南アルプス南部縦走《日本百名山》
- GPS
- 22017:05
- 距離
- 61.2km
- 登り
- 6,849m
- 下り
- 6,329m
コースタイム
- 山行
- 4:15
- 休憩
- 0:34
- 合計
- 4:49
- 山行
- 10:06
- 休憩
- 1:44
- 合計
- 11:50
- 山行
- 5:17
- 休憩
- 0:22
- 合計
- 5:39
- 山行
- 8:40
- 休憩
- 1:36
- 合計
- 10:16
天候 | 8/19晴、8/20晴一時曇り、8/21晴後曇り、8/22曇り後晴れ一時雨、8/23晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2006年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス タクシー
復路:二軒小屋ロッジから送迎バスで畑薙ダム、しずてつジャストラインバスでJR静岡駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
問題個所無し |
その他周辺情報 | 二軒小屋ロッジは、1泊2食付で予約しないと送迎バスに乗れない |
写真
感想
1日目(8/19): 遠山邸〜ザラ薙平
数日来体調が悪いまま列車に乗り豊橋へ向かった。ここまでは青春18きっぷを使い普通列車で来たが、飯田線は列車が少なく仕方なしに別料金で“伊那路号”に乗り平岡へと入った。駅からは予約しておいた遠山タクシーに乗り込み遠山郷へと山間地に入った。最奥の遠山要(もとむ)氏邸で下車。この先も林道は続くが悪路なので入ってくれない。故遠山要氏は、往年の名ガイドで池口岳への登山道を拓いた人だ。
標高は875m、本当の登山口は標高約1,060mの地点で林道をさらに進む。指導標があり、道路側には「大井川源流部自然環境保全地域」の看板が立つ登山口からは本格的な登山が始まる。林道の先には避難小屋があるようだが余り知られていない。
まずは入野平の三角点(1,235m)を目標とするが点標は発見できず仕舞い。虻や蚋、蜂などが纏わり付き結構五月蝿(うるさ)い。平坦な道は終わり傾斜が強まる。再び平らになると面切平(1,425m)に到る。ずっと樹林帯で展望はない。只管登りP1561を越え更に登り詰めると南側に切り立った崩壊地、その一番高い所が黒薙の頭(1,838m)で3等三角点「黒薙」がある。北に流れる利検沢の源頭部は、利検沢の頭(1,902m)で樹林帯の中に山頂標識が掲げられている。一旦下り、登り返すとザラ薙の頭(1,971m)、ピークを越えると平坦な場所、何の表示もないが、踏み跡が乱れテント場に着いたらしい。今日の歩行は5時間足らずと短かったので体調の悪い中でも何とか歩き終えることができたやれやれだ。
しかしまだ仕事は残っており、テントを張って水汲みに行く。水場は遥か遠くで200mも下、往復1時間以上かかるらいし。赤テープを辿り延々と下って行くのは結構うんざりする。漸く沢の先端に辿り着き水を汲む。岩から滲み出す水は冷たく美味しい。顔を洗い汗を拭きポリタンに水を満たすと、何処からかスズメバチが現れ纏わり付いてきた。追い払うと危険なので早々に退散し、逃げるように登り出すとテープを見失ってしまった。下りと違って上へ上へと登って行くと目的地に付ける。やがてテープに導かれる踏み跡に復帰してテント場に戻ることができた。外で寛いでいるとここにもスズメバチが現れ、テントに避難する。
体調の悪いのは2日前に会社の上司と呑みに行き早く帰ったのだが風呂に浸かり寝てしまい2時間半も冷めた湯に浸かっていたのが原因で身は慎むべし! そんな訳ですることもなく夕食の後すぐに寝て明日に備えた。
2日目(8/20):ザラ薙平〜希望峰
体調は少しマシになったようだ。早々にテントを撤収し明るくなりだした4:56出発した。池口への登路は樹林帯が続く。南アルプスの森林限界は北アルプスより200mほど高く2,800m位まで樹林帯がある。今後温暖化で増々高くなってくるのだろうか? 展望がなく単調だが、暑さは凌げる。ガレ場に出ると展望が開けた。P2156まで来るともう一息だ。池口岳は縦走路から南に飛び出しているので、ジャンクションにザックをデポし身軽になって急斜面を登った。10分余りで池口岳(2,392m)山頂に達したが樹林帯で展望なくがっかり。
登山口にもあった「大井川源流部自然環境保全地域」の看板がここにもあり、じっくり読んでみると本州で指定されているのはここだけで、池口・加加森・光に囲まれた大井川(寸又川)の源流部の自然を厳しく守っている。中生代の堆積岩の急峻な斜面に1,500mまではコメツガ、橅、栗等の温帯性針葉樹林、1,000〜1,600mは温帯落葉広葉樹林、1,700m以上森林限界までは亜高山性植生で、厳しく自然保護されている。落枝、落葉すら持ち帰ることが禁じられている。
池口岳は双耳峰で700m南に3等三角点「十釈迦」の設置された南峰(2,376m)がある。100m余り下り、登り返して南峰に至る。こちらは樹林の隙間から若干の展望があり、加加森山・光岳の他、深南部の大無限山なども見ることが出来た。下山時、来る時は気が付かなかったが結構開けた箇所があり、山頂よりも展望が良かった。
1時間半のアルバイトの末、分岐点に戻りいよいよ登山地図にルートの記されていないエリアに踏み入る。分岐点には指導標もあって、比較的踏み跡もしっかりしているようだ。10分ほど進むと「水場→」の標識、南側の谷で水が取れるようだ。しかし昨日苦労して汲んだ水が十分にありパス。赤テープも随所にあり迷うことはない。標高約2,160mの鞍部から少し登り返すと、気持ちの良い草原帯になり、テントを張るに持って来いの場所が現れる。樹林帯をなだらかに登り続けると暗い樹林帯の中に加加森山の標識が現れた。しかしここは本当の山頂ではない。100mほど北西に続く踏み跡を行くと先端に2等三角点「加加森」があり、最高所、加加森山(2,419m)山頂となっている。ここも樹林帯で展望は全くない。
大休止の後、分岐に戻り光岳への稜線を行く。ここからは昭文社の地図にも赤点線道で記入されているので登山道はそれなりにある筈だ。P2381までは問題なく40分ほどで到着。倒木帯を通過し2,260mの鞍部では、二重山稜の複雑な地形にトリカブトの群落があり、赤テープに導かれて進むが一部はっきりしない箇所に出くわす。光岳の北西稜線を300m以上登り、光岩への分岐を過ぎると山頂は近い。人声が聞こえだし、ひと曲がりすると光岳(2,591m)山頂に到着した。昨日登山を開始して以来始めての人との出会いだ。易老渡(いろうど)から日帰りピストンのご夫婦が先客で到着すると早々に出発して行った。山頂からは南面の展望が良く南尾根の百俣沢の頭も見える。雲が出だしたが逆に遠望は利くようになってきた。
2回目の大休止の後は東稜線を下る。寸又温泉に続く南尾根の分岐を過ぎて少し行くと光小屋に至る。真新しいきれいな小屋だが融通が利かないらしく、15時までの到着、3人以下のパーティー、50歳以上と言うのが食事提供の条件らしい。薮漕ぎも覚悟していたので今日はここまでの予定だったが、体調も何とか持っているし、時間はまだ12:25。さらに先に進むことにした。
静高平の草原でザックをデポしイザルガ岳(2,540m)に足を伸ばす。山頂は裸山で展望は360°、先ほど登ってきた光岳が優雅に横たわる。往復20分ほどなので、結構登る人はいるようだ。静高平に戻り少し下ると水場がある。この季節は涸れてしまって水を得ることはできず、次の水場は茶臼小屋までない。そこまで行くのは一寸きつそうだ。水は諦め谷筋を下り鞍部の三吉平に至った。やはり体力は万全ではなかった、疲労がでてきて体が重い。なだらかな登り返しとなるが雲が厚くなってきてやがてポツポツしだした。早い目に雨具をつけようと立ち止まりザックカバーをした時点でもう止んでしまい、結局雨具は付けずに済んだ。そして易老渡への分岐点に達すると光岳山頂で会ったご夫婦が休憩中、暫し談笑。明日天気が良くないと思い日帰りにしたという。易老渡からの日帰りピストンは結構きついだろうに。
分岐点のすぐ裏は易老岳(2,354m)山頂だが展望はない。比較的なだらかな稜線を登り希望峰(2,500m)に達する。時刻は15:56、時間も体力も限界だ。樹林帯の山頂は平らで、適当な所にテントを張り潜り込もうかと思ったが、明日の行程を考えると仁田岳へのピストンをしておいた方がいい。かなり疲れているが“労体”に鞭打って空身で行くことにした。往復40分、仁田岳(2,524m)山頂はハイマツ帯で展望360°、しかし最早ガス包まれ何も見えない。希望峰に戻るときには疲労が極限に達しヘロヘロになってしまった。本調子でないのに歩行11時間50分は無理だったようだ。テントに潜り込むと胸がむかつき食欲は全くない。何も食べずに明日の回復を祈り寝に就いた。
3日目(8/21): 希望峰〜聖平小屋
3時30分に起床するが、朝食は1/3しか食べられなかった。体調は最悪、しかしとにかく進む。天気は良く希望峰を下り始めると茶臼岳が前方に聳える。そして東の彼方に富士山が朝焼けに照らされ鎮座している。鞍部の仁田池から往復30分のところに水場があるがかなり不明瞭で、難路と案内されている。飲み水の残りも殆どないが茶臼小屋の水場まで我慢する。水場への分岐と同方向に茶臼岳を巻く道があるが、こちらも難路として山頂稜線ルートが一般道とされている。茶臼岳の登山道をゆっくり歩くが息が切れる。岩場の茶臼岳(2,604m)山頂に達すると流石は日本三百名山、展望は360°あり素晴らしい。
山頂を北に下り茶臼小屋への分岐に達し、ナップサックにポリタンだけ入れて、90m下の茶臼小屋にピストンする。もう宿泊者は誰も居ず小屋番が朝の仕事の最中。水は細く1ℓ詰めるのに結構時間がかかる。空身だというのに登り返しでは息が切れる。分岐に戻り呼吸を整え鞍部へと下る。鞍部は二重山稜帯で中央部は草原状帯になっている。この辺りはお花畑でミヤマコゴメグサ、オヤマリンドウ、トウヤクリンドウ、ウメバチソウ、ハクサンフウロウ、ヤマハハコ、イワツメクサ等が確認できた。
上河内岳への登りは長くバテバテだ。登山道は上河内岳を直登せず西に張り出した尾根を登る。上河内の肩に達すると、聖平でテントを張ったと言う大阪の男性が休んでいた。ザックをデポしこの男性と共に山頂を目指す。喋りながら登ると割りと簡単に到着した。この頃から出だした雲で山頂展望は楽しめず、上河内岳(2,803m)山頂標識だけ写真に撮り分岐に戻った。日本野鳥の会会員のこの男性は3,000m級の山に来るのは初めてで、下りで見つけた雷鳥に感激していた。
再び西側のお花畑の尾根を北に下り南岳(2,702m)に達する。展望は良いが山頂標識はない。山頂からは北西方向へ下ると標高2,500m位で樹林帯に入り下り続ける。前方に小聖岳は見えるが聖岳は雲の中だ。鞍部に下り右に折れると聖平小屋に達する。時刻は10:51、まだ行動を停止する時間ではないが、体力的に限界に達しているのは明らか。しかもこの先は聖への登りで標高差750mとなるのでとても越えられそうにない。休養を取り明朝の体調次第でエスケープするか縦走を続けるかを決めることにしよう。
テント設営料は500円、手続きをしていると、お茶と特製クッキーをサービスされ感激。テント場には当然まだ一張りもない。好きな所に張り、昼食を食べる。早々と寝てうとうとすると、小屋でスイカのサービスがありテントの人もどうぞと振舞われた。夕方また食事をして本格的に就寝した。
4日目(8/22): 聖平小屋テント場〜赤石岳避難小屋
昨日昼からゆっくり休んだおかげで体力は大分回復した。縦走を続行できそうだ。出発直前まで雨が降っていたので下だけ雨具を着けて出発した。聖平からの歩き出しは標高2,260mで、この縦走で最大の登りで聖岳に登る。雨上がりでガスっぽかったが徐々に雲が上がり晴れ間も出だした。薊畑分岐で伊那側の便ヶ島(たよりがしま)への道が下って行った。樹林帯をどんどん登り1時間ほど歩くと森林限界でパッと視界が開ける。すぐに小聖岳(2,662m)山頂だ。昨日登った上河内岳も輪郭が雲から姿を現わそうとしている。目の前の聖岳は肩に雲を纏って聳え、その斜面には10人位の登山者が張り付いている。聖小屋をベースに、ピストン登山する人が約半分、身軽な人が多い。
いよいよ聖の核心部の登りだ。岩場の斜面を蟻のように這い登ること50分、先を行く人を殆どの追い越し前聖岳(3,013m)山頂に到着した。纏わり付いていたガスが取れ始め一瞬赤石岳も姿を現した。山頂では数人が休憩中でこれから奥聖岳にピストンするようだ。ザックを置いて、岩場とハイマツ帯の稜線を700m東に行くと奥聖
岳(2,982m)に達する。3等三角点「聖岳」があり展望良好。東に連なる稜線上に東聖岳、白蓬ノ頭があり行って見たいが登山地図には「聖岳東尾根・冬季ルートのみ」と記されている。前聖〜奥聖の間はチシマギキョウやミヤマダイコンソウが花盛り。聖平で「この稜線でクロユリを目撃した」との証言を得たので、探しながら歩くが遂に見つからなかった。
聖岳から西に大きく下ると南側は聖岳大崩壊地の絶壁、登山地図に「ラジオラリア盤岩露出地」との記載があり、what?と疑問を抱き帰宅後webで調べてみると、石英の殻をつくる放散虫という単細胞動物のプランクトンのことだった。太古の南アルプスは海の中でフィリピンプレートとユーラシアプレートがぶつかり隆起して山脈となったものでこの山域の岩石が赤いのはラジオラリアによるものらしい。険しい登山道はお花畑でダイモンジソウやミヤマシオガマが咲いていた。
聖兎のコルは2,600mまで下りてしまい、登り返しは200m岩峰群を通過しもう一息という所で、左側に兎岳避難小屋が見える。聖の登りで会った学生がこの小屋付近でテントを張ったそうだが、汚物臭で近づけなかったと云うほどの荒れようだ。整備すれば位置的にはいい所にあるのだが・・・もうひと登りで兎岳(2,818m)に到着。砂礫地の山頂は360°の展望があり大阪から来た男性一人が休憩中。聖平を4時に出たという。3等三角点「兎岳」(2,799m)は山頂域の西の端、ハイマツ帯の踏み跡を行くと5分ほどで達する。
戻ってくると、途中で追い越したご夫婦が到着しており。パンを食べながら談笑、「若い人は早いね。まだ20台でしょう? 」と、20歳も若く見て貰って嬉しいと云うより複雑な気持ち。今日は百間洞まで行くとのこと。ガレ場から草付の斜面を下り小ピークを越した鞍部に到ると東の谷に「水場往復10分」の表示がある。水はまだ十分ありパス。登り返すと小兎岳(2,738m)で振り返ると兎岳が大きい。前方には中盛丸山が聳え比較的大きなアップダウンが続く。
鞍部は約2,630mで登り返しは結構堪える。ハイマツ帯の中盛丸山(2,807m)山頂は360°の展望、しかし雲が厚くなってきた。次のピークは大沢山、鞍部を少し越えた所で大沢山に登らず百瞭胸海硫箸悗猟樟榮る巻道が分岐する。僕には山頂ルートしかあり得ないが、こう大きなアップダウンが連続するとうんざりしてくる。大沢山(2,819m)は双耳峰の岩峰で3等三角点「大沢岳」がある。展望の利く山頂なのだが、厚みを増した雲が堪えきれずに泣き出した。慌てて雨具を着るが5分もしない間に止んでしまった。北峰には登山道がなく東に大きく反れ百間洞キャンプ場へと急斜面を下る。
ここまで体力は持った。無理をせずここで泊るか、それとも当初計画を完遂するか。完遂するには少なくとも百諒拭△任るなら赤石岳まで行く必要がある。2,480mの百瞭競ャンプ場からは赤石岳まで延々と登りが続き、距離は聖兎のコルから百瞭兇泙任防づ┐垢襦水場は小屋まで行かなければ無いかと思っていたが、キャンプ場のほんの少し下の沢で取れ、3ℓ詰め意を決して先に進むことにした。
百軒平の斜面に取り付き270mの標高差を登ると百諒(2,782m)はなだらかな台地で、1劼△泙蠡海。一時的に降っただけですぐ止んだ雨が再び降り出した。今度は夕立のような激しさだ。そして遠くで雷の音がする。雷が近づいてこないことだけを祈り歩き続けた。いよいよ核心部の岩場の登りになると雨脚は弱まり暫し休憩し呼吸を整えることができた。やはりここまで来ると疲れは出てきたが昨日のようなバテは出ていない。登路は大きく南に迂回し山頂域に達する。ガスで視界は50m程だろうか。山頂の手前に避難小屋があるはずだがなかなか現れない。雨はまた強くなり岩のゴロゴロする山頂域を進むと、漸く赤石避難小屋が見え転がり込んだ。百軒洞から2時間20分、標高差660m良く来られたものだ。体力は殆ど戻ったとは云えまだ100%ではない。
赤石避難小屋は真新しい綺麗な小屋でシーズン中は小屋番が入り、料金徴収をやっている。寝具持ち込みで4,000円、東海フォレストの経営だ。水場はないが、天水を溜めているので宿泊者には煮沸水を無料で好きなだけ提供される。天水のため食事提供の許可が出ないらしく基本は食事提供なしだが、簡単なレトルトの食事は提供されている。我々自炊組みは土間で湯を沸かし談笑しながら食事をした。何日振りかの缶ビールと共に、テントでは味わえないとてもいい雰囲気だった。そして今日一番の感激は鬚の小屋番榎田さんが「写真撮りま〜す」とデジカメで写真を撮り、暫くするとその写真入の「2000m登山証明書」なるものをもって来てくれた。「No.11岳人 貴方は聖平(2,260m)より聖岳(3,013m)、兎岳(2,818m)、大沢岳(2,819m)を経て赤石岳山頂(3,120m)まで累積標高差2000mを一日で登頂されました。長大なる南アルプス赤石岳への登頂意欲とともに、その強靭なる体力を賞賛し、証明書をお渡しします。平成18年8月22日」と書かれてあった。
5日目(8/23): 赤石岳避難小屋〜二軒小屋ロッジ
夜半まで雨が降っていたようだ。朝起きると満天の星、4時に起き食事を済ませ、小屋から5分もかからない赤石岳(3,120m)に登りご来光を待った。山頂の気温は10℃前後なのだろう、かなり寒い。5:09水平線の雲の上に太陽が顔を出すと山頂に歓声が上がる。モルゲンロートの絨毯の上に富士山が乗っかり清々しい。聖や兎、昨日歩いた山々が一望できる。勿論これから行く悪沢岳も全姿を現している。一頻写真を撮り小赤石に向けて歩き出した。北方稜線に踏み出すのは一番手のようだ。80mほど下り少し登り返すと小赤石岳(3,081m)山頂。薄く覆ったガスがスクリーンになりブロッケン現象が出現、丸い輪の中に我が姿が浮かび上がり手を動かせば影も動く。ご来光とブロッケンそして小屋の思い出で赤石は忘れられない山になりそうだ。
天気予報では一日すっきりしないはずだったが今のところは晴れ、午前中が勝負だろう。荒川岳を越えてできるだけ早く二軒小屋に入ろうと思う。小赤石からはガレた道を大きく下り大聖寺平の草原に達する。西に下ると広河原小屋から小渋谷に至る道だが、沢ルートで余り歩かれていないようだ。縦走路は荒川前岳南尾根を東に巻く道を通り荒川小屋に至る。
既に皆出発したようで小屋はお掃除中。水場があるが百間洞の水が十分残り5分程休んで出発した。巻道を進み谷の括れに微かな流れの水場があるが、岩の下を流れ給水は難しいそう。巻道からジグザグの登路になると荒川小屋を遅立ちした学生グループなど数組のパーティーを追い越しどんどん登る。やがて荒川前岳と中岳の鞍部に達し右に折れもうひと登りすると荒川中岳(3,083m)に達した。
雲が奥西河内の谷を埋め、稜線近くまで上がってきた。これとは対照的に北側の大井川西俣の谷は雲一つなく、塩見岳まで一望できる。その奥に見えているのは間ノ岳のようだ。そして目の前には荒川岳主峰(3,141m)の東岳(と言うよりやはり“悪沢岳”だろう。)が聳えている。古の悪源太義平や悪七兵衛景清、あの時代の「悪」は、悪人という意味ではなく勇猛さへの敬称・親しみとして用いられていたので、この意味なら荒川東岳の敬称として相応しく感じる。
エネルギー補給の大休止を取った後、2,910mの鞍部まで下りいよいよ悪沢岳への登りだ。岩場を攀じること30分、遂に南アルプス主稜線南部の盟主悪沢岳の山頂に立った。今回の縦走での最高点でもある。山頂には荒川小屋から来た人達と千枚小屋・三伏小屋から来た人達が入り混じっていた。
悪沢の東面も岩場が続き130mほど下降する。鞍部からなだらかに登り返すと似ても似つかぬ穏やかな山容の丸山(3,032m)、草原で名の如く丸い。山頂の立派な標識は方向を矢印で示すが「丸山」という文字は何処にもなく何か物足りない。南に下り千枚岳との鞍部あたりで再び岩稜帯となりそのまま千枚岳(2,880m)に到る。山頂域は小広くて最後の休止を取った。展望は良いが、かなり雲が出てきた。今日も午後は降られそうだ。そう思うと心が急き出し、二軒小屋に向けて標高差1,500mの大下降が始まった。
千枚岳の東稜線にも道はあるようだがかなり草が被い茂りパス。正式ルートとなっている千枚小屋への下りを100mほど下り途中で分岐し巻いて稜線に戻る。すぐに樹林帯に入ってしまい展望は失われてしまいただ只管下る。時折千枚沢に落ち込む崩壊地の縁に近づくと若干の展望があるが、向かいの山はすでに雲の中だ。突然飛び出す万斧沢の頭(まんのうざわのかしら2,503m)、3等三角点「千枚」があり一部展望はあるのだが特段ピーク性はない。緩やかに下りが続くが2,271mの標高点あたりから傾斜が増し歩き辛い部分が出てくる。標高2,100m辺りで今日二軒小屋に泊まるという二人の男性が休憩しておりしばし談笑した後、追い越して先に行く。
下るに従い傾斜が急になり水音が迫ってきた。やがて前方の大井川対岸に二軒小屋を垣間見るともう直ぐだ。そうこうしている内にまた一人男性を追い越した。危険なほど急な下りになりダム湖畔に達するとダム湖に架かる吊橋で大井川を渡る。風で揺れると一寸怖いかも・・・
二軒小屋ロッジは山小屋ではないだろう。ホテル並みの宿泊施設だ。1泊2食付13,000円、値段も正にそれだ。避難小屋の“登山小屋”やテント場もあるが、ここは何としてもロッジに1泊2食付で泊らねばならない。なぜならそれが畑薙第一ダムまでの送迎バスに乗せてもらう条件になっているからだ。椹島からは避難小屋泊でも乗せてもらえるのだが二軒小屋は条件が厳しい。完全予約制で飛び込みはできない。昨日赤石避難小屋から無線で予約してもらい泊れるようになった。
部屋は6人部屋で名古屋の男性と二人だった。椹島から笊ヶ岳に登り、伝付峠から下りてきたと言う。計画では白峰南嶺を間ノ岳まで縦走する予定だったが、昨日の雷雨と今日の予報の悪さから、早々と下山してきたのだそうだ。標高2,100m辺りで追い越した男性二人は、今年から走り出した鳥倉林道のバスに乗り三伏峠に上がり昨夜荒川中岳避難小屋に泊ったという横浜の人、日本山岳会と京大学士山岳会に所属するIさんとその友人。そして最期に追い越した掛川の人は深南部・安倍奥のスペシャリスト興味深い情報を聞くことができた。後は蝙蝠岳の尾根を下りてきた73歳のご夫婦。和気藹々と楽しい時間を過ごし早く着いたのにあっと言う間に時間が経ってしまった。夕食は鹿肉の刺身、岩魚の塩焼きなど質素な山食で過ごしてきた5日間からすると超豪華な夕食だった。
一夜明け8月24日は一日を移動に費やす。送迎バスは9:30発、10人が乗込み未舗装の大井川沿いの林道を行く、椹島で乗換えとなり40分待ち、2台のマイクロバスで畑薙第一ダムに向かう、11:30に到着すると1時間後の静鉄ジャストラインのバス3時間半の乗車で静岡駅へ。静岡からはJR青春18きっぷで東海道線の普通に乗り継ぎ23時前ようやく帰宅することができた。
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