記録ID: 4722294
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
槍・穂高・乗鞍
限界突破、北鎌尾根で槍ヶ岳‼️
2022年09月24日(土) ~
2022年09月26日(月)
TtmDeriv
その他1人
体力度
10
2~3泊以上が適当
- GPS
- 29:41
- 距離
- 40.2km
- 登り
- 4,060m
- 下り
- 4,393m
コースタイム
1日目
- 山行
- 5:29
- 休憩
- 3:51
- 合計
- 9:20
距離 13.1km
登り 2,034m
下り 622m
16:44
2日目
- 山行
- 11:42
- 休憩
- 1:41
- 合計
- 13:23
距離 9.0km
登り 1,559m
下り 1,358m
3日目
- 山行
- 6:55
- 休憩
- 1:30
- 合計
- 8:25
距離 18.1km
登り 472m
下り 2,448m
天候 | 道中土砂降り速度規制、中房線通行止めも、6時に解除。霧雨スタートも合戦小屋辺りで晴れる。その後ずーっと快晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2022年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
タクシー 自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
1.着想 「今度一緒に北鎌やりませんか?」 ひらゆの森で温泉に浸かっている時、なおにゃんにそう言われ、正直悩んだ。 6月の初旬、「オホーツクが生んだピュアボーイ」なおにゃんと「いきなり」笠ヶ岳を目指した。笠新道の恐ろしい雪渓を藪漕ぎを混じえ登り詰め、笠ヶ岳に登頂し大きく吠えた。かつさんに「遠吠えが聞こえましたよ」と言われ、自分の限界が近かったことを思い知る。しかし、そこからが本当の地獄だった。双六小屋を目指し、猛烈ひやひやトラバース、大木漕ぎと山行を続けた。僕の体力が遂に尽き、秩父平を越え大ノマ岳手前の名もなきピークの足元の決して「ビバーク適地」とは言えない傾斜地にビバークした。翌朝かなり体力は回復したものの、一泊二日予備日なしの行程で臨んでいたので、泣く泣く双六岳は諦め、あろうことか「弓折乗越」から撤退した。この時期のセオリーは、夏道の弓折乗越から下りるのではなく、弓折岳の稜線伝いに鏡平を目指すのに、そんなことすら知らなかった。そこからの「ちびり」トラバース、藪漕ぎ尾根またぎ、なおにゃん見失い、じわじわ「いやらしトラバース」を経て、何とか登山道に復帰した。 そもそも登山を始めて2年も経っていなかった。西穂・奥穂縦走の経験はあったが、北鎌尾根は次元がもう一段上がるだろう。しかも、今回の山行を通じてパーティー登山の功罪を強く感じていた。ソロ特有の危険を回避できる反面、意思決定・ペース調整等、パーティー登山はソロ登山対比、他者マネージメントの要素が加わってくる。なおにゃんの体力・技術レベルは数段僕より上だったので、どうしても僕が後から追いかける展開になり、それが撤退の遠因になっていたと感じていた。もし、北鎌尾根を目指すなら、臨機応変を確保しながらも、リーダーを決め、意見が分かれた時の対応を予め決めておく必要がある。その辺りの難しいさじ加減が、普段定期的に会うわけではない2人で実現可能なのか? 一方で、北鎌尾根に魅力を感じないはずがない。ここをソロで行くという発想は僕にはまだなかったので、この誘いに乗っかりたいという気持ちは勿論あった。なおにゃんは稀にみる「まっすぐ」なナイスガイなので、年長の僕がうまくやればパーティーは機能するだろうと思った。その時は、時期は詳細には決めずに誘いを承諾し、「何はともあれ、俺の体力レベルを上げるのがまず第一歩やな」と心の中で呟いた。 2.北鎌尾根対策 それ以降、体力レベルを上げるべくトレランにも手を出した。もともと興味はあってinov8のテラウルトラというトレランシューズを買ってはいたが、ロードのジョグにしか使っていなかった。これを履いて、長らくご無沙汰だった丹沢に繰り出す。塔ノ岳ピストン、蛭ヶ岳ピストンを行い、それぞれ3時間、6時間を切るタイムを出すことができた。「それほど遅くはないのかな…」。次はトレーニングのメッカ「黒戸尾根」で甲斐駒のピストンを行い、途中から誘惑に駆られ、山頂で鋸岳のルートを確認しに行ったり、摩利支天でしばらく天気待ちをしたりしたものの、8時間30分でフィニッシュできた。また普通なら2泊3日の山行を1泊2日の行程でやり、体を負荷に慣れさせた。「ええ感じで体力ついてるんかな…」 最後は軽量化に取り組んだ。やはり軽さは正義だ。まずは登山靴の見直しだ。いつもは北鎌尾根のようなリアル岩行には、スポルティバのトランゴタワーを履くが、やはり重いし歩きにくい。そんな中、昔の雑誌(RUN+TRAILの別冊ファストパッキング2020入門編)を見返していると、スポルティバに「TXガイド」というシューズがあるのを知った。これはトレイルランニングシューズとアプローチシューズを掛け合わせて作った一足で、しかもクライミングゾーンも用意され、岩稜帯でも威力を発揮するという。「これを手に入れねば!」。しかし、どこもかしこも品切れで、怪しげな個人輸入のネット販売店から、試し履きなしにトランゴタワーと同サイズのEU43を見切りで購入する。平均納入実績の2週間を少し超えたが、無事に自宅に配送され、幸運にもサイズ感はばっちりだった。 次に、マットも今使用している贅沢マット「サーマレストネオエアーXライト レギュラーワイド」を「ネオエアーウーバーライト スモール」に変えてみた。パッキングサイズは笑えるくらい小さくなる。これを使って、高瀬ダムからの烏帽子岳・野口五郎岳・湯俣の周回に行ってみた。しかし、長さが短いのは我慢できたのだが、肩幅が収まり切らないのは盲点だった。両腕がマットに乗り切らず、テントの床面に落ちてしまう。マットの厚みがそれなりにあるので、両肩が腕に引っ張られて痛くなり、何か下に高さのあるものを置かないと寝れなかった。「これはちょっと使うには工夫いるな…」 最後にザックを見直した。いつもはリアルテント泊山行にはモンベルのアルパインパック60を使うが、これは堅牢だがかなり重い。そんな中、山行中にチェストバックルが外れたバランスライト20を点検してもらうためモンベルに向かった。するとザックコーナーに、魅力的なザック「ライトアルパインパック40」があるのが目に入った。取り外し可能なトップリッドが付いていて、そこにもアクアバリアサックが中に入っている。腰ベルトがかなり貧弱も、重さは40Lで1圓鮴擇襦7變眠修龍飽佞魯競奪を小さくすることなので、悩みつつもこれを購入する。自宅に帰って、自分が持っているザックを並べると、これで20L,30L,40L,60L,80Lとほぼすべてのラインナップが揃ってしまったことに気付く。「やはり40Lが欠けていると潜在意識が言っていたのか…」 待ち遠しくもあり、迫りくる恐怖でもあった山行の日が遂にやって来た。 3. 雨後の恵みのゆるハイク またも台風が迫っていた。先週の湯俣周回も、常に台風の行方を見ながらの山行だった。3連休の2日目が僕らの山行のスタート日だったので、台風の影響は軽微なはずだが、夜の12時半に自宅を出発する時点では強めの雨が降っていた。圏央道に乗る頃には、それが猛烈な雨へと変わっていた。ワイパーが狂った速度で左右に動く。中央道に入ってからも小淵沢まで50kmの速度制限がかかっていた。「やばいな…、これ。ホンマに止むんやろうな?」。4時に新穂高温泉に集合だった。先になおにゃんが行って、深山荘前の無料(かつ予約なし)登山者用駐車場(P5)が空いているかトライしてくれるという。駄目なら鍋平だ。彼が駐車場に着いたら連絡をもらうことになっていた。僕はちょっともたつき、0時50分に最寄りのインターから高速に乗っていた。まくりまくって4時に新穂高温泉に着くつもりだったが、この雨のせいでまくり始めたのは小淵沢を過ぎてからだった。おまけに松本インターを降りてから沢渡まで、遅いタクシーがなぜか前を譲ってくれず、イライラしながら後ろを付いて走らざるを得なかった。午前3時15分頃、やはりこの雨の中登山をする気違いは少ないのか、「ぽつぽつ空いてます。とりあえず手前の空いている所に止めました」と、なおにゃんから連絡が来た。「深山荘?」と聞くと、「そうです」という。「おー!4時15分くらいになりそうです」と返事をし、相変わらずそれなりに前がつっかえている中、車を走らせた。意外にも前を走る車が誰も下りない駐車場に続くスロープを下り、無事になおにゃんと合流した。まだ雨がそれなりに降っていたので、なおにゃん急いで荷物を僕の車のトランクに移してもらい、車のエンジンを切ることなく、そのまま穂高駐車場に向かった。 久しぶりの挨拶を交わし、少し小ぶりになって来た雨の中、車を走らせる。僕は最初勘違いしていたが、新穂高温泉から穂高駅はかなり遠い。グーグルでは1時間半と出たが、1時間40分ほどかかった。昨日僕が寝た後に、タクシーを予約している安曇野観光タクシーから不在着信があったのが気になっていた。気付かなかったが、穂高駐車場に向かっている最中にも、もう一度着信があった。それに暫くして気付き、さすがに何かあるはずなので、車を路肩に止めて折り返した。電話がつながり名前をいうと、開口一番「中房線が通行止めになっています」「…何??」。中房線は連続雨量がある一定水準に到達(後で調べると連続雨量80弌∋間雨量25弌砲垢襪肇襦璽訃緜鵡垰澆瓩砲覆蝓点検が入るらしい。そもそも中房線は土砂崩れは起こりにくいらしいのだが、ルール通りに通行止めになったようだ。「それ…、その場合タクシー予約はどうなるんですか?」「通行止めなんで、宮城ゲートまでしか行けません」「それって冬期ゲートですよね?確か、登山口まで10kmくらいある?」「そうです」「それ、皆さんはどうされているんですか?」と聞くと、「今のところ、待機してもらっていて、こちらから通行止め解除になり次第ご連絡しています」という。とりあえず、ここで悩んでも仕方がないので、穂高駐車場に向かった。 6時過ぎに、穂高駐車場に到着した。2人で相談した結果、燕岳は諦めて、一ノ沢から常念岳経由で行こうということになった。なので、一ノ沢まで行ってもらうよう、タクシー会社に電話をすることになった。初め電話すると話し中だった。「まあ、そりゃあそうか…」といったん切ると、すぐに携帯がなり、「中房線通行止め解除されました!」というタクシー会社からの連絡だった。恐らくお互い同時に掛けていたのか。「もう、穂高駐車場にいらっしゃいます?」「はい」というと、「じゃあ、もう今から行かせますね」と言われ電話を切った。まだ6時過ぎだったので、「俺の準備が間に合わんよ…」と急いでハイドレーションなどの準備を始める。タクシーはすぐに到着し、なおにゃんと運転手が雑談して僕を待っているのを横目に、急いで準備をする。もともとタクシーを予約していた午前6時半頃、やっと僕の準備が整い、中房に向けて駐車場を出発した。タクシーの運転手は、昔山岳会に入っていて、北鎌尾根も経験しているという。あまりに昔のこと過ぎてあまり参考にならないが、ロープを出したなど少しビビる情報を与えてくる。どうやら、しゃべりたい口のようだ。先週の七倉山荘から高瀬ダムまでの寡黙なタクシーの運転手とは対照的だった。「まあ、地震があったりで、結構地形も変わってるんですよね」と、彼の情報にはあまり耳を貸さないようにした。 午前7時半前に、中房登山口から山行を開始した。まだ細かい雨は降っていたが、レインウェアを着るほどではなかった。ちょうど2か月前にやっと来た燕岳登山口なのに、早くも2回目となる。湿気が多く汗だくになりながら、第一、第二、第三ベンチ、富士見ベンチと基本全員を追い抜くペースで登って行く。タオルを絞ると汗が水のように出る。この富士見ベンチの辺りまで、降ったりやんだりの天気だった。しかし、合戦小屋の手前の少し開けた尾根に出た辺りで青空が広がり始めた。雲混じりながらも、大天井岳から先の稜線の山並みが望める。「お〜!早くも青空出て来たよ。もっと時間かかると思ってたけど」とテンションが上がる。「合戦小屋でスイカ食ってこう!」と、あまり1人でしなさそうなことを目論みながら上がって行く。9時半前に合戦小屋に到着した。かなり青空が広がるも、登山者は少ない。まだベンチは濡れていたので、天幕の下のテーブルにザックを下ろし、スイカを注文しに行く。すると、「もうスイカは終わりました」と言う。「まあ、この時期だけに当たり前か」とちょっとガックリ来ていると、隣にいた女性登山者が「20日で終わったみたいですよ」と教えてくれた。なるほど、タッチの差やったか。「で、代わりのものは…、おしるこですか…?」と聞くと、愛想のかけらもない若い男性の小屋番が「はい」という。何を聞いてもあまりいい感じのしない小屋番で、晴嵐荘の女性小屋番を見習ってほしかった。 小休止を終え、日が照り始めますます暑くなった。燕山荘の手前が結構厳しい登りだ。さすがに2人ともあまり疲れはなかったので、あっという間に燕山荘と燕岳のコルに到着した。そこに立つと、前方にバーンと鷲羽岳が見える。「おー!鷲羽。燕岳もぎりぎり見える。その左、双六ちゃうの?」「そうですね、あれ双六ですね」と、もうほぼ完璧と言っていい青空の下、気分も晴れる。残念ながらさすがにまだ槍ヶ岳は見えなかったが、朝の豪雨を考えると「もう、今日これで十分ちゃう?」と自分でも今日にあまり多くは期待していなかった。左に曲がり、燕山荘の方へ歩いて行き、燕山頂上・槍ヶ岳の大きな道標前のテーブルにザックをデポした。僕は大天井岳への分岐でデポしようと思ったが、「テーブルあるし」と考えれば当たり前のことをなおにゃんに言われ、自分の行動がいかに非効率的かを知る。 正にゆるゆる山行を象徴する燕岳へのピストンを開始した。今まで背負ってきたザックをデポし、いかに重荷を背負っていることが負担になっているかを再認識する。無理とはいうものの、やはりテン泊装備でも10圓泙任僕泙┐蕕譴譴弌△なり行動範囲が広がるはずだ。しかし、自分にとって削るべきではないものを削ると、いくら嵩が減ったり軽くなっても、結局はネットで負担になる。例えば、「ネオエアーウーバーライト スモール」がいい例だ。先週の山行で懲りたので、今回はネオエアーXライト レギュラーワイドを持ってきた。重さも嵩も3.5倍ほど増えるが睡眠には代えられない。他愛もない話をしながら歩き、お決まりのイルカ岩で写真を撮り、最後のちょっとした岩々を登り、燕岳に2か月ぶりに登頂した。まだ槍ヶ岳の尖りは見えないものの、鷲羽岳方面の稜線がキレイに見える。風も少し強めに吹き始め、汗が冷えて気持ちよかった。普段なら人だらけの山頂も、今日のこの時間は僕らだけだ。先週行った野口五郎岳方面とも距離が近く、その時見た光景とも重なり、さらに山々に親近感がわくという感覚もいい。 山頂でもう少し雲が晴れるのを待ちたかったが、先もあるので、早々に燕山荘に戻ってきた。当初、ここで何か食べる予定だったが、もうこの時点で僕は早く大天荘へ向けてスタートしたくて仕方なかった。2か月前にそこで見た、なみなみと注がれた生ビールの光景が忘れられなかったからだ。また、2か月前に歩いた時、燕岳から大天荘までは、かなりきつかったような印象を持っていた。なおにゃんは「そうかなぁ?」と言っていたが、できるだけ早めに大天荘に到着し、軽食時間が終わっているという事態を避けたかった。今回もフライパンとフォールディングトースターを持参し、ウィンナーやらコンビーフを持っては来ていたが、やはりできれば山荘飯を食べたい。小屋によって軽食(ランチ)の提供時間がまちまちなので、事前に電話して時間をメモしておけば確実なのだが、今回もそこまで気が回らなかった。 燕山荘を11時半前にスタートし、分岐を右に下りていく。ちょうどその時、すでに槍ヶ岳がくっきりその姿を現していることに気が付いた。「おー!もういきなり槍見えてるやん!!」とあまりの天気の急回復ぶりに驚く。こういうこともあるんやな…。「登山者で今日ここ歩いてないなんてありえへんな」と言いたくなるような気持ちよさだった。2か月前にこの稜線をきつく感じたのは天気のせいだったのかもしれない。今回は終始、槍ヶ岳とそれに集まる山々を見ながら歩けたのでとても気持ちよく感じた。この稜線は迫りくる大天井岳の巨大さが印象的だ。「これを見て大天井岳巻くなんてありえへんやろ」と周囲にぐるりとつけられた巻道でせいで、「大天井岳は常念山脈の最高峰なのに少々気の毒な山(登頂せずにスルーされてしまう)」という説明にあまり納得がいかなかった。また、振り返るとすっかり雲がとれた燕岳への稜線が美しい。燕岳が人気なのは、その白い山肌のせいなのか。またこの稜線は北鎌尾根がよく見える。「あれを明日登るんか…」と2人で少し恐怖する。しかし、まだ危険さのかけらもない気持ちのいい稜線を山話をしながら歩き続ける。途中からは、喜作新道を切り開いた小林喜作の喜作レリーフを探しながら歩く。探すも何も歩いていればそのまま出てくるのだが、この稜線で唯一の危険個所の「切通岩」の向かいの岩に埋め込まれていると記憶していて、その岩を待ちわびながら歩いて行く。巻くはずもないのだが、少し手前から岩を巻くように道が付けられていれば、念のため岩を直登し、「あっ、これちゃうな…」と重荷(25圈砲里覆にゃんには中々に堪えるルート取りをしてしまい申し訳なく思う。ちなみに僕は40Lザックに無理やり押し込んできたので、恐らくこの手の行程にしてはかなり軽いはずだった。せいぜい15圓。途中見晴らしのいい岩峰があったので、休憩がてらザックをデポし登ってみた。前方の槍ヶ岳、右手の鷲羽岳、後方の燕岳から歩いてきた稜線が本当に気持ちいい。その後ろの稜線をとぼとぼ歩いているソロ登山が見えた。「牛歩やな…」。あまりに気持ちのいい場所で、かなり長い時間そこに2人で立っていた。すると、「あー!やっとお二人に追い付いた。よかった😂」と先ほどの牛歩君が笑顔でこちらに登って来た。もうそろそろ行こうかなと思っていたが、何が良かったのかな?…と不思議に思っていると、「写真撮ってもらえますか?」「あー!そういうことね。いいですよ!」「ありがとうございます。お二人の写真も撮らせていただきますので!」。見た目はすっとしていてかっこいいが、少しとぼけた感じの面白い人だった。しばらく談笑し、先を行く。結局喜作レリーフはまさにその大天井岳につけられた巻道の分岐点の直前にあった。その前にある少し危険な切通岩も、巻かずに乗り上げ、少し岩の側面をトラバースし、階段を降りる。 分岐を表銀座ルートと分け、左に曲がり大天荘への最後のトラバースを登って行く。ここの登りが少しキツい。「大天荘まで500m」の道標が出てきて100mずつカウントダウンを始める。この道標が「まだ?」を増幅させる。牛歩で100mずつカウントダウンしていき、やっと大天荘に到着した。時刻は午後2時だった。結局燕山荘から2時間半しかかかっていなかった。さほど疲れてもおらず、なおにゃんの見通し通りだった。2か月前の記憶でも当てにならないのか、あるいはサイコーの天気に支えられたのか。少し恐れていたテント場の混み具合は、やはり天気のおかげで驚くほどガラガラだった。前回来た時は張る場所を探さないといけなかったのとは対照的だ。槍ヶ岳が見える角度まで左の方に進んで行き、よさげな隣り合ったスペースを確保した。受付をする前に先にテントを張ろうと僕が言い、張り終わってから受付まで歩いて行った。受付する前に「ランチやってますか?」と聞くと、ショッキングなことに、「もう終わってます」「え??何時に終わったんですか?」と聞くと、「1時45分です」という。なるほど…。まあ、大天荘に着いたのがもう2時だったので諦めはつくが、もう少し燕岳で巻いておくべきだったようだ。テントの受付を済ませ、早速生ビール(1000円)を注文した。受付前のテーブルに座り、コーラとビールで乾杯する。なおにゃんは酒を飲まない。ゆる登山とはいえそれなりに歩いてきたので、やはりビールがうまい。明日の北鎌尾根チャレンジのことを思うと不安もあったが、風もなく心地いい青空の下、今日一日を無事にやり切った喜びにとりあえず浸った。 少し手持ち無沙汰になってきた。なおにゃんが「山頂行きます?」と言うので、「せやな、まあ後で黄昏時にも行きたいけど、近いし行くか!」と頂上を目指す。前回はYAMAPを一時停止してしまっていたので、大天井岳を踏んでいないことになっていた。今回はしっかり活動中になっていることを確認する。大天荘は大天井岳に気軽に何度でも登れる近さがいい。山頂にはアーベンに向けてか撮影の準備をしている登山者がいたが、やはり閑散としていた。雲が多いものの、槍ヶ岳がその雲の上にしっかりその山体を見せる。その横には奥穂高から前穂高への吊尾根の曲線が美しい。この角度からでは北尾根の峰々ははっきりしないようだ。奥穂の右にはジャンも小さく姿を見せる。なおにゃんがその登山者と話している間、しばし自分の世界に浸り山頂を楽しむ。 山頂から降りて来て、どこで夕食を食べるか悩んだが、まだテーブルが空いていたので、そこで食べることにした。僕のテント(ステラリッジ2型)は短辺に入り口があり、なおにゃんのファイントラックカミナドーム2は長辺に入り口があるので、テントでは一緒に飯が食いにくい。少し面倒だが、必要な食材とバーナーをテーブルまで運んだ。僕は受付の売店で今度は缶ビールを買ってきた。明日があるので、今日はこれが最後のビールだ。なおにゃんから棒ラーメンを半分もらい、僕はフライパンでウインナーとコンビーフを炒めた。せっかく持ってきたので、フォールディングトースターも広げ食パンをトーストする。少し風があり寒いからなのか、かなりガスの火力を上げても食パンに焦げ目がつかなかった。カリッとはしたので、コンビーフを挟んで2人で食べる。ともに40代のおっさんだが、こんなことをしていると20代に戻ったかのような気分になった。 一番大好きな夕暮れ時の時間が迫った頃、なおにゃんが、「猿や!」と猿が常念岳側の岩山にいるのを見つけた。確かに猿が何匹かいるのが見える。「おいおい、ここ標高3000メートルやで。あいつら高度順応終わっとるんか…」と、初めてこんな標高で見た猿に驚く。「ちょっと食べ物気を付けなあかんなぁ」。山頂に行くのも億劫になり、テント場周辺を歩き回り、アーベントロートの景色を眺める。北側は猛烈な雲海の上にビーナスベルトが広がり、その雲海から、立山、劔、鹿島槍ヶ岳が頭をちょこっと覗かせている。さっき猿がいた辺りの岩山の方へ歩いて行くと、槍ヶ岳とそれに続く北鎌尾根の奥に日が沈みつつあり、空がオレンジ色に燃え上がっていた。「明日も天気が良さそうだ、少なくとも…」と北鎌尾根と槍ヶ岳をしばらく見つめ、テントに戻った。 4.限界突破、北鎌尾根で槍ヶ岳 【大天荘から貧乏沢下降点】 「明日は3時起きで、5時スタートで行こう」との約束通り、3時に目を覚ました。全く同じタイミングでなおにゃんのテントにも明かりが灯った。レインフライのファスナーを上から開けて顔を出すと、満点の星空が広がっていた。「久々にこれ見たな…」。携帯では撮影不能の星空を目に焼きつける。夜は風が強くかなりテントが揺すられたので、あまりぐっすりとは寝れなかった。5個入りのミニチョコクロワッサンをゆっくり全部平らげる。少し入り口のファスナーをメッシュにし、ウルトラバーナーでお湯を沸かした。甘いコーヒーを淹れ体を温める。外はかなり寒く、1度くらいまで下がっていたようだ。食事を終え、テント内の片付けをあらかた終えると、テントの外に出た。「星空スゴイね」となおにゃんのテントに声を掛ける。「そうですね!」と彼もテントから出て来た。アルパインダウンパーカを着てはいるものの、あまりの寒さに体が震える。撤収時用に手袋を持ってくるべきだったと後悔した。さすがに最近テントをよく使っている効果か、想定していた5時よりも30分ほど早い4時半頃には大体スタートの準備が整った。トイレも無事に済ませ、小屋の受付に置いてある箱にテント札を返却しに行く。その時に、昨日岩峰の上で写真を撮ってくださいと言ってきた彼が僕らに声を掛けて来た。槍ヶ岳方面行きたいようだが、道が分からないらしい。「のっけが分からない俺と同じ種族か…」と同情する。その点なおにゃんは問題ないらしく、「そこに大きく道標出てますよ」と言いながら、それでも不安そうにしている彼を見て、「僕らも同じ方向なんで、途中まで一緒に行きますか?」とナイスガイぶりを発揮する。それを聞いて「お願いできますか?」と彼は心底安心したようだった。 確かに、ものすごく目出つ道標の所まで行くと、しっかり槍ヶ岳方面と矢印で方向が指し示されていた。その方向に3人で下って行く。すぐに道が間違えようもなくはっきりするので、その彼も「ありがとうございました。これで大丈夫そうです。僕は遅いので、どうぞ先に行ってください」と僕らに声を掛けた。この大天井ヒュッテまでの道は、暗い中を歩いているせいか、そこそこの下りで少し危ない気がした。ほどなく眼下に大天井ヒュッテが視界に入って来た。少し前から気になっていたが、目の間に何やらでかい山がある。ヒュッテの前まで下りると道標があり、その山の方向には牛首展望台と書かれていた。時刻はちょうど午前5時頃だった。北鎌尾根に入る初めの第一歩は貧乏沢のコル(貧乏沢下降点、2549)だ。そこを行く時にしっかり明るいように、ヒュッテで休憩しながら時間調整しようと言っていた。15分ほど休憩し、かなり空も白んで来たので、貧乏沢のコルに向けて大天井ヒュッテをスタートした。樹林帯の細い喜作新道を行く。樹林帯とはいうものの、前に赤岩岳なのか西岳なのかは不明だが、きれいなピーキーな山が見える。少し歩くとその後ろになぜか普段より白っぽく見える槍ヶ岳も見え始めた。10分ごとのヤマレコ自動読み上げが、標高2549にかなり近づいてきたので、右に注意しながら歩いて行く。すると、木の枝に白いロープがかかっている所を発見した。踏み跡があり、少し藪漕ぎ目にそこを上に上がれるようになっている。ここに違いないが、先になおにゃんがそこを上がり、様子を見に行く。「マサさん、ここですね。ただ、ちょっといきなり藪漕ぎっぽい雰囲気です」「なに??」。前回の笠ヶ岳山行で経験した猛烈藪漕ぎから、若干藪漕ぎ恐怖症の僕は一瞬躊躇する。しかし、それがバリエーションルートというものなので、観念し、いったんザックを下ろし、ヘルメットを装着した。少し先に進んだなおにゃんが、「マサさん、これストック多分邪魔になるからしまった方がいいですね!」と言うも、まだ先を見ていないので、ストックをしまわずに藪漕ぎ気味に、さっきまでなおにゃんが立っていた貧乏沢の下降点に立った。上から下を見下ろすと、確かに踏み跡はしっかりあるものの、木が出っ張っていてかなり荒れている。確かにストックは邪魔なようだ。少し下のあまり広いとは言えないが比較的スペースのある傾斜地でザックを下ろし、ストックを3分割しザックのサイドポケットに入れ、サイドベルトでしっかり固定した。 【貧乏沢下降点から貧乏沢出合】 序盤はそうは言ってもかなり明瞭な踏み跡があり、それほど難しくはなかった。ここにも猿がいて、キーキー鳴きながら、上の方で木を揺さぶっているのが見えた。あまり気味のいい鳴き声ではなかった。かなり鬱蒼とした貧乏沢の下りだったが、眺望がいい所も多く、突入してすぐに前方にモルゲンロートに照らされピンク色に染まった双六岳から鷲羽・水晶岳の稜線を拝むことができた。今日は大天井岳からのモルゲンを泣く泣く諦めただけに、ありがたかった。しばらく行くと沢に合流する。「貧乏」という名前の由来は、もしかしたら水量が少ないことから来ているのかもしれない。序盤は岩々の涸沢を浮石に注意しながら降りていく。ウメさんは、この貧乏沢の下りを核心の一つと言っていたが、僕らもここでかなり精神をすり減らし、かつ僕は何度か激しくこけてしまう。幸い、こけ方が激しかった割には、受け身がよかったのか行動に支障がでるダメージは受けなかった。この後は、沢筋を降りたり、途中左の樹林帯に良さそうな踏み跡を見つけると、そこにエスケープしたりを繰り返しながら、必死に下りていく。最後はかなり長い間樹林帯にとどまり、方向を大枠で合わせつつ、うっすらとした踏み跡を追跡していった。かなり終盤でその樹林帯に、手を掛けやすいように、所々コブが作られた緑のフィックストロープが現れた。それを使って、ちょっとした崖を降りる。後は水量を増した貧乏沢に沿って歩き、午前8時を少し回った頃、貧乏沢出合に何とか到着した。2人で「これエグイわ〜」と疲れ果てて苦笑い。まだ北鎌尾根に取付いてもいないのに変な達成感があった。 【貧乏沢出合から北鎌のコル】 ここから、あまり好きではない河原歩きを15分し、目印のケルンがある北鎌沢出合に到着した。ここでザックを下ろし、しばらく休憩する。やっと北鎌尾根の取付に辿り着いた。最初になおにゃんが提案してきたルートは、上高地から水俣乗越を下って、北鎌沢出合だった。ルートを地図で見て、「なんかこれ無理やりちゃう?」と、不自然なルート取りがあまり好きになれず、中房発、貧乏沢下降を提案したは自分だった。何とか貧乏沢を無事に下降できたからよかったが、純粋な岩登りを楽しみたいのであれば、あまり貧乏沢下降は必要ないのかもしれない。初日に絶景歩きを楽しめたので良しとしよう。 15分ほど休憩した後、北鎌のコルを目指し再スタートした。この登りは、ある意味恵みの登りだった。確かに一歩がでかく体力は使うが、2人とも好きなタイプの登りで、あまりストレスなくすんなり登って行く。ルートもあまり迷うところはなく、クライマーズホイホイにも、コルへのカーブをよく見れば不自然な方向だったので、引っ掛からなかった。最終盤、少し分かりにくいが巻かずに直登しないといけない個所がある。なおにゃんは先に巻いてしまっていたが、僕は不自然だと思ったので、なおにゃんに「これ、直登の可能性あるからオレこっち行くよ!」と大きく声を掛ける。「わかりました!」となおにゃんから返事がある。直登すると、うまい具合にステップになっていて気持ちよくどんどん上まで登れそうだった。「なおにゃん!こっちええ道あって、上まで行けそうやで!」と叫んだ時、なおにゃんからも「こっち駄目です!間違えました!」とほぼ同時に返事があった。彼は少し引き返し、トラバースで僕がいるところに合流してきた。そのリカバリーのトラバース道にも何やら踏み跡があったので、よくみんな間違えるのかもしれない。 【北鎌のコルから天狗の腰掛け】 思ったよりすんなり、北鎌のコルに到着した。時刻は11時前だった。貧乏沢出合に着いた時は悲観的になり、北鎌のコルに12時を想定していたが、かなりここで取り返すことができた。北鎌のコルは平らないいテン場になっているが、この日は幕営されたような気配は感じなかった。15分ほど休憩し、独標を目指しスタートする。ウメさんメモによれば、北鎌のコルから独標までは「明瞭な踏み跡があり迷うことはない思う」とある。確かに、のっけに斜めに上がりながらルートに乗るのが少し分かりにくいが、それ以降はしっかりとした踏み跡があった。しかし、かなり急傾斜の登りが続く。「どんなけ登らせんねん…」とかなり体力が消耗する。やはり北鎌尾根をやり切るには、西穂・奥穂の縦走を「余裕で」やり切る体力が必要と言われるが、その通りだろう。 ひたすら踏み跡をトレースするのを続け、「どこが天狗の腰掛けかな?」と思いながら登って行く。巨大な独標が否が応でも視界に入ってくる。天気は相変わらず最高で、頻繁に立ち止まっては休憩がてら山々を眺め、写真に収める。ハイマツの生えた、危なげなやせ尾根を行く。「お!あれかな、腰掛け?」。前方に、真ん中が三日月の様に湾曲した岩が前方に見えた。標高はヤマレコの2749とぴったりに見えた。前に笠ヶ岳が見え、「お!あれ笠ヶ岳ちゃうん?」となおにゃんに話しかけると、彼は結構危なげな崖を降りていて、「今見てる余裕ないです!」。笑いながら、「ごめん、ごめん」。自分もそれに続き崖を降り、その腰掛けらしきポイントに到達した。しかし、そのポイントにはテン場はなかった。もう一度ヤマレコを見ると、「あれ、これ腰掛け越えとんな…」。なおにゃんが、「ってことこはさっきのテン場があったところがそうだったのかな?」「かもな。こっちの方が、腰掛けっぽい形してるけどな…」と、いまいち天狗の腰掛けの場所が分からなかった。今いる場所もテン場はないものの、岩に腰掛けることができるので、「ここで休憩していきます?」と言われ、「せやな」とザックを下ろす。眺望は最高で、南アルプスもよく見えた。「あれ、塩見やん?あっちには白根三山も見えんな!」とまだこの時点では余裕があった。時刻は12時20分頃だった。反対側には、笠ヶ岳から続く長大な尾根が針ノ木岳、蓮華岳までくっきり見えていた。「今日ほんま、さいっこうに見えんな!」と絶好の北鎌日和だった。なおにゃんが、「ゼリー食べます?」と、デカザックに入れた保冷バッグから、アミノバイタルアミノショットを僕に手渡す。「おー、アミノええなぁ」。すっぱくて体の疲れが癒える。こんな感じで定期的になおにゃんは僕にゼリーを供給し、ドーピングしてくれた。 【独標からP13 北鎌尾根の核心】 腰掛けの場所がいまいちわからないまま、独標の巻きに突入していった。この時はあまり意識していなかったが、独標の手前から抜けるまでが、間違いなく北鎌尾根の核心だ。ルートが明瞭な序盤は、かなり痺れるトラバースが続く。重荷を背負っているので、ふらつきに細心の注意が必要だ。側面の壁のとっかかりを必死に探し、足元をよく見て牛歩で渡る。最後は狭いトラバースから、かなりの段差の下りになるので、腰を落とし、出来るだけジャンプしないように、そろりと足を伸ばし、地面に着地する。ジャンプしてふらついたらあの世行きだ。「これ、結構怖いな😓」 次に、右に大きく踏み跡が付いた岩峰の前に来た。モンベルの兄ちゃんに聞いて面白かった北鎌尾根の特徴がある。「北鎌尾根のルートは、毎回三択問題なんです。右か左か直登か」「え?それで正解は一つなんですか?」「そうです。そして正解だった場合のみロープが要りません」「なぬ??」「そしてその三択が永遠に続きます」「…」。そして、正にここでその3択に苦労することになる。右の踏み跡はかなりそそられるが、少しザレがきつ過ぎるように見えた。なおにゃんが持ってきたログはそこを行っているように見えるらしいが、僕は違和感を感じた。かなりの下りになっているので、標高が下がるはずだが、ヤマレコのルートはほぼ同じ等高線についていたからだ。だからといって、左は崖だし、直登はあり得ないクライミングになる。「う〜ん…、分からんなこれ…」。なおにゃんは右に行きたいのか、かなり下りて行ってしまう。僕はザレが恐ろしくて着いて行きたくなかった。多分滑ればあの世行きだ。ヤマレコのルートを見ながら、「なおにゃん、ここどう見てもそんなに標高下げへんぞ?もっと同じ等高線上を水平移動する感じ??」。そこで、かなり下りてしまっていたなおにゃんが、その先を偵察に行くことになった。2人でチャレンジしているなら、偵察を面倒臭がらずに多用することをお勧めする。できればザックを下ろし、空荷で行った方がいい。しかし、なおにゃんはもうザレザレの急斜面にいたので、ザックを下ろす場所はなかった。そのまま25kgのでかザックを背負ったまま、右から左に巻きながら下りていって、僕の視界から消えて行った。しばらく沈黙が流れる。時間帯のせいか、今日は北鎌尾根にチャレンジしているパーティーは僕ら以外には一切おらず、とても静かだった。心配しながら、少しザレを下った安全な草付きで待っていると、「マサさん、これダメです。こっちは行けませーん!」と大きな声でなおにゃんから返事があった。「オッケー!」。なおにゃんはかなり苦労しながら、ザレザレを登り返してきた。かなりやばいザレザレだったらしい。今度は僕の番だ。左は絶対に不正解なので、残された選択肢は直登しかない。「おれ、直登偵察するわ」と、座って休憩するなおにゃんの横にザックを下ろした。全く先が分からないまま、直登を2、3ステップ上がってみる。すると、そこから右にトラバースする踏み跡が続いているのが見えた!おー!こういうパターンあるのね…。振り返り「なおにゃん!こっからトラバースできるわ😃」と道を指し示し、なおにゃんも近くに来て、それを確認し「あー、そこ行けますね?」。無事、後出しじゃんけんで、3択問題をクリアした。 そこをトラバースし、独標の右側を巻いていく。危ないトラバースの連続なので、フィックストロープがポツポツ出てくる。ちょうど巻きの中間くらいにあるフィックストロープの場所から独標山頂に直登出来ると予習済みだった。それをなおにゃんにシェアしていたので、ロープが出てくる度に、「フィックスありました!」と先を行くなおにゃんが叫ぶ。その都度ヤマレコを見て、「もうちょっと先やな!」と返事をする。ちょうど3つ目くらいの一番しっかりしたロープのところで、「これやろ!」となおにゃんが言うので、「あー!それやな?」と、フィックストロープを使い、そこでトラバースを一段上に上げた。ロープがないとすんなり上に上がるのは無理だった。この期に及んで、僕はそこから独標の頂上を踏み、稜線伝いに独標を越えて行く気でいた。しかし、先頭を行くなおにゃんがどんどん先に巻いてい行ってしまう。なおにゃんも独標の山頂を踏む気でいると思っていたので、「なおにゃん!独標山頂行くんやったら、そこ直登やで。そんなに巻いたらアカン?」と叫ぶ。すると、「独標はもういいです?」と返事が返ってきた。さすがのなおにゃんも必死だったんだろう。いつも励ましてくれていたので、まだまだ余裕があると思っていた。「まあ俺も限界近いし、槍ヶ岳登頂を最優先すべしやな」と、巻いていくなおにゃんを追いかける。 ちょうど巻き終わり、稜線に平行になった辺りで、さらに標高を下げていくなおにゃんを見て違和感がした。確か、ここからは基本稜線を出来るだけ死守するべきだったはずだ。立ち止まり、ヤマレコを取り出す。案の定、僕が立ち止まった辺りで、稜線に上がらないといけないようだ。「なおにゃん!そっちちゃうわ、ここから稜線に上がらなあかん??」と声を掛ける。やはり先は行き詰まるようで、「分かりました、戻ります?」と返事が返ってきた。「ちょっと待ってやー。このルンゼみたいなとこ直登やけど…」と自分が立ち止まった筋を見上げる。行けなくもないが、念のため、もう一本手前のルンゼも見に行く。そこは所々草付きがあり、よりイージーそうに見えた。戻ってくるなおにゃんに、「木があって簡単そうやから、こっち直登するわ!」と声をかける。「オッケーです!」。地図を適宜見ながら、方向感と登りやすさを考えながら、稜線へ直登していく。すぐ後ろからなおにゃんも続く。少しザレた所が出てきたので、「ちょっとこここ崩れるかもやから、気ー付けて」と言いながら、何とか稜線に復帰した。 ここから、僕が計画段階で核心と見なしていたP13を迎える。このP13は、できれば手前から稜線に乗り、そのまま稜線をずっとキープという戦略を思い描いていた。そうすると、逆コの字は通らない。逆コの字を通ってしまうと、その後岩壁に身体をぴったり寄せ、切れ切れのトラバースを行くことになるらしい。その写真を誰かのレコで見て、これは避けたいなぁと思っていた。その写真のコメントでも、「本当ならこういう所で確実にロープを出したい」とあった。やはり北鎌尾根はロープを出さないギリギリのバリエーションルートで、ロープ持参者は少ないのだろう。仮に持っていたとしても、安全に使えなければ意味がない。 なおにゃんにその戦略を伝え、引き続き僕が先頭で、標高的に恐らくP13の手前から稜線に上がった。正にP13を乗り越え、一旦コルのような所に降りる。この下りが少し痺れるが、よく見ると、トラバース気味に、岩に薄い階段状のステップがあり無理なく下りられた。まっすぐ下りるとかなり怖いだろう。しかし、目の前にもう一つ奇っ怪な形の巨大な岩が立ちはだかっていた。どうやら、また3択問題が始まったようだ。左にも右にもしっかりした踏み跡がある。序盤は左の方がしっかりで、右の巻き道は猛烈に高度を下げ、かなり先まで続いているのが上から確認できる。ザレザレ度合いは、無理ではないレベルだが、あまり正解とも言い難い。「P13は直登!」と強く思っていたので、「俺、直登の偵察するわ」とザックを下ろした。左の斜面を少しおり、その奇っ怪な岩に登り、真ん中のメインの長方形の岩の向こう側に回り込んだ。行けなくもないが、結構怖い斜面のトラバースだ。手のとっかかりはありそうだが、足元がスラブ状になっていて、いかにも滑りそうだ。滑ったときに、重荷で手だけで体を支えられるかが疑問だった。もちろん滑って落ちるとあの世行きか、よくて大怪我だろう。「ちょっと、これは難しいな。左は絶対に無理やし…。この岩を回り込むのもちょっと危険過ぎるな」と、なおにゃんに伝える。「これは悩ましいが、右しかないんちゃうかな?」と僕が言うと、「じゃあ僕が右を見てきますよ」と、ザックを背負ったまま行こうとするので、「ザック置いて行きーな」と声をかける。すると、彼は結構右の自信があったのか、「でも、あってた場合、戻ってくるのが嫌なんで」と、そのまま、ザレた急坂を下りていった。かなり下りていき、上からは見えない斜面の前に立ち、しばらく前方を見つめていた彼は、「マサさん、行けそうです?」と大きな声で叫んだ。「行けるか、了解!」。あまり高度を下げたくないが仕方ない。ザックを背負い右の巻きを下りていく。さっきなおにゃんが立ち止まって場所に来て下を見下ろす。その下でなおにゃんが待ってくれているが、中々の下りだった。薄いが階段状の窪みがある。慎重に腰を落としながら、体を斜めにし、その薄い窪みを使って何とか下りきった。 【核心を終え、北鎌平へ】 ここからまた稜線に向けて登り返す。核心は終わったようだ。前方を見上げると、北鎌平とおぼしき平地までまだまだ登りが続いていた。独標を巻き終わる頃から、どデカイ槍ヶ岳が視界に入り出した。今まではあまり意識したことのない、孫槍がくっきり目立つ。これは北鎌尾根からしかハッキリ見えないのだろうか?子槍の大きさも印象的だった。目新しい景色に少し疲れが紛れるも、みんなが言うようには特別元気にはならなかった。時刻は午後3時を回っていた。北鎌のコルに順調に着いた時には、「3時くらいには槍ヶ岳登頂して、槍ヶ岳山荘で軽食えそうやな!」と笑っていたが、もう既にその3時を越えてしまった。なおにゃんは途中から「北鎌平4時半かな…。5時だっていいですよ。最悪槍ヶ岳登頂後、ヘッデン下山もありです」と冷静に途中から言い始めていた。ペースが遅くなった僕の体力を考慮し、この辺りでまた前後を交代する。牛歩で幾重にも続くように見える岩峰を乗り越えていく。「北鎌平でビバークになってしまうかも…」と心の中で少し恐怖し始めていた。 取り敢えず、僕のゆっくりペースで登り続けた。何とか想定通り、4時半頃北鎌平に到着した。やれやれと、ザックを下ろし休憩する。僕は、辛い山行ではいつもビクトリーロードに差し掛かると、気持ちが高ぶってしまう。大体目頭が熱くなり、泣きながらの登頂だ。しかし、なおにゃんは今まで、ジャンダルムに初めて登頂した時でも一切泣いたことがないという。そんな彼が、北鎌平で休憩している時、突然「ヤバいマサさん、なんか俺、気持ちが高ぶってきた」と言い始め、「オレ泣きそうになってきた…」と感動し始めた。「そりゃそうだよ、こんな辛いんだもん。登頂したら、なおにゃんも絶対泣くって俺言ったよな…。ちょっとまだ早いけどな😃」 【北鎌平からチムニーを越え、山頂】 北鎌平を越え、ますます槍が迫ってきた。もう後戻りはできないし、ビバークスペースもない。正に背水の陣だ。この頃からなおにゃんは自分で「クライマーズハイ」と言っていたが、ノリノリになってくる。僕は相変わらずのヨチヨチペースで先頭を歩いていく。基本、もうそれほど難しい場所はなく、前に見える槍に向かって素直に登っていくだけだ。山頂直下に行ったら休憩しようと言いながら登っていたが、丁度ちょっとした平たい広めのスペースに来た時に、GoProが止まっているのに気が付いた。「しまった!!」と叫ぶと、後ろのなおにゃんがびっくりして、「どうしました??道間違えましたか?」「いや、ゴメン、SDカードがいっぱいになってGoPro止まってた…」とかなり人騒がせなおっさんになってしまう。新しいSDカードに入れ替えつつ、そこでしばし休憩する。時刻は5時20分くらいだった。 休憩を終え、引き続き山頂直下を登っていく。道はかなり明瞭になっていて、あまり迷いようもないが、満身創痍な体には中々に堪える。後ろからなおにゃんが「ガンバ!行ける行ける??」と僕を鼓舞してくれる。赤茶けたレリーフのようなものが視界に入り、「ヨッシャーい、レリーフ来たで!」と軽く吠えた。ヤマレコの自動読み上げ機能が、「現在の時刻は17時19分、標高は3159メートル」と告げる。「後、20メートルくらいやから、もうチムニー来るで!!」となおにゃんに声を掛ける。そのまま少し行くと、ちょっと岩が安定していなさそうな気配の登りになった。「あ、ここちょっと、ごめん、ザレてる。ちょっと待ってや」と後ろのなおにゃんに声を掛ける。「はい、こっちから上がります」と、なおにゃんは少し僕の後ろから場所をずらした。両手をがっちり岩に掛け、左足を少し怪しげな岩に掛け体を引き上げた瞬間だった。その岩が、山肌からグラっと引き剥がされ、「ドサッ」っと落石した!「おー!おー!」。物凄い勢いで北鎌平に向けて落石していく。瞬間的に岩にしがみつきながら、必死に「ラーク、ラーク」と絶叫した。誰もいないだろうが、そのかなり大きな岩がどこまでも落ちていく様を見て、心底恐怖した。「よかったマサさんじゃなくて!」となおにゃんもびっくりのようだ。しばらく緊張で息遣いが荒くなる。「めちゃ、ビビった…、なんかやばかったのよ、あの石…」。最後の最後でやってしまったが、幸いケガはなかった。 「ちょっと気持ち落ち着けよう…」と、安全な場所まで移動し、しばし小休止。時刻は午後5時半前だった。二人で地図を出し、ここからの道筋を確認する。「こっから、左に巻いていく感じやな」。そのタイミングで、「ここまで来たら、なおにゃん先行ったら?北鎌尾根発案者?チムニーを最初に登ろう」「じゃあ、お言葉に甘えて」と先頭を交代した。少し間隔をあけて彼の後を追いかける。2人で確認して右から左に巻く感じと進んでい行ったのに、早々に先がなくなってしまう。「ちょっとこの先行けそうもないですね…」「マジで?じゃあ、ちょっと戻って左行く?」。少し来た道を引き返し、大岩の右手に回り込んだ。先に行ったなおにゃんが、「ここから行けそうですね!」「行ける?よっしゃー!」となんでも吠える。僕もクライマーズハイになってきていた。しばらく行くと最後の関門のチムニーが現れた。「それが正にチムニーちゃうの?」「そうですね」。なおにゃんは体を中にもぐりこませ、膝で岩を押すように登ろうとする。正に、三つ峠山でのクライミング講習で教わった登り方だった。「そうそう、そういう感じで登んねん、手で突っ張って」と声を掛けながら、下から見守る。少し苦労しながらも、なおにゃんは登り切った。次は僕の番だ。チムニーに体を入れ、岩に手を掛ける。「これ、確かに登りづらいな…」。岩に足を掛けた。クライミング講習の時は、こういうシチュエーションで更に手のとっかかりがなかったが、ここは上に手を伸ばすと、どこを触っても、しっかりとしたとっかかりが見つかり、何とか体を腕で引き上げ、チムニーを登り切る。前を行くなおにゃんが、「マサさん、山頂見えた!」と僕に声を掛ける。「よっしゃー!!(半泣き)」。感極まって泣きそうになった時、「ラク、ラーク〜!」と山頂にいた登山者から声がかかる。ビビりながら体を前の岩にピッタリ寄せる。なおにゃんが最後の所で落石させたようだ。幸い途中で止まったようで、「OKOK、大丈夫大丈夫」とまた声を掛けてもらう。僕からも山頂の登山者がこちらを見守ってくれているのが見えてきた。「感動するにはまだ早いな。そっから危険ってこと?」。落石した岩の場所を教えてもらい、それを避けながら登る。「ゆっくり行くわ、最後やから…」「泣くよ〜!大泣きするよ〜!」と言いながら登って行く。最後の岩に手をかけ、遂に祠の横手から山頂に体を乗り上げた。「よっしゃー??あー!やっと来たー!!(大泣き)、来たよ!!!」。みんなに拍手で迎えられる。祠の前でなおにゃんと抱き合った。2人で「やったー!めっちゃ嬉しい!」と感極まる。時刻は5時40分になろうとしていた。目の前には夕焼け空の巨大な雲海が広がり、笠ヶ岳がそこから頭を少し出す。祠の前で山頂にいた登山者の方に写真を撮ってもらった。僕らのあまりのはしゃぎように、みんな笑顔になってくれた。と、その時、なおにゃんが堰を切ったよう泣き崩れる。座り込み、声をあげての男泣きだった。お株を奪われた僕は、「さすがになおにゃんも泣くやろう?言うたやん…」と、俺より山頂で泣くやつ初めて見たな…としみじみと喜びを噛みしめる。「登山やってて、初めて泣いた!」と泣くなおにゃんに、「これは嬉しいよ〜、しかしよう間に合ったな!」「間に合った!」「実はさぁ、オレ、一瞬ビバークかな?って恐れてたんだよ…」。雲海に沈む夕焼けと、360度に広がるアルプスの山々を見つめながら、2人占めの槍ヶ岳の山頂で今までにない達成感を感じていた。 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予約できる山小屋 |
槍平小屋
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写真
感想
貧乏沢の下りは、予想通りかなり大変で、北鎌沢出合いから北鎌のコルまではかなり順調だった。そこから、天狗の腰掛け辺りまでは、体力があれば特に問題ないが、独標の巻きに入ってから、一気にルーファイ能力を試される。P13を越えるとそれも落ち着くも、北鎌平までが、消耗しきった体力・精神力の状態ではかなり堪えた。北鎌平を越えると、もう後戻りはできないので、山頂を意地でも目指すのみだ。特にルーファイの難しい所はないが、浮き石には気を付けたほうがいい。チムニーは最初難しく感じるも、手を伸ばせばとっかかりは豊富にあるので、成人男性なら問題ないだろう。そこから山頂は感動を爆発させながら一気に登ろう!
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この記録に関連する登山ルート
無雪期ピークハント/縦走
槍・穂高・乗鞍 [5日]
中房温泉から上高地まで表銀座ルート縦走 燕岳(合戦尾根) 大天井岳(表銀座) 西岳(喜作新道) 槍ヶ岳(東鎌尾根)
利用交通機関:
電車・バス、 タクシー
技術レベル
3/5
体力レベル
5/5
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