マツダランプ(まつだらんぷ) / 東芝ランプ
最終更新:2022-10-09 12:47 - jj1xgo
基本情報
大正から昭和にかけて広く親しまれた東芝製電球の呼称。後に「東芝ランプ」として東芝ライテック(株)に引き継がれた。関東周辺の山で「マツダランプ」の道標(ホーロー看板)を見ることがある。
マツダランプの道標第1号は谷川岳〜平標に設置され、半世紀以上の年月を経て立っている。谷川岳から三国峠までの縦走路は、昭和25年に群馬県により肩の小屋の改築が行われ、同時に平標小屋が新築された時から開拓された。その年の11月4日に最初の遭難が発生。三井鉱山パーティー(2名)と東芝マツダパーティー(3名)の計2組5名のうち、1名だけが救助され4名は疲労凍死した。この遭難は天候不順の他に、仙ノ倉付近の道標がいたずらされ向きを変えられた事により起きたとも言われている。谷川岳〜平標の道標は、この遭難の後にマツダランプ山岳部によって設置された。山行者の安全祈願と遭難者の鎮魂と慰霊を願って立てられたものである。
マツダランプの道標第1号は谷川岳〜平標に設置され、半世紀以上の年月を経て立っている。谷川岳から三国峠までの縦走路は、昭和25年に群馬県により肩の小屋の改築が行われ、同時に平標小屋が新築された時から開拓された。その年の11月4日に最初の遭難が発生。三井鉱山パーティー(2名)と東芝マツダパーティー(3名)の計2組5名のうち、1名だけが救助され4名は疲労凍死した。この遭難は天候不順の他に、仙ノ倉付近の道標がいたずらされ向きを変えられた事により起きたとも言われている。谷川岳〜平標の道標は、この遭難の後にマツダランプ山岳部によって設置された。山行者の安全祈願と遭難者の鎮魂と慰霊を願って立てられたものである。
山の解説 - [出典:Wikipedia]
マツダ()は、白熱電球などに用いられた商標である。米国のゼネラル・エレクトリック・カンパニー()が所有し、提携企業にも使用を許可していた。ゼネラル・エレクトリック・カンパニーは、フィラメントにタングステンを用いた高性能な白熱電球を発売するにあたり、新たな商標を用いることを検討した。1909年9月14日に同社取締役のフレデリック・ペリー・フィッシ(英: Frederick Perry Fish)が、古代ペルシアの文献から引用した「Mazda」を提案し、これが採用された。
タングステンを用いた白熱電球の生産には、ゼネラル・エレクトリック・カンパニーの特許と技術が不可欠となっていたが、同社は積極的に技術供与と商標使用許諾に応じたことから、欧州や日本で「Mazda」を名乗る白熱電球が登場した。米国では、白熱電球のカルテルに絡む独占禁止法訴訟の影響から、1949年に「Mazda」の使用は中止されたが、米国外の提携企業には、21世紀になっても使用が続けられた例がある。
ゼネラル・エレクトリック・カンパニーによる商標登録の更新は、1990年に行われたのが最後である。