記録ID: 4697964
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
槍・穂高・乗鞍
烏帽子岳に登り詰め、野口五郎を堪能し、北鎌起点の湯俣知る
2022年09月17日(土) ~
2022年09月19日(月)
体力度
8
2~3泊以上が適当
- GPS
- 18:17
- 距離
- 36.6km
- 登り
- 2,894m
- 下り
- 2,858m
コースタイム
1日目
- 山行
- 5:19
- 休憩
- 2:00
- 合計
- 7:19
距離 10.5km
登り 1,792m
下り 539m
2日目
- 山行
- 7:31
- 休憩
- 2:24
- 合計
- 9:55
距離 16.5km
登り 906m
下り 2,009m
3日目
- 山行
- 2:14
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 2:14
距離 9.6km
登り 212m
下り 348m
6:05
ゴール地点
天候 | 初日晴れ、2日目も朝7時くらいまで晴れも、その後パラパラ、でも持ちこたえる。3日目も意外に朝6時までは晴れ。 |
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過去天気図(気象庁) | 2022年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
タクシー 自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
北鎌尾根に行くというのは、本当は湯俣からスタートすることらしい。山と渓谷2022年1月号の付録に、「槍と穂高を全部つなげる!北鎌から西穂へ大縦走」というのが出ていて、千天出合までの渡渉の写真は太ももの上部まで川に浸かっていた。「これはえげつないな…」。ちょっと自分には無理だけど、湯俣見学くらいしておくか。湯俣には晴嵐荘という立派な山荘があり、テント泊可能で湯俣温泉の内湯に1000円で入れるらしい。鹿さんの硫黄岳への画策レコを見て初めて晴嵐荘の存在を知ったが、その時はあまり気に留めていなかった。しかし、ウェブサイトを見るとなかなかユニークで、実際に電話してみると若そうな、でもしっかりとした調子の女性が、かなり親切に周辺の登山道の状況を教えてくれた。この辺りは雨が降ると槍ヶ岳から流れてくる川の増水で、すぐに川の水位が上がってしまうが、しばらく雨が降っていないので今は全く問題ないらしい。 湯俣見学だけではキャンプになってしまうところだが、実はここ2か月ほど頭にこびりついている山があった。「野口五郎岳」だ。登山をしない人からすれば笑ってしまうような名前だが、去年鷲羽岳から見た白い山肌がとても印象に残っていた。その時山頂にいた夫婦の奥さんに「野口五郎岳はホントにおすすめ!」と言われたことをよく覚えている。また、その時遠くに見えたピーキーで立派な山も気になった。その夫婦に、「あの立派な山なんですか?」と聞くと、ご主人のほうが、「あれは…、烏帽子岳かな」と奥さんと確認しながら教えてくれた。その時は、かなり遠くの存在に感じていたが、登山経験を積むにつれ、自分の中でそんなに遠くない存在に思えるようになっていた。 それらを総合すると、ルートは大体決まってくる。僕の場合、テン泊が絶対条件(そもそも小屋は前々から計画していないと予約が取れない)なので、かなり楽な行程になった。 ー形匯柿饕鷦崗譴縫泪ぅーで行く。 △修海ら乗り合いタクシーに、高瀬ダム(ロックフィルダム)の一番上段まで運んでもらう。 これは、普通のタクシーだが、土日の朝は登山者が列をなすので、知らない人同士でも4人まで乗せて乗り合いになる。料金は2400円割る頭数で、1人600円と格安だ。歩けば1時間半はかかる道を15分で運んでくれる。乗らない手はない。ちなみに、七倉のゲートは朝の6時に開き、夕方6時に閉まる。自転車ですら通行不可で、徒歩かタクシーの2択だ。朝は、少しフライング気味にゲートが開くようだが、帰りは厳格な可能性があり、イメージ遅くとも午後4時半くらいには高瀬ダムに着いていた方がいい。基本午後5時くらいまではタクシーが高瀬ダムに控えているらしいが、時と場合によっては大町駅からタクシーを呼ばないといけないこともあるという。晴嵐荘から来た場合、最後の長いトンネルを抜けてまっすぐ行くと、10円専用の公衆電話がある。タクシーがいない場合は、それで帰りのタクシーを呼ぶ。僕の場合、朝の6時に高瀬ダムに帰還し、ちょうどその時客を七倉から運んできたタクシーにすぐに乗ることができた。当然1人なので、料金は2400円かと思いきや、なぜか2240円だった。 ブナ立尾根で烏帽子小屋を目指す。 期せずして、ブナ立尾根は日本三大急登かつ北アルプス三大急登なので、三大急登ダブルビンゴになる。 け帽子小屋でテントを張り、アタックザックで烏帽子岳に登頂し、その日は終了。 ネ眥、モルゲンを狙って野口五郎岳を目指し、主要なピークを巻かずに通り、竹村新道で晴嵐荘へ下りる。 晴嵐荘でテントを張り、湯俣の噴湯丘を観光し、2日目終了 В各目、朝一のタクシーに乗れるように、高瀬ダムを目指し晴嵐荘を出発する。 皆さんもかなり台風を心配しながら山行したと思うが、雨が強い時にはテントの中で避難できているように、早め早めの幕営を心掛けた。本来なら、真砂分岐で水晶岳に行くところだが、そんなことをすると晴嵐荘着が夕方になってしまうので、山行ルートには泣く泣く入れなかった。 七倉山荘に5時20分頃着いた。今日はジムニーではなく安定のマイカーなので、自宅を2時過ぎに出発するも、かなりいいペースで車を走らせた。そして、それが正解だった。タクシー乗り場(七倉山荘の少し手前)の手前の路肩の駐車場は全部埋まっていた…。「マジか…」。ちょうどその辺りにいた白髪の関係者のような男性に声を掛けた。「これ、止めるとこなかったらどうすればいいんですか??」。するとその男性は、「この下に、止められるとこあるんですけど、ちょっと待ってください。私がその先見てきますので。ここで待っててくださいね」と言いながら、奥に歩いて行った。すると、スペースを見つけたのか、来るように合図するので、そのまま彼の所まで進んで行った。そこまで行くと、七倉登山総合案内所前(奥に公衆トイレがある)にあと数台止められるスペースが空いていて、そこに止めるように誘導された。「なんや…。こんなええ場所があいてるんや…」と拍子抜けしたが、もし後30分遅ければどうなっていたか分からない。 身支度をし、またその白髪の男性に声を掛けてタクシー乗り場の場所を聞いた。そこまで行くと、もう2列ほど登山者が列を作っていて(15人くらいか)、列の最後尾をそこにいた登山者の方に教えてもらう。その人に、「これ、何時に来たら、みんなが止めている所に止められたんでしょうね?」と聞くと、「もう夜中の時点でいっぱいでしたよ。多分ずっと天気いいから連休前から入っている人もいるんじゃないかな」という。それはどうしようもないな…。台風が心配でみんなこの連休は敬遠するのではという自分の見通しは甘かった。 結局、6時の10分前頃にタクシーに4人ずつ乗り込み始め、4,5台目あたりに乗ることができた。高瀬ダムまではあっと言う間で、6時5分頃到着した。道中、助手席に座り、帰りのタクシーのこと、見えている山のこと(ここにも漢字は違うが唐沢岳があり、クライミングで有名らしい)などを質問しまくっていた。運転手さんは僕の質問に対して、かなり的確に答えてくれ、さらにそれに付随する情報も教えてくれた。例えば、タクシーがダム道をつづらに上り切って、前にも山が見えてきたので、「あの前に見えている山も有名ですか?」と聞くと、「そのちょこんと出てるのがニセ烏帽子、その奥に本物の烏帽子があります。そのトンネルの上の展望台から槍がちょっとだけ右側の上に見えます」と当たり前だが相当詳しかった。しかし、質問しないと寡黙だったので、やはりポンポン質問できるように準備しておいた方がいい。 高瀬ダムのエメラルドグリーンの写真を撮り、山行をスタートさせた。今までダウンロードして全く使っていなかったヤマレコを今回は初めて起動した。ヤマレコは、YAMAPと違ってバリエーションルートもポイント設定でき(ただし、所要時間は自分で決めて手入力)、Sunntoアプリにもあるみんなの「足跡」が地図上に表示されるなど、明らかにYAMAPよりもクオリティが上だ。悩んだ挙げ句、プレミアム会員になってみた。やはり、YAMAPは楽しさ、ヤマレコは地図のクオリティ重視なのだろうか?まだ調査途中だが、YAMAPとヤマレコを両方起動すると、異常にバッテリーを食うかもしれない。 まずは、長いトンネルを抜ける。抜けると、吊り橋を渡り、砂の河原を歩く。キレイな砂であまり今までの登山では経験したことのない雰囲気だった。濁沢の丸太橋が流されて渡渉になるような情報があったが、水量が少ないせいか渡渉をした記憶はない。6時20分過ぎに濁沢キャンプ場に到着した。不動沢・濁沢キャンプ指定地とあるも、なぜか今は「利用禁止」のようだ。前方に同じような砂の登山道が続いている。6時半過ぎに、高瀬ダム登山口に到着、「北アルプス裏銀座登山口」とある。ここから烏帽子小屋まで、12(登山口)から0(烏帽子小屋)までの番号が振られていて、ペース配分しやすくなっているようだ。三角点の黄色い道標にはうっすらと「4」と書かれていた。ブナ立尾根は三大急登で、確かに一歩の高さがある。合戦尾根のようでもあるし、早月尾根に似ている気もしたが、あまり苦しさは感じなかった。やはり距離が短いせいだろうか。また、合戦尾根のように人が多くないのがいい。6の「中休み」に、7時44分に到着。8時ごろやっと唐沢岳方面の眺望が開けた。この唐沢岳はなかなかに存在感がある。8時半頃三角点(TRIG POINTと英語でも書かれていた)に到達。ここに来る少し前に、針ノ木岳と蓮華岳が少し見える眺望ポイントもあった。この後、よく分からない「タヌキ岩」の辺りで、猛烈なスピードで登って来たプロレスラーのような大柄の白人女性に先を譲る。「速いですね!」と試しに声を掛けると「イイエ、ソンナコトナイデス」と日本的な答えが返って来た。 ここからは眺望もどんどん開け、気持ちよく登っていける。先程はちらっとだった針ノ木と蓮華岳がはっきりと見え、その前には南沢岳と不動岳(ともに登っている最中に知った)が大きい。下が切れ落ちた谷になっている展望台に立ち、しばらく前を眺めた。9時20分頃、数字の1の場所で若い男性2人の登山者が休憩している所に追い付いた。「今日はどちらへ?」と聞くと、「烏帽子小屋でテン泊しようと思ってます」。「一緒ですね。20張って書いてありましたが、場所が残っているかちょっと不安ですね…」と会話交わし、「どうぞお先に!」と言われ、先に行かせてもらう。その先にまた唐沢岳方面の眺望が開け、その左に雲海に浮かぶ浅間山と四阿山(あずまやさん)も少し遠いがキレイに見えた。そして、また針ノ木岳方面の眺望がいい高台に来た所で、足元に「烏帽子小屋」と書かれた木の切れ端が置かれていた。あまり気にせず、そこを左に曲がり少し下る。その時は烏帽子小屋が0だという認識がなかったので、「あれ?これって、もうブナ立尾根終わってるん?」と思って立ち止まる。ブナ立尾根の終了ポイントにゼロがあり、そこで写真を撮りたいと思っていたので、少し下った道を高台まで引き返した。すると、先ほど先に行かせてもらった2人が上がってきた。「これ、この辺にゼロあるはずですよね?ゼロ見ました?」と聞くと、彼らも見てないという。2人の片方が「烏帽子小屋がゼロなのかな?」と正解を言ったが、尾根の頭にゼロほしいな…と思いつつ、諦めて下って行く。 少し下ると烏帽子小屋の青い屋根が見えてきた。「この辺りは屋根が青いのか。新鮮でいいがやはり俺は赤茶色がいいな」。すると、下りきった所に高瀬ダム登山口にあったのと同じような木看板が足元にあり、小屋が「0」とあるのを見て、一安心。横には「私はコマクサ」の大きい看板がある。時刻は9時半頃だった。小屋の前は赤牛岳とその奥の薬師岳の眺望が素晴らしい。小屋の中に入り、登山届を記入し、テントの受付を済ませた。よくある針金のついたタグをもらい、テントに付けてくださいと言われる。荒川小屋では、「そんなのありません」と笑われたタグだが、さすがは北アルプスだ。ここは軽食はやっておらず、カップラーメンの販売のみだった。水は受付の左手にある蛇口から取ることができる。1L 200円で自分でそばにある瓶に入れる形式だ。大天荘と違い入れたら取れないスタイルなので、お釣りが必要な場合は小屋番を呼ばないといけない。ビールはサイズを聞かれなかったので恐らく350mlのみで700円、売店は7時に終了なのでそれまではお代わりできる。また、小屋の消灯が8時なので、水もそれまでに購入しなければならない。 テント場までは歩いてすぐだった。少し登り、右に曲がるように下りて行くと棚田のようにテン場が下に続いていく。携帯の電波は入らないが、その右に曲がって下りるところを左に上がると、「ここに幕営しないでください」と書かれた絶好の幕営地があり、そこでは電波がしっかり入る。面倒だが、そこまで行って大事な連絡はすることができる。テント場は20張と書かれていたが、もう少しいけそうな気がした。僕が到着した頃は、埋まりはまだ50%くらいだったので、適当に良さそうな場所を選ぶ。前にでかい三ッ岳が見えるが、木が邪魔でそれほどしっかりは見えない。地面はペグがよく刺さり、傾斜も少な目のいいテン場だった。 テキパキとテントを張り終え、10時半頃、アタックザックで烏帽子岳を目指す。「私はコマクサ」地点の先から登山道が分かれている。地理的にも近いからか、登山道の雰囲気が燕岳に似ている。20分程でニセ烏帽子岳に到着する。着いた時は、ここがニセ烏帽子岳とあまり意識していなかったが、大きな岩の上に石が積み上げられ、祠の残骸が置かれていた。ここからは、左前に鳥のくちばしの様な烏帽子岳かっこよくそそり立ち、中央に何やらとてつもなく大きな山(雄山)が見え、右に南沢岳、不動岳と繋がる稜線が見渡せる。また振り返ると、この辺りでは野口五郎岳よりも三ッ岳がかなり目立っていて、烏帽子小屋から三ッ岳へと続く稜線のラインがなんとも言えない。もちろん、赤牛岳・薬師岳のコントラストも見応えがある。 ニセ烏帽子岳を下っていくと平らな道になり、左を指し示した「烏帽子岳山頂480m」の黄色い道標が出てくる。そこから見た烏帽子岳はかなり荒々しいリアル岩山で、「おいおい…、あんなとこ登れんのか😓」と不安になる雰囲気を醸し出していた。先を行くと、両手を使って登るようになるので、邪魔なストックを分割し、ザックにしまう。鎖がかかった山腹をトラバースし、岩岩を両手を使って登ると、意外にすんなり「烏帽子岳」の山頂標識に到達した。やはり、また絶妙に登山道が付けられたいたようだ。その山頂標識の左手から回り込むように上に行くと、少し傾斜があるものの、安全に座れる平たい大きな岩がある。岩の上には掴まり棒まで取り付けられていた。しかし、そこから立山方向に烏帽子岳の絶頂がある。先ほどの山頂標識を右に上がって行き、少し危険な岩場を登ると、2つある絶頂の間に隙間があり、そこに安全に立つことができた。そこからは前に遮るものがなく、雄山とカールを挟んで左に龍王岳(後で地図で確認しただけ)がとにかくデカい。また、ニセ烏帽子岳からよりも水晶岳がきれいに見える気がした。赤牛・薬師岳を並べて見ると、薬師岳の壮大さが際立つ。また折立からの周回に行きたくなった。明日行く三ツ岳から野口五郎岳の稜線は大きな1つの山のように見えた。「そこが本当の頂上だね!」と下から声をかけられ、足元がスースーするも、もう一段上がり、本当の絶頂の少し下の安全な足場に立つ。更にその上にもチラッと乗って見たが、そこにしっかり座り込むのは止めておいた。 そこから、先ほど声を掛けてくれた男性が座っている、もっと安全な平たい岩まで降りていく。「ここは、かなり安全ですね?」と言うと、「そう!掴まり棒までありますしね」。見える景色は殆んど同じか、針ノ木岳方面はこちらからの方がいいので、ドキドしたくない場合は、ここで十分だろう。かなり長い時間360度の絶景を楽しむ。すると、そのベテラン登山者が、眼下に池塘を発見し、「なんかいっぱい下に池塘ありますね」と指差した。あ!そう言えば烏帽子小屋かどこかのウェブサイトでその説明出てたな、と思い出した。山行計画中は行こうと思っていたのに、彼に言われなければすっかり忘れていた。「あー!有名ですよね🎵確か毎年場所が変わるとどこかに出てました」。ここは、本当に景色を見ながらのんびりできて飽きない。そのベテラン登山者は僕が山頂に来る前からそこにいたので、「かなり長い時間山頂にいらっしゃるんじゃないですか???」と言うと、「はい、私は今日はこれで終わりなので。あとは小屋でビールをかっ食らうだけです😃」。確かにそれがお楽しみだよね。彼は山荘の予約が取れたという。僕は色んな予約をしなくてもいいのが登山の醍醐味だと思っているので、小屋泊は殆んどしたことない。しかし、もう少し年を取ったら小屋泊中心になるのかもしれない。 更にしばらく山頂を楽しんだ後、「じゃあ僕はあの池塘の方を楽しんで来ます」と言って先に山頂を下りていく。かなり下りたところで、GoProの角度が足元しか写さないように曲がっているのに気が付いた。これ、いつからや…。下手したら山頂の景色全く撮れてないな、これ。面倒だがもう一度登り返すことにした。丁度、ベテラン登山者が下りて来たので、「ちょっと忘れものしたので取りに帰ります」と挨拶する。彼は同じく池塘の方に行くらしい。山頂まで戻り、平たい岩の上で一通り景色をGoProに収める。先ほど平たい岩にいた別の小柄な登山者は、絶頂の谷間で写真撮影をしていた。「あれ?」と言われたので、「撮り忘れで…」と苦笑い。彼は僕より少し後に七倉山荘に来た人で、今日は烏帽子岳ピストンだと言う。先ほど3人で話していた時に、「縦走羨ましいです😊」とおっしゃっていた。すればいいだけなのになと思ったが、みんながみんな気軽に縦走できるわけではないということなのか。 12時頃、烏帽子岳を下りて池塘に向かう。道がないので、先ほどの「烏帽子岳480m」の道標まで結構戻らないといけない。そこから南沢岳の方向に歩いていく。道はやはりあまり登山者が通らないのか、少し荒れている。意外に直ぐに一つ目の池塘が現れた。かなり小さめで、これは山頂から見えたものではなさそうだ。さらに、進んで行くと少し大きめのものが左手に出てくる。この辺りに来ると、鬱蒼とした感じは消え、気持ちのいい開けた雰囲気に変わる。木道こそないが、それが似合う散策向きの雰囲気だった。池塘の背後の南沢岳を眺める。コルから針ノ木岳も顔を覗かせていた。暫く行くと、さらに大きな池塘が出てきて、鴨か何かの鳥が水浴びをしているのを見ることができた。この辺りで、かなり高齢の登山者とすれ違う。ガッツリとしたテン泊装備を担ぎ、かなり疲れた様子で歩いていた。あっちから縦走してくるのはどんなルートなんだろう? 気持ちのいい道を歩きながら、「せっかくここまで来たから、南沢岳も登っちゃおうかな…」と考え始めた。苦労して自宅からこんな所まで来ているので、ついつい発想が欲張りになる。しかし、やはり往復1時間余計に時間を使うことになり、ビールを更に我慢するのを、困難に感じ始めてもいた。心で葛藤し、目で楽園の景色を愛でながら歩いていくと、左右が大きな池塘に挟まれたスペースにたどり着いた。そこで先ほどのベテラン登山者が、池塘の水でタオルを絞りながら休憩していた。「ここですね、メインは🎵」と声を掛けると、「そうですね、多分ここが山頂から見えた場所ですね😊。結構途中、道荒れてましたね?」と、僕も同じように感じていたので、少しホッとする。「そうですよね?一部木が登山道を塞いで、乗り越えないといけなかったですよね😓」。さっきすれ違った年配の登山者の話になり、彼は扇沢から縦走してきたらしいが、疲れがひどく、この先も縦走を続けるかを悩んでいたという。南沢岳に行こうとかなとも思ったが、ベテラン登山者も帰るというし、どうにもビールが我慢できなくなり、僕もここで引き返すことにした。 帰りの道中も、この物腰の丁寧なベテラン登山者と話ながら行く。彼は最近毎日アルペン号を多用し始め、縦走登山の幅がぐんと広がったという。もともと車を運転しないので、今までは電車とタクシーを駆使して山行していたが、その場合初日の午前中は移動に潰れてしまう。その点、夜行バスなら朝早くにスタートできる。今回も、東京の竹橋から、七倉まで毎日アルペン号で来たと言う。少し早く着きすぎる(朝の3時半に七倉着)が、初日を潰すことなく、かつ周回ルートでない縦走をできる利点は大きいという。実は僕も本当は裏銀座縦走にも興味があって、あずさ号などを使うプランを考えたが、確かに七倉に着く頃には昼前になりそうだった。しかし、夜行バスはかなり前もって予約しないと直ぐに埋まってしまうので、予約なしの登山の醍醐味が失われてしまう。最適解はないもんだろうか? 途中で、ベテラン登山者と別れ、かなりゆっくり歩きながら烏帽子小屋に戻ってきた。時刻は1時半頃になっていた。もう、後はビールをかっ食らう(ベテラン登山者の表現が気に入った)だけだ。小屋に入り、ビールを買いたいんですが、と若い小屋番のお兄ちゃんに言うと、アサヒスーパードライの350mlがポンと出てきた。「700円です」。何も聞かないところ見ると、サイズも、これ一択のようだ。「2本いただけますか?」。「1400円です」 ビールをアタックザックに入れ、テント場に戻ってきた。テントに入り、前室部分にAl table fireを広げ、その上にビールを置いた。シェラカップにピーナッツを注ぐ。念願のビールをかっ食らう。テント場の位置関係と台風のお陰(?)で、今回はかなり楽チンプランで、大体昼過ぎには行程が終了する。いつもに比べてかなり楽な筈だったが、約1ヶ月ぶりの本格縦走に、ビールが身体にしみた。ピーナッツはお腹にたまるので、大体ビールとピーナッツでいつも満足してしまう。前に見える三ツ岳を見ながら、満足感に浸った。ダラダラしながら昼寝に突入した。 どれくらいうとうとしただろうか、あまりの騒がしさに目を覚ました。山にあまりふさわしくない合コンのような叫び声が沸き起こる。「なんや、これ…😓」。今までテント場で遭遇したことのない喧騒だった。暫くしつこく横になっていたが、いい加減うるさすぎて起き上がった。「あー、確か大学生のような4人組がいたから、彼らかな…。若いからしゃーないな」と思いながら、トイレに行きがてら小屋前に薬師岳見に行こうと、テントから出て避難を始めた。すぐ後ろの段を上がり、その歓声が聞こえる方に歩いていくと、愕然とした。行きに七倉山荘で少し話した年の頃同世代のシニアのパーティーだった。みんなテントから出て、グラウンドシートの上に座り、花見の宴席のようになっていた。酒が入っているのか、時々叫び声が上がる。「ヤバイな…。こういう人種もいるんやな…」と、山好きは静寂の中で山を眺めるとばかり思っていたので意外だった。 小屋前に来てみると、夕暮れが迫る時間帯にふさわしいまったりした雰囲気が広がっていた。そこに、勝手に犯人扱いしてしまった若い大学生のような4人が、イワギキョウのお花畑の前にあるベンチに静かに座っていた。そのうちの1人が、ウクレレのようなものを片手にいい感じの弾き語りをしている。「彼らもうるさくて避難しに来てたのかな…」。黄昏時の空に、相変わらず赤牛岳と薬師岳が静かに佇む。ウクレレの音色が心地よかった。かなり薄暗くなって来たので、テント場へと引き返す。小屋から少し登り、テント場へ下りていく途中で、テント場で少し会話した物静かな白髪の男性が上がってきたと思って声を掛けた。「まだ、ばか騒ぎやってますか?」。すると、「え、ばか騒ぎ😃(ほろ酔い)」と、白髪なので間違えたが、正にそのばか騒ぎをしているメンバーの内の1人だった😅。ヤバイ、ホントのこと言うてもうた…。テントに戻り暫くすると、気持ち声が静かになったような気がした。 翌朝、夜中の1時半に起きた。台風の影響が一番きつくなりそうな午後3時には絶対に晴嵐荘でテントを張り終わっていたいのと、野口五郎岳で日の出を迎えるためだ。1時半に起きて3時に出れば、3時間ほどで野口五郎岳に着く筈だ。昨晩は、まだ少し騒がしかったが、さすがに小屋の消灯の8時頃にはお開きになったようだった。いつものように甘いパンをつまみ、ウルトラバーナーでお湯を沸かし、これまた甘いコーヒーを作った。それを急いで飲みながら身体を起こしていく。テント場はあまり風の影響を受けない地形のようで、ほんとんど風の音を聞かなかった。また、雨も全く降らなかったようだ。さすがにステラリッジなので、テント内の結露はゼロだったが、外に出てみると、相変わらずレインフライは外側も内側もびっしょりだった。雑巾で水滴を拭き取りながら、片付けていく。このテン場はペグも刺さりやすく、かつ、それほどガチガチに固まらないので、抜いていくのもスムーズだった。3時を少し回った頃に、スタートの準備が整った。 昨日、例の物静かな白髪登山者に教えてもらった通りにテン場を下に下って行く。結構下の方までテントが張られていた。「これ、余裕で20張り超えてるな」。幕営地の一番下まで行くと、少し道が難しい。どんつきまで下り、テント場の先の道が無くなってしまった。「間違えたか…」。少し引き返し、小屋を背にして右にそれる方向に登山道が続いているのを発見した。恐らく烏帽子小屋にいた登山者の中で一番早いスタートだった。すぐに歩きにくい大きな岩の道に変わったので慎重に歩いていく。「しかし、毎度狂った時間に歩くな、オレも…」と、真っ暗闇の中を歩いていった。この辺りに来ると、やはり台風の影響なのかかなり風がきつくなってきた。頑張って歩いてはいたが、少し肌寒い。 最初の冒険は三ッ岳の直登だった。山と高原地図には、「三ッ岳は三つの頂を並べていますが、登ることはできず」とあるが、地図で見るとどうみても登れそうだった。野口五郎岳にしっかりモルゲンに間に合うように着くために、冒険はやめて登山道通り巻こうかなと一瞬悩んだが、よく分からない岩岩を直登していく。真っ暗なのでかなり不安だったが、道はそんなに悪くはなく無事に三ッ岳山頂に登頂した。事前に調べたレコではどこが山頂か分からないとあったが、最近置かれたようなまな板状の山頂標識が石で留められていた。 ここから、登山道への復帰が少し痺れた。真っ暗なので、いまいち最適なルートが分からない。かなりのざれた急斜面を、できるだけ安全そうなルートを選び下りていく。無事に登山道に復帰できたときには、暗闇の中で軽く吠えていた。そこから少し歩くと、「ここは三ッ岳」というニセ山頂標識がある。時刻は4時20分くらいだった。 ここから、少しずつ明るくなり、うっすらと山並みが分かるようになってくる。もうこの頃には、スタート時の頃の不安はすっかり消え、独りでこんな時間に、こんなすごい稜線を歩いている非日常を楽しんでいた。振り返ると乗り越えて来た三ッ岳がデカい。まだまだ暗いが、赤牛岳方面もよく見える。また、前方の野口五郎岳に続く稜線がなんともかっこよかった。 かなり明るくなり、大天井岳から燕岳、そして餓鬼岳へと続く稜線が雲海に浮かび幻想的に見える。東の空が赤く染まり始める。まだ時刻は5時頃だったが、この時間の空が一番綺麗だった。台風の影響を全く感じさせない、最高の朝の稜線を歩いていく。水晶岳、赤牛岳、その奥に覗く薬師岳に見とれ、振り返って稜線の曲線美と立山の雄大さを感じる。5時半前に、「500m小屋まで」と書かれた大きな岩に到達した。気持ちよく歩いていくと、屋根の青い野口五郎小屋が見えてきた。屋根や青いドラム缶には風で飛ばされないようにか、無数の石が置かれていた。 小屋前には明らかなからか、「野口五郎岳」との矢印はない。明らかな小屋前の斜面を上がって行くと、恐らく野口五郎小屋の大将が上から下りてきた。登山道にある少し大きめな石を拾って、脇に投げる決め細やかさが印象的だった。挨拶すると、「随分早いね」と、僕の出で立ちを見て、「烏帽子小屋からだね?」と声を掛けてくれた。「はい、早く出て頑張って歩きました」。「それにしても早いね」とやたらと感心され、少し気分がよくなる。「野口五郎岳はあれですよね?」と、前方を見上げ尋ねると、「そう、あの人が見えるとこだね」と、そこは僕が思っていたところより少し先だった。 ちょっとした登りを続け、登山者が視界にしっかり入ってきた。女性2人のパーティーのようだ。右に巻き道が付いているので、それを無視し、左に登り山頂を目指す。遂に野口五郎岳に登頂した。時刻は正に日の出の5時50分頃だったが、もう赤らみは終わっていたようだ。ほぼ全方位最高の景色で、笠ヶ岳も特徴的な頭をひょっこり覗かせていたが、槍ヶ岳にのみ分厚い雲がかかってしまっていた。残念だが仕方がない。その女性登山者に、「朝(まだ思いっきり朝だが)は槍ヶ岳見えてましたか?」と聞くと、「見えましたよ。でもね、見えたり見えなかったりだったんだけど、もう遂に黒い雲がきちゃってるから…」と、ここからは厳しいようだ。「一応今が日の出なんですよね」と言うと、「もう今日ないみたいですよ」とちゃきちゃき系のお姉さんたちだった。「一応真っ赤っかの時は見たんですけど」と言うと、「私も真砂の辺で見た!」と会話が弾む。「今日、どちらに下りるんですか?竹村?」と聞かれたので、「はい、竹村です」と、とても有名な道の様に言う自分が面白い。つい2,3日前まで竹村新道のことなんて全く知らなったのに…。「みんなそうだよね〜」と言うので、「大分すれ違いました?」と聞くと、「今ね、5人グループが竹村に行くって」。「あ、じゃあ今日烏帽子からですか?」と聞かれ、「はいそうです。」と答え、「一番早いかなぁと思ったのに、先に行ってたのか…」となぜか悔しがる。「あ、でもその人たちは野口五郎(小屋)からって言ってましたよ」と聞き、「そうですよね。多分僕が一番早かったはずなので」と変なこだわりを見せた。チャキ姉が「でもね、ホントはこんないいお天気じゃないと思いますよ!」と言い、「そうですよね!本当にラッキーでした。途中もスゴイ景色よかったし」と合いの手を入れる。「滝雲がスゴイ!」などど、非日常の高揚感の中、五月雨的に会話を交わし、「お疲れ様でした!」と彼女達は烏帽子方面に去って行った。彼女達と別れてからも、それなりの強風の中、かなり長い間野口五郎岳山頂を堪能した。 結局、30分ほど山頂に停滞し、次への行動を開始した。ここからは、鷲羽岳、水晶岳、赤牛・薬師岳が主役だ。登山をしない人は名前も聞いたことがない山々だろうが、一度知るとなんとも味わい深い山々だ。前方には真砂岳へと気持ちのいい稜線が続く。真砂岳も登山道は巻道に付けられていて、普通に歩くとスルーしてしまう。地図を見ながら、山頂への取付きを探りながら歩く。〇に導かれるとどんどん右に反れて巻かされてしまう。最初は、あまり道らしき道は付いていなかったが、「登れるか?これ」と独り言を言いながら、観念して少し危ないが浮石ではなさそうな所を狙って、登山道を左に外れ、手を使いながら登って行く。まず、真砂岳の手前は大きな岩が積み重なった岩峰だった。稜線伝いに、その岩峰を乗り越えていく。「あってんのかこれ?」。前がしっかり見えないので、岩峰を乗り越えた先に道があるのか、崖になっているのかが分からない。幸い、岩峰のピークから、真砂岳とのコルには何とか下りれるようになっていた。しかし、大岩が崩れるかもしれないので、慎重に下りて行った。もしかしたら、この岩峰は巻けたのかもしれない。このコルから先、真砂岳までは歩き易い道だった。なんとなく登山道っぽくなっている。ずんずん歩いていくと、またまな板状の、でも三ッ岳のものよりは立派で古めかしい「真砂岳2862m」の山頂標識が置かれているてっぺんに辿り着いた。みんな思うことだが、真砂岳より標高の低い南真砂岳が百高山に指定され、真砂岳には何の称号もないのは何故だろう?やはり、万人に登ることが可能なことも選定基準の一つなのだろうか?相変わらず槍ヶ岳には雲がかかっていたが、それ以外の山並みがキレイに見えていた。とりわけ鷲羽岳がかっこいい。地図を広げ、どれが北鎌尾根なのかを確認する。なかなかに厳しそうな角度で、槍ヶ岳に突き上げていた。しかし、もっと目を引いたのは硫黄尾根だった。多分赤茶けた明るい色だからかもしれないが、荒々しさは北鎌尾根よりも数段上に見えたがどうなのだろう? 真砂岳からの下りも、一般的な登山道ではないが、よく見ると道が付いていたので、それに沿って歩き、真砂分岐(竹村新道分岐)の手前側で登山道に合流した。ヤマレコの足跡を見ると、分岐の竹村新道側に下りる方にも道があるようだ。この真砂分岐から水晶小屋までの稜線は風の通り道で、今回のような台風が来るとかなり危ないらしい。分岐に来たところで、水晶小屋方面からやって来た僕より少し若そうなソロの男性に、「真砂岳へ登るには、登山道通り巻いちゃあダメなんですよね?」と声を掛けられる。まさに、今下りてきたばかりなので、YAMAPの軌跡を見せながら、「よく見ると道が付いてますので、こうやって登れますよ」と臨場感たっぷりに案内した。分岐を竹村新道の方に曲がったところは、少し開けた広いスペースになっていて、かなり眺望がいい。槍ヶ岳が見えれば完璧なものの、それがなくても、とにかくカッコいい鷲羽岳、ワリモ岳、デカイ壁のような双耳峰の水晶岳、とにかく目立つ硫黄岳と、いつまで見ていても飽きない。ここで、GoProのバッテリーを入れ換えていると、ソロの少し僕より年上そうなソロの男性がやって来た。昨日、七倉山荘から野口五郎岳を経て、三俣山荘まで行ったらしい。水晶岳がキツかったと言いつつも、今日一気に高瀬ダムまで下りるという。軽荷だったが「元気やなぁ」と心で思いながら、僕も台風がなかったら、絶対水晶岳行くよねと、少し羨ましく思う。このコースは野口五郎小屋でも水晶小屋でも幕営できないので、テン泊原理主義者は、烏帽子小屋で初日とどまらざるを得ないのが痛い。 竹村新道は序盤が危ない。崩落地を巻いて行くのだが、嫌らしい下りを体を横向きにしながら慎重に下った。下り切るとお花畑が迎えてくれる。その後も右側が切れ落ちた細い道を足場を確認しながら進む。暫くすると、登山道が左に曲がる所を少し直進し、百高山の南真砂岳に登頂した。残念ながら、この頃には遂に天気が悪化し始め、ガスが立ち込めていた。ここも眺望が良い筈だが、単に登頂したのみになってしまう。少し引き返し、竹村新道を行く。ほどなく雨がポツポツ降り始めた。空が比較的明るかったので、暫くレインウェアを着ずに歩いていたが、かなり雨粒が大きくなり、観念してザックを下ろした。モンベル最安レインウェアのレインハイカーの上下を身にまとう。前に光小屋に向けて雨の中静高平に半泣きで登っている時に、レインウェアを着ているにもかかわらず、かなり中のウェアが濡れてしまった。汗で内部から濡れた可能性もあるが、レインウェアを着るときは、中に雨が入り込まないように、フードをしっかりかぶり、フードの脇や首もとから水が入り込まないように、ピッタリと隙間を埋めるようにしないといけないと、何かのレクチャー動画で学習した。それに習い、今回はピッタリ密着させて着てみたが、暑くて仕方がない。透湿性が最低だから仕方がない。まだ数えるほどしか着ていないのに、フラグシップレインウェアが欲しくなる。出来るだけ汗をかかないように、かなりペースを落として歩いていく。すると、時間を使って着込んで、まだあまり歩いていないのに、空が明るくなり、太陽が照り始めた。「なんや、もう天気回復かいな…」。しかし、みんなが言っていたように、途中から軽めの藪漕ぎのような登山道になり、レインウェアを脱ぐとさっきまでの雨が付いた藪でウェアびしょびしょになるのが目に見えたので、暫くレインウェアを着たまま歩き続けた。 しばらく歩いて行くと、登山道を右に外れ硫黄岳側に道が付いていた。何とはなしにそちらに行ってみると、ぱーっと視界が開けた展望台になっていた。鬱蒼とした登山道と打って変わって、風も当たりとても気持ちいい。天気は完全に回復したようで、槍ヶ岳の山頂にかかった雲以外は、完全に晴れ渡っていた。ここからは、6月の初旬に撤退して登頂できなかった双六岳がよく見えた。と、どこかで見たようなソロの男性が同じくここにやって来た。先ほど真砂岳への行き方を教えた彼だった。てっきり烏帽子岳の方へ行くと思っていたので、「あれ?こっちだったんですか??」と聞くと、「どうしても真砂岳に行って見たかったんです😃」という。この後も彼とは抜きつ抜かれつ、何度も顔を合わせることになる。「しかし、完全に天気回復しましたね!湯俣岳では、槍にかかった雲も晴れるんじゃないですか😃」と、湯俣岳は眺望がないのを知らない僕は、無意味な期待をこの時はしていた。 彼より、先に展望台をスタートした。すぐに湯俣岳に到着し、全く眺望がないのを知ってがっかりする。ずいぶん薮がなくなり、登山道がスッキリしてきた。天気も、もう崩れそうにない。湯俣岳を越えてしばらく行った所で、レインウェアを上下とも脱ぎ、スタッフバックに入れて、ザックにしまいこんだ。その停滞中に先ほどの彼に先を譲る。レインウェアを脱いでかなり身軽になったので、先ほどまでよりは自然と幾分ペースが上がった。また少し行った所で彼に先を譲ってもらい、キツイ竹村新道を下っていく。 後20分弱かなという所で、視界がスッキリ開けた展望台が出てきた。時刻は10時40分頃だった。そこには道標のような黄色い木の柱が立っている。上から見下ろす湯俣川の溪谷は何とも爽快だった。前方には双六岳がよく見えた。ここから、最後の少し危なげな急斜面を慎重に下り切り、やっと晴嵐荘に到着した。おしゃれな黒い看板に、「You did it! 」と書いてあるのが嬉しい。直ぐに受付に向かうと、多分電話した時に親切に対応してくれた綺麗なお姉さんがいた。よくいる頼りない若い小屋番と違い、頭の回転の速そうなチャキチャキ系のお姉さんだった。僕の五月雨的な質問オンパレードをテキパキ処理してくれた。キャンプ届けに記入し、場所の説明を受ける。基本どこでも張りやすい所に張るイメージだが、後から考えると場所選びは中々に難しいのだが、この時は知る由もない。「僕より早く着いている人いますか?」と聞くと、「いや、まだ誰もいませんね」と大将が答えてくれる。「でも、連泊の人が1人います」。「あー、じゃあその人が張っている辺りがテン場ですね」。内湯に絶対入りたかったので、「内湯に入りたいんですが、何時から何時まで入れますか?」と聞くと、お姉さんは笑顔で「24時間いつでも入れます?」。それはすごいな。「外からも入れるようになってます」とのことだった。しめて、料金1人1000円、テント1張1000円、内湯1000円の3000円だった。内湯は一回1000円なのか、何回入っても1000円なのかは謎だったが、外から入れるので多分何回入ってもいいのだろう。ちなみに、当たり前だが、洗い場はない。温泉のお湯で掛け湯をして、汗を流してから湯船に浸かるのみだ。さらに、ランチもやっているとのことなので、パイコー丼(?)を注文し(1200円)、15分ほど時間がかかるとのことなのでその隙にテントを張りに行った。 テント場には確かに1張り既に張ってあった。太陽が出ていて暑かったので、その人が張っている木陰が確かにベストポジションだった。さらに、夕方に雨が強く降る可能性も高かったので、そういう意味でも木の下に張りたかった。スペースがいっぱい空いているので申し訳なかったが、その人が張っているすぐ隣の木の下に張らせてもらう。 受付に戻り、TXガイドを脱いで食堂に座り、ランチを待った。「あ、そうだビール飲もう!」と受付に座っている大将に「ビールありますか?」と聞くと、「ありますよ!サイズどうしましょう?」と聞いてくれる。ランチを食べた後に噴湯丘に行くので、「ちっちゃい方」と答える。「700円です」。銘柄は黒ラベルで、500mlは900円だった。よなよなビールも置いていた。また、ウェブサイトにもあるが、お酒はそのほかにもBarMenuとして豊富に用意されていた。しばらく待つとスープ付きで、温泉卵がのったパイコー丼が出て来た。味も十分満足いくものだった。「いやぁ〜、晴嵐荘はオアシスだな!」とこの時は晴嵐荘のいい側面しか見えていなかった。 ランチを終え、仮張していたテントを仕上げ、早速噴湯丘に行く準備を始めた。アタックザックに水筒、レインウェア、ヘッデン、そして「念のため」救急セットを入れる。山荘前の「噴湯丘→」の看板に従い吊り橋の方に少し歩くも、いつもの如く、のっけの道が分からない。地図を見てもいまいち方向感が定まらず、たまらず受付に引き返す。受付にはさっきの大将ではなく、少し若目の細身の小屋番がいた。「噴湯丘の行き方が分からないんですが…」と質問すると、受付から外に出てきて親切にポイントを教えてくれた。意外に関門が何ヵ所かあり覚えきれない。15分ほど歩く道だという。徒渉があると聞いていたので、今回はクロックスを持ってきていて、それでそのまま歩いて行こうとしていた。先ほどの若い女性の小屋番には、「シューズをお勧めします」と言われていたが、この男性小屋番に聞くと、「いいと思いますよ。私もさっきこれで様子見てきました」と、かかとのホールドのない、「つっかけ」を僕に見せながら答えてくれた。吊り橋を渡ると大回りになるので、適当に岩を崩さないように気を付けながら、手前で徒渉し、小さいダムの方に向かえばいいという。 言われた通り徒渉し、ダムの建物を越えて歩いていくと、水俣川にかかった吊り橋がでてくる。補助ロープが壊れているので、1人ずつ渡らないといけない。渡り切ると、鳥居がある高台のような場所につながり、右手にロープが付けられていて、崖を下りることができる。下りきった所が湯俣川の川原だ。後はその湯俣川の右岸に沿って歩いて行けばいい。この川原の対岸には壮大な岩壁が聳えている。中々の迫力だ。クライミングをしている人はいなかったが、かなりの難易度かもしれない。 この辺りから徐々に沸騰している温泉が所々で涌いていて、その部分は真っ黒になっているので、すぐにそれと分かる。噴湯丘自体は、湯俣川の左岸にあり、適当な場所で徒渉しなければならない。先ほどの細身の小屋番に、道中の高巻きしないといけない場所には足跡があるし、徒渉箇所にはケルンがあると聞いていた。高巻き箇所は確かに足跡が付いていたが、ケルンは見当たらなかった。コツは斜めに徒渉することだとも聞いていたが、それもそれほどよく分からなかった。前を歩いた別の登山者は、適当にケルンの無いところで、向こう岸に渡っていたが、僕はケルンにこだわり、対岸に噴湯丘が見える場所より更に上流まで歩いていく。その道すがら、また、真砂岳分岐と湯俣岳手前の展望台であった若者に再会した。「おー!もう来てましたか?」「あー、はい。」「これ、渡るところにケルンあるらしいんだけど、見当たらないねぇ」と彼にも説明しながら上流に進む。所々川原のキワキワに沸騰温泉が湧いているので、そこを避けながら、ケルンを見つけるのは諦め、適当な場所で斜めに徒渉を開始した。最近ずっと雨が降ってないにも拘わらず、水位は太ももの真ん中から少し上くらいだった。雨が降れば徒渉はかなり困難だろう。特に問題なく渡り切ったが、事件はこの後、起こった。左岸の川原から噴湯丘がある場所に行くには、川原の上に上がらないといけない。ちょっとした崖のような登りになっていた。普通の登山の感覚では、何てことない登りだが、足元はクロックスだし、もっと大事だが、川原の土手に突き出ている岩は全く安定していない。その認識が全く足りていなかった。適当に数段登った所で、手をかけた大岩が「ぐらっ!」と土手からすっぽ抜け、川原に崩れ落ちた😨。何とか上手く落ちてくる岩をよけつつ飛び降りたが、指先からどっと流血してしまった。「これはアカン😱、これはアカン!」と、急いで川の水で血をゆすぐも意外に深く切れているようで、どんどん血が出てきてしまう。「念のため」持ってきていた救急セットを出し、消毒してケアリーブを巻き、テーピングをその上から更に巻き付けた。幸い痛みはあまりないので、骨折や突き指などはなさそうだった。後ろから、先ほどの若者が僕が徒渉したルートでこちらに向かって来ていたので、「ここ、徒渉はしやすいけど、土手の上に上がるのが危ない?」と声をかけた。「はい…、結構落ちましたね😓大丈夫ですか??」と、恥ずかしながら、現場を目撃されていたようだ。 そこから2人で川原を歩き、上に安全に登れそうな所を探るも、あまりよさげなところがない。「ここどうかな?」くらいな場所を見つけ、まず彼にトライしてもらう。少し離れて後ろで見ていたが、「ちょっと崩れるかもしれないので、もう少し離れてもらえますか?」とい言われ、川原の一番下まで下り、彼を見守った。すると、「あ!行けます😃」と言いながら、彼は僕のクロックスよりも更に頼りない紐サンダルで土手を登り切った。僕も後に続き、無事に土手の上に上がり、噴湯丘の前まで下流に歩いて行った。「これ、やっぱりケルン見つけなアカンかったな…」。噴湯丘の前では、先ほど適当な所を渡った男性と女性の2人が立っていた。彼らが渡った場所は土手の高さがかなり低く、やっぱり素直に噴湯丘が見える辺りを徒渉した方がよさそうだ。噴湯丘をしばらく見つめ、右岸に戻るのに適当そうな場所を見つけるのに苦労しつつ、結構下流の方まで歩き、安全に徒渉できた。 少しブルーになりながら、テント場に戻ってきた。時刻は午後1時頃だった。荷物をテントにしまい、気を取り直して内湯に向かった。山荘の入り口を竹村新道の方に少し歩き、右に曲がると山荘の裏口がある。そこから、入ってすぐが女湯で、その奥に男湯の引戸があった。引戸を開けると、脱衣所があり、かごが3、4個置かれていた。中には何人かいるようだ。服を脱ぎ、ちょっと不安だったが、脱いだ服に財布と携帯を入れっぱなしにして、内湯の扉を開けた。すると、太った男性が座ってカミソリで頭をそっていた。側には若い男性が立って、何やらその太った男性を手伝っている。洗い場はないので、掛け湯を何度もして体を洗う。湯船に浸かった。源泉掛け流しのようで、その頭を剃っている男性が不衛生に感じた以外は、気持ちのいい内湯だった。すると、その男性がこちらをくるっと振り返った。なんと、山荘の大将だった。「なんだ!大将じゃないですか」と、一応挨拶はしたが、休憩中なんだろうと思い、出来るだけ話し掛けないようにした。彼はすぐに出ていったが、とても気持ちのいい湯船で、しばらく1人でゆっくりと堪能した。 風呂から上がり、受付で500mlのビールを仕事に戻っていた大将から買い、テントに戻った。隣の連泊テントの主は、僕が竹村新道を下りている時にすれ違った、女性のソロ登山者だった。小屋前でまたその顔を見て混乱した。「あれ?さっき竹村新道ですれ違ったような?」と言うと、「ええ、上まで行って、下りてきました😃」。トレランのような装備とはいえ、竹村新道をこんな短時間でピストンするとは恐ろしい女性だ。しかも、登山者とは思えないほどバッチリメイクの美人だった。テント場で、一応近くに張りすぎたなぁと思っていたし、しかも女性だったので、「台風が怖かったので、いい場所に張りたくて、少し近めに張ってしまい、申し訳ない」と断りを入れた。「昨日はもっと混んでいて、周りのテントが近かったので、気にしないで下さい」と一応言ってくれたが、本音はやはり嫌だったろう。 時間はまだ2時頃だったが、もう今日はビールを飲みながらダラダラするだけになった。Windyでは午後3時くらいから雨がそれなりに降る予報だったが、本当に短時間ポツポツきただけだった。晴嵐荘に着いた時に、大将に「天気予報の最新情報ありますか?」と聞いた時に、「今日は大丈夫みたいですね」と彼が言った通りだった。明日の朝一番のタクシー(午前6時)に乗れるように4時頃晴嵐荘を出れば、無事に台風を回避して山行をコンプリートできるだろう。いつも登山道ののっけで躓くので、日のあるうちに、帰りの序盤の道を見に行った。地図を見ると、まず噴湯丘に行くのに通る吊り橋を渡る。その先には丸太橋があったらしいが、最近の豪雨で流されたらしい。吊り橋に付けられた梯子で川原に下り、噴湯丘と反対側に歩いていくと、岩に大きく◯が書かれていて、そこを飛び石で濡れずに徒渉できる。渡り切った所から少し戻るとロープが掛けられていて、川原の上に上がることができるようになっていた。 明日の朝ブラックスタートでも、もう大丈夫だなと、安心感を得てテントに戻ってきた。これでもう完全にやることがなくなってしまった。目の前に広がる景色は悪くないものの、沢の流れは見えない。天気もさすがにどんよりだったので、展望台にもう一度登りに行く価値もない。モバイルバッテリーの調子が悪いのか、3万ミリアンペアなのに、烏帽子小屋で一回携帯を充電しただけで残25%になってしまっていた。なので、携帯のバッテリー消費が怖くて、ストレージに入ったキンドル本を読むのもためらわれる。「紙の本でも持ってくればよかったな…」。かつかつの行程に慣れると、ゆったりを楽しむ方法を考えるのが下手になるようだ。晴嵐荘の前のテーブルでは、かなり前から4、5人の男性が七輪を囲んでいた。ちょっと僕らとは明らかに毛色が違う人種だった。これが、にゃーおさんが言っていたキャンパー達なんだろか?高瀬ダムからの帰りのタクシーの運転手さんも、晴嵐荘は片道2時間ちょっとで来れるので、登山は全くせずに、そこに来るためだけの人が6割だと言う。また、この湯俣は温泉があるせいか、物凄く暖ったかかった。シュラフは全く必要なく、テントの入口をメッシュにして寝たが、それでちょうどよかった。朝起きて、レインフライに結露が一滴も付いていないのには驚いた。この後、午後9時頃までキャンパー達の宴が続いた。烏帽子小屋の彼らよりも更に激しかったが、キャンパー基準では常識の範囲内か。テントは、小屋から出来るだけ離して張った方がいいだろう。水(登山者)と油(キャンパー)が同居する楽園で、いつの間にかかなり水よりになってしまった自分に気付きながら、耳栓を更に奥に押し込んだ。 |
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