、体を横にして半身を地面にこするようにして通過した。ザックで体がつかえることを回避するための変な姿勢だったが、今度は倒木を巻いてみることにした。笹薮を少し左に巻くと、もう一本倒木が前をふさいだが、こちらは容易にくぐることができ、踏み跡に戻った。
この難しい倒木を過ぎても、ゴールの7番標識は遠い。まだ笹付きの斜面を下った。幸い、南西尾根では、ところどころ岩にペンキマークがあり、テープも下がっているのでバリエーションルートといえども、ルートファインディングは容易な部類に入るだろう。
それでも終盤に一回道迷いした。笹薮の踏み跡が見えなくなり、少し引き返すと別の踏み跡があった。そちらに転進するとまたもや踏み跡がなくなった。さては別の尾根に迷い込んだか?下山の終盤戦で結構疲れていたが、安全第一で登り返すことにした。結構登り返すのではないかとうんざりしていたが、幸いすぐにペンキマークを発見した。つまり降りてきた道は正しかったのだ。もう一度最初の笹やぶをへ突っ込むと、踏み跡が不明瞭だったのはほんの数メートルで、その先には再び明瞭な踏み跡が現れた。一安心である。
一刻も早く7番標識に着きたいところだが、明神岳はそれほど甘くはない。難しい倒木を過ぎて斜面が多少ゆるくなっても、笹薮がちな下りは延々と続いた。右下の樹林の隙間から岳沢のがれ地が視界に捉えられているのだが、いつまでも岳沢を見下ろしている。ゴール地点ではあのがれ地が目線と同じほどになるはずである。
そうしてもうどれだけ降りたか分からなくなってきたところで、カラマツの幹を貫通するまん丸の穴が目に入った。あまりにきれいな丸だったので興味を引いた。うろがあのような形に抜けるのだろうか。などと考えながらその「うろ」を見つめていると、その右はるか前方に看板が確認された。とうとう、7番標識にまで戻ってきたのだ。まだ安心するのは少し早いが、バリエーションルートは間もなく終了する。
「うろ」の正体は、穴などではなく、カラマツの幹に固定されていた電源用か、通信用の碍子(白い瀬戸物の絶縁体)であった。人里の領域に入ったことの証だ。
▼生還
そして感慨深く、迷い込みよけのロープをまたぎ、7番標識前に下りたった。もうひとつ、生還の確認に欠かせない場所に寄ろう。岳沢登山道を少しだけ登り返し、天然クーラーの風穴を詣でた。岩稜縦走の帰りにここの苔の緑を見るとほっとするのだ。
あとは登山口まで一気に下るだけだ。明神南西尾根の下山では完全にのろのろだったのに、どこにこれほどの元気が残っていたのかというペースで歩いた。
倒木帯の8番標識を過ぎ、木道を何回か渡り、雨で流れの多くなったせせらぎを一口すくって飲み、元気を取り戻すと、すぐに岳沢登山口が木立の向こうに見えた。生還まであと一息である。登山口を通過して林道に飛び出し、緊張から解放された。登山口の看板を写真に撮り、今回の生還を確認した。
木道をたどる途中、湿原から明神岳を眺めた。ハイカーが明神を撮影している。さっきまであそこにいたんですと触れて回りたい気分を抑えて先を急いだ。そして、いつもの梓川河畔から、穂高、明神を臨み、正しい登山道を導いてくださったこと、事故なく下山できたこと、悪天候に苦しみながらも、憧れの前穂北尾根と明神岳主稜線だけは快晴の条件で縦走できたことを感謝するとともに、今後の精進を誓いつつ、長い間手を合わせた。
▼追記
まず上高地バスターミナルへ戻り、帰りのさわやか信州号を予約した。当初の予定は3泊だったが、1泊繰り上げたのだ。北尾根を下部からたどった場合、序盤でてこずって北尾根で2泊の可能性があるだろうと余裕を持たせていた。丸々1泊分時間が取れたから、奥穂へ登り返すということも考えられたけれども、かなり疲れていたし、土日の天気はあまりよろしくなさそうだったので土曜日に帰宅を決断した。
バスターミナルの売店でリンゴを発見した。明神岳縦走中に下山後リンゴを食べようと決めていた通り、1個購入した。バスターミナルの水場で洗ってから、小梨平の入浴施設へ向かいつつリンゴをかじった。美味い。お風呂に着くころには、種と軸だけ残して食べてしまった。
キャンプ場で入浴の代金を払う際、スタッフのお嬢さんに賞賛の言葉をもらった。今回の登山の唯一の賛辞であった。
3日間ほとんど靴を履きっぱなし、着替えなし、そして汗と雨でびしょぬれになったり乾いたり、ツエルト泊2回の体には、お風呂が気持ちいい。いつまでも入っていたいと思いそうだが、いざ入浴するとカラスの行水だ。垢を入念に落として、水を飲みながら2回ほど軽く温まったら、もう良いだろうという気持ちになった。
お風呂で飲んだ水は担いだ4Lの最後の残り。3日間自分の命をつないできたと思ったら捨てられなくなってしまったのだ。入浴時に十分給水したおかげで、下山後のビールは見送りとなった。
靴下を脱いだとき、足の皮が何箇所かはがれかけていたことに気がついていた。3日も濡れかけた靴を履きっぱなしでは、まめができるのもむべなるかな。2泊で切り上げたのは正解だった。入浴後、傷用フィルムを貼って対応した。絆創膏よりも治りが早い。
お風呂から上がってから、荷物と「ごみ」を整理した。遭難よけのおまじないと山の神様のご機嫌とりの目的で、可能な範囲で稜線のごみを集めているのだ。今回の最大の収穫は、奥又白谷で拾った古いポリタンク。その破れ目の中にペットボトル、カン、スリングの切れ端などを突っ込み、ジップロックには電池、未使用のポケットティッシュなどを回収した。これらは大きなポリ袋に詰めて、帰りのバスの休憩時間にサービスエリアのゴミ箱に捨てた。
ツエルトとシュラフカバーはまだ水が滴るほど濡れていたので、そのままポリ袋に詰めて持ち帰った。これにくるまって眠っていたということを考えると、よくもまあ惨めな条件でと感心した。
乾いた服に着替えてから、清流に戻った梓川沿いをぶらぶら歩いてバス停へ向かった。何度も明神岳を振り返り、登山の余韻を楽しんだ。
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