南ア南部サイクルエッセンス、味わいつくす安らぎと忍耐⁉️
- GPS
- 51:19
- 距離
- 51.3km
- 登り
- 4,689m
- 下り
- 4,685m
コースタイム
- 山行
- 6:04
- 休憩
- 0:36
- 合計
- 6:40
- 山行
- 15:43
- 休憩
- 1:11
- 合計
- 16:54
天候 | 晴れ、雨、曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
1. 変わらぬ思考回路
安らぎが欲しい。いつもの思考パターンだった。ここ2回の山行はかなり危険で、精神力がすり減っていた。こういう時、決まってのんびり歩ける周回に惹かれる。去年、西穂・奥穂の縦走中に地震に見舞われ、生きた心地がしなかった時も、次に選んだのは折立からの秘境周回だった。
代わり映えしないとは言うものの、ついつい「山と溪谷」は買ってしまう。その6月号の「全国絶景テント泊ベストルート」の巻頭は「南ア南部のエッセンスを味わいつくす」だった。芝沢ゲートからの聖岳・光岳の周回ルートだ。「エッセンス?味わいつくす⁉️」なんて、そそられるタイトルつけるんや😃南ア南部らしい大きくゆったりとした山容の写真に目を奪われた。小さくびっしりと書かれた山行記事も老眼に抗いながら何度も読み込んだ。
絶妙なタイミングで、てつさんがほぼ同じルートを行っていた。彼の山行で頻繁に登場する飛び道具にも、前々から関心があった。言うまでもなく「自転車」だ。決断はミリセカンドな質だが、それなりの投資なので心に炎が点くまで暖めていた。この周回ルートの山行記録を漁っている中で、芝沢ゲートから易老渡(聖岳ピストンならその先の便ヶ島)まで、自転車を使用しているのを数多く見かけた。この周回ルートは標準的には3泊4日だったが、何とか2泊3日でこなしたかった。しかし、標高差と距離(約5キロと50キロ)を見ると、テント泊装備を担いで2泊でやり切れるかは、自分の実力では微妙だった。そして、それが心(物欲)に火を点けた。殆んど調べることなく、月曜日にRENAULTの20インチ折り畳み自転車を「Amazon's Choice」になっているというだけの理由で即買いした。さすがアマゾンだけあって翌日の火曜日に届いた。会社から帰ってきてすぐに組み立てる。もっと自分でビス留めなどをしないといけないと思い億劫だったが、左のペダルを取り付けるのみだった。「めちゃ簡単やな…。逆に大丈夫か?」。さらに翌水曜日、会社を定時に出、夜7時の営業時間終了間際の近所の自転車屋に防犯登録に駆け込んだ。「何か保証書とかありますか?」と聞かれ、何も持たずに自転車だけで来てしまったことに気付いた。しかし、アマゾンで買った保証書は車体番号を含めて全部自分で書き込むだけだったので、「すみません、何も持ってきませんでした。ただ、車種名は分かりますし、車体番号もここに刻印されています」と、ハンドルバーの下のヘッドチューブを指差した。「RENAULTか…、確かにそこに(車体番号も)ありますね…。それでやっちゃうか…」と躊躇しながらも防犯登録してくれた。
2. 芝沢ゲートから聖平小屋
「松川インターって、登山者にだけ有名なんだろうな…」
また、岡谷ジャンクションをスルーして中央道をひた走り松川インターで降りた。今回は、ジムニーをチョイスしていた。水曜日の夜、防犯登録を終え、自転車を折り畳み、Sクーペのトランクに入ることを確認した。「完璧、完璧」と満足していると、横から妻が、「結局、ジムニー買ったの、無駄だったね…」と嫌味を言ってくる。確かに、雪もなくなり、最近全く山行に使わなくなっていた。「いや、ジムニーは冬とか、近場の狭い林道用やから…」。遠いんだよ、北アルプスとか、南ア南部は…。「しかし、確かにバッテリー上がりそうやな」。こういう経緯でジムニーで来たわけだが、これが大正解だった。芝沢ゲートまでの道は、途中すれ違い困難な箇所が多数あり、かつ、最後は路面の状態がすこぶる悪い。戸沢林道よりは辛うじてマシな程度だった。
発電所の駐車場を越え、「これ、まだ行くの…?」と思わず声に出した狭い林道を行くと芝沢ゲート前駐車場に到着した。始めに驚愕した。「なんじや、この車の台数は⁉️」。ロープで区画整理された駐車スペースには、きっちり20台止まっていて満車だった。「今日、そうは言っても、平日やで…」。いきなりエッセンス効果の恐ろしさを知る。区画整理されたスペースの手前側に、数台止まっていたので、その並びにつけた。すると、後ろから軽トラがやってきて、声をかけられた。「その先の(ロープを張っている)駐車スペース空いてなかった?」。関係者のようだ。「いや、一応見に行ったんですけど、全部埋まってました。ここに、止めてもいいですか?」。関係者はそちらを見つめ、「本当だね、いいよそこで」と言ってくれた。「しかし、金曜なのにすごいですね❗」と言うと、「いや、金曜だからよ〜」とかなり気さくな感じのおっちゃんだった。「来週、あの奥の草刈って、もう10台分くらいスペース作るからさ☺️」と、朗報を聞く。「いつ下山するの?」と聞かれたので、「日曜日です」と言うと、「なら大丈夫だ」。下山後、車の所に戻ってくると、既に区画整理の作業を始める準備がされていた。
今回はソフトボトルの脆さにいいかげん辟易したので、1Lのナルゲンボトルとmont-bellのクリアボトル0.5Lで臨んでいた。0.5Lのボトルは、同じくmont-bellのアジャスタブルボトルホルダーをショルダーハーネスに付けて使用する。一応、聖平小屋では沢から水を取るという情報を得ていたので、エバニューの2Lソフトボトルとソーヤーミニも持ってきていた。アジャスタブルボトルホルダーは使いやすく、非常に重宝したが、そのために片方のショルダーハーネスが埋まってしまった。普段は両方のハーネスにポーチを付け、小物の収納に十分な余裕があるのだが、今回はそれを犠牲にした。後にそれが仇となるが、なにを優先させるかの判断が難しい。あるいは両方のニーズを満たす便利アイテムを探して見よう。
今回のメインイベントの1つの自転車をトランクからおろした。ものすごく簡単に組み立てられる。ただ、その分、耐久性に不安があった。結論として、易老渡からの帰りにかなりの砂利道の下り坂を、結構なスピードで顔がブルブルするくらい疾走しても、問題はなかった。何となく頼りなく、すぐパンクするんじゃないかと恐れていたが、取り敢えず一回はもつようだ。今後の経過を見守る必要はある。
準備が整い、午前8時半頃、芝沢ゲートを自転車でくぐった。このゲートは自転車を担ぎ上げることなく、無理なく通れるスペースがサイドに空いている。てつさんから、「その後の登山に悪影響が出るので、上りは無理して漕ぎ続けず、押した方がいい。自転車は帰りのためにあると割り切るのが大事」とアドバイスを頂いていた。意外に行きも殆んど無理なく漕げたのだが、「自転車は帰りのためにある」というのは正にその通りだった。易老渡からの4.6kmをほぼペダルを漕ぐことなく、猛スピード&ノンストップで約15分で芝沢ゲートまで着いてしまった。「この飛び道具、すごいな😃登山者全員が導入して、登山口が自転車で溢れかえる時代が来るかも…」と少し恐怖した。
易老渡に着いてさらに驚いた。そこにあるガードレールにずら〜っと自転車が並んでいたからだ。数を数えるとちょうど10台止まっていた。駐車場に止まっていた車の台数が20数台だったので、結構な自転車率だった。自分もその中にスペースを見つけて駐車し、鍵をかけた。
ここから便ヶ島(たよりがしま)までは、昔は車で行けたようだ。山の高原地図を見ると、駐車場のマークがあり最初は混乱した。実際着いてみると、炊事場などが整ったいい感じのキャンプ場になっていて、綺麗なロッジのような建物があった。炊事場の方に上がっていくと、テントを張ると気持ちのよさそうなフラットな芝生になっていた。また、昔懐かしい公衆電話もあった。念のため携帯の電波を確認すると、やはり安定のサービスエリア外だった。「しかし、何でここまで車で来させへんねやろう」と思わずにはいられなかった。恐らく道路の崩落の影響を引きずっているのだろうが、素人目には全く問題なく通れそうな道だった。
ここから、リアル登山が始まる。「車中泊・テント泊 専用駐車場」の看板の左手から奥に登山道が続いている。最初は急登で始まる。しばらく行くと、遊歩道を横切る。そこを越えてさらに登って行くと、いきなり軽トラが止まっている所にやって来た。「どうやってここまで車で来たんや⁉️」。かなりのゴリゴリ登山道になっていただけに驚いた。恐らく、先ほど横切った遊歩道を下から上がればそこに繋がっているのか。前方にあるトンネルにはトンネルサイズギリギリの重機が入っていた。軽トラのトンネル側に3人の作業員の方が座って休憩されていた。思わず「ここまで車で来れるんですね❗」と話しかけた。すると、リーダー格の方が「ここから、この先ずっと整備してるのよ」と、僕の質問には直接は答えずに話し始めた。「あー、ここから上も車で通れるようにするんですか?」と聞くと、「一般の車は無理だけど、関係車輌は通れるようにする」という。「まあ、一般の車は便ヶ島まで来れるようになれば大分楽だよね」と近々そうなるような口ぶりだった。そして、思いついたように「昨日ここで滑落があったのよ。ヘリが旋回して大変だったよ」と教えてくれた。「このルートで滑落あるか…?」と思ったが、少し登山道から外れた場所でのことだったらしい。迷い込んでしまったんだろうか。「ここは初めてかい?」と大丈夫?という顔付きで聞かれたので、「しっかり予習してきました😅」と答えた。「熊に気を付けてな」と完全に暇潰しにからかわれている感じで送り出された。しかし、これ以降、長い間しばらく誰とも会わなかったので、彼らとの会話がありがたかった。
味わいつくす旅には無駄が必要だ。所々土砂崩れで塞がれた登山道を高巻しながらしばらく歩き、西沢渡(薊畑分岐)にやってきた。ここには有名(?)なワイヤーロープウェイがある。向こう岸に渡るのに、増水時は使わざるを得ないらしい。荷重制限150kgの荷物専用とある。ここの少し上流に仮橋が架けられていて、そこから明らかに向こう岸に渡れるのが見て取れたが、当然無駄を取りに行く。向こう岸に置き去りのゴンドラをまずはこちら側に引き寄せる。滑車に架けられたロープを綱引きのように引くと、やたらと重い。「結構力いるな…」。なんかおかしいと思い、滑車の後ろに回り込み、ロープを上から下に引くと幾分楽に引くことができた。それでも引けども引けども、なかなかゴンドラは近づいてこず、かなり重たくてしんどい。少し後悔し始めたが、後には引けなかった。足を思い切り地面に踏ん張り、必死にロープを引き続けた。やっとのことでぎりぎり乗り込める場所まで、ゴンドラを引き寄せた。さて、ここからが本番だ。ゴンドラの奥側(川側)から回り込んで乗り込み、ゲートを閉め、鉄の楔で栓をした。今度は向こう岸に渡されているロープを綱引きの要領で後ろに引く。摩擦が少なく最初は気持ちよく引けたが、なかなか進まない。かなりえぐい。絶対に女性には無理だと思った。汗だくになりながらロープを引き続け、半分くらい来たところで、中指の腹の皮がずるりと剥けてしまった。「軍手要ったか…。無駄を重視するのも考えものだな」と思いながら、何とかひーひー言いながら向こう岸に降り立った。無駄を重んじ、記念にと思って使ってみたが、ハッキリ言って決してお勧めしない。初日の体力のかなりの部分をこれに費やしたと言っても過言ではなかった。
ここから、少し道が不明瞭になる。こういう時はコンパスだけに頼ると得てして迷ってしまう。というのも、一旦行き先の方向とは逆に行き、旋回して目的地の方向に向かう事がよくあるからだ。やはり、紙地図を広げ、俯瞰して進まないといけない。この時も、一旦違和感を感じながら左に進むと、少し多めにピンクテープが出てきた。やはり、迷いやすいのだろう。
この後も鬱蒼とした森の中を静かに歩いていく。すると、いきなり巨大なイノシシのような黒い動物がガサガサと動いて、僕の前を疾走した。かなりの躍動感だ。鎌倉殿の13人の見過ぎだが、イノシシだと攻撃されるとやばい。かなりびびりながらよーく見ると、初めて見るが、恐らくカモシカだった。彼(?)も僕を見てびっくりしたのか、急いで逃げようとして、滑落防止の緑のネットに引っ掛かってしまった。必死にそのトラップから逃れようと頑張っているのだが、完全に絡まってしまったようだ。ず〜っともがいている。僕はその脇を通らないといけないので、少し離れた場所から「早くどこかに逃げてくれ!」と見守っていた。しかし、本当にこんがらがってしまったようで、ずっとその場で跳躍し続け、抜け出せないでいる。延々と待っているわけにもいかず、仕方なくびびりながら側を通り抜けた。かわいそうだが、ネットの絡みをほどいてやる勇気はなかった。みんなは、よくまじまじと見つめるカモシカの写真を撮っているが、僕にその余裕は全くなかった。
ここらは少し丹沢チックな痩せ尾根になる。曇りがちな空のもと、黙々と登って行く。そして、「ガレの上」から150mほど上に登ったところで、プチ道迷いしてしまった。また例によって、コンパスの指し示す方向と逆に行ってから旋回するトラップに嵌められた。かつ、その間違いの右方向には自分と同じトラップにはまった先行者の踏み跡があり、さらに間違い安くなっていた。崩落気味のゆるゆる土斜面を登らされてしまう。途中から明らかに危険すぎるので間違っていることに気付き、YAMAPを取り出した。すると、きっちり登山道から外れとる…。もっと早くYAMAPで見ればいいだけなのだが、リズムが狂うのでいつも面倒くさがってしまう。GPSで方向を修正しながら簡単に登山道に復帰できたが、こういうシンプルなプチ迷いが場合によっては遭難につながることもあるのかと、気を引き締めた。
相変わらず誰にもすれ違わないし、追い抜いたり追い付かれたりしない。あれだけ止まっていた車の主達はどこに行ったのだろうと思いながら歩いていた。すると、「イラモミの大木の下の広場」の辺りで、今山行初めての登山者に出会った。トレラン風の軽装の女性2・男性1の3人組だった。この時は「追い付いた」と思ったが、彼らは降りているところだった。ちょうどお昼ごろだったので、朝いちスタートして、聖岳をピストンしたんだろうか。ここから、ポツポツ登山者が降りてくるのとすれ違った。不思議だったのが、今回は本当に最後の最後まで、すれ違いばかりだったことだ。後から知ることになるが、この金土日で時計回り周回をしたのは、僕を含めて恐らく3人だけだった。
さらに上部に行くと、少し大きめの岩が連続する道になった。足を高く上げて岩を乗り越える感じに歩いていく。やはり、エッセンスを味わいつくさないといけないので、単純に歩くのではなく、地図を広げながらゆったり歩きたい。そう思って、取り敢えず岩が落ち着いた所で、マウンテンガイドパンツのサイドポケットに入れていた地図を取り出そうと、ポケットをまさぐった。「あれ、ない…」。また?どんなけ山でものなくすんや…。標高2060mだった。無駄だとは思いながら、暫く来た道を下りて探しに行ったが、やはり見当たらなかった。「ファスナーは開けたら面倒でもすぐ閉める」の法則をまた無視してしまい、授業料を払った。
ここから、薊畑までは特に問題なく進んでいく。ただ、歩きながら、今日明日の行程の事を考えていた。今日聖岳に登る予定ではなかったので、取り敢えず薊畑はスルーして聖平に向かうが、聖平と薊畑の間も20分ほどかかる。なら、わざわざ聖平に行くのではなく、薊畑周辺でビバークできれば行程時間の節約になる。そんなことを考えながら、それほど疲れることなく薊畑に着いた。時刻は午後2時半頃だった。道標の辺りに、レインカバーに覆われたザックが数個デポされていた。山頂にアタックしているパーティーがいるようだ。薊畑は風の通り道なのか、風が強い。しかも、平らなスペースが殆んどない、崩落地のような狭い場所だった。「これは、安らぎのかけらもないな…。ここでテントは苦行やな、水もないし、おとなしく聖平行くか😅」。曇りがちだったが、薊畑は眺望がよかった。聖岳とは反対側に、やたらと存在感のある山が目についた。PeakLensによるとそれが上河内岳のようだった。「かっちょえーな😃」。このコースを予習するまで、聞いたこともなかった山が、十分すぎるほど雄大なことに日本の山岳の底力を感じた。
ここから聖平までは意外にかなり下る。標高差は約150mだ。これを明日は登ることになるから大変だなと思いながら下っていった。すると、ほどなく道標が現れ、そこを左に曲がる。すると、そこには気持ちのいい平原に、歩きやすい木道が引かれていた。「これは気持ちいいなぁ☺️」と、うっとりしながら歩く。所々、すれ違いできるように、木道が二重になっていた。南ア南部もなかなかどうして、至れり尽くせりだ。もっとワイルドだと思っていた。木道が終わると、すぐに聖平小屋だった。ロープウェイに無駄な体力を使ったものの、比較的体力に余裕を残して到着できた。時刻は午後3時を少し回った頃だった。
小屋前に着くと、とても気持ちのよさそうなフラットなテント場が広がっていた。しかも、3時を回っているにも関わらず、誰も張っていない❗「多分みんな避難小屋なんだろうな…。もったいない。何で張らへんねやろう…」。理解に苦しんだ。「どこでも選びたい放題やな😃」。まだ、小屋がオープンしていないのは知っていたが、中に人がいるのが見えた。小屋番達が小屋開け準備に来ているのだろう。念のため断りを入れようと、小屋に入っていった。「こんにちは❗」と呼び掛けると、年の頃同世代くらいの精悍な男性の小屋番が出てきてくれた。「テントを張りたいのですが…」と言うと、「まだ、小屋やってないんですよね」と言われ、知ってはいたが、「あー、そうですか😓」と応じる。「じゃあ…、テント勝手に張っちゃっていいですか?」と単刀直入に聞くと、「どうぞ!」と快諾していただいた。「この目の前に張ってもいいですか?」と、小屋に一番近い気持ちのいいスペースを使わせてもらった。「後、水を取ることはできますか?」と聞くと、「まだ、水引いてないので、沢から取ってもらうしかないですね😓」と、遠慮がちにおっしゃった。多分、沢から水を取ることを、必ずしも快く思わない人もいることを考慮しての対応だったのだろう。ただ、僕にはそれは正に望むところで、「あー、近くに沢があるんですか😃」と、逆にテンションが上がる。「どこにあるんですか?」と聞くと、「もう、すぐそこです。テン場の左手の方です」と教えてらった。
久々に夏山仕様のテントを張っていく。意外に風が強く、グラウンドシートの四隅をデカイ岩で押さえた。ここまで地面がフラットだと、やはり夏山テントも快適で、かつ圧倒的にクイックに張れる。冬と夏で変えるのが面倒なので、自在は冬のままレインフライ側にしていたが、全く問題なく使えた。多少レインのガイラインループの傷みが早いかもしれない。3時半頃にはテントを張り終わった。
「さて、ゆっくりする前に水を調達するかな」と、トップリッドに入れていたエバニューの2Lソフトボトルとソーヤミニを取り出した。言われた通りにテント場の左に歩いていく。確かにホントにすぐにキレイな沢が流れていた。ソロキャンプをよくやっていた頃、こういう沢があるキャンプ場に好んで行っていた。懐かしく感じながら、少し上流の方へ歩いて行く。水を取りやすそうな流れを見つけ、ソフトボトルの口を流れに当てる。今回、最近買ったばかりのシェラカップを持ってくるのを忘れた。(おまけに家を出る前に頑張って沸かしたお湯を入れた山専用ボトルも忘れた😣)。ソフトボトルに沢の水はなかなか入りにくい。なので、シェラカップですくってからソフトボトルに移し替えると便利だ。
無事に水を調達し、ソフトボトルを持ってテントに戻った。「次はトイレの下見でも行くかな」と、ソフトボトルをテントの中に入れて、ファスナーを閉めた。水を調達しに行く前に、他の登山者にトイレの場所は聞いていた。テント場を右奥の方に少し歩くとあるという。そちらの方向に歩いていくと、すぐに男性用の小便器が1つと、女性・男性兼用のボックスが数個、男性専用が1つあるトイレ建屋があった。試しに男性専用の扉を開けると、トイレットペーパーが棚の上に置かれていた。しかし、単に前に使った人が置きっぱしにしているだけのような感じで、自分で持っていった方が確実そうだった。使用済みのペーパーは持ち帰るスタイルだ。
やっとテントに戻り、トランゴタワーを脱いだ。まだ足は痛くはなっていなかった。この靴は、大体3日目くらいから豆ができてしまう。いつものように飯より前にビールとおつまみだ。また、mont-bellのロールアップクーラーバック3Lに、500mlのペットボトルを凍らせ保冷剤代わりにし、今回は500mlのPSBを2本入れてきた。少し物足りないが、飲みたいだけ担ぎ上げるわけにもいかない。おつまみはキャンプを始めたての頃に存在を知ったピザポテトだ。自分だけの城に入り、気持ちのいい景色を眺めながら、ビールを飲む。ハッキリ言って、もうこれだけで十分だった。ビールとピザポテトをあっという間に平らげた。
今日は食パン好きには必須アイテムを初めて試す。「フォールディングトースター」だ。萩原編集長の「秒速!山ごはん」に触発されて、プリムスのものを買おうとしたがどこにも売っていなかった。仕方がないので、また深圳のパチリ企業のものを購入した。同じくこの本で紹介され、手を出してしまったテルモスの山専用ボトル900mlも、どれだけ保温力があるのか試したかったが、お湯を入れた後に台所に置いてきてしまった。このフォールディングトースターを試すために、ザックに食パンを一斤入れてきた。食パンのように甘くないパンは、スープやカレーなどを入れた皿を掃除する(で、食べる)のにいいという。ジェットボイルに、五徳を取り付けライターで火をつけた。その上に、フォールディングトースターを広げて置く。さらにその上に食パンを乗せた。フォールディングトースターの底面にはかなり薄く細かい穴の開いた網が取り付けられており、それがバーナーで熱せられると火をうまい具合に網が吸収し、間接的にその上に置かれた食パンに遠赤外線のように熱を伝える仕組みのようだ。かなりいい感じに焦げが付き、ザックの中でしんなりしてしまった食パンが、うまそうにカリカリになった。
鹿島槍ヶ岳への山行からフライパンを使い始めた。ジェットボイルがあるので鍋はあまり必要性を感じないが、フライパンにははまってしまった。今回も、牛肉の切り落とし、ウィンナー、コンビーフ、オイルサーディンなどを持ってきた。オイルサーディンはフォールディングトースターで、それ以外は全部フライパンで炒めるだけだ。特にコンビーフが簡単で、炒めるといい味を出してくれた。油分と塩加減を絶妙に供給してくれるので、野菜などを一緒に炒めるだけで十分満足できた。カリカリになった食パンに炒めたコンビーフと野菜を挟んで食べてみた。十分満足できる味だった。
さすがに疲れていたのか5時くらいから小一時間うたた寝をした。明日が一番のロングウォークになる。日中、電波がある時にWindyで確認すると、明日は朝のうちはいい天気で、午後3時から雨の予報に変わっていた。しかも、結構な雨量だった。入山前の予報では、土曜日は終日いい天気のはずだったが、さすがに梅雨時だけに目まぐるしく予報が変わるのか。外を見ると、濃い霧が発生していた。「明日は何とか雨が降る前に光小屋に着いて、テントを張り終えたいな」。濃い霧が何かを物語っているようで不安になった。「明日は、1時半には起きて聖岳でモルゲンを迎えよう」。そうすれば、時間も巻いて行けるかもしれない。明日、光小屋のテント場でオイルサーディンを焼くことを楽しみに眠りについた。
3. モルゲン聖岳
翌朝、予定通りに1時半に起きた。最近何でもブラックスタートでないと満足できないのは、ちょっとした精神病なのか。耳栓を外すと、鹿の鳴き声なのか、定期的に少し耳につくカン高い鳴き声がする。少し不気味だった。フラットなテント場、暑くも寒くもない気温のおかげか、かなり熟睡できた。やはり、もう冬の厳しさは全くなく快適そのものだった。軽く食事を済ませ、アタックザックに必要なもの入れる。今回はバランスライト20ではなく、ペラっペラのシーツーサミットのウルトラシルデイパックを持ってきた。あれもこれもと突っ込こむとちょっと厳しい頼りなさだ。今回はEXPEDITION PACK80ではなくALPINE PACK60で来たので、できるだけ嵩を減らしたかった。ウルトラシルデイパックは畳むと手のひらにすっぽり収まるサイズになる。相変わらず、カン高い動物の鳴き声は不気味に続いていたが、観念してテントの外に出た。時刻は2時半前だった。
安定のブラックスタートだ。小屋からすぐの木道のある草原に来ると、鹿が跳び跳ねているのが見えた。そのまま木道を行き、道標を右に曲がり薊畑を目指す。昨日下って来た道なので、ブラックでも安心感があった。意外にさほど苦しむこともなく、標高差150mを登り、薊畑に着いた。昨日は、ここから聖岳にどうやって行くのか少し不安だったが、ブラックでも登山道が分かりやすく続いていた。
序盤は樹林帯だったので、風は気にならなかった。午前3時半前に小聖岳に到達する。この辺りから森林限界を超え、風をもろに受け始める。道も少し安らぎではなく厳しさを感じる尾根道になった。ここからしばらく行くと、だだっ広い砂礫の大斜面になる。曇りかつ日の出前だったが、バックに上河内岳がはっきり見えた。その斜面を上がっていると、「ゲコゲコ」と正にカエルのような鳴き声が聞こえた。もしや、これがみんなが言っている雷鳥の鳴き声やな?それにしても、風切り音がうるさい中でも異常に耳につく鳴き声だ。辺りを見回すと案の定雷鳥がいた。しかし、僕の熊鈴がうるさすぎるのか、すぐに飛んで逃げてしまった。その後もまたゲコゲコ聞こえたが、その時には雷鳥がどこにいるか見つけることはできなかった。
あまりにだだっ広い砂礫の登りだった。少し道が不明瞭になることもあったが、基本山頂まで何も遮るものもなく、岩に赤丸印も要所要所に付けられている。ザレザレなので、ちゃんと登山道の踏み跡を行かないと登りにくい。「これ、どっちかな?」という所もあったが、決まって赤丸が出てきて、赤丸に「正解!」と言われているような感じだった。つづらに根気よく登っていくと、前方に有名な太鼓のような形の山頂標識のシルエットが見え始めた。時刻は午前4時頃だった。程なく(前)聖岳に登頂した。少し前から、どんよりした雲に埋め尽くされているものの、空が白み始めていた。奥聖岳の方を見ると、ほんのり下の空がオレンジに染まっていた。モンゲンがスタートするのか。取り敢えず、誰もいない山頂で雄叫びを上げる。何枚か写真を撮り、「よし、取り敢えず奥聖行こ!」と、東の空に向かって歩き始めた。どんどん前方の空の色が変化していく。最初オレンジ色だった空に、青みが加わってくる。すごい色になってきた。一面空を覆い尽くした雲が、滑らかな幾重もの層を作り、幻想的な空をいっそう神秘的にしていた。「なんじゃこれ…。頑張って来た甲斐あったな❗」
相変わらず凄い色の空を見ながら奥聖への尾根を歩いていく。所々やせ尾根の岩稜帯になっていた。左手が切れ落ちている大きな岩の上に登り、赤石岳側の空を眺めた。雲が、西から東へ凄いスピードで流れていた。残念ながら赤石岳、悪沢岳の眺望は望めなかった。奥聖岳に着く前に、空の色は普通の白みに戻ってしまった。「ええもん見たな〜❗」
岩稜を奥聖に向けて歩きながら、右手にここまで自分が登ってきた尾根を見下ろす。「よう、こんなん登ってきたな…」。こちら側の空の雲は薄く、何とか上河内岳が見えた。しばらく行くと、岩稜が終わり尾根が広くなる。かなりの広さの残雪帯が出てきた。斜度のない広い尾根にあるので、危険度はゼロだ。そこを越えるとほどなく奥聖岳に登頂した。時刻は午前4時半を回った頃だった。奥聖岳の奥は断崖絶壁のようになっていて先には行けないようだった。右手の方から先に進めそうな登山道が伸びているような気がしたものの、地図には一般登山道は描かれていなかった。
森林限界を超え、小聖岳の辺りからずっーと強風が続いていた。いい加減、寒くて仕方がなくなっていた。レインハイカーの上を防寒に来ていたが、ここまで強風が続くと不十分だった。ザックの中にアルパインダウンパーカは忍ばせていたのだが、面倒で我慢してしまった。手袋もドライテックレイングローブのみで登っていたが、これも3000m級の山頂で強風に長時間耐えるには軽装備すぎた。やはりメリノウール手袋を内側に着けておくべきだったのだろう。聖岳に戻りながら、行動中なのに体がほとんど暖まってこない。赤石岳側の眺望が晴れるまで、聖岳で少し待機したいと思っていた。しかし、「この寒さではあまり長時間は無理だなぁ」と思いながら聖岳に戻ってきた。空の色がかなり変化したので、また太鼓の山頂標識や、方位盤、シャープ山頂標識を写真におさめる。晴れないかなぁと、北東の空を眺めた。先ほどよりも更に速いスピードで雲が西から東へどんどん流れていた。西の空を見ると厚い雲が控えていて、どう考えてもすぐには晴れそうにはなかった。「しゃーない、諦めるか…。また、椹島から直接赤石岳登るかな…」と、(前)聖岳を後にし、砂礫の斜面を下りていった。ここでまたもやゲコゲコと聞こえ、今度はしっかり雷鳥の姿を写真に収めた。「しかし、この鳴き声の射程距離めちゃくちゃ長いな…」
4. 上河内岳から茶臼岳
聖平まで戻ってきた。まずはテントの撤収だ。テント片付けの軽い運動が功を奏し、うまい具合に、蠕動運動を促した。mont-bellのO.D.ロールペーパーを携帯用ケースに入れ、首から下げてトイレに向かった。この携帯ケースはかなり便利で、程よい摩擦により、ペーパーを楽に回転させて取り出す事ができる。よく、周りはガムテープで保護し、真ん中の芯を取り出し、内側からペーパーを出すというが、すぐにちぎれてうまく取り出せない。
無事にスッキリし、細かいパッキングを済ませ、午前9時前には出発する準備が整った。今日が一番の試練なことは計画段階からわかっていた。正直長過ぎる行程なので、日があるうちにやり切れるかハッキリとした自信はなかった。本来なら、やはり3泊4日でやる行程なんだろう。
まずは南岳を目指す。聖平の分岐を左に曲がる。そこから10メートル行ったところに、ドコモの繋がりポイントがある。テント場では一切電波は入らなかった。ここで妻にLINEをし、最悪この後連絡できない旨を伝えた。ちなみに、山頂を含め要所要所で電波は通じ、ありがたいことに、光小屋の避難小屋でも電波は通じた。
序盤は眺望のない樹林帯だが、徐々に高度を上げ、一気に後方の視界が開ける。聖岳、奥聖岳、兎岳がとてもキレイに見え、かなり爽快だ。さらに、進んでいくと、右手が崩落している崩壊地を登っていく。特に危険さはなかった。ここで、今度はつがいの雷鳥が現れた。急いでスマホを用意するも、僕がしっかりと狙いを定め写真に収める前に、ハイマツの中に逃げ込まれてしまった。あまり雷鳥は逃げないというイメージを持っていたが、僕が熊鈴を着けているせいか、聖岳でもここでも、雷鳥はなかなか待ってくれなかった。
今回の周回の準備をしている時、アイゼンを持ってこようか悩んだ。ちなみに、個人的にはチェーンスパイクの使いどころが最近わからなくなっている。はっきり言って、斜度がある危険なところでは無意味だし、グサグサ雪の下りでも経験的に無意味だった。去年の7月中旬に北アルプスの同じく南岳に向かう途中、天狗池へグサグサ雪のかなりの急斜面を下りないといけない箇所があった。その時はチェーンスパイクを持参していて、「いつ使うの?今でしょ」と、ザックの中身をひっくり返して、一番底に方にパッキングしてしまっていたチェーンスパイクを取り出し、装着した。しかし、この斜面を下りるのに全くチェーンスパイクは助けにならなかった。「無意味やな…これ」と思ったことをよく覚えている。やはりチェーンスパイクは比較的平らな登山道がでカチカチに凍っているような場合にしか意味をなさないのか。ルートの調査中に、いろいろ質問したり、写真に書かれたキャプションを読んだりした結果、アイゼンが必要かもしれないのは、テカリから聖へ「反時計回り」に縦走する場合だけだということが分かった。それなりに斜度のある雪稜が聖平と南岳の間にあり、反時計回りの場合はそこが下りになるからだった。今回は梅雨時ということで天気予報を見ながら、時計回りにするか反時計回りにするかギリギリまで悩んでいた。ヤマケイ6月号では、時計回りの4泊5日で縦走していたが、反時計回りを強く推奨していた。最後に聖岳を持ってくることでクライマックス感を高めるのと、順光で歩けるという理由からだった。僕も最初その予定だったが、聖岳を最高の天気かつモルゲンで迎えるため、それが2日目の朝になるように時計回りにした。そこが一番いい天気の予報だったからだ。かつ、危険な残雪が登りになるということも考慮してのことだった。アイゼンを持っていかなくてもいいというのは大きい。そして、正にその雪渓の前にやって来た。結構本格的な登りだ。滑って落ちると十分大怪我できそうだった。「これは、下りのツボ足だったらイヤだな…」。右手にハイマツ帯があるので、「下りならハイマツを掴みながらだな」と思いながら登って行った。登りでもあんまり心地よくはなかった。登りきり、下を眺める。「う〜ん、やっぱりやだな😓」
これを終えると、比較的すぐに南岳の山頂に来た。時刻は10時40分頃だった。山頂標識はあったが、太鼓型ではなく「ここは南岳」とおしゃれに書かれたあまり歴史も風情も感じないものだ。よく見ないと単なる道標だと思ってしまう。やはり、上河内岳への通過点という位置付けなのか?しかし、このルートは、植物学的にも貴重なお花畑、森林限界を縫うダケカンバとバイケイソウの縦走路が続くという。そういうものをじっくり鑑賞しながらゆっくり歩くような風流な登山をできる日はくるのだろうか…。今の自分レベルからは想像もつかない。
南岳からはいきなり下る。ざれた下りで北アルプスチックだ。左側は切れ落ちており、狭いトラバースで少し危ない。慎重に足場を確認しながら進んで行く。前方にはスゴイ存在感の上河内岳がでーんと鎮座しているのが見える。「この道、冬期はどうなってるんだろう?」。しばらくトラバースを行った後に、尾根に乗った。ここからは、ずっと尾根通しに歩いて行く。所々お花畑になっていて、足元に薄い黄色のかわいい花が群生していた。この尾根にも残雪があり、一部登山道を覆っていた。上河内岳の肩の手前の登りも一面残雪になっており、ここでは最後に軽く滑って転んでしまった。油断は禁物だ。上河内岳は、肩に荷物をデポして登ることができる。その肩には、「ここは、上河内岳肩です」と書かれた道標がある。その道標には十三(株)が保有する「井川社有林」の範囲が描かれている。上河内岳以北から間ノ岳までの広大な敷地だ。間ノ岳・上河内岳の他にも、塩見岳、悪沢岳、赤石岳、もちろん聖岳も名だたる百名山がその中に入っている。「壮大な社有林やな…。まあただで登らせてもらってるからええけど…」。十三(じゅうざん)株式会社は井川社有林の経営、ウイスキー製造などをしている特殊東海フォレストの関係会社のようだ。去年、白根三山の縦走をした時に、「南アルプスのほとんどの山が民間企業に所有されている」とその時出会った登山者に教えてもらい、とても驚いた。実際にその保有っぷりを道標で目の当たりにし、「昔の日本政府は何考えとんねん!」と思いながらも、なんでもありの時代を少し羨ましくも思った。
このルートは基本誰にも会わないので、気兼ねすることなく道標に立て掛けるようにザックをデポし、アタックザックで山頂を目指す。これは下から見てもすぐに登頂できそうだったが、午前11時半頃、実際あっという間に山頂に到達した。ここにはちゃんと太鼓(団子にも見える)山頂標識があった。今日は天気がもともといい予報だったのに、かなり変わってしまったらしく、ガスが目立つ。幸いにも、聖岳方面にはあまり雲がかかっておらず。聖・奥聖岳の稜線の奥に、赤石岳と悪沢岳もちょこっと顔を覗かせているのがしっかり見えた。「これ、聖岳からだとばっちり見えるんだろうなぁ〜」。南東方面にはかなり雲に隠れてしまった富士山が辛うじて確認できた。一つ良かったのは、今朝と違ってほぼ風がないことだった。「しかし、これ、今にも雨降ってきそうやな…、急ごう!」。地図を確認すると、光小屋まではまだまだある。山頂の滞在時間もそこそこに肩に向けて下りて行った。
肩でザックを回収し、行動食を食べてエナジーチャージする。前回笠ヶ岳への山行で、なおにゃんからプロテインの補給の重要性を教えてもらった。なので今回はカロリーメイトとともに、「1本満足バー プロテインチョコ」を大量に持ってきた。一本にプロテインが15gも含まれている。このプロテインチョコはかなり固いのがありがたい。他のプロテインバーは柔らかすぎて、山行中にくずくずになってしまって登山には全く向かない。
上河内岳の肩から茶臼岳への道が面白い。やせ尾根というほどではないが、高度感のある荒々しい登山道だ。前方の視界もよく、しかも緩い下りなのでかなり気持ちよく歩ける。この稜線で相次いで茶臼岳方面から来た登山者とすれ違う。今回の山行では本当にすれ違いばかりで、同方向の登山者に会わない。最初に会った年配の登山者に、「聖平小屋混んでました?」と聞かれ、「テントを張っている人は僕以外には誰もいませんでした。だから、もしテントだったらガラガラだと思います。みんな避難小屋に入ってました」と答えた。すると、ちょっと心配そうに、「テント持ってないんで、避難小屋なんです」とおっしゃった。「避難小屋だと昨日は人いっぱいでしたね…」と伝えた。やはり、避難小屋があるのにわざわざテントを張る僕はあまり普通ではないのだろうか。
次に、先ほどの方よりは少し若いが、かなり登山歴が長そうな男性登山者が登って来た。「こんにちは〜」と挨拶しながら、自分でもなぜかわからないが、こんな質問をした。「ここからは、基本僕にとっては、ず〜っと下りですか?」。すると、その男性はもっともな質問を返してきた。「う〜ん、どこまでですか?」。僕は「テカリ小屋まで?」と答える。すると、後から思い返すと、いみじくもかなり的を射たことを教えてくれた。「テカリ小屋までの最後の登り、キツイですよ」。彼はにやっと笑った。僕も笑いで応じたが、この時はどれだけ辛いか、どこからがキツイのかを全く分かっていなかった。完全に予習不足だった。
地図を見れは明らかなのだが、テカリ小屋までの最後の登りより前に、まず茶臼岳までに登り返しがある。やはり、紙地図をなくしたつけは大きかった。茶臼岳への登り返しの前に、国土地理院のウェブ地図上で「御花畑」と書かれたものすごく広大でフラットなスペースがある。後ろにはめちゃくちゃ上河内岳が見える。あまりにサイコーでそこでテントを張りたくなってしまうほどだった。しかし、残念ながら水を確保することができなさそうだった。もしそれさえできれば、まさに天国のような場所だった。
そこを越えると、茶臼岳までの登りに転じる。かなり広い気持ちのいい尾根道を歩いていく。霧が発生すると道迷いにつながりやすいのか、所々ケルンが作られていた。前方に、これまた意外にかっこいい茶臼岳をずっと見ながら歩いて行ける。茶臼小屋への分岐にやって来た。なぜだかザックが3つデポされていた。「ここにザックをデポしてどこに行くんだろう?」。実はこの時から、たまに雨が額にぽつっというレベルで当たり始めていた。地図を見るとまだまだテカリ小屋は遠い。茶臼小屋のテント場にも惹かれていたので、時間はまだ12時30分くらいだったが、今日は早めに切り上げ、茶臼小屋でゆっくりしようかとかなり悩んでいた。もし、茶臼小屋の位置が茶臼岳の向こう側の稜線近くにあったなら、おそらくそうしたに違いなかった。しかし、茶臼小屋は、今自分がいる茶臼岳手前の分岐を、10分ほど稜線から東へ入って行かなくてはならなった。そんなことを悩んでいると、茶臼岳の方から男性3人のパーティーが下りてきた。先程のザックは彼らのものだったようだ。先頭の方に、「聖平(に向かうん)ですか?」と聞かれたので、「いやいや、テカリ(小屋)まで行こうと思ってるんですけど…」と言うと、「あー!そうですか!ほぉ!」とのけぞらてしまう。え!?やっぱり無茶ってこと?と心の中で叫んだ。で、こう続けた。「ただ…、雨降りますよね…😥」。お互い言葉に詰まり苦笑いになった。
Ttm :「茶臼小屋に張ろうかスゴイ悩んでたんですが、結構(茶臼小屋からテカリまで)遠いですよね…」
デポ男:「う〜ん、悩ましいですね」
Ttm :「さっきから、すでにぽつぽつ来てますしね」
デポ男:「来てる来てる」
Ttm: 「あれ、ここからどう行かれるんですか?」
デポ男:「私たちは、今から聖平小屋行きます」
う〜ん、やはりまた逆回りか。
デポ男:「で、明日の朝、聖岳に行く予定です」
結局、テカリを目指すことを決めた僕は、去り際に「多分、お互い濡れるんでしょうね」と言うと、「そうですね、ハハハハハ」。この時はまだ笑う余裕があった。
茶臼小屋分岐から茶臼岳までの間に展望台があった。あの3人はそこに行ってたのか。しかし、なぜわざわざ分岐にデポしてその展望台に戻ったのかは依然として謎だった。展望台には山座同定盤が設置されていた。ここでぽつぽつの頻度が少し蜜になって来たので、レインハイカー(モンベルの最安レインウェア)の上下を装着した。また塩見岳への山行と同じく、予報よりもかなり早く雨が降り始めてしまった。やはり山の天気は難しい。
午後1時を回った頃、茶臼岳に登頂した。この山頂は岩々の岩稜帯になっている。ここでは一時的に雨が弱まった。ここにも団子山頂標識があったので、このコースの一軍山頂なのだろう。もう、この頃にはガスもかなり蔓延し、眺望を楽しめなくなっていた。なので、ほぼ山頂にステイすることなく先を急いだ。
5. 味わいつくす忍耐 静高平が遠かった!
茶臼岳以降、それほど強い雨ではないものの、ぽつぽつというレベルではなくリアルに雨が降り始めた。レインウェアを着てはいるものの、レインハイカーは透湿性がそれほど良くないと思われるので、あまり汗をかかないように心掛けながら、ゆっくりと先を行く。基本茶臼岳が2604mで光小屋分岐までの最終ピークの易老岳が2354mなので、ずっと下りなはずだ。しかも地図を見るとずっと尾根道でいやらしい道はないはずだった。しかし、なぜかこの茶臼岳から易老岳までの区間は非常に長く感じた。眺望がないことが原因だったのか、そうは言っても、朝の2時半から行動している疲れが出ていたのか、よく分からなかった。アクセントとして記憶にしっかり残っているは仁田池くらいだ。後、希望峰という名前も印象に残った。計画段階ではルート上にあるピークは全部踏む予定だったが、さすがに雨足も強まり、眺望が全く望めないはずなので、残念ながら希望峰から分岐し少し登山道から外れる仁田岳はパスしてしまった。晴れていれば、この山は、茶臼岳や光岳のいい展望台だそうだ。
この希望峰を過ぎてからも長かった。易老岳への最後の登り返しが少しはあるが、基本下って行くだけなのになぜにここまで辛かったのか分からない。やはり雨に降られるというのは、想像以上に体力的にも精神的にも負担が大きいのではないか。時間も明らかに押してきていた。夏至も近く日はいつまでも高いので、ヘッデンのリスクこそなかったが、兎に角、早くテントを張って、ビールを飲みながら、フォールディングトースターを使ってオイルサーディーンをグツグツいわせたかった。もう、グダグダになりながら、足元ばかりを見ながら易老岳を目指していた。延々とつまらない道(味わいつくさな!)を歩きやっとのことで、山頂標識があるところにやって来た。山頂標識らしきものは二つもあったが、そのどちらにも「易老岳」とは書かれていないように見えた。ここまで本当に大変だったので、何度も易老岳の文字を探したが、結局見つけることはできなかった。
上河内岳を過ぎ、茶臼岳に向かっている時に言われた言葉がずっと頭に引っかかっていた。「テカリ小屋までの最後の登り、キツイですよ」。彼が去り際に言った、「頑張って」の意味をこれから嫌と言うほど知ることになる。そもそも、易老岳の後のルートについてあまり意識していなかった。しかし、よく地図を見るとかなり光小屋までは距離があった。その分、小屋から光岳まではかなりすぐのようだ。この分岐以降で覚えていたポイント名は、三吉平と静高平だった。静高平では水が取れるということは確認していた。三吉平までは、比較的ストレスなく到着した。そこにあった道標に静高平まで1時間15分と書かれていた。これを見て、「そんなにかかるの?」と不思議に思った。地図上の直線距離ではかなり短く感じたからだ。「これ…、どんなけ登ってるんだろう…」。これが彼が言っていた「キツイ」登りだった。それでもどうキツイのかは実際行ってみるまで分かっていなかった。三吉平を越えると、道が少し難しくなる。踏み跡があまりない沢詰めになるからだ。しかもYAMAPのGPSでは最初登山道を外しているように軌跡が表示された。しかし、結構な数のピンクテープが付けられていたので、ここが間違いなのはありえないと、岩々の沢詰めをしていく。兎に角、岩がでかい。しかもかなりの急登だ。雨がさらに強さを増してきたのも不運だった。おまけに風が強くなってきた。疲労も今日の行程の終盤なので溜まっている。「これがキツいやと…。もっといい言葉あるんちゃう…?地獄とか拷問とか?」。体力的にもきつかったが、風が吹いて体が冷たくなってきたのが恐怖だった。動いているのに寒さをこんなに感じるなんて…。ぼーっとすると幻覚を見ているような感覚になってくる。さっき見たピンクテープが幻覚で、どこかに迷いこんでいきそうな感覚に陥る。「あかんアカン、これ、アカン!」。意味不明な言葉を発し、絶叫した。何とかして意識を覚醒させようと必死だった。「こういう感じに、登山者は遭難していくのか…」と、振り返れば大袈裟だが、「登山は体力よりもメンタル次第」というのは今までの経験からも言える。そもそもおそらくそこまで体力を使い込むことは、脳が制御してできないのだろう。兎に角、登るしかなかった。延々と岩を乗り越え続けた。こういう時、誰かとすれ違うと一気に元気になるのだが、三吉平から静高平まで誰とも会えなかった。そして、ふと、頭を上げると、視界に黒いパイプが入って来た。「あ、もしかしてこれが水場か…。でも涸れとるやないか…」。光小屋の水場は小屋から往復20分かかるので、今の体力と空模様を考えると、絶対静高平で今日の夕食分と明日の光岳アタック分の水を確保しておきたかった。「やっぱり、ここは涸れやすいのか…」と、絶望しながらほんの少し歩くと、「あ!もう一個黒パイプあった!こっちは水出てるやん!」。これほど水が出ているのが嬉しかったことは今までなかった。ほぼ土砂降りの中、ザックを下ろし、トップリッドに入れていたエバニューのソフトボトルを取り出す。昨日、沢水を入れた時に小虫が入ってしまっていたので、まずはソフトボトルに少し水を入れ、軽くゆすいだ。しかし、かなりパイプの位置が地面すれすれでソフトボトルに水を入れるのが難しい。みんなそうだからなのか、水場には銀色の鍋のようなものが置かれていた。みんなこれですくって、水を取っているのだろうか。一瞬使おうかなと思ったが、鍋についていたヤカンの口みたいな部分がごみで詰まっていてかなり汚かったので諦めた。仕方がないので、根気よくちびちびと時間をかけてソフトボトルに直接水を取って行った。「ふぅ〜、これでひとまず水問題は解決した」。
その黒パイプの近くに無事に「静高平」の道標も見つけた。ここからは、もうゴール間近だ。一時はどうなるかと思ったが、幻覚を見るような状態からは完全に脱していた。しばらく先を進むと、開けた平原(センジガ原といい、ここの土壌を亀甲状土というらしい)に木道が出てきた。そのすぐのところが、イザルガ岳への分岐だった。天気が良ければ絶対に寄り道するイザルガ岳だが、この雨では寄り道する価値はないのでスルーした。「明日晴れていたら、朝に行ってみよう」。いったん木道が終わり、もう一度出てくる。そしてその先に光小屋が現れた!今回は吠えるというよりも、安堵感が強く、静かに喜びをかみしめた。残念ながら、もうテントを張る気力は残されておらず、泣く泣く避難小屋泊を決断した。時刻は午後5時過ぎで、途中6時くらいになってしまうと覚悟していたが、最後に少しペースが回復したようだった。
6. 味わいつくすアーベントロート
〜 雨後の奇跡
避難小屋への入口は2階にあり、外階段から上がる。扉を開けると、事前確認通り、縦長のとてもきれいな板間が、1階に下りる階段を挟んで両側に作られていた。入口の土間に立ち、右手の板間の一番手前に居を構えていた同世代の単独の男性に、「いやー、マジヤバイですね、この天気。死ぬかと思った😵」と話しかけた。わかるわかるという感じに微笑みながら、「ええ」と答えてくれた。「いや〜、こんなにえぐかったの初めてだ」と言ってすぐに、「いや、先々週行った笠ヶ岳もえぐかったな…」と、そんなことを言われても、実際行った人でないと意味がわからないのに軽く説明してしまう。板間スペースは柱で緩く区分けされ、贅沢にスペースを使って片側に3人ずつ場所を確保できる。その、柱と柱で囲まれた真ん中のスペースが空いていたので、土間で靴を脱ぎ、そこにザックをおろした。アクアバリアサックのおかげでザックの中は全く濡れていないのだろうが、外側はびっしょりだった。おろしたザックの下があっという間に水浸しになった。それを雑巾で拭きながら、ザックの外側についた雨も雑巾で拭き取った。そうしないと床がびしょびしょになって、荷物をザックから出せない。自分の胸辺りの高さに細引きが渡されていて、物をかけられるようになっている。びっしょりのレインウェアを脱ぎ、そこにかけた。レインパンツは泥だらけになってしまっていた。その上には棚も取り付けられていて、かなり便利だった。
奥には年配の同じくソロの登山者がいた。避難小屋に到着した時間が僕と割と近かったのか、まだ寝床の準備をしていた。僕の先ほどの話を聞いていたようで、「この時期の笠ヶ岳ってどんな感じなんですか?」と質問してくれた。「いや〜、かなり危ないですよ。笠ヶ岳まではそれほどでもないですが、そこから双六小屋目指して縦走したんですが、その道が…。結局たどり着けず、途中でビバークして、鏡平から降りたんですが、そこに行く弓折乗越からのトラバースがまた危険で…」と、どうにも話し好きで、細かく説明してしまう。恐らく、一度行ったことがないと、全く意味が分からないだろう。
ザックからとりあえず荷物を全部出していく。トップリッドの中のものはびっしょりだったが、大事なものは100均で買ったジップロックもどきのビニールに入れていた。しかし、少し焦ったのが、全く使っていなかった13800mAのモバイルバッテリーの残容量が0%になっていた。あまりの寒さにそうなってしまったのだろうか。別に40200mAの巨大なモバイルバッテリーを持ってきていたので、問題はないのだが。どんどん物を出し、やっと一番底にパッキングしたサーマレストのネオエアーXライトレギュラーワイドを引っ張りだした。今回からマットも夏仕様に変えた。使いにくい付属のPUMP SACKで根気よく空気を入れていく。20回くらい袋を広げ、空気を絞り入れる。ほぼ膨らんだら、最後は息を吹き込みパンパンに圧を高めた。荷物を広げると、板間の前のスペースが狭く人が通りにくいので、マットは壁にできるだけ近づけ、板間の長辺に平行に敷いた。シュラフをシーツーサミットの防水コンプレッションバック(ウルトラシルeVENTコンプレッションドライサックM)から引っ張り出し、マットの上に広げた。荷物はぐちゃぐちゃだったが、とりあえず適当に数箇所にまとめ、Cascade Wild ULフォールディングテーブルを広げた。前々回の鹿島槍ヶ岳への山行からフライパンを導入したが、そうするともうこのカスケードワイルドのテーブルは不便で仕方なかった。その時もついうっかり使った直後のフライパンをテーブルに置いてしまい、表面を溶かしてしまった。今回もうっかりこいつを持ってきてしまったのだが、聖平のテント場でものすごく使い辛かった。少し重くはなるが、やはり次回は金属製のテーブルを持ってこなければならない。
大体いつも、1日の行程を終えると疲れすぎていて、ビールを飲むまで料理をする気になれない。なので、おつまみは必須だった。ピザポテトは聖平で全部食べてしまったので、ミックスナッツを出した。切り口がチャックになっておらず、開けると食べきらないといけない。今回は輪ゴムを忘れてきたので不便だった。こういう細かいものをしっかり携行できるというのも、意外に経験が必要なのか。また、やはりこういうちょっとしたおつまみなどを入れるのに、シェラカップは最適だ。しかし、持って来るのを忘れたので仕方がない。ジェットボイルの計量カップで代用した。
ゆっくりビールを堪能し始めた頃には、もう午後6時近くになっていた。先ほどまで死にそうだったことを考えると、かなり体力・精神力が再充填されてきた。すると、隣の同世代ソロ登山者が、「あれ、晴れてますよ❗」。「え⁉️」。全く気付かなかったが、背後の窓から日が差していた。「虹も出てますよ😃」と彼が言った。「なぬっ⁉️」。ビールはまだ8割ほど残っていたが、ソワソワし始めた。空を確認しにか、彼は外に出ていった。しばらくして戻ってきて、「散歩がてらイザルガ岳行ってきます。西の空が明るいから大丈夫☺。虹が凄いですよ」と言い、さっと用意を済ませ、また出て行った。ここにくる途中ではイザルガ岳はスルーしていたので、「俺も行こ!」と即断した。さっきまでの瀕死の状態もやはり、メンタルだけだったようだ。体力はメンタル次第ですぐに復活する。ビールを開けてしまっていたので、これを「急がず」に楽しむ。まだ、アーベントロートまでには時間に余裕があった。ビールをやっと飲み終えると、立ち上がり準備を始めた。奥にいた年配の登山者に、「もう飯食ったの?」と聞かれたので、「いや、いい感じの空模様が変わったら嫌なので、飯は後回しにします😅」と答えた。同じ列の単独が2人ともイザルガ岳へ繰り出そうとしているのを見て、彼も用意を始めた。
まだレインウェアは濡れていたので、アルパインダウンパーカを着て外に出た。年配の登山者も同じタイミングで外に出てきた。アタックザックに水だけ入れていたが、「念のためヘッデン持ってこ」と、また面倒くさいが小屋に戻った。年配の登山者はヘッデンは持っていなかったらしいが、そのまま先にイザルガ岳に向かって行った。まあ、備えあれば患いなしだ。再度外に出てゆっくり歩いていった。午後6時過ぎだったが、昼間のように明るかった。先ほどは雨と疲労で全く気付かなかったが、光小屋前は絶景だ。小屋に着く少し手前にテント場のようなフラットなスペースがあったが、小屋のすぐ前にも円形に囲まれたこじんまりとしたテント場があった。あと1時間早く雨が止んでくれていれば、絶対にここに張った筈だった。残念でならなかった。確かに、イザルガ岳の方に大きな虹がかかっているのが見えた。
イザルガ岳までは本当に散歩だった。道も基本木道で歩きやすい。あっという間に分岐に着き、山頂方向に登っていく。山頂への登山道は、所々、両脇から先ほどの雨の雫を帯びたハイマツがせり出していて、それに触れるとアルパインパーカ濡れてしまう。なので、溝を掘って作られた登山道の「土手」に乗り上げ、ハイマツを避けながら歩いていく。最後は、ざれた広い斜面をつづらに登る。山頂までもあっという間だった。時刻は6時半頃だった。
聖平小屋では小屋番の方が親切にテントを撤収している僕に声をかけてくれた。その方が、イザルガ岳は景色が「バカいいですよ❗」と言っていたのを思い出した。まだ、所々雲が厚かったが、北東の空は晴れていて、聖岳・奥聖岳から上河内岳に続く稜線がスッキリ見えた。何とも言えない緑のラインがとても気持ちいい。南側の空を見ると、光小屋からも見えたように巨大な虹が架かっていた。ちょうど真ん中上部が雲に覆われ、その両脇に虹の大きな弧が描かれている。雲が切れれば漫画に出てくるような虹の掛け橋になりそうだった。「これは、凄いですね‼️」と、先に来ていた同世代ソロに話しかけると、「雨の中を必死に歩いたことに対するご褒美ですね☺」と、確かにと思わせる受け答えに嬉しくなった。あの雨がなかったら、この虹もなかったわけだ。
7時前になり、夕日が西の空を染め始めた。アーベントロートが始まった。西の空は特に雲が厚かったが、聖岳で経験したように、むしろその厚い雲が夕日をより一層幻想的にしていた。「これ、泣けるな…」。たまらず、同世代ソロに、「写真撮ってもらっていいですか?」とお願いし、「僕、後ろを向くので、後ろからお願いします😅こうすると多分カッコいいんですよ😃」と、夕日を背景に2枚、また、聖岳からの稜線をバックに2枚撮っていただいた。後から見ると、彼はちゃんと2枚の写真を、広角具合を少し変えて撮ってくれていた。センスあるな…。「撮りましょうか?」と彼にも声をかけると、スマホではなくちゃんとしたカメラを、シャッターを押すだけの状態に調節して、僕に手渡した。何枚か撮って、お互いに大満足だった。年配ソロの方にも声をかけて、彼の写真も撮ってあげた。
十分楽しんだ後、7時頃山頂を後にした。夕焼けに染まる光小屋を見ながら木道を歩く。小屋に着くと、さぁ、飯食おうと準備を始める。持ってきた食材はまだまだ余っている。まずは、一番簡単なウィンナーをフライパンで炒める。そこに、またコンビーフを投入した。適当に炒め続ける。次に、まだ食パンが余っていたので、フォールディングトースターを広げ、食パンを炙る。この時、まだ熱いフライパンの置き場に困った。カスケードテーブルには置けないし、MSRの固めのプラスチックのカッティングボードに乗せると、少しプラスチックが溶けてしまった。結局小屋の板間ががっしりしていたので、そこに置いた。うまい具合に問題なかったが、やはり金属製のテーブルの必要性を痛感した。そして、やはり、避難小屋ならではの問題が起こってしまう。「やたらとみんなが寝に入るのが早い‼️」7時半頃には、はっきり起きているのが僕だけになってしまった。本当はまだまだ焼きたいものがあるのに、かなり難しい雰囲気になってきた。元来、仕事も含めて単独行動ばかりなので、この意味不明なプレッシャーがキツかった。食パンを2枚焼くのが精一杯だった。「オイルサーディン焼きたいのに…」と思いながら、イビキも聞こえてきた暗闇の中で、ヘッドライトを点けていることさえ憚られる雰囲気に、「うーん、やはりテント張りたかった😣明日の朝はどうするんやろう?下手したらバーナー使えないな😓」。仕方がないのでもう夕食の続きは諦めた。僕も寝る準備をしようと、歯磨きをしに水を入れたコップを持って外に出た。開放されているトイレを使い、避難小屋に戻り、シュラフに潜り込んだ。ここから光岳は10分程とかなり近いので、明日の朝はブラックスタートでもかなり遅くまで寝ていられる。みんなが何時に起きるのかがとても気になる。あれだけ早く寝たんだから、普通早く起きるよね…?僕も4時スタートを想定して、3時に目覚ましをかけた。
7. 光岳
翌朝恐れていた状態になった。何と、3時に目覚ましで起きると、誰も起きていない。「マジか…」。朝バーナーは諦めた。出来るだけ静かに準備をしたが、やはり多少はうるさくなってしまう。僕がスタートする少し前になって、辛うじて同世代ソロの方が起き始めた。しかし、残りの方は全く起きる気配がなかった。「こうなったら、山頂か光石で飯食おう❗」と、朝ご飯とジェットボイルもアタックザックに入れて、スタートした。
いつもの事だが、一番最初の取っ掛かりの方向が難しい。YAMAPを見ながら、何とか踏み後を見つけ、普段よりは幾分スムーズにトレイルに乗った。しかし、どうもヘッドライトが暗い。マイルストーンのMS-H1は本当にバッテリーの持ちが悪い。しかも大して明るくない。アマゾンで買ったよくわからないThruNite(スルーナイト)TH10 V2 の方がよっぽど明るくバッテリーの持ちもいい。完全にブランドに騙されてしまった。MS-H1 は付属バッテリーと電池の両方が使えるので電池を持ってきていた。しかし、いつも苦労するのだが、ヘッドライトを1つしか持っていないと、一度バッテリーを外してしまうと、明るさがゼロになり作業ができない。今回も、携帯の画面のライトで何とか電池のプラスマイナスを確かめながら作業したが、イマイチよく見えなかった。色々入れ直してはみたが、結局ヘッドライトはつかなかった。「仕方がない。元のバッテリーを再装着するか…」とバッテリーを入れ直し、ほぼ消えかけのライトで登って行った。そもそも、光岳まではすぐだし、もうすぐ明るくなってくるので今回は特に問題ではなかったが、なにか便利な対応策を考えたいところだ。(後から考えると、エマージェンシーキットの中に、Black Diamondのフレアー BD81099が入っていたことをすっかり忘れていた。ヘッドライトを常に2つ使えるようにしておくのが最善の対応策だろう)
ヘッドライトの明かりはほぼ消えかけだったが、かなり暗さに目が慣れていた。光岳は「眺望がない」というイメージが先行し過ぎている。全く眺望を期待していなかったが、坂を登り切ったところで、雲海に浮かぶモルゲン聖岳が目に飛び込んできた。「なんや…、眺望ゼロちゃうやん‼️」と思ったそこが正に光岳の山頂標識がある場所だった。やたらとたくさんの「光岳」山頂標識があった。団子型と風情のあるシャープ型、おまけに足元に置かれた小さい金属のプレートにも光岳とあった。展望台が光石方面に10m行ったところにあると書いてあった。しかし、10mどころか、イメージほんの数歩いったところに、南側大きく開けた場所があった。三角点のようなものが倒されてそこにあった。しかし、「見たいのは南じゃないんだよな〜。北東なんだよ…」と思いながら、やはりモルゲンの時間帯は、またしつこくイザルガ岳に行くべきだったのか?と少し後悔した。「まあ、でも、光石の方まで行けばモルゲンかもしれない」と思って、そのまま光石を目指した。
いつもそうなのだが、地形図をちゃんと見れていない。なので、この光石に向かうのに、ここまで高度を下げるとは思っていなかった。かなり急な坂道をかなりの距離下っていく。「あってるんか?ホンマに…」少し不安になるほどだった。頻繁にYAMAPを見ながら下って行ったが、道は間違いないようだった。途中のフラットになった所に、光石と加加森山・池口岳との分岐があり、そこを左に進む。そこからもどんどん下っていくと、目の前に厳つい岩峰が現れた。どう考えてもこれが光石だが、どこにも「光石」とは書かれていなかった。もちろん登ってみる。なかなか爽快なビューが目の前に広がった。頂上部はフラットなので、危険度はないが、多少足元はスースーする感じだ。恐らく圧倒的に僕が早くここに到着した筈なので、何の気兼ねもなく、ザックを下ろし、まるで自分の光石のようにゆっくりする。朝食を食べずにここまで来たので、ここでジェットボイルで湯を沸かし、クリームシチューとクリームパンの食事を試みる。パンはともかく、ジェットボイルで湯を沸かすハードルが高い。かなりの強風だったからだ。最初、崖側の窪地に座り、自分の背中を風避けにしながら湯を沸かしていたが、どうしても風で火が消えてしまった。「無理か…」。仕方がないので、そこから手前側に移動し、風向きがあまり定まらないながらも、岩を風避けにしながら何とかMAX出力で高速で湯を沸かした。兎に角、面倒くさい。こんな時、テルモスでお湯を持っていけば快適にシチューやコーヒーを楽しめるだろう。
飽きるまで光石に立ち続け、十分満足したので帰路についた。また、南が開けた展望台に立ち寄り時間をたっぷり使う。このレコを書きながら調べていて知ったのだが、光岳というのは、山頂標識がある部分だけを指して言うのではなく、「イザルガ岳、山頂標識部分、百俣沢ノ頭への稜線、そして光石を含めた全体」を光岳と呼ぶらしい。そういう意味ではもともと、光岳からの帰りに世界最南端のハイマツ群生地に寄る予定だった。行きには地図をしっかり確認していなかったが、それは本当に光小屋からすぐの分岐を行ったところにあった。そこには道標があり、「柴沢吊橋 280分」(!)とあった。「どこまで繋がってるんや…?」
ここを曲がり真っ直ぐ少し歩くと、すぐに驚いた❗視界がさーっと開け、気持ちのいい緑の稜線の先に、どえらい富士山の絶景があったからだ。完全に失敗したな…。モルゲン見るんなら、絶対ここやん😓。後悔しても後の祭りだった。ここから、右に行くのだが、登山道が暫く崩落気味で危ない。確かに地図上も破線ルートのようだった。暫く危なげな道をトラバースすると、安定した尾根道になる。もちろん周囲はハイマツで溢れているが、どこまで行けば最南端になるのかはわからなかった。左手には絶景が続いていて、自分がいる場所にによって富士山の角度が変わり、その都度楽しめる。どこまで進んでもハイマツは続いた。時間はたっぷりあったので、どこまでも行こうと思ったが、暫くするとハイマツ漕ぎのように登山道が左右からハイマツに押し潰されている所にやって来た。これを突っ切ると、ハイマツについた朝露でダウンパーカが濡れてしまうと思い、ここまでとした。まだまだハイマツは先に続いていたが、これでよしとしよう。さぁ、光岳もコンプリートしたな!と大満足だった。
避難小屋に帰ってきた。ソロの2人は、まずイザルガ岳に朝イチに行ったそうだ。モルゲンの直前まで雲がかかっていたが、最後は雲が切れ、サイコーのモルゲンを楽しめたと言っていた。「それもありだったかな☺️」とも思ったが、僕も光岳を堪能できたので満足だった。同世代ソロの方は、旨そうなカレーの匂いをさせながら朝飯の準備をしていたが、僕は帰り支度を始めた。出来るだけ早く柴沢ゲートに着きたかった。今回の周回は、なかなかにタフな行程だったが、またドラマに溢れたものになった。
6時50分頃、荷物を整え光小屋の外階段を一階へ降りて行った。小屋前からの眺望は本当に申し分なかった。小高い丘のいい場所に建てられた小屋なんだなぁと改めて思う。センジガ原の木道を歩き、イザルガ岳分岐にやって来た。かなり悩んだが、やはりそこでザックをデポし、もう一度イザルガ岳に登った。この判断は大正解だった。山頂に着くなり、昨日は見えなかった富士山に、太陽の光がオーロラのように降り注いでいた。あまりの神々しさに息を飲む。西の空には昨日は見えなかった中央アルプスが少し雲混じりながらハッキリ望めた。「確かに、眺望バカいいよ😂」と、ここまでの山行を思い出しながら、飽きることなく緑の稜線を見つめていた。
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