この景色が見たかった‼️笠ヶ岳から双六岳
- GPS
- 25:53
- 距離
- 38.4km
- 登り
- 3,253m
- 下り
- 3,192m
コースタイム
- 山行
- 7:46
- 休憩
- 0:38
- 合計
- 8:24
- 山行
- 9:13
- 休憩
- 2:48
- 合計
- 12:01
- 山行
- 6:01
- 休憩
- 0:35
- 合計
- 6:36
天候 | ずっと最高の晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
基本危険なしで歩き易かった。所々、夏道と冬道のミックスになるのがいやらしい |
その他周辺情報 | ひらゆの森(みんなここに行くから行っているが、他におすすめがあったら知りたい) |
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ハードシェル
ズボン
靴下
グローブ
アウター手袋
予備手袋
防寒着
ゲイター
毛帽子
靴
ザック
サブザック
アイゼン
行動食
飲料
地図(地形図)
コンパス
ヘッドランプ
予備電池
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
携帯
時計
サングラス
タオル
ストック
|
---|
感想
1.セオリー知らず
もう、限界をとっくに超えていた僕は、本能的に言った。「ここでビバークしよう。申し訳ないが、多分そうしないと、オレやばいわ…」
2022年6月4日、「オホーツクが生んだピュアボーイ」なおにゃんと、笠新道から笠ヶ岳に登頂後、双六小屋を目指していた。秩父岩の恐怖トラバースで精神力を、秩父平での猛烈藪漕ぎで体力を完全に使い切り、大ノマ岳手前の小ピークで僕が力尽きた。初日のダメージが大きすぎたため、翌朝、双六岳を目指すことは諦め、弓折(ゆみおれ)「乗越」から鏡平経由で撤退を試みた。しかしこの撤退が地獄だった。まず弓折乗越からのトラバースがあまりに危険すぎた。なんとか尾根に乗るも、熊の踊り場をそのまま下ったせいで、沢筋に迷い込んでしまった。なんとか秩父沢出合の先で小池新道に合流できた時には、まじめに「助かった…」と思った。
1週間後、Peak2Peakが「この景色が見たかった。残雪の双六岳・三俣蓮華岳」をYAMAPにアップした。軌跡をよく見ると、彼らは小池新道から弓折「岳」へと、乗越経由ではなくダイレクトに登っていた。撤退後の山行復習の過程で、この時期(春)は弓折乗越からの夏道は使わず、弓折岳への稜線直登がセオリーだということは知っていた。それを確認するため、コメントで質問してみた。
「やはり、弓折岳直登ですね!間違えて乗越から下りて大変恐怖しました」
すると、とても親切な説明が返って来た。
「それはそれは、大変でしたね!ちょうどこの日曜日に双六小屋のスタッフが小池新道から双六小屋までのルートに目印を設置していました。弓折中段と弓折乗越の夏道ルートは積雪期にはかなりヤバいです。直登もそれなりに気を使いますが、、、。鏡平のクマの踊り場から秩父沢までのルートは、クマの踊り場を下って行くと、沢筋に自然に入り込んでしまい難儀します。途中で右側へトラバースして夏道通りに行くのが正解です」
なるほど…、俺たちは何もセオリーを分かっていなかったんだな。時期によって登山道が違うのは当たり前のことなのに。
これ以降、双六岳は僕の頭に常に引っ掛かっていた。北アルプスの山に登頂すると、決まって「双六岳どこかな?」と目で追ってしまう。双六岳はあまり山容がはっきりしないせいか、いつも「あれかな…?」と思える程度で、はっきりと双六岳を確認することはできなかった。
いつかは(笠ヶ岳から双六岳を)全復習!とチャンスを窺っていたところに、「登山者専用駐車場P3 無料開放終了のお知らせ」を新穂高ロープウェイのウェブサイトで見つけた。「3月31日17時をもって無料開放を終了し一旦営業を終了します」とあった。「季節は進むな…」と思うと同時に、「そろそろ左俣に行ってもいい頃なのか…」という想いがふつふつと湧き上がって来た。そして、一年前のやり直しへのマグマが爆発した。
2.セオリー登山と春道
今回の山行の目的は全復習なので、ルートはがちがちに決まっていた。初日は新穂高から笠新道で笠ヶ岳。翌日は双六岳に登る。3日目は、弓折岳の稜線を通り、シシウドヶ原でちゃんと夏道に戻り、新穂高へ帰還だ。ただ、計画段階では鼻息の荒かった僕は、初日にもう少し駒を進め、弓折岳辺りで幕営できれば、2日目に双六岳だけではなく、三俣蓮華岳、あわよくば鷲羽岳へも足を伸ばせるなと思っていた。
笠ヶ岳へのレコ調べをしている段階で一つの不思議があった。「誰も笠新道使ってない…」。シンプルに笠新道を使ったレコは、去年の12月初旬が最後だった。去年の残雪期はそれなりにあったのに理由が分からない。「笠ヶ岳」で検索すると、穴毛谷五ノ沢から上がり、クリヤ谷で錫杖岳(ウッス氏)、穴毛谷の五ノ沢で上がり六ノ沢(ぼっち女史&OIRA氏)と玄人過ぎるものしか上がってこない。「どうなってるんや…?もしかしたらまだ笠新道は使ったらアカンのか⁉️」。基本、今回の山行はがちがちのセオリー登山を目指していたので、笠新道と思っていた。しかし、その笠新道が僕の予想に反して危険なのなら意味がなくなってしまう。たまらず、ぼっちさんとOIRAさんの共同レコに質問してみた。
「笠ヶ岳までのルートは、笠新道からというのも、面白いかどうかはともかく、ありだと思われましたか? クリヤ谷や五の沢のルートの方が危険だと思うのですが、なぜかこの時期その危険そうなレコしか見つけられません」
すると、両氏から丁寧な回答があり、それをまとめるとこういうことだった。
「笠新道からなら、夏でいいんじゃない?」
やはり、季節限定感や登るまでのプロセスを楽しみたいから、笠新道を選ばなかっただけだったようだ。ならば、がちがちセオリー登山の観点からの笠新道はありだろう。
次に、不思議だったのは、誰も弓折岳の稜線での登降をしていないことだった。双六岳方面に行く人はほぼ100%といってもいいくらい、大ノマ乗越への雪渓を利用していた。これもかなり謎だったが、山行中に多くの登山者に質問した結果、答えはこうだった。
「それが一番安全で楽だから」
山行中、この「安全」という意見には少し心が揺れ動いた。がちがちセオリー登山は、安全を意味するからだ。しかし、一年前の全復習の観点から「弓折岳の稜線(春道)で下りる」は譲れない一線だった。
最後は、双六小屋からの双六岳の登頂ルートだ。これについては、三俣山荘のウェブサイトにものすごく分かりやすいルート紹介ページがある。双六小屋の裏手から登山道が出ていて、20分程登るとルートが3つに分かれる。左から直登ルート、中道ルート、巻き道ルートだ。直登ルートが一番分かりやすいのだが、恐らくかなりの急登なんだろう。そして、また春道というのが存在した。それは、まず中道で途中まで行き、そこから左に折れて直登ルートに合流するというものだ。今回のテーマは春道でもあったので、このルートを忠実に辿ろうとウェブサイトのスクリーンショットを撮った。
かくして、机上のプランは完全に整った。三俣蓮華岳や鷲羽をやらなければ、かなり余裕を持った楽々プランだと思っていたし、それでもいいと思っていた。
3.やっぱり笠新道はえぐかった
GWを侮ってはいけない。最寄りのインターから午前2時に高速に乗ったのに、既に八王子JCTで渋滞が発生していた。コロナ明け初めてのGWなので当然なのだが、「登山もしないのに、みんななぜこの時間に移動すんねん?」と正直驚いた。その後も道路は流れ始めたが、明らかに運転慣れしていない素人ドライバー達が多かった。彼らを交わしまくりながら、午前6時前に新穂高登山者用無料駐車場に入った。途中、沢渡駐車場にびっくりするほど車が止まっていたのを目撃し、新穂高の登山者用無料駐車場が満車のリスクを恐れていたが、杞憂に終わった。さすがに最上段はほぼ満車だったが、一段下がるとかなり空きがあった。僕は、最上段に2台スペースが空いていたので、止めやすい方にジムニーを駐車した。
さっと準備をし、6時10分頃山行を開始した。駐車場最上段の奥から続くショートカット道を使って、新穂高登山指導センターに向かう。今回は久々の2泊なので、トイレ(大)が課題だった。とりあえず、出発前に指導センターのきれいなトイレで、今日の分を処理できれば最高だったのだが、それは叶わなかった。しかし、今回はずっと使わないといけないと思いながら、恐怖で使ったことのなかったモンベルの「O.D.トイレキットセット」を持ってきていた。雪を掘ってそこにするというはどうしても抵抗があり、だからと言って3日以上、大を我慢はできない。割り切って携帯トイレを使う必要があると真剣に考えていた。今回の山行は、あまり危険さがない代わりに、「セオリーをしっかり踏んでいく」を重んじていた。携帯トイレ使用もそのうちの一つだった。
左俣林道を小一時間歩き、笠新道入り口にやって来た。時刻は7時40分頃だった。最近知ったが、笠新道はかなり新しい登山道で、昭和39年(1964年)に、国体の為に整備された登山道らしい。去年の6月に登ったばかりなので、見覚えのある急登をゆっくり登って行く。今でも理由が分からないが、左俣、特に笠ヶ岳方面は本当に人がいない。GWもその例外ではないようだ。今回はいつにもまして荷物が重かった。ワカンもスノーシューも、ましてやクォークなどの登攀用具も持っていないのに不思議だった。水、ビール、食材を持ち過ぎたのが原因かもしれない。
1730mの辺りで、ほんの少し雪が出て来たが、その一瞬だけだった。その後も全く雪がないまま、1800m辺りで眺望が初めて開けた。まずは焼岳と乗鞍岳が完全に姿を現した。焼岳にはほとんど雪が付いてないように見える。そしてもう一段上がると、遂に西穂高岳から北穂高岳までの稜線がしっかり見えた。今年は、西穂西尾根、涸沢岳西尾根に行ったので、形がよく分かって嬉しい。去年ここに来た時は、ジャンダルムすら「なんやあのトゲトゲは⁉️」と言いながら分からなかったことに比べれば明らかに経験値が上がっていると感じる。ちなみに、ジャンダルムは奥穂から見ると海坊主の頭のような丸みが印象的だが、ここから見ると、ピンピンの針のよう見え、確かにかなり印象が違う。
結局2000mの辺りでも雪はほとんどないままだった。ちょうどその辺りのトレイルから少し外れたところに眺望のいい岩があった。親切にも梯子まで掛けられていた。一旦トレイルから外れ、岩の上に立ってみる。確かに一段と景色がすばらしかった。そして2100m手前でやっとしっかりと雪が出てきて、これ以降も続きそうに見えたので、アイゼンとヘルメットを装着し、ストックをピッケルに交換した。今回は縦走用のストレートシャフトのモンベルのグレイシャー60を持ってきた。一旦登山道が土に戻るも、すぐにまたしっかりとした雪道になった。この辺りから急に道が分かりにくくなった。そもそもここまで誰にも会っていないし、明確なトレースはなかったのだが、あまりにも急なトレイルの変化に驚いた。
そして、2150mの辺りで、派手な道間違いをしてしまう。「なんか急だな…」と思いながらも、それっぽく開けた雪の急坂を、ピッケルを刺しながら登って行った。すると、ますます斜面が急になり、違和感を覚えた。「いくら何でも、こんな道おかしいやろう?」。YAMAPとヤマレコの地図を両方確認すると、案の定、思いっきりトレイルを左に外れていた。「やはりか…」。右手を見ると藪になっていて、苦労すればそこを抜けて右に行けなくもなさそうだったが、デカザックを背負っての藪漕ぎは拷問そのものだ。「これ、下りなアカンやつやな、多分…」。仕方がないので、苦労して登った急登をバックステップで慎重に下りることにした。しばらく下りると、藪が開けて来たので、そこから木を掴みながら右にトラバースして行った。この時期の特徴なのか、明らかに間違った雪の斜面を歩いても踏み抜かないのがありがたかった。しばらくトラバースして行くと、夏道の入り口を示すピンクテープが出てきた!「あっちや…、こりゃ分からんわ...」。ピンクテープの先には、雪のほとんど付いていない岩の夏道が続いていた。「あ!そういえば、ここ去年なおにゃん達も間違えたところか。俺は先に行ってたなおにゃんから、右って教えてもらったんだった」。やはりみんなを迷わす地形をしているのだろう。
ここから少しだけだが全く雪のない岩の夏道を、アイゼンを付けっ放しのまま歩いて行く。今日はGrivelのセミワンタッチアイゼン Air Tech New Matic EVOを履いていた。まだ2回しか使っていなかったので、まだこのアイゼンを研いだことがなかった。爪の形状が少し複雑で研ぐのが億劫なので、この雪のないトレイルの歩きはかなりストレスだった。幸運にも(?)分かりやすい夏道はすぐに終わり、雪に覆われた分かりにくい道に変わった。適度に藪に阻まれ、それを避けるように適当に登るしかなかった。時刻も11時を超え、雪も腐ってきていてしっかり蹴り込まないとずり落ちる。この辛い急登を1時間ほど登り、少し斜度が落ち着いた所で休憩を入れた。ここも眺望は抜群で少し疲れも癒された。ここから40分程登り、杓子平を見下ろす小トップ2472にやっと辿り着いた。去年の6月にここに来た時はかなり藪が出ていたが、今日はほぼ雪で覆われていた。この辺りにテントが一張りポールを畳んで幕営されていた。今山頂アタックをしている人がいるようだ。
この杓子平からはやっと1人から2人のトレースが付いていた。ここまででかなり疲れてしまっていたので、そのトレースを利用させてもらいながら、ゆっくり歩いて行く。去年もここからなおにゃんにどんどん遅れを取ってしまったことを思い出していた。しばらくすると、ずっと追い掛けていたトレースが突然左に方向転換し、尾根通しではなくトラバースし始めた。もしかしたらその人も先行者のトレースを辿っていたのかもしれない。そこでトレースと別れを告げ、僕は引き続き尾根を登って行った。そして最後の笠新道分岐(笠ヶ岳と抜戸岳の稜線への合流点)への猛烈な登りの取り付きへ向けて、僕もトラバース気味にショートカットしている時だった。右足の太ももが痙攣をし始め、今にもつりそうになってしまう。「おいおい、まだまだこれからやぞ…」と思うも、体は悲鳴を上げていたのだろう。一旦そこにザックを下ろし、ポカリスエットで水分補給し、塩飴をなめながら休憩した。幸い、この休憩で足の状態は良くなり、その後一度もその症状は出なかった。とにかく暑かったので、思った以上に水分が失われていたのかもしれない。
抜戸岳への最後の急登は去年同様地獄だった。この1年間相当に歩いて来たつもりだが、残念ながらこの急登を楽に登れるレベルには全く達していないようだった。ずり落ちる雪面に、ゆっくり蹴り込みながら登って行く。今日はここまで誰ともすれ違いがなく、会話がないのも疲れの原因になっていたかもしれない。登山でのちょっとした会話にいつも救われているような気がする。あほみたいな急登を登りながら、左を見ると笠ヶ岳が「どーん!」と見える。振り返ると、槍ヶ岳から西穂までの稜線も文句のつけようがない。最後の10歩くらいになった所で、GoProを回し、話しかけながら登る。一歩一歩と体を引き上げ、遂にそこを登り切った。分岐は比較的広い平らなスペースになっていて、そこに若い男性ソロ登山者が既にテントを張っていた。
「こんにちは!えらい(大変)ですねこれ!疲れた!!」
「お疲れ様です😊。どこから来られたんですか?」
「今日は、新穂高、はぁ、はぁ…」と相手の質問の意図をくみ取る余裕もない。
「えーっと、どこのルートから?」
「えー、普通に、左俣林道から笠新道で…(息が上がりっぱなし)」
「最後ちょっと急ですよね!」
「急ですね!でも、最後トレースがあって、助かりました!いい所に張りましたね!」
「ありがとうございます」
「僕は、小屋の辺りに行って張ろうかなと思っています」
「あー!いいですね〜(笑)」
こんな他愛もない会話がありがたい。
「明日はどうされるんですか?」と聞かれたので、「明日は双六小屋まで」と言うと、「げ!」となぜか驚かれたようだ。また彼にも去年の秩父平での猛烈藪漕ぎの話をすると、
「この時期難しいですよね〜」と彼も残雪期の難しさを経験したことがありそうだった。
「去年は6月だったんで、今年はもう少し雪があるんじゃないかなぁと思っています」
ここから笠ヶ岳までののっけが少し分かりづらい。「いきなりどう行っていいか分からへんな…」。この分岐の一本下に夏道登山道が走っているのだが、そこへは行かず、分岐から直接ハイマツのキワキワを笠ヶ岳へ向けて下りることにした。今回は微妙に崩れそうな部分を歩くことが多かった。その時はいつもハイマツのキワキワを歩いた。万が一崩れても飛び移れるような気がしたからだが、実際そうなったら咄嗟に体が反応できるのか謎だったが...。斜面を少し下り、右を見ると、やたらと端正なピーキーな山が奥に見えていることに気が付いた。「あれは何や?」。山座同定アプリを出し調べてみると、それは黒部五郎岳だった。「おー!えらい印象違うな」。しかもその右手には、とにかくデカい薬師岳も見えていた。左右にばかり気を取られていたが、改めて前方見ると、当たり前だが笠ヶ岳が「どーん!」と見えていることに気付いた。雪庇混じりの白い稜線に思わず、「美しいなー!!ほほ(笑み)」と大きな声を出してしまう。しみじみ「美しいです…。疲れ吹き飛ぶねぇ〜」と独り言が口をついた。
急斜面を下りると右手の一段下がった所に道標があった。恐らく夏道登山道がそこに走っているのだろうと、そこまで行ってみる。そこから笠ヶ岳方面に向けて、東側に雪庇が発達しているところが多いので、基本この一段下がった夏道登山道を歩いて行った。そして、2753のピークの手前辺りで、シートラで歩いているBCの男性ソロがやって来た。「こんにちは」と挨拶を交わし少し話をする。僕が笠新道に杓子平までトレースがあまりなかったことを言うと、「あんまりこの時期笠新道使う人いないでしょうね。キツイですよ」。彼は穴毛谷から登って来たらしい。穴毛谷から来ると、杓子平で笠新道と合流するようだ。「穴毛谷はあまり危なくないんですか?」と聞くと、「例年GWの時期になると雪は安定していますね。特に今年は雪が少ないので雪崩れるものがないし」という。「笠新道よりは楽ですよ。ただあんまりスキーじゃない人はいないですけどね」。「ずっとスキーは滑っていけるんですか?」と質問すると、「ええ、谷が深いですから、ほぼずっと滑れますよ」という。また、ふつふつとBCへの興味が増した。「笠ヶ岳山荘の近くでテントを張ろうと思っています」と言うと、「あと1時間ちょっとかかるかな…まあでも健脚そうだから1時間で着くかもですね。いざとなったら、避難小屋も雪をちょっとどかせば、扉が開きそうでしたよ」と教えてくれた。
2753のピークを越えると、やたらと広いフラットなスペースに辿り着いた。幕営跡が2か所ほどある。前を見ると、あまりにも笠ヶ岳が美しい。疲れているのもあったが、ここからの景色が気に入ってしまった。山荘まで行ってしまうと、笠ヶ岳が近すぎてその美しさを堪能できないだろう。やはりある程度の距離は必要だ。こんな何にもない稜線にテントを張った経験はないものの、風も弱い予報で、そこまで冷え込まない今の時期はチャレンジするいいチャンスかもしれない。思い切って、ここで幕営することに決めた。どう見ても足元はしっかりしたフラットなスペースなのだが、もしかしたら崩れるかもしれないと少し不安だったので、少し稜線を戻って地形の感じを確認する。「大丈夫そうだな」。時刻は午後2時半頃だった。
こんな所にテントを張ったことはないので、いつもより深めに雪を掘って地面を下げ、東側と西側に高めにスノーブロックを積んだ。前方(笠ヶ岳側)にも最初スノーブロックを積んでいたが、そうするとテントから笠ヶ岳があまり見えない。なので、一度積んだブロックを、リスクを取って取り除いた。かなり時間がかかり、テントの設営を終えたのは4時頃だった。ただ、この時期は日が高くてまだまだ明るい時間は続いた。そういえば、午後3時を回った頃だったか、テントの設営中、若い男性ソロ登山者が笠ヶ岳の方から歩いて来た。彼はかなり疲れ切った様子で、テン泊装備を背負い、ピッケルは僕と全く同じオレンジ色のモンベルのグレイシャーだったのが印象的だった。テン泊装備を背負いつつ笠ヶ岳方面から来るということは、笠新道から登ったのではないということだ。「穴毛谷とかクリヤ谷辺りから登ったんですか?」と聞くと、「いえ、第三尾根から…」。第三尾根?初めて聞いたな。後で山と高原地図を見ると、確かに第一から第四尾根まであるようだ。「それは危なげなバリエーションルートですね?」と言いながら、それでグレイシャーで行くとは珍しいなあと思った。そのことを言うと、「ダブルアックスも持っているんですが、(ピッケルの)長さがある方がいいかなあと思って、悩んでこれにしました」と言う。かなりの強者に見えたので、「もう登山始めて長いんですか?」と聞くと、少しためらいながら「えっと、雪山を初めて3年ほどです」。なぬ⁉️俺とあんまり変わらんやないか。「ということは、かなり攻めている口ですね(笑)」。「ええ、まあ(笑)」。「僕も今度その第三尾根チャレンジしてみようかな?」というと、「僕は次やったら死ぬかもしれない…」。うん⁉️「そんなに危なかったんですか!?」「はい、かなり危険な雪壁があって、アイゼンかからなかったです…」。それで疲れ切った様子やったんか。「ここは笠ヶ岳の眺望が最高ですね」と言ってくれ、「はい、本当は笠ヶ岳山王の近くに張る予定だったんですが、あまりにいい景色でここにしちゃいました」。僕が明日は双六小屋に行くと言うと、彼も同じルートだというが、そこから双六小屋には泊まらずに、西鎌尾根で槍ヶ岳まで行く予定だという。やはり猛者やな…。「僕もそれを考えてはみたんですが、結構時間かかるんですよね!」「はい…」「ちなみに、双六小屋に行く前に、秩父岩の辺りに結構危険なトラバースありますよ。まあ、それはトラバースすればいいだけなんですが、その後、秩父平に下りてから夏道に乗るのに、猛烈な藪漕ぎがあるかもです」と教えてあげた。「その辺り行ったことあります?」と聞くと、「いえ、初めてです。じゃあ、その辺り要注意ですね」「はい、去年の6月初めがそうだっただけなんで、今回はそうじゃないかもです!」。彼はもう少し先に行き適当な所に幕営すると言うので、「抜戸岳の辺りに、1人幕営してましたよ」と教えてあげると、「やっぱり、みんな同じこと考えるんだな」と言いながら、僕のすぐ上の2753を越えたすぐのコルに張ったようだった。
テントに入り、雪の中に埋めておいたビールを飲む。今回は荷物を減らすために350ml缶を2本だけ担ぎ上げた。食材がかなり重かったので、一番重いカレーを食べて荷物を減らそうと、雪を集め始めた。残雪期ではあったが、この稜線にはきれいな雪が無尽蔵にあったのがありがたかった。今までカレーを食べる時は、アルファ米に熱湯を入れ、それにカレールーのパッケージに密着させて余熱でカレーを温めていた。登山では水はいつもとても貴重なので、湯せんにする余裕はなかったからだ。しかし、余熱だと所詮しっかりとは温まらず、カレーがおいしくはならなかった。DUGのPOT-Mに直接カレーを入れて温めようかなとも思ったが、POT-Mの片付けが面倒だ。それで今回は豊富な雪を使って湯せんを試みた。湯せんで使ったお湯は、コーヒーフィルターでこして飲み水として再利用すればいい。持ってきたのはグリコの常備用カレー職人で、「温めずに、そのままごはんにかけてお召し上がりください」とあるが、温めた方がおいしいに決まっている。結果、当たり前だが、今までになくおいしいカレーを食べることができた。
次に、これも雪に埋めて冷やしていたウィンナーを焼き始めた。毎回行動パターンが変わらないが、お湯を使った料理より、フライパンで何かを焼いたほうがテンションが上がる。テン泊登山を始める時に、ジェットボイルフラッシュを買った。湯を沸かすことに徹するなら、ジェットボイルフラッシュ一択だからだ。しかし、ジェットボイルフラッシュにはマイクロレギュレーターが付いていないので、火加減の微調節が殆どできない。いつでも全開なら問題ないのだが、やはり人間それでは寂しい。それで、思い切ってプリムスのP-153 ウルトラバーナーとDUGのPOT-Mを買った。最近ではめっきりジェットボイルを使わなくなってしまった。
また食パンを持ってきた時は、フォールディングトースターで焼いて満足していたが、最近それでは物足りなくなっていた。「やっぱり、バターとかはちみつ欲しいよな...」。それで今回は一回使い切りのバターとはちみつを持ってきて、食パンに塗ってみた。大人げないが、こんなことでもテンションが上がった。今日は思いの外、限界寸前に陥り、気分が沈みがちだったが、最後に最高の幕営地を見つけ、ちょっとした工夫で食欲も回復させることができた。おかげで、いつもの様な黄昏ブルーにならずに済んだ。本当はもっと駒を進めておきたかったが、まあこれもこれで悪くはなかった。明日は朝一笠ヶ岳にアタックし、それから双六岳への登頂も目指すので長丁場になりそうだった。しかもこの時点では、まだ双六岳の先を完全には諦めていなかった。明日のために2Lほど水を作り、午後8時前にはシュラフに潜り込んだ。
4.笠ヶ岳アタック
午前2時のSunnto9Baroの振動で目を覚ました。最初何が震えているのか分からないほど深い眠りに落ちていたようだ。夜も風は弱く、快適な2700m超えの稜線泊だった。レインフライのジッパーを上から開け、顔を出して空を見上げた。まだ月が煌々と輝いていて、星空はそれほどきれいには見えなかった。朝食を簡単に済ませ、撤収を始めた。今日は長丁場になるので、笠ヶ岳アタック前に、テントを撤収し、荷物を全部ザックに入れておこうと思ったからだ。ヘッデンを付けて外に出た。さすがに、夜明け前の2700m超はかなり寒く、風も弱めとはいうものの、それなりに吹いていた。まずは、レインフライのガイラインに付け、雪中に埋めた竹ペグの回収をしていく。これがなかなか大変だった。稜線上の雪はカチカチに固まっていて、スノーショベルを思い切り蹴り込んでも、なかなか掘り起こせない。苦労しながらなんとか全部回収した。後の撤収はいつも通りで、4時20分頃アタックを開始した。
テント場から前方に伸びる笠ヶ岳の稜線を見た時は、どうやって歩くのかな?と思った部分もあったが、実際に歩いてみると特に難しい場所はなかった。ただ、アタックザックのみで歩いているのに、登りになるとなかなかスピードが出なかった。やはりまだ昨日の疲れが残っていたのだろう。5時頃になると、槍ヶ岳側の空一面が真っ赤に染まって来た。そして、ちょうど笠ヶ岳山荘のテント場の辺りで日の出を迎えた。振り返ると、ちょうど槍ヶ岳の左手から太陽が上がって来ているところだった。「おー!ライジングサーン!!」と一人で叫ぶ。ありえない美しい景色を一人で味わっているのは不思議な感覚だった。「なんで誰もおらへんねやろう…」
笠ヶ岳山荘までやって来た。まずは小笠に登ることにした。確か去年は余裕がなくてスルーしたはずだ。なかなかの急登を登り、小笠の山頂に立った。山頂には大きなケルンがあった。ここからも、全方位の絶景を楽しむことができる。目の前の笠ヶ岳がでかい。槍ヶ岳方面の空はまずます赤く輝いていた。
小笠を下り、冬期避難小屋の前を通って笠ヶ岳へ向かった。避難小屋の扉の前には雪が半分ほど扉を遮っていたが、BCの方が言っていた通り、ショベルで雪をどければ簡単に中に入れそうだった。笠ヶ岳への斜面をゆっくり登って行く。去年はこの辺りは岩が露出していて歩きにくかったが、今日は一面雪に覆われとても歩きやすい。スピードは相変わらず出ないものの、快適に登って行った。すぐに祠のある所に到着した。雪の積もり方の関係でこの辺りが一番山頂部分で高かったが、山頂標識はそこから奥に進んだ所にあった。ゆっくりそこまで歩いて行く。この辺りも去年は全く雪がなかったように記憶しているが、今日は雪たっぷりだ。「やっぱり、去年の6月より圧倒的に雪多いな!よく今年は季節が1か月進んでいるなんて言いながら、あれはウソやな」。山頂標識までの短い稜線の右手には大きな影笠ヶ岳が広がっていた。その奥には白山が見える。前方には奥から御嶽、乗鞍。ほぼ雪に埋まった山頂標識にやって来た。軽く吠える。「とりあえず、ノルマ一つ達成!」。オレンジ色にそまった槍ヶ岳へ向けて伸びる稜線がなんとも言えずキレイだった。「これも最高の稜線ちゃう?」。今日はここからが本番なので、あまり山頂には長居しなかった。「さぁ、帰って双六岳を目指すか!」
5.双六小屋までが遠かった
幕営地に戻る途中、昨日笠新道分岐にテントを張っていた男性ソロとすれ違った。笠ヶ岳にアタックしているようだ。「今日アタックだったんですね!」「はい!」と嬉しそうだった。6時半頃幕営地に戻って来た。アタックザックの中の荷物をエクスペディションパック80にパッキングし直し、7時過ぎに双六小屋へと出発した。笠新道分岐に来ると、彼の幕営地には荷物が何も残されていなかった。「あー、全部担いでアタックしているのか…」。ここから、去年は限界寸前で抜戸岳をスルーしていたので、今回はちゃんとピークを踏んでいく。分岐から、右側が雪庇の様になっていたので、左側のハイマツキワキワを歩きながら、抜戸岳の山頂にやって来た。分岐から思ったよりも距離があった。質素な山頂標識もあり、これから行く双六岳方面を背景に写真に収めた。
ここから問題の秩父岩のトラバースまでが意外に分かりにくい道だった。基本、夏道に沿ってその右手を歩くだけなのだが、途中途中、その右手に歩ける部分がなくなってしまう。その場合、夏道は遥か下にあるので、無理やり稜線上のハイマツを踏みつけながら歩き、次の雪を待つしかなかった。また、雪庇が発達している部分が多く、雪があっても危うくて歩けないような場所もある。40分程歩き、見覚えのある道標が眼下に見えて来た。そこまで下りると、「双六小屋」と右に矢印が出ている。「遂に来たな…」。ここが秩父岩のトラバースだった。前の斜面は下に激しく落ち込んでいるので先は見えない。去年は気付かなかったが、前方には槍ヶ岳からの稜線がばっちり見えていた。ここで一旦ザックを下ろし、小休止を入れる。水を飲み、呼吸を整えた。「ボツボツ行くかな…」。その見えない斜面に向かって歩いて行くと、行く手にはしっかりとしたトレースが付いていた。僕らが去年通ったようなダイアゴナルなラインではなく、一旦まっすぐ下り、斜面が落ち着いた所からうまく斜めにトラバースしていた。そのトレースに従ってまっすぐ下りる。「あれ、全く怖くないぞ…」。斜面が落ち着いて来たので、適当に左にトラバースした。「うん⁉️余裕やな…」。そのままトラバースし、向こう側の尾根に乗った。そこから秩父岩の方を見上げ、「多分、去年は一番悪いラインをトラバースしたから怖かったんか…。いかに簡単なラインを見極めるかが技術なんやな」と、このトレースの主に感心した。
そして、この尾根から前方を見下ろすと、去年あれほど苦労した秩父平の藪が、ほぼ全部雪に埋まっていた。稜線上には少しあったが、トレースがその稜線の少し左側をトラバースするように付いているのが見える。ここから、一旦結構急な斜面をカニ歩きやダイアゴナルラインで下り、秩父平に降り立った。トレースに従い何の問題もなく稜線の左側をトラバースして行った。「去年の苦労はなんやったんや…」。ここから去年ビバークしたであろう大ノマ岳の手前の小トップを越え、大ノマ岳の辺りでテントを撤収しているソロ男性がいる所にやって来た。お!この人、バックカントリー穂高の太田さんちゃうんか…?「こんにちは」と挨拶すると、声としゃべり方もそっくりだった。よっぽど、「太田さんじゃないですか?」と言おうと思ったが、やめておいた。(結局、別人だったと思う)。「どちらから来たんですか?」と聞かれたので、「笠ヶ岳から」というと、やはり「どのルートで笠ヶ岳登ったんですか?」と聞かれ、「笠新道から」と言うと、「それはきつかったでしょう!」と、やはり笠新道はこの時期あまり使うものではないらしい。少しの立ち話の後、「お気を付けて」と先に進んだが、彼は撤収を終えすぐに追い付いて来た。彼は大ノマ乗越から下りるらしい。「やはりか…」。僕が弓折岳の稜線通しに下りるというと、やはりそれは珍しいという。大ノマ乗越への道は危険だと思っていたのは勘違いで、この時期の定番のようだ。そういえば、笠新道分岐の辺りで老夫婦とすれ違ったが、彼らは大ノマ乗越から上がって来て、乗越の少し先に幕営し、そこから軽荷で笠ヶ岳までピストンしていた。それはそれで珍しいと思うが、僕がセオリーだと思って実行している今回の山行ルートは、それほどセオリーではなかったかもしれない。この太田氏似の男性はかなりの登山歴で、秩父岩のトラバースのトレースも彼が付けたものだった。最近はあまり誰も行かない低山を残雪期に狙っていて、今回は「板戸岳」に行ってきたらしい。大ノマ乗越へ稜線を一緒に歩いている時に、「どれですか板戸岳って?」と聞くと、「あの手前の低い山です」と教えてくれた。前々日は双六小屋の避難小屋に泊まっていたというので、その辺りから縦走できるのかもしれない。大ノマ乗越が近付いて来た。少し先の猛烈な傾斜地にテントが見え、太田氏が「すごい所にテント張ってますね!」。「そうですね!」。あの老夫婦があんな所に張ったなんて信じられなかった。「ではお気を付けて」と太田氏は大ノマ乗越をサクサク歩いて下りて行った。
また一人になり、ちょうどさっきの急傾斜に張られたテントの横にやって来た。遠くから見えるとソロテントのように見えたが、実際はかなり大きいテントだった。しかもうまく雪面を整地していて、近くで見ると実にうまく張られていて快適そうに見えた。「あの人たちはプロやな…」。そこを過ぎ、しばらく登ると弓折岳にやって来た。ここが去年の印象とまるで違っていた。もの凄く開けた平らなスペースになっていて、テントは張り放題だ。景色も抜群で、大ノマ乗越よりも随分華やかな雰囲気だった。ここで、下から弓折岳の尾根を上がってきたBCの若いソロ登山と少し会話した。少し前に太田氏から「双六小屋の避難小屋はBCの人達でぎゅうぎゅうだった。テントにしておけばよかった」と聞いていたので、この人も双六小屋に行くのかなと思い、「双六小屋ですか?」と聞いていた。すると、「僕は日帰りなんです(笑)。来年このルートで鷲羽岳まで行こうと思っていて、その下見です」と言う。「あー、なるほど。では今日は行けるところまでなんですね!」「はい」。若いだけあって彼の歩くペースは速く、あっという間に先に行ってしまった。
この弓折岳から先がかなりタフだった。登り返しが何度も続く。前方には樅沢岳が大きく聳え、最初は「まさか、あれを登るん?」と恐怖していたが、太田氏から「途中でトラバースするので、あれは越えなくて大丈夫ですよ!」と聞いていた。しかし、行動時間も7時間を超えかなり疲れも溜まってきていたので、あまり大丈夫ではなかった。唯一の救いは、ここから双六小屋への最後のトラバースに向けて、ずっと最高の槍ヶ岳を見ながら歩けることだった。幕営適地も随所にあり、笠ヶ岳への稜線に誰もいなかったのと大違いで、多くのテントが張られていた。双六小屋はかなり稜線から下がったコルにあり、眺望もなく、携帯の電波も入らない。なので、やはりこの辺りのどこかでテントを張り、そこから双六岳をピストンがお勧めだ。僕もよっぽどそうしようかと思ったが、双六小屋の先の稜線に張る可能性を少しでも残したかったので、我慢してテントを担いで歩き続けた。
双六小屋への最後のトラバースに入った。トレースがばっちり付いていたので問題はなかったが、もしノートレースなら少し緊張するかもしれない。トラバースを終え、雪に埋まった双六池の平らなスペースにやって来た。疲れは限界寸前でもう小屋が見えるものの、すごく遠くに感じる。小屋に少し近づいた左手に急斜面があり、さっきのBCの若者がそこを直登していた。小屋を経由せず、ここから登るというパターンだが、猛烈な急傾斜だった。
やっと平地を歩き切り、双六小屋へやって来た。小屋のすぐ近くにテントが一張りだけある。やはり、この時期、この場所は人気がないようだ。とりあえず、適当な場所にテントを下ろした。残念ながら、ここから更にザックを担いで斜面を登る体力は僕には残されていなかった。ふと左前方を見ると、しっかりとスノーブロックが積まれ、ゴージャスに掘り下げられた幕営跡が目に入った。そこまで歩いて行くと、テントの前室部分もきっちりと一段低く整地されている。「すごいなこの人…。これ使わせてもらおう!」と反射的に思い、ザックを置いた場所に急いで戻り、ここにザックを置いた。昨日の2時間の整地があまりにも大変だったので、今日またそれをする気力は残されていなかった。また、終始風が弱かったにも関わらず、なぜかこの双六小屋は風が強かったので、完璧に積まれたスノーブロックも魅力的だった。
双六小屋にはトイレが用意されていることは誰かのレコを読み知っていた。モンベルのO.D.トイレキットは持ってきていたが、もしトイレがあるなら念のため場所を確認しておきたい。それで、建物をくまなく歩きまわってみたが、トイレはどこにも見つからなかった。冬期小屋の場所はすぐに見つかったので、そこにも行ってみたが、ぱっと見た感じではそこにも見当たらなかった。一旦諦めて、居抜き物件の方に戻って、小屋の裏手からの双六岳へのルートを確認したりしていると、避難小屋の前に男性のソロ登山者が立っているのが目に入った。「あ、あの人に聞いてみようかな?もしかしたら知っているかもしれない」とまた避難小屋へ歩いて行った。
避難小屋に着くと、そのソロ登山者は年の頃、僕と同じくらいに見えた。「こんにちは!双六小屋にはトイレがあるらしいんですが、場所ってご存じないですか?」と聞いてみた。すると、「全然分からないです」と残念ながら彼も知らなかった。「急を要しますか?」と少し面白い聞き方で質問され、「いえ、全く。ただ、せっかくなので念のため、場所を確認しようと思って…」。「確かに、ここ掘るにも掘るとこないですよね(笑)」とやはり少し面白い。彼は、今双六岳に登って来たばかりで、休憩中だという。しかも、この後、西鎌尾根の硫黄乗越の辺りで幕営するという。硫黄乗越…、この人も強者だな…。この後、色々楽しく会話させていただいた。ザックが僕と同じだったので、「これ、エクスペディションパックですね!」と言うと、「ええ、100Lです。これいいですよ!なんでもガンガン放り込めるので(笑)」。「いや〜、僕も80Lを買った時に、知っている人に、『予言します。そう遠くない将来に100Lが欲しくなります』って言われたんですよ(笑)。ただ、80Lでも今回荷物が多すぎて、疲れ果ててしまいました」。彼は、「ちょうど、これ今25kですよ。担いでみますか?」と言い、「ちょうどこれを入れれば」とトップリッドにアイゼンを無理やり押し込んだ。お言葉に甘えて、彼のザックを担いでみた。「うん!? 軽いな…」「え、お兄さんのザックの方が重いですか⁉️」「はい、なんかそんな気が…。オレ、何キロ背負ってたんや…」。その後も、彼が持っているお勧めギアなど、時間があればずっと話していられそうだった。そろそろ、行動せねばと思い、「かなり疲れちゃったんで、休憩して夕方くらいに双六岳登ろうと思ってます」と言うと、「いや、今登った方がいいですよ。夕方は確かにきれいなんですが、雲も上がってきやすいので」とアドバイスしてくれた。「確かに!じゃあ、とりあえず、テント張って頑張って行ってきます」と言いながら、彼とそこで別れた。彼は僕と話し終えてすぐに、樅沢岳への急登を登って行っていた。もう休憩はとっくに済んでいて、僕と話すために時間を使っていてくれたような気がした。後から知ることになるが、彼はフォローしている鹿さんだった。レコを見てもらえれば分かるが中々の破天荒ぶりで、話していて面白く感じたのも納得だった。
6.双六岳アタック
少しだけ居抜き物件を拡張し、ステラリッジ2型を張っていった。地面を掘り下げると、ガイラインに竹ペグでテンションを掛けるには、スペースがかなり余分に必要になる。この時も少しスペースを拡張したくらいではどうにもならなかったので、4つのガイラインの内、手前の2か所しかテンションを掛けられなかった。まあ、稜線上でもないので大丈夫だろう…。小一時間で設営が終わり、鹿さんのアドバイスに従い、アタックの準備を始めた。かなり疲れが溜まっていて億劫だったが、双六岳に登らないわけにもいかないし、登るからには最高の山頂を満喫したい。
午後2時前に準備が整い、小屋の裏からスタートした。登山道は最初は少し雪が付いているが、すぐに地面が露出した夏道になる。アイゼンを付けたまま歩きにくい道を行くと、分岐にやって来た。道標があり、三俣蓮華岳(右、カール経由)と双六岳(左)とだけ書かれていた。僕は、3つのルートが指し示されていると期待していたので少し不安になる。セオリー通り、中道を途中まで行き、そこから左に折れて稜線ルートに乗る予定だったので、なんとなく中道っぽいルートを歩いて行く。みんな最初から稜線ルートを行っていて、中道ルートにはあまりはっきりしたトレースは付いていなかった。どうしてもその稜線ルートに流されるバイアスがかかり、僕も知らず知らずのうちに、中道ルートよりも上目をトラバースしてしまう。意識的に高度を上げないように気を付けながら歩いて行った。そして、前方に稜線がはっきり見え始め、双六岳の場所もはっきりし始めた。スクリーンショットを撮った三俣山荘のルート図を見ながら、適当な場所で左に曲がり、稜線へと直登を始めた。ちなみに、携帯の電波はかなり双六岳の山頂に行くまで入らなかった。なので、小屋を越えても、中途半端な場所にテントを張ってしまうと、苦労する割にはメリットが少ないかもしれない。
稜線に乗ると、勿論、「天空の滑走路」を意識しながら歩いて行く。どういう角度で写真を撮ればあんなふうに写るのか…。色んな場所を歩きながら、かなり試しては見たが、自分の記憶にあるようなインパクトのある写真を撮ることはできなかった。やはり、写真の技術が必要なのかもしれない。気持ちのいい稜線を歩きながら、疲れも吹き飛んできた。最後のちょっとした雪壁を登り、山頂に辿り着いた。すると、なんと、山頂にはテントが二張り張られていた。若い男女のカップルで、テレビ電話を使って友達と話していた。もしかしたら、友達も別の山頂にいて、お互い山頂報告をしているのか⁉️。さすがに山頂標識とはかぶらない所には幕営していた。彼らのテントの前を通り、双六岳の山頂標識にやって来た。双六岳には山頂標識が3つもある。笠ヶ岳側に一つ、黒部五郎岳側に一つ、その間に真新しい風情のないのが一つだ。山頂は風もなくとても穏やかだった。眺望もどこを見ても文句のつけようがない。黒部五郎岳と薬師岳にはまだたっぷり雪が付いている。右に視線を移せば、三俣蓮華岳が思ったよりも近くに見えた。そしてその横にはあまり雪のない鷲羽岳がでかい。双六小屋からは鷲羽岳が一番見えるようだ。そして更に視線を移せば、当然の西穂から奥穂、そして天空の滑走路越しの槍ヶ岳が完璧だった。ちなみに北アルプスの縦走路の最重要部分は、双六岳と三俣蓮華岳を結ぶ区間だ。
ここは「槍ヶ岳から穂高岳」「笠ヶ岳への稜線」「槍ヶ岳から常念山脈」という主要稜線がある北アルプス南部と、「黒部五郎岳から立山」「鷲羽岳から烏帽子岳を経て後立山連峰」という主稜稜線がある北部/中部を1か所で結ぶ部分。つまりここを通らなければ、北アルプスの南北をつなげた長い縦走路をとることは不可能なのだ。 【出典:北アルプス テントを背中に山の旅へ 高橋庄太郎】
道理で眺望も全方位完璧なわけだ。本当なら例の若者2人と話したいところだが、友達とテレビ電話でお取込み中だ。とその時、別の男性ソロ登山者が上がって来た。「最高の景色ですね〜(ため息)」「ええ」。彼は、今日一日でここまで上がってきたらしい。「え⁉️日帰りですか?」と聞くと、「いえいえ、今日は避難小屋に泊まります。YAMAPなんかでは鷲羽岳まで行ってる人がいるのに、双六岳まででも結構大変でした」。しばらくの間、彼と心地の良い会話を楽しんだ。やはり、若者と話すよりも、同世代と話す方が落ち着くということだろう。後で知ることになるが、彼はヤマレコでフォローしているKgcmさんだった。
そろそろ行くかなと彼に別れを告げ、彼が登って来た道(僕が登って来た道とは別)で下りて行こうとした。すると、すぐに雪がなくなってしまったので、すこし気まずいが、やはり例の若者2人のテントの前を通って、来た道を帰ることにした。その時はもう彼らは友達とのテレビ電話を終えていて、自然と会話することができた。「どちらから来られたんですか?」と女性の方に聞かれ、「笠ヶ岳です」と答えると、「笠ヶ岳いいですね〜」「普通に笠新道からですか?」と男性に聞かれ、「はい」。お、この人たちは笠新道を普通と言ってくれるのか?「確か、行きに怖くて下りてきた人いたよね?」と男性が女性に確認する。「しかし、よくここまでテント担いで来ましたね?」と言うと、男性が「ははは!でも、槍ヶ岳撤退してるんで。西鎌倉尾根で槍ヶ岳目指したんですが...」「それは時間切れかなんかですか?」「いえ、朝の6時には(恐らく双六岳山頂)出たんですが、思ったより雪があって...」「私が怖くなっちゃったんです」と女性が男性を気づかってか割って入った。「そう言えば、さっきチラッと耳に入ったんですが、昨日からいるんですか?」と聞くと、男性はためらいながら「いや、おとといから...」「(双六岳の)主じゃないですか😂」
帰りは春道にこだわらず、稜線ルートで帰ろうと思いながら歩いていた。色んなルートを見てみたいと思ったからだ。しかし、この稜線ルートも途中雪がなくなってしまった。アイゼンを研ぎたくないので、そこから急遽、中道ルートへ移行しようとした。しかし、そこはかなりの急傾斜で、スキーで滑ると気持ち良さそうだが、歩くにはちょっとという感じだった。「まあ、適当に行くか...」と、ダイアゴナルにずっと下りて行き、最後は小屋の少し手前に続く急斜面を直下りした。
テントに戻ると、時刻は4時半頃だった。前に一張りあったテントにも人が戻ってきていた。男性の若いBCスキーヤーだった。既に水作り用のビニール袋に雪をいっぱい積めてあったので、「雪、どの辺から取りました?あまりきれいな雪ないですよね?」と聞くと、「あ、深く掘りました...」。「やっぱりそんな感じですよね!」
自分の居抜物件はもともとかなり掘り下げられていたので、とりあえず、後側の壁から雪を調達し、テントに入った。双六小屋に来た時は疲労困憊で、気分も沈んでいたが、山頂で絶景と会話を楽しみ、かなり気分が回復していた。「さあ、まずは何か食べるか...」と、残っている水を沸騰させ、カップラーメンを食べ、またウィンナーを焼いた。昨日荷物を減らすために、ビールは2本とも飲み切っていたので、少し寂しい。やはり、今日のために一本取っておくべきだったか...。
少し休憩してから、水作りに取りかかった。大体雪から作った水は、はっきりとそれと分かるぐらいまずい。しかし、今回は、双六小屋での雪質を考慮し、携帯用浄水器「ソーヤミニ」を持ってきていた。いつもは雪を融かした後、コーヒーフィルターで濾して使う。今回は融かした雪水をそのままエバニューのソフトボトルに入れ、ソーヤミニを付けて搾ることにした。結果、この浄水器で搾り出した水は普通の水と同じくとてもおいしかった。搾りにかなり力と時間が必要なものの、うまい水はとてもありがたかった。「もっと前からこうしていればよかった😃」
ここから明日の行程を考えた。多分、三俣蓮華岳までの往復なら3時間くらいで行けるはずだった。もともとの下山予定が12時くらいだったから、それが午後3時になるということだ。かなり悩んだ挙げ句、ここまでの疲れを考慮し、明日は下山に集中することにした。最後の関門、「弓折岳からの稜線下り」を成功させるのが、最優先だろう。午前3時に目覚ましをセットし、2日目を終えた。
7.しっかり下山も最後にパニック
最後の朝、3時に起きた。風も弱く、それなりにぐっすり眠れた気がした(実際は、いつも下山後に睡眠の質をチェックするが、あまりよくはない)。昨日作った水を沸騰させ、また同じ種類のカップラーメンを食べた。コーヒーを飲みながら目を覚ましていく。レインフライを開け、空を見上げると、今日もまたいい天気のようだ。
しばらく休憩していると、そろそろやって来てもおかしくないものがやって来た。便意だ。持ってきたO.D.トイレキットを試さねば。「これは人間として避けては通れない道だ」と自分を鼓舞する。結果、意外に何の問題もなかった。付属の吸水ポリマーはいい仕事をしてくれた。これで、今後のロングテン泊への可能性が開けた。
外に出てテントの撤収を始めた。前のテントの男性はまだ寝ているようだった。また、苦労して竹ペグを回収し、少し風が出てきていたので、苦労しながらテントを畳んだ。5時半頃準備が整い、下山をスタートした。恐らく双六池の上を歩き、左手からトラバースを上がっていく。このトラバースを登り切った場所が絶好の幕営地になっている。槍穂の景色が素晴らしく、前方に見える樅沢岳が意外に雄大だ。後知恵だが、結局双六岳より先に行かなかったことを考えれば、ここで張っておけば、何倍か2日目の夜を楽しめたことだろう。
どんどん登っていくと、行きに気になっていた、ヘリテイジのクロスオーバードームが2つ並んでいた所にやって来た。男女2人が丁度撤収しているところだった。前からクロスオーバードームが気になっていた僕は女性の方に、「このテントどうですか?」と思わず聞いてみた。いきなりの僕の質問にも、彼女は「え?クロスオーバードームですか?」と、話が早い。「いいですよ、この時期は😊」。「行きから2つ並んでいて、気になってたんです😃」。男性の方が新型で、彼女のは旧型らしい。新型は足元部分にベンチレーションがあり、そこから風が吹き込んで寒いらしい。でも、この時期は結露も少なく、2人とも満足しているようだった。今現在すんでのところで、ポチるのを踏みとどまっている。
弓折岳の少し手前にやって来た。ここであまりにも喉が渇いたので、ザックを下ろし水分を補給する。すると、左側の斜面に結構はっきりとしたトレースが付いているのに気が付いた。「いきなりここから下りたんか...?」。下を覗きに行くと、遥か下に小屋が見えた。「なんやあの小屋は...?」。目の前には中崎尾根が見え、それと西鎌尾根に挟まれた場所にある小屋って...。山と高原地図を見ると、「おー!あれ、鏡平やん😂」。雪山は、道は自由とはいえ、ここからいきなり下りるとはかなり自由やな...
すぐに弓折岳に到着した。ここが下山のクライマックスだ。YAMAPでPeak2Peakのレコの軌跡をダウンロードしてきていたので、それを見ながら下りどころを探す。下り口は、山頂標識のある所よりもかなり手前側にある尾根だった。斜面が急激に落ち込んでいるので、かなりキワキワまで近付いていかないと、ルートが見えない。近付き、下を覗き込むと、ちゃんとトレースが付いているのが見えた。「よし、これやな」。右手にハイマツがある急な下りを下りていった。春道と知らせる赤と黄色のテープも見付けられた。しかし、中々の斜度、かつ、所々ハイマツを避けようと、少し危ない雪面をバックステップで下りたり、若干緊張するトラバースしたりする必要があった。「う〜ん...、そんなに万人受けするルートでもないな、これ」
弓折岳の中段からは鏡平へ続く夏道尾根に合流するのだが、そこから別の支尾根が出ていて、それを行くと小池新道へのショートカットになるのを地図で確認していた。少し不安だったが、鏡平に寄り道する意味はないので、このショートカット尾根を試すことにした。しかし、何故だが徐々に右の雪渓に引き寄せられ、何だか良くわからない急斜面を強引に下りてしまった。丁度その頃、僕が最初に下りる時に使った尾根の一本向こうの尾根から、3人パーティーが下り始めた。手にはストックしか持っていない。しかし、ものすごいスピードで下り、先頭の男性はあっという間に僕を追い抜いてしまった。「あっちの尾根もありやったか...?」
小池新道はここからも手強かった。ボーッと歩いていると、自然と沢筋に迷い来んでしまう。これで、去年は大変な苦労をした。冒頭にも書いたが、この時期でも、「熊の踊り場を越えて少ししたら、シシウドケ原に向かって右にトラバース」しなければならない。しかし、先ほどの3人パーティーはそんなことお構い無しにガンガン雪渓を下りていく。僕もついつい彼らにつられ、トラバースすべき箇所を少し越えてしまった。逐一YAMAPの軌跡を見ながら下りていたので、すぐにそれに気付き、少し登りながら右にトラバースを始めた。すると「ここかな?」という辺りに、トレースが付いていた。「やっぱりあるやん☺」と思いながら、少しトレースをたどり、斜面が落ち込む所に到着した。ここで、下から楽なトラバース道がシシウドヶ原に続いていると思っていた。しかし、それは甘い幻想だった。下には、3人(男性1、女性2)の登山者が立ち往生していた。残念ながらあのトレースは彼らが付けたものだったようだ。僕は彼らの所に下りて行った。彼らは単純に夏道通りこっちだと思ってここに来たが、あまりにも恐ろしいトラバースにこの先進んでいいか思案しているらしかった。僕は、「この時期も、このルートがセオリーですよ。もしかしたら、単純に雪渓をそのまま下りても小池新道に合流できるかもですが、僕は教科書通りのルート取りに来ました」と説明した。「後ろを付いて行ってもいいですか?」と言われ、「いいですが、僕も試行錯誤しながらですよ」と言いながら、どんどんトラバースして行った。道は、素直なトラバースではなかったが、特段難しいことはなかった。ただ彼らは、「え!?ピッケル持ってる…」とひそひそ言っていて、僕には付いて来られないようだった。無事にトラバースを続けると、また例の赤と黄色のテープが出てきて、その下に夏道の石段が下に続いていた。「やっぱり、ここやったな」。その石段を下り、隣の雪渓に降り立つことができた。雪渓の中央まで歩いて行き、やっとここでヘルメットを外し、ピッケルをストックに交換した。水を飲み、ようやく危険個所を越えたと安堵した。
「あの人たち大丈夫かな…」と思いながら、雪渓を下りて行くと、彼らがトラバースを全くせずに、そのままあまりにも危険な道を直接下降しようとしているのが見えた。少し悩んだが、大きな声で叫んだ。「トラバースした先にちゃんと夏道の印ありましたよ!そこはあまりにも危ないんじゃないですか!?」。すると僕の声は聞こえたようで、「下りられそうなので、大丈夫です!」と男性から返事が返って来た。草付きを掴みながら強引に下降するつもりらしかった。「まあ、無事を祈ろう…」と僕は先に進んだ。
この先も小池新道は、なぜだがぼーっと歩いているとルートを外してしまう、本当に不思議な道だった。逐一YAMAPやヤマレコを見ながら軌道修正を繰り返しながら歩いていると、右手に登山者が2人見え始めた。なぜか彼らは時折、よく分からない犬の鳴き声ような大きな声を上げる。近くまで行くと、2人は先ほどの弓折岳の別の尾根を豪快に下りていた3人パーティー(男性2、女性1)の2人だった。近くで見ると2人はかなりのシニアで、パーティーの1人を待っているという。「男性のソロの人を見ませんでしたか?」と女性に聞かれ、そういえばさっき追い抜いたなと思い、「大分上の方ですが、やたらと左にそれた所に1人いました」と伝えた。さっきの犬のような鳴き声は、仲間を待っている男性が出していた奇声で、遅れている仲間に自分たちの場所を知らせる合図だったようだ。「リアル山屋やな…」。この奇声の男性は、悪気はないのだろうが、かなりつっけんどんで、話が全く弾まない。でも、今日は三俣蓮華岳から歩いてきているそうで、年齢を考えると、とてつもない鉄人のようだった。
彼らが仲間を待っていた場所の奥から、小池新道は分かりにくく続いていた。秩父沢出合にはまだ橋が架けられておらず、薄いスノーブリッジを踏み抜かないように慎重に向こう岸に渡る。しばらくと行くと、遂に去年小池新道に復帰して安堵した、完全に雪がなく、岩に矢印や〇などが書かれた所に辿り着いた。「おー!やっと来たな、ここ…」。ザックを下ろし、やれやれとアイゼンを外した。しばらくここで水を飲みながら休憩した。ここからしばらくは夏道そのものの分かりやすい道だったが、すぐにまたややこしくなる。もう一度、雪にしっかり覆われた沢を迷いながらなんとか渡渉したところで、また例の3人に追いつかれた。待っていた仲間の男性も合流していた。ペースがほぼ同じだったので、この辺りから少しの間共に歩いて行った。弓折岳の豪快な下り方といい、シシウドヶ原へのトラバースを無視してもちゃんと合流してくる嗅覚といい、只者ではない。少し、彼らが休憩で止まった時に、女性に質問してみた。「やっぱり、登山の経験長いんですよね?」「え?」と言いながらも彼女は、「はい、長いですね。もう30年くらい歩いているかしら…」。「それを聞いて安心しました。これで登山経験が短かかったら、(迷いまくっている)自分が恥ずかしいです😓」。結局、普通の道(リアル夏道)になるとさすがに僕の方が歩くのが速かったようで、その後、彼らに追いつかれることはなかった。
やっと迷いやすい道がなくなり、普通の左俣林道になった。時折、猛烈なデブリの壁を乗り越える所はあったが、特に問題はなかった。この辺りで、男性3人パーティをパスする。後ろ姿が若々しく巨大なザックを背負っていたので、若い3人かと思ったが、1人(恐らく同世代)を除きかなりのシニア登山者だった。平地になりかなり暑くなってきて、はきっ放しのアルパインパンツとスパッツを早く脱ぎたくて仕方なかった。しかし、中々面倒な作業なので、ワサビ平小屋に着くまで我慢し続けた。やっとワサビ平小屋に到着し、全部脱げた時には物凄く爽快だった。ここでかなり長めの休憩を取る。もう水も十分足りるので豪快にがぶ飲みした。さっき抜いた3人もすぐに追い付いて来て、同じように長めの休憩を取っていた。
彼らよりも先に再スタートした。正に新緑の風薫る気持ちのいい登山道だった。清流の音を聞きながら気持ちよく歩ける。すべて無事にやり切った満足感と相まって、最後の林道歩きなのにあまり苦痛ではなかった。しかし、それは突然現れた。前に、黒い物体がぶらぶらこちらに近づいてくる。「熊や…🥶」。遂に遭遇してしまった…。完全にセオリーを忘れ、熊に背中を向けながら早歩きで元来た道を引き返す。完全にパニックになっていた。セオリーは、「熊を見たら背中を見せずにゆっくり後ずさり」だ。かなり距離をとったのはいいが、これでは熊がいなくなったのかどうか分からない。仕方がないので、しばらくそこで息をひそめていると、また熊がゆっくりこちらに近づいてくるではないか!「これ、完全にアカンやつや…」。もうこうなったら、元来た道を全部引き返し、後ろから来ている3人の登山者に助けを求めるしかない。かなり必死に引き返し、やっと例の男性3人パーティーが歩いている所に戻って来た。「クマ、クマ…」。息が上がって自分でも何を言いたいのか分からない。もう少し彼らに近づき、「この先、クマがいて通れないです!」と彼らに伝えた。彼らもびっくりしたようで、「大きかったですか?!」と言うので、巨大に見えた僕は、「でかいです。アカンやつです」。すると、カップルの登山者が、僕らが止まっている所にやってきたので、「この先クマがいる」と事情を説明した。ここで、このカップルの若い背の高い男性が、「どの辺にいるんですか?」と僕に聞いたので、「ゆっくりこちらに歩いてきているので、その先の角から見えるかも…」というと、彼は男前だった。さーっとそこまで走って行き、クマを目視したのか、指笛を「ピーピー」と鳴らした。そしてこちらを振り向き、「逃げていきましたよ😀」と言いながら戻って来た。「おー!ナイス!!」。なんて頼もしい男やと彼女が羨ましくなった。「でかかった?」と聞くと、「小熊ですね。でも、ってことは近くに母熊がいる可能性があるので、むしろ危ないですよね」。そりゃそうだ。やはり3年近くも山を歩くと、一度はクマを見るということか。
暫くはそこにいた登山者で行列を作りながら歩く。3人の男性パーティーの一番若い男性が先頭で奇声を上げてくれた。非常にありがたかった。ただ、しばらくすると、どうしても僕の歩くペースが速いので、1人で先頭を歩くことになってしまった。仕方なく、それ以降、熊鈴を振り鳴らし、「人間通るぞ〜!逃げろよ!」と絶叫しながら歩いて行った。事情を知らない人が後から追い付いて来たら、かなり危ない人だと思ったことだろう。
左俣林道も遂に終わり、ショートカット道を通り、登山指導センターに戻って来た。最後の最後でセオリーを完全に無視してしまったが、それ以外は、去年の過ちを全て修正し、ほぼパニックなく山行楽しむことができた。なんといっても、こんなに最高の天気に恵まれた幸運に感謝した。双六岳の先に行けなかったのは単純に体力不足だったが、またこの時期、今度は雲ノ平まで足を伸ばしてみたいと思いながら、駐車場までの最後の道のりを歩いて行った。
いつも拝読しているTtmDerivさんの山岳小説に自分がエキストラで登場するとは、何か不思議な感じです。
わさび平ではご挨拶のみでしたが、その後にクマ騒動があったとは!確かに、林道のど真ん中に割とフレッシュな「落とし物」があったので、その落とし主なんでしょうね…
それにしても最高の天気と景色でしたね♪
いずれまたどこかで!👋
あー!もしかしてわさび平で冬靴をザックに付けて、トレランシューズっぽいのに履き替えてた赤いウェアの男性はKgcmさんでしたか!ヘルメットを脱がれていて、山頂とかなり印象が違い気付いていませんでした😅
先月重要性を学んだばかりのメットは小池新道入口で脱ぎましたし、サングラスを“うん国際”避難小屋で壊してしまいスッピン(フツーの眼鏡姿)でしたからね😂
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する