ヤマレコなら、もっと自由に冒険できる

Yamareco

記録ID: 911263
全員に公開
ハイキング
奥多摩・高尾

高尾山ー笹尾根ー雲取山ー石尾根ー奥多摩駅

2017年12月01日(金) ~ 2017年12月03日(日)
 - 拍手
体力度
10
2~3泊以上が適当
GPS
43:19
距離
78.9km
登り
5,954m
下り
5,805m
歩くペース
標準
0.91.0
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

1日目
山行
0:58
休憩
0:01
合計
0:59
距離 3.6km 登り 377m 下り 60m
23:00
4
23:04
15
23:19
23:20
19
23:39
20
23:59
宿泊地
2日目
山行
21:38
休憩
2:16
合計
23:54
距離 41.6km 登り 2,967m 下り 2,887m
0:05
0:17
4
0:21
20
0:41
17
0:58
0:59
18
1:17
32
1:49
1:50
53
2:43
2:45
21
3:06
11
3:17
3:24
14
3:38
26
4:04
4:06
12
4:18
4
4:22
31
4:53
4:54
24
5:18
5:19
49
6:08
6:09
16
6:25
6:27
15
6:42
26
7:08
7:33
7
7:40
7:41
30
8:11
8:12
12
8:24
14
8:38
7
8:45
8:46
15
9:16
9:34
20
9:54
23
10:17
8
10:25
10:29
48
11:17
19
11:36
11:42
32
12:14
6
12:20
12:22
18
12:40
17
12:57
12:59
27
13:26
13:27
12
13:39
5
13:44
13:47
20
14:07
21
14:28
14:30
3
14:33
34
15:07
15:08
39
15:47
20
16:07
16:09
12
16:21
16:22
3
16:25
20
16:45
16:46
8
16:54
17:04
42
17:46
23
18:09
18:16
28
18:44
20
23:38
10
23:48
23:51
8
23:59
宿泊地
3日目
山行
17:54
休憩
1:31
合計
19:25
距離 33.7km 登り 2,584m 下り 2,847m
0:40
0:44
193
3:57
89
5:26
5:36
3
5:39
5:46
6
5:52
6:05
8
6:13
13
6:26
6:38
26
7:04
36
7:40
9
7:49
31
8:20
8:29
23
8:52
8:58
2
9:00
9:11
8
9:19
9:21
15
9:36
9:37
25
10:02
5
10:07
111
11:58
13
12:11
8
12:19
33
12:52
38
13:30
32
15:14
15:16
2
16:44
46
17:30
17:32
17
17:49
37
18:26
36
19:16
19:17
40
19:57
2
19:59
ゴール地点
天候 ご注意! 本山行記録は長文です。

12月1日 晴れ 裏高尾はガスひどし
12月2日 晴れ やや雲多し
12月3日 快晴 雲取稜線風強し
過去天気図(気象庁) 2017年12月の天気図
アクセス
利用交通機関:
電車
行き:京王線高尾山口
帰り:青梅線奥多摩駅
土曜、休日青梅線ダイヤ
立川行き最終1856
青梅行き最終2307
21時台までは約30分間隔
意外と遅くまで列車があります。
ちなみに平日は終電が立川行きで2301
コース状況/
危険箇所等
全体を通して危険なところはありませんが、それゆえ油断禁物です。
まず、冬は霜柱が解けたぬかるみ、凍結で足をとられるほか、枯葉自体が滑りやすいので要注意です。
高尾山6号路:岩でつまづくと脇の谷に落ちます。
小仏城山から小仏峠への下り、景信山から陣馬山方面の下り、陣馬山から和田峠への急な下りは滑りやすく注意を要します。
登はんではないですが、三頭山からツネ泣き峠、ムクロボ尾根方面は2箇所の長い固定ロープがある急斜面です。腕力便りでは疲れるので3点支持、ロープはバランスをとるだけで、脚力主体で行きましょう。
その他周辺情報 陣馬山を過ぎると笹尾根上に水場はありません。途中日原峠を過ぎたところ、人里、笛吹方面標識に、「飲料水5分」の標識がありますが、状況は確認しませんでした。
いつものように京王線も高尾を過ぎるとこの有様。ただし今夜(11時)は遅い割りに若干の乗客があった。
いつものように京王線も高尾を過ぎるとこの有様。ただし今夜(11時)は遅い割りに若干の乗客があった。
11時、さびしい気持ちで高尾山口駅をあとにするが、もう戻らない。
11時、さびしい気持ちで高尾山口駅をあとにするが、もう戻らない。
ふもとはまだもみじが美しかった
ふもとはまだもみじが美しかった
登山口で手を合わせてから6号路へ。月が美しい。まぶしい。ヘッデンなしでも肉眼なら渓谷が楽しめた。写真には写らないけど。
登山口で手を合わせてから6号路へ。月が美しい。まぶしい。ヘッデンなしでも肉眼なら渓谷が楽しめた。写真には写らないけど。
前日に雨が降ったか、多少道は濡れていた。まだ足の調子は悪くなかった。むしろ左足の甲はトレーニングのせいで痛んでいた。
前日に雨が降ったか、多少道は濡れていた。まだ足の調子は悪くなかった。むしろ左足の甲はトレーニングのせいで痛んでいた。
ほぼいつもどおり1時間ほどで山頂。水を飲んでイザ裏高尾へ。
ほぼいつもどおり1時間ほどで山頂。水を飲んでイザ裏高尾へ。
もみじ平通過。色の無い紅葉
もみじ平通過。色の無い紅葉
高尾山頂から小仏城山まではヘッドランプなしでもほとんど歩けた。昔のモノクロの時代劇のような風景をいつものように楽しんだ。
高尾山頂から小仏城山まではヘッドランプなしでもほとんど歩けた。昔のモノクロの時代劇のような風景をいつものように楽しんだ。
天狗様、お守りください
天狗様、お守りください
小仏峠の急な下りを過ぎて。狸様にも無事を祈った。どうも右ひざに違和感が。
小仏峠の急な下りを過ぎて。狸様にも無事を祈った。どうも右ひざに違和感が。
景信山山頂付近は霜が下りていた。
景信山山頂付近は霜が下りていた。
景信山山頂、夜景をちらりと見て先を急いだ。陣馬山までは少し辛抱がいる。しかも時折ガスで視界がなくなった。
景信山山頂、夜景をちらりと見て先を急いだ。陣馬山までは少し辛抱がいる。しかも時折ガスで視界がなくなった。
堂所山。陣馬山への小ピークは登ったが、膝に痛みが出てきた。どうしよう。
堂所山。陣馬山への小ピークは登ったが、膝に痛みが出てきた。どうしよう。
手書きの底沢峠
標識の底沢峠。どちらが本物だろう?
標識の底沢峠。どちらが本物だろう?
明王峠。霧で体が濡れるので雨具を着込んだ。陣馬山山頂は4時前かなと思っていたが、、、。
明王峠。霧で体が濡れるので雨具を着込んだ。陣馬山山頂は4時前かなと思っていたが、、、。
奈良子峠。かなりガスがひどくなってきた。膝の痛みも増してペースが落ちた。そして睡魔が、、、。
奈良子峠。かなりガスがひどくなってきた。膝の痛みも増してペースが落ちた。そして睡魔が、、、。
捨てないよ、、、。
捨てないよ、、、。
この奈良子峠の標識のあと、ガスの中時々立ったまま寝ながら、歩いていたら、標識を見ずに歩いていた。おかげで道を間違えてバス停に下りたような不安にかられ、山頂近くまで近づきながら再度ここまで引返した。
この奈良子峠の標識のあと、ガスの中時々立ったまま寝ながら、歩いていたら、標識を見ずに歩いていた。おかげで道を間違えてバス停に下りたような不安にかられ、山頂近くまで近づきながら再度ここまで引返した。
ルートを確認して歩きなおし。道間違えしていなかったが、予定より1時間以上遅れて山頂到着は約5時だった。
ルートを確認して歩きなおし。道間違えしていなかったが、予定より1時間以上遅れて山頂到着は約5時だった。
陣馬山頂もガスの中。視界なし。高尾の美しい月夜はどこへ行った。
陣馬山頂もガスの中。視界なし。高尾の美しい月夜はどこへ行った。
和田峠へ下る
和田峠へ下るのは2回目。1回目も夜中で降り口を探すのに苦労した。下りは足元が濡れて滑りやすく、また膝が痛むのでゆっくりと。
和田峠へ下るのは2回目。1回目も夜中で降り口を探すのに苦労した。下りは足元が濡れて滑りやすく、また膝が痛むのでゆっくりと。
右膝は痛むが、関節の痛みではなさそうなのでとりあえず歩き続けよう。ペースは上がらないけれど時間はある。和田峠の道路標識。
右膝は痛むが、関節の痛みではなさそうなのでとりあえず歩き続けよう。ペースは上がらないけれど時間はある。和田峠の道路標識。
この結界を超える。立ち入り禁止の看板があるがこの先すぐに登山道の入り口があり、登山者には問題なし(林道を進むことが許されているかどうかはわからない)。
この結界を超える。立ち入り禁止の看板があるがこの先すぐに登山道の入り口があり、登山者には問題なし(林道を進むことが許されているかどうかはわからない)。
林道から登山道へ上がる。
林道から登山道へ上がる。
醍醐丸方面へ上がる途中にも和田バス停へのエスケープルートがあって驚いた。地図をよく見てきてないことがばればれだ
醍醐丸方面へ上がる途中にも和田バス停へのエスケープルートがあって驚いた。地図をよく見てきてないことがばればれだ
生藤山への巻き道は使わず醍醐丸へ。まだこのころはピークを踏む元気が残っていた。
生藤山への巻き道は使わず醍醐丸へ。まだこのころはピークを踏む元気が残っていた。
醍醐丸の近所で、雨具を着ていたことをいいことに、ザックを枕に登山道へ直寝した。目が覚めると外が白んできていた。ごく短い時間だったが一気に元気になった。もっと早く寝ればよかった。
醍醐丸の近所で、雨具を着ていたことをいいことに、ザックを枕に登山道へ直寝した。目が覚めると外が白んできていた。ごく短い時間だったが一気に元気になった。もっと早く寝ればよかった。
膝にはこういう階段の下りが堪えた。
膝にはこういう階段の下りが堪えた。
ここも巻かずに生藤山、三国山を目指した。
ここも巻かずに生藤山、三国山を目指した。
分岐を右へ。落ち葉の感じはいいのだが、階段は辛いかった。ガスは相変わらず。天気は悪くないのだが、、、。
分岐を右へ。落ち葉の感じはいいのだが、階段は辛いかった。ガスは相変わらず。天気は悪くないのだが、、、。
たばこ・たき火はよく消そう。今回2泊して火は一度も焚かず。
たばこ・たき火はよく消そう。今回2泊して火は一度も焚かず。
関東ふれあいの道の石の標識を見るとなごむ。ふれあいの道ハンターではないけれど図らずも結構歩いている。
関東ふれあいの道の石の標識を見るとなごむ。ふれあいの道ハンターではないけれど図らずも結構歩いている。
枯葉の感じがいい。紅葉とはまた違う意味で絶妙なシーズンかも。
枯葉の感じがいい。紅葉とはまた違う意味で絶妙なシーズンかも。
紅葉も名残が
名残の紅葉
山ノ神には気をつけよう
山ノ神には気をつけよう
ガレ気味の下りは膝につらい
ガレ気味の下りは膝につらい
ガレ気味の登りも下りほどではないけどつらい。
ガレ気味の登りも下りほどではないけどつらい。
ガスが晴れ初めて、黄金の山腹が顔を出し始めた。
ガスが晴れ初めて、黄金の山腹が顔を出し始めた。
笹尾根っぽい
普段ならどうってこと無い斜面を冷や汗かきつつ登った
普段ならどうってこと無い斜面を冷や汗かきつつ登った
ガレててイテテと思いつつ、、、
ガレててイテテと思いつつ、、、
なまふじさん(もとい、しょうとうさん)に到着した
なまふじさん(もとい、しょうとうさん)に到着した
ちょっとした展望台だが見晴らしはまだ悪かった。
ちょっとした展望台だが見晴らしはまだ悪かった。
三角点 990m
関東ふれあいの道認定スポットらしい。
関東ふれあいの道認定スポットらしい。
三国峠?まだガスっている。
三国峠?まだガスっている。
熊倉山を目指した。
熊倉山を目指した。
関東ふれあいの道。この石の標識も風情がある。
関東ふれあいの道。この石の標識も風情がある。
巻き道? 井戸(地名)方面分岐点
巻き道? 井戸(地名)方面分岐点
これもスタイルの違う標識。この先にあった神社の関係者が置かれたもの?
これもスタイルの違う標識。この先にあった神社の関係者が置かれたもの?
錦のじゅうたん
錦のじゅうたんの主
錦のじゅうたんの主
向こう側の山腹の紅葉(もう落ち葉かもしれないが)が美しい。山腹が黄金色だ。
向こう側の山腹の紅葉(もう落ち葉かもしれないが)が美しい。山腹が黄金色だ。
日が差し始めた。
日が差し始めた。
登り返す
落ち葉のじゅうたんを心地よく歩いた。
落ち葉のじゅうたんを心地よく歩いた。
この程度の眺望でも、息を呑む黄金色。
この程度の眺望でも、息を呑む黄金色。
足許にも錦
さらにじゅうたんの巻き道を歩いて
さらにじゅうたんの巻き道を歩いて
浅間峠のあずまやとモミジ
浅間峠のあずまやとモミジ
関東ふれあいの道
関東ふれあいの道
古い石の標識。「上川乗(?)青年建立」だろうか
古い石の標識。「上川乗(?)青年建立」だろうか
「山梨県棡原三二山ニ至ル」?
「山梨県棡原三二山ニ至ル」?
右側「小宮戸倉を経テ五日市ニ至ル」だろうか?
左側「山梨県棡原村ヲ経テ上野原町、、、」?
右側「小宮戸倉を経テ五日市ニ至ル」だろうか?
左側「山梨県棡原村ヲ経テ上野原町、、、」?
土俵岳を目指す
上野原駅がすでに射程に入る領域。
上野原駅がすでに射程に入る領域。
持ち帰ります、、、
持ち帰ります、、、
快適に尾根を歩いた
快適に尾根を歩いた
向こう側の金色が素晴らしくて
向こう側の金色が素晴らしくて
頭上の紅葉も名残を惜しむ
頭上の紅葉も名残を惜しむ
山に流れる金色の滝
山に流れる金色の滝
落ち葉に日が差して気持ちいい。
落ち葉に日が差して気持ちいい。
日原峠通過。
お地蔵様、お守りください。
お地蔵様、お守りください。
人里への標識だが、
人里への標識だが、
人里と書いて「へんぼり」、笛吹と書いて「うすしき」
うすしきははうそぶきの派生でまだわかるけど。
人里と書いて「へんぼり」、笛吹と書いて「うすしき」
うすしきははうそぶきの派生でまだわかるけど。
さらにひと歩き。
さらにひと歩き。
少し開けたところに出て、
少し開けたところに出て、
火に気をつけます(結局焚かなかったけど)
火に気をつけます(結局焚かなかったけど)
雲取(石尾根)方面は雲が出ている。
雲取(石尾根)方面は雲が出ている。
こちらは明るい尾根歩き。気持ちいい。
こちらは明るい尾根歩き。気持ちいい。
笹尾根だけれど森が多い。
笹尾根だけれど森が多い。
ここも展望よし。山腹の紅葉が美しい。
ここも展望よし。山腹の紅葉が美しい。
枯葉を気持ちよく踏みながら、
枯葉を気持ちよく踏みながら、
丸山まきみち、ここもまだピークを歩く気力あり。
丸山まきみち、ここもまだピークを歩く気力あり。
トレランレース用の標識か?今日はレースやってました。
トレランレース用の標識か?今日はレースやってました。
笹尾根らしい道。
笹尾根らしい道。
丸山 1098m
下って、笛吹(うずしき)峠
下って、笛吹(うずしき)峠
あれが雲取山かなあ
あれが雲取山かなあ
笹尾根を歩いて
まだ笛吹峠の一部?
まだ笛吹峠の一部?
地味に笛吹峠と書いてあった。
地味に笛吹峠と書いてあった。
笛吹峠の石標 大日と彫った下には
笛吹峠の石標 大日と彫った下には
右:みぎ かづま
左:ひだり さいばら
右:みぎ かづま
左:ひだり さいばら
ひと登りすると
再び藤尾方面分岐。
再び藤尾方面分岐。
快適に笹尾根を歩いて
快適に笹尾根を歩いて
ササケタワの峰を通過して、
ササケタワの峰を通過して、
数馬峠に到着
徐々に雲取山がどれか気になってくる。同時に三頭山がどこかが気になりだす。
徐々に雲取山がどれか気になってくる。同時に三頭山がどこかが気になりだす。
さらに枯葉を快適に踏み進めていくと
さらに枯葉を快適に踏み進めていくと
ハセツネ30km地点を過ぎて
ハセツネ30km地点を過ぎて
明るい峠に到着
田和バス停方面エスケープルート
田和バス停方面エスケープルート
峠 何峠?
暫く開けた落ち葉の道を一段と快適に歩いた。
暫く開けた落ち葉の道を一段と快適に歩いた。
わずかな起伏とカーブが心地よい
わずかな起伏とカーブが心地よい
この上で寝たいくらいだ。当初は徹夜で歩いて昼寝の予定だったが、醍醐丸での仮眠が効いて眠くないので先を急いだ。
この上で寝たいくらいだ。当初は徹夜で歩いて昼寝の予定だったが、醍醐丸での仮眠が効いて眠くないので先を急いだ。
西原峠到着。
三頭山まであと3.7km。痛い膝には遠いなあ。今午後2時30分。普段なら4時前にはらくらく着くはずだけれど。
三頭山まであと3.7km。痛い膝には遠いなあ。今午後2時30分。普段なら4時前にはらくらく着くはずだけれど。
こちらの標識も趣深い。
こちらの標識も趣深い。
「温泉センターかわら版」とあったがどう見ても妖怪ポストだ。突っ込まれているプレートがべろのようだ。
「温泉センターかわら版」とあったがどう見ても妖怪ポストだ。突っ込まれているプレートがべろのようだ。
登り返して、槇寄山山頂到着。ピクニックベンチがあり、大人数のハイカーでにぎわっていた。エスケープルートはいくつもあり、短いハイキングも楽しめる。
登り返して、槇寄山山頂到着。ピクニックベンチがあり、大人数のハイカーでにぎわっていた。エスケープルートはいくつもあり、短いハイキングも楽しめる。
槇寄山、1188m。三頭山とは300mの標高差がある。辛い。
槇寄山、1188m。三頭山とは300mの標高差がある。辛い。
枯葉で踏み跡が薄い。
枯葉で踏み跡が薄い。
夜だとルートファインディングが大変そうだ。
夜だとルートファインディングが大変そうだ。
笹の中の踏みあとは明瞭。
笹の中の踏みあとは明瞭。
三頭山?
クメケタワ 下には読みづらいが東京都山岳連盟
ササガタワの峰の兄弟か?
クメケタワ 下には読みづらいが東京都山岳連盟
ササガタワの峰の兄弟か?
この辺りからのぼり気味で、膝に堪える。
この辺りからのぼり気味で、膝に堪える。
これっぽちのがれでペースがた落ちだ。
これっぽちのがれでペースがた落ちだ。
日も翳ってきたなあ。明るいうちに三頭山を通過したい。
日も翳ってきたなあ。明るいうちに三頭山を通過したい。
結構頑張ったつもりでもまだ三頭山まで40分。時刻は3時50分。都民の森はしょっぱい。
結構頑張ったつもりでもまだ三頭山まで40分。時刻は3時50分。都民の森はしょっぱい。
ベンチもあって見晴らしはよいが、雲も出てきたしそのまま急いだ。
ベンチもあって見晴らしはよいが、雲も出てきたしそのまま急いだ。
ハセツネ35km地点。
ハセツネ35km地点。
標高1400m。結構高いが山頂までまだ100mあまり。
標高1400m。結構高いが山頂までまだ100mあまり。
根気よく歩く。
1482m。あと登ること50m。
1482m。あと登ること50m。
一旦下らされたところでホテル発見と思ったら、立派な避難小屋だった。
一旦下らされたところでホテル発見と思ったら、立派な避難小屋だった。
中はこんなに広くてきれい。ここに寝たら天国だったなあ。
中はこんなに広くてきれい。ここに寝たら天国だったなあ。
50m下ってる。もったいない。
50m下ってる。もったいない。
ブナはつい撮影してしまう。
ブナはつい撮影してしまう。
と思ったらブナの路だった。
と思ったらブナの路だった。
中央峰に行くことは断念した。西峰を踏んで、御堂峠からヌカザス山方面を目指すこととした。
中央峰に行くことは断念した。西峰を踏んで、御堂峠からヌカザス山方面を目指すこととした。
三頭山、西峰。手前の標石は三角点ではない。三角点は中央峰にある。
三頭山、西峰。手前の標石は三角点ではない。三角点は中央峰にある。
御堂峠で5時。ヘッドランプを用意した。夜間ハイク二晩目。奥多摩湖4.5kmはわけないところだが、結局ここから5時間かかった。
御堂峠で5時。ヘッドランプを用意した。夜間ハイク二晩目。奥多摩湖4.5kmはわけないところだが、結局ここから5時間かかった。
5時台で完全に霜柱の世界。やや狭いトラバースは凍っていて油断ならない。
5時台で完全に霜柱の世界。やや狭いトラバースは凍っていて油断ならない。
鶴峠方面
ツネ泣き峠、イヨ山方面を目指す。ホント泣きながらの下降であった。
ツネ泣き峠、イヨ山方面を目指す。ホント泣きながらの下降であった。
ツネ泣き峠までまだ0.5kmもある。結構足元が岩で、ヘッデン頼りと膝の痛みでのろのろとしか歩けない。
ツネ泣き峠までまだ0.5kmもある。結構足元が岩で、ヘッデン頼りと膝の痛みでのろのろとしか歩けない。
三頭橋といううれしい標識もようやく出てくる。
三頭橋といううれしい標識もようやく出てくる。
ツネ泣き峠まで0.3kmだが、、
ツネ泣き峠まで0.3kmだが、、
真っ暗な中、固定ロープ頼りで枯葉の急斜面を下降した。
真っ暗な中、固定ロープ頼りで枯葉の急斜面を下降した。
ツネ泣き峠。月夜にそびえ立つヌカザス山には登らない。
ツネ泣き峠。月夜にそびえ立つヌカザス山には登らない。
二晩目も月はどこまでも明るいが、森が深く、斜面も急で、月明かりの登山は限定された。
二晩目も月はどこまでも明るいが、森が深く、斜面も急で、月明かりの登山は限定された。
ムクロボ尾根経由三頭橋方面を選択した。
ムクロボ尾根経由三頭橋方面を選択した。
直進すれば、ヌカザス山、イヨ山を経て奥多摩湖へ。
直進すれば、ヌカザス山、イヨ山を経て奥多摩湖へ。
ムクロボ尾根も、いきなり長い長い固定ロープ頼りだった。ロープのあともかなり急な下りで、膝の痛みもあり、三点支持でゆっくりと降りた。
ムクロボ尾根も、いきなり長い長い固定ロープ頼りだった。ロープのあともかなり急な下りで、膝の痛みもあり、三点支持でゆっくりと降りた。
ツネの泣坂。泣き出しそうな看板だ。
ツネの泣坂。泣き出しそうな看板だ。
ここまで来ると、奥多摩湖という単語に勇気付けられるが、街灯はいつまでたってもはるか下だった。
ここまで来ると、奥多摩湖という単語に勇気付けられるが、街灯はいつまでたってもはるか下だった。
踏み跡がところどころ不明瞭で、標識がないと不安になる。
踏み跡がところどころ不明瞭で、標識がないと不安になる。
次々現れる「奥多摩湖」に励まされて下山した。
次々現れる「奥多摩湖」に励まされて下山した。
違う場所に取り付けられた「奥多摩湖」の標識を次々撮影した。
違う場所に取り付けられた「奥多摩湖」の標識を次々撮影した。
奥多摩湖、8時10分。
奥多摩湖、8時10分。
奥多摩湖、8時30分。
奥多摩湖、8時30分。
尾根の突き当りを左へ折れるのだが、日中から懸念していた通り、落ち葉が深く、のっぺらとしていてルートが取りづらく、何回か行き来した後、ようやく踏み跡を発見し、この標識を見たころにはもう9時40分。
尾根の突き当りを左へ折れるのだが、日中から懸念していた通り、落ち葉が深く、のっぺらとしていてルートが取りづらく、何回か行き来した後、ようやく踏み跡を発見し、この標識を見たころにはもう9時40分。
暫く歩くと、ぽっと下に道路が見えて、これがゴール(登山道入り口)の標識。
暫く歩くと、ぽっと下に道路が見えて、これがゴール(登山道入り口)の標識。
三頭橋に到着した。橋向こうに自動販売機を発見した。カロリーメイトの自販機があり、非常食を調達できた。。さらにレモネードと甘いコーヒーを一気に飲んで燃料を補給した。
三頭橋に到着した。橋向こうに自動販売機を発見した。カロリーメイトの自販機があり、非常食を調達できた。。さらにレモネードと甘いコーヒーを一気に飲んで燃料を補給した。
深山橋も渡り、歩道のない国道411号を用心しながら鴨沢登山口へ。何を血迷ったか途中留浦から取り付いてしまい、1時間ほどロス。雲取登山口は0時10分前通過。
深山橋も渡り、歩道のない国道411号を用心しながら鴨沢登山口へ。何を血迷ったか途中留浦から取り付いてしまい、1時間ほどロス。雲取登山口は0時10分前通過。
メジャーな山だから登山道も明快。二晩目も明瞭な月夜で、稜線が美しい。筆者のデジカメでは感度が足りないのが残念。
メジャーな山だから登山道も明快。二晩目も明瞭な月夜で、稜線が美しい。筆者のデジカメでは感度が足りないのが残念。
小袖乗越。この辺りから登山道っぽくなる。
小袖乗越。この辺りから登山道っぽくなる。
右手には月明かりに映える赤指尾根の美しいシルエットを眺め、遠く谷底に小袖川の音を聞きながら、普段なら楽々登れる登山道を、ゆっくり登った。途中ザック枕に地面へ直に寝転がって仮眠すること4回。ようやく七ツ石山小屋通過が5時50分。
右手には月明かりに映える赤指尾根の美しいシルエットを眺め、遠く谷底に小袖川の音を聞きながら、普段なら楽々登れる登山道を、ゆっくり登った。途中ザック枕に地面へ直に寝転がって仮眠すること4回。ようやく七ツ石山小屋通過が5時50分。
白んできた空をバックに、写真では見えづらいが富士の姿を捉えた。
白んできた空をバックに、写真では見えづらいが富士の姿を捉えた。
石尾根に乗った。左へ曲がり、七ツ石山、雲取を目指した。
石尾根に乗った。左へ曲がり、七ツ石山、雲取を目指した。
雲取山を視界に捉えた。
雲取山を視界に捉えた。
三頭山方面の夜明けシルエットが美しい。
三頭山方面の夜明けシルエットが美しい。
七ツ石山山頂到着はすでに6時半。雲取方面から来られた100名山97座の登山者の方といろいろ談笑した。なんとこの縦走のきっかけになった本「100年前の山を旅する」を持っていらした。
七ツ石山山頂到着はすでに6時半。雲取方面から来られた100名山97座の登山者の方といろいろ談笑した。なんとこの縦走のきっかけになった本「100年前の山を旅する」を持っていらした。
西の峰々が赤くなりだした。遠くには南アルプスも。
西の峰々が赤くなりだした。遠くには南アルプスも。
では、この急ながれた下りを、膝をかばいつつじわじわ降りよう。
では、この急ながれた下りを、膝をかばいつつじわじわ降りよう。
坂を降りきれば快適な登山道。
坂を降りきれば快適な登山道。
確かにブナ坂だった。
確かにブナ坂だった。
甲武信ヶ岳方面が赤く染まっている。
甲武信ヶ岳方面が赤く染まっている。
あっという間に色が変わっていく
あっという間に色が変わっていく
レンズ雲をかぶった富士山
レンズ雲をかぶった富士山
山頂を捉えた、と思ったがまだかなり先立った。
山頂を捉えた、と思ったがまだかなり先立った。
富士山アップ
どこから来たかわからない
どこから来たかわからない
奥多摩小屋がいい感じ。
奥多摩小屋がいい感じ。
行きは尾根道を泣きながら登った。帰りは巻き道で楽させてもらった。
行きは尾根道を泣きながら登った。帰りは巻き道で楽させてもらった。
箱根方面?
そろそろ山頂かと思ってもなかなかたどり着かない
そろそろ山頂かと思ってもなかなかたどり着かない
南アルプスが見える
南アルプスが見える
南アルプスズーム
南アルプスズーム
中央アルプス?
小雲取を通過。痛い膝にはここからの登りも辛い。
小雲取を通過。痛い膝にはここからの登りも辛い。
雪が降ったようだ。風も強く地面は硬く凍っている。
雪が降ったようだ。風も強く地面は硬く凍っている。
富士山のレンズ雲が小さくなった。
富士山のレンズ雲が小さくなった。
もしかして北アルプス?だとしたらどこだろう?(実際にはこれは八ヶ岳の可能性が高い)
もしかして北アルプス?だとしたらどこだろう?(実際にはこれは八ヶ岳の可能性が高い)
北アルプス?方面を何度も眺めた
北アルプス?方面を何度も眺めた
南アルプス方面も
南アルプス方面も
ここから山頂までが遠く感じた。
ここから山頂までが遠く感じた。
ようやく山頂?で自撮りしていたら美女4人組が撮影してくれた。もっと立派な標識が避難小屋にあると教えてくれてしばしご一緒した。
ようやく山頂?で自撮りしていたら美女4人組が撮影してくれた。もっと立派な標識が避難小屋にあると教えてくれてしばしご一緒した。
避難小屋横の山頂標識。
避難小屋横の山頂標識。
そして2017年に2017mの特別標識。いずれも美女4人組に撮影していただいたもの。
そして2017年に2017mの特別標識。いずれも美女4人組に撮影していただいたもの。
山頂から見る北アルプス(勘違い?)方面
山頂から見る北アルプス(勘違い?)方面
七ツ石山を振り返り、あそこへ戻ると思うと少々暗い気持ちに。
七ツ石山を振り返り、あそこへ戻ると思うと少々暗い気持ちに。
下りは膝につらい。美女4人組はあっという間に視界から消えた。
下りは膝につらい。美女4人組はあっという間に視界から消えた。
復路、奥多摩小屋付近の巻き道の出口にて。
復路、奥多摩小屋付近の巻き道の出口にて。
奥多摩小屋先のテント場に眺望と芝生の気持ちいい場所があり、くつろいでいたら、なぜか先行していたはずの美女4人組に追い抜かれた。七ツ石小屋に居るといってたけれど、自分はそちらは回れないのだよなあ。
奥多摩小屋先のテント場に眺望と芝生の気持ちいい場所があり、くつろいでいたら、なぜか先行していたはずの美女4人組に追い抜かれた。七ツ石小屋に居るといってたけれど、自分はそちらは回れないのだよなあ。
昼寝までしてから、おもむろに七ツ石山を登り返した。
昼寝までしてから、おもむろに七ツ石山を登り返した。
何とか七ツ石山まで戻ってきた。本日中に下山か。終電を逃して駅前ビバークか。
何とか七ツ石山まで戻ってきた。本日中に下山か。終電を逃して駅前ビバークか。
山小屋へ下る道の分岐点に到着。下山は石尾根越しに進む。
山小屋へ下る道の分岐点に到着。下山は石尾根越しに進む。
明るく快適な尾根道
明るく快適な尾根道
何度も雲取を振り返った。
何度も雲取を振り返った。
芝生の中の踏み跡をたどる。ここまで来ると風も弱まった。
芝生の中の踏み跡をたどる。ここまで来ると風も弱まった。
突然笹尾根方面が開けてびっくりした。
突然笹尾根方面が開けてびっくりした。
ここでのんびりしたいくらいだった。
ここでのんびりしたいくらいだった。
石尾根の道も、広くてすがすがしい。
石尾根の道も、広くてすがすがしい。
富士に見守られながらの下山。
富士に見守られながらの下山。
七ツ石山を振り返る
七ツ石山を振り返る
正面は何山?赤指尾根の終点らしい。
正面は何山?赤指尾根の終点らしい。
ところどころこのように眺望が一気に開けて心地よい。
ところどころこのように眺望が一気に開けて心地よい。
日当たりのいい尾根道も気持ちいい。
日当たりのいい尾根道も気持ちいい。
石尾根といいつつも、尾根道は芝部に土。そして土がやたらに黒い。まるで泥炭のようだ。もともと湿原だったのだろうか?
石尾根といいつつも、尾根道は芝部に土。そして土がやたらに黒い。まるで泥炭のようだ。もともと湿原だったのだろうか?
何度も遠くの景色に目をやる。
何度も遠くの景色に目をやる。
三頭山だろうか?
三頭山だろうか?
登りも気持ちいい。青空と葉を落とした木々のコントラストがたまらない。高丸山らしい。
登りも気持ちいい。青空と葉を落とした木々のコントラストがたまらない。高丸山らしい。
登りの途中で振り返る。ずいぶん来たものだ。
登りの途中で振り返る。ずいぶん来たものだ。
山頂近くでダケカンバ?がお迎え
山頂近くでダケカンバ?がお迎え
三角点ではない。
三角点ではない。
高丸山通過。
奥多摩湖が視界に入った。
奥多摩湖が視界に入った。
登ったあとはどんどん下って、
登ったあとはどんどん下って、
そしてまた次のピークを目指す。
そしてまた次のピークを目指す。
奥多摩湖方面に何度も目が行く。
奥多摩湖方面に何度も目が行く。
登り返すとブロードなコル。
登り返すとブロードなコル。
そろそろ雲取も見納めかもしれない。
そろそろ雲取も見納めかもしれない。
平坦な道を快適に歩く、ただ霜柱のせいでぬかるんでいる。防水が聞いてないと少し辛いかも。
平坦な道を快適に歩く、ただ霜柱のせいでぬかるんでいる。防水が聞いてないと少し辛いかも。
また青空をバックのピークを気持ちよく登った
また青空をバックのピークを気持ちよく登った
今朝登った登り尾根方面を振り返る。
今朝登った登り尾根方面を振り返る。
登って来た道を振り返るとずいぶんなだらかだったことに気づく。
登って来た道を振り返るとずいぶんなだらかだったことに気づく。
日蔭名栗山を通過していたらしい。
日蔭名栗山を通過していたらしい。
奥多摩湖を見る。
奥多摩湖を見る。
自分はあの山の向こうまで下らねばならないのか?
自分はあの山の向こうまで下らねばならないのか?
日蔭名栗山のピークはブロード。
日蔭名栗山のピークはブロード。
六ツ石山が見えている?
六ツ石山が見えている?
暫く歩いて建物発見。
暫く歩いて建物発見。
鷹ノ巣山避難小屋に到着。もっと遅く着いたらここに寝るつもりだったが、列車に間に合う可能性があるので通過した。
鷹ノ巣山避難小屋に到着。もっと遅く着いたらここに寝るつもりだったが、列車に間に合う可能性があるので通過した。
鷹ノ巣山尾根未知にはピクニックベンチもあり快適。しかし時間の都合で以後は巻き道で下山した。
鷹ノ巣山尾根未知にはピクニックベンチもあり快適。しかし時間の都合で以後は巻き道で下山した。
右が巻き道、明るい左が尾根道。巻き道も午後の日差しが当たっていて明るかった。
右が巻き道、明るい左が尾根道。巻き道も午後の日差しが当たっていて明るかった。
明るい巻き道を急いだ。
明るい巻き道を急いだ。
先の長さを感じさせる。
先の長さを感じさせる。
枯葉の斜面に当る日差しは温かく心地よい。膝にも心地よい。
枯葉の斜面に当る日差しは温かく心地よい。膝にも心地よい。
巻き道途中にあった鷹ノ巣山への登り口
巻き道途中にあった鷹ノ巣山への登り口
まだ先は長い
枯葉の中の笹の緑が不思議なコントラストを出していた。
枯葉の中の笹の緑が不思議なコントラストを出していた。
水根山直下の分岐点らしい。
水根山直下の分岐点らしい。
葉の落ちたブナたちが落ち葉の上に温かそうに並んでいた。
葉の落ちたブナたちが落ち葉の上に温かそうに並んでいた。
しかし、徐々に日が弱っていく。
しかし、徐々に日が弱っていく。
急がねば。
いつまでも先は長い。
いつまでも先は長い。
金色の斜面。青空をバックに。
金色の斜面。青空をバックに。
散りたての落ち葉は紅葉に負けないくらい美しい。
散りたての落ち葉は紅葉に負けないくらい美しい。
木の洞から小動物が顔を出しているのかと思った。
木の洞から小動物が顔を出しているのかと思った。
気のせいだった。
気のせいだった。
水根沢あるいは榧ノ木尾根を経て倉戸山へ下りる分岐点らしい。
水根沢あるいは榧ノ木尾根を経て倉戸山へ下りる分岐点らしい。
将門馬場を過ぎると北向き斜面に入って暗くなる。
将門馬場を過ぎると北向き斜面に入って暗くなる。
月が登る。今夜も月明かりを楽しめるか?
月が登る。今夜も月明かりを楽しめるか?
六ツ石山を巻いたところ。
六ツ石山を巻いたところ。
直進。石尾根を下る。
直進。石尾根を下る。
残照と富士山。
ヘッデンが暗くなっていたので、真っ暗になる前にあわてて電池を交換した。やや長いが石尾根を直進するか、距離の短い三ノ木戸、城を通過するか。後者のつもりだったが、踏み跡を見て前者に切り替えた。
ヘッデンが暗くなっていたので、真っ暗になる前にあわてて電池を交換した。やや長いが石尾根を直進するか、距離の短い三ノ木戸、城を通過するか。後者のつもりだったが、踏み跡を見て前者に切り替えた。
枯葉が積もって薄くなった摘み跡を追うのは注意を擁した。迷ったら遭難、良くて駅前ビバーク。
枯葉が積もって薄くなった摘み跡を追うのは注意を擁した。迷ったら遭難、良くて駅前ビバーク。
標識には励まされるが、踏み跡の薄さと、杉林に入って月明かりに頼れないことには苦戦を強いられた。
標識には励まされるが、踏み跡の薄さと、杉林に入って月明かりに頼れないことには苦戦を強いられた。
沢みたいなくぼみに道枯れたときにはどきどきしたが、すぐに開けた。
沢みたいなくぼみに道枯れたときにはどきどきしたが、すぐに開けた。
奥多摩駅という標識が出始めた。
奥多摩駅という標識が出始めた。
落ち葉の中のかすかなくぼみを追う。
落ち葉の中のかすかなくぼみを追う。
正解だと、標識が出てきた。幸い外れはなかった。リンドウが見えてもいいはずだが、いつまでたっても真っ暗な杉林だ。昼なお暗き杉林に月明かりが届くわけもなく。
正解だと、標識が出てきた。幸い外れはなかった。リンドウが見えてもいいはずだが、いつまでたっても真っ暗な杉林だ。昼なお暗き杉林に月明かりが届くわけもなく。
おっかなそうな木橋に遭遇。かなりの高さがある。
おっかなそうな木橋に遭遇。かなりの高さがある。
日中ならどうということはない正規コースなのだが。
日中ならどうということはない正規コースなのだが。
消えかかっているが「奥多摩駅」のありがたい表示。
消えかかっているが「奥多摩駅」のありがたい表示。
駅を目指す。いつまでも道路の気配がなくてあせった。しかし、、
駅を目指す。いつまでも道路の気配がなくてあせった。しかし、、
最後に石垣のようなところを下り。
最後に石垣のようなところを下り。
やっと、林道に到着。
やっと、林道に到着。
こんな人工物を見るのは久しぶりだ。
こんな人工物を見るのは久しぶりだ。
ショートカットその1
ショートカットその1
階段は痛くてなかなか降りられない。
階段は痛くてなかなか降りられない。
ショートカットその2
ショートカットその2
また階段に泣かされた。
また階段に泣かされた。
石尾根縦走して来たなら、こんなの楽勝でしょうとでも言うように。
石尾根縦走して来たなら、こんなの楽勝でしょうとでも言うように。
また杉林を散々歩かされて、やっと神社の狛犬に遭遇。
また杉林を散々歩かされて、やっと神社の狛犬に遭遇。
この小さな社の向かって左後ろに飛び出した。
この小さな社の向かって左後ろに飛び出した。
これが石尾根縦走路の入り口。見つけにくそう。
これが石尾根縦走路の入り口。見つけにくそう。
長い縦走も間もなく終わる。
長い縦走も間もなく終わる。
チクマ山1040mだろうか。月明かりに浮かぶ稜線を何とか撮影した。
チクマ山1040mだろうか。月明かりに浮かぶ稜線を何とか撮影した。
このときは感慨に耽るよりも、8時前に改札をくぐることで夢中だった。
このときは感慨に耽るよりも、8時前に改札をくぐることで夢中だった。
奥多摩駅到着。8時5分前。できました。できました。
奥多摩駅到着。8時5分前。できました。できました。

装備

備考 ■ザック
マジックマウンテンK2 plus シンプルな一本締めで30Lの割にはたくさん入ります。銀マットをフレーム代わりに使ったりいろいろ工夫できます。銀マットなどを固定するベルトも外についているのですが、筆者は薮や岩で引っ掛けるのを嫌うため、ザックの外にはなるべく道具を固定しないように心がけています。

■シューズ
・モントレイル シエラバダミッドGM2221 089 ダークグレー
・予備:アシックス ゲル フジアタック3 
・滑り止めスパイク

距離が長くて土の上を歩くことが多い今回の縦走の内容を考え、運動靴に近いトレッキングシューズ(モントレイル)を山道具屋で履き心地と財布と相談しながら購入しました(バーゲンで1万2000円くらいでした)。今まで履いていたメレルのカメレオンのソールが破れ始めて寿命が来たのも理由のひとつですが。
予備を用意したのは、トレッキングシューズで足慣らし代わりに15kmほどジョギングしたら靴ずれができたからでした。平坦地ならトレランシューズで十分ですし、休憩時には靴下も脱いでサンダル代わりにもなります。実際にはモントレイルで靴ずれやまめができず、出番は雲取山下山でのお昼寝タイムだけでしたが、靴と靴下を脱いでリラックスできました。なお、リラックスと、雨具着替え等々の床代わりならプラスチックサンダルが便利でお手軽です。

■ビバークセット
実際に使ったのは雨具と目だし帽だけでしたが
・雨具上下(ゴアテックス)
・目だし帽(行動中にもよく使いました)
・ツエルト:マウンテンダックス、エアーツェルト TN-006 やや長めで足を伸ばして寝られるサイズ。ただしテント型には張らず
・シュラフカバー モンベル、ポルカテックススリーピングバッグカバー 1121020
・銀マット(ホームセンターで購入 尻ー背中の長さに切ってザック内に収納)
・ダウン上下(ミドルレイヤー、雨具の下に着て寝ます)
・ミトン、防水オーバーグローブ(夏山にも持っていきます。実は完全防水のオーバーグローブはあまり多くありません)
フル装備のときは、ダウン上下の上に雨具上下を着込み、目だし帽を被り、ミトンにオーバーグローブをはめて、靴を履いたままシュラフカバーの中にもぐりこみ更にツエルトを体に巻いて、銀マットの上に横になり、ザックを枕に寝ます。ちなみにヘルメットを持ってきていれば枕なしでも地面に寝られます。

しかし、今回の山行では、雨具に目出し帽、手袋は行動用の毛糸のミトンだけでザック枕に登山道に直寝でした。

■ファーストエイド
・ロキソニン(錠剤)および、ジェル
・今回の縦走に当り心配されたのは(実際に出るとは思いませんでしたが)膝の痛みと靴擦れでした。距離を考えるとまったく無傷ではいられない。体力的にOKでも靴の状態が未知の部分があるし、ここのところ長期縦走ではかなりの確率で履きなれた靴にもかかわらず靴擦れにやられて、ないしはやられかけて、力を出し切れずに下山することがありました。また2015年の奥穂南稜で膝痛で危うく歩けなくなるというピンチを招いたこともあり、膝痛の緊急避難の必要性も感じました。もっともロキソニンが必要になったときにはエスケープルートからリタイアするときと考えてました。
・絆創膏、大型傷あてパッド、
・テーピングテープ、
幸い靴下の選択が良かったのか、そもそもゆっくり歩いていたことが図らずも良かったのか、まったく豆や靴擦れは出ませんでした。

■食料・水
・レモン飴、アミノサプリ、カロリーバー、途中カロリーメート1箱を補給
・水:2L、コーヒー(砂糖入り)1L、ねじ蓋式缶コーヒー1本、途中レモネードと缶コーヒー各1本を補給
経験で長期縦走中にあまり空腹にはならないことを知っていたので上記で済ましました。
コーヒーは眠気覚まし、疲労ごまかしと位置付けてます。砂糖入りのほうが自分には効きます。スーパーなどで売っている1Lのペットボトルです。普段なら飲む気にならないようなものなのですが。

■アルコールランプ、
温かい飲み物がほしいときには、ねじ蓋付きコーヒー缶に水やコーヒーを入れて、あるいは缶コーヒー自体をアルコールランプで暖める予定でしたが、結局暖かいものよりも冷たい飲み物のほうが欲しかったので出番はありませんでした。

■地図・コンパス・スマホGPS(山旅ロガー+地図ロイド)

■デジカメ・ヘッドランプ

■スペア電池
重要です。デジカメ、ヘッドランプに各一回分、スマホ用にモバイルバッテリを用意しました。

■その他
・タオル(頭に巻くと汗が目に入るのを防げます)
・ゴム引き軍手(つかむのに便利です)
・百均ミトン(冬場は毛糸のミトンが一番暖かいです)




感想

(ご注意:無駄な長文です)

■感激はゆっくりと
そうか、とうとうやったんだ。
徹夜の高尾陣馬も、相模湖五日市も、北高尾山稜も、昨年(2016年)35kmのジョギングで故障したのも、全部このための練習だった。

ゴールの奥多摩駅に着いたときには感動で泣いちゃうのではないかなどと、実行前には考えていたのだが、実際に奥多摩駅についたときには、奥多摩終列車に間に合った安心感と、膝の痛みばかりが心を占めていた。感動は日を追って湧き上がってきた。時間をかけているとはいえ、GPSの誤差もあるとはいえ、フルマラソンの経験もない自分が、80kmを、想定外の膝の痛みとも向き合いながら歩ききったのだ。

■あこがれ・練習・故障・作戦変更
3年前(2014年ごろ)「100年前の山を旅する」(服部文祥)という本で田部重治・木暮理太郎の笹尾根縦走を当時の装備でたどる話を読み、高尾山と雲取山という首都圏の超メジャーな山をつなぐという縦走のアイデアに取り憑かれてしまった。

縦走路に危険箇所はないが、距離がすこぶる長い。高尾陣馬縦走がかわいく見えるくらいに長い。ざっくり測ったところ60km位はありそうだ。ヤマレコの過去の記録を参照すると約80kmであるという。フルマラソンの経験もない自分がこれだけの距離を歩きとおせるのだろうか。最初の計画は2015年の冬だったがあまりの距離の長さに恐れをなして中止してしまった。

2016年には、これではいけないと長いジョギングを始め、平日には5-6km、週末には15km、25km、晩秋のころには35kmと距離を伸ばしたが、冬に入って左足裏筋膜炎が悪化した。通常は痛むのは寝起きとか、走り始めに限定されていたのだが、とうとう一日中痛みが残るようになった。

慢性化することを懸念してスパッと走り込みをやめてしまった。結果的に回復には成功したのだが、再び運動不足となり、2017年、再び脚の作り直しとなった。ところが7月の赤谷山で足裏筋膜炎が再発し、なかなか長い距離を稼げなくなった。結局脚作りを再開したのは秋口からになってしまった。

筆者は今まで毎日走らなければならないという強迫観念に捉われてきた。毎日走るといっても毎日10kmも走るわけではないのだが、年を取った今の自分にとって、毎日走ることは、徐々に脚力を作るとは限らず、時には徐々に健康を損ねていたようだ。

そこで取り組みを変えてみた。走った日の翌日は完全休養にして、その代わりに走る日は、走力に応じて徐々に長めの距離を充てた。5kmから始めて、11月中ごろには、ようやく25kmほど走れるようになった。2016年ならばここでさらに距離を伸ばして本番の距離に近づけたのだが、今年(2017年)はもうこれ以上距離は伸ばさないことに決めた。縦走の距離にはまだ遥か及ばないが、トレランをやるわけではない。ビバークを重ねながら何日もかけて歩くのであれば、これだけの脚を作れば十分であろう。

左足裏筋膜炎は奇跡的に全く出なくなったのだが、困ったことに今度は同じ左足の甲に痛みが出てきた。ただ、甲の痛みは走り出して暫くすると消えるので本番では大きな問題はないだろう。

■靴・靴擦れ対策
脚の痛みの問題以上に心配したのは靴擦れや豆による中途棄権の可能性だった。これまで北アルプスをはじめ、縦走で途中で引き返した理由の多くは靴擦れまたは豆だった。痛みで通常のスピードでの継続が困難になったためだった。今回の縦走の少し前にも靴擦れを起こしてしまった。今まで徹夜縦走などで使っていたハイキングシューズがくたびれてきたのを機に、今回の縦走を意識して新しくミドルカットのトレッキングシューズを新調したが、足慣らしでジョギングに使ったところ、土踏まずに大きな靴擦れを作ってしまい、走れなくなったのだ。今から新しい靴に替えるのも冒険だ。かといって距離を考えると使い慣れていても重登山靴は履きたくない。靴擦れを起こさない準備を考えた。

結局、今秋の北アルプスに役立った自称履き替え作戦を取った。履きなれたトレランシューズをスペアにザックに詰め、休憩時や着替え時、平坦地の移動はこれに履き替えることによって足を休めればいいと考えたのだ。さらに靴下を土踏まずにゴムの入った新しい靴下を履いて靴擦れの予防に努めた。靴下は2足用意し、途中で履き替えながら、足の蒸れを避けることにした。結果的には低い気温とスローペースのおかげで足の蒸れはほとんどなく、履き替えは1回ですんだ。

■日程
今年は2017年。標高2017mの雲取山にとっては特別な年だ。できることなら年内に大願成就したい。しかし脚作りのうちにとうとう12月に入ろうとしていた。12月には大事な仕事があったり、週末に用事が入っており、挑戦するとしたら1日金曜日の夜入りか、22日金曜日の夜入りに限定された。22日入りにすると、悪天候の場合後がない。そこで1日入りを第一候補とし、22日入りを第二候補とするしかないだろう。また1日の週末なら無理やり翌週の前半を休んでしまうこともできるだろう。
結局翌週の12月5日火曜日まで2日間休暇届を出した。金曜日の夜中に高尾山口入りし、可能なら土曜日のうちに奥多摩湖まで下り、日曜日に雲取をやって、下山路のどこかでもう一度仮眠すれば、月曜には下山できるだろう。もっともっと遅くて毎日20km程度しか歩けなくても、4日目(金曜から数えれば5日目)火曜日には下山できるだろう。

■出発。金曜日の夜
12月1日金曜日、会社を定時に上がると、茨城から鈍行で延々と移動し、新宿駅午後10時の八王子行き特急に乗った。最近すっかり定着している川崎の実家への移動パターンだ。しかし今夜は気持ちのいい風呂も、暖かくて柔らかい布団も、それどころか晩御飯もない。最後の食事は駅そばによるカーボローディングだった。自分にとって全く未知の距離への挑戦はあこがれと不安とが入り混じった。

北野で高尾線へ乗り換え、中央線乗り継ぎのある高尾駅を過ぎると、通勤客は激減した。週末は登山ラッシュでも起きているであろうな社内はがらがらだ。自分のような格好をしている乗客はむろん他にはいない。心配だ。何度も夜間ハイクをやっているが今度はそれとは桁違いの長さだ。果たして歩ききれるかどうかさえわからない。終点の高尾山口に着き、すっかり改装されて温泉まで付いた高尾山口駅をやや寂しい気持ちで後にした。しかし後ろ向きな気持ちでは成功するはずがない。いつものように裏高尾夜間縦走を楽しもう。

駅から薬王院へかけてのイロハモミジは名残の錦を街灯に輝かせ、少し変わった紅葉狩りを楽しむことができた。さらに6号路から登山道に入ってからの月夜の夜間登山は息を呑んだ。杉の渓谷がヘッドランプなしでも歩ける。高木とロックガーデンが月明かりでぼんやりと白く照らされる。水の流れる音と色彩のない形と濃淡だけの世界だ。愛用の6号路が一時崩落で閉鎖されていたというニュースを聞いていたが、紅葉シーズンに間に合わせたのか、復旧していて登高に問題はなかった。約1時間、標準的なタイムで歩き、深夜零時を少し回ったところで高尾山頂に到着した。この先いつ給水できるかわからない。山頂の水のみ場で喉を潤し、裏高尾の長い下りの階段を進んだ。

■裏高尾へ
月夜の高尾ー小仏城山までの縦走路は楽しい。ヘッドランプを消しても、よく整備された登山道は危険なく歩けるほどに足許が明るい。これほど月夜が明るいと、多少の木陰や、ちょっと雲がかかったくらいでは闇夜にならない。あいにく富士山方面は雲が出ていて、月夜の富士の松竹映画のマークを思わせる風景を楽しむことはできなかったが、近場の稜線を見たり、東京方面の夜景を眺めるには十分であった。登山道を狸かアナグマかが横切った。程なくして城山に到着し、山頂の天狗様に道中の無事を祈った。

城山から小仏峠は深い杉の並木道に入るため、再びヘッドランプのお世話になった。筆者が徹夜ハイクで何度もどきどきしている区間だ。あるときには、枝道に入って薮をこぎそうになって引き返したり、前方のヘッドランプがいつまでも近づいてこなかったり(たぶん遠くの町の明かり)、前方に熊よけベルがいつまでも聞こえるような気がしたり、おそろしい鳥の鳴き声が聞こえたり(トラツグミ、または鵺(ぬえ)。ぬえのなく夜は恐ろしい)。なんとか小仏峠まで降りるとほっとした。狸様。どうかお守りください。瀬戸物の狸様に手を合わせた。

小仏峠から景信山の登りでは、階段に霜が降りていた。12月に入ったのだから当然だろう。むしろ高尾が暖かすぎたくらいだ。景信山の新しい山頂標識を写真に収め、序盤のハイライトともいえる、景信山−陣馬山縦走路への階段へ突入した。

■膝痛・ガス・睡魔
膝が痛んできた。今までも北アルプスなど急な下りを経験した後には時々痛みの出ている右膝だ。しかし今回はやや様子が違っていた。膝の靭帯そのものが痛むというよりも、膝から太ももの外側の筋肉にかけて痛みが走るのだった。いつから痛み出したか、この記録を書いているときには思い出せない。縦走の序盤から出ていたような気もするし、景信山までは平気だったような気もする。景信山まで3時間かからずに来ている。特別速くもないが遅くもない。しかし景信山を過ぎてからやや痛みが増してきた。

さらにガスが出てきた。景信ー陣馬では始めての経験かもしれない。序盤は一瞬ガスが出ては晴れるという間けつ的な出方だったが、徐々にガスが深くなり、底沢峠を過ぎた辺りから、慎重に歩かなければつまずくほどになった。ガスが出るとヘッドランプをつけていても視界が真っ白になるだけで前進には注意を必要とする。

眠くなってきた。近頃は夜10時には就寝していたのだ。3時ごろといえば、むしろ起床時刻だった。眠気のピークがやってきても当然だろう。膝痛・ガス・睡魔トリプルパンチに、明王峠を過ぎたあたりで一旦休憩を取り、霧で体を濡らさぬように雨具を着込んだ。

ここから陣馬山までは長かった。膝の痛みでペースが落ち、ガスで前が見えず、眠さに耐えられず、過去の徹夜縦走でもよくやったように何度か立ったまま仮眠を取った。

おまけに眠さのあまりあまり注意せずにガスの中を歩いていたら、標識を確認せずに歩いていた。ここにはいくつかエスケープルートがある。道を間違えて奈良子峠を陣馬山ではなく陣馬高原バス停方面へ入ったような気になった。引き返した。途中見覚えのある坂道などに、恐らく道間違えはしていないだろうと思ったが、確実を帰すために確実なな奈良子峠の標識まで引き返したのだ。結果的に道間違えではなかったのだが、そこそこ時間をロスし、奈良子峠から富士小屋山までの400m程度のハイキングコースに50分もかけてしまった。景信山山頂では陣馬山通過を4時前と計算していたが、実際に陣馬山のお馬様にお目にかかったのは5時近かった。

霧は深く、月夜であるにもかかわらず陣馬山山頂からの眺望は全く利かなかった。そのまま休まずに和田峠へ下った。下りは右膝に堪えた。縦走の継続を断念するか考えたが、自分が今まで経験していた膝の痛みに比べると、膝痛というよりも筋肉痛に近いもので、実際止まった状態での膝の曲げ伸ばしでは痛みが出ない、ある意味不思議な状態だったのと、まだ痛み止めを飲むほどの状態でもないので歩いてみることにした。ロキソニンが必要になったときがリタイヤだろう。

和田峠の通過は、相模湖駅から市道山を通過して武蔵五日市へ歩いたとき以来2回目だ。あの時は峠の反射板がヘッドランプの光を反射して驚かされたものだ。峠道を過ぎて、なぜか立ち入り禁止になっている林道から登山道に乗る。この段階で再び睡魔に襲われた。立ち寝ではもう埒が明かないと思って仮眠を決意した。雨具を着込んでいるし。落ち葉は柔らかそうだ。ビバークグッズを取り出すのも面倒くさいから、このまま地面にごろ寝してしまおう。寒さは気にならなかった。むしろ痛む足を休ませることができ、楽な姿勢になれて快適だった。

■朝・生藤山までの苦闘
目を開けると、白い霧の中だった。頭上にぼんやりと落葉した広葉樹の影が見えた。あれほど強かった眠気がすっきりと消え、客観的にはかなりひどい条件での仮眠にもかかわらず、気分は不思議なほどに爽快だった。膝は、立ち上がるときに痛みはなかった。歩いても休憩前ほどは痛まない。これなら続けられる。こんなに気持ちよく休めるのならば、早く登山道にごろ寝してしまえばよかった。

薄明かりの中、醍醐峠を過ぎ、醍醐丸を通過した。醍醐丸から笹尾根方面にルートを取り、いよいよここからは未踏の領域だ。膝は相変わらず痛い。立ち上がる動きには何の支障もなかったが、歩き出すと痛んだ。時折膝から太ももにかけてしびれるような痛みも出た。しかしいわゆる膝にありがちな、お皿の下の痛みではなかった。お皿下に痛みが本格的に出ていたらロキソニンに頼り、かつエスケープを検討しただろう。通常の膝痛らしくなく、右足の着地は問題なかった。むしろ右足で踏ん張って左足で下りの階段を下りるときが痛かった。

そんなあまり快適とはいえない状態で目指した最初の目標は生富士山もとい生藤山だった。途中にちょっとしたガレがあったり、階段があったり、普段の体調であるならばどうということのないコースだったが、平坦でないところはこの膝では結構堪えた。

■笹尾根は優しかった
生藤山を過ぎると、ガレやアップダウンは少なくなり、笹尾根の快適な縦走路となった。さすがにハイペースで歩くというわけには行かなかったが、あまり苦しむことのない気持ちのいい縦走となった。霧も徐々に晴れてきた。霧は、晴れさえすればそのあとには晴天が待っている。熊倉山、浅間峠、日原峠と、辿っていく。三頭山はまだまだ先だ。

紅葉は盛りを過ぎたものの、ところどころに名残のイロハモミジやコナラの彩を楽しむことができた。そして地面の落ち葉の錦は今が盛り。黄葉は決して名残りというはかない様子ではなかった。向かい側の山腹がわずかに赤みを帯びた黄金色だ。あの赤みの帯び具合はコナラの類だろうか。コナラは紅葉時期が遅く、またやや赤みの黄葉となる、地味でいて意外と美しい紅葉の木なのだ。杉、ヒノキの常緑樹と鮮やかにコントラストを作っていた。

笹尾根は優しかった。膝の痛みが最も気になったのは生藤山までで、生藤山から槇寄山までの笹尾根の区間はあまり苦にならなかった。これは地図でもあらかじめ期待していたことであった。一旦笹尾根縦走に入れば高低差が低いし、笹尾根というくらいだから足許もなんとなく柔らかいであろうという読みだったのだ。実際落葉の時期と重なり、地面はふかふかのゴールデンカーペットのようだった。午後の柔らかい日差しを浴びていると枯葉のじゅうたんの上でいつまでも過ごしたいくらいであったが、先を急がねばならない。

眺望はあまり利かず、山腹の緑と黄金の彩りも葉を落とした木々の間から覗く程度にとどまっていたが、やや眺望のいいところに出てきた、土俵岳だった。この辺りから徐々に登山者の方とすれ違い始め、時には遠い山腹の紅葉の美しさで意気投合することもあった。

不思議と登山者に追い抜かれることはほとんどなかった。追い抜いていったのはトレイルランナーたちであった。身支度整え中のランナーにゴールを尋ねたら、数馬の温泉らしい。うらやましい。自分もここで数馬に降りて温泉に入ったら、どれだけ気持ちいいだろう。でも三頭山が、奥多摩湖が、そして雲取が待っている。

もともと笹尾根は登山者のためのものではなく、生活のために踏まれてきた、奥多摩と山梨を結ぶ生活道路の一部だった。関東ふれあいの道の標識、登山者向けの標識のほかに、往時を忍ばせる石の道標があった。浅間峠には、よく研がれた鑿で彫られた几帳面な字体で「上川乗(?)青年建立」(浅学にて判読困難)の石柱の道標が、指差しの略画の下に「山梨県棡原村三ニ山ニ至ッテ(以下埋没)」「小宮戸倉ヲ経テ五日市ニ至ル」「山梨県棡原原村ヲ経テ上野原ニ至ル」などと示している。上野原から五日市までの徒歩の移動、それもビジネスは買い物など生活上必要な移動のためにこの峠は使われていたのだろう。

旅は時に信仰ともかかわる。昔の人にとってこの程度の山越えは当たり前のことだったかも知れないが、それでも(今から見れば)貧弱な足回りでの移動は大変だったに違いない。道中の無事を守るかのようなお地蔵様が立っていらした。特別に信仰がなくても思わず手を合わせてしまいたくなるような微笑、そして合掌の所作。笹尾根はそのお地蔵様の向こうにまっすぐに続いていた。笛吹峠には角の取れた撫でたくなるような岩の道標があり、大日如来を表す「大日」の下にたおやかな仮名文字で「みぎ かつま(かづま)」「ひだり さいはら(さいばら)」と彫られている。これらの標識も書体こそやさしいが、」よく見るとかなりよく切れる鑿で彫られたことが伺えた。こちらの標識のほうが古い時代のもののように感じられた。

槇寄山には10人超のハイカーの方々がピクニックベンチを囲んで休憩中であった。時刻は午後2時半。午後の日差しが柔らかく、お茶にするには絶好の条件だったが、ここから日没前に下山できるのだろうかと登山者の方に尋ねてみると、数馬のほうに簡単に降りられるとのお返事を頂戴した。笹尾根は一旦乗ったら端まで歩かねばならないというのは勝手な思い込みであった。

槇寄山辺りは尾根が広く、その広い尾根にどっさりと落ち葉が積もって踏み跡が薄かった。日没後であればどこを歩けばいいのかわからないなと不安に思ったが、実際、後にムクロボ尾根でその通りになった。

■三頭山への奮闘
槇寄山を過ぎてくると、道は快適な尾根筋から登山道へと表情を変えてきた。遠くに雲取と思しき、実際には七ツ石山だろうか、高山が見えてきた。あそこまで行くのかという期待と、あそこ前歩かねばならないという大変さ、そして膝の痛みを一緒にしたような気持ちの中、徐々に高度を高めていった。三頭山は1500mだ。ずいぶん登らされるだろう。

斜度が上がるにつれて、膝が悲鳴を上げたが、登りはまだ普通に歩けたのが救いであった。辛いのは下りだった。痛みのある右膝は、膝痛としては不思議なことに曲げること自体はあまり痛みを感じなかった。しかし膝を曲げた状態で体重を支えるには痛みが強すぎた。だから、下りは常に右足からという変則的な歩行を強いられたのだ。そんなわけで下りたくないから、できるだけ登った分は高度を確保したいのだが、必ずしもそうも行かず、極端ではないものの、下って上ってを何度か繰り返さねばならなかった。どうにか三頭山山頂が近づいてきたと思って期待してたどり着いたところに待っていたのは「三頭山40分」(1400m)の標識(のちにこれがハチザス沢の頭と知った)。これには凹んだ。さらに根気よく歩くのだがなかなかたどり着かず、何とかたどり着いた山頂には「大沢山」(1480m)とあった。膝の痛みが出ないように歩くので、普段の自分のペースでないことははっきりしている。

大沢山を過ぎると、せっかく登り詰めた稜線を今度は下った。膝のせいもあり、せっかく一旦稼いだ高度を無駄にするのはがっかりする。常に右足右足と先行させて一歩、また一歩と下ったところできれいな建物が出てきた。東屋にしては立派過ぎる。むしろホテルにさえ見える。こんなところに山小屋があるのだろうかと思って近づくと、山小屋ではあったが避難小屋(国立公園避難小屋」(1433m)であった。避難小屋と言っても、滝谷や前常念にあるような北アルプスにしがみついているちっぽけな避難小屋ではない。太い丸太でどっしりと組み上げた小屋はそのまま営業小屋にしてもいいのではないかと思うほど立派であった。中はきれいに清掃されており、板の間などは黒光りしていた。そろそろ日も傾いてきたことだし、登山の定石としてはここで宿泊だろうが、今日中に奥多摩湖まで降りたい。そのための何度となく繰り返した夜間ハイクだ。文字通り泣く泣く通過した。

もうひとつ泣かせるのは1433mの標高だ。せっかく大沢山で1480mと高度を稼いだのに50mも下っている。三頭山1531mまで100mも登り返さなければならないではないか。でも行くしかない。薄暗くなり始めた中で少しだけ励みになったのは、目に付き始めたブナの木だ。深く高い山に来た気持ちになると思っていたら、ブナの道(の最上部、稜線部分)なのだそうだ。そうしてやっと着いたのが分岐点。ここからは山頂が近いが、その標識によると、今回の縦走で通過するのは三頭山本峰(正確には中央峰、1531m)ではなく、西峰(1526m)らしい。最高点かつ三角点を踏みたいところだが、今の体力では寄り道はなるべく避けたい。ここも泣く泣く中央峰を諦めた。それでも西峰にもちゃんと「三頭山」の山名柱が立っている。雲も出て日も翳り始めた。眺望はほとんど望めずに下山を開始し、まず中央峰と西峰を分ける御堂峠まで下った。ここで足許が暗くなった。ヘッドランプを取り出し、サプリメントとミニピーナッツクリームパン、そしてペットボトルコーヒー少々の簡単な食事を済ませて、本日の第一のクライマックスであるところの、ヌカザス山経由(実際はピークは踏まない)の奥多摩湖への下りへ取り掛かった。

■奥多摩湖へ向けて苦難の下降
いきなりヘッドランプ頼りで、暗くて霜柱の厚く成長した滑りそうなトラバースで緊張を強いられた。トラバースの緊張の次は、大きな岩に乗ったり、間を縫ったりする急な下りだ。暗く、膝は痛み、気持ちも暗くなる。だが、土曜日のうちに奥多摩湖まで降りていれば、日曜日に下山も現実的になってくる。野宿の回数を一回減らすことができる。

鶴峠分岐を通過した。今夜も月は明るい。煌々と注ぐ月明かりを確かめるために何度かヘッデンを消して歩いてみた。だが残念ながら杉が多く不案内な道であるため、裏高尾のようにヘッデンを切って歩き続けることはほとんどできなかった。

ツネ泣き峠方面を目指すのだが、本当に泣きたくなる下りだった。ハイキングコースにしては珍しく、固定ロープのトラロープが張ってある。前を向いて歩くには落ち葉の道が滑りやすく、また膝が持ちこたえないので、固定ロープにつかまりつつ、三点支持でクライムダウンした。固定ロープがあるところにはまだ救われた。暫くすると固定ロープも途切れ、厚く積もった枯葉の上にわずかに残るトレースをヘッデンでたどり、急な下りを三点支持下降しなければならなかった。腹ばいでは頭は上を向くから、ルートファインディングしながら下降するのではなく、一旦降りる向きを照らして方向を定め、暫く腹ばい下降してから再び下を向きなおすということを繰り返さなければならなかった。ツネ泣き峠まで残り0.3kmから、ムクロボ尾根分岐が長く感じたが、目の前にヌカザス山の高い岩塔がさえぎるように現れ、その前に分岐を示す表示板が出たときはひと安心だと思った。ヌカザス山には登らず、左に折れて、ムクロボ尾根伝いに奥多摩湖を目指した。

そのムクロボ尾根分岐からが大変だった。まずいきなりトラロープを使った長い長い下降。鶴峠並かそれ以上の下降だった。そしてロープが終わったあとも再び落ち葉の長い急な下りを、右足からの踏み出しのみで、時には腹ばいの三点支持で降りた。遥か前方に奥多摩湖の気配を感じさせる明かりが視界に入ってきたのだが、車道の気配は一向に現れなかった。

ムクロボ尾根の末端に思しきところに着いた。落ち葉に覆われた斜面は広く、日中ならば容易であったであろうルートファインディングはすこぶる難しくなった。開けた斜面だからどこからでも降りられそうに見えるが、その先に道が続く保証は無い。白地にペンキかマジックで「奥多摩湖」と書かれた標識に安心したが、尾根の末端ではそれさえも見当たらなくなり、最後は落ち葉に覆われた広い緩斜面をぐるぐる回りながら、GPSの軌跡と地形図とを頼りに踏み跡を探し出し、何とかそれらしき道を発見した。

ムクロボ尾根の末端を左(北西)に折れて暫く行けば、三頭橋のたもとに付くはずだ。湖畔の道路沿いに設けられたと思しき灯りが見えるものの、高度を下げる気配がまるでない。時々現れる案内標識に沿っているのだから間違えはないし、これだけ急な下りなら高度を下げていることも間違えないのに、湖面の気配がなかな感じられない。これは夜間特有の手ごわさということなのだろう。尾根筋と異なり、比較的のっぺりとした枯葉に覆われた斜面に微かに残る踏み跡を辿るものだから、いささか気を使った。大きく道から外れてしまえば、急斜面や藪の行き止まりにぶつかるからだ。それでも時たま現れる標識に励まされているうちに、三頭橋が見えてきたと思ったら、ぽっと飛び出すような感じで橋のたもとにある地味な登山道入口に飛び出した。縦走前半とも言うべき高尾山から三頭山までの縦走を歩ききった。

■鴨沢へ
橋を歩き始めて驚いた。右膝がまるで痛くないのだ。普段の山行と同様にいくらでも歩けた。今まで靭帯がねじれていたものが、正しい位置に収まったのか、それとも痛かったのは夢だったのかと思うくらいに快適だった。水平なアスファルトの道は片足で踏ん張る箇所が無いおかげで、痛みが出なかったらしい。取りあえず雲取山の取り付き、鴨沢くらいまでは大丈夫だろう。

三頭橋を渡った。車もほとんど通らずさびしい場所だったが、街灯は明るく、今までヘッドライト頼りだった者には天国だ。橋を渡ったところには自動販売機が並んでおり、水分と糖分を補給した。さすが雲取山の麓だ。カロリーメートの自動販売機がある。行動食の予備として一箱購入し、暖かくて甘い缶コーヒー一本、レモネード一本をその場で飲みきった後、雲取山登山口の鴨沢を目指した。

深山橋を渡ったところから、鴨沢取りつきまでの国道411号線は今回の縦走路の危険地帯だ。歩道のない路肩を歩き、夜間で飛ばしてくる自動車に自分の存在を知らせなければならない。ヘッドランプを最強にして、右側を崖に張り付くようにして通行した。幸い地元茨城県で経験するようなニアミスも無く。取り付き地点に到着した。

いや、到着したと思ったのは間違えだった。暫くしてわかったのだが、鴨沢と思っていたのはそのひとつ前の留浦だったのだ。ご丁寧に地形図には登りのルートが表示されており、杉林の消えかけた踏み跡を求めて約1時間の間放浪することとなった。貴重な時間を無駄にした。地元民から見れば不審者であったに違いない。踏み跡を「探しながら」本来超メジャールートの取り付きが何故こんなに大変なのかと地図を良く見直して、ようやくここが鴨沢でないことに気がついた。ヘッドライトで地元民を刺激しないよう気をつけつつ再度国道411に戻り、鴨沢を目指した。無論鴨沢には七ツ石山方面へ向かう明瞭な林道が走っていたし、雲取山登山口を示すはっきりした標識もあった。

■月夜の稜線に再度興奮、そして登山道にごろ寝
結局鴨沢取り付きは日付を回った深夜過ぎとなった。小袖乗越の駐車場の車には、深夜でも登山者の気配があって登山ブームを感じた。乗越を過ぎて、林道は登山道らしくなり始めた。ムクロボ尾根を照らしていた月はますます高く、明るく輝いていた。赤指尾根や石尾根だろうか。稜線のシルエットは明瞭に浮かび上がり、足元はるか下には小袖川の流れを聞いた。

登りに入って、一時期消えていた膝の痛みがぶり返して来るとともに、眠くなってきた。醍醐丸のときと同様に登山道に直に寝てしてしまえばいいのだが、今度は砂利がごろごろした登山道。なかなかいい寝床にありつけない。登山道から外れると斜面になっており、寝返りを打ったとたんに滑落しかねない。また、ここは超メジャーコースなので、寝ているところを超早出の後続者に見つかってびっくりさせないか心配だ。

道路脇に平坦であまり石の落ちてない空き地を見つけるたびに、地面に転がってザックを枕に仮眠した。背中に石が当るからか、砂利道は冷たいからか、超早出の後続を気にしてか、醍醐峠のときほどは熟睡できなかった。目覚めては歩き。また眠くなり、空き地を探して仮眠を取るということを繰り返した。凍死の不安は感じなかった。今年の横尾尾根や赤谷山、北穂高で低温で寝る経験を積んできたからだろう。衰弱していない限り、眠いくらいでは凍死しない。それどころか、寒くて眠れないということを体で覚えているからだろう。

ずっと左手が高く、右手が低くという地形を登り続けたのだが、終盤になってやっと右手が高い箇所が現れてきた。振り返ると、登山道の遥か後方に、本当に超早出の登山者のヘッデンが見えるようになった。この脚の状態では、追い抜かれるのは時間の問題だろう。

漸く七つ石小屋前を通過したのは5時40分だった。12月だとまだ夜明けには間があるが、早出の登山者はそろそろ身支度にかかっている気配を感じた。七つ石小屋を過ぎてからの急な登りは疲れた体と痛む膝には堪えたが、立ち木越しに見える夜明け前の富士のシルエットに元気をもらい、山名の由来となっている七つ石を通過し七ツ石山山頂に到着した。モルゲンロートの富士山が、奥多摩の峰々が、奥秩父、甲州の山々が朝日に燃え始めて美しい。

■七ツ石山から雲取山へ
七ツ石山山頂では、雲取方面から歩いて来られた登山者と、しばし談笑した。まだお若いのに100名山残り3座というつわものでいらっしゃった。しかも筆者が今回の縦走を思い立つきっかけとなった服部文祥の著作「100年前の山を旅する」を持っていらした。かくてサバイバル登山などについてもしばし語らうこととなった。しかし二人ともいつまでもそこで景色と会話を楽しむわけにはいかない。彼は石尾根方面へ、自分は雲取山を目指した。

七ツ石山山頂からまずガレ気味のブナ坂を一気に下る登山道が見える。こういう道が痛む膝には一番きついから、見るだけでひりひりしてきた。ゆっくりとブナ坂を下りきって「ブナ坂」の標識を通過したとき、七ツ石山を巻く道があったことを確認し、行きは巻けばもっと楽だったのにと後悔した。幸い、そこから暫くはアップダウンも緩慢になり、足許も安定してきた。左手には奥秩父、甲州の山々、そしてかさ雲を被った富士山の素晴しい景色が励ましてくれた。

広めのテント場とヘリポートを通過した。すでに日は出ていて、テントをたたむもの、山の朝食を楽しむもの、様々に快晴の朝を楽しんでいた。ヘリポートは地面に小石を使ってHの字をかたどったものだった。やがて奥多摩小屋を通過した。平屋作りのこじんまりした小屋からは薪ストーブの煙がいい感じに登っていて、二晩続きの徹夜ハイクの身には大層うらやましく感じられた、それに引かれたわけでもないが、奥多摩小屋では、奥多摩駅の時刻表があるかをスタッフに尋ねたが、あいにく小屋には備えていないとのことだった。改めて駅からの距離の長さを感じた。ここから尾根道と巻き道に分かれていた。行きは景色のいい尾根道を使い、帰りは楽さ重視で巻くこととした。

奥多摩小屋から山頂までは、急な登り、平坦で手入れの行き届いた散策路、急な登りを何度か繰り返した。急な登りではペースは一気に落ちた。登りは痛いながらも普通に歩けるのでそれほど悪くはないのだが、後続の登山者にどんどん追い抜かれた。仕方ない。

次々追い抜かれたのは膝の痛みのせいだけではなかった。景色が素晴しかった。奥秩父、甲州だけでなく、遠く南アルプス、中央アルプスの雪嶺が目に入った。そして穂高キチガイの自分としてはさらに北に見えた雪嶺を北アルプスと考えたのだが、今考えてみると、どちらかといえば八ヶ岳でなかったか。せっかく地図とコンパスを持ちながら、少し丁寧に山名同定しなかったことは今回の山行きの反省点だ。

ゴールは間近なはずなのに小雲取を過ぎてもまだ着かない。やっと避難小屋が見えてきたが、まだひと登りさせられるのか。天気はすこぶるいいが、風が強く、地面は霜で凍りつき、かすかな雪さえ残っている。目だし帽を被り、寒さをよけながらじっくりと高度を稼いだ。だが、今回の縦走の重要な折り返し地点(まだ折り返し地点なのだ)は間もなくだ。

そして最後のひと登りを済ませて山頂に到着した。山梨百名山と書かれた木でできたしっかりした山名柱だった。登頂記念に自撮りしていると、美女4人組の登山者が撮影してくださった。さらにこの先に行くともっと立派なのがあるから一緒に行こうということで連れて行ってもらった。そこが石の山名柱、そして2017mの標高にちなんだ2017年の記念山名柱だった。それぞれの柱の脇に立ち、美女4人組に撮影してもらった。自分もお嬢様方の記念写真を撮影してあげたが、うまい具合にバックの山々が入っただろうか。

撮影後、七ツ石小屋にいますと言い残して4人組はあっという間に小雲取の先へ消えていった。駆け下りるようにして下ることなどとてもできなかった。痛む膝にとってもっとも堪えたガレ気味の下りを一歩一歩、右足だけを前に踏み出しながら高度を下げていった。右足は踏ん張りながら曲げることが難しかったので、下りで左足を踏み出すことができなかったのだ。右足からの着地に対してはそれほど痛まなかったのが不幸中の幸いだった。

下山になると多少日も高くなり、奥多摩小屋を過ぎたテント場辺りはぽかぽかと暖かい芝生になっている。これは休憩するにはもってこいだ。景色がよく、南アルプスが遠望できて、ごろ寝ができる程度に平坦な芝生のある場所を見つけて腰を下ろした。靴と靴下を脱いでスペアのトレランシューズを突っ掛け代わりと足を入れてくつろいだ。暫くメモをつけたりしていると、不思議にも先ほど視界から消えたはずの美女4人組が前を通るではないか「さすがにお速いですね」などと声をかけられるも、むしろお速いのは皆様方ですよという気持ちであった。どこか寄り道をしていたのであろうか。自分は巻き道を使っただけなので、下山では近道にはなっていなかったのだが。

このまま、七ツ石小屋までご一緒して、お茶の一杯もという気持ちも山々だったが、この膝の状態で七ツ石小屋まで下って、再び石尾根に戻る元気は残っていない。またもしかすると日曜日のうちの下山が可能かもしれないという時間的な状況からも、寄り道はできなかった。今回の山行きの最高のパートナーは奥多摩の山々だと言い聞かせつつ、やむなく見送り、これからの行程に備えて仮眠を取った。小袖林道の夜中のごろ寝に比べれば、陽だまりの芝生の上の昼寝(ただしまだ午前中だったが)は快適だった。

仮眠のあとは、べそをかきながら下ったブナ坂を今度はじわじわと七ツ石山山頂を目指して登り返した。。登りは痛みが出ないので、むしろ他の登山者よりスタミナがあったくらいではないか。最初は追いつかれそうなのだけれども、こちらのペースは落ちないので追いつかれそうで追いつかれない。

■明るく広々とした石尾根縦走路
山頂を過ぎ、七ツ石の神社を過ぎ、七ツ石小屋の分岐を過ぎると、日曜日後半の山場、石尾根が始まった。芝がちの尾根に、黒土のハイキングルートが続いていた。寒気で降りた霜が融けてぬかるみ、ハイキングシューズに団子がついたが、足を取られるほどでもなかった。その黒土はいかにも黒い。これほどの黒土は見たことがないというほどの黒さだった。石尾根といいながらも、足を取られるような石はほとんど見られなかった。尾根の幅はかなり広く、植生は尾根よりも湿地が干上がったばかりの草地を感じさせた。最近まで沼地だったのではないか。こうした尾根伝いにこれほど広大な湿地がどのようにして存在できたのだろうか、などと空想しながら歩いた。

両側を木立に囲まれた広い芝の尾根を歩いた。時折振り返り、徐々に視界から消えていく雲取山、七ツ石山を惜しんで目に焼き付けた。雲取山は木々に阻まれて全貌を再度拝むことが出来なかったのが少々残念だった。

一方南側の眺望にはずっと興奮させられた。時折木立がすべてなくなり、広い草原の斜面が広がった。その先には奥多摩の峰峰が一望された。奥多摩湖でさえ、とても遠く、笹尾根がどれだったのかさえも良くわからない。はるか向こうには、雲取山山頂で見た富士山が再びくっきりと、そして大きくそびえていた。視線を近くに移せば、白い綿毛の穂が午後の日を浴びて金色になびいていた。山と高原地図によると、カヤトの美しい尾根らしい。

尾根の幅が広く、両側から樹木に多いかぶさられていないため、前後の眺望が良く効いた。次に登る峰が視界に入ると、決まったようにその急登の頂にシラカバが、青空をバックに道しるべのように高く立っていた。その天然の道標は痛む膝を抱えての登りを支える意欲を与えてくれた。ただ、見通しは良く、奥多摩湖は遠く、そして目指すべき奥多摩駅はそこからさらに遠く、一体幾つの尾根を越えていくのかさえもわからず、下山の見通しはまだまるで立たなかった。何年か前であれば、この距離感自体に恐怖したかもしれないと思うと、この10年間の進歩は著しい。

日影名栗山のブロードなピークを通過してさらに歩くこと約30分で、鷹ノ巣山避難小屋に到着した。三頭山、雲取山、鷹ノ巣山、いずれも避難小屋はおしゃれで安定感のあるログハウス風であり、避難小屋をつないで縦走しても楽しいだろうなと思った。実際紅葉シーズンになると避難小屋に泊まること自体も困難になると読んだことがある。むべなるかな。

■黄金の巻き道
鷹ノ巣山への尾根道も明るい芝の尾根で、ピクニックテーブルなどもあるのどかな場所だった。しかし痛む膝を抱えてのアップダウンは避けたいし、奥多摩駅まで8時までに下山できるかもしれないことから、筆者は尾根から外れて巻いていく迂回路を選ぶことにした。巻き道入口で、水を飲みサプリとカロリーメートの簡単な食事を摂った。

楽したいという誘惑に負けての巻き道であったが、物見遊山としても決して外れではなかった。午後の日差しが斜面を覆いつくした枯葉を黄金色に染めた。その豪華なじゅうたんから、時にはブナが、時にはコナラが、いくつも立ち上がっていた。見上げれば幹の向こうには雲ひとつない青い空。落ち葉のじゅうたんをさえぎるような笹薮や低木はなく、広々と、一面に枯葉に覆われた斜面が谷底へと広がっていた。笹尾根から見えた黄金色の山々のひとつを実際に歩いていたのかも知れない。

巻き道はゆっくりと高度を下げていくため、膝への負担はほとんど無く、通常のコンディションと変わらないスピードで歩けた。枯葉の柔らかさも足裏に心地よい。唯一そして大きな問題は、枯葉に隠された登山道の追跡が難しいことだ。土曜日の晩は簡単なはずのムクロボ尾根の下りでも一時彷徨した。この落ち葉のじゅうたんは踏み跡を容易に追いかけることのできる日没前には完全に通過したい。午後の日差しは白から黄金色、そして鈍い黄金色、赤銅色へと輝きを変えていった。見とれていたいが、出来れば駅前ビバークは避けたい。道迷いはもっと避けたい。

それまでずっと、南向きの日当たりのいい尾根を心地よく下ってきたが、下山の後半、将門番場あたりからは尾根の北側になり、薄暗く、寒くなってきた。時々見え隠れしていた富士山も残照に浮かび上がるシルエットと姿を変えつつあった。一方東側の木立の間からは大きな丸い月が上がってきた。今夜も美しい月夜になりそうだ。

六ツ石山の分岐を過ぎたところで、暗闇になる前にとヘッドランプを用意し、点灯したがどうも明るくない。目が悪くなってきたのかと心配したが、実際には電池が切れ掛かっていた。LEDランプの電池を登山中に交換することはめったにないのだが、今回の登山の半分は夜間だった。電池が行動中に寿命になるのもうなづける。これこそ暗闇になる前に済ませばならないと、杉の闇の木立に入る前に、薄暮の最後のひと絞りを頼りに、電池交換した。これで大丈夫。あとは時間との勝負だろう。

■3日目の夜間ハイク
日が落ちた。月明かりとヘッドランプに頼ってのトレースの追跡となった。枯葉は厚く、踏みあとは薄い。わずかな窪みを追いながら先を急いだ。ムクロボ尾根で一時トレースをつかみ損ねてさ迷ったことを思い出した。あの再現は避けたい。時計と地図を確かめると、8時下山のペースは保っているものの、急がば回れ。ルートファインディングだけは慎重を心がけた。こういうときにはたまに現れる標識が有難かった。

終盤、奥多摩駅へ出るのに、石尾根をそのまま辿る道と、三ノ木戸山の分岐で尾根を右(南)へ折れて三ノ木戸林道へ早く合流する道とがあり、明るいうちからどちらにするか迷っていた。尾根筋のほうが快適そうだが、時間はかかる。早く林道へ出れば、時間も短縮できるし、林道ならば踏み跡が薄くて迷う心配も少ない。三ノ木戸分岐に出るまでは、後者に決めていた。ところが実際に三ノ木戸分岐にやって来ると、南へ折れる道はやや傾斜の急な真っ暗な森の道。林道へ出る前にさ迷うことを予感した。良し悪しは不明だが、直感でルート変更し、石尾根をそのまま下ることにした。

両者を比べたわけではないので、これが成功か失敗かはわからないものの、尾根筋の道は比較的快適であった。一時期不安だった枯葉による踏み跡の喪失についても。道が尾根を巻く段差のようについていたおかげで、枯葉にまぎれにくく、追跡が比較的容易であった。そして傾斜がなだらかなおかげで膝の痛みをほとんど感じることなく、平常時と同じ程度のペースで下ることができたのだ。

安定したペースは維持できたのだが、ムクロボ尾根の下降と同様、ゴールは遠かった。林道を見下ろすように歩いているはずなのだが、自動車の通行の気配も、街灯も全くない。見えるのは杉の森ばかり。下草がよく刈られていて、すっきりしているのだが、それは時にはルートの喪失を予感させるので、夜間は必ずしも気持ちのいいものではなかった。

そうかと思えば、踏み跡がやおら深くくぼみ始め、ちょっとした沢のような箇所もあった。もしや窪みを追うことによって道から沢へとそれてしまったかと不安になった。しかも窪みの下りは膝には厳しく。容易な下りさえ三点支持で這って降りることも強いられた。幸いひとえぐれした後に、道らしい踏み跡が現れた。それはやや広く、軽トラックなら通れるような道幅だった。作業用道路か。標識まで現れた。安堵した。

しかし相変わらず漆黒の中をヘッドランプ便りで歩くことに変わりはなかった。そろそろ林道との合流ではないかというところで、今度は木橋が現れた。ヘッドランプの明かりでは少々頼りなく見える。しかも高度はかなりありそうだ。周囲の地形はよくわからないのだが、まだ深い谷があるような山道を歩かされているのか。橋を越えると小さな社が現れた。これが地図にある神社ならばもう眼下に林道の気配が現れえもいいものなのだが、一向にその気配がない。途中物置のような小屋を通過し、標識があり、道をたどっていることだけは確かなのだが。

なかなか林道とぶつからずあせらされたが、ようやく目の前にコンクリの下りが出てきた。これは林道の土留の上に出たのだ。安心しつつ、しかし不調の膝で不覚を取らないように慎重に下って、林道へ合流した。奥多摩湖以来の舗装道路だ。

■終盤の苦戦、そして奥多摩駅
午後8時までに駅に着きたかった。8時台にはまだ列車があるだろう。それに乗れれば間違えなく日曜のうちに川崎の実家までは帰れるだろうと読んでいたからだ。最初は6時で時間切れと決め込んでいたが、それは茨城の自宅に帰るためのデッドラインだったことを思い出したのだ。ということは8時ちょうどまでには駅にたどり着かなければならない。それを過ぎると駅前ビバークのリスクが出てくる。

林道に出さえすれば、あとは駅までひと歩きだと思ったが。ここからも結構歩かされた。林道はあるが、舗装道路があるだけで人家の気配は全くない。林道はうねっていてなかなか駅へ近づけない。その林道のくねくねを突っ切るように2度のショートカットがあった。このショートカット、自分にとってはなかなか曲者だった。どちらもいきなり階段を降ろされた、今の膝には階段の下りが一番堪える。そして2回目のショートカットは、石尾根を縦走してきた人にはこんなの楽勝でしょうと言わんばかりの山道だった。確かに通常なら楽勝なのだが、石ゴロゴロの下り道は一歩一歩としか進めない。いったいいつまでこの2度目のショートカットは続くのだろうかと思っていたところ、神社の境内に飛び出した。羽黒三田神社の本社の右裏から境内に飛び出したようだ。無事を感謝して手を合わせるのもそこそこに、先を急いだ。林道との合流点にはパソコンで作ったような無機質な「羽黒三田神社」の標識。奥多摩駅からこの標識をたどって石尾根に乗るのは結構注意力を必要とするのではないか。

気がつけば8時まであと20分もない。まだ多摩川(実は渡るのは多摩川ではなくて、日原川にかけられた氷川大橋)さえ渡っていなかった。林道をひたすら急いだ。神社のものと思しき立派な建物を過ぎ、再度階段のショートカット、ここを降りれば国道411に出るか。イテテ、やっぱり階段は右足から出なければ降りられない。右足を曲げると痛くて左足から降りるときに踏ん張れない。冷や汗をかきながら国道411号へ出た。交差点でコンビニ(タイムズマート)を発見した。祝杯のビールを買いたい、それ以上にお弁当かおにぎりでも買いたい。しかし8時にはもう時間がない。諦めて通過した。

多摩川の橋(日原川の氷川大橋)に出て、ようやっと駅のめどが立ってきた。月は今夜も明るい、前方の稜線がはっきり見える。駄目元で写真に何枚か収めて、大慌てで駅へ歩いた。昔鳩ノ巣渓谷など歩いたときにはこのあたりを歩き、駅前の居酒屋で打ち上げなどしたことを思い出した。しかし8時近くでは店も閉まり、暗く閑散としていた。そして右へ曲がって、白壁と木造の骨組みがかわいらしい奥多摩駅の駅舎に到着した。時刻は8時5分前。改札の電光掲示板は先発は8時1分を告げていた。8時台の列車に乗るには8時に間に合わせるという作戦は成功だった。ただ、まだ列車の本数はそこそこあったが。

■無事終わった
出発までのわずかな時間を利用して、駅前の自販機でコーラを購入した。ビール代わりの炭酸で、糖分が多くて、かつ刺激の強そうな飲み物を選んだ。改札をくぐった。駅の階段はやっぱり辛いが、ここまでくればこっちのものだ。

無事下山した。膝は痛い。しかし驚くほど元気だ。膝の痛みさえなければ、来週末もまたやってみたいと思うほどに元気が残っていた。そして驚くほど冷静だった。大願成就の感動は全くなかった。夕食(夜食)を何にしようかということばかり考えていた。感動というよりはぼんやりだった。友人に生還のメールを送ったあとはずっとうとうとしていた。

青梅乗り換えの間、駅で行動食の飴の包み紙を捨てた。こんなにたくさんレモンのど飴ばかり食べていたのかと驚いた。立川の乗換えでは階段の下りでべそをかき、10時過ぎに宿泊地の稲田堤駅に到着。孤独な祝賀の晩さんは日高屋の野菜タンメンだった。温野菜がうれしかった。














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