南アルプス北部縦走《日本百名山》
- GPS
- 48500:04
- 距離
- 70.5km
- 登り
- 6,338m
- 下り
- 6,610m
コースタイム
- 山行
- 6:21
- 休憩
- 0:16
- 合計
- 6:37
- 山行
- 7:06
- 休憩
- 2:02
- 合計
- 9:08
- 山行
- 8:53
- 休憩
- 1:53
- 合計
- 10:46
- 山行
- 8:43
- 休憩
- 1:08
- 合計
- 9:51
天候 | 略晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2007年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
復路:仙流荘から車で高遠、バスで伊那市に出てJR飯田線・中央線 |
コース状況/ 危険箇所等 |
明瞭 |
予約できる山小屋 |
馬の背ヒュッテ
|
写真
感想
1日目(8/18): 椹島〜赤石避難小屋 晴れのち曇り
高松と出雲市から東京へ行く寝台特急“サンライズ瀬戸・出雲号”は京都には止まらない。深夜の大阪駅から乗り込みのびのび座席に横たわるとすぐ寝に付いた。寝台特急とは言いながら、2両の普通車があり、この“のびのび座席”はカーペット敷き毛布付きのお買い得品の車両が連結されていて乗車券+3,230円の特急券のみで乗ることができる。早朝、静岡駅に着きバスターミナルに行くとベンチでホームレスの如く寝ている友人を発見。畑薙第一ダム行直通バスには、まだ1時間ほど時間がある。近くのコンビニで食料を買い込み、朝食を食べていると、ベンチの主が起きだした。
7月の台風4号は、静岡県にも被害をもたらし、県道南アルプス公園線のバス終点畑薙第一ダム直前の林道法面を崩し、一時は全面通行止めになった。これにより大井川からの入山が全くできない状態となったが8月初め漸く仮歩道ができ15分の徒歩連絡でダムまで行くことができるようになった。ダムサイトで待っていた東海フォレストの送迎バスに乗り換え椹島に向かった。この送迎バスはフォレスト直営の小屋に泊まることが条件で、行きは小屋の利用券を3,000円で購入し、帰りは小屋の領収書を提示すると乗ることができる。ただし二軒小屋まで行くと条件が厳しくなる。長いアプローチの末バスは椹島(さわらじま)に到着。赤石岳までの標高差に恐れをなした友人は、今日は千枚小屋に泊ると言ってここで分かれた。
早速大倉尾根に取り付き登り始めた。地上は猛暑日が続き標高が1,160mある登山口でも暑さは厳しい。20圓硫拱を背負い全身汗塗れになり一歩一歩、ガマンガマンで高度を稼いで行った。1時間20分ほど歩くと林道跡に出る。昭和30年代東海パルプの木材切り出しが盛んだった頃の名残で今では完全に廃道となり草木が生い茂り、歩くこともままならなくなっている。しばらく林道跡を歩き、右に消えて行く林道跡を離れ再び登山道となり標高差100m程上がると再び林道跡が横切った。ここが赤石小屋までの丁度中間点(標高1,875m)で歩行の目安になる。
暫し昼食休憩を取って元気を取り戻し樹林帯の単調な道を登り続けた。追いつく登山者はいないが下山者には時々すれ違った。只管歩いて赤石小屋(2,540m)に着いた。ここは営業小屋で椹島に着いてから後を追ってくる人達は殆ど此処に泊るだろう。赤石山頂を目指す私には用事は無い、写真を撮っただけで通過した。樹林が途切れると富士見平(2,730m)で赤石や悪沢の眺めが素晴らしい・・・筈だが、3,000mの山頂にはガスが掛かりだした。明日は雨の天気予報だ。何とか降りだすまでに山頂に着きたい。
富士見平からはラクダの背で小赤石岳に繋がるがこれは冬季ルート、夏道はこの南を巻くように進み、一旦100m余りも下る。疲れた体にこれは勿体ない。北沢の水場に到り冷たい水で喉を潤し給水した。ここからは北沢左岸の急斜面を登る。ザックが重くなり疲労が重なる。しかし高度が上がるに付けお花畑は密度を増し、様々な花が現れ撮影に忙しく、重い足取りと重なり、なかなか前に進まない。北沢の水場から標高差400m、漸く赤石岳と小赤石岳の鞍部稜線に乗り上がった。ここまで来るともう赤石岳は指呼の間、登山口から6時間30分、あの懐かしの赤石岳(3,120m)山頂に到着した。ガスで展望はなく1等三角点「赤石岳」にタッチし、山頂標識を撮っただけで避難小屋に転がり込んだ。
昨年と同じ小屋、同じ小屋番。チェックインしている最中、「今日も飲むでしょう?」、思わず「ビールくださ〜い」そして「今日は椹島から来た。」と言うとデジカメでパチリ。暫くすると写真入の登山証明書をくれた。それには「貴方は椹島(1100m)より赤石岳(3120m)まで標高差2000mを一日で登頂されました。長大なる南アルプス赤石岳への登頂意欲とともに、その強靭なる体力を称賛し、証明書をお渡しします。再挑戦し再会の機会をお与えください。 平成19年8月18日 赤石岳避難小屋管理人 榎田善行」と書かれていた。昨年、聖平から来たときも標高差2,000mあり貰った嬉しい証明書だ。
今日の小屋は11人の登山者で少なく、皆が一つのテーブルで小屋番のハーモニカに合わせ歌い、語りそして呑んで、嘗てのユースホステルのような楽しいひと時を過ごすことができた。
2日目(8/19): 赤石避難小屋〜小河内岳避難小屋 晴れ
皆の予想に反して晴れた。小屋前の東に張り出した先端(ここにも赤石岳山頂標識がある)でご来光を見る。振り返ると赤石岳が真っ赤に焼け素晴らしい。急いで山頂に行くと反対側に赤石岳の陰が雲海の上にくっきりと浮いている。先月“影鳥海”を見たが、此れは差し詰め“影赤石”とでも言おうか、捨てたものではない。朝日に照らされ雲海が赤く染まり、奥秩父の山々が浮かび、富士山は幻想的な島のように浮かぶ。
今日の宿泊者は私以外すべて大蔵尾根を椹島に下る人達だ。一頻りご来光を楽しむと先陣切って小赤石岳に向かって出発した。昨日乗り上がった大蔵尾根の分岐を過ぎ小赤石岳山頂(3,030m)に着いて振り返ると赤石岳は朝日を浴びて輝いている。実に清々しい。富士山、中央アルプス、御岳、乗鞍、穂高、槍までしっかり見えた。北アルプスの北部も見えるがどれが白馬やら、鹿島槍やら判別しがたいがしっかり見えている。
小赤石の肩から大聖寺平へは300m余りの下降となる。早くも荒川小屋で泊まった人が登ってきた。そして大聖寺平の小渋川登山道分岐には10数人が休憩している。そして何人かは小渋川へと下って行った。沢ルートらしいがどんな道なのだろう。此処から荒川岳までは稜線を外れ東側を巻いて進む。そして中間点には荒川小屋があり、水場で給水して行く。緩やかな登りで500mほど行くと極々細い水が出ている沢がある。しかし給水は難しそうだ。ここからは本格的な登りになり急勾配を登った。下りて来る人は早くも千枚小屋から来た人が現れだした。荒川前岳の南東に張り出した尾根を乗越す所で、荒川小屋でテントを張っていたという小父さんに追いついた。この小父さんとは運命的な出会いで、この後3泊同じ小屋に泊まることになった。
荒川小屋から1時間10分汗だくになり荒川前岳と中岳の鞍部に乗り上がった。昨日千枚小屋に泊まった友人とは前岳で合流する予定だがもう来ているだろうか山頂を見渡すが姿はなく、その先の登山道にも姿は見えない。先に行っている筈はなく、其れならばと縦走路をはみ出し荒川中岳(3,083m)に立寄った。荒川東岳(別名:悪沢岳)に最接近した。南アルプスの盟主を誇示しているかのような存在感を持っている。
中岳山頂には3等三角点「荒川岳」があり、女性が一人休憩中、昨夜は千枚小屋に泊まり今日は小河内避難小屋だというので、友人を見なかったかと聞くと「この下の避難小屋にいた」という。千枚小屋で会話を交わしていたようで私と前岳で合流することも知っていた。女性は先行し山頂写真を撮っていると果たして友人は登ってきた。ロスのない理想的な合流だった。そして先ほどの小父さんも登ってきた。
悪沢岳を前にして引き返して荒川前岳(3,068m)に向った。10分足らずで山頂に達した。前岳の西側は巨大な崩壊地でスッパリ切れ落ちている。山頂にはイワベンケイやミヤマシオガマが群生しており写真撮影に忙しい。暫くは稜線沿いに歩くが崩壊で登山道が途切れ北東側を巻く。巻くといっても急なガレ場の下りで神経を使う。再びあの小父さんを追い越し樹林帯に突入する。井戸沢ノ頭の北を巻く登山道沿いに水が出ている。プレートには「高山裏避難小屋で泊まる人はここで給水した方が便利です。」を書かれている。そう言えば高山裏の水場は40分ほど掛かるらしい。
水場から20分ほどで高山裏避難小屋に到着すると数人の登山者が休憩していた。小屋番さんらしき人に挨拶するが返事はない。後で聞いた話だが相当偏屈な人であるらしい。小屋の周りはお花畑でマルバダケブキの群落にタカネナデシコなどが咲いていた。25分の休憩で昼食を済ませ先に進む。だらだらと登り板屋岳(2,646m)に達するが樹林帯で展望はない。それでも10分間の休憩を取った。友人と合流してからは休憩の頻度が3倍位に増えたが余裕の行程なので問題はない。
瀬戸沢を時計回りに回りこむように進み大日陰山の東を巻いて北東へと進んでいく。大日陰山に登れないものかと左手を注視していると、赤テープに小さく「大日陰山→」と書かれており、しめたものだ。花の写真撮影で友人より遅れているが、遅れついでにザックをデポしてアルバイトに出かける。少々藪漕ぎで登ること3分、山頂に立つがが何にもなかった。展望も先に小日陰山が少し見える程度だった。
P2599とP2623を越えるといよいよ小河内岳へのアタック。標高差は200m余りだが疲れてきたので厳しい。樹林帯を抜けP2623から1時間近くかけて小河内岳(2,802m)山頂に達した。2等三角点「小河内」があり、荒川中岳であった女性がいるのかと思ったら小屋番の奥さんだった。「高山裏で牛丼食べた人?」と聞かれたが「違います。それよりビールはありますか?」と聞くと「売るほどにあるよ」とのこと、楽しみなことだ。山頂で360°の展望を眺めゆっくりした。回り込んで来たので悪沢岳が近い。
小屋に着くと荒川中岳で出会った女性が寛いでいてビール片手に会話が弾んだ。神奈川から車で来たという女性でかなり体力はありそうだ。明日は塩見小屋泊まりで明後日蝙蝠尾根を下り二軒小屋に泊まるそうだ。そして1時間半程するとあの小父さんが到着し、今日の宿泊者は4名となった。高山裏で牛丼を食べたのはこの小父さんだった。(この後は“牛丼の小父さん”と呼ぶことにする。)金土なのにこの2日間は宿泊者がなかったそうだ。東海フォレストの小屋は無線機で情報交換が頻繁に行われており、あの偏屈そうな高山裏の小屋番も無線になると面白おかしく登山者の情報を逐一送ってきているようだ。“牛丼の小父さん”の行動も筒抜けだった訳だ。
ここも避難小屋で食事提供の許可はないが、レトルト食品の提供はされている、1,000円でカレーや丼を食べることができる。昨日テント泊だった牛丼の小父さんも夕食を頼んでいた。我々だけが自炊、といってもこちらもレトルトだが・・・夜は19時に消灯、窓の外に時折光るものが・・・遠くで雷が鳴っているようだ。
3日目(8/20): 小河内岳避難小屋〜熊の平小屋 晴れ
夜明け頃にはガスが取れ、今日も素晴らしいご来光が見られた。山頂に登り蝙蝠岳の右肩に昇る朝陽が神々しく一日の闘志に火を点けた。今日は塩見を越える。まずは前小河内岳へ、昨日小屋番が今年は雷鳥を見ない。テンにやられてしまったのだろうかと心配していたが、小河内の下りでハイマツの下を歩く雷鳥一羽を発見し一安心した。
前小河内岳(2,784m)に登り振り返ると朝日を浴びた小河内岳が美しい。左の肩には小屋が見えている。誰か出ていないかな。小屋前に人影はなかったが、斜面を下る牛丼の小父さんを発見! あの小父さんのペースで熊ノ平までの長距離を歩けるものだろうか。北の方を見ると今日越える塩見岳が向かい側に見えている。それにしても大きい、流石は日本百名山に数えられるだけのことはある。
西側の小河内沢を巻き込むように北西に進み次のピーク、烏帽子岳(2,726m)を目指した。朝は快調で30分で着いた。どこから見ても“烏帽子”の形をしていない山だが山頂展望は360°、望遠レンズを覗いていると前小河内岳の山頂に牛丼の小父さんらしき人影が見える。そして三伏山の頂上にも人影が・・・三伏小屋に泊まった人だろう。デジカメ一眼レフはいい。望遠鏡代わりにもなり、コンパクトカメラと違い望遠写真が素晴らしくきれいに撮れる。ただ付属物も入れると重量が1.5坩未△蟷街垈拱には一寸重荷だ。
三伏峠へは真西に進む。南側は崩壊し断崖になっている。峠の西側のピークの崩れは凄い。山が無くなる勢いにも見える。三伏峠の手前にはお花畑がロープで囲われ保護されている。マルバダケブキやオヤマリンドウが咲いているが目当てのサンプクリンドウは残念ながら見つからなかった。この囲いは近年高山域に進出した鹿対策で奴らの強烈な食欲にやられると高山植物の全滅が危惧される。
お花畑の下に水場への分岐がある。以前は三伏沢の三伏小屋が東海フォレストによって営業されていたが今は休止で通行止めになっている。左に曲がると三伏峠、その少し先に三伏峠小屋があるが小屋には寄らず三伏山に向かった。因みに三伏峠小屋は長野県に飛び出しているので東海フォレストの経営ではない。
三伏山(2,615m)は三伏峠(2,575m)からすぐで樹林帯のなか、山頂域だけが開け草原状になっている。再び望遠レンズを覗くが牛丼の小父さんの姿は発見できなかった。山頂の木にホシガラスが止まっている。そっとカメラを向け目いっぱい望遠にして撮影成功。シャッターを切ると同時に旋回するように飛び去ってしまった。再び樹林帯に入り単調な歩きで本谷山(2,658m)に達した。3等三角点「本谷」があり、木の切れ目から少しだけ展望が得られた。
谷山からは樹林帯のトラバースで権衛門山南面の権衛門沢源流の谷(水流はない)を登り塩見新道分岐に達する。ここまで来れば塩見小屋も近い。樹林帯を抜け出すとP2766の山肌に小屋がある。展望良く前面に天狗岩と塩見岳が初めて姿を現し圧倒的な迫力で聳えていた。小屋からまだ標高差は300mありこれからが正念場だ。ハイマツ帯から岩稜帯となり太陽に向かって進み天狗岩(約2,930m)に達した。山頂ではNHK撮影クルーが三脚を立て無線でノイズがどうのとやり取りをしていた。あと150m、最後の岩稜に取り付きゆっくり登る。中間部分にもNHKスタッフがいる。昨日から塩見小屋に泊まり込んでいるそうで、何の撮影かと聞くと9月23日放送の「小さな旅」だそうだ。これは見なければならない。
岩稜帯は続き一歩一歩這い登り漸く辿り着いた塩見岳西峰(3,047m)、2等三角点「塩見山」があり山頂標識もあるがここは主峰ではない。東峰の方が5m高く3,052mある。少し休憩して東峰、塩見岳主峰に登頂した。そこには4人の登山者が休憩中でいずれも三伏峠から登ってきた人だった。こんな3,000mを越える高所に地上では見ることのないセミがいた。後日調べたところエゾゼミのようだ。北の方を見ると間ノ岳の左肩に北岳が顔を出している。山頂で長い休憩を取っていると荒川中岳で出会った神奈川の女性が登ってきた。今日泊まる塩見小屋に荷物を置いて来たそうだ。牛丼の小父さんは三伏山で追い越して来たと云う。
小屋に引き返す神奈川の女性に別れを告げ北東の岩場を下り蝙蝠尾根の分岐点、北俣岳(2,940m)に到った。100m降りただけでも塩見岳はやはり大きい。西面が大きく崩壊し、その縁に付いた登山道はガレ場を急傾斜で降りる。傾斜が落ち着く頃、東側の雪投沢へと続く踏跡がある。幕営地で水場もあるようだ。なだらかに進み西側の崩壊が進む北荒川岳(2,698m)直下に登山地図にはキャンプ指定地となっているが、今はキャンプ禁止になってしまったようだ。山頂には3等三角点「伊那荒倉」が崩壊地の縁に立っているが早晩崩れてしまうのではないかと心配になる。振り返ると塩見岳が遠ざかり双耳峰であることが殆ど分からなくなってきた。ガレ場に咲くタカネビランジの群生が石で囲われまるで箱庭のように守られ頑張っていた。
塩見の先、熊ノ平を目指すがまだ長い。友人は疲れが出てきたようで歩行速度が落ちてきた。暗くなるまでに着ければ問題はないので後ろから見守りながらゆっくり行く。登山道は稜線の東側を巻くように続く。このまま行くと新蛇抜岳(2,667m)は通らないので2.5万図で地形を確認しながら左手を注視して進むが登路はないようだ。藪の薄そうなところにザックをデポし、登頂すると山頂は展望が利き、登った甲斐があった。ここで初めて今日泊まる熊ノ平小屋を俯瞰することができた。辿り着くにはまだ安部荒倉岳を越さなければならない。
道草の後先を行く友人に追いついたのは見晴らしの良い小岩峰(約2,620m)だった。ここも360°の展望があり、東には農鳥岳が間近に大きく聳えている。その直下から急斜面を抉るように流れる滝ノ沢。この沢は名に違わず3筋の滝を持っている。上部に一つ、下部に連続して二つ、壮大な眺めだ。
有人の疲労は相当足に来ているようで一段とスピードが落ちた。縦走路は相変わらず稜線を通らず樹林帯の巻き道を進む。小岩峰から1.3キロ先に安部荒倉岳があるが、ここも山頂は通っていないのでもうピークなどどうでもいい友人を残してピークハントに先行した。すると登山道に「安部荒倉岳1分」の標識があり実質20秒ほどで登れてしまった。縦走路を行く友人に「ザックを置いて登っておいで」と呼ぶと、へろへろと登ってきた。山頂には3等三角点「安倍荒倉」があり西側の展望が開けている。
この先もう登りはない。だらだらと進んだ後は、小屋に向けて下るだけ。「小屋には冷えたビールが待っている!」 と、友人を元気付けた。森の向こうに煙の上がる小屋を見つけるとホッとしたものだ。一寸マシなものが食べたくて小屋の夕食をお願いした。水は豊富で、顔を洗い、頭を洗い、体を拭きさっぱりすることができた。今日の宿泊者は5名、塩見小屋行く人二人、北岳に行く人一人、ほかにテントの一人が夕食を食べに来ていた。食堂には薪ストーブに火が入り昔ながらの小屋の雰囲気だ。寛いでいるとやって来ました牛丼の小父さん、時刻は17時、60歳半ばにして良く歩いて来たものだ。富士市に住む静岡弁丸出しの愉快な人だった。時間は掛けているがあまり疲れた様子も見せず、その豊富なキャリアを窺わせられた。夕方からガスが出て夜は雨になった。
4日目(8/21): 熊の平小屋〜仙丈小屋 晴れ
雨は明け方まで降っていた。明るくなる頃にはすっかり上がり一挙にガスが取れ始めた。今日は行程が短く少し遅い目に出発した。小屋の標高は2,575m、まずは三峰岳(みぶだけ2,999m)に登る。井川越から稜線に出て樹林帯を抜けると三国平(2,761m)の平坦部に到った。空は完全に晴れて今日も暑くなりそうだ。ここで間ノ岳の麓大井川源流の三国沢と農鳥沢をトラバースし農鳥小屋に抜ける道が分岐する。以前白峰三山に来たとき間ノ岳から三峰岳、トラバース道経由で農鳥小屋に行っているのでこの先三峰岳までは以前に通った道だ。山頂付近に昨日北岳まで行くと言っていた青森の人が登っているのが見えた。ずいぶん早く小屋を出たようだ。岩稜帯の岩を攀じるようにして三峰岳に登頂すると、今日の大きな登りの一つが片付いた。山頂からは南に農鳥、塩見、荒川三山、笊ヶ岳、北には仙丈、甲斐駒、そして忘れてはいけない間ノ岳が真横に聳えていた。
三峰岳は3,000mには1mだけ足りないが、十分高度感のある山で間ノ岳の西に付随する地味な山で仙丈と塩見を結ぶ仙塩尾根の中間点であり、白峰三山の山脈と間ノ岳を介して唯一結びついている山だ。そして大井川と早川の水系を分ける分水嶺でもある。4日間歩いて来た登山道はずっと東海フォレストの社有林だったが、静岡・長野・山梨の三県境の此処で静岡県を離れ、長野・山梨の県境尾根となり東海フォレストともお別れだ。三峰岳の下りも岩稜帯で、間ノ岳への登山道がすぐに分岐している。急斜面を下りP2699に達し振り返ると、牛丼の小父さんが降りてくるのが見えた。間ノ岳から下ってくる人の姿も認められるが今日は恐らくこの先会う人はいないのではないだろうか。
P2571、P2488、P2367の標高点が道程の目安になり、3等三角点「横川岳」(2,315m)を過ぎると今日の最低鞍部野呂川越(2,290m)に達した。仙丈までの唯一の逃げ道で40分下ると両俣小屋がある。両俣小屋からは2時間余りの林道歩行で南アルプス林道野呂川出合に出ることができる。また北岳へ中白峰沢ノ頭ルート4時間半で登ることもできるが恐らく利用者の少ない小屋なのだろう。ここから仙丈直下までは急登はないが7.5劼鬚世蕕世蕕氾个蠡海韻襦2川岳(2,478m)は樹林帯で展望はない。次のピークは独標(2,499m)で這松の中360°の展望がある。昼食休憩を取り、増々近づいた仙丈、甲斐駒、そして間ノ岳に隠れて見えなかった北岳が漸くその姿を現し、その雄姿に暫し見とれた。
名もないピークを二つ越えると唯一の水場の高望池に達する。池は干上がってるが、西面を50m下りると水場があるそうだ。熊ノ平の水が十分にあり、今日も営業小屋なので給水の必要はない。そのまま通過し伊那荒倉岳(2,519m)に登る。樹林帯の中に3等三角点「荒倉岳」があり山頂標識もあるがここは2,517mで最高所はすぐこの先の筈だがそれらしき所には何の表示もなかった。伊那荒倉の先で仙丈小屋からの登山者と出会い予期していなかっただけに嬉しくなり暫し立ち話をすると今日は両俣小屋泊まりだという。この先は比較的稜線通しの登山道だが、どこでどう間違えたのか稜線の西側を巻く踏み跡を辿ってしまい道が怪しくなり仕方がないので苳ノ平の斜面を登って行くと登山道に復帰することができた。
P2676辺りで再び森林限界を越え小さなピークが連続しだした。その先端で休憩する頃にはまたもや友人に疲労が出だし、ペースはガクンと落ちてきた。今日も急ぐことはない、ゆっくり行こう。大仙丈手前のピーク東面を斜めに横切り高度を上げた。この辺りからお花畑が始まり、撮影に忙しくなる。トウヤクリンドウ、タカネツメクサなどがいっぱい。そう言えば仙丈も花の百名山だったのだ。
山頂域は幾つものピークがありその中の最大のものが大仙丈ヶ岳(2,975m)だ。東側は大仙丈沢カールが急傾斜で落ち込み、遠かった仙丈ヶ岳が目前に近づいた。そして北岳、間ノ岳は遠ざかり、北岳の先に未踏の小太郎山が私を手招いているかのように「いつか必ず行くぞ!」と心に誓った。仙丈へは大仙丈鞍部から100mの登り返しがある。大仙丈沢カールを回り込むように進み仙丈ヶ岳(3,033m)に達した。山頂に立つと甲斐駒は小仙丈ヶ岳の肩越しに鋸岳を従え大きく構えている。登頂の証に2等三角点「前岳」にタッチし記念撮影をしていると小屋泊まりのご夫婦が登ってきた。仙塩尾根の静かさとは大違いだ。山頂を味わっているとなにやら怪しげな雲が出だした。今夜も雨になるのだろうか。
仙丈小屋は藪沢源頭にある。最近まで避難小屋だったが今は正真正銘の営業小屋になった。宿泊者は10人余り。熊ノ平で昨夜降っていた雨もここでは降らなかったそうで、然も梅雨明け以来まったく降っていないという。そのため当てにしていた藪沢の水は涸れてしまい水を得ることができない。ペットボトルに水が少しだけ置いてあり、それ以外に水は貰えそうにない。明日の朝食を作る水が足りないので400円でスポーツドリンクを買い、残っていた水を炊事に回すことにして急場をしのいだ。
到着して1時間ほどすると牛丼の小父さんが到着した。また賑やかなことだ。明日は北沢峠経由で甲斐駒に登り黒戸尾根を下るそうだ。そして明日仙塩尾根を行くのは雪投沢でテントを張るという佐久の男性が一人いた。
5日目(8/22): 仙丈小屋〜仙流荘 晴れ
いよいよ最終日、昨夜も雨になった。朝起きると濃いガスで立ち込めていたが、出発する頃にはガスが晴れだし空は見る見る青空へと回復した。友人は北沢峠からバスで帰る。3日間共に歩いたがここで分れ、今日は独り丹渓新道を下る。馬ノ背分岐までは同ルートだが先に出発した。馬ノ背ヒュッテから山頂を目指す人達がどんどん登ってくる。この時甲斐駒の仙水峠南にある栗沢山に朝陽が昇った。仙丈小屋からでは死角で見えないので儲けものだった。
馬ノ背分岐を過ぎると予想通りもう誰もいない。草原状の馬ノ背(2,736m)ピークから振り返り名残の仙丈ヶ岳を振り仰ぎ別れを告げた。そして仙丈小屋も小さく望むことができた。昨夜の雨で登山道は水分たっぷり、雨具が役に立つ。道の状況はどうかと思っていたが赤テープが要所要所に巻かれまったく問題なし。ただ暫く歩いた人がいないと見えて取り払った蜘蛛の巣は100近くになりそうな勢い。ストックが違う用途で役に立った。独標で最後の展望を楽しんだ後は只管樹林帯で蜘蛛の巣を払いながら淡々と下った。小屋から1時間50分で南アルプス林道に飛び出した。
雨具を脱いで晴れモードにチェンジしていると伊那市営バスが北沢峠へと走って行った。このバス少し前まで長谷村営バスを名乗っていたのだが、名前は都会的になったものだ・・・丹渓新道はまだ続き南アルプス林道を越えて藪沢へと下りている。登山地図にはこちらのルートは細点線で記されているだけだったが、こちらも赤テープがしっかりし間違うことはなく、歩きやすい道だ。藪沢の河原に出るとホタルブクロやシオンを見つけ3,000mから1,500mに下ってきたことを実感した。藪沢の渡渉は流量も少なく飛び石伝いで問題なし。
赤河原分岐点は鋸尾根の六合目石室付近に至る七丈ヶ滝尾根登山道と北沢峠の大平山荘への道が分岐している。そしてここの高台にはかつて丹渓山荘があった。いつ営業を止めたかは定かではないが廃屋はそのまま残っている。北沢峠までバスで上がれるようになった今、旧来の登山道は廃れてしまい歩く人がいなくなってしまい寂しいものだ。今回は昔を忍び、戸台川を下り戸台大橋まで歩こうと思う。
戸台川と藪沢の中州を歩き合流点の直前で再び藪沢を渡渉する。今度は飛び石とは行かず靴を濡らした。渡った所に釣り人が一人、良くこんな奥まで来たものだと感心させられた。この後は戸台川左岸の河原の道を行く。右手に赤テープが分れて行く。恐らく鋸の熊穴沢登山道だろう。それから10分足らずで角兵衛沢分岐に達する。戸台川を渡渉して鋸岳と角兵衛沢ノ頭の間に到る登山道だ。分岐点には鋸岳の概念図の看板があり、遭難事故が多いと警告されていた。
もう人に会うことはないだろうと思っていたのに登山者が歩いてくる。立ち止まって話すと拘りを持った登山者で今日は馬ノ背ヒュッテまで行くという。実に良い。角兵衛沢の分岐から20分ほど歩くと第一堰堤が見えてきた。水流が伏流しだし水がなくなる直前、他に誰もいない。5日間の汗を流すべく裸になり、頭を洗い、タオルでゴシゴシ拭いてさっぱりした。しかしこの先もまだ長い。第二堰堤を越えるところから涸れた河原を右岸に渡り歩いているとクガイソウノの群落が現れ目を楽しませてくれた。やがて林道ゲートに達すると釣り人の車が止められていた。
ここからは車道で戸台大橋BSまで最後の頑張りで歩いた。予定より大幅に早く着いたので次のバスはと見ると1時間後だ。南アルプス林道の戸台大橋ゲート番の小父さんは「バスを待つより歩いた方が早いよ」と言う。暑い中で待つのもどうかと思い仙流荘まで歩くことにした。結局水浴びしたところから10匐瓩歩くことになり、また汗びっしょりになってしまった。
仙流荘に着き5日間の山行を終えバス停の時刻を見ていると後ろから伊那市の職員の方が声を掛けてくれ軽トラで高遠まで乗せてもらうことができた。今度は伊那市までのバスがなかなかなく、時間潰しに高遠温泉さくらの湯に立ち寄った。入浴料は500円心の底からさっぱりする事ができた。
伊那市から塩尻に出て京都直通の特急“しなの”に乗り18:36京都に着いた。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する