奥穂〜前穂〜岳沢(過去レコです)。
- GPS
- 56:00
- 距離
- 30.4km
- 登り
- 1,923m
- 下り
- 1,911m
天候 | 雨。 |
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過去天気図(気象庁) | 2011年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
2011年夏のメインイヴェントに穂高を選んだ。北穂〜涸沢岳〜奥穂〜吊尾根〜前穂と行くつもりで北穂高小屋を予約したが、地図を見ると、北穂と涸沢岳の間には○危マークがついている。天候も期待出来そうも無いので北穂は止めて、奥穂から岳沢に下ることにした。
7月29日の金曜日、朝6時に家を発ち、小雨降る中、東海北陸道を快調に飛ばして予定より早く平湯のアカンダナ駐車場に到着。9時50分発の上高地行きのバスに乗る予定だったが、1時間前のバスに乗る事が出来、余裕の一日となりそう。8時50分にアカンダナ駐車場を出たバスは、平湯バスターミナルで満員となる。平湯トンネルから釜トンネルを越え、この6月に土石流が起こった場所を窓外に眺め、バスは上高地バスターミナルに到着。カッパを着込んで9時50分、バスターミナルから河童橋に向かう。内野常次郎の碑に立ち寄って、水暈が増し、勢いよく流れる梓川にかかる河童橋を渡り、治山林道に入る。岳沢への道を分け、気持ちの良い林の中に木道が現れる。あちらこちらから水が流れ来て、それがまたあちらこちらへと分かれて流れ去る。1時間ほどで嘉門次小屋に着き、観光客に混じってすだれの掛った茶店に入る。奥の小屋の中では、囲炉裏の周りに串刺しのイワナが並べられ、煙がモクモク立ち込めている。嘉門次小屋名物、イワナの塩焼きを肴に缶ビールを空ける。今日は横尾山荘泊まり、気楽な日程なので一寸ぐらいなら大丈夫だろう。穂高神社奥宮に無事の登山を祈願し、嘉門次のレリーフ像を横目に嘉門次小屋を後にする。ブラブラと明神橋を渡り、明神館の横から山道に入る。ここから先は観光客はめっきり少なくなり、1時間ほどで徳沢に到着する。徳沢園で昼食を摂りがてらひと休みしているうちに、雨も止み、カッパの上着を脱いで先に進む。センジュガンピの写真を撮りながら、梓川に沿った道を歩き、3時前に横尾山荘に到着。横尾山荘は、真新しい、廊下もピカピカの気持ちの良い建物である。山小屋と云う表現はあてはまらない立派な宿泊施設で、風呂棟まで建てられている。ROOM No.21は2階の一室で、BED No.217が割り当てられた。一室に上下2段のベッドが4っつあり、今のところはわたし一人だけ。上段のベッドにザックをひっくり返し、今晩必要なものを整える。着替えを持って風呂に行くが、石鹸は使えないので、「あ〜さっぱりした」というわけには行かない。談話室にて缶ビールを飲み、部屋に戻ると6人のお仲間客で満室となっていた。5時半から食堂で夕食。この1週間でわたしが食べたうちでは最も豪華な食事である。夕食を終え、早々とベッドに入る。うとうとしていると同室のお仲間客達がどやどやと入って来て、大声でどうでも良い話しをし出す。山小屋のマナーを知らない酔っ払いさんに、「静かにして下さい」。聞こえたのか聞こえなかったのか、大声は止まないので、こちらも大声で、「喧しい、静かにしろ!」、「怒られちゃった」。以来話し声は止むが、いつもの如くウツラウツラと夜は過ぎ行く。
翌朝は5時から朝食。本日の登山に備えてご飯はお代わり。6時ちょっと前、横尾大橋を渡って登山道に入り、緩やかな登りをゆっくり歩く。見上げれば、屏風の頭は雲の中。横尾谷左岸の石畳の道を、オゾンたっぷりの大気を吸って気持ち良く歩く。1時間20分程歩いて本谷橋に到着。同じ吊り橋でも頑丈な横尾大橋とは違い、本谷橋はユラユラ揺れる小さな橋。一人ずつしか渡れないため、渋滞が発生。本谷橋を渡るとここからは一変、急登の山道となる。雨の中、屏風の頭を巻くようにトラバースする道を、おっちらおっちら登る。途中、登山道に腰を下ろし一服。重い腰を持ち上げて、再び急坂を登る。白い花をつけたナナカマドやダケカンバが目立つようになると、涸沢の流れも近づき、道は勾配を緩める。石畳の道からは穂高が正面に見える筈だが、残念ながらみんな雲の中。褐色のゴツゴツ岩の河原に流れる細い涸沢、手を入れてみるとつめた〜い。涸沢の流れが雪渓の中に消えると、間もなく涸沢ヒュッテと涸沢小屋の分岐に至る。涸沢小屋を左上に仰ぎ見て、ナナカマドに囲まれたルンゼ状の道を涸沢小屋に向かう。涸沢のテン場、夏山最盛期にしては寂しいのは雨のせいか。この道、結構急な登りで、涸沢小屋が見えてからもシンドイ登りが続く。雨が激しさを増す中、9時半、涸沢小屋に到着。ザックを外に置いて小屋に入り、昼食にはまだ早いが、これから先の登りに備えてラーメンを喰う。食べ終わって小屋から出ると、雨は小降りとなっていて、雲の間から奥穂〜吊尾根〜前穂、そしてそれに続く北尾根が姿を見せる。これらの山々に抱きかかえられるように大雪渓が輝き、その横っちょに、これから登るザイテングラートが盛り上がっている。涸沢小屋を後にし、白い花をつけたナナカマドの中の登山道を登ると、キバナシャクナゲが迎えて呉れる。大岩が重なる登山道をゆっくりと登ると、徐々に涸沢ヒュッテが遠のいて行く。振り向けば常念岳は雲の中。ハクサンイチゲ、シナノキンバイ、アオノツガザクラと、花だらけ。雪渓に登り付き、その脇を大岩を伝って行くと、パノラマコースからの道と合流。そこからしばらく登り、雪渓を渡ってザイテングラートへトラバースする。途中でひと休みしてからザイテングラートに取り着く。岩に描かれた○印を探しながら、段差の大きな岩々を三点支持でよじ登り、時にはハイマツを掴んで這い上がる。雨の中、緊張しながらザイテングラートを登り、やがてガスの中に穂高岳山荘の赤い屋根が浮かび上がる。ホットひと安心。雪渓を横切って12時47分、穂高岳山荘に到着。カッパを脱ぎ、濡れた登山靴も乾燥室に入れ、割り当てられた部屋に入る。2階の「笠ヶ岳」は10畳程あり、枕元に1から15番まで番号がふってある。受付で渡された1枚のカードには、2番と記されている。夏山最盛期ではあるが、雨のせいか、本日は余裕のスペースで、一人一枚の布団が占拠出来る。まだ時間も早いので、わたし以外ほかにヒトはいない。身体を拭いて下着を着替え、さっぱりして下の談話室へ。缶ビールを飲んでいると雨も上がったようで、外に出る。前穂北尾根の稜線が姿を現し、カールの雪渓の底に、涸沢ヒュッテの赤い屋根がアクセントを醸し出している。そして今まで全く姿を見せ無かった常念岳が、まだらな雲に覆われてチラリと姿を見せ、そしてまた雲の中に隠れる。5時から夕食。前の席のおじさんは、熊本から一人でやって来て、今朝、西穂山荘からここまで来たと云う。この雨の中を良く無事に来れたものだと思っていると、「明日は槍ヶ岳まで行く」という。○危マークの連続の稜線、頑張り過ぎでは無いかと思いつつ、「気をつけて行って来て下さい」と云うしかない。わたしも辿ってみたい道ではあるが、ちょっと無理だろな。夕食後は暫らく談話室で過ごし、まだ明るいうちから寝床にもぐりこむ。同室者は7人、みんな静かに眠りに着く。夜中にトイレに行った際、稲光が走り、さて明日はどうなるものやら。
翌朝は5時に朝食。昨晩の稲光が嘘のように朝陽に照らされている。洗面したり、準備をしたりしているうちに、大概の人は発って行った。6時10分、小屋を後にする頃には陽は蔭り、辺りはガスに覆われる。小屋から出るとすぐに岩に取り着く事になる。鉄梯子を登り、振り返り見れば、涸沢岳が雲の上にぼんやりと頭を出している。ガスに包まれ、白と黒の幻想的な墨絵の世界。さらに登ると奥穂の頂きが見え始め、その右手奥に霧に霞んだジャンダルムが、バベルの塔を想い起こさせるように天空に浮かんでいる。あそこはどう見ても、わたしの行く所では無い。奥穂山頂は渋滞していて、頂上の祠へは順番待ち。奥穂頂上3,190m、日本で3番目に高い山、登頂証拠の写真を撮って貰い、早々に先に進む事にする。雨も降り出し、カッパを着込む。ジャンダルムも白い雲の中に隠れ、眺望は全く無い。
この先の吊り尾根は未知の世界、果たして如何なものか。鎖を掴み、お尻を使って岩場を下る。尾根の稜線上に道は無く、上高地側へ行ったり、涸沢側に行ったりのトラバースを繰り返す。岩をよじ登ったり下ったりするが、恐怖感は無い。1時間半程で吊り尾根を渡り切り、紀美子平に到着。平らな広場があるわけでも無いが、岩に腰を下ろしてひと息つく。何人かの人が休み、いくつものザックがデポしてある。重太郎新道からも人が上がって来て、狭い紀美子平は窮屈になる。わたし達もザックをデポし、前穂の岩塊に取り着く。道は交錯していて、岩に付けられた○印を追って岩をよじ登る。小雨混じりのガスが立ち込める白い世界、じきに紀美子平はガスの中に沈む。手を引っ掛ける事が出来る岩を求め、三点支持で這いつくばりながら登る。雨は激しくなったり、小雨になったりの繰り返し。30分以上岩との格闘が続き、ようやく前穂山頂3,090mに登り着く。眺望は全く無し。長居は無用、写真を撮って早々に下山開始。土砂降りで、登山靴の中まで水浸し。もたもた下っているおじさん二人を追い越して、無事紀美子平に降り着きホッ。靴を脱ぎ、底に貯まった水を掃出し、靴下を絞り、遅まきながらスパッツを着ける。この先は重太郎新道の下り、「岳沢・上高地→」の道標に従って紀美子平を発つ。
重太郎新道は穂高岳山荘の創設者、今田重太郎によって昭和26年に切り開かれた道である。重太郎は上條嘉門次、内野常次郎と続く穂高の主であった。聞きしに勝る急降下。鎖を握りしめ、足の掛け場の無い岩肌を後ろ向きに下り、グニャリと曲がった鉄梯子を上る。次々と現れる鉄梯子、一歩一歩足元を確かめ慎重に下る。雨は容赦なく降りしきる。どこをどう降りればいいのか、鎖を掴みながら見おろしてルートを選択。合戦尾根や笠新道なんて、何が北アルプス3大急登だ。あんなのが急登なら、ここは何て呼べばいいんだ。ひと足ひと足置き場を選び、雷鳥広場2,820m、岳沢パノラマ2,670m、かもしかの立場2,520mと、着実に高度を下げ、眼下に岳沢小屋の赤い屋根が見え始める。最後の鉄梯子を下り終え、緊張感も薄れるが、いつまで経っても小屋の赤い屋根は近づかない。下るにつれ雨は小降りとなり、穂高岳山荘を出発して7時間、岳沢小屋に辿りついた時には雨は止んでいた。
岳沢には前身の岳沢ヒュッテが2005年に雪崩で潰された後、小屋は無く、昨年7月、その跡に岳沢小屋が建てられた。まだ一年しかた経っていない真新しい小さな小屋である。宿泊棟は食堂より一段高い場所にあり、「前穂高」、「上高地」、「天狗岩」の3室のみ。真ん中の「上高地」の片隅に布団を確保。予約制なので布団は一人一枚と余裕がある。わたし達以外、まだ誰も到着していない部屋で身体を拭き、下着を着替え、濡れたものを乾燥室へ。食堂で缶ビールを飲んでいると、道中、抜きつ抜かれつしていたアンちゃんもやって来て話しをする。アンちゃんが前穂から降りて来る時、男性が転倒して指があらぬ方向を向いていた。あれでは降りて来られないだろう、おそらくヘリで運ばれたに違いないと云う。長野県警山岳救助隊の遭難記録によると、7月30日と8月1日に、それぞれ52歳と40歳の男性が、前穂から下山中に滑落負傷したという事故が載っているが、7月31日のこの日の話しは載って無いので、自力で下山したと思われる。わたし達が登った日の前後3日間、前穂では毎日滑落事故が起きている、クワバラクワバラ。5時半からの夕食を終え、部屋に戻ると他の客も居て、まだ明るいうちから眠り始める。
翌朝目が覚めると、5時の朝食時間はもう過ぎている。今日は上高地に帰るだけ、なんにも慌てる必要は無い。6時に食堂に行くと、従業員が調理場で朝食を摂っている。誰もいない食堂を占拠し、われわれだけの朝食。上空は雲に覆われ、正面に見える乗鞍岳も頂上部分が隠れ、岳沢から上高地は雲海の底に沈んでいる。本日の天気予報は、晴れ後雨。従業員が集まって、部屋から布団を食堂の屋根にほうり投げ、久し振りの虫干しをしている。この辺りに何か見処は無いかと尋ねると、天狗のコルへ行く道にお花畑があると教えて呉れる。空身で、ヘリポートの横から天狗のコルへの道を登る。白い大岩がゴロゴロする涸れた沢に出ると、天狗の頭が見えるようになる。沢を渡るとコブ沢の雪渓が現れ、その向こうにジャンダルムが雲の上に浮かんでいる。ハクサンフウロ、ヨツバシオガマ、シロバナノトモエシオガマ、ミヤマトウキ、タイツリオウギ、ヤマハハコが群落をなしている。この先はもう花も無さそうと、ブラブラしながら小屋に戻る。布団干しを終えたアンちゃんが、小さなザックを背に上高地方面に走り降りて行く。わたし達はゆっくりとコーヒーを飲み、8時50分、小屋を発つ。
道端にはゴゼンタチバナが、小屋から上高地までほとんど途切れることなく咲き続け、オオオイタドリ、クルマユリ、シナノオトギリ、オオバノヨツバムグラ、クガイソウ、マルバノイチヤクソウ、タイツリオウギ、ヨツバヒヨドリ、イワオウギ、シロバナノタカネグンナイフウロと花々が次から次へと現れる。ミヤマエンレイソウは、もう実をつけているではないか。これらの花々の写真を撮りながらブラブラ下って行くと、小屋の従業員のアンちゃんが汗をかきかき登って来る。「嘉門次小屋から電話があって、イワナが焼けたので食べに来いと云われたので食べて来た」、と云う。岳沢小屋と嘉門次小屋、お隣さんと云えばお隣さんではあるが、標高差700m、標準コースタイムは下り2時間、登り2時間半もの距離がある。彼が小屋を発ってからまだ2時間も経っていない。山小屋で働いている人だから体力はあるのだろうが、それにしても驚異的なスピードである。石が転がる涸れ沢に出て、振り返ると山々はガスの中。再び林の中に入りブラブラ下る。冷たい風が岩が積み重なった隙間から噴き出している。「天然クーラー 風穴」と案内があり、しばし立ち止まって涼をとる。風穴からさらに50分程下り、穂高・岳沢登山路の入り口に降り立つ。観光客で賑わう治山林道を歩き、標準所要時間より1時間オーバーして河童橋に到着。橋のたもとのレストランの庭でビールと昼食。残念ながら穂高連峰は雲の中であるが、今日下って来た岳沢がくっきりと見渡す事が出来る。岳沢小屋までの登山道は緩やかなので、山の素人さんでも高山植物を楽しむことが出来そうに思われるが、上高地からの標高差は700m以上ある。ちなみに紀美子平から岳沢小屋までは800m程度である。上高地バスターミナルに着く頃には雨が降り出す。お土産屋さんで買い物をし、バスに乗ってアカンダナ駐車場に向かう。アカンダナバス停から駐車場まで、土砂降りの雨の中を走って戻った。
ザイテングラートでは、7月27日に40歳の女性が下山中に滑落負傷し、8月5日には8歳の子供と62歳のお爺ちゃんが落石事故により滑落死亡している。前穂では、わたしの登った日の7月30日に52歳の男性が滑落負傷し、8月1日は40歳の男性がやはり滑落負傷している。いずれも下山中の事故である。わたし達は雨の中、良く無事に登って、下って来られたものだ。穂高神社奥宮の霊験あらたか。
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