赤石・石鎚山系《日本百名山》


- GPS
- --:--
- 距離
- 71.2km
- 登り
- 6,258m
- 下り
- 6,443m
コースタイム
- 山行
- 6:36
- 休憩
- 1:06
- 合計
- 7:42
- 山行
- 9:11
- 休憩
- 1:19
- 合計
- 10:30
- 山行
- 10:50
- 休憩
- 1:45
- 合計
- 12:35
天候 | 1日目:晴れ、2日目:晴れ、3日目:晴れ一時曇り、4日目:曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2006年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
1日目(5/3)
新大阪6:25の新幹線に乗ると2時間余りで伊予三島に到着することができる。せとうちバスは9:28発、大阪と東京から来たという初老の男女の登山者と意気投合しバスを下りるまで話し続けた。銅山川に沿ってバスは山に入り、筏津まで行くという彼らと分かれ肉渕(にくぶち・標高515m)で下車した。10:33下車と同時に歩行を開始し肉渕林道を登る。3.5劼1時間かけ標高を350m上げた。林道終点が肉渕林道登山口となっており、登山届をポストに出す。道中全く車は通らなかったのに登山口の路肩には車が7台駐車中。登山道に入ると二ッ岳の西面を巻くように登り比較的なだらかに進む。ミツバツツジが咲き紫の花が青空に映える。標高が1,100mを越えるとアケボノツツジの領域で山のあちこちにピンクの花が美しい。
大木谷を横断し最後の水場で4.5ℓの水を確保した。これからの稜線には殆ど水がない。峨蔵越(がぞうごえ1,266m)に達すると初めて登山者に会った。二ッ岳に登ってきたと言う。二ッ岳東尾根に取り付くとこれまでの登山道とは大違いでいきなり急登、岩場の難路だ。駐車していた車は殆ど二ッ岳ピストンの人達のようで山頂までに皆とすれ違ったようだ。いよいよ直下の急登になると三島警察の「ここから先は命がけ」との看板に険しさを感じる。
バス停から3時間半で二ッ岳(1,647m)山頂に達した。四国初登頂の山、3等三角点「二ッ岳」があり西方から南にかけて展望がある。これから縦走する稜線や銅山川を隔て南に続く愛媛・高知県境の尾根が望める。この先権現山までの稜線は昭文社の地図によると「熟達者コース、初心者は引き返すこと」と記されている。岩峰が連続しおまけにシャクナゲなどの枝が低く登山道を覆っている。55ℓの大きなザックを背負っているので枝に引っかかり思うように進めない。本州の山と決定的に違うのは岩の質、青石と呼ばれる光沢を持った青い石が輝く。バスで一緒だった男性は東京で造園業を営んでおり、銅山川の河原を見て伊予の青石と言えば庭石として価値があると言っていたのを思い出した。四国山地の中央構造線全体がこの石でできているようで結晶片岩の緑泥片岩に分類されるようだ。
エビラ山(1,677m)までの1.7劼歪垢コースタイムは1時間50分となっている。稜線沿いにエビラ山の標識があるが、山頂は南の高みのようだ。微かに踏み跡があるので行ってみると山頂標識はないが展望が利くのが救いだった。時刻はすでに16時、テントを張るような平らな所は一切ない。4等三角点「保土野」のある黒岳(1,636m)は360°の展望、次の権現山(1,593m)にも4等三角点「権現」がある。岩稜帯が続き樹木の覆い被さりも相変わらず続く。権現山手前の1,546m峰あたりで誰もいないと思っていた縦走路に人を発見、疲労困憊し権現越から下ると言う。確かに疲れる。小刻みなアップダウンは仕方ないとして、枝に引っかかり思うように進めないのはかなりストレスを感じる。
権現山から140mほどの標高を下げる権現越だ。直前で送電鉄塔が越え展望が開け笹原となり権現越(1,461m)の草原に下り立った。テントが1張り見え、先住人に挨拶し傍の平らな所にテントを張った。到着は18:15と遅くなってしまった。昭文社の地図に記されたとおり厳しい縦走路だった。エスケープルートは全くなく、峨蔵越から通り抜けるしかない。先住人の一人と、途中で追越した一人の計3人だけが本日の勇者であったと言えるだろう。夕日に赤く照らされた権現岳がやさしく見守り、下弦の月が昇り夜の帳が下りる頃寝に付いた。
2日目(5/4)
今日も晴れ、朝は南風が強く空気は澄んでいる。3時半に起きようと思っていたのに30分寝過ごした。他のテントにはまだ動きがなく、すっかり明るくなり東赤石山に登る。標高差240mの登りだ。登山道は幾分ましになったものの枝の張り出しに泣かされる。徐々に露出した岩場になると山頂は近い。人声が聞こえだすと3等三角点「赤石」(1,706m)のある東赤石岳に乗り上がった。少し西が山頂で標高はほぼ同じだろう。赤石山荘に泊った朝日旅行のツアー23人が山頂を占拠中で喧騒そのもの。ツアーが帰ると静かになりゆっくり山頂風景を楽しむことができた。
西の鞍部、赤石越に下ると赤石山荘に行く道が左に分岐し、朝陽旅行のツアー客が下りて行く姿を俯瞰することができた。縦走路を進むと八巻山(1,692m)に登り返す。完全な岩山で東赤石山以上に面白いかもしれない。次のP1682との鞍部から赤石山荘の赤い屋根が見え直接下る登山道がある。水補給のため一旦下ることにした。標高差は100mほどだろうか、踏み跡もあるが主に岩を伝って下り小屋の入口付近にある水場で4ℓ確保、この先シラサ峠まで縦走路に水場はないはず。小屋ではさっきの朝陽旅行ツアーが朝食中、昨日バスで一緒だった人達も含め、他の登山者はもう誰もいないようだ。
同じ道を登り返し縦走路に復帰しP1682を越え石室越(1,650m)へと進む。“越”と名は付いても鞍部ではなく稜線のほぼピークで赤石山荘から谷を登ってきた道と合流する。鞍部からは前赤石山(1,677m)の南麓を巻くように登山道が続くのでどこかに登路がないか探しながら行くとそれらしい踏み跡を発見、ザックをデポし空身で登る。何と楽なことだろう!険しい山頂からは西の物住頭(1,634m)に立つ人の姿がはっきり見える。向こうからは逆光で見えないだろうなあ。
物住頭(1,635m)との鞍部から先は笹原で歩き易くなりショウジョウバカマがあちこちに咲いている。凄いカメラを持った人がしきりに写真を撮っている。紫、ピンク、白、なかには黄色いのもあると言っていたが、黄色いショウジョウバカマなんて本当にあるのだろうか?
30人余りの団体とすれ違いずっと待たされる。なだらかな笹原とはいえ西赤石山(1,626m)に近づくと流石に急登となる。2等三角点「銅山」の山頂からは“ちち山”や笹ヶ峰が良く見える。南西に笹原の稜線を下り東山の手前で別子ダムを見下ろし休憩中の男女、声を掛けるとなんと昨日バスで一緒だった人達だった。赤石山荘を6:30に出発し石室越から稜線に出たとのことで、30分の時間差を追いついてしまったようだ。この先の銅山越から遠登志(おとし)に下り女性は帰阪、男性は石鎚に回るそうだ。
東山(約1,395m)から銅山越、西山にかけてはツガザクラの群落で保護のためのロープが張られている。ただ花の時期ではなく葉っぱだけだが・・・ 銅山越(1,294m)に下るこのあたりは別子銅山の跡で手軽なハイキングコースとして沢山の人で賑っている。銅山越とは稜線南側の鉱山から新居浜側へ鉱石を運ぶため開いた峠だそうだ。しかもこの山中一帯には1万人以上の人が住んでいたそうで峠には石垣で囲われたお地蔵さんが祀られていた。機会があればゆっくり銅山の遺跡を訪ねてみたいものだ。
西縦走路を進むと草原のなだらかな道で西山(1,429m)に続く。ミツバツツジが咲き目を楽しませてくれるが、疲れが出てきた。まだ11時だが今日は一寸辛い。樹木に囲まれた山頂でゆっくり休憩を取り歩き始めると山頂西の肩に展望箇所があり南のツナクリ山(1,468m)が一望できる。数人の人が寛ぎ眺めている。それはツナクリ山の西斜面には点々とピンクの花、アケボノツツジが咲いている。そしてこの展望箇所はこの景色を見るために作られたもののようだ。美しさに感激の声を上げるとカメラマンは「こんなものじゃない、満開になればあの斜面がピンクで覆いつくされるのだよ。」と言う。あと1週間ほどだろう。しかし遠来の私にとっては今でも十分感激物だ。
銅山越から西山を巻いてきた道と鞍部で合流し綱繰山に登る。山頂付近の登山道はアケボノツツジのトンネルだ。まだ蕾だが咲き揃えばさぞや・・ ・山頂を示す標識はないが展望は素晴らしく西山との括れがしっかりしており、その斜面にもアケボノツツジのピンクが点々している。綱繰山からは長い下りで土山越に至る。2.5万図には大坂屋敷越とある。標高は1,200mほどでちち山(1,855m)への登り返しが厳しい。100m余り進むと岩肌を伝う細い雫が落ちている。暑さで随分水を消費したので、1ℓ補給する。ただし雫を溜めるのに10分もかかってしまった。
急登路を登り詰めると獅子舞の鼻(1,482m)に乗り上げると4等三角点「迫割」がある。土山越の向こうに西山、綱繰山が見え、かなりの距離感を伴ない疲れた体によく歩いて来たものだと自らを慰めた。しかし登りはまだ続く、長い休憩で気力を振絞り笹原を登って行く。漸くすると“ちち山分れ”(標高1,720m)に達する。銅山川を挟み南側を走っていた愛媛・高知県境の尾根との合流点だ。県境尾根に乗りちち山を目指す。県境尾根の東側には冠山、平家平、三ッ森山、大座礼山といい山並みが続き登山意欲を掻き立てられ次はこの稜線を攻めようと闘志を掻き立てられた。
稜線に出ると急に風が強くなり笹原がざわめく。おまけにガスまで運んできて視界がなくなる。ちち山へは本道を分岐して登頂路があるので注意して進み分岐を見つけちち山(1,855m)山頂に達した。漸くここまで来た。しかし体力はもう限界だ。風の防げるテント場を求めて下る。100mも行くと笹原の中に一寸した窪地があり笹の上で安定は良くないがテントを張り潜り込む。バテバテで食欲もなくほんの少し食べただけで17時過ぎには寝についた。
3日目(5/5)
3時に目を覚まし外に出ると北面は新居浜の夜景が広がっている。そして空一面にすごい数の星が瞬き、東の空には今大接近の“シュヴァスマン・ヴァハマン第3彗星”の尾がはっきり見え感激!昨日の続きで余り食欲は湧かないが食べなければ歩けないので時間をかけてお腹に詰め込み明るみが差しだした4:45歩き始める。丸山荘への道を右に分岐し笹ヶ峰(1,859m)に登る。1等三角点「笹ヶ峰」の山頂は360°の展望でちち山の右肩に将に日が昇ろうとしている。やがて太陽が姿を表しサッと光線が走る。ご来光だ。暫くすると西側の瓶ヶ森、西黒森の山が焼け赤く染まる。
早朝至福のひと時を過ごし稜線北側を巻くように下る。南側は吉野川源流域で谷間いっぱいを雲海が埋めている。瀬戸内側の街はすっきりと晴れ対照的だ。桑瀬峠でテントを張った男性が寒風山を下ってきた。昨日のツナクリ山の登り以来の人との出合だ。1時間ほど稜線を歩き寒風山(1,763m)に至る。山頂の平地に1張りのテント、挨拶をしても余り友好的ではない様だ。3人の男性が吸うタバコの煙がテントから流れてきて気持ちが悪い。目を風景に転じると吉野川源流の谷の雲海が山の低い所を狙い瀬戸内側に溢れだしている。これから通る伊予富士との鞍部の桑瀬峠(1,451m)が丁度雲の溢れ出す出口になり、凄い勢いで流れ出している。谷を下った雲は下降気流ですぐ消滅し幻想的な雰囲気を作っている。
寒風山を越え峠に下って行くと流れる雲の中に突入してしまい視界が奪われる。風が通り抜け雲をどんどん運んで行く。雲を抜け出すのはいつかいつかと思い歩き続けるがなかなか抜け出せない。途中で桑瀬峠直下の林道から登って来たと云う3人組を追い抜き伊予富士(1,756m)山頂に着く頃ようやく雲の上に出た。山頂で展望を楽しんでいると反対側から男性が登ってきた。瓶ヶ森林道から1時間ほどで登ってきたそうだ。
西へ続く縦走路は一旦北に盛り上って進み草原の尾根を行く。再び雲の中に突入し、30分ほどの歩きで東黒森(1,735m)に到着したがガスの中だ。西に下ると直下を走っている瓶ヶ森林道と出合い林道歩きとなる。この林道は山頂稜線の直下を走り延々石鎚山の土小屋に達し石鎚スカイラインに繋がる。400mの林道歩きの後、再び登山道となり自念子ノ頭(1,702m)に登る。巻道が本道のようなので登路がないかと注意しながら行くとしっかりした道があり山頂に達する。ガスが飛んでは晴れるというじれったさで山頂ではとうとう景色を眺めることはできなかった。
下り始めると漸くガスが取れ視界が戻る。稜線の南側の直下を平行して瓶ヶ森林道が走りだんだん近づくと神鳴池(かんならしいけ・標高約1,610m)で接する。林道が離れると急な登りで高度上げ西黒森(1,896m)の直下に達する。この山も登山道は山頂を通っていないので登路を探すと明瞭な道が分岐しておりザックをデポし往復する。やはり空身は楽で良い。分岐から10分弱で山頂に達すると、東京国立から来たご夫婦が休憩中、抜けられると思いザックを背負って来たことを悔やんでいた。山頂からは瓶ヶ森が間近に見え素晴らしい展望が広がる。
下り始めると4人組が登ってきた。瓶ヶ森に近い山だけに人が来る。200mほど下り林道と接するといよいよ瓶ヶ森(1,896m)への登りだ。笹の斜面をジグザグに登る。西黒森から何人かの登山者が登るのが見えた道だ。山頂域に達するとあちこちに昼食を取るグループ、軽装の家族連れも多い。最高所の2等三角点「亀ヶ森」まで行き昼食にした。ここまで来ると石鎚山も名古瀬谷を隔ててすぐそこに近づいた。写真を撮っていると「ここが山頂です30分休憩します」とツアーガイドの声と共に20数人が押し寄せ、座っていた場所は占拠されストックは踏みつけられ散々だ。早々に退散し下山にかかる。
山頂域に一寸したコブがあり男山(約1,845m)と名がある。山頂には権現さんが祭られ、男山対して瓶ヶ森が女山らしい。偉大な女性に一寸載っかって生きる慎ましい(?)男、こんな人生もいいネ。瓶ヶ森西面は氷見二千石原と言われる草原、小屋やテント場もあるリゾート地だ。南稜線を下り、林道に出ると広い駐車場。沢山の車が停まっていた。暫く林道を歩き再び登山道に入り前方に逆U字形のすごい山、登山道が直下を通る。これが子持権現山(1,677m)で山頂から直径1.5僂曚匹梁世ず燭1本垂れ下がり60°以上の急傾斜をよじ登る。岩の少しの凹凸を足場にスリル満点の登りだ。山頂から眺める瓶ヶ森は一入で、南側の大岩の下に子持権現の祠が祀られ地元の人達の信仰を集めているようだ。登り口に分社があり無事に下りられたことの感謝を捧げる。
子持権現山の東を巻くように南に出て稜線を南下する。アケボノツツジ、タチツボスミレ、ショウジョウバカマ、ヤマエンゴサクなどが目を楽しませてくれる。シラサ峠で林道に飛び出す。立派な小屋がありレストランもあるようだ。東に下ったところに避難小屋もある。再び登山道に入り樹林帯を行くと草原の広い山頂の伊吹山(1,503m)に達する。前方に見える岩黒山はまだ遠い。よさこい峠(1,370m)で林道を横断、北側に移り再び登山道に入る。名野川越で林道南側に戻り岩黒山の北面を巻く。岩黒山鞍部の土小屋に達するとそこは一大登山基地、石鎚山への東の入口だ。また少数ながら岩黒山、筒上山、手箱山の稜線を目指す人たちもいる。私もその一人で縦走路を離れ、岩黒山(1,746m)に登る。しかし県境尾根はこちらで、むしろ本道と言えるのかもしれない。時刻は既に16時、疲れが出て登りが辛い。下山してくるグループが4組、結構登っているものだ。山頂には軽装の若い男女が1組、お菓子を食べていた。北には石鎚山、転じて南の方を見ると筒上山の手前にポツンと丸滝小屋、その前に平らな所があり、今日のテント場は決まった。
南に進み稜線に沿って道はあるが、水確保のために西の谷に下りる。岩黒山の巻道に合流した地点から10mほど土小屋方に行った所に細い水が岩を伝っている。巻道を南下し尾根ルートとの合流点に丸滝小屋はあった。小屋と言っても登山者のための小屋ではなく、大峰宗覚心寺の修験道場で普段は閉ざされている。真後ろには丸滝権現の小高いコブ、それに筒上、手箱にも権現さんが祭られ、石鎚と共に信仰の山であるようだ。意欲をそそられるが結構距離があり、明日もピストンする時間はない。
4日目(5/6)
夜、風が出たようだ。周りの木々がざわめいていたがテントには殆ど影響なかった。3時半に起きるとガスが立ち込めている。今日の予報は晴れのち曇り夕方から雨だったが、山頂域は早くも雲の中のようだ。筒上・手箱は諦めたがその代わり丸滝小屋の西に続く尾根を下り少し登り返したところにある丸滝山(1,559m)に立ち寄った後、石鎚山を目指すことにした。丸滝小屋から数10m土小屋方面に戻るとさり気なく赤テープが付けられている。地図に登山道は記載されていない。踏み跡? という感じの藪の薄いところをよって歩きどんどん下って行くとやがて登り返し小高いピークに着く。山頂を示すものは何もなく展望も利かなかった。帰りの方が登り続きで時間が掛かり分岐点が一番高所となる。岩黒山巻道を歩き土小屋(1,492m)に戻ると時刻はまだ5:40で昨日と違い至って静かだ。
ここからは石鎚山へのメジャーな道、しっかりした登山道に距離を示す指導標も完備し迷うことはない。鶴ノ子ノ頭(1,637m)は北側を巻いて通り、登路を探すがそれらしい踏跡はなかった。ガスの中、標高差100mあまりの藪漕ぎをする気にもなれずこの山行で初めてパスしてしまった。北西側で稜線と巻道が出合う地点も注意して見るがやはり踏跡はないようだった。
石鎚の山頂稜線ルートを通り南尖峰、石鎚最高峰の天狗岳を歩くつもりだったが東稜基部の分岐を見逃してしまいそのまま巻道を二ノ鎖元小屋へ行ってしまった。道中早立ちの登山者2組を追い抜き、雪渓を4本越え、小屋に辿り着くとひっそりとして人の気配を感じない。標高は約1,800m、弥山(1,972m)の山頂までの200m弱、信者寄進の二ノ鎖(65m)、三ノ鎖(67m)が急な斜面に垂れ下がり、「さあ登れるものなら、こっちにおいで」と手招いている。敵に背中を見せるわけには行かず、直径2センチはあろうかという太い鎖を伝い山頂を目指す。登り用、下り用に分けられているが他に人はいない。流石に長い! 子持権現山といい勝負だろう。でも危険度から言うと子持権現が上だろう。
やっと辿り着いた広場には用途は分からないが小屋がありその真ん中から三ノ鎖が始まる。そして漸く登りついた山頂はガスの中、強風が吹き寒い。山頂には石鎚神社の社殿とその裏に石鎚山頂小屋、そして“石鎚山1,982m”偽の山頂標識、ここは弥山で1,972mしかない。殆どの人はここを石鎚山山頂として登ったとしているのだろうが、ピークにこだわる私としては天狗岳こそ総体山名である石鎚山の山頂であるべきとしたい。巻いた道をガスの中、行ってみるのも気が進まず、岩黒山・丸滝山へ寄り道したので時間的にも厳しく南尖峰もあるので次回の楽しみに取っておくことにした。
下りは途中から分岐する縦走路に入るので、二ノ鎖、三ノ鎖を迂回して付けられた巻道を通る。鉄製の階段が整備され登山道と云う気がしない。“←面河渓”と書かれた指導標を見るが面河は石鎚南側の谷間で方向違いと見送ってしまった。分岐を探しながら下ると何時しか二ノ鎖元小屋に着いてしまった。よく地図を確認してみると面河渓への下山路の途中から縦走路は分岐している。そうするとあの分岐が正しかったのだ。引き返すと山頂で出合った人に「何度も会いますね」と言われ「間違っちゃた〜」と照れ笑いでごまかし縦走路に入る。稜線の南を巻くように登山道が通り西ノ冠岳との鞍部に達する。踏み跡を見つけ空身で山頂ピストン、標高差60〜70mを登る。稜線は風が強く西側の樹林と東側の笹原の境界線を歩き西ノ冠岳(1,894m)山頂に達する。山頂標はなく展望も少しあるだけ。すぐに折り返し分岐点でしばし休憩。
西冠のコル(約1,775m)に下り100mほど登り返してP1866ともう一つコブを越すと二ッ森(1,929m)山頂に達する。1等三角点峰で15cm角の標石は貫禄がある。展望も良いようだがガスは取れない。西に進み鞍部で右に反れる道が分岐し稜線を通るようだ。本道は巻道で五代の分れに至るが。P1889は無名峰なのでとパスした。これが屈辱の結果で昭文社地図には“クラセの頭”として名前が付いていた!手持ちにしている2.5万図には記載がなく、そういうのはすべて書き写してくるのだが漏れてしまったようだ。昨日までは全山登頂で来たのに今日になって鶴ノ子といい天狗岳といい、今日は成績が悪い。
五代の分れからはほぼ西に下る笹原の稜線で風がまともに通る。南からの突風を受けて笹原にぶっ倒され起きようとするが笹の上を転がされてしまった。標高が下がり雲の下辺を抜け展望が開ける。前方に何やら建物らしきものが見える。イメージではまだ先だと思っていた堂ヶ森の避難小屋近くまで来ているようだ。小屋への分岐点辺りはテント場で笹原の下に小屋がある。近づいてみると荒れ放題の廃屋でトタンの屋根はほぼ剥がれ雨露をしのぐことも難しい。
登山道は堂ヶ森の南に張り出す尾根を乗越す。乗越し点まで上がると梅ヶ市から登って来たと言うご夫婦が堂ヶ森だけを登り、「雨が降らないうちに下る」とそそくさと行ってしまった。乗越点から分岐してなだらかな草原を100mほど行くと堂ヶ森(1,689m)山頂に達した。山頂には電波反射板があり遠くからでも良く分かる山だ。強風の中昼食を食べるが、じっとしていると寒くなってきた。
今回の登山はこの山で終了、後は保井野に向けて下るだけ。15分も歩くと“保井野分れ” 先ほどのご夫婦が下った梅ヶ市への道と分れ、いよいよ稜線を離れる。稜線の北側で風がぴたっと止まりホッとする。ここからの急傾斜は“シャクナゲ尾根”と呼ばれあと1ヶ月もすると花期を迎えさぞ美しいことだろう。標高1,100m位の空池からは斜面をジグザグに下り沢筋に達する。その途中、標高1,000m位のところにお花畑があり、ラショウモンカズラやルリソウ、ユキザサ、タチツボスミレなどが咲き誇っていた。標高550m位で登山口に達する。登山口にはベンチやトイレもあり、10数台分の駐車場も完備している。ここからは林道歩き3.8キロで保井野BSまで歩き登山を終えた。
1日数本のバスしかないので時刻に合わせて歩いてきたがそれでも40分ほどの待ち時間があった。せとうち周桑バスで壬生川(にゅうがわ)駅に出て、高松の温泉で1泊して帰京した。
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