7泊8日黒部川流域の旅(黒部五郎稜線ルート、温泉沢ルート)
- GPS
- 63:39
- 距離
- 98.6km
- 登り
- 7,328m
- 下り
- 7,653m
コースタイム
- 山行
- 5:20
- 休憩
- 0:57
- 合計
- 6:17
- 山行
- 5:47
- 休憩
- 2:21
- 合計
- 8:08
- 山行
- 7:49
- 休憩
- 0:29
- 合計
- 8:18
- 山行
- 6:20
- 休憩
- 0:52
- 合計
- 7:12
- 山行
- 7:58
- 休憩
- 2:47
- 合計
- 10:45
- 山行
- 8:28
- 休憩
- 0:34
- 合計
- 9:02
- 山行
- 6:32
- 休憩
- 0:53
- 合計
- 7:25
- 山行
- 6:37
- 休憩
- 1:26
- 合計
- 8:03
天候 | 曇、晴、雨、晴、晴、晴、雨、晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
折立には富山駅からのバスで。(前の週に運休だったのでハラハラしました。) 七倉−信濃大町駅間の公共交通機関はない。(高瀬ダム、七倉にタクシーあり) 携帯はauでしたが、ドコモの方が電波が届いていると実感しました。auで届くとされていた場所でも実際は圏外だったりしました。また同じ場所でも、圏外になったりアンテナ1から3つ立ったりとか。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
実は私、還暦過ぎても登山地図の点線ルートを通るのが好きなんです。 特に危険なルートよりもルートファインディング力を試されるルートに興味があります。今回歩いたコースには以下の2つの点線ルートがありました。 1.黒部五郎岳稜線ルート 今回、黒部五郎岳に登った時は風雨の中で見通しはあまりよくなかった。 私の持参した「山と高原地図36劔・立山2009年度版」には、この稜線ルートには以下の記述があった。 「北側カールルートが一般的だが濃霧時は稜線ルートが良い」 この時は確かに悪天候で見通しが悪かったが、このルートは初めから行く積りだった。但し、予想以上の悪路で行き詰った場合は、登り返してカールルートを行くだけの体力と時間はあった。 山頂付近の岩場に白ペンキで「リョウセンコース」と岩に書いてあり、それを辿った。 稜線ルートとは言っても、稜線をそのまま進むと岩場で行き詰る場所がてんこ盛りなので、ルートは悪場を巧みに避けるように付いている。従って、悪場を避ける時は南側に稜線を外して通過することが多い。つまり、地図とコンパスとGPS通りに稜線を進むのではなく、岩にペンキで書いてある〇印や矢印を探しながら歩くのが効率的であり、安全である。こうした印はこれでもかと言うほど沢山付いているが、もしも、この印を見失った場合は、元の印まで一旦戻ってその周囲に次の印を探すことである。特に岩稜地帯は踏み跡が残りにくいので、他人のトレースを当てにするのは難しい。私も一旦尾根が広くなった砂地に出たので岩稜が終わったかと安心したが、その後でまた岩稜地帯となり、〇印を見失ってしまった。ひとつ前の〇印まで戻ってその周囲を探ったところ、岩場の外れのハイマツの中に踏み跡を見つけた時があった。このようにこの稜線ルートは岩場が意外と長く続くので油断できない。通過が困難な場所はあまりなかったが、稜線の北側はカールへの絶壁なので高度感がある。私が通った時は見通しが悪く下は真っ白で高度感はなかったが、下が見えたらビビったかもしれない。稜線ルートの最後の6分1くらいで岩場は無くなるが、その後は涸れた沢沿いのルートとなるが、そこにはペンキの印は無かったので、歩いていてちょっと不安になる。枝に巻いた赤布が時々あり、それを見つけてホッとした次第だ。やがて黒部五郎小屋の天場に出て、稜線ルートは終わる。 2.高天原の温泉沢ルート ここは沢沿いに赤ペンキの印を追って遡行するルートだ。ルートは沢から少し離れた藪の中を通ったり、分かれた沢を辿ったりするので、赤ペンキや踏み跡を見失わないようにすることだ。渡渉する場所は沢の水量によって変わるかもしれない。私が歩いた時は幸い水量が多くなく、飛び石伝いに沢を渡ることが出来て、靴の中を濡らすことが無かった。しかし、水量が多いと沢の中を歩くことになるので、難易度が上がると思われる。水量が多いと思われる時は、事前に高天原山荘に相談した方が良いだろう。飛び石伝いに行く時に注意したいのは、岩に苔が付いているかどうかを確認することだ。特に上流に行くにしたがって、茶色の苔が付いている岩が増えた。この岩はヌルヌルしているので、滑り易く要注意だ。 やがて前方に滝が見えると、ルートは沢から離れて上流に向かって左側の斜面を登って小さな尾根に上がる。ここには古いロープがぶら下がっているが、登る分には必要ないだろう。尾根は最初は樹林帯だが、やがて森林限界を超えるとザレた斜面となり、歩きにくい。ルートにはステップなどは切っていないので、ふくらはぎに負担がかかる。トレッキングポールがあるといくらか楽になるかもしれない。前方には赤牛岳への稜線が見えるが、なかなか近くにならず、ちょっと辛い登りになるかもしれない。このルートでの注意点は、渡渉時に転ばないことだ。特に水量が多い時はその難易度が上がると思われる。 |
その他周辺情報 | 富山駅から神通川沿いに歩き、環水公園から駅に戻りました。よい散歩道でした。 信濃大町駅前のビジネスホテルには、大浴場(温泉)、コインランドリーあり。 大町山岳博物館は、駅前からタクシー940円、徒歩20分程度(帰り) |
予約できる山小屋 |
七倉山荘
|
写真
装備
MYアイテム |
Alps1018
重量:4.19kg
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---|---|
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
着替え
靴
ザック
ザックカバー
サブザック
行動食・非常食(パウンドケーキ系・デーツ等)
タッパーウェア(押されて困る物用)
飲料
地図(地形図)
コンパス
計画書
ヘッドランプ
予備電池
GPS
常備薬
日焼け止め
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ストック
シュラフ
消臭剤(身体・衣類用)
ドライシャンプー(水なしで髪の油気を除去)
髭剃り
電動歯ブラシ(8日間使用可能)
歯間ブラシ
携帯ヘアブラシ
消毒用ジェル(山小屋にあり使用せず)
ウェットティッシュ
ポケットティッシュ
マスク(小屋では必要)
小屋支給の弁当(包装がごみになる。小屋で昼食をとるとゴミが出ない。)
アイマスク(安眠用)
|
感想
学生時代、北アルプスは年を取ってから行けばいいやと思っていた。
山小屋があるので、テントを背負わなくてもよいからだ。
今回、なんと44年ぶりに北アルプスを訪れた。
正直、もっと早く来ればよかったとも思った。これから残りの人生でこんな素晴らしいところすべてを網羅できるかどうかわからないからだ。
一方、果たして8日間も歩き通せるのか不安もあった。
そのため、一日の行動時間は長すぎないように設定した。また、薬師岳往復や雲ノ平ー高天原周遊コースの様に1泊で元の小屋に戻るコースも設定し、サブザックで行動できる日を3日間作った。
このため、バテたのは初日のペース配分ミスだけで、あとは景色を見て、足元の植物を見て、雷鳥を観察し、好きなだけ立ち止まって写真を撮り、時間と体力に余裕がある時は予定よりも足を延ばしてみたりして、楽しめた。
山小屋は古いものから新しいものまであったが、屋根のあるところで寝れる安心感があった。また、何かに付けて追加料金を取るのは、それだけコストがかかる証しである。一方、商売抜きでのご厚意もあった。三俣山荘での注文無しの昼食、既にシーズンを終えた野口五郎小屋での雨宿りとお茶。少額ではあるが募金箱へのチップでお応えした。小屋の乾燥室での取り違いもあった。名札を付けたが落ちてしまっていた。幸い戻って来たが、すべての持ち物にマジックで名前を書くべきだった。
女性の登山者が以前よりも増えた。中には登り坂でもずっとおしゃべりをしながら歩いていて驚かされた。また、単独行に見えても実は離れたところに仲間が歩いていたり、行動様式も変わった感があった。
8日間ずっと単独行だったが、山頂や山小屋や露天風呂でのちょっとした会話を楽しめた。その一方で、すれ違い時に挨拶しても、道を譲っても何も言わない人もいた。挨拶をするしないは本人の自由だから気にしないことにしたが、どういう心境なのだろうかと思った。
まあ、細かいことはいろいろあるが、なんといっても自然の偉大さ、美しさに感動し、驚かされた。特に近郊の山では経験できない、スケールの大きな迫力を味わった。今回は幸い長期休暇を取得できたが、また機会があれば日本アルプスに行ってみたい。
おまけ:私は「名山ハンター」では無いが、今回登った山は以下の通りである。
百名山:薬師岳、黒部五郎岳、鷲羽岳、水晶岳
200名山:赤牛岳、烏帽子岳
300名山:三俣蓮華岳、野口五郎岳
1日目:富山駅⇒折立⇒太郎平小屋
好天の元、折立を出発。張り切っているせいか足がどんどん前に出る。「アラレちゃん」には50分ほどで着いた。しかし、そのペースは続かなかった。だんだんと呼吸が荒くなり、身体は汗でびっしょりになり、半ばバテてしまう。ペースを落として休み休み歩くと、周囲の展望が開けてきた。このルートは高度があまり高くないうちに森林限界になること、後半の登りが急でないことから、入山ルートとしてはお勧めである。太郎平に着いた時にはすっかりガスに覆われてしまい、薬師岳は見えなくなっていた。時間があるので、小屋から少しの太郎山に行ってみる。2372mの山頂は縦走ルートから外れているので、誰もいなかった。auの携帯を見ると、ここではアンテナが全て立っていた。時間があるので更に北ノ俣岳方面に散歩に出かけると、高層湿原が広がって美しい。池塘を見るのは久しぶりだ。
小屋の寝床は蚕棚の上の部分で、3人分のスペースを2人で使用した。夕食にはとんかつが出ました。炊き立てのご飯が美味しかった。寝床に戻ると隣人が夜7時から高いびき。そのまま朝までずっと大いびき(時々呼吸が止まる)で、初日と言うこともあってかあまり寝られず、とても長い夜を味わった。
2日目:太郎平小屋⇒薬師岳往復
朝5時前に起きると薬師岳が綺麗に見える。今日は期待できそうだ。
昨夜預けたバッテリーは全然充電できてない。充電時にバッテリーのボタンを押す必要があった様で、再度お願いする。充電代200円。
連泊だが一度チェックアウトする様でザックは小屋に預ける。布団も畳んで出発だ。昨夜は夜中に何度か起きてまた眠れずを繰り返したが、体調は大丈夫の様だ。朝飯済ませて弁当をもらってさっさと出る。
今日は軽荷で薬師を往復なので気は楽だ。出てすぐに水を補給して無いことに気づくが、Youtubeで途中に沢があることを思い出す。結局、テン場に水場があってそこで水を汲んだ。冷たくて美味しい。
道は沢沿いの樹林帯の中を行く。太郎平小屋周辺は樹林帯ではないが、そこよりも高い場所が樹林帯なのは沢があるせいか?やがて沢は涸れて石を伝って登ると前方が開けてくる。薬師岳の懐に飛び込んだ様に感じた。石ころだらけの涸れ沢を登る。踏み跡が錯綜してどこでも好きなルートが取れる。
再び樹林帯に入ると間もなく湿原となり、前方に槍ヶ岳が飛び込んで来た。槍だけでなく周囲の山々が見渡せた。薬師平だ。前方に朝陽がきらめき目が開けてられず、ザックから偏光レンズのメガネを出す。これが活躍するとは良いことだ。前方の主稜線がだんだんと近くなり、そこに上がると薬師小屋まで15分とある。
薬師小屋は尾根上にある新しい建物だ。帰りに立ち寄ろう。ここからは草木もない浮石だらけの登りになる。うっかりすると浮石に足を取られる。なるべくいつもより少し前に踏み出し、いつもより少し早く足を上げると浮石を後ろに転がしてしまうのを防げる。ペースを落としてゆっくり登る。ゆっくりなので息が上がらないし筋肉痛も無い。涼しい風が身体に心地良く汗もかかない。やがて昔の避難小屋に出るが、山頂はもっと奥だ。やがて前方に祠が見えるとそこが山頂だ。山頂にはわずかに数人ほどしかいない。
展望は360度であらゆる山が雲に隠れず曝け出された。遠くに富士山さえ見える。また下界に目をやれば、富山市の向こうに富山湾が見える。その右側に剱岳と立山が鋭角な山容を誇るかの様だ。更にその先は鹿島槍、唐松、五竜から針ノ木、そしてこの山旅のゴールである烏帽子まで連なる。そしてその奥には唐沢岳の威容と遥か昔の高校山岳部で行った餓鬼岳が鋸状に見える。それだけでは終わらない。続いて野口五郎岳から水晶岳の稜線が続き、鷲羽岳から三俣蓮華、黒部五郎岳とこれからの道程が連綿と連なり、それらの奥には槍の穂が一際高く鋭く聳え立ち、鋭い岩陵が砦の様に続いている。また遥か向こうには八ヶ岳が、木曽の御岳が、そして加賀白山が見渡せる。もうこれ以上の展望など想像も及ばない、素晴らしいに尽きる眺めであった。
時はまだ8時過ぎだ。更に奥には北薬師岳までこれまでの緩やかな山容とは異なる岩陵が続いている。コースタイムは40分程なので、このルートを楽しむこととする。靴紐絞めて気を引き締めて、帽子を被って出発だ。薬師岳からは浮石の多い斜面で落石に注意しながら降りる。やがて岩陵となるが、ルートは左右に逃げながら危険な場所を避けている。試しに岩陵上に上がってみたがトレースはなく、岩場の綱渡りとハイマツ漕ぎになるようだ。
北薬師岳は南北に伸びる山頂だが、山頂の場所によって少しずつ展望が異なり面白い。最北端のピークからは、立山から広がる高原地帯が遮るもの無く見渡せた。
ここで早くもお腹の虫がgooと鳴き出す。まだ9時半であるが朝食が5時半だったので既に4時間経過している。いつも朝飯8時に食べて12時にランチにするのと同じである。小屋の弁当の袋からお結びを出すとタケノコの皮の包みに入ったおこわであった。緑茶のパックが付いていた。小さな結びなので2個じゃ足りないと思っていたら、袋の底にもう1個あった。それまで富山湾方面を観ながらだったが、今度は反対側の水晶岳方面向いた平たい石に腰掛ける。但し足元は急斜面で片足は空中をぶらぶら。贅沢な眺めのランチであった。これでお腹は夕食まで満たされた。
薬師岳から北薬師岳まで軽荷で足を伸ばした人は私の他にも結構いたし、五色沼方面から縦走して来た人もいた。このコースは起伏が多く辛いコースのようだ。
さて北薬師岳の展望を満喫し薬師岳に戻るとするが、縦走して来た人が降り口がわからない様子。確かにここから薬師岳まではペンキなどは必要最低限しかない。あとは経験と勘でそれらしきところを行く。
薬師岳に戻ると少し人が増えていた。腰を下ろすのに最適な平たい石を探す。先程何度も見た眺めではあるが、何度見ても見飽きない。こんな絶景一生で何度拝めるやら。立ち去り難い気持ちにちょっと冷たい風が身体に当たる。サブザックから今回買ったフリース出して着る。これでもう暫くここに居れる。
やがて団体さんが北薬師岳から到着し賑やかになったので、名残惜しいが出ることとする。薬師小屋まで浮石だらけの下りで、歩き方の練習をする。前傾して歩幅を小さく取ると足がとられにくい。ちょっと急なところでは膝に手を添えて前傾を深める。
やがて薬師小屋に着く。ここでトイレを済ませて持って来た携行食をコーヒーで頂くつもりだった。小屋には張り紙があり、マスクをすることとある他、色々利用条件が書いてある。マスクをして中に入って料金表を見て、何も買わずに出た。トイレは太郎平のテン場のトイレを利用してチップ100円を払った。また、ここの水が美味かったので補給する。携行食は太郎平小屋で昨日に続いてココア300円也で頂いた。
夕方、携帯の電波を求めて、昨日に続いて太郎山に登った。充実した1日だった。
3日目:太郎平小屋⇒北ノ俣岳⇒黒部五郎岳⇒稜線ルート⇒黒部五郎小舎
前夜はイビキに悩まされることなく、朝3時に風の音で起こされた。かなり強そうだ。この日の予報は曇時々雨なので、雨に風が加わると寒そうだ。前夜同様、全ての布団の上にシュラフを敷いて寝たが、昨夜よりちょっと涼しいかも。
4時半過ぎに起きて、乾燥室へ。干した筈のものは夜中のうちに湿気を吸ってしまった様で若干湿っぽい。トイレ、歯磨き、シェービングは朝食前に済ませた。朝食は夕食同様、前日とほぼ同じ。携帯のバッテリーは上手く充電できていた。
小屋の外は風があるものの雨は無く山頂はガスっているものの周囲の見通しは良い。雨が心配なので、昨夜のうちにモンベルの下着の上下に替えていたが、雨具の上もヤッケ代わりに着て行くことにする。
二日間携帯の電波がフルで使えた太郎山に別れを告げて、木道を歩く。富山市や鍬崎山が見える。これから登る北の俣岳は雲の中だ。
木道が切れると登山道は涸れた沢の様になる。一本の道が雨で削られ大きな溝になってしまった様だ。途中から左側に木道が出来て溝を避ける。初めから木道だったら、こんなに大きな溝にはならなかったかも。
やがて風に霧雨が混じるようになったので、ゴアの帽子を出していたら、いきなり横殴りの雨になった。ズボンを雨水が滝の様に流れる。慌てて雨具のズボンを出して、裾のチャックを上げて靴を脱がずに履こうとするも途中で引っかかって手間取った。事前に練習しておけばよかった。幸いズボンは卸したてだったので防水が効いていたため、さほど濡れずに済んだ。
いよいよ久しぶりの雨の中の山行となった。登山を再開してからは晴れの日しか山に行かなかったので、前回の雨の日は覚えていない。北ノ俣岳の登りは緩やかで、雨具を着ていても暑くなかった。雨具のズボンと中のズボンとの摩擦があるが、同じモンベルのせいか気にはならない。
山頂に近くなると、風雨が強くなり台風の様だ。風は飛騨側から黒部側に吹き抜けているので黒部側の斜面は風は強く無い。山頂への緩い登りを黒部側に歩いていると、なんと雷鳥の一家が次々と現れた。数えてみると七羽も。展望のない中、嬉しい出逢い。その後も道々何度も遭遇した。誰もいない北ノ俣岳山頂では携帯が使用できず、暴風雨の中、ザックを下ろす気にもならず、写真を撮って出発。
風雨は強いが、雨や風は身体には入って来ないため全然身体が冷えない。気温が比較的高めなのも良かった様だ。ここで身体が冷えてザックから風雨の中でフリースを出して着たら大変だ。靴の中も濡れず、ゴアテックス様さまだ。
こんな風雨の中、誰もいないのかなと思ったら、黒部五郎岳方面から続々と登山者が現れた。過半数がモンベルの雨具だ。
中俣乗越の手前で少し広い空間を見つける。幸い風雨は収まっている。時計を見ると9時半だ。昨日、北薬師岳でお昼を食べた時間だ。と思ったら、お腹の虫が泣き出した。ここで昨日同様、おこわおむすびのお弁当をいただく。
北ノ俣岳から中俣乗越までは小さな起伏があるが赤木岳などは山頂を巻いている。結局、多くのアップダウンの中、中俣乗越は気付かず通過し、知らないうちに黒部五郎岳への300メートル余の登りに入っていた。まあ、東京タワーと同じ、と考えるのは楽なのかどうか。
黒部五郎岳の登りは段々と傾斜がキツくなる。見上げてもガスで先が見えないのは、かえって良いのか、ペースをゆっくりにして、息が上がらないように、筋肉痛にならないようにする。こうしておくと一時間でも続けて歩くことが出来る。今回、初めて使ったトレッキングポールがここでは役に立った様だ。急な坂では、少し前に突くとザックが背中に乗っかって、肩への負担が少なくなる。
やがてガスの中に黒部五郎の肩の標識が見えて来る。多くの人はここにザックを置いて山頂には軽荷で往復するが、今日はザックは置いて無い。ガスの中、到着した黒部五郎岳の山頂は私だけだった。強い風雨の中、日本百名山を独占した喜びは皆無だ。ここからの絶景が見たかった。
さてここからは、今回の登山届けには肩に戻ってカールの底を行く一般ルートでは無く、山頂から稜線伝いに黒部五郎小舎に降りるルートとした。持っている登山地図には霧の時にはこのルートが良いとある一方で、肩の標識には熟達者向きとある。但し標識にはカールの底は踏み跡が錯綜しているので注意とある。まさに霧の中なので、稜線ルートを辿ることにする。手強かったら登り返す時間と体力はまだある。
山頂近くの岩にはペンキで「リョウセンコース」とあるので、地図とGPSとコンパスで確認してから出発する。コースにはこれでもかと思う程、ペンキで○印や矢印がある。但し稜線は岩陵で崖っぷちにルートを取っているところも何箇所かある。今日は幸いなことに?ガスで崖の底が見えない。ルートは通行不能な場所を避けながら続いているので、稜線の方向とは全く異なる方向にたびたび向きを変える。岩場の白ペンキが無かったら、迷うこと必至だ。
ルートは岩場が多いが、高度感にビビらなければ、ホールドやスタンスはちゃんとあるので行き詰まることはない。それでもスリップや灌木につまづいたり、自分の靴紐を踏ん付けたりしないように、ゆっくりと慎重に歩く。一度本当に靴紐を踏んで緩ませてしまったが、すぐに直した。
やがて稜線はテン場の様な広い砂地となり、これで岩陵は終わったかと思ったが、まだまだ続いた。
その場所の先で、白ペンキを見失ってしまった。すぐに最後の白ペンキまで戻って、そこから次の白ペンキを探すも見当たらない。別の岩に降りて辺りを見ても○印が無い。そこで岩場を降りずにトラバースしたら、ハイマツ中に踏み跡を見つけた。ルートを探したのはここだけで、あとは○印と自分の勘が当たっていた。この辺の判断力が問われるルートと言えそうだ。
その後も岩場は無くなりそうで無くならなかった。途中で紅葉と黄葉がミックスした場所があったが、残念ながらガスで綺麗に撮れなかった。
もう岩場はイイやと思い始めたら、やっと終わり、草原の尾根道となった。しかし以前見たこのコースの記録によると黒部五郎小舎の手前が薮とあり、気を抜かずにいたら、ルートは樹林帯の涸れ沢となるも足場が結構悪い。太郎平のテン場の先の道も同様だが、ここは狭くて道を間違えたのか思った程だ。幸い赤テープが木に巻いてあり、ホッとした次第だ。そして、広いスペースにぽっと出たのは、黒部五郎のテン場だった。テントの数は数張だった。ここから小舎はすぐで、予定通り14:30の到着でした。
全身びしょ濡れでチェックインして、雨具を脱いで案内された部屋は2階の小綺麗なクマタカの間だった。比較的遅いチェックインだったが、部屋には誰もいなかった。ここは蚕棚方式では無く、天井が高いのがとても良いが、宿泊代も少し高めだ。入り口近くの乾燥室のストーブをつけてくれたので濡れた雨具や手袋などをハンガーにぶら下げた。名札があったので名前を書いてハンガーに付けて置いた。なんせ過半数がモンベルの雨具だ。最初は登山靴は持ち込み禁止だったが、後でOKとなった。
夕食の5時まで時間があるので、雨で食べれなかった行動食を消化することにする。受付で買ったホットコーヒーはワンコインだが、食堂で飲んだ味は格別に感じた。食堂では早くも酒盛りをやっている人たちもいた。
夕食はまたもトンカツでパインが付いていたのも同じだったが、ここは蕎麦も付いていたのが良かった。
夕食後に乾燥室を見に行くと、何と自分の雨具のズボンだけなくなっている。付けた名札は何故か床に落ちていた。すぐに受付に申し入れると、それを聞いた宿泊客の一人がメーカーを聞いてきたので、モンベルと答えると、それならうちの男どもに聞いてみますとのこと。乾燥室で乾いた物を取り込んでいると先程の人がズボンを持ったおじいさんを連れてきた。見てみると同じ様で、取った場所は私が干した場所だったので間違いなく取り間違えとなった。するとおじいさんは、それなら俺のはどこだと言い出したが、小屋の人が、ここに一本だけ同じのが下げてありますよで一件落着。
家で出来るだけ名前は書いて来たつもりだが、雨具などは畳むのが面倒で書いてこなかった。早速小屋のサインペンで名前を書き込んだ。しかし名前の書く欄があるのはモンベルくらいだ。
なお、ここのバッテリー充電は無料だが、コンセントは四つしかない。
その後、部屋には誰も来ず、寝床はなんと一室貸切だった。
4日目:黒部五郎小舎⇒三俣蓮華岳⇒鷲羽岳⇒水晶小屋
今日のコースは一番体力的にキツいはずだ。黒部五郎小舎から三俣蓮華岳まで高度差350m、そこから三俣山荘まで350m下がって、鷲羽岳まで400mの登り返し、ワリモ岳の登りが200m、ワリモ北分岐から水晶小屋まで100mの登りとなり、登りの合計が1000mと東京タワー🗼3つ分にもなる。
しかし前の晩は、部屋を一人で独占したにも関わらず、ぐっすりとは眠れなかった。同じ姿勢でいると足のどこかが軽い筋肉痛となり何度も寝返りをうった。夜中に鎮痛剤を飲んだら眠れた。
昨夜の天気は大雨で稲光もあった。朝外を見るとまだ山にはガスがかかっていた。小屋のテレビでは下界は8時には天気になるという予報だったので、その頃に最初のピークである三俣蓮華岳に登頂すべく6時に小屋を出た。
小屋からの登りはいきなり樹林帯の中の急登でしばらく登ると下は真っ白になった。30分位登ると森林限界となったが、まだ辺りはガス。笹とハイマツの中の石ころだらけの道を歩いているうち、ようやくガスが晴れて来始め、笠岳が見えた。本日初めて出会った人から、この先で薬師岳が見えると聞き希望が湧いて来た。道は稜線の南側を通っていたが、稜線上に道標が見え始め期待が高まった。道標に辿り着くと、薬師岳の大きな山容が目に入った。どっしりと風格がある姿だ。
周囲の山々もその姿を見せ始め、山頂での展望が期待される。
肝心の三俣蓮華はまだその山容を見せていない。歩いていてふと気がつくと、黒部側のカール状の地形に茶に色付いた草地の中にハイマツの濃い緑が絶妙に配置される一帯に目が止まった。これは日本庭園そのものではないか。自然の造形の見事さにただただ驚くばかりだ。こういうことがあるので、神社仏閣や名所旧跡よりも自然が創り上げた造形に心が動かされるのだ。
道は三俣蓮華の巻道と別れ、いよいよ山頂も近いと思ったが、この山は私の想像を打ち砕いた。ハイマツ帯を進むとかなり離れた所に三俣蓮華の巨大な山容が飛び込んできた。山頂まではまだまだだ。
視線を移すと昨日風雨の中登頂した黒部五郎岳がようやくその全容を現した。昨日歩いた稜線からスッパリと切れ落ちた崖の下に残雪をしたためたカールが見事である。
三俣蓮華岳山頂からの次の山である、鷲羽岳がその全貌をようやく見せた。急峻な山容はかなり厳しい登りとなろう。山頂からの景色とようやく繋がった携帯でのやり取りに夢中になり、30分も滞在してしまった。
山頂から三俣山荘まではすぐだった。朝食が5時だったので腹の虫は9時に鳴り出した。山荘の2階がレストランだったので、お弁当を持って上がり、暖かいお茶を注文したら、無料なのでどうぞとのこと。ここでお弁当食べていいですかと聞くと、どうぞご自由にとのこと。これまで何かと料金徴収が多かっただけに感心した。カウンターからは槍穂高方面が一望で贅沢なランチを無料で味わった。ここにはジビエ定食があり、聞いてみると長野の鹿肉だそう。次回はぜひ試したい。下に降りるとちょっとコキジを撃ちたくなる。小屋の一階に入ると、トイレはチップ制だ。こういうところも好感が持てる。お金を払う機会をもらってよかった。
さていよいよ本日のラスボス鷲羽岳の登りだ。下から山頂部まで見上げられるが、高度差400mくらいある。出だしはジグザグの登りだが、最後は岩場でぐんぐん高度を稼ぐ。これが結構効率的で意外と早く頂上部が見えて来た。山頂は360度の展望だが、周囲の山には雲がかかって来た。また風も強くなり長居はしんどくなる。賑やかな団体が来たとこで出発。下りではトレッキングポールが不要となりザックに取り付ける。ただし、上りではお世話になった。
次のピーク、ワリモ岳の登りもそのままポール無し。途中で岩場が出て来てから、知らぬうちに直登ルートに入ってしまった様だ。岩場をフリクションで登るとワリモ岳の一角に出たが、ハイマツの中だった。踏み跡を探して、少し広い頂上に出たが、標識も三角点も無い。ザックを下ろして下山ルートを探すと道標が見つかる。一般的には巻くのだろう。
稜線の中腹を巻く道を辿ると雲の平の分岐に出た。風が冷たいので休まず水晶小屋に向かう。誤算だったのは、ここから小屋まで意外と遠い。高度差も100m位あり、精神的に疲れた。水晶岳にはガスがかかったので、この日は往復をやめた。小屋は綺麗だが、二階部屋の天井は低く私を含めて梁に頭をぶつける人が続出した。
5日目:水晶小屋⇒水晶岳往復⇒祖父岳⇒雲の平⇒高天原
朝起きると空には星が一杯だった。早速一泊だけの用意をサブザックに詰め込む。残りはメインのザックに入れてデポだ。せっかく晴れたので、朝イチは水晶岳を往復することにする。コースタイムで70分だが、手ぶらなら一時間位でさしたる時間のロスはないだろう。行きは30分位で山頂に着くも、あまりの絶景に小屋に戻ったのは7時20分だった。
まあ、今日はサブザックだけだし、大きなピークが無いので、コースタイムはあまり気にしないことにする。小屋からワリモ分岐までは昨日歩いた。そこから更に下ると岩苔乗越で、多くの登山者とすれ違った。そこからは祖父岳への緩い登りが始まる。天気が良くて暖かく風も無いので、着てきたフリースを脱いでパッキングをし直す。
明るい道で周囲の山々が見渡せる。途中の小ピークは巻くので楽な道だ。やがて祖父岳の広い山頂に到着。道標は判読不能だ。
その後も雲の平山荘まで、これまで登った薬師岳、黒部五郎岳、三俣蓮華岳、鷲羽岳に今朝登った水晶岳に囲まれた良い道だ。
やがて道は平坦な高層湿原帯となり、スイス庭園の分岐がある。予備知識がなかったが、試しに入ってみる。木道の周囲に多くの池塘点在する。数分で行き止まりとなり、ベンチに座って一休み。薬師岳が近くなったのがうれしい。元の分岐に戻って雲の平山荘に向かうと独特の屋根の形が見えて来た。
山荘の食堂は通りすがりの人にもオープンしている。メニューもいろいろあり迷う。台湾風チキンライスというのがあったので試しに頼むと。陽射しが強く少々暑いくらいなのでビールも注文する。席は屋外が空いていたので一人掛けの丸テーブルに座る。
ここでのんびりと山を観ながら過ごしていたいが、そろそろ雲の平の散策を完了しないといけない。山荘を出るとすぐにアルプス庭園への分岐がある。これを辿って祖母岳に向かう。祖母岳山頂は高層湿原帯で木道が通っている。次はアラスカ庭園でこれは薬師沢方面へ徐々に高度を下げるが、いまいち場所がわからない。かなり歩いてようやく庭園の道標を見つけるが、ここの湿原としては小ぶりだ。さあ今度は高天原だ。
雲の平山荘の近くに高天原への分岐がある。下りだけと思ったら、まずは登りだ。やがて道は湿原を縫う様になり、いい感じ。それも束の間で樹林帯に入るとかなりの急勾配で梯子の三連続まである。おまけに糠っていてズボンの裾が泥だらけになった。それでも高天原峠には意外と早く着いた。ここから高天原山荘までは木道混じりの良い道だ。沢を渡るところで水を飲む。うまい😋
山荘の直前で、目の前に広大な湿原が広がった。これが高天原だ。野球場くらいありそうだ。この規模には驚いた。この辺は標高2000mちょっとなのにこんな立派な高層湿原帯があるとは。
山荘でチェックインすると、露天風呂の奥の竜晶池が紅葉で綺麗とのこと。もともと行きたい場所だったので、風呂の用意をして出掛ける。露天風呂を通過し、20分程で着く。今日は湿原はたくさん観てきたが、ここは赤牛岳からの尾根の黄葉とのマッチが良い。更にこの近くの夢の平にも行ってみる。入り口には道標は無いが踏み跡を辿ってみると湿原帯が現れる。ここにはちゃんと夢の平の標識がある。
さてお次は待望の温泉♨️だ。お風呂はコンクリで固めた浴槽が3つあり、混浴、女性、男性用がある。男性用は登山道のすぐ脇で柵が無く丸見えである。若者達が裸で談笑していた。私は混浴に入る。実質男湯だそうで、この時も他に男性2人が入れ替わりで入った。お湯は乳白色で熱さはちょうど良かった。湯船の周りが板敷きなのでそこにザックと衣類を置くので、安心だ。登山靴は板敷きの外の藪。頭は洗え無いが、大満足だ。
山荘に戻り食事を摂るが、ここは電気は無く、ランプだ。但し、やはり暗くてオカズがよく見えない。私はヘッデンで確認して食べた。夜は消灯前の7時ごろに睡魔が来てそのまま寝てしまった。
6日目:高天原山荘⇒温泉沢⇒温泉沢の頭⇒赤牛岳⇒水晶岳⇒水晶小屋
今日は高天原山荘から露天風呂の脇を流れる温泉沢を詰めるコースだ。一応点線コースだが、調べてみると危険はない様だ。前日水晶岳で話した人も沢登をしていたので、問題無かったとのこと。山荘の掲示板にもコースガイドが貼ってあるので携帯で撮っておいた。
さて今日もいい天気。出発前に高天原を見た。湿原のすぐ上を霧が低く立ち込めて幻想的だ。木道の脇の草の葉には霜が降りていた。
露天風呂は寒いので今日はパス。久しぶりの沢歩きだ。徒渉が何箇所かあったが、特に問題なく通過。ボチャンはしたく無いので、慎重に渡る。沢の奥に滝が見えると左手の樹林帯に登る。ロープが掛けてあるが、登りには不要。このコースが点線になっている理由は徒渉のタイミング、徒渉の技術では無いかと思う。この日は水量は多くないので徒渉に問題は無かったが、もっと水量が多かったら、徒渉は難しかっただろう。
ここから沢から離れて小さな尾根を辿る。森林限界を超えると足元がザレて来る。おまけにステップが切ってないので、登山靴の前の方に力が掛かり、ふくらはぎが筋肉痛になる。更に急勾配になるとゆっくり歩いても息が切れる。見上げれば稜線が見えるが高度差は200m超となかなか近づかない。やっと温泉沢の頭に着く。まだ9時過ぎだ。水晶岳に向かうには早過ぎるので、ここから赤牛岳を往復することにする。コースタイムで往復4時間かかるが、起伏は少ない。ここに1時までに戻って来ればよいと言うことで稜線を下る。
稜線上には幾つかの小ピークがあるが、中腹を巻きながら登る。山頂まで30分くらいの時点にサブザックをデポして、手ぶらで往復する。やはり手ぶらは楽だ。30分強で登頂する。この山には登山道が一本しか無いが、その名前が嫌なので通りたく無い。この往復はその道を通らずに済むので貴重だ。
写真を撮ってサッサと降りる。温泉沢の頭の登りは意外とキツかったが、水晶岳の登りはもっとキツかった。最後の登りは胸突き八丁の岩場の登りで息が切れた。
水晶岳山頂からは多くの周囲の山がすでに雲に隠れていたが、鷲羽岳などが目に入った。山頂ではauでも電波が届くので、携帯で返信などをした。下山途中で風が冷たくなったのでフリースを着た。水晶小屋にはちょうど3時に到着した。
7日目:水晶小屋⇒野口五郎岳⇒三ツ岳⇒烏帽子小屋
今日は野口五郎岳を経由して烏帽子岳の手前にある烏帽子小屋に行く、比較的楽なコースだ。しかし天気予報はかなり悲観的だ。
朝方、雨音で目が覚める。かなり降っている様だ。3時ごろから出発準備の物音が始まった。日曜日なので今日中に下山するつもりか。5:30に朝食を頼んだのは、わずかに13名。昨夜はツーシフトだったが、皆さんは朝ごはんを昨夜のうちにもらっての早出の様だ。
出発する時は雨は降っていなかったが、そのうち降るのは確実なので、初めから雨具を着て中はカッターシャツはやめて、濡れても冷たくなりにくいことを期待して、フリースにした。ザックにもカバーをかけた。ザック自体の防水は効いて無いため、濡れると中まで浸水するわ、水を吸って重くなるわの経験を水曜日に経験したためだ。
小屋からの下りは最初から足場の悪い急な下りで東沢乗越を過ぎても続く。一歩間違えば 奈落の底と言う場所が普通にある。
東沢乗越の少し先で雷鳥2羽と遭遇。その後もまた2羽。その先ではいつも蕾のリンドウが珍しく咲いていた。雨の日ならではの楽しみか。
雨が霧雨から本降りになってきた。朝イチはいつも平衡感覚が冴えていないが、この日は3回も尻餅をついた。いずれもトレッキングポールを持っていた為、上体が前傾になっていなかった。長さを短くする。途中の岩場でポールが邪魔になり、ザックに取り付けていたら、後から来た人はポールを持ってスイスイと通過した。私はまだまだポール初心者なのかも知れない。
ポールをしまってスイスイと動けるようになったと思ったら、今度は○印を見失う失態を犯す。ポールを持っていたら、行かないような足場の悪いところに踏み込んでしまった。
そのあと、ハイマツの中で根に躓いて転び手を付いたら、指から少し出血した。大したことないが、そっちに気が向いていた。そろそろ竹村新道分岐と思っていたら、大きな看板で橋が流され渡渉が必要とあった。竹村新道のことだと思ったが、分岐でも無いのに気が早い看板と思っただけだった。道はそのあとピークを右に巻いて行くので、これは楽と入って、その先のハイマツ帯の中で指が冷たいので、手袋をした。手袋はウエストベルトの小物入れにしまっていたが既にぐしょぐしょに濡れていた。おまけに指が濡れているのと、少々浮腫んでいる為、非常にキツかった。手袋は大きめにしようと思った。ザックを背負って歩き出すと、下が泥道でスリップする。慎重に立ち上がった時に周囲の山がガスの中で朧げに見えた。えっ?変だ。こんな風に山が見えるわけない。GPSを見てみると、何といつの間にか竹村新道に入り込んでいた。慌てて戻るが、10分ほどロスしてしまった。しかし時間のロスより、こんな初心者みたいなミスをしたのがショックだった。分岐に戻ってみると、先程の徒渉ありの看板と右への巻道のすぐ先に分岐の標識がちゃんとあった。下ばかり見ていてはダメで、視線は周囲にも向けないとならないと普段から思っているのにこの体たらくだ。やはり今日は肉体的には腰が少々痛いくらいだが、朝からスリップしたり注意力散漫だ。精神的な疲れだろうか。
この先も真砂岳の分岐があるはずだったが、通過してしまった。あとからわかったが、その分岐点では何とザックを下ろして休憩したことが、GPSの記録で知った。確かにそこには棒が立っていて文字は読み取れなかったが、普通ならそれと真砂岳分岐を頭の中でリンクする筈だ。やはりなんかおかしい。
気を付けないとまた何かやらかしそうなので、この先の地形をしっかり頭に入れてから歩き出すと言う、ごく当たり前のことを励行した。雨がキツくなるとGPSを見るために携帯を出すと濡れてしまい、充電が出来なくなったりするので、出し渋っていたこともあった。結局、その後濡らしてしまい、バッテリーの接続が出来なくなった。
真砂岳は登っても真っ白でなにも見えなかったので、通過は大して気にならない。しかし肝心の野口五郎岳は巻いたら洒落にならない。幸い雨の中に全容が見え出し、石に書いた道標も確認して登り始めた。これまでのように一気に300mではなく、100数十mなのですぐに着いた。しかし山頂は横殴りの雨で展望も悪かった。全く先日の黒部五郎岳と同じ状況だ。どうもゴローさんには嫌われている様だ。やはりゴローさんは近寄らずに遠くから観客として観ている方が良いということかな。
風雨は強くなり、とても休憩する状態ではない。下の野口五郎小屋自体は既に今年の営業を終えているので、軒下でランチとすべく下る。ゴアの手袋は濡れてぐちゃぐちゃになり、身体も少し冷えてきた様だ。
小屋に着くと中に人がいる。入るとストーブが付いていて暖かい。お茶500円とあったので、ここでお茶を頼んで休んで良いかと聞いてみると、入り口で休むのはいいが、営業はしていないとのこと。それでも外でランチよりはどれ程助かるか。昼食は行動食がかなり余っているので、お弁当は頼まなかった。スポンジケーキなどを食べていると小屋の人が緑茶を持って来てくれた。冷えた手指と身体には非常に助かった。食べた後で湿ったフリースの下にカッターシャツを着たら、少し暖かくなり落ち着いて来た。お茶は好意で頂いたが、目の前に寄付金箱があったので、そこに1000円入れた。しかしこの価値はそんなものでは無いだろう。
お礼を述べて外に出ると、それまでの小屋に叩きつける様な雨は止んでいた。
しばらく歩くと少し暖かくなって来た。10時を過ぎて陽が上がって来たせいだろう。それまでの気温は多分東京の冬と同じ、10度以下だっただろう。山で冷雨に当たると身体が冷えて動きが鈍くなり危険だが、この様に秋雨に対する防御法をもっと学ばねばならないだろう。そう言えば、左足の靴の中が既にグチャグチャに濡れている。水曜日には全く濡れなかったのに何故か?ハイマツから中に入ったのか?スパッツをつけている人がいたが、それはこの為か?歩いているうちに右足も濡れて来た。ゴアの機能が劣化したとすると少々悲しい。まだ買って2回目の雨だ。
野口五郎岳の後の主なピークは、三ツ岳だ。これも真砂岳同様コースは巻いている。しかし先程からガスが一部晴れて、昨日登った赤牛岳や遠く薬師岳まで見えて来た。こうなったら三ツ岳は直登ルートでも登ってみることにする。三ツ岳は3つのピークから成ると言うが、一つ目はコースから外れてすぐに登れた。三角点のあるピークは、地図によれば三ツ岳の巻道が始まるところに直登ルートがあるはずだが、明確な踏み跡はない。仕方ないので、不明瞭な踏み跡を拾って登っているとだんだん明瞭になって来た。山頂にはすぐに着いて、ここには山名を記した標識が二つもあった。三角点も確認した。山頂にはかなり明確な踏み跡が巻道方向から登って来ており、もしかしたら巻道から分岐点があったのかも知れない。ここから地図では稜線沿いにルートがあるが、わかりにくいので、踏み跡を拾って巻道と合流した。
その後はダラダラとした下りになり、やがて樹林帯となった。右側に池があり、そこに降りる道を辿ると烏帽子小屋のテン場だった。池の脇のテン場なんて素敵だと思うが、誰も幕営していなかった。多分、小屋から遠いせいだろう。しばらく歩くと小屋に着いた。かなり年期が入っている。
夕方になるとだんだんガスが晴れて来て、烏帽子岳を始め、周囲の山が見えて来た。夕焼けも綺麗で、明朝の天気は保証済みだ。
8日目:烏帽子小屋⇒烏帽子岳⇒四十八池⇒烏帽子小屋⇒高瀬ダム⇒七倉⇒信濃大町
いよいよ下山日となった。外は快晴で、烏帽子岳登山日和だ。軽荷で小屋を出ると東の空から太陽が昇ったところだった。赤牛岳方面のモルゲンロートが美しい。烏帽子岳は岩峰で最後の登りは鎖場である。しかし、岩にはステップが切ってあったので、鎖なしで登れた。山頂は狭いが幸い他に誰もいなかった。展望は申し分なく、東の空の雲海から顔を出した浅間山は噴煙を上げていた。
さて、これから四十八池にも行くのであまりゆっくりもできない。下りは用心して鎖と使って降り、南沢岳方面に向かう。道は高層湿原の中となり、多くの池が楽しませてくれた。池には周囲の山が映っているものもあり楽しい。突然、池から水鳥が飛び立ってハッとすることもあった。下山する前に是非寄るべき場所だと思った。
さて、烏帽子小屋からの下りは、「北アルプス3大急登」と言われるように、どんどん高度を下げた。尾根の末端から烏帽子小屋まで1から12の番号が振ってある。登山口が12番である。途中、高瀬ダムや七倉ダムの一部が見える。また、南沢岳から不動岳にかけてのガレた山容が見えた。膝の軟骨は消耗品なので負担がかからないようにゆっくり降りた。部分的には足場の悪いところもあるが、危険な場所はない。最後は長い階段を経て登山口に降りた。ここからは白い砂の道である。途中、吊り橋があったが、下の川を見ると白濁した流れの中を岩石が転がっていた。
高瀬ダムには外国人の観光客が1組だけで、止まっていたタクシー2台のうち1台はその人たちが手配したものだろう。他の登山者は皆無でタクシー代の負担が大きいので、少しでも多く歩くことにして七倉に向かう。七倉隧道では、何十台ものダンプカーとすれ違う。砂混じりの空気を灰に吸い込みたくなかったので、ハンカチを口に当てて歩いた。割り勘が出来る場合は、高瀬ダムからタクシーに乗った方が健康に良いかも知れない。七瀬ダムから更に大町ダムまで歩こうかと思っていたが、トンネルでのダンプカーのすれ違いですっかりめげてしまい、七倉に1台だけ止まっていたタクシーに乗って信濃大町に行った。
今回は長期休暇をもらったため、日程が余裕があり、今夜は信濃大町泊まりとした。駅前のビジネスホテルにチェックインには早いので、荷物を預けて蕎麦屋に行った。やはり下界で食べる蕎麦は絶品だった。富山も信濃大町もこの時は緊急事態宣言もマンボウの対象では無かったが、お店の閉店時間早く夜8時までだった。信濃大町ではスナック等は営業しているところもあったが、多くが地元以外の人はお断りと入口に書いてあった。居酒屋で信州の地酒を楽しんで最後の夜を楽しんだ。
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