立山〜五色ヶ原〜薬師岳(過去レコです)。
- GPS
- 104:00
- 距離
- 28.7km
- 登り
- 2,532m
- 下り
- 3,634m
天候 | 概ね晴れ。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2006年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
|
コース状況/ 危険箇所等 |
ここは北アルプス、それなりに危険個所はあります。 |
写真
感想
2006年8月4日、富山側から室堂(2420m)までバスで入ると、雄山山頂が時折り雲の中から顔を見せている。この5日間は晴れとの予報で気分も盛り上がる。一の越までは、道端のハクサンイチゲ、シナノキンバイ、ヨツバシオガマ、イワツメクサなどが迎えてくれる。今年の冬は大雪だったため至る所に残雪が残り、その上を慎重に渡る。一の越から見る浄土山の斜面には、バンカーのように残雪が散りばめられている。眼下には緑の絨緞が敷き詰められ、室堂の小屋の赤い屋根がコントラストをなし、ミクリガ池やミドリガ池が青く光る。色とりどりのテントが並ぶ雷鳥平の向こうには、奥大日岳から大日岳が続いている。今宵の宿泊地である一の越山荘に着いたのは5時頃で、早速夕食となる。6畳の部屋に10人が押し込められて、7時頃から眠ったか眠ってないのか良くわからない一夜を明かした。
翌朝5時半に朝食を食べ、支度を終えて小屋の外に出ると雲一つ無い空が広がっている。サブザックを担ぎ、6時に小屋を出発し雄山に登る。いきなり急な岩の稜線が始まり、二の越、三の越で一服する。北には大汝、富士ノ折立、別山が、ごつい背骨をなして横たわり、その向こうには憧れの剣がごつごつとした岩塊を現す。ゆっくり登って1時間ほどで社務所の立つ頂上広場に着く。富士山、白山とともに日本三大霊山とされる雄山神社の峰本社で、恭子さんの回復を祈ってお祓いを受ける。真っ青な空の下、遠く槍ヶ岳、穂高連峰がくっきりと見え、大天井岳から燕岳への表銀座縦走路が餓鬼岳に続く。その手前右に野口五郎岳が、さらに右手には水晶岳、赤牛岳から読売新道が連なる。笠ヶ岳が奥深く端正にたたずみ、黒部五郎岳から北ノ俣岳に連なる。目指す薬師岳は遥か遠くにある。西方には遠く八ヶ岳連峰、その右には南アルプスもはっきりと見え、八ヶ岳と南アルプスの間に富士がうっすらと浮かんでいる。室堂から一の越に続く道に、これから登ってくる人の隊列を見下ろす。下山は、行き交う人が多く大渋滞。やっとの事で一の越に下り、上を見上げると頂上まで絶え間なく続く人の列が出来ている。一の越の広場には、登る順番を待つ人が列をなしている。いくら夏山最盛期とは云え、さすが立山、お手軽に登れる3000mとあって人で溢れている。
一の越山荘の裏手から、ゴツゴツした岩肌の龍王山を左手に眺めながら登り、富山大学立山研究所で一服。浄土山からも大勢の人がやってきて賑わっている。来た道を振り返れば雄山、大汝、別山と続く立山連峰の向こうに剣が聳え、目を転じれば針の木岳、蓮華岳が姿を見せている。本日の目的地である五色ガ原の台地に赤い屋根の山荘もぽつりと見える。立山カルデラの遥か向こうに白山も浮かんでいる。鬼岳に向かって下り、鞍部に降り立つ。雪渓は登山道より谷側に落ち込み、今年は大雪だったのに雪渓歩きはしなくてすんだと一安心。しかし鬼岳山腹を回りこむとなんと大雪渓が現れ、アイゼンを装着しての下り気味のトラバースとなる。雪渓を渡り終わってアイゼンを脱ぐとまたもや雪渓が現れるが、ここは水平のトラバースで雪渓も切られておりツボ足で進む。道は登りとなり、やがて獅子岳の頂上に至る。振り返れば黒部湖の向こうに、いつぞや縦走した針の木岳、スバリ岳、鳴沢岳、岩小屋沢岳の山々が鹿島槍に続いている。ここからガレ場の急降下が始まり、浮石に注意し緊張しつつ、這い松を掴みながらジグザグに下る。400mの急降下を終えザラ峠に降り立つ。この峠を越えて徳川家康に会いに行ったという佐々成政のザラ峠越えの伝説で有名であるが、急峻な峠を20mもの雪の中でこの峠を越すことが出来たとは到底思えない。峠から再び登りとなり、立山カルデラの南に広がる五色ガ原の端に登り立つ。数万年前の火山爆発の際、火山流堆積物が貯まって形成された台地には、今が盛りとハクサンイチゲやチングルマが群れ咲き、イワギキョウ、ツガザクラ、ゴゼンタチバナ、トウヤクリンドウ、ミヤマトウキ、タテヤマリンドウ、ミヤマキンポウゲ、クロユリ、ヨツバシオガマ、その名に恥じない五色ヶ原である。五色ヶ原ヒュッテを過ぎ、木道を歩き五色ヶ原山荘に到着。早速風呂で汗を流し、飲んだビールの旨かったこと。汗臭いシャツとタオルを洗い干しておく。まだ3時、五色ケ原を堪能するには充分な時間がある。晩飯は冷奴がついて美味しく、トイレもきれいで素敵な山荘であるが、なにせ夏山最盛期、6帖間に10人押し込まれ熟睡することなく朝を迎えた。
4時半に目を覚まし、快便、5時半から朝食。ごはんと味噌汁をおかわりし体調は絶好調である。が、顔と腕は真っ赤になり、鼻先と耳がジュルジュルして痛い。日焼けを通り越して火傷の状態で、遅まきながら日焼け止めクリームを塗る。6時に五色ヶ原山荘を発ち、這い松の中の木道を、花々をめでながら鳶山に向かう。空には雲も浮かび、昨日ほどの快晴ではないが今日も眺望は素晴らしい。雪渓が多く残っているが緩やかなルート上には雪はなく、鳶山の頂上(2616m)に至る。稜線は切り落ち、立山カルデラの一部であることがわかる。越中沢乗越(2356m)まで一旦下り、越中沢岳への緩やかな広い稜線を登る。越中沢岳の頂上(2591m)からは北アルプスの大パノラマが広がる。昨日出発した雄山は遥か遠くになり、今朝出発した五色ヶ原も小さく、かわって明日登る薬師岳が真近かに迫ってきた。遠く白山も雲の上に浮いている。本日の宿泊地であるスゴ乗越小屋がぽつんと見ることが出来る。越中沢岳頂上からは砂礫の急な下りで、落石をおこさないように注意しながら降りる。行く手に見えるスゴ乗越小屋は依然として小さく、まだまだ遠い。今まで見なかったニッコウキスゲが現れ、その数が増えてくる。稜線の急坂をジグザグに下り、やがて黒部川に落ち込むように付けられた巻き道となり、ついで両側が切れ落ちて大きな岩がゴロゴロした急な稜線を下る。ロープが掛けられている所では渋滞がおき、腰をおろして順番を待つ。スゴの頭との鞍部にやっとのことで降り立つ。再びガレ場に急登が始まり、これをジグザグに登る。スゴの頭まではたいした標高差ではないのに、これがなかなかシンドイ。スゴの頭からは大きな岩を飛び移りながら下って行くと、低木の樹林帯からシラビソの高い樹林帯となり、傾斜も緩やかとなってスゴ乗越に降り立つ。ここは今行程中最も標高の低い場所であるが、それでも2100mである。ここから再び登りとなり、もうすぐ小屋だと言い聞かせながら樹林帯の中を進む。テント場を過ぎるとすぐにスゴ乗越小屋が現れる。小屋の入り口の蛇口から出る豊富な水で頭と顔を洗い、やっと落ち着くことが出来た。ついでにシャツとタオルと靴下も洗濯する。玄関前のベンチに座り、早速缶ビールを飲み干すが一本では到底足りず2本となる。本日越してきた越中沢岳は以外と大きな山で、目の前にドーンと鎮座している。酔いがまわって布団の上に横になると、ついつい眠ってしまった。5時に食堂で夕食をとり7時には早々と布団に入ったが、トイレの臭いが染み付いた小さな小屋はすし詰め状態で、昨夜と同じくうつらうつらと、眠ったのかどうかわからない夜を明かした。
3時半に起床し外へ出ると満天の星が散りばめられていた。トイレをすまして10分後に再び外に出た時は、あっという間にガスが立ち込め全ての星は消え去っていた。今日の天気の怪しげさを予告しているようである。玄関先のベンチに座り、ヘッデンで照らしながら小屋の作ってくれた朝食の弁当を食べる。4時半、まだ暗い中ヘッデンをつけて小屋を発つが間もなく明るくなりライトは必要なくなる。樹林帯を抜け、這い松の中の道を間山に向かって緩やかに登る。やがて黒部側が切れ落ちたザレの急登となり、浮石に気をつけながら登る。重なり合っていた水晶岳から赤牛岳に続く尾根が段々と横に長くなってくる。雲ノ平の台地もそれ程遠くはない。キバナシャクナゲが現れ始め、まだ花が咲いているものもいる。チングルマは花を咲かせているものと、花柱が伸びて赤紫の綿毛をなびかせている結実期のものとが混在している。間山に到ると北薬師はもう目の前、薬師岳の左手に黒部五郎岳が、そして笠ヶ岳がやはり端正な姿を見せている。間山から北薬師岳に向かう溝状の登山道には花が咲き乱れ、そこを過ぎると左手が切れ落ちたガレの登りとなり、右も左も遮るものが無い。しかし稜線は狭くなり、大岩を伝っての登りで緊張して周りの景色を楽しむ余裕はない。北薬師岳頂上(2900m)から薬師岳に向かって細い稜線が続き、黒部側に落ち込んだ金作谷カールには雪渓がたっぷり残っている。薬師岳の右手下には有峰湖が輝いている。とうの昔にデジカメのフィルムは使い果たして写真を撮ることは出来ず、北アルプスの大パノラマを目に焼き付ける。晴れていてこその山登り、この4日間の晴天に感謝する。薬師岳に向かって痩せた岩稜、アップダウンを繰り返して進む。大岩がごろごろする薬師岳頂上(2926m)には、岩を積み重ねた土台の上に祠が立ち、パチパチ、ペコッ。小屋が作ってくれた弁当は今朝食べたものと全く同じで、食い気はおきないがシャリバテを防ぐだけのため口に押し込む。頂上からは広い稜線を下り、荒廃した避難小屋を左上にやり過ごすと、道はザレてくる。狭くなった砂礫の稜線を下り、薬師岳山荘で小休止をとる。小屋の裏手にまわり、北薬師岳と薬師岳から落ち込む氷河が削り落とした圏谷群を目に焼き付ける。日本に数ある圏谷のうち、国の天然記念物に指定されているのは、立山の山崎カールと薬師岳の圏谷群の二つだけである。急坂を下ると、お花畑が広がる薬師平だ。愛知大学の遭難碑のケルンが立っている。花を荒らさないために整備された木道を辿り、それが終わると水の流れる沢状の道となる。時には沢の中を、靴を洗いながら歩いたりして行くと、色とりどりのテントが並ぶ薬師峠に降り立つ。雲行きが怪しくなり雨がぽつりと降り始め、あわてて太郎兵衛平に登り木道を走って太郎平小屋に辿りついた。小屋に到着すると大雨となり、やがて雷鳴が轟き、雨は雹となって屋根をたたきつける。そんな中、雨具をまとって続々と人が小屋に駆け込んでくる。北アルプス最奥とは云え、黒部五郎から、雲ノ平から、折立から、そしてわたしの辿った立山からの道が交わる十字路で、さすが人も多い。1時間ほどで雨があがると、何もなかったように再び青空となったので、お花畑が広がる中に整備された木道を登って太郎山に行く。小屋では圏外の携帯電話、太郎山の頂上では切れたりつながったりではある。小屋に戻り食堂で缶ビールを空けながら、夕食の始まるのを待つ。当然2本、3本となる。夕食後7時には眠りにつくが、五色ヶ原山荘と同様の6畳間に10人という状態である。今日で4泊目、慣れたのか眠いのか、うつらうつらの程度はやや深みを増して、眠ったような気になって翌朝を迎えた。
今日は折立まで下るだけ。ゆっくりと起床し、6時に小屋を発ち木道を進む。高山植物を育成中で、土が流れないようにネットで被われているが、立派なお花畑が出来るまで随分と手間がかかるだろう。緩やかに下り、あとはほぼ水平に歩いて五光岩のベンチで小休止。左手眼下に有峰湖が見えるが、湖面は雲海ですっぽりと覆われいる。薬師岳、北薬師岳の北面を見ながら、小股でゆっくりと下っていく。三角点を過ぎると右手に立山連峰が見え始め、今回の山行の出発点である雄山も遥か遠くにポツリと見え、長い距離であったことをしみじみと実感する。道の両側にはキヌガサソウやゴゼンタチバナが群生し、ユウレイソウも現れるようになると、急な太郎坂を下って折立に到着。天候にも恵まれて、4泊5日の山行は大満足のうちに終わり、大きな自信となった。途中の温泉で汗を流し、鏡で見た顔は真っ黒で、サングラスの跡と反対向きに冠っていた野球帽の紐の跡だけが白く残り、不気味な様相に変わっていた。
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