北アルプス南北全踏破‼️中の湯 ⇨ 親不知、テン泊縛りの13日


- GPS
- 112:12
- 距離
- 145km
- 登り
- 14,343m
- 下り
- 15,627m
コースタイム
- 山行
- 7:16
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 8:06
- 山行
- 6:10
- 休憩
- 2:23
- 合計
- 8:33
- 山行
- 5:18
- 休憩
- 0:45
- 合計
- 6:03
- 山行
- 9:39
- 休憩
- 1:48
- 合計
- 11:27
- 山行
- 8:21
- 休憩
- 0:41
- 合計
- 9:02
- 山行
- 8:27
- 休憩
- 0:40
- 合計
- 9:07
- 山行
- 6:09
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 6:39
- 山行
- 8:03
- 休憩
- 1:23
- 合計
- 9:26
- 山行
- 7:13
- 休憩
- 1:04
- 合計
- 8:17
- 山行
- 8:55
- 休憩
- 1:19
- 合計
- 10:14
- 山行
- 7:34
- 休憩
- 0:04
- 合計
- 7:38
- 山行
- 7:11
- 休憩
- 0:49
- 合計
- 8:00
- 山行
- 7:18
- 休憩
- 0:51
- 合計
- 8:09
天候 | 行動時間中は基本晴れ。テントを張ってからはたまに激しい雷雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
北アルプス南北全踏破 Day0 7月29日(土) 自宅〜バスタ新宿〜中の湯 「いざ中の湯」 日中、普段ほとんど被らない帽子を近くのモンベルに見に行った。ここまでの長期縦走では「日焼け対策が大事」という当たり前のことを妻に言われたからだ。理論的には「hat」がbestなのだが、店頭に飾られているかっこいいhatを被ってみると絶望的に似合わない。一方でcapはそれなりなのだが、これではほとんど日焼け対策にならない。その中で、昔の軍人が被っていたようなcapの後ろに日除け布が付いた「サハラキャップ」が目に付いた。これも中々似合わないのだが、ヘルメットとの相性もhatよりも格段に良い。また、日除け布を帽子の中に収納できるようになっていたこともあり、悩んだ挙句購入した。皮膚の日焼けもそうだが、頭皮の日焼けもバカにならず、UVカットが付いていたのも決め手になった。 今回は初の公共交通機関での北アルプスなので、睡眠不足の心配はしていなかった。買い物後はゆっくり荷物の最終確認をしながら時間を使う。一瞬クライミングジムに行こうかなとも思ったが、足をくじいたり、手の皮がずる剥けになるのが落ちなのでやめておいた。アイテムの重量をヒステリックに量り、パックウェイトは21キロ台を予想していたのだが、全部荷物を詰めたEXPEDITION PACK80を担いで体重計に乗ると、23圓砲覆辰討い拭「なかなかの量やな…」 夕食を食べ、お風呂に入り、妻に最寄りのJRの駅まで送ってもらった。あまりにも巨大な荷物を持っているので、「グリーン車で行こうかな?」と妻に言うと、「この時間は普通車でもガラガラよ!」と言われ、「そうか...」と普通車に乗る。車内は確かにガラガラで、隣の席にザックを置いた。しばらくは快適だったが、横浜駅で大量の乗客が乗ってきて、あっという間に満席になってしまった。仕方がないのでザックを床に降ろし、ずっとザックを手で押さえながら新宿駅まで我慢した。「やっぱグリーンやったやん…」。あまりにも場違いな出で立ちが恥ずかしかった。 それでもバスタ新宿に着く頃には自分と同じ格好の人で溢れ返っているものだと信じていた。しかし、実際は全く違い、僕は完全に浮きまくっていた。登山者風の人達もせいぜい小さいザックを背負っている程度で、自分の様な80L級の巨大ザックを背負っている人は皆無だった。「なんでなん...?」。まだ若い人ならまだしも50歳前のおっさんが「これはキツイ」と、我ながら恥ずかしい。外はかなり暑かったので、みんな建物の中でギリギリまで自分のバスを待ち、建物内はとても混雑していたので、僕は早々にC9のバス停まで歩いて行った。さすがに外は人が少なく、ガラガラのベンチにザックを下ろし、その横に自分も座った。バス出発時間の30分程前に着いていたので、初めて乗る高速バスに少し不安になりながら、「マルクスアウレリウスの自省録」を読みながら時間を潰す。猛烈につまらない本だった。山で独りで読むと味わいが出るかもと思ったが、テント内で読むことは一度もなかった。 先発のバスが何台も出発して行った。出発の15分前頃、恐らく自分が乗るバスが到着した。しかし、モバイル乗車券(単なるPDF)に記載されている出発の10分前になるまで本当になんのアナウンスもなかった。バス停前もかなり乗客で混雑してきたので、バス停に並びたい衝動に駆られたが、どっちを先頭にして並ぶかも分からない。その時、なにやら、ややこしいアナウンスが突然入ったので不安になり、そこにいた係員の若い兄ちゃんに自分のチケットを見せた。「このバスはここでいいんですか?」。チケットを見ながら「ここでいいですよ」と兄ちゃんが答える。どうやら3列シート(ちょっといいバス)の場合は並ぶ場所が少し違うというアナウンスだったのだが、僕のバスはスタンダードの4列シートだった。 22時15分ぴったりに荷物を預け、バスに乗り込んだ。「高速バス」と聞いて勝手にラグジュアリーなシートを想像していたが、全く普通のスーパーエコノミーシートだった。少しリクライニングできるがかなり狭い。「これはキツイなぁ...」。運転手のアナウンスによると、出発後、まず談合坂で休憩、諏訪湖インターで時間調整(基本、乗客はバスから降りられない)、最後に新島々バスターミナルで休憩があるという。隣に座った人は手慣れた手つきで乗り物用のピローを取り出し、万全の睡眠体制を整えていた。一方で僕はなんの用意もなく、確かに枕なしでは頭の納まりが悪く、休憩のタイミングが中途半端なことと相まって、ほとんど熟睡できなかった。バスは定刻の翌朝5時過ぎに中の湯バス停に到着した。 Day1 7月30日(日) 中の湯〜西穂山荘 「遂に焼岳」 バスを降ろされた場所には中の湯の分所のような建物があった。ちょうど釜トンネルの前だ。なぜだかここで降りたマイナーな登山者は、僕以外は全員ソロの女性だった。守衛のおじさんに「新中の湯登山口はどう行ったらいいですか?」と聞き、細かく説明を受ける。車道をゆっくり歩き始めた。ちなみにここからすぐの「旧」中の湯登山口は最近は整備されておらず通らない方が無難だ。安房トンネルの少し手前を右におれ、安房峠のくねくね道路を歩いて行く。程なく、「中の湯温泉」に到着した。その前の道路脇にも車が止まっていたが、「ここは焼岳登山口の駐車場ではありません。峠道を約3分上がった所にあります。」という看板が立っていた。 さらにしばらくくねくね車道を上がって行くと、「9号カーブ」の青い看板が壁に張られている所で、グループ登山者達が、カーブにあるカードレールの隙間から山に入っているのが見えた。「あれ?まだルート的には山に入るのは先(11号カーブ)だけどなぁ...」と思い、彼らには従わずそこをスルーしてしばらく歩く。しかし、あまりにも遠回りの迂回をしている車道だったので、そのガードレールの隙間まで引き返した。隙間から山に入ってみると、しっかりとした木の階段が上に続いた。しかも下を見ると、下からも木の階段が続いているのが見えた。「もっと下から山に入れたんか...」。しばらくその木階段の道を歩いて行くと、先ほどの看板に出ていた駐車場に合流した。先程のグループ登山者達もまだそこにいたので、「これ、ショートカット道なんですね!」と声を掛けると、「そうみたいですね😃」と彼らもたまたま気付いたような感じだった。 その駐車場の前に「新中の湯登山口」の道標があり、午前6時半にそこから入山した。序盤は普通の低山の登山道、途中から大きめの岩が出てくる。やはり標高が低いだけあって、かなり暑く汗がだくだく出た。タオルで頻繁に汗を拭いながら登って行く。焼岳が近づいてくると、噴煙が激しく出ているのが目に入った。やはり天気のいい日曜日とあって、たくさんの登山者が焼岳を目指していた。荷物は重かったが、それなりにみんなをパスしながら登って行く。南峰と北峰との稜線に乗ると、前方に噴煙、振り返ると厳つい南峰が見えた。更にちょっとした岩場を行くと、焼岳山頂直下のコルに到着した。この時はいまいち今後のルートが分かっていなかったが、本当はここを左に上がると焼岳、この先のルートは右なので、ここにザックをデポするのがベストだ。僕はそうとは気付かず、重いザックを背負ったまま焼岳山頂へと向かってしまった。 そこからすぐ、午前9時頃焼岳(2444m)山頂に到着した。なかなかチャンスのなかった焼岳に遂に登頂した。山頂は猛烈に混雑していて、この山の人気の程を確認できた。この先西穂山荘まで縦走している人はあまりいなかったので、やはりサクッと登れる眺望のいい山ということで人気なのだろう。ここからはちょっといつもと角度の違う西穂高岳から奥穂への稜線、そして前穂への吊尾根がキレイに見える。笠ヶ岳から槍ヶ岳、また、先日登ったばかりの乗鞍岳もすっきり見えていた。 山頂で少し休憩し、またさっきのコルに戻って来た。ここから焼岳小屋にかけてかなり下る。そしてそこそこ危ない。なかなかキツい下りも、前方の槍ヶ岳から西穂・奥穂の景色が最高で気持ちいい。進むにつれて登山者も減ってきて、文句の付けようのない稜線歩きになって来た。もしかしたら焼岳の山頂直下から下りも含めてヘルメットを着用するのがセオリーかもしれないが、ついついノーヘルで歩いてしまった。かなり手前から西穂山荘が視界に入っているのだが、ここからのアップダウンの道程があまりに分かりやすく見え、まだまだ先が遠いことを認識させられた。 午前10時20分頃、焼岳小屋に到着した。うまいものがあれば何か食べたいと思っていたが、かなり質素な小屋で、カップヌードルくらいしかやっていなかった。ビールは売っていたものの、この後もキツイ行程が続くので自重した。この焼岳小屋からしっかりとした登りが始まる。焼岳小屋の標高が2075mで西穂山荘が2333mなので、分かってはいたのだが、なかなか斜度がキツい。しかも樹林帯でほとんど眺望もなかった。西穂山荘への分岐を越え、何とか最後の急登を登っていた。すると後ろから熊鈴の音が近づいてきているのに気が付いた。背の高い若い男性登山者が必死の形相で登っている。それを見て、「俺も頑張らな…」と、彼に抜かれる前にテント場に到着した。時刻は午後1時半頃だった。テント場は小屋より少し下にあり、小屋へ続く階段の途中で右に折れて合流する。あまり広くないテント場で、この時間でもそこそこ埋まっていて、残りのスペースは僅かだった。午後2時のラーメン締め切りに向けて、高速でテントを粗方張り、受付に急行した。西穂山荘は名前と住所以外は小屋番が登山者に質問しながらキャンプ届を書いてくれる。 小屋番:「次の行き先はどこですか?」 Ttm:「穂高岳山荘です」 小屋番:「その先は?」 Ttm:「南岳小屋です」 何故だかこの小屋番はしつこかった。 小屋番:「その次は?」 Ttm:「三俣山荘です」 この辺りから小屋番は察してきたようで、 小屋番:「とすると…最後まで?」 Ttm:「はい、ゴールは親不知です」 小屋番:つとめて冷静に「はい、分かりました」 ちょうど、さっきの若者も横で幕営の注意事項を聞かされていて、「親不知まで行くんですか⁉️」と後でびっくりしたように質問された。彼はかなりワイルドそうに見えたが、明日は西穂をピストンして下山と意外にライトプランだった。 テントの受付が終わると、急いでラーメンを注文した。2時の10分前と、ぎりぎり滑り込みでセーフだった。「ちょっとまだ設営途中なんで、5分くらいテント場に戻ってもいいですか?」「いいですけど、ラーメンはもう作り始めますよ。多分5分はかからないです」 急いでテント場に戻り、レインフライを取り付けていると、「味噌ラーメンのお客様!」と上から大声で呼ばれ、「はーい‼️」と大きく返事をして、走って小屋に戻った。 ラーメンとビール500mlをあっという間に平らげた。メニューを見ると他にもそそられるメニューがあった。あぶりチャーシューともつ煮込みだ。本当は明日のジャンダルムに向けて、食料を消費して荷物を減らさないといけない所だが、我慢できずに両方注文した。それもあっという間に平らげ、テント場に戻った。しかし、低い標高と猛烈な太陽の日差しに、とてもテント内にいれたものではなかった。みんな同じようで、テント泊者たちは小屋まで上がって来て日陰で涼んでいた。僕もそれに倣い、日陰でゆっくりと疲れを癒す。本当は丸山辺りまで行こうかなとも思ったが、「まだ初日、体力を温存するのが得策ちゃうか?」と、涼しくなってからはテントに戻り、明日の核心への不安を地図をみながら鎮めようとしていた。 Day2 7月31日(月) 西穂山荘〜穂高岳山荘 「ジャンダルム、ウマノセ、序盤の核心」 ガーミンFENIX 7X PROの振動で午前2時に起きた。今回の山旅は基本2時に起きて4時スタートだった。ジェットボイルに水を400ml程入れ、ライターで火をつける。今回はジェットボイルの燃費のよさを改めて実感した。一番小さい100gガス缶で、11日目くらいまで持ってしまったからだ。ガス不足を恐れていた僕は、予備に230gガス缶を持ってきていたが、完全にオーバースペックだった。そして全然沸騰していない段階で棒ラーメンを入れる。本当は沸騰してから3分茹でるのだが、沸騰してから入れると、火加減ができないジェットボイルでは、すぐ湯が吹きこぼれてしまう。微妙につまみ調整をしながら辛うじて1分ほど茹でる。火を止めてからも、しばらく麺を箸でほぐし続ける。朝は、ほぼ毎日棒ラーメンで、このルーチンだった。 テントの撤収を終え、4時少し前にスタートした。雨も降らず結露もなかったので、スムーズに撤収が終わった。大体この時間帯のスタートなので、テント撤収を始める3時過ぎから日の出前の5時くらいまで、毎日2時間ほどヘッデンを使用した。これで、マイルストーンMS-H1で、最初にセットした3本アルカリ電池が9日間持った。少し明るさが足りなくなってきた気がしたので、不帰ノ嶮に行く10日目に新しい電池に入れ換えた。自宅に戻ってから確認すると、最初の3本の内2本はまだ十分に残量が残っていた。やはり、付属のリチウムバッテリーより、アルカリ電池の方が持ちが圧倒的にいい。 まだ暗いうちに丸山に到着した。この少し前にザイルを持ちハーネスを装着したシニア3人組をパスした。その後、独標までの間に昨日の若者に逆にパスされる。さすがに軽荷なので速い。彼は結局、西穂高岳ピストンだけではなく、間ノ岳まで行って引き返してきたようだ。「もう少しでジャンダルムなのに...」と悔しがっていたので、間ノ岳辺りの方が浮き石が多く危険で、ジャンダルムは安定していてそんなに危険ではないと教えてあげた。 特にヒヤリハットはなく、西穂高岳に登頂した。今年の1月に西尾根から登頂して以来、約半年ぶりの山頂だった。 (https://yamap.com/activities/22118648) この日も引き続き最高の天気で、どこを見ても絶景を楽しむことができた。前方の奥穂から前穂の吊尾根、左前方の槍ヶ岳、ここからは横広さが強調される笠ヶ岳。もちろん振り返れば、焼岳、乗鞍岳、霞沢岳もばっちりだ。さあ、ここからが本番だ。 すぐに次のピークP1に到着した。今日は天気が最高なせいか、かなり多くの登山者が西穂より先に入っていた。P1には「西穂高岳⇔奥穂高岳 一般登山道ではありません。経験者向けの難ルートです」の注意書きがある。このP1から一気にルートが厳しくなるので、ここにこの警告板があるのだろう。 P1からすぐに鎖のついた急激な下りをやる。かなり厳しめの下りだ。その後の難所は間ノ岳への登りと記憶していた。道が不明瞭で、浮き岩が多数あるからだ。しかし、この難ルートにもかなり整備が入っている印象で、間ノ岳への登りで前回不明瞭だった所に、しっかりとペンキで左への白矢印が追加されていた。前回来た時はこの矢印がなかったため、そのまま直登してしまい、大岩が崩れそうになり肝を冷やした。 矢印に従い左に曲がり、そこから直登していく。随所に新しく塗り直された〇があり、ルートが極めて分かりやすい。かなり難易度が下がっている雰囲気だった。特に浮き岩の恐怖を味わうことなく、無事に間ノ岳へ登頂した。時刻は8時前だった。数人の登山者達が休憩していて、狭い山頂は混雑していた。ここが混雑しているなんて、あまりない光景なのではないだろうか? ここから間天のコルにかけての下りで、ひどい渋滞が発生していた。間隔をできるだけ開けながら下っていく。本来なら落石の危険があるので、前の人が全部下り切ってから次の人が行くようにした方がいいだろうが、あまりの登山者の数にそうも言っていられない。この時、大多数の先行登山者は先を譲ってくれ、アンザイレンした3人組に追い付いた。彼らを丸山の少し手前でパスしたが、独標の手前でヘルメットを装着するのにもたついている時に追い抜かれていた。そのうちのリーダーがぴったり後ろに追い付いて来た僕を見て、「先に行かれますか?」と聞いてくれた。ただ、彼らは軽荷で僕はフルフル23埣瓦い製轍戮世辰燭里如◆屬匹Δ任垢ね...、多分同じくらいのスピードじゃないかなと。どうでしょう?」と答えづらい返答をすると、「分かりました。ではしばらく我々が先に行きますね」と言いながら、先行してくれた。しかし、ついつい差を詰め過ぎたようで、5分もしないうちに3人の一番後ろの人が、「先行ってもらおう」とリーダーに声を掛け、ここで3人をパスさせてもらった。 間天のコルから天狗岩への間にあるのが「逆層スラブ」だ。断層が逆になっているので、とっかかりが少なく登りにくい。しかし、岩が乾いていれば、そのつるつるの一枚岩にもそれなりにフリクションが効き、随所に岩の割れ目があるので、特に難しさはない。おまけに、しっかりと鎖が垂らされいて、それを使えばなお安心だ。僕は全く鎖を使わずに上がって行った。逆層スラブも終盤にさしかかる頃、上から見覚えのある年配の男性と若いきれいな女性2人の3人パーティーが現れた。その男性は元気に「何人?」と質問してきた。「一人です」というと、「あー、ならお先にどうぞ!」と立ち止まってくれた。そして、少し近づくと、その男性が誰だかはっきりと分かった。YAMAPでフォローしているコヨゥテさんだった。「コヨゥテさんですよね?」と声を掛けると、「そう!」。サハラキャップ・ヘルメット・サングラスで全く誰か分からない見かけの僕は、「Ttmです」と名乗る。ただ、コヨゥテさんはともかく、若い女性2人を前にして、ええ歳こいたおっさんがTtmですと言わざるを得ない状況に、「変なユーザー名にするんじゃなかったな」とまた恥ずかしい思いをした。「おー!やっぱり会うんじゃないかと思ったんだよ!」と元気いっぱいのコヨゥテさんだった。上高地辺りに一泊で登っているとは聞いていたが、まさか西奥縦走をやっているとは思いもよらなかった。がっちり握手をしている姿を、その女性に写真に収めてもらった。「お互いお気を付けて」と別れながら、少し元気をもらうことができた。 8時半頃、天狗ノ頭(天狗岳山頂)に登頂した。ここでも僕以外に4人の登山者が休憩していた。2年前にここに来た時は、上高地の西穂登山口からだった。この時点で既にふらふらだったが、今日は西穂山荘からなのでまだまだ余裕だった。休憩せずに先を急ぐことにした。 ここからまあまあ急な下りを70mほどやり、「思い出」の天狗のコルに8時50分頃到着した。2年前の9月、1泊2日で西奥縦走にチャレンジした。穂高岳山荘に宿泊予定だったが、体力の消耗が激しく、ここでビバークを決断した。 (https://yamap.com/activities/13190269) しかも、ザックを下ろし何故か湿った中を確認すると、西穂山荘で調達した水3L が、ソフトボトルから漏れていた。ザックの中に全部ぶちまけられ、シュラフが水浸しになっていた。なんとか狭い場所に無理やりテントを張り、「水もなく、シュラフも使えなくてどうすんねん⁉️」と絶望的な気持ちでテントの中に居た午後5時18分、極めつけにM5.3最大震度4の大地震に見舞われた。すぐ下の天狗沢で岩雪崩が発生する。至る所で岩雪崩の轟音が鳴り響いていた。もし、あのまま縦走を続けていたら、ウマノセ辺りにいた可能性があり、あの時死んでいたかもしれない。天狗のコルは絶好の休憩ポイントになっていて、天狗沢側では、何人かの登山者がお弁当を食べていた。僕は少し思い出に浸ったものの、あまり休憩せずに先を急いだ。 ここからコブ尾根ノ頭までがかなり厳しい。急な登りが続き、〇も少なくルーファイ能力も試される。ちょうどその厳しい登りをやっている9時半頃、西穂高岳の方へ山岳救助隊の青いヘリコプターがひっきりなしに何度も往復していた。「何かあったんだろな...」と不安に思いながらも、自分の登山に集中した。後日ニュースを見ると、同日の午前6時40分頃、66歳の男性が西穂高岳付近で滑落し死亡した事故だった。驚いたのは、僕もちょうど同じ6時40分、西穂高岳にいたGPSログになっていたことだった。 2年前はコブ尾根ノ頭の手前でルートロスをしてしまったが、今回は分かりにくかったものの、順調にルートを見極めることができた。一見〇が見えなくても、正しいルートを行くと〇が見えてくるというパターンが多かった。有名なルンゼ状の険しい登りをやりしばらく行くと、遂に前方にジャンダルムの天使が小さく見えた。この辺りで一緒だった軽荷のかわいい女性2人組にも教えてあげる。彼女達は天狗沢から上がってきて、穂高岳山荘に小屋泊するようだ。運動神経の良さと軽荷で危険なルートをあっさりこなす典型的なスーパー初心者のように感じた。しかもここまで全く怖さを感じないと言っていたので大したものだ。 うれしくなる「ジャン→」のペンキに従いジャンダルムに登頂した。正面の奥穂高岳方面はかなりガスってしまったが、左前方の槍ヶ岳方面はまだきれいに晴れ渡っていた。今回は前回来た時よりかなり荷物が重く、焼岳から西穂山荘までもかなり苦戦したので、無事に登頂できてほっとした。ここからが本当の核心なのだが、取り敢えずジャンダルムをゆっくり楽しんだ。 ジャンダルムから下り、奥穂高岳側の壁を乗り越え、暫く危険な道を行く。ロバの耳辺りはかなり危ないので、岩をしっかり掴みながら慎重に進んでいく。すぐ前に軽荷のソロ男性2人がいたので、少し距離を取り、ゆっくり進んで行った。前回よりも長く感じながら、やっと「ウマノセ」にやって来た。前の2人は初めてチャレンジするようだった。しかし、やはりウマノセは安定していて、とっかかりが多いので「思ったより大したことがないね!」と2人は言い合っていた。ただ、足がやっと乗るくらいの細長い岩の出っ張りに足を掛けて行くのがセオリーなのだが、2人ともそこは使わず、左から回りこんでいるように見えた。僕は2年前と同様、セオリー通りそこに足を掛け、体を岩ヤセ尾根に引き上げ、しっかりと登って行った。 ウマノセを越え、少し広くなったところで、先を譲ってもらい、そこからは奥穂高岳までやっとリラックスして歩いていく。奥穂高岳周辺は登山者で賑わっていた。山頂の祠の上にいた女性3人に写真を撮るのを頼まれ、後で彼女達に自分の分も撮ってもらう。あまりに巨大なザックを持っていたので何人かに話し掛けられた。まだ2日目とは言うものの、親不知まで行くというプランを話し、一様に驚かれた。「まだ始まったばかりなので、親不知が目標なだけです」と説明しながら、去年の自分なら同じく驚く側だったことがなんだかおかしかった。 ここからも穂高岳山荘までは結構長い。慎重に長い下りをやり、山荘手前で荷揚げのヘリコプター待ちをし、小屋をスルーし、直接テント場に向かう。穂高岳山荘のシステムは、まずテント場の空きスペースの確保だ。なんなら先に張っても問題ないだろう。そして場所を確定させてから受付に行く。しかし、まだ受付の列に並んではいけない。手前の棚にあるキャンプ届けに記入してからだ。さもないと、長く並んだ後、「まずキャンプ届けを記入してください」とだけ言われ、また列に並び直すことになる。穂高岳山荘はおそらく北アルプスの山小屋の中で唯一クレジットカードが使える。非常に便利だ。しかし、ここのテント場は一番上のヘリポートに近い場所以外は異常に狭い。張り綱をしっかり張るのは至難の技だろう。 テントを張ってから、ゆっくり受付に行った。テント代を払い、夕食のお弁当を2800円でお願いした。2年前はこのお弁当を取りに行く間に、ヒョウ混じりの豪雨に降られた。レインフライを閉めていなかった為に、テント内がびちょびちょになったのが懐かしい。今回は、万全の態勢で、傘まで持って弁当を取りに行き、小屋前の石のテーブルでおいしくいただいた。明日も引き続き、北穂高岳側からの大キレットと核心が続く。しかも雨が降るかも知れない予報だった。テント場に戻り、不安に思いなからも、隣にテントを張っていたベテランのシニア登山者との会話を楽しんだ。僕が親不知まで縦走すると言ったら、いろいろ昔の冒険の話を聞かせてくれた。日没が迫ってきたので、彼に挨拶をし、テントの中に潜り込んだ。 Day3 8月1日(火) 穂高岳山荘〜南岳小屋 「北穂発大キレットの恐怖」 午前2時に体を起こした。昨日今日とあまりしっかりとは寝れなかった。雨は今のところ降っていないようだ。雨雲レーダーで確認すると、少なくとも暫くは降らない予報だった。また棒ラーメンを作り、体を暖める。西穂山荘では全く寒くなく、ダウンパーカは無用だったなと思ったが、やはりここでは重宝した。 さっとテントを撤収し、テント札を返しに小屋に向かいつつ、トイレでスッキリする。この山旅では排泄がスムーズにいったのがラッキーだった。既に起きていた隣のベテランに挨拶をし、4時過ぎにブラックスタートした。2月の下旬に歩いた道なので、迷わずに登っていく。途中初心者のシニアの夫婦に、「付いていってもいいですか?」と言われ、「僕も適当ですよ」と言いながらも、マークは明瞭だった。 すぐに涸沢岳の山頂直下に到着した。何回目かだが、律儀に山頂まで登ってみた。ここからは稜線伝いに行く。夏道の入口は右手にあると知っていたので、右を注視しながら歩いて行った。しばらく行くと、分かりやいカクンと右に折れた矢印が足元の岩に書かれている所にやって来た。矢印の上にはちゃんと「北ホ」と書かれている。 この先の下りはかなり危険だと知っていたので、ここで一旦一息つく。時刻は午前4時40分頃で、辺りは大分明るくなってきていた。振り返ると昨日は後半ガスっていたジャンダルムがキレイに見えた。しかし、夜明け前の蒼い色に浮かび上がったジャンダルムは、強風と相まって僕の恐怖を少し助長した。「さぁ、慎重に行くしかないよな...」 ここからは異常なまでに慎重に下って行った。危なげな鎖の垂直の岩場を下り切り、上を見上げる。「これ、ホンマに危ないわ...」。そこからはザレてはいるものの、少し落ち着いて歩ける。前方には厳つい北穂の頭と、その先にもうしっかりと槍ヶ岳が見えていた。なんとも荒々しい光景にため息が出る。何度も倍率と構図を少しずつ変えながら写真を撮ってしまった。右手にはまだ少し残っていた雪渓の先に、前穂北尾根のノコギリ稜線が見えた。 しばらくすると、また危なげな鎖場が連続する。「これ、怖いよ〜」とひき続き猛烈に警戒しながら下って行く。涸沢岳から北穂高岳までは、実は大キレットよりも難易度が高いと言われるが、全くその通りだと今回も感じた。相変わらず荒々しい北穂を見つめながらも、右手に常念岳も見えていることに気が付いた。眼下には涸沢ヒュッテらしき建物も見える。風は引き続き強いものの、天気は何とか持っていた。5時半頃になると太陽が明るく登山道を照らし始めた。上部はぶ厚い雲に覆われていたが、眺望は悪くなかった。 最低鞍部に到着し、一旦ザックを下ろし休憩した。コルなのでさらに風が強かった。でも天気は引き続きいい。さらに先を行くと、誰かのレコで触れられていた危険地帯「奥壁バンド」を示す白い木の板が出てきた。「滑落多発エリア、慎重に通過してください」とある。2年前に逆向きに歩いた時には全く気付かなかった。もしかしたら最近設置された看板かもしれない。今回、ルート全般にかなり整備が入っている印象を受けた。コロナ明けを受けての事かも知れない。警戒看板はあったものの、岩にとっかかりが多いせいか、鎖は一切かけられていなかった。危険度もこれまでの下りの方がよっぽど上なので、特に問題はなかった。 奥壁バンドから40分程で北穂高岳南峰に登頂した。時刻は午前6時50分頃だった。北穂の山頂標識は引き抜いて担げるということを最初に来た時は知らなった。今回は山頂標識を体の前で抱えてみた。天気は相変わらずぎりぎり持ちこたえていて、前方に大キレット越しの槍ヶ岳がキレイに見えていた。さすがにこの時間なだけあってひっそりとした山頂で、少し後から男女のペアが1組来たのみだった。雨が気になるので、休憩もそこそこに南峰を出発した。少し下ると北穂高岳小屋があり、その辺りが北峰のようだ。小屋の前を通る時、モーニングコーヒーの販売をしているのが目に入った。なんとも旨そうな香りを漂わせていて、よっぽど飲んで行こうと思ったが、今にも降り出しそうな空を見ながら、泣く泣く諦めた。「できるだけ早く大キレットを越えないと…」 恐れていた通り、北穂高岳小屋を越え大キレットに入ってすぐ、雨がぽつぽつと降り始めてしまった。まだ降り始めなので岩はあまり濡れてはいなかったが、このまま降り続けると嫌な岩のコンディションになってしまうだろう。すぐにすれ違ったシニアソロ男性からも「雨が始まっちゃいましたね...」と声を掛けられた。彼が南岳をスタートした時には全く雨は降ってなかったという。少し安心できたのは、槍ヶ岳方面の空がまだ明るいことだった。結局、雨が降っていたのは北穂を越えてすぐの辺りだけで、それ以降はコンディションが悪化するような雨に見舞われることはなかった。 大キレットは、南岳スタートより北穂高岳スタートの方が遥かに難易度が高いと言われている。2年前にチャレンジした時は、それを知っていたので、簡単な南岳側からスタートした。 (https://yamap.com/activities/12190996) 確かに「え⁉️これ行くん...?」という危険そうな岩峰には大体巻道が付けられていて、その時はほとんど怖さを感じるところがなかった。北穂高岳近くにある「飛騨泣き」には気付きもしなかったほどだ。しかし、今回は、序盤からA沢のコルまでが非常に怖かった。特にすぐに出てくる飛騨泣きは、「飛騨泣き、真面目に泣くわ‼️」と叫ばずにはいられなかった。ちなみに、長谷川ピークなどの各要所には、新たに小さい茶色の木の道標が設置されていた。飛騨泣きを越えて少しした頃、男性2人パーティが登って来た。かなりざれた斜面で慎重にかわすタイミングを見計らう。すれ違いざま、「もうすぐ飛騨泣きですよね?」と聞かれ、「はい、下りは物凄く怖かったですが、登りはとっかかりを掴んで登るだけなんで問題ないですよ」と答えると、2人とも安心しているようだった。 A沢のコルで一旦ザックを下ろして休憩する。2年前もここで休憩した。その時知り合った若い男性2人パーティーと3人で連なるように歩いた記憶が蘇ってくる。 この先、長谷川ピークの手前くらいで男性ガイドと彼にガイドされた女性登山者の2人組とすれ違った。ガイドの男性はかなり手前から道を譲ってくれ、すれ違う時も「ゆっくり、ゆっくり」と手でジェスチャーしてくれた。そして、「この先、6人が固まってます。韓国人で日本語通じないです」と教えてくれた。槍ヶ岳までは、この韓国人ツアー客がかなり存在感を発揮していた。彼らに山頂標識を囲まれると、なかなか順番は回って来ないだろう。またグランツーリズムという大人数を超少ない人数でガイドするツアーの団体もいた。彼らはかなり危険な場所に出没することもあり、事故の元にならないかと心配だ。 彼が教えたくれた通り、長谷川ピークのすぐ手前で韓国人の団体が停滞していた。あえて停滞しているというようよりも、メンバーの中の何人かが疲れてしまい、進むのが嫌になっているような感じだった。メンバーのうち、女性が1人だけ日本語で、「お先にどうぞ」と声を掛けてくれた。彼らを注意深くかわし、長谷川ピークにやって来た。長谷川ピークは登山道からすこし外れた岩に「Hピーク」と書かれているので、2年前は気付かずに少し行き過ぎてしまい、わざわざ戻ってきた。今回はすぐ目に付く所に、「長谷川ピーク」のプレートが付けられていて、すぐ気付くことができた。そして、長谷川ピークの斜めになった平らな岩に、先程の韓国人団体の2人が座って休憩していた。彼らはここが長谷川ピークと分かっていないようだったので、「ここ、長谷川ピークですよ!」と教えてあげたが、笑いながら「ハセガワピーク、ハセガワピーク」と繰り返すだけだった。英語でも説明してみたが日本語も英語もだめなようだった。 その後は順調に最低鞍部を越え、前方に南岳の厳つい獅子鼻岩の岩峰が目立つようになってきた。もう後は猛烈に登り返すだけだ。物凄く長い梯子を2回登り、大キレットを無事にやり切った。やはり同じルートでも反対側から来る価値はあると感じさせるチャレンジだった。今日の行程はこれで終わりだ。振り返って見れば今回の山旅で一番短い行動時間だった。南岳小屋に到着したのはまだ午前10時15分頃だった。当然誰もまだテントを張っていなかった。小屋前のテーブルには若い登山者らしき人達が5、6人座って談笑しいていた。後から知ったが彼らは南岳小屋の小屋番達だった。朝の仕事ピークを終え、昼時のピーク前に休憩していたのだろう。選びたい放題のテント場で、ここかなという平らな広い場所にザックを置き、テントの受付に向かった。その、若い兄ちゃん達に、「南岳小屋の方ですか?」と声を掛けると、「はい」というので、「テントの受付をお願いします」と言うと、リーダー格の男性が受付をしてくれた。とりあえずビールを買いながら、「軽食はやってますか?」と聞くと、「はい、この後10時半からです」と、改めてかなり早い時間に小屋に到着したことを知った。「2日連続で危険コースを行ったから、まあこれくらいでちょうどいいだろう」 この後、すぐにテントを張り、10時半を過ぎたので水を調達しつつ、軽食を食べに小屋へ向かった。少し迷ったが、一番高い「槍カレー」を注文した。出てくるまでかなり長い時間かかっただけあって、満足できる味だった。今回、スマホの電源をどう確保するかがメジャーな懸念事項だった。ソーラーパネルを持ってきてはいたが、やはり小屋で充電させてもらうのが確実だ。その意味で南岳小屋は優秀だった。受付の右手に充電コーナーがあり(30分毎に100円)、ちゃんと充電することができた。また、あまり人がおらず、軽食を食べるテーブルから見える位置に充電コーナーがあり、スマホを置きっぱなしでも、ちゃんと見ておくことができる。しかも近くに本棚があり、「岳(がく)」などの漫画を読みながら待つことができた。穂高岳山荘にも同様の充電コーナーがあったが(1回200円)、かなり長い時間モバイルバッテリーを繋いでいたが、ほとんど充電されなかった。かつ、テーブルから直接見えない場所にあるので、頻繁に確認しにいかなければならず、難儀した。三俣山荘や白馬頂上宿舎などは、テント泊の登山者には充電コーナーを開放すらしていなかった。 ゆっくり時間を使いながら、1時間半ほど充電させてもらった。テント場に戻りうとうとしていると雨が降り締めた。この3日目以降、毎日夕方の雨に悩まされた。テントが全く乾かないからだ。かなり激しく降っていたが、4時過ぎにはまた晴れ間が出始めた。しかし、気温はグッと下がってきて10度くらいだったので、またアルパインダウンパーカが活躍した。最初は僕以外誰もテントを張っていなかったが、この頃には僕以外に3人テントを張っていた。ソロの男性と二言三言言葉を交わした以外は、残りの時間をゆっくりテントで過ごした。 Day4 8月2日(水) 南岳小屋〜三俣山荘 「槍ヶ岳と初の西鎌尾根の最長行程」 午前4時20分頃、出発の準備が整った。昨日会話を交わしたソロの男性に、「早いですね、今日はどちらまで?」と聞かれ、「今日は三俣山荘までです」と言うと、「あ、大変ですね!お気をつけて」と送り出された。そう、南岳小屋から三俣山荘まではそんなにイージーではなかった。双六小屋までの方が適正な行程かもしれない。ただ、双六小屋はどうにも眺望が冴えず、水も豊富で眺望も抜群な三俣小屋で幕営したかった。またテン泊者にも夕方を提供してくれるのもいい。 まだ暗いうちに南岳に到達した。ヘッドライトで照らしながら山頂標識を写真に収める。ここからは最高の稜線歩きだ。前方にはこれでもかという程槍ヶ岳が見える。パノラマ銀座の眺望も最高だった。天狗原への分岐当たりで日の出を迎えた。完璧な天気だった。 ここから中岳・大喰岳と、槍ヶ岳へと繋がる稜線を気持ちよく歩いた。所々、少し危険な下りがあったが、昨日や一昨日に比べれば心休まる登山道だった。中岳か大喰岳だったか忘れてしまったが、また大量の韓国人観光客に山頂標識が占拠されていた。待っていると日が暮れてしまうので、「ちょっと写真だけ撮らせてください!」と、強引に割り込み、先を急ぐ。 結構距離があるのだろうが、最高の眺望に支えられ、あっという間に槍ヶ岳山荘に到着した。飛騨乗越からの、テント場を縫うように登る最後の登りはそこそこキツい。槍ヶ岳山荘に到着し、山荘の入口横の奥まったテーブルにザックをデポした。何度来ても、やはり槍ヶ岳山頂を目指す。そういえば、少し前に山頂で登山者グループが奇声を上げていた。シーズンだから仕方がないが、もっと静かな山をみんなが楽しめるよう配慮して貰いたいものだ。 ヘルメットを付け、槍ヶ岳への登山道を上がって行く。3月21日に日帰りで飛騨沢を詰めて以来だ。 (https://yamap.com/activities/23134335) この槍ヶ岳山頂までの道はとてもよく整備されていて、見た目よりも危なさはない。基本、小学校高学年程度の体力で楽に登る事が可能だと言われている。初めて登るまではビビりまくっていたのが懐かしい。かなり上部まで登った辺りで、上からソロ男性が下りてきた。「今、山頂空いてるよ、ラッキーですよ!」と教えてくれる。先程奇声を上げていた輩はもういないと知り安堵した。 そこから長い階段を2つ登り、槍ヶ岳山頂に登頂した。時刻は7時40分頃だった。先ほどの彼の言った通り、山頂には3人ほどしか登山者がおらず、その内の2人は恐らく韓国人だったが、珍しく静かな人たちだった。祠の方へ行くと、「槍ヶ岳」の板が新しくなっている。祠の右手から北鎌尾根を覗き込む。「よう、こんな所登ってきたな...」。去年の9月の山行を思い出した。(https://yamap.com/activities/19834437) 途中で先を譲ってくれたかなり高齢の男性登山者も山頂に上がってきた。すぐに祠の前で写真を撮ってほしいと頼まれた。数えきれないほどここには来ているらしいが、やはり毎回証拠写真がほしいそうだ。写真を撮ってあげた後、僕も彼に写真を撮ってもらった。彼は「タッチスクリーンが効かない」ほど指先の乾燥がひどい年齢だったから、ある意味なかなかの猛者だった。今日はここからもかなり長い行程が残っているので、早々に山頂を後にした。 小屋前に戻って来ると、軽食を期待して一旦小屋の中に入った。しかし、まだ時刻は8時過ぎで、ちゃんとした軽食は11時からだったので、行動食だけ食べて先を急ぐことにした。ちなみに槍ヶ岳山荘にも誰でも使える充電コーナーがあった。でも、人が多すぎてゆっくり充電できるような雰囲気ではなかった。ここで、外のテーブルでソーラーパネルをザックに取り付けた。また初めて歩く西鎌尾根なので、引き続きヘルメットを着用する。槍ヶ岳山荘と槍ヶ岳の取り付きの中間地点にある「双六・笠ヶ岳 西鎌尾根」の道標を左に曲がり、西鎌尾根を下り始めた。すこしざれているが、特に危ない雰囲気はなかった。ただ、みんな槍ヶ岳方面へ登ってくる登山者ばかりで、一様に苦しそうな表情だった。下りではあまり感じなかったが、かなりキツイ登りのようだ。後から考えれば斜度というよりも、単純に長いのだろう。ぼくも想定以上に西鎌尾根で時間を使ってしまった。 少し下っていくと広いコルが見えてきた。そこが有名な千丈乗越だった。5月のGW、双六岳山頂で、千丈乗越から続く槍ヶ岳のそそり立ちっぷりを見た。 (https://yamap.com/activities/24087229) 「あれ、ほんまに登れるんか⁉️」と思ったものだが、ここまで下りてきて、全く無茶なところはなかった。いつも感じることだが、本当にうまく登山道が付けられているのだろう。千丈乗越には数人のパーティーが休憩していた。 西鎌尾根は振り返れば常に槍ヶ岳が見えるのはもちろんだが、硫黄尾根の荒々しさに圧倒される。GWに双六小屋の冬期避難小屋の前でお会いした鹿さんは「硫黄乗越の幕営適地でテント張る」って言ってなぁと思い出しながら歩いていた。槍から双六に向かう場合、基本下りの西鎌尾根だが、まず佐俣岳へのしっかりとした登り返しがある。聞いたことのない山だったが、なかなかどっしりとした山容だった。そこから硫黄乗越に下り、猛烈な樅沢岳への登り返しが西鎌尾根のクライマックスだった。まずは東峰に登り、その後に広い山頂を持った樅沢岳に来た。ここからは双六小屋にかけて200mほど猛烈に下って行く。眼下に小屋がはっきり見えているが、なかなか着かないので結構堪えた。 結局槍ヶ岳山荘から4時間近くもかかり、12時半前に双六小屋に到着した。やれやれとテーブルにザックを下ろした。双六小屋はいつも通り、多くの登山者で賑わっていた。お昼を食べようと小屋に注文しに行く。双六小屋は軽食の注文は小屋の受付で行い、放送で呼ばれると向かいの調理棟に取りに行くシステムだ。ずっとカレーとラーメンが続いていたので、カルビ丼を注文した。今回は長期の山行で栄養不足を危惧していたので、DHCのサプリメントとアミノ酸のMUSASHIを毎晩接種していた。しかし、できれば軽食や夕食で本物の栄養を摂りたかった。カルビなのでたんぱく質は貧弱だが、ラーメンよりは幾分マシだろう。 結構旨いカルビ丼をあっという間に平らげ、30分そこそこで双六岳へと山行を再開した。6月に挑戦的長距離縦走路「読売新道」で赤牛岳までピストンした時は、双六小屋から巻き道ルートを通って三俣山荘まで歩いた。 (https://yamap.com/activities/24976564) 帰りは中道ルート経由の春道で帰ってきたので、今回は直登ルートで行くと決めていた。やはりこのルートはなかなかの登りだが、シンプルですぐに天空の滑走路まで辿り着けるので、一番いいかもしれない。ただし雪が残る6月頃までは下りは特に危険だ。残念ながら双六小屋を出る頃には、かなりガスが上がって来てしまっていた。せっかく早めに稜線に乗ったが、槍ヶ岳への天空の滑走路が出現することはなかった。5月と6月に散々見たのでまあいいだろう。代わりに、双六岳の山頂直下で雷鳥を見ることができた。しかも豪快に砂浴びを披露してくれた。 午後2時頃、双六岳山頂に登頂した。かなりガスガスなのに、山頂には若いゆるキャラ登山者で溢れ返っていた。装備もこっちが不安になるくらい適当だが、この時期の小屋泊なら問題ないのだろう。「あー!完全にガスった!」と言いながらもはしゃいでいる彼らを尻目に、まずは三俣蓮華岳を目指し双六岳山頂を後にした。 ここからも、ガスガスかつ強めの風が吹く中、稜線を歩いて行く。まだそんなに時間は遅くないはずなのに、あまり登山者がいないせいか少し不安を感じた。山頂がはっきりしない丸山を経由し、午後3時過ぎに三俣蓮華岳に到着した。さすがに誰もいない山頂だった。午後2時前には三俣山荘に着く予定だったの、かなり遅れてしまっていた。そして三俣山荘まで、ここからが長い。標高も300mも下げる。三俣山荘はテント場の予約不要なので、逆にテント張るスペースが残っているかも不安だった。テント場は山荘よりも三俣蓮華岳側に広がっているので、予め受付前にテントを設営する許可は得ていた。こういう時間になると、いつ豪雨になるか分からないので、できるだけ早くテントを張らないと危ない。 何とか雨に降られないままひたすら下り続け、テント場の一番端のFの区画にやって来た。その一つ小屋側のEの区画ですら既にテントがかなり張られていたので、もうこの広々したF区画に張ることにした。小屋まで10分以上歩いてかかりそうだが、平らないいスペースだし、とにかく早く雨を避けられるシェルターを確保したかった。高速でステラリッジを組み上げ、ザックをテント内に放りこんだ。サーマレストネオエアーXライトに空気を入れ、何とか寝床の用意ができた時には、ほぼ午後4時になっていた。 STSのウルトラシルデイパックに、エバニューの2Lソフトボトル、プラティパスの1Lソフトボトル、傘を入れ、受付をしに三俣山荘に向かう。水場のある一番小屋に近いテント場でもそれなりに距離があるが、僕が張った場所は当たり前だがかなり遠かった。三俣山荘のテント場にはトイレがなく、いちいち靴を脱いで小屋内のトイレを使用しないといけない。小さい方なら適当にその辺でできるが、大きい方だといいタイミングで便意がこないと面倒臭いことにある。トイレ利用のベストタイミングは、翌朝小屋前をどのみち通るのでその時だ。ちなみに小屋の入り口は夜中でも開いているので、真夜中でもトイレをしに小屋内に入ることができる。 小屋に着くと、すぐ受付を済ませ、ビールとチップスターを購入する。午後4時を回ってはいたが、「この時間でも夕食お願いできますか?」と念のため聞いてみると、「大丈夫ですよ」とフレキシブルな対応をしてもらい感謝する。「時間は6時20分からですけど大丈夫ですか?」と聞かれたが、そもそも夕食までにテントでビールも飲みたいし、往復に時間がかかることを考えれば、ちょうどベストの時間帯だった。夕食は2回転制で、1回目は5時30分くらいからのようだ。2回目の6時20分からの夕食が終わると午後7時から喫茶が同じ場所で始まるので、6時50分頃には退席をお願いされる。飲みたい人はそのままそこに残り、ワインなどを楽しむことができるようだ。小屋前の湧き水をソフトボトルに3L分入れ、一旦テントまで戻った。 双六岳以降ずっとガスガスだったが、期待通り徐々に雲が切れ始めていた。テントの中でゆっくりビールを飲んでいると、前方の雲がほぼ消え失せ、鷲羽岳が姿を見せ始めた。ここは小屋から遠いものの、近くのテント場より少し高い場所にあり、本当に鷲羽岳がきっちり見える。最高のつまみになった。このまったりタイムがるからテント泊はやめられないのだろう。夕食までの小一時間、ビールとチップスターを堪能した。 言われた通り6時20分の10分前に小屋に着くよう、6時頃夕食へとテントを出た。飲み終えたビールの缶とチップスターのゴミを持ち、傘とヘッデンをアタックザックに入れた。小屋までの道は少し険しいが、脱ぎ履きが面倒なので、テントサンダルで行く。途中濡れた岩の下りがあるので慎重に歩く必要がある。予定通り6時10分に小屋に着き、サンダルを脱いでトイレ前の靴置き場に置いた。そして、受付のすぐ隣にある談話スペースに腰掛け、呼ばれるのを待つ。しかし、6時20分になってもすぐには声がかからなかったので、隣に座り同じく夕食を待っていそうな若い男性に、「夕食待ってるんですよね?」と話し掛けた。「はい、本当は5時40分(20分だったかも)の回だったんですが、友達が鷲羽岳の山頂で熱中症で倒れてしまって...、遅い回に変更してもらったんです」と言う。「それは大変でしたね。でも今日はどちらかというと涼しかったのに、熱中症になっちゃうんですね⁉️」と聞くと、「はい、僕自身は全く余裕だったんですが、友達が突然倒れてびっくりしました」。小屋にはどこかの大学の医学部生がやっている診療所が併設されていて、彼らに診てもらっているという。 6時20分を少し回った頃、やっと声が掛り、階段を登り夕食のテーブルに案内された。僕は恐らくソロの人が集められたテーブルに案内され、その彼は同じく夕食を食べる医学部生達のテーブルに案内されていた。僕のテーブルには3人分のジビエシチューとサラダが並べられ、僕の他に後から女性が1人案内されて来た。小屋での夕食はまだ黙食の名残があるのか、全く会話のないまま同じテーブルで2人で黙々と食事を始めた。なんだが変な感じだった。ご飯はお櫃に入れられ、自分でよそる形式でお代わりし放題だった。僕のテーブルにはもう1人分のシチューが並べらていたが、そのもう1人はなかなかやって来なかった。食事をしながら小屋番の女性が伊藤新道復活の説明をし始めた。去年から本格的な整備を始め、今年は10か所ほどに橋を架けたという。それでもまだ渡渉個所は多く残っているようだが、格段に安全に通行できるようになっているようだ。伊藤新道復活プロジェクトに関連し、防水の地図も作ったようで、それを前で広げながらその小屋番の女性が説明していた。僕は思わず「その地図は頂けるんですか?」とみんなの前で質問してしまった。すると、「300円で販売しています!」と言われ、「あ!分かりました」と少し恥ずかしい思いをする。食事が終わった時に、地図を買わざるを得ない雰囲気になり、これからの山行の邪魔になるにも関わらず、購入してしまった。 当初退席をお願いされていた6時50分の少し前になって、最後の1人がテーブルにやって来た。彼は僕より幾分年上そうで、確か僕よりも更に30分程遅れて同じF区画のテント場に来た男性だった。テーブルに来るやいなや、彼は自然に僕らに会話をもたらし、一気に普通の食卓の雰囲気を作ってくれた。やっぱり山での食事はこうでないと!と感謝した。会話の流れで、僕は北アルプス南北全踏破で親不知を目指していることを説明した。ソロの女性は折立から入って小屋泊で周回するようだ。そして、その男性は今日七倉から入山したらしく、いきなり猛烈に歩いてこの三俣山荘まで来たらしい。恐ろしい距離を歩いていることになる。隠れた難所の船窪小屋から烏帽子小屋の区間はやはり大変だったらしく、思った以上に時間を消費したと言っていた。明日は読売新道に入り、赤牛岳を越えて奥黒部ヒュッテまで行ってやろうかなと言っていた。ただものではないようだ。彼はかなり遅れて来たので、7時前になっても夕食を続けていたが、僕は一足先にテント場に戻ることにした。 テントに戻って来た。時刻は午後7時半前で、そろそろ寝ないといけない時間だった。しかし、夕食時までビールを飲んでしまったのは失敗だった。今日は12時間に迫る行程になってしまい、疲れもひどかったからか、結構酔いが回ってしまった。明日の準備を軽く行い、8時半頃には何とかシュラフに潜り込んだ。 Day5 8月3日(木) 三俣山荘〜烏帽子小屋 「裏銀座侮れん」 4時半頃テントの撤収を終え、5日目をスタートした。まずは鷲羽岳に向かうので、三俣山荘の前を通る。本当はそのタイミングでトイレに行くのがベストなのだが、テントの撤収中に便意が来てしまい、真っ暗な中ヘッデンで小屋まで往復してしまった。 少し歩くと、すぐに熊鈴の音が後ろから迫って来た。昨日夕食で同じテーブルだったソロの男性登山者だった。彼は同じテント泊だが、かなり軽量化を図っており、パックウェイトは10キロほどだそうだ。今回、シニアのテン泊者何人かと話したが、みんな工夫してパックウェイトを10圓曚匹僕泙┐討い拭K佑陵佑縫ラシックに20堋兇┐鮹瓦い任い襯轡縫△漏無だった。 トイレで山荘に寄って行くということなので、彼とは小屋前で別れた。そこからは独りで鷲羽岳への登りを行く。かなり序盤でトレラン装備の若者が僕を抜いて行った。彼は双六小屋スタートだと言っていた。彼とは、この日の後半、野口五郎岳のかなり手前の大岩地帯で再会した。「あ、鷲羽岳の序盤で4時半くらいに僕を追い抜いた人ですね!」と言うと「あ、そうです😃」。「どこまで行ったの?」と聞くと「野口五郎岳です」と言う。「本当は烏帽子岳まで行きたかったんですが、今日もう新穂高まで下りるので、時間がやばそうなので止めときました😅」。「めちゃくちゃ元気やな?」と言うと嬉しそうに笑っていた。 鷲羽岳へは軽荷のシニア男性に挟まれながら歩いて行った。山頂で知ったがその2人は同じパーティーだった。午前5時半過ぎ、3人で同じようなタイミングで鷲羽岳に登頂した。天気は最高なものの、風がとても強い。ここからは野口五郎岳方面の稜線の曲線がたまらなく美しい。振り返れば槍ヶ岳、黒部五郎岳も完璧だ。前方にはワリモ岳、そしてその先にはいつものように「とにかくデカい」薬師岳が朝日に照らされていた。強風が続いていてかなり寒かったので、ここでウィンドブレーカーをザックが取り出し身に着けた。今回の山行ではレインウェアは一切使わなかったが、ウィンドブレーカーは大活躍だった。 ここからは一旦下り、ワリモ岳へと登り返す。ワリモ岳の山頂へは今回も登らず、登山道に沿って設置された山頂標識で満足することにした。2年前には本当の山頂まで上がってみたが、特に問題なく山頂に立つことが可能だ。そこからワリモ北分岐を越え、水晶小屋を目指す。水晶小屋までがしっかりとした登り返しで、約100m標高を上げる。水晶小屋からは、野口五郎岳方面へ裏銀座ルートに入った。水晶岳は6月に行ったばかりなので、今回は割愛した。できるだけ南北全踏破の成功の確率を上げたかったので、体力を温存したかった。その代わり、水晶小屋の左手にある岩峰には登ってみた。ここからの景色は最高なので、今回はそれで我慢することにした。 この裏銀座に入ってから、かなり険しい道になる。岩だらけのやせ尾根、かつ猛烈な下りで東沢乗越まで150m以上標高を下げる。この辺りからは白馬三山もきれいに見ることができた。立山も見え始め、その左手には、6月に想像以上に遠いと認識した赤牛岳も見える。右手に崩落地を見ながら、東沢乗越まで頑張って下って行った。東沢乗越は正に張ってくださいと言わんばかりの絶好のテント場になっている。残念ながらもちろん幕営禁止だ。その後、真砂岳は山頂を通らず巻くものの、野口五郎岳が思いの外遠かった。東沢乗越からは約200mの登り返しだ。遥か彼方まで延々と続く登山道が視界に入り、精神的にもかなり堪えた。救いは最高の天気で、どこを見ても完璧な景色だった。 途中で、野口五郎小屋へ直接行く道とルートを分け、右手の野口五郎岳への直登ルートを登って行く。つづらに続くかなり長い登りだったが、牛歩でゆっくり登ると、息もあがらず、足に乳酸も溜まらないということが分かってきていた。ゆっくり確実に一歩一歩斜面を登って行く。そして、やっと野口五郎岳(2924m)に登頂した。時刻は10時半頃だった。昨年9月、北鎌尾根にチャレンジする直前に、北鎌起点の「湯俣」を知るために高瀬ダムから野口五郎岳サーキットをやって以来の山頂だ。 (https://yamap.com/activities/19687263) 野口五郎岳の山頂は非常に広く、その中央辺りにケルンのように積み上げられた石山に山頂標識が刺さっている。野口五郎岳は裏銀座最高峰なのに何故か300名山にしか登録されていないが、百名山の風格を十分に備えている。少し暗い雲が鷲羽岳や水晶岳方面にかかっているのが気になったが、槍ヶ岳はぎりぎり山頂までちゃんと姿を現していた。 山頂からは必ず野口五郎小屋を通るように登山道が付けられている。野口五郎小屋にはテント場はないが、軽食を食べられるか知りたくてメールで質問していた。かなりこじんまりとした小屋であまり期待はしていなかったが、「カップ麺・パンの販売をいたしております。お湯は有料で提供可能です。水はペットボトルのもののほか、安価な消毒天水を提供しております。いずれも価格は現在検討中です」との返事をいただいていた。小屋前の斜面を下りている時、女性2人組とすれ違った。小屋から来たようだったので、「小屋ってカレーとかラーメンとかの軽食やってましたか?」と聞いてみた。時間もタイトなのでカップラーメンしかやっていないのなら、小屋に寄らずにそのまま烏帽子小屋に向かおうと思ったからだ。するとその女性達は、「あー、やってなかったですね。せいぜいカップラーメンでした...」と教えてくれた。「やはりか…」。よっぽど小屋に寄らずに左(烏帽子岳方面)に行こうと思ったが、「まあ自分の目で確かめるか…」と斜面を下りて右の小屋の方へ向かった。小屋前に来ると、登山者が2人ほど休憩していた。小屋前のベンチにはラジオがくくりつけられ、何かのトーク番組が流れていた。小屋の中を覗き込むと小屋番の女性がいたので、あまり期待せずに聞いてみた。「軽食やってますか?」「はい、カレーとカップラーメンやってます!」という。おー!カレーあるやん!と、やはり何でも自分で確認することの重要性を知る。「あ!ではカレーお願いできますか?」というと、「はい」と言いながら、しばらくして「10分ほどお時間いただいていいですか?」と聞いてくる。まだ時間も10時半くらいで余裕があるので「全然いいですよ!」と答え、小屋前のベンチでラジオを聴きながら待つことにした。 小屋前の小屋側の小さめのベンチでは少し僕より年上くらいの女性が座っていた。かなりちゃきちゃきした感じで、常連さんのようだった。小屋の若主人(僕と同じ50歳手前くらいか)が、彼女のために甘そうなコーヒーをお盆に乗せて運んできた。彼女は、「あー、ありがとう!」と言いながら、彼からコーヒーを受け取った。彼は、少し離れて僕の右隣(彼女の向かい側)に座り、煙草を吸いながら彼女に話しかけた。「烏帽子岳どうだった?」。どうやら彼女はここをベースに烏帽子岳をピストンしたようだ。彼女は「烏帽子岳までは結局行かず、烏帽子小屋まで。烏帽子岳はまた次回の課題だね...」とコーヒーを飲みながら答えた。それを横で聞いていた僕は思わず、「烏帽子小屋までここからどれくらいかかりました?」と割って入った。この時点で裏銀座にかなり疲れ切っていたので、ここから今日の宿泊地の烏帽子小屋まで、実際どれくらいかかるのかがとても気になっていた。すると彼女は、「こっちからは基本下り基調で、軽荷だったので2時間でしたね。烏帽子小屋からここまでは3時間と書いてましたよ」と教えてくれた。「なるほど...。とすると、僕は重荷なので3時間か...」と、まだまだここから遠いことを再認識した。どこまで行くのかという話の流れから、またテント泊で親不知を目指している話をする。すると野口五郎小屋の若主人も、「じゃあ、今日は烏帽子小屋までだね」と声を掛けてくれる。烏帽子小屋はテント場が狭く予約不要なので、テントをいい所に張れるかどうか気になっていた。「さすがにまだ烏帽子小屋にテントはなかったですか?」と女性に聞くと、「いや、もう5張くらいありましたね」という。なるほど、えらい早い時間なのにもうテントあるんだなと、やはり近くにあまりテント場がなく、かなりの競争率のようだ。女性と若主人の会話を聞いていると、彼女は三俣山荘の契約従業員のようだった。今年は10月の小屋締めまでの契約らしい。伊藤新道復活プロジェクトのためか、三俣山荘オーナーの伊藤さん(女性)は、基本湯俣に常駐らしい。やはり、温泉に入れるというのは大きいのかもしれないと、晴嵐荘で入った気持ちのいい温泉を思い出した。 そうこうしていると、カレーとお水がお盆に乗せられ運ばれてきた。カレーは1000円しかしなかったが、期待を上回る見た目だった。大盛ご飯に溢れんばかりにルーがかけられ、添えられたらっきょうと「赤くない」福神漬けが嬉しい。「なんや、ちゃんとしてるやん!」と、ポジティブサプライズ。味も申し分なかった。あっという間に平らげ、少し休憩し、烏帽子小屋に向けて出発した。 ここからしばらく行くと、三ッ岳の手前の無名峰の辺りで展望コースとお花畑コースに登山道が分かれる。前回ヘッデンで逆向きに歩いた時は、分岐がよく分からず自動的にお花畑コースを選択してしまった。今回は左の展望コースを選択し、頑張って稜線伝いに登って行った。やはり、稜線の方が断然歩いていて楽しく、雷鳥にも会うことができた。 その先の三ツ岳は山頂は通らず山腹を巻き、烏帽子小屋へとぐんぐん標高を下げていく。小屋の近くは大岩の結構険しい道だと記憶していたが、今回はあまりそういう印象を持たなかった。途中から、前方の木々の合間にテントが見えているのに気付き始めた。結構下の方までテントが広がっているように見えた。 烏帽子小屋のテント場は、一番小屋から近いところでも、結構小屋から遠い。小屋を出て三ツ岳の方に歩くと、まず軽い峠のような所に来る。テント場はそこから下に棚田のように広がっている。その峠の東には小高い丘のような展望台があり、去年の9月に来た時は、唯一そこで電波が入った。野口五郎岳側から来ると、テント場の一番最下部に到着する。小屋に行くには、どんどんテント場をすり抜けながら、棚田を上がっていかなければならない。 午後1時半頃、やっとテント場の最下部に到着した。まず、ひょうたん池という名の池がある。その池の畔や、池を見下ろすことのできる広いスペースがテント場として利用可能になっている。さすがにここの辺りには誰も張っていなかった。池の畔に行くには、左右にかなり草が生い茂った細い坂を下りなければいけなかった。しかも、水のあるところには蚊などの小虫も多そうだ。それに引き換え、池を見下ろすスペースはあまり草がなかったし、水も遠いので虫も少なそうだ。「めちゃくちゃ小屋から遠いけど、ここにしようかな...」 でも、もしかしたらもう少し小屋に近い上部にも空きがあるかもしれないと、少し棚田を登って行った。すると、ほんの少し登った辺りに、野口五郎岳の手前の眺望のいい休憩スペースで少し会話した若者がテントを張っていた。その時に、「烏帽子小屋は狭く、テント場がすぐ埋まってしまう」と教えてあげていた。彼はすぐに僕に気付き、「お疲れ様です」と声を掛けてくれた。彼をびびらせておきながら、自分はゆっくり野口五郎小屋でゆっくりカレーを食べていたので、僕より大分先に着いていたようだ。「ここに張っているということは、もう上は埋まってました?」と質問した。彼は小屋で受付後にテントを張ったので、テント場の一番上まで行ったのだが、1人用テントが辛うじて張れるようなスペースしか余ってなかったという。彼は2人用テントなので、ここに落ち着いたらしい。「やはり、この時間でも駄目やったか...」と、心置きなくさっきのスペースに戻り、張り綱も贅沢に伸ばしながら、きっちりステラリッジを設営した。 烏帽子小屋はまともな軽食もなく、テント泊者に夕食の提供もしてくれない。受付、水の調達、トイレ以外に用はなかった。トイレも、自分が張った場所は周りに誰もいないので、小さい方なら適当にテントの近くでできる。なので、アタックザックにソフトボトルを入れ、後でまた小屋に行かなくてもいいようにしてテント場を出た。実際には、ビールの缶やお菓子のゴミを捨てに行ったり、大きいトイレに行ったりと、何回か往復する羽目になる。小屋でさっと受付をし、水とビールと摘まみを購入して、すぐにテントに戻った。烏帽子小屋のテント場は基本電波がない。前述のちょっとした展望テラスが唯一電波が入る場所なのだが、今回はそこも電波なしだった。しかし、テント場に戻ってくると、ここは奇跡的に電波があることに気が付いた。平らで周りに誰もいなく、電波もあるとは!「小屋から遠くても、絶対ここやん!」と、塞翁が馬状態に幸運に感謝した。 ずっと小屋に食事を頼っていたので、今日は食材を減らそうと夜は自炊した。面倒くさいが、アルファ米はパッケージから出し、ジップロックに2袋(400g)分まとめ、パッケージは1つだけ持ってきていた。リゾッタも同じようにすればパッケージのゴミが減るのだが、種類が5種類もあり、それをやると違う種類と混ざってしまうので、それぞれパッケージに入れたまま持ってきた。今回はそもそもEXPEDITION PACK80だと容量が大き過ぎたので、小細工をする必要は全くなかった。しかし、こういう細かい準備をすることも、その内必要になるだろう。難点は、食べ終わった後、パッケージの隅に残った米粒を綺麗にするのがとても面倒だったことだ。 Day6 8月4日(金) 烏帽子小屋〜船窪小屋テント場 「猛烈なドMコース」 北アルプス南北全踏破も中日に差し掛かってきた。てつさんから、「長期の縦走は後半になると体力も衰えてくるので中日辺りに楽な行程を組み込まないとバテますよ〜?️」とアドバイスをもらっていた。なので、今日は少し遅めの5時スタートで、船窪小屋テント場までの「短い」行程にしていた。 完全なる間違いだった。 誰もが口をそろえて「むちゃくちゃ大変だ」と言う北アルプスの隠れた難所が、今日の「烏帽子小屋から船窪小屋」間だった。多少苦しいとは覚悟していたものの、ここまで疲れ果てるとは予想していなかった。 烏帽子小屋の前を通り、左に折れて樹林帯を登っていく。どことなく燕岳への道に似ている。スタートしてすぐに後ろからソロの男性が追い付いて来た。どこまで行くかという話から、親不知が目標だと言うと、かなり興味を持ってくれた。彼は今回は七倉から入山したばかりだったが、猿倉から五龍岳の縦走をして、休みなく昨日入山したのだという。とんでもない強者だ。烏帽子岳への分岐に来ると、彼は昨日既に登っていたので、そのまま南沢岳の方へ進んで行った。彼も同じく船窪小屋のテント場に行くので、「お気をつけて、また後程お会いしましょう!」とストックを振りながら声を掛けてくれた。 ザックを下ろし、中からソーラーパネルを取り出した。かなりいい太陽が出ていたので、トップリッドの上にソーラーパネルをセットした。登頂後、またここに戻ってくるので、ザックはここにデポしていく。烏帽子岳は遠目に見るとあまりにそそり立っていて、「これ、ほんまに山頂に立てるん?」というふうに見える。しかし、絶妙に付けられた登山道のお陰で、なんの苦労もなく山頂に立つことができる。少し慎重に鎖場をこなし、「烏帽子岳」の山頂標識の前に立った。ここから右に行き、ちょっとした岩場を登ると、立山方面に面した烏帽子岳の最高地点に立つことができる。ちょっとリスクを取れば、本当に一番高いところまで登ることが可能だが、前回それはやったので、今回は一番安全な岩の間に立ち、立山方面を見つめた。更にさっきの山頂標識を左に行くと、荷物を引っ掛けることができる棒が付いた、一枚岩の斜めの岩ベンチがある。ここからの眺望も素晴らしいので、ここに座ってゆっくり楽しむのがおっさんには最適だろう。たっぷりと景色を楽しみ、烏帽子岳を後にした。 ザックのデポ地点への分岐(左)を見落とし、少し先まで行ってしまったが、すぐに気付きザックまで戻って来た。ここから先は、去年の10月にも来たが、池塘地帯になっている。青屋登山道で見たような楽園の様相を呈している。しかし、その池塘地帯までの登山道がに少しだけ荒れている。 徐々に池塘が現れ始め、気持ちのいい平原のお花畑になってきた。この楽園の真ん中くらいに最大池塘がある。徐々に緩い登りになり、結構大きい山容の南沢岳が目の前に立ちはだかる。100m強の登り返しだった。今回習得した、ほとんど息も上がらず、乳酸も溜まらない「牛歩登り」でゆっくり登っていった。広目の稜線を歩き、7時50分頃、そこそこ広い山頂に到着した。左手を見ると、薬師岳から立山に続く稜線がスッキリ見える。その中間辺りにあるやたらと広い高原の様な所は、恐らく五色ケ原なんだろう。その真ん中辺りにおもちゃのような家が見えた。 この山頂で突然、登山道を見失ってしまう。あまりにもぼーっと歩いてきたせいか。キョロキョロしていると、左にハイマツの隙間が見えた。少し違和感を感じながらも、「これかな...」と思いそちらに行くと、登山者の足跡がくっきりついていた。恐らく烏帽子岳への分岐で別れた男性ソロのものだろう。その先は何となく道にはなっていたが、ざれざれでかなり登山靴が埋まる。しかも結構な急勾配の下りだった。引き続きしっかりと足跡はあるが、なんだがおかしい。スマホを取り出しヤマレコを見ると、やはり豪快に道を間違えていた。正しいルートに復帰するには南沢岳の山頂まで戻らないといけなかった。山頂に戻ってGPSを見返すと、さっきいた時は気付かなかったが、右手にしっかりと登山道が続いていた。ちょっとしたケルンとピンクテープもあったが、かなり足元の方に付けられていたので、全く気付かなかった。 今日のルートはここからがキツかった。まずは不動岳へと向かう。南沢岳から南沢乗越まで230m標高を下げ、そこから200m標高を上げる。記憶すらあまりはっきりしないが、不動岳の手前の2595の道標に辿り着いた時には、思い切り吠えていた。その道標には、「七倉岳(縦書き)2:00船窪岳(縦書き)3:00」と記されている。分かりにくいが、ここから船窪岳まで3時間ということだろう。「まだそんなにあんの?」と思ったことを覚えている。船窪岳はちょっと変わっていて、標高の高い手前のピークが「船窪岳第2ピーク(2459m)」で、奥にある低い方のピークが「船窪岳(2303m)」だ。しかも、その2つのピークは結構離れていた。 この辺りは毎年崩落が進み、頻繁に登山道が付け替えられているらしい。今回は右手の崩落地を避けるように、基本一本左に登山道が付けられていた。しかし、所々、崩落地に一旦出るようにもなっている。景色と風を楽しめていいのだが、ざれているので少し神経を使う。結構序盤で、年配のソロ登山者とすれ違った。思わず「すれ違いは僕で2人目ですか?」と、烏帽子岳分岐で僕に先行した強者をイメージして尋ねた。「はい、えーっと、そうですね」と、やはり、このマイナールートを歩く登山者はあまりいないようだ。その年配の方も、「この後、3人パーティーと男性ソロが来ます」とヘッズアップをくれた。崩落度合いによっては、かわすのが難しい可能性もあるので教えてくれたのだろう。 同じようなパターンで、樹林帯、崩落地を繰り返しながら進んでいく。ちょうど樹林帯の下りをやっている時、向こうから3人パーティーが上がって来た。先頭の若い男性は半ズボンでボーイスカウトみたいな恰好をしていた。顔も体もパンパンで、干からび気味のおっさんには眩しかった。「この先休憩できる場所ありましたか?」と声を掛けられた。ちょうど崩落地を越えたばかりだったので、「この先すぐ開けた場所ありますよ。誰も来なければそこで休憩すると気持ちいいですよ」とちょっとピンボケの答えで返した。「誰も来ない」という前提でないと休憩できない場所は休憩適地ではないだろう。 さらにしばらく行くと、道がより一層険しくなってきた。かなりざれた登りで、ロープが垂らされている。上から熊鈴の音がしたので、人が来ているのがすぐ分かった。さっき教えてもらった男性のソロだった。挨拶をし、「先に行かせてもらいますね!」とそのざれた急登を登る。彼とすれ違う時に、「まだまだ、これ続きますか?」と質問された。ちょっと意味が分からなかったので、「どういう意味ですか?」と聞くと、「この先はこれ(ロープが掛けられた急登)のオンパレードです」と言う。「あー!なるほど。これは、ここから始まったばっかりですよ」と教えてあげた。彼にとってはこの状態がもうすぐ終わるということだ。「船窪第2ピークまではそうでもないですが、それを越えると船窪岳まで、こんなんばっかりです」と教えてくれた。「なるほど、厳しさが増すわけね...」と、覚悟をさせられた。 彼とすれ違って覚悟はできていたものの、いうほどロープは出てこなかった。しかし、厳しい登り返しが続いた。不動岳(2601m)、不動沢鞍部(2224m)、船窪岳第二ピーク(2459m)となかなかワイルドなアップダウンだ。例の牛歩戦略でひたすらゆっくり登る。ガーミンFENIX7X PROで標高のページを表示させ、頻繁にチェックしながら歩いていた。本来なら地形図を見ながら、どういう感じで登り返すのかをしっかり分かって歩くと、もっと楽なのかもしれない。何とか船窪第二ピークに到着した。時刻は正午を回っていた。不動岳が10時前だったから、2時間以上もかかっていた。2595にあった道標の3時間というのはやはり第二ピークではなく、本物の船窪岳までのようだ。 当初、船窪岳の方が第二ピークより標高が低いので、核心は第二ピークへの登り返しだと思っていた。とんでもない勘違いだった。苦しみは第二ピークから始まるといっても過言ではなかった。ピークが2つ連続していれば、必ずその間にコルがある。なので、2つのピークの単純な標高差をもってして下り基調だということはできない。先程のソロ男性に言われた通り、第二ピークからはロープが頻発する危険な下りになった。コルの標高は2200mほどで、第二ピークから250mの下りだ。地面がざれているので、しっかりロープを掴み、後ろ向きに下りて行った。ロープには一定間隔でコブが作られていたが、ロープ径がかなり細いので使い辛かった。 2200mのコルに到達し、後は100mの登り返しとなった。これも普通なら大したことはないのだが、またこの登り返しが危なかった。ロープが張られた崩落地の痩せ尾根を行ったり、左が崖の険しい登りと、確かに「船窪岳の本当の山頂は俺だ」と言わんばかりの障害の連続だった。やっと、船窪岳の山頂標識を見た時、不動岳で吠えたのより何倍もでかい声で絶叫していた。時刻は1時半前だった。しかし、ここでさらなる悲劇を知ることになる。「そういえば、船窪小屋って、天空の城ラピュタみたいな絵になってたな、ウェブサイトで。標高2500mくらいだったような…」。テント場は小屋から30分ほど離れているが、そもそもテント場の標高を全く意識していなかった。恐る恐る山レコで標高を見ると、2400mとなっていた。「マジか...こっから100mも登るん⁉️」。なんの根拠もないが、てっきり船窪岳からは当然下りだと思っていた。そして当たり前だが、ピークの後にはコルがある、つまりテント場への登り返しは確実に100mを超えるということだ。 予想した通り、船窪岳から船窪乗越までは「もうやめて!」というくらい下って行く。結局2200mを少し切るくらいまで標高を下げた。つまり、そこから200mの登り返しということだ。「まあまあやな...」。船窪乗越には、6月にやろうとしてまだ開通していなかった「針ノ木谷(針ノ木古道)」への分岐があった。粗末な木の道標に、「上級者むけコース」とマジックで書かれていたのが印象的だった。ここからはもう気合で登り続けた。30分程牛歩を続けると、結構しっかりした鉄パイプ階段が視界に入って来た。「これも登るんか...」とげんなりした時、少し先に右に下りる道が分かれているのに気が付いた。そこを下りて行くと、かなり大きめのテントが一張り張られていた。「おー、テント場着いた!」と少し予想よりも早く到着できたことが嬉しかった。そのテントには人の気配はなく、小屋に受付に行っているようだ。「しかし、あのソロの強者、1人なのにこんな立派なテント使ってるんか」と驚いた。 予め電話して先にテントを設営する許可はもらっていた。しかし、「翌日に小屋方面を通って次の目的地に行くので、その時受付でもいいですか?」とも聞いてみたが、それは駄目だと言われた。とにかく早く小屋に行って受付し、ビールを買って、テント場に戻ってまったりしたかった。ヘロヘロだったが、カンカン照りの中、高速でテントを張って行く。テントを張り終えた頃、テント場の奥に続く道から、強者が下りてきた。「いやぁ、大変でしたね〜」。やはり彼をもってしてもキツかったようだ。「はい、かなりえぐかったです」と言うと、「13日分の重荷を背負ってるって言ってたから、大丈夫かなって心配してたんですよ」と言ってくれる。僕はてっきりここに張られているデカいテントは彼のものだと思っていた。彼が来る前、そのテントに付けられた小型のソーラーパネルの様なものが地面に落ちてしまっていた。なので「そういえば、ソーラーパネルが落ちてましたよ」と教えてあげた。でもなぜか話が通じない。彼はやっとそこにもう一つテントがあることに気付いたようで、「あれ?もう一張りありますね。」「え?このテントじゃなかったんですか?」「いえいえ、これは僕のテントじゃないですよ。僕は超軽量化しているのでツエルトです。この一段上に張ってますよ」という。それを聞いて、「やはりこの強者ですら軽量化しているのか」と改めて思った。彼も20圓鯆兇┐襯競奪を背負っての縦走は「もう無理だ」と言っていた。そう言えば、穂高岳山荘のテント場で隣にいた方は、シュラフ代わりに「ヴィヴィ」と呼ばれるシュラフカバー、ガスバーナーの代わりにアルコールストーブにするという徹底ぶりだったなと思い出した。小屋が遠いのでトイレが面倒だと思っていたが、強者に「上に簡易トイレが設置されてますよ」と教えてもらった。ただ、トイレットペーパーは設置されておらず、使用済みペーパーは自分で回収する必要がある。 強者もしばらく動きたくなかったらしく、これからテント場の受付に行くと言って小屋に向かって行った。僕はもう少し準備があったので、少し作業を続ける。完全に設営が終わり、すぐに受付に行こうと、アタックザックを用意し、なんとはなしにエバニュー2Lソフトボトルと1Lナルゲンボトルも中に突っ込んだ。この船窪小屋テント場には水場がある。水を汲みに行くだけで「冒険」になる水場らしい。船窪小屋のウェブサイトには、「テント場から5分程の場所にあります。足場やロープは設置してありますがガレ場ですので十分注意してください」とある。なので、小屋に受付に行くのにソフトボトルを持つ必要はなかったのだが、帰りに直接水場に行こうと思っていた。結果、これが大正解だった。なぜなら全く知らなかったが、崩落の影響でテント場の水場は使用不可だったからだ。 小屋まではテント場を出て、100mほど標高を上げる。恐らく、本日最後の登りだ...。最初はさっき見た鉄パイプの階段を登り、少し段差のある岩場を越える。その後は緩やかな登りだが、かなり距離がある。途中、受付帰りっぽい若い男女のカップルにすれ違った。彼らがでかいテントの主だろう。「あ!親不知を目指している方ですか?」と声を掛けられた。前を行く強者が宣伝したのだろう。彼らは、僕らとは反対側の蓮華の大下りを下って船窪小屋テント場に来たらしい。「でも、そうだとすると、どうしてテント場で設営する前に受付しかったのだろう…?」と不思議だった。答えはすぐ分かった。しばらくすると、蓮華岳への分岐にやって来た。そこを左に行けば、次の日のルートになる。「なるほど、この分岐から直接テント場に向かったのか」。確かに、その分岐からも小屋までは少し距離があった。その分岐に立っている道標を何とはなしにまじまじ見ると、柱の部分に「テント場の水場は使えません。ご入用の方は小屋でおかい求め下さい」と書かれているのに気が付いた。「なぬ⁉️水場使われへんのか‼️ソフトボトル持って来といてよかった〜」。ここまでもテント場からかなり遠かったので、今からソフトボトルを取りに帰るなんて拷問そのものだ。 「その他周辺情報」へ続く… ⇨ |
その他周辺情報 | (Day6の続き、「コース状況/危険箇所等」から…) その先は緩やかに下りながら、前方に小屋を見下ろすようになる。かなり美しい景色で、船窪小屋が密かに人気があるのが頷ける。午後3時半過ぎ、小屋に到着した。テント場から約20分の行程だった。小屋前の木のテーブルでは、少し年長のグループ登山者(女性3・男性1)が休憩していた。挨拶をし小屋の入口へ向かう。「テントの受付をしたいんですが...」と呼び掛けると、奥に座っていた男性の小屋番の方が、「はい!」と入口の土間までやって来た。彼は少し耳が悪いのか、補聴器のようなものを付けていて、やたらと返事がは大きくて少しおかしかった。ここのテント設営料は驚愕の500円だ。猛烈に不便なテント場ではあるものの、嬉しい値段設定だ。350mlのビールを2缶買い、「水を3Lください」と言うと、「水は2Lまでは天水を購入できますが、それ以上は500mlのペットボトルになります」と言われる。恐らく雨水が不足気味なのだからだろうが、小屋では何でも相手の言い値で買っているので、今更細かい値段の差なんてどうでもよかった。問題は、ここで出たペットボトルなどのゴミは、今ここで捨てておかないと、また明日わざわざ捨てにこないといけないことだった。「面倒だな…」と思いながら、「あ、そうだ。今ナルゲンボトルにペットボトルから移してしまおう」。ペットボトルを空にし、無事に小屋の土間のゴミ箱に捨てることができた。 あまりに疲れていたので、休憩がてら一本はビールをここで飲んでいくことにした。小屋前には大きめのテーブルが2台置かれていて、小屋側のテーブルに腰掛けた。ビールを飲みながら、そこに座っていた少し年長の小屋泊の女性としばし談笑する。彼女は、かなり常連さんの雰囲気を醸し出していた。向こうのテーブルの団体とは別で、ソロで小屋に泊まっているようだった。彼女に今日のルートの話などをしていると、向こうのテーブルの団体がこちらを見ながら「色々情報聞いとかないと…」と、お互いに言いながら、今日のルートの感じを僕に質問してきた。彼らは明日、僕が今日やったルートを逆向きに歩くらしい。「僕はザックがかなり重くて苦戦しました。えらい大変でした」と素直に感想を述べた。彼らは小屋泊だったので、「でも、軽荷だったら、そんなに大変ではないかもですね。ただ、激しい登り返しの連続で道も危ないです」。またここで、僕は今日6日目でゴールは親不知海岸なことを打ち明ける。毎回一様にびっくりされるのが気持ちよかった。しばらく談笑し疲れを癒すことができた。 飲み終わったビールを小屋の外に置かれていたハンマーでぺちゃんこにし、缶入れ場に入れた。まだもう一缶ビールがあるので、ここで飲まないと缶の処理に困るのは分かっていたのだが、最後の一本は、どうしてもテントの中でまったりしながら飲みたかった。「まあ、明日はかなりショートの行程だし、翌朝小屋に寄ればいいだろう」。明日は7日目で、13日の全行程の完全なる中日だった。敢えて針ノ木小屋までの5時間ちょっとの短い行程にしていた。ちなみに、船窪小屋はテン泊者も夕食を食べることができるが、時間は午後5時からだった。その時もう4時前だったので、さすがに時間が中途半端で断念することにした。 午後4時過ぎにテントに戻って来た。テントに入り、毎朝食べているが今日は夜も棒ラーメンを作り始めた。ラーメンを食べた後、まだお腹が空いていたのでリゾッタも平らげた。マットの上に横になり、少しうとうとしていると、かなり激しく雨が降り始めた。急いでレインフライの入り口を閉める。今回は、最初2日と最後2日以外は、毎日結構激しい夕立に苦しめられ、テントが乾く暇がなかった。あまりに疲れがひどく、かなりスゴイ雨音の中なのに、また眠りに落ちてしまった。 午後7時半ごろ、人の話し声で目を覚ました。隣に張っているカップルの女性が誰かに質問している。「どこから来たんですか?」。この時間に来たんか?もう真っ暗やぞ。「スゴ乗越」です。若い男性の声だ。スゴ乗越...どうやってそっから来んねん⁉️と思いながら聞いていると、やはり女性も同じ疑問を抱いたようで、「え…⁉️ スゴ乗越からだとどうやってここまで来るんですか?」と聞くと、彼は、「いや、普通に薬師岳行って、黒部五郎岳、三俣山荘超えて…」。普通ちゃうやろ…、何者なんや。しかも、さっきの大雨でめちゃくちゃびしょ濡れちゃうんか…。彼も、「いやぁ、烏帽子小屋からここまでがめちゃくちゃ長くて、大変でした。北アルプスで一番危ない一般道じゃないかな...」。それには僕も完全にアグリーだった。 8時頃になり、用を足そうとテントの外に出た。彼は、ツエルトを張り終え、まだ何かガサゴソしていて、テントの入口を開けていた。「7時過ぎに到着したんですか?」と声を掛けた。「さっきの大雨に大分打たれちゃったんじゃないですか?」と聞くと、「はい、もうちょっとだったんですけど、早く乾かさないと」と言いながら、笑顔で答えてくれた。翌朝午前2時過ぎにテントの外に出ると、驚くべきことに彼はもう姿を消していた。隣のテントの男性に聞くと、1時半頃のスタートだと言っていたらしい。しかも今日の幕営予定地は天狗平(白馬鑓温泉分岐の手前、天狗山荘のテント場)だそうだ。一体、何者なんや⁉️ Day7 8月5日(土) 船窪小屋テント場〜針ノ木小屋 「蓮華の大下りを登る」 ガーミンFENIX7X PROの目覚ましの設定をいちいち変えるのが面倒だったので、ショートの行程にも関わらず、今日もいつも通り午前2時に起きた。棒ラーメンを食べ、テントを撤収する。幸か不幸か便意がきたので、モンベルのロールペーパーを首から掛け、使用済みペーパーを入れる消臭ビニール袋を持ち、簡易トイレに向かった。よくあるように、便を落とす穴には蓋が被せられている。恐る恐る蓋を外した。意外にも蓋も簡易トイレの床もきれいで、それなりに快適にスッキリすることができた。 4時半頃テント場を出発した。蓮華岳への分岐でザックをデポし、まずはビールの缶を小屋に捨てに行く。ここからの下りは、左に大雲海が見え、そろそろライジングサンが始まろうとしていて、とてもきれいだった。前から昨日のグループ登山者4人が登って来た。彼らも長い行程になるので、早めのスタートのようだ。ご来光が始まり、一緒にそれを楽しむ。富士山が少し低い位置に、正に雲の間に浮かんでいるように見え、ちょっと奇妙に感じた。 小屋にビールの缶を捨て、分岐に戻る途中、びっくりする光景に遭遇する。雷鳥の大家族だった。母親と子供が7羽くらいいただろうか。分岐まで僕を先導するように歩いてくれた。思わずビデオ撮影し、そのままYouTubeに投稿した。 分岐でザックを回収し、まずは七倉岳(2509m)を目指す。七倉岳の山頂までは、基本稜線歩きなので、ストレスなく気持ちよく歩いて行ける。しかし、ここから北葛岳(きたくずだけ、2551m)までが中々に大変だった。途中の七倉乗越まで200m高度を下げ、250m弱登り返す。七倉乗越までが、ざれていて梯子とロープが付けられたところもあり、なかなか危ない。しかも樹林帯の区間を含み、昨日の雨で足元にある草が濡れていた。スパッツを付けるタイミングはいつも難しい。蒸れて暑いので、不必要ならばできるだけ着けたくない。この日も昨日大雨が降ったにも関わらず、着けずにスタートしていた。しかし、今日は草がかなり濡れていたので、既にエクイリビウムはびっしょりで靴下も濡れてしまっていた。標高が2500mまでくらいで、前日に雨が降っていれば、無条件に着けるようなルールにしてもいかもしれない。遅ればせながら、スパッツを装着した。 北葛岳へ標高を上げている時の眺望は最高だった。南を見ると未だに槍ヶ岳がくっきりと見えた。また、八ヶ岳と南アルプスのちょうど真ん中に富士山が見える。これから行く方向には、赤牛岳に、「とにかくデカい」薬師岳も見えた。午前7時過ぎに、北葛岳に登頂した。山頂標識は傾いていて、北葛岳と書かれたプレートは割れて無くなっていた。「船窪小屋」という黄色いプレートは付いていたが、これだとここが北葛岳かどうか写真では分からない。しかし、眺望は本当に素晴らしかった。ちょうど北アルプスのど真ん中にあるからか、正に北アルプスが丸見えだった。しかも混雑する心配は多分ないだろう。この時も山頂は独り占めだった。針ノ木岳、蓮華岳の眺望が当たり前だが素晴らしい。今日の幕営地の針ノ木小屋も既にしっかり視界に入っていた。少し遠いが、槍穂高連峰も完璧に見える。野口五郎から水晶岳の歩いて来た稜線を見つめ、薬師岳から先に続く稜線に思いを馳せた。この稜線もいつかやらねば...。 北葛岳からは北葛乗越(2275m)にかけ276m標高を下げる。手前にそびえる蓮華岳(2799m)を常に前に見ながら、やっと蓮華の大下りがどこの尾根なのかが定まって来た。途中ちょっとした岩峰を乗り越えるが、基本ずっと下り続け北葛乗越にやってきた。ここでザックを下ろし、装備を整える。すると、後ろから熊鈴を鳴らせながら女性のソロ登山者がやって来た。昨日、船窪小屋前でお話した女性だった。常連さんの雰囲気を醸し出していた彼女は、実は船窪小屋は初めてだったそうで、この欠けている区間の軌跡を埋めるために、思い切ってやって来たそうだ。なかなか色んな所を歩いているらしく、八峰キレットも行ったことがあると言っていた。 下るのではなく登るのだが、ここからの「蓮華の大下り」が本日のメインイベントだ。標高を524m上げる。船窪小屋テント場で一緒だった男女のカップルの女性が、「あんなに蓮華の大下りが険しい岩場だとは思わなかった」と言っていたので、ここでヘルメットを着用することにした。ストックも使わないだろうと、ザックのサイドポケットにしまい、サイドベルトをしっかり締める。このソロ女性に、「ヘルメットにGoPro付ければいいやん、迫力あるで!」と言われ、「確かに!」と、面倒くさくて中々使うのが億劫なGoProをヘルメットに付け、午前8時40分過ぎにスタートした。 最初は鎖が付けられたまあまあ垂直な登りから始まる。しかし、とっかかりがしっかりあり、鎖は必要なく、気持ちよく登っていける。赤い〇や矢印もしっかりあり、ピンクテープあり、ルートも問題ない。序盤の気持ちのいい岩場の後は結構ざれた登りになる。こうなると、あまり楽しくない。ここから先も、勿論しっかりは登るものの、特に難しかったり危険な場所はないように感じた。10分で50mほど標高を上げるゆっくりしたペースで登っていたせいか、蓮華岳まで特に疲れることはなかった。しかし、最後延々とざれた登りをつづらに登る。ヘルメットを外し、ストックを出して登ったが、かなり長く感じた。 午前10時20頃、蓮華の大下りを終え、蓮華岳の稜線に辿り着いた。ここの分岐にあるのが、山頂標識兼道標なのだが、去年の11月に来た時には、ちゃんと蓮華の大下り側の面に「蓮華岳 二,七九九m」と黄色の裏地に黒い文字で書かれていた。 (https://yamap.com/activities/20635035) しかし、今回はその面にかかれた文字はなぜか全部消えてしまっていて、黄色い裏地だけになっていた。「あれ、これ確か山頂標識だったよね…」と思ったものの、100%の自信はない。少し先には三角点があるだけで、他に何もなかった。後日、ひかりものさんのレコを見ると、その後、この古い山頂標識は撤去され、8月17日に新しいものが設置されたようだ。 蓮華岳から針ノ木小屋へ向かう。時間にはかなり余裕があるものの、針ノ木小屋テント場は予約不要で、いい場所に張れるかどうかは先着順だ。前回針ノ木小屋から蓮華岳に登った時は、「楽チンな登山道であっという間」と印象を受けたが、今回は、全くそうは感じず、針ノ木小屋までものすごく長く感じた。やはり蓮華の大下りが堪えたのか、あるいは山行も7日目に入りそうは言っても疲れが溜まっていたのか。11時過ぎに、針ノ木小屋に到着した。ここは、必ず受付後に設営するようにウェブサイトに記載されていた。小屋前のベンチにザックを下ろし、小屋に入って行った。扉を入ってすぐに、テント泊受付の特設コーナーが作られていて、そこに若い女性の小屋番が控えていた。「テントの受付をしたいのですが…」というと、すぐに対処してくれた。受付前に小屋の前から下を見下ろすと、去年の11月に張った小屋から一番近い一等地には、テントが既に4張りほどあり、いっぱいで張れないようだった。そのことを彼女に言い、「これはやはり、針ノ木岳の方に100m登った辺りに張らないといけない感じですか?」と聞いてみた。すると、「いや、今日はまだ20張も受付終わってないので、通常の場所に張れますよ」と教えてくれた。僕は勘違いしていたのだが、その針ノ木岳の方へ100m行った場所と言うのはかなり上の方のことで、通常のテント場内の階段を登って稜線に出たところのことでないようだ。「あ、後、夕食もお願いしたいのですが」と彼女に言うと、「すみません、夕食の受付はあちらの小屋泊受付でお願いします」と小屋番の男性が座っている受付を指差された。1人小屋泊の受付中だったので、後ろに付き少し待った。僕の順番になり、「テント泊なんですが、夕食をお願いします」と言うと、「基本、カレーの盛り合わせなんですが、よろしいですか?」と断りを入れられた。「はい、大丈夫です」と言うと、「では、テン泊者の場合300円増しになるので、2500円です」と言われた。「テン泊者だと割増なのはなんでやねん?」と思いながらも、相手の言い値でマインする癖がすっかりに染み付いていたので、素直に2500円を支払った。ちなみにウェブサイトには2100円とあるが、値上げされたのかもしれない。 小屋を出て、テント場内の階段を登って行く。遅い時間になるとこの階段にも無理やりみんなテントを張り始める。2人用テントだとかなりタイトになってしまうだろう。まだ僕が物色していた時は階段に張っている輩はいなかった。後立山側が見える稜線の一段手前に、そこそこ平らで広いスペースが見つかった。更にその左上にはもっと広いスペースも空いていたのだが、かなり地面が斜めになっていて、寝るのが難しそうだった。地面の傾斜は足元が下がっている分にはまだ寝れるが、体が左右に斜めになるとなかなか難しく、そうならざるを得ないような地形だった。高速でテントを張って行く。とにかく早く張って、荷物を中に避難させないと、またいつ雷雨が降って来るか分からない。また、早く設営を終え、ビールを買いに小屋に戻りたかった。狭いスペースながら、ちゃんと張り綱も4か所留め、Tiny PumpXでマットに空気を入れ、シュラフとアルパインダウンパーカをスタッフバックから取り出した。 取り敢えず、粗方完了したので、ビールを買いに、テントサンダルで坂を下りて行く。小屋までの道は岩場もあって、本当はテントサンダルだと危ない。特に雨が降るとその岩が濡れるのでなおさらだった。こんなところで怪我をしないよう、慎重に下りて行った。ビールは、小屋の土間スペースにある大きいバスケットの中に、氷水に浸けられて冷やされていた。それを自分で拾ってお金をし払うシステムだ。スーパードライ350mと端麗500mlがあり、どちらも同じ値段だった。また、先ほどの若い女性の小屋番が対応してくれた。「サイズ違いで、値段が同じなんですね?」と言うと、「はい、量をとるか質を取るかを選べます」と少し面白い。僕は端麗も嫌いではないので、それぞれ1缶ずつ取って彼女にお金を払った。値段は勿論覚えていない。大体どこの小屋でも350mlで600円から900円の間だった。テント場がかなり混雑していると感じだたので、そのことを彼女に言ってみると、今日はそれでもかなり空いている方らしい。その時12時過ぎだったが、「でも、今日はまだ30張りですが、先週末は70張り、その前の3連休は90張りでした。なので、午前11時の時点で既に針ノ木岳方面の遠い場所に張ってもらいました」。針ノ木小屋テント場はなぜかとても人気のようだ。帰りに水を3L調達した。小屋の入り口から少しテント場側に行った所に、水の販売所がある。 テント場に戻って来た。ものすごく暑くてテントの中では過ごせない。なので、テントの外にたまたまあった大きめの石に座って、ビールを飲むことにした。Cascade Wildの段ボールテーブルも外に出し、その上にビールの缶を置く。かなり臭くなっている靴下を張り綱に挟むようにして干した。テントの設営が終わると、いつもすぐに靴下を脱ぎ、エクイリビウムからSUPERfeet(インソール)を取り出し、全部干していたが、中々それだけでは臭いが取れなかった。かなり暑いが、また棒ラーメンを作って食べる。テントの外に出ていると日差しはキツイが風は涼しかったので、棒ラーメンも悪くなかった。 1時40分頃、また雨が降り始めた。急いでテントの中に入る。今回の山行ではうまい具合に行動中の雨はほぼ避けることができたが、毎日午後に降る雨には辟易していた。結構降り続き、夕食の時間に大雨だったらどしようと心配する。幸い夕食の時間の午後5時10分の少し前に、絶妙なタイミングで雨が止み、雨が止んでいる隙に先ほど飲んだビールの缶を持ち小屋に向かった。小屋の土間で待機していると、夕食の案内が始まった。ここは床に胡坐のスタイルでの食事だ。恐らくソロの人ばかりが集められた一番奥の一番端に案内された。食事は、予告されていたように、基本カレーライスだった。しかも、おかわりはご飯のみでルーはできない。夕食代の値上げと言い、食事の質の低下といい、非常にがっかりだった。しかし、ちゃっかりご飯はおかわりさせてもらった。普段糖質を毛嫌いしているが、今回は異常にご飯に執着していた。 雨の隙間を縫い、無事にテント場に戻って来た。今日は本当に楽な行程だったので、とてもゆっくりできた。少し意外だったのは、この針ノ木小屋テント場はユルい中堅(30歳アラウンド)の登山者が多いことだった。彼らは山行自体がユルく1人で行動できないので、仲間内でよく話しをする。しかし、かなり遅い時間に到着し、みんなのテントの隙間に無理やり張ったシニアの男女も負けず劣らずうるさかった。特に男性がずーっと女性に話しかけていて辟易した。テント内のマットに座っていると、頭が天井に当たってしまうので、ついつい猫背になってしまう。それが腰にかなり負担だった。横になれば楽なのだが、そうすると他に何もできない。何か背中の下に入れるクッションのようなものがあると便利だなぁと思っていた。明日は後半戦に突入し、今日よりもぐっと山行時間が増える。でも去年の11月にやった針ノ木サーキットとほほ同じルートなので問題はないだろう。幕営地は冷池山荘で、ここも去年の5月に赤岩尾根から鹿島槍ヶ岳をやった時に幕営したことがあった。予定では午前5時スタートだったが、訳あって少し早めにスタートすることにした。 Day8 8月6日(日) 針ノ木小屋〜冷池山荘 「ピザを目指して針ノ木サーキット」 この北アルプス南北全踏破では「頑張らない」と決めていた。長丁場だし、十分な余裕を持って行程を作成したからだ。しかし、今日は例外だった。「どうしても種池山荘でピザを食べたい」。種池山荘のピザはかなり人気で、昼頃には通常売り切れてしまうようだ。 4時にスタートする予定が、またレインフライの雨の拭き取りに手間取り、4時15分スタートになった。針ノ木岳の頂上での御来光を目論んでいたが、この15分の遅れがあだとなった。針ノ木岳の少し下での御来光となる。大雲海に浮かぶ蓮華岳の左手から太陽が上がる。最高の8日目のスタートだ。少し前方には、おそらくガイドに率いられたかなり大勢のグループ登山者が歩いていた。徐々に差を詰めていたが、結局追い付かずに針ノ木岳山頂(2820.7m)に到着した。針ノ木岳山頂の眺望は最高で、11月に感動したのと遜色のない絶景を楽しむことができた。ここは本当に立山が近い。朝日に照らされた立山と劔岳が、足元の黒四ダムの青に映える。これから行く縦走路にはずっと名前を勘違いしていた「スバリ岳(ズバリではない)」、その先には後立山連峰の爺ヶ岳、五竜岳、その先の白馬三山も遠く見渡せた。なんとも美しい。反対側を向けば、赤く染まった槍から前穂までの稜線が、鬼の角の様になっているのが見え、歩いて来た稜線が一望できた。 ピザが頭から離れないので、ここでサングラスを出し、ソーラーパネルをセットして先を急ぐ。ここから一旦150mほどざれた急坂を下る。ちょうど同じタイミングで針ノ木岳山頂を出ようとしていた、ソロの若い男性と、同じくソロの同世代の女性に先を譲ってもらった。スバリ岳までは、右手に大雲海を見ながら歩く。スバリ岳も晴れた朝の空にきれいに浮かび上がる。午前6時頃、スバリ岳(2752m)に到着した。まだまだ天気は最高で、針ノ木岳山頂と似た景色だが、立山連峰がキレイに見えた。 この辺りから徐々にガスが湧き上がって来た。今回の山旅では毎日朝一は最高の天気なのだが、かなり早い段階でガスまみれになることが多かった。「まあ、ず〜っと天気よかったから、しゃーないか」と諦めながら歩く。午前7時半頃、赤沢岳に登頂した。ここまでかなりガスガスだったのだが、ここで奇跡的に「さぁーっ」と急速にガスが晴れた。ここからは、針ノ木岳がかなりかっこよく見える。もしかしたらスバリ岳かもしれないが、写真を見る限り針ノ木岳だろう。もちろん、黒部湖を前に赤牛岳と薬師岳、少し雲がかかっていた劔岳も見ることができた。 恐らく、ここから鳴沢岳までが「これでもか!」というほど偽ピークを越えていく。「もう、これ鳴沢岳やろ?」という期待を5回くらい裏切られる。8時半頃、やっと本物の鳴沢岳(2641m)に登頂した。残念ながらこの頃には完全にガスガスで、この後ずっとガスが晴れることはなかった。鳴沢岳はかなり荒々しい岩山だ。なので、山頂からの下りには気を付けるべしだ。11月に来た時には、雪があり少し岩が凍っていたせいでもあるが、滑ってこけそうになり、かなり肝を冷やした。 ここから新越(しんこし)乗越までは200mほど高度を下げる。結構な下りでかなり疲れた。新越山荘が近づくにつれて、道がなんとなく整備されてきて、歩き易くなった。新越山荘の少し手前の登り返しで、後からスゴイスピードで迫ってきていた女性2人組に先を譲った。少し前から話し声が聞こえ、女子っぽい声なのにすさまじい速さで焦っていた。道を譲るときに出で立ちを見ると、確かに軽荷かつローカットのトレランシューズのようの靴を履いていたが、ただ物ではない2人に見えた。すれ違いざまよく顔を見ると、ひかりものさんのレコを通じて存在を知り、こっそりフォローしているshinnさんに違いなかった。やはり噂通りのファストハイカーだ。 新越山荘の前にやって来た。時刻は9時半頃でなかなかいいペースだった。小屋はひっそりとしていたが、小屋前に2人の男性の若者が座っていた。「ここはやってるんですかね?」と休憩中の登山者だと思ったので聞いてみると、声をそろえて自信満々に「やってます‼️」と言う。「あー、もしかしてこの小屋の方ですか?」と聞くと、「そうです‼️」。ピザが頭から離れない僕は、「種池山荘って今日ピザやってますよね?」と、同じグループだから知っているだろうと聞いてみた。すると、元気よく「やってます‼️」と答えてくれた。親切にも「10時からです!」と教えてくれる。「10時には着かないので、大丈夫です😅」と苦笑いしながら答えた。 ここから、次のピークは岩小屋沢岳というのが一般的だが、その前に「新越岳」というピークがあるの知っているだろうか?少なくとも僕は前回同じルートを歩いたにもかかわらず覚えていなかった。新越乗越(2462m)から岩小屋沢岳(2630.5m)までは168.5mの登り返しだが、その手前の2623mが恐らく新越岳だ。下からそちらを見上げるとかなり登り返さないといけないとの印象を受けた。新越山荘の手前で先を譲ったスーパーガールズには、あっと言う間に差を開けられた。恐らく彼女たちと思われる人影が、その遥か彼方にあるピークに見える。この時まだ新越岳の存在を知らなった僕は、その人影の挙動に違和感を感じた。ピークと思われる場所に到達してから、ウロチョロしているように見える。おまけに、ピークからわざわざ下りてきたようにも見えた。「何なんやろう?」と不思議に思ったが、それは後ですぐ知ることになるが、不思議な新越岳のせいだった。 普段なら牛歩戦略で登る所だが、ピザが頭から離れない。その謎のピークに向けて「頑張って」登って行く。すると、注意書きが現れた。「40m先の頂上までは行けますがその先は道がないので必ず戻ってきて下さい(通り抜けできません)」。さらに、その下には、「この頂上は”新越岳”であり、岩小屋沢頂上はここから種池方面へ15分程度行ったところです」とあった。「なるほど、まずはマイナーピークがあるのか、まあ、行くしかないでしょ」と先を進む。すると、更に注意看板が出て来た。「これより通行禁止。元の道へ戻れ!」。確かにその先はハイマツ帯で道はなさそうだった。「新越岳」の山頂標識のようなものもなかった。僕も、ウロチョロし、元来た道を戻った。正に、スーパーガールズと同じ行動をとったわけだ。時刻は午前9時半頃だった。 そこからすぐに岩小屋沢岳に登頂した。時刻は9時44分で、正に道標通り、新越岳から15分かかっていた。ここから標高2400m弱の種池山荘までは、230mほど下り50mほど登り返す。この下った後の登り返しがきつかった。種池山荘に近づくにつれ、登りは整備された木階段なのだが、それが長い。「ひーひー」言いながら登り返しを続け、やっとテント場の前を通り種池山荘にやって来た。時刻は10時50分頃だった。相変わらずガスガスで風が強い。一番手前側のテーブルにザックを下ろそうと、既にそこに座っていた少し年長そうなソロ登山者に断りを入れた。ザックを下ろし、急いでピザの焼き場に行く。そこには、「種池名物ピザ祭り 数量限定 ご注文はフロントでお願いします」というでかい看板があった。急いで小屋に入り、土間にある「フロント」に行った。早速ピザを注文する。なぜか「お一人でお召し上がりになりますか?」と質問され、「はい」と答えた。もちろんビールも購入した。当然値段は覚えていない。ピザを注文すると、引換券を渡され、それには大きく「26」と書かれていた。後から知るが、ピザは1日限定30枚らしく、この時間でも結構ぎりぎりだったようだ。 かなり長い時間待って、焼きあがったピザを受け取った。席に戻り、ピザとビールを楽しむ。かなり風が強く寒かったので、たまらずウィンドブレーカーを羽織った。もともと座っていた男性は、冷池山荘に泊まり、鹿島槍ヶ岳北峰に行く予定でヘルメットを持ってきたが、疲れてしまい結局行かずじまいだったそうだ。またこの男性にも、中の湯をスタートして今日は8日目で、親不知を目指していると説明した。また驚かれた。「最後まで行くとどれくらいの距離になるんですか?」と聞かれたので、「130から140kmだと思います」と言うと、「ひぇ〜」。彼は「無事にゴールされることを祈っています」と言いながら、柏原新道を下りて行った。 ピザは旨かったのだが、あまりに寒く、あっという間に冷えてしまった。量的には、1人で1枚は余裕で、腹八分といったところだ。先程の男性に、ここから冷池山荘までは2、3時間だと聞いていた。今が、11時半前だから、午後2時には着きそうだ。ガスガスの中、まずは爺ヶ岳南峰を目指す。爺ヶ岳には縁がないのか、前回来た時もガスガスだった。今回は、それでも冷池山荘に行くしかないので、ガスガスの中登って行く。その登りの序盤で、若い男性登山者が僕を追い抜いた。何故だか後ろから、「今日はどちらまで?」と話しかけた。「冷池山荘山荘です!」と言うので、「あ、一緒ですね!」と、不思議と意気投合するような雰囲気に包まれた。彼はスーパーハイスピードだったものの、結局キレット小屋の先辺りまで、抜きつ抜かれつ一緒に歩くことになる。登りながら、彼にも僕の今回の山行の説明をした。彼も、「すごいですね!」と興味を持ってくれた。しかも彼は栂海新道経験者らしく、ルートのことも教えてもらった。栂海新道はやはりかなりキツイコースで、特に水がない栂海山荘の前に、いかに水を確保するのか大変だという。栂海山荘の前に犬ヶ岳というのがあり、その手前にある水場で水を調達するのがセオリーだが、その直後の犬ヶ岳への登りが返しが結構エグイという。 正午過ぎに、爺ヶ岳南峰に到着した。ザックは山頂までは担がず、下の登山道の分岐にデポした。完全なるガスガスで何も見えない。それでも山頂はそこそこ賑わっていたが、山頂標識をさっとカメラに収め、ザックに戻った。次の中峰についても、ザックを担いでいけば、山頂経由で登山道に復帰できるのだが、やはり下の登山道にデポし、山頂に向かった。中峰には、種池山荘にいたユニークな子連れ男性登山者が既にいた。彼は、2歳ぐらいの子供を特殊な背負子のようなもので担ぎ、ここまで登山を続けているようだった。かなりたくましい体をしていて、相当な猛者なのだろう。ここからどこに行くのかは聞かなかったが、恐らく種池山荘に戻るのだろう。 爺ヶ岳北峰は山頂には登れないので、登山道で山頂直下を通過した。また、先ほどのハイスピードガイに中峰で抜き返されていた。ここから冷池山荘は比較的楽だ。最後に少し登り返しがある以外は、基本的に下り基調だった。北峰からほんの20分くらいで、冷池乗越に到着した。赤岩尾根からここに来た時は、途中恐ろしいトラバースがあり、ここで「やれやれ」と思ったのを思い出した。 (https://yamap.com/activities/17650325) 冷池乗越からも、特に苦労することなくすぐに冷池山荘に到着した。時刻は午後1時40分くらいだった。小屋の前のベンチにザックを下ろし、小屋の土間に入ると、ハイスピードガイが一通り受付を終えたところで、ほとんど待たずに受付をしてもらう。テント代2000円と、ビール、つまみ、さらに夕食もお願いした。もちろんいくら払ったかは全く覚えていなかったが、たまたま取っておいたレシートによると、夕食は2900円だったようだ。ここは、テン泊者にも水を1L無料でサービスしてくれる。実際には、1Lの水券をプレゼントしてくれる。更に欲しければ、その水券を受付でさらに購入することができる。水不足で、後立山連峰の五竜山荘と唐松頂上山荘では水の販売制限がかかっているという情報を得ていたが、冷池山荘の受付でもそのことを知らされた。五竜山荘では500mlペットボトル1人2本まで、唐松頂上山荘では通過者には一切販売停止のようだ。冷池山荘では今のところ制限をかけていないので、「ここで少し多めに持っていくことを検討された方がいいかも」と提案された。しかし、少し妙だった。と言うのも、結構雨が降っていたからだ。しかも「一人500mlのペットボトル2本」と言ういい方は、雨水には当てはまらない言い回しだ。「後で電話して確認しないとな…」。ここのテント場は、またかなり小屋から遠い。「テント場までは遠いんですよね?15分くらいですか?」と聞くと、「まあそれくらいでしょうか?でもここまで来れるくらいの健脚の方だったら大したことないですよ」と何だか他人事だった。 とありあえず、水券を追加で2L分購入し、無料でもらった分と合わせて3L分確保した。ビールとつまみをザックに入れ、テント場に向かう。早く張っておかないと、どうせまた夕立が降るに決まっている。テント場までは結構登る険しい道だったが、重いザックを背負っていても、せいぜい10分程だった。以前、冷池山荘のテント場の前を通った時は、前方に劔岳が丸見えの、広々した最高のテント場に見えた。しかし、実際に張ろうとしてみると、中々厄介なテント場だった。まず、どこもあまり平ではなく、斜めっている。かつ、地面に岩がかなり出ていて、ストレスなくテントを張れるスペースが確保しづらい。その石のせいで、ペグが刺さらない地面だった。今回色んな人のテントの設営状態を見たが、僕の様に真面目にペグを使ってテントを張っている登山者はかなり少数派だった。大体、みんな適当に張り綱を岩に括りつけているだけだった。あれだと本当に強風になった場合、全く役に立たないだろう。僕は面倒くさいので、レインフライを冬と夏の兼用にしているので、自在をテント側に付けている。なので、岩を使って固定するのが難しい。どうしてもペグが使えない場合は、地面側のループに横向きにペグを通し、その両端を大きめの岩で押さえて固定していた。 一度目星をつけた場所をペグが刺さらないので諦め、組み上げたテントごと場所を移動した。どうせガスっているので、最初の場所は劔のビューがよさそうだったが諦めた。2時半頃には、テント内でビールを飲みながらまったりし始めた。ソーラーパネルを外に出し、雨が降るまで何とかモバイルバッテリーを充電しようと努力する。このテント場のいい所は、スマホの電波がバリバリにあることだった。これを生かし、2件電話をした。1件目は明日宿泊予定の五竜山荘に、本当に雨水の販売も制限しているかの確認だった。五竜山荘の場合は、電話をすると、恐らく下界の予約センターにつながる。その電話にでた明らかにあまり登山を分かってなさそうなおばちゃんに、「明日五竜山荘のテント場に宿泊予定です。水の販売を制限していると聞いたのですが、本当に雨水の販売も制限しているんですか?」。すると、彼女は「少々お待ちください」といって、誰かと確認し、「今のところ、雨水の販売は制限していません」と答えてくれた。「やはりな…。おかしいと思ったよ」と一安心する。その電話を切り、明日唐松頂上山荘のテント場で幕営予定のハイスピードガイにそのことを教えてあげた。彼も水のことを心配していたからだ。「ありがとうございます!とすると、唐松行く前に、五竜山荘に寄って雨水を確保するというのがベストですね」。「そう、だからここ(冷池山荘)で余分に持つ必要はないで」。確かに唐松頂上山荘はそもそも雨水の販売はないので、どこかでは確保しないといけないだろう。 次は、そろそろ無事にゴールできる目途が立ってきたので、親不知観光ホテルにゴールする11日に宿泊可能かを電話した。電話には男性が出た。恐らくオーナーだろう。「今、北アルプス縦走しているんですが、11日に親不知にゴールします。11日に宿泊することは可能ですか?」と聞いてみた。この長旅を無事にやり遂げられたら、ホテルでうまい海鮮料理でも食べてゆっくりしたかった。根拠なく当然空いていると思っていたので、彼からの返事は意外だった。「無理ですね。お盆のトップシーズンなので、もう予約でいっぱいです」「あ...やっぱりそれって登山者の方でいっぱいなんでしょうか?」と無意味な質問をすると、「いや、普通の帰省とかですかね...」「キャンセルが出る可能性ありますかね?」「まあ難しいと思うよ」。新幹線で東京に帰るというと、「後は糸魚川に2軒ビジネスホテルがあるから、そっちを当ってみたら?でも2軒しかないからそこもすぐにいっぱいになるよ」という。なるほど、でも、折角ゴールしてビジネスホテルは嫌だな...。「まあ、また直前に電話して下さいよ。多分空きは出ないでしょうけど」。「あ、日帰り入浴はやってるんですよね?」と念のため聞くと、「午後3時半までならやってますよ」と教えてくれた。電話を切り、確かに前もって予約をするべきだったが、「ここまで順調に事が運ぶがどうかは分からなかったもんな…」と、自由を求める山旅の難しさを再認識した。 電話を終え、今度は電波がしっかりあるのを利用して北陸新幹線の予約に取り掛かった。普通にゴールすれば、午後1時半頃親不知観光ホテル到着だった。風呂は長くても1時間とすれば、3時から4時くらいの新幹線でいいはずだ。しかし、険しい栂海新道を予定通り通過できる保証は何もない。下手をしたら2、3時間の遅れが出る可能性だってあった。なので、かなり遅めの午後7時2分糸魚川発「はくたか574号」を予約した。Wester会員なので、発車の直前まで何度でも列車変更ができるので、時間が定まって来た段階で時間を早めようと思っていた。 やっと一通り仕事を終え、5時の夕食までテントの中でゆっくりし始めた。すると、予想通り、午後4時頃、夕立が降り始めた。かなり激しく長い時間降り続いた。全く止む気配がなく、4時半を過ぎ焦り始めた。夕食の5時に小屋に着いているためには、遅くとも4時50分にはここを出ないといけない。しかし、この豪雨の中外を歩くのは自殺行為だ。「夕食諦めようかな…」と思い始めた午後4時50分頃、ぴたりと雨が止んだ。「チャンス!」と、用意していたアタックザックに、水用のソフトボトル、傘、レインウェアを入れ、急いでテントを出た。ここはあまりに道が危ないので、テントサンダルではなくエクイリビウムで小屋に向かった。急いだ結果、午後4時58分に小屋に到着し、夕食の列ができ始めた頃にそこに合流することができた。 テン泊者が小屋での夕食を頼むと「夕食券」を渡されるのが普通だが、ここではそんな面倒くさいシステムはなかった。列に並び、自分の順番になり名前を言うとちゃんと僕が夕食を頼んだことが把握されていた。穂高岳山荘では夕食券をなくして焦ったので、夕食券が不要のシステムは有り難かった。案内された席に着くと、また雨が激しく降り始めた。テーブルに用意されていた夕食は、久しぶり見る「普通の」夕食だった。焼き魚とヒレカツがメインで、その他にも卵、シュウマイ、小鉢のそばとロールキャベツが付いていた。ご飯とお味噌汁はお代わり自由で、その場合、黙って挙手すると、小屋番がお盆を持って器を取りに来て、よそって持って来てくれる。ただ、相変わらずコロナ禍の習慣が色濃く残っていて、誰もしゃべろうとしない。黙々と下を向きながら夕食を食べるさまが異様だった。ソロの人が集められたテーブルとは言え、会話をすれば絶対話が弾むはずなのに、とても残念だった。 夕食を終え、まずは3L分の水を調達に行った。小屋から右に出ると水の販売所がある。そこで、容器と「水券」を渡すと、小屋番が蛇口から水を出し容器に入れてくれる。水を調達し、また小屋に戻った。テント場にはトイレがないので、このタイミングで大きい方を処理できると完璧なので、受付近くの休憩ペースのベンチに座り、機が熟すのを待つ。そこには真夏なのに「ストーブ」が置かれていて、みんなその周りに集まっていた。確かに、足をその暖かいストーブに出すと心地よかった。やはり夕方ともなると、一気に冷え込みが厳しくなるということか。かなり長い間そこに座っていたが、本格的に機が熟すことはなかった。念のため、小屋のトイレに行ってみたが、目的を果たすことはできなかった。「雨が降ってないうちにテント場に戻るか…」 テント場に戻って来た。雨に降られるのが怖かったので、ものすごいダッシュで坂を登ってきた。先程大雨だったので、僕がテント場へ登っている時に、テント場にいた登山者たちはいっせいに、「やれやれ」と小屋に向かっていた。多分、トイレや買い出しなんだろう。途中、買い出しを終え、ゆっくり登っている年配のテン泊者を追い抜いた。テント場に着くと、あまりに急いだので「ぜぇーぜぇー」と上がった息が中々おさまらない。テントに入った頃、さっき追い抜いた男性が全く息を切らさずにテント場に戻って来ていた。結局多少急いだところであまり時間は変わらず、息が無用に上がってしまうだけ割が合わないということを思い知った。 この日は、ここからものすごい雷雨になった。雷の音がとても大きい。ぴかっと光ってから轟音が鳴るまでの間隔が徐々に短くなってきた。「これ、やばいな…。このテント場危ないんちゃうか?」と本気で心配した。翌日、ハイスピードガイと話すと、彼も同様の心配をしていたそうだ。テントの中から動けずどうすることもできないので、観念して耳栓を入れシュラフに潜りこんだ。 Day9 8月7日(月) 冷池山荘〜五竜山荘 「八峰キレット恐るべし」 9日目の朝、いつもより30分早い午前1時半に掛けた目覚ましで起きた。明日が山行時間10時間を超える核心なので、それに備え今日から30分早く起きることにしていた。心配された雨は、この時間にはしっかりと止んでいた。あれほど激しい雨が、行動前にはぴたりとやむ幸運に感謝した。びしょびしょのレインフライを拭きあげながら撤収して行く。30分早く起きたものの、撤収に手こずり、いつもと変わらない4時15分頃のスタートとなった。今日は、鹿島槍ヶ岳北峰から八峰キレットをやり、五竜山荘までの行程だ。テント場から鹿島槍ヶ岳北峰までは去年の5月にやっているので、勝手の分かった道だった。南峰までは特に危険な道はない。しかし、北峰から先は未踏の地で、三大キレットの2つ目に挑戦することになる。 昨日の大雨から雲海が広がり、雲は多めだが布引山までは眺望抜群だった。布引山の少し下でライジングサンを迎えた。5時過ぎに布引山に登頂した。布引山は山頂標識が新調されており、去年は分かりにくかった山名がはっきりだった。この布引山でヘッデンをしまったり、ソーラーパネルをザックに装着したりしてもたついていると、早くも猛烈にガスってきてしまった。この布引山から鹿島槍ヶ岳南峰までが思ったより遠い。すぐ前に見えている鹿島槍ヶ岳の南峰・北峰のようなピークは全くの偽物だった。 ガスガスの中、そこそこ大変な登りをやり、1時間後の6時頃、鹿島槍ヶ岳南峰に到着した。布引山で一緒で先行していた軽荷の男性2人パーティもまだ山頂で写真を撮っていた。残念ながらガスガスの山頂に、写真をメインに登っているような彼らは、特にがっかりしているようだった。西側の空が少し明るくなっているように見えたので、「なんか晴れてきそうですよ」と彼らに言ってみたが、「ホントですか?」と言いながらも、彼らは北峰へは行かず、すぐに南峰から下りて行った。 晴れる自信はあまりなく、彼らを慰めるために言った言葉だったが、しばらくすると、それが正に的中し始めた。スゴいスピードでガスが切れ始め、あっという間に絶景の鹿島槍ヶ岳南峰に早変わりしてしまった。まだ山頂に来てから10分も経っていなかった。劔岳方面はほぼ完璧だった。北方稜線の猛烈の切れ込みが顕になる。最近滑落が頻発している小窓ノ王があのどこかにあるのだろう。南方向を見ると、少し雲がかかりながらも、槍ヶ岳から前穂の鬼の頭も見えていた。そして、北峰の後に行く五竜岳までの稜線も、右側にかかった雲が絶妙のアクセントになり、八峰キレットの恐ろしさを強調しているように感じた。 午前6時半前に、北峰へと行動を開始した。北峰までは一度行っているので、特に怖さはない。前方を見ると、雲の中から北峰が平らな頭を出していた。青空に暗い雲が入り乱れた幻想的な空を背景に、かなり不気味な様相を呈していた。右側に雪渓が残るやせ尾根を歩き、北峰直下までやって来た。ここが八峰キレットとの分岐になる。ここにザックをデポして、北峰に登り始めた。北峰まではざれた急坂だが、荷物を何も持っていないので余裕だ。あっという間に北峰に登頂した。時刻は午前6時50分頃だった。ここの山頂標識も去年は倒れていたのだが、しっかり岩で支えられ立たされていた。依然として雲は多めだが、五竜岳方面が一番天気がいいように見えた。眼下には既に小さくキレット小屋が見えている。南峰を仰ぎ見た。ガスは掛かっているが、北峰と対照的な尖った頭が見える。その右奥の劔岳はガスもなくしっかり見えていた。キレット方面の天気がいいのは幸先がよかった。八峰キレットは勿論今日の核心で、昨晩の雨で濡れているだろう岩が気がかりだった。「なるべく乾いてくれ...」 僕が北峰に登り、ザックのデポ地点に下りてきた時、例のハイスピードガイが追い付いて来た。もたもたしていてテント場を5時スタートになったが、ここまで2時間でやってきたそうだ。やはりハイスピードだ。7時頃、八峰キレットに突入した。しばらくは問題のないトラバースが続く。しかし、やはり危惧した通り、岩が濡れていて全般的にかなり滑りやすかった。またルート的にも、キレット小屋が近づくにつれて徐々に険しくなる。特に小屋のすぐ近くはかなり危ない。崖の上からキレット小屋を見下ろしながら、「ようこんな所に小屋建てたな…」と誰もが抱く感想を口にした。慎重に崖を下り、キレット小屋の前にやって来た。時刻は午前8時過ぎで、予定到着時刻よりも1時間半も押していた。「なんでこんなアグレッシブな計画にしたんや...。コースタイム書き写し間違えたかな…」。取り敢えず、小屋の前のテーブルにザックを下ろし休憩する。すぐに、ハイスピードガイもやって来た。まだ軽食はやっておらず小屋はひっそりしていた。仕方がないので、軽食を摘まみながら腹を満たした。 しばらくして、五竜岳側から、軽荷の男性ソロ登山者がやって来た。彼も汗まみれでかなり疲れた様子だった。この時点で1時間半も遅れていた僕は、「ここから五龍岳までどれくらいですか?僕は今日中に着きますかね...?」と答えに窮する質問を投げかける。結構弱気になっていた。すると、「着くんじゃないですか?ここまでは4時間くらいでしたよ」と言う。今が8時過ぎだから、確かに4時間だと昼過ぎだな...。もちろん彼は軽荷で、基本五竜からだと下り基調だから、僕は4時間では着かないだろう。でも、仮に5時間かかったとしても、まだ午後1時過ぎだった。大分気持ちが軽くなってきた。多分、行程表を作る時に、キレット小屋までの所要時間を書き間違えただけだろう。ちなみに、このキレット小屋のテラスからの劔岳の眺めは最高だ。 15分程の休憩の後、残りの行程をスタートさせた。一旦登りでスタートするが、その後鎖のついた長い下りになる。この少し手前でハイスピードガイに先を譲っていたが、岩場になると僕の方が得意なのか、すぐに差が詰まってしまった。この長い下りは落石も危ないので、彼が安全な場所に下り切るまでずっと上で待っていた。「OKです!」と声が掛り、やっと崖を下りて行く。特に難しい下りではなかったが、重荷なので慎重に足場を確認しながらゆっくり下りた。ここからの彼は速かった。多分僕をかなり待たせてしまったので、僕との距離を開けようと結構急いだのだろう。僕が崖を下り切った時には、遥か彼方のピークの辺りに彼の影が見えた。やはり普通の道では全く敵わなかった。 ここからは独りで進んで行く。しばらくして、恐らくこの稜線の最低鞍部のロノ沢のコル(2416m)へやって来た。完璧なまでの幕営地を擁していたが、そのすぐ隣の岩には「テント禁止」と黄色いペンキで書かれている。「なんでやねん⁉️」。確かにどこでもテントを張れるようなると、みんながむちゃくちゃするリスクはあるが、もう少し自由があってもいいのではないだろうか?ここからは北尾根ノ頭に向けて150mほど標高を上げる。もうこの頃には登りのスピードが全く出なくなっていた。今回習得した、牛歩登り以外には使えない状況だった。 午前9時50分頃、北尾根の頭に到着した。小さいがちゃんと山頂標識のようなものもある。ここを越えると、一旦ルートがどちらか分かりにくくなる。「こっちなんかホンマに?」という方向に来て、一番の上の岩峰に登ると〇が出現するというパターンだった。ここからの下りは少し危なかった。鎖場、梯子が続くような中々の高度感のある下りもあった。天気は、残念ながらまたガッスガスになり景色を全く楽しめなくなっていた。「もうちょっと晴れてほしいなぁ…」 恐らく最後の五竜岳への登りの取り付きに到着した。時刻は10時半頃だった。最初はザレザレの岩の登りから始まる。斜度は大したことはないが、なかなか足を取られる。「これずっと登って行くんか…。これは雪の方が登りやすいやろうな」。あまりにもきついので、少し行った所でザックを下ろし、しまっていたもう一本のストックを出した。更にそこから高度を上げると、細かいざれた岩から、大岩地帯に入って来た。鎖もかかり始める。どちらかというこういう感じの方がありがたかった。しっかりと黄色い〇が付けられているので、ルートは難しくなかった。更に行くと、G5やG4と言った岩峰を縫って歩くようになってきた。鎖も常駐し始める。「気を付けて行きましょう!」と自分に声を掛ける。そのあとすぐに、結構危ない下りも出て来た。下を見下ろしながら、「これしゃーないやつね、下りなアカンやつね」と慎重に岩を掴みながら下りる。そしてまた激しい登りになる。この辺りは岩が濡れていたらかなり嫌なルートになることだろう。 11時頃になり、五竜岳が視界に入り始めた。相変わらず岩のやせ尾根を慎重に進んで行く。トラロープと鎖が入り乱れ、ややこしい崖を下りてすぐ登り返すようなテクニカルな場所もあった。ガスっていたからかもしれないが、登りに集中していたのか、この辺りの写真はあまり残っていなかった。かなり五竜岳に近付いてきた頃、7、8人の団体に追い付いた。全員ハーネスを装着し、ガチャも身に着けている。かなりゆっくり歩いていて、僕に気付くなりいいタイミングで先を譲ってくれた。11時50分頃、五竜山荘との分岐にザックをデポし、ようやく「五龍岳」に登頂した。願いは通じずガッスガスのままの山頂だった。去年の4月の初旬に遠見尾根から来た時は恐らく雪に埋もれていた「五竜岳」の木の板を拾い、胸の前で抱える。 (https://yamap.com/activities/16722413) 景色的には残念だったが、ちゃんとほぼ予定通りの時間に五龍岳に到着できて安心した。八峰キレットは無事に通過し、五龍岳直下のテクニカルの岩場も無理なくこなすことができた。ザックのデポ地点に戻って来た時、先ほどの団体が分岐にやって来た。「こんな天気だけど、一応山頂行くよね?」とリーダーが仲間に確認していた。その彼が僕に気が付き、「お疲れ様でした」と挨拶してくれた。そして、僕がソーラーパネルをザックに装着して歩いていることにも気付き、「ソーラーパネルを付けて歩いているということは、かなりの長期縦走なのかな?」と質問してくれた。「はい、中の湯をスタートして、今日は9日目です。親不知がゴールですが、後4日残ってます」と答えると、みんな一斉に大きな声を上げて驚いた。この縦走でいつも気持ちのよくなる瞬間だった。 この分岐からは序盤こそ少し危ない下りだが、そのうち緩やかな歩き易い道に変わる。後はひたすら下るだけだ。この道も残雪期に一度歩いているので、特に問題はなかった。残雪期はこの辺は「アカン連続トラバース」で中々大変なのだが、さすがにシーズンは余裕だ。山頂から30分程で、12時半頃、五竜山荘に到着した。予定より朝早く出発したので、その分早く着いた感じだった。キレット小屋からは予定していたペースよりもかなり早く歩けたことになる。やはり傾向として、危険な岩場があった方が、むしろペースが上がるようだった。 また例によって先に設営してもいい確認を得ていたので、その辺りを歩いていたカップルのテン泊者に挨拶をし、どの辺りに張っていいのかを確認した。小屋と同じ段にはせいぜい二張りしか張れず、既に一張りが張られていた。一番下の段は誰も張っていなかったが、小屋に上がるのが大変そうだった。なので、2段目の小屋へ上がるスロープの一番近くの広いスペースにザックを下ろした。五竜山荘は非常にテン泊者にアンフレンドリーな小屋だったが、テント場自体は悪くなかった。張り綱もしっかりと張り、きっちり設営できた。 小屋へテントの受付に行った。ここはソロテントの場合、1人4000円と少し狂ったプライシングだが、相手のいいなりだ。いい時間だったので「軽食はやっていますか?」と聞くと、「宿泊者以外には軽食を提供していない」と聞いて耳を疑った。「なんでなん⁉️」。そういう大事な情報はちゃんとウェブサイトに書いておいてほしかった。ただ、フロントにお皿に入れてラップされた「おいなりさん」が置いてあり、それは購入できた。もちろん値段は覚えていない。軽くテント場の説明を受けた。事前に確認した通り、雨水の購入には制限はなかった。自分で給水場に置いてある箱にお金を入れ、給水するシステムだ。雨水を消毒処理して提供しているというが、「煮沸推奨」と張り紙がしてあった。トイレは小屋の外の通路を一番奥まで行った所の外トイレを使うように言われた。このトイレは中々ワイルドで、この21世紀に存在してはいけないウジ虫が発生していた。新手の嫌がらせとしか思えなかった。取り敢えず、ビール一本とおつまみも購入し、おいなりさんをのっけたお盆に全部乗せ、テントまで戻った。 ビールを飲みながらまったりする。おいなりさんを摘まんだ。結構うまい。早めに着いたのでたっぷり時間があり、ビールとおつまみをお代わりしに、また小屋に登る。ここは当然のごとく、テン泊者には夕食を提供してくれないので、自分でリゾッタ等を作る必要があった。あまりリゾッタは腹にたまらないので、心置きなくおつまみを食べる。しかし、今日は2時半前に、またぽつぽつ来てしまった。3時半頃には激しい雷雨になってしまった。せっかく乾いていたテントがまたびしょ濡れになってしまった。後でヤマテンを見ると、正に五竜山荘の辺りに「落雷と強雨に関する警戒情報」が発令されていた。しかし、さすがにステラリッジは優秀で、それほどの豪雨でも浸水のような事態には一切ならなかった。少し床面が濡れた程度で、完璧に雨風をしのいでくれた。 Day10 8月8日(火) 五竜山荘〜白馬岳頂上宿舎 「頂上宿舎の夕食最高」 今回、着替えはクールロングスリーブジップシャツ(長袖Tシャツ)、クールライトT(半袖Tシャツ)、ジオラインクールメッシュVネックTシャツ(ベースウェア)2枚、リッジラインパンツ(長ズボン)、靴下2足、テント着兼帰りの洋服(半袖T + 半ズボン)、パンツ(下着)4枚だった。なので、行程が3分の1終了するごとに、Tシャツ、靴下、下着を交換、ズボンは半分の行程が終わった時に交換するペースだった。この山旅も残り4日と、また3分の1の行程が終了したので、昨日の夜Tシャツ、靴下、下着を着替えスッキリしていた。 衛生面では、Men’sBiore Face&Body(28枚入)1個、シルコットアルコールタイプ除菌ウェットティッシュ(40枚入)3個を持って来ていた。お風呂に入れないので、気休めだが毎日行程を終えた時にFace&Bodyシートで全身を拭いていた。朝は顔を拭いたり、拭かなかったりといった感じで、イメージ半分強使用した。また、シルコットのウェットティッシュは手を拭いたり、食器を拭いたりとかなり活躍するので多めに持って来てが、約半分ほど使用した。今年の厳冬期に親不知からスタートし、五龍岳で救助されたレコ(ヤマレコ記録ID: 5161168)で、下半身の衛生面に気を付けるべしとの言及があったので、それにもシルコットは活躍した。またかなり前に使い始め、中々減らなかったモンベルO.D.ロールペーパー(カバー付き)を半分強残った状態で持ってきた。船窪小屋テント場の簡易トイレで使用したり、日々鼻をかんだりと、今回の山旅ではかなり重宝した。結局使い切らず行程を終了できたが、少し残量を気にしながら節約気味に使っていたので、新品のロールに交換して持ってくるべきだった。 今回は長い行程で、汚くかつ古いゴミが増えるので、強烈な消臭効果のある厚手のジップロックのような「Fluto 強力防臭袋 チャック付き サニタリーボックス 使い捨て 消臭袋 ゴミ袋 Lサイズ ナチュラル 30枚入」を5枚持ってきた。ゴミ用に4枚、ジップロック2枚重ねで持ってきた蚊取り線香が、それでもやたらと臭うので、それに1枚使用した。またモンベルのO.D.ガベッジバッグ 4Lを2個持ってきた。これは、中にごみを入れザックのサイドベルトに外付けできる優れものだ。ゴミの入ったFlutoを更にこのガベッジバックに入れ、最初の頃は外付けしていた。しかし、EXPEDITION PACK80は容量が大き過ぎ、ザックの中で荷物が動いてしまうので、このガベッジバックをザック中で空間を埋めるのに利用した。更に、着終わった下着や服を入れるために「生ごみがにおわない袋Lサイズ」という防臭のビニール袋も5枚持って来ていたが、これは5枚では足りず、軽いのだから10枚は持ってくるべきだったと後悔した。 今日は予定行程時間が唯一10時間を超える日だった。更に、恐ろしい名前の「不帰ノ嶮(かえらずのけん)」を越えないとならない。 その昔、身の程知らずが天狗に近づこうとしてここへ向かい、帰えってこなかったことがその名の由来だそうです。不帰の嶮は、北にある「天狗の大下り」取付き点2,703mから、南にある日本三百名山「唐松岳」2,695mの間にある浸食によって形成された峰々で、北から喫、曲北峰、曲南峰、景(A/B/C)が連なる、稜線の山々の総称です。この連なりの最鞍部は日本3大キレットの一つ「不帰キレット」と呼ばれ、標高は2,411mとなっています。わずかな距離の中で 300m の高低を繰り返す険しい岩峰です。( The Japan Alps難所詳細ルートガイド抜粋) 予定通り、午前1時半に起きた。夕方にあまりにも恐ろしい雨が降ったので、朝に雨が上がるか不安だったが、とりあえず降ってはいないようだった。しかし、レインフライのファスナーを上から開け外を確認すると、全く星は見えておらずまだガスガスのようだ。 なんとか4時にはスタートしようと、棒ラーメンを食べ、テント内を片付け、まだ少し風が強い外に出た。さすがにこの時間に明かりのついているテントはなかった。当然の如くレインフライはびしょ濡れで、インナーテントの壁も濡れていた。またも片付けに手こずり、結局4時15分くらいにテント場をスタートした。 最初の白岳までの登りは恐ろしかった。真っ暗闇の中、霧が立ち込め、風が強い。あまりに寒いので、スタート後、すぐにザックを下ろし、ウィンドブレーカーを着用した。すぐに白岳山頂直下にある白岳(Mt.Shiradake)の山頂標識に到着した。ここは遠見尾根への分岐にもなっている。去年の4月に来た時は、遠見尾根からクラックの入り乱れた白岳山頂を通り、五竜山荘へと下降した。そしてこの道標を見つけ、ほっとしたことを思い出した。 白岳から基本ずーっと下り、最初の小ピークに来る頃には夜明けが近くなり、かなり明るくなっていた。また、驚くべきことにガスもすっかり晴れ、前方にこれから行く大黒岳とその奥に唐松岳が見える。振り返ると、昨日はガスガスで全く拝めなかった五龍岳がピンク色に染まっていた。「ほー…、五龍岳、やっぱりかっこいいね」。この後も、何度もこの言葉を呟いた。今日はこの時間の東の空がとてもきれいだった。雄大な雲海が形成され、上部は雲が渦を巻いている。日の出のオレンジ色、所々まだ暗い雲、それに空の青が合わさってワインレッドのような色になっていた。 その小ピークを少した下りたところが開けた展望スペースになっていた。⇦五竜岳 唐松岳⇨と書かれた道標もあった。振り返ると、青とピンクが入り混じった空をバックにした劔岳が見えた。その頂上部分に日が当たり、そこだけ明るくなっている。まだ毛勝三山には全く日は当たっておらず、劔岳の高さが強調されていた。その場所で御来光が始まった。太陽が上がり始めると、今日はなぜか空が金色に輝き始めた。しばらく見とれてしまった。 暫く下ると大黒岳への登り返しになる。唐松頂上山荘のテン場が予約できず、この辺りでテント難民になりそうになった時、大黒岳辺りでビバークを考えた。残雪期のレコで大黒岳でビバークしたというのを見つけたからだ。しかし、あまり大黒岳の辺りでは適地は見つからなかった。恐らく、僕が御来光を見た開けた場所辺りでは可能かもしれない。大黒岳へはちょっと険しい登りだったが、あまり標高は上げないのでそれほど苦しくはない。しかし、大黒岳の先から唐松岳頂上山荘までが、かなり長く険しい岩場だった。スタートから元々ヘルメットを着用していたが、ヘルメットは着用した方がいいし、唐松岳方面から来る登山者も全員ヘルメットを被っていた。牛首の岩場を乗り越えると、前にやたらとそそり立った岩峰が目に付く。「あれ、どうやって乗り越えんるんや?」。本当のピークのピークは巻くものの、基本見たまま登って行く感じだった。そこを越えると、また眺望がいい。五龍岳と劔岳の男前のそろい踏みだった。上から下りてくる登山者達も嬉しそうで、自然に「いい景色ですね〜」と声を掛け合う。 6時50分頃、険しい道がやっと終わり、眼下に唐松岳頂上山荘が見えて来た。その左手には唐松岳もくっきりだ。唐松岳も意外にピーキーでかっこいいという印象を受けた。午後7時前に山荘にやって来た。小屋前のベンチにザックを下ろし、小休止を入れる。ここからの眺めはまた最高だ。剱岳の絶好の展望地だろう。もちろん、五龍岳、唐松岳も楽しむことができる。ここで、トイレに行かせてもらおうと、近くにいた若い小屋番の男性に聞いてみると、ここはトイレが建物の中にしかないという。面倒だが土間でエクイリビウムを脱ぎ中に入った。トイレは入って左手の方にあり、きれいさは「まあまあ」だった。山荘内にあることを考えれば、中の下くらいか。 外に戻ってきて、気になっていた自動販売機を見た。すると、左上の水のペットボトルの所には「入荷未定」とテープが貼られていた。やはり情報は本当だったようだ。あと、しっかり確認できなかったが、ここのテント場は小屋からえらい下に下ったところに設けられているようだった。「あれは嫌だな…」。五竜山荘にしておいて本当に良かった。 午前7時15分頃、唐松岳山頂へ向けて行動を再開した。唐松岳山頂までは15分程で、全く危険のないお気楽な道だった。五龍岳や白馬岳方面からの縦走となると厳しいが、やはり唐松岳単体ならイージーな山のようだ。山頂には新しい風情のない山頂標識と、例の独特な文字スタイルの木の山頂標識がある。両方を写真に収めるが、やはり木の山頂標識を中心にしてしまった。さて、ここからが核心になる。唐松岳山頂からこれから行く北側の山並みを見つめる。唐松岳山頂にはちびっ子を連れた親子ずれが2組いて、賑やかにわいわいと記念撮影をしていた。当然、彼らは手ぶらだった。「この全く本気度の違う登山者が、ここまで入り乱れる山頂も珍しいな…」 意を決して、午前7時45分頃、山頂から不帰方面に下り始めた。ストックは一本はしまい、一本スタイルで行く。ちょっとした岩場はこの1本スタイルがワークするが、核心部では両方ともしまうことになるだろう。まず、山頂からの最初の下りは全く普通の道でなんの問題もない。まず不帰景というのがあるらしいが、何も標識がないので山行中は全く意識しないまま登ってしまった。この辺りまで来ると、もう前方には日本海が見え始める。まだまだ先は長いが、確実にゴールは近づいているということだ。その後も何も危険さを感じないまま、不帰曲南峰(2614m)に登頂した。ここにはちゃんと山頂標識があった。時刻は8時10分頃で、まだ唐松岳山頂を出て30分程だった。確か誰かが曲は全く普通の登りと言っていたような気がしたので、これから難しくなるのかなと思っていた。その後は少しやせ尾根になるものの、依然として普通の道を行き、8時25分頃、不帰曲北峰(2579m)に登頂する。ここにも山頂標識があった。 北峰を越えてすぐ、初めて少し危険な下りにやって来た。やせ尾根から急角度で下って行く。デカザックの僕は、ちょっとした下りでも全部背面下降をするようにしていたので、特に問題なく下る。更に進むと、やせ尾根の右手にかなりキツイ斜度のスラブ状の一枚岩が出てきて、そこを下るようになっている。もちろん、鎖がしっかり用意されていた。そこを、4人のパーティーが上がってきていた。「久々のすれ違いやな…」。しかし、ポイントでかわすために待っていると、彼らは中国人のパーティーだった。その後は階段状になるが、なかなか斜度がきつい。ただ背面下降すればなんてことのない下降だった。4人目とすれ違う時に、「最後?」と聞くと、必死だったのか、日本語が分からなかったのか返事がない。「最後」って中国語で何て言うんかな?と思ったが分からないので、"Are you the last?"と聞いてみたがノーアンサーだった。どうも日本に来る中国人と韓国人は日本語も英語もダメなようだ。GoProに話しかける。「やっと前から来てる!と思ったら、中国人でした。なんでやねん⁉️なんで旅行に来て、これやるねん⁉️」 はっきり言って、不帰ノ嶮で印象に残るほど危ない所はここだけだった。しかもかなり短い。八峰キレットの難度・体力度の方が数段上だった。その後、岩壁の横に付けられた狭いトラバース道に来た所で、その岩壁に「唐松岳 不帰嶮 白馬 岳」という黒字に白い文字の道標が掛けられていた。ちょうど中間地点なんだろか? 不帰喫とのコルに向けて下って行く。特に危ない道はないが、慎重に進んで行った。ちょうどコルに来た時、風もなくさすがに暑くなってきた。「もういいかな、ウィンドブレーカー…」。狭い登山道だったが、どうせ誰も来ないので、ザックをそこに下ろした。すると、ショックなことに気が付いた。ソーラーパネルをザックに留めるのに使っていた10インチのストラップギアが片方取れてなくなっていた。1本1000円もするので、「マジか…ショックやな…」とそこら中探し回ったが、勿論今落ちたばかりとは限らないので、見つかるはずもなかった。今回食料が減るにつれ、ますますザックの容量がオーバースペックになっていた。ザックの中の荷物が動き、体が振らされるので、もう雨蓋をザックの中にいれてしまっていた。ソーラーパネルはザックの上に置き、ザクの下側のサイドベルトにストラップギアで引っ掛けていたが、ソーラーパネルのフックとサイドベルトとの距離が短くなり過ぎてしまっていたようだ。仕方がないので、カラビナを出し、ザックの違う部分に引っ掛けた。 ここから少し危ない部分が出てくる。上から下を眺め、「なるほど、こういうヤツね...。こういうヤツ…」と呟いた。ちょっと苦労して段差を下り、確か八峰キレットでもあったような、かなり嫌な隙間がある水平梯子を渡る。よくある下に落ちたらあの世行きのパターンだ。水平梯子の隙間に、異常に深いエクイリビウムの踵のラグを引っ掛けないように注意して足を運んだ。ここだけではなく、この踵のラグには何度も苦しめられた。かなり、岩に引っ掛かってしまう。ゆっくり行けば問題ないのだが、急いでいると滑落リスクがある。そこからも難しさよりも、特に高度感が嫌らしい下りが続いた。ちょうどその辺りで、間が悪いことに登りの男性2人パーティーとすれ違う。かなり手前で待ってくれ、問題なくかわすことができた。 暫くすると下りが終わり、普通の登り返しになった。90mほど登り返し、不帰喫に登頂した。「ここは喫の頭」という古ぼけた木看板が転がっていた。何とか岩に挟んで立たせて写真に収めた。風もなく、かなり暑い山頂だった。雲は多めだが、劔岳を正面に見据えることができる。その右には北方稜線の先に、毛勝三山もきれいに見えていた。「劔岳スゲーよ…。遠近だけど、雄山より断然デカ見えるもんな〜」 ここから不帰キレット(2411m)へは単に下るだけだ。9時半過ぎに、不帰キレットにやって来た。道標のようなものは見当たらなかった。ここから上は、蓮華の大下りならぬ「天狗の大下り」と言われるキツイ登りがあるようだ。不帰キレットから天狗ノ頭(2812m)までは約400mの登り返しだ。特に最初の300mは斜度がキツイ。ヤマレコを見ると、「急な岩場・鎖場続く 転落・滑落・落石注意」とある。「これ、危険でなくても、結構きついよ...」 前方に顕著なでかい2つのピークを見ながら歩く。また牛歩戦略で登って行く。牛歩はスピードも出ないが疲れも溜まりにくい。すぐに一度ザックを下ろし、しまっていた片方のストックを取り出した。牛歩戦略はストック2本でこそ効果が高い。この後はひたすら普通の登りだ。危険さはかけらもない。午前10時前に、若い女性2人パーティーとすれ違った。止まって僕の通過を待ってくれる。あまりによちよち歩きの僕を見て、「テン泊きついですね!」と声を掛けてくれた。「もう少し上に行くと岩場になるんですよね?」と聞いてみると「もうちょっと行くと、鎖場になります」「そうですか、分かりました。ありがとうございます」。逆説的だが、重荷を背負っている時は両手両足を使う岩場の方が逆に楽だ。こういう普通のつづらの登りが一番堪えるので、岩場を待ち望んでいた。午前10時すぎに、彼女たちの言った通り、すぐにちょっとした岩場になった。上から鎖が垂らされいる。ここからが「天狗の大下り」のようだ。「行ってみましょう...」。なぜか岩が結構濡れていて、結構滑る。鎖は掛けられているものの、あまり鎖のラインは気にせず、登りやすい岩の弱点を見ながら登って行く。基本階段状になっていて、特段難しさはなかった。蓮華の大下りの方が難しいのではないか。 取り敢えずクラシカルな岩場が終わったので、またしまっていたストックを出した。この後は前半のような普通の登りに変わった。しばらく行くと、「ここより 天狗の大下り」という木看板が足元に出て来た。これで大下り終了のようだった。ここからは斜度がぐっとユルくなった。時刻は午前10時半前だった。そうは言っても今日のスタートから、もう6時間以上歩いている。そろそろ腹も減ってきた。今日のランチは天狗山荘をターゲットにしていた。軽食をやっているかどうかは謎だが、テント場もある山荘だから多分大丈夫だろう。気になったのは天狗平という所に山荘はあるはずなのに、遥か彼方に見えるよく分からないピークに建物が見えていたことだった。11時前に、天狗の頭に到着した。立派な山頂標識もあった。 まだ天狗山荘の場所に釈然としないまま進んで行く。前方には相変わらずかなり仰ぎ見るピークが視界にあり、その上に建物が見える。「やっぱり、あそこまで行くんか...?」。しかし、意外にも登山道は右に進路を変え、下り始めた。突然ガスって来て、あまり方向感覚がはっきりしない。そして、また雷鳥に遭遇した。今回の山旅では本当に何度も雷鳥に会うことができた。そのまま下って行くと、予想していたよりもかなり早く小屋が見えて来た。天狗山荘のようだ。さっきからピークの辺りに見えていたのは別の建物だったということだ。小屋の近くに来ると雪渓が残っており、その足元に「水場」という看板が立っていて、水がしっかりパイプから出ていた。久しぶりに見る水場だった。天狗山荘の前のテーブルにザックを下ろした。時刻は11時15分頃だった。山荘はかなり新しく、立派に見える。小屋内に入ると更にびっくりした。木の香りがするとてもきれいな山荘だった。しかも最近できたかのようにとても新しい。受付で声を掛けると、とても愛想のいい男性の小屋番が出て来てくれた。「軽食やってますか?」と聞くと、「はい、やってます(笑顔)」。ものすごく感じのいい小屋番さんで、五竜山荘の小屋番に爪の垢を煎じて飲ませてやりたかった。生ビールもあるようだったので、「じゃあ、牛丼と生ビールお願いします!」と注文した。「お食事は少し時間がかかりますが、生ビールはどのタイミングで...?」と聞かれたので、「今でしょ!」の気持ちで「今、お願いします」。彼は笑顔で「かしこまりました!」と言い、ジョッキになみなみと注がれた生ビールを持って来てくれた。「じゃあ、ちょっと外でこれ飲んでます。また後で牛丼取りに来ます」と言いながら外のテーブルに向かった。 かなりガスっていたが、一瞬ガスが晴れ、テーブルから白馬鑓ヶ岳がキレイみに見えた。かなり独特の大きな山容に驚いた。すぐに小屋の方から、「牛丼のお客様〜!」とお呼びがかかり、小屋の重い扉を引いて中に取りに行った。牛丼は見た目も味も最高だった。天狗山荘には大満足で、今度はここでテントを張ってみたいと思った。 結局30分程小屋で休憩し、11時40分頃、行動を再開した。ビールを飲んだからか、最初の登りではかなり体が重く感じた。牛歩で進んでも辛い。山荘で休憩する前はかなり快調に歩けていたので、必ずしも休憩に体力回復の即効性があるわけではないのだろう。最初の小ピークまで「ヒーヒー」言いながら登る。この辺りではガスっていたからか、必死だったからほとんど写真も残っていない。鑓温泉分岐を越え、白馬鑓ヶ岳(2903.2m)への登りへと突入した。この登りは細かい岩のざれた道をつづらに延々と登る。しっかり畝のような道が出来ているので、問題はないが、長い登りだ。この頃にはアルコールも抜け、やっと普通に牛歩戦略がワークし始めていたので、一歩一歩ゆっくり登って行った。途中、山頂を巻くようなルートと直登ルートに分かれたので、勿論直登ルートを選択した。最後のつづらの登りを終え、12時半頃、白馬鑓ヶ岳(2903m)に登頂した。残念ながらガッスガスの山頂だった。 次は、杓子岳を目指す。この杓子岳は今年の4月白馬岳主稜をやった時に、主稜からとてつもなくかっこよく見えていた。 (https://yamap.com/activities/23759233) なぜか白馬岳山頂付近から見ると、なんだかカッコ悪い山容に見えてしまうから不思議だ。 この杓子岳へは、鑓ヶ岳と杓子岳のコル(2685m)の辺りで、山腹を巻くトラバース道と山頂に行くルートに分かれる。当然、山頂を踏んでいくルートを選択する。コルからの登りもそれほど楽ではなく、「まだ?」と感じながら歩いていたが、午後1時半頃、無事に杓子岳(2812m)山頂に到着した。あまりにガスガスなので滞在時間は短かった。ちょうど白馬岳の方から来た登山者がほぼ同じタイミングで山頂に到着した。彼は「しゃくしだけ...そのままか」と、山頂標識のハングル語の面を見ながらつぶやいていた。やはり、韓国と日本文化はかなり似ているのだろうか? 今日の山行はここからが辛かった。この杓子岳の山頂からかなりざれた急な下りをひたすら下る。今日の幕営地の村営白馬岳頂上宿舎までの最低コル(2600m)まで、約200強の下りだった。そしてそこから地獄の登り返しが始まる。何個名もなきピークを越えたことだろう。一つ越えては「もう終わるやろ?」という期待を裏切られ続ける。何個目かの「もうええやろ?」というピークに来ると、そこには「丸山」と本当にどこにでもある山名の山頂標識が立てられていた。その丸山からやっと平らな道になった。しばらく真っ直ぐ行くと、ルート的には次の分岐を右なのだが、その手前にロープが張られ、明らかに登山道の様相の道が、右に下るように付けられていた。一旦スルーするも、あまりに無視できない雰囲気に、またそこに戻り下りて行ってみた。すると、それは白馬岳頂上宿舎テント場に繋がる道だった。「おー、やっと着いたよ...」。時刻は午後2時半頃だった。近くを歩いていた登山者に、「ここがテント場ですか?」と質問する。「ええ、でもまず受付ですよ」と言われ、「あ、先に張ってもいい許可はもらっています。大体この辺りに張る感じでいいんでしょうか?」と聞くと、「ええ、このロープで囲まれた枠内に張るようです」 またどうせ夕立があるに違いないので、高速でテントを張らねばならない。よさげな平らな場所を見つけ、グラウンドシートを引き、インナーテントをポールで立ち上げる。テントはまだかなり濡れていた。ここは地面に岩が多く、あまりペグの刺さりがよくない。この時はほとんど無風で、地形的にあまり風の影響を受けなさそうだったので、ガイラインは張らなくてもいいかなとも思った。取り敢えず、インナーテントの4隅と、レインフライの辺の中間地点のペグ(雨が降る場合、これが無茶苦茶重要)だけ留めた時点で、テントの受付に行くことにした。 受付へは、一旦登山道へ出なければならない。そのまま登山道を下りると、小屋の受付の食堂に繋がっている。そこに行くと、僕の前に1人若者が並んでいた。ここのテント設営料はソロの場合一人3000円だ。しかし、要予約で、飛び込みの場合プラス2000円の5000円になる。最悪、当日の朝に予約すればこの2000円は必要ない。しかし、彼は愚かにも何も調べず予約なしでやって来たようで、5000円を請求されていた。僕の順番になり名前を伝えると、受付の男性は、控えのメモから僕の名前を見つけ、チェックを入れていた。彼は色々説明しようとしたが、僕は前の若者への説明を全部聞いていたので、「全部聞いてましたので、OKです!」というと喜ばれた。ちなみにここは雪渓があるせいか、水場は無料で潤沢だ。洗濯等は禁止だが、蛇口があるので、頭を水で流すことも可能だ。最後に「夕食をお願いしたい」と言うと、「夕食の受付は、一段上の小屋のフロントになります。まだこの時間は大丈夫ですので、この後すぐに行ってください」と説明された。その前にビールとおつまみを買おうと、レジに並ぶ。前の別の若者がもたついてたのでかなり待たされた。ビールは食堂の奥にある自動販売機で購入する。この食堂はかなり商業色が強く、地ビールの生ビールが用意されている。本当はぜひともこれを飲みたかったのだが、いつ雨が降り始めるか分からないので、ここでジョッキでゆっくりビールを飲んでいくリスクは取れなかった。泣く泣く、自動販売機で500mlのスーパードライを2本買った。ちなみに、ここのビールのプライシングは面白い。350mが900円なのに対し、500mlが1000円だ。みんな500mlを選択するのではないだろうか?この食堂自体は午後5時で閉められるので、それ以降は小屋のフロントに行けば、缶などのゴミを捨てられる。 食堂を出て一段上がり、小屋の受付にやって来た。フロントに座っている男性に「テン泊なんですが、夕食をお願いしたいんですが」と言うと、「はい、4000円です」と、全くテン泊者への差別はなかった。少し高い値段設定だが、それもちゃんと分かっていたので、驚きはない。それに引き換え、針ノ木小屋はいきなりテン泊だと300円増しですといい、悪意を感じる。全般的に、村営だからか、この白馬岳頂上宿舎はしっかりした山小屋だった。既に雨がパラパラ来ていたので、小屋の受付にある傘を借りて、テント場に戻った。また5時に戻って来るので、その時に返しますと言ったら、快く貸してくれた。テントに戻り、まずビールを飲む。つまみも大量に買ったので、ビールとつまみでかなりお腹いっぱいになってしまった。まだ張っていないガイラインが気になり、念のため、ペグと岩を使って留めることにした。結果、これは正解だった。夕方以降、かなり強風に変わってしまったからだ。そして、午後4時前には、いつもの如くしっかり夕立が降った。 雨が止んだすきを縫って、5時頃小屋の入り口に来た。テント場はほとんど電波がないが、小屋にはドコモの機械が置かれていて、電波がバリバリに立っていた。小屋と土間には充電のコンセントもあったが、テント泊者が使うのはNGだった。 「備考反省点、持って行って良かった、持って行けば良かったものなど」に続く⇨ |
写真
装備
個人装備 |
ネオエアーXライトRW(460g)
ステラリッジ2型+ペグ(740g)
ポール(380g)
グラウンドシート(280g)
レインフライ(420g)
ジェットボイル(110ガス込み 654g)
ジェットボイル用230ガス(380g)
ザックwith GoPRo+ギア+パーゴワークスハーネスポーチ+ゴミ袋(3380g)
紙テーブル(60g)
カトラリー(227g)
ナルゲンボトル1L(180g)
ウェットティッシュ40枚入りx3(440g)
ティッシュ ロールペーパー(108g)
携帯トイレx3(100g)
アルパインダウンパーカ+ドライサック(480g)
レインウェア(490g)
ハイドレーション(260g)
空気入れ兼ライト(109g)
ヘッデン+電池+ヘッデンバッテリー(150g)
モバイルパッテリー(大) 40200mA(562g)
モバイルパッテリー(小)10000mA(201g)
モバイルパッテリー(中)20000mA(380g)
充電器(小屋のコンセント用)(48g)
マイクロUSBとTypeCのケーブル(長さのあるもの)(75g)
ココヘリ(50g)
ソーラーパネル(290g)
プラティパス浄水器(123g)
エバニューソフトボトル2L(51g)
着替え[靴下2足+シャツ2枚+ドライレイヤー2枚+ズボン1本+Tシャツと半ズボン(帰り用)]+ドライサック(1208g)
サングラス(ケース付)(64g)
ゴアテックス手袋(50g)
チタンカップ(88g)
ヘルメット_モンベル(240g)
カーボンストック(300g)
水(3000g)
食料袋(イスカスタッフバッグL)(45g)
棒ラーメン10食(886g)
リゾッタx5(500g)
アルファ米200gx2(440g)
親子丼他5袋(180g)
スティックコーヒー14本(110g)
スープ16袋(328g)
行動食(930g)
傘(128g)
GoPro battery(254g)
ファーストエイド(サプリメント+予備ヘッドライトも)(470g)
ボールペン(10g)
ノート(56g)
スパッツ(167g)
テント場サンダル(380g)
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備考 | (Day10の続き、「その他周辺情報から」…) 時間になり、食堂に案内された。メニューを聞いてびっくり仰天した。なんとビュッフェだった。しかも、野菜もあり、メニューが豊富で下界と遜色ない。「これはすごいな…」。皿はさすがに1枚しか使えないが、なんとも贅沢な夕食だった。4000円だとかなりお得なのではないだろうか?愚かだったのは、ビールとお菓子を食べ過ぎていて、あまりお腹が空いていないことだった。それでも、2回ほどお代わりをし、大満足な夕食となった。 Day11 8月9日(水) 白馬岳頂上宿舎〜朝日小屋 「水のありがたみを知る」 今日はぐっと楽になる行程だった。起きる時間を元の午前2時に戻した。また雨が降ってしまったので、撤収に時間がかかり、午前4時45分頃、山行をスタートさせた。今日はルートを少し悩んでいた。ここまで、がちがちに決められたルートを歩んできた。そろそろ少しアクセントを入れてもいいんではないだろうか?4月に白馬岳にやって来た時、奥に見えていた山が気になった。旭岳だ。しかも、旭岳は標高2867mで、100高山にも登録されているという。「折角こんな所までやって来ているのに、旭岳に寄らんって選択肢あるか?いや、ないだろう」。羽目を外すことを決めた瞬間だった。 テント場からの地図に載っていない道を歩き、稜線に上がった。そこから分岐まで白馬岳の方へ進み、左に折れ旭岳の方へ下って行く。この下りはあまり誰も歩かないのか、ハイマツに遮られ歩きにくい部分もあり、少し足元が濡れてしまう。そこから涸沢の河原のような場所を歩き、旭岳に繋がる登山道に乗った。実は旭岳頂上へは登山道が付けられていない。しかし、ヤマレコの「足跡」を見ると、無数の足跡が付いており、みんなが登っていることは明白だった。そのまま登山道を歩いて行くと、旭岳サイドにはロープが張られ始めた。しかも、わざわざ木看板で注意書きが置かれていた。「旭岳山頂へは登山道はありません。登山道以外は入林許可が必要です」。「まじか、この年になっていきなり怒られるのも嫌だな…」と思い、引き返そうかと思ったが、「まあ、怪我しなければいいよね…」とロープを跨ぎ、旭岳山頂へと向かった。 山頂への斜面はかなり急だが、しっかりとつづらに登山者が歩いた跡ができていた。その道を辿れば、なんら危険はなかった。しばらく登った後で、「あ、これどうせ下りてくるんだから、ザック下にデポすればよかった!」と今更気付いた。中途半端な場所だが、ここにザックをデポした。目印のない所にデポするリスクを知っている僕(https://yamap.com/activities/16446410)は、若干悩んだが「まあ、さすがに見通しもいいので見失うことはないだろう」。なかなかの急登を引き続き登って行くと、山頂部分に到達した。そこから左回りに円を描くように更に登山道(?)が続いている。ちょうど、劔岳の方を通りながらその登山道を行くと、一番西側に、質素だがちゃんと山頂標識が建てられていた。「山頂標識まであるのに、ホンマに登ったらあかんのか?」。時刻は5時17分で、向かいに見える恐らく白馬岳から太陽が上がっていた。とてもきれいなライジングサンで、「たまにはルールと予定を無視してライジングサン」とモーメントを投稿する。山頂からは、昨日ガスガスでよく山容が分からなかった鑓ヶ岳と杓子岳の姿をしっかり目に焼き付けることができた。 デポしたザックを回収し、分岐への坂を上ってスタート地点へ戻って来た。ここから正規ルートに戻り、白馬岳を目指す。残念ながら早くもガスガスで、おまけにえらい風が強い。「こんな強風で大丈夫…?」。午前6時過ぎ、白馬山荘にやって来た。白馬山荘は「ホテル」と言われるように、とても立派な建物だった。4月に見た時の印象とはかなり違っていた。登山道に面した建物の隅には、「お気を付けて」という看板の両脇に、これから行く方向にあるたくさんの山やランドマーク、またここまで歩いて来た多くの山の名前が一つずつ木の板に書かれ並べられていた。引き続き、ガスが急速に張れるタイミングもあったものの、基本ガスガスのまま白馬岳(2932m)山頂に登頂した。時刻は午前6時30分頃だった。旭岳の方向には一瞬だがブロッケン現象が起きていた。山頂にいた女性の登山者に「写真を撮ってもらってもいいですか?」と山頂標識の隣に立ち写真を撮ってもらう。普段あまり人に写真をお願いすることはないが、白馬岳はこの山旅で最後の最高峰なので感慨深かかったのかもしれない。強力伝の「風景指示盤」もしっかりと目に焼き付けた。 白馬岳からは、ざれた急坂を下る。その序盤で、不注意で結構豪快にこけてしまう。少しスピードが乗ってしまい、重いザックが制御できなくなった結果だった。これで、モンベルのアルパインポールの下段がぐにゃっと曲がってしまった。3年も使っていて一度も曲がることはなかったのに、今回はそれだけ激しい衝撃だったのだろう。左腕も擦りむき、結構大きいあざができてしまった。短くなった下段を調整する為、2段目を少し長めにして左右のバランスを取った。 ここからしばらくはガスガスで、また雷鳥に遭遇する。しかし、その後天気が急回復した。振り返り、青空に映える白馬岳を何度も眺める。旭岳もきれいに見えていた。前方にはこれから進む滑らかな山並みが見え、その先には日本海が広がっていた。今日は目まぐるしく天気が変わり、三国境(みくにさかい)に来る頃には、またガスガスだった。ほとんどの登山者はこの三国境で白馬大池の方へ下山して行った。 天気はまた回復し、かなり暑くなってきた。鉢ヶ岳が前方に大きく見える。あの山頂は通らず、コルから右手にトラバースして行くようだ。コルに下り切る手前に、蓮華温泉に繋がる蓮華鉱山道との分岐がある。かなり遠かったが、やっと鉢ヶ岳の手前のコルにやって来た。時刻は午前7時45分頃だった。コルでは2人の登山者が休憩していた。この辺りに来るとあまり人がおらず、登山者に会うこともあまりなくなる。 トラバース道はやはり基本水平なので、それほど疲れなかった。次のランドマークは雪倉避難小屋だ。ここは、本当に避難するとき以外は使ってはいけないらしい。しかし、到着してみると、かなりしっかりとした建物で、想像していたのと大分違った。ここから雪倉岳までがかなり大変だった。後ろを振り返ると、白馬岳まで続く稜線がすっきり見えて気持ちいいのだが、なかなかの登りが続く。途中で後ろから来た軽荷のシニア男性ソロにパスされた。ピークを何度も越えながらも、なかなか本物の雪倉岳が現れない。今度は僕がおじいちゃんとその孫ような2人組をパスした。 何回もピークを越えた後、午前9時過ぎに、やっと雪倉岳(2610.9)に登頂した。黒い高級そうな石の山頂標識で少し変わっている。山頂は意外にも賑わっていて、先ほど僕をパスした男性を含め、数人が休憩していた。話し掛けはしかなかったが、白馬岳頂上宿舎の夕食で隣に座っていた女性も既にそこに到着していた。恐らく僕より歩くのが遅いはずなのに、「いったい何時に宿舎を出たのだろう?」と驚いた。しばらく山頂にいると、先ほどのおじいちゃんと孫もやって来た。「結構きつかったですね!」とおじいちゃんに話かけると、「いやぁ〜、大変でした。ちょっとここでゆっくりしないと動けないですね」と何かを食べるような準備を始めた。 初見だからなのか、そもそも厳しいのか、ここからもずっと大変だった。基本、標高をずっと下げるだけなのに、不思議だった。最初は稜線通りに進み、途中で左にぐるっと曲がり、少し鬱蒼とした登山道をどんどん下って行く。謎の大岩のゴーロ帯も突然出てきてびっくりした。途中から平らな登山道に変わり、その辺りで木道の楽園が登場する。小桜ヶ原という場所らしく、前方に朝日岳を見ながら、気持ちよく歩くことができた。基本この辺りから、できるだけ登山道に木道を施そうという努力が感じられた。しかし、頻繁に普通の登山道に戻ってしまう。 そして、やっとのことで水平道分岐(2043m)にやって来た。雪倉岳山頂から実に550m以上も標高を下げたことになる。この分岐を右に行くと朝日岳への直登ルートになる。ここには「水平道は、通行できます!」という簡易的な道標が地面に横たえられていた。何かの本か雑誌で、「水平道は実は全く水平ではない。危険なところもあるので、朝日岳に直登してから朝日小屋に行くのも手だ」と読んだことがあったのを思い出した。後日、山と高原地図㉟「白馬岳」で確認すると、「水平道の名に誘われ気軽に踏み込めば、えらい目に合う。(中略)時間的にも、山頂経由と大差ない」とあった。そういう説明が横行しているので、敢えて「通れます!」となっているのかもしれない。僕は少し悩んだものの、水平道を選択した。実際水平道は水平だった、途中までは。ただ、中盤くらいから徐々に水平ではなくなる。特に終盤はかなりの登りになり、危なげな岩場も出てくる。この水平道を歩いている間、沢が多く水が豊富なのが印象的だった。小屋の少し手前には、小屋の水源の取水口があり、そこから太い黒いパイプが小屋までずっと引かれていた。 やっと、かなり上の方に朝日小屋の建物が見えて来た。全く水平ではないが仕方がないだろう。朝日小屋の標高は2150mほどで、水平道は大体どこも2050mくらいなので、どこかでその100mを埋めないといけないのは分かり切ったことだった。最後のそのしっかりとした登りをやり、遂に午後12時20分頃、朝日小屋へ到着した。とても気持ちのいいロケーションに小屋は建てられていた。この時間でテント場にはテントは一張りもなかった。天気も良くテント場もガラガラなので、設営前に先に受付に行くことにした。建物に入ると、小屋泊の人が受付をしていた。しばらく待って、僕の順番になった。前の小屋泊の人には色々説明していたが、テント泊の僕にはあっさりした説明だった。テントを張る場所、水場、トイレの場所の説明を受け、ピンクのカラーテープを渡され、「これをテントに付けてください」と言われた。「軽食はやってますか?」と聞いたが、カップラーメンくらいしかないと言われ、少しがっかりした。ウェブサイトに書いてあったので、「そう言えばパンって売ってましたよね?」と聞くと、「大分種類がなくなって、今はクロワッサンしかないです」という。取り敢えずそれを明日の朝食用に購入した。「ビールはありますか?」「はい、キリンかアサヒ?」と言われ、不覚にも「キリン」と答えた。(そこは朝日でしょ...)「何かおつまみみたいなものも売ってますか?」と聞くと「ベビースター?」と言われたので、それをビールとともに購入した。 小屋前のテーブルに置いたザックを再び担ぎ、広いテント場に向かう。テント場は区画整理はされておらず、誰も張っていないので全くの自由だ。海が視界に入るような向きでテントを張れる平らな場所を物色した。木道から少し距離をとったスペースに目星をつけた。久しぶりにゆっくりとテントを張って行く。この時間で天気が崩れそうにないのは久しぶりだった。ここはキャンプ場の炊事場のような水場があり、蛇口をひねれば出てくる豊富な水が無料で利用可能だった。久しぶりに無尽蔵に水が使える環境に、水のありがたみを改めて知る。テントを張り、ビールを飲んで一息ついた後、タオルを持って水場に行った。頭、体、足などをキレイ洗い、久しぶりに生き返った心地がした。テントに戻りヤマップを見ると、やまさんから届いたあまりにタイムリーなコメントに目が釘付けになった。 朝日小屋のお弁当は争奪戦です! 小屋の中で販売で2階まで並びます 放送入りますが、小屋泊の方は放送前から並んでいるのでご注意を! 「おー!なんでそんなに詳しいんだろう?」と、やまさんがちょうど自分の5日ほど前、同じく北アルプス南北全踏破に挑み、やり遂げていたことをこの時は知らなかったので、少し驚いた。「確か、3時半くらいに冷凍お寿司の販売するって、小屋泊者には説明してたな…」。ビールとおつまみのお代わりを買いに行くがてら小屋に行き、管理人の女性に質問してみた。「3時半頃くればお弁当もらえるんですか?」。ちょっと僕の言葉遣いもおかしかったが、「まあ、もらえるというか、ご購入していただく...。でもすぐ売り切れちゃうので、3時半より少し前かな…?」「なるほど、じゃあまたその頃来ます」と言い、一旦テント場に戻った。 午後3時を過ぎるとそわそわし始めた。3時15分くらいになり、もう早めに行って並んどこうと、小屋に向かった。受付の女性に「もう来ちゃいましたが、ちょっと早すぎますか?」「まあ、いいんじゃない?小屋の中に入って階段に沿って並ぶんですよ」と言われ、「じゃあもう並んじゃいますね?」と言いながら、階段の一段目に腰掛けた。すると、その後すぐにお弁当が運ばれてきて、階段の前に置かれた台に並べられ始めた。結構小さめのタッパーで、「五目ごはん」はかなり数があったが、「鶏そぼろごはん」と「梅しらすごはん」は2個ずつしか作られていなかった。「この辺に並んでていいんですよね?」と聞くと、「ちょっと近い!」と怒られ、もう2段ほど上に座り直す。それから3時半の大分前に販売が始まり、無事に一番でお弁当を買えることになった。バイトなのか山岳警備隊のお兄さんが販売の手伝いをしていた。「これ、2つ買っちゃうとまずいですか?」と彼に聞くと、「いいんじゃないですか?」と言ってくれたので、五目ごはんと鶏そぼろごはんを購入した。一つ400円だった。お弁当とビールとつまみを持って、満足しながらテントに戻った。お弁当はおいしくサイズも小ぶりなので、あっという間に平らげてしまった。 この朝日小屋は、庭に雷鳥を飼っているようだ。標高が2150mしかないのに、木道の奥の茂みに雷鳥が普通に遊んでいた。なんとなくそこに住み着いている感じで、どんどんこちらの方に歩いて来てくれ、かなり近くで姿を披露してくれた。朝日小屋は、水が豊富で、景色がよく、おまけに人が少ないという完璧なテント場だった。これは苦労してでも来る価値がある。 Day12 8月10日(木) 朝日小屋〜栂海山荘 「苦しみの後の感激」 栂海新道はなぜ辛いのか? それは、「あくまで尾根」の精神でつけられた登山道だから、に尽きる。 やっと夜の雨から解放された朝だった。午前2時に起き、レインフライを開け空を見る。満天の星空が広がっていた。しかも、レインフライが濡れていない。 4時半に名残惜しさを感じながら朝日小屋をスタートした。まずは水平道分岐(水谷のコル)まで下り、朝日岳へ向かう。朝日小屋から朝日岳はコースタイムで1時間だ。4時に小屋を出て山頂でライジングサンを見る予定だったが、少し遅れてしまった。でも、僕は諦めていなかった。道はむしろ水平道よりやさしい筈で、とにかく頑張って歩くことにした。ピザのために種池山荘へ急いだ時よりもスピードが出た。食料も大分減り、朝日小屋で英気を養ったので元気だったからかもしれない。どんどん先行者を抜いて行く。しかし、朝日岳へは着きそうでなかなか着かなかった。山頂っぽい雰囲気が現れてはまた登りが続く、という繰り返しを5回ほどやる。すると、やっと立派な山頂標識のある山頂に到着した。山頂はたくさんの登山者で賑わっていた。時刻は5時5分頃で、5時の日の出に間に合わなかったと思ったが、「なんと、まぁ!いいタイミング!」と山頂にいる登山者の一人に声を掛けられた。太陽が上がってくる地平性には雲が掛かっていて、僕が到着したちょうどその時、その雲の切れ間から太陽が上がって来たところだったからだ。「おー!頑張って急いだ甲斐がありました!」。強い太陽の日差しが降り注いでいた。キラキラと照らされた山頂標識の横に立ち、しばし無言で太陽を眺める。海が見える最高の山頂だった。上々の12日目のスタートだ。 朝日岳でソーラーパネルをザックへ取り付け、サングラスを出し、栂海新道を目指す。ここからはしばらく急な下りが続く。200mほど標高を下げ、吹上のコルへ到着した。時刻は5時50分頃だった。ここが栂海新道への入口だ。岩には赤いペンキで「ツガミ」と書かれ、さわにがに山岳会独特の道標が立てられていた。「吹上のコル 栂海新道を経て親不知日本海へ さわがに山岳会」。その赤ペンキの岩を乗り越え先を行く。 すぐに木道のある気持ちのいい登山道になる。眼下に池(照葉ノ池[てるはのいけ])も出てきて、その辺りはニッコウキスゲの群生地になっていた。こちらが何か感じる前に「池周辺、キャンプ禁止」と看板が出ていた。「確かに、これは池の畔でバーベキューしたいわ...」。まだ朝の光に包まれながら、爽快な気分で登山道を楽しめた。 最初のピークは長栂山(ながつがさん)と地図を見て確認する。しばらく歩くと、だだっ広い平原歩きになる。地図では2267辺りが長栂山の表示になっているが、そこを越えて歩いていくと、右手のちょっとしたピークに山頂標識のようなものが見える。しかし、植生保護のためか右手には緑のロープが張られていた。もしかしたら、ここが「あくまで尾根」の唯一の例外だったかも知れない。しかし、ちょうどその山頂標識の真横に来ると、やはり山頂までちゃんとハイマツがカットされ、登山道になっていた。僕は「あくまで尾根」の精神に則り、ロープを跨ぎ山頂を踏んだ。時刻は午前6時半頃だった。 昨日、朝日小屋でお弁当を買った後、もう一度小屋に行った。栂海新道の水場を確認するためだ。さすがに何回も小屋に行き、毎回大量に物を買うので、管理人の女性はかなり親しみを持って接してくれた。「雨も結構降っているので、幸いどこの水場も枯れていないと聞いています」と言う。「ここからだと、まず黒岩平で補給だね。ここは登山道に水場があります。だから、ここから大量に担ぎ上げ上げるのではなく、黒岩平の補給を考慮して少な目で行った方がいいね」。なるほど。「でも、やっぱり一番美味しいのは北又の水場だね、犬ヶ岳けの手前にあります。ただ、ちょっと登山道から下るけどね」。やはりか、ハイスピードガイの言った通りだ。「登山道からどれくらいですか?」「往復15分くらいかな?水を採っている時間も含めればもうちょっとかかるよね」。登山道から少しあるのは難点だが、「一番美味しい」という言葉が頭にこびりついた。 長栂山を過ぎた後は、常に「黒岩平」を気にしながら歩いて行く。水はハイドレーションに1.5L持ってきていたので、あまり水を飲まない僕は補給する必要は恐らくないのだが、水を補給することをアトラクションのように考えていた。引き続き、最高の天気の中歩く。遠くの方まですっきり見渡すことができ、これから下って行く道筋が一目瞭然だった。所々現れるニッコウキスゲの群生地などのお花畑を越え、木道が気持ちのいい平原にやって来た。木道の横に道標が立っていて、ここはアヤメ平というようだ。道標には「花を大切に」とある。 アヤメ平を過ぎ、「黒岩平まだかな…」と頻繁に地図を出しながら、高度を下げる。見晴らしのいい所では、もうこの時点で栂海山荘が見え始めた。前に見える稜線は左回りにぐるっと弧を描きながら日本海へと伸びていて、その向かい側の一番遠いところにポツン見える赤い屋根が栂海山荘だ。とてもかわいらしかった。 点在する池塘を越え、登山道を横切るようにきれいな沢が出てきた。「おー!気持ちよさそう」と、ここでタオルを濡らし、顔をじゃぶじゃぶと洗う。北アルプスを歩いたことのない妻は、稜線上にもこういう所が多数あると思っていたのか、「(風呂に何日も入れないなら)途中の沢で水浴びすれば?」と言っていた。しかし実際には、初日に稜線に上がって以来、水を身近に感じることができるようになったのは、朝日小屋に来てからだった。 沢で気持ちよくなり、そのまま登山道を行く。すると、大きく平らなベンチが出てきた。「休憩ポイントなんかな?」と、ふと右を見ると道標があった。そしてそこには待ちわびた「黒岩平」と書いてあるではないか!…ってことは、もしかしてさっきの沢が給水ポイントだったのか?少し進んでしまっていたのでちょっと悩んだが、このベンチでザックを下ろし休憩していくことにした。きれいに見えたものの、みんなが通る登山道にある沢なので、ザックの中にしまい込んだトップリッドから、プラティパスの浄水器とリザーバーを取り出した。ほぼ山行が終了する12日目にして初使用だった。沢まで少し戻り、1Lのリザーバーを沢水でたっぷり満たした。結構流れはしっかりしていたが川底が浅いので、やはりリザーバーをいっぱいにするには少し苦労した。シェラカップなどがあるともっと簡単だろう。ザックまで戻り、ザックからナルゲンボトルを出し、リザーバーに浄水器を付けて搾る。このプラティパスの浄水器はソーヤーミニに比べて、圧倒的に出がいい。少ない力であっという間に浄水し、ナルゲンボトルに移すことができた。水に余裕はあるので、贅沢にごくごくとその水を飲んだ。冷たくてうまい。行動食も食べながらまったりしていると、朝日小屋でちゃんと出発前にトイレに行ってきたのに、腹が痛くなってきた。「う〜ん、これは天の声なのか?」。こういう事態を想定して、モンベルの携帯トイレを3セットちゃんと持ってきて、すぐに取り出せるようトップリッドに入れていた。栂海山荘のキジ場は、猛烈にワイルドという情報を得ていたので、この気持ちのいい太陽の下スッキリするのも悪くない。多分、登山者も来ないだろう。登山道から少し外れ、いい感じに隠れる茂みを見つけ、目的を達した。ここで出た汚物は親不知駅まで持ち運ぶことになるが、噂通りかなりワイルドな栂海山荘でのキジ撃ちを避けることができた。落ち着いた頃、若い登山者がやってきてしばらく談笑した。最初、YAMAPでフォローしている「ふくさん」かと思い聞いてみた。彼も、北アルプス南北全踏破を親不知側から始め、そろそろこの辺りを通りそうだったからだ。しかし、人違いで「はぁ〜?」と言われ、恥ずかしい思いをした。 ここから、一気に栂海新道は苦しくなった。少し藪気味な道も通りながら、中俣分岐を越え、1時間くらいかかり、まず「黒岩山」に登頂した。この辺りに来ると、東の方にやたらと目に付く山が気になり始める。AR山ナビで確認すると火打山のようだった。新潟の山は殆ど登ったことがなく、あの辺りは未踏の地だが、去年の4月に遠見尾根の大遠見山で幕営した時、凄くキレイに見えていた記憶がある。そろそろ脱アルプスもいいかもしれない。 次はさわがに山だが、この登りが猛烈に辛かった。黒岩山(1623.6m)とさわがに山(1612.3m)の標高を地図でぼーっと見ただけでは何が辛いか分からない。しかし、さわがに山の手前のピーク(1612m)からさわがに山へのコル(1540m)まで一気に下る。そのコルから前にそびえるさわがに山を見上げた時、「さすがにあれは巻くんちゃうんか?」と思ったが、「あくまで尾根」の栂海新道は許してくれなかった。「マジ?」と言うほど、登山道は愚直に尾根をなぞっていった。さすが、さわがに山岳会だった。 10時半頃、さわがに山の山頂に何とか到達した。驚くべきことに、ここからもピーキーな剱岳を見ることができる。振り返えると、登って来た登山道が急激に落ち込んでいて何も見えなかった。その奥には歩いて来た縦走路がキレイに見えていた。前には相変わらず小さいままの栂海山荘が見え、その奥は青い日本海だ。もう山よりも海が目立っていた。 ここから犬ヶ岳の手前の水場に気付くことに全神経を集中しながら歩いて行く。栂海山荘は水場がない。なので、当日の食事、翌日の縦走用の水を、その水場で調達しなければならない。ハイドレーションと黒岩平で調達した水は、残り合わせてもう500mlくらいだろう。「水場で3Lは調達せなあかんな…」。朝日小屋でバイトしていた山岳警備隊にお兄さんに「思いっきり看板出てますよ!」とは言われたものの、不安なので、しょっちゅうヤマレコを見ながら歩いていた。 さわがに山から130mほど下った地点に来た時、お兄さんの言った通り、思いっきり分かりやすい銀のプレートが足元に見つかった。味のある字体で「北又の水 つがみ山荘の水場」と書かれていた。「これか…」。その左手から、草だらけの細い下りが続いていた。ザックをここにデポし、ザックからエバニューの2Lソフトボトルとプラティパスの1Lリザーバーを取り出し、アタックザックに入れて坂を下って行った。鬱蒼とした狭い道で、足元も少し濡れていた。30mほど下るが、数分で水場に到着した。水はちょろちょろとジャブジャブの間ぐらいの水量だった。鉄のプレートを伝って水が流れていた。水をソフトボトルに入れながら、この貴重な映像をYouTubeでみんなにシェアできるように携帯で動画を撮る。無事に3L調達し、登山道へ戻った。 ザックを開け、調達した貴重な水をしまう。ソフトボトルは前にザック内で漏れたことがあり、かなり不安だった。アタックザックに入れたままザックにしまった。ザックの重量はきっちり3堊えたはずだが、それほど「重くなったな!」とは感じなかった。しかし、ハイスピードガイが心配そうに言ったように、犬ヶ岳への登り返しは並ではなかった。もう諦めがついていたが、1ミリの妥協も許さず尾根を行く。もう今日の行程は最終段階に来ているので、全体力を使い切るつもりで登って行った。 午後12時20分頃、日本海を望む犬ヶ岳の頂上に立った。遥か彼方から続く歩いて来た稜線を見つめる。その向こうには剱岳もまだ見えている。眼下にはやっと栂海山荘の赤い屋根が幾分近くに見えた。ここから意外に結構下り、最後に少し登り返す。そして、とうとう最後の宿泊地「栂海山荘」に到着した。時刻は12時半前だった。登山道はテーブルのある建物の右手に繋がっていた。そこから小屋の前に回り込み、スロープを下りた所にテント場が広がっている。 テント場に下りた。ほぼ無風のカンカン照りで猛烈に暑い。栂海山荘の標高はここまでの宿泊地の中で圧倒的に低い1549mだ。当然、色んな大きめの虫が飛び交っていた。ちょうどテント場の中央から小屋側に、草がない土が見えた地面があり、その辺りに「やれやれ」とザックを下ろした。一番いい場所には直火でバーベキューをしたような炭の跡があったので、それを避けるようにグラウンドシートを引いた。ザックからソーラーパネルを外し、頑張ってテントを張って行く。ここは長い間ほとんど雨が降っていないのか、土の地面は異常にカチカチになっていて、かなりホンキで石で叩いてもペグが刺さりにくかった。後のことはあまり考えず、思い切り石で叩きつけ、かなり根元の方までペグを打ち込んだ。テントを撤収する時、このペグが全く抜けず、軍手も付けずに作業していたので、手を結構深く切ってしまい流血してしまった。最後は足で蹴りながらペグを回収したので、モンベルのアルミペグが何本も曲がってしまった。 テントを張り終えたものの、暑すぎて到底中にはいられなかった。小屋に協力金を払いに行こうと、入口へ向かった。入口の前にはザックが置かれており、中には誰かいるようだった。結構大きい声の話し声が聞こえる。ザックが一つしかなかったのが妙だった。小屋の中に入ると、意外に涼しい。先程の会話の主が1階の床の上にうつ伏せなり、大きな声で「独り言」を言っていた。「あれは会話ではなく、この人の独り言だったのか…」。同世代か少し年長者の様に見えた。取り敢えず「こんにちは」と挨拶をすると、いたって普通に「こんにちは」と挨拶を返してくれた。しかし、すぐさまちょっと怖いくらいの独り言を再開した。「暑さですこしおかしくなっているのかなぁ…」。実は1階はさわがに山岳会の事務所のような扱いで、一般の小屋泊者は2階に寝るようだった。しかし、2階への階段を登り、上を覗いてみたが、2階は蒸し風呂のように暑かった。「だからあの人1階にいたのか…」。実はそもそもこの入口も、山岳会専用の扉だったようで、ここから入ると、記帳用のノートも見つからないし、協力金BOXもどこにあるか分からなかった。かなり探しても分からないので、仕方なく登山道整備の寄付金BOXに1000円を入れておいた。自宅に帰ってきてから山岳会に事情をメールすると、すぐに「承知いたしました。ご報告ありがとうございました」と返事が来たので安心した。 ちょっと、独り言おじさんが怖すぎるので、小屋からすぐに出た。テントには暑すぎて入れないので、小屋前にあるアルミのベンチに座った。ここは日陰になっていて、かなり涼しい。独り言おじさんは、「水どうするよ〜。ここから北又の水場に行ったら1時間以上かかるし、暑さで死んじゃうぜ〜。ちょとは雲が太陽を隠せよ〜〜」と延々愚痴っていた。襲撃されて水を奪われるんじゃないかとリアルに恐怖した。ここは電波もなく、景色を眺める以外にやることがない。アルミのベンチに寝転がり、青空を見上げる。しばらくそんなことをしながらダラダラ過ごした。 午後2時を過ぎ、「そろそろ何か食べないとなあ…」と意を決し、テントに戻った。そして、にゃーおさんがドラマチックに現れたのだった。 とても長い山旅だった。でもそれも明日で終わる。朝日小屋の辺りから残り少なくなった行程に少し悲しくなっていた。しかし、同時に、にゃーおさんと2人でビールを飲みながら、「山を想えば人恋し」とは正に的を射た表現だとも思っていた。一旦、お互い食事をするためにテントと小屋に戻った。黄昏時になり、ジェットボイル、水、スティックコーヒーを持ち、テントを出た。何もお返しできないが、にゃーおさんと一緒にコーヒーが飲みたくなった。迷惑だったかもしれないが、小屋の扉を開け「コーヒー飲みませんか?」と声を掛けた。彼はまだ食事中だったが、すぐに小屋の外に出て来てくれた。コーヒーを2種類から選んでもらい、既に沸かしていたジェットボイルのお湯でコーヒーを淹れた。短い時間だったが、日が暮れて薄暗くなるまで楽しい時間を過ごさせてもらった。「明日は、4時頃出ます」「そうか、ここからすぐにダブルでロープがかけられた激下りになるから慎重に」「はい、今日は感動しました。ありがとうございました」 Day13 8月11日(金) 栂海山荘〜親不知 「余裕のゴールで涙出ず」 いつも通り午前2時に起き、最後の棒ラーメンを食べた。食料はきっちりなくなってしまった。外に出てテントを撤収していると、暗がりの中で若い男性登山者が声を掛けてきた。「山荘の中に居る人に聞いたんですが、中の湯からここまで来られたんですよね?」「はい」「僕も今からやるんです」という。撤収の手を止めないまま、色々聞かれた質問に答えた。かれは5圓曚匹猟況擴戮如5日ほどでやり切るらしい。穂高にはいかず上高地に下りるとは言っていたが、とんでもない弾丸登山だ。「僕はヤマップでヒステリックにモーメント上げて来たんで、それも読むと何か参考になるかもしれないです」と言いながら、いつも説明しにくいヤマップのユーザー名を伝えると、「えっと今電波ないんで後で見ます」と言いながらマメに僕のユーザー名をスマホに打ち込んでいた。にゃーおさんも小屋の前に出てきていて、「予定通り4時に出るの?」と声を掛けてくれる。「ちょっとそれは間に合わないので、15分くらいに出ます」と下から返事をした。4時10分頃、遂に最後の行程を歩く準備ができた。ここからの登山道は小屋の北側から続いている。小屋までの木階段を登り、にゃーおさんに挨拶をし、がっちり握手した。「くれぐれも、最初の激下り気きを付けて」「はい、めちゃくちゃ慎重に行きます!」 確かにその激下りは中々だったが、アドバイスに従い慎重に下りたので、あまり問題なかった。その後も随所に激しい下りがあったが、ゴールは海抜ゼロなので仕方がない。朝起きた時も満天の星空だったが、引き続き天気は最高のようだ。4時40分頃から空が赤らみ始めた。ちょうど藪が薄くなった標高1350mの小ピークで御来光を迎えた。火打山から連なる稜線の谷間から太陽が昇る。最後の日にふさわしい完璧な朝日だった。しばらく立ち止まり、見入ってしまう。もう今日は全く急ぐ気はなかった。最後の道のりを楽しまなくては。 午前5時半前に、「黄連の水 つがみ山荘の水場」の道標にやってきた。水場はさっきの弾丸ガイに、登山道から2、3分と聞いていたので、ザックをデポし、気軽に右手に続く坂を下りて行く。水は全然消費していないのだが、とりあえず水場は全部見ておきたかった。この下りは短いが、北又の水場よりも危険だった。慎重に行かないと危ないだろう。水場まで下りてみると、北又の水場のような鉄のプレートようなものはなく、単に沢があるだけだった。しかも、ほとんど流れがなく「これ…水採れるか?」という感じだった。水に本当に困っていれば、あまりきれいでない水ではないが何とか補給できるのかもしれない。 登山道に復帰し、菊石山(1209.8m)を越える。その後コルへ掛けてくだり、下駒ケ岳(1241m)までは120m程しっかり登り返した。この日の核心は白鳥山への登り返しだと思っていた。下駒ケ岳を越え、栂海山荘からも見えていた崩落地を越える。前に見える白鳥山が思ったより立派だ。白鳥山の白鳥小屋には展望台があり、360度の抜群の眺望だとにゃーおさんから聞いていた。「絶対登ってや!」と言われていたので、それを楽しみに歩いていた。最後の日なのに、あるいは、だからこそ体調は最高によかった。昨日にゃーおさんがもてなしてくれたおかげかもしれない。 午前7時半頃、それほど疲れることなく登り返しをこなし、白鳥山に到着した。白鳥小屋はこじんまりとした、とてもきれいな小屋だった。早速ザックを下ろし、片手にGoProを持ちながら白い垂直梯子を上がって行く。展望台の上に体を乗り上げた。登ってすぐ、白い屋根の向こうに穏やかな日本海が見えた。振り返ると、「おー!!まだ劔岳見えるよ〜。ほんますごいな」。風が吹いていて気持ちよかった。ここまで来て、栂海新道は「とことん尾根」というのをまた感じていて、絶景を見ながらそれをGoProに語りかけていた。 白鳥山から緩やかに下り、山姥平(やまんまだいら)というちょっと恐ろしい名前の場所を越え、次のランドマーク「シキ割の水場」に8時40分過ぎに到着した。この辺りで唯一の水場らしい。水はかなり「ちょろちょろ」なものの、気長に待てば無理なく補給できる。登山道に面した場所にあり、黄連の水場より数段便利だ。北又の水場の方が水量は多いが、おいしさは変わらない気がした。 このシキ割を越えると、金時坂の頭(935辺り)から坂戸峠まで猛烈な下りになる。金時坂と言うらしく、架設階段や補助ロープで整備されているが、かなり体に堪えた。にゃーおさんはこれを登って僕に会いに来てくれたかと思うと、また感動してしまった。 9時半前に坂田峠に到着した。ここには登山口があり、普通のアスファルト道が栂海新道を横切っている。この後も、数回アスファルト道が栂海新道を横切るが、あくまで尾根を貫いて行く。坂田峠から一旦登りになり、尻高山(677.4m)を越えると、二本松峠に向けてまたぐっと標高を落とす。遂に標高が400mを切った!入道山に向けて少し登り返し、またどんどん標高を下げる。遂に標高200mを切った時、「下山道」と書かれた木の道標が現れた。「遂に、下山なのか…」。ここから鉄塔の足元を何回か通り、遂に国道8号線へと降り立つ。道路をはさんだ向かい側に、ウェブサイトとは随分雰囲気の違う質素な「親不知観光ホテル」が見えた。道路を渡り、糸魚川ユネスコ世界ジオパークの「親不知」というでかい看板の前にやって来た。「親不知だ!」。時刻は11時半前だった。 しかし、不思議なことに、あまりに順調に事が運び、体力にもまだまだ余裕がある中でのゴールに感動が高まらない。「おかしいな…」。本当のゴールは海なので、まだゴールではないからだと思い、このままザックを背負ったまま階段を下り、「栂海新道の起点」の海岸に行こうとする。「いや、ちょっと待てよ。ちょっとこの階段は急すぎるぞ…」と、どこかにザックをデポできないか場所を探し始めた。すると、親不知観光ホテル前にちょうどいい木のベンチがあった。取り敢えずそこにザックを下ろす。「そうだ、念のため、日帰り入浴をやっているか確認しておこう」とホテルのドアを開け中に入った。 ホテルのロビーには誰もいなかった。御用の方は9番に電話してくださいとフロントにある電話に書いてあったので、9をダイヤルした。すると、なんだか不機嫌そうな女性が電話に出た。恐らく女将さんだろう。 Ttm:「日帰り入浴はやってますか?」 女将さん:「入浴だけですか?それとも送迎も必要ですか?」と苛立ったトーンで質問される。 Ttm:「送迎もお願いしたいんですが」 女将さん:「予約してますか?」と詰問された。 実は、前述した通り、本当は今日、ホテルに宿泊したくて、8月6日に冷池山荘のテント場からホテルに電話していた。その時に、ご主人から「宿泊は予約でいっぱいです」と断られ、「では日帰り入浴だけでもOKですか?」と確認していた。名前も名乗ったので、「それを予約と言えば予約ですよね?」と押し通す。するとちょっとお待ちくださいと、彼女は電話を切ってしまった。かなり長い時間待っていると、携帯電話で話しながら女性がロビーに現れた。多分女将さんだろう。彼女は、「ちゃんと予約をもらってないので、好きな時間には送迎できません」と言いながら、「ここに1時45分に必ずいてください。そうすれば、親不知まで送迎します」と渋々言ってくれた。「1500円です」と言われて、ロビーにペイペイのマークがあったので、「あ、ペイペイ使えますか?」と聞くと、「現金のみです」と突き放すよう言われ、素直に現金で支払った。よし、今から2時間弱もあるから余裕だなと思い、「ちょっと先に海岸の方とか見に行っていいですか?」と聞くと、奥さんは更に苛立った様子で、「私はこれから(買い物に)出ますので、とにかくここに1時45分にいてください。そうすれば送迎します」と、かなり恐怖を感じるすごみだった。僕は、ひるまず「出る時に、玄関閉めないですよね?」と念のため確認した。すると、「閉めません!」と今にも怒鳴りだしそうな雰囲気で彼女は答えた。「よし、先に観光してから風呂にゆっくり入ろう」と、ホテル前のベンチにザックを置いたまま、軽荷で栂海新道の起点の海岸へと下りて行った。(ちなみに、登山者の日帰り入浴の場合、そのベンチがもともとザックの置き場所で、ホテルの中にザックを持って入ることは固く拒否される) 漱石も歩いたというかなり段差のある階段を下り、親不知海岸に下り立った。大きめの石がゴロゴロしている海岸を海まで歩く。本当にゴールの瞬間だった。波打ち際まで行くと意外に波がある。一度、突然来た波をよけきれず、エクイリビウムが片方濡れてしまった。帰りもこの靴で移動するので、びしょ濡れになるわけにはいかない。タイミングを見計らい、手を伸ばし親不知の海を触ってみる。ものすごい日差しのせいか、海の水は生ぬるかった。地球の丸さを感じさせる地平線を見ながら、「やっと、ゴールしたよ…」。最後まで涙は出なかった。 北アルプス南北全踏破…ロマンにあふれた山旅だった。 突然思いつくまでは、まさか本当に自分がこんな冒険をするとは想像もできなかった。かなり大変かもしれないが、それを補って余りある宝物を得ることができるだろう。一生の思い出を作りたくなったら…是非やってみてほしい。満足すること請け合いだ。 |
感想
プロローグ
(ヤマレコの文字数制限から、本編は「コース状況/危険箇所等」、「その他周辺情報」、「備考(スマホでは表示されないもよう)」に分けて収録)
1.山を想えば人恋し
うだるような暑さの中、蒸し風呂のようなテントの中でカレーリゾッタを食べていた。だくだく出る汗を拭きながら、「これ、無理やぞ...」。栂海山荘は標高1540mで、大小様々な昆虫の楽園になっていた。テントの設営中にどでかい虻がテント内に入ってしまい、追い出すのに難儀した。テント場はほぼ無風で、ステラリッジのモスキートネットを有効にしただけでは全く無意味だった。仕方がないのでリスクを取って入口を全開にしていたが、とても中に居れたものではなかった。リゾッタを食べ終え、意識朦朧としながら熱々のコーンスープを飲んでいた時、いきなりテントの前に登山者が現れた。
「来たで!」
聞き覚えのある少ししゃがれた声だった。意識がボーッとしながらも、テントから飛び出た。
「まさか、にゃーおさん⁉️」
「そう、サプライズ😃」
2年前、南岳側から大キレットに挑戦した時、のっけに無茶苦茶なルート間違いをしてしまった。ちょうどそこへ北穂高岳側からにゃーおさんがやって来て助けを求めた。それ以来、YAMAP上でお付き合いをしてきたが、実際に会うのはこれが2回目だった。
北又の水場(栂海山荘の水場)で3Lを補給し、犬ヶ岳への地獄の登り返しに耐え、12時半頃栂海山荘にやって来た。雲は少し出ているものの、太陽を隠すほどでもなく、ものすごい日差しが照り付けていた。取り敢えずテントを張ったものの、中には暑過ぎていられないので、小屋前に置かれたアルミのベンチで涼んでいた。そこは小屋の日陰になっていてとても涼しかった。電波はほぼなく、何もせずに素晴らしい日本海の絶景と、前方に見える火打山を眺めていた。ぼーっと涼んでいるとあっという間に午後2時を過ぎ、「そろそろ何か食べないとなあ…」と、意を決してテントに戻っていたところだった。
「おー!すごいサプライズです‼️」と、全く予想していない展開に素直に感動する。「コップある?ビール冷やしてきたで!」と、これまたとてつもなく嬉しい言葉を掛けてくれる。この山旅ではビールを毎日1Lほど飲んでいた。全部相手の言い値だ。しかし栂海山荘は無人小屋なので「今日はさすがにビールなしだな」と諦めていた。朝日小屋で買って担ごうかなとも思ったが、ぬるくなったビールにあまり価値はない。2人でテント場から小屋の方へなだらかな階段を登る。「ここは涼しいですよ」と外のアルミベンチに座ると、「まずはこれ食べて!」とビニール袋に入った巨峰を僕の手のひらに4つ乗っけてくれた。そして、凍らせいい感じの融け具合のビールをカップに注いでくれる。2人で乾杯した。
「まさか今日ビール飲めると思ってませんでした!」
「そうやろ、そう思って持って来てん」
タッパーにおつまみもたっぷり入れて用意してくれた。
「感激です!どうやってこのお返しをしたらいいか…」
「なかなか一緒に山行に行くことは叶わないから、頑張って来ただけや、なにも返さんでええよ」
まさに、「山を想えば人恋し」を感じながら、2人でお酒を飲み、心地の良い山談義を楽しむ。
「それにしても、ほぼ行程表通りに歩いて来たね、大したもんだ」
「いやぁ〜、でも当初予定していた時間よりも結構かかった日も多かったです…」
僕はここまでの道のりを思い出しながら答えていた。
2. 思いつきは突然に
6月の初旬、なぜだか突然「北アルプス南北全踏破」をやってみたくなった。去年ひできちさんがやった時にはものすごい衝撃を受けながらも、自分事としては全く考えられなかったにも関わらず。色々な不安があるが、一番の懸念事項はスマホの電源だ。そこで、今年の厳冬期に親不知からスタートし、五龍岳で救助されたレコ(ヤマレコ記録ID: 5161168)でお勧めされていたAnker PowerPort Solar Liteを早速購入した。これで太陽の恵みをいただければ、万事解決だ。
この北アルプス南北全踏破は親不知をスタートかゴールにする。そして反対側は中の湯(焼岳登山口)が基本だ。しかし、やはり北アルプスの南端は乗鞍岳(御嶽という説もあり)なので、親不知〜乗鞍岳をルートにできればロマンが増す。みんなが中の湯スタートにするのは、乗鞍岳から焼岳は登山道で繋がっていないからだが、ヤマレコで超人のレコ(記録ID:4695203)を見つけた。彼は、国立乗鞍青少年交流の家をスタートし、乗鞍岳に登頂。そのまま乗鞍権現を経由し平湯乗鞍岳登山道登山口まで下り、国道158号線を無理やり歩いて中の湯の焼岳登山口に到達していた。しかし、彼が登山開始から焼岳に到達するまで費やした時間は2日半。「う〜ん、ロマンと引き換えに失うものが多いな...」と、やはりみんなが中の湯スタート(ゴール)にしている理由を追認する結果になった。そして、「そうか、ならば乗鞍岳だけ別にやってしまおう!」と思い付くに至った。
乗鞍岳は、今年の1月の初旬に挑戦した。あり得ない場所にテントを張った結果、身の危険を感じ、剣ヶ峰を目前にしながら撤退した。
(https://yamap.com/activities/21899368)
その活動記録の中で「夏の乗鞍岳は観光」と書いたところ、タマさんから「是非、夏に丸黒山もしくは青屋登山道から乗鞍岳目指して下さい、観光登山道では無いルートを味わえます😊」とコメントをいただいた。これがず〜っと頭にこびりついていた。青屋登山道は明治28年に大道教の行者「常全」が40年をかけて開設したものの、廃道状態になっていたらしい。飛騨森林管理署の資料によれば「平成10年頃から10年程度かけ旧朝日村と岐阜県が青屋口から千町ヶ原までのコースを太郎之助みちとして復活させ、奥千町ヶ原に避難小屋も建設し、コース全般の整備を行った」とある。
レコを検索すると、ワイルドなレコが数件ヒットした。登山道は、「コース全般の整備」を行ったにも関わらず、今でも背丈ほどの笹藪に覆われ、ルートが分かりにくくなっている場所もあるようだ。しかも、普通なら「青屋登山口」とでもGoogleマップに入れれば、一発でルート案内してくれるはずなのに、Google先生の手にも負えないようで、登山口の特定もままならない。何とか登山口近くにある「九蔵神社 とちの大木」を目指して行けば、そのすぐ先が登山口という確かな情報を掴んだ。
天気を理由に一度延期しものの、北アルプス南北全踏破への序章として、7月16〜17日に1泊2日で「土と口と川」さんと「コラボでホンキ」の青屋登山道からの乗鞍岳をやり遂げた。これで、国内3000m峰21座コンプリートを果たし、本番へのいい景気づけとなった。(https://yamap.com/activities/25531853)
また、その超人はその先も一風変わったルート取りをしていた。通常の南北全踏破は、水晶小屋の分岐で裏銀座縦走路(野口五郎岳方面)に入るが、彼はここで読売新道へと駒を進めていた。そして、この読売新道にはアルプス日帰り最難関「赤牛岳」がある。
ちなみにこの「読売」は読売新聞社のことで、読売新道は同社の北陸支社設立の記念事業として開削されたものだ。読売新道を歩く登山者は年間400〜500人ほどだという。(北アルプス テントを背中に山の旅へ 高橋庄太郎著 抜粋)
赤牛岳を初めてはっきり見たのは、雲の平のスイス庭園からだった。
(https://yamap.com/activities/13508030)
そこからは左に薬師岳、右に赤牛岳が見える。登山者以外にはほとんど知られていない赤牛岳は、とにかくデカイ薬師岳に山容が似ていて、同じく只者ではない雰囲気を醸し出していた。「う〜ん...、南北全踏破しても読売新道は通らないのか...」。超人のようにロマンを追求するのも手だが、失うものも多い。やはり、全踏破とは別に読売新道と赤牛岳を味わわねば...。沸々と赤牛岳へのマグマが溜まっていった。
今年の5月の3〜5日に、笠ヶ岳から双六岳を縦走した。
(https://yamap.com/activities/24087229)
これは去年の6月4、5日で挑戦し撤退した山行の全復習だった。全復習をする前、去年の撤退時のパートナーのなおにゃんに声を掛けた。しかし、彼は5月は土日の都合がつかず、「6月なら16〜19日は休めそう」と言うので、「オッケー、じゃあそこ画策するわ」と日程を先に押さえた。山行週に入り、ぼつぼつ行き先を確定させようとなおにゃんに連絡を入れた。色々候補を出しながら話し合ったが、僕の中では赤牛岳が外せない存在になっていた。それを素直になおにゃんに伝え、三俣山荘を拠点に赤牛岳をピストンする山行計画で固まった。6月16日から2泊3日の行程で、19日の月曜日は予備日とした。問題は、激務のため毎日極度の睡眠不足になってしまったことだった。「睡眠不足が続いていて、また迷惑かけそう...」となおにゃんにはヘッズアップを入れておいた。そしてこの不安は的中するが、何とか読売新道の香りを感じることができた。(https://yamap.com/activities/24976564)
こうして、北アルプス南北全踏破への事前課題をこなし、日々着々と準備を進めて行った。エクセルのスプレッドシートで、何時にどこの小屋に着くかをベースにスケジュール管理をし、持ち物リストにリストアップしたアイテムも全て重量を実測した。足りないものもどんどん買い揃えていく。その中で一番高い買い物はガーミンのFENIX 7X PROだった。もともとSunnto9 Baroを使っていたが、やはりバッテリーのことが気になっていた。その点、FENIX 7X PROはソーラー発電機能が付いている。しかし、あまりにボタンが多く、機能が多すぎて直感的に使い方が分からない。「やはりフィールドで試すしかないよな...」と、近くの知らない山「金時山」へと繰り出した。(https://yamap.com/activities/25681323)
結局あまり使い方ははっきりしなかったが、その後もガーミンのヘルプデスクにメールで質問を繰り返し、必要最低限のナビゲーションの使い方を習得した。今回はスマホのバッテリー節約の観点から、行動中にYAMAPは起動しないことに決めていた。ヤマレコとFENIX 7X PROでGPXデータを記録するので、それを後からYAMAPにインポートして活動日記を書くことができるので、それで問題ないだろうと思った。しかしYAMAPのシステム的な制約から、あまりにも長い行程の場合、単にヤマレコやガーミンからエクスポートしたGPXファイルを読み込むだけではちゃんと行程が作成されない。GPXEditorを使って猛烈に苦労しながら行程を編集し、何とかそれなりの活動データを作成することができた。それでも、Day5は本当は烏帽子小屋テント場(ひょうたん池を見下ろす一番遠い場所)でテント泊したのに、あたかも野口五郎小屋で小屋泊したかのようになってしまった。また最終日はスタートの栂海山荘からゴール地点まで一切のチェックポイントが表示されていない。
今回の北アルプス南北全踏破の「縛り」はテント泊だった。幸運に恵まれた結果、縛りを遵守し、テント泊に徹することができた。一番最初に行程を決めた時は9泊10日の駆け足プランだった。ただそうすると、テント場確保における「ガン」の後立山連峰にピーク日(8月4〜6日)に突入することになってしまう。そんなにプラン通り事が運ぶとは思えなかったので、「要予約」の冷池山荘、唐松岳頂上山荘は「前日に確実に行けると分かった時点で予約すりゃいいや」と思っていた。めちゃくちゃ甘かった。7月10日になんとはなしに各山小屋テント場の予約状況を確認すると、8月5日に予約しようとしてた唐松岳頂上山荘のテント場は既に予約不可になっていた。五竜山荘のテント場に至っては、4〜6日まで全部いっぱいだった。「やばい…」と焦って辛うじて空いていた4日の冷池山荘のテント場を急いで予約した。もともと6日になぜか予約していた白馬岳頂上宿舎に到達するには、やはり5日に唐松岳の辺りにいる必要がある。「こうなったら夜通し歩いて、冷池山荘から白馬岳頂上宿舎に17時間くらいかけて行くか、あるいは大黒岳の辺りでビバークか…」。計画段階での撤退の危機に直面した。そんな時、ふと視点を変えて「五竜山荘相部屋」を見ると、5日が奇跡的に空いてる!「この際、しゃーない」と急いでネット予約した。しかし、かなり頑張って歩かないと各ポイントに辿り着かない山行計画なので、「これ、天候が崩れても、体力が少しでも足りなくても、途端に破綻するな…」と、もともと自由を求めてテン泊しているのに、がんじがらめになっている矛盾に、シーズンの長期縦走の難しさを痛感する。何とか五竜山荘での小屋泊を抑えたものの、自分のこだわりであるテント泊を諦めることに対して納得ができなかった。なので、もう一度行程を見直すことにした。北アルプス南部は山小屋の数が多く、テントの収容能力も高いので「予約不要」が一般的だった。そこで、南部で行程を細かく区切り、行程を3日増やして時間調整し、後立山連峰にオフピーク日に到達するようにした。こうして12泊13日の全テン泊の行程が完成した。後は天に祈るのみだ。
(一括掲載は以下リンクへ!PCからでないとYAMAPの問題でフェイルする)
https://yamap.com/activities/26094655
大作過ぎて読破するのに時間を要しました😅
北ア縦断、お見事です!計画・準備・完遂に至るまで、本当にお疲れ様でした!
拍手ボタンを10回押したいです👏👏👏
こんな長い作文を読んで下さりありがとうございます!ヤマレコもPCからでないと編集不能になってしまいました😅 天気が良かったおかげですが、これくらいの日数使えば無理なく楽しめます?
大作をじっくり拝読しました。素晴らしいチャレンジでしたね。分割ですが歩いたところがほとんどなので目の前に風景が見えるようで紀行文としても素晴らしかったです。いつか繋げてみたいと思いつつ栂海新道はもういいかなと思ったり(笑)楽しませていただき、ありがとうございました。
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