お接待に背押され結願❗️四国お遍路通し歩き+三本杭、篠山etc
- GPS
- 1600:00
- 距離
- 1,221km
- 登り
- 22,516m
- 下り
- 22,547m
コースタイム
- 山行
- 8:00
- 休憩
- 3:00
- 合計
- 11:00
- 山行
- 9:30
- 休憩
- 1:05
- 合計
- 10:35
- 山行
- 10:55
- 休憩
- 1:35
- 合計
- 12:30
- 山行
- 10:55
- 休憩
- 1:35
- 合計
- 12:30
- 山行
- 9:00
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 9:55
- 山行
- 10:15
- 休憩
- 0:35
- 合計
- 10:50
- 山行
- 10:05
- 休憩
- 0:40
- 合計
- 10:45
- 山行
- 11:05
- 休憩
- 0:35
- 合計
- 11:40
- 山行
- 9:05
- 休憩
- 0:20
- 合計
- 9:25
- 山行
- 8:55
- 休憩
- 1:35
- 合計
- 10:30
- 山行
- 10:10
- 休憩
- 1:20
- 合計
- 11:30
- 山行
- 11:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 11:30
- 山行
- 10:45
- 休憩
- 0:40
- 合計
- 11:25
- 山行
- 11:20
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 11:20
- 山行
- 10:30
- 休憩
- 1:30
- 合計
- 12:00
- 山行
- 10:05
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 11:00
- 山行
- 11:40
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 12:30
- 山行
- 12:05
- 休憩
- 0:25
- 合計
- 12:30
- 山行
- 10:00
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 10:55
- 山行
- 12:35
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 13:05
- 山行
- 4:55
- 休憩
- 0:20
- 合計
- 5:15
- 山行
- 10:50
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 11:45
- 山行
- 9:50
- 休憩
- 2:15
- 合計
- 12:05
- 山行
- 12:05
- 休憩
- 0:45
- 合計
- 12:50
- 山行
- 10:00
- 休憩
- 1:45
- 合計
- 11:45
- 山行
- 10:15
- 休憩
- 3:30
- 合計
- 13:45
- 山行
- 10:40
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 11:30
- 山行
- 10:20
- 休憩
- 1:00
- 合計
- 11:20
- 山行
- 9:40
- 休憩
- 2:10
- 合計
- 11:50
- 山行
- 7:50
- 休憩
- 2:00
- 合計
- 9:50
- 山行
- 8:40
- 休憩
- 1:55
- 合計
- 10:35
- 山行
- 8:30
- 休憩
- 1:15
- 合計
- 9:45
- 山行
- 9:00
- 休憩
- 1:30
- 合計
- 10:30
過去天気図(気象庁) | 2022年10月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
一生に一度はやってみたいと思っていた四国88ヶ所歩き遍路。だが勤め人がやろうとすると仕事を辞めなければならない。さすがにその勇気がなくズルズルと延びていた。しかし第二の定年となり、年齢、体力気力からこれがラストチャンスと決行した。
結果33日で結願!何か悟りのようなものを期待していたが、88ヶ所めぐったという事実のみ。特段の感動も感慨もなかった。88番奥の院にあったノートにも同じことが書かれていた。何でだろう?そもそも期待したことが間違っていた…。
1、出発前
知多お遍路で練習し準備したが、何せ一ヶ月以上の長丁場。どう準備していいやらわからない。一応事前準備に有効なのが「へんろみち保存協力会」が出版している本だ。因みに地図編は歩き遍路さんはほぼ全員持っていた。
・練習 知多お遍路は無駄ではなかった。基本的には四国遍路も同じであった。
・遍路用品 知多と同じ。ただ納経帳は四国用がある。金剛杖とお鈴は一目でお遍路さんと分かるので購入し使った。御朱印用白衣、輪袈裟、数珠などで約2kg
・服装 笠はザックに引っ掛かる、白衣は汚れるので未購入。速乾性の登山用で歩いた。
・靴 ウオーキングシューズを選択。9割以上がアスファルトだから。靴ひもをしっかり結んで簡単に脱げないように固定すればマメはできないと分かった。靴下は5本指がいいと思った。
・持ち物 へんろ用品含むと13kg位。軽い方がいいに決まっているが、テント泊ではこれが限界だった。不要なものはポット。ガスコンロはなくてもいいが、あった方が安心かつ便利。非常食は里歩きなのでなくてもいい。ザックだけで2.5kgあり、減量があほらしくなった。
・地図 協力会本のみ。へんろ道のシールがあちこちに張られている。見落として迷うこともしばしば。街中は張ってないのでヤマレコのGPSを活用した。
この本の地図は右から左に歩くようになっているので、方角がメチャクチャ。一旦迷うとどっちの方角に行っていいか全くわからない。
もう一つ難点は縮尺が2.5万~5万で距離感が混乱する。
・コースタイム 本には距離しか記載されていない。平地だけならいいが、坂道、山道もあるので自分なりのCTを作らないと真っ暗になっても目的地に着かない。13kgの荷物で歩いて1時間で約3.5km。時速4kmだと20kmでは5時間だが、休憩は別で6時間で計算した。山道はこれまでの経験からアバウトに計算。午後になると疲れから速度が落ちる。
必要日数を計算するために日程表をメモしに書いた。結果36日で1番に戻れるとなった。いい加減なシュミレーションだが、結構これが役立った。何んとなくの目安になった。
2、遍路で分かったこと
・菅笠 あった方が小雨も気にならず便利。
・靴 アスファルト歩きでは快適。山道では足裏が痛いし、滑る。擦り減って最後まで持つか心配だった。靴下は替えるとマメができそうで怖かったので交換しなかったら水虫になった。以降毎日洗って交換したら治った。
・服 靴下のこともあったので、2日を目途にトイレなどで洗濯し、ザックに括り付けて干し交換した。だがいい加減なので汗臭さは残った。山シャツは半日で乾いた。清潔を保つのは大変。
・風呂 天泊地に温泉があればいいが、そんなことは滅多にない。途中で入浴したら歩く気持ちがなくなるので、どうしても少なくなった。髪と足だけはほぼ毎日洗った。身体は濡れタオルで拭いた。
・民宿 天泊野宿計画なので1週間に一度泊まることにした。携帯の充電、服の洗濯、入浴の必要から。県民割は場末の民宿ではやってなかった。
・食事 基本CV弁当。なるべくCVがある町で泊まるようにした。夜も朝もCVで食べ、ごみを持ち歩かなくてもいいようにした。7は香川、徳島の一部のみ後はL、Fで弁当は食べ飽きた。栄養は偏る。野菜や魚が食べたくなる。カロリーが足りないのでこってりした中華が食べたくなる。数十kmCVがない区間もあるので食料調達計画は抜かりなく。ひもじい思いをする。
・携帯 モバイルバッテリーで対応。なるべく電池を使わないようにした。ネットの調べもの、GPSも必要最小限度。CVでこまめに充電
・テン泊地 雨夜露がかからない所
道の駅 まず立ち退きを求められない。勿論営業中はNG!晩御飯を済ませ、閉店の18時を待って張った。ただ幹線道路沿いが多いので夜中もうるさく寝られない所もある。
鉄道の駅 駅舎の中では張れないので、自転車置場がいい。ただ雨が流れ込むところがあるので地面の傾斜を観察すること。
公共施設 公民館の軒先などが個人的には好きだ。交番の隣だったこともあったが何ら問題なし、却って安全だった?
公園の東屋 風当たりが心配で好きではないが…。真夜中でも人、車の出入りがあり煩わしい。
※基本的にはお遍路さんには寛容だ。だからと言って迷惑をかけてはいけない。日没後にテントを張り、日の出前には出発した。
3、行程
⓪10/23(日)晴
自宅午後発、名古屋から高速バスを乗り継ぎ、鳴門西BSで下車。道の駅で天泊。天気不安定で夜中に雨
10/24(月)晴夜雷雨
1番札所では全ての遍路用品が揃う。お参りの仕方なども教えてくれる。ただ遍路をしようとする者は最低限は調べて臨むことが必要と思った。その方が最初からスムーズに始められる。
健脚でも9番までとのことであったが、翌日山を越えてしまいたいので9番までは行きたかった。午後になると10番まで行けそうな感じなのでダメ元で頑張ったところ何とか滑り込めた。
遍路小屋は先客がいてテントが張れなく野宿、夜中に雷雨が降込み難儀した。
10/25(火)曇のち雨
12番へは遍路転がしの難所だが、登山経験者であればハイキングコース。ただ3回アップダウンがあり、体力的にはきつい。
焼山寺だけ御朱印代が値上されていた。諸物価高騰とは言え5割以上の値上げはいかがなものか?
玉ヶ峠で雨が大降りとなり、時間的に早いが本日ここまでとした。
10/26(水)晴
前日早めに切り上げたので、早朝出発した。泊まる予定であった神山遍路小屋は天泊は不可。16番で迷った。町中の案内シールが少ない。
今夜は友人宅泊なので宿泊地の不安はない。歩けるところまで歩けるが、甘い予想で小松島到着は真っ暗であった。
10/27(木)晴時々曇
歓待してもらい疲れが取れた。有難い最初のお接待であった。
今日はふた山超えたいので、とにかく歩いた。山屋としては四国百名山は外せないので日没覚悟でふだらく山に登った。この日も天泊地に着いたのは真っ暗だった。後で分かったが、山道が入ると疲れない。アスファルト歩きだと股関節が固くなり、大腿部が変に痛くなる。
テントを張る時、ポールを破損させてしまった。リタイヤの危機だったが、やさしく使うよう心掛けた。途中で補修し結願まで使えた。10年以上使っているので仕方ない。
10/28(金)晴
23番薬王寺で納経帳など遍路用品一式を納経所に忘れた。1km程行ったところで偶然気付き、30分のロス。それよりも気持ちが落ち込んだ。忘れものでは金剛杖もよく忘れた。
10/29(土)晴、風強し
23番から24番までは75kmと長い。この日は札所もなくひたすら歩くのみ。翌日CVがある所まで行くため、行けるところまで歩いて泊まろうと考えた。天泊地のあてはないが、幸い東屋のある休憩地があり泊まった。
岬が見え、遅々として近づかないのは辛い。
10/30(日)晴
天泊地は石が突き出た粗いアスファルトで寝づらく熟睡できなかった。そのため6~7割ほどしか疲れが回復していない感じで、歩き始めから腰や股関節などが痛かった。思い返すと一番辛い区間だった。
途中で逆打ちの野宿遍路さんに会った。荷物は15kg位と重く、1日30km歩くのが精一杯とのことで、同感であった。
昨日頑張って歩いた甲斐あり、25番を打ち終え室戸市役所の自転車置場で泊まれた。CV、SMも近く静かで絶好の天泊地であつた。
10/31(月)快晴
26番からの下りは迷いやすい。27番へは荷物を置いてピストンした。
道の駅大山は静かでいい。明日は雨予報、大雨なら休養日だが、雨次第で決めることにした。
11/1(火)雨
起きた時は降ってなく、これなら行くしかない。だが出発時には小雨。しばらくすると本降り。風はないので黙々と歩いた。身体のあちこちが痛い。苦しい歩きとなった。途中柿の木の柿取り放題のお接待があり2つ頂いた。
服を乾かすためにも民宿泊りとした。宿は28番下にあった。6日ぶりに布団で寝たら、もうシュラフ泊が嫌になった。
11/2(水)快晴
しっかり栄養を付けて出発した。やはり晴れた日に歩くのはいい。高知市内はシールが少なく迷いやすい。かつ車が多いので事故に注意。31番から宿毛まで88歳のじっちゃんと相前後しながら歩くことになった。
種崎公園で日没になり泊まった。痒いので目を覚ますと蚊が何匹も侵入していた。どうもベンチレーターから入ったようである。油断した。お陰で寝不足!
11/3(木)快晴
始発の渡船で渡った。客は3人。
なるべく重荷を持って歩きたくないのでデポし、35番をピストンした。結構きつい登りだった。
CV近くで泊まりたかったが、適地が見つからず宇佐大橋下の公園Pに泊まった。波の音が気になったが、WCが近く車も少なく、適地。
11/4(金)快晴
36番から37番は58kmで、今日は札所なし。ひたすら歩くのみと、辛い一日になった。
日の出前から歩き、日没まで歩くと、今日一日何をやったのかと虚しくなった。
宿は役場近くの自転車置場、熟睡出来た。
11/5(土)快晴
七子峠越えはどの道にしようかと前日役場担当者に尋ねたところ皆さん国道を歩くとのこと。それでは…とそえずみ道を歩くことにした。
だが高速を潜ってから道が悪くなり、とても初心者では歩けない道であった。倒木、落枝、雨による石ゴロで山地図なら赤破線レベルだった。これを遍路道と案内しているおかしい、もっと整備すべきと思った。
道の駅なぶらでは閉店に間に合い美味しいカツオたたき丼が食べられた。泊地としては国道の騒音で熟睡できず、適地ではなかった。
11/6(日)快晴
37番から足摺岬の38番は、80kmで遍路最長区間だ。この日も札所なし。天泊地は下ノ加江の公民館にした。CVに近く、静かでとても良い所だった。
11/7(月)小雨のち晴
今日は38番を打ち戻りで40km。そこで早朝に泊予定の民宿に荷物を預け、ピストンする事にした。ここで88歳のじっちゃんに再会した。コースが同じだと考えることも同じ❓奇しくも宿も同じだった。
最難関の38番を打ち終え、時間的にも余裕があったので灯台などに立ち寄った。途中、忘れた金剛杖を回収して民宿に戻った。
6日ぶりなので、洗濯などが忙しく就寝時間が遅くなった。
11/8(火)快晴
先達のじっちゃんに教えてもらい、下ノ加江川を遡るコースを選択した。確かに車が少ない林道で歩き易かった。39番でもじっちゃんに会った。
泊地は宿毛の遍路小屋を候補としていた。宿毛の手前でジャコ天を揚げて売っていたので、思わず買って食べた。熱くて旨かった。
遍路小屋には先客がいたが、大きく余裕で張れた。
11/9(水)快晴
今日は篠山に登る予定だ。おいそれとは来れないので、篠山踏破も今回の目的の一つだ。雨ならばパスつもりだったが、幸いにも晴れ、登るきゃない!一応篠山も遍路道になっている。途中にザックをデポしピストンした。CTを6hと見積もっていた。篠山荘までは長く緩やか。急坂を登り切れば山頂の神社に辿り着いた。山頂は北西から南西の眺めがよかった。さすが300名山!
デポ地から40番までは距離から2hと見積もっていた。だから余裕と思っていたのに16時過ぎに後3.6kmと案内標識があった。これはまずい。ぎりぎりだと慌てて必死に歩いた。途中でおばさんに「ちょっと待って」と声がかかった。お接待に店先のパンを下さった。急いでいると言って断るわけにもいかず、ありがたくいただいた。今回で一番急いで歩いた。本当にギリギリであった。
泊地は公園、隣に中華料理店があり、こってりしたものを腹いっぱい食べた。普通ではとても食べられない量だった。
11/10(木)曇のち晴
無人店にミカンが置いてあった。愛媛ならミカンでしょ!ってことで買った。その直後別の無人店のおじいちゃんからミカン一袋のお接待を受けた。もう少し早ければ…。(T_T)余分とは言わないが荷物になった。
柳水大師の峠越えは結構きつかった。逆に宇和島への下りは緩やかで長かった。
翌日残る300名山の三本杭に登りたかったので、何んとしても登山口の丸山公園まで行きたかった。真っ暗になってしまったが、園最奥の広場まで登って泊まった。WC、水があり、静かで快適だった。
11/11(金)晴
早朝散歩している方に登山口を教えてもらい、登山開始。日帰り荷物なので快調に登れた。尻割山からは宇和島市街が見下ろせた。三本杭までは距離があり時間がかかった。山頂からは360°の大展望だった。地理不案内で山座同定はできなかった。これで四国の300名山は完登だ。数日前に石を蹴って爪先を痛めてしまい、下りは爪先が痛かった。
登って終わりではない。再び遍路に戻った。宇和島の住宅街を歩いているとバイクに乗ったおばちゃんがいきなり飴玉を差し出してきた。ちょっと戸惑ったが、お接待なのでありがたくいただいた。更にカップ麺までくれた。嵩張るがその気持ちが本当にありがたかった。
またまた金剛杖を休憩地に忘れ、1km程引き返したりした。余分に歩くと、本当に疲れる(>_<)
この日は41番を打って、道の駅みまに泊まった。静かでいい所だった。
11/12(土)晴時々曇
明日は荒れた天気になるとの予報、朝から雨なら停滞するつもりだ。なので今日は無理してでも内子まで行きたい。
明石寺は地図で見るより山の中で石段がきつかった。
大洲で夕暮れになった。暗くても国道歩きなので迷うことはない。だが暗いし疲れ切っているので、早くテントを張って寝たいだけだ。
内子は案外の町で大きなスーパーもあった。泊地は市役所自転車置場にした。雨もかからぬいい場所と思ったが、大間違いであった。
㉑11/13(日)雨のち晴
予報通り朝から雨、今日は停滞とシュラフで朝寝坊を決め込んでいた。ところがどっこい、下が濡れているではないか。慌てて確認すると雨水が流れ込んでいた。あれこれ荷物が濡れていた。大慌てで雨の中引っ越しだ。駐車場に張り直し、濡れたものを乾かした。一日雨と思っているのでゴロゴロしながら明日以降の予定を考えていた。
すると何となく外が明るい。テントから顔を出すと雲が切れ青空が見えるではないか。慌てて天気予報を確認すると、一転晴となっているではないか。天気予報を信じちゃいけない。
大慌てで撤収、パック詰めし、スーパーのうどん屋で腹ごしらえし、買出しして出発した。明日のことを考えると少しでも先に進んでおきたい。
途中の内子遍路小屋は快適なところでシャワーまであった。だがまだ明るかったのでもう少し先まで行きたかった。そこでシャワーだけ浴びた。もう1週間風呂に入っていないから。でもさすがに冷たくて、震えた。
だが人間の体はうまくできている、冷た〜いと言って水浴びしても終われば体が熱くなってきた。さっぱりして再出発。薬師堂の板の廊下で熟睡できた。
㉒11/14(月)曇のち晴
今日も長丁場なので早めに出発したが、広田村の方へ迷い込み時間ロス。ほんと何やってんだか(T_T)下坂場峠までには数カ所いいテン泊地があった。
峠を二つ越して久万町に入った。案外早いと安心していたが、よく計算してみると45番を打ち戻ると暗くなりそうと分かり慌てた。
44番を打って久万公園にサックをデポして、急いで45番に向かった。すると再びじっちゃんに会った。ふた山も寄り道していたのでとっくに先に行っていると思っていた。聞けば八幡浜の別格札所に寄っていたとのこと。
山道で距離もあるので結構時間がかかり45番に到着した。サッサとお参りして戻った。いいお寺なのでゆっくり見たかったが、仕方ない。
戻って道の駅で泊まった。国道沿いで車の出入りもあったがいい所だった。
㉓11/15(火)晴時々曇
標高が高いので朝は冷え込み寒かった。峠を越え松山市に入った。道後温泉に入る予定なのでちょっと楽しみだ。甘く見積もったせいで道後温泉到着が1時間遅れになり、道後公園で泊まるしかなくなった。
それはともかく久しぶりの温泉で身も心もきれいになり、いい気分になった。シュラフで熟睡できた。風呂がこんなに気持ちいいとは…。
㉔11/16(水)晴
松山市街を抜けると54番までは海岸線沿いの道だった。変り映えのしない道を黙々と歩いた。するとどこを歩いているかわからなくなった。あれここはどこだ?知多か…?あっそうだお遍路で四国だ。
とても不思議な感覚だった。娘に話せばボケたと笑われるのがオチだが…。
㉕11/17(木)曇時々晴
愛媛県の遍路は長い。もう何日愛媛を歩いているんだろう。数えるのも面倒になった。丁度昼頃うどん屋に差し掛かったので美味しくいただいた。それはいいのだが、またもや杖を忘れた。今回は全く気付かなかった。札所手前でうどん屋の人が車で持ってきてくれて初めて気が付いた。仮にこの時点で気が付いても取りに戻る気力はなかったな。本当にありがとうございました。m(_ _)m
三芳の光明寺の通夜堂が無料宿泊所になっているということなので目指した。洗濯機、こたつもあり快適そうだった。しかし寝付けのビールが飲めないので引き返し臼井御来迎に泊まった。
㉖11/18(金)快晴
今日は60番横峰寺だ。荷物が重いので担いでの通過はやめ、先に61番を打って荷物をデポして尾根道を登ることにした。
へんろ道なので登山道ほどの急登はない。札所は700m位でやはり冷たい。ピストンして石鎚山HOへ行った。駅売店と風呂の時間を確認して62番、63番を打って戻った。売店で買った弁当を食べ、温泉にゆっくり浸かって道の駅に泊まった。すると先客がいて2回は歩き、今回はバイクでの遍路とのことであった。ぬくぬくなのでゆったりとよく寝られた。
㉗11/19(土)晴のち曇
66番の通過を考えるとなるべく65番近くまで行っておきたい。そこで日の出前出発した。
関の戸に善根宿があった。快適そうなところであったが、こんな快適な所に泊まったらテン泊が嫌になるだろうと思った。
この日は伊予三島にある遍路小屋に泊まった。
㉘11/20(日)晴
この日も早朝出発。できれば66番雲辺寺を打って里で泊まりたい。曼陀峠までが緩やかで思ったほど時間がかからなかった。そのため下山して里で泊まるとこにした。一応雲辺寺山の三角点はタッチした。兎に角雨の山登りにならず良かった。それだけが心配だった。
下山したところに集会場があったので軒をお借りした。
㉙11/21(月)晴
町中の遍路なので甘く見積もりすぎた結局73番までが精いっぱいだった。余裕があれば我拝師山を登ってやろうと企んでいたが、とんでもない話だった。この日は吉原公民館の軒下に泊まった。
㉚11/22(火)晴のち曇
ほぼ平地歩き、何故か1時間勘違いして計算し80番に早く着いてしまった。明日は雨予報なので2週間ぶり旅館に泊まることにした。この間に民宿に泊まるつもりだったが、雨予報が晴になってしまいタイミングを逃してしまった。
県民割が使え、宿泊費4割引きと3,000円のクーポン券がいただけた。予定していなかっただけに儲かった気分だ。だがこれを目当てに宿泊していたのでは浪費だな。
券は当日の夜ビールとつまみ、翌日温泉、晩御飯で全て使い切った。
㉛11/23(水)雨
朝から雨。それも結構降っている。出たくないが居てもやることがない。ここは修行!と合羽を着て81番に向かった。雨で霞んで81番はいい雰囲気だった。82番の途中の山道にお接待のお菓子やジュースが置いてあった。ありがとうございます。
五色台遍路小屋は超快適な小屋だった。うまくすれば泊まれたかもと思うが、洗濯などの都合もあるので今回はやはり無理だったか。宿に戻るころには雨も上がり始めた。
高松市街地に入ると泊まれるところがなくなると思い手前で泊まった。
㉜11/24(木)晴のち曇
今日は87番を打って道の駅ながおまで行きたい。84番と85番の山越えがどれだけ時間がかかるか。84番の屋島寺の登りは散歩道で歩きやすかった。だが下りは急で山道だった。
85番の登りも舗装道路。途中にお茶屋があり、よもぎ餅を売っていた。その場で餅を千切って餡子を入れて丸めきな粉を付けて出してくれた。香りがよく柔らかくて美味かった。聞けば朝よもぎを採りに行くとのこと。そう言えば子どもの頃は亡き祖父母がよもぎを採りに行って、よもぎ餅を作ってくれたことを思い出した。
道の駅は山の中で静かだった。
㉝11/25(金)晴
なんだかんだと言いながら、今日は女体山を超えて88番を打てば結願だ。普通は国道を歩いて行くそうだが、最後くらいはちゃんとへんろ道で結願としたい。それが山屋の矜持と偉そうに考えた。
登山口まではアスファルト道。登山口からは急な山道となった。艶めかしい山名に似合わず岩山だった。山頂には岩峰があり、五剣山方向の眺めがいい。ちょっと寄り道と矢筈山へ行った。こちらの方が展望の良い所が多い。
奥の院に寄って下れば大窪寺境内に出た。お参りを済ませ御朱印をいただいた。淡々と結願となった。杖は20cm位短くなった。1,200kmも一緒に旅した杖は納める気になれず持ち帰ることにした。
なぜ感動も感慨もないのか。歩き始めの遍路は旅であり非日常であった。しかし次第に遍路が日常となり毎日歩くことが生活となった。そうなると感動しなくなるのではないか。
白鳥温泉に入って、東かがわ市役所近くの軒先に泊まった。
㉞11/26(土)曇時々小雨のち晴
最後の最後のお寺東海寺にお参りした。札所ではないので静かなものだ。大阪峠、卯辰越を越えて1番に戻った。思っていたより時間がかかったが、懐かしい景色を見て1番に戻ってきたことが分かった。
お参りをして御朱印を頂いた。概ね1,200km、34日。数字を見ると長いが何か実感が湧かない。
打ち終えたら必ず寄れと言われているY君方に電車で向かった。電車に乗り、もう歩かなくていい、楽だなと実感した。
またしても歓待してくれて、本当にありがとうございました。
㉟11/27(日)晴
総仕上げに高野山奥の院にお参りした。高野山は観光客で賑わっていた。帰宅したのは22時を回っていた。また日常が始まった。
4、まとめ
・アスファルト道歩きは山歩きと違う。ただ脚力は山歩きで訓練できる。
・最初の10日位は足の裏がヒリヒリと痛くなったが、その後は痛みが薄れた。
・筋肉痛も慣れてくると、軽くなり、回復が早くなった。
・荷物による肩への食い込み痛、腰痛、股関節痛も同様だった。
・遍路時期は春と秋だが、日照時間が長いのは春だ。ただ行動時間が長いからと言って長い時間歩けるわけではない。長丁場なので基本的に実歩行時間は10時間位と思った。
・最初は1日30kmが限界だったが、慣れてくると35kmは歩けるようになった。
5、良かったこと
昔と比べお接待の文化が薄れてきていると言われているが、未だに残っていた。お遍路さんと分かれば、お接待に積極的でない人からも不審者扱いされなかった。
6、残念なこと
・兎に角ゴミだらけ(T_T)
海、川、山どこもゴミ。特に海が青くてきれいなだけに目立つ。漁網やブイなど漁業関係のものが目立った。お遍路さんがゴミを投げ捨ててくとの新聞記事が遍路小屋に張ってあったが、そんな生易しいものではなかった。世界遺産にとの動きもあるがとても無理。癒しの道なのに眼をそむけたくなり、また遍路をしたいと思えない。本当に残念だった。
・へんろ道の整備。
へんろ道と案内するなら普通の登山道レベルには整備してもらいたい。道は静かで自然を感じられるいい道だけに残念だ。
7、結願の秘訣はない。
・健康管理 遍路中に病気は勿論、体調不良になれば即終了
・歩く訓練 日ごろから歩き、週1回程度長距離を歩く
8、決算
交通費16,630、食費47,022、宿泊費16,800、入浴費1,400
御朱印(納経帳、白衣)46,100、賽銭930位 遍路用品8,680
合計136,632 (靴、靴下、購入済み遍路用品は含まず)
9、結果
結願以外に四国百名山7座、うち300名山2座
【Y君はじめお接待して下さった方、「お気を付けて」と励まして下さった四国の皆さんありがとうございました】
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しばらくレコが上っていなかったので、お遍路に行っているのだろと思っていました。じっくり読ませて頂きました。
お遍路は是非やってみたいと思っています。スタイルもtwvv1979さんと同じく基本天泊で一気通貫したいですが、仕事を辞めるタイミングしかなかなか行けないですね。。。
いつになるか分かりませんが、参考にさせて頂きます。
何がともあれ、お疲れ様でした。
超大作になってしまい、拙なく纏まりのない感想で大変申し訳ありません。ただ挑戦しようとされる方に向けて、参考となるように心がけました。
帰宅するとリアル生活に戻り、畑や庭仕事、孫遊びなどいろんなことがあり、レコ作成に時間が割けない。更にパソコンが固まったりと遅々と進みませんでした。
北海道の友人からの催促もあり、夜なべして一応UPしました。あと少し追加する予定です。
殆どの方が順打ちなので、野宿遍路さんと出会うことはなく情報交換はできません。ですから自分の意見しかありません。
また行きたくなる遍路病なるものがあるそうですが、今はその気になりません。
いつか巡ってくるチャンスのため準備し、無事の結願されることをお祈りしています。
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